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貨幣価値の国民的相違について

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著者 柴田 固弘

雑誌名 金沢大学経済学部論集 = Economic Review of Kanazawa University

巻 17

号 1

ページ 3‑40

発行年 1997‑03‑07

URL http://hdl.handle.net/2297/24376

(2)

柴田固弘

はじめに

貨幣価値の国民的相違にかんして,従来ふたつの説がある。いわゆる基軸 説といわゆる平均説である。両説はいずれも,『資本論』第20章第4段落第2 文中の「国民的生産性」をいかに解釈するか,ということに論拠を置くかた ちをとっている。しかし,『資本論』第20章は,賃金の国民的相違にかんする 論述であって,貨幣価値の国民的相違にかんするものではない。だから,「国 民的生産性」を論拠とする場合には,このことを充分に留意しておかねばな らないであろう。しかしながら,従来の取り扱いはこの点でおおらかにすぎ

るように思われる。

したがって,本稿では,マルクスの賃金の国民的相違にかんする論述の趣 旨を明確にする,その結果にもとずいて,従来の取り扱いの妥当性を検討す る,その上で,今後の取り扱いとしては,どのようなものであるべきなのか,

これを模索して,その試論を提示する,こういうことを試みてみたい。

『資本論』第20章で,何が課題になっているのか,それがどのように解決 されているのか,ここだけを読んでいても,なかなか掴みにくい。しかし,

賃金の国民的相違にかんする論述としては,この個所だけではなくて,ほか に「初版』ならびに「直接的生産過程の諸結果』(以下『諸結果』とする)中 のものがある。だからこれら三つの論述を比較対照すれば,課題とその解決

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の仕方がどのようになっているのか,掴みとることができるのではないか。

すなわち,その課題とは高い時間賃金と低い相対賃金ないし低い実質賃金の 組み合せのありうるのは,どのようにしてか,というものであり,その解決 は,労働力の価値が小さいことの以上に,貨幣価値が小さい,ということの ようである。以下において,このことを確認してみよう。

はじめに,『諸結果』,『初版」,『現行版』の問題の個所を引用しておく。

『直接的生産過程の諸結果』(大月書店,国民文庫』個々の断片,第13段落

「労働の強度が-他の事情は同じだとして-労働者が一定の時間に引渡す 生産物量によって計られるかぎりでは,人々は,いくつかの国々における時 間賃金(たとえば与えられた長さの-労働日の賃金)を比較する場合には,

同時に,これらの賃金を出来高賃金で現せばどうなるか,ということも比較 しなければならない。そうすることによって,はじめて,必要労働と剰余労 働との,または労賃と剰余価値との,真の関係がわかるのである。そうすれ ば,しばしば次のようなことが見いだされるであろう。すなわち,外観上の 時間賃金は富んだ国々におけるほうがより高いにもかかわらず,出来高賃金 は貧しい国々におけるほうがより高く,したがって貧国では労働者は彼の賃 金の再生産のために実際には富国におけるよりも労働日のより大きな一部分 を必要とし,したがってまた相対的な労賃は貧国におけるほうがより高い,

ということがそれである。だから,実際には労働の現実の価格は富国におけ るよりも貧国におけるほうがより高いのである。いろいろな国々を見れば,

継続時間や個々の労働者には依存しない生産性のほかに,労働日の強度がそ の長さと同様に大きな相違を示している。より高い強度の国民的労働日は,

より低い強度の労働日・プラス.Xに相当する。金銀生産国の労働日を国際 的労働日の標準尺度とすれば,たとえば12時間の,より高い強度のイギリス の労働日は,より低い強度のスペインの労働日よりもより多くの金で表され るであろう。すなわち,それは,金銀に実現される中位の労働日とくらべて,

より高いであろう。より高い国民的労賃は,与えられた長さの総労働日とし て見れば,単に使用価値から見てだけではなく,交換価値から見ても,した がってまた貨幣表現においても,より高いのであり(中略),したがって事実 上は,一定の労働量の価格としてのより高い労働の価格を前提してはいない

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のである。(後略)。」

初版『資本論』第5章第4節b 第27段落

「(前略)まったく表面的な比較のためにも,まず第一に各国における同じ 産業の平均日賃金を同じ長さの労働日に還元することが必要である。このよ うに日賃金を調整してから,さらに時間賃金を出来高賃金に換算しなければ ならない。なぜならば,労働の生産性についても労働の内包的な大きさにつ いても測度器になるのは出来高賃金だけだからである。そのさいしばしば見 られるように,一方の国におけるより低い日賃金がより高い労働の価格を,

表現するのであって,これはまったく日賃金の運動一般がこの組合せの可能 性を示すとおりなのである。」(訳文はマルクス・エンゲルス全集23b727ペー

ジによっている。)

第28段落

「世界市場では,強度のより大きな国民的労働日がより大きな時間数の労 働日として,すなわち,外延的により大きな労働日として計算されるばかり ではない,より生産的な国民的労働日は,より生産的な国民が競争によって 商品の販売価格をその価値にまで引下げることを余儀なくされないかぎり,

強度のより大きな労働日として計算されるのである。したがって,強度のよ り大きく,その上により生産的な国民的労働日は,総じて世界市場では,強 度のより小さいか,それともより生産性の低い国民的労働日に比べて,より 高い貨幣表現で現れる。労働日について妥当することは,その分割部分のお のおのについても妥当する。したがって,たとえ,相対的労賃,すなわち,

労働者の産出した剰余価値に比較しての,またはその全価値生産物に比較し

ての,または食料価格と比較しての労賃がより低くとも,ある国の労働の絶

対的な貨幣価格は他国のそれよりも高くなりうるのである。」(訳文は柴田)

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現行版『資本論』第20章

(マルクス.エンゲルス全集23b727-729ページ。)

第1段落

「(前略)。まったく表面的な比較のためにも,まず第一に各国における同 じ産業の平均日賃金を同じ長さの労働日に還元することが必要である。この ように日賃金を調整してから,さらに時間賃金を出来高賃金に換算しなけれ ばならない。なぜならば,労働の生産性についても労働の内包的な大きさに ついても測度器になるのは出来高賃金だけだからである。」

第2段落

「どの国にも一定の中位の労働強度として認められているものがあって,

それよりも低い強度では労働は商品の生産にさいして社会的に必要な時間よ りも多くの時間を費やすことになり,したがって,正常な質の労働には数え られないことになる。与えられた一国では,労働時間の単なる長さによる価 値の度量に変更を加えるものは,ただ国民的平均よりも高い強度だけである。

個々の国々をその構成部分とする世界市場ではそうではない。労働の中位の 強度は国によって違っている。それは,この国ではより大きく,あの国では より小さい。これらの種々の国民的平均は-の階段をなしており,その度量 単位は世界的労働の平均単位である。だから,強度のより大きい国民的労働 は,強度のより小さい国民的労働に比べれば,同じ時間により多くの価値を 生産するのであって,この価値はより多くの貨幣で表現されるのである。」

