シ斗ム.へーターの資本主義観
一f﹁資本主義・魁會主義及び民主主義﹂第二編の紹介 ︷
麻
田 四
郎
一205一
一始めに一
一 資本圭嚢の経濟塵﹃
①︑資本主義秩序の経回的成功
② 資本主義秩序の基本性格
商 投資機魯減少理論
二 資本主蝕義の計︸會晶學 ︑
働 資本主義文明の糟榊
② 資本主義秩序の自壌過程
︷回 反資本主義感情の醗⁝成
④ 資本主義秩序の崩壊
−絡りにー
シエムペ喜潔1の資本プ王義灘
シユムペーターの資∵本主義魏 一2◎6一
i.始めにし
、
ここに紹介せんとするのは﹂・A︒シユムペーター敏授の﹁資本主義・廃置室養及び民主主義﹂といふ書物の第二 ぴ タ 篇︻︐資本主嚢は生き残りうるや?しである︒ ︑
本書は第一版が一九四二年に︑それに新しい一章が附け加へられて第二版が四七年に出版された︒筆者はテキスト
.として第二版を使用した.
本書は目下各方面より多大の注目を受けてみるが︑それは取上げる問題の性質と著奢の母上に於ける権威とから當
然の虚であらう︒しか・しシユムペーターの麟識の深さと巾の廣さを思ふ時︑そめ所論の分析・批判には充分なる準備
ど反省が必要であり︑それは筆者の今よくなしうる虞ではない︒ここでは教授の資本主義々とも名付けうべき第二篇
の忠實なる紹介に止めたい︒ ︑ 乳 . − ⑳ わが國において本書のアウト・ラ.インに即して若干の紹介が現はれてるるが︑幾分なりとも立入つた内容を.紹介し ㈹ たいといふのがこの小論のささやかな目的である︒ ︐ 瑠
①8鋭警影遇︒δご9辱管まβぎ昏ま導蝕轟︒Φ彰馨§曽5・ρ裟k●欝ピ・琴¢番目︑舞ピ︒葺2旨襲舞灘賃を隻
麟・飯田藤次︑書評︑纏濟評論昭和二十一年十月號︒友岡久雄︑書評︑ブツ〃︒レヴヰウ第悶巷︑都留露人︑アメサ勃総濟學の旅
︵理想蝕︑昭瀦二十四年︶︒ ぜ 目下中鷺伊知郎教授によって本書の綜括的紹介・分揖の仕事が濫行中と響いてみる︒完︑盗なろシユムペ重土一的世界の解明が提
供され乃ものとして期待される︒ ︑
働 以下本丈の位置な明らかにすうれめに︑原書第二篇の各無題次な掲げろ︒箪二篇︑資本主嚢は藁薦残のうろや参︑︑第菟章 総生
訴 産量櫓⁝加率︑︐第六出皐 みぜかけの賓・本主義︑第七漁猟 創造的破簗の過程︑第八出潮 濁占的行動︑第九出漁 焚猟期︑第十漁昂 投贅︐
伊
機會の減少︑第十一章 旗本主義の文明︑第十二章 崩れゆぜ壁・①企業者職能の不用化︑酬保護階級の崩壌︑筒資本主義赴會
諸制度の崩壊︑第+三章敵童心の醸成Cり資本主義の赴會的雰園山︑働インテリの髄會學︑第+鶴巴戦竣︒
書
資本主義の経回學
ノ
σ 資本主義秩序の纒濟的成功
︑資本主義維濟秩序の將來を考察する仕事は過去の資本峯嚢経濟の威功の撃発より始められる︒シユムペーターはそ
の評贋基準として総生潔量指敏を取上げる︒含衆母の資料によれば︑ 一八七〇年1︸九三〇年の早舞増加率は三・七
%であった︒耐久資本財生野量の増加率が浩費財生産量増加峯より穴であるから︑平鞘財生産量の塘加率はこれ以下
でなけばならぬ︒いま治費財生産量増加傘をこ%と推定し︑この題字をもつて圃態の過去の経詩的成功の客槻的表現
と考へる︒次にこの二%が一九二八年より將來五〇年にわたって纏干してゆくものと假定すると︑一九七八年には消費 ゆ 財生産量は一九二八年の星羅︒七倍に達することになるつ入口一入振り畢均蜜賛所得にて表現すれば︑浩費可能所得
の総所得に勤する比傘の塘大愚に入口増加を考慮に入れて︑一入騰り奉均貨幣所得は一九二八年の六五〇ドルの二倍
・即ち=二〇〇ドル︵一九二八年のドル購買力にて︶となる︒討って資本車速が從來通り焚喫すると假謝すれば︑現在
.︻ のいはゆる貧困なる歌態は一国なくなると考へてよい︒しかし聞題は實にこの.假定の膣味にある︒
囎と謹蓬める前に︑この二%墾︑指樽的務の縫については芋懸が必嬰である︒茎二四分配の
不忽劇の問題である︒多くの學者は資本‡嚢秩序の獲展は分配關係を不至愚にすると点くが︑幸ぴなことには如何な︒
シユムペ言ターのへ資本主義掘
シユム﹁ぺ!・タ︸のへ寳・本主義編槻
︐る資料によつてもか玉る傾向はみとめられない︒われわれの資料に面する期間において貨幣所得のピラミッド分布・・ 臨國番蟻巻する賃銀籍の割合は毒不定であった・從って五︒覆に於いても所得配分は定器考へ沿い患
ヌ 一蕊る.次は二%の毒茸麗關係である.鞍國民所得霜欝分配關係は不響あるといったがギれは穰所
.憩得に食するものであって︑實質所得に面起てはむしろ低所得者に有利に攣動ずるとの推論が可能之みる︒その理由は
資本主義秩序は総じて大量生産の機關であり︑大量生産隙その性質諺日用必需品には容易に魎用されうるが奢修品に
は適用困難であることに求められる︒電氣が始めて供給されたどしても多くの蝋燭を購入し多緻の召使に二つかれて ︑みる富豪にに大した問題ではない︒この事實は経濟活動の長期波動に即して考へるとま一法明瞭とみる︒われわれは
次の三つの産業革命を襯念ずるごどが出門る︒その一は一七八○年に焚し一八○○年に頂黙に達し一八四〇年に絡る
波と︑次にすでそれに引績いて始まり五七年に頂黙に観し九七年に着る波︑そしていまトつは一九一一年に頂瓢に達
