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保健体育科教育
花 田 大四郎*
(昭和55年10月31日受理)
Health and Physical Education
Taishiro HANADA
(Received,October31,1980)
序 論
我国の体育界においては,体育,運動,或は,スポーツということばは非常に混同され 乱用されているのではないか。
例えば, 日本体育協会 が外国に対してはどうして, JapanAmatureSportsAssocia−
tion であるのであろうか。なぜ「体育」がそのまま Physical education ヲではなく,
AmatureSports と訳されるのであろうか。
或は又,「国民体育大会」がなぜ National Sports Festiva1 となって外国には紹介され なければならないのであろうか。
或は又,昭和36年6月制定された「スポーツ振興法」によれば,その第2条としてスポー ツを定義して
「この法律においてスポーツとは,運動競技及び身体運動(キャンプ活動その他の野外 活動を含む)であって,心身の健全な発達を図るためにされるものをいう。」となってい
る。
法律の用語による定義付けとはいえ,スポーツを運動競技と訳していることは理解でき るが,なぜ競技性を有しない「キャンプその他の野外活動」までもスポーツという概念の 中に入れなければならないのであろうか。
ここに競技性を有する身体運動(スポーツと考えられる運動)と,競技性を有しない運 動(スポーツとは考えられない運動)と,唯単純に外見上の類似のみによって同一視し,
混同しているといわざるを得ないわけである。黛ピクニック は確かに野外運動ではあって も,スポーツとは考えられないであろう。しかしながらそれと同じコースを通ったとして も,オリエンテーリングというように,そこに競技性が付加されることになれば,立派に スポーツとして考えられるということであろう。
又,「心身の健全な発達を図るためになされる」身体運動こそ,健康教育或は体育(これ
*長崎大学教育学部保健体育教室
については後述するが)であって,何故これが「スポーツ振興法」といえるのであろうか。
スポーツや身体運動が,常に「心身発達の為に」なされるとは必ずしもいえない。
それこそアマチュア規定にもいわれているように「スポーツは,それ自身を愛好するが 故に行うもの」であり,喚言すれば,スポーツは,それをやりたいからするものであり,
それ以外の何物でもないわけである。
なるほど結果的には,確かに心身の発達に役立つではあろうが,それはあくまでも結果 的に役立つであろうという見通しに過ぎない。
スポーツが遊戯の本質を持つといわれる理由もここにあるわけであって,いわば「遊び たいから遊んでいる子供」の心理状態と本質的には同類のものと考えなければならないの である。
キャンプや野外活動は,多分に教育的要素を持っ身体運動であることは充分に認められ るであろう。それ故にその教育的要素を生かす為に意図され,指導がなされた場合は,確 かに健康教育,或は体育であると考えられてしかるべしといえるであろう。
しかしながら,特別にそのような意図はなく,キャンプをしたいからキャンプをしてい る場合,或は野外運動等を楽しんでいるとした場合は,結果的には教育的効果は期待でき るであろうが,それがそのまま体育であるとはいい得ないであろうということである。
以上のように外見的には,いかにも同じ身体的運動と見えても,必ずしも体育と考えら れない場合もあれば,立派に体育であるといえる場合もあるであろうし,或は競技性の存 在の有無によっても,それが,スポーツといえたり,そうではない場合もあるといわなけ ればならないであろう。
いわば,いかに外見上は身体的運動であっても,それが,そのまま体育的活動であると 考えることもできないし,又そのままスポーツ活動であると考えることも,大きな誤りを 犯すことになるといわなければならないであろう。
「体育」といい「スポーツ」或は「運動」といい,それぞれの語はそれぞれに,その慨念 は慎重に理解し区別して使用しなければならないわけであろう。にもかかわらず,我国の 体育界においては,余りにもそれを混同したり,或は極端には同一視したりして使用され 過ぎているのではないであろうか。
例えば,日本体育協会,山口久太氏の次の文はいかがであろうか。
「スポーツは一人でもやれる。庭で縄跳びをしたり,家の中で体操をしたり,近所をラ ンニングしたりするのは一人でできる。」(1)
「スポーツは……」という書き出しが,「運動は」という書き出しであれば,正にその通 りであって,誤解や錯覚は与えないであろうが,なぜ「スポーツは……」と書き出された のであろうか。
いかにも「庭で縄跳びをしたり」「家の中で体操をしたり」することが,そのままスポー ツであるかのような誤解,錯覚をさえ生ずるといえよう。
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特に我国体育界におけるその混同の著しい例の一つとして挙げられるのが,「スポーツ活 動」と「スポーツの練習活動」との混同ないしは同一視といえるのではないであろうか。
前川峰雄氏は,その著「体育科教育法」の中で,「クラブ活動の指導」について
「たいせつなことは,定刻に集まり計画に従って,みんながとけあって練習し……。」(2)
と,いかにもスポーツクラブという活動の本質,中心課題が「練習すること」であるか のように書かれているのであるが。
或は又,体育の指導書等を見ても,スポーツ教材の指導にあたっては,しばしば「練習す る」という言葉が随所に使われていて,いかにも,体育時のスポーツ教材の指導が,その 種目の「練習」させることを中心課題とでもしているかのような印象を持たされるのであるが。
その外,教科外におけるスポーツクラブの活動や,スポーツ教室などの指導内容等をみ ても,個人技能,或は集団的技能上達の為の練習過程が,その大部分を占めているといっ てもよい程,全体的にスポーツクラブというものの活動は,いかにもその種目の練習活動 の過程であるかのような観を呈しているといえるのではないか。
