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哲学の根本問題(その四)

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(1)

較哲学の根本問題︵その四︶

真理と認識 華教学に至る資料とその考察

五︑カント哲学の認識論的観念論

識論との若干の比較︶

と仏教思想中観念論的

1︑カント哲学の要説と仏教思想との比較

カント哲学は︑筆者にとってフッセル現象学と共に仏教と哲学と

較研究において︑仏教思想を分析理解する規準対象として回避

しえない必要条件となる︒

しかも︑説明大乗とも看倣される世親唯識の相対的理解にとって

も︑比較の規準として重要課題となりうる︒

よって︑カント哲学を仏教思想に比較可能な形式として︑その要

点を簡約体系化して明示することが要請される︒ここでは︑これを

試行する︒

なお︑比較に要する仏教思想の用語・概念等について︑*印の下

多少の落想を覚書する︒

さて︑ J・M・ボヘンスキー教授の名著mミδ忌︑句oひΦ

Philosophie der Gegenwart︐ zweite︐ umgearbeitete Auflage. A.

Franke AGVerlag. Bern1951 ︵桝田啓三郎訳﹃現代ヨーロッパ哲

学﹄︑昭和三十一年︑岩波書店︶は︑現代ヨーロッパ哲学の主要な

方向の概観を明示し︑諸学説を手ぎわよく要約し圧縮して︑内容を

判明かつ区別を明晰に説示する︒

すなわち︑カントの認識論的観念論について︑機械論と主観主義

との綜合としての徹底した概念主義という形態に基づくとして論明

    とず

る︒これを私見をもって要約しexms︐ ︵sa日k$epa−nirdeSa︶とし

示し︑仏教の心識論における概念用語を括弧内に挿入して対照す

ると︑左の如し︒      イ ニ  丁認識には︑個々の科学の成果の総合となる哲学と理念の生成の分

析である哲学との二つの道しかない︒

⑮現実︵二二界・十二有支︶は︑経験的現象の世wt ︵j十二有支皆

比較哲学の根本問題︵その四 ︹伊藤︶

(2)

法華丈化研究︵第.二ー九号 

依一心一世俗諦?︶と認識されえない本体たる物自体の世界︵イ

ー 三界即唯心 勝義諦?︶との二つの領域に裂かれている︑

⑰精神︵感性・悟性・理性 受・想・行・識なる心法︶は︑現象

界に法則︵11先天的形式一時・空︑量・質・関係・様相︑イデー

      へ     ヘ 一唯識有境︶を与える︑

なわち︑思惟︵n悟性・理性 意識・末那識・阿頼耶識・阿

摩羅識?︶は︑経験世界の根本構造を含んでいる︑

⑮経験世界︵ニニ界?︶そのもの︵11世界の叡智的内容イデi 即

心︶は︑大量の感覚︵日五境・五根・五識?︶から︵形式原理

としての︶先験的主観︵1悟性・理性一意識・末那識・阿頼耶

識?︶が作り出す︵11創造する︶結果︵ .二界虚妄但是一心作︶

 である︒

Y

哲学の根本問題は︑理性以外の道で意志の要請によって︵すなわ

ち実践理性によって︶解決される..

*1 二︑界即唯心︵ 勝義諦︶ citta−rnatiκarn idaip y. ;:i︵二︹三︹ヨ

 traidha−tukam ︵− param讐rtha−saty. a︶︑L・ltr支皆依一

11世俗諦︶︑y. iinimfini dvfidaft.a bhavAiigAni tatht−i−

 gatena pra︶hedaSoぐ葛江ピ巴割已︵5︼﹈ぺ︶︒三㏄零岳旨︵・≦

 ︵eka−︶ citta−samfi︶sritAni ︵1saipvrti−saty. a︶.

*2 筆者の云く︑l経験世界そのものは⁝⁝先験的主観が作

り出す結果である というのは︑ライプニッツ哲学の﹁モ

ドのうちに素質があり︑モナドのうちから展開する﹂と

か︑一単子には窓がないから感性的観A.心も⁝⁝理性的観念

うちに素質として含まれている﹂とかを承けたものの如

くである.︑

2︑カント哲学の略説と仏教思想との比較

次に桂壽一博士の所論を抄出し︑私見をもって要約し︑私見を

加えて略説︵sam㎝sa−nirdeSa︶として示す.左の如し︐

なお︑本論の主題は真理と認識であるからカントの﹃実践理性批

判﹄等における道徳哲学については省略する.︑

しかし仏教は実践哲学とも看傲しうるから注記を要する︑﹈

亘 カントは︑以前の近世哲学における合理論と経験論との対立を

調停・統一する.︑

A︶合理論は経験に先行する理性を過信して認識を超えたものを認

      ト  エ  マ ニ  ら  ぺし ム アェ

 識しうるとする独断論︵Co彗峯こ㏄己⊆乙︒︶となり︑経験論は経験

学的分析に専注して普遍性・必然性を説明しえなくなる懐

    ノ ベ ア  

S

kel︶tizisn︶us︶となる一.

