執筆者紹介
現代スリランカの
慈善型老人ホームとダーナ
中村沙絵
なかむらさえ●京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 地域研究、文化人類 学 ・中村沙絵、2011、「現代スリランカにおける慈善型老人ホームの成立―ダーナを通し たチャリティの土着化―」、『アジア・アフリカ地域研究』、11-1。1 はじめに
スリランカの慈善型老人ホームでは、施設外の人々が入居者の食事を 布施(ダーナdāna)として持ち寄り、その経営を支えている。本稿では、 スリランカの慈善型老人ホームを事例に、ダーナ実践をめぐって生成す る社会関係のありようと、その入居者にとっての意味を明らかにする。そ うすることで、従来の上座部仏教社会における慈善贈与的なダーナの理 解を深化することが、本稿の目的である。 1-1 背景 シンハラ社会では、老親は家に残った子と暮らし1、子がいない場合 でも親族からの支援や同居をあてにするのが通例である。高齢者が家に 残って孫の面倒をみるかたわら宗教実践に励み、仏教徒においては「優う 婆ば塞そく・優う婆ば夷い2」として敬われるという文化規範のあるシンハラ社会で は、老人ホームへの入所は家族規範からの逸脱を意味する。とはいえ、 スリランカでは急速に高齢化が進んでおり3、老人ホーム(シンハラ語で väḋihiṫinivāsa、直訳すると「高齢者の住居」)4も都市部を中心に増加して いる。 2006年現在、政府に登録されているだけでも177の施設があるが、四つの国立老人ホームを除くすべてが、民間の団体や個人が営む民間老人 ホームである[
National Secretariat for Elders 2006
]。こうした民間老人ホームのなかでも、有料の施設は15
%
に過ぎない。残りの85%は、篤 志家や社会事業団体が運営する無料/軽費用の慈善型老人ホームと なっている。慈善型老人ホームに入所してくる人には、配偶者や子ども が不在である場合が多いだけでなく、老後のための貯金ができる賃金労 働に恵まれていたものは少ない5。このような人たちに対して、生活する のに最低限必要なサービス、つまり食事と寝床を無償で提供するのが、 今日のスリランカで最も一般的な老人ホームの姿といえる。 慈善型老人ホームを財政的に支えるのが、本稿が着目する食事や物品 の布施、つまりダーナである。老人ホームへダーナをするのは、施設近 隣や隣接する他市、他地区に住む有志の人々である6。彼らは親の追善 供養などを兼ねて、調理された食事や一食分の食費・食材などを用意し、 家族連れだって施設を訪れる。 こうした行為の動機は、まずもって老人ホームの入居者を気の毒に思 う憐れみの感情である。本来ならば親族にかこまれて過ごすべき老後を ひとり施設で暮らすのは、忌避すべき孤独(tanikama)の状態でもある。 施設の外にいるシンハラ人は、このような入居者に対して、パウ(pav) という言葉で憐れみの感情を露わにする。パウとは一義的には功徳(pin) の対義語である「罪」という意味だが、それは他者のいたいけなさや、 彼のおかれた心もとない境遇・心中を推しはかったときに、口をついて 出る感嘆表現でもある。こうしたダーナは、老人ホームに限らず孤児院 で暮らす子どもたち[松山2003
]や障害者施設などへもなされており、 現代スリランカ社会の都市部中間層に広く実践されている。 憐れみの感情からなされる慈善的喜捨は、一般に、互恵的関係性から 外れた優劣・従属関係を生みだす行為ともみなされてきた。次節で整理 するように、上座部仏教社会においても、いわゆる貧者へのダーナを対 象とする研究は与え手優位の図式を疑うものではない。しかし、スリラ ンカの慈善型老人ホームを訪れた際に筆者の目を惹いたのは、ダーナ実 践の場における「篤志家」と「身寄りのない憐れむべき高齢者たち」と いう関係の揺らぎであった。老人ホームの入居者たちは儀礼に必要な物 品を自ら整え、寄附者の訪問にそなえる。そして、もってこられたダー ナを単に受けとるのではなく、まずは寄附者と手分けしながら食事をとりわけて仏像の前に供え、経を唱えて仏陀供養をする7。その後、功徳 回向の文言や経を唱えて、寄附者のダーナという善行によってうまれた 功徳がその亡くなった親族に回向され、寄附者や先祖たちによりよい来 世がおとずれるようにと入念に祈りをささげる。これに対して寄附者た ちは、言葉や態度など様々なかたちで入居者たちに敬意をあらわす。施 設外では憐憫の対象として語られる人々であっても、ダーナの施主と居 合わせる場においては年長者や優婆塞・優婆夷のようにふるまう光景が みられたのである。 ダーナをめぐるこうした関係の揺らぎや、その入居者にとっての意味の 広がりを問うことは、施設環境の中で暮らす入居者にとっての意味世界を 理解する上でも重要である。毎日のように施設へ持ちこまれるダーナは、 慈善型老人ホームの主要な財源であるばかりでなく、規則の支配する施 設環境のなかで暮らす入居者が、施設外の人びとと関わり合う日常的な 社会的相互行為の場を提供しているからである8。それでは、こうした揺 らぎや意味の広がりはどのように考察することが可能だろうか。以下、従 来のダーナ研究における慈善贈与的ダーナ理解を俯瞰しその問題点を整 理するとともに、本稿が手がかりとする視座について述べていく。 1-2 先行研究 ダーナはサンスクリット語でdān、パーリ語でdānaといい、広く南アジ ア地域にみられる贈与の概念および実践である。ヒンドゥー教、ジャイ ナ教、上座部仏教では共通して、「世俗的な報酬への期待をせず無私に 与えること」という教義的定義がなされている。以下、上座部仏教社会 研究におけるダーナ研究と、貧者へのダーナをめぐる従来の解釈に対象 を絞ったうえで、先行研究における本稿の位置づけを明らかにしていく。 従来の上座部仏教社会研究においてダーナといえば、社会における 高次の理想を体現する、僧侶や寺への布施・寄進を指すものであった [
Ames 1966, Spiro 1970, Gombrich 1971, Strenski 1983, Ohnuma 2005