我国において,「運動部」と呼ばれている,主として学校における放課後のクラブ活動も 本来はスポーツ活動のクラブであるべきものであろうが,その実態は,練習活動をもって 活動の中心とした運動の部となっているといえるのではないか。現在我国における中学,
高校,或いは大学等における運動部と呼ばれているものの種目は,その大部分がスポーツ 種目のサークル,或はクラブといえようが,その活動の日日の実態は,その殆んどが,い っの日にかめぐってくるであろう試合或いは選手権大会等に備えての準備活動,すなわち 練習となっているといえるのではないか。
勿論,ゲームの簡単に行なえるようなスポーツ種目の部によっては,或いはゲームを行なうと いうこともあるであろうが,それも「練習試合」とか,「練習ゲーム」とかの新語を作り出 すような「練習活動としてのゲーム」であって,形の上ではゲームのように見えても,そ の実は,やはりいづれかの日に備えての準備活動であり練習であると考えなければならな いような活動となっているのではないか。
まして簡単にはゲームの行なえないような種目のそれにあっては,正に日々練習練習と練 習に明け暮れると形容される程の実態となっているといっても差支えないのではないであ
ろうか。
このように本来スポーツ活動のクラブである筈の「運動部」が,実態としては,「練習部」
となっているとさえいえるような状態へ,なぜ,何時頃から,そうなったであろうか,に っいては今は述べないが,このような実状が歴史的にも我国の体育界に存在して来たとい
うことは否定できないのではないか。
このような歴史的な事情によって,スポーツという活動が,それの練習を含めて考えら れるようになった,或はむしろ逆に「練習活動」こそ本来のスポーツ活動であるかのよう な錯覚さえ生じて来たといえるのではないであろうか。
スポーツの練習はあくまでも練習であって,スポーツ活動そのものではない。
すなわち,スポーツの練習をいかに熱心に,又いかに多く繰り返し行なったとしても,そ れのみによって直ちに,スポーツを行なったということにはならないのである。
例えば,バスケットというスポーツの中には,パス,ドリブル,或はショットという動
作は部分としては確かに含まれてはいる。しかしだからといって,パスやドリブル或は ショットの動作をいかに繰返し練習したとしても,遂にそれは,バスケットというスポー ツを行なったことにはならなないということである。
或は,HOメートルハードル走というスポーツの中には確かに,ハードルが10個並べられ てはいる。だからといって,1個のハードルを置き,それを10回繰り返し跳び,ハードリン グの練習をしたからといっても,それによって直ちに,110メートルハードルというスポー ツを行なったことにはならないというわけである。
練習はあくまでも練習であって,スポーツそのものではない。にもかかわらず,我国の スポーツ界,或は体育界には,それが混同されて,練習を繰返しながら,いかにも,その ままスポーツという活動を行なっているかのような錯覚を起しているのではないか。或は練 習活動を指導しながら,スポーツを指導しているかのような錯覚を……。
ここにスポーツそのものを行なうことと,スポーツの練習をするということとの混同が生 じているのではないかということである。
沢田和明氏は,その著「現代スポーツ論」の中で次のように述べられている。
「最近の日本語は乱れているといわれる。学問の領域の言葉も乱れている。その一つ一 つの整序からもう一度出直す必要があるのではないか。」(3)
学校体育は勿論であるが,社会体育の場合であっても,それに携るものは,それを受け る被教育者に対して大きな影響力を持つわけであるから,一そう重大な責任を負わなけれ ばならないのである。
それ故に少なくとも被教育者に対して,誤解や錯覚等を与えない責任を自覚する必要が あるといえよう。
筆者の概念規定が,必ずしも常に正しいとは考えないが,少なくとも夫々の言葉の内容 を忠実に筆者なりに考察しながら,誤解や錯覚の起きないよう述べていくことにする。
1〕 「保健体育科」における健康教育(保健)と体育の関係
「保健体育」という教科名は,戦後昭和26年発行「学習指導要領,中学校・高等学校編」
より使用されたわけであるから,先ずその指導要領に則して「保健」と「体育」について 考えて行くことにする。
先ず,その指導要領は,その初めに保健と体育の関係について次のように述べられてい
る。
「学校における健康教育は,その保健指導計画に基づいて生徒の健康の保護増進をはかり ながら,健康生活についての理解・態度・技能・習慣の発達を目ざす教育の分野というこ とができる。
これに対して体育はいろいろな身体活動をとおして教育の一般目標達成に貢献せんとす る教育の領域とされる。
適当になされる身体活動は,健康の増進に欠くべからざるものであるから,健康教育と 体育は密接不離の関係にあるといわなければならない。
このような関係から体育と健康教育は結合され,保健体育科を構成することになるので
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ある。」(4)
以上のように説明されて保健体育科の成立が述べられている。
ここで先ず第一に注意されなければならないのは,いわゆる保健体育科という場合の保 健がここにおいては,明らかに健康教育という意味に使用されているということである。
そして猶「学校における健康教育は…生徒の健康の保護増進をはかりながら,健康生活 についての理解態度・技能・習慣の発達を目ざす教育の分野ということができる。」
とその意図する健康教育が単なる衛生ないしは生理・病理的な内容を意味するのではな く,むしろ積極的に健康の保護及び増進を意図した教育の分野であることが明らかに述べ られていたのである。
「体育はその性質上,健康の増進をはかると共に,社会的態度の発達や教養の向上を目 ざすものである。」
と述べられているが,健康教育の慨念も,体育の慨念も共に生徒の健康の保護(これは健 康教育だけ)増進をはかるという,前半の部分は殆んど同じ言葉で重複しているのである。
後半の部分は,健康教育が主として個人的に述べられているに反し,体育が社会的態度 と云い,多少異なった意味に受取られるのであるが。
