ハ0ハ窪鞠0 苑
通貨統制の目標としての貨幣所得の安定
ダピン説の批剣
大野純一
開題
景氣墜動の絡局的原因が果して貨幣の側に存するか︑それとも又財貨側に在るかといふことに就ては意見の
岐れるところであるが︑職時職後のインフレーション時代や金本位復蹄後のデフレーション時代を経験した今
日︑貨幣が景氣の動きに封して大なる作用を螢むといふことは何人も否定しないであらう︒從つてまた︑通貨
の適當なる統制によつて景氣の縫動を緩和し得るといふことも否定することは出來ぬ︒近時︑景氣政策として
通貨統制の目標としての貨儲所偲の安定一二三
M二四
の通貨統制が彊調せられるに至つたのは蓋しかΣる事實の認識に基づくのである︒
景氣現象がーその原因が何塵に在るにもせよ1経濟嚢展の途上に於ける各部門間の均衡の掩蹴とその適
慮過程であるといふことは︑何れの景氣畢詮によつても認められるところの共通の認識である︒故に景氣政策
としての通貨統制は通貨の調節を通して経濟の獲展を均衡的ならしめんとするところにその使命を有する︒然
めるに︑﹁貨幣にあつては質は專ら量から成φ︑﹂﹁貨幣に於て生活の偉大なる傾向の一たる質を量への還元が最
わも外面的な而かも最も徹底的な表現にまで達してゐる﹂が故に︑通貨の統制は結局襲展的経濟の各部門間に均
衡を保たしむる檬通貨の数量を調節することを以てその任とするのである︒
然らば通貨統制は︑この使命を果すためには︑何を目標としてその数量を調節すべきであるか︒かムる目標
が具盟的に把握されて始めて現實の通貨統制は可能となる︒然るに︑この窯に關しても學界に意見の一致がな
い︒從來提案されたものは物便水準の安定と有効貨幣量の安定即ち中立貨幣の二であつて︑爾⁝論は互に甲論乙
駁の歌態に在つた︒然るに最近に至つて之等に樹立するものとして貨幣所得の安定が提唱せられるに至つた︒
の前二者に就ては嘗て他の機會に論評したことがあるので︑こ玉ではその際鯛れなかつたところの通貨統制の目
標としての貨幣所得の安定を紹介し︑批刹すること﹂する︒
通貨統制の目標を貨幣所得の安定に求めんとする最初の人は︑私の知る限・りに於ては︑彰国.冨.U霞ぼ昌で
ある︒ダービンは嘗てオックスフォード並にロンドン爾大學の︒︒99碧︒・繧唱たりし逸材であつて︑現にロンド
1) 2) 3)
G.Simme1,PhilosoplliedesGeldeslg23.S.26g.
Simme1,a.a.0.S.294.
拙 稿 「通 貨 統 制 の 貝 標1:itて 」.経 菅 學 講 演 集 「産 彙 読 制 研 究 」5‑i5頁 。
じ ン大學の講師の地位に在る新進の経濟塵者である︒その主著は℃母鼻9︒︒﹃σq弓o≦窪9巳目冨山︒Uo肩霧一〇昌お︒︒﹄︒
であつて︑他に︒ゆ06Σ蓉ρ巴津℃︒一菖H㊤︒︒︒︒り竃8翅碧山男旨$(ぎ.︑≦・ケ暮国く︒量げ︒ξ≦・彗器け︒囚昌︒ミ9︒び︒暮
冒82︑.・μ㊤Q︒Q︒国象8告ξO●U・国・Oo一︒)並に島・℃3匿︒ヨo冷9&謬男o嵩受μ⑩○︒U等がある︒鼓では之等の
申に現れたる彼の提案を申心として論述することにしやう︒
︑ダーピンに於ける貨幣循環の襟相
ダービンは︑﹁貨幣は常に維濟組織の内部を循環して來たのであるがー即ち貨幣は生産者から消費者へ行
きそこから叉生産者へと戻つて來たのであるがーこの事實こそ貨幣的機械の操作を理解するのに最も大切な
わことである︑﹂と考へる︑故に貨幣を如何に操作すべきかといふ中心の問題に燭れるに先立つて貨幣循環の様
相に就ての彼の解剖から窺ふことにしやう︒
ダービンは︑静的輕濟肚會︑彼の所謂貯蓄の行はれない経濟杜會に於ては杜會の所得総額は生産費総額に等
のしいといふことを以て︑﹁貨幣循環に關する最も軍純にして最も根本的な事實である﹂とする︒﹁今假りに産
業が総ての商品を製造し総ての生産要素を雇入れかつ総ての最絡生産物を費却する唯一人の生産者によつて経
賛せられるものとすれば︑彼にとつての費用たるものはすぺて何れかの浩費者の所得の一成分をなす︑といふ
ことは勿論明かである︒彼にとつての一費用たる地代は同時に土地を彼に賃貸した人の同額の所得である︒雇
通貨統制の目標としての貨幣所得の安定一二五
1)MoneyandPri㏄s,P.31g。
2)MoneyandPrices,P.319.
