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マルクスの市民社会論 : その思想史的位置と理論 構造

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マルクスの市民社会論 : その思想史的位置と理論 構造

著者 吉田 傑俊

出版者 法政大学社会学部学会

雑誌名 社会労働研究

巻 45

号 2

ページ 112‑153

発行年 1998‑12

URL http://doi.org/10.15002/00006683

(2)

既成社会主義の川域後すでに十年近く経過したが、近年、マルクスの思想とくにその市民社会論にかんする繊論が

(1)

内外で樅んとなっている。これは、「国家主筏的社会正雑」の挫折を経て、むしろマルクスの向山で水烙的な研究の条件ができたことを意味する。当然だが、既成社会主義の淵源をマルクスの思想に遡及する場合は、この思想に残された可能性はない。だが、マルクスの思想をその市民社会論の視角からⅣ把握するとき、この理論的・突践的意漉は

むしろ現代において拡大すると忠われる。つまり、マルクスの巾比社会論は、Ⅲ米のマルクス主義においてこれまで

、、、、充分に究明されず無視または隠蔽されてきたが、この点にこそ彼の思想の真髄があるといえよう。

しかしながら、マルクス市民社会論は、いまだ全休として充全には解明されているとはいえない。兼者も、現代に

おける民主主義や社会主義のあり刀を考察するなかで、マルクスの市比社会論の砿婆性を認識しいくらかの考察を行ってきた。この過程で確認したことは、マルクス市民社会論の従来の研究の不十分性である。それは、マルクス市民社 はじめに

マルクスの市民社会論

lその思想史的位世と肌論構造I

吉川傑俊

(3)

マルクスの市民社会論

一、M・リーデルの市民社会概念の規定M・リーデルは、その「市民社会の概念史」の冒頭で、ヨーロッパ政治哲学における市民社会概念の展開をつぎの

三段階すなわち古典古代的、近代的、そしてマルクス的概念において次のように規定する(三・国8の一・.団騨§ぜ《汁訂の①い⑮房3P燕,目のQの日四の[・ュ⑫Cpのロ伊の〆涛・ロ・・壜o園&(S農SQo「§§凋司葛輿mQm・の。。の,g・『市民社会の慨 会論についての、第一に、市民社会理論全体の思想史的系譜の中での位置づけであり、第二に、その理論的構造の認識にあると思われる。前背は、マルクスの市比社会論が、西欧における古典古代的巾比社会論や近代市民社会論の系譜とどのような関係をもつのか、つまりその伝統を継承するのか断絶するのか、という問題である。後者は、前者の問題に関連するが、マルクスの市民社会論の、とくに「ソシエテ・シビル」概念の規定を中心とする、その重層的理論柵造をいかに把掘するか、という問題である。この視点からするとき、マルクス巾瓜社〈雪論の雌史的位悩づけについては、M・リーデル『市民社会の概念史」、

(3)

その理弘和的把握については小松善雄氏の「現代の社会Ⅱ歴史理論における市民社会概念の考察」が、最近の注目すべき研究成果と思える。これらの論稿は、前者は、西欧思想史における市民社会論の該博で周到な研究であり、後者は、マルクス市民社会論の戦後日本の論研究をふまえた批砿な問題提起である。本論は、これらの論稿についての批判的検討をとおして、マルクス市民社会論の思想史的位世と理論柵造をさらに立ち入って究明し、その現代的意我を確認することを企図するものである。

lマルクス市民社会論の歴史的位世

(4)

イ、アリストテレス以来田世紀中頃まで通用した市民社会概念は、「市民が自由で平等に共存し、政治的支配形態に自ら服する社会または市民的共同体」であり、ギリシャ語のポリティヶ・コィノミァ剤。旨『言→註・巳§Pラテン語のソキェタス・キウイリス⑩。Qの厨のQぐ屋⑩で表現される、支配団体としての「市民共同体(ポリス§胃の、キウイタスQぐ愚の)」とその「公的Ⅱ政治的組織(コイノン【○ミミレス・プブリカ門の⑪bPg8)」を意味した。したがって、市民社会は「政治的支配形式」つまり「国家」(当時のポリス)と同義であった。

ロ、四世紀初頭に始まる新しい用法では、中世の封建社会の政治的支配から解放された「市民たる私人からなる社会」を意味した。つまり、市民社会は、いまや「市民たる私的所有者からなる社会」「物にたいする経済的支配だけがなお承認される社会」であり、「非国家的非政治的緬域」を指示した。ただし、目山主義の伝統が政治変革に成功したイギリスやフランスなどの西欧諸国では、「シヴィル・ソサェティロぐ】]の。Qのq」や「ソシエテ・シヴィル⑪g】の①芯・目』の」は依然として「政治社会」と同義語であった。

ハ、市民社会概念が近代世界の社会的関連のなかで多義的になった一八世紀から一九世紀への移行期に、この概念の新しい用法を指示したのがマルクスとエンゲルスである。彼らにとって、市民社会は「自由な所有者からなる

人格的結合体」という自由主義的モデルではなく、「物ではなく労働力だけをもつ人間に大いする所有者の支配」

を示す。すなわち、市民社会は無産の〈プロレタリア〉階級と区別されたくブルジョア〉的有産階級つまり「資本と労働の対立に基礎をおく一九世紀の〈ブルジョア社会因。月、の・厨、①の⑰]一の8沖〉」を意味する。こうした規定をもとに、リーデルは、市民社会概念の「言語連関系」を以下のように区分する。すなわち、(|)

古典期ギリシャ政治学から近世初頭の自然法論におよぶ、ギリシャⅡラテン語的連関性、(二)一八世紀から一九世 念史』、

イ、 、-週頁)。

114

(5)

これによれば、アリストテレスが定式化した古代的市民社会概念、ポリティヶ・コイノミァは日常的には都市国家ポリスであり、それは「強制力や圧制ではなく、法の原理にもとずく自由で平等な人間の共同化としての、〈市民社

命会〉」「自由なものとしての人間を原理とし、平等なものとしての市民を支配の主体とする〈社会〉」(ごgの・目②》

一三、

準同、Ⅳ頁)である。つまり、それは、「人間の社会形式と支配形式」を基準化し、「人間社会の発展の目的であり〈規 松範〉である」ことによって、ポリスを他の社会から区別する概念である。この区別とは、第一に、〈都市ポリス〉と 趣く家オイコス〉の区別、つまり政治的なものと家政的なものとの区別、第一一に、自由人〈市民〉と非自由人〈非市

ル民〉の区別、つまりオイコスは、すべての市民に共通なものとしてのポリスという〈公的なもの〉から排除された、〈私的なもの〉となる。市民は、〈国家〉と同視される市民社会の成員として、〈私的なもの〉を支配しつつ、家の主 の社会革命連動がそれを目』・同、u頁)、とする。

こうした規定を、リ上

ように導く。 紀にかけて自然法論より発展した、市民的Ⅱ自由主義的連関性、(三)その後に自由主義的自然法を放棄した、社会主義的Ⅱ革命主義的連関性、(四)市民社会成立以後の市民社会の連関性である。その上で、彼は、とくにこうコメントする。「第一言語系に関係ずけられる市民社会のポリスモデルは、なお第二の連関平面、つまり近代自然法論の契約モデルにおいても作用しており、後に第三の局面になって初めてその受け継がれてきた原型は最終的に解消される。ここにいたって初めて市民社会概念のイデオロギー化の問題、つまりその複雑性ないし多義性の問題が生まれる」。そして、この「イデオロギー化」は、この概念を「政治的Ⅱ自然法論的伝統」によって便川する基準が失われ、近代の社会革命連動がそれを「社会の政治的なグループ分け」の基準として使用することによって始まった(ごPの.