      ン ノ  づマ  ジェ

cc︶カントは︑これに対して批判論︵Kritizismus︶を提唱︑すな

ち理性の批判により︑認識・知識について形式と素材とを区別

し︑理性的なものは経験の範囲に限られ知識の形式としてのみ意

をもつから︑素材は常に経験的なものである︑とする︒もって

(3)

両者を総合する︒

 *3 ここで云う合理論︵ー独断論︶は仏教における Madhyamakaに︑経験論︵ー懐疑論︶Ii9 Vaibh鋤$ikaに︑

カントのes判A︐S tE Yogacarinに類通し対比されよう︒

亘 批判論の目的は︑知識・道徳が心内・社会において如何に生じ

るかを問う事実問題︵Ω⊆己欲o巳にではなく︑知識は如

なる権利根拠によって客観性を主張しうるか︑道徳の法則は如

なる根拠で行為を規定する道徳性たりうるかを問う権利問題

 ︵quid juris︶にある︑という.︑

       ヘ  へ     へ

 ︐e.tr YogEc5rin・世親唯識の目的は︑むしろ知識が心内に如 に生じて展開するかを問う事実問題にあるのではないか.︑

⑥ かかるカント哲学は︑理性偏重主義ないしヴォルフ系の啓蒙哲

学の独断論的傾向に対する反省・批判を通して︑理性の限界を定

される範囲にその権利を確保するという意味で︑啓蒙哲学の

を示す︑と看倣しうる︒

① 認識問題について︑ヒュームなどの先天的分va的 ︵analytisch︶ .

 suFK的 ︵a posteriori︶ sc合的なるに対して︑先天的︵③百ユoユ︶

 総くll的 ︵synthetisch︶なる判断︵11数学や自然科学での事実認 識︶が如何なる根拠によって可能であるかという権利問題を問う.︑

ちながら而も単なる主概念の分析でなく︑新たな客

概念を付加︵11内容を表明︶する判断こそが︑価値ある認識であ

る︑とする︒

 これに答えて︑認識の先天性である普遍性・必然性を説明する

に︑主観が客観に準拠するとする主客の関係を逆転せしめて

客観が主観に準拠する ︵これをコペルニクス的転回

 コ  ヘ ヤ  ニ ラ    ヘ ノ ユ け ア  ノ へ ペ ド  kopernikanische Wendungという︶として︑知識に形式と素材

とを区別し形式が認識を成立せしめ認識の対象たる客観を可能な

らしめる根拠である︑と︵11認識形式である因果関係のもとに始

客観世界も成立するという観念論をもって︶する︒

*5 客観が主観に準拠するという︵コペルニクス的転回︶の

は︑世親唯識︵Yogacarin︶の主張する唯識無境︵11三界

      ヘ  ヘ  ヘ  へ

唯心・十二有支皆依一心 唯識有境︶の学説への転回

類通し対比されよう︒これ︑要処である︒

*6 認識の先天性である普遍性・必然性とは︑識の種子

 ︵bija︶に類通する︒

象たる客観を可能ならしめるとは︑種子として

し色境等としてeHgmR ︵abhasa︶すること︵すなわち のua変 vijfiana−parinama︶に対比されよう︒

これ︑要点である︒

⑤ ﹃純粋理性批判﹄︵大ミ※込Φ︑re︑nen Vernunft 1781 1787︶によ

      ニ リ  ご ヤ で マ ノ ア      ア ス ギ ィ ノ ブ づ ノ

ると︑客観の現象︵Erscheinung︶t9︑ ss︷III体 ︵das Dinge an

    ノ  こ sich︶ではなく︑形式が妥当して認識の対象となる実在︵勾窪ご丁

問題︵その四︶ ︵伊藤︶

(4)