し現在衰へつつある波である︒この経濟波動における主要特徴は㍉︐工場の機械化・電化︒化心的合威等の下生薩方法︑
鐵道︑自動車等の新商品︑ラ・プラタ羊毛︑アメリカ棉花等の新供給資源の開二等の産業構造の根本的攣革であり︑
・その攣革過程に於いて古きものと姦しきものとの交替︑︐生産機構の再嚢的若返鋤が行はれたことである︒.勿論その過
程に結いて審査︒利子率・雇傭量の魚種が磯生したが︑絡局に於いては消費財の洪水が娼現した.この鴻費財の洪水と
そは大量生産の結果であり︑實質賃銀の均卸大に重要な役割を果すものなのである︒かくして大衆の生活水準の向上は
實に資本主菱経回秩序の成功の結果として生す葛ものなのであるといひうる・ ︑
さて以上の議論は園一九三〇年に先立つ六〇年周の資本主義の経血忌展が將來にわたって纏績するといふ假定の上
に立ってるためであるが︑この假定から・その磯展がこれからめ四〇年にわたり糠物するであらうとの推論は出てこな
い︒それ故以上の叙述の意落するところは︑もし資本主義秩序が過去の成功を繰返すならば︑近き將來に器いて如何
一209一
なる結果を霜げうるかについての量的観念をもつ爲にすぎない︒そしてそれとは別に過去の成坊が繰返へされるや否
やがわれわれの追求する眞の冊題となるのである︒しがしこの問題を直接提起する前に︑次の三つの問題に解答せね
ばならない︒.即ち ・ ︑︐ ピ
① 寳本主義秩序と生産量増加傾向との聞になんらかの耳隠瞭なる關憾ありや︒ .㌧
・② もしその關係ありとすれば︑その生篠量塘加は資本主義秩序自盤に負ふものであっぱし︑他の偶然的事情に起因 捌 するものでないことが讃明され訟ばならぬ︒ −・
⑥ 資本主義は將來孚世紀にわたり過去の成果を畢げえないとの推論に賃當性ありゃ︒
以下この三問題について順次考察してゆく︒
2 資本主義秩序の基本性格 ︵
先づ第﹁の問題を取上げる︒
資本主義秩序は全く灘濟の増禍である︒そこではすべての行爲は貨幣に換算され評償され︑所謂成功なるものはす
べて経濟的成功に還元される︒從ってこの秩序の下で指導的に行動するブルジ欝ア階級の目的は総てマネー・メーキ
ングであって決して杜魯的奉仕ではない︒そこで巾れわれ慮利潤追求を目的とする行動が生産量の極大をもたらすも
のであるか否かを尋ねなければなら・ない︒
この蕎に些し吾典派馨讐は共通の結一塁もつてみた︒資蒙の利已心は嚇の利毯調和するとの讐を
有してみた︒それ故彼等は生産量の増大は實に自曲企業・利潤動機に起因するものであると断言するのであ惹︒しか
し現在この見解を正射化する享は姻難であり︑またその理論は當時のイギリス・ブルジョア階級の利釜の代欝であっ
シ議ムベーターの一資本・王義湘襯
シュムペーターの資本主蕪脳潔脚
・たでとも明らかである︐利潤極大の追求と生藻隅軍極大の追求とは必ずしも矛盾ずるものではないけれども︑前回は必ず
一 おいて殆ん遡共通黙をもつてみないマレシアルヴイクセル理論においても﹁完全自由競孚に懐い忙ぼ生産者ρ利潤 ま 10 @しも後者を含む竜のではないといふ事實をぱ古典派経濟學奢は見落してみた︒古典學涙落窪理論とはその理論構造に 隅
追及は生漆量を極大にする﹂との命題を含んでゐゐ事は注目に償ぴする︒勿論マーシァルーヴイクセルにあっ℃鳳猫占 へ め場合も考分ちれてるる︒しかし彼等野猫占を例外的と考へて︑﹁完全自由競孚こそむしろ例外であるといぶ黙に關し
ては夢想だにしなかったのである︒實際にあっては農薩品の如き大量生心品には完全自由競孚條件が満足されるであ
囁らうが︑多くの工業品タは償格操作・品質操作・聯想廣告の譲地が多く淺されてるて完全競争條件ほ満されてみない︒ ぼりゴポリ び ま悔これら手操作の鹸地少き同質的商品に間しても︑多くの場合寡卜欝が磯生する可能牲ありと考へられる.寡占に
泌っては埼衡は一身的には成立しない︒理論的にぼ埼衡可能のケースは多敬存在するが︑その爲には企業者⁝聞の不噺
の馬術が必婁であ9︑その均衡維持も困難である︒のみならすその均衡黙は必ずしも生悟量極大を碧羅するものでは
ない︒麗際においては完全競争的模型よりも猫占葡競孚模型が現實に近姻ものであると考へることが出來る︒しかり
とすればマーシャルHヴイクセル的命題の現塑性は極めて薄弱とならぎるをえない︒ ミドし 批刹は不完全競争・猫占理論に忙して謹むけられる︒夢占的競箏理論によれば.資本主義秩序は生薩潮回穴の麗現
には不適當なものであるとせられてるるが︑現實億多分に猫占的競争の場であり︑同時に蝿去り経濟的歳功も嚴允る既 や 成の事蟹である︒それ予々占的競箏理論はわれわれの設問に答へることは出 來ないといひうる︒或ぴは人は資本主義
秩序とはもともとその様なものであって資本家のサボタ﹂ジユにもか㌧はらす生藻量は増大して來たのであ乃︑とい
ふかもしれない︒しかりとすればか﹂る見解の主張者は・︑われわれρ槻察した生産量増加率が資本主義的維濟機構とは
なんら關係なき他の事鋳によって惹起せられたこと︑そしてその増加傾向が資本家のサボタージュを相殺して飴りあ
一2王1一
つたことを標誰する責任を負ふものである︒この櫨誰の吟味がわれ︒われの第一一・三の問題の内容となるものである
