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大田哲夫

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(1)

シラーとルカーチ

(二)

大田哲夫

Schiller und Lukacs (2)

TETSUO OHTA

君の世紀と共に生きよ,然し世紀の被造物 とはならざらんことを. (シラー)1 芸術は人生の忠実な鏡であるのみならず,

芸術家自身にとっての拡大鏡でもあり得る. (ルカ‑チ)2

ルカ‑チはその評論の多くの個所で,シラーが先験論哲学のもつ主観性を克服するのに,寡 観的観念論の方向を以てしたことをくり返し評価しているが,3これは単にシラーの美学的概 念規定の進歩的側面がのちのシェリングや,特に,へ′‑ゲルの歴史哲学に継承されていったこ

とを指しているだけでなく,カント自身の仕事に於ける進歩的な一面をシラーが継承し発展さ せたことをも指摘するものであろう.ルカ‑チは人類の文化遺産の価値認定に当っては常に反 映理論の基礎の上に是を行い,この面でも,嘗てのファシズムの時代に於けるマルクス主義‑

の一般的な誤解を解こうとさえしているが,4シラーの思想形成の過程を分折するに際しても, 是をカント‑,いわば「稀薄化された啓蒙主義」5‑と1789年の歴史的転回点との二点に

つないだ事は,憶にそれ自体としては他の非マルクス主義的文芸理論家と異る所はない.注目 すべきは,この過程の分析に於ける反映論的方法の明噺さと,シラーの傾向がドイツ古典主義 哲学の形成に寄与した必然性の掘り下げの深さとであろう.

精神史の視野に於けるドイツ古典主義の時代‑へ‑ゲルの所謂芸術時代,ま,たツィ‑ザル

1) Fr. Schiller : Uber die邑sthetische Erziehung des Menschen, 9. Brief. In : Werke.

Hrsg. von L. Bellermann, Leipzig. 7. Bd., S. 298 f. (Diese Werke wird im folgenden als ≫s. w.≪ zitiert.)

2) Georg Lukacs :Der sozialistische Realismus, Maxim Gorki. In : WERKE. Luchterhand Verlag, Neuwied u. Berlin 1964. Bd. 5. S. 297. (im folgenden als ≫L. W.≪ zitiert.) 3) Z. B. Deutsche Realisten des 19. Jahrhunderts. In : L. W. '64. Bd. 7. S. 206. usw.

4) Vgl. Einfiihrung in die asthetischen Schriften von Marx und Engels. In : L. W. Bd.

10.S.218.

5) Deutsche Reahsten des 19. Jahrhunderts. S. 206..

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ツが謂う所のゲーテ時代‑が一貫して要求した事は,ドイツの資本主義の追随的拡大と近代 化に役立つべき特殊な価値の序列関係の基礎づけであった.ルカーチ自身も亦,ドイツに於て はこの期間にはじめて近代的な「人間の在り方の弁証法的なヒエラルヒー」6が成立したとみ なすのである.この事は,いうまでもなく,発展的にカントと‑‑ゲルとをつなぐ観念論哲学 の系譜の中で完成されていったのであるが,その際概念発展の一つの重要な中間項となったの が,シラー自身の歴史的感受性であった.

へ‑ゲルの現象学に,間接的なものであったにしろ,ある種の内面的な影響を与えたと思わ れるシラーの『哲学書翰』は主観の活動的側面に関する彼自身の思想的努力を明瞭に示してい

る.ここでは,必ずしも概念的に明確化はされていないにしても,ある種の歴史哲学的な発展 が意図されている.即ち一面ではシラーは,カントの直接的な遺産継承者として,物自体とい う単なる対象的自然を主観の性格の中に積極的有機的に取り込もうという,或は,寧ろ自然を 主体的に再び取り戻そうという,歴史哲学的乃至存在論的な志向を働かせる事によって,カン トの認識論の限界を一歩客観的な方向に押し拡げたが,この仕事はヘーゲルの現象学の内面的 な先取であったと,一応は認めてもよいであろう.7

シラーが特殊な歴史的感覚を自ら培養し得たのは啓蒙主義の発展そのものと当然深い関係が ある.古典主義時代のすべてのドイツの知識層と等しく,シラーも亦啓蒙主義の宇宙的思考, 或は普遍的なものに対する絶対的な傾向をうけついだ.特にレッシング以後の啓蒙主義的イデ オロギーの発展は,のちにフランス革命によって転回と飛躍とを獲得した資本主義的な社会構 造の発展‑その拡大と,同時にまた矛盾の深化‑とも触れ合う事によって,身分社会の一 層の細分化に対する普遍的人間的なものの意識的な対置の要求と平行している.

