詩雑誌「学校」研究(一) : 「銅鑼」から「学校」
へ
著者名(日) 杉浦 静
雑誌名 大妻国文
巻 19
ページ 197‑218
発行年 1988‑03
URL http://id.nii.ac.jp/1114/00001551/
Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by‑nc‑nd/3.0/deed.ja
詩 雑 誌 学﹁ 校
﹂ 研 究 0
銅﹁ 鋸
﹂ か ら
﹁学 校
﹂ へ︱
︱
杉
浦
静
本稿 は︑ 雑詩 誌 学﹁ 校
﹂ 詩の 史 位的 置 付 け の準 備作 業 と てし 創︑ 刊 ま で の経 緯 を概 観 たし う え で︑ 全 七冊 の内 容 を各 号毎 紹に 介
・検 討す るも ので あ る︒ テキ スト には 大 妻女 子大 学図 書 館蔵 本 用を い︑ 適 宜
︑ 日本 近代 文学 館 蔵 の複 写
︵コ ピ ー︶ 版 を参 照す る︒
﹁学
﹂校 は これ ま で︑ 稀 朝雑 誌 と てし 知 られ
︑ そ の作 品 の 一部 は︑ 伊藤 信吉
逆﹃ 流 の中 歌の
︱詩 的 アナ キ ズ ムの 回想
︱
﹄
︵昭 五 二
・泰 流社
︶ 引に 用紹 介 され た とこ もあ
たっ が
︑ 収 録作 品 の全 貌 未は だ広 く知 られ る こと が な か っ た︒ 以下 作︑ 品 の引 用 にあ た てっ はで き る限 り︑ 全 文 を掲 げ 必︑ 要 に応 じ て のち の詩 集 収 録形 と の異 同 を付 記 す る とこ に す る︒ な お︑ 本 稿 は︑ 第 一号
︵創 刊 号︶ まで の紹 介 にと ど まり
︑ 二号 以 下 は次 回 の紹 介 にな る とこ をあ ら かじ めお 詫 びし てお き た い︒
﹁学校﹂前史︱﹁銅策﹂終刊まで
大 正 一四 年
︵一 九 二 五
︶ 四 月 に中 華 民 国 広 州 で創 刊 さ れ 第︑ 三 号 以 来 ︑ 日 本 に於 い て刊 行 さ れ て来 た
﹁銅 羅
﹂ が
︑
﹁第 二次 銅 鎚
﹂ と し て 再 出﹁ 発
﹂ し た の は
︑ 昭 和 二年
︵一 九 二 七
︶ 月二 刊 の第 十 号
︵編 輯 者 手 塚 武
︶ あで たっ
︒ 第 十 号 は次 詩 雑誌
﹁学
﹂校 研究 0 九一 七
一九 八 のよ うな 一節 を含 む 巻﹁ 頭 言﹂ を掲 げ て いる
︒ わ れ等 何 為を す 可き であ る か︱ 此 決定 され た問 題 の前 に即 ち挙 止札 をす る︒ わ
れ等 は出 発当 初 の精 神 より し て︑ 友愛 的結 合 に依 り て︑ 同 相人 互 の扶 助 的精 神 に依 りて 成 立す る団 体 にし て︑ 政 治 意的 識 下の に構 成 され もし のに 非ず 故︑ に思 想 的 乃至 は観 念 相的 異 より し て分 裂 す る こと な く︑ 自 由 張主 と自 合由 意 の精 神 下の に ︑
一致 協 力 常 に エゴ
! の核 心 に立 ち︑ より 偉 大 依に てっ 烙印 され 世し 界感 情 依に
てっ 新︑ きし 実 在 の探 求 及 び創 造 を期 す
︒ 創刊 以来 初 め て の 巻﹁ 頭言
﹂ の掲 出 であ った 創︒ 刊 以来 雑の 誌 の理 念 が 扶﹁ 助 的精 神﹂
﹁自 由 主張 と自 由 合意 の精 神
﹂ に基 く個
︵エ ゴ
︶ の結 合 にあ たっ と把 え返 し︑ さら な る前 進 を呼 び かけ た︒ こ のよ うな 動き
の遠 因 には
︑ 日本 プ ロレ タリ ア文 芸 聯 盟 のア ーナ キズ ム
・マ ルキ シズ ムの 二 つの 立 場 への 分裂
大︵ 正 一五 年 十 月一
︶以 来 のア ナ
︒ボ ル対 立 があ り︑ 近 因 と して は︑