そして最後に
「健康教育は,健康という目標から,また体育は身体活動という方法的立場から規定さ れる慨念であって,その自標や学習内容に深い関係をもつものであるから,学習指導要 領は一応両者を別々に扱うけれども,できるだけ関連をもった指導が必要である。」(5)
果してこの説明で,両者の慨念の区別が出来るであろうか。まして,両者を「できるだ け関連を」もたせて指導せよといっても,両者の区別が明瞭に立てられてこそ,その関連 も考えられようが,両者の区別が判然としていないのに,その関連をといわれても益々漠 然とならざるを得ないと云う外はないのではないか。
ここに筆者は,保健体育科という教科がその発足に当って,健康教育という面を意図し ていたことは確かであろうが,いわば,その意図していた健康教育と,所謂体育(ここの 時限では身体活動を通しての教育という意味を強く打ち出してはいた)との区別が明らか にされない儘,発足したと考えるわけである。
このように健康教育(保健)と体育がその区別,区分を明らかにしないまま結合された ところに,その後の混乱の原因があるのではないかと考える。
「口という身体は,食物によって生命を維持する基礎的身体であるのみならず,言語に よって思想や感情等を表現する表現的身体であり,又それに依って人と人とを結ぶ社会
的身体である。」(6)
これは,佐々木氏が体育においての基本である人間の身体,及び身体の活動について述 べられている一節である。氏の言われるように,人間の身体ないしは,その身体的活動に は,一つは自らの身体ないしは生命そのものを維持,向上させる為の基礎的な働きとして の活動があると同時に,もう一つに自らの生命の力を外部に向って表現する表現的な活動
という二面性があることは否定できないであろう。
人間の健康の維持増進の為に外的条件を内部に取り入れる為,ないしは,自己の健康を
支える目的の為に行う行動を基礎的身体活動と考えるわけである。
之に対し,内なる自己の生命の力,思想・感情・意志等を外部に対して表現する活動を 表現的身体活動と考えるということである。
とするならば,この基礎的身体活動を主対象とする教育,則ち生徒の健康の維持,増進 を目的として,その為の活動の指導を以って健康教育といい,それを基礎として彼等の内 なる生命力,思想感情・意志等の表現的活動を主対象に指導しようとするのを以って体育 と考えるべきであろうということである。
児童・生徒の健康の維持増進を主とする働きを健康教育と考え,彼等の健康な身体を基 礎として,それを外部,社会に対して表現しようとする働きを主対象と考える働きを体育
と考える,ということである。
此のような考え方を裏書きするかのように昭和28年版小学校体育指導要領にあっては,
その最初に体育科の性格を説明されている中において,
「(2)体育指導の中心点を児童におく」として,その説明の中に,
「したがって体育科の指導は,児童の自主的な学習を方向づけるようにしなければなら なくなる……。すなわち身体活動の能力をもつことが終局の目標ではなく,その能力を どのように使うか,どのように役立たせるかということがたいせっなのである。」(ア)
というように身体的な能力というものを向上させることが,最終的な目標ではなく,と 明瞭に説明し,むしろ児童が持っている能力を対外的に,社会的にどう発揮させるか,ど う役立たせるか……則ち彼等の能力の表現の仕方ないし,させ方こそたいせつな目標であ るということが,明らかに説明されているのである。
これは則ち,児童の身体的能力を向上させるという所謂基礎的な活動に目標を置く,従 来の体育を乗り越して,児童が持つ身体的能力をいかに発揮,表現させるか,則ち表現的 活動の指導を考えていたといえるのではないか。
以上のように28年版に見られる保健(ここでは健康教育)と体育の関係が,基礎的活動 と表現的活動の二面性に立脚し,それに基づいての保健体育科であろうとしたことは充分 考えられるわけである。にもかかわらず,戦後の混乱と,大きな変動に対して充分な適応 が一般的に定着しないまま,33年の改訂を迎えてしまうことになってしまったと云えよう。
33年の改訂は種々の問題を持つといえるのであるが,前川氏の言われるように体育に あっても「時の政策の変動」をそのまま受けて,所謂「人づくり政策」……「体力づくり」
政策をそのまま受取ってしまうことになったといえよう。しかも体育にあっては,「体力づ くり」という考え方が,我国の長い考え方の習慣上,いかにも「教師が生徒の体力づくりを 行なう」かの如く受け取られてしまっているとさえいえるのではないであろうか。
これが則ちその後の指導要領に常に目標第一項として主要視されるところの……
「各種の運動を適切に行わせることによって,活動力を高める。」
という表現形式になって来ているといえよう。則ち,「教師が,……を行わせることによっ て児童,生徒の体力を作ったり,向上させる」といういわゆる「体力づくり」的性格を真 正面に打出すことになったと考えられるのである。
それ故33年以後の指導要領は,保健体育と呼んでいるにもかかわらず,いわば,健康教 育(健康や体力を向上させようとする基礎的な活動)の面をいかにも体育の最終的な目標
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であるかの如く,ないしは,体育は生徒の健康増進のみ専一に行う教科であるかの如く考 えられてしまったとさえいい得るのではないか。
ここに人間の身体活動の二面性を忘れて,専ら体力の向上を目的としての基礎的身体活 動の指導のみを専一にする学校体育の非常な危険性を考えなければならないというわけで
ある。
何故ならば,例えばよく使われる例としていえば,車の性能そのものをより良く,より高 く作るのは,主に自然科学的工学によるであろうが,その高い性能の車をどのように使用 するか,その性能をどう発揮させるか,ということは,必ずしも自然科学的工学に依らな
くとも,むしろ一般的な操縦の仕方,能力の発揮のさせ方によるといえよう。
むしろ,この操縦の仕方,能力の発揮のさせ方によって,それが人間の生活にとって非 常に便利な利器として利用される場合もあるであろうが,もしその操縦を誤まるか,或は,