法華文化研究︵第三卜九号︶

 tit︶であり︑物自体は︑思惟されるけれども︑認識されない︵11

は感性の所与である現象に限られるから︑経験の範囲を超え

はならない︶︑とする︒

*t− Sorr1S ︵das Dingean sich︶というのは︑世親唯識で

う不可言なる自体としての仏の1eLpt ︵nirabhilapyena=

 tmana buddhanaヨ gocarah︶に類通する.︑

 仏の行境とは︑如来法であり︑唯記識性︵≦百鋤旦−∋鋼11

      まりよつ

 tratva︶ ︵という構造機能︶なる有性︵astitva︶であり︑

 その︷ajev ︵saヨdha=abhipraya︶は︑諸法無自性︵三性

性︶であり︑諸法無我︵への悟入︶であり︑諸法の法

  su ︵dharmanaヨ dharmata︶でもある︒

① すなわち︑広義の理性には感性と悟性とがあり︑狭義の理性が

 ある︒

      ノ  ノ ロ  レ  パロ ィ  へ① tigsu ︵Sinnlichkeit︶は︑受動的な能力であり︑直観を作用と

して時間︵の前後︶空間︵の配置︶を先天的な形式として︑感覚

的な素材を受容する.︑

*8 感性とは︑五+縄の中︑楽・苦・不楽・不苦の領納を作用  ︵−感受作用︶とする受︵くΦ合コ鋼︶に類通する︒

識と倶生する身受︵k伽yik鋤 vedan③︶が空間︵の配置︶

を︑意識と倶生する心受︵caitasiki v°︶が時間︵の前後︶

を︵先天的︶形式として感受するのであろうか︒

き vesu ︵Verstand︶は︑能動的な能力であり思惟︵判断︶を作

用として︑ ︵分︶量・︵性︶質・関係・様相の観点からいずれかの

惟形式力テゴリー︹パ巴完oユ3純粋悟性概念︶を先天的な形

として認識する.︑

エ カテゴリー︵範晴︶は︑先天的総合的な認識を可能せしめる根

として︑客観世界に妥当する形式である︵1ーカテゴリーの先験

     トラ ノぞ  ニ ニひ ノひ レ ニトふコ ヒブす  ン

的Xgwa transzendentale Deduktionによる︶から︑感性受容の

象という経験的直観の範囲に限られる︒

 *9 悟性とは︑想︵c・﹇葛ご日︶蕊と識︵vijfiana︶とに類通す

る︒想は︑諸法の相 ︵nimitta︶︑名︵コ餌ヨp已・義

         ま  ニ  め

 ︵artha︶を仮合して覚知︵‖解︶して︑尋︵≦9完①︶・

      ヘ  へ 伺︵己③﹁巴の因となることを作用とするから︑何らかの 意味で︑カテゴリーを覚知するかもしれない︒

しかし︑識︵11前六識︶は︑所縁の了as ︵Alambana−vi−

 jfiapti︶を作用として︑色等の境の事︵dravya︶のある

限り︑そのすべてを識asbx︿︶ ︵prati−vi−V−jfia︶から︑カ リーを認識しうるであろう︒

 ことに︑前六識の中︑法境を所縁とする第六意識

mano−vijh鋤na︶に相当しよう︒

とは︑任持自性︵11自性を任持するもの︶・軌生物解

=軌範となって事物の理解を生ぜしめるもの︶の二義を

(5)