リーデルは、古代的・近代的市民社会論をとくにアリストテレスとヘーゲルに代表させ、以下の

(6)

人として労働と経済的生産の傲域から解放されているから、市民である。第三に、〈家政的な〉支配と〈市民的な〉支配の区別であり、前者は、奴隷・子供・妻・女子への強制力による支配であるのに対し、後者は、自由人による目山人の支配であり、市民社会の秩序たる法を前提にする(旨Pの.目凹‐喫同、胆lⅣ頁)。

では、この古代的市民社会概念は、近代にどのように継承されへ-ゲルに至ったのか。リーデルによれば、中世におけるアリストテレス受容は、たとえばトマス・アキィナスにおいて「神の国」は「市

民共同体」に超越するが、その歴史的内在性を破壊しなかった。また、ホッブスにはじまる近代自然法論は「個々人という存在」から出発したが、国家(市民共同体)と市民社会との同一性を、ロックやカントまで解体させなかった。

しかし、一七世紀の政治革命後のイギリスには「諸個人の私的な関係を規定する経済所有秩序としての市民社会」概念が登場する。そして、フランス革命は、エンチクロペディストたちの市民社会または政治社会の理解、すなわち「すべての人間を包括する社会への拡大」を実現した(旨艮の.「g》同、的頁)。

だが、最後に、市民社会概念の重大な歴史的体系的転換が、国家の〈政治的〉領域と社会のいまや〈市民的〉緬域を区別した、ヘーゲルの『法哲学』で行われる。ここでの市民社会は、第一に、地球上に拡がりゆく産業的な「労働社会」であり、第一一に労働を通じ労働を基盤に文化と自由へ向かう「教養社会」であり、第三に、自然法の歴史的政

治的な実現過程、つまり労働と教養に媒介されたく人格〉と〈所有〉そして〈自由〉に普遍的承認を与える「法社会」

である。だが、第四に、それはまた貧困と富の弁証法により、そこで実現された権利と自由の規範体系を解体する

「階級社会」でもあるゆえに、これらの規範の〈真の〉〈政治的〉実現としての「国家」への止揚が完遂されることになる(ザ昼の.『g‐]・同、卯‐頁)。しかるに、このヘーゲル的市民社会を、〈階級社会〉〈ブルジョア社会〉としてイデオロギー的政治的かつ歴史哲学的な概念使用を行ったのがマルクスとする。

116

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マルクスの市民社会論

このようなリーデルの市民社会概念認識は、マルクスの市民社会論にかんする重要な指摘である。第一に、古代や近代の市民社会論には「政治的Ⅱ自然法論的伝統」という基準があるが、マルクスの市民社会論にはこれが欠如する

とする。第二に、それゆえに、マルクスはこの概念をイデオロギー化(「市民社会」の「階級社会」化)したとするのである。リーデルは、別箇所でも、マルクスの「〈市民的〉社会を克服しこれを人蛾の前史へ追いやるべき〈社会主義的〉社会あるいは〈共産主義的〉社会のモデル」は、「契約の対等関係モデルとは正反対の着想」と規定する。

つまり、マルクスの市民社会は、「生産手段の私的所有に依拠する社会的組織形態・交通形態」を意味し、その適用を「市民膳に文配された一八・一九世紀の近代社会」に制限された歴史的概念だとしている(首Pの。『E‐q同、妬‐6頁)。さらに、マルクスとマルクス主義による市民社会批判が、「契約の図式に従って相瓦に同等とされ、法秩序の

主体と定義されている自立した諸個人という、自由主義的社会構想のもつ欠陥」を鋭く摘出したが、同時に「個人の自由権を保証し、物質的社会的生活諸関係を識別し評価するための規範体系を保持するという、市民的自由主義的構想の長所」も放棄した(旨・・の.Bの⑪。P同、川頁)、とする。

リーデルのこうした規定は、全休として、マルクスの市民社会概念が、ギリシャ以来の伝統的「規範的」肌念、す

なわち市民社会が国家と一体化するにせよ分離するにせよ、「市民共同体」もしくは「市民的自由主義」の理念から

、、、逸脱する、市民社会にかんする特殊的概念とするものである。だが、リーデルのこの規定は正確であろうか。こ》」

で検討すべきは、マルクスの市民社会論の、古代的・近代的市民社会論にたいする関係である。この関係を検討する

ことによって、マルクス市民社会論の歴史的位置を確認したい。

(8)

ニマルクス市民社会論の古代的・近代的市民社会論との関係マルクスの市民社会論は、リーデルが規疋するように、アリストテレス的(市民社会Ⅱポリス的国家とする)古典古代的市民社会概念、またヘーゲル的(市民社会と同家を分離する)近代的市民社会概念と、区別される異質なものであったか。リーデルの規定を再度確認するなら、古代的市民社会概念は、「市民社会」が「市民共同体」「政治的支配形式」としての「国家」と同義であり、近代市民社会概念は、「非国家的非政治的価域」として国家と分離するも

のである。しかるに、マルクスのそれは有産階級的市民社会すなわち「ブルジョア社会」であったとする。したがって、内容的には、マルクスの市瓜社会論には、伝統的市民社会概念がもつ「市民共同体」(古代的には「政治」的であり、近代的には「契約の並列関係」的な)の概念を欠如するものとした。しかし、私見としては、マルクスの市民社会論は、古代的・近代的市民社会論と緊密な関係をもち、むしろその「規範的理念」の理論的現実的確立に向かっ

て一貫するものと考える。まず、マルクスの初期著作において、この点を検証したい。(A)マルクス市民社会論の古代的市民社会論との関係マルクスの初期論文「ヘーゲル国法論批判」(冨向のP閂lい火月評店版「マルクス・エンゲルス全集』一巻)は、周知のように、ヘーゲルの市民社会の国家への「止揚」形態、実際には市民社会と国家の「分離」を批判したもので

ある。だが、ここには、市民社会Ⅱポリス国家とするギリシャ的。中世的国家にたいする一般的評価も見いだせる。

マルクスは、この論稿を、「ヘーゲルは国家から出発して、人間を主体化された国家たらしめ、民主制は人間から

出発して、国家を客体化された人間たらしめる」(冒旦の・田》同、醜H)という川知の命題を主軸として庇側する。

「民主制(sのCの日・汀昌の)」とは、マルクスがヘーゲルの国家に対置した最初の独自な国家形態である。それは、

「形相的原理が同時に質量的原理」であり「普遍と特殊との真の一体性」(ごQ・の・臼・同、醜頁)を実現する、ある

118

(9)

マルクスの市民社会論

べき国家もしくは共同体形態の理念である。

彼は、この民主制とさまざまな国家形態の関係を、「蛾」と「極」の関係として位世ずける。なぜなら、過去のさまざまな特殊な国家形態(君主制や共和制など)では、「政治的人間はこの特殊な存在性を、非政治的人間・私的人間と並びもつ。所有、契約、婚姻、市民社会がここでは、政治的国家と併存する特殊な存在諸形態、内容として現れ、

これに対して政治的国家がそれを組織する形態として関わる」(ぴぼの・巴・同、狐頁)からである。ここでは、市民

、、、、社会が内容、政治的国家が形式と捉えられている。マルクスは、従来の国家における}」の内容と形式の分離、つまり「現実的、実質的な国家」すなわち市民社会と、「国民生活と区別された」政治体制すなわち「政治国家」の区別を、ギリシャや中世国家に通川してこう論じる。

