子どもの発達と社会の変化
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中原弘之・森田英嗣・五十嵐雅美・鈴木一美・榊 雅彦
(1985年11月5日受理)
は じ め に
家庭内暴力から校内暴力へ,そして最近はいじめの陰湿化,残忍化の問題が大きな社会問題として 認識されている。その一方で青少年の非行の増加や低年齢化問題も進行し,いずれも一刻たりとも放 置することのできない問題ばかりであるだけに,しばしば討議の対象として取り上げられる。そのよ うな場合,家庭教育や学校教育のあり方が話題の中心に置かれることが多いが,そこでの教育のあり 方は,現代社会という大きな力動的空間によって強力な力が作用し,規定され,方向づけられている。
さらに,現代社会も,突如としてそこに機能しているのではなく,脈脈たる時代の歴史の流れの中で,
因果的に導かれ形づくられているのである。
このために,原因究明や因果関係の解明は,たやすく実現する可能性があるとは思えないが,青少
年の問題行動についての認識を深め,多少なりとも予防に役立てたい意図も加わって,59年度の教育 、
専攻科における発達心理学特論において,この問題に取り組んだ。ここでの討論をふまえて4名の諸 君から提出された原稿は,それぞれ微に入り細をうがった内容であり,それらすべてを本稿において 紹介することは紙面が許さない。そのため中原の責任において主題に沿いながら,おのおのの論旨を そこなわぬように配慮しながら圧縮し紹介することとした。1の「現代の子どもと消費文化」は森田 英嗣,2の「現代社会と子どもへの発達課題」は五十嵐雅美。3の「現代の子どもと大衆文化・流行」
は鈴木一美,4の「食生活からみた理代の子ども」は榊雅彦がそれぞれ執筆した原稿に基づいている。
1.現代の子どもと消費文化
文化とは「人間の思考を制御するもの」1)であるとV.F.トウルチンは定義している。最近の日本 社会における子どもをめぐる状況一例えば家庭内暴力,校内暴力,いじめの陰湿化など一は,一 体どういう「文化」の影響なのであろうか。まず,こうした問題に対する1つの分析として「消費文 化」の考察を試みることにしよう。ここでの「消費文化」とは,生産から切り離された生活から生ま れる文化のことである。
(1)生産と消費
産業革命以降,市場の発達とともに生産物が商品としての振舞いを始めると,生産は消費を目的と するというよりは,交換あるいは売却を目的としてなされる,という具合に変化してきた。A.トフ
*茨城大学教育学部教育心理学研究室
**茨城大学教育専攻科(昭和59年度)
ラー労指摘するように,現代の社会は生産と消費が分離した社会なのである。それでは,生産とは一 体,人間にとってどういう意味をもつものなのか。そして,生産から遠のいた生活とは,一体どんな
生活にならざるを得ないのであろうか。 3)
@生産するということは,すなわち労働することに他ならないが,芝田進午 はマルクス主義の立場 から,生産労働の過程に「技術的過程」と「組織的過程」という2っの側面があることに注意を促し,
「労働の技術と組織は,人間をして人間たらしめる不可欠の契機」であると述べている。このような 考え方に基づいて,生産から遠のいた現代の子どもについて説明するとすれば,上記の2っの側面を 経験できない,あるいは経験し得たとしても不十分な状態におかれているために,人間性を培うため に必要な生活経験が,著しく減少していることになろう。
② 消費文化の中の子ども
上述した芝田による生産あるいは労働の技術と組織の2側面は,人間の認識面からすれば,技術の 側面は「ひととものの関係」についての認識に関係し,組織の側面は「ひととひとの関係」について
の認識に関係している。このような考え方に基づいて,子どもへの影響にっいて論をす、めてみよう。