第3段落

「しかし,価値法則は,それが国際的に適用される場合には,さらに次の ようなことによっても修正される。すなわち,世界市場では,より生産的な 国民的労働も,そのより生産的な国民が自分の商品の販売価格をその価値ま で引下げることを競争によって強制されないかぎり,やはり強度のより大き い国民的労働として数えられるということによって,である。」

第4段落

「ある一国で資本主義的生産が発達していれば,それと同じ度合いでそこ

では労働の国民的な強度も生産性も国際的水準の上に出ている。だから,違っ

た国々で同じ労働時間に生産される同種商品のいろいろに違った分量は,不

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等な国際的価値をもっており,これらの価値は,いろいろに違った価格で,

すなわち国際的価値の相違に従って違う貨幣額で,表現されるのである。だ から,貨幣の相対的価値は,資本主義的生産様式がより高く発達している国 民のもとでは,それがあまり発達していない国民のもとでよりも小さいであ ろう。したがって,名目労賃,すなわち貨幣で表現された労働力の等価も,

第一の国民のもとでは第二の国民のもとでよりも高いであろうということに なる。といっても,このことが現実の賃金にも,すなわち労働者が自由に処 分しうる生活手段にもあてはまる,という意味ではけっしてないのであるが。」

第5段落

「しかし,違った国々での貨幣価値のこのような相対的相違は別としても,

しばしば見られるように,日賃金や週賃金などは第一の国民のもとでは第二 の国民のもとでよりも高いが,相対的な労働の価格,すなわち剰余価値に比 べての価格も,生産物の価値に比べての価格も,第二の国民のもとでのほう が,第一の国民のもとでよりも高いのである。」

『諸結果』の趣旨は,その内容を要約し,また,必要な補足を加えると,

つぎのようなものである,と思われる。

まず前半について。

ある国(1国)の時間賃金が他の国(Ⅱ国)のそれに比べて高いからといっ て,その国(1国)の相対賃金が他の国(Ⅱ国)のそれにくらべて高いとい うふうに速断してはならない。すなわち,時間賃金の比較の大・小関係がす なわち相対賃金の比較の大・小関係を表わしている,というふうに速断して はならない。というのは,世界経済の実態を見てみると,時間賃金の高い国 で,箇数賃金が低くなっていることが見出される。これが何を意味するかと いうと,それは,その国では,時間当り生産量が多いことを意味する(1)。だか ら,それは,(生産性を措くすると)強度が高いことを意味する。したがって,

このことは相対賃金が低いことを意味しうるからである。すなわち,高い時 間賃金と低い箇数賃金の組合せになっているケースでは,高い時間賃金とい う外観におおわれて,そこには低い相対賃金という真の関係がひそんでいる かもしれないからである。

(7)

後半部分について。

以上で,高い時間賃金という外観におおわれて,低い相対賃金という真の 関係がひそんでいるかもしれないことがわかるのだが,そこでこんどは,低 い相対賃金という真の関係がどういうわけで高い時間賃金という外観をよそ おいうるのか,という問題がでてくる。

この問題はつぎのように解けばよい。すなわち,すでにみたように,高い 時間賃金と低い箇数賃金の組合せの場合には,そこに高い強度の存在があっ て,これが原因となって低い相対賃金が生み出されるのだが,これとは別に この高い強度はもうひとつの事態を生み出す原因ともなっている,というこ とである。もうひとつの事態というのは,すなわち,より高い強度の国民的 労働日はより低い強度の国民的労働日プラス.Xに相当する,という事態で ある。すなわち,より高い強度の労働日は生産物量が多い,したがって,世 界市場において,この生産物の価格が与えられているとすると価格額が多い,

すなわち,貨幣表現が大きい。だから,時間賃金の高いことが相対賃金が高 いことを必ずしも意味するわけでないのである。(なぜなら,労働日の全体の 貨幣表現がより大きいのであるから,その一部である労働力の価値部分の貨 幣表現もより大きいことがありうるからである。)

『初版』について。

『初版』の内容はかならずしもわかりよいものではないが,すでに明らか になった「初結果」の内容を充分に参考にしながら,読めばわかる。

まずわかることは,『初版」の第27段落は『諸結果」の前半部分と,また,

『初版』第28段落は,『諸結果」の後半部分と対応関係にあることである。し たがって,『初版』の内容の趣旨は,第27段落で,時間賃金と箇数賃金との関 係から,強度(ないし生産性)を導きだすことによって,高い時間賃金と低 い相対賃金の組合せのありうることを示し,つぎに,第28段落で,強度(な いし生産性)がちがえば,労働日がプラスXの労働日となることによって,

高い時間賃金と低い相対賃金の組合せのありうる理由を示すというものであ ろうというおよその見当がつく。

以下,『初版』の内容を,すでに見た『諸結果』を念頭に置きながら,理解

-8-

(8)

してみよう。

第27段落で,「まったく表面的な比較のためにも,まず第一に各国における 同じ産業の平均日賃金を同じ長さの労働日に還元することが必要である。こ のように日賃金を調整してから,さらに時間賃金を出来高賃金に換算しなけ ればならない。なぜならば,労働の生産性についても労働の内包的な大きさ についても測度器になるのは出来高賃金だけだからである。」とあるが,この 叙述だけでは何を言わんとしているのかは,わかりにくい。しかし,さきに 見た『諸結果」の前半部分の理解をもとにすれば,なんとかわかる。すなわ ち,これは,時間賃金の比較を行なうと同時に箇数賃金の比較をも行なうと,

このふたつの比較の関係から,生産数量の比較が導きだされるが,この生産 数量のちがいは,強度・生産性のちがいが原因どなって生みだされたもので ある,というものなのであろう。(『諸結果』では,生産量のちがいは強度に よるものとされていたのだが,ここでは生産性もまたその原因となることが 考慮されていることがわかる。)

そのつぎに,「そのさいしばしば見られるように,一方の国におけるより低 い日賃金がより高い労働の価格をそして,他方の国におけるより高い日賃金 がより低い労働の価格を,表現する」とあるが,これは,世界経済の実態に おいては,時間賃金の大きくて相対賃金の小さい国ないし時間賃金が小さく て相対賃金が大きい国がしばしば見出される,というのであろう。

さらにそのつぎに,「これはまったく日賃金の運動一般がこの可能性を示す とおりである。」とあるのも,わかりにくいが,ここでも,さきに見た『諸結 果』の前半部分の理解をもとにし,また,第15章の叙述内容を想起すれば,

つぎのようなことなのであろう。すなわち,相対賃金の運動一般つまり労働 力の価値と剰余価値との量的関係は労働の継続時間・強度・生産性の三要因 に規定されているのであるから,時間賃金の高い国で,箇数賃金が小さいと いうことであれば,それは,その国で強度・生産性が高いということにほか ならない。したがって,その国では相対賃金が小さいことが理論的にありう る。(すなわち,労働時間が長いか,等しいか,いずれの場合も強度・生産性 が高ければ相対賃金は小さい,労働時間が短い場合には,それによる剰余価 値量の減少を強度・生産性の高いことによる剰余価値量の増大が相殺して余

