国語科授業構想力論
‑ 国語科授業論 ( ‑)‑
後 藤 恒 允
OnI magi nati onofJapaneseTeachi ng
‑ A StudyofJapaneseTeachi ng (1)‑
TsuneyoshiGotO
‑ は じめに
本稿 は,筆者の意図す る国語授業論全体 の序論 にあた る。授業 は さまざまな要素 か ら成 り立つ とはいえ,授業組織者 としての教 師が その具体 的 なあ り様 を決定す る。国語科教授構想力論 とい う表題 を設定 した意図は,授業組織者である教 師の構想力 を視点 にす えて次の事項 を考察す るこ とにある。
① 構想 力お よび教育技術 の哲学的基礎 。
② 教 師が授業構想力 を核 に国語科授業 を設計 し展開 し評価す るまでの授業過程。
③ ② の授業過程全体 の構造。
別稿 に展 開 され る授業論各論 は,本稿 を基調 とした,具体 的 な分節 とい う性格 を もつ ことにな る。 その国語科授業論が どの よ うな構成要素か ら成 る組織体 であるか, その見取 り図 につ いては 本稿第四節 で述べ るこ とにす る。
きて,本論 に入 るまえに,表題 にい う 「 構想力 」 「 技術」お よびその関係 につ いて簡略 に触れ る ことに したい。
ここにい う構想力 とは,現在 においては まだ 「 形」 を整 えない何 か を,未来 において実現す る 可能性 として思 い描 き, その具体化,現実化 の過程 を想定す る意識作用で ある。 したが って構想 力の理論 とは , 「 形」の論理,創造の論理 である。一方,人間は環境 に適応 しよ うとして道具 を使 い, これ までにない行動様式 を とりなが らなにか を作 ってい く。 それが技術で ある。技術 によっ て作 られ た ものが全 て 「 形」 を有 し,技術的活動 その もの も 「 形」 を具 えている とい う意味 にお いて,技術 は 「 形 Fr o m 」を根本概念 とす る。三木清 は 「 技術 と構想力 との内面的関係 は,技術 に とっての根本概 念が形である といふ ところに存 してゐる (1)」 と規定 している。 か くて , 「 形」
において構 想力 と技術 とは結 びつ く。また,構想力は技術の根底 に働 くもの として とらえられ る。
技術 は道具 を使 う単 なる作用ではな く,構 想力 を底 にひそませ た技術 であるこ とに よって,真の 意義 をもつ。三木清 は,何 か を創造 して形成 してい く技術 ない しは構想力の行為性 ‑実践性 を重 要視 し, その性格 を全 ての文化 に敷宿す る。 われわれ を とりま く全 ての文化 は技術 的で ある。 な かで も,教 育技術 は生 きて応答す る人間 を対象 とす る,特殊 で しか も最 も創造的な実践形態で あ るO技術 は また,単 に手段 としてではな く,本質 的 には 目的論 の問題 とされねばな らない.三木 清のい うよ うに,構想力 としての技術 は 「因果論 と目的論 との統一 (
2)」であって, ある人間的 意欲や意志 を実現す るために,科学的原理 に従 うのである。教育技術 につ いていえば,教育 目標 を達成す る実践的形態 とい う意味で 目的論 的で あ り,「 教授 ‑学習過程 にお ける客観 的な法則性 を 意識的 に活用 し,適 用 しようとす る実践的行為 (
3)」で ある点 において因果論 の立場 に立つ。国 語科教育の実践 ・研究 にあっては,教育 目標の実現 と法則的 な指導技術 とを分 ちが た く結 びつ け
‑ 13 ‑
ねばな らない。 この こ とは一見 自明なこ との よ うである。 しか し,技術が単 なる手段 として蔑視 されている現状 を考 える とき,再確認せ ねばな らない。 目的性 と因果性 を欠 いた技術 は単 なる技 巧で しかない。 それは,本質的な意味 での技術 を支 える ものであって も,教育 実践の技術の学 と