ルカーチは「古い唯物論によっておろそかに扱われてきた,哲学に於ける活動的側面 (t邑tige Seite)を刻みいだしたのが,古典的ドイツ観念論の重要な事績であった」8と言っ ているが,これがヘーゲルによって完成された客観的観念論を指している事はいうまでもない.

ルカ‑チがそのシラー評価に際して最も重視するのは,シラーの概念化活動の制約された能力 や,普遍的公的なものの無理な様式化に伴う(例えば『メッシーナ』のChorに於けるよう な)形象化の未成熟,などを覆って猶余りある彼の上述の心性であり,或はその点から生ずる 彼の美学及び倫理学の方法論に窺える弁証法の嫡芽であった.これは弁証法がへ‑ゲルによっ

6) Der junge Hegel. In : L. W. 1967. Bd. 8. S. 250.

7)これに関しては,ルカ‑チも以下のように述べている. 「シラ‑がその≫Philosophische Briefe (1786)≪で表明した幾つかの特定の思想は一層重要なものである.何となれば,これはへ‑ゲル自 身により,特定の意味に於てそのような先駆者がまさにそれとして認められた,唯一の場合だからで

ある.」A.a.O.S.551王.

A. a. O. S. 435.尤も,ルカ‑チはSchiller劇に於けるChorの使用については,是が悲劇を社 会的に基礎づけ,運命を社会的理念的に解説する民衆の異相として理解しており,特定人物の運命的 葛藤と民衆自身の生活の発展とを結合するものとして,一応の作劇上の評価は与えている.

Vgl Deutsche Realisten des 19. Jahrhunderts ; Der faschistisch verはIschte und

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シテ‑とルカ‑チ

ill

て完成化される以前の過渡的な段階,敢て言えばへ‑ゲル現象学の前史としての曙光が,シラ ーの人間把握の中に顕されていたという理解を意味するものであろう.

へ‑ゲルは,ルカーチも指摘しているように,国民の道徳的革新を革命の結果とみるよりも その前提とみていた.9これは思考の過程としてはまさにシラーの不変の見解に随ったもので ある.両者が異る所は, ‑ーゲルに於てはこの前提に対する楽観的な態度が認められるのに反

して,シラーに於ては悲観的な表情があったという点であろう.この差異が示す所の原因は明 白である.即ち,シラーの場合はドイツの現状に於ける後進性,随って思想的にも政治的にも ブルジョワ革命を蘭す為の社会的要因が未成熟であったという状況の単なる反映にすぎなかっ たが,ヘーゲルにあっては,人間をそれ自身による歴史的活動の所産とみる歴史哲学的な立場 が既に確立していた事によるものである.

ルカーチはローゼンクランツを引用しながら,10 ‑‑ゲルもカントの哲学に於ける適法性 (Legalitat)と道徳性(Moralitat)の対立を,人道(Sittlichkeit)つまりへ‑ゲルの意味に 於ける生の中で止揚しようと努力しており,これはシラーが,理性と自然の中間に美的性格を 措定する事によって,物自体の克服を試みようとした事と極めて相似している.更に, 1794年 の所謂テ)リミド‑ル転回が1799年のボナパルトクーデター‑と連続する過程に対する両者の見 解にも憶に或る種の共通は認められるが,然し‑‑ゲルがいかなる歴史的現実も客観的な既成 性(Positivitat)も,共に人間活動との絶えまない相互作用の中で,生成し生長しまた硬化し 消滅する運動を続けてゆく事に気づいていたのに対し,シラーの場合あの革命に於ける「野蕃」

