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公法抵触と国際租税法の端著と進展(結語) : 別の 視点よりする補足

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(1)

公法抵触と国際租税法の端著と進展(結語) : 別の 視点よりする補足

その他のタイトル Conflict of Public Laws; Origination and

Development of International Tax Law (Summary 2nd) : From Another Point of View

著者 本浪 章市

雑誌名 關西大學法學論集

巻 56

号 2‑3

ページ 577‑617

発行年 2006‑11‑30

URL http://hdl.handle.net/10112/12352

(2)

公法抵触と国際租税法の端著と進展

別の視点よりする補足

I

浪 ︵

結 語

(3)

序に代えて⁝⁝主権相互間の抵触解決規則という発想と国際私法 本 論

⁝ 国 際 私 法 条 約 の 有 り 様

︑ 即 ち

︑ 私 法 的 内 容 を 反 映 す る 諸 条 約 第一︱小括⁝⁝国際取引法の体系化と国際租税法のそれへの編入

(4)

公 法

抵 触

と 国

際 租

税 法

の 端

著 と

進 展

結 ︵

語 ︶

一九六三年度版では︑租税準拠法にたっぷり

第五三巻四•五合併号で触れたように、国際私法は僅少の条文数と連結点を介して準拠法を指定する操作が単純で ある反面︑実質法制度に比して特異な総論的課題を発案し︑派生させ︑反致︑法性決定︑公序等︑種々の論点を開示 し︑それらの解決策を模索し︑その結果︑肯定的に云えば︑国際私法自体の内部的深化を達成し︑批判的に云えば︑

他分野からは閉鎖的と感じさせる程の内部的沈潜に自己満足したが︑二十世紀初頭には学問上一応の体系化を確立し

を 遂

げ つ

つ ︑

それではアメリカ抵触法の状況はどのようであったか︒もちろん州憲法や民事法等と同様に︑抵触法も各州毎に定

(2)(3) 

立されていたから︑州籍相異者間訴訟︑私権にも影響する連邦憲法上の諸問題︑諸州の管轄権等について独得な発展

アメリカ法律家協会や︑ビールたちの努力の末︑抵触法第一リステートメントによって︑合衆国を通じ ての標準的な条文形式の説得的法源ともいうべきルールが提示された︒

一九三四年のことである︒その後の合衆国学

説の推移を必ずしもポピュラーでない概説書を参照して探索すると︑

( 5 )  

章二六頁を割いているスチムソンは︑公序にも同様に二五頁を費やしているが︑反致と法性決定には僅か数頁を当て

( 6 )  

ているに過ぎないし︑逆に租税について全く一頁も割かないスタムバーグは︑公序にさえ数頁︑法性決定や反致には 注で触れているだけである︒このような傾向を︑本学におけるグロスフェルト教授の講演はいみじくも次のように指 摘している︒﹁アメリカでは︑抵触規定を適用する際の前提となる︑法律関係の性質決定に関する理論について︑こ

( 7 )  

の理論は﹃からくり﹄にすぎず︑形式的な連結点が恣意的に決定されるとの批判がある﹂と喝破し︑これをヨーロッ ていたと云えよう︒

序に代えて

三一五

︵ 五

七 九

(5)

三一六︵五八

0 )

( 8 )  

パとアメリカの文化的︑地理的差異に帰しているが︑ここほど左様に︑第ニリステートメントにおける新アプローチ 導入以前においてさえ︑法性決定や反致の論議に熱心でなかったことが看取される︒英国ではヨーロッパ諸国と同様

( 9 )  

に 六

0 年前後の段階では法性決定や反致に関する諸判例をめぐって論議が交され︑興味が示されてきたのと対照的で

ある︒それはさておき︑上記のアメリカの状況に想到するとき︑州際租税法への関心が強ければ︑総論的課題等への 追求に消極的であるとか︑逆に租税法を無視している学究は総論に一意専心するというようなことは全くない︒州際 課税への関心は総論へのそれに比例も反比例もしないのである︒

こ れ

に 対

し て

ける外国人への課税﹂

( 1 0 )  

ヨーロッパでは二十世紀前半のハーグ・アカデミーにおいて国際二重課税のみでなく︑外人法に近

( 1 1 )  

似した﹁租税法の観点よりする外国人の地位﹂も演題とされていたし︑戦後にあっても︑

BYBIL

で﹁国際法にお

( 1 2 )  

への言及があった︒しかし︑抵触法的現象である二重課税に関しては︑諸国の経済発展の格差︑

租税制度の相違から︑課税主張の重複を排除ないし回避するためには︑二国間条約の締結が妥当であるとして︑

ル条約が解決の指針とされた︒租税法学の新たな創設と発達並びに行政当局ことに財務官僚の関与の必要性がこれを

決定的なものとした︒

これに対して︑国際私法は各国における判決の一致と︑法廷地に係わらない均一的救済の希求が根底にあった︒む しろ統一条約による抵触解決を相当とする風潮は初期からあった︒それと必ずしも連動したと云えるかは疑問である

( 1 3 )  

が︑当時の国家主権の観念の高揚との関連から︑活発となった国際私法の本質論では︑立法権は主権の作用であり︑

( 1 4 )

1 5 )

 

その範囲の画定は主権相互間の関係を規律するものであるから︑国際法でなければならないとの所説がチーテルマン によって提唱されたが︑実際のところは各国が任意に自国法たる国際私法を定立しているのが現状であった︒

関法 第五六巻二•三号

(6)

公法抵触と国際租税法の端著と進展︵結語︶

少なくとも一九七三年以前の国際私法条約に関しては︑法律学全集の﹃国際私法︵総論︶﹄において︑池原教授が

( 2 1 )  

完全かつ網羅的に説述し︑ことに詳細にして該博な注は他の追随を許さず︑われわれを圧倒する精密さであるから︑

それを参照すれば足り︑筆者は典拠とするだけで︑付加すべきことはない︑本稿で触れておきたいのは︑単に二つの

り多数国間条約が最良の方法ということである︒

時代の進展につれて︑国際法に密着していた主権という言葉の栓桔からの解放という想念ないし期待が︑国内法論 者にも国際法論者にも内在していたのかも知れない︒わが国でも﹁人類の普遍的法的共同体﹂という盪惑的な表現を

( 1 6 )  

用いたジッタに同調する田中耕太郎博士はその﹁世界法の理論﹂で諸国私法の不統一を前提として︑人類の普遍的な

( 1 7 )  

生活関係を規律するに当たって︑国際私法は世界法をとしての機能を果たすと提言した︒確かに︑国際私法の規律の

8 ) ( 1  

対象は私法的法律作用であって︑国家間の関係でないとの思索は正当かつ貴重である︒しかし︑世界に共通する統一 国際私法が形成されない限り︑個別国家の抵触規則を世界法と云うことになり︑敢えて主権国家とは云わないまでも︑