能力の発揮のさせ方を誤まると,それはたちまち一種の凶器となり,人間生活を破壊して しまうことにもなり兼ねないということである。
このことは,例えばダイナマイトにしても原子力にしても同じことが言えるのであって,
いわば,その性能とか,エネルギー等が高いこと,それ自体が価値の対象ではなく,むし ろ,それがもつエネルギーや性能の発揮のさせ方,いわば表現的な方向での選択の仕方に よって価値の対象として考えられなければならないということであろう。
ということは,人間の体力や能力等においても同様なことが云えるのであって,体力や 能力が高いことがそのまま価値の対象ではあり得ない。むしろその高い体力や能力の表現,
発揮の仕方をこそ価値の対象として考えなければならないということである。則ち人間の 体力や能力もそれを発揮すべき時,所,位において発揮するからこそ個人的にも社会的に も役に立ち,価値も評価されようが,もし,その時,所,位を誤って,発揮すべからざる時,
所,位に発揮すれば,たちまちそれはそのまま暴力であり,その体力や能力が高ければ高 い程個人的にも,社会的にも大きな被害,不幸を招来する結果となるわけである。
此のような身体活動の二面性を考えずに,専ら基礎的な身体の能力そのものの向上,増 強を志したのが戦前の体操科であり,戦時中の体錬科ではなかったか。則ち専ら国民の体 力向上を主目的として,その為に種々の運動を課し,その向上に努めることにのみ吸々と
して,その体力の発揮の仕方,表現の仕方を教育しようとはしなかったと云えるであろう。
これが結果的に如何に大きな国家的ないしは個人的な不幸を招来したかは,承知のこと といえよう。
にもかかわらず,33年改訂以後,もし保健体育科が身体能力の発揮,表現の教育(体育)
を忘れて専ら身体能力の向上(保健)を最終的目標と考え,専らそのことのみに専心するな らば,戦前戦時中の体育が犯した誤りを再び繰り返すことになるという危険性があると云 う外はないであろう。
それ故に筆者は,あくまでも保健体育科という現在の教科は,素直に身体活動の二面性 を先ず認め,基礎的活動の指導(健康教育ないし保健)と表現的活動の指導(体育)とい う考え方を取らざるを得ないと考えるわけである。
II〕 学校体育の歴史的変遷
① 学校体育とそれ以外の体育
我国における「体育」についての考え方は,先ず「体育則学校体育」的考え方が非常に 濃厚であったといえるのではないか。
特に現在,何かにつけ問題になっている学校におけるクラブ活動としての運動部をめぐ る種々の問題は,此の「体育則学校体育」的考え方の最も端適な現われの例といえよう。
学校体育といえば,学校教育における義務,必修の教科としての体育の意味であって,
特にそれを受ける児童,生徒にとっては拒否することの出来ない義務的教科体育を意味す る筈である。勿論指導者(体育科教師)の指導方法等種々の問題は存在しようが,彼等児 童,生徒にとって,いかに「嫌いである」とか,「くるしい,いやだ」といっても此の教科 としての学校体育を拒否したり逃避したりすることは許されない体育という基本的性格を 持つのであって,大浦猛氏も「学校の成立」に欠かせない基本的条件として考えられる彼 等,児童,生徒に対する「出席の強制」という項によって説明されているところである88)
此のような「学校教育」ないしは,「学校体育」の基本的性格を考えるならば,次のよう な前川峯雄氏の言は明らかに誤りといわざるを得ない。
「学校体育とは,学校の教育活動として認められるところの体育ということができ
る。」(9〉
その上氏は,
「要するに学校における体育(学校体育)は,学校の各方面から直接間接的に指導され
る。」(lo)
というように,「学校における体育」すなわち「学校体育」というように書かれているの である。
我国の体育が歴史的にも学校を中心にして発展して来たことは,事実であろうが,それ が結局は前川氏のように学校の生徒ないしは学校という施設による体育活動を,すべて学 校体育であるかのような錯誤を生ぜしめたといえるのではないか。
或は,戦前における全体主義,国家主義的な考え方の極端な現われとしての学校におけ る生徒達の自由なクラブ活動としての運動部活動を放課後の活動であり,決して義務付け されない自由意志による活動であることは充分に認めながらも猶,「学校体育の延長であ る。」(11)というように無理に解訳しようとした考え方の名残りと考えられよう。
何故ならば,学校の生徒による或は,学校という施設による体育が,そのまま「学校体 育」であると考えられるとすれば,何もことさらに「延長である」という必要はないわけ であろう。その性格が,基本的に異なるという考え方が,存在するからこそ,無理をして
「延長」という言葉を使用していると考えられるのである。
「学校」という教育機関が「学校教育」という公務としての責任ないしは義務を果さなけ ればならないことは,当然であるが,それ以上に一般的な「教育」(一種の社会教育ともい える)を行うことは何等差支えはないといえよう。
すなわち「学校」が「学校体育」という本務を遂行して,猶それ以上に放課或は自由時 にクラブ(希望者の集合と考えられるもの)の体育活動を行っても何等差支えはないとい
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うことである。
しかしながらそれは,あくまでも「学校教育」ないしは,「学校体育」という本務を遂行 した後において初めて,それ以上の或いは余分の教育活動としてということであらなければな らないといえよう。もしそれが,学校体育の延長等という公務としての「学校教育」とい う性格の中において行なわれるとするならば,当然そこには被教育者に対する「出席の強 制」……すなわち,義務づけられた体育活動という学校体育本来の性格付けが必要な前提 条件とならざるを得ないのである。何故ならば,学校の教員は,全体の奉任者であって(教 育基本法第六条②)決して一部の奉任者であってはならないのである。もし放課後におけ る活動が「学校体育」の中において行われるのであれば,少くとも「希望者だけ」とか,
或は「興味のある者」のみであるとか,或は極端には「選手」だけそれを受けられる等と いう一部の者のみを集めて教育するということは,当然否定されなければならないといえ
