はじめに 本稿は、東北大学の百年史編纂過程、中でもその実務の中心を担うことになる、百年史編さ ん室設置に至る構想と体制整備を明らかにするものである。東北大学公式の大学史について は、東北大学百年史刊行以前、1937年に庶務課でまとめられた『東北帝国大学ノ昔ト今:創立 二十五周年記念』、1960年に東北大学編として編纂された『東北大学五十年史』上下巻がある1)。 この『東北帝国大学ノ昔ト今:創立二十五周年記念』は全92頁、『東北大学五十年史』上下巻は、 全1888頁であったのに対し、2003年から2010年までに刊行された全11巻からなる、『東北大学百 年史』は9627頁とそれまでの公式の大学史とは全く異なる規模で編纂された2)。これは電子版 で刊行された九州大学百年史を除けば、紙媒体では旧帝国大学中、東京大学に次ぐ頁数であり、 刊行巻数でいえば旧帝国大学で最大巻数を誇っている。このように、東北大学の百年史編纂事 業は、日本の大学史においても規模の面からも特質ある刊行物となっている。このため、東北 大学を事例とした大学史編纂過程を考察することは、日本における高等教育史研究と大学周年 事業の関係を歴史的に明らかにする上で重要な作業であると言えよう。 先行研究においては、大学史の内容分析について野間教育研究所の一連の研究成果がある。 同研究部会メンバーの西山伸は20世紀後半の大学史の規模拡大の刊行動向を指摘しており3)、そ れとともに1980年代以降、寺﨑昌男や中野実らが先駆となって大学沿革史評価の論考もあらわ れるようになったとされている4)。また、大学史の編纂に携わった関係者により、編纂経過、刊 行物の評価や課題などを記した『大学史をつくる -沿革史編纂必携-』が1996年に刊行され、 大学史編纂のノウハウの波及に一定の役割を果たした5)。 一方で各大学史編纂において蓄積された技法や方法を共有するための回顧、という枠組みか らではなく、大学史編纂史そのものを歴史学的に分析する、という研究視角に基づく研究は十 分進展してこなかった。湯川次義は大学史が「個別大学における多様な要因が重なりあって、 また「外部」からは知り得ない事情も含みつつ編纂・刊行されるもの」と指摘しているが6)、こ の編纂過程に関する一次史料へのアクセスがこれまで十分ではなかったことがその要因として あげられよう。 そこで、本稿では東北大学史料館に移管された、東北大学百年史編纂に関わる文書を分析す ることで、日本において屈指の刊行巻数、頁数を誇るに至った、東北大学百年史の編纂過程そ のものを対象とする。本稿における時期設定は、東北大学において百年史編纂構想が立ち上が る1993年から、東北大学百年史編さん室が発足することになる1997年までとし、如何なる議論 の上で、編纂構想および編纂体制が確立されたのかについて明らかにする。その上で、初発の 編纂事業立ち上げを検討することで、東北大学における当該期における外部の大学史編纂事業 の影響と、百年史編纂の内的行動要因の相互関係を解明したい。
東北大学百周年記念事業における大学史編纂構想と体制整備
加 藤 諭
1 、東北大学百年史編纂構想委員会の設置 東北大学における百周年記念事業の準備がはじめられたのは、公的には1993年 4 月20日開催 の評議会を嚆矢とする。この評議会では、その他の報告事項として整理されていたが、「記念事 業企画委員会について」が議題にあげられている7)。記念事業企画委員会は1986年に設置された 評議会直下の全学委員会で、東北大学における記念事業計画の基本的な在り方の検討を任務と し、当時東北大学全学同窓会の再発足や創立80周年記念行事について検討を担ったが8)、1993年 4 月20日の評議会議事進行メモに「企画委員会は、現在は、積極的な活動をしていない状態に あり9)」とあるように、1993年段階では活動休止中の委員会となっていた。 4 月20日の評議会は この記念事業企画委員会の再始動を求めるものであった。評議会の議長を務めていた西澤潤一 総長(1990~1996年)は「100周年に向けて諸々の準備をする必要がありますので、このあたり で、委員会に本格的に動いていただきたい」と述べ、百周年記念事業の準備に必要な事項につ いて、「記念事業企画委員会を開催し検討」を評議会として付託することになる10)。 一方、こうした評議会での動きに先だって、東北大学全学同窓会では西澤潤一の前任である 大谷茂盛総長(1989~1990年)が全学同窓会長を務めていた1990年頃より、創立百周年へ向け て定期的な話し合いが行われていた11)。東北大学全学同窓会は、創立50周年の際に設立された が、その後、有名無実となっていたものを記念事業企画委員会の議論のもとで、創立80周年に 合わせて再発足させた組織である。東北大学研究教育振興財団の理事を務めた石井敏夫によれ ば、前田四郎総長期(1977~1983年)には「旧帝大で全学的な同窓会がないのは東北大学だけ」 という認識があり12)、その課題が次の総長(1983~1989年)である石田名香雄に引き継がれた という。そもそも、全学同窓会の再発足は80周年事業時の総長であった石田名香雄が「創立100 年(2007年)に向けての同窓会活動が展開され、大学をとりまく情勢にも一段と弾みがつくも のと期待」すると述べているように、創立百周年を見据えた再発足という側面があった13)。ただ、 当時の全学同窓会の運営費は、部局同窓会加盟同窓生の分担金人数割り拠出をもとにする構造 であったため、独自の財政基盤を有する体制が模索されるようになり、1992年 5 月には全学同 窓会に、東北大学後援会設置準備会が設置、1993年 5 月までに「東北大学後援会設置について」 とりまとめられることになる14)。ここでは新たに財団法人化を視野に入れた後援会を設置する とともに、その後援会における募金計画の概要として「継続事業としての(1)学術研究奨励資 金、(2)国際交流・協力資金および、(3)東北大学出版会設立資金などのため20億円、さらに 特別事業としての、(4)100周年記念式典、(5)東北大学百年史の編纂・刊行、(6)記念建造物 建設等のため30億円、合計50億円を募金目標額とし、西暦2007年までに達成する」という目標 が立てられていた15)。こうした80周年以降の同窓会組織の立ち上げと、百周年事業を見越した 独自財源運用体制の整備という流れが、大学公式の百周年記念事業の構想策定への背景にあっ たのである。 評議会の付託を受けた記念事業企画委員会は、1993年 7 月20日委員長を務めていた医学部長 の平則夫より、評議会議長である西澤潤一総長に「記念事業企画委員会における検討結果につ いて(報告)」をとりまとめ提出することになる。このとき提案された事業は第 1 に東北大学百 年史編纂・刊行事業の準備、第 2 に記念建造物の構想、第 3 に全学同窓会との連携、であった。 このうちより具体的な提案になっていたのは、百年史編纂であり、記念事業企画委員会は「創 立百周年にあたって、東北大学百年史を編纂・刊行することが学内の総意であると思われる」