]。僧の教団であるサンガは、在家者にとっては福ふく田(puññakhettam)、つまりでん 優れた果報(功徳)の収穫が見込める田んぼの比喩において捉えられた。 積徳行為は上座部仏教社会の中心的なエートスであるが、在家者にとっ てはサンガにダーナをすることが現世・来世における幸福や社会的地位 向上に資する功徳を最も効果的に積む行為とされてきた。こうしてダー
ナは、サンガと在家信者の間の厳格な聖/俗の線引きを、贈与/交換関 係9によって分節し再生産するものとして、上座部仏教社会研究上の特 別な意義を与えられてきたといえる。出家者の聖性を関係構成における 一義的な要素として扱う姿勢は上座部仏教社会のダーナ理解に特徴的 であり、これは例えば北インドの葬送儀礼におけるカースト下位者から 司祭への贈り物(dān)が道徳的葛藤を引き起こす様子の描写を通して、 受け手の地位が一瞬でも揺らぎをみせる可能性を開示したパリー [
Parry 1986
]など、ヒンドゥー教社会におけるダーナ理解とは区別され るべきものだともいえるだろう10。 以上のような出家者中心主義的な見方が上座部仏教社会における ダーナ解釈の主流をなしてきたため、袈裟を身に纏わない乞食へのダー ナはこれまで例外的な扱いをうけてきたに過ぎない。ゴンブリッチはそ れを、憐れみ(anukampā)や緊急性、ときには名声欲(anugrahayabuddhiya) が動機になった「社会的贈与」とし、敬信にもとづく僧侶への「宗教的 贈与」とは別のカテゴリーに属する行為だと指摘している[Gombrich
1971
]。 このゴンブリッチの区分によると「社会的贈与」の範疇に入るような 貧者へのダーナについての研究は限られているが、南アジアや東南アジ アまで射程を広げると以下のような議論がある。都市デリーであらゆる 社会的弱者への贈与行為を調査したボーンステインは、それらが衝動性 (impulse
)に価値がおかれる実践であり、現代インドの援助事業におけ る結果・効率重視の傾向では評価しきれない意味を内包するものだと主 張する[Bornstein 2009
]。彼らの贈与は神からの義務として遂行される ものであり、受け手への影響=結果を以て測られるような行為ではな い。それはむしろ、一方的な贈与行為として完結しているのだという。こ の解釈では、与え手にとっての文化的意味が重視されるが、その代わり に、ダーナの受給者は相手に何の権利も要求し得ない慈善の受け手とし て留意されるにすぎない。この点ボウイは、受け手の側からタイ農村で の乞食への喜捨を考察している[Bowie 1998
]。しかし、乞食へのダー ナを社会階層化を背景にした弱者の抵抗と戦略の物語として描くこと で、下層民という属性や階層関係の権力性を一層本質的なものにしてし まっているように見受けられる。このように、慈善贈与的ダーナの研究 においては、受け手は、神からの義務である善行をなす篤志家の存在の影に隠れて贈与を「甘受」するか、篤志家との閉じられた二者関係にお いて贈与を「要求」する立場のものとしてのみ、描かれてきたといえる。 スリランカの慈善型老人ホームでみられたダーナ実践の場における 社会的相互行為を描き、その入居者による意味づけを明らかにするにあ たって、従来の慈善贈与的ダーナの考え方は、次のような問題点を抱え ている。 第一に、乞食に対するダーナと僧侶に対するダーナを区別する、受け 手属性や与え手の意図による二分法的認識が踏襲されてきた点である。 この認識は、慈善贈与は利他主義や憐みに基づくのであり、敬信にもと づく僧侶への「宗教的贈与」とは区別されるべきものだとした。しかし これでは、普段は憐憫の対象として語られる入居者たちが、ダーナの施 主と居合わせる現場においては優婆塞・優婆夷のようにふるまうこと や、憐みの感情を抱いてダーナをする与え手がときに入居者たちに表敬 行為を示すといった出来事を、十分に理解することはできない。 第二に、上座部仏教社会における従来のダーナに関する研究は、「僧 侶と在家者との間の交換関係」や「要求する者とされる者の交渉」とい う一対(dyad)の関係や、「篤志家から貧者への一方的贈与」という1 個人を単位に、その均衡や不均衡について説明してきた。そして、僧侶 の存在が在家者への「功徳」という「返礼」を保証するのに対して、理 想的な慈善的贈与は与え手1個人による完結した行為であると見なし てきた。しかし、こうした一対や1個人を単位とした事象の描き方では、 理想的な受け手は出家者であるとか、与え手の意図が帰結を左右すると いった教義的解釈の枠をはみ出ていくような、受け手にとっての意味の 広がりを捉えることは困難なのである。 1-3 本稿の視座 そこで本稿では、次のような視座にもとづいて考察をすすめていく。 第一に、乞食に対するダーナと僧侶に対するダーナを区別する二分法 的認識ではなく、その類似性に焦点をあてる11。ボウイは、タイ農村の 村人が乞食に対してダーナをする場面を、次のように描写している。 [……]乞食が来ると、そこに居合わせたものが台所からボウル一杯の 米をもってくる。乞食は実際に米を請うことはしない─その代わり、誰
かが彼に気づくまで、伏し目がちに、門の内側に静かに立っている。 [……]村人たちは持ってきた米を彼〔乞食〕の手提げにいれる前に、ま ず彼らの履いていた靴を脱ぐ。そして、簡潔に米の入ったボウルを頭上 に掲げてから、彼〔乞食〕の手提げにいれる。乞食は目を伏せたまま、 手をあげて合掌し、短い祈りをつぶやく。このドナーと乞食の間の相互 行為は、僧侶が在家者に合掌をしないという点でこそ違うものの、僧侶 への食事の布施における儀礼形式に非常に類似している。([
Bowie
1998: 471
]〔〕内は筆者による) このような類似性は、ダーナの社会的作法としての特質を想起させ る。「宗教的高位者/出家者へのダーナ」についての教義と注釈書を研 究したハイムは、ダーナとは「他への関心」と「自らの喜び」が両立さ れるよう、相手の本質の如何にかかわらず、敬信(śraddhā)のまなざし で対峙するという倫理やエチケットが盛り込まれた実践であり、それは 一種のアートとして組織化されるべきものだという[Heim 2004