は再び個人の人格に投影し直す事によって,個人或は小数の個的集団の中で止揚すべきである という認識に留った.また‑‑ゲルが憶にイギリスの古典経済学が定式化しつつあったものを 論っていたと思われるのに対して,シラーが経済学的にはファ‑ガスン(Adam Ferguson 1723‑1816)の啓蒙主義的な分業論の段階に留らざるを得なかった事も,両者の差異を決定する

ものであった.但し,ヘーゲルに於ても,より大きな精神的発展の契機が物質的生産力の展開 を基礎にするといった純粋に経済学的な認識は,果して可能であったであろうか.これは当時 の段階ではイギリスに於てしか体験化し得ぬ認識であったにちがいない. ‑‑ゲルに於ても, ルカーチの言うように,テルミド‑ルのイデオロギ‑的な効果‑の一面的評価や,ナポレオン の個性に具象されたブルジョワジーの理想実現の能力‑の幻想があった事も,11明らかに上の 推測に関係がある.所が,思想的に前革命的啓蒙主義的理想主義の段階におかれていたシラー には,この幻想にすらも到達する事はおそらく困難であった.

然しながら,シラーの歴史的な感受性は,一方では徐々に浸透してゆく資本主義的な分業体

wirkliche Georg Bdchner, 1. In : L. W. 1964. Bd. 7. S. 258.

9) Der junge Hegel. In : L.W. '67. Bd. 8. S. 50.

10) A. a. O. S. 200 (Vgl. auch Rosenkranz : Hegels Leben, Berlin 1844.)

ll) Vg]. a.a. O. S. 137.

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t42

大田哲夫

制を自己に於て体現しながら,他方では未だ分業がなかったか,或は辛じて始まろうとする古 典古代の社会的総体性との思想的対決を準備する事ができた.ヘーゲルは個性の近代化,人間 の生活の私人化(Privatisierung)を古代のポリス的民主体制の崩壊と結びつけ,これが近代 に至って性格の外化(EntauCerung)と生活の疎外(Entfremdung)につながったとみてお り,ジャコバン的な絶対的自由は,理象学的には,世界史的必然としてのこの外化の絶対的頂 点とみなした.随って同時に,ジャコバン的体制は人間主体による外化回復の転回点ともなり 得た.12このような観点からも,ヘーゲルには現実への楽観論的希望が存するのに対し,シラ

ーには悲観論的な理念上の希望しか生じ得なかった要因が認められるであろう.

ルカ‑チは,古代認識に関する二人の違いにも拘らず,この問題に於ける両者の歴史観の重 要さを認めて,おおよそ次のように評価している,即ち,シラーに於ける既喪の過去‑魂の 源流‑に対する哀切と, ‑‑ゲルに於ける同じく喪失された理想的な民主的生活‑の哀惜は, 前者に於ては文化哲学的な美的領域の中で近代の特殊性を探る努力へとつながり,後者に於て は,一層原理的に是を把握しようとする努力につながったが,本質的には両者とも完全にこの 哀惜を超克し得なかった事こそ重要としなければならないのである13と.つまりルカーチはこ の問題をドイツ芸術時代の共通的な時代精神の大きさと重ね合せて,シラ‑もヘーゲルも,現 実の発展の中から精神的芸術的に思想構造と人間の類型を先取したと強調する14のであるが, 両者の思想的努力の根底には常に古典古代の理想的な現象形態が据えられていたのである.こ れを哀惜するが故に療棄し尽さず,絶えずその思想的努力の中に是の表象を維持し続けた事が ルカーチにとっては重要な事であった.

彼がシラーの歴史的感受性を暗示する際,特に古典古代を引合いに出すのは,思うにギリシ ャ的世界が示した総体性の印象に基くものであろう.その世界の総体性の形姿とは,彼らにと って何如なるものであったか.ギリシャ的性格とは,『美的教育書翰』に於けるシラーの響境に 従えば, 「個人がそれぞれに独立した生活を享み,もし必要となれば,全体的なものとなり得 たギリシャ国家群のあのポリプのような性質(Polypennatur)」15であり,自然‑現実的対象 香, 「人工の凡ゆる魅力と叡智の凡ゆる威厳とに配偶せられてはいるが,然し我々の自然のよ うにそれらの犠牲となる事はない」16ようなものとみなす傾向, 「形式に充ちてはいるが,同 時に実質内容にも充ち,哲学すると同時に精力的であり,みごとな人間性の中に空想の若さと

12)ルカ‑チはここでJakobanismusの歴史的評価に言及して, 「‑・・‑その≫absolute Freiheit≪

即ち≫jakobanischer Terror≪は, ‑・‑‑世界史的に必然的なものである.つまり是は,

≫EntauBerung≪の絶対的頂点であり,主体による,是の≫Riicknahme≪が生じうる

≫Umschlagspunkt≪である」と強調している. A. a. O. S. 616.