世界中の法域の数だけ世界法が存在するという奇妙な現象が起こりえよう︒いずれにせよ︑﹁世界法の理論﹂は国際 私法の本質論に関連して提唱された学説と理解されており︑なぜ国際私法が超国家法と云いうるかに疑念を禁じえな い︒グレーヴソンもジッタをチーテルマンと共に国際説に分類している︒戦後早い段階で︑名著﹁国際私法の統一 性﹂を公刊された折茂教授は︑現在の実定国際私法の諸規定はひとつの過渡的な形態として存在しているに過ぎない

( 2 0 )  

とされる︒教授の論述には何人も讃辞を惜しまないが︑筆者の強調したいのはただ国際私法の統一に近づくにはやは

三一七

︵ 五

八 一

(7)

三一八

︵ 五

八 二

︶ 事柄である︒その︱つは︑国際私法条約の濫腸には︑付随的にではあるが︑近接領域についても関心が示されていた 事実に注意を喚起しておきたいこと︑次に︑国際私法自体にとってはより重要な懸案であるが︑折りにふれて筆者も

( 2 2 )  

接点を有して来た属人法の基準をめぐる若干の創甑と対立およびその調整の進展ないし変遷などを簡明にまた解説的

一見単純そうな事柄さえ︑その統一ないし解決の至難なことを例証しつつ︑それにも拘わらず︑条約締結

一 八

八 九

年 ︑

にむけての経緯や努力︑および具体的な条約の存在そのものの有意義さを強調しておきたいこととの双方である︒

( 2 3 )  

一九世紀末葉︑均質的なラテン・アメリカ諸国に国際私法統一の機運が芽生え︑リマ会議を経て︑

モ ンテヴィデオ会議において、国際•刑法、著作権法等々に関する条約案と共に、国際・民法、商法、訴訟法のそれぞ

( 2 4 )  

れに関する条約案が採択された︒前者には商標権︑特許権等々も含まれている︒池原教授はもちろん︑これらを国際 私法条約としては認知されてはおられないが︑中南米はこれらを渉外的な生活関係の規律の一環と見ていたことの証

( 2 5 )  

左であるし︑一八八三年の工業所有権保護に関するパリ条約や︑一八八六年の文学的および美術的著作物に関するべ

( 2 6 )

2 7

)

2 8

)  

ルヌ条約︵意外にも初期には工業所有権法に関しても︑著作権に関しても︑二国間条約がある︶に触発されたものと 思われる︒しかし︑著作権法学者に依れば︑南米国際私法会議により推進されたモンテヴィデオ条約は︑もちろん小

( 2 9 )  

規模とはいえ︑やがて現代の万国著作権条約に繋がって行くが︑これと対照的に︑パリ条約の方はブラジルと︑他の 南米諸国の母国スペインが一八八四年に加盟した位であった︒これはラテン・アメリカのヨーロッパ諸国への対抗意 識に帰すぺきものであり︑むしろ知的財産権に関する意気地さえ感得される︒

これに対してアメリカ合衆国も参加している第六回汎米会議の成果として︑

バの法学者ブスタマンテの名を冠した法典は︑総則

( ‑

I 八︶︑国際民法︵九ーニ三一︶︑国際商法︵二三ニーニ九

に 追

跡 し

法 第 五 六 巻 ニ

・ 三 号

一九二八年ハバナで採択され︑キュー

(8)

公法抵触と国際租税法の端著と進展︵結語︶

五︶︑国際刑法︵二九六 I

三一三︶︑国際訴訟法︵三︱四ー四三七︶の全四三七条からなり︑中南米十五ヶ国の批准を

( 3 0 )  

得た︑永遠に語りつがれる一大法典である︒国際刑法は当時の流行を︑国際民訴法の重視はさきがけ的で現代的意義

を 感

じ さ

せ る

( 3 1 )  

斉藤︵武生︶教授は二九五条までを訳出され︑国際刑法と国際民訴法に関する百四十二条分の翻訳を省略し︑これ らは公法的なものが多いので切り離して研究するのが適当として︑我々の関与を国際民商法の範囲に限定されている︒

当時の範囲論の状況を窺うに足るが︑その代わりに属人法に関する祖述に力点を置かれている︒

属人法については︑法規分類学説のもとでの人法が︑物法や混合法のような属地的な法規と異なり︑人がいずこの 地に赴いても︑常にその人に追随して適用される法とされていたことに︑

サヴィニーによって法律関係の本拠説が提唱された頃には︑中央集権的な近代国家の成立と相侯って︑

ルーツがあるとする立場が多い︒しかし︑

( 3 2 )

3 3

)  

マンチニ等に

よって本国法主義が鼓吹されるようになり︑人の身分や能力のような︑特定の法律関係に適用される法規として︑人 が恒久的に結び付けられる法というニュアンスをもつに至った︒本稿は属人法の定義を云々する目的はなく︑ブスタ マンテ法典の総則における本国法主義と住所地主義の関係に簡単に触れるに止める︒即ち︑同法典第七条は﹁各締約 国は属人法として住所地法︑本国法又はその内国法によりて既に採用せられ︑もしくは将来採用せらるべき法律を適

( 3 4 )

3 5 )

 

用す﹂と規定している︒斉藤教授は法典の邦訳に止まらず︑ブスタマンテ教授が︑両主義の解決調和策として考えた

︑ ︑

︑ ︑

原案において推奨を惜しまなかった方法として次のような提案を掲げている︒﹁各締約国は外国人民に対し其の所属

︑︑︑︑︑︑︑︑︑ヽ

( 3 6 )

国の採用する主義に従い住所地又は本国の国内的公序法を適用す︒﹂つまり偶然に定まる法廷地抵触法によらないで︑

一旦外国人当事者のそれぞれの所属国︵本国︶法に送致し︑本国の抵触法の主義に従い︑再致のような形にはなるが︑

三一九

︵ 五

八 三

(9)

三 ︱

1 0

結果の統一性の確保に腐心し邁進したのであるが︑主催国のキューバや当時のブラジル われわれに最も重要なハーグ会議は第二次世界大戦の前後暫く開催されなかったが︑

︵ 五

八 四

はともかく︑移民受入国である中南米は住所地主義国が多いし︑会議中にはウルグアイやアルゼンチンの代表によっ

( 3 7 )  

てプスタマンテの提案は排斥され第七条の形式に修正されたのである︒

された︒偶々︑斉藤教授が代表になられ︒□有体動産の国際的性質を有する売買に関する条約案︑口外国の会社・

社団•財団の法人格の承認に関する条約案、四民事訴訟に関する条約案、固ハーグ国際私法会議規程案に交じって、

( 3 8 )  

