達点と課題
著者 岩橋 清美
出版者 法政大学史学会
雑誌名 法政史学
巻 58
ページ 52‑58
発行年 2002‑09‑30
URL http://hdl.handle.net/10114/10749
戦後歴史学研究は、歴史の主体として、民衆や地方(地域)に注目し、社会構造の特質の解明を行ってきた。この過程で、各地で積極的に史料調査が行われ、史料集が刊行されることにより、膨大な史料を手軽に人手することが可能になった。地域史料の調査・刊行において自治体史編纂が果たした役割は決して小さいものではない。自治体史の編纂は一九六○年代頃からの高度経済成長の波に乗って全国的に展開されてきた。行政の責務として企画されるため、時として市制施行記念等の行事の一環として行われることも多かったが、各自治体は編纂事業を通して、その将来像を模索しようとしていたと言えよう。 〔コメント〕
{H口治体史の編纂し」地域史研究
l自治体史編纂の到達点と課題I 法政史学第五十八号はじめに 一九八○年代後半以降の歴史学の新しい研究動向として記録史料学の発展がある。この背景には、’九八七年に「公文書館法」が成立し、国および地方公共団体が公文書等の保存・閲覧・調査研究を行う公文書館の設置と専門職員の配置の責務が明示されたことがある。これによって自治体史編纂時に収集した資料の保存・公開が編纂後の重要な課題になるとともに、編纂自体に対する取り組みにも変化が見られた。つまり、自治体史の刊行のみを目的にするのではなく、編纂事業自体を資料保存の一過程と位置付け、調査時の史料の保管状況の記録化(現状記録)がはかられるようになり、古文書の整理方法も大きく転換したのである。そして、個々の古文書を群として捉えるという視角は歴史学の研究方法にも影響を与え、記録史料学を意識
岩橋清美
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一九八○年代後半以降、自治体史編纂における古文書の調査・整理方法はこれまでのあり方を見直し、古文書が保存されてきた環境をも調査の対象とすることが試みられてきた。これは、古文書を個別に捉えるのではなく、一つの群として考え、個々の古文書の関係性を重視した思想に基づくものである。現在、近世村落文書の多くは、江戸時代に村役人を勤めた家に伝えられている。そのため、家を取り巻く歴史と環境が史料の残存状況を左右していると言える。現状記録とは、群として文書を捉えることが逆に個々の古文書の存在意義を明確にしえるという思想から生じた調査方法であ した研究成果が多く見られた。一例としては文書の保存・管理等のあり方を取り上げた文書管理史および文書に対す(1)る意識を分析した一連の研究があげられよう。本稿では、法政大学史学会シンポジウム「文化財としての古文書と古記録」における筑紫敏夫氏の報告「近世村落文書の整理と自治体史編纂」に対するコメントを含めて、これまでの自治体史編纂の到達点と課題について若干の私見を述べていきたいと思う。
自治体史の編纂と地域史研究(岩橋) 史料整理方法と自治体史編纂 る。こうした古文書の伝来過程への関心は、公文書館設立運動とも密接に結びつき、各自治体史編纂および個々の研(2)究・調査団体における調査の実践例が多く報生□された。筑紫氏の報告もその一例として位置付けることができる。千葉県袖ヶ浦市史では市制施行記念行事の一環として編纂が企画され、これまで成果物として『史料目録」『資料編』・『通史編』・『市史研究』等を刊行してきた。調査においては、現状記録を重視し、古文書が保管されてきた土蔵等の内部配置や保存容器の確認を行った。その上で、古文書の取出し原則を決定し、原則に従って古文書を取出し袋詰めを行い、史料番号を付した後、表題・年代・作成者・受取人等を詳細にカードに記入した。このカードをもとに古文書の目録を編成し、『資料編』「通史編』刊行の基礎作業とした。袖ヶ浦市における調査事例は近年の自治体史編纂状況に照らし合わせれば標準的なものである。最近では、より確実な現状記録を行うために、写真やスケッチだけではなく、ビデオカメラやデジタルカメラ、パソコンを利用した精徴な調査を行う事例が多く紹介されている。しかし、あまりにも精徴な調査を行うあまり、調査にかかる時間や予算が問題視される場合もある。こうした状況を鑑みるとき、調査技術に注目するあまり、なぜ、現状記録を
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とる必要があるのかという根本的な問題が捨象されているように感じられるのである。このことは、袖ヶ浦市史に限られるものではないが、現状記録の成果が「史料目録』や「資料編』の編集に明確に反映されている自治体史が少ないことに如実に示されている。現状記録とは文書群の現秩序であり原秩序ではない。文書群の原秩序を解明するための一助になるものである。現状記録を尊重する立場をとるならば、「史料目録』とは現状記録をもとに文書群の原秩序を考察し、文書群の全体像の解明を試みた一つの研究成果であるはずである。この点を考慮した文書目録で、比較的早い時期に刊行されたものとしては、東京都多摩市が刊行した「多摩市史関係所在文書目録』(1)~(3)(以下『文書目録』と略す。)があ(3)げ一bれよう。多摩市史では、古文書が存在するということについて「何よりも、それがいかなる機関・組織・個人の、いかな(4)る行為の過程で発生し、また伝来したものなのか」という点に留意し、「文書目録』を作成した。つまり、主題分類を最初に設定しそれに合わせて実際の古文書を分類するという従来の方法を否定し、古文書作成主体の社会的立場に即して古文書を分類し文書の作成伝来意図が明確になるよ 法政史学第五十八号