]。つま り、ダーナは倫理作法や美的感覚を内包した行為なのである。 ここで、文献学者であるハイムは、教義的解釈に沿って、「理想的な 受け手=宗教的高位者/出家者」とする構図を強調している。しかし老 人ホームでのダーナをみていると、倫理作法や美的感覚を内包した行為 としてのダーナは、「在家-出家」という具体的な文脈をはなれ、まった く別の場面においても適用されうるものではないかとも考えられる。事 実、次節で詳述するように、慈善型老人ホームにおけるダーナ儀礼は、 伝統的にはサンガに対して行われてきた「追善供養のダーナ」として組 織され、サンガに対するダーナ儀礼に非常に似た形をとる12。本稿では こうした類似性に着目し、受け手と与え手の関係を先に措定してしまう のでなく、ダーナ実践の微視的描写から、その関係を捉え直してみる。 第二に、ダーナ実践を1個人や一対を単位とした贈与/交換関係とし てのみ考察するのでなく、二者をこえて広がる複数のアクターに注目し、 ダーナを広く施設内外のアクターとの関係を構築する遭遇の場として 捉える。この際、ダーナが与え手にとってだけでなく、受け手である入 居者にとっても「善行」として組織化されている点に着目し、入居者に とってのダーナの多様な意味づけを明らかにしていく。本稿では、以上 二つの視座からダーナの場において生起する出来事を考察し、従来の慈善贈与的なダーナ理解を拡充する手がかりを探っていく。 1-4 フィールドワークの状況と本稿の構成 本稿は、スリランカの西南海岸地域で2007年2月から2010年5月に かけて断続的に行ったフィールドワーク(2007年2月~ 2007年3月、 2007年9月、2008年9月~ 2009年5月、2009年7月~ 2009年12月、2009 年2月~ 2010年5月)にもとづく。事例としてとりあげるのは、西部州 コロンボ県、大都市コロンボから20km圏内の郊外にある、二つの老人 ホームである。一つは、入居者19名の小規模老人ホーム(以下、
K
ホー ム)であり、もう一つは入居者146名の大規模老人ホーム(以下、M
ホー ム)である13。K
ホームでの食事は、ほぼ毎食、調理された食事の持ち 込み(以下、「調理持ち込み式」ダーナ)によって賄われている。一方M
ホームは、一食分の費用の寄附(以下、「費用支払い式」ダーナ)を その基本的な収入源としている。本稿では、ダーナの多様なあり方を捉 えるために、対照的な二つの施設でのダーナ実践を検討していく。 本稿の構成は以下のとおりである。2節では、二つの施設における異 なるダーナ実践を描写し、「篤志家」と「憐れむべき入居者」という二 者間の関係が老人ホームにおけるダーナ実践の場においてどのような 揺らぎをみせるのか、またその条件は何かを考察する。3節では、施主 との直接的相互行為の場に限らず、複数のアクターとの相互行為にも注 目し、ダーナ実践の入居者にとっての意味を多面的に捉える。最後にこ れらの記述を整理し、従来の慈善贈与的ダーナの研究に本事例がいかな る視点をつけ加えうるかを論ずる。2 ダーナ儀礼における与え手─受け手関係の揺らぎとその条件
慈善施設へのダーナは施設規模や立地条件などから多様な形をとる。 その代表的なものは、既に述べた「調理持ち込み式」ダーナと「費用支 払い式」ダーナである。冒頭で述べたように、入居者を「パウ」と思う 気持ちからなされること、またそれが亡くなった親の追善供養など他者 への功徳回向を伴うことは両者に共通する。しかし、その実践のかたち や施主側の労力のかけ方は対照的である。結論からいってしまえば、「篤 志家」と「憐れむべき入居者」という二者間関係の揺らぎは、前者の「調理持ち込み式」ダーナにおいて観察されやすい。以下、それぞれ異 なるダーナのかたちを採用する二つの老人ホームの事例から、与え手- 受け手関係の揺らぎのありようや、それが生じる条件について考察する。 2- 1 Kホームにおける「調理持ち込み式」ダーナ
K
ホームは、コロンボから内陸に向かう国道を18km
ほど行ったコッ ターワ市のはずれの静かな住宅街に佇む、小規模施設である。1998年、 オランダ人の篤志家から支援を受けた市のライオンズ・クラブによって 建設された。19名の入居者(女性13名、男性6名)のほか、無償では たらく理事長と寮母が1名ずつ暮らしている。門を入ると、植木や花壇 のよく手入れされた庭があり、庭を囲むように2~4人用の個室が並ぶ。K
ホームでは元公務員の女性入居者3名が毎月2000 ~ 3000ルピー(約 1300~2000円)を払っており、施設の光熱費等にあてられる。しかし、 それ以外には定期的に滞在費を払うものはない。そのため、K
ホームで はほぼ毎日の食事を施設近隣及びコッターワ市内外に住む人々からの 「調理持ち込み式」ダーナに頼っている。K
ホームへのダーナは、施設を訪問し、日時を予約するところから始 まる。以下は、亡き夫の13回忌に、妻である施主ソーマワティの家にそ の子ども家族が集まり準備されたダーナの様子の一部である。 メニュー構想 ソーマワティたちはダーナの1週間ほど前にK
ホームを 訪れ、メニューの希望を聞いた。入居者たちが辛いものを好まないとい うので、ウリのカレーと小魚のカレーはココナッツミルクを多めに用意 すること、味にめりはりをつけるためパパイヤの漬物とアンバレッラ(酸 味の強い果物)のカレー、そしてコクのあるカジキのカレーを用意する こと、また健康を考えて葉野菜の和え物をつけたすことになった。糖尿 病などの理由から白米を食べない高齢者も多いため、赤米も加えて購入 された。また一般に高齢者が好むという塩のみで味付けをしたキャッサ バも加えられた。入居者からアイスクリームの要望が出たが、市販のも のは値段が張るので、粉ミルクやコーンスターチで手作りをすることに なった。材料は親戚がそれぞれ手わけをして調達した。 調理 ダーナの前日、ソーマワティと4人の娘、末子家族に近所の知人 など計 13 名がソーマワティの自宅に集まり、漬物やコナッツミルクの入らないカレー類など腐らないおかずを準備した。ダーナ当日は朝5時に 再び集合し、残りの準備にとりかかった。唐辛子の代わりに、米・芥子 の種・ココナッツ・ニンニク・つぶした胡椒・シナモン・南洋山椒を油 で炒めたものが入れられるなどの工夫がされた。準備が終わると皆顔と 手足を洗い、寺に行くとき着るような白や薄い色の服装に着替えた。11 時過ぎにはこの日のために借りた大型乗用車に家族一同で乗り込み、料 理を持って
K