が︑それはともあれこれまで多くの論者は歴霊的心髄に深く關論ずることなく︑飯貧本主訴秩序は始めは完全競争條件
を備へてるるがそれは必然的に狐占的構造に鈍化し競雫を抹殺する傾聴をもつとの見解を探るのが普通であった︒こ
の見解に署して過去に於いても現在以上の完全灘争がみられなかったこと︑並に壌加率の顯薯なる翠嵐をとりあげる ゆ とき︑それは殆ど大娼模企業の製品であることが反駁の材料となりうるし︑すすんで大規模企業は生活水準を引下げる
よりはむしろ引上げるものである設いかとの反問すらも提出されうる︒
要するにわれわれは從來の思葉理論から生産量塘工率の論明を求めることは葉影ない︒勿論個々の維濟理論におい
て取上げられた諸事實の牧畜癒正しい︒しかしその個々の里腹親察からは素餐としての資本主義秩序に開する結論が
出ないのである︒しからばこのギヤツプを膨めるものは黒髪に求められるであらうか︒ 樗
艶ユムペーターは解決の鍵をば資本主嚢秩序の基本的性格そのものに求める︒この黙に号する正しき理解を欠いた
が故に︑從來の諸理論が個々には正しき維濟現象に關する諸命題の堆積を創造しつ﹂もわれわれの問題には無力であ
り︑また非現實的抽象理論なりとの絶えざる非難を蒙らねばならぬ結果となったのである︒しからば資本主義秩序の
基本的性格とは何か︒シユムペーターの表現によれば﹁︑資本・モ義は本質的に輝性的攣化の形式・方法であって︑決して
静態的でないのみならす︑静態的たりえないものである︒この資本主義秩序の推化的性格は︑たぐに維濟生活がそれ ㌦ 喚 とは猫思して憂化する敵魯的︒自然的環境において螢まれるといふ墨堤に基くのみならす︑維綴生活の攣化が経濟行
爲の與件そのものをも憂化せしめてゆくといふ事實に起因するのである.隔ら沁︒︒︶¢轡型的にいへば資本主義の進化
は︑戦争・革命其の他による濠.業構造の攣革︑幽趣・資本の準自然的櫓加︑貨幣制度の攣更等々によつて嚢生するで
︑あらうが︑それにもまして︑資本主義の基本的推進力たる資本解義的企業者の創造する新溝費財︑生藤・蓮輸の新技
シユムペーターの蹴頁本・王蒜驚⁝観
r212一・
γエムペ︸ダーの資本主義掘
術h新市場︑薪産業組織等の磯展によっても惹起せしめられるのである︒この瓢を墜史的箆鷺により説明しやう︒先
に述べた如く過去の三つの長期経典波動を通じて勢働者の實質所得はた貸に量的のみならす質的にも顯重なる改善を
うけて來た︒農業技術はプラウよリトラクターに嚢捜し︑製鐵技術における木炭製錬は︒過去の語り草となり︑また既
に博物館的存在と化した騨逓馬車に代って髄室機が地球の時間的距離を縮馳せしめう鼠ある︒古きものを不断に新し
きものにて代替してゆく過程一創造的甲介︵○樫︒纂ぞ⑦ご霧電離箱げご謬︶の過程1とれが資本主義の基本的性格なのであ
る︒かぐの如く資本主義の基本的性格を把握するならば︑われわれは問題接近にあたって先づ観察をば特定時難に限 ま 定することなく長期にわたって行はねばならぬこと︑F額察封象の一局部︵例へば一企業︶に注意をむけ嶋に止まっては
ならぬてとの必要を了解するであらう︒實に資本主義エンヂンの機能は創造的破墨の不断の疾風に於いて理解せらる
べきものであって︑怪態理論酌に無風欺態の假定の上では何ものをも理解出來ないといはねばなちぬのである︒從來
の経濟理論は資本主義エンヂンの︸時的現象にのみ注意を奪はれて︑それが過去の産物であり叉攣動的未來を内に含
むものとしての資本主義を理解しなかったといはれねばなちぬ︒この黙が理解され曇り業繋者は無意嚢な仕事を繰
返してみるといびうるのである︑勿論最近の経濟理論も著しく進歩して贋格競争の段階より品質競争護廣上等の理論
的重要性が理解されて來てるる事は事理であるが︑まだ生産條件不当の假定の枠内に於いて問題とせられてるるにと
蓬ってみる︒資奎讐押て単簡畢なる馨はそσ様姦争ではなくして新商・署藷.新供馨源に書 .る競孚であって︑決して利潤・生産量の大小にか﹄はるもαでなく︑實に企業そのものの生存條件鵜か蕊はるもので.
・ある︒回してそれこそ長期に於撃て生産量を増加せしあ七堂を下落貸しめるものなのである︒
かくの如く考へてくるならば︑從來σ利潤動機の立場よりする資本主義批判はいつれも蕉鵠を失した枝葉宋節の議
論といふことになる︒しかしこ㌧でわれわれの立場を断層明瞭にする爲に從來の傳統的維濟理論を若干の勲に關して
13 }
ウれ
一 役立つのである︒不断の揺動の危瞼に曝されてみる場合ひ投資活動が活議に行ほれうるためにはある程度の保護︵例 利潤を︑増大せしめる結果とならうが︑創造的破壌の過程にあってはそれはむしろ維無界の安定.・一時的困難の緩和に 歯応引上げ政策︶︑こそ新らしき章義をもつのである︒けだし静態的歌態にあっての生塵制限は溝費者の負嬬において 正當であるに止り︑資本主義の本質をば不断の創造的破壊の過程として理解するわれめれには野芝的行動︵生睡制限・ 産量は益々競箏生産量より小であるといふ︒しかしこの推論鳳﹁他の面面にして等しければ﹂との静定においてのみ いささか反復の無味あれど傳続的猫占理論の読くところによれば︑凋占櫃格は自由重訂橿格より高く︑また猫占生 積極的に批判しやう︑︒それは同時に資本主義秩序そのものの性格把握にも役立つであらう︒.