教授にとって打ってつけの議題として︑□本国法と住所地法との抵触を規定する条約案があった︒もちろん当時で も︑学究は声高に反致反対をぶっていたが︑条約や立法では現在のような割切った態度は定石ではなく︑本国法主義 と住所地法主義の共存を前提に論理を馳使する傾向が持続していて︑無限循環を断ち切りさえすれば調和が達成され るとの思考が根底にあったように思われる︑そこで︑住所地国が本国法を指定するとき︑本国が住所地法を指定すれ ば︑住所地実質法が適用されるとして︑住所地法適用段階で送致は打ち切られ︑準拠法が確定する︒それ以外はより 簡単で当事者の住所地も本国も共に住所地法を指定するときは住所地実質法が適用され︑住所地国と本国が共に本国 法を指定するときは本国地実質法が適用される︒しかし︑わが国はもちろん大陸法系諸国も条約所定のような思索を 一応実施している上︑条約がことにユニークな方法とは思われないし︑条約の想定外のこと︑即ち︑準拠法所属国の 抵触規定が︑例えば︑不動産所在地法とか婚姻挙行地法として内国法を指定することが起こりうるから︑条約とは無 関係に現実的処理のなされるのは必至だし︑条約採択はメリットに乏しい︒

むしろ︑興味を抱かせるのは第五条である︒同条は次のように規定する︒﹁この条約において︑住所とは人が常時

関 法 第 五 六 巻 ニ

・ 三 号

一九五一年第七回会議が開催 ︵

後 ︑

住 所

地 法

主 義

に 変

更 ︶

(10)

公 法

抵 触

と 国

際 租

税 法

の 端

著 と

進 展

︵ 結

語 ︶

居住する場所である︒ただし︑その住所が他人の住所又は公の機関の本拠地によって決定されるときは︑この限りで

( 3 9 )  

ない︒﹂前段がことに斬新である︒本来住所観念の決定問題は︑法性決定が準拠法指定の前提となるのと異なり︑法 廷地抵触規定の適用に際して問題となる後決的な連結素の決定問題であるところ︑国籍は法廷地法によって付与され るわけではなく︑国籍所属国法の決定に侯つのと同様に︑住所決定についても︑住所ありとされる場所の法律によっ

( 4 0 )  

て決定されるとする領土法説も有力であり︑法廷地法説が拮抗して推奨されている現況にも拘わらず︑斉藤教授は領

( 4 1 )  

土法説を採っておられたので︑その趣旨の提言をされた︒ただ︑本条約は一九五一年という早い時期であるにも拘わ らず︑住所観念決定に関する論争を回避して︑条約中で住所の定義をしようとした点で︑相当に画期的かつ先進的な

( 4 2 )  

試みであったと考えられる︒後段は従属住所や法定住所まで念頭におき︑これに配慮しているしたたかさもある︒そ

の 上

︑ 英法のように永続的な居住意思と居住事実がなければ住所でないとしている立場に対し常居所であれば足りる とした強硬さと︑逆に妻や子の従属住所のような批判のある制度にも対決しない柔軟さを示す︒いずれにせよ︑住所

︑ の定義を条約自身が行い︑それは常居所地であると明言した意義の大きかったことは︑今改めて認識できる︒

第七回ハーグ会議のときは大学院で斉藤教授の直接の指導下にあったが︑諸般の事情で一九五六年の第八回ハーグ 会議前後︑暫く川上神大教授の指導を受ける機会に恵まれた︒その最初が子に対する扶養義務の準拠法に関する条約 案についてであった︒条約よりむしろ会議の趣旨に関する仏語正文を読んだと思う︒当時は未だ戦後の混乱期で人々 の移動も激しく︑また外国軍隊の駐留もかなり長く続いたので︑巷間には要扶養者である未成年子の生活保持ないし 保護義務が社会的緊急事となり︑その救済は人道上要請される事柄とされた︒外国要員は経済的には比較的恵まれた 立場にあったから︑扶養請求を容易にするため︑親子関係に影響を及ぼさないよう配慮が加えられた︒第五条の規定

︵ 五

八 五

(11)

一応婚外親子関係の確定した親子関係につい

§ 

戦後の荒廃した地域で産み落とされた子の扶養を主目的とするものであったから︑傍系血族とは当然に関係はない︒

親子関係の確定との遮断は︑父親の扶養義務の履行を容易に達成することを主目的とする条約にとって極めて肝要な

規定と思われた︒然るに︑暫定的な措置としての役割を担うはずのこの条約が︑扶養義務の準拠法設定への意外な転

換点となる二要素をごく自然な形で導入していたのである︒即ち︑扶養権利者中心と常居所地主義という︑わが国の

学説が当時全く想定していなかった二原則を既に措定していたのである︒第一条前半部分は次のように規定する︒

﹁子が扶養を請求することができるかどうか︑どの程度まで請求することができるか及び誰に対して請求すること

( 4 5 )  

子の常届所地に変更がある場合には︑その変更の時から新たな常居所地の法律を適用する︒﹂

本来︑旧法例下のわが国は夫婦間の扶養は婚姻の一般的効力に関するものであり︑ したがって︑その準拠法は

︵旧︶法例︱四条によって定められるものとされ︑親子間の扶整は原則的に父または母の本国法によるとの立場が一

般に採られてきたし︑折茂教授は本条約の使命とは別途の事案︑即ち︑

てであるが︑次のように記述されている︒﹁もしも近時における諸国の実質婚外子法の発展に︑父と推定されるもの

の扶養その他の財産的責任を強化するという一般的動向がうかがわれるものとすれば︑国際私法上の親の属人法主義 ができるかは︑子の常居所地の法律によって定める︒ ﹁この条約は傍系血族間の扶養については適用しない︒この条約は︑扶養義務に関する法律の抵触についてのみ規 ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ 律する︒この条約を適用して行われた決定は︑扶蓑義務者と扶養権利者との間の親子関係又は親族関係の確定に影響 ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ を

及 ぼ

す も

の で

は な

い ︒

は次のようである︒

関 法 第 五 六 巻 ニ

・ 三 号

︵ 五

八 六

(12)

公法抵触と国際租税法の端著と進展︵結語︶ 一九三七年法以来引き続き命脈を保っていたし︑租 をあくまで固執すべき理由はおそらく見出されがたい︒実際にまた︑今日の国際私法立法において︑子の属人法主義

( 4 6 )  

を宣明するものが次第に増加しつつあることは︑すくなからず注目にあたいする︒﹂

本条約では婚外親子関係の法的成立そのものを不要としつつ︑扶養準拠法として子の属人法主義を公然と標榜した

それと同時に連結点として扶養請求者の常居所主義を前面に打ち出したのも示唆的である︒常居所の評価にもよる

が︑子の常居所地の変更を原則としている点にかなりの感懐を覚える︒属人法という表現には相当程度の恒久性への

指向があった︒相対的であるとは云え︑常居所地法の採用は︑①属人法そのものからの離脱︑即ち︑属人法よさよ

うならのニュアンスはないのか︒属地法と考える立場もなくはない︒②本国法との決別︑住所地主義への傾斜︑そ

してその観念決定の依り所を常居所に求めた︒しかし︑遺言の方式条約では︑住所とは別途に常居所という連結点も

使用している︒③本国でも住所地でもない属人法の第三の基準としての常居所という連結素が開発され導入された︒

以上︑三つの考え方が可能であるが有力なのは田共通本国法のないとき代用法として共通常居所地法を適用するわ

が法例の考え方に即すれば︑あくまでも属人法であるとする立場である︒以上① i ④のどの立場も必ずしも完全に納

得のいく論理を開示してはいない︒しかし︑常居所地法主義への期待は定着しつつある︒

それはともかく︑その頃の最終目標は属人法の基準に関する比較研究であったように思われる︒

︵ 司

会 お

よ び

独 法

︶ ︑

早 田

︵仏法︶︑妹場︵米法︶三教授と共に筆者は英法を分担した︒その時点の感触では︑英国内

での住所についてのかなり凄まじい批判にも拘わらず︑英法の住所地主義は牢固として抜き難いというものであった︒

日 常

︵ 通

常 ︶

意 義

は 深

い ︒

の居所は婚姻事件法において果たすぺき役割から︑

︵ 五

八 七

︶ 一九六三年︑川上

(13)