ご剛六
主たる彼にとつて一費用であるところの賃銀は賃銀牧得者の所得である︒彼が銀行や肚債権者や世の常の株主
に支佛ふところの利子は之等の種々なる法的請求権者達には同額の所得である︒之等の個々の成分に就て眞理
たることはまたその全饅についても眞理である︒この軍純な産業組織から放出されたあらゆる浩費者の所得総
額は生産費総額に等しいであらう︑何となれば︑之等の費用額の各成分は同時に何れかの消費者所得の成分を
の構成するから︒﹂
右に述べたダービンの所論は決して彼に固有なものではなく古くから均衡理論を読く殆んどすべての経濟學
者によつて抱かれて來た思想である︒
然るに︑﹁産業が唯一人の生産者によつて経螢せられる﹂といふ假定を取り去つて︑議論を一歩現實に近づ
かしめるならば︑﹁肚會の所得縛額は生産費総額に等しい﹂といふ命題は︑彼にょれば︑當然修正されなけれ
ばならぬ︒現實の肚會に於ては︑﹁貨幣は必すしも生産者と消費者の間を移動し再び生産者の許に昂るといふ
軍純な道を辿るものではない︒もつと複雑なのである︒多くの而かも最大のすぺての支梯は決して生産者と消
費者との間に在るのではなく︑生産者と生産者との間に行はれるのである︒もしも吾々が何れか任意の生産翠
位をとつて槍するならば⁝⁝その生産費の一部分丈けが⁝⁝賃銀地代利潤の形で消費者に支佛はれることを知
るであらう︒そして他は原料代‑石炭︑鋼板︑木材︑電氣装置︑ペイント︑柔皮︑蓮邊其他彼の使用する申
間生産者の代償として他の生産者達に支佛はれるであらう﹂︑換言すれば︑﹁どの貨幣翠位も最絡の消費者の許
3)PurchasingPowerandTradeDepression,PP.47‑48・
P.
PLOUGHMILLOVEN
MAKERFARMERMAKERNILLERMAKERBAKER
10110 10 コ0 10 101
↑
PL。U冊sl
↑
f
↑
i
↑
1
↑
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↑
1
£
10
30W.&Mt
50F.&0。
60 B。
£150 OVENS
コ0
⊃肛L五S
WムEAT 10
FILOIUR
BRiEAID
10
通貨続制の目標としての貨幣所得の安定 0に達する前に十数同も生産者から生産者へと経過して行くであらう︒﹂
か﹂るところに於ては︑﹁生産者の費用と消費者の受取分との間には最
早軍純な關係はない︒反封に生産者の支佛総額は消費者の受取分を遙か
に超過しなければならぬ︒⁝⁝消費者の所得は當然生産者の貨幣生産費
の総額の一少部分に過ぎない︒﹂而して︑﹁それは消費財の生産費に等し
のいのである︒﹂
この鮎を彼は=曙卑の圖式を借りて次ぎの様に読明する︒﹁今假り
にパンの生産には四つの段階があり各段階はそこで使用する勢働と機械
とに同額を支佛ふものとする︒然るときは費用の構造を上掲の圖式で表
はすことが出來る︒・
﹁もし各軍位を一〇ポンドなりとすれば︑この圖式から次ぎのことが
明かとなる︑即ち
ゆも一︑費用総額は総ての生産段階を表はすところの面積内の鼠・位類に等
しい︑即ち播①O+腕αO+挑Q◎O+強OH腕μαOに等しいといふこと︑
二︑併し常に各段階の一部分丈けがそこから絡局の浩費者に渡される
日二七
4) 5) 6)
MoneyandPrlees,PP・31g‑320・
MoneyandPrices,P・320・
purchasingPowerandTradeDepression,P.53.