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りがあるときには相対賃金は小さい。)つまり,実際に観察される組合せすな わち高い時間賃金と低い相対賃金の組合せは,理論的に可能な組合せの現実 化したものにほかならない,というのであろう。

このように,第27段落では,高い時間賃金と高い強度,生産性の存在が前 提されているものとすると,相対賃金の運動一般の理論に照らして,そこに

は,低い相対賃金の可能性が存在する,というのである。

これに対して,つぎの第28段落ではプ低い相対賃金すなわち,高い強度・

生産性の存在が前提されるものとするとき,貨幣表現増大の論理に照らして,

そこには高い時間賃金の可能性が存在する,ということが論じられる。

第28段落で,「世界市場では,強度のより大きな国民的労働日がより大きな 時間数の労働日として,すなわち,外延的により大きな労働日として計算さ れるばかりではない,より生産的な国民的労働日は,より生産的な国民が競 争によって商品の販売価格をその価値にまで引下げることを余儀なくされな いかぎり,強度のより大きく,その上により生産的な国民的労働日は,総じ て世界市場では,強度のより小さいか,それともより生産’性の低い国民的労 働日に比べて,より高い貨幣表現で現れる。」とあるのは,『諸結果』の後半 で,「より高い強度の国民的労働日は,より高い強度の労働日・プラス.Xに 相当する。(中略)与えられた長さの総労働日を観察すれば,単に使用価値と してだけではなく,交換価値としても,したがってまた貨幣表現においても,

より高い…。」とある部分にぴったり対応している。ただし,「強度のより大 きな国民的労働日」のほかに,「より生産的な国民的労働日」についても言及 されている点がちがう。これが追加されたのは,すでに指摘しておいたよう に,生産量のちがいしたがってまた貨幣表現のちがいを生みだすのは,強度 のちがいだけでなく,生産性のちがいもまたその原因となることを考慮して のことであろう。

つぎに,「労働日について妥当することは,その分割部分のおのおのについ ても妥当する。」とあるが,これは,「諸結果』においては,これと対応する 文言は直接には見当らないけれども,そこに暗黙にその論理が存在している だろうことはすでに見ておいたとおりであるが,ここではその論理が明示さ れているわけである。この点は,『初版』の方が『諸結果』よりもわかりやす

-10-

(10)

い。ただし,労働日の全体に妥当することが,どのようにして,その分割部 分にも妥当するのか,その仕方が明示されているわけではない。

この点に関連して言えば,『初版』では強度のほかに生産'性が追加されたこ とにより,新しい問題が生じているはずである。というのは,生産性は部門 がちがえば,その格差にちがいがあるであろう。そうすると,部門がちがえ ば,その部門ごとに,より大きい労働日として計算された労働日の大きさが ちがってくるわけだが,それにもかかわらず,その分割部分すなわち労働力 の価値部分がより大きい労働日として計算されたときには,同じひとつの時 間賃金の大きさになるのは,どのような仕方によるのか,という問題である。

つまり,生産`性が追加されたことにより,労働日の全体に妥当することがそ の分割部分にも妥当するのは,どのような仕方によるのか,という問題がいっ そう強く問われることになる,と思われる。ともあれ,強度のほかに生産性 が追加されたことは,『初版』の方が『諸結果』よりも内容が豊富になってい ることはたしかである。

また,『初版』が『諸結果』とくらべて内容が豊富になっている点はもうひ とつある。すなわち,「したがって,たとえ,相対的労賃うすなわち,労働者 の産出した剰余価値に比較しての,またはその全価値生産物に比較しての,

または食料価格に比較しての労賃がより低くとも,ある国の労働の絶対的な 貨幣価格は他国のそれよりも高くなりうるのである。」とあるように,高い時 間賃金と低い相対賃金の組合せの可能性と並んで,ここでは,高い時間賃金 と低い実質賃金の組合せの可能性も同じ論理すなわち貨幣表現増大の論理で 説かれている点である。すなわち,高い時間賃金という外観におおわれて,

低い相対賃金という別の関係と並んで,ここでは低い実質賃金というもうひ とつの別の関係のひそみうることが指摘されているわけである。

『現行版』について。

『現行版』第1段落が,『初版』第27段落に対応していることは言うまでも ない。ただし,『現行版」では,「初版』第27段落(引用文)の後半部分(「そ のさいしばしば見られるように,一方の国におけるより低い日賃金がより高 い労働の価格をそして,他方の国におけるより高い日賃金がより低い労働の 価格を,表現するのであって,これはまったく日賃金の運動一般がこの組合

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せの可能性を示すとおりなのである。」)が,削除されて,これとほぼ同様の

内容が,第5段落として独立させられている。このためかえって,第1段落 と後続の段落との関係がわかりにくくなっている。したがって,この部分に 関しては,『初版』にもどして読む方がわかりやすい。

『現行版』第2,3,4段落は『初版』第28段落に対応している。すなわ ち,『初版」で,強度に関する貨幣表現増大の部分が第2段落で,また,生産 性に関する貨幣表現増大の部分が第3段落で,そして,分割部分部妥当説の 部分が第4段落で取り扱われていて,それぞれ叙述内容が拡充されているこ とがわかる。以下において,それぞれの段落における対応の関係と拡充の関 係をたしかめてみよう。

まず,第2段落について見ると,『諸結果』で,『より高い強度の国民的労 働日は,より低い強度の労働日・プラス.Xに相当する」,とある個所,また,

『初版」で,「世界市場では,強度のより大きな国民的な労働日がより大きな 時間数の労働日として,すなわち,外延的により大きな労働日として計算さ れる…」,とある個所が,『現行版」第2段落で,「…強度のより大きい国民的 労働は,強度のより小さい国民的労働に比べれば,同じ時間により多くの価 値を生産する…」とある個所に対応していることは明らかである。つまり,『諸 結果」,『初版』そして『現行版』を一貫してとりあげられている事態は貨幣 表現増大の事態にほかならないことがわかる。そして,この貨幣表現増大の 事態こそ価値法則修正の事態にほかならないことは,文脈上あきらかである。

ただし,第2段落のこの個所には,先行する叙述(「どの国にも一定の中位 の労働強度として認められているものがあって,それよりも低い強度では労 働は商品の生産にさいして社会的に必要な時間よりも多くの時間を費やすこ とになり,したがって,正常な質の労働には数えられないことになる。与え られた一国では,労働時間の単なる長さによる価値の度量に変更を加えるも のは,ただ国民的平均よりも高い強度だけである。個々の国々をその構成部 分とする世界市場ではそうではない。労働の中位の強度は国によって違って いる。それは,この国ではより大きく,あの国ではより小さい。これらの種々 の国民的平均は-の階段をなしており,その度量単位は世界的労働の平均単 位である。」)があって,この叙述の意味内容がなかなかつかみにくい。その

-12-

(12)