とした上で、「当面の措置」として以下の 4 点を求めた。 (1)本格的な編纂事業にあたる「東北大学百年史編纂委員会」(仮称)の設置に先立ち、「編 纂構想委員会」(仮称)(以下、この委員会と称する)を記念事業企画委員会の下に設け る必要がある。設置期間は 2 年程度とする。 (2)この委員会は、学内外の意見を徴しつつ、編纂の基本方針、編纂組織、百年史の構成、 関係資料の収集などに関する事項を専門的に検討し、草案をつくり報告する。 (3)この委員会の構成は、学内の歴史学の教官を含む本学史に関する学識経験を有する教官 若干名をもって構成する。 (4)この委員会の任務に関わる業務は記念資料室が担当することが望ましいが、その際は、 この委員会の業務のため非常勤職員 1 名程度の手当てが必要である16)。 年史編纂事業以外の記念建造物の構想や全学同窓会との連携提案は、対応する委員会設置等 の手続きまで踏み込んだ内容とはなっておらず、このときの提案の主軸が年史編纂事業に置か れていたことがうかがえる。 この原案作成に強く関わったのが、1993年 3 月まで文学部長を務め、東北大学記念資料室運 営委員会専門委員会の委員も務めていた渡邉信夫である。渡邉は、東北大学百年史編纂事業に ついて、「東京大学や北海道大学の百年史に匹敵する『東北大学百年史』を編纂するとすれば、 編纂事業について本格的に検討すべき時期にきている」と考えており17)、具体的時期は不明な ものの、同年 4 月~ 7 月までの間にたたき台を提案している。その内容は以下の通りであった。 1 、本格的な編纂事業にあたる「東北大学百年史編纂委員会」(仮称)の設置に先立ち、「編 纂構想委員会」(仮称)(以下、この委員会と称する)を設ける、設置期間は 2 年程度と する。 2 、この委員会は、学内外の意見を徴しつつ、編纂の基本方針、編纂組織、百年史の構成お よび編纂事業計画などに関する事項を専門的に検討し草案をつくり報告する。 3 、この委員会は、記念資料室における大学史関係資料の収集に関与する。この委員会が編 纂事業案を立案するのに、東北大学の歴史に関する資料の伝存状況の概要等を掌握する ことが重要であるからである。 4 、この委員会の構成は、学内の歴史学の教官および本学史に関する学識経験を有する教官 若干名をもって構成する。 5 、この委員会の任務に関わる業務は記念資料室の業務と密接に関係するが、同室には本来 の業務がありかつ現在の陣容では不十分なので、この委員会の業務を推進するため最低 非常勤 1 名程度の強化が必要である。なお、本格的な編纂事業に着手する際には独立し た編纂室を設置する必要がある。 これをみると、渡邉案が「記念事業企画委員会における検討結果について(報告)」における、 百年史編纂・刊行事業の準備に関する当面の措置 4 点、の下地になっていることがよく分かる。 一方、渡邉案は 5 項目からなっているように、「記念事業企画委員会における検討結果について (報告)」では取上げられなかった提案も行われている。それは、「編纂構想委員会(仮称)」は 「記念資料室における大学史関係資料の収集に関与する」委員会とすること、そして「本格的な
編纂事業に着手する際には独立した編纂室を設置する必要がある」としたことであった。つま り渡邉は、初期の編纂構想から、収集を担う記念資料室と編纂を担う編纂室という二室体制を 想定し、その両輪を総合的に検討するものとして、編纂構想委員会(仮称)を措定する、とい う考えを持っていたことになる。 この渡邉の考えに一定程度影響を与えたと思われるのが、記念資料室からの意見である。 1993年 6 月14日に記念資料室名で提案された「百年史編纂事業について」には、百年史編纂事 業への関わり方について以下のような意見が述べられている。 「 1 本来、東北大学のアーカイブス(文書館・資料館)として機能すべき記念資料室は、百 年史の編纂事業の有無にかかわらず、継続して果たすべき固有の任務をもっている。 2 とくに、定年退職する教官の著作目録の作成や肖像写真の撮影、資料の貸出、展示会へ の協力、各種の照会に対する回答など、対外的な窓口としての役割があり、百年史の編纂 と直接関係のない業務も多い。 3 また、現在、記念資料室の事務は附属図書館が担当しているが、百年史編纂活動が本格 化した場合の事務量は、到底、図書館の手に負えるものではない。したがって、将来「百 年史編纂委員会」(?)が設置された場合には、記念資料室とは別に、同委員会のもとに強 力な事務機構(「百年史編纂室」?)を置く必要がある。 4 しかし、初期の「百年史構想検討委員会」(?)が活動する当面の期間は、記念資料室の 現体制(助手 1 、事務補佐員 1 名)に非常勤職員 1 名程度を補充して、聴き取り調査や映 像撮影などの資料収集能力を強化する程度で対応できるのではないか。 5 具体的には、上記の非常勤職員の人件費のほか、委員と室員に対して若干の調査旅費を 用意する程度の体制強化を行えば、当面必要な資料収集のほか、構想検討委員会の事務局 をつとめることも可能かと思われる。 6 そして、将来、本格的な百年史編纂室が設置された時点で、記念資料室は本来の業務に 復帰する。18)」 ここでは記念資料室は、編纂構想段階においては、その準備や事務局的機能を果たすものの、 大学アーカイブズとして、編纂事業とは別の役割があり、編纂室は独立して設置すべき、とい う考え方が示されている。当時記念資料室の専任教官として配置されていたのは中川学助手で あり、「百年史編纂事業について」は中川の手によるものと思われる。五十年史刊行後の1963年 以来、日本で初めて大学アーカイブズを英訳呼称した、東北大学記念資料室を有する東北大学 では、アーカイブズ固有の機能とその継続性を提起する素地があり、時限事業である大学史編 纂とは分けて考える、という議論の方向性が初発からセットされていたのである。 「記念事業企画委員会における検討結果について(報告)」を受けた評議会は1993年 7 月20日 の議事において、「編纂構想委員会」(仮称)を記念事業企画委員会の下に設けることも含め承 認、記念事業企画委員会は、議長である西澤総長から、「編纂構想委員会」(仮称)委員の人選 を行うよう依頼されることになる19)。その結果、同年11月までに名称を百年史編纂構想委員会 とする委員会が立ち上がり、同月16日には、百年史編纂構想委員会の事務所開きがなされ、東 北大学記念資料室内に西澤潤一総長の筆による看板が掲げられることとなる20)。また開所に先 立ち11月 4 日には百年史編纂構想委員会が開催されることになった。
ところで、翌1994年 1 月18日時点で、百年史編纂構想委員会事務室より、本部事務局庶務課 に照会したところでは、記念事業企画委員会は「近々開催の予定はない」という回答がなされ ている。 7 月段階での記念事業企画委員会報告は、百周年事業として、東北大学百年史編纂・ 刊行事業の準備のほかに、記念建造物の構想や、全学同窓会との連携も提案されていたが、そ の後具体的な進捗は促されていなかったことになる。このことから、1993年の動向は、百周年 事業そのもの、というよりは西澤潤一総長の意向に基づく東北大学における、百年史編纂の道 筋をつけるための学内手続きであったとも位置づけられよう21)。 2 、百年史編纂構想委員会による編纂構想答申 さて、1993年11月 4 日開催された第 1 回百年史編纂構想委員会の委員構成は、文学部 5 名、 教育学部 1 名、理学部 1 名、医学部 1 名、工学部 1 名、金属材料研究所 1 名、大学教育研究セ ンター 1 名というもので、文学部が最多となっていた。さらにその文学部においても渡邉信夫 教授以下、所属や出身も含めると全て日本史研究室に連なる歴史学専攻教官で揃えられてい た22)。また第 1 回委員会において、渡邉が委員長に選出されたが、委員会では、今後の進め方 として、まず「歴史学専攻教官による作業班で「試案」を作成し、それを素材として各委員が 問題点を指摘しつつ検討23)」することとし、素案を検討する小委員会が設置されることになる。 