うに心がけた。このため、項目分類は文書群ごとに異なっている。さらに、『文書目録」では大項目から徐々に細かい項目に枝分かれする形式を取り、それぞれの文書の持つ意味や関係性を示すよう努めた。これは実際の作業では、最初に個々の古文書の持つ意味を詳細に確定し、次に文書がいかなる過程で作成されたのかという視点で分類項目に収散するという方法をとっている。その結果、近世社会では、一個人は「家」を媒介として社会的存在に成りえたのではないかという見解に立ち「家政」という大分類を各文書群の冒頭に置くに至ったのである。なお、多摩市史では、こうした古文書の伝来状況を尊重する立場から『資料編』(近世部分)では掲載資料を家別に編成した。ただし、家別の資料配列は一見して地域の歴史を通史的にイメージしにくいという欠点もあり、市民層までも含んだ読者を想定しなければならない自治体史の場合、残された課題も多い。筆者は以前、武蔵国多摩郡蓮光寺村(現東京都多摩市)名主富澤政宏家文書(国文学研究資料館史料館蔵)中の村方騒動の文書の分析を行い、原秩序と現秩序の関係性について考察を試みた。その結果、現秩序維持が文書群の内部(5)構造の分析に一定の有効性があることを一不した。 五四
ここでは、近年の自治体史編纂のあり方について、地域史研究との関連から考えてみたい。自治体史編纂は基本的には現行の行政区域を基準とするため、自治体を越えた資料調査や記述が制限されることも多い。しかし、前近代における地域社会の問題を考える場合、現行の自治体の枠組みを越えた調査・研究が必要とされるのは一一一一口うまでもないことである。神奈川県寒川町では、こうした自治体史の制限を見直し、自治体の範囲を越えて調査を行い、その成果(6)を『資料編』として刊行した。「寒川町史』資料編近世(3)は全編、文政改革および改革組合村関連の史料で構成されている。改革組合村は関 文書群の現秩序を明らかにすることは過去のある時点の文書保存状況を明らかにすることであり、文書群の原秩序であるわけではない。原秩序とはその文書群の個々の文書の機能とそれらの関連を分析することで明らかになる理念上の秩序である。現状記録の技術的工夫に終始するだけではなく、個々の文書の関係から文書群を構造的に把握する理念こそが、今後の地域史研究に必要とされているのである。
自治体史の編纂と地域史研究(岩橋) 二自治体史編纂の方向性 東地域の自治体史の場合、必ず取り上げられるポピュラーな項目である。その一方で改革組合村の範囲が現行の行政区画と一致しない場合も多いため、分析に不十分さを残すことも少なくない。寒川町域の村々は相模国高座郡一之宮村組合に位置するが、『資料編」では、一之宮村組合の組織と活動を明らかにするために、広く調査を行い、|之宮村組合に隣接する相模国・武蔵国の一部の村々の史料も採用して編纂された。『資料編』自体は一ノ宮村組合の実証研究であると同時に改革組合村を統一的な視点から観察できる材料にもなっている。つまり、地域の特殊性を内在的に批判し普遍化していると評価できるのではないだろうか。自治体史編纂には地域の固有性を重視するあまり、それを一般化できないケースあるいはその逆のケースか多い。実証研究に基づく地域の特殊性と普遍性とを弁証法的に統一する指針が必要であろう。また、近年、自治体史編纂は終息に向うものもある一方、新たに開始するケースも見られる。新たに編纂をはじめる事例を大別すると、既刊の自治体史の補完として現代史を中心に刊行する場合と近年の地域史研究の成果を取り入れて新たに編纂する場合とがある。神奈川県相模原市では、二○○|年度より新たに市史編
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現在、自治体史編纂が直面している大きな問題の一つとして自治体史編纂後の史料の保存・公開がある。「公文書館」の制定により史料の保存・公開への意識は高まりつつあるものの、自治体史編纂後の史料の移管先が決まらず十分な保存・公開体制が整わない事例も少なくない。 纂が開始された。今回の編纂では一九七○年代の編纂によって完結した『相模原市史」の続編というスタイルをとりながらも近年の新しい成果も踏まえつつ全体が構成されている。また、編纂審議委員会では積極的に一般市民を審議委員に加え、|市民として市史が取り上げるべきテーマについて意見を提示してもらった。その結果、景観や自然環境の変化、家族形態の変化、米軍基地問題、女性とマイノリティーといったテーマが出された。こうしたテーマに対して、編纂審議委員会では、従来の歴史学研究の枠組みを越え、社会学等の方法論や分析視角を持たなければ市民のニーズに対応できないのではないかという結論を出し、編纂方針に加えた。自治体史編纂をめぐる近年の状況は、まさに従来の地域史研究のあり方そのものに対する問いかけでもあると思われる。 法政史学第五十八号