よう。
以上のように筆者は,「学校教育」ないしは,「学校体育」というものをそれを受ける被 教育者に対する「出席の強制」というものが根本的に存在しているものと明確に性格付け
ることとして,それ以外の教育ないしは体育と区別して考えて行くことにする。
現行の公教育という学校教育制度における,「学校体育」とは,教育する立場に ある教師は公務員としての職業であり,教育することを義務付けられているし,
又被教育者としての児童,生徒も義務教育ないしは,義務の教科として出席が強制さ れ,その履行が義務付けられているという基本的性格を持つものといえるであろ
う。
之に反し,例えば放課後の運動部の指導等は,あくまでも教える人にとっても,或は教 えられる者にとっても,全く自由な意志,希望に基づくものであって,学校体育とは根本 的に性格を異にする,いわば一種の社会体育の性格を持つと考えなければならないといえ
よう。
以上のような観点に立てば,結論的には,「学校体育」というのは,正に正課授業として の時間内における体育の意味であり,それ以外の,例えば,放課後において学校の校庭で,
学校の教師が学校の子どもを指導しているところの運動部の体育活動であっても,それは 明らかに出席の強制されない一種の社会体育的活動といわなければならないといえよう。
以上筆者は先ず,学校体育の性格を明確に,それ以外の体育と区分して行くことにする。
②体育とは
「体育とは,身体の教育か,身体を通しての教育か,此の二つの質問との対決を抜きに して体育とのかかわり合いを,誰も真剣に検討することはできない。」(12)
これは,阿部忍氏が,米国を中心とした体育についてウィリアムズの考えを引用されて いる部分である。ここに「対決」とまで強調されているいわゆる「身体そのものの教育」
・すなわち,教育者が被教育者の身体的発達或は,技能的上達等を直接的に意図し,そ の向上を目的として運動を課して行く一種の訓練を行う,いわば健康教育をもって体育で あると考えるのか,それとも,「身体活動を通しての教育」……教育者が彼等に身体活動を
課すことによって(体育の特質)身体的発達は勿論であるが,むしろ教育そのもの……全 人間として人格,人間性に直接貢献しようとする教育そのものと考えるか,ということで
あるといえよう。
いずれにしても体育である以上,教育者が被教育者に対して,身体活動を課すことは当 然であるが,それによって彼等の体力を向上させようとするのか,それとも,彼等の課さ れた身体活動に対する興味,関心を興させようとするか。
「走らせる」ことによって「走力」を挙げようとするのか,それとも「走らせる」ことに よって,「走ろう」とする意志,意欲を引き出そうとするかということである。
此の両者の「対決」とまで言ってる関係いわば健康教育と体育との関係が,我国に於て は,学校教育を中心としてどのように考えられて来たかについて略述することにする。
第1節
1〕戦前の学校体育 明治24年 小学校教則大綱
「体操は身体の成長を均斉にして健康ならしめ,精神を快活にして剛毅ならしめ,兼ね て規律を守るの習慣を養うを以て要旨とす。」(13)
戦前の学校体育が,体育科ではなく,もっぱら体操科であり,又,課される身体活動も 体操が主であったことは衆知のことであって,今更述べるまでもないのである。唯ここで 述べなければならないことは,「体操は,身体の成長を均斉にして健康ならしめ」とか「精 神を快活にして剛毅ならしめ」,そして「兼ねて規律を守るの習慣を養う」等,この「なら しめ」「習慣を養う」という書き方である。此の意味は完全に「教師が生徒の身体……なら しめ」と考えられ,書かれているといえよう。則ち,「教師が児童生徒の身体の成長を均斉」
にしたり,「精神を剛毅」にしたり,「規律を守る習慣を養ったり」しなければならないと 解釈されるのである。
教師が体操という身体活動を児童・生徒に課すことによって,彼等被教育者の身体を健 康にしたり,精神を剛毅にしたり,規律を守るように習慣付けたり,というわけであるか ら,完全な意味において,身体の訓練であり,それを手段とした基礎的身体活動の指導則 ち健康教育であったといえよう。
以上は,我国における学校体育の最初の主旨であり要旨であるが,その後幾度かの変遷 はあるが,その本旨はあまり変化がなく戦時体制下に突入するわけである。
国民学校の体錬科
「体錬科は,身体を鍛錬し,精神を錬磨して潤達剛健なる心身を育成し,献身奉公の実 践力に培うを以て要旨とす。」
そしてその内容として,体操及び武道と分け「体錬科体操は,体操,教錬,遊戯,競技 及び衛生を課し,心身の健全なる発達を回ると共に,団体訓練を行い規律を守り,協同
を尚ぶの習慣を養うものとす」(14)
保健体育科教育(花田)
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全く典形的に教師がその児童・生徒に対し,体操,教錬或は遊戯競技等の身体活動を課 すことによって,彼等の身体を鍛練したり,精神を錬磨したり,という身体鍛練教科が体 育科(体操科)の主旨であったと考えてよいであろう。
以上のように戦前の我国の学校体育は,その教材等には多少の変遷はあっても,主旨或 は内容においては,一貫して「身体の教育」そのままの体育であったと言えるであろう。学 校体育が「体操科」であり「体練科」と称していたことは,いみじくも,その教材が,
体操という身体活動中心であったということは勿論であるが,より以上に重要なことは,
いわゆる「準備教育」説によるところの教師による児童・生徒の身体の鍛練教科であった といえよう。
体操という運動は,例えば「柔軟性を養う」ための柔軟体操とか,美容のための美容体 操であるとか,本来「手段と目的の分離」した運動であるといえる。くわしくは後述する こととして,運動そのものに目的とか価値というものが存在するものではないという特徴 をもつものといえよう。
此の体操運動の基本的性格が,体操科,或は体練科の基本的考え方として存在し,猶教 育全般の準備教育的考え方によって一層増幅されたことは容易に想像されよう。
ということは,体操科の教師が,体操教材を取扱う場合は,体操的指導を行うことは当 然であろうが,遊戯競技を取扱う場合は如何であろうか。