また合わせて学内・学外の資料収集作業も開始し、学外調査についてはとくに「史学関係教官、 記念資料室員が担当する」こととなった。このように、編纂構想委員会は委員長である渡邉の 主導性のもと構想が練られていくことになる24)。 上記の通り、第 1 回百年史編纂構想委員会で了承された、百年史編纂の試案を作成するため の「『素案』検討小委員会」は、12月21日に開催された。小委員会の委員は、渡邉信夫を委員 長として、羽下徳彦文学部教授、今泉隆雄文学部助教授、大藤修文学部助教授、平川新文学部 助教授の 5 名で、構想委員会で示された「歴史学専攻教官」であった。「『素案』検討小委員会」 では「単なる沿革史にとどめるものではなく、常に学問的視点を保持するものとする」という 基本的視点が共有され25)、収録期間は五十年史の続編としての沿革史ではなく、東北大学の創 設当初からの記述とすることが必要とされた。もっともこの時点では2007年の百周年経過後ま でを収録すべきかは明確化されず、教養部改革に続く大学院整備までを予定してはどうかとい う意見や、キャンパス移転構想の推移を見据えて画期を区切ることなどが案出されている。巻 構成は通史(戦前、戦後の 2 冊)、部局史( 1 学部300頁程度を目安に分冊発行、研究所は上下 2 冊)、資料編(記念資料室の成果をもとにする)、写真集(百年史に先行刊行)、その他(ビデ オ、CD、英語版などの検討)が想定された。 当時、刊行が完了していた1980年代以降の旧帝国大学の大学史は、北大百年史が通史、部局 史、史料編、写真集。東京大学百年史が、通史、部局史、資料編、写真集。九州大学七十五年史が、 通史、史料編、別巻(一覧・統計・年表)、写真集という巻構成となっており、第 1 回百年史 編纂構想委員会でも「他大学における大学史の概要」として、『北大百年史』(全 4 巻、1980~ 1982年)、『九州大学七十五年史』(全 4 巻、1986~1992年)、『東京大学百年史』(全10巻、1984 ~1987年)、『東北大学五十年史』(全 2 巻、1960年)、『京都大学七十年史』(全 1 巻、1967年)、『名 古屋大学五十年史』(全 4 巻、1989~当時編纂途中)が紹介されていた。こうしたことから、基 本的には先行する旧帝国大学の大学史を参考事例にする意図がみてとれる26)。東北大学百年史
でも、先の東北大学五十年史のような沿革史上下 2 巻といったものではなく、こうした先行す る大学史と遜色ないボリュームが小委員会では企図されていたのである。 また、東北大学五十年史と異なっていたのは、包摂校の扱いであった。東北大学五十年史で は、二巻構成の内容を第一部通史、第二部部局史、第三部包摂校史とし、戦後新制大学時に包 摂された第二高等学校、仙台工業専門学校、宮城師範学校、宮城青年師範学校、宮城女子専門 学校が独立した編が立てられていた27)。これに対して、『素案』検討小委員会では、「包摂校に ついては、包摂された経緯を『通史』には記述するが、 1 部局としての独立した章は設けない」、 また1912年に東北帝国大学医学専門部として包摂された仙台医学専門学校についても、「医学部 前史の中で取り扱い、独立の部局とはしない」という部局範囲の考え方が提起されている。北 大百年史、東京大学百年史、九州大学七十五年史のいずれにおいても包摂校は独立したかたち で記述はなされていなかったことも参考にされたものと思われるが、東北大学は旧帝国大学中、 新制大学時に最も多く高等教育機関を包摂しており、記念資料室も成立過程において、資料収 集、企画展示両面から包摂校の同窓組織とは密接な関係を有していた28)。東北大学百年史は、 そうした包摂校への記述配慮を五十年史以上に薄めていく志向があったことは興味深い。 こうした『素案』検討小委員会での素案をもとに、1994年 1 月31日に開催された第 2 回編纂 構想委員会委員会では、委員会として答申をまとめていくこととなり、年度末までに百年史編 纂構想委員会事務室と記念資料室中川学助手との間で、答申の目次案が作成されていくことに なる29)。また、先行各大学の状況を視察すべく、1994年 3 月30日から同年 6 月23日まで、『素案』 検討小委員会の渡邉信夫、羽下徳彦、大藤修、記念資料室の中川学らが、九州大学大学史料室、 名古屋大学史編集室、京都大学百年史編集史料室、東京大学史史料室、中央大学広報部大学史 編纂課、北海道大学北方資料室を訪問し、実地に先行事例の情報収集が図られていく。とりわ け中川学は全ての行程に参加しており、この時期の実質的な素案作成や、他大学からの参考情 報入手については記念資料室が多くの役割を担っていたことが分かる30)。また、渡邉信夫の回 顧によれば、この時の他大学調査の経費は、西澤潤一総長個人の寄付による委任経理金を調査 費として充てたものであったという31)。 9 月30日にとりまとめられた「『東北大学百年史』編纂 構想について(報告)」の末尾にも、追記として「本編纂構想の検討にあたっては、西沢総長の 格段のご配慮により、本委員会委員および記念資料室員が北海道大学、東京大学、名古屋大学、 京都大学、九州大学および中央大学に出張し、各大学における年史編纂事情について調査する ことができ」と記されている32)。 この他大学調査の中でも、特に編纂構想委員会が東北大学百年史巻構成や編纂期間に関して 参考としていったのは、東京大学の事例であったようである。1994年 6 月 2 日開催された第 3 回百年史編纂構想委員会の報告では、 5 月27日に調査訪問した東京大学史史料室については 「体制は未整備」と評価しているものの33)、 7 月19日に開催された第 4 回百年史編纂構想委員会 では、東北大学百年史の構成を通史 3 巻、部局史 4 巻、資料編 3 巻、写真集 1 巻とする結論に 達しているほか、編纂体制において「編纂室員は、東京大学に匹敵する人員が必要」と34)、唯 一具体的な大学名をあげている。この時点で想定されていた大学史の巻構成は東京大学百年史 の巻数と全く同じであり、ポスト年史編纂組織のあり方はともかく、大学史そのものは東京大 学の構成を意識していたといよう。
表 1 百年史編纂構想委員会による他大学年史編纂調査概要(1994年) 訪問日 訪問者 大学史の構成 編纂期間 統括委員会組織 編纂体制(組織、人員) 備考(包摂校の扱いなど) 1994年 3 月30日 (平成 6 年) 渡邉 信夫 中川 学 九州大学 『九州大学 七十五年史』 『通史』 1 冊 『史料編』 2 冊 『別巻』 1 冊 計4冊 7年 (1986~92) 九州大学七十五年史編纂委員会 ・編集方針などの大局的議論 をおこなう機関 ・各学部から選出 40名 九州大学七十五年史編纂室 │ 編纂室長─教授・助教授─講師・助手─事務補佐員 (教授) ( 4 名) ( 2 名) ( 1 名) ・部局史なし ・包摂校には配慮せず ・『写真集』刊行有 1994年 5 月17日 (平成 6 年) 大藤 修 中川 学 名古屋大学 『名古屋大学 五十年史』 『通史』 1 冊 『部局史』 2 冊 計3冊 10年計画 (1985~ ) 名古屋大学史編集委員会 ・編集 、 刊行 に関 する 企画 、 実施組織 ・各部局選出の教官等で構成 名古屋大学史編集室 │ 編集室長教授──助手──事務補佐員 (教授) ( 4 名) ( 1 名) ・『稿本』形式の執筆形態 ・前身校(医科大学)記述 大。 ・『写真集』刊行有 1994年 5 月18日 (平成 6 年) 渡邉 信夫 大藤 修 中川 学 京都大学 『京都大学百 年史』 『総説』 1 冊 『部局史』 3 冊 『資料編』 3 冊 計7冊 7 年計画 (1990~ ) 京都大学百年史編集委員会 ・百年史の構成・内容に関す る計画および編集の総括を おこなう組織 ・各部局選出の教官等で構成 京都大学百年史編集史料室 │ 編集主任──専門員──助手──非常勤 (教授) (それぞれ 1 名ずつ) ( 1 名) ・ 包摂校-原則的に記述せ ず、ただし教養部は別扱 い。 1994年 5 月27日 (平成 6 年) 渡邉 信夫 中川 学 東京大学 『東京大学百 年史』 『通史』 3 冊 『部局史』 4 冊 『資料』 3 冊 計10冊 12年 (1975~87) 東京大学百年史編集委員会 ・編集基本方針および構成等 の総括をおこなう ・各部局選出の教官等で構成 東京大学百年史編集室 │ ┌─非常勤(院生等11名) │ 編集室長──助手─┤ │ (教授) └─事務員─事務補佐員 ・ 文、教育の大学院生を中 心とした執筆形態 ・ 包摂校には記述を割かず 同窓会は独自の歴史を作 成。 ・『写真集』刊行有 1994年 6 月22~ 23日 (平成 6 年) 羽下 徳彦 大藤 修 中川 学 北海道大学 『北大百年史』 『通説』 1 冊 『部局史』 1 冊 『史料編』 1 冊 計3冊 6年 (1975~81) 北海道大学百年史編集委員会 ・編集方針などの大局的議論 をおこなう機関、諮問機関 ・主な学部の代表から構成 北海道大学百年史編集室 │ 編集室長──専従職員──非常勤 (教授) ( 2 名) ( 2 名) ・ 包摂校には記述を割か ず、同窓会は独自の歴史 を作成。 ・『写真集』刊行有 参 考 『東北大学 五十年史』 上・下 2 巻 (通史、部局史) 5 年間 (1956~60) 東北大学五十年史編集委員会 ・各学部教官から構成 東北大学五十年史編集室 │ ┌─教授( 4 名) │ │ │ │ │ │ └編集委員長( 1 名)─┴─助手( 1 名) —— 出典: 『百年史編纂構想委員会』東北大学史料館所蔵
また、東北大学における百年史編纂構想に一定の影響を与えたのは、教養部廃止に伴う、教 養部史編纂事業であった。1994年 2 月25日に作成されている「百年史編纂構想」試案 1 では、「包 摂校等を部局と同等に扱う独自の章は設けない」、「改組により部局名が改称された部局は、新 旧同一部局として取り扱う」とする一方で、「旧教養部については、その規模と本学の歴史に占 める比重を考慮し、現在の部局と同等に扱う。なお、編集委員会の設置に先立ち、本『編纂構想』 (答申)の主旨を踏まえ、旧教養部の編集委員により早期に執筆に着手されることが望ましい」 と、包摂校や改組部局の扱いとは異なる旧教養部への配慮がみてとれる35)。 この百年史編纂構想が練られていた時期は、教養部が廃止された(1993年 3 月)直後の時期 に当たる。そのため、旧教養部の教官を中心として、東北大学教養部のおよそ45年にわたる歴 史を示す資料を整理する仕事が、急務の課題として捉えられていた。結果、1994年度には、教 養部廃止後の全学教育の企画運営と、大学教育に関する研究、情報収集を行うため新設された 大学教育研究センターを通じて、「旧教養部関係史料整理に要する経費」が要求されることとな る。この要求に基づき、1994年度は学内的に予算措置がなされることになるが、当該計画は「百 年史編纂構想委員会」のもとで、大学教育研究センターの渡部治雄教授が担うというかたちを 取るよう、本部事務局経理部予算班からの指示もあり、1994年 6 月 2 日の第 3 回編纂構想委員 会において、編纂構想委員会のもとでの旧教養部に関する編纂作業が了承されることになる36)。 このように、東北大学全体の百年史編纂構想段階において、旧教養部の資料収集や部局史のま とめが同時進行したことで、東北大学百年史は、旧教養部を部局史として包含することが所与 の前提となったのである。 また、先行して進められた旧教養部の作業は百年史編纂構想にも教訓をもたらすことになる。 大学教育研究センターの渡部教授は、渡邊久雄旧教養部教務班主査とともに、教養部史をまと めることになるが、この作業の所感が渡邊久雄の任期満了に伴う懇談を通じて、1994年12月26 日までに渡邉信夫百年史編纂構想委員長に伝えられることになる。渡邊久雄からは、教養部の 資料は欠落が多く、本部事務局の公文書の調査が必要であったこと、部局に残る学生数なども 数字の正確さを期すことが困難であったことから、統計に関する調査が別途必要になることな どが伝えられ、「根本資料は記念資料室に集中保存すべきであると感じました」という意見がも たらされている37)。このことは、1996年 9 月17日の評議会において、百年史編纂事業に対する 評議会議事録の利用が認められるなど、百年史編纂が本格化する前段階で、十全な学内公文書 の利用の条件整備を整える意識付けにつながっていったものと思われる38)。 さて、1994年 7 月19日に開催された第 4 回編纂構想委員会では席上、渡邉委員長から「 9 月 末日までに答申を提出したいのでご協力願いたい」との発言があり、その後はこれまでの議論 をベースとした報告書のたたき台が作成されていくことになり、 9 月26日の第 5 回百年史編纂 構想委員会において手直しが加えられた『東北大学百年史編纂構想』が 9 月30日、渡邉編纂構 想委員会委員長名で、平則夫記念事業企画委員会委員長に報告されることになる。この時期渡 邉は当該年度中に編纂構想をとりまとめ、次年度1995年より編纂構想委員会を衣替えし、編纂 委員会を発足させることを企図していた。1994年 6 月14日段階で渡邉は編纂委員会発足前に次 年度予算のための所要経費要求が可能かどうか、百年史編纂構想委員会事務室を通じて、本部 事務局経理部総務班へ照会するとともに、同庶務部庶務課長補佐へも、編纂構想委員会での答 申を実現させる手続きの確認を行っている39)。また、 7 月12日は旧制第二高等学校出身で、旧
制二高の同窓組織である尚志同窓会長も務めていた、西澤潤一総長と会談し、百年史編纂にお ける包摂校の取り扱い方について了承を得るとともに、 7 月13日には、附属図書館長も務めて いた菊地和聖記念資料室長と会談し、「 1 )記念資料室は記念資料等の収集、成立、保存、公開 展示の企画、学内外からの照会への対応等独自の活動を展開しており、編纂室としては独立し た存在である。 2 )記念資料室は、その所蔵資料の内、百年史編纂室が必要とする資料の利用 について協力する。 3 )記念資料室建物内に編纂室ならびに史料保管庫を設置することは、ス ペース的にみて困難である」との 3 点について相互確認を行っている40)。 渡邉は1995年 3 月で定年退官することになっており、百年史編纂構想の答申が実効性を伴う ものであること、またその答申を受けて、予算措置を伴った百年史編纂委員会や、百年史編集 委員会、その実務を担う百年史編纂室が、記念資料室が抱え込むことなく、別箇に立ち上がる ことについて、道筋を付けたい、という意向が強かったものと思われる。最終的に 9 月30日付 でとりまとめられた、東北大学百年史編纂構想には記述が削除されたが、8 月16日段階での「百 年史編纂構想素案」第一稿では、緊急課題として「(1)本答申を受理し、全学的緊急課題とし ての取り組みについて決議されたい。(2)編纂員会を平成 6 年度内に構成し、 7 年度から実質 的な活動を開始されたい。