しての教授学の対象 とな らない。現代の教授学 は , 「まさに,教師の実践,その創造的技術過程 そ の もの を研究の対象 とし, その なか に法則性 を導 き出す学問 とな らねばな らない
(4)」ので ある。
しか も,技術 は ロゴスで ある とともにバ ス トで もある。教育技術 の もっている法則性 とともに, 教 師の複雑 な人間性,主観性 をも重視せ ねばな らない。
国語科授業論 の哲学的基礎 である構想力ない し技術 を,形成 ・創造の論理, 目的論 と因果論 と の統一, ロゴス とバ ス トの統一 として捉 え, これ をもとに,国語科授業過程全体 の構造 を考察す ることに したい。
二 授業構想力論の先行研究 に関す る考察
授業構想力論 の対象範囲お よび構造 につ いて まず先行研究 を考察 し, そのあ とで筆者の立場 を 明 らか に したい。
Ⅰ 教授学の立場か ら
A
吉本均 氏の論‑ 『 授業 の構想力』 (5)
吉本 氏の構想力論 は,次の よ うに二種三類の構想力 によって構成 され る。 それは,教育技 術 を教師の働 きか け ( 説明,発 問,助言,評価活動 な どの授業作用) を含 んだ手段 の体系
( 教 材 ‑解釈づ くりとい う実態的側面)で ある とす る考 え と関連す る。
(1
) 「 見 えない」内容 を 「 見 える」教材 ( 教具)‑解釈づ くりとして手段化 し,具象化する イメー ジとしての構 想力
(2)
教材 ‑解釈づ くりに もとづ く働 きか けに よって,学習集団が どの よ うに応答 し, どの ように対立 ・分化す るか を予想 し, イ メー ジ化す る構想力
(3)
授業のなかで,子 どもたちの意見や解釈 を組織 した り,方向づ けた りす る刻 々の構想 力
(1)
と
(2)の次元での構想力は,授業実施 以前 に指導案づ くりとして行 われ る ものであ り,
(3)
の構想力は,授業 のなかで,教師の タク ト‑刻 々の値 うちづ け ・方向づ け としてなされ るもので ある。
B
宮原修 氏の輪‑ 「 授業の構想 と展開」 (6)
富原氏の構 想力論 は六つの教育技術 に よって構成 され る。
a
教材教具 決定の技術
b
教授 目標決定の技術
C発問の技術
d
板書 の技術
e
評価 の技術 f その他 の技術
教材教具解釈 の技術
● 「 構想」に大 き くかかわ るのは
aとbだが , 「 構想」の ときすで に
C〜fがいちお う用意 されていなければな らない。つ ま り教 師 ( 授業者)には , 「 構想」の ときすでに , 「 展開」
のいちお うの終末 ( 授業の終 了)が見 えていなければな らない。
●実際の授業では , 「 構想」の ときに立て られ る教 師の予想 をは るか に越 えた多様 な「 展開」
がなされ る。「 構想」 よ りも 「 展開」の方が " 広 い"のである。
(b 「 教授 目標決定の技術」お よび
e「 評価 の技術」には,行動 目標 を明確 に して評価 を
はかってい く 「 教育評価法」が活か されている。 この点が
Aの吉本論 と異 なる。)
Ⅰ Ⅰ 国語科教育論 の立場か ら
C
E f ] 近海一 一 一 氏の論‑ 「 国語科授業 の構想」 (7)
田近 氏は,国語科授業論構想の前提 として まず次の四項 目をあげる。
(1)
学習 目標‑ 到達 目標設定の基底 には 「 学力観」がなければ ならない。
(2)
学 習計画‑ 学力形成過程 としての学習活動が どの ような形で成立す るのか見通 しをも たねば ならない。
(3)
児童 ・生徒 の参加‑ 言語活動の主体者 としての児童 ・生徒 の参加 意欲が あること。
(4)
授業組織者 としての教 師‑ 教師の悪意的主観性 は授業論 において排 除 されねばな らな いが,教 師の人間性や個性 を除外すべ きではない。
その うえで,次の ような構造 を提示す る。