へば特許樺︶が必要である︒職孚危瞼保瞼料を溝費者に負薫せしめることには何人も反封はしまい.同様に繹濟攣動
に封ずる適當な臆意手段の存在しない場合︑これを傭格政策によって購買膏に危巌を負隠せしめることは合理的と考
へられうる︒経濟漫筆並に政府婆心は償格引上げ政策をば掠奪前なものと見徹⊥︑生産制限をもつて生藤機∵曾の浪贅
と考へ易いのであるが㌔か﹂る種類の行動は﹁不断の疾風﹂の下ゆおいては阻止的である︐よゲはむしろ保護的である
ことに.氣が付かないのである.自動車にブレーキが装置されてるるとみないとでは何れの場合が速く走れるであらう
か︒この事實によつて始めて企業が不況時に損失を蒙りながらも操業を欄帯してゆく理由が理解出來るのである︒嚇
嘉すすめて挙式企業の立場を親察する︒實際に膏薬企業は不箇の疾風の影響をうけうつもある程度の玉壷を績けてる
るものである︒もし適當なる保護がなければその未だ生存しうる企業も即時的に絶滅せられ︑その結果回避可能の失
業を獲生せしめるに至るが故に︑生産制限政策はこの不必要なる損失を回避する効果をもつと考へられる︒勿論非能・
率企業を無期間に存績せしめることはナンセンスであるが︑これを一撃の下に打倒せすして正常なる退却をせしめる
ことは意味あることである︒
シユムペーターの資本主義瀬⁝
ゆ
一一
Q14一
ツ議ムペーターの寳本主義観
謬所謂贋艶.羨しに3三興する・纂鐸弧欝重て曇声覆は完全馨の阻害原因並に生肇減
少の要因とせられてるる︑そこで問題はこの償格硬直性が生産量の長期的爽展に如何なる影響をもつものであるかで
ある︒われわれは先づ償格硬直惟は本質的には短期的現象であって長期葡には償格はその技術的進歩に相懸するもの・
なることを理解せねばならない︒企業の薫製職略の目的は表面的な産業攣動を避けつつ根本的響動に樹淫せんとする
ところにあるが︑この根本的攣動は長期的現象であレ緩慢且不連繋的運動を表はすものである︵それ故に現蟹の償格
は生産量の不蓮績函数として翻焦せられる︶︒︑しかレ硬直性の問題は不況時において多くの償格鳳下落しないといふ
む り ゆ の ド ド
黙にあるのであるから︑われわれの問題は短期的償格硬直性が長期的生思量に如何なる影響をもつかといふことにな
る︒この問題において櫃格硬直性は長期生藩量に不利な影響をもつとの議論がある︐その主張の要黙は︑不況時に於い
て企業が露営を維持するため菰生産制限を行ふならば︑失業の塘大・総支出の減少を通じて不況に拍車をかけ︑企業
の照準制限政策が維持さ轟るかぎりそれは累積的悪銀果をもつといふのである︒亭毛 かしζの講論は不況期にあつでは
消費者は決して贋格下落に鷹じて直ちにそれに封ずる支出を塘加せも盛るものでない事實︵そ灘が必需品でな︽又將
來︑一層の欝欝下落め豫議せられる場合は特に然り︶を見落してみる︒加之︑この議論は﹁他の事情にして等ししの假
定によつて害はれてるる︒われわれの問題には之の假定は要當せす︑從って﹁他の事情に七て等し﹂ければ伸縮的贋
格によってより多くの生産量が需要せちれるといふ命題か乃は︑総生産量もまたより多く需要されるとの推論は出て
こない︒われわれの観察する企業が贋格引下げに慮じないのは︑市場の混謝を防止せんが爲であり︑一層の先回行き不
ノ 安をば積極的に否定して景氣好望の橋頭墾たらんとするためでる渇からといひ得よう︒こ敦でもまた生産融箆制限︒償
格引上げ政策により響き行き不安に脅える場合よりも高い生産水準を保ち5るどの推論が可能となる︒︐換言すれば資
本主義の進展過程における不況に際しては︑傳統的理論の設定する條件の下におけるとは異なレ︑.譲葉の完全且普遍
一215一
的伸縮性は経濟界を均衡せしめるよ歩はむしろ一層不均衡を惹起せしめる要因となりうるのである︒
誉者は以上の結論の蟻通詮的なのに驚くかもしれないが︑現實には之は陳腐なる常識にすぎないゆまた實際最近こ
の常識をとり入れで経衣理論の大きな焚展が行はれてるる︒ブリツシユ・テインバーゲン・ヒックス等によってな
されつつある翻態経濟的假定を前提としない動態理論の動向がこれを物語る︒動態理論は時間的糠起︵・・︵ψ︵膨ゑ同8油謬
笛昌︒︶﹁の分析であって︑ 一定時における特定の輕濟量︵例へば償格︶が何故にかぐかくであるかの三明に關⁝し︑同時
賭に於ける他の維濟諸量を考慮に入れるのみでなく過去の維濟諸量並に將來の豫想をも考慮し︑一つの均衡が破壊せ
られる場合︑新均衡への到達過程は古典派完全競箏理論の説く如くに必ずしも安定・迅速且維濟的ではなくして︑晶鷹
の不均衡獲生の可能性を指摘する︒動態理論の安定・不安定條件分析の狙ひは正にこれである︒
次にわれわれは三層において多くの場合猫占的生産が競争的生産よりもすぐれてみる隠蟹を認めなければならな
い︒猫占者が探用する高能率的生産方法がしばしば多鍛競宰者には要用不可能であるからである︵近代的大規模工業
の生産組織を想起せよ︶︒勿論猫占的制限政策によって現實的生産量はそ鶏肌雫的生産水準にな及ばないであらう︒
しかしその訣黙を生塵設備の能率・優秀なる頭脳の利用可能性︒安固なる財政黒蝿等により相殺して絵りあるのであ
る︒ 結局あらゆる事情を綜合判断するとき︑われわれは完全競争はその生産能力を最大限に軍国するが猫占においては
経濟戦略が墨焼されるとい﹁ふ理由よりして︑完全競争の生塵量が高水準を保つと結論することは出黙す︑︐むしろ逆に
鋼材︵大規模企業︶はその戦略が相當程度に制限的であるとはいへ︑維濟的進歩・生産量の長期的増大の強力なるエ
ンヂンであるといはなければならない︒この認識によつてのみ過去の資本主義的成果が合理的に詮明されうるのであ
る︒
シユムベーターの費本主義狸
一216一
シ︐鴻ムペ!タ肇の蹴貫・本・黒鵡義魏獅 慨
鋤考投資機會減少の理論 ︵囁
前節の結論に漏して當然次の反問が豫想される︒即ちへ競争的資本主葬︑秩序は競孚理論の敏へる如く生産量極穴の
條件を満足せしめるであらうし︑︑叉猫占的資本主義秩序は前者より一暦穴なる生煎量を達成する事を認めてよい澄し
か、 オさうであるからといって過去の生産増加傘が資本主義卜特に猫占資本主義︶に起因するとどうして断言出來るで
あらうか︒先験的にいへば過去の成功は資本主嚢秩序それ自身に負ふのではなくして何らかの経濟外的諸條件による
ものであ6かもしれないではないかと︒かくてわれわれはこの先験的反問に移して否定的解答を與へねばならぬ義務
を負ふ︒これが第二の⁝問題である︒
さてここで必要なる問題接近方法は︑過去の腿史酌事誤において資本主黍に姓影響を與へたのでは癒からうかと豫
満せられ且つ経濟秩序に滞在せぎる諸訴件を吟昧してゆくことである︒この吟味の劉象とせられる結締奢は次の如ぎ
ものであらう︒④政治情勢︑・㈲産金額︑09こ口増大噛偵フ雛ンティア撰張︑㈲技術進歩︒以下簡軍にこれらについて 〆 考察する︒︐
笙に政治情勢について︒沢七〇年よ2九面年忌は典型的な自由議時代であって︑特に政鴻條件による・
プラス・マイナスを嚢濡すること依困難であるづ ﹁八七〇年までには・多くの封建的な経濟的譲規範は除去ざれてるた
し︑叉それ以後に設定された新しぎ政治的規範︵例へば就會立法︶といへども一九一四年以前の戯男歌態に大なみ影響.