子どもの周りから生産がなくなったということは,子どもが生産労働に携わることが少なくなった ことを示すものである。つまり,伝統的社会におけるように,親の仕事にかり出されて手伝いをさせ られることがなくなった,というようなことを意味している。さらに,子どもが生産する行為それ自 体を体験できない生活環境にあるということをも意味している。生活に浸透した道具,例えば炊飯器,
時計,テレビ,クーラー,自動車などの機械・電気製品は,内部構造が分らなくても使えるもの一 つまりブラック・ボックスーであり,故障したから直すとか,新しい機能をつけ加えるなどという生 産という行為を寄せつけないものである。こうしたものは故障すれば,しかるべきサービスを受けさ えすればよいのであり,また,それが不満ならば新製品に買い替えればよい。すなわち,われわれは ただ単に使う(消費する)ことだけを考えていればそれでよいということなのである。
さらに,こうしたブラック・ボックスではなくて構造が単純なもの,例えば机,椅子,箪笥,障子,
壁などは,いずれも伝統的社会から受け継いだものであり,こわれた時に直そうと思えば直すことが できる一生産の入り込む余地のある一ものであるが,これらの製品にも,それぞれサービス体制 が整備されていて,わざわざ苦労してまで直す必要がなくなっているのである。子どもについて指摘
されている特徴の1つに,「今の子どもはカッターで鉛筆を削ることもできなくなった」という問題 がある。この指摘の本意は,鉛筆が削れないという一点のみを嘆いているのではなくて,鉛筆を削る
手,つまりは生産する手を子どもたちが持てなくなっている環境を嘆いているのである。このような 嘆きの最も大きな根拠は,芝田の主張にみられたように,生産するという行為は,ひととものの関係 並びにひととひとの関係(つまりこれらは,芝田によれば「人間を人間たらしめる」ものであった)
を内包しているからであるといえよう。鉛筆を削る手,すなわち生産する手を持てないということは,
「人間を人間たらしめる」生産という行為から疎外されている状態であると解釈しうる訳である。
このように,生産から遠のいたところ(消費文化)に生活せざるを得ない現代の子どもは,ものや 自然を認識するという点で非常に不利な立場にたたされていると言えよう。現代の子どもは,ものを 消費するだけで,ものに働きかける過程で認識を発達させていくという基本的な認識発達の状況から 疎外されていると思われる。さらに現代の子どもは,群をなして遊ぶという状況も少なくなっている が,これとても本来的に集団とか社会を前提とする生産行為から,切り離されている結果であると解
釈できる。すなわち,「テレビをみる」,「漫画を読む」,「室内ゲームをする」などに集中する今の子 どもの特ぜ)は,いずれも,できあいのものを消費するという意味あいの濃厚な遊びが多いことを物 語るものであり,必ずしも集団を必要としないで生活していることをも意味する。
このように,生産と切り離された消費中心の社会に生きる現代の子どもは,ひととものの関係と,
ひととひとの関係がきわめて希薄な状況において生活せざるを得ない傾向にあると言えよう。
2.現代社会と子どもへの発達課題
(1)労働力人口の変化
戦後の日本の社会は,特に昭和35年の国民所得倍増計画以来の高度経済成長期以後,社会の巨大化 分業化,機械化が推進され,人々は生産能率を競い,不明確ながらも意識されるゴールに向って,た だひたすら走り続けてきた。その結果,労働賃金においても実質収入は向上し,家庭内における耐久 消費財のうち,家事にかかわる機器の普及率が高いことから,人々の生活が機械化され,経済的に豊 かになり,時間に余裕を持ち得るようになったのである。このように,生活において経済的にも時間 的にも余裕が得られたということは,家事においてさえ,もはや子どもの労働力を必要としなくなっ た。このために,昭和45年から58年に至る6年間の労働力人口比率5)の推移をみてみてもわかるよう に,15〜19歳の労働力の人口比率が,20歳以上の比率とくらべて325%から18.9%へと激減している のである。この年齢段階のものは,高度成長期以前には生産に携わり,社会に労働者として参加して いたものが多かったのである。しかし現在では,中学校卒業者の進学率6)が昭和45年で82.1%であっ たのが,58年で94.0%になっているように,学校制度の中で,高等学校ないしそれより上級の学校に 進学する傾向が高まった。