'
リニ八
といふことー今の場合にはその部分は一五〇ボンドの申僅かに六〇ボンド丈けであるといふこと︑
三︑それにも拘らす斯く渡される額は常に消費財の生産費総額に等しい︑何となれば︑それも亦六〇ポンド
わだから︑といふこと︒﹂
されば︑迂同生産が行はれ生産段階が猫立の生産者によつて経螢せられるところでは︑ダービンの考を以て
すれば︑砒會の所得総額は生産費総額に等しいのではなく︑た壁消費財の生産費総額に等しいのである︒
め一部の景氣論者は既にこの事實を目して経濟的均衡を掩齪するものなりと主張するのであるが︑我がダービ
ンは﹁消費者に販費さるべきものはた壁完成財の生産高丈けである﹂から浩費者所得は生産費総額に等しきを
要するものではなく消費財の生産費総額に等しきを以て足ると稽し︑か玉る事實は決して均衡を齪すものでは
ないと読くのである︒
以上は翻的経濟肚會に於けるダービンの貨幣循環の様相である︒更に進んで動的︑嚢展的経濟に於けるそれ
を齪察することにしやう︒
こ﹂に動的︑獲展的経濟といふのは資本蓄積の行はれつ曳ある経濟耽會のことであつて︑ダービンの用語を
助以てすれば︑§80ぎヨ3紹︒︒9日写毛ゲ一︒ゲま①器露ωび︒窪曽ω9註鴇暴90h器箋ω碧ぎ砂qのことである︒そし
て︑そこでは﹁薪資本が可能ならしめるであらうところの生活水準の向上を計る爲めにその所得の一定割合を
7) 8) 9)
purchasingpowerandTradeDepre$sion,pp。54‑55・
例 へ ばMajorDouglas.
SocialistCreditPolicy,P・Ig・
10國民が節約せんと決心してゐるのである︒﹂一見か玉るところでは消費者の(消費財への)支出と消費財の生
産費との聞に不均衡が生じ︑こ玉に直ちに経濟一般の均衡の撮齪が生するが如くに思はれる︒否︑事實一部の恥消費過少読は景氣攣動の原因をこ﹂に求めんとしてゐる︒若しも節約の行はれない場合に消費者の所得総額が
浩費財の生産費総額に等しいならば︑何幾かの所得が節約されて消費財の買入に支出されないとすれば︑當然
の結果として消費者の支出総額はそれ丈け消費財の生産費に不足する筈である︒換言すれば︑消費財の慣格は
その生産費以下に下落する筈である︒
併し︑ダービンはこの所論に反封する︒彼によれば︑﹁枇會的貯蓄過程を槍するに當つて︑消費財への貨幣
の使用を節制するといふ最初の而かも純消極的な過程のみに注意を向けるといふことは大なる誤謬である︒貯
蓄の絡局的結果を理解せんとするならば︑この節制がその軍なる前奏であるところの實物生産資本への投資過
拗︑︑︑程を考察し︑特に投資が消費財の生産費に及ぼすところの効果を吟味しなければならぬ︒﹂﹁貯蓄は︑﹂それが
へもヘヤへもも投資される限り︑﹁結局消費財を生産するところの資本要具を増加し或はその質を改良するために用ひられな
恥ければならぬ︑﹂換言すれば︑投資を伴ふ貯蓄は資本蓄積の増加を齎らす︒然るに︑﹁資本蓄積の全目的は既
存の勢働と自然的資源とが各種の完成財を生産する力を増加するといふことに在る︒若しも原始的な肚會に於
て人が彼の時聞の一部をさいてボートを建設し網を作るために使ふならば︑この資本蓄積の目的は勢働の全期
聞に亘つて日々獲得する魚の量を増加するといふことに在る︒斯くて個々の魚族を捕獲するに要する時聞と疲
通貨統制の目標としての貨幣所得の安定一二九
10) 1=) 12) 13)
SocialistCreditPolicy,P.19.
例 へ ばHobson,FosterandCatchings.
SocialistCreditPolicy,P。Ig.
SocialistCreditPolicy,p.1g.