を與へたとは考へられない︒若干の戦争があったがこれとて大なる経濟的意義をもつに至らす︑結局政治情勢は殆ん
ど何等の役割も果ざなかったといひうる︒
第二︑過去の成功と産金額と何等かの關係があるであらうか・一八九〇年より世界壷金量の過剰傾向が現はれた
一班7_ ・が︑それ以前の二〇年間は逆に金は過少であった︒一方総生産量増加率はその前後を通じて殆んど饗化してみない︒
それ故金の生産事情が特別な影響を資本主義の成功た興へたと考へる必要はない︒
第三︑過去籔世紀に器ける人ロの増大は確かに注目すべき事實である︒しかし入口増加のすべてが生滞量増加の原
距因であると断言することは出挙ない︒大入口の勅愈は小入口の耐會よりもより穴なる生馬量を早出する︒それ故もし 入口増大の一部分が資本主義秩序とは無風係な嬰因によって叢生したものと考へ︵か図る推理は決じて誤ってはみ ゑ ない︾︑塾図の総生器量増加をもつて資本主義成功の測定尺度とするならば︑その評償は過大評償となる︒逆に就業
入ロ一人望σ生産量を測定基準とすれば︑他の事情等しき限り就業人口増大は一入當り生産量を減少せしめるが故
に︑その評贋は過少評贋となる︒この資本主義成功の評償の修正に關する開題とは別に︑この入口増大が如何なる程度
において経濟的要因に基くものであるかといふ問題があるのだが︑それについ℃尊来の議論は確定的解答を與へるこ
とが出來ない︒しかしそれだからといσてこの八ロ増大要因を強調しすぎることも誤謬丘あって︑われわれの親察せ
る生産量増加奉の大勢はそれにより大なる影響をうけるものではない︒
︑.第四︑フロンティアの開獲即ち植民地・新開國よりの多量の食糧・原料供給が生薩量の増大に顯著なる役割をなし
たことは多くの立者によつて強調されてるるところであるが︑われわれはこめ開平が資本主義秩序とは無三三に行は
れ得たものであるかを疑ふ︒フ・ンテイァの存在により與へられる機會の重要性は疑ふ意地がない︒しかしその機會
の存在は耽會進歩の必要條件であるがそれだけではすべての條件を満足せしぬない︒既にのべた如く資本主義プロセ
スは進化の過程であって︑企業者は自己の親野に入って來るすべての進化の機愈をば常に開拓せんとしてみるもの︑で
ある︒從って特に新國・新植民地立直のみを強調せねばならぬ理由はなく︑イギリス︑の石炭・心確︑アメリカ其他の
石油資源等々も同様に考慮せられねばならぬ︒またこれ等フ獄ンテイアの開獲それ自爆は企業誌︵彼等はその開獲に 蓄 シユムペ事タ︸の 寳・本・董蹴我糊鰯
一218
シュムペータ﹂の 貧本・王義蜘榊 さ
必要なる一切の條件例へば鐵道︒動力組織・船舶・農業機槻等を提供する︶により一歩一歩實行されるものである℃
この意味に於いて資本主義の獲展それ自艦が祉會進化の充分馬齢となってみる フ・ンテイァ開拓それ自騰資本主義
的成功の一部であるとすらいひうるのであるα
同様の推論が第五の技術進歩にも愛慰する︒新技術の爽明それ自画すでに破壌的創造機能の磯現である︒多くの學
者のいふ如く企業と技術進歩とは別個の事態と考へることは誤りであって凶前者ほ後者の推進力であり本質的に分離 せしめ得ないものである・ ﹁ ︐ ︒ ・ .
かくの如く考察してくるとき過去の資本主義の威功は輕濟外的條件に左右されたものではなく︑大功において資本
主義的黙認を表現すッ噌ものであると塾ひ得よう︒しかし以上の議論はあくまでも樋去の鮮碧の盆明に關するに止まる︒
われわれは進んで第三の聞題即ち資本密義エンヂンが將來の四〇年に於いて同様の成績をあげえないとする豫測に
充分なる理由があるであらうかを問はねばなら激い︒ ︑ 囁 き ミ
現在の慰者はこれまで極めて深刻な世界不況と回復の不満足さを維翻してみる.われわれは既にのべた如くこの事
實は必ずしも資本主義進化過程め方向攣換を意味するものと考へるものではないが︑しかし多くの羅者は資本主義
過程に根本的攣革が焚生しつ﹂あるとして將來に謝しで悲糊的見透七を抱︽のである︒この代表的見解はケインズ理
論を出獲黙とす乃厨謂投資機暦減喉理論︵その主張者はいふまでもなくみ︒ハンセン︶である︒この理論は資本蓄積
の利潤率ひいては大量の維常投資に劃する悪影響を轟くマルクス理論と極めて符合してみることは容易に理解され
るのであるが︑ここではわれわれは投資機會減少理論の悲観的見解の静粛性を吟味することによ9︑第三の設問に答
へることとする◎ ︑ . ・. ︐ . 酒 ・
投資機倉減少理論によれば︑墨縄欲望の飽和︑合減少︑フ・ンテイァ︑技術進歩可能性の減少等の要因により投.