﹁銅
﹂鎚 同 人 のな か のア ナー キズ ム系 の詩 人 の拾 頭 ︑ それ に対 立 す る赤 木健 介 と︑ いわ ば 主流 と いう べき 手 塚武 の論 争
︵八
・九 号
︶が 展開 され るな ど
︑
﹁銅 鋸
﹂ 内 部 に Λ政 治性 V を めぐ る混 乱 の予 兆 があ
たっ とこ があ げ ら れ よ う︒ こ の
﹁巻 頭
﹂言 は︑ そ の
﹁相 互 扶助
﹂
﹁自 合由 意 の精 神
﹂ など の︑ 掲げ た理 念 に見 ら れ る通 り︑ 明確 に ア ナ系 の集 団 で あ る こと を 宣言 し たも ので あ たっ
︒ 以後
︑ この 傾向 は︑ 加速 的 に雑 誌 の Λ政 治色 V を強 めて い たっ ︒ た とえ ば
︑ 無﹁ 産 階 級詩 人 の立 場 から
﹂
︵小 野 十 三郎
・第 十 一号
︶︑
﹁何 が
﹃観 念的
﹄ であ るか
︱ アナ ーキ ズ ム戦 線内 に於 け る唯 物弁 証 論者 へ の質 疑﹂
︵岡 本潤
︒第 十 三号
︶ 行﹁ 原動 理 の確 立 へ﹂
︵手 塚武
︒第 十 四 号︶ 等 の評 論 や︑ B﹁
・H
・S と 何は か︑ そ し て何 を 欲 てし ゐ る か?
﹂
︵ピ エル
・ラ ムス 土︑ 定方
一訳
・第 十 三号
︶﹁ エリ ゼ
︒ル クリ ユ ヘの バ ク ー ニン の手 紙 断の 片︱
一八 五七 年 月二 十 五日
﹂
︵土 方定
一訳
︑ M
・ネ トッ ラウ 訳註
・第 十 号四
︶
﹁ク ロポ トキ ンの 追憶 に﹂
︵1 ハー ト
・ボ タ ンツ キ ー
・ダ ント ン︑ 土方 定 訳一 第 十 六号
︶ 社﹁ 会 民 主主 義 と アナ ーキ ズ ム﹂
︵ロ ド ルフ ロッ カ ー︑ 上 定方
訳一
︒第 十 六号
︶ 革﹁ 命 を
圧服 たし 力﹂
︵エ ム マ
・ゴ ー ルド マン
︑ 神 谷 訳暢
・第 十 六号
︶ な ど の翻 訳が 続 々と 掲 載 さ れ たと ころ に︑ Λ 政治 性 V への 傾斜 が見 られ る ので あ る︒
﹁銅 罐
﹂ は結 果 と し て第 十 六号
︵昭 三
・六
︶ で終 刊 し た︒ そ の編 輯 発 行人 は寺 田鄭
︵土 方 定 一︶
︑ 銅鍛 社 の住 所も 土方 宅 であ たっ
︒ それ ま で第 十 号 以外 すの べて の号 に︑ 編 集 又 は発 行 人 と てし 名︑ を掲 げ て いた 草 野 心平 は︑ 後 記 に
﹁▲ 草 野 心平 君 当︑ 分 住所 不定 郵︑ 便物
一切 東は 市京 原外 宿 一七
〇
﹂ と記 され る よう に︑ ン﹂の 号 で は編 集実 務 から 遠 ざ か てっ たい
︒
﹁後
﹂記 に は︑ 新同 人 の加 入 や︑ 新支 社 設置 の報 告 が な され
︑ さら に 本﹁ 号 は給 々翻 訳 の多 き に失 し たが 来︑ 月号 は より 多く 創作 を載 せ てゆ かう と 同︑ 人 一同 が んば てっ ゐ る
﹂︒ と書 かれ るな ど︑ 刊終 を予 測 さ せ る文 言 はな い︒ 雑誌
の内 容 は︑ 翻訳 が多 か たっ と反 省 され る よう に︑ アナ ーキ ズ ムの 評 論
・翻 訳 が 量と てし 他 を圧 倒す るも のと な てっ おり
︑ アナ ーキ ズ ム運 動誌
の性 が格 押 し出 さ れ て いた
︒ と ろこ で︑ 草 野 心平 は︑
﹁銅
﹂鋸
の終 刊 の経 緯 に つい て︑ 三種 類 の回 想 を書 いて いる
︒
﹁銅 鋸
﹄ に就 いて 私の 的 回想
﹂ で は︑ 第十 六号 の後 記 草﹁ 野 心 平君 当︑ 分 住 所 不足
﹂ とあ るが
︑ そ の年 の五 月 私 は三 度 目 の新 潟 行に き それ から 単 身佐 渡 に 渡 たっ