もつ︒法︵境︶とは︑軌生物解の義よりすれば︑認識の標

となる軌範︵カテゴリー︶を意味する︒

 あるいは︑我執によって能・所を分つ妄くRas ︵vikalpa︶

 の概A・心は︑いわゆる形像を表象する能力で︑感性と悟性と

         ヘ ヘ ヘ へ   イ ノニト ヘ ンソアラ つつト

を媒介する構想作用︵Einb=dungskraft︶に類似する︒

時︑この分別に対する現代訳語としてカント哲学訳語

      ヘ  ヘ  ヘ  へ

 の構想作用の成語が転用されているが︑これは︸考を要す

るであろう︒

 ところで︑しかし悟性のカテゴリーを認識する作用を重

ると︑﹃入阿毘達磨論﹄に見る行藏中の心相応行にし

五+温三無為の八句義について範囲関係・因縁果・自

共の二相を観察して法を簡択する︹芸①号己㌣己日葦︶慧

 ︵prajfie︶︑世親の﹃大乗五葡論﹄に見る︵所観のものに諸

を簡択する︶慧︵praJna︶に類通し照合せしめることも

    できよう︒

㊥ 狭義のavsu ︵Vernunft︶は︑推理を作用とし理念を形式とす

る︒理性の領分として先験的弁証論︵弓︼ゴo㏄N勺コ崇コ巨①

 ニノ レケニノケ Dialenktik︶において︑ヴォルフ形而上︷*の・i部門の心理学・宇

宙論・神学の中心概念である霊魂・世界・神は経験の範囲に入ら

識しえないから︑これを論議すると仮象の論理となり︑論理

過誤を犯して純粋理性のSieeFN ︵Paralogismen︶となる︒

 すなわち︑理性が認識の対象にならない世界全体を経験の限界

を超えて推論すると︑妥当必然と考えうる論拠の二つの相反する

       ロ  ノ ダ  ジ       

となる..これを二律背反︵﹀コごゴo日︒︶と称して四箇を示す︒

ともに理論理性︵ー認識を目的とする観点︶をもってしては解

決不可能の不合理にとどまる︑

◎ しかし︑形而上学上の霊魂・世界・神は︑理性をもって認識す

ることはできないけれとも︑認識されるべきもの︑課題

 ︵Aufgabe︶としては有意義であり︑規制原理︵奉σq巳㏄江ぐΦ切

 づ リ ィノび  ザ Prinzip︶として役割を果たす︒

       ヘ       へ

これらの概念は︑狭義の理性の概念として︑理念︵五ΦΦ︶と称

 する︒

         ジリニび ら ニ マ ド ニ ノ グラヨフト垣 ﹃判断−Res判﹄ ︵Kritik der Urteiiskraft一七九九︶によると︑

構成原理に固執すると︑部分が全体を予想して作用する︵11生物

体の各部分が生命現象を目的としてはたらくとする日目的観︶の

か︑機械的にのみ作用する︵11単に物理的化学的に作用している

       ヘ  ヘ  ヘ  へ

とする=機械観︶のか︑の二見解に分れて二律背反を解決するこ

とができないが︑規制原理を導入すれば︑機械観によって因果関

を発見しながら︑規制原理をもって︑目的関係︵を想定して未

関係︶を発見することができる︵‖規制原理は発見原理

 Heuristisehes Piinzip g意味をもつ︶とする︒

 *10 以上を私見をもって要約すると︑狭義の理性

比較哲学の根本問題へその四 ︵伊藤︶

(6)

法華丈化研究一第三ト九号﹇

ノ1

Vernunft︶とは︑イデーにかかわる高い思考能力である︒

11理論︶ew$t1 ︵reine Vernunft︶とは︑定立・反

という解決不可能な二律背反の誤謬に陥凹する推論能

力である.︑

Praktische V°︶とは︑最高善の実現を求め

まない意志能力である.︑

世親唯識において︑理性に対比されうるのは︑第七末那

冨ヨ芦o︼忌∋泣くごコ芦①染汚意と名くる識︶11意

nlanas︶であろう.︑

は︑阿頼耶識を所縁︵巳巳己︶呂6︶として常に我魔

Fitma−moha︶ 我見︵劃㍉号巨︶・我慢︵口゜−111 ﹇l lla︶ .我愛

a°−sneha︶等と相応する識であり︑ 一類に相続して随転 る︑という︒

性は︑末那識の我療・我見に相当する.︑

実践理性の最高善を求める意志能力は︑我慢・我愛に相

当するか︒

否︑むしろ︑それは︑別の体系である華厳十地の菩薩行

b

odhisattva−carya︶における仏智を求め︵一三︹一︵三鱒−盲鋼‖

Bげ古二器o︶︑大悲を首とする︵ヨ㏄庁和冨号三還−PiilVallll

gama︶meth﹇H・? ︵bodhi−citt6tpada︶ないし願行︵買①ロー−

id ha

na−cary鋤︶に相当するのではないか︒

3︑以下︑カント哲学の広説と仏教思想との比較

カント哲学の代表的な研究成果の↓つ︑筆者の愛読書︑山崎

正l博士の高著﹃カントの哲学﹄︵一九六ヒ年︑東京大学出版会︶

論を抄出し︑私見をもって要約しlz1nし︷︷ms︐ ︵audarika−nird=

eS

a)

として示す.︑

図式は筆者の私見による作成である︒なおカントの道徳哲学につ

は省略して注記にまわす..よって︑左の如し.︒

1一カント哲学は︑論理学的存在論のモティフ︵11形而上学的存在

を論理学的構想によって合理主義的に追究する合理論的形而上

学︶を能力心理学の形に書きかえた経験心理学の立場に翻訳し︑

さらに能力心理学を形相︵11形式︶化するところに︑形相的観念

おける批判哲学の体系として成立する.︑

的という独自の用語も︑能力心理学の形相化による︑︑

自ら先験的gm︿r?SiS ︵der transzendentale ldealismus︶ .形相的

日形相的能力心理学︶と称する所以であるv

4︑純粋理性批判の全体構造を図式化して比較する

2一 ﹃純粋理性批判﹄︵大ミ※qΦ﹁δinen Vernunft︐ 1781; 1787︒︶ g

体の構造を図式化すると︑左の如し︒

(7)

 粋 理 性 批 1 ー      ー判 の 全 体 構 造 図 式      1

 理 性 批 判 の 区 分

判される認識能力の区分

第一部先験的感性論 三二﹇﹁竺臣N2己Φ巳巴︵・﹀び㌘夢暮巨︶

質料を受能する能力としての︶感性

1二︶六

概 念 論︵純粋悟性概念1ーカテゴリー︶   1

義の悟性

1先験的原理論︵ElennentarIehre︶

1

       ︵O﹇0       9巴佗−

言三三言二品日ご︶

れる︶思惟能力としての広義の悟性

第二門先験的弁証論↑﹁巴臣嵩=ー二儒o〜一㊦ご完11仮証の論理学︶

川1ー

︐感性 1   能  力作  用

広い意味︶   ︵sinnlichkeit︶     悟性︵くΦ﹁︒富⊃α︶     ﹇ 〆 ノ ー﹁﹁ /∨直観︵AnschauunQ︶思惟︵Gedanke判断︶