イ、政治的国家は、当初は実質的国家の「形式」としては現れない。その例として挙げられるのがギリシャである。「ギリシャのように、レス・ププリカ(『の②gg8)は市民たちの現実的な私事、現実的な内容であるが、私人は奴隷であった。他力、政治的なものとしての政治的国家が市民たちの生活と意欲との雌一の内溶であった」

(旨Q・の.囹卜同、蠅頁)。これは、政治的国家が実質的国家としての市民社会の形式とならないのは、公的な

もの(都市ポリス)が私的なもの(家オイコス)、つまり政治が労働と生産を排除していたとする指摘である。マルクスは、ギリシャの市民共同体が「現実的内容」を排除したきわめて限定されたものと認識したのである。ロ、一万、中世では、国民生活と国家生活が同一となる。「中世では、農奴、封土、職業団体、学者団体などが存在したが、いいかえれば、中世では、所有、交易、社会団体、人間が政治的であるということである。国家の実質的内容が国家の形式から決定され、いかなる私的傾城も政治的性格をもっている。……中世においては国民生

、、、、活と国家生活とは同一のものである。人間が国家の現実的原理であるが、しかしその人間は不自山な人間であ

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(B)マルクス市民社会論の近代市民社会論との関係マルクスの近代市民社会論の評価は、ヘーゲル市民社会論批判のなかに明快に展開される。マルクスは、周知のよ

、、うにヘーゲルの市民社会と囚家の珈火上の分離を批判するが、}」の批判を市民社会と国家の同一性の原叫の単純な

、、、適川によって行うのではない。彼は、ヘーゲルの肌論の背後にある近代の国家と市民社会の分裂の雁史的必然性を認識するとともに、同時に剛家に代わる新しい共同体理念の抽出を始める。 批判しえたといえる。 、、、、、、、、る。この国家は、したがって不自川性の民主制(日のo8】C汀凰のロ日ロロ沖の爵の津)であり、徹底した疎外であ

る」(ごロ・の・笛・同、獅頁)。この「不口川性の民主制」とは、まさに「形州」と「画賦」たる国家と市民社会、

国家と個人・集団の統一が政治的国家に金的に包接されていたことの認識であり批判にほかならない。このようなマルクスのギリシャや中世国家の規疋は、なにを示すのか。第一に、マルクスが、さまざまな国家形態に対して「民主制」によって対世したものは、質科としての国民化活と

、、、、、、、、、、形式としての国家生活の本来的な統一の理念である。》」れは、マルクスが、市民社会における社会生活と国家にお

、、、、ける政治生活の一体化の原理、すなわち現実には抽象的でしかなかったポリス的市民社会的理念を、当初から継承していたことを示すものである。

第二に、この規範的市民社会論の視点から、マルクスは、ギリシャでは奴隷を排除した市民が政端的国家での「生活と意欲」だけを内容とするゆえに、その市民共同体は限定されたものと認識した。そして、中世では、国民生活と国家生活の統一が国家的な包接において完遂されるゆえに、それを「不自由性の民主制」であると規定した。つまり、

、、、、、、、、、、、、、、、}」の規範的市民社会理念によってのみ、マルクスは、古代・小川」における、市民社会と旧家の擬制的統一形態を

120

(11)

マルクスの市民社会論

「(ヘーゲルの)市民社会と国家は分裂している。ゆえに、公民と、市民すなわち市民社会の成員も分裂している。

、、、、、、、、、したがって、個人は自身に本質的な分割作業を開始しなければならない。現実的市民として、彼は自身が一一重の組

、、、、、、、、、職にあることを知る。すなわち、官僚制的組織(○碕劃計§§Qsg8目・己涛S§)と……社会的、市民社会の組織(Sos狩萬》Qの同日日角])9のロの⑦⑭①」]の、冒洋)とにである。……前者は国家組織であって、彼は終始その質料となっている。後者は市民的組織であって、その質料は国家ではない。前者において、国家は彼に形式的対立物として

、、、、、関わり、後者において、彼は自ら国家に質料的対立物として関わる。したがって、彼は現実的公民の立場にたち、

政治的意義と機能を獲得するためには、彼の市民的現実性から抜け出し、それを捨て去り、この全組織から彼の個人

、、、、性へ引き}」もらねばならない。……彼の公民としてのあり方は、彼の共同体的なあり方の外部にある、したがって

、、、

純粋に個人的でしかない、あり方なのである」(ごQ・の。、の‐の『同、川‐7頁)。これは、ヘーゲル的国家における質科

、、としての市民と形式としての国家の対立、すなわち市民社会と国家の対立の認識である。それは、さらに市民と公

民、個人と共同体の対立関係の切開へと導かれる。マルクスは、ここから、近代国家におけるこの対立矛盾の発生根

拠の解明と、その現実的矛盾解決の方向を探る。その過程が、「ユダヤ人問題によせて」(巨向のP閂l蝉大月書店版『全集』一巻)における「政治的解放」から「人間的解放」への飛躍である。マルクスは、ここで、ヘーゲルが認識した市民社会と国家の分裂の歴史的必然性を、フランス革命などの近代の政治的解放に求める。いわく、「政治的革命は、市民社会の革命である」。なぜなら、封建

制度としての「古い市民社会は、政治的性格を直接的な形態でもっていた」(ご戸の」のP同、仙頁)からである。

つまり、市民生活の諸要素が国家生活の要素として拘束されていたのであり、それは「個々人の国家全体にたいする関係、つまり彼らの政治的関係、つまり社会の他の構成部分からの彼らの分離と排除の関係を規定していた」(同)。

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マルクスは、この耶態を「凶家の観念随義の完成」Ⅱ「市民社会の物質主義の完成」(川)と捉える。政治から巾凪社会を解放した政治的解放は、「利己的人間の目川とその月山の承認」であった。したがって、「市民社会の成員としての人間、非政治的人間」は、必然的に「自然的な」人間として現れる。ゆえに、「人の権利(日○局。の

、、、一ゴ・日日の)」が「自然権(。『。』⑪ロ四目『の|⑫)」として現れる」。かくて、「市民社会の成員としての人間は、本来の人

、、、、間であり、公民(98『①ロ)とは区別された人間(ロ・日日の)とみなされる。なぜなら、この人間は、その感性的、

、、、、、、、、、、個別的、直接的在り方における人間であり、政治的人間はたんに抽象化された人為的人間であり、非現実的な道徳

、、

的な人桁であるからである」(百口・の。]g・同、仙頁)。

ここに、近代の市民社会と図家の分裂、その原因としての政治的解放の意義がマルクスによって明瞭となる。彼は、

それを肯定と否定の両側面で捉える。政冷的解放は、中世国家すなわち閉塞的共同体に全面的に拘束・包恢されていた諸個人を解放した。しかし、この解放が、諸個人をアトム的・利己的個人として、「物質的」市民社会と「馴念的」

政治回家の両立としての解放でしかなかったことを解明したのである。したがって、マルクスは、さらに政治的解放(臼の:言い・すの同ョ:9℃目○コ)から人間的解放(Sの日のロ⑪。冨呂の両日目gbp【]。。)に進展する。人間的解放とは、あの形式と内容の統一としての民主制(すなわち国家 立の酬態である。

マルクスは、》 つまり、国家による社会と個々人の直按的包接を意味した。しかるに、政端的解放は、「共同体からの人比の分離の

表現」であり、「一切の身分、職業剛体、同職組合、特椛」を粉砕し、「市民社会の政冷的性格」を止揚した(冒且 の」四.同、価頁)。それは、市民社会を「個々人」に解体するとともに、市民社会の一切の政治的要素を解放し、