遊戯競技という運動は,体操という運動とは,その性格を異にするにもかかわらず,そ れが体操科の中での一教材として取扱われざるを得ないということになるわけであるから,
形の変った一教材として考えられたであろうということも容易に考えられるのである。
ここに井上一男氏がいわれるように
「また遊戯および競技の種目は,非常に数多くとりあげられており,一段の進歩をみせ ている。しかしながら,スポーツやダンスの指導に当っての理論的根拠を欠いていたと ころから,その指導は体操的指導がその原則となっていた。スポーツやダンスの十分の 効果をあげるためには,新しい指導原則を生み出す必要にせまられていたといえよ
う。」(15)
というように,遊戯・競技←つ、種のスポーツ教材と考えられる)を体操的指導原則によっ て指導したということである。
則ち,例えば,「100メートル走」というスポーツ教材を「走りたいから走る」というス ポーツとしてではなく,「走力を高める為の走運動」として指導したということになるわけ である。
「走高跳」というスポーツを「跳力」という力をつける為の「跳運動」として指導したと いうことであって,それは正にそのままスポーツの準備,スポーツの「練習の指導」と言う
ことができよう。
スポーツとは,(これも詳細は後章に述べるとして)遊戯要素と,競技要素の二つを満た す活動であるといわれるように,「それをしたいからする」もの,いわば目的々活動であ る。いわば,「早いから走る」或は,「早くなったから走ろう」とするものであり,走るこ と自体に目的があるといえよう。しかしながら上記のようにすることによって,「早くなる
為に走る」という正に逆のスポーツの練習指導といわざるを得ない指導になってしまうわ けである。
「早いから走る」のがスポーツで
「早くなる為に走る」のがスポーツ練習である。
以上,戦前迄の我国の学校体育というのは,体操科,ないし体練科と称された通り,正 に教師が体操活動を課することによって,児童・生徒の体力を向上させようとしたし,又 他のスポーツ的種目も時代と共に移入,採用はしても,それも体操的な指導の一教材に過 ぎず,総合的な体力を向上させる為の一つの身体活動教材的考え方の域を出ないのであっ て,「教師による児童・生徒の身体の教育」否「身体の鍛練」いわば「健康教育」をもっ て,体育と考えていたといえよう。
勿論「身体」のみならず,「精神の快活」であるとか,「精神を錬磨して」とかの精神面 の表現が使用されていることは事実であるが,当時の精神というのは,あくまでも身心二 元の考え方に基づく精神であり,又国家主義或は全体主義という枠内での学校教育という 範囲でのことであって,決して全人としての精神発達を意味し得ないのである。則ち,個 人の精神の発達と錐も,国家という全体の範囲への順応に過ぎないわけであって,決して,
個人の全人としての精神面の自由な発達(範囲を越えたり,逸脱したり)は許されなかっ たと言えるのである。
国家による一定の枠ないし範囲に専ら順応することが,果して精神的発達といえるかど うか,多分に疑問と言わざるを得ないのであって,「教え込み」が果して教育といえるかど うかと同じ疑問であろう。それ故に戦前における精神面は他の項にゆずることにする。
2)戦後の学校体育
我国の学校教育が敗戦を境として大きく変化したこと,否変化しなければならなかった ことは,衆知のことであろう。
「これまでの教育改革が主として学制改革にとどまるものであったのに対して,終戦後 の教育改革は,教育の基本理念の改革であり,そこから必然的に要請せられた全面的な 教育改革であるところに,こんどの教育改革の基本的な問題性がある。」(16〉
以上のような教育の基本理念の改革によって学校体育も基本的な理念,考え方を改革し て行く第一歩,出発点として出されたのが「学校体育指導要綱」であったといえよう。
①学校体育指導要綱
此の指導要綱については,井上一男氏もその著「学校体育制度史」の中に種々特徴を挙 げて説明されているところであって重複は避けるが,何故,学校教育の他の教科には,これ に類するものがなくて,体育だけに指導要綱として出されたのか,或は当時の未だ発足以 前の新制高等学校や新制大学までも「仮称」という言葉までも使用して一貫して出された か,此の辺の経過については筆者のよく知るところではないが,昭和22年という戦後も非 常に速い時期に之が学校体育の指導に当っての「基本的指針」ということを説明して出さ れたということは非常に重要な方針であったと考えるべきであろう。
169 保健体育科教育(花田)
しかも先に述べた村上氏の言葉である。
「終戦後の教育改革は,教育の基本理念の改革である……」
という戦後の教育の改革を裏書きするように,学校体育指導要綱は,その冒頭に「はし がき」として,先ず
「我国が,民主国家として新しく出発するにあたって,最も重要なことは国民の一人一 人が,健全で有能な身体と,善良な公民としての社会的,道徳的性格を育成することで
ある。」(17)
というように戦前の「教師が児童・生徒の体力をつくる」ような体育を基本的に改革し て,国民一人一人が(児童・生徒も国民の一人である)が自らの体力は自らつくることで ある……これが新しく民主国家として出発する我国の最も重要なことであると明瞭に述べ られているのである。
この「国民一人一人が健全で有能な身体……を育成する。」という基本的考え方は,勿論 その前年に公布された憲法及び,それに促して出された教育基本法にそのまま則して述べ られている学校体育の基本的指針であると考えられよう。
というのは,此の「国民一人一人が……」という「自らの身体は自らの力で……」とい う基本的考え方は,教育基本法第一条教育の目的の項に述べられている
「教育は,人格の完成を目ざし,平和的な国家及び社会の形成者として真理と正義を愛 し,個人の価値をたっとび,勤労と責任を重んじ,自主的精神に充ちた心身ともに健康 な国民の育成を期して行われなければならない。」
という戦後の教育の基本的あり方をそのまま受けたものといえよう。
則ち,教基法にいう「心身の健康」というのは,唯単なる健康ではなく,明瞭に「自主 的精神に充ちた心身の健康」ということであり,自分の健康は自分の自主的精神によって 育成して行くということなのである。