1

1

リー .      −       1

        

1

    

I

l

1

比較哲学の根本問題︵その四︸︵伊藤︶

(8)

法華文化研究︵第三十九口官ご

      り  し ノ ニ   ⑨︺認識には︑知られない根︵Wurzel︶から発現せる.︑つの幹

 ︵Zwei Sttimme︶である感性︵の臥巳告巨○ごと悟性︵ぐギピぷ︼巳︶

とがある︒感性によって諸対象は与えられ︵駕湾ご︒巳︑悟性に

よって思惟される︵σqedacht︶U ︵Ibid.. A°一ぷCoNO.−︶

        ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ百 カントは︑能力心理学的構想によって感性のア・プリオリの形

式︵11形相︶を︑悟性のア・プリオリの形式を︑そして両者の共

同による判断作用の構成を︑さらに諸の判断の究極的統一を論明

する︒

⑤ 諸の対象についての認識のtl+R ︵Unsei−e Erkeiintnisart︶に

       ドザワド  ニ  ド コ  ノヰ ンデ  ヒ

わる認識を先験︵transNendental︶的−v L ・o ︵Ibid.︐

﹀.11〜l2︐ B.2s.u︶u

       ヘ  ヘ       ヘ  へ

       ヘ  ヘ  へ とは︑経験からの認識批判的超越を意味する︑その超越が

超経験的対象にかかわる形而上学的なそれである場合に超越的

   ヒ ラ ノスン ェ ドニ ノ ハ       ヘ  ヘ  へ ︵transNendent︶と称し︑経験の範囲内という意味の内在的

 ︵immanent︶に対する︒

⑥第一部先験的tigsuSi: ︵Kant︐ K.d.r. V/︐ A.19〜49 B°33−− 73︶に

      ド   の ふ ヒ  ノ ア

よると︑認識が対象を直接に関係する場合を直観︵Anschauung︶

 という︒

      ノ ノ ト ご   ひ  ノ  ノ ム メ  ベ  ノ ヴ

間において直観とは︑感性的ymdgm ︵sinnlicheAnschauung︶

       エ ヒ ゴ か イ ヘハ ノ ン

ある︒感性的直観の対象は︑現象︵Erscheinung︶であり︑そ

れ自身における物そのもの−物自1si ︵das Dinge an sich or Ding

N

 an sich︶ではない︒

σ その純粋形式︵﹁Φ5Φ﹁o﹁ヨ︶は︑空間と時間とであり︑純粋

 ymJgm ︵reine Ansschauung︶とも称する︒

は︑外的現象︵口;三つ国.︶の形式であり︑時間は内的現

象︵﹇ロる三国しの形式である︒内的は外的を含みうるから︑時

間は︑あらゆる現象一般の形式である︒

間・時間は経験的実在性︵empirische Realittit︶を︑経験

対象に対する客観的妥当性︵objつctiv︵i GUltii四keit︶をもつ︒

感性的直観の主観的形式︵subjective I?orin︶・主観的制約︵°︒已︸Y

 jeetive Bedintsrung︶なので︑先験的観くrA.ig1 ︵transzendentale

 Idea﹈it2it︶をももつc

よって︑機何学におけると一般運動学とにおけるとのア・プリ

 オリの総合認識の可能性あり︑とする.︑

8・1先験的原理論の第︐︑部先験的論理学の第一門先験的分析論︵11

真理の論理学一人○巴西号︼・乏言忌Φ一﹇︶第一編概念の分析論による

と︑︵経験論的能力心理学11能力心理学の形に書き換えられた経

学の立場によると︶対象が感性を通して心を触発

 ︵affizieren︶ jて表象を与える︒

         マ    ドコニ  コ プテ

 そのerex ︵Vorstellung︶を秩序づけ統一して認識する能力が ある.一この統1された表象を概念︵Begriff︶という︒

よって︑悟性認識は概念による認識である..感性は表象を受け

(9)

 fft︿︶tw納su ︵Rezeptivittit受容性・感受性︶であり︑悟性は表象 出する能力︑概念による認識︵11−Qse Denken︶をなす自発

 su ︵Spontaneitat︶であるt一

 悟性の概念の中︑最も根源的基本的なものを︑経験的なものを

交えないという意味で︑純粋︵な︶悟性概念︵○Φ﹁﹁ΦヨΦ<Φ﹁︒↓③〒

 des begriff︶と称し︑アリストテレスによりtwue ︵Kategorie︶

と名づけて︑︵先験的図式の如く︶形式論理学の判断形式︵判断

如し︶をもって十二のカテゴリー︵範晴表の如し︶を提示す

 Q ︵Kant︐K°d. r. V.︐ A.50︐ B.74ff.︶

る経験論的心理学よる主観的演繹論に は︶主観そのものの形相化が遂行される︒

       ヶ で ヂ フてプィプト      ヘへ 相化された主観そのものとは︑﹁そこにおいて直観の多様が 出されるところの同l主lt ︵dasselbe Subjekt︶における我思