② 全人的価値の喪失
機械化が進み,コミュニケーションの拡大によって社会は巨大化し,生産能率を高めるために分業 化が進み,ひとさえも機械の一部としてみられるようにさえなってきた。それは,分業が進むにつれ て,ひとの労働がひとの一部の運動感覚機能だけを使用することになり,自分のつくり出すものの全 体を把握することを,次第に難しくしている。仮に自分のつくり出すものの全体が理解できても,社 会の中での価値や役割を理解し難くしている。以上のことは次のようにも考えられる。自分のつくり 出すものを材料の吟味や仕入れ,そして製造と販売まで一個人でおこなえるのであれば,ひとは社会 で必要とされるものをつくり出すであろう。そのことにより社会における個人の価値づけや意味づけ を,全人的に容易にもち得るであろう。しかし,現代のように分業化され,生産の一部しか受け持っ ていないことや,社会が巨大化,複雑化した状況では,一個人の全人的価値をもち難く,局部的価値 しかもち得なくなっているといえよう。そして現代の人々は,全人的価値の喪失と,社会に対する個 人の無力感や無意味さを痛感している。さらに,過熱化してきた競争の中で,敗北感に蝕ばまれてい
る人間が増えている。このことについてE.フロム7)は,「ともかく心理的には,ホワイト・カラー 労働者の状態はむかしとちがっている。かれは巨大な経済的機械の一部で,高度に特殊化した仕事に たずさわり,同じような地位にいる他の何百というひとびととはげしく競争し,もし落伍すれば容赦 なく追いだされる。要するに,たとえ時にはかれの成功の機会はよりいっそう大きくなっているとし ても,かれはむかしの商人のもっていた安定と独立とをまったく失っている。そしてかれは機械の大
なり小なりの歯車になりさがっている。その機械はかれに一定のテンポを強制するが,かれはその機 械を支配できない。その機械とくらべれば,かれはまったくとるに足りないものである。」と述べている。
③要求の源泉
社会に対する個人の無力感や無意味さは不安となり,ひとを常に脅かす。この不安を解消するため に,また価値づけや意味づけをなそうと,ひと,特に大人は世界観社会像,理想像といったものを 生み出す。しかしこれらは,大人の個人的欲求をすべて満たすものではない。なぜなら,これらは大 人の個人的要求の結集であり,一般に広い社会との歴史的かかわりの中で共通化されたものでしかな いからである。そしてこれらを背景に生み出されるものが社会的要求となる。
時間的,経済的余裕と,子どもの労働力をほとんど必要とはしなくなったという背景の中で,子ど もに対する大人の要求が形づくられる。そして前述のように,子どもへの要求は,社会的要求と個人 的要求からなっているのである。さらに個人的要求は,感情的側面と利己的側面を有している。感情 的側面における個人的要求は,他人の子どもとの比較対照に基づく,自分の子どもの優位性を誇るも のであり,虚栄と競争を生み出す源である。利己的側面における個人的要求は,おとなの社会に対す る敗北感や不安に基づき,これらを代償,転換,補充するものである。かくして大人の子どもへの要 求は,教育の場において具体化され,より高い学歴を獲得することに凝縮されている。
3.現代の子どもと大衆文化・流行
(1)消費者の意識変容
日本の産業社会は戦後,高度経済成長によって著しく発展し,現在の状態に至っている。そもそも 産業の存在意義は,人間生活の欲求を充足するために,財貨,サービスを提供することにある。この 定義に従えば,産業社会は人間生活の欲求を充足するための集団であり,産業構造はその具体的なあ り方を示しているといえる。戦後の産業構造の変化は,技術の変化,国際経済環境の変化などにその 原因を求められるが,産業社会は消費者の価値意識の変化と相互依存的に推移してきたともいえる。