記 上

か ら

一九七四年妻の独立住所が認められた結果︑その後の論点は︑

( 4 7 )

4 8 )

 

従来の日常の居所と新しい観念である常居所の同視の可否に移行し︑貴族院判決にその帰趨が委ねられた︒わが国の 法例改正審議会が紆余曲折を経たのは︑規定そのものであり︑住所が常居所にとって代わられたのは急転直下の感が あって︑法例改正前の相当の期間︑住所という表現が持続した︒常居所についてはわが国では五年間の居住と云うふ うに期間にこだわる意見もあり︑明確化には資するが︑常居所と云うのは︑本来︑居住態様を表示するものであるこ とに注意を喚起しておきたい︒五年というのは貴重であるが︱つのメルクマールであるにすぎない︒

また一九六 0

年の第九会期ハーグ国際私法会議は遺言の方式の準拠法に関する条約案を採択し︑わが国は一九六四 年︵昭和三九年︶に遺言の方式の準拠法を制定した︒さらに一九八六年︵昭和六一年︶には︑

期の成人の扶養義務の準拠法に関するハーグ条約を批准し︑国内法化した︒この段階でハーグ国際私法条約受容にむ けての︑積極的な姿勢が見られた︒もっとも︑グレーブソン教授を座長として締結された一九六八年の第一︱会期の 離婚および法的別居の承認に関するハーグ条約案に︑連合王国は一九七

0 年に署名して内国法の一部とし︑さらに独

( 5 0 )  

自の離婚および法的別居の承認法をも作成している︒わが国は外国離婚判決承認のための間接的管轄権に関する最高 裁判決が既に確定していたので見送ることになる︒本稿ではこの三つの条約案について論及することはせず︑次年度 に改めて取扱いここでは以下の主要な感想を提示しておく︒

ハーグ国際私法条約は国際民訴関係は特別取扱うが︑主としては渉外的私法関係の典型的な事項につき︑

時代の趨勢を踏まえ︑抵触規定の在り方を入念に検討し︑完結的かつ充分な条約を提示してきたので︑わが国でもこ

れを受容する機会が推進された︒しかし︑あくまでも純粋な私法抵触解決を中心とするものであるから︑公法抵触は 税法でも使用されていた記憶もあるが︑国際私法では︑

関法第五六巻二•三号 三二四

︵ 五

八 八

一九七三年の第ニ︱会

(14)

公法抵触と国際租税法の端著と進展︵結語︶

念頭になく範囲外に置かれることはいうまでもない︒これに対し︑リマ条約やモンテヴィデオ条約を結んでぎた初期 の中南米の殆どの国はパリ条約にもベルヌ条約にも直接加入しない代わりに︑私的権利ことに知的財産権に影響を与 える渉外的法律関係に包括的に関心を示してきたように思われる︒国際民訴や国際刑法への関心についてはブスタマ その頃には︑諸国の民事法は法典化が完成してしまっていたので学説上の進歩発展は行われたが︑新解釈を反映す

るのは主として判例をまつ以外になかった︒抵触法は内部的理論の構築や探究を計ることには専念したが︑実質法と の峻別を強調する余り︑そうした実質法の域内変動︵但し家族法には敏感︶を直接反映しなかった︒そこで抵触法の 狭小性に反発した学究が本来の主要課目である刑法の抵触を認識した国際刑法や︑斬新さで魅了する国際著作権法に 触手を伸ばしたと考えられる︒しかし︑時代の進展と共に純粋な民事関係自身もその多様化︑複雑化︑相関性︑多面 性を加速していった゜従って︑私法事件だけでもその解決に忙殺されざるをえなくなった︒ごく最近の判例評釈を瞥

( 5 1 J

5 3

5 4 )

見しても確かに本来︑主要テーマとされてきた債権譲怖をはじめ︑債権者代位権︑保険代位︑弁済の通貨︑船舶先取

( 5 5 )

5 6 )

5 7 )

5 8

)  

特権が並ぶ︒しかし︑それと同様に筆者の世代とは若い学究によって債権質︑自動車の所有権の他に︑著作権の譲渡︑

( 5 9 )

6 0

)

6 1 )

6 2

)

6 3 )

6 4 )

6 5

)  

特許法上の職務発明︑特許権の効力︑間接保有証券の権利の移転︑並行輸入と云った平成判決が目白押しに看取され︑

しかも︑明確にこれらに対しても抵触法的解決が論じられている︒それはそれで価値多きものである︒こうした現象

( 6 6 )  

はモースが英国裁判所の管轄権行使に関連して商業信用状の準拠法を考察した事案を連想させる︒

( 6 7 )

6 8 )

6 9 )

 

もちろん︑租税法抵触の解決には国際私法的手法は無関係である︒しかし︑法律問題との関連で租税回避の判例に

も言及されたグレーブソン教授の教科書は齋藤閣教授によれば没後になお読まれている概説書の︱つであり︑また前 ンテ法典でも見た通りである︒

三二五

︵ 五

八 九

(15)

てなされるべき債務に対して︑

つその支払が外国においてなされるべき債務にたいして︑外国法を適用することを拒んでいるのについて︑

とくに批判している︒すなわち︑

諸国家の間の国際的共同の要求にたいする全面的な無理解と︑同時にまた︑精神のいちじるしい狭溢さとを表示して

( 7 1 )  

い る

の で

あ る

﹄ と

︒ ﹂

晩年において属地主義的でありながらも国際私法の普遍性ないし国際協調の理念を貫いているニボワイエであれば

︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑

こそ︑国際条約による二重課税の調整を創唱しえたことに思いを至すべきであろう︒

二十世紀前半は国際交流の停滞と相互依存関係の後退の中にも︑国際私法体系の固定化は進捗した︒その当時ハー グ・アカデミーでは︑公法抵触としての租税法の抵触解決や︑外人法としての国内租税法を把握する試みが行われた︒

しかし後半に入ると︑急速な経済発展︑技術革新︑情報伝達革命︑女性参加と社会の構造基盤の変化は︑生産活動お よび家庭生活の変貌や法律関係の多様性と複雑化を促進し増巾し︑国際私法学は問題意識の豊饒さのゆえに︑民事訴