 t6 ︵das: lch denke︶ Jという表象たる純粋︵9Φ﹁ΦヨΦ︶・根源的

 ︵die ursprngliche︶ 先験的as ︷ag ︵die transzendentale

Apperzenption︶であり︑純粋にして根源的な不変の意識にして︑

先験的︷opee ︵das transNendentale Bewutstsein︶と称する︵宗﹂︵二

 B.1311 A.107−x°; A°117Anm.︶︒

⑪ 現象としての客観は︑すへてこの形相的な主観たる先験的統覚11

中に含まれ︑法則的自然界は︑形相的な主観能力がカテゴ

 =ーによって構成するところである. ⑫ 外的内的の現象の背後に︑物自体の存在は︑独断的に想定され

ならない︒しかし︑その存在の可能はこれを保留すべし︑と

 する.⑬ 先験的統覚ー先験的意識とは︑有限な個人的な経験的統覚・意

識に先立ち︑それを可能ならしめる根拠であるから︑経験的統覚

 ︵die empirische Appe・zpption︶ =.rc験的thF4識 ︵das pmpirische

 BewulStspin︶に対する︒これは形相に対する質料の︑権利︵法︶

対する事実︵法︶の関係にある.

C14・先験的統覚の下に感性的直観によって︑時間・空間の純粋形式

られる多様の表象がもたらされて始めて︑多様の総

 くUas 1 ︵die sr nthetisehe Einheit des Mannigfa︸tigen︶が可能

となり︑それに悟性的思惟が働きかけて︑カテゴリーを適用して

統一を与え︑もって対象の認識が可能になる︒

⑮ かくして︑先験的統覚とは︑かかる悟性の自発性の主体的作用

そのものを意味する︒

       マイノヒルドペノア しプラフト⑯ それは︑感性と悟性とを媒介する構想力︵m言⊆一江⊆コQ°︒苓③コ想

像力︶である︒構想力とは形像︵Bild︶を形づくり構想する能力︑

なわち二対象を︑それが現に存在しなくとも︑直観において

表象する能力=B° 130ff︶である︒

 *11 ここに示される主観そのもののMN相化 ︵r−唯記識︶とし

目識の転変︶は︑世親唯識における

較哲学の根本問題︹その四 ︵伊藤︶

(10)

法華文化研究︵第.︑︐ト九口ご

変︵vljnana−par一rpama︶を明す唯識の安立︵く二富H  na−matra−vyavasthana︶に類通する︒

*12 すなわち︑﹁我思う一という先験的統覚11意識は末那識

      ヘ  へ  ︵klirpVa−mano nt−imE;言鋤コ巴と意識との仮合の分位に︑

      へ    その下の感性的直観は受籍︵11苦・楽・不苦・不楽︑愛・

非愛・非.一を領納するvedanas.︶と五境を識知する五識       へ   

      ヘ  へ とに︑悟性的思惟は想羅︵11法の相名・義をまとめて解 知し境に相を執持し取像を作用とするsar︸﹈jfiA−s°︶と意識  ︵=意根を依所として三世の一切法に対して法境を認識・

理・追想する﹇ゴ鯵コO−く言警巴‖分別事識︵U現象界の

    刃心    哉     三n

間に介在せしめて

三.︹言白゜・︷Oo三︵六︼.

od

uk

tio

n in dei

Rcikognition iiii 諸種の事物を認識する作用をもつe含浮亨℃﹁㏄ご〜三吟巴︸︶①−

言S︶に︑悟性の︵形像を構想する︶構想力というの

は想慈と意識との仮合の分位に︑それぞれ類通する︑と見

ることができようか︒

元   の  成

  多様の総合統一という表象内容の側からと︑

 認識能力の側からと同時に考えると

  ヘ   へ

官による多様のア・ブリオー−の概観  ︵Synopsis. des. pt︐lannigfaltik.en n p﹈.ioii

  dureh den S=︶n︶

  ヘ  ヘ  へ

構想力によるこの多様の総くll ︵i ynthesis

  dioses Mannig falt.igen dtnch E.inbildun=

  万乙︷﹇.︑二.ご

       ヘ  へ

 根源的統覚によるこの総合の統I ︵Einheit  di︵︐sei Synthesig. durch uispiting﹈licho

  iXpl︶︵︐r.z︵TI︶ticll︶ 5︑認識の成立過程を図式化して比較する

を図式化すると︑左の如し︑

*13 かくして︑この中︑第一段階は受窺W五識に︑第二段階

は想慈W意識に︑第三段階は末那識W意識に︑それぞれ相

当するであろう︐

   過   程

多様の総合統一とは︑多様と統一とを総合に

よって媒介するから総合の働きを中心にして

考えると

直観における覚知の︵$︿: ︵Synthesig. >ppio

he n

s. i

on in dpi Ansehauung︶

構想における再現の総合︵⊃たこ三ぢ三工︵ぎ

Rel︶i.︵当︷三く亘o己一コ︹言.ロニ三三ullg︶

念における再認識のsc ︿U ︵︐Synthesis dei︐

Rekognition im Bekrr.iffe︶ ︵﹀° 98ff.︶

(11)