1960年代までは,消費者は大量に生産された製品に対して購買動機があった。しかし1970年代に入る と,そのような画一的,均質的な商品を嫌い,個性的で非均質的な商品が好まれるようになった。つ まり消費者の欲求が 隣り ではなく罵喝私 に変わったということである。それは産業社会の指標が,
拡大主義から重点充実主義へ,量から質へ,画一的な商品から多種多様な商品へ,せわしさから余裕 へと変化したことに密接なつながりがあるように思われる。消費者の基本的欲求である衣食住が,ほ ぼ満足された1980年代においては,単に量から質だけではなく,個人の満足感というものが強く求め られている。それは低成長を基本におく産業社会全体が,消費者との相互関係においてそのような方 向に向かっているということである。
②価値観の多様性とその背景
このように,消費者の価値意識は,産業社会の変容に伴って変化するのであるが,一般的にいって そこからは,消費者の価値観の多様化というニュアンスが多分に受け取られるように思われる。すな わちこのような価値観の多様化は,産業社会によって消費者の側に潜在的に発生するのである。そし てそれが新たな市場開発を目論む資本によって市場の中に組み込まれていく。つまり需要が誘導され
ているのである。この過程の中で,すべての人がそれぞれに自分の手に入れたものを,ほかならぬ自 分にとって掛け替えのない価値であると信じると同時に,他者との差異が意識され,本当の自己の奥 深い姿の発見という幻想が組織されなければならない。しかし供給者にとっては,媒介がバラバラの ままでは需要を創造することはできない。したがって個々の消費者にとって,差異化,個性化,自己 発見であるものが,供給者側にとっては,統一されているという関係が成立していなければならない のである。つまり消費者の欲求が演出される中で,価値意識の細分化,多様化の現象がある。高度に 発達した産業社会で,大衆の価値意識の多様化といわれているものは,実は産業社会自身によって支 配された中で消費者に与えられた狭い自由にすぎないのである。
③大衆文化と子ども
こうした状況の下で,大衆文化というものも,いわば企業の戦略として成立している面が多分にあ る。流通産業,サービス業,文化産業の営業企画や宣伝によって大衆文化が組織されていく。つまり,
そういう身軽なものであるからこそ,社会の変化に対応してその時代時代を反映させ,また第三次産 業の発達によるマス・メディアの影響をも大きく受けてきたのであろう。実際,現代は情報化社会で あるとか,テレビ時代であるとか言われているように,マス・メディアの代表といえるテレビが,大 衆文化を担う消費者の欲求に大きな影響力を持つことになった。しかもテレビは余暇の増えた主婦に ターゲットを絞り,同時に子ども向けの番組を増やすことによって,低年齢層へと視聴者の枠を拡大 した。さらに放送産業は,大量消費に結びつける役割を担った。放送媒体は,東京で制作したCMを 瞬時に北海道から沖縄まで伝達できる。これによって生活意識の面で中央と地方の差を縮あ,都市化 や平準化を進展させたといえる。つまり1960年代には,第二次産業の大量生産,大量消費の欲求に対 し,広範な消費者の欲求を刺激し,依存効果を生み出した。そして1970年代に入り,販売,流通等の 多様な欲求を充足し,消費者の欲求を刺激して,さらに今日,第三次産業の多様な販売戦略に対応し,
個性的で非均質的な消費者の欲求に対応しようとしている。
(4)流行と子ども
人が流行に引かれる理由を,G.ジンメル8)は,個々人は他者との同調を求める欲求と他者との個別 化や差異化を求める欲求の相対立する2つの欲求をもっており,流行はこの2つの欲求を同時に満足