第 二 小 括

﹁ ニ

ボ ワ

イ エ

は ︑

記のハーグ・アカデミーにおける講義で租税法の抵触解決を提言されたニボワイエ教授は不幸な時代の影響で国家主

( 7 0 )  

義的と思われているにも拘らず︑折茂教授に依れば︑そのフランス判決の判例批評において次のように言及している

一 方

に お

い て

︵ 五

O )

フランス法によって規律されかつその支払がフランスにおい フランス法を適用することを認めながら︑他方において︑外国法によって規律されか

つぎのご フランスの判例は︑右のような態度をとることにより﹃野性的な国家主義的精神と︑

フ ラ

ン ス

の 判

例 が

︑ 事実にその偉大さを再認識させられるのである︒

関 法 第 五 六 巻 ニ

・ 三 号

三二六

(16)

公法抵触と国際租税法の端著と進展︵結語︶

訟法を除いて︑他領域への関心の稀薄化を正当視してきた︒従って︑国際私法条約も時宜に適した議題であり乍も︑

かなり基本的かつ原則的な解決を提示しているのが多いように思われる︒しかもなお︑改革をリードする牽引力を認 めないわけにはいかない︒例えば︑本稿でも指摘したように︑常居所地主義の導入や扶養請求者優先を提示している ごときである︒但し条約の検討に没入したから︑あるいは総論的課題を重視するから︑国際租税法や国際知的財産権 法などを考察する余裕がないと弁明する人は居ない︒けだし︑わが国では範囲論で国際租税法や国際知的財産権法は 当初から除外されていたからに過ぎない︒もちろん︑国際私法はそれ自体で見事な体系であるし︑国際家族法のみで も国際民法のみでも︑それ自体で生き残れることは否定しない︒しかし︑諸国の経済関係の加速度的緊密化は国際取 引法の重要性を倍増し︑その研究の必要性を否応なく認識させた︑国際私法関係者で当時の諸現象に着目して先進的 でユニークな研鑽の結果を提示したのは山田閲教授や山手叩教授であり︑ほぼ同時期に佐野教授は︑国際取引や国際 技術移転の公法的規制にも言及しつつ︑山田鋤教授との共著として抵触規定をも含めた国際取引法の体系化をほぼ達 成し︑教科書として我々を啓蒙するものとなっている︒また高桑教授も江頭教授との共著によって国際取引法の体系 化を完成された一人である︒その特色は共同執筆者たちが各分野のスペシャリストであって学際研究の成果として権 威ある標準書となっている︒松岡教授もそれぞれの領域について一級の諸学者を配して総括され我々を教導するを概 説書と︑同時に独自の高水準の基本書を公刊されている︒前者には国際租税法も編入する用意が示されていて心強い︒

更に筆者にとっての最近の朗報は渡辺閻教授と野村教授編著による﹃国際取引法﹄

の上梓である︒執筆者全員が国際

私法学者によって執筆され︑広範にわたる論題がその専門分野や精通領域に応じて適切に分担され︑それぞれが新鮮︑

高度︑該博︑精密︑意欲的に対処しつつ︑国際取引法の体系の構築に見事に奏功している︒もちろん︑抵触法的アプ

三二七

︵ 五

九 一

(17)

( 1

)  

知財も包摂されているのに共感なしとしない︒

三 二 八

︵ 五

九 二

︶ ローチがそのまま妥当する項目︑統一法や世界機関の規則が抵触法と接点をもち関与する側面︑信用状のように抵触 法原理も関与可能な分野︑紛争解決に際しての管轄権の重要性と準拠法要件の稀薄性︑本案への適用法規には無縁な 仲裁にも付託準拠法の考察の必要性などもあって一概には云えないが︑抵触法的発想と全く隔絶され︑遮断された独 自の領域も多かろう︒いずれにしても国際取引と適用法規︑消費者保護法︑統一売買法︑運送︑保険︑決済︑電子取 引︑金融︑投資︑独禁︑証取︑知財︑課税︑貿易機関︑紛争解決の書式等が取扱われていることが確認され︑課税︑

こうして︑松岡︑高桑︑渡辺閻︑佐野︵順不同︶各教授は国際私法学者として既に重きをなす人たちであるが︑同 時に国際私法を通ってと云うよりも︑国際私法を着実に踏まえて︑国際取引法の体系化を実践されたことになる︒し かし︑国際租税法自体がその体系に組込まれるか否かも︑その体系を完成された方々の自由だし︑筆者が他分野の多 数の専門家たちに混じって国際租税法の一隅を担いたいとの願望をもち続けるのも自由である︒

州 籍 相 違 者 に つ い て は

︑ 田 中 英

夫 他

﹃ 英 米 法 辞 典

﹄ 二 六 六 頁 ︵ 東 大 出 版

︶ 参 照 ︒

D i v e r i s t y   o f   c i t i z e n

s h i p   ( 訴 訟 当 事 者 の

︶ 州 籍 の 相 違

□ 原 告 と 被 告 が 異 な る 州 の

c i t i z e

n 市民であること︑すなわち︑異な

る 州 に

d o m i c i l e

を有すること︒合衆国憲法第三編二節一項と法律の規定により︑連邦の司法権は︑﹁相異なる州の市民間の 争訟﹂であれば︑州法の適用が予定される事件にも及ぶ︒この連邦裁判所の裁判権を

D i v e r i s t j y u r i s d i c t i o

n  

( 州 籍 の 相 違 に 基づく裁判権︶という︒この種の事件は︑州裁判所にも競合的管轄権があるが︑原告が州裁判所ではなく連邦裁判所に訴え を提起した場合︑および原告が州裁判所に訴えを提起したが被告の移送

( r e m o v a l )

の申立てがなされた場合には︑連邦裁

判所に係属する︒これを

d i v e r s i t y o f   c i t i z e n s h i p   c a s e

ー ー ー ま た は

︑ 単 に

d i v e r s i t y c a s e

(  

州 籍 の 相 違 に 基 づ く 訴 訟 ︶

I ー

と よ

両当事者間の州籍の相違は完全な相違を要求され︑ 関法第五六巻ニ・三号

例 え

ば ︑

原告の一人が被告の一人と州籍を同じくすれば

d i

v e

r s

i t

y

(18)