13) A.a.O S.394f.

14) vorwort zu ≫Deutsche Realisten des 19 Jahrhunderts. In : L. W. '64. Bd. 7. S. 188 f.

15) Uber die邑sthetische Erziehung des Menschen, 6. Brief. In : S. W. 7. Bd. S. 282.

16) A.a.O.S.280.

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シラ‑とルカ‑チ

ra斐

理性の男らしさとを一致せしめている」17ような性格である.

ドイツ古典主義の徴候が常に芸術‑現実の形象化の方向となじみ合う理由も,或はこのよ うな根底に粛芽するのかも知れないが,ギリシャ芸術が現している完結性は,ドイツ古典主義 にあっては,単に創作や鑑賞の規範に留るのではない.ギリシャ芸術に於ける,個別を生かし ながら他の個別的なものを排除せず偶然性を廃棄して一切の必然性のみを成熟させている姿相 は,言いかえれば,ギリシャ的現実の総体的な反映にはかならないが,シラーにも‑‑ゲルに ら,このような芸術を産みだし得た社会的基盤に対する認識こそ最も重要な事柄であった.即 ち,ルカーチ流に言えば,存在の総体性を可能ならしめた,社会的心理的機構が問題以外の何 物でもなかったのである.18

一方,存在の総体化を可能にしたのはギリシャ世界の社会的同質性であったと考えられなけ ればならない.ヘーゲルがギリシャの民主的共和制に共感し,シラーがギリシャ人の心性の素 朴性に讃辞を惜まなかったのも,またまさにこの為であった.

シラーは『旅するデンマーク人の書翰』の中でその讃美を表現して, 「友よ!このトルソは 私に語りかける,二千年前にこのようなものを作り得た偉大な人間がいたのだと, ‑このよ うな作品を創った芸術家に理想を与えた国民がいたのだと, ‑衷心真理と美とを感じたが故 にこそ彼らは真理と美とを信じ, ‑徳と美がただ母を等しくする姉妹であるが故にこそ彼ら は高貴であったのだ,と.友よ,このトルソの中に,私はギリシャをそのように感じとった.」

と言っている.19この気持は十年後には『美的書翰』の中の, [性格の総体性(Totalitat des Charakters);は必然の国家(Staat der Not)を自由の国家ととり換える能力があり,且つ

それに価する国民に於て見出されるものでなければならない」20という断定にまで成長するの である.

ここに謂う所の「必然の国家」とは,いうまでもなく,近代の分業的に加工された社会を指 すが,そこではシラ‑の所謂「文明化した階級(Zivilisierte Klassen)」, 21っまり近代ブ ルジョワ階級によって作り上げられた資本主義体制が‑未だ未成熟の段階にありながらも

‑既に人間の性格の中に浸潤して是を歪化し人間の全体的な発展を阻害していると考えられ たのである.社会はシラーの目には, 「今や無限に多くの,然し生命のない部分のばらばらの

17) A.a.0.

18)ここにはルカーチ自身の古典的教養が重ね焼きされている.彼が古典主義の積極的な側面を,のちの ヨーロッパの精神的発展の母胎として評価するのも,一つには彼自身のギリシャへの傾倒が与っては いないであろうか・随ってまた,彼のシラ‑への(他のマルクス主義者には見られない)傾斜も,こ の事と関係がないであろうか.ルカ‑チの最も初期の評論≫Die Theorie des Romans. Neuwied u. Berlin : Luchterhand Vlg. 1965. Besonders 1. Kap.≪はそれを濃密に表明している.

19) Bnefe eines reisenden D丘nen. In : Schillers S云mtliche Werke. Stuttgart u, Berlin:

Cotta'sche Buchhandlung. ll Bd. S. 106.