「政治」を「観念的に独立した呰遍的な人災的事項」(同)にすることであった。これが、市民社会と政治的国家の両

122

(13)

マルクスの市民社会論

と社会、共同体と個人の銃この尖現を意味する。マルクスは、それをつぎのように規定した。「政治的解放は、人

、、、、、、、、、、間の、一方では市民社会の成員への利己的な独立した個人への、他方では公民への道徳的人格への還元である。現

実の個別的な人間が、抽象的な公民を自分のうちにとりもどし、個別的な人間のままでありながら、その経験的な生

、、、、

活において、その個人的な労働において、その個人的な関係において、類的存在(のp§討閥&図§)となったときは

、、、、じめて、つまり人間が自分の『固有の力』を社会的な力として認識し組織し、したがって社会的な力をもはや政治

、、的な力の形で日分から切り離さないときにはじめて、そのときはじめて、人間的解放は完成された》」とになるので

ある」(一豆Pの.]B,い・同仙頁)。

このような古代的・近代的市民社会論へのマルクスの市民社会論の対置によってⅥかなことは、マルクスが、初期

、、、、、、、、、、、、、、、、、著作においてすでに、市民社会と国家(正確には共同体)、市民(私的人間)と公民、社会性と政治性の真の統一を志向したことである。ただし、この市民社会Ⅱ共同体のマルクス的理念は、市民社会の歴史的諸形態、現実的市民

生活(奴隷などに担われる)を排除したポリス的市民社会でもなく、中世的国家による市民社会の包接でもなく、近

代の市民社会と国家の分裂の再統一でもない、その発展形態である。そして、この理念は、リーデルによるマルクスの市民社会論が伝統的な市民社会論を継承しない異端的形態であるという規定を、明確に反論するものである。なぜなら、マルクスは、まず、ポリス的市民社会が政治的に限定されたものとして捉えつつも、その市民共同体の

理念を当初から継承せんとする点で一貫しているからである。だからこそ、社会的存在と活動を政治的なものに包接する中世国家を仰幼し、市民社会と国家の並立、市民(社会的存在)と公民(政治的存在)の分裂を確立する近代社会自体を厳しく批判し、それを真に統一する理念の形成に向かったのである。以上を硴認した上で、後期の箸作をふ

くめたマルクス市民社会論の歴史的位置を全体として脈謝したい。

(14)

三マルクス市民社会論の思想史的意義

これまで、リーデルによるマルクス市民社会論の位置づけと、マルクスによる先行する市民社会形態への実際の対

応を確認した。リーデルの評価は、マルクスの市民社会論が、ギリシャ以来の伝統的・規範的理念たる「市民共同体」

もしくは「市民的自由主義」の理念から逸脱するものとし、それはマルクスの市民社会が主としてブルジョア社会を意味することに求めた。しかし、これまでの検証において、この評価は妥当しないことが確認しえたが、再度、独理

しよう。ィ、マルクスの国家論の出発はヘーゲル国法論に対憧した「民主制」であったが、それは、「形机と質脳」、「普遍と特殊」の一体性を実現する共同体の理念を意味した。では、その内実はどのようなものであったか。それは、なにより、マルクスがヘーゲル国法論の市民社会と国家の「統一」(実際にはその分離)形態の批判において獲得した、「市民社会」と「国家」の実在的一体性であった。明らかなのは、この理念が、リーデルが規定する古典古代的市民社会概念たる「市民が目山で平等に共存し、政治的支配に自ら服する社会」、とほぼ同義であるこ

ロ、ただし、マルクスにとって、問題は、ギリシャをふくめてこの理念が歴史的に現実に存在したのか否かであった。したがって、マルクスは、ギリシャにおける市民社会と同家の現実的分離、中世における国家による包摂を批判したのである。すなわち、ギリシャにおいては、「レス・プブリカは市民たちの現実的な私事、現実的な内容であるが、私人は奴隷であった。他力、政治的なものとしての政治的国家が市民たちの生活と意欲との唯一の内容であった」。また、中世では、「農奴、封土、職業団体、学者剛体などが存在したが、いいかえれば、中世では、所有、交易、社会団体、人間が政治的であるということである。国家の尖質的内容が旧家の形式から決定さ とである。

124

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れ、いかなる私的航域も政治的性絡をもっている」からであった。ハ、その上で、マルクスが最終的にもつともきびしく艸幼したのは、ヘーゲルが概括化した近代における市民社会と国家の分裂の様相であった。つまり、封建制度たる古い市民社会を爆破した近代の「政治的解放」は、「共同体からの人民の分離の表現」であり、一切の身分、職業団体、同職組合、特権を粉砕し、「市民社会の政治的性絡」を止揚した。それは、市民社会を「個々人」に解体するとともに、市民社会の一切の政治的要素を解放し、政治を「観念的に独立した普遍的な人氏的事項」にした。つまり、市民社会と政治的川家の両立が生起した。し

、、、、、、たがって、マルクスがこれに対世したのが、人間の社会的力と政冷的力を結合する蛾的存在を証しえる「人間的解放」であった。ここに、マルクス市民社会論をつらぬく論理的主軸が、疑いなく市民社会と国家(正確には共同体)、国民生活と国家生活、現実生活と政治生活の統一の古典的理念の現実化にあったといえる。以上の確認をもとに、この市民社会の内実とその国家との関係を再度確認しておく必要があろう。マルクスにおけ

、、、、る国家に対置された市民社会はなにを意味するものか。

すでにみたように、マルクスは、古代ギリシャにおける市民社会を「市民たちの呪炎的な私事、現実的な内容」と

論捉えている。それが私的なものであるかぎり、アリストテレスのいう公的なものとしての「祁市(ポリス)」がそこ 罐から解放されている、「家(オイコスヒに属する労働と経済的生産の価域である。また、中世では、「農奴、封止、

極職業団体、学者団体などが存在したが、いいかえれば、中世では、所有、交易、社会団体、人間が政治的であるとい

スうことである……中世においては国民生活と国家生活が同一である」として、この国民生活の内容が、所有、交易、ル社会団体などとしていっそう回云体的に記述される。そして、近代では、「政治的人間はその特殊な存在性を、非政治

的人間・私的人間と並びもつ。所何、契約、婿姻、市民社会がここでは。…:政治的国家と併存する特殊な存在諸形態、

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内容として現れ(る)」として規定された。ここでは、所有、契約、婿姻などが明確に市民社会と同値され、私的人間の傾城として政治的人間の傾域と対抗的なものとして改めて設定されたのである。

ここに、あの民主制の形相と質量、普遍と特殊の一体性の理念の内実が明らかになる。ここでいう質量または特殊は、人間の現実的(社会的・経済的)生活の場たる市民社会を現し、その形式または普遍は、政治的生活の場たる

国家を示す。マルクスは、この両者の一体性、融合性の理念から始め、最終的に「個別的人間」のままで「類的存在」であり、その「社会的な力」と「政治的な力」の不可分離性を一貫して追求したのである。

かくて、マルクスの市民社会論の展開は、リーデルのいうようなブルジョア社会の把握に終わるものではなく、その分析を不可欠な前提としたブルジョア社会の止揚であり、古典古代的市民社会叫念の現火的形成の過藤といえる。

このマルクスの市民社会思想の発腿過樫をみるとき、第一段階としての、「民主制」における古山古代的市民社会叫念の継承とその災態の批判、第二段階としての、この理念による古代からの近代に至るさまざまな国家形態の批判、そして、第三段階としての、この理念の呪災的実現の提示という、弁証法的過経として確認できるだろう。そして、