一219
資機會の減少︑ひいては膣傭水準の下落︑永綾的沈滞が獲生ずるといふ︒以下これらの諸要因を吟味してゆく.
一︑欲望・人口について︒人間欲望を一定とする時︑ 一定資本量が欲望飽和歌態を惹起することが考へられる︒し
かし欲望の完全充足といふ歌態の想定は︑少く毫將來の四〇年を聞題とするわれわれにとってはナンセンスであ
る︒ 他面︑入欝増加率の減少は需要増大を阻害することにより生産量・投資傘を減少せしめるとの議論があるが︑これ
は誤謬である︒欲望と有効需要とは同一物ではない︒産低率の下落により解放せられた所得は他の用途就申産兇制限
の動因となった他の需要裏張へと支出せられるであらう︒又人口減少が農業の將來を不安にするとしても︑それを愚
って直ちに將來の総生産量に適用することは早計に失する︒叉人口造営は勢働供給の減少を媒介として総生産量を減
少せしめるとの議論もあり得るであらうが︑それに幽して適當なる理由は未︐だ聞かれな炉︒
現在われわれの経験してみる産児率の減少・人口増加率の減少は極めて注目すべき事實であるが︑その原因は從來
の分析では解明せられてみない複桝目なものである︒結局めれわれは入口増加率の減少傾向が必ずしも乱心四〇年間の
一人宿り生産量の増加率に封ずる悲観的斎言を支持するものではないと結論ぜざるを得ない︒現在のとどろ人口減少
傾向によつて資本主義の將來を悲観する學者は︑かつての評者が正當なる理由なぐして人口増加の結果を心配℃たの
と同じ愚を繰返してみるのである︒ ︑
二︑フロンティアの浩滅︒投資機會減少の理論はフロンティアの消滅と逼ふ歴史的事實より資本主義の湊落を豫測 ぢほ せ とする︒われわれといへども地理的フロンテイフの消滅せる現實並に嘗ての新國よりの豊富な食糧・原料資源の
供給杜絶の事實を認める︒しかしこの事實から総生産量減少が必然的であるとの結論は娼て來ない︒牧群遊減の法則
が張く作用して來るといひ得るかも知れぬが︑人目増加峯減少傾向がこれを相殺するであらうし︑技術的進歩が容易 ぜ シュムベーターの賓本主義槻
シエ﹂ムペータ︸の謝頁・本・王義纈勤
に事情を一節するであらうハ︑結局此の黙に關する最も安全な推論としては︑極めて遽き將來に於いてのみ食糧・原料
雅.
フ整によ夢・︑三三の震が息詰れるで奮うと︷言量るのみである・
むの ド
﹁ 今一つの他の可能性即ちフロンティアの開獲︐の完了に俘ひ﹁投資捌け霞﹂が枯翻することによる生金量阻害の可能
・性が考へられる︒しかし此の可能性も根篠薄弱である︒蓋しそれにはフロンティア以外に投資捌け口が存回せぬとの.
假定を持たねばならす︑か張る假定は全く想像力の敏乏を物語る以外の何ものでもないからである.往六理論家は極め
て印象的な歴皮事事實に注意を奪はれてそれに過大な評橿を與へ易い︒資本‡義の勃興とポトシ鑛山よりの銀の流入
との歴史的符合から︑ポトシの事なくしては資本主義の立夏は不可能であると飛躍してしまふが如きはこれである.
む る む の む り り ポ ︒特定の歴史的事麗は資本主義獲達の一つの通路であったに過ぎなく︑その他の通路が存在しなかったとは蜥言出來な
い︒加之︑資本主義獲達に好影響を與へたと考へられる特定事實も別の側面においては不利な作用を爲した專毒忘れ
られてはならない︒從ってわれわれはフロンティアの存在がユニークな事實であることを認めばすみが︑それは他の
全ての可能性がユニLクであると同様め意味で認めるのである︒︑経濟的フロンティアと地理的フロンティアとを混同
してはならない︒インドの征服以上に大儲の征服も重要となり得るのである︒勿論フ爲ンテ・イアの挫滅は他の機會に
より代替せられ得ると主張する事は出來ないけれども︑フ雛ンテイァの消滅は必ず総生産量の減少を惹起するとも断
言出來ないのである︒︒
三︑技術進歩の可能性の減少︒これまでの技術進歩絃顯薯であったけれども將來に獲されでるる絵地は極めて狭小
である︐といふ暴く認められてみる議論に慨しても同様の推理が愛恕する︒かつては驚風べき需要を惹起ぜる電氣事業
が今や嚢駐車にあるとしても︑化學工業に興へられる將來の約束も叉驚べべきものがある︒われわれは牧穫涯減法
則によって後に耕作せられる土樽ほど晒沃度け劣る渥推論するのであるが︑技術進歩の漏程に關してはかかる推論は
許されない︒先に探用された技術が後に獲明された技術より生産力において劣るとはいべない︒.勿論われわれは技術
進歩が將來にお炉ても強力に實行されると断言することは.出馬ない︒しかしこ﹁こでもわれわれは技術進歩の停滞が將
來の生産量の嚢展を阻害するといふ推論に耀して否定的批判の根篠を明らかにしうれば充分なのである︒
かくてわれわれ鳳投資機會減少理論によっては資本主義の將來に下する推論は充分なる柱礎をもつもみでないと結
論せねばならない︒しからば資本主義の將來に焦して積極的に解答を興へる理論は癒いのであちうか︒ここでシ鉱ム
ペ耳擦ーは純粋経濟學的糊黙よりはなれて︐資本主義秩序の聖母學的考察より解答を求めんとするのである︑・
二 資本主義秩序の就會學
一221_
(1),
資本主義文化の精神
・資本主義文化は合理的精衛の産物で溺るとい測れる われめれは一歩を進めてその合理的精紳が如何にして磯展せ
しめられたかを考へでみやう︒ ・︑ . 門
前史時代め入類叉は現在の野夢人の心理を繁殖するとき︑現在とは異なった特徴止して超経験酌な荷物かに封ずる
畏怖心懸に感情的群集心理的心理傾向が指摘されうるかも知れない︒しかしか㌧る心理的傾向は決して彼等特有のも
のではなく︑われわれ文明人の精神過程においても存在することが容易に理解されうる︒それ故現代の合理的精聯の高
揚は決してその内に非合理的要素b潜むてとを拒否するものではなく︐軍に生活猿境において個入が自己の知識と論 憩 シユムペ1ターの賓本主義齪
シユムペーターの資・本・王義難脚
へゆ ぼ や
﹁響によって蕩すべ雰野の饗を饗するに幽タが︒ぬと縫ぜられ得よう︒そしてか㌔る分野がまさに経回的側面
22 @である︒けだし非合理的精棘の失敗が如竃に曝露詮桟られるのは維濟活動の面であるからである︒︑かくして鐵々の経濟