20) Die asth. Erziehung., 4. Brief. In : S. W. 7. Bd. S. 277.

21) A. a. 0. 5. Brief. S. 278.

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組合せを,全体として一つの機械的生活に仕立てあげるような, ‑箇の精巧な時計仕掛」22と なり,この中に於ては人類は決して性格を調和的に発展させる事ができないであろう.人間は

「ここでは,自己の自然の中に人間性を刻みいだす代りに,ただ単に自らの業務,自らの学問 の一つの複製となっているにすぎないのである.」23啓蒙主義的な洞察に富んだこのような時 代認識は無論シラー一個のものではなく,広くこの時代に共通したものである.

一般的にいって,ドイツ古典主義の哲学は,ルカーチも指摘する所であるが,人間がこの歴 史的な問題をブルジョワ的な社会発展の問題として主体的に意識できるまでに資本主義的な階 級化が進んだ段階に於ける知的成果ではあったが,24それにしてもシラーにあっては際立った 表現が見出される.然しながら分業のもとに体制化された社会への失望は,シラ‑の場合,こ れを時代の運命として甘受するロマン派的な傾向に陥る事はなかった.ギリシャ文化に対する 彼の傾倒は,この分業に基く人間相互の分裂と性格の歪化を内面的に克服する為の前提となっ ている.このことは,分業のもたらした資本主義的な矛盾を,経済的政治的に解決する代りに 主体の美的活動によって内面的に解消しようとする方向につながってゆくが,これは古典主義 そのものの一般的な限界でもあった.制約された歴史的段階の中で,古典主義者たちのおかれ た状況は,いわば権力の被護の中にあり,しかも保護者であった権力それ自体も過去の封建的 絶対主義的階級から啓蒙主義的ブルジョワジーへと変質する事を余儀なくされる過程におかれ ていたわけで,ここに於て矛盾は支配階級の側にも複雑に露呈されていたのである. 18世紀 初頭より1848年頃までに亘るドイツの状況は,古典主義者たちをして矛盾のあのようなユート

ピア的解決に奔らせる特殊な雰囲気を形づくっていたのである.

然しながら,現実に於ける矛盾への対応の仕方に関しては,古典主義はのちのロマン主義は 勿論,啓蒙主義の特にレッシングに代表される形態とも,おのずから異ったものを示している.

ロマン主義は資本主義の負の結果に目を奪われてその進歩的発展的な側面からも目をそらして 遂に中世‑キリスト教的単一社会‑への逃避をはかった.これはいわば矛盾の自己同一的

な解消であり,全体的な発展の動機を消去するものであった.一方啓蒙主義は社会的矛盾に対 する尖鋭な批判に固執する余り,そこに矛盾の並列を依然として解決できない.その結果精神 の構造に関する評価は発展の動機を内蔵するか否かにかかり,ルカ‑チのシラー評価も要はこ の点に集約されるように思われるのである.

ルカーチは前革命的段階に於けるドイツの精神構造を深く分析する事によって,啓蒙主義と 古典主義のドイツ的な在り方の必然性を解明し,これを土台として,種々の否定的な側面が認 められるにも拘らずシラーの業績の特殊な価値を宣明しようとしているのである.

その場合彼は,ツィーザルツなどとは異り,必ずしも古典主義を啓蒙主義の単純な止揚形態

22) A. a. 0. 6. Brief. S. 282.

23) A.a. O.S.283.

24) Geschichte und Klassenbewufitsein. In : L. W. 1968. Bd. 2. S. 299.