この確認によって、かのマルクスの「人蚊の三段階説」が改めて充分に理解できよう。すなわち、「人烙的な依存関

係(最初はまったく自然発生的)は妓初の社会諸形態であり、この諸形態においては人間的生産性は狭小な範囲にお

いてしか、また独立した地点以外には展開されない。物象的依存性のうえに築かれた人格的独立性は第二の大きな形

態であり、この形態において初めて、|般的社会的物質代謝、普遍的諸連関、全面的諸欲求、普遍的力能といったものの一つの体系が形成される。諸個人の共同体的、社会的生産性を諸個人の社会的力能として服属させるうえに築かれる自由な個体性は、第三の段階である。第二段階は第三段階の諸条件を創り出す」(冨固のシ・ロー]》の.眉.『マルク

ス資本論草稿集」l、大月書店版、肌頁)。

126

(17)

マルクスの市民社会論

なお、さらにここで補足的に確認すべきは、マルクスの市民社会論の展開が、古典古代的理念から抽象的に出発し

たのではなく、なにより近代市民社会としてのブルジョア社会の批判、またこの社会の形成・発股そして批判に寄与

した諸思想の継承の上に確立したことであろう。近代市民社会の思想は、まずは、市民社会の「国家からの自立」の思想として現れた。それは、ホッブスの「臣民

(4)

の自山」(売買、契約、住居、生業、教育)と「主権者の伽制限の権力」の両立、ロックの自然樅としての「所有椛」

(5)

とそのための「共同社会(8BBOロミの口]【。)の樹立、スミスの「同感(の『日ロロ【ご)」原理による規制のうえでの、

(6)

「自由放任」策による商業社〈室Ⅱ市場社会の発展などであった。しかし、近代市民社会の展開のなかで、つぎに、この市民社会自体のなんらかの「共同体への志向」の思想が蜜場した。それは、ルソーの私人(可・日日の.doPHmの)o厨)から市民(98一目のロ)への飛雌の要請による「共和国(幻のロ:一一C口⑦)」または「政治体(○・日⑪b○一】目巨の)」の形成であり、そして、あのヘーゲルの「欲望の体系」としての「市民社会」の市民eの『□毎日の『)から「国家」の臣民

(8)

(ロの【の芹間厨目『いの門)への止揚であった。

、、、、、、、、、、、、、、、こうした近代市民社会論の歴史的に背反する一一側而、すなわち国家からの向山諭と共同体の志向論の理論的止揚が、マルクスにおいて、近代の市民社会の構造的に矛盾する二側面、すなわち市民社会的発展(社会的生産と人格的独立性の発展)とブルジョア的階級社会的制約の累硫(資本と賃労働関係の深行)の実践的止揚の方向に定位された

のである。ここに、マルクスが市民社会論の正統な継承・発展者と規定できる由縁がある。

(18)

一「ソシエテ・シヴィル」についての小松善雄氏の問題提起小松善雄氏の論稿「現代の社会Ⅱ歴史理論における市民社会概念の考察-戦後日本の市民社会論史によせて」は、マルクスの社会Ⅱ歴史皿論たる史的雌物論の現代的考察、つまり「マルクス主茂は経済決定論・腋底還元k筏、その

意味での経済主義なのか、その階級国家論は階級還元主我なのか」(佃頁)を問うものである。しかし、主題的には、史的唯物論における市民社会論の位世づけ、すなわち「史的咄物論の根幹I土台・上部関係について市民社会概念と関連させ(た)研究」、また、それ自身が「構造」でありつつ「過程」が展開される場としての「マルクスの市民社会(⑪○口の芯Q己P、目]⑭8のご)の皿論的再発見」(仰頁)を追求する、刺激的な研究である。この論稿は、内容的に、「l戦後川本の市民社会論争史」、「Ⅱマルクスの⑭月賦芯○目]の概念をいかに理解するか」、「むすび」としてあるように、第一に、戦後Ⅲ水の巾乢社会論の詳細な皿論的総括であり、飾二には、マルクス市民社会論に側す

る本格的な研究の展開である。以下に、氏の論旨を要約し、その主張を抽出したい。

A戦後日本の市民社会論についてここでは、まず、「市民社会派マルクス主義」による「特殊日本的な市民社会論」、つぎに、それにたいする「肛統派マルクス主義」による批判が考察され、全体的な判断が下される。特殊Ⅲ木的な市民社会論は、戦争下にイギリス的な市民社会を天皇制ファシズムへの最小抵抗線とし、戦後には

「戦後蒋蒙」として戦後思想の蔽要な婆索となったものと位世ずけられ、その皿諭家たる大塚久雄、内川義彦、平川

Ⅱマルクス市民社会論の理論構造

128

(19)

マルクスのTlJlB社会論

この上で、小松氏は全休として、この学派の特徴を、その皿論的担い手が経済思想史・社会思想史の研究者であり、彼らが戦時下の「生産力論」としての思想的系譜を継承するとした上で、こう規定する。「氏らの市民社会論はマル

クスのビュルガーリッ上・ゲゼルシャフト概念を『同市氏関係」、「専門人として自立した個人の結合の場』としての市蝿社会というふうに、上郷術造としての巾艮祉会に『刷而化」(8…)させているところから、’一九六○年

代においてマルクス主義の立場から自山・平等な同市民関係を理論ずけるには、ビュルガーリッ上・ゲゼルシャフト

概念に別の市民社会概念lⅢ世紀初賊の市民社会概念を飯台化させざるをえなかったという事情は了解しえなくはな

いにしてもlその巾瓜祉会概念に過菰血担が付与されているといえることである」(雛う風)。 清明、望月清司・森田桐郎氏らの所説が検討される。とくに、平川滴明氏の市民社会概念は、こう概拓される。一、それは、第一次的には、歴史貫通的な「生産Ⅱ交迦様式」として提示されるものだが、その本質的内容は「私的所有打、小商品生産者の社会・商品経済社会」を意味し、同時に市民社会と「公称」されている「資本家的社会」をも意味するという「入り組んだ三重性」で捉えられていること。二、私的所有者としての市民社会と資本家的社会が公称する市民社会とを繋ぐ「媒介経路」が、「市民的生産様式の資本家生産様式への不断の幟変」と捉えられた航行法則転変論に求められ支えられていること。三、この転変の論理において、「仮象」とはいえ、そこに「自由・平等という市民的原理が形式的に保存されている」「同市民的関係」に力点がおかれていること、などである。その上で、平川氏の「関心・強調点がむしろ上部描造としての市民社会にあるかにみえる」と指摘しつつ、他力で、平川氏がブルジョア祉会とシビル・ソシェティを区別しながら、マルクスのビュルガーリッ上・ゲゼルシャフト概念を市民社会という訳語で「押し通す」ことへの批判的見解には、それを断定する(別頁)。

(20)

このように、市民派マルクス主義の市民社会論は、一定の限定が加えられつつも、マルクスの市民社会概念の多義

的な把捉、とくにソシェテ・シヴィルを上部柵造的に位慨づける試み自体は評価されている。つぎに検討されるのは、’九七○年代以降展開された、いわゆる正統派マルクス主義者たち、見田石介、藤野渉、

砿川溢列氏らによる平川氏を中心とする特殊日本的市民社会論にたいする批判である。小松氏は、この批判のなかで、

マルクスの市民社会概念にはビュルガーリッ上・ゲゼルシャフト概念のほかにソシェテ・シヴィル概念も存在するこ

とが認搬されたが、この概念内秤の検討が研究諏翅となったとする。ここでは、とくに、藤野氏によるマルクスの市民社会の三側面の認識、すなわち、一、「諸個人の物質的交通全休」としての「観念的上部柵造の土台」をなしているもの、二、「モナド的エゴイスト的人間の社会」、三、「階級社会と