ホームへ向かった。 仏陀供養 到着すると、女性5人ほどが入居者や寮母の指図をうけて仏 陀供養の準備をした。肉や魚を除いたおかずを銀皿に盛る。入居者手作 りの装飾布を被せ、親戚一同に手をそえさせ、仏像の前にあげる。ソー マワティの孫が備え付けの鐘をならすと、入居者たちは庭や部屋から出 てきて食堂の椅子に腰かけた。供養を先導する女性の入居者は前の椅子 に座り仏像の方を向いた。ダーナの与え手たちも仏像の前に茣蓙を敷い て座った。三帰依を唱えたのち、入居者の先導にあわせて、10 分ほど 仏陀供養の経がよまれた。 配膳 老人ホームに持ちこまれた食事を、入居者はけっして自ら選んで よそうことはしない。食堂の席に着いた入居者の前には各々の皿がおか れ、そこにダーナの与え手たちが順々に配膳するのを待つだけでよい。 大人も子どももご飯やおかずの入った容器を抱え、入居者の前を歩いて 順に配膳した。このとき入居者たちは、漬物には「玉ねぎだけ入れて」 とか、カジキのカレーには「骨ばかりだから、他の部位と変えて」とか いったふうに注文をつけ、与え手はこれに細やかに対応した。配膳が一 巡した後も、不足がないか気配りをしながら食堂を歩いて回った。 このように、K
ホームでの「調理持ち込み式」ダーナでは、料理はで きるだけ豪華に、また手間隙かけてつくられていた。一同が集まった場 でのメニュー考案や調理工程には、入居者の嗜好や要望、高齢者向けの 調理や味つけなど、その心身を気遣った工夫がみられた。またダーナは 関与する者全てにとって善行であるという認識から、親族や近所の人た ちを巻きこんだ賑やかな行事の様相を呈していた。配膳も、僧侶に対し てそうするように多くの人が関与し、入居者の要望を個別に聞きながら なされた。気遣いや配慮を必要とする行程やそのふるまいは、サンガへ のダーナを髣髴とさせるものであった。功徳回向の儀礼 食後、12 時頃、ソーマワティ達は畳んでいた茣蓙を再 び敷いて座った。先ほど仏陀供養を先導した入居者が一同に対面するよ うに前の椅子に腰かけた。この入居者の代表は、亡き父親のために子ど もや孫が集まり、苦労してダーナをしたことがどれほど功徳のあること か、母親にとってもどれほど喜ばしいことかと繰り返し、「ご飯をふる まったものに対して、釈尊は説法をした。ご飯をふるまうという行為が いかに功徳のあることか」と物語りをするなど、自身の言葉でダーナを 褒めた。そのあと、彼女によって故人への功徳の転送を祈る次の経が詠 まれた「この功徳が先祖に届きますように。先祖が安らぎに満たされま すように(Idammeñātīnamhotu
!
Sukhitāhontuñātayo!
)」。功徳の回向は 30 分間続いた。儀礼が終わると前方に座っていたソーマワティの娘や孫た ちは、この入居者の足下に跪いて足先にそっと触れ、手を合わせた。 儀礼を先導した入居者が椅子に腰かけ、対する施主たちが茣蓙に 座って彼女の語りや経に静かに耳を傾ける様子は、サンガへのダーナに おいて、食後に椅子に腰かけた僧侶が茣蓙に座った家族と向き合い、故 人の善行を語ってから「先祖が安らぎで満たされますように」という経 を詠む光景に近似している。また儀礼が終わったあと、ダーナの施主た ちが床に膝をつき座り、相手の足に触れたが、これは在家者が僧侶に、 子どもが親に対して行う表敬行為である。家族一同は入居者たちと雑談 を交わし、食事の残りや容器を回収してホームを去った。 2-2 Mホームにおける「費用支払い式」ダーナM
ホームの「費用支払い式」ダーナは、このようなダーナ実践とは少 し違ったかたちで行われる。M
ホームは、コロンボから海岸に沿って走 る国道を20㎞ほど南下したモラトゥワ市の賑やかな幹線道路沿いに建 つ大規模施設である。同ホームは1920年、地域の社会事業団体によっ て設立された。現在の入居者数は146名、有給スタッフ20名という、西 部州一の規模を誇る民間老人ホームでもある。ここでも8割の入居者が 滞在費を払わず生活しており、有志からの布施は財源の6割に上る。与 え手が希望すれば「調理持ちこみ式」のダーナも歓迎するが、規模が大 きいため「費用支払い式」が一般的である。メニュー構想・調理・配膳
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ホームでは、メニューの具体的な内容を決 め、材料を調達し、調理・配膳するのはすべてホームのスタッフが行っ ていた。住みこみで働く夫婦が朝3時半には起床し、薪を焚いて米を研 ぎ、ココナッツミルクをしぼって朝食準備にとりかかる。野菜の選別や 小魚の頭を取る作業は、日中の空いた時間にホームの入居者が行う。最 後にはフロアスタッフが、入居者の疾患(糖尿病や高血圧)や好き嫌い をふまえて手早く配膳していく。施主は昼食の配膳が始まった 11 時過 ぎにはホームに到着する。まずは事務室に入り、ダーナ儀礼で功徳を回 向する相手や施主ら自身の名前を確認し、まだであれば支払いを済ませ る。配膳が終わり、儀礼の準備も終わると「おばあさん、おじいさんた ち、功徳回向をしに食堂へ来て下さい」と放送が入る。施主らは入居者 の後に続いて食堂に入り、前方右側の椅子に腰かける。このとき、人に よってはサンダルを食堂の外でぬいでいた。 仏陀供養 儀礼を先導する女性入居者が、施主らにオイルランプや線香 に火をつけるよう促す。既に準備された供物の盆を渡された施主は、家 族全員に回して手をそえさせ、代表の者が仏像の前に供える。これに合 わせて入居者らは「サードゥ、サードゥ、サードゥ」と合唱し、前に座っ た入居者の先導で仏陀供養の経を詠む。 功徳回向の儀礼 食事の前に、入居者一同は施主と故人の幸福や健康を ある程度形の決まった文言で祈る。M
ホームでは旧来使っている食堂に 隙間なく食事机が並び、茣蓙を敷く場所がないことから、功徳回向の儀 礼は回向を先導する入居者と施主の両者が立ったまま進行する。その 後、儀礼を先導した入居者は施主に近づき合掌する。施主は同様に手を 合わせて軽く頭を下げる。入居者が食べ始めてしばらくすると、施主ら はホームを去っていく。おかわりの要望に応えるのは、食堂に残ったフロア スタッフらである。K
ホームの「調理持ち込み式」ダーナの調理行程や配膳に見出された 気遣いや配慮がサンガへのダーナを髣髴とさせるものであった一方、M