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シラーとルカーチ

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とはみなさない.ドイツの近代がもつ特殊性についても宗教改革に重要な固有の意味と関連が ある事を洞察し,一方シュトゥルムウントドラングについても是を歴史意識の深化の面から把 えて,単なる啓蒙主義的知性への心理的社会的反動とはみなしていない.25そればかりか,莱 仏の啓蒙主義との比較の中で,ドイツのそれの反論的な性格を強調する事によって,この段階 に於けるドイツの政治的経済的また文化的な(即ち人間の精神と行動のすべての諸相に亘る) 立ちおくれ,つまり特殊なドイツ的惨めさを指摘する. 「革命的愛国主義は,ここでは,国民 的分裂,しかもこの国の政治的経済的な分断と衝突し,そしてその分裂分断の文化的イデオロ ギー的表現はフランスからの輸入品であった.つまり小俣邦の各宮廷,似非文化の宮廷が作り だしたフランス宮廷の奴隷的模倣以外の何物でもなかった.小官延は随ってドイツの統一の政 治的障害であるのみならず,ブルジョワ的生の欲求に根ざしている文化発展のイデオロギー的 阻害ともなった.そこで啓蒙主義のドイツ的形式法必然的にこのフランス文化に対する尖鋭な 反論を事とし,イデオロギー闘争の本質的内容が啓蒙主義の異った発展段階の対立である場合

にも,ドイツの革命的な愛国主義のこのような調子を保持しているのである.」27

こうしたドイツ的惨めさの根源は遂に16世紀にまで遡及される.ルカーチは『理性の破壊』

の中で, 「独立独行のブルジョワジー(unabhangige und machtige Bourgeoisie)」 28は生 れないというドイツのイデオロギー的固有性を,歴史的に農民戦争にまで遡って浮彫りしてい る.即ちルカーチは,農民戦争を増強されてゆく封建的政治的な遠心的傾向を清算してドイツ の合一を目指すものであった,と規定し,その敗北は却って古い封建的分割に代って小諸侯に よる近代化された封建制の確立を促し,そこにドイツ的分邦形態を安定させることによってド イツを無力な複合国家となし,他の国民国家,絶対主義的列強のいわば政治的草刈場ともなし た事を強調している.農民戦争と宗教改革の期間は,経済的には都市と農村の貧困化,生産力 の衰退をもたらし,内政的には分邦内部の生活が国民に文化的局限と臣属の強化を強制し,宗 教的にもルター主義やピエティスムが是を補強して,政治的臣従を内面的恭順にさえ変えてい った.29この惨めさは18世紀後半に至っても解消せず,回復には遂に世紀の転換を侯たねばな らなかったのである.事態は是のみではなかった.文化的回復の主導力が貴族に委ねられ,妥 協の形は知識人の官僚化となった.伝記が示す所のシラ‑の苦闘,またゲ‑テの行蔵の実際が 示す所のものは,まさに如実にこの間の事情を窺わせている.さきに述べた,権力の保護下で の文化形成という,あのドイツの立ちおくれはこうして成立っていった.知識人たちはその文 化的展開をフランス啓蒙的主義の学習という形で実現させようとしたが,この特殊な状況の中 で成立したのが,レッシンダ的啓蒙主義からゲーテ的フマニスムスに至る芸術時代の精神であ

25) Vgl. Der junge Hegel. In : L. W. '67. Bd. 8. S. 35.

26) Der histonsche Roman. In L. W. 1965. S. 26f.

27) A.a.O.S.27.

28) Die Verstorung der Vernunft. In : L. W. 1962. S. 41.

29) Vgl.a.a. O.

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ったといえるであろう.これが,フランスに於てディドロやエルグェシウスの啓蒙主義的唯物 論が政治的なエネルギーを獲得してゆく間,ドイツでは精々の所スピノザ的な理性宗教に急進 化の限界がおかれる現状を産みだしたのである.

この意味でゲーテの思想の重要な一面であったスピノザ主義があのジャコバン主義を許容で きなかった事は当然であるとしても,フランス的な意味に於て一層歴史的政治的感覚に富んで いたと思われるシラーが是を容認できなかった理由も理解できるであろう.ルカ‑チ流に言え ばシラーの場合も,ドイツの後進性つまり政治的変革に対して客観的にも主観的にも未成熟で

あったドイツの現状の,単なる反映にすぎなかったのである.

随って,初期の『群盗』 『たくみと恋』に表現された反封建主義的なボレーミッシュな知性 も,結局は啓蒙主義的な個性の表出であり,是が社会的制約の中で挫折するとき,一方で,自 らと同質的なものの政治的展開,即ちフランス革命のあの成功に直面して,その否定的な側面 に幻惑され,自らがそれに属するドイツのブラジョワ的知識階層の一般的風潮にならって,こ の世界史的転回から離脱したのも首肯できるのである.ドイツの後進性はこのように彼らから 社会的関心を奪うと同時に,必然的に個人と社会との分断を促し,それ故に一層彼らを個性の 価値づけの要求‑と個体内での価値のヒェラルヒーの組替えへと駆り立てたのであろう.