(3)編纂室専任教官をできるだけ早期に専任されたい。(4)編纂室 を、現記念資料室近隣の建物内に確保されたい。(5)「編纂室委員会規程」「資料収集関係規程」 等を早期に整備されたい。(6)早期に世話部局をきめ、次年度から所要経費の予算化を進めら れたい」との 6 項目を要求し41)、特に東京大学を例にあげて「『百年史』編纂事業推進の過程で、 大学史領域における優れた研究者が育成されることを期待」するとともに、「百年史編纂室の専 従研究者は、百年史編纂事業完了後も、これら大学史領域において闊達な研究が展開されるよ う、身分的検討を行うことが必要」と訴えている。また東北大学百年史編纂構想には明記され なかったものの、 9 月 6 日の第 5 回編纂構想委員会では、答申には含めないものの、「執筆が学 問的業績となるよう配慮する。そのためには「紀要」の発行は当然」であることが確認されて いる42)。 さて、 9 月30日までにとりまとめられた、「東北大学百年史編纂構想」は上記の通り、早期の 編纂体制確立をうたっていたが、百年史そのものの特徴としては、発行の目的を研究風土の掘 り起こしと継承を第一義にあげた点にある。百年史編纂構想では基本的な考え方としてまず以 下のように発行の目的を説いている。 「大学とは、優れた研究者が集い、学会の水準を凌駕する卓越した研究が行われ、次世代の研 究を担う後継者が育っていることなどで評価されるという。そのような大学を実現する不可欠 な土壌の一つは、独創的研究の触発を促す学内の研究風土である。本学の場合、創設以来まさ に百年の伝統に根ざす「研究第一主義」の学風がその培養を可能にしている。創立百周年に際 し、その伝統を掘り起こし、記録し、後世に伝えようとする、『東北大学百年史』を編する所以 である。43)」 この編纂方針は、他大学の調査、とりわけ旧帝国大学として東北大学が百年史を編纂する上 では、これまでにない大学史の特色を打ち出すべきである、という考えが根底にあった。「東北 大学百年史編纂構想」では、東北大学百年史の特色について「先行大学の亜流ではなく、全編 を通じて東北大学としての特色が認められ、『東京大学百年史』の国家、『北大百年史』の「地 域」など、そのいずれにも属さない特色を標榜するものでなければならない。本学の特色とは、
創設以来培われて来た、創立25周年記念式典における長岡半太郎博士の演説で確認される建学 の精神「研究第一主義」いわば学術至上主義であり、これが通史、部局史、資料編のいずれに も透徹されていることが欠かせない。」と位置づけている。 また「東北大学百年史編纂構想」では、当初の10巻構成から、東京大学百年史を抜く全11巻 (通史 3 巻、部局史 4 巻、資料編 3 巻、写真集 1 巻)を2007年の創立百周年記念行事までに完成 させることとし、編纂体制について、編纂委員会、編集委員会、編纂室の 3 つの組織を発足さ せる必要性を説いている。東京大学に匹敵する編纂規模を志向したのは、編纂室のポスト要求 が背景にあった。編纂室の規模について「東北大学百年史編纂構想」では、東京大学の「専門 委員 5 名(うち、専任教官 3 名、日本史、科学史、教育史各 1 名)、室員、執筆員11名、事務員 (補佐員) 2 名」の例をあげ、「同大学の『百年史』がよくその統一性を維持し得たのは、これ ら室員が一貫してこの事業に専従したことによるもので、本学においても編纂室の人的構成に ついては、その勤務条件等も含めて格段の配慮が必要であろう」と、目指すべき巻数を東京大 学相当としたうえで、対応するスタッフの人数も同等の規模を求めた。渡邉はこの百年史編纂 事業を、歴史系研究者の学内ポスト拡大の契機として捉えていた節がある。ただし百年史編纂 委員長のもと百年史編纂室が通史に加えて部局史の調整機能も担うこととなれば、東京大学の ように部局史に踏み込まなかった場合よりも、負担は大きくなるはずであったが、この時点で は想定されていなかったようである。本稿では触れないが、このことは百年史編纂室発足後に 円滑な刊行が進まなくなる課題として顕在化していくこととなる。 人的配置の前提となる組織体制については、前述の 8 月16日段階での素案にあるように当初 渡邉は、百年史編纂構想委員会を衣替えした百年史編纂委員会と百年史編纂室の体制を想定し ていたようであるが、 9 月 6 日の第 5 回百年史編纂構想委員会までには、学内の大規模委員会 組織では総長が委員長に就任する例が多いこともあり、総長を委員長とする編纂委員会を置き、 編纂委員会の下の専門委員会として編集委員会を設け、歴史の諸分野の専門教官を委員長とし て編纂の専門的事項を掌る、という、編纂委員会-編集委員会-編纂室ラインのかたちで体制 が整理され、編纂室は編集委員会委員長が兼務する室長のもと、室員の「員数は、他大学の例 をみても最低数名を必要とし、高度の専門的業務に従事するため、助手・講師級の人材をあて、 それに相応しい処遇を行う必要がある。この編纂室員の確保如何が『百年史』編纂の成否を左 右すると言ってよい44)」と、ポスト要求が明記されることになった。他大学の調査によれば、 旧帝国大学において実質的に専任で大学史編纂にあたる教官配置については、もっとも直近で 大学史編纂が完了した九州大学七十五年史では講師 1 、助手 1 体制、編纂期間中であった名古 屋大学五十年史では助手 4 (のちに講師 1 、助手 3 )、京都大学百年史では助手 1 (のちに助手 2 )という体制で臨んでいた。先に見たとおり、巻構成や編纂期間については東京大学の事例 を参考にした東北大学であったが、東京大学の助手 1 体制ではなく、室員構成については、そ の後編纂が開始された、九州大学や名古屋大学が参考とされたのである(表 1 参照)。 また、百年史編纂委員会は、百年史編纂構想委員会の後継委員会として、規則整備を経て 1995年度から発足させ、その編纂委員は、各部局から選出され、委員が属する各部局史の執筆 も担当する必要があるとされた。また百年史編纂室は、編纂委員長のもとで、通史の執筆担当 機関、部局史と通史の調整機関としての機能を有するものとし、百年史編纂室の専任教官は全 員が百年史編纂委員会の委員も兼務し、東北大学百年史の「全体像に関われるよう「規程」す
ることが必要」とされた。 こうした考え方は、部局史編纂における他大学での反省点を反映したものであった。東京大 学百年史では、東京大学百年史編集室が通史、資料編を担ったものの、部局史については部局 の裁量として年史全体の統一性は図られなかった。また部局史の独立性から「『部局史』が原稿 段階から編集委員会としての調整・改稿が及ばず、ために発行が大幅に遅れた」他大学の事例 の情報も編纂構想員会は得ていた。ゆえに部局史は各部局の編纂委員による「担当方式とする ことが妥当であると思われる」とする一方で45)、百年史編纂委員長に「『百年史』の統一性維持 について大幅な調整の権限」と「編集委員長の責任において調整できるよう、部局の事前承認」 の必要性がうたわれたのである。 この「東北大学百年史編纂構想」は、事務局庶務課には1994年 9 月29日付で提出されていた が、平則夫記念事業企画委員長が受理したのは翌1995年 1 月 6 日で、同月17日に百周年企画委 員会が開催されることになる。記念事業企画委員会では、答申について「 1 )本部中心の大学 史にならないよう、部局史にも重点を置いたものにして欲しい。 2 )部局史の編纂体制に関す る叙述が欠けていないか。 