してのブルジョア社会」の規定と、「アンネンコフヘの手紙」におけるソシェテ・ブルジョアと異なるソシェテ・シヴィルの川法の指摘が評価される(㈹頁)。また、砺川氏による、「アンネンコフヘの手紙」や「哲学の貧川』におけ

るソシエテ・シヴィルの川法と、「ブルジョアジー社会」と区別された、その「必ずしも近代的形態に限定しないで社会にとっての土台としての経折的諸関係」の理解が州摘される(いⅡ)。

その上で、これらの批判が、マルクスの市民社会概念の多義性・多川性を認めること、また、ビュルガーリッ上・

ゲゼルシャフト概念を、平川氏のように市民社会Ⅱ「同市氏関係」という「読み込み」ではなく、「物画的な生活諸関係の総体」と捉えていることを「正確な解釈」とする。だが、同時に、平田氏のような「上部構造としての市民社会概念は、マルクスにあっては滅失しているのであろうか」と反問する(M頁)。この小松氏の戦後日本の市民社会論史の総括は、全休としては正確な把握と評価と思える。ただし、この総括の過畷で、氏自身が自らの理論的視点を郡きⅢしているのは当然である。その視点は、一、マルクスの市民社会概念をそ

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(21)

マルクスの市民社会論

の重層性において認識すること、二、とくに、ビュルガーリッ上・ゲゼルシャフト概念とソシェテ・シヴィル概念を区別すること、三、その上でソシエテ・シヴィル概念の内容を、主として「上部構造」の概念として捉えること、などである。この視点から、小松氏は、マルクスの「社会Ⅱ社会構成体論の三域Ⅱ三層臓成論」を前提とした「ソシェテ・シヴィル概念」の研究に入る。その内行を検討したい。Bマルクスの社会Ⅱ社会構成体論の三域Ⅱ三層構成論およびソシェテ・シヴィル論小松氏のマルクスの社会Ⅱ社会構成体論の一一一域Ⅱ三層構成論およびソシェテ・シヴィル概念の研究は、前掲の「Ⅲ」と「むすび」の部分で展開される。ここでは、戦後日本の市民社会論のなかでも論及されてきた「アンネンコフヘの手紙」や『哲学の貧川』を小心に、『ドイツ・イデオロギー」や『経済学批判』序言なども詳細に分析し新しい結論を導くものである。やや込み入った内容を要約すると、次の二点になると思われる。

イマルクス社会Ⅱ社会構成体論の三領域Ⅱ三層構成論小松氏は、マルクスの市民社会論には、ピュルガーリッ上・ゲゼルシャフトとは別のソシェテ・シヴィル(または

シビル・ソシエテ)概念があったという主張から始める。まず、マルクスによるヘーゲル市民社会論の「摂取と再椛成」がこう位置ずけられる。ヘーゲルの市民社会は私人

の「欲求の体系」また「労働社会」という下部構造だけではなく、「教養」「司法活動」「福祉活動」「職業活動」といっ

た上部構造の諸要素をもっていた(船頁)。しかし、マルクスはコーゲル国法論批判」以後「ドイツ・イデオロギー」に至る過程で、自らのオリジナルな市民社会概念すなわち「経済的土台的概念」を彫琢した。つまり、『ドイツ。イデオロギー」において、「生産および交通から直接に発展する社会的組織」「あらゆる時代に国家およびその他の観念

的上部構造の土台となす」ものと定式化された、「マルクスのビュルガーリッ上・ゲゼルシャフト概念は土台・上部

(22)

構造のうちに包摂され、すぐれて経済的術造を意味するものとして純化された」(㈹‐8頁)とする。この点を確認した上で、小松氏は、ヘーゲル市民社会論にある上部構造的要素はマルクスにおいていかに位置ずけ

られたかと問い、それをソシェテ・シヴィルⅡシビル・ソシェテ概念に求める。その論拠として中心的に考察されるのが、「アンネンコフヘの手紙」である。つまり、ここでのマルクスの以下の三つの「仮定Ⅱ前提」と「解答」が、

彼の社会描成体を説明するとみる(Ⅶ頁)。すなわち、一、「人間の生産諸力の一定の発展段階」が前提されると、「生産と消世の一定の発展状態」がえられるという解溶二、「生産・交通・消費の一定の発展段階」が前提されると、「社会的椛成の一定の組織」Ⅱ「家族・諸身分・諸階級の一定の組織」、|言でいえば「市民社会」(⑫。Q貝のQく】]の)があるという解答三、「|定の市民社会」が前提されると、市民社会の「公的表現」「公的要約」である「政治的国家」があるという

小松氏は、この第一の仮定Ⅱ前提の「人間の生産諸力の一疋の発展段階」に対応する「生藤と消費の一定の形態」が、『ドイツ・イデオロギー」におけるビュルガーリッ上・ゲゼルシャフト概念、すなわち「これまでのすべての歴史的段階に存在した生産諸力によって規定され、逆にそれを規定しかえす交迦形態」に該当すると規定する。つぎに、

第二の仮定Ⅱ前提における市民社会、「社会的構成の一定の組織」Ⅱ「家族・諸身分・諸階級の一定の組織」としての市民社会は、ビュルガーリッ上・ゲゼルシャフトとは異なる「明らかに上部構造に属する概念である」とする。そ

して、この概念が家族をも包含する点でヘーゲルの市民社会論とも異なるとしつつも、「ヘーゲルにおける市民社会の上部柵造要素11「法社会』・『階級社会』的契機をマルクスがそのシビル・ソシェテ概念において再把握しているということも知られる」(〃,3頁)、と規定する。 ’一一、解答

132

(23)

マルクスの市民社会論

さらに、このソシェテ・シヴィル概念の『哲学の貧困」における用法が考察される。ここでの「封建制度のもとでブルジョアジーによって発展させられていた生産諸力は、彼らブルジョアジーの掌握するところとなった。すべての

旧経済形態が、それに照応していた市民間の諸関係(同の]目。□⑩。旨]の)、旧市民社会(の。Qの芯Qこの)の公的表現(の§『の凶go蔑口の}]の)であった政治的国家が、打破された」の一文を、こう推論する。ここでの「経済形態」と「市民間の諸関係」は、「アンネンコフヘの手紙」における「人間が生産し、消費し、交換する経済形態」と「社会的諸関係」に照応している。したがって、氏は、マルクスの「シビル・ソシエテⅡ市民関係概念」を、改めてこう規定する。それは、「『社会的構成の一定の形態Ⅱ『家族・諸身分・諸階層の一定の組織』、すなわち社会的構成体一般の

中間領域に位置を占めるもののことである」(朽頁)。

かくして、小松氏は、ピュルガーリッ上・ゲゼルシャフト概念とソシェテ・シヴィル概念を土台と上部術造の概念と峻別し、マルクスの社会Ⅱ社会構成体が三領域Ⅱ三層構成からなると、こう結論される。「『交迦と消費の一定の形

態』ないし『生産・交通・消費の一定の発展段階』としての『ビュルガーリッ上・ゲゼルシャフト』(経済的社会柵

成体)+『家族・諸身分・諸階級の一定の組織』から構成される『ソシェテ・シヴィル』+『国家』Ⅱ政治的国家と

いう三領域Ⅱ三層構成をもって存立する」(ね頁)。

ロ上部構造としての市民社会Ⅱソシェテ・シヴィル論

このマルクス社会Ⅱ社会構成体論の三域Ⅱ三層構成論を前提として、小松氏は、さらにその中軸となる上部構造概

念としてのソシェテ・シヴィル概念を考察する。

まず、「ドイツ・イデオロギー』の次の一文が引かれる。「したがって事実は、こうである。すなわち、特定のやり

方で生産的に働いている特定の諸個人は、これらの特定の社会的諸関係および政治的諸関係を結ぶ。経験的観察は、

(24)