シラーの個性的な歴史哲学は,こうしてジャコバン的純粋さとの対決の中で成熟していった.

このように見てくるとき,シラーとドイツ啓蒙主義との同質性が敢て否定できないだけでな く,またシュトゥルムウントドラングが,ここに止揚され尽しているとも断言できないのであ る.30

啓蒙主義がもっている唯物論的性格が,それがドイツに輸入された段階の歴史的特殊性から 民族性という心理学的関連は暫く措くとしても当然の事ながら若干の変質を余儀なくされた事 は特に注意すべき点であろう.ルカ‑チがそのヘーゲル論の中で「古典主義的なドイツ哲学の 基本線は哲学的唯物論に対する闘争である」31と述べているのも,つまり「啓蒙主義の一般的 な路線」32が「ドイツに於ては決定的に唯物論的にはなっていなかった」 33事を意味している のである.

ここにドイツに於いて人間の行動様式に対する独得な価値ヒエラルヒ〜の成立する条件があ った・既に啓蒙主義的な認識論の限界は新たな存在論を要求していたのである.即ちドイツ古 典主義に於いては,漸く目的論を美学の領域で完成させる必要が強調され,この意味に於て概 念の面ではカントの哲学,特に物自体の問題が再び洗いなおされる必要が生れていた.

シラーは『美的書翰』の冒頭で「次に述べる主張が準拠となす所は大部分カントの原理であ

30)ルカ‑チはこの点に関して「若きゲ‑テと若きシラ‑の文学的思想的活動は前革命的啓蒙主義の最後 のGipfelpunktである」とさえ言っている. Der junge Hegel. In : L. W. Bd. 8. S. 373.

31) A.a.O.S.336f.

32) A. a. O.S. 373..

33) A.a.O.

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シラ‑とルカ‑チ

if由

る事をかくす意図はないが」 34と言って思索の方法に於ては自らがカントの直系にある事を自 認しながら,一方では自分の哲学的努力の結果がカントをのりこえるものである事を言明し, 併せて「カントの体系の実践的な部分を支配している幾つかの理念については,わかれている のは哲学者たちの意見だけであって,敢て証明したいと思うが,人間の方は以前から一致して いた.この諸理念をその専門的な形式から解放して欲しい」35という,切実な決意を洩らして いる.この専門的な形式‑概念の啓蒙主義的な用い方を解放するという事は,とりもなおさ ず, 「すべての芸術作品のうちの最も完全なもの,即ち真の政治的自由の構造を研究するとい う哲学的探求心がこのようにも強調的に要求される‑‑‑ときにあたって,美的世界の為の法典 を求めてまわる事」36でなければならない.そして彼は当面する激動的な歴史的状況の中で, 直接政治的な行動を起し,或は思想を政治に直結させる事の代りに,美学的考察を通して人間

の性格の煉冶に寄与する事の可能性を強調して, 「政治的自由よりも美を優先させる・‑・‑事は, 私の噂好であると弁明できるのみならず,原理によっても釈明できると信ずる. (美という)

この題材は時代の趣味にとっての方が時代の欲求にとってよりも一層疎遠なものだという事を' 香,今経験しつつあるあの政治的な問題を解決するには,美的な問題を避けて通れないのだと

いう事を,納得して欲しい,なぜなら自由に到る道は美にこそあるのだから. 」 37と断定する に至るのである.

これは然し当然のことながら,主体の美的活動に誇張された意味を与え,現実の生活‑ル カ‑チによれば,労働‑によってこそその真正の意味を荷う筈の生活の外側に,人間と社会 の発展の可能性を探る方向に立つ事をも意味してはいないであろうか.