モ ギ
一 的判断が合理的思考・合理的行動を強要し︑びいては経学外的側面においても事實を闘察し経論に訴へる習慣を焚達
せしめるものである︒惟ふに資本主義はこの合理性を訳の二つの方法で獲塗せしめた︒その︷は金食‡義は貨幣をば 藝 計算軍位に昇進せしめたこと︑換言すれば合理的なる目的i手段の考量に導入したことである︒その金字塔は複式簿
記の獲明である︒復選簿記により輕心的合理性は敏量的に確定化せられると同時に企業の論理を一屠彊力に獲展ぜし
める推進力となるのであった︒かくの置き合理化遮程は猫り経堂の分野に止まるものではない︒近代諸科學の磯生が
資本生義勃興時代といはれる十五一十七世紀にみられるでとは興味深い︒十五世紀φ激學は專ら商業算術並に建築術
に馬桶せられ︑當時の職入によって獲明された要用的機械嵩置が現代物理學の母胎となった︒外科馨術は産婆芝理髪
師より獲達も︑ダビンチの如き藝術家達ぽ多く築城術に專念してみたのである汐そのこはブルジョアジーの野生であ
る︒資本主義の勃興は近代青墨精棘を作り出挙︑封建的環境を打破⊥たに止まあす︑経濟面に於ける個人的成功を基
サ ノ 盤とする惜しぎ階級を作りあげ︑そζに強力なる意思と知性とを集結せしめ︑前資本単磁的経界活動には全く胱禽的−
成功の絵地を淺さなくなったのである︒加之︑封建馳會においては就會的成功の道は檎侶︒貴族︒武士階級に占めら
れでるて︑輩なる個人的能力・野心によつ℃就煙管地位を獲得することは困難であったβそれが資本主嚢的企業の獲︒
展により可能となグ︑個入の食事的・精霊的能力が祉會的成功への薪たなる鍵となったのであるゆかくして資本主義的.︑ 諭 幅. 企業活動は飢寒にそめ全能力を爽冒せしめる氣蓮の醸成と共に一層の若鷺的成功を羅・能ならしめたのである︒この意
味におい℃資本主義に人聞合理化の推進力であった︒ . ︐ ・
今やわれわれは合理的精榊の最盛期にむる﹄近代的に機械化された大工場︑それより洪水㊨如く流れ出る彪大なる
一223_
生産量︑その能率的維螢組織等々これ皆資本主義の軸物である︒飛行機︑テレビジョン︑レ︑ーダーぱまさに利潤経回
︵合理精神の資本主義卵嚢現形態︶の産物である︒近代的大病陀は決して利潤追求的でないとはいへ︑資本・モ義がそ
の設立を可能にしたといふばかりでなく︑合理的精瀞がそこで用ぴられる馨療技術の携展を可能ならしめたといふ意
味において資本主義の漆物であるといふことが出來る︒癌・結核・梅毒に封ずる殆んど完全なる勝利は自動車︑重油
輸介意・ベツセマー鋼と同様に資本主義の功績である︒藥品・循生・敏育においても同じことがいへるし︑また背廣
服は資本主嚢的生活様式の獲展を物語るものである︒
資本主嚢は極めて﹁合理主嚢的﹂であることが理解せられる菰同時にその﹁反英雄柔嚢的﹂性格も認識されねばな
らぬ︒経濟的成功には大なる慰耐力を必要とするといへど︑劒を輝ひ馬を馳せる機愈はなく︑中概紀的意味において
は反英雄的である︒勝利の爲の勝利を幌接するイデオロギーは事務所の数宇の中で萎縮してしまは訟ばならない︒加
之︑ブルジョアジーは掠奪・徴獲の危瞼ある資産を所有し︑且また合理的功利主義を懐くが故に︑武力的イデオにギ
コ お
一を嫌悪する︒從って彼等は本質的に亭和主義者であ9︑自已の生活道徳律を國際關係にまで携︑比することを望むも
のである︒中世の市庭主義・心際道徳は・ーマ教愈の漆物であったが︑現在43それは資本主義の二物である︒
この命題に糾して帝國主義戦争は資本童義血展の最絡段階であるとするマルクス陣螢の反封が運指せられるため
に︑若干附言する必要がある︒.資本童養は本質的には亭和的であるといふ命題は︑㈲多くのズルジヨアジーは自己の
生活面盆の爲には著しき二心をもつてみること︑㈲彼等はそれが﹁引合ふ﹂と考へるならば屡々攻撃的となること︑
㈲彼等は戦孚による利釜を決して嫌悪するものではないこと︑を否定するものではない︒た繋われわれは︑⁝㈲多くの
資本主義職孚の家例は必ずしも階級御釜によって論明せられるべきではないこと︑㈲ブルジョアジーが自己の本來の
業務と考へることを實行ずる着荷と︑自己の性質には不適當でありまた自己の本業と考へはしないが︑その威功に
シユムペーターの一資本主義螂脚
一224一
シユム淑ータ㌃の資承主義観
よつて非資本主義的戚信を衛めるが故に實行ずる行事とを魎別して考へなければならぬこど.的しかしてこの遷別は︑
武力行使が必ずしも有利である.ことを意昧するもので億なく︑囁むしろ.︸般的には雪融的調整を有利とずることを意味
する︑實際問題として一國が資本主義的になればなるぼど︑職孚犠牲をも考慮に入れれば入れるほど挙和的となる事實
を承認せねばならぬ︒勿諭個女の歴史的事例は極めて複難であって別個に細奮な分析を必婁とする︒しかしブルジ欝5
ブジーの軍隊に聾する態度は宙から明らかである︑この意味に於いてマルクス陣螢の帝国主義論は界層濟的反作用を
無覗したものといはねばならない︒
資本・王義は合理的精神を扶け叉それに扶けられて現在の輝かしき文明をつくりだしたが故に︑すべての人蘭は資本
主義交明を擁護すべく︑從って資本主義ぽ縫績し一暦の文化的・嬉嬉的成果が期待せられるt論〜じてはいげない︒文明
は比較不可能なものであり︑か曳る議論は償値判断に基かねばならぬからである︒われめれは現代の生活が中世のぞ︑
れよりも﹁よ︑9幸輻なりじと籔することは出喫す︑また現在め交化的爽展を認めたとしても衷心よウその功利妙義的合・
理性を檜慰することが出 來惹のである︒しかし幸ひなてとには資本童義に封ずゐ纏値即断を大して問題とする必要は
ない︒就射的人間には實際に贋値判断に基いて各種の文明を自由選揮する絵地は殆んど淺賜れてみないゆであっ℃︑縫 や 学的.肚會的現象はそれ偵艦の情勢によって動き砒禽的諸條件を攣動せしめ︑もって人々が好むと好まざるとたか斗
はら護等に蒋定行動を毒する蕩であ.・からである・そ藁葺霞愛重聾す鳶のではなくして選誉範倒 〆 p 9 を狭めるてとによつて行憶れるのである︒.