それぞれの個々の場合において、社会的編成および政治的編成と生産との関連を、経験的に、そしてどんな神秘化や思弁もなしに示さなければならない。社会的編成と国家は、いつでも特定の諸個人の生活過程から生じる」(花崎泉

平訳『新版ドイツ・イデオロギー』、合同出版、羽頁)。

この一文は、小松氏によれば、マルクスがすでに『ドイツ・イデオロギー』において、ピュルガーリッ上・ゲゼルシャフトⅡ「市民社会」、「社会的編成」、「政治的編成」の三傾城Ⅱ三層構成を行っていたこと、また、ここでの「社

会的編成」が「アンネンコフヘの手紙」や『哲学の貧困』におけるシビル・ソシェテⅡ「市民社会」に相当すること、しかも、そのさい、前者の「社会的編成」論が「ダイナミックⅡ動態的視角」をとるのに対し、後者が「スタティッ

クⅡ静態的視角」とする(沼頁)。なぜなら、「ドイツ・イデオロギー』における「社会的編成の力」とは、「どの新しい階級も、その目的を遂行するためにだけでも、その利害を社会の全成員の共通の利害として、すなわち、観念的に表現すれば、その諸思想に普遍性の形式を与え、それらの思想をただひとつ理性的で、普遍妥当的な諸思想として」示す力能、「ブルジョアジーの平均的利害に普遍的な形態を与える」力能、を意味するからとする。つまり、シビル・ソシェテⅡ市民社会は、スタティックにみれば「巾民間の諸関係」と「家族・諸身分・諸階級」の一定の組織からな

る「社会的編成」の二重性であるが、ダイナミックにみれば、支配階級が自己の特殊利害を社会の共通利害として示し、ヘゲモーーーを獲得しようとする「階級闘争の場Ⅱ舞台(アリーナ)」だと規定するのである(門頁)。そして、小松氏は、このソシエテ・シヴィルⅡ市民社会を経済的土台と国家との中間領域として位置ずけるとき、

史的唯物論を経済主義、基底還元主義したがって階級還元主義などの批判が妥当しないとする。なぜなら、このパラダイムにおいて、国家は、土台Ⅱ経済的構造の運動法則をソシェテ。シヴィルⅡ市民社会における階級闘争に媒介されてその表現・要約をなしとげるものであり、国家が土台にたいして「相対的自立性・自律性」をもつことができる。

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(25)

同時に、プ、レタリァートも、経済的土台そのものによって規定された腱史の発腿方向に依拠して対抗的勢力を術成

し、国民的-人民的へゲモーーーを創出しえれば、国家による市民社会の総括の仕方に「相対的に回律」して一定の比主主義的な形態を与える事ができるとするのである。つまり、シピル・ソシェテⅡ市民社会論は、構造論としては、「土台からの国家の相対的自律性」を承認し、動態論としては「支配階級からの国家の相対的自律性」を弁証するも、のとして、提示するのである(卯頁)。さらに、このシビル・ソシェテⅡ市民社会論は、『経済学批判」序言の「物質的生活の生産様式が、社会的生活過樫、政治的生活過樫および梢神的生活過陛一般を規疋する」巾の「社会的生活過程」に対応するとも主張される(M頁)。かくて、小松氏の結論は、「マルクスの史的唯物論は経済決定論ないし土台l上部術造直結主義といわれるような社会Ⅱ歴史理論ではまったくない」(Ⅲ頁)、また「戦後日本の市民社会論史においてビュルガーリッ上・ゲゼルシャフトにおいて仮託されていたl過重負但を担わされていた11市民的・政治的白山民主主義の継承と発腱という諜瓢はシビル・ソシェ一丁の二重性Iシトワイァンとしての市民附側係と鵬級Ⅲ関係との二重性を的確に把握することによって、はじめて、その正当な位世ずけをうることになる」(泥’7頁)とする。

論このような小松氏の、マルクスの社会Ⅱ歴史理論の新しい把掘と戦後日本における市民社会論の総括は、きわめて 膣刺激的なものである。再度柵柄すると、その雄本的主張は、第一に、マルクスの「ビュルガーリッ上・ゲゼルシャフ 祀卜」概念と「ソシエテ・シヴィル」概念を、「生産と交通」を現す物質的・土台的なものと「社会的編成」を現す上 、部構造的なものとして明確に区別すること、第一一に、このソシエテ・シヴイル概念を、「市民間の諸関係」と「階級

ル闘争の場」の一一重性としてそのダイナミクスにおいて把握すること、第三に、}」れによって、マルクスの社会Ⅱ歴史

理論たる史的雌物論における土台l上部構造関係を弁証法的に措定しなおすことである。では、この把掘は、マルク

(26)

二小松氏のマルクス市民社会論の検討

ここでは、以上のような小松氏のマルクス市民社会論の把握を考察することである。私自身この問題についてはす

でにいくつかの試論を現してきたが、小松氏は先の論橘のなかで私の過去の所論についての批判も行なっておられる。したがって、ここでは、まず私のこれまでの所論を愁皿しつつこの批判に答えること、次に小松氏の論説を検討し、マルクス市民社会論の理論構造についての私の新しい把握の前提としたい。

(9)

さて、私はこれまで、マルクスの巾民社△云論の理解について、いくつかの文献に著してきた。まず、『現代民主主義の思想』において、以下のことを指摘した。

イ、マルクスの市民社会概念には、大きく、(A)歴史貫徹的な広義の市民社会概念と(B)一八世紀に現れるプ

(川)

ルジョァジー社〈丞としての雌史的な狭鎚な市民社会概念があり、それは、「ドイツ・イデオロギー』の以下の二川 スの所説を全面的に解明するものであろうか。小松氏のこの新たな提起を検討することによって、マルクスの市民社会論がなにかをさらに追求したい。

(A)「これまでのすべての歴史的諸段階に当然存在した生産諸力によって規定され、逆にそれを規定しかえす交通

、、、、形態とは、市民社会(日の目「ぬの『一一nコの○の⑭の一一⑭。g津)のことである。……この市民社会が、全歴史の真のかまどであり、舞台である……。」(ご丘・・の.]い]『》同、『②頁)

(B)「市民社会という言葉は一八世紀に現れたが、その時というのは、所有関係がすでに古代と中世の共同体から抜け出しおえたときであった。市民社会それn体(ロ】のg『、の豊・ロの○のいの」』の9ロヰロ]のの○一・ゴの)はブルジョアと 定にみられる。

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(27)

マルクスの市民社会論

(D)「階級と階級対立のうえにたつ旧ブルジョア社会(口]【のロウ目『ぬの『一一○コの○の⑪の]]⑫n日溥)に代わって、各人の回山な発歴が刀人の岡山な発腰の条件であるような一つの協同体(の旨のシの②○国g一○コ)が現れる」(「共産党〕Ⅲ一言』、

巨向三・巴・←・「全集』、仙頁)。

したがって、》」}」には、「市民社会」から協同体に向かう、「古い市民社会l市民社会l協同体」と「階級社会lそ

の岐終形態としてのブルジョア社会l協同体」の二形態があること。それにより、市民社会概念は、前者においては、

、、、、協同的な生雌と交通の発展の観点から捉えられた「疎外的・擬制的な協同体としての市民社会」であり、再建するべき協同態の雄樅であり、後背においては、階級闘争の観点から捉えられた「敵対的な階級社会の鮫終形態としての