3 )部局史全四巻の内容についての叙述が不足していないか」とい う意見が付せられた。これを受けて 2 月 8 日には第 7 回編纂構想委員会が行われ、百年史編纂 構想に、「『部局史』編纂にあたっては、各部局に部局史編纂委員会を設け、その下に部局史編 纂室を置くことが望ましい。部局史編纂委員会は、『百年史』共通の編纂方針に基づき、全学の 編纂委員会・編集委員会と密接に連携し、協力関係をもつものとする」、「なお、叙述にあたっ ては、教授等の教育研究活動を具体的に記し、組織・制度の変遷のみにならぬよう留意する」 と46)、部局史編纂委員会に関する記述を追加することとなった47)。この追記された「東北大学 百年史編纂構想」は 2 月18日に事務局庶務課に再提出され、 3 月20日に行われた評議会におい て承認されることになる48)。 しかし渡邉信夫が求めていた早期の編纂組織体制の整備は、すぐには進まなかった。 3 月の 評議会に先駆けて、平記念事業企画委員長、渡邉百年史編纂構想委員長、菊地洋男庶務部長で 会談が行われているが、ここでは百年史編纂構想委員会は「『東北大学百年史編纂構想』に基づ く編纂体制が組織されるまでの期間存続する」ことが確認されている一方で49)、「百年史編纂構 想委員会の報告に基づく編纂体制、すなわち、編纂委員会、編集委員会の構成、ならびに編集 室の設置・整備等については、専任教官の定員を流用定員から借用するなど問題が多く、近日 中に発足することは極めて困難」という見通 しが示されていた50)。この結果、 3 月20日の 評議会では、西澤潤一総長より「編纂委員会 等の設置については、然るべき時期に審議し たい」との発言があり51)、百年史編纂構想委 員会は、正規の編纂委員会が発足するまでは、 その使命が存続するものと理解される、とい う判断がなされたものの、渡邉教授の定年退 官前に、編纂体制の道筋をつけることは叶わ なかったのである。 図 1 1993年時の東北大学百年史編纂体制 出典:『百年史構想委員会』東北大学史料館所蔵 記念事業企画委員会 評議会 百年史編纂構想委員会 承認 提出 報告
3 、百年史編集委員会の設置と活動 次いで、百年史編纂構想に関する活動が実体化するのは、1995年12月18日の評議会において、 「東北大学百年史編さん委員会規程」が承認されて以降である。このときの評議会では合わせて、 記念事業企画委員会のもとに記念建造物構想検討委員会が設置されており52)、他の百周年記念 事業構想の動きと連動したものであった53)。この時承認された「東北大学百年史編さん委員会 規程」は総長を委員長として、各部局長級および学生部長、事務局長から構成される全学委員 会で、第四条において「編さん委員会に、百年史編纂さんに関する専門的事項を調査審議させ るため、編集委員会を置く」、第六条において「編さん委員会に、百年史編さん業務を遂行させ るため、編さん室を置く」、第七条において「部局に、当該の部局史の編さんのため、部局史 編さん委員会を置く」とされ、編さん委員会のもとに、編集委員会および編さん室が並列で置 かれるとともに、部局史編さん委員会は編さん委員会とは独立した組織構造が取られていた54)。 「東北大学百年史編纂構想」を取りまとめる際にも記念事業企画員会から、本部中心の大学史と ならないよう、部局史の取り扱いに関して意見が出されており、部局史の位置づけについて配 慮された規程内容であったといえる。また、編さん室の教官配置については、全学の流用定員 が想定されており、第六条第五項でも、編さん室の「専門員は、本学の専任の教官をもって充 て、総長が命ずる」と、総長の裁量に依るところとなっていたことから、編集委員会と編さん 室はそれぞれ編さん委員会に並んで置かれる規程として整えられたと思われる。この規程をもっ て百年史編纂構想委員会は解散となった。 一方、第六条第三項では、編さん室の室長は「編集員会の委員長をもって充てる」こと、第 四項で「室長は、編さん室の執務を掌理する」ことが規定され、第七条第二項では、「部局史編 さん委員会は、百年史の共通の編さん方針に基づき、編さん委員会及び編集委員会と密接な連 携を図り、かつ、協力し、部局史を編さんするものとする」という条項も用意されていた。こ のように、総長、部局長級からなる編さん委員会で人事案件は最終的に諮るものの、より機動 性の高い編集委員会で編さん室業務を掌理できるかたちになっており、部局史編纂も、百年史 共通の編纂方針を前提として進めることも明記され、百年史全体の統一性も一定程度図られる 内容も盛り込まれていた。 東北大学百年史編さん委員会規程の制定を受けて、1996年 2 月20日に第 1 回東北大学百年史 編さん委員会が開催されることになる。ここでは、編さん委員会の下部に置かれる編集員会の 構成について審議され、「文学部から 2 名、教育学部から 1 名、国際文化研究科から 1 名をそれ ぞれ推薦」することとし55)、合わせて部局史編さん委員会を置くことになる部局および旧教養 部から各 1 名(事務官又は助手でも可)の委員を選出することになった。その後同年 9 月17日 に第 2 回百年史編さん委員会が開催され、この間 5 月に設置された東北アジア研究センターか ら 3 名、学外者から 5 名を新たに編集委員会委員として加えることが了承された。この東北ア ジア研究センターからの 3 名は同年 5 月まで文学部に籍があった吉田忠、入間田宣夫、平川新 であった。吉田は学生部長を1994年度末まで務めていたことから、百年史編さん委員会の構成 委員であり、平川新も百年史編纂構想委員会の委員を務めていた。また平川、入間田はいずれ も日本史を専門とする教官であった。加えて外部委員については、渡邉信夫、竹内峯、櫻井實、 箱守京次郎、渡辺冶男と、全て百年史編纂構想委員会の委員経験者で、定年退官していた名誉 教授であった56)。百年史編さん委員会のもとで選定された百年史編集委員会は、百年史編纂構
想員会時の構成員を継承し、編纂構想以来の文学部に連なる歴史系の教官中心という枠組みも 担保されたのである。また、百年史編さん委員会を通じて同日開催の評議会に、百年史編纂事 業に対する評議会議事録の開示について申請を行い、認められることになる57)。西澤潤一総長 はこの年11月で総長の任期満了を迎える時期にあった58)。後述の百年史編さん委員会編集委員 会の発足も踏まえると、東北大学の百年史編纂構想は、西澤潤一総長が自身の任期中に百周年 記念事業の具体的立ち上げを強く志向し、その意向を受けた渡邉信夫が周年事業の柱として、 年史編纂構想計画の実務を担い、それを西澤が支援していった流れがみてとれるのである。 第 2 回百年史編さん委員会での人選の後、同年10月 4 日に第 1 回百年史編集委員会が招集さ れた。百年史編纂構想委員会委員長を務めた渡邉信夫から「編集委員長は歴史の諸分野の専門 教官で、百周年まで現職」である者が編纂構想では想定されていたことの説明があり、今泉隆 雄文学部教授が委員長に選任されることになる。副委員長には吉田忠東北アジア研究センター 長が就任し、今泉委員長から編集委員会に幹事会を置きたい、という提案が了承された。また この幹事会において、百年史編さん委員会規程第 6 条にある専門員(室員)、その他の職員(非 常勤職員)、調査補助の院生アルバイト等について、幹事会に一任することが了承されることに なる。