カントを克服しようとしたシラーの努力そのものは,ルカーチも評価してやまないように, 憶に明敏な歴史的感受性に基くものであった.なぜなら,これはカントの認識論に於けるアン ティノミ〜,或は静的非歴史的な概念の絶対化から生じたあのアンティノミ‑杏,存在論的に 解消しようとする努力の意味を含むからである.カントが現象‑客観的現実に飽くまでも因果 律を適用して,是を目的論的な規定性‑有機的生命に対置させるという認識論的な基本線に固 執した事は,結果的には,目的論的に規定されるべき主体を,単に因果性に支配されるべき客 体から絶対的に分離する事を決定づけた.その出発点は,人間を絶対的無条件的に制約を免れ た自己目的として規定する所にあった.そしてこれは反封建的反絶対主義的な啓蒙主義の時代 の歴史的反映とみる限りそれ自体には重要な意義があったにしろ,結果としては,現実と人間, 即ち因果性と合目的性とを切り離して考える非弁証法的な思考の様式を確立する事になった.

シラーの理解によれば,ここには現下の分業的体制のもたらした性格分裂を克服する方法のい

34) Uber die芝sth. Erziehung d. Menschen, 1. Brief. In : S. W. S. 266.

35) A.a.0.

36) A.a. 0. 2. Br. S. 267.

37) A.a.O.S.269.

38) Geschichte u. KlassenbewuBtsein. In : L. W. 1968. Bd. 2. S. 319.

(10)

I聖

大田哲夫

とぐちが見出せなかった.これを補う為に,シラーは因果性と合目的性の中間に,独立した美 的性格の設定を試るのである.換言すれば,シラーの『美的書翰』と『哲学書翰』が中心的課 題となした所のあの第三の領域,人間の性格の新たな可能性の領域は,おそらく一層歴史に則 り,社会に対して一層積極的な主体的行動の領域を,新しく認知しようとするものであった・

ルカーチはシラーの第三規定(即ち美的規定,シラ‑の言う遊戯衝動)が,ルカ‑チ自身の 課題の一つである物象化の問題に,一つの手掛りを与えるものである事を強調する事によって,

シラ‑の業積を評価しながらこう述べている, 「シラーは美的原理を美学の噂外におし及ぼし, この原理の中に人間の社会的存在の意味という問題を解決する鍵を探ろうとしてい去」39が,

「彼以前の思想家たちは物象化という思考形式の中に素朴にも立ちどまるか,或は精々客観的 諸矛盾につき当たるだけであるのに対して,40ここでは資本主義的人間の社会的存在の問題性 が精一杯意識化されるのである. 」41と.

シラ‑は一つの歴史的意識を以て,資本主義の発展期に於ける人間と社会の問題を把握する ことによって,そこから必然的に上述のような性格の分裂の内面的克服の手段を原理的に引き だしたが,同時に自らも亦,制約されたその社会的な立場からして当然解決し難い自己矛盾に 陥らざるを得なかった.即ち,シラーは人間の性格の歴史的な意味に於ける分裂盃化を明確に 意識はしながらも,猶カントの方法論の範囲内で,即ち客観的な生活そのものから離れ,カン ト流に言えば,目的なき合目的性のうちに,その超克の方法を求めざるを得なかった.42これ は,ルカ‑チ的な観方をすれば,美的活動と労働とを分極化するものではあったかもしれない が,然し,シラーが個性の回復を砂くとも個人, ‑随って人間の局限された集団の中では, 実現が可能であると信じた事,そして是を全人類の改善と発展の母胎になし得ると信じた事は,

その歴史的分業体験の深刻な反映であると同時に,ドイツ古典主義そのものを彩色した或る種 の諦念の根源とも相通ずる,重要な傾向の原因ともなったのである.

シラーがカントとは異った意味に於て,近代的なものの矛盾を理論の上でも作品形象化の上 でも明確化し得たという事は,分業による性格の分裂という重要な問題を客観的にも提出した 事を意味しており,一面では却って,例えばヘーゲルに見ることができるように,のちの近代 歴史哲学の展開に寄与するものであったという観方が成立するとすれば,シラーの資性に於け る歴史的感受性も亦,このような関連に於て明白に認知され得るものであろう.ルカ‑チのシ

ラ‑に対する原理上実践上の批判も評価も亦共にこの点に関連するのである. (未完) (昭和52年9月30日受理)

39) A.a.0.

40)例えばKantのように.

41) Geschichte u. KlassenbewuCtsein. S. 320.

42) Vgl. a.a. O.S.320 f.

参照

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