ために,この段落,したがってまた価値法則の修正についてさまざまの解釈 がゆるされることになっているようである.この個所の解釈はすでに試みた(2)。

ここでは,つぎのことだけを言っておきたい。この先行する叙述の解釈にあ たっては,第15章の叙述(「労働の強度がすべての産業部門で同時に同程度に 高くなるとすれば,新たなより高い強度が普通の社会的標準度になり,した がって外延量としては数えられなくなるであろう。しかし,その場合にも労 働の平均強度が国によって違うことに変わりなく,したがってそれはいろい ろに違った各国の労働日への価値法則の適用を修正するであろう。強度のよ り大きい一国の-労働日は,強度のより小さい他の国の-労働日に比べれば,

より大きい貨幣表現に表わされるのである。」)を充分に念頭に置く必要があ るということである。まず,「強度のより大きい一国の-労働日は,強度のよ り小さい他の国の-労働日に比べれば,より大きい貨幣表現に表わされる」

という事態が「いろいろに違った各国の労働日への価値法則の適用を修正す る」ことの内容であることは文脈上明瞭である。それに先立つ叙述すなわち

「労働の強度がすべての産業部門で同時に同程度に高くなるとすれば,新た なより高い強度が普通の社会的標準度になり,したがって外延量としては数 えられなくなるであろう。しかし,その場合にも労働の平均強度が国によっ て違うことに変わりなく」は,価値法則が修正される理由を述べたものであ る。すなわち,普通の社会的標準度の強度の労働の-時間が-単位の価値を つくり出すという価値法則は,一国の内部関係としてだけであれば,つねに そのまま貫徹する,すなわち,普通の社会的標準度の強度そのものがどのよ うに変わっても,それが普通の社会的標準度であるかぎり,その強度の労働 の-時間が-単位の価値をつくりだすことに変わりはない。しかし,異国間 の関係としては,普通の社会的標準度の強度が国がちがえばちがう,したがっ て,ある国の社会的標準度の強度の労働の-時間が-単位の価値をつくりだ すとすれば,別の国の社会的標準度の強度の労働の-時間は一単位とは異な る大きさの単位の価値をつくりだすことになる-すなわち価値法則の修正 である。このようなものとして,第15章の叙述を受けとめたうえで,第2段 落にのぞめばその内容がどのようなものかおよその見当がつく。すなわち,

第2段落の内容は,第15章の叙述内容をさらにくわしくしたものにほかなら

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ないこと,そこでくわしくなっている点は,一国の内部市場で普通の社会的 標準度のもつ意味と,世界市場で世界的平均労働のもつ意味とにちがいがあ ること,こうしたことの見当がつく。第2段落のくわしい解釈はすでに試み たので,ここでは,以上のことだけを述べておく。

つぎに,第3段落である。『初版』で,「より生産的な国民的労働日は,よ り生産的な国民が競争によって商品の販売価格をその価値にまで引下げるこ とを余儀なくされないかぎり,強度のより大きい労働日として計算される」

とある個所が,第3段落で,「世界市場では,より生産的な国民的労働も,そ のより生産的な国民が自分の商品の販売価格をその価値まで引下げることを 競争によって強制されないかぎり,やはり強度のより大きい国民的労働とし て数えられる…」とある個所に対応していることは言うまでもない。また,「よ り生産的な国民的労働は,…強度のより大きい国民的労働として数えられる」

という事態が,生産性にかんする価値法則の修正とされる事態にほかならな いことは叙述内容から明らかである。それでは,生産性にかかわる貨幣表現 増大の事態が価値法則の修正とされる理由は何であろうか。それはつぎのよ うに考えられる。すなわち,生産性が強度と並んで貨幣表現増大の原因とさ れる理由は,すでに見ておいたように,生産性もまた強度と同じように,労 働日の生産量を変化させる。したがって,そこに同じひとつの世界市場価格 の存在を前提すると,その労働日の貨幣表現を同じように変化させるという 点にある。したがって,生産性にかんする貨幣表現増大の事態が価値法則の 修正であるとされる理由が,強度にかんする貨幣表現増大の事態が価値法則 修正であるとされる理由とちがうとは考えにくい。すなわち,正常な生産条 件のもとで充用される労働の-時間が-単位の価値をつくり出すという価値 法則は,一国の内部市場においては,正常な生産条件の内容がどのように変 化しようとも,それが正常な生産条件であるかぎり,そこで充用される労働 の一時間が-単位の価値をつくりだすという価値法則が貫徹することにかわ りはない。しかし,国がちがえば,正常な生産条件は国ごとに異なっている。

だから,世界市場では,ある国の正常な生産条件のもとで充用された労働の

-時間が-単位の価値をつくりだすとすると,別の国の正常な生産条件のも とで充用された-時間の労働は-単位とは異なる大きさの価値をつくり出す。

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(14)

すなわち,これが生産性にかんする貨幣表現増大の事態が価値法則の修正と される理由である。

なお,ここで,「そのより生産的な国民が自分の商品の販売価格をその価値 にまで引下げることを競争によって強制されないかぎり」とあることについ て言及しておきたい。これは,つぎのように考えればよいであろう。すなわ ち,いま,世界市場に向けてある種類の商品を販売しているふたつの国があっ て,両国の生産性はまったく同じであるとしよう。そこで, ̄方の国だけが 生産性を2倍に引上げたとしよう。さしあたりは,この商品の世界市場価格 に変化ないとしても,やがて,この国ではこの商品の販売が有利であること から,他の部門から資本と労働が流入してきて,生産の拡大と市場への供給 の増加が起り,その結果,世界市場での販売価格は引下げられるであろう。

しかし,その販売価格が,/2にまで引き下げられることがないかぎり,こ の国のこの商品の生産のために充用された労働の貨幣表現は,別の国のそれ に比べて,より大きいであろう。

つぎに第4段落であるが,この段落の内容はいくつかの点で注目される。

まず,第一に,価値法則の修正される事態において,「相当」(『諸結果』)

したり,「計算」「『初版』)されたり,「生産」(『現行版』)したり,あるいは,

「数え」(『現行版』)られるその価値の大きさはどれだけであるのか,この点 が,この段落の第2文(「だから,違った国々で同じ労働時間に生産される同 種商品のいろいろに違った分量は,不等な国際的価値をもっており,これら の価値は,いろいろに違った価格で,すなわち国際的価値の相違に従って違 う貨幣額で,表現されるのである。」)で明確になっていることである。すな わち,同じ時間に生産される商品数量のもつ価格額の比較として明確となっ ていることである。第2文の叙述内容は,符号をつかって表示するとつぎの ようになるであろう。ただし,「違った国々」を’国,Ⅱ国とし,「同じ時間 に生産される同種商品のちがった分量」を,nlln2とし,この「分量」のも つ国民的価値をW1,W2として補足し,また,この「同種商品」の世界市場に おける価格をPとして補足し,「国際価値」をW11W2とし,「貨幣額」をG1,

G2とする。

-15-

(15)