/︒ 帰京 し 私た は結 婚 し たが 無︑ 職 の私 東は 京 を食 い つめ
︑ そ︵ れ は まる で偶 然 の機 会 に よ てっ だ たっ が
︶︑ 前 橋 に落 ち のび 約︑ 二年 間前 橋 に住 んだ
/︒ 寺 田鄭 の土 方 定 一と は テ﹁ ア ト ルク ラ ラ﹂ を 一緒 にや
たっ りし たが 矢︑ 張 り多 分 そ の同 じ 昭和 三年 何の 月 か にド イ ツに 発 てっ い たっ
︒ 銅﹁ 鋸
﹂ 焉終 の直 接 の原 因 私は の東 京 離 れ と土 方 の日 本 離 れ あに
たっ よう にも 思 う︒ こ の後 に
﹁同 人間 の思 想 傾的 向﹂ には 触 れな か たっ と書 いて いる のだ が︑ こ こで は物 理 的原 因 つ︑ ま り 根︑ 地拠
︵東 京
︶ 喪の 失 と中 核
︒実 務 の人 物 の離 散 に廃 刊 の原 が因 求 めら れ て いる
︒ これ 以前 に書 かれ た わ﹁ が 青春
の記
﹂ で は︑ 雑詩 誌
﹁学校
﹂研 究0 一 九九
二〇
〇
﹁銅 錐
﹂ は十 六号 で終 刊 し た︒ 土方 定 一の マル キ シズ ム ヘの 傾 斜 と イド ツ行 き︑ 私 の前 橋落 ちそ の他 が 原因 だ たっ
︒ と︑ 土方 定 一の マ﹁ ルキ シズ ム ヘの 傾 斜
﹂ と うい 思想 的原 因 も指 摘 され て いる
︒
注 4
さら そに れ以 前 の回 想 わ﹁ が詩
﹂歴 で は︑ 部内 に於 け る三 四 の同 人 の思 想 的対 立 から
﹁銅 鋸
﹂ は終 刊 す る こと にな たっ
︒ 書と かれ 具︑ 体 個的 人 名 に 触は ずれ に︑ 終 刊 原の 因 を思 想的 対 立 に求 め て るい での あ る︒ ここ に言 う よう な同 人間 の思 想 的対 立 は︑ 第 八
・九 号 の赤 木健 介 と手 塚武 の論 争 にも 見 れら そ︑ の際 は第 十号 から
﹁第 二次 銅鋸
﹂ と し て再 出発 す る こと で︑ 終 刊 危の 機 越は え た のだ が︑ 十 六号 の際 は︑ 終 刊 を余 儀 なく され る程 深刻 だ たっ と うい こと な のだ ろう か︒ いま 当︑ 時 の同 人間 の思 想 的対 立 を具 体 的 に検 証 す る準 備 はな いの で︑ これ 以 上触 れら れ な い︒ ここ では
﹁︑ 前橋 落
﹂ち に帰 結 す る草 野 心平 の
﹁銅 罐
﹂ と の係 わ り の変 化 から 終︑ 刊 の 一側 面を 推 測 し てお き た い︒ 草 野 心平 は︑
﹁銅 鋼
﹂第 号十 即︑ ち
﹁第 二次 銅
﹂鋸 出発 直 前 の新 湯 行 に つい て︑ 次 よの う に回 想 し て いる
︒ そ 頃の の 銅﹁ 鋼
﹂ だは ん だん アナ キ チス クッ な傾 向 をお び てき た︒ 人同 のな か の数 人 が思 想 的 にそ のよ う に傾 斜 し て き た ので
︑ それ はま ず 当 然 の こと であ たっ が
︑ 釜 一好 十 郎 は マル キ シズ ムに 傾 倒 し︑
﹁銅 罐
﹂を ぬけ て ア﹁ ク シ ンョ
﹂ と いう 雑誌 を上 野 壮夫 など と はじ めた
︶東 京 へ帰 たっ 私 にあ る日 父︑ は当 局 へ訴 え ると いい 出 たし ど︒ こ か で 誰 か に︑ 私が 無 政府 主義 者 だと き いた から であ
たっ よう だ︒ そ う たし こと を父 はや かり ね な いと 思 たっ ら し い母 は︑ しば らく ど かっ へ行 てっ いた 方が い いと 私 に暗 示 し た︒ 私 母は から 旅費 など もを ら てっ 家 を出 た︒
︵中 略
︶
