浦市史編纂の経験から
著者 筑紫 敏夫
出版者 法政大学史学会
雑誌名 法政史学
巻 58
ページ 41‑50
発行年 2002‑09‑30
URL http://hdl.handle.net/10114/10746
シンポジウムのテーマ「文化財としての古文書と古記録」によせて、私が関わった千葉県袖ヶ浦市の市史編纂の経験を述べてみたい。袖ヶ浦市は、千葉県の東京湾岸に位置し、現在の海岸部は、かっての遠浅の海岸線が埋め立てられて京葉工業地域の一山を構成し、内陸部には、のどかな田園地帯が続いている。同市は一九九一年四月に市制を敷き、私が近世史部会長(市史編纂委員)として市史編纂に参加したのは、翌九二年四月からのことであった。その年の五月から史料整理が始まり、十年近くを経て二○○|年三月に編纂事業が終了し、市史編さん委員会は解散となった。この間、法政大学のOB・OGをはじめ、のべ五
近世村落文書の整理と自治体史編纂(筑紫)
近世村落文書の整理と自治体史編纂
l千葉県袖ヶ浦市史編纂の経験からIはじめに ○名近くの方々が、膨大な史料の調査と整理に関わってきた。編纂の成果物としては、史料整理の直接の成果として史料目録八冊(平均三五○頁余)、資料編四冊(原始・古代・中世一一冊、近枇一冊、近現代一冊)、通史編三冊(構成は資料編と同じ)を刊行した。これらのうち、近世関係の資料編・通史編は、近世史部会(部会員七名)で担当し、史料の整理と史料目録の編集が同時進行になるような時期もあった。
1七○年代の史料整理ここでは、袖ヶ浦市史でどのように史料整理を行ったの 史料整理の実際l現状記録I
筑紫敏夫
四
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かを具体的に述べてみたい。その前に、七○年代の史料整 理について述べておかなければならない。私が学生時代に 経験した史料(近世村落文書)の調査・整理の方法は、蔵
こうりたんすや押し入れなどの長持・行李・箪笥などの中にある史料 を、その家の縁側などに出してきて、史料群の量や内容の 特徴などから、ある程度の分類項目を決め、「これは村 況」、「これは年貢」などといくつもの山をつくってゆく。 特定の山があまりにも大きくなりすぎたならば、その中で 「年貢割付状」「年貢皆済目録」などと細分類をして調整を する。史料群をすべて山に仕分けたならば、原則として史 料一点について一枚の封筒(A4サイズなど)の表に年月 日、表題、形態などを書き込み、封筒に入れる。そして、 山ごとに、つまり各分類項目内で、年月日順に編年にして ゆく。編年分けが完了したならば、史料番号を通しで封筒 の表に付ける。例えば「村況1」「年貢3」のように。最 後に封筒の表の記載事項を一覧表に転記して一応の目録が
完成する。このような調査・整理方法をかっては行ってきた。当時 は調査時間の制約、あるいは時代的な制約などがあって、 今から考えると十分とはいえないが、右記のような方法に よって、ともかくも史料群の「全容」を示す目録の完成と
法政史学第五十八号2現状記録の意義
袖ヶ浦市史近世史部会では、現状記録方式を採用した。 この方法は、現在のところ、各地の自治体史編纂や大学の 史料調査などで主流になっている調査・整理の方法で調 査・整理の主体によってさまざまな工夫が加えられて、発 展途中の方法といってよい。現状記録方式の前提となる考 え方は、史料が保管・保存されてきた「現状」そのものが 歴史的な意味をもつ可能性があるということである。そこ では、「文書に貴賎なし」と一一一一口われるように、文書(史料) の作成年代や状態、内容などには関係なく、すべてに同等 の価値を認めて平等に取り扱うことが原則である。また、 同じ出所の史料群の中で、個々の史料がもともと与えられ ている秩序(配列)そのものが、組織ないし個人の活動体 系を反映している可能性もあるので、もとの秩序(配列) を尊重して記録し、復元できるようにするのである。言い 換えるならば、古文書が保存されてきた容器やその中での 並び方の中に当時の文書管理のあり方などの歴史的な意味 や背景が含まれている可能性を認めて、それを尊重して整
理・調査を行うのである。 いうことになっていた。四
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簡単な例をあげてみよう。年貢割付状(領主が村に出す年貢上納の命令文害)と領主に年貢減免を求める訴状が紙紐で括られて保存されていたとする。かっての史料整理方法だと、年貢割付状は「年貢」の項目に、訴状は「訴願関係」、紙紐は「雑」へといきなり分類して、三者は離れ離れにされていた。これでは年貢割付状が、年貢減免を求める際の証拠書類の役割を果たしたのだということが半永久的にわからなくなるのである。こうしたことをなくすために現状記録方式では、最終的に項目に分類するにしても、二点の史料が紙紐で括られていたことを、史料番号によって、後になって復元できるようにするのである。