させる機能をもっているからであると説明している。それゆえに流行は,常に服装,持物,言葉,行 為を通して鋭敏な時代感覚と行動力をもつ若者たちの自己主張のメディアともなるのである。
流行の社会的機能についてみると,流行はしばしば慣習,法といった社会規範との対比で論じられ るように,人々にとってある強制力をもっている。且.G・ブルーマーは,流行は社会に対して同質性 をもたらすと言っている。9)そうした流行の社会的機能が,とくに流行に敏感な若い時期に同質化さ れた時代を生きたものによって,よく耳にする「○○世代」というものを形成させているといえる。
また流行は,社会変化に秩序ある行程を用意する。すなわち流行は,ある様式を「時代遅れ」とか
「古くさい」などの表現を用いて過去の支配から引き離す一方,変動する社会に適応してゆく方法を 絶え間なく提供しているので,前の様式から脱皮する過程に連続性をもたらすことができる。
以上のように大衆文化と流行についての分析を試みてきたが,ファッションやモードといっても,
それはただの伊達ごとではなくて,それとなく時代やジェネレーション,そして社会階級の世界観を
象徴しているものである,と戸坂潤10)が述べているように,結局,これらは時代精神や社会心理が自 己を表現したものとみることができる。しかし前述したように,大衆文化や流行は,マス・メディア の影響を多分に受けながら展開していくという点で,社会に対する若者のあり方を反映するとされる 大衆文化や流行は,産業社会によってつくり出された大衆文化や流行が先行し,後から大衆がそれに 合わせていくといった面も多分に含んでいるのである。
4.食生活からみた現代の子ども
(1)食生活の栄養上の問題
栄養素をバランス良く確保するためには,料理の品数が最低3品あって,主菜,副菜がそろってい ることが望ましい。しかし最近のNHKによる調査11)によると,朝夕とも3品以上そろっている子ど もは全体の527%にすぎない。この数字の背景にあるものは,時間的余裕のない大人の姿である。子 どもたちが身体の不調を訴えている大きな原因の1つは,このような食生活の不備にあると思われる が,さらに大人の都合上から浸透しはじめた子どもの夜型生活は,身体の生理的リズムを狂わせて,
ますます不健康を増大させているのである。子どもの健康を考える場合に,現代社会はまだまだ多く の不都合な問題を抱えている。例えば菓子類の氾濫による間食の問題もそうだ。これによって食欲不 振,消化不良,虫歯,脚気などの症状の増加のみならず,自己統制力の軟弱化という心理的問題も現 れてきた。ここでは特に,1960年代からブームを呼んでいる鋤インスタント食品を取り上げてみよう。
我が国で消費される食糧の70%が,インスタントものを含む加工食品であるといわれている。13)こ のような定着ぶりは,調理の手軽さという魅力から,主婦層によって歓迎されているが,さらに漫画 のキャラクターなどとの組み合わせによって,子どもからも高い関心をひきつけている。しかしイン スタント食品には,見直すべき幾多の問題かある。例えば,①ビタミン等ミネラル分の欠乏によって,
体内における消化吸収が円滑に行われないこと,②塩分の含有料が多く高血圧や動脈硬化の原因をつ くること,③味付けの画一化による味覚の発達に影響を及ぼすこと,④咬むことをあまり必要としな いことによって派生する問題が考えられること,⑤母親の手造りということが担っていた親子の人間 的ふれあいが欠けること,などである。確かに料理の品数の少ない食卓をにぎわすために,インスタ ント食品は便利であるが,上記のように食生活,食文化全体への影響は重大であり,改めて考え直す 必要があろう。
(2》精神的空白の問題
最近,本物嗜好の風潮や,おふくろの味ブームにのって,グルメキット14)と呼ばれる新しい商品食 料品が登場してきた。これは,献立材料がワンセットになっているもので,2〜3人用のものが多い。