「同じ時間に 生産される同 種商品のちが った分量」

nl n2 n,>n2

(国民的価値)国際的価値価格額貨幣額 1国

Ⅱ国

両国関係

12W WWD

n,.P n2・P n1・P>、2.P

G1 G2 G,>G2

W1 W2 W1=W2

すなわち,国民的価値としては同じ大きさのもの(W,=W2)が,より大き い貨幣表現(G1=n,.P>G2=n2・P)となっていることが明確となっている。

つぎに注目すべき点は,第3文「だから,貨幣の相対的価値は,資本主義 的生産様式がより高く発達している国民のもとでは,それがあまり発達して いない国民のもとでよりも小さいであろう。」は,『初版』第28段落で,「労働 日について妥当することは,その分割部分のおのおのについても妥当する。」

の個所に対応している,という点である。したがって,『初版』で「妥当する」

というが,どのような仕方でなのかはわからないのであるが,それが,この 対応関係から推して,貨幣の価値を介する仕方なのだ,ということがわかる。

したがってまた,生産性に関しては,部門がちがえば修正される価値の大き さがちがうはずであるが,それにもかかわらず,時間賃金が同じひとつの大 きさとなるのは,同じひとつの労働力の価値の大きさが,同じひとつの貨幣 の価値で表現されるからなのだ,ということもわかる。

なお,さきに見たように,第2文で,「より大きい貨幣表現」の大きさが明 確にされることにより,そこから導かれる第3文で,貨幣の相対的価値の大 きさも明確になっている。さきに,第2文の内容を符号を用いて表示するこ とをしたが,これにつづけて,第3文の内容を符号を用いて表示してみれば つぎのようになろう。ただし,貨幣の国民的価値を9,,92として補足する。

(貨幣の国民的価値)

’国91=でT-7I7-T戸

W1W1

Ⅱ国92=で百一TIz-了戸

W2W2

貨幣の相対的価値

両国の関係一旦L一二;-〈’

92

n望

-16-

(16)

すなわち,貨幣額で商品の国民的価値の大きさを除した商の値として貨幣 の国民的価値の大きさが得られるが,この貨幣の国民的価値の比較がすなわ

ち貨幣の相対的価値にほかならない。ここでは,その比較が-L〈-Lと

nln2

して具体的な大きさで明確|こ与えられてV、る。

ただし,新しい問題がでてくる。というのは,貨幣価値がどのようにして 同じひとつの価値の大きさでありうるのか,という問題である。すなわち,

貨幣の価値の大きさは,同じ労働時間のつくり出す価値の貨幣表現から逆算 して得られるのであるが,同じ労働時間のつくり出す価値の大きさは,生産 部門ごとに強度・生産性がちがえばちがう大きさであるのだから,どの生産 部門における価値の大きさの貨幣表現が貨幣価値を決定するのか,という問 題である。

注目すべき第3点は,この問題に関してのことである。すなわち,この問 題は第1文ないし第3文の文脈と叙述内容を注意深く読めば解ける,という

ことである。前後の文脈は,第一文において強度・生産性の大きさを置き,

第2文によってこの強度・生産性による貨幣表現の大きさを導く,そして,

第3文において,この貨幣表現の大きさから逆算して貨幣価値の大きさを導 き出す,というものである。したがって,第1文の生産性も第2文の生産性 もおなじひとつの大きさの貨幣価値を規定するところのおなじひとつの大き さの生産性でなければならないはずである。この観点で第1文と第2文とを 見てみると,第1文には注,すなわち「どんな事`情が,生産性に関しては,

この法則を個々の生産部門について修正しうるか,ということは別の箇所で 研究するであろう。」が付いていることから,また,第2文では「同種商品」

とあって商品種類が特定されていないことから,第4段落では生産性の格差 の部門別相違は存在していないものとみなされていることがわかる.すなわ ち,ここでは,どの商品種類の生産性もすべておなじひとつの生産性となっ ている状態が想定されていることがわかる。それでは,そのような状態はど のように考えれば,想定可能であろうか。それは,「競争の行きついたところ」

の状態を考えればよいであろう。というのは,さしあたり,部門ごとに強度・

生産性の格差が相違するとすると,同じ国で同じ労働時間がちがう大きさの 貨幣表現をうけるが,しかし,労働力の価値の貨幣表現の大きさは,自由な

-17-

(17)

労働力市場の存在を前提すれば,部門がちがっても同じ国では同じひとつの 大きさであるのだから,こういう状態では,さしあたり,利潤の大きさが部 門ごとにちがうということになるであろう。しかし,この状態は,競争の結 果として,やがて,どの部門でも同じ大きさの利潤に落ち着くであろう。そ の落ち着いたところでは,部門ごとの生産性の格差の相違は消滅しているで あろう。

それでは,なぜこのような状態を想定してあるのだろうか。それは論述の 趣旨によるものであろう。すなわち,論述の趣旨は賃金の国民的相違を論ず ることにあるのだから,そのためには,生産性格差の部門別差異は存在しな いとしたうえで,労働力の価値の貨幣表現の増大を労働力の価値の大きさと 貨幣の価値の大きさとの関係から説くだけで充分である。つまり,貨幣価値 の大きさの決定されるメカニズムを論ずることが論述の趣旨ではない。その メカニズムがどのようなものなのかという問題は重要な問題にちがいないけ れども,それは,賃金の国民的相違の問題とは別個の問題として論ぜられる べきであろう。

(1)1国とⅡ国の労働時間をそれぞれ,t1,t2とし,また,1国とⅡ国の日賃金をv,,v2 とし,さらにまた,1国とⅡ国の労働の生産量を、1,,2とすると,1国とⅡ国の時間

賃金は,÷÷箇数賃金は,器号,~if:莞二である。いま,÷>÷…①の とき,÷f+会姜<器号…②であるならば,①より÷羨二>皿③,また,②よりそ夛芒

〈」聖LL…④であり,したがって,③と④より,÷>÷である。

n2/t2

(2)柴田固弘「価値法且Iの国際的適用」(その1)『金沢大学経済学部論集』第2巻第1号

従来,貨幣価値の国民的相違にかんして,ふたつの対立する説が唱えられ ている。いわゆる基軸説といわゆる平均説である。以下,このふたつの説を 検討してみよう。

まず,基軸説について。

名和氏は設例によりつぎのように説く。

-18-

(18)

「問題の分析を進めるに際し,先づ進歩せる国の労働の方を価値基準とす る。基軸商品(仮にPとする)-単位量の生産において進歩せる国(仮にA とする)は1労働日,後れたる国(仮にBとする)は12労働日かかるものと する。P商品類についてAの労働生産性はBの12倍である。この場合Bの12 労働日がAの1労働日に相当しても,すなわちその個別的価値の1/12しか商 品価値に実現されなくても,何ら価値法則の改変ではなくて,むしろ価値法 則の命ずるところである。