公法抵触と国際租税法の端著と進展︵結語︶ c a s e

は成立しない︒このことは︑一八 0 六年の最高裁判所判決以来認められていることであるが︑一九六七年の判例はこ

れは憲法上の要件ではなく︑法律の明文でこれと異なる定めをすれば変更できるとした︒法人は︑設立された州と

p r i n c i ‑ p a l   p l a c e   o f   b u s i n e s s   ( ,   王たる事業所︶のある州双方の

c i t i z e n

とされ︑さらに(‑九六四年の法改正により︶責任保険の被

保険者を被告とすることなく直接保険会社を訴えた事件では︑当該保険会社は被保険者が市民である州の

c i t i z e n

でもある

とされている︒これらの定めは︑

d i v e r s i t

0 の成立する範囲を狭める効果をもつ︒現在(‑九九 y

年 ︶

︑ 法 律 の 制 規 に よ り ︑ この訴訟を連邦地方裁判所に提起するためには︑訴額が五万ドルを超えていなければならないとの制限がある︒

このような事件の裁判権を連邦裁判所に与えた理由については議論があるが︑憲法制定当時︑州裁判所の他州民に対する

不公平な裁判が懸念されたためといわれる︒しかし︑そのような懸念の消滅した今 H ︑

d i v e r s i t y c a s e

は連邦地方裁判所に

提起される民事事件の二 0

ー ︐ 三

0 %を占めるところから︑連邦裁判所の負担軽減のため︑その廃止または縮減を求める意見

が強く︑そのための立法の試みも何度かなされている︒

( 2

) 例 え ば ︑

f u l l f a i t h   a n d r e   c d i t   c l a u s e

c o m m e r c i a l c l a u s e

が関係してこよう︒十分な信頼と信用︵相互信頼︶条項につい

ては︑田中英夫他﹃英米法辞典﹄三六九頁︵東大出版︶参照︒

f u l l   f a i t h   a n d   c r e d i t

十分な信頼と信用□合衆国憲法四編一節の第一文﹁各州は︑他州の法律︑記録および司法手続に対

して︑十分な信頼と信用

( f u l f a l i t h   a n d   c r e d i t )

を与えなければならない﹂のなかに出てくる文言で︑この規定を

f u l l f a i t h   a n d   c r e d i t   c l a u s e  

(十分な信頼と信用条項︶とよぶ︒アメリカ合衆国が連邦制を維持しつつ︱つの国家として機能するため にきわめて重要な条項であり︑この規定により︑州際私法上準拠法となる他州法の適用︑

j u r i s d i c t i o n

(裁判権︶のある他州

の判決の承認などが︑各州に義務づけられる︒ u

m i g r a n t   d i v o r c e  

なお︑十分な信頼と信用条項に関する初期の重要判例である

F a u n t l e r o y v .   L u n  

210 

U .  

S .

  2

3 0

L  ,   52 

E d   1 0 3 9 ,

  2

8

  S 

C t   641 

( 1 9 0 8 )

および

F a l l v•

E s t i n  

216 

U . S .   1 

( 1 9 0 9 )

については拙著﹃国際身分法序説﹄︵関大出版︶中の﹁十分な信頼と信用条項

と他州離婚の承認﹂の三五二頁を見よ︒

( 3

)

通商条項については︑鴻常夫

1 1

北沢正啓編︵商事法務研究会︶﹃英米商事法辞典︵新版︶﹄参照︒

c o m m e r c e l   c a u s e

︻通商条項︼アメリカ合衆国連邦憲法一条八項一二文のことで︑﹁︵連邦議会は︶外国との間の︑またい

くつかの州の間の⁝⁝通商

( c o m m e r c e )

を規律する︵権限を有する︶﹂と規定する︒この一条八項が︑州の立法権限に対立

三二九

︵ 五

九 三

(19)

する意味での連邦議会の権限を列挙していたのであるが︑合衆国の国家的発展︑統制がすすみ連邦の諸立法が拡張されてい

く際︑とくにこの三文の

c o m m r e c e c l a u s e の拡張的適用に基づいて︑ほんらいの交通や通商の範囲をこえて︑独占禁止法 等の経済統制や︑労働保護等の分野に関してまで︑連邦法が制定されうるに至った︒

( T A )

( 4

) 抵触法第一リステートメントについては︑沢木敬郎﹃国際法辞典﹂︵国際法学会編︶六三一頁参照︒︵なお︑第ニリステー トメントについては︑後掲拙稿を見よ︒また︑筆者は国際関係法辞典でビールについても言及しているが︑本稿では省略し

て お

く ︒

︶ 法律抵触リステートメント□アメリカ合衆国の法体系は︑基本的には︑コモン・ローの原則すなわち裁判所の判例の蓄積 によって︑法を生成発展していくという不文法主義を採っている︒リビィングストンなどによってなされた法典化運動も︑

十分な成功をおさめなかった︒しかも︑社会関係の複雑化に伴い︑新しい性質の事件が発生するようになり︑なにがアメリ カ・コモン・ローであるのかを明確な形で確認する必要が生じてぎた︒

このような事情のもとで︑裁判官︑弁護士︑学者などの法曹を構成メンバーとするアメリカ法律協会

( A m e r i c a L n a w   I n s t u t i t e ) が一九︱一三年に組織され︑その主要目的は︑﹁法の明瞭化と単純化︑および法の社会的要求へのよりよい運用を 獲得し︑学問的かつ科学的な法研究の手段として︑コモン・ローを整然たる体系のもとに記述するリステートメントを作成 することが計画され︑契約︑不法行為︑倍託などコモン・ローの主要部門について︑判例法の整理が行なわれることになっ

た の

で あ

る ︒

このような意味で︑リステートメントとは私的団体による判例法の再叙述にすぎず︑法典ではないが︑部門によっては︑

高い権威が認められている︒この計画には︑カーネギー財団の協力もなされた︒国際私法のリステートメントの作成は︑当 初計画の中に組み込まれ︑一九二三年に開始された︒ハーヴァード大学のビール教授が︑起草者に委嘱され︑ローレンゼン ほか九名の助言者が任命された︒そして一九二九年には第一草案が公表され︑さらに改訂をへた第二草案が三四年に完成し︑

総会て採択され︑法律抵触リステートメント

( R e s t a t e m e n t o f   t h e   L a w   o f   C o n f l i c t   o f   L a w ) s として公表された︒これが︑

第一法律抵触リステートメントといわれるものである︒その内容は︑六二五条に及ぶ原則と︑コメントおよび例示からなり︑

国際民事訴訟法上の問題を含む抵触法の問題を取り扱っている︒

この法律抵触リステートメントは︑起草者であるビールの理論体系に従って作成されたため︑属地主義および既得権理論 関

法 第 五 六 巻 ニ

・ 三 号

三三〇

︵ 五

九 四

(20)

公法抵触と国際租税法の端著と進展︵結語︶ の立場を基礎としていた

C

しかしそれに対しては︑抵触法に関するアメリカ・コモン・ローを正しく反映していないとして

批判が多く︑特に近年のアメリカ国際私法学の新しい潮流の中で再検討の要請が強かった︒アメリカ法律協会は︑全リス

テートメントについて必要に応じ改訂するという態度をとってきており︑国際私法についても︑一九五三年以降︑コロンビ ア大学リース教授を起草者とする第ニリステートメントの審議が開始され︑裁判管轄権︑契約︑財産法など順次改訂試案が

発表され︑六九年に完成︑七一年に全三巻

( R e s t a t e m e n t o f   t h e   L a w ,   S e c o n d , o   C n f l i c t   o f   L a w s ) が発表された︒

( 5

)  

S t i m s o n , o   C n f l i c t   o f   L a w s ,   p p .   1 9 9 ‑ 2 4 2 .  