⑱︵カテゴリーの客観的妥当性を説明する客観的演繹論において

 if︶ ︵客観そのものの形相化が遂行される︒すなわち︶再現

 ︵Reproduktion︶ 再認識︵出爵oσq巳ご〇三という受動的な面を

斥けて︑悟性的認識能力の自発的能動性を強調して認識主観の超

個人的形相を明確化する一︑

⑲ すなわち︑先験的統覚の統Iとは︑意識の主観的統一ではなく

して︑対象に関わる客観的統1である︒

⑳ 感性に対する悟性︵の︶作用として︵ある︶構想力の自発的能

力性は︑︵再生構想力と区別される︶産出的構想力︵合つ

 produktive Einbildungskraft︶である︒

⑳ 先験的統覚による感性的直観における多様の総合こそが︑覚知

         ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ       ウ ヨ       ス   ム  ノ ト

総合であり︑覚知のS$︿Ek:知︷¢ ︵Wahrnehmung︶は基づく.︑

なわち︑知覚すらも感性に対する悟性の自発性︵11先験的統

覚︶に基づくのである︒

⑳ 先験的統覚︵H構想力︶によるカテゴリーの使用によって︑自

然の客観的対象界の構成が︑すべて可能になるo

 *14 ⑳・⑳に云う悟性の構想力の自発的能力性なる︵対象界

構成を可能ならしめる︶産出的構想力とは︑識の転変

      ヘ  ヘ     ヘ  へ

 ︵vijfiana−parirpama︶なる︵諸法を分別11構想する︶妄分  ff ︵くikalpa︶に相当する︒

      ヘ  ヘ  ヘ       ヘ  ヘ  ヘ  へ

 *15 ⑮には﹁先験的統覚とは悟性の自発性そのものである﹂   明してはいない︐悟性の自発性そのものとは何か︑その実       へ        ヘ        ヘ  へ   そのものを特徴づけ性格づける先験性の生成と作用とを究   ヘ  ヘ  ヘ  へ   と云う︒しかし︑カントは先験的 すなわち悟性の自発性       ヘ  ヘ  へ

体と生成と作用とを解明しえていない︒       ヘ  へ

  それを解明するもの︑それは世親唯識の説示する頼耶転

        ヘ  へ

変説・業薫習種子説である︑と愚考する︒

*16 なおカントは︑美的判断力の批判をなして︑美的趣味判

断は直観の多様を綜合する構想力︵Einbi﹇dungskraft︶と       あヒ

を統一fot︿︶EUsu ︵Verstand︶とが相互に相合致し調 和して働く自由なる遊戯IU!as ︵freie Spiel︶という心の状

態に基づくものである︑とする︵民︑ミ汗心ミ︹ミ○ひミヘミ

 g9〜17︶o世親唯識は︑これに如何に応答しうるのであろ

 うか︒

6︑先験的分析論を図式化して比較する

⑳ 第一門の先験的分析論の第二編原則の分析論は︑純粋悟性概A︐心

 ︵カテゴリー︶は現象に如何に適用されるべきかを教える︒カテ

リーと現象と同種の第三者とに原則を要する.︒いわゆる先験的

       ン ニ   で pm:trr ︵das transzendentale Schema︶である︒

これにかかわる悟性の操作を純粋悟性の図式機能

 ︵Schematismus des reinenVerstandes︶と称し︑その図式は先

哲岸†の根本問題︵その四︐ c伊#g︶

(12)