︵し か なし が ら 私 は︑ 父 が噂 と てし き いた よう な レ キッ とし た無 政府 主義 者 で はな く︑ ア ナキ スチ クッ であ
たっ こと だけ はた し なか 程度 の︑ いわ ば ア ナキ ズ ムの アウ ト サイ ダ ーだ け のも のだ たっ
︶︒
﹂ 翁わ が青 春 の記 し ここ に回 想 され る よう に︑
﹁銅 鍵﹂ が急 速 に
﹁ア ナ キ スチ クッ な傾 向
﹂ を帯 び てき た のは
︑ 第 号七
︵大 一五
・八
︶ に岡 本 潤 小︑ 野十 二郎 手︑ 塚武 上︑ 定方
一ら が同 人 とし て参 加 し て以 来 のこ と であ り︑ 草 野 心平 が新 潟 に行
てっ いる 間 編に 集
さ れ た第 十 号
︵昭 二
・三
︶で そ の傾 向 は決 定的 にな たっ
︒ それ 以降 誌 面 は︑ アナ ーキ ズ ム文 学 運動 の性 格 を明 確 にす るよ う にな
てっ い たっ
︒ し かし
︑ それ とと も に︑ 草 野 心平 は︑
﹁銅 鍛
﹂ の中 心 から
︑ 幾 退分 いて い たっ ので はな いか
︒ 十 号以 後 の目 立 たっ 変 化 とし ては 次 の三 点 が挙 げ ら れ る︒ 編集 後記 には
︑ 只 てと
︵第 十号
︶︑ 只編 輯 土︑ 方 草︑ 野 と
︵第 十 一号
︶ 神只 と谷
︵第 十 四号
︶︑ など 草 野 心平 以外 の名 が 現 われ る うよ にな り︑ 十 号 以前 の単 独編 集 が変 化 たし こと が う かが え る
︒ また 草︑ 野 心平 自身 の詩 の掲 載が 極︑ 端 に減 少 し て いる ︒ 一号 から 九号 ま で三
一篇 詩の が掲 載 され た のに 対 てし 十︑ 号 以 後 わず か四 篇 し か掲 載 され て いな い︒ 詩訳
︵サ ンド バ アグ
︶︑ 評 論 の翻 訳 を合 わ せ ても ︑ 七篇 にし かな ら な いの であ る︒ さ ら には 十 号 以後 で草 野 心平 が︑ 単独 で編 集 した と考 え られ る︑ 十 二号 と十 五号 が︑ 誌 面 他に の五 冊 極と 立 たっ 違 いを 見 せて いる 点 も注 目 され る︒ す な わち 十︑ 二号 に は十 三篇 の詩 のみ の掲 載 であ り︑ 十 号五 掲載 の二 篇 の評 論 も︑ それ ぞ れ︑ フラ ンシ ス コ
・フ ラェ ア の
﹁子 供 の天 真 性 に就 いて
︱
﹁現 代学 校 の起 源 と 理想
﹂第 十 五章
﹂
︵草 野 心平 訳︶︑
麻 生義
﹁プ ロ タン リ ア詩 の新 きし 方向
﹂ であ てっ
︑ いわ ば Λ文 学 的V 傾 き の強 いも ので あ たっ
︒ れこ ら の草 野 心平 外以 人の 間 編の 集 への 参 加︑ 草 野自 身 寄の 稿 減の 少︑ 編 輯 人 よに る誌 面 の性 格 の相 違 は︑ そ のま ま︑
﹁銅 鍛﹂ に対 す る草 野 心平 と 土︑ 方定
一
・手 塚武 ら︑ お よび 岡本 潤
・小 野 十 三郎 らと の位 置 付 け 異の な り を示 もす での あ うろ 草︒ 野 心平 は︑ 創 刊以 来 の同 志的 合結 よに る︑ 詩 の︑ 文Λ 学 V の雑 誌 を持 続 さ せよ う とし て いた のに 対 し︑ 他 の同 人 は︑ アナ キズ ム文 学運 動 の場 とし よて り Λ政 治 V的
に位 置 付 け よう と し て たい と考 え て よ いの では な いか
︒ こ の異 和が 拡 大 てし い たっ 時 に︑ 十 号以 降 の実 質 的中 心 であ たっ 土 方定
一の ア ナー キズ ムか ら マル キ シズ ム ヘの 傾 斜 も重 な り︑
﹁銅
﹂羅
注 4
は終 刊 を 余 義 な く さ れ た の あで たっ
︒ 詩雑誌﹁学校﹂研究0
二〇 一