、、、、、、、、、ブルジョア社会」であり、打倒するべき対象であると、私は把握した。 しかし、一いて捉えた。(C)「労働者階級は、その発歴において、諸階級とその敵対関係を排除する一つの協同体(目の口朋(H甘口。□)を

もって、古い市民社会(一目Qの目のの8-の戚口蔓の)におき代えるだろう。そして、本来の怠味での政治椛力はもはや存在しないだろう。なぜなら、まさに政治権力こそ、市民社会(一口⑪月賦爪・旨]の)における敵対関係の

公式の要約だからである」(『哲学の貧肘」、昌一脇『の。の]口己昌。⑪og-Pシ○五の。。【のロ・]の田、「企災』四巻、川

頁)。 頁、-〆 ともにだけ発岐するのであるが、生産と交迦から直接に展開される社会的組織体は、いつの時代にも国家および

その他の観念的上部術造の土台をなしていて、たえずこれと同じ名前でよばれてきた」(ご丘・・の。-m一m・同、脇

マルクスはまもなく、この(B)ブルジョア社会としての市民社会を、さらに協同体に向かう二形態にお

(28)

以上のような、これまでの私のマルクス市民社会論の把握にたいして、小松氏はさきの論稿のなかで、以下の批判

的コメントを付けられた。すなわち、氏は、私のマルクス市民社会論の区分を紹介し、それにもとずく私の平川満川 概念」と規定した。 マルクスには、「これまでのすべての歴史的諸段階に当然存在した生産諸力によって規定され、逆にそれを規定しかえす交通形態とは、市民社会(日の目「ぬの1-・ずの○の⑭の』]の。g津)のことである。……この市民社会が、全歴史の真のかまどであり、舞台である……。」(『ドイツ・イデオロギー」)という規定に導かれる「市民社会史観」と、「これまでのすべての社会の歴史は、階級闘争の歴史である」(『共産党宣言」)という規定にある「階級社会史観」があること。ただし、この両史観は、マルクスにおいて内在的に紬接している。なぜなら、マルクスはなにより、「国家が市民社会と並び、その外にある特別な存在となった」(『ドイツ・イデオロギーご段階の市民社会としての近代ブルジョア社会の分析においてこそ、すなわち歴史的・階級的社会としての市民社会からの抽象においてこそ、歴史貫通的・協同的社会としての市民社会を位置ずけえた、と捉えた。

さらに、この二つの市民社会との関連において、私は、マルクスにおける市民と階級をつぎのように捉えた。その

巾比概念は、古典古代的巾以像を継承するルソーの観点に近く、「市民生活と政治生活を統一し、とくに政治的共M体の担い手としての市民」である。階級は、「ブルジョア社会の担い手たるブルジョア」と、「その椛力を奪い階級社

、、会それ自体を廃止するものとしてのプロレタリアート」である。ゆえに、「市民が将来にわたる市民社会の主体であ

、、、、、、り、階級がそこに向かう現在の階級社会の主体」であり、その意味で両者は「目的と手段として内在的に連関する つぎに、幻を散術した。 私は、以上の確認をもとに、とくに『マルクス思想の現代的可能性」第一章において、以下のようにそれ

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(29)

マルクスの市民社会論

氏への批判をも提示しつつ、私の市民社会論の展川は「マルクスにおけるビュルガーリッ上・ゲゼルシャフトとシビ

ル・ソシエテとの区別についての問題意識は欠如したままである。氏の民主主義論・社会主義論からすれば、上部柵

造としてのシビル・ソシエテという「独nな航域」を認めることのほうが、理論的な首尾一貫性を全うできるのではないかと考えられる」(M頁、註、⑰)、と。この小松氏の私のマルクス市民社会論把握への批判は、氏のいう「ビュルガーリッ上・ゲゼルシャフト」と「ソシェテ・シヴィル」を土台と上部柵造概念との規定を前捉として、マルクスの社会Ⅱ社会柵成休が、「交通と消凹の一疋の形態」ないし「生確・交通・川賀の一定の発展段階」としての「ビュルガーリッ上・ゲゼルシャフト」(締済的社会柵成休)+「家族・諸身分・諸階級の一定の組織」から柵成される「ソシェテ・シヴィル」+「国家」Ⅱ政治的国家という三伽域Ⅱ三層構成からなるとする観点からは、当然に妥当する批判といえる。この批判は、さらに、私のマルクス市民社会論の体系的認識、およびその認識と民主主義論・社会主義論の関係の不十分性を脂摘するものであった。なぜなら、私のマルクス市民社会論理解においては、第一に、国家を始めとする上部枇造の土台としての市民社会概念を、「歴史貫通的・協同的市民社会」と「歴史的・階級的ブルジョア社会」において区別する点にとどまっていたこと、第二に、ゆえに、ビュルガーリッ上・ゲゼルシャフトとソシェテ。シヴィルの区別は行いながらも、それを「協同体」への「階級的」於州と「協同的」荻樅においてのみ区別していたこと、第三に、したがって、まさに民主主義や社会主義を形成する「独自な航域」としての市民社会、つまりは上部椛造としての市民社会を光分に考察しなかったことにある。したがって、私は、小松氏の私への批判を貰菰な指摘として受け入れ、氏のマルクス市民社会論への問題提起を受ける形で、この課題への私なりの再把握を提示したいと思う。ただし、その前提作業として、まず、小松氏の問迦提起自体について、ここで股小川の検討をしておきたい。それ

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では、なぜこういう一元化が行われるのか。それは、小松氏が、まず、マルクスの土台I上部櫛造論の再構成の必要から、ビュルガーリッ上・ゲゼルシャフトとソシェテ・シヴィル概念を土台と上部構造概念としての峻別にあまりに急であったことに依るのではなかろうか。さらに、より一般的には、マルクスの社会Ⅱ歴史理論を、土台(ビュル イ、ビュルガーリッ上・ゲゼルシャフト概念の「土台」化氏は端的にいう、ヨドイッ・イデオロギー」におけるビュルガーリッ上・ゲゼルシャフト論は、一八世紀以降のビュルガーリッ上・ゲゼルシャフト概念の変遷を視野に収め、それを『生産と交通から直接に発展する社会的組織』ととらえ、『あらゆる時代に国家およびその他の観念論的上部構造の土台をなす』ものと定式化されたのである。したがって、ここにおいてマルクスのビュルガーリッ上・ゲゼルシャフト概念は、土台・上部構造論のうちに包摂され、すぐれて経済的柵造を意味するものとして純化されたといえよう」(冊頁)。だが、これは正確な解釈であろうか。すでに確認したように、『ドイツ・イデオロギー』には、市民社会(ビュルガーリッ上・ゲゼルシャフト)についての明確な二規定があった。すなわち、「生産と交通から直接に発展する社会的組織」、「あらゆる時代に国家およびその他の観念論的上部構造の土台をなす」市民社会と、十八世紀にあらわれ「ブルジョアジーとともにだけ発展する」市民社会が、区別されてが在するのである。前者は「雁史のかまどであり、郷台」すなわち歴史貫通的な「土台」としての市民社会であり、後者は「ブルジョア社会」としての歴史的一段階としての階級的市民社会である。疑いようのないこの規定を、小松氏のように、.八世紀以降のビュルガーリッ上・ゲゼルシャフト概念の変遷を視野に収め」(船頁)と触れるだけで、この概念を「土台」に一元化することはできないたろう。 は、以下の諸点である。

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