しかも冒頭において「我国が民主国家として新しく出発するにあたって最も重要なこと ・・」と敗戦を経験した国家的反省の上に立って最も重要なことと迄述べて,以上のこと
を民主教育の基本的理念と打立てているのである。
以上の様に敗戦という大きな経験によって,我国が民主国家へと大きくその根本方針を 変革すると共に,学校体育も戦前の「教師が児童・生徒の体力をつくる」体育より,村上 氏も書いておられるように此の基本理念を変革して「児童・生徒自らが,自らの体力をつ くる」という体育へ,根本的な変革を意図したのが指導要綱の根本精神であったと考えられ るのである。
次に今一つ重大な点として挙げられるのは,体育の「目的と目標」という分離した挙げ 方といえよう。
ちなみに,指導要綱に関する限り,此の体育の目的と目標に関しては唯 「体育の目的から導き出される主なる目標」(18)
という目標を導き出して示したことのみが記されているのみで,両者の関係には何の説 明もなされていないのでその関係は不明という外はないであろう。
井上氏は,その著書学校体育制度史の中で(P152)説明がなされているが,筆者も一応
はそのように受け取ることにするが,猶筆者が,問題としたいのは,むしろ素直に要綱に 示してある,「体育の目的から導き出される目標」
という此の考え方の準序というか,……目的があって初めて,それから目標が導き出さ れるのであるという考え方であるといえよう。逆に目標があってそこから,或はそれから 最終的に収約されるのが目的ではないということである。
というのは,学校体育の教師は,あくまでもその営為の中において,目標として児童・
生徒の体力や技能を向上させなければならないのである。
唯し,それはあくまでも彼等生徒児童自身の自主的な営為によって行なって行くように しなければならないということである。その為には,当面の目標として訓練もしなければ ならないであろうし,又練習もさせなければならないのである。
唯しその訓練も,練習も「みずからそれをやる」という目的より導き出された訓練であ り,練習でなければならないということであって,決して逆に教師が彼等を訓練し練習さ せれば,結果的には彼等の体力や技能は向上するわけであるから,目的としての体力や技 能の向上には役立つという逆の考え方にはならないということであるといっておくことに
しよう。
次に此の指導要綱のみに体育の目的として明記されているし,又前述のようにその目的 より導き出される目標という説明もなされているが,その後次々に指導要領として,他教 科と同一歩調で,改訂されて要領が各学校(大学を除く)のそれが出されて行くわけであ るが,終にそれは体育の目標及び内容等の改訂であって,一度も体育の目的に言及された 改訂はないのである。
ということは,此の指導要綱に明記されている「体育の目的jは一体どうなっているの かという疑問である。否体育の目的のみでなく,大きくは此の指導要綱そのもの……引い ては,そのはしがきに明記されている「我国が,民主国家として新しく出発するにあたっ て,最も重要なこと……」であるとした「国民一人一人が自らの身体は自らの力で」と いう考え方,そのものは一体どうなっていると考えられるのであろうかということであ
る。
巷間,よく此の指導要綱は「既に消滅している」と言う人も存在する(その理由らしき ものについては後に述べる)が,筆者は,そうは考えない,否考えられないわけである。
その理由は種々言えようが,一つには此の体育の目的と,それより導き出される目標とい う考え方であるというわけである。
成程其後此の指導要綱を基として,各学校段階における指導要領は次々に改訂されて行 くし,その度に体育の目標に少しずつの変化を見せて行くわけであるが,それはあくまで も,指導要綱に言われる体育の目的より導き出された目標の変更に過ぎないという外は ないわけであるから。それは,次の昭和28年改訂版にも明瞭に述べられているところであ
る。
②昭和28年改訂版
171 保健体育科教育(花田)
小学校学習指導要領体育科編(試案)
此の指導要領においては,
「改訂のおもな点
改訂のおもな点については,次のとおりであるが,それにさきだって,まず述べておき たいことは,教科としての体育の根本方針は,少しも変っていないということである。」(19)
と明らかに戦後の体育の根本方針…則ち,指導要綱に則したものであることが明確に述 べられているのである。
そのように明確に根本方針が変化していない……則ち,「自分の体力は自分の力で……」
という基本方針を充分に認めた上で,そこから体育の目標と導き出されて,
「体育科の一般目標
(1)身体の正常な発達を助け活動力を高める。」
目標第1項だけに止めるが,以上のようになっているわけである。
ということは,目標はあくまでも目的より導き出されたものである故に,体育の教師は,
その時間において,生徒児童の「活動力を高め」なければならなし}のである。或は,体力 もつけなければならないわけである。
しかしながらそれは,あくまでも体育の目的としての「自分の体力は自分の力で」とい う生徒自身の営為を目的とした過程の範囲で,ということであるといえよう。
則ち,教師は生徒の「足を速く」させなければならないのである。唯しそれは,あくま でも生徒自身が自ら「足を速くしよう」「早く走れるようになろう」という意志意欲を引き 出す為に,ということであるといえよう。
此のことは,28年版にも
「身体活動の能力をもつことが終局の目標ではなく,その能力をどのように使うか,ど のように設立させるかということがたいせつなのである。」(20)
と明瞭に述べられているところであるといえよう。
以上,敗戦後の学校体育は敗戦直後の指導要綱において明らかに村上氏の言われる,そ の基本理念の改革を意図していたといえよう。
そして猶それに則して出された昭和28年版指導要領迄は,明らかにその基本的理念に よって考えられられ指導されていたと考えられるであろう。
③昭和33年学習指導要領以後
此の昭和33年指導要領の改訂は,戦後における我国教育界において特に重大な転期で あったし,又種々論義を呼ぶところであったといえよう。特にそれ迄の指導要領が,「試案」