しかるに他の種類の使用価値(仮にQとする)の-単位量を生産するにA では1労働日,Bでは2労働日かかるものとする。この場合Q商品類につい てAの労働生産性はBの二倍である,すなわちAはQ商品類の生産において BのQ商品類の生産性と比較しては優れているのであるが,AにおけるP商 品類の生産性のBにおけるP商品類の生産性との比較に較べれば相対的には 後れている。この場合BにおけるQ商品類がその個別的価値の苑を実現しう れば,それは価値通りである,ところがP商品類が基軸とされているのであ るから,ここでもAの-労働日はBの12労働日に相当するものとされる。し かるにBの12労働日を以ってすればQ商品6単位使用価値量を生産しうる。

Q商品1単位量の使用価値を生産するにはAは1労働日を要するから,6単 位量はAの6労働日の生産物である。すなわちAの1労働日がBの12労働日 に相当することにより,Aは1労働日の生産物Pを提供することにより,Q 商品類につきAの6労働日に相当する価値をBから受け取るのである。Bと して見れば,個別的価値以下,すなわち価値通りを超えて,価値以下,価値 の六分の一を以ってQ商品をAに引渡すべく導かれるのである。Q商品にお いても,Bではその労働生産性が絶対的にはAに比し劣っているにも拘らず,

価値以下に切下げられるがゆえに反ってAに向って輸出されることになる。」(1) 名和氏の主張の要旨はつぎのようなものである。すなわち,個別価値の商 品価値への実現は,基軸商品Pについては,個別価値の比率1:12に従う(こ れは価値法則通り)。これに対して,Q商品については,P商品が基軸である ために,Q商品の個別価値の比率1:2には従わないで,P商品の比率1:

12に従う。これは価値法則の修正。この価値法則の修正によってQ商品はB 国からA国へ向って輸出可能となる,と。

-19-

(19)

これがいわゆる基軸説の骨子であるが,この説の論拠とされているのは,

何かというと,それは,第20章第4段落第一文中の「国民的生産性」は製造 業の生産性であるにちがいないからだ,というものである。名和氏の推論は つぎのようになっていると思われる。すなわち,第4段落では,高い名目賃 金と低い実質賃金との組合せの可能性が言われているが,そのような可能性 を与える貨幣価値は製造業の生産性によって規定されるものにちがいない。

なぜなら,名目賃金が高いのに実質賃金が低いためには,農産物価格が高い ということがなければならない,貨幣価値が農業の生産性格差によって規定 されるのでは,農産物価格は高くならない,だから,貨幣価値は製造業の生 産性格差によって規定されているにちがいない,と。名和氏の推論がこのよ

うなものであるかぎりでは異論はない。

しかし,このような推論にもとづく基軸説によって,Q商品の輸出可能性 を説く議論には疑問がある。というのは,すでに見ておいたように,第4段 落第一文中の「国民的生産性」は,第1文の注と第2文中の「同種商品」と から考えて,競争の行きついた状態において捉えられたもの,と見るべきで あるからである。

すなわち,競争の行きついた状態が前提になっているはずなのだから,Q 商品について価格差が存在しても,この価格差は,事態を競争の行きついた ところで捉えてもなお消滅しない価格差であると見なければならない。した がって,この価格差は輸送費の範囲内にとどまる大きさであって,貿易利益 の源泉となりうるような価格差としては捉ええないものであろう。

この点に関連して,基軸説に対する批判として,平均説の側からつぎのよ うに指摘されている。

「第四に基軸産業とは最も進んだ資本制的工業部門に一致するだろうから,

これによって国民的労働の位階性が決定されるということは,先進国が輸出 部門からは何ら超過利潤を獲得できず,ただ後進国からの原料,食料の輸入 によってのみ利益するということにはならぬだろうか。」(2)

「だが,名和氏の所論で特徴的なのは,国民的労働の比重ないしその貨幣 量表現が,その国の輸出産業(これは輸出産業全体ではなくて最も代表的な 基軸産業を指している)における労働生産力の対外較差によって決定される,

-20-

(20)

いやより正確にいえばその対外較差そのものだという説である。むろんこの 主張は相当の根拠をもって提出されてはいるのだが,もし事態がそのとおり であるとするならば,例えば前の第2表において,金一定量の代表する両国 国民的労働量の比率は,綿糸工業における生産性比率に一致して,九対一と ならねばならない。そうなれば綿糸一単位の両国における価値価格は同一と なり,したがってA国はその価値以上の国際価格で綿糸をB国に輸出するこ とができないのみならず,総て綿糸をB国に輸出しうる理由そのものが消え 失せてしまうであろう。そしてA国にとっての貿易の利益は,もっぱらB国 小麦を格安に輸入することだけに限られることになるだろう。」(3)

基軸説に対する平均説からのこのような批判は,要するに,基軸説では,

世界経済の実態であるところの双方貿易が説けないではないか,というもの である。このような批判を受けるのも,いま見たように,基軸説では,P商 品の取り扱いとQ商品の取り扱いに整合性がないことからきている。世界経 済の実態に照らして,製造業の発展が貨幣価値の格差に主導的な影響を与え ていることは間違いないと思われるのだから,基軸説のなかに含まれている この部分を生かしながら,競争の行きつかない状態と競争の行きついた状態 とを分けて,それぞれで,貨幣価値価格差がどうなるかを追求するべきであ

ろう。

なお,名和氏による価値法則修正の理解は,『資本論』第15章ないし第20章 の叙述に即したものとは思われない。すでに述べておいたように,価値法則 修正の事態とは,貨幣表現の増大の生じている事態であり,これが修正とい われる理由は,標準的な強度ないし平均的生産条件のもとで充用されている 労働でありながら,世界市場では,国がちがえば,標準的強度ないし平均的 生産条件がちがうために,世界的労働の平均単位と国民的労働の平均単位と が一致している国以外の国々では,国民的平均労働の-時間が一単位とはち がう大きさの価値をつくり出すからである。ところが,名和氏はP商品につ いては価値法則通りであるとしている。しかし,P商品について生じている 事態すなわち,国民的価値の比率は1:12でありながら,これが同じ大きさ の貨幣表現を受けている事態は,貨幣表現増大の生じている事態そのもので あって,価値法則の修正の事態にほかならない。

-21-

(21)

つぎに,いわゆる平均説の見解を検討しよう。木下氏の平均説にかんする 議論は,氏による価値法則修正の理解と密接に関係しているので,まず,こ

の観点から検討してみよう。

木下氏は,生産性に関する価値法則の修正についてつぎのように言われる。

「ところが世界市場では国々の同一生産部門の生産性が異なるために,よ り生産的な国民的労働は競争によってその販売価格が価値にまで引き下げら れない限り,より多くの価値を生産する労働として実現する。しかしこの点 だけをとれば丁度一国内でも平均以上の生産性をもつ生産者の労働はより強 度の大きな労働と同様に同一時間内により多くの社会的価値一個別的価値 ではない-を生むものとして通用するというのと何ら変らず,ここにわざ わざ価値法則の変容を認める必要がないかのようである。」(4)

すなわち,木下氏は貨幣表現増大の事態を捉えて,価値法則修正の事態で はないかのようだ,とされる。「かのようだ」というあいまいな言い方は気に なるが,これは,文脈から推して,貨幣表現増大には価値法則の修正になら ない,つまり,価値法則通りのケースと,価値法則の修正となるケースとふ たつのケースがあるということを含意させたもののようである。