この幹事会の構成メンバーは今泉隆雄(文学部)、玉懸博之(文学部)、大藤修(文学部)、 吉田忠(東北アジア研究センター)、入間田宣夫(東北アジア研究センター)、平川新(東北ア ジア研究センター)、吉田正志(法学部)、加藤正名(工学部)、小林典男(金属材料研究所)と、 9 名中 6 名は同年中、文学部に籍があった教官で占められており、今泉、大藤、入間田、平川 は日本史、玉懸、吉田は日本思想史に関係の深い教官であった59)。第 1 回東北大学百年史編さ ん委員会では、規程上にある編さん室の設置について、部局史の類別も含めた百年史の構成に ついては百年史編集委員会に検討を依頼することになっており、編さん室の立ち上げと部局の 納得がいく形での百年史構成案の作成が、編集委員会の初期の役割であったが、この実質的な 審議は、以降幹事会で進められていくことになる。 百年史編集員会によって設置された百年史編集委員会幹事会は、同年11月21日に第 1 回が開 催され、百年史編纂事業の長期計画として「(1)刊行予定:2007年の創立百周年記念式までに、 全巻の刊行を目指す。(2)刊行順位:資料編を先行、通史を最後とし、その間に部局史を入れ てゆく。(中略)(3)執筆分担:通史、資料編、図説は編纂室担当、部局史は各部局に一任する。 (4)収載下限:部局史の刊行が早いため、百周年まで数年を残した内容となる場合、「通史」に その「補遺」を入れることも考えられる。(5)広報宣伝:「大学史紀要」ならびに「編さん室だ より」などを発刊し、全学的な支持が得られるよう周知・宣伝を行う必要がある。」との方針が 確認された。もっとも第 3 回百年史編集委員会幹事会までに、百年史編集方針は「東北大学百 年史編纂構想」の方針を踏襲することとし、大枠の変更は加えないことになる。また、第 1 回 幹事会では編さん室の構成については、専任助手または講師を 2 名要望し、流用定員調整委員 会にかけること、編さん室専門員の職務は「資料の収集、整理、調査、執筆者への資料の提供と、 資料編の編集」とされた。そしてこの、百年史編さん室は、片平地区に該当する建物がないため、 「編さん事業完成までの期間、現記念資料室の一部を借用」することとし60)、記念資料室長へ要 請することになった。当初別の建物を要求することが目指されていたものの、現実的には難し かったものと思われる。 1986年以降、東北大学記念資料室は、片平キャンパスの旧附属図書館であった建物内に組織
が置かれていたが、12月 4 日、今泉委員長は小山貞夫記念資料室長と面会し、その内編纂期間 内に占有する面積が変わらないことを条件に、 3 室77.67平方メートルを百年史編さん室のス ペースとして利用することの同意を得、合わせて「記念資料室と百年史編さん室とは共に独立 した別個の存在である。業務上実質的な協力関係を維持することは必要であるが、兼任は義務 化するおそれがあるので、オブザーバでよい」とする61)、記念資料室員の百年史編さん室の兼 任不可体制が確認された。 幹事会で諮られた内容は、1997年 2 月 7 日に開催された百年史編さん委員会編集委員会でも 承認され、 2 月20日の百年史編さん委員会にあげられることとなる。ここでは前年編集委員長 に就任した今泉隆雄文学部教授を編さん委員会委員に追加することのほか、「百年史編纂構想」 に基づく編纂方針および編纂・出版計画、編さん室の専門員として講師 1 、助手 1 の流用定員 措置、1997年度からの予算措置のいずれもが承認された62)。もっとも、出版計画については、追っ て変更要請があり、百年史編纂構想段階で2000年から2002年にかけて、先行して資料編を刊行 する計画となっていたことについて、「後援会の事業計画との関係で、初巻の刊行を2002年から に変更」されることとなる63)。 その後 3 月 6 日、第 4 回百年史編集委員会幹事会が招集され、編集委員会の今泉委員長と吉 田副委員長に一任されていた編さん室専門員の人選が諮られ了承され、 3 月18日学内の流用定 員審査会を経て、1997年度より今泉隆雄室長のもと、中川学講師、高橋禎雄助手の 2 名が着任、 予算措置がなされた非常勤職員 2 名(小野和夫、松崎啓三)を加えて百年史編さん室が発足す ることとなる。中川学講師は、前年度まで記念資料室の助手であり、百年史編纂構想以来の経 緯に実務レベルで関わってきており、専門は日本史であった。高橋禎雄助手は、このとき新規 に採用され、専門は日本思想史であった。編集委員会委員長の今泉の専門は日本史であり、吉 田は科学技術史が専門であったものの、日本思想史学会にも属しており、日本思想史学にも通 じていた64)。東北大学の百年史編纂は文学部主導のもと、日本史、日本思想史の協力体制のも とで室が組まれていくことになったのである。 図 2 、1997年 4 月時の東北大学百年史編纂体制 出典:『百年史編さん委員会』、『百年史編集委員会 平成 8 年~平成13年』、 『編集委員会幹事会 平成 8 年~平成13年』東北大学史料館所蔵 幹事会 百年史編さん委員会 評議会 具体的な編纂業務の遂行 各種会議の事務局機能 部局史編纂室 部局史の編纂 編纂に必要な事項を審議 百年史編集委員会 部局史編さん委員会 百年史編さん室
おわりに 東北大学百年史編纂は、2007年の百周年に合わせた刊行計画でみると、1995年の百年史編さ ん委員会の発足を起点として12年、という編纂期間が設定された事業であった。本稿の時期設 定の対象とはしないものの、実際には 3 年延長され、編纂が完了したのは2010年であることを 考えると15年ということになり65)、編纂構想委員会から数えれば準備期間も相当に取っていた。 これは旧帝国大学の大学史編纂の中でも最も長期の年史編纂事業計画ということができる。こ のような長期の年史編纂事業計画の策定が可能であった背景の 1 つには、創立80周年以来の全 学的な同窓組織整備の流れがあった。東北大学は50周年時に設けられた全学同窓会が有名無実 になるなど、部局毎の同窓会が強く、旧帝国大学の中でも全学的な同窓会が上手く機能してい ない大学という学内での認識があった。このため、1980年代後半、80周年記念事業の一環で、 全学同窓会が再結成されるに当たり、50周年後のように形骸化しないことが企図され、百周年 に向けて発展させていくという目的が立てられることになったのである。次いで全学同窓会で は、百周年を後援出来るための、財源の自立化が求められるようになり、その方向性が見えて くる1993年段階で学内的にも、百周年記念事業の中身を構想するための議論を醸成させる必要 があった。 この百周年記念事業構想の内容の中で、早期に具体化させることに成功したのが、百年史編 纂事業であり、そこには渡邉信夫百年史編纂構想委員会委員長の主導性があった。渡邉は1994 年度末で定年退官の時期にあり、自身の委員長期間での早期の百年史編纂事業立ち上げを目指 表 2 東北大学百年史編纂事業工程表(1996年度段階) 業務種別 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 資料収集 編集委員会発足 ○ 編集室設置 ○ 編集方針確定 ○ 執筆要領確定 ○ 第 1 巻(通史 1 ) 第 2 巻(通史 2 ) 第 3 巻(通史 3 ) 第 4 巻(部局史 1 ) 第 5 巻(部局史 2 ) 第 6 巻(部局史 3 ) 第 7 巻(部局史 4 ) 第 8 巻(資料編 1 ) 第 9 巻(資料編 2 ) 第10巻(資料編 3 ) 図説東北大学の歴史 配布先の決定 配布完了 百周年記念式典 編さん委員会解散 出典:『百年史編集委員会 平成 8 年~平成13年』東北大学史料館所蔵。 ※各巻の工程には、執筆・校正等出版・印刷の全ての手順が含まれているものとする。