( 6

)  

S t u m b e r g ,   P r i n c i p a l e s   o f   C o n f l i c t   o f   L a w s   ( 1 9 6 3   3 ) r d d .   e   p p

.   1 6 6

1 7

0 .

( 7

) グロスフェルト﹁国際会社法から国際企業法へ﹂大和正史訳︑関西大学法学会誌三一号(‑九八五年︶一

0

五 頁

( 8

) 第ニリステートメントについては︑本浪﹁アメリカ抵触法リステートメント﹂︵国際法学会編︶﹃国際関係法辞典﹄

以 下

アメリア抵触法リステートメント︹英︺ ︒

R e s t a t e m e n t   o f   C o n f l i c t   o f   L a w s

コモン・ローを継受した米国の法制度は基本

的に判例法によって生成発展させられ︑また沿革上各州が独自の法域を形成してきたこともあって︑時代の変遷に伴い連邦 および諸州の裁判所の莫大な数の判例が蓄積されるに及んで︑それらが相互に矛盾し判例法を確知し難い模糊たる状況が出 現したため︑これらの判例を検討し︑米国全域を通じて最も有効て妥当と考えられる規則を明瞭︑簡潔かつ体系的に集約し 抽出する必要があった︒一九二三年︑裁判官︑弁護士︑学者によって構成される米国法律協会が組織され︑契約︑代理︑法

律抵触︑不法行為︑信託等の九部門にわたり︑そうした規則を条文の形式で記述するリステートメントが三 0 年代から続々

刊行された︒リステートメントは法的拘束力をもたず︑立法化を意図されたものでないが︑説得的法源として実務家に参照 され︑裁判所で引用されることも少なくなく︑米国法の統一ないし整合に相当程度の影響を及ぼした︒

法律抵触リステートメントはビール

e a ( B l e , J o s e p h   H . ,

0 世紀前半の米   一八六︱│︱九四三年︑ハーヴァード大学教授二

国における最も傑出した抵触法学者︑広範な多数の著書と判例集があり︑ことに主著﹃抵触法論﹄

( A

T r e a t i s e   o n h   t e   C o n

  , 

f l i c t   o f   L 

g g 9 全三巻はこれが標準註解書と評価される︶を起草者とし︑一九三四年に完成した︒序論︑住所︑︵執行・立法 を含む︶管轄権一般︑裁判管轄権︑身分︑法人︑財産︑契約︑不法行為︑判決債務︑遺産管理︑手続等︱二章六二五条に及 ぶ規則︑注釈および設例からなる︒しかし︑伝統的な既得権説に基づくその固定的選択規則は︑具体的妥当性を欠く結果を

~

︵ 五

九 五

︱ 四

(21)

( 9

)   ( 流によって打破され︑ことに法律協会が全リステートメントの改訂を企図するに至って︑法律抵触の分野でもリース 招く事案の多発と︑クックほか多数の学究がそれぞれ開示し裁判官も同調した抵触法革命といわれる米国際私法の新しい潮

R e e s e , i l   W l i s  

L .  

M . ,  

一九一三年ー九 0

年︑コロンビア大学教授︑五六年以降毎回ハーグ国際私法会議の米国代表を務め︑

法律抵触判例および資料集‑^

C a s e s   a n d   M a t e r i a l s   o

n   C o n f l i c t   o d   L a w s "

  (ローゼンバーグ︑ヘイとの共著︶がある︶を起草

者とし︑一九五三年試案を手始めに︑近年の支配的思索の推移を反映する第ニリステートメントが六九年に完成︑七一年に

公 刊

さ れ

た ︒

彼は法規の成否はそれが法目的の促進にいかに有効であるかにかかるという基本理念に立ち︑たとえば契約は契約締結地 法︑履行の争点は履行地法︑不法行為は侵害発生地法によるとの厳格な規則に代えて︑個々の争点について事実および当事 者と最も重要な関係にある国の地域法によって権利義務を定めるとの幅広い原則を提唱し︑第六条てそうした重要な関係を 認定する諸要素︑︵州際的・国際的秩序の要請︑国法廷地の関連法目的︑間関係他国の関連法目的および個々の争点の 解決につきその他国が有する関係の程度︑い正当な期待の保護︑い各個の法領域の基礎に存する基本的目的︑同結果の 確実性・予測可能性および統一性[準拠法の決定とその適用の容易さを列挙し︑この特徴的中心規定を選択規則でなく アプローチであると自認した︒しかし︑全般的には︑序論︑住所裁判管轄権︑その行為への制限︑判決︵の承認と執行︶︑

手続︑不法行為︑契約︑財産︑信託︑身分︑代理と組合︑営利法人︑遺産管理等︱四章四二三条の条文および付録からなる︒

なお︑他部門と同様に報告者注が規則の実質的理由を補強する︒こうして第ニリステートメントはその魅惑的な新アプロー チのゆえに好感をもたれ︑これを採択する州は二

0 0

一年には︵不法行為事案で︶ニ︱州ー︵契約条項については︶二五州 に及ぶ︒しかし︑裁判官に人気のあるのは︑その柔軟さと包容性のために︑いかなる判決も正当化されうるからであり︑結 局︑利益分析や法目的の考慮方式よりも︑連結の算定に傾きがちになるとの指摘もあり︑改訂または第三リステートメント への動向も軽視できない︒それにもかかわらず︑既得権説批判の急先鋒だったロレンツェンがビールの偉業に賞嘆を惜しま ず︑またイギリスの碩学モリスが第一︱リステートメントを激賞したように︑これらの作業の成果が米国法の整備統合と明確 化に資し︑進歩並びに法的安定性の指針であり続けた経緯に照らせば︑守旧的と先駆的という差異こそあれ︑両リステート メントが国際私法学の発展に寄与したことは確実視される︒

例えば︑反致では 関

法 第 五 六 巻 ニ

・ 三 号

~ ︵

五 九

六 ︶

(22)

In  re  Duke  of  W  elington  〔叫 7 〕 2  11  E.  R.  852,  吾語巨均諏鰭唇緑 10 翠摩 In  the  Estate  of  Fuld  (No.  3)  〔 196 釘 3 All  E.  R.  776  [196 的 P. 675. 

坦赴翌癌迂瞑叙閉や迂

Adams  v.  National  Bank  of  Greere  and  Athens,  S.  A.  〔 195 的 2 Q.  B.  59;  〔 195 的 2 all  E.  R.  3;  〔 195 的 2 w.  I.  R.  588; 

affd  〔園 0 〕 1  Q.  B.  64;  〔 195 釘 2 All  E.  R.  362,  〔 195 釘 2 W.  L.  R.  800  ;  revsd,  〔 196 り A. C.  255;  〔 19 副 2 all  E.  R.  421 

〔 196 釘 3 w.  L.  R.  8. 

In  the  Estate  of  Maldonado 目 954] P.  223. 

(幸榊『団藍麒配墜撃』国は如

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(Graveson,  Conflict  of  Laws,  1947, 

7th  ed.,  pp.  51‑52;  Cheshire=North,  Private  International  Law,  1979,  10th  ed.,  pp.  52‑53.)  (;::;)  Niboyet,  Recueil  des  Cours  (1930),  T.  I  p.  8  et  seq. 