ホームの「費用支払い式」のダーナでは、メニュー詳細の確定や材料購 入、下準備・調理・配膳などをスタッフと入居者が負担しており、施主 は最後に供物を仏像にそなえるという動作によって「ダーナの与え手」 となっていた。また、軽い会釈やサンダルを脱ぐ行為などは見られるものの、施設の建築環境から両者直立のまま 儀礼が進行し、姿勢の高低差や足下に跪く 表敬行為はほとんど観察されなかった。 しかし、
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ホームでも週に1回程「調理 持ち込み式」のダーナが実施されており、 そのときには両者の関係性はこれとは異 なる様相をみせていた。亡き母親のための ダーナとして軽食の「調理持ち込み式」 ダーナをしたある子ども家族は、何も敷い ていない狭い床の空間に座って儀礼に参 加し、儀礼後には幾度も入居者の足元に跪 く表敬行為をし、最後の入居者が食堂を去 るまで配膳を続けた。入居者たちも、ダーナの与え手を自分より上位に ある「ノーナ、マハッテヤ」ではなく、年齢の下のものに対して通常高 齢者が用いる呼称である「ドゥワ、プター(娘、息子)」と呼んで彼女 たちを慰め、年長者としてふるまっていたのである。 2-3 考察―揺らぎを生起させる条件― 「篤志家」と「憐れむべき入居者」という二者間の関係の揺らぎという 言葉が含蓄するのは、第一に細やかな配慮にもとづく相互の関係であ 図 ダーナの功徳回向儀礼における空間配置と姿勢の高低差 サンガの食事机 食事机 食事机 仏像 仏像 仏像 サンガに対するダーナ(3ヶ月回忌の追善供養) 「調理持ち込み式」のダーナ(Kホームの事例) 「費用支払い式」のダーナ(Mホームの事例) ●対面 僧侶がサンガを代表し、与え手と向き合う ●対面 1人の入居者が代表し、与え手と向き合う ●受け手(高) 与え手(低) 僧侶は椅子に座り、与え手は茣蓙に座る ●受け手(高) 与え手(低) 僧侶は椅子に座り、与え手は茣蓙に座る ●半対面 1人の入居者が代表して前に立ち、与え手と向き合う 受け手の代表 与え手 体の向き ●受け手 与え手(同じ高さ) 入居者も、与え手も立ったまま 茣蓙 椅子 茣蓙 サンガの食事机 食事机 食事机 仏像 仏像 仏像 サンガに対するダーナ(3ヶ月回忌の追善供養) 「調理持ち込み式」のダーナ(Kホームの事例) 「費用支払い式」のダーナ(Mホームの事例) ●対面 僧侶がサンガを代表し、与え手と向き合う ●対面 1人の入居者が代表し、与え手と向き合う ●受け手(高) 与え手(低) 僧侶は椅子に座り、与え手は茣蓙に座る ●受け手(高) 与え手(低) 僧侶は椅子に座り、与え手は茣蓙に座る ●半対面 1人の入居者が代表して前に立ち、与え手と向き合う 受け手の代表 与え手 体の向き ●受け手 与え手(同じ高さ) 入居者も、与え手も立ったまま 茣蓙 椅子 茣蓙 サンガの食事机 食事机 食事机 仏像 仏像 仏像 サンガに対するダーナ(3ヶ月回忌の追善供養) 「調理持ち込み式」のダーナ(Kホームの事例) 「費用支払い式」のダーナ(Mホームの事例) ●対面 僧侶がサンガを代表し、与え手と向き合う ●対面 1人の入居者が代表し、与え手と向き合う ●受け手(高) 与え手(低) 僧侶は椅子に座り、与え手は茣蓙に座る ●受け手(高) 与え手(低) 僧侶は椅子に座り、与え手は茣蓙に座る ●半対面 1人の入居者が代表して前に立ち、与え手と向き合う 受け手の代表 与え手 体の向き ●受け手 与え手(同じ高さ) 入居者も、与え手も立ったまま 茣蓙 椅子 茣蓙り、第二に身体動作などによって表現される(入居者に対する)敬信に もとづく関係である。こうした意味での「揺らぎ」が見えやすかったの は「調理持ち込み式」ダーナであった。このことは、同じダーナであっ ても実践の形がそこで生まれる関係に変化をもたらす大きな要素であ ることを示唆する。事例から考察するに、細やかな配慮にもとづく関係 や、敬信にもとづく関係などは、そもそもの動機の一つである「憐れみ の感情」のみから生まれるとはいえない。ダーナを善行として適切に組 織し、受け手である入居者にできるだけ喜んでもらおうという配慮は、具 体的な行為(調理や配膳)を通して経験されるものだと考えられる。こ のような具体的行為を通して経験される配慮は、入居者に対して向けら れたものであると同時に、追善儀礼をとおして故人に向けられたもので もある。故人へのつよい思いが経験されるとき、寄附者は追善を支える ダーナの相応しい受け手として入居者をまなざし、功徳の源泉である入 居者に対する敬信を、表敬という身体的動作にして表すといえる。 このとき入居者は、与え手の気分を害さぬようどんなものでも受け入 れるという姿勢をつらぬく。極端な例をいえば、ダーナがたとえ腐って いたとしても、表向きの批判を与え手につきつけることは避けられるの である14。本来このようなダーナは望ましくなく、客観的には功徳ではな いと評価される。しかしあくまでも儀礼は遂行され、功徳回向もなされ る。このとき入居者たちは、ダーナを単なる乞食に対する施し以上のも のにするようなダーナの理想的な受け手、功徳の源泉として在るといっ てよいのではないだろうか。
3 ダーナ実践をめぐる多方向的な関係と入居者にとっての意味
これまでは主に与え手と受け手の関係に焦点を絞って、その揺らぎを 引き起こすダーナ実践の遂行的なはたらきをみてきた。しかし、2節で も明らかになったように、大規模施設であるM
ホームでは、ほぼ毎回の ダーナが「費用支払い式」の形をとっており、与え手との対面的相互行 為の場面が極めて少ない。特に、ダーナ儀礼のあいだ後方で食事机に腰 掛け、周縁で参加しているM
ホームの入居者一般にとっては、与え手と の直接的相互行為のなかに意味を見出すことは難しいと考えられる。そ こで本節では、与え手と入居者の二者間関係に限定せず、施設内外の複 数のアクターへと視点を広げ、ダーナ実践への多様な意味づけを明らかにしていく。 ダーナ実践における入居者一般の関わり方の一つが、功徳回向の文言 の発話である。この「功徳の回向」は、シンハラ語ではpinanumõdanāと いうが、この言葉には単に故人へむけて功徳を「送る」だけでなく、ダー ナの受け手や神々などが「(ダーナの与え手によってなされた善行を)喜 ぶ」という意味がある15。ランプの火が他のランプに火を灯すことによっ て自らが消えたり減ったりすることがないように、ダーナの善行を喜び、 それを助ける様々なものが、みな功徳を分かち合う。