していた。また当時総長にあった西澤潤一も、他大学の年史編纂調査を支援するなど、百年史 編纂構想に理解があった。西澤は1997年、東北大学百年史編纂室開設の記念講演会において「私 がずっと感じておりますのは、東北大学の構成員が東北大学の歴史を殆ど知らない、つまり本 学の特徴が掴まれていない、ということを非常に残念に思っております」と語っているよう に66)、東北大学の歴史に一定の関心を持った総長であったのである。 さらに学内的にも当時百年史編纂構想は進めやすい環境にあった。1993年は教養部が廃止さ れた年で、新制大学以来の教養部に関する史料保存が課題となっており、旧教養部の流れを組 む大学教育研究センターや国際文化研究科、1996年に設置される東北アジア研究センターなど、 関連部局からの指示を得られやすい状況であったからである。また東北大学は1963年に日本で 初めて、英訳呼称で大学アーカイブズを銘打った記念資料室が存在しており、当該期文学部出 身の日本史を専門とする助手が配置されていたことから、年史編纂構想段階における事務局的 機能を担うことが可能であったことも、百年史編纂構想が早期に進捗したことの要因としてあ げられる。 一方で、記念資料室はアーカイブズとしてのそれまでの役割から、記念資料室そのものがプ ロジェクト型の大学史編纂を担う体制にないことを、早い段階から主張していた。このため、 東北大学では記念資料室とは別個に百年史編さん室を設置する、という前提が共通認識となっ ていくことになる。また逆説的ではあるが、記念資料室が担い得ない大学史編纂事業でなけれ ばならないことから、当時旧帝大で最大規模を誇っていた東京大学百年史に匹敵する刊行巻数 が志向された。しかし百年史編さん室の実務を担う専任教官については、東京大学のような助 手 1 名体制ではなく、九州大学や名古屋大学が参考にされ、講師、助手からなる複数教官の配 置が実現された。そして、編纂組織体制についても、評議会議事録など全学の記録に対するア クセス権の承認や、通史、部局史間における百年史全体の統一性に留意した規程など、先行す る他大学年史編纂での課題に対応する条件整備がなされていった。このように、東北大学百年 史編纂体制は、百周年記念事業を早期に掲げる必要があった東北大学の内的要因と、他大学と りわけ北海道大学、東京大学、九州大学、名古屋大学、京都大学と1980~1990年代、相次いで 大学史編纂が行われていった旧帝大の大学史編纂の先行事例の影響との組み合わせで整備され ていったのである。 また東北大学の百年史編纂の特質としては、渡邉が文学部教授で学部長経験を有する日本史 を専門とする教官であったこともあり、東北大学の百年史編纂構想が、文学部の歴史系教官を 中心に策定されることとなったことがあげられよう。他大学では、教育史分野の関わりが強い 事例もみてとれるが、東北大学では、百年史編纂構想委員会、百年史編集員会、記念資料室お よび百年史編さん室には文学部に関係する教官が多く関与し、実質的な議論の中心となった。 そのため、教育学部などからの教育史系教官の影響力は相対的に低く、文学部内における分野 の協力体制の模索がむしろ図られていったのである。
―― 注 1 )東北帝国大学庶務課編『東北帝国大学ノ昔ト今:創立二十五周年記念』東北帝国大学、1937年。東北大学 編『東北大学五十年史』上下巻、東北大学、1960年 2 )東北大学百年史編集委員会編『東北大学百年史』全11巻、東北大学出版会 / 東北大学研究教育振興財団、 2003~2010年 3 )学校沿革史研究部会『学校沿革史の研究 総説』野間教育研究所紀要第47集、2008年、同『学校沿革史の 研究 大学編 2 大学類型別比較分析』野間教育研究所紀要第58集、2016年 4 )各種論考は寺﨑昌男『大学教育の可能性』東信堂、2002年、215~241頁。中野実『大学史編纂と大学アー カイヴズ』野間教育研究所紀要第45集、2003年、51~80頁に再掲 5 )寺﨑昌男、別府昭郎、中野実編著『大学史をつくる:沿革史編纂必携』東信堂、1999年 6 )湯川次義「大学沿革史の評価をめぐって」『学校沿革史の研究 大学編 2 大学類型別比較分析』野間教 育研究所紀要第58集、2016年、35頁 7 )「評議会等議題一覧(平成 5 . 4 .13打合せ)」1993年 4 月13日『平成五年 1 ~ 4 評議会議事要録』 8 )「記念事業企画委員会における検討結果について(報告)」1993年 7 月20日『百年史構想委員会』 9 )「評議会議事進行メモ」1993年 4 月20日『平成五年 1 ~ 4 評議会議事要録』 10)「評議会議事要録」1993年 4 月20日『平成五年 1 ~ 4 評議会議事要録』 11)前掲「創立百周年志の力:財団法人東北大学研究教育振興財団記念誌」、48頁 12)石井敏夫「前田先生、石田先生、そして全学同窓会、後援会のこと」「創立百周年志の力:財団法人東北 大学研究教育振興財団記念誌」財団法人東北大学研究教育振興財団、2010年、45頁。石井敏夫は1951年工 学部卒の東北大学同窓生で、石井ビル社長を務めた人物。 13)石田名香雄「全学同窓会の発足によせて」1987年 6 月 8 日『河北新報朝刊』30段広告 14)大谷茂盛が1992年10月に死去したため、吉永馨事務取扱期間を経て1992年11月より西澤潤一が総長に着任 していた。 15)「東北大学後援会設置について」1993年 5 月25日、出典前掲「創立百周年志の力:財団法人東北大学研究 教育振興財団記念誌」50頁 16)前掲「記念事業企画委員会における検討結果について(報告)」 17)渡邉信夫「東北大学百年史編纂事業について」『百年史構想委員会』 18)記念資料室「〈百年史編纂事業について〉」1993年 6 月14日『百年史構想委員会』 19)「評議会議事要録」1993年 7 月20日『平成五年 1 ~ 4 評議会議事要録』 20)「『週間 文教ニュース』等への記事掲載について依頼」1993年12月17日『百年史構想委員会』 21)「記念事業企画委員会について(報告)」1994年 1 月18日『百年史構想委員会』 22)オブザーバーには本部事務局の中村胖庶務課長、中川学記念資料室助手が入っている。 23)「第 1 回 百年史編纂構想委員会議事メモ」1993年11月 4 日『百年史構想委員会』 24)「東北大学百年史編纂構想委員会委員名簿」1993年11月 4 日配付資料『百年史構想委員会』 25)「『素案』検討小委員会要録(案)」1993年12月21日『百年史構想委員会』 26)「資料『他大学における大学史の概要』1993年11月 4 日配付資料『百年史構想委員会』 27)『東北大学五十年史』下巻、東北大学、1960年。宮城青年師範学校については、宮城師範学校の一章とし て組み込まれる体裁となっている。 28)加藤諭『大学アーカイブズの成立と展開-公文書管理と国立大学』吉川弘文館、2019年 29)「「東北大学百年史」編纂構想(案)について」1994年 2 月28日『百年史構想委員会』 30)「東北大学百年史編纂構想委員会調査報告」、1994年 6 月 2 日、「東北大学百年史編纂構想委員会 第 4 回 調査報告書」1994年 6 月29日『百年史構想委員会』。「東北大学百年史編纂構想委員会調査報告」の史料上 の日付は1993年となっているが、1994年の誤記と思われる。また名古屋大学以外の行程については渡邉信 夫も参加している。