まず,貨幣表現の増大があっても価値法則通りのケースとされるものにつ いて見よう。

「そこで前掲の(Ⅲ)のケースをとりあげて考察してみよう。この場合に はA国はX,Y,いずれの部門においてもB国より生産力が高いばかりでな く,両国間の生産力のひらきが一様である。たとえば,X,YともにA国は B国の三倍の生産力をもっているならば,X,Yの各部門のA国の労働は世 界市場でいずれもB国の三倍の国際的価値を生産している。(Ⅲ)のケースが すでに仮定していたように,もし一切の部門の生産性の両国におけるひらき がこの通りであるならA国の労働が一般に世界市場ではB国のそれの三倍の 国際的価値を生むということになろう。」(5)

(前掲の(Ⅲ)のケースというのは次のとおり。)

XY A国103O B国2060

-22-

(22)

すなわち,生産性の格差は存在するが,しかし,その格差の差異は存在し ないケースである。このケースでは,A国の労働がB国のそれの3倍の国際 的価値を生むことになっているけれども,それは,「丁度一国内でも平均以上 の生産性をもつ生産者の労働はより強度の大きな労働と同様に同一時間内に より多くの社会的価値一個別的価値ではない-を生むものとして通用す るというのと何ら変ら」ないのであるから,このケースでは,価値法則通り である,というもののようである。

しかし,この理解の仕方は根本的に問題である。すでに見てきたように,

国民的平均労働の-時間が-単位の価値をつくり出すということが価値法則 であり,したがって,国民的平均労働の-時間が-単位とは異なる大きさの 価値をつくり出すと価値法則は修正される。すなわち,国がちがえば,平均 的生産条件の内容が異なるので,世界的労働の平均単位と国民的労働の平均 単位とが一致している国以外の国々では,価値法則が修正される。いまのケー スは価値法則修正のケースにほかならない。

つぎに,木下氏による価値法則修正のケースを見てみよう。

「いま進んだ国について国民的生産力水準よりもさらに大きく発展してい る部門とそれよりも立ちおくれている部門に分けてみよう。後の部門はそれ 自身としては後進国よりも進んでいるにもかかわらず,相対的にはおくれて いるのである。世界市場では進んだ国の国民的労働はその生産力水準に応じ ておくれた国のそれよりも,より多くの国際的価値を生産するものである以 上,相対的におくれた部門は国際的価値生産という点からは,後進国の同一 部門と比較して,より生産性の低い生産者であるといえる。反対に国民的生 産力水準のひらきよりも高い生産力の発展を示している部門では,国際的価 値からみても,その生産物はより僅かな価値の体化物である。これは後進国 の例からみても同様である。このことは最初に国際間の労働生産性について のべたところに一定の修正を加える必要を示している。」(6)

すなわち,このケースでは,いわゆる比較生産費の構造の存在を前提し,

そこに,「国民的生産力水準」を置く。そうすると,そこに木下氏による価値 法則修正の事態が出現する,というのである。そのさい,国民的生産力水準 というのは,「個々の部門の生産力水準の平均であると同時に総合として存在

-23-

(23)

する」ものとされる。つぎの木下氏のモデルは,引用文の叙述内容をわかり やすく示したものと見ることができる。

A国綿糸1単位=金209,小麦1単位=金409 B国綿糸1単位=金309,小麦1単位=金209

「この想定ではA国はB国に比して,労働の国民的生産性(強度複雑度は 同一とする)が三倍であり,したがってA国の-労働日はB国の三労働日に 等しい国際的価値を生み,その結果,同じ金19がA国では-労働日の価値 を代表するに反し,B国では三労働日の価値を代表しているのである。

そのためにA国の綿糸は金209の価格をもち,同じ綿糸がB国では金909 の価格をもっている。また小麦についてはA国での価格は金409,B国での 価格は金209である。したがって綿糸はA国からB国に輸出されるであろう

し,B国ではこれとひきかえに,小麦が絶対的には生産力の高いA国に向っ て逆に輸出されるであろう。」(7)

すなわち,木下氏によれば,綿糸が,20:90の比率で,また,小麦が,40:

60の比率で,それぞれ価格表現されるのであれば,価値法則どおりであるの だが,しかし,そうはならないとされる。すなわち,木下氏によれば,金1

9の代表する国民的価値の比率が労働の国民的生産性の格差によって規定さ れて,それが1:3であるために,綿糸もL3の比率で,すなわち209:

30gとして,また,小麦も1:3の比率で,すなわち409:209として,価 格表現されることになる。

すなわち,個別部門の生産性格差どおりの比率で価格表現されるのであれ ば,価値法則どおりなのであるが,しかし,このケースではそうはならない で,労働の国民的生産性の格差に従って,価格表現される,これすなわち価 値法則の修正にほかならない,と。

しかし,木下氏による価値法則修正のこの理解は問題であろう。すでに述

-24-

綿糸 小麦 金19の代表する 国民的価値

A国 20 40

B国 90 60

(24)

ベたように,貨幣表現増大の事態一般が価値法則修正の事態であるのであっ て,生産性の格差の差異があるケースとないケースに分けることは,第3段 落の叙述に即したものではない。そこでは,生産性の格差の差異の有無にか かわりなく,世界市場における販売価格を前提として,貨幣表現の増大の事 態が導き出されており,この事態一般が価値法則の修正とされていると見る

べきである。

また,木下氏によって修正のあるとされるケースの捉え方は,第3段落か ら第4段落への文脈に即したものでない。というのは,すでに見たように,

第20章の叙述は,第3段落で価値法則の修正が述べられ,これを前提にして,

そのつぎに第4段落で,貨幣の相対的価値が導き出される,という文脈となっ ている。ところが,木下氏の修正の理解は,貨幣の相対的価値の存在を前提 にしてはじめて成り立つものであるのだから,修正と貨幣の相対的価値の出 てくる順序が,第20章の文脈とはあべこべになっている。

換言すると,木下氏の議論は,木下氏による貨幣の相対的価値が,第4段 落中の貨幣の相対的価値とは別に,その前に,あらかじめ用意されていて,

このあらかじめ用意された貨幣の相対的価値の存在を前提にして,第3段落 の解釈にのぞむ,というふうになっている。そして,木下氏の貨幣の相対的 価値は,生産性の格差の差異の存在を前提したうえで,「個々の部門の生産力 水準の平均であると同時に総合として」捉えられたものとして,用意されて

いる。

木下氏の議論がこのように第20章の文脈とは逆順となっているために,ま た,生産性格差の部門別差異の存在を前提としているために,木下氏にとっ ては,第4段落を理解することはきわめて困難なものになる。

「「資本論』第一巻の初版では,「労働日について妥当することはそれの分 割部分にも妥当する」としている。だが,これは実質上労働価値説の基本命 題と矛盾するのである。それだから現行版では,これを国際間における価値 法則の修正ととらえかえした。ところが,価値法則の修正の説明が課題の解 明に迫る肝心の文章が,「ある一国で資本主義的生産が発達していれば,それ と同じ度合いでそこでは労働の国民的な強度も生産性も国際的水準の上に出 ている。だから,違った国々で同じ労働時間に生産される同種商品のいろい