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ホームの功徳回 向儀礼では、「この功徳が回向されて[……]健康が守られ、仕事・勉 学において発展し、長寿が達成され、病気や悲しみ、痛みや苦労なく、 [……]いよいよ最後には、老い朽ちることも死もない、永遠に心地の良 いという涅槃に到達しますように」という祈りの後、「私たちのすべてに、 そのような幸運がありますように」という発話で締めくくられる。この ように、追善供養における功徳回向の文言を通して、施主や故人だけで なく入居者も「喜」び、それを表明することで、積徳行為に参加するの である。M
ホームには寝たきりとなり、既に述べたような形ではダーナ儀礼に 参加できない入居者も常時十数名はいる。しかし、そういった女性入居 者の1人は、食事が部屋に運ばれてくると、誰に頼まれたのでもなくあ る文言を唱える。その内容は、入所前に働いていた海外にいてもう会え なくなった家の主人や、施設運営委員会の委員たち、寮母やフロアス タッフや同室の入居者、そして動かない自分の足に向けて「苦しみから 逃れ、幸福であるように」と繰り返し述べるものである。これが彼女の いう「功徳の回行」である。ダーナの受け手としてあることは、たとえ 体が動かずとも、言葉(文言)を通して他者を配慮するものとなる契機 が与えられていることでもあるといえる。 功徳回向に限らず、入居者たちはダーナをめぐる様々な行為を通し て、施設内外の他者(人間/非人間的存在)に配慮を向けながら、善行 を積む隙間をみつけている。たとえば、動物への餌づけが挙げられる (写真1)。それは、自分より「パウ」な、つまり、いたいけなく心もとな い境遇におかれた野良猫・犬などに、自分の食事の一部をわけて与える ことである。ダーナとして受けとったご飯を一人占めするのでなく、腹 を空かせたものに与えるという配慮である。M
ホームの入居者たちは、食事が終わって部屋にもどると、とりおいておいた食事を再び指先で混 ぜ、魚や肉などが少ない時には自分用の粉ミルクを溶いて与えていた。
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ホームでは、一時野良猫があまりにも増えすぎたため、寮母が厳しく 監視するように言い、スタッフと入居者のあいだで大騒動が起きたこと もあった。しかしそれでも、棟と棟のあいだには何匹もの猫が棲みつづ け、勇気ある入居者たちはそれぞれこっそりと餌づけを続けていた。 また、ダーナ儀礼の準備も重要な積徳行為である。花を庭から摘んで 籠にもりつけ、水をまいて用意するのも、ランプに十分なココナッツ油 が入っているかを確認して随時自分たちの私物からつけたすのも、仏壇 まわりを掃除し仏像を磨いてきれいに保つこともすべて、入居者が自主 的に行う。仏陀供養の供物に被せる刺繍をほどこした布も、裁縫の好き な女性入居者らによってつくられる(写真2)。こうした細かい準備・作 業は、ダーナの相応しい受け手としての作法であると同時に、仏を心に とめながら、心をきれいにするような欠かせない日課や趣味として、多 くの一般入居者たちの生活に組み込まれていた16。そこには、ダーナを めぐる積徳行為の隙間を探しあてながら、容易に受け手から与え手へと 移ってゆく姿があった。4 結論
本稿は、スリランカ・シンハラ社会の慈善型老人ホームにおけるダー 写真1 棟の間でこっそり餌やりをする女性入居 者。2008年12月21日、モラトゥワ市Mホー ム、筆者撮影。 写真2 裁縫をする女性入居者とフロアスタッフ。 2008年12月21日、モラトゥワ市Mホーム、筆 者撮影。ナを題材に、布施を目的として来訪する人々をはじめとする施設内外の アクターと、ホームで暮らす入居者との間に生じる出来事を描写してき た。その目的は、ダーナをめぐって生成する関係やその入居者にとって の意味を明らかにすることを通して、従来のダーナ研究における慈善贈 与的ダーナ理解を深化させることであった。ここでは、まずこれまでの 考察に基づいて、スリランカの慈善型老人ホームにおけるダーナ実践の 意味を入居者の側から推察する。次に、本事例で明らかになったことか ら、慈善贈与的ダーナの理解をどのように拡張しうるかを述べる。
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ホームのフロアスタッフが筆者に語ったように、少人数で多くの入 居者を「管理(pālanaya)」する必要のある収容施設では、特にその精神 的な欲求に十分に応えることは難しい。そのような生活環境で暮らす入 居者の多くが望むのは、入所前に彼らを囲んでいた家族や友人との再会 である。しかし老人ホームへの入所を逸脱とみる家族観念のつよいシン ハラ社会では、自分の家族が施設へ入所したことは「恥」であり、一度 も訪れることがない者も多い。そのようななか、施設を毎日訪れる寄附 者と共にのぞむダーナ実践は、入居者が自分以外の人間/非人間的他者 を配慮し、寄附者とともに功徳の生成に関わってそれを分かち合うよう な場を提供している。ダーナ実践は、単に施設を経済的に支えているだ けではない。家族や自らの過去へのいい得ぬ感情を抱えて暮らす入居者 が、そうした感情をしずめ、「来世をのぞみ、今をていねいに生きる自 己」の心象を地域の人々をはじめとする多様な他者との関わりにたより ながらつくり、再確認するような日常の実践でもあると考えられる。 以上のような考察を踏まえて、本事例のダーナ理論への貢献について 考えてみたい。従来、上座部仏教社会のダーナ研究では、受け手の属性 や与え手の意図による二分法的認識が踏襲され、出家者の聖性を関係構 成における一義的な要素として扱ってきた。つまり、与え手-受け手間 の関係を決定するのはアクターに予め備わった記号や価値であるとさ れてきた。これに対して本稿の事例は、「篤志家」と「憐れむべき入居 者」という自他認識は、ダーナを媒介とした調理・配膳・特定の文言の 発話・表敬行為などといった具体的な行為を媒介したときに、相互的に 変容しうることを示唆するものである。双方向的な配慮の関係性がうま れ、一時的にでも敬信にもとづく関係性が立ち現れうるのは、調理し配 膳することを通してダーナをめぐる倫理作法が参照され、またその気遣いを解した入居者が相応しい受け手としての心構えを提示できる環境 が整った場合であった。