(二) Allis,  Recuil  des  Cours  (1937),  T.  II.  p.  627  et  seq. 

国) Albrecht,  B.  Y.  I.  L  Vol.  29  p.  153. 

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Pillet,  Traite  pratique  de  droit  international  prive  T3  (1923)  pp.  19‑20.  Zietelman,  Geltung‑

sbereieh  und  Anwendungsbereich  des  Gesetze,  ss  224‑230. 

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坦報話心回盗忘慈悉釘蔑志刈要塞(堀巽)

1111  I  1111  (ば兵ギ)

(23)

( 2 0 )  

( 2 1 )

 

( 2 2 )

 

( 1 6 )

 

( 1 7 )

 

( 1 8 )

 

( 1 9 )

 

三三四

︵ 五

九 八

︶ J i t t L a   a   m e t h o d e   d e   d r o i t   i n t e r n a t i o n a l   p r i v e ,  

1 8 9 0 ,   p .  

5 8 .   (~~=11!1~

﹃ 国 甲 四

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鈷 加

︱ 研

江 ﹄

︱ 一

五 百

邑 ︒

田中耕太郎﹃世界法の理論﹄二巻九五頁以下︒︵ジッタについては四九六ー五三九頁を見よ︒︶

折茂豊﹃国際私法の統一性﹄九 0

頁 ︒ G r a v e s o n ,   C o n f l i c t   o f   L a w   7 t h   e d .   p .   3 7 .  

グレーヴソンは国際私法の近代理論の総括としてであって︑国際法説と国内法説との対立において捉えているわけではな

い︒国際法説としてのチーテルマンも諸国家の国際法的共同体を指摘しているし︑ジッタの思考は人類の普遍的法的共同体

を基礎としていると云う一脈の共通性と異質性がある︒もちろん︑チーテルマンは領土主権と対人主権を出発点とし︑ジッ

タは私法的法律関係を基調としている点で差異がありそうだが︑川上教授も︑ピレ︑チーテルマン︑ノイベッカー︑ジッタ︑

フランケンシュタイン︑跡部︑田中︑両教授を国際主義学説として一まとめにされている︒グレーヴソン教授の見解につい

ては後日にゆずる︒

折茂豊︑前掲﹃国際私法講座﹄一巻二六頁︒

池原秀雄﹁国際私法﹄総論四

0 ‑ 八

四 頁

折茂豊﹃属人法論﹄五三一頁︒

ただ︑最初にあげた﹁ブスタマンテ法典﹂にあっては︑その七条が︑周知のごとく︑各締約国は人の﹁属人法﹂として︑

その住所地法または本国法もしくはそれ以外の法を適用しうる旨を定めているので︑その法典が一定の事項に関してその準

拠法を当事者ないし本人の﹁属人法﹂として指定していることには︑然るべき特別の意味があるものとみなければならない

のである︒︵後述と関係あるので特にここで掲載しておく︶

西賢﹃属人法の展開﹄九五ー六頁︒

法委員会の改正提案及びそれに基づき成立した制定法は︑夫婦の住所の管轄権を確立したル・ムシュリ工事件及び一夫多

妻婚に関するハイド事件をはじめ︑すでに;世紀近く︑又はそれ以上にわたり確立してきたコモン・ローの原則を廃止又は

修正し︑イングランド国際私法の発展にとりまさに画期的な道標となった︒間接管轄権の基礎として夫婦いずれかの住所︑

国籍及ぴ常居所が導入され︑若干のコモン・ローの規則も維持され︑さらに︑直接管轄権の基礎として夫婦のいずれかの住

所及び常居所が定められたが︑管轄権の基礎のかような拡大によって︑なかんずく︑婚姻上の救済を求める当事者利益の保

関 法 第 五 六 巻 ニ

(24)

公法抵触と国際租税法の端著と進展︵結語︶

﹃ 国

際 関

係 法

辞 典

︵ 初

版 ︶

七 六

一 頁

︵西教授は筆者と同じくグレーブソン教授に師事されたので︑ 護が一層確保されることになった︒

重 点

を と

り 上

げ た

︒ ︶

( 2 3 )

須藤次郎︑﹃国際法辞典﹄︵国際法学会編︶六九四頁︒

リマ国際私法条約︹西︺

E l   T r a t a d o e   d   D e r e c h o   I n t e r n a c i o n a l   P r i v a d o   d e   L i m a ラテン・アメリカ諸国は多数の外国移民 を早くから受け入れた関係上︑属人法の連結点たる国籍の生得条件をめぐって国籍立法上血統主義より生地主義を︑また属 人法原則に関して本国法主義よりも住所地法主義を採ることの政策的理由が存在した︒また各国国際私法の統一の必要性も 共通の事情としてあったといえる︒そうした社会的・歴史的必然として︑国際私法の国際的統一の事業が︑列国の会議とい う形で議せられ︑世界で最初の国際私法条約が成立したという事実もゆえないことではなかった︒一八七八年ペルーの首都 リマでペルー政府の招きによりペルー︑アルゼンチン︑チリ︑ボリヴィア︑エクアドル︑ヴェネズエラおよびコスタリカの 七ヵ国代表が集まって国際私法統一のための会議が開かれ︑同年︱一月九日に署名された八章六

0 条から成るものが︑いわ

ゆるリマ条約である︒ヨーロッパに始まった有名なハーグの第一回国際私法会議が一八九三年であるから︑実にその一五年 前の出来事であった︒この条約は︑署名の翌年の一八七九年から八一二年にわたるチリ対ペルー︑ボリヴィア間の戦争のため に︑その発効をみないままに終わってしまったので一般にあまり知られていないが︑多数国間の史上初の統一私法典として その名を後世にとどめるものである︒その内容の主なるものは︑①人の身分および能力︑内国にある財産ならびに外国で 為された行為を支配する法︑②外国で挙行された婚姻および内国における外国人の婚姻締結︑③相続︑④外国で為され た法律行為および内国裁判所の管轄︑⑤外国で為された不法行為および他国を害する不法行為に関する裁判管轄︑⑥判決 その他の裁判行為の執行︑⑦立法について︑等等である︒この条約は︑属人法の決定基準を国籍としているために︑住所 地法王義に利害をもつァルゼンチンにとって抵抗があった︒またブラジルは︑単にラテン・アメリカ諸国間の利益に限定さ れる会議であるべきではなく︑一般に承認されるぺき原則に従って広く諸国の立法統一を目指すべしとし︑それには当時︑

すでにヨーロッパの国際法学会で行なわれていた国際私法に関する国際的統一問題の研究に︑その座を譲るのが適当である としてこの会議には列しなかった︒しかし︑リマ条約は一

0 年後のアルゼンチンにおけるモンテヴィデオ条約の編纂に受け

継がれたといえる︒

( 2 4 )

笠原俊宏︵国際法学会編︶

三三五 ここでは特に英法改正の ︵

五 九

九 ︶

参照

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