要するに合理的精榊の具現者であρ促進者である資本主義のこれまでの維濟的︒文化附威功の裏付けに窟って︑資﹁
奎義秩序は嬉々凝する露らうとの遷⁝︑をすることは壽態ある︒〜竜ろ番われは義母義が務∴た
塗攻τ三三ぜざるを得ないことを以下に論ずるの燈ある︒
㌔
一225一
2 資本主義秩序の自壊過程 ︵
④ 企㎝集者職此駈の不用化
先に投資機愈減少理論の批判に於いて︑生活水準の超高度化による人間欲望の完全充足が實現する可能性について
はなんら問題としなかったが︑もしか㌧る欺態が磯生したとすれば如何なる光景が展開せられるであらうか︒その場合
就會は静態的態態となり進化︵創造的破壊︶を本質とする資本・モ義秩序は自動的に衰毒してしまふことになる︒企業 アドミニストレぎシヨン 家にはなすべき仕事がなくなり︑利潤・利子率は零となり︑産業活動は軍なる日常業務の 管 理.に止まり︑企業
者は官僚的性格を帯びるに至るであらう︒か﹂る想像は現實には何等意味をもつものではない︒しかしこxで指摘し
たいことは正にこれと同檬の結果が資本・王義的成果それ自認より豫想せられることである︒進化自艦が静態閉経濟に
於けるマネージメントと同様に軍調化・機械化せられると同時に︑進化の自動化が企業家糖榊ひいでは経濟進歩に悪
影響を及ぼすことこれである︒
既にのべた如く企業家の職能は創造的破壊を實行ずるところにある︒そのために利用される手段が獲明であり新原
料供給源の外見・新市場の開嚢である︒この創造的破壊により維濟秩序内に興隆と没落とが再嚢せられ︑その過程を通
じて資本主義の輝かしき経濟的成功が積上げられてきたのであった︒しかし此vの創造的破壊は決して容易な仕事では
ない︒その理由はその仕事が所謂矯常のルーティン・ワークの馬丁にあるが爲に止らす︑また多くの就7曾的抵抗︵例へ
ば新企業者への金融的妨害︑新製品に封ずるボイコット︑了しきは新製品生講者に封ずる直接的肉膿的妨害行動︶が
常に俘ふからである︒手馴れた仕事を超え諸々の抵抗を克服し確固たる信念をもつて未知の領域を開拓するには特
別な才能を必要とする︒この才能が正に企業家をして眞の企業家たらしめるものなのである︒しかしかくの如き企業
シユムペ7ターの資本主義獅捌
濫
\
一226一
シエムペーターの資本主義三
者によって實現ぜられる経濟的進歩の悔めに︑たどへ企業家精糖自膿が湖化されることが癒いとしても︑なほかり
その重要性がいちぢるしく削減せられるところにわれわれの指摘したい問題がある︒技術的進歩は一部專門家のビズ
ネスとなり・奨に選る腎瞼的肇活動9マンスの鑑がなくなってしまったために・︑畷疑.慰がルL芽
ン・ワークとなりて挙るからである︒また一面耐會は相軽く経量的暴動に馴致してくるために︑新企軸に封して抵抗を
試みるよりもむしろこれを漿働せんとする傾向が醸成ぜられ企業者の個性・意思の重要性は極めて嚢へて來るのであ
る︒かくの如くにしで経濟的プ︒セスは非個性的︒自動的となり・婆ッ町耐獣暗闘働が容易に個人的企業家活動を代
行しうることとなる︒例を過去の戦孚にとって論明しやう︒過去の載孚においては樹心の個性が勝利の爲め重要叛る
要素であったが︑現在では職箏方法の合理化嬉意字化によりその偲性の重要挫は全く失はれ︑將軍の職務は極めて 事務的となり代理が可能となったのである︒中世の職孚でも同様である︒そこでは騎士の個人的才能が墨壷的重要性
をもつて居り︑またそれ故にこそその才能によりて騎士の就會的地位が支持されてみたのである︒さて今度はこの就
會的進化が資本主嚢的企業の職能の重要性を削減せしめる結果として企業者め心嚢的地位を脅かすに至る︒そして企
業家職能の不用化が企業家階級の砒會的地位の喪失をぎたさしめるのである︒
企業家の就量的地位の下落は全ブルジョア階級の毒殺に關曝する︒企業家自膿は特定の説會階級を構成せすして︑
その輕濟的成功によって纏めてブルジョア階級淀吸牧せられる︒ブルジョア階級濾︑一方において常に成功せ乃企業
者を吸牧すると共に︑他方においては過去の潰産に依存して事業活動に近事しない構成員をば緻世代の後にこの階級・
より脱落せしめることにより︑たへす薪陳代謝してみる︒またブルジ欝ア階級の経濟生活を支へる所得はか﹄つて之
㌶の企業面において活動的なる構成分子の成果に依存してみる︒從ってブルジ旨ア階級は本質的に企業者と蓮命を共に ノ
、せ