法華文化研究⌒第三Ll九号︶

的ue間nQl︵︷︸h1 ︵eine transzendentale Zeitbestirnmuiitg︶である.︑

対象は感性的直観において与えられ悟性によって思惟され︑そ

して対象は︵構想力による︶総合︵先験的統覚による︶統1によっ

される︒

先験的ec kl ︵das traszendentale Schema︶

析論︵概念の能力である悟性のその概A.心で根源的基本的なものは何

を示す︶

先天的形式

−判断

分 量

Quantittit︶

 質

Ou﹇ニニ葺︶

関 係

Relation︶

表︶

2様§相

ミ12 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1

性概念︵︹一三︹︵昌つくつ芸﹇①呈三一三民︼ζ二

ーuaes ︵Kategorie︶ ︵表︶

単一性︵□∈﹈hoit︶

多性︵≦︹三﹀︵己︶

体性︹≧lhe三 在性︵男゜alitiiO 定性︵Negatt三^三︶

制限性︵=ヨ言﹂一︵三︶

実体性︵実体と属性ピき暮o︼烏︶

因果性︵原因と結果甲うじ已ピごや誉︶

相互性 ︵些圧動者と亙ズ動w首との⁚父互作用 Genioinschaft ︶

可能性︵DvT6dalitAt︶

現存性︵Da㏄ein︶

NI S:ipt ︵Notwendigkeit︶

合判断の最高原理である純粋悟性の最高原則は︑

客観的使用の規則にほかならないU

⑳ その先験的図式を︑筆者なりに図式化して示すと︑

粋悟性の図式機能  先験的時間限定︶

時間系列 ︵Zeitreihe︶

§

E

9

E

時間総括CZeitin︶egiff︶ カテゴリー

し︒

カテゴリーを現象に如何に適用すべきかを教える︶

ーカテゴリーの客観的使用の規則︶

直観の公理︵f〜xion﹈ dつr﹀ロ鎗ユ︼o⊆已=舛︶

直観は延長量である︑︑

ril/ ︵︐Xntizipationen dei Wahrnehmuntsr︶

象において感覚の対象たる実在物は内包的

量即ち度を¢する

    り   コニ.rs験のveee ︵>nalogrien der Erfahtung︶経験は知覚の必然的結合の表象によってのみ?能てあ

る.

験的思惟一般の要請︵1公準︶︵﹁︶○巳三二儒︵一Φ︹

empirischen I︶enkens Ubei.haupt︶

(13)

1単称的2特称的

3全称的

この甲は乙である︶

る甲は乙である︶

すへての甲は乙である︶6 庶製力 5否定的 肯定的

甲は乙である︶

甲は乙でない︶

11.不定的︑甲は非乙である︶

9 選言

8 7

仮 定 言 言 的 的

甲は乙である︶

甲であれは乙である︶

甲なるか乙なるかである︶ 11 1 wu然的

然的

12

然的

甲は乙であろう︶

甲は乙である︶

甲は必ず乙である︶

⑳ 要するに︑第一門の第一編概念の分析論と第二編原則の分析論

おいて明証されたことは︑悟性は︑その概念および原則に関し

的使ff ︵der empirische Gebrauch︶をなしうるのみで︑

先験的使用 ︵der transzendentale CTebrauchlder transzend−

 ente Gebrauch超験的使用‖物MI 1g Dinge an sich selbstに関わ

る場合に意味する︶をなしえないということである︒

      ヘ  ヘ      ヘ  ヘ  へ

 *17 悟性は概念を分析する能力であり︑物自体に関わる能力

実践理性である︒

      ヘ  ヘ     ヘ  ヘ  ヘ  へ

悟性と純粋理性とは︑分別︵vikalpa︶をなす頼耶の転

ある末那識・意識と想梧とに相当する︒

      ヘ  ヘ  ヘ  へ

実践理性は︑真如︵tathat鋼︶を覚知する根本無分別智

相当する︒

寛一maD+1su::﹄ ︵Ratna−gotra−ペibhaga−Mahayan6=

 ttara−tantra−Sastra︶によると︑それは解脱︵moksa︶を可  能ならしめている出世間無分別智︵一〇蓉茸①﹁⑪≦言一〇①−

 jfiana︶である︒

それの後.tcpm ︵tat−pr$tha−labdha−jfiana︶として1切の

哲学の根本問題へその四︶︹伊藤︶ 法を知り説くことを可能ならしめる一切智者︵ω①﹁く③ヨ?

j

fia

na

一切智者の智11㏄︹二.<餌百暮毒一切智性︶が示される︒

よって︑仏教はカント哲学を一歩進めている︑と看倣し

うるのではないか.︑

 7︑先験的弁証論における純粋理性概念とは何か

⑳ 第二部の第二門先験的弁証論︵11仮証の論理学↑oσqig der

 Scheins︐ Kant︐ K.d. r. V.︐ A.61ff;B85ff.︶において批判される先

的仮象とは︑思惟能力が経験の範囲を超えて生み出す所のもの

ある︵宗三.︐ A.61ff.︐ B.85ff.︶

なわち︑思惟能力である悟性は︑経験の対象に関わる場合に

性であり︑超経験的対象に関わる場合に推理能力としての理性

 ︵Vernunft︶と称する.︑

⑳ 推理能力としての理性とは︑経験の対象に関わる悟性による多

vの認識に︑超経験的な対象の概念によってア・プリオリの統1

         フニマてンフ ヨィノ ィビ ︵︐︶.e.Jevsu統 l Vernunfteinheitという︶を与えんとするもの

 である︒

11

参照

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