慈善贈与的ダーナ実践における相互行為や関係 を決めるのは、受け手や与え手に内在する記号的意味だけでなく、倫理 作法や美的感覚を内包した行為としてのダーナのもつ遂行的な作用と、 それが参照されうる状況でもある。上座部仏教社会におけるダーナ実践 は、功徳の源泉として僧侶のみを措定する聖なる贈与に留まらず、慈善 という文脈においても新たな関係性を創出しうるような、柔軟な形式を もった実践なのである。 また、従来の慈善贈与的ダーナの捉え方は、1個人や一対を単位とし た描写によって、何らの関係性も誘発しない一方的贈与として完結した 行為、もしくは互恵的関係性から外れた優劣・従属関係をつくりだす行 為として認識されてきた。しかしスリランカの慈善型老人ホームにおけ るダーナは、一方的贈与をする1個人の行為としては勿論、交換関係に ある一対を単位としても捉えきれないような、複数に広がっていく関係 性が焦点化される実践でもあった。入居者たちはダーナの周辺に積徳行 為を生み出す機会を見出しながら、時には相応しい受け手、時には積徳 行為の主体へと移ろうのであって、単なる受け手や、功徳生成の道具に は固定化されないのである。こうした広がりのなかでこそ、ダーナの受 け手にとっての多様な意味がみえてくると考えられる。 註 1 シンハラ社会では世帯の自律性が高く、また高地シンハラ農村には共系的均分相続の原理 が存在し、相続と扶養が密接に結びついた家族規範の存在が指摘されてきた [Tambiah 1965, Robinson 1968]。高地農村に限らず、南西海岸の海村でも、シンハラ人の間にはきょうだ いのうち1 人が生家に残り、年老いた両親や未婚の姉妹の世話をするのが望ましいという考 えがある[高桑 2004]。しかし[Silva 2004] が指摘するように、家族サイズの縮小や家族成員の 国内外への分散という状況の影響を着実に受け、世代間関係が複雑化していることも確か である。 2 シンハラ社会では教義上すべての信徒を指す優婆塞・優婆夷の語を、慣習的に八戒律/十 戒律を守る男女の在家仏教徒を指すときのみ用いる。なかでも十戒律を守る人たちの多く が隠居後の高齢者であり、殆どが寡婦/夫であるとされる。彼らの瞑想を主とする宗教的な 活動への没頭は僧侶よりも度合いが深いとも認識され、在家仏教徒として最も敬われる存 在である[Gombrich & Obeyesekere 1988, Gombrich 1971]。
アジアではシンガポールやタイに続く高齢化率である[Siddhisena 2004]。 4 政府刊行資料ではこの語が用いられるが、「養老院」に似た響きのあるマハル・マダマ (mahalu madama)という呼称も一般に流通している。以下、便宜上これらの施設を「老人ホー ム」とする。また、「ホーム」や「施設」も同義とする。 5 本稿でも扱うMホームでは、入居者のうち聞き取りが可能であった137人(男42名、女95名) のうち、55名の未婚者を含め子どもがいない人が6割と多い。職業は、内職・農業手伝いや富 裕層の家庭での家政婦、日雇いの力仕事などについていたものが多かった。 6 ダーナの施主は施設近隣の人々とは限らない。幹線道路沿いにたつMホームは、モラトゥワ 市内(人口15万人)からだけでなく(55%)、他市(30%)や他県(9%)、他州(6%)からの寄附 も受けていた(2009年1月現在)。 7 スリランカでもヒンドゥー寺院においては、神々にささげた供物はプラサード(prasād)とし て施主に返されそれを食すが、仏陀供養の供物を人間が食べることは善くないとされ、捨て られるか犬やカラスにわけられる。老人ホームのダーナは、仏陀にささげられると共にホー ムの入居者に与えられたものであり、そこには仏陀の「おさがり」を入居者が食べていると いう認識はない。 8 近代の産物といわれる施設の本質的な問題とは、人やモノとの絶え間ない接触に頼って自 己心象を創出・確認してきた人間が、閉鎖的な空間や権威的な役割関係のもとで、何気ない 日常的な交わりあいを奪われてしまう点にあるとされてきた[Goffman 1961]。この点、スリ ランカの慈善型老人ホームにおけるダーナ実践は、形式的規則体系からはずれた社会的相 互行為の場を提供しているとも考えられる。 9 手放すという行為自体から功徳は生まれるという教義的解釈に沿い、ダーナの「非互酬性」 を主張するもの[Ames 1966]から、功徳はダーナの返礼として超自然的存在から授与される とするもの[Spiro 1970, Lehman 1996]、またダーナを両者間の一般交換として解釈するも の[Strenski 1983]などがある。 10 こうしたダーナ解釈の違いの背景には、シンハラ社会における浄-不浄観念やカーストの ありようがヒンドゥー社会とは大きく異なるという状況があると考えられる。シンハラ社 会のカースト制度の特徴はその柔軟性にあるとされてきた[Ryan 1953]が、今日では婚姻の 領域を除いてほぼ形骸化してきている。特にカースト制度の流動性が高い西南海岸[cf. 高 桑 1983]では婚姻においてもカーストが問題にされなくなってきている。一方、浄-不浄を めぐる規範が強く、出家者-在家者の区別も最も厳しいといわれるジャイナ教の托鉢は、食 物交換は常にある種の危険性を孕むが、出家者の絶対的な聖性が贈与の危険性を解決して しまうような実践として組織化されているのだという[Laidlaw 1995: chap. 13-14]。 11シンハラ社会では僧侶をパーリ語にならってビク(bhikku、比丘)とも呼ぶが、その語義は「乞 食」である。 12 シンハラ仏教徒は通常、死後7日目、3ヶ月目、1年目に、サンガに対して身内の追善供養の ダーナを行う。しかし教義的解釈によれば死後に人は輪廻転生して既に生まれかわってい るものであるから、何年も寺に追善供養のダーナを続けることはない。老人ホームにダーナ をする人たちは、2、3年目までは寺にダーナをしたが、それ以降は老人ホームに変えたと いうのが一般的であった。 13 参考までに西部州の57施設の平均入居者数は37名(男女比4:6)である。