三史料保存・公開の方向性 ここでは、一一○○二年四月に開館した熊本県本渡市立天草アーカイブズ(以下天草アーカイブズとする)を紹介し(7)たい。天草アーカイブズの設立の契機は一一○○○年八月に行なわれた天草史料調査会と本渡市との交流会であった。その後、公文書収集のための文書起案、市役所各課への説明会を経て、二○○|年九月、公文書館設置条例が施行され、翌一○月には第一回本渡市公文書館設置審議会が開催された。開館に至るまで本渡市では公文書保存研修会やシンポジウムを通して、官民両者に公文書館の必要性をアピールし、その取り組みは全国史料保存利用機関連絡協議会長野大会においても報告されている。天草アーカイブズ設立の趣旨は、現在のアーカイブズが持つ一一一つの機能の実現にある。三つの機能とは、文化的機能・社会的機能・行政的機能のことを指す。このうち文化的機能とは、役所・個人や家・諸団体等の史料を地域の記録遺産として保存・利用に供することである。史料の多くは個人の家において保管・伝来されてきたが、家族形態や居住空間の変化が所蔵家の史料の保存・伝来を困難にしている。また、各役所における行政文書も自治体の合併によ(8)り、その保存・管理・公開のあり方が問題になっている。社会的機能としては「情報公開」と「アカンタビリティ」
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以上、雑駁ではあるが、筑紫氏の報告のコメントを含めて、近年の自治体史研究の成果と課題について若干の私見を述べた。自治体史の編纂が戦後の地域史研究の発展に与えた影響は大きい。しかし、その一方で、自治体史は現代社会の特質が創りだした一つの歴史叙述に過ぎず、行政と専門家がオーソライズした「偽りのリァリティ」ではない(9)かという批判もある。こうした批判に対する明確な回答を示すことは難しいのだが、すべてを自治体史という刊行物に収数するのではなく、編纂の過程で蓄積した史料の公
自治体史の編纂と地域史研究(岩橋) (説明責任)の実現、行政的機能としては、より高度で効率的な行政を実現するための資源蓄積があげられる。そして、|||っの機能を備えた文書館が二一世紀の独創的な地域づくりに必要な情報資源を蓄積する記憶装置たりえるとしている。官民両者を巻き込んだ天草アーカイブズ設立の運動とその理念から学ぶことは多い。自治体史の編纂も真の意味で地域に根ざした事業として、編纂意図とその必要性を明確にアピールしていくことが自治体史編纂終了後の方向性を決定することになると言えよう。
おわりに 開.利用を促進し、多様な地域史の可能性を追求することが必要とされているのではないかと思われる。コンピューターネットワークの浸透等により地域住民の地域概念や史料に対する意識は多様化している。多様化する地域概念に対処しえる史料情報を提供し、様々な見地に立つ歴史を相互に関係させることが重要なのではないのであろうか。自治体史編纂事業全体が地域を捉える視角・方法の多様性を追求し、地域概念そのものを見直すことで、新たな地域史研究の構築の可能性を示すことが必要であると思われる。
註(1)安藤正人・青山英幸編「記録史料の管理と文書館』(北海道大学図書刊行会、一九九六年)、安藤正人『記録史料学と現代』(吉川弘文館、’九九八年)、大友一雄『日本近世国家の権威と儀礼」(吉川弘文館、一九九九年)等。(2)こうした事例としては、吉田伸之「現状記録論をめぐって」(吉田伸之他編「近世一房総地域史研究』東京大学出版会、’九九一一一年)、『牛久市小坂斉藤家文書概要調査報告書』(’九九三年)等がある。(3)「多摩市史叢書(3)多摩市史関係所在目録1」・『多摩市史叢書(4)多摩市史関係所在目録2」・「多摩市史叢書(5)多摩市史関係所在目録3」二九九○年二九九一
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(5)拙稿「近世後期における村方騒動の史料論的考察」(「(財)とうきゅう環境浄化財団助成報告書』多摩川流域史研究会、一九九三年)。(6)「寒川町史』3資料編近世(3)□九九五年)。(7)「本渡市立天草アーカイブズ開館記念誌』(本渡市立天草アーカイブズ、二○○二年)。(8)「市町村合併時の公文書等の保存を求める声明」『地方史研究』二九八号、二○○二年)。(9)辻川敦「自治体史編さんの再検討」「歴史評論」五九八、二○○○年)。 年・’九九三年)。(4)大藤修・安藤正人「史料保存と文書館学』(吉川弘文館、 法政史学第五十八号
一九八六年)拙稿「近冊(「(財)とう 五八