3資料保存容器の確認具体的な手順としては、まず、図1のように、ほとんどの史料が木製の引き出しや段ボールに入れられて保存されていたとする(この史料群は、袖ヶ浦市下宮田の山口直彦家文書である。「袖ヶ浦市史料目録2」〈一九九五年、袖ヶ浦市教育委員会発行〉参照)。スケッチ(図1)を描き、それらの容器ごとにアルファベットと番号をつけて特定できるようにする。容器の寸法を記録し、容器自体に墨書などがある場合には、これも記録した。この史料群の場合、
近世村落文書の整理と自治体史編纂(筑紫)
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4写真・スケッチ・取り出し原則の設定 容器の上から写真を撮り、さらにスケッチ(図2.図 3)をして、史料の配列などから取り出し原則を設定し、 図5の現状記録カードに「左から、上から」などと記録し ておく。つまり、向かって左側から、そして上から順に番 号を付けることにする。図2の容器(木製の引き出し) は、図1のEl2で最も左の一番上の史料(「下宮田村 谷家満久治氏」と書かれた史料(横帳))は、史料番号 がEl2l1となる。その後、上から次々に取り出してゆ くと、九点で容器の底が見えた(着底)。次は右隣りの史 料を取り出してゆくが、El2lm(「萬附込覚帳」と書 かれた史料(横帳)))が一番上にあったことを現状記録 カード(図5)の欄に記録した後、El2lmを含めて八
点目で着底した。図2や図3の事例は、かなり整理されて保存されてきた 四四容器に入っていないひと、まとまりの史料(露出史料)‐も、
DやMのようにそれぞれ一つの容器に入っていたとみなしてアルファベットを付した。図1のスケッチとともに同じ構図の写真を撮っておくことも必要であろう。これらは、
原則として図4の現状記録カードに記入する。蕊
8-万戸一三二近世村落文書の整理と自治体史編纂(筑紫)
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法政史学第五十八号
袖ヶ浦市史古文書現状記録カード(B)Ⅱ。
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取出順序 番号 配本
5袋詰め袋(A4サイズの封筒)は、史料一点について一枚を使うのが原則である。そして、袋の表にはあらかじめ図6のような紙片の上部一センチメートル幅程度を糊づけしてお
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袋詰めは、取り出しと同時進行で、数人で役割分担をして行う。一点の史料を取り出すと同時に、現状記録カード(図5)と袋の双方に史料番号を付し、現状記録カードの「記事」欄には、その史料が特定できる程度の簡単な仮表題を書く。例えば、図2のEl2lmならば「天保8、付込帳」などとする。そして、袋に入れる。 もので説明はしやすいが、なかには状物ご紙物)などが散乱するように保存されていることがある。そのような場合には、写真やスケッチをこまめにとって頻繁に記録し、枝番号も使いながら、後に現状を復元できるようにする。
1本表題の記載袋から史料を取り出し、紙片と袋の間にカーボン紙を挟み込み、それぞれの欄を記入して行く(万年筆やボールペ
近世村落文書の整理と自治体史編纂(筑紫) 二目録原稿の作成l史料番号から整理番号へI 2分類・編年並べ替え現状記録方式では、調査主体によっては史料番号順のままで目録を作成することもあるが、袖ヶ浦市史近世史部会では、検討した結果、活用する便宜上、史料群の点数が一○○点以下の場合は分類をせずに、編年で並べ替えるのみとした。’○○点だと目録では、五頁ほどになり、何とか全体を見渡すことができ、これを分類してはかえって煩雑になると判断したからである。’○○点以上の場合は、分類をしないと使いづらいことから、かつての史料整理方式と同じく、史料群の特徴に応じて適宜、分類項目を設定して袋を並べ替え、その後で項目内で編年に並べ替えた。そして、整理番号を例えば「村況1」「年貢3」のようにつけた。次に紙片の上部に定規をあててはぎ取ると、カーボン紙を挟んであったので、袋の表面にも本表題などの記載 ンなどはインクが史料に飛ぶ恐れがあるので、史料調査・整理の全過程を通じて使わずに、鉛筆・シャープペンを使う)。表題は、それだけでは意味不明な場合は、()を付けて内容表題を書く。例えば「乍恐以書付奉願上候」ではわからないので、それに続けて「(大旱魅に付年貢減免願)」などと書く。
四七
法政史学第五十八号
……・….。………切り取り
図6袋の表に張る紙片 四八
所蔵者 所在地
史料番号 整理番号
備考 受取人 差出人(編著者) 年月日 文瞥名
撮影・コピー 数ft 形態
が残ることになる(ただし、カーボン紙を使っての紙片への記入が終わった段階で紙片をはぎ取ってしまい、袋そのものの並べ替えはやらずに、紙片の並べ替えで編年まで行った場合もあった。この場合は、目録の整理番号ではなく、史料番号から、めざす史料を探すことになる。現状の復元をより早くすることを重視するならば、この方がよいと思われるが、必ずしも統一しなかった)。また、史料群によっては、紐でひとまとまりに括られたものは、分類過程でバラバラにせずに、一つのまとまりとして目録化する工夫をしたものもある。こうして編年の終わった紙片を目録用紙に転記をして目録の完成ということになる。袖ヶ浦市では、史料目録を刊行する計画であったので、目録用紙を印刷業者に人槁し、その一、二か月後から原史料との校正作業に追われたのであった。目録には、巻頭に解説をつけた。解説を書くにあたっては、史料の所蔵者や地域の聞き取り調査を行い、家及び村の説明を記した。さらに現状記録のデータとして収納状態のスケッチ・写真及び配列の記録を記し、史料番号による関連史料の復元を行いやすくした。ところで、本表題など紙片への記載の段階から、コン