このような食料品の出現によって,スピード化に加えられた新しい特色は「個食化」の傾向というこ とである。先にふれたNHKの調査によって,子どもが描いた食事風景の絵が分析された。これらの 絵は,子どもたちの精神的空白の状況を読み取るための好材料であったからである。子どもが1人き りで食事をしている場面は,全体の40%を占め,精神的空白状態におかれている子どもの多いことを 指摘しているとともに,子どもと一緒に食事をとれない親,とらない親の多いことにも気付かせてく れている。すなわち,子どもが一人で食事をしているとき,朝食では母親の91%,父親の51%が家に おり,夕食では母親の70%が家にいる。子どもと一緒に食事をとろうと思えば可能な状態なのに,現
状はつまらない思いを抱かせながら,子どもに一人で食事をさせているのである。このような個食の 傾向が子どもの人格形成に及ぼす影響の重大さを,親は気付かないでいるのであろうか。
③ 家族のエイジェントとしての役割
子どもの社会化は,家族,友人をはじめとするいろいろなエイジェントとの相互作用を通してなさ れる。とりわけ家族のエイジェントとしての役割は,子どもの初期経験に関与するという意味におい て,非常に重要である。ところが,さきのNHKの調査による食事風景の絵には,テレビを見ながら,
という場面が多い。家庭に家族はいても,エイジェントとして機能しているのがテレビであるとすれ ば,子どもの人間性の育成はどうなるであろうか。
家庭内暴力,登校拒否,校内暴力,いじめ,非行など,子どもの心の病の増加を眺めるとき,改め て家庭の人間関係のあり方が問われなければならなくなっている。現在の子どもたちは,消費するこ とに慣らされ,自己統制の力が軟弱化している。家庭生活において子どもの労働力を不必要にし,専 ら消費中心の生活習慣を経験させられている子どもは,昔のように,家庭の手伝いのために遊びを諦 めねばならなかったり,間食をしたくてもそのような食物がなかった時代の人間からみると,すべて に恵まれた幸せな子どもたち,と見られるかも知れない。しかし,食生活面から,人間関係面から,
人格形成面から本当に現代の子どもたちは恵まれているといえるであろうか。
!
∠揄サされ,能率化され,競争が激烈化し,人間関係が希薄化する中で,高学歴を志向する親が,
ただそれのみを子どもに求め,人間性を高めるために必要と思われる他の多くの経験を子どもから奪 っているとしたら,その子どもたちが成長して築く明日の人間社会は,果たしてどのような社会とな るであろうか。乳児期からの親による人間的ふれあいは絶対に不可欠である。義務教育が開始される までの6年間に,その後ではもはや遅いがために,どうしても欠かすことのできない家庭教育がある。
現在は,これが物質によって著しく妨害されているということに人々は気付かねばならないときなの
、 ナある。
(注)
1)V.F.トウルチン 「人間の現象としての科学」 鎮目恭夫,林一共訳,1979,岩波書店.
2)A.トフラー「第三の波」 徳岡孝夫監訳,1972,中央公論社.
3)芝田進午「人間性と人格の理論」,1961,青木書店.
4)深谷昌志「孤立化する子どもたち」,1983,日本放送出版協会.
5)総務庁統計局編「日本の統計(昭和59年)」,1984,大蔵省印刷局.
6)総務庁統計局編前掲書
7)E.フロム「自由からの逃走」 日高六郎訳,1965,創元社.
8)G。ジンメル「流行」 円子修平,大久保健治訳,ジンメル著作集7,1976,白水社.
9)牧園清子「流行語の社会学的接近」 現代のエスプリー流行一,1981,至文堂.
1q)戸坂潤「思想と風俗・序」 戸坂潤全集第四巻,1966,頸草書房.
1D足立己幸「なぜひとりで食べるの」 NHKおはよう広場,1983,日本放送出版協会. 8
12)西東秋男「日本食生活史年表」,1983,楽游書房.
13)日本子どもを守る会編「子ども白書」,1981,草土文化.
14)黒田節子「女の戦後史⑳グルメキット」 朝日ジャーナル,26,43,1984,朝日新聞社.