-25-

(25)

ろに違った分量は,不等な国際的価値をもっており,これらの価値は,いろ いろに違った価格で,すなわち国際価値の相違に従って違う貨幣額で,表現 されるのである。」という誠に持って回った晦渋な論述になっている。その晦 渋さは,これに先立の文章では,個別部門の生産性の相違から起ると読みと れる事態を価値法則の修正としながら,それから導き出したこの文章は注記 の中で個別部門に関係がないと断っている。」(8)

このように,木下氏によれば,第20章第4段落第2文の叙述は晦渋である とされる。その理由は,木下氏の理解する第3段落の価値法則の修正によっ ては,第4段落第2文は理解しがたいからである,というもののようである。

すなわち,「これに先立つ文章では」,つまり,第3段落では,「個別部門の生 産性の相違から起ると読みとれる事態」,すなわち,木下氏のモデルのケース,

つまり,生産性格差の差異の存在する状態のなかに,木下氏の国民的生産性 を置くことによって出現する状態,これを価値法則の修正としていながら,「そ れから導き出した文章」,すなわち,第4段落第1文ないし第2文は,「注記 の中で個別部門に関係がないと断っている」からだ,というのである。

このように,木下氏にとっては,第3段落から第4段落への文脈は理解し がたいものとなっているが,その責任はマルクスの側にあるとされる。すな わち,「このような文章の晦渋さと論理の晦渋さとは,マルクス自身がなおこ の問題を十分に解決していなかったことを物語っていると見てよかろう。」(9),

と。

しかし,果してそうであろうか。すでに,第3段落の価値法則の修正をど のように理解すべきかを,また,第4段落第2文については,その内容を符 号を用いて確認する作業を,行っておいた。第2文については,簡潔にすぎ るという感想がありうるにしても,晦渋であるというのは当らない。しかし,

木下氏が,これを晦渋であると感ずるのは,第3段落から第4段落への文脈 の辿り方に問題があるからであろう。すなわち,木下氏の問題は,ひとつは 第3段落にのぞむ前に国民的生産性を用意することにある。さきに述べてお いたように,それでは,第20章の文脈とは逆順になるからである。もうひと つは,第4段落の「国民的生産性」は,木下氏があらかじめ用意した平均的 生産性と同一物であるべきだ,ときめてかかることにある。しかし,さきに

-26-

(26)

考察しておいたように,第4段落の文脈に即して理解すると,これは,木下 氏の平均的生産性,すなわち生産性格差の存在を前提し,その差異を平均か つ総合して得られる生産性といったものではなくて,競争の行きついた状態 で捉えられた,すなわち,生産性格差の部門別差異が競争の結果消滅してい る状態で捉えられた生産性と見るべきである。

以上,平均説が第4段落の叙述内容に即したものでないことはあきらかで ある。思うに,平均説は,第4段落とは関係のないところで形成されたもの であって,その根拠づけのためにだけ「国民的生産性」が引き合いに出され ているものと言わざるを得ない。その形成の過程を推しはかると,つぎのよ うなものではなかろうか。すなわち,基軸説では片貿易となってしまい,世 界経済の実態である双方貿易が説明できない。「国民的生産性」によって与え られる貨幣価値は双方貿易を説明できるものでなければならない。そのため には,貨幣価値の格差は,製造業の生産性格差と農業の生産性格差の中間で なければならない,中間はすなわち平均であろう,と。

しかし,すでに見ておいたように,第20章は,賃金の国民的相違にかんす る論述であって,貿易すなわち商品価格の国民的相違にかんする論述ではな いのであるから,第20章の論述内容を貿易にひきつけて解釈するに当っては,

充分に注意することが必要であるように思われる。すなわち,「国民的生産性」

は貿易を説明できるものではない。なぜなら,それは競争の行きついた状態 で捉えられたものであって,その状態の中では,貿易の開始ないし拡大の動 機を与えるところの部門別の生産性格差の相違の存在自体が消滅しているか

らである。

このように,木下氏の平均説は,第4段落の「国民的生産性」とは無縁の ものであるけれども,それでは,貿易利潤の源泉となるような価格差を与え るところの部門別の生産性格差の相違の存在するもとでの,すなわち,競争 の行きつかない状態の中での,貨幣価値格差決定の理論としては,どのよう に評価できるであろうか。

木下氏によれば,貨幣価値は,国民的生産力水準すなわち平均的生産性に よって規定されるとされる一方で,非産金国が提供する商品の生産力の高さ によって左右されるとされる。すなわち,

-27-

(27)

「最後にのこるもっとも困難な問題は国民的生産力水準に規定された国民 的労働の普通的労働への還元,したがって,それの別様の表現としての各国 民的労働相互間の価値関係と,国際間における貨幣価値の相対的相違との関 連という点にあろう。これまで述べてきたところからも了解されると思うが,

国際間における貨幣価値の相対的相違が前者に一致しなければならない理由 は直接的には存在しない。貨幣=金の価値は産金国においてはその生産費に よって,また非産金国においては国内的流通領域に入る前に,その国の生産 物の国民的平均労働のある一定部分と商品としての金に体化された労働時間 の一定分量と直接または間接に交換されることによって規定される。したがっ て前者においては金鉱山の生産力によって,後者においては非産金国が提供 する商品の生産力の高さによって左右されるのはいうまでもない。」

すなわち,木下氏によれば,非産金国における貨幣価値は,その国の輸出 品の価値によって規定される,とされる。これは,すでにリカードとマルク スによって指摘ずみのことであり('0),異論はない。問題は,この貨幣価値と,

これとは別に,木下氏によって提出されている貨幣価値すなわち平均的生産 性によって規定される貨幣価値との関係である。木下氏によれば,両者は直 接的には一致しないけれども,間接的には一致する,とされる。すなわち,

「だから,両者の間には直接的な一致の必然性はないけれども,国際間に おける貨幣価値の相対的相違が,前述のように機能的には国民的労働と国民 的労働の関係,あるいは国民的労働の普遍的労働への還元を代表することの ために,反作用的に国民的生産力水準の相違に逆比例的に一致せしめる一定 の均衡化作用が働くのを無視してはならない。」('1)

つまり,両者は,論理的に必然的に一致するというものではないが,事実 上はほぼ一致する,というもののようである。事実上ほぼ一致することの理 由としては,「機能的には国民的労働と国民的労働の関係,あるいは国民的労 働の普辺的労働への還元を代替することのために,」とされているが,これは,

平均説が妥当すれば,というほどの意味である。要するに,木下によっては,

貨幣価値が二元的なものとして捉えられていることがわかる。

それでは,ふたつの貨幣価値が事実上ほぼ一致するというが,それはどの ようにしてか,つまり,「反作用的に国民的生産力水準の相違に逆比例的に一

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