という事実の示すように現場学校の指導過程作成上の参考に供すべきものであったのに対 比して33年以後は,基準或は必修最底限であるとして権力によって現場に義務付けしたこ
とは衆知のことであり,種々論義を呼ぶわけであるが,そのこと自体については別にゆず ることとして体育について考えて行くことにする。
特にその後「人づくり」「体力づくり」等という考え方が強調されるようになった時の政 策等の反映等もあるわけなのであるから,上述の「体力づくり」則ち,「教師が生徒の体力
をつくる」のかそれとも「自己の体力は自分の力でつくる」のかに重点をしぽって行くこ とにしよう。
此の33年学習指導要作成に当っての委員であり,同時に東京教育大学教授である本問茂 雄氏は,その編著である「小学校学習指導要領の展開体育科編」において冒頭先ず次のよ
うに書いておられる。
「指導要領の性格,今回の指導要領が現行のものと非常に違った点は,今までのものが参 考にすぎなかったものが,必修の最底限を示したということである。(途中省略……後述 ・)従って新指導要領の制定については,国家的立場において最底必修という大きなわ くが示された上で,委員会の活動が始まったわけであるが,制約としぞはこれだけではな く,指導要領としての形式を全教科なるべく一致した方式で示したいこと,従来のものが 余りに広範であるので,各教科共教材を精選し,内容の示し方も教育目標と内容とに重点 を置いて,それに必要と見られる最少限度の指導上の留意点を示す程度にして全教科を1 冊に納めて,現場の人々の便利を図ることなども当局の方針としてあらかじめ定められて
いたわけである。」(21)
以上のように委員会に先ず,国家的方針が制約として覆いかぶさっていたことを楼々説 明されているわけであるが,氏はその肩書きにも示したように,立派に東京教育大学教授
という教員養成を行う大学の教授なのである。
というのは,氏は以上の制約を承知の上で委員という役目を敢て引き受けられたという ことなのであろう。
それかあらぬか氏は,引き続き
「審議の手順,新要領の制定に当っては,現行のものについて教材の取捨選択,あるい は文章の改訂をするのも一方法であるが,今回は従来のものや,上級学校のものなどに 拘泥することなく,与えられたわくの中で全く自由に初めから産み出すという方針を
とった。」(22)
以上まことに大胆な委員としての説明がなされているわけである。敢て大胆なという言 葉まで使用させて戴くわけであるが,果してここに述べられている委員の見解説明が,許
されるのであろうかという疑問を強調したい為である。
「今回は,従来のものや……などに抱泥することなく……全く自由に初めから産み出 す。」方針が取れるかということである。
ここで言っておられる「従来のもの」というのは,先に触れた戦後の指導要綱及び,そ れと根本方針を同じくする28年版指導要領以外の何者でもないわけである。
昭和33年といえども戦後であることは変りはない。その戦後の学校体育の,しかも国家 規準となるような指導要領を審議し,立案する委員が果して戦後において,敗戦の教訓を 基に作ったと考えられ,しかもその冒頭において,
「わが国が,民主国家として新しく出発するにあたって,最も主要なことは……」
と民主国家としての国民一人一人の自覚を促進しようとして打出した指導要綱ならびに その根本方針をそのまま具体化している28年版指導要領に対して,いかなる根拠によって 「……などに拘泥することなく……全く自由に初めから産み出すという方針」が取れる のであろうか。否それが許されるのであろうか。
保健体育科教育(花田) 173
筆者は,それは絶対に許されないと考えるのであるが,当時の委員は敢てそれを行った と言うわけである。
ここに戦後の「最も大切なことは云々……」とことわり書きをして出された指導要綱は,
捨てられたと見るのが正しいといえよう。
少くとも学校体育にあって,戦後において新しく出発し直そうと反省して打立てた学校 体育指導要綱は,33年指導要領作成の委員達によって破棄されたと見るのが本当であると
いえるであろう。
第2節 なぜ指導要綱を破棄したか
①昭和33年指導要領
これについては本間氏は,その理由らしきものを同書の冒頭に述べられている。
「……現在のわが国教育の行き方としては,指導者が自主的に責任を持って最善の教材 を選んで教育をしていくのが立前であるが,過去10年の体育実績を全国的にながめてみ ると,結局何をいかに指導すべきかということ自体に迷っている指導者が圧倒的に多く,
現場の声としても,何らかの指示を国家的立場において出して欲しいと要望されている ので,文部省としても思い切って,体育上望ましいと思われる最底の線を示し,せめて これだけはどこでも実施し,更に……云々」(23)
第1に「何をいかに指導すべきかということ自体に迷っている指導者が圧倒的に多く ・・」と全国の体育指導者がその指導に迷っていると考えられる状況が記されているので
ある。
このことは,本間氏のみでなく,他の方々もそれぞれに書いておられるところであ
る。
それは,前述のように学校体育にあっても,戦後の改革はその基本理念の変改であった ので,単なる教材とか,内容等の変更ではなかったといえるわけで,前川峯雄氏も指導要 綱並びに,24年指導要領の説明について
「体育科の指導内容の編成における一つの革命であって,このために過去の時代になれ た指導者たちは,新たに学習指導内容が出現しても,実際的にはその転換は困難であっ
たが……」(24)
と,一種の「革命」と迄表現されているところである。
則ち前川氏も述べられているように,戦前の国家主義的或は,全体主義的学校体育 になれ切っていた当時の指導者が,急にその根本理念の改革,変革を迫られたわけであ るから,一気に変革できなかったであろうことは,容易に想像のつくところであるとい
えよう。
則ち戦時中迄学校体育にあっては,その目的も方針も,或は内容,方法迄整然と国家に よって統制的に決定され,教師は唯ひたすらにその生徒に対し,忠実に国家の決定を実際 に行わせて,彼等の体力向上に励んで行けばよかったわけであって,決してその中に教師 の自己流の考えは介入させられなかったわけである。
考え方によっては,これは非常に安易な方法といえるわけで,「自己流の考え方の介入が