14 Mホームで持ち込み式ダーナが行われたある日、筆者は残飯がいつもより多いことを不審 に思っていた。そこに入居者の1人がきて、残飯を容器にごそっと入れるなり「サラダもカ レーも腐ってる。食べられない」といった。次にもう1人が来て「もっと食べたかった! す ごくおいしい」といった。筆者が聞き返すと、彼女は小さい声で「うそうそ。アンモー! 食 べ物はとてもじゃないけど食べられない」といった。その背後には配膳中のダーナの施主が いたが、この入居者は振り返ると笑顔で閑談をし、彼らの功徳を讃えた。ダーナの施主らは 入居者1人ひとりに手を合わせ、和気あいあいと帰って行った。ダーナの与え手は、その身 なりから察するに少し貧しいようにも見えた。スタッフは「最近は暑いから仕方がない。 ちょっと早めに調理してしまったんだろう」と言っただけだった。筆者に配膳する際にも控 えめに「豆カレーとサラダはいらないよね?」と確認するくらいで、ひどい罵倒は聞かれな かった。 15 中世の注釈書によれば、人々が他者のダーナを喜ぶ(anumōdanti) とき、そしてこれは素晴ら しいと澄んだ心から妬みや私利なしにいうとき、もしくは自ら働いて他者のダーナをたす けるものがいるとき、それは他者がそれを喜ぶことや関わることによって贈与が少なくなっ たり小さくなったりするわけではなく、逆により完全なものとなる[Suttasaňgahaṭṭhakathā: 5]。 16 重たいものの運搬(男性入居者)や、配膳手伝いなど、スタッフの手伝いを欠かさない入居者 もいる。ある入居者が語ったように「何かがあったときは(自分の)子どもでなくてここの 子ども(フロアスタッフたちのこと)たちが世話をしてくれる」。ダーナは、配膳の準備を通 してスタッフと協働することを通して、擬似家族的関係を再確認する場にもなっていた。 参照文献
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要旨 本稿は、施設外の人々による食事の布施(ダーナ)に支えられているスリラン カの慈善型老人ホームの事例を通して、従来の上座部仏教社会における慈善贈 与的なダーナの理解を拡充するものである。老人ホームでのダーナ実践をめぐっ て生成する社会関係とその揺らぎは、出家者の聖性を関係構成における一義的な 要素として扱ってきた従来の見解に対して、倫理作法や美的感覚を内包したダー ナのもつ遂行的なはたらきを示唆するものである。また入居者にとってのダーナ 実践の意味の広がりは、ダーナの受け手であっても容易に積徳行為の主体へと移 ろう様を開示しており、これは1個人や一対を描写の単位としてきた従来の見方 では捉えきれなかった側面である。上座部仏教社会におけるダーナ実践は、功徳 の源泉として僧侶のみを措定する聖なる贈与に留まらず、慈善という文脈におい ても新たな関係性を創出しうる柔軟な形式をもった実践だといえる。 Summary
Dāna and the Philanthropic Elderly Home in Sri Lanka Sae Nakamura
In the present context, there are approximately 200 elderly homes in Sri Lanka. These are private homes run mostly by philanthropic actors, except for four governmental institutions, which depend on neighbouring supporters for the daily provision of free meals and other equipments. This is referred to as ‘dāna’, and it also accompanies memorial service by the inmates for the deceased kin of the donors. The practice of dāna in philanthropic elderly homes is the central focus of this article. Previous studies on Theravada Buddhist dāna mainly focused on the gift from the lay to the sangha (Order of Monks), and they argued that giving to the sangha can accrue a good deal of merit because they are the ideal ‘field of merit’. According to these studies, dāna to the Needy was not so meritorious owing to the re-cipient’s dubious moral status. However, the practice of dāna in philanthropic elderly homes suggests a somewhat different understanding. Although donors pity inmates, they are at times ideally involved, interested, and deeply moved by giving a gift to them, thereby displaying a feeling of esteem and respect towards them. This face-to-face encounter with the donor in turn seems to cultivate moral virtues in the inmates to be worthy of the gift. Dāna accrues merit not only because of an intrinsic moral virtue of the recipient but also through the encounter between both participants that turns them into moral agents, even in the context of charitable giving.