近世村落文書の整理と自治体史編纂(筑紫) 以上、袖ヶ浦市史近世史部会で行った現状記録方式による史料整理の経験を述べてきた。もとより試行錯誤の連続で、史料目録から始まり、資料編・通史編に至る過程で、刊行計画に沿った締切に追われる日々が続いた。そのため、現状記録の成果を、資料編や通史編に生かしきれたとは必ずしも言えない。また、他の調査主体が行っている現状記録方式の改善点などの情報を得て、整理方法を改良させてゆくゆとりもほとんどなかった。その意味では、本稿は、多くの仲間と長期間にわたって苦楽を共にしたささやかな実践報告に過ぎない。 ピュータに入力して、それを元に並べ替えを行えば、史料番号順の目録と整理番号順の目録の両方を容易につくることができる。また、キーワードによる検索も可能になる。しかし、袖ヶ浦市史編纂室にコンピュータが導入されたのは、ほとんどの目録が刊行された後のことで、私たちが担当した市域史料の調査・整理は、ほぼ終了していた。そのため前述のような手作業に頼らざるを得なかったのである。これからはコンピュータのより効果的な活用方法が模索されてゆくであろう。
三現状記録の成果の活用
四九
現状記録方式のおかげで、ひとつの発見をした事例をあげておきたい。この発見の内容は、『袖ヶ浦市史通史編2近世』(四三○頁)に「私年号『神徳』と幕府の終焉」という小見出しで記述した。すなわち、ある家の史料の中に「神徳元年卯十一月吉日御上納金請取通帳」という表題の横半帳があった。「神徳」という元号は公式にはないので、史料目録では、編年のしょうがなく、その家の十四点の史料のうち「昭和」の史料の次に記載してあった(『袖ヶ浦市史料目録1』一九九五年、袖ヶ浦市教育委員会発行)二一一一一頁)。そこで現状記録の史料番号をみると、慶応元年の「御上納金請取通」のすぐ下に位置して保存されていたことがわかった。両者を比べると差出人・受取人など書式は同じで、帳面の大きさも同じであった。「卯年」とあることから、神徳元年Ⅱ慶応一一一年と確定する決め手の一つとなったのである(詳しくは、拙稿「私年号『神徳』と木更津船の船持」(『東京湾学会誌l東京湾の水土l』|巻一一一号、一九九九年十二月、東京湾学会発行)を参照のこと)。
四今後の課題
現状記録方式は理想論であって、実際の史料調査・整理 法政史学第五十八号五○
にあたっては、そんなに時間をかけてはいられない、という声を聞くことがある。確かに七○年代に私が経験した史料整理の方法よりも時間はかかる。つまり、自治体史編纂の場合、予算がかかることになり、自治体財政窮迫による予算節減のなかで、現状記録方式は軽視されることもある。その意味では、少なくとも市のレベルで、長期間にわたって現状記録方式による、市域の大半の史料の調査・整理を実施することを承認した袖ヶ浦市当局の英断は、文化財の保存と活用という意味からも賞賛されるべきである
》つ。同時に、長期的な視野でみるならば、史料整理の方式が従来よりも(前述の七○年代の方式よりも)進歩している以上、予算の都合という理由だけで「史料群の破壊」に等しい、従来型の整理方式はとるべきではないということもできよう。目録作成者の窓意による「現状の破壊」は、後世の調査者・研究者に対して情報を狭めることになり、このことは、近年の記録史料学研究の高まりと相俟ってますます重要性を高めていると一一一一口えよう。袖ヶ浦市史近世史部会でも、予算と時間(刊行計画)との勝負のなかで、個々の史料群の状況によっては(例えば、史料の配列にごく最近になって大幅に手が加えられた
ことが明確な場合など)、いくつかの工程を簡素化して対処したことを率直に認めなければならない。また、史料群の状態を記録するための写真撮影やスケッチの時間を短縮するために、三脚に取りつけたビデオを回し続けることも、改良点としては行うべきだったと現在は思っている。さらに前述のようにコンピュータを導入してデーターベースをつくり、そこから目録をつくったり、諸々の検索をおこなってゆく方法もますます重要になってくるだろう。いずれにしても実践的に発展途上の現状記録方式による史料の調査・整理は、それぞれの調査主体の経験の交流によって、これからもよりよい方法が模索されてゆくにちがいない。そのためのたたき台の意味から、袖ヶ浦市におけるささやかな実践例を述べさせていただいた。
〔付記〕本稿作成にあたり、袖ヶ浦市郷土博物館の多田信子氏、千葉県史料研究財団の実形裕介氏から貴重なご助言をいただい
た。記して謝意を表したい。
近世村落文書の整理と自治体史編纂(筑紫)
五
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