a
学習 目標 の設定‑ 生徒 の実態‑到達 点 としての具体 的 な行動 (目標行動)‑単元 目標‑授業 の 目標。
b 授業の展開‑ 授業展開 を支 えるもの として, 田近 氏は教材論 ・学習者論 ・学習 ‑ 指導論 をあげ る。
D
野地潤家氏の論‑ 「 精確 な国語科授業 ( 請)の構築 を」 (8)
野地 氏は,国語科授業構想 を国語科授業力に包 まれ る もの として位 置づ けた うえで,次の ように規定す る。
国語科授業過程,つ ま り 〔目標 ( 指導事項) 2 内容2 方法‑ 2評価 〕の展 開過程 をどの よ う I ‑ ‑ に組み立ててい くかが "国語科授業構想力"で あ り, それ を推進 してい くのが "国語科 授業 力"である。
目標 ・内容 ・方法 ・評価 の関係 をもう少 し詳 し く捉 える と次の よ うになる。
野地氏は, 目標設定 に,国語科教材‑ の洞察力 ・透視力 ・産 出力や学習者把握 力がかか わって,授業 内容 が組織 され る とす る。
また,授業 内容 の構成 ・組織 ・展開 には学習指導の過程 と方法がかかわる とす る。 さら に, 目標さと 内容2 方法 とい う国語科授業過程 は, その展開過程 お よびその結果 ・到達状況 が評価 され,検証 されねばな らない。評価 は,学習者個 々人に即 して, また授業者みずか
らの指導過程 に応 じてなさねばな らない とす る。
以上 ,ABCD の四論 を比較す る とき, まず次の ような共通点が あげ られ る.
①教授学 は 「 授業過程 の総体 をで きるか ぎ り多面的に,かつ統一的 に把握す るこ とを課題 と」
す る
(9) 。 四民の論 とも,授業構 想力論の対象範囲 を, 目標i ±授業 内容2学 習指導 の方法( ‑ I +評価 とい う多様 な構成要素 を もった,授業過程全体 としてい る。す なわち, ( 国語科)授業構想力 を, 授業設計 と授業展開 との一体化 を想定 した想像 力 とす るこ とに第一の共通点 をもっている。 ここ でい う構想 ( 想像 )力 とは,教育 目標 とい う見 えない もの を授業 とい う実践形態 として見 える も のに変 えて い く転化の能力である。 それは,三木清が言 うように 「 対象 をそれが現在 しな くて も 直観 にお いて表象す る能 力 ( 1 0) 」であ り, ひいていえば,不 ( 非)在 の もの を現存化す る生産的 な能 力で ある といえる。構想力 とはイマー ジュの問題 なのである。 しか も, ( 国語科) 授業構 想力 論 とは, その転化の能 力に一定の法則 を見出 していこ うとす る科学的 な営 みで もあった.
② しか し,構想力ない し技術 は,客観的である とともに主観的で もある。 それ らの統一 として ある。授業技術 とい う人間的実践行為 は,一定の法則 に よって公式化 で きない,個性別 ・ 個別的 ・ 想像的 ・偶 然的な要 因を学んでいる。四民の論 とも,共通 して授業組織主体 としての教 師の人間 性 を重視 していた。 それは田近 氏の論 に直接 にあらわれていたが,野地 氏の論 に もうかが える。
‑ 15‑
野地氏は,昭和3
2年 か ら
49年 までの1
7年 間に,小 ・中 ・高において82 回の国語科実地授業 をみ ずか らに課 し , 「国語科授業構想力・ 国語授業透視力 をもつ重要性 に改めて気づ か され」 る。 その 眼で,大村 はま氏の実践 をみた とき , 「 独創 的 な授業の創成」の もつ 「 確 か さ・ 深 さに心 うたれず にはい られ」 なか った としている。授業 は,方法の固定化 を絶 えず打破 してい く教 師の創意や, 自在 に発揮 され る教 師の人間味や判断力に よって生か されてい く。野地氏が国語科授業構想力を 包む国語科授業 力 をあげ,宮原氏が 「 構想力」よ りも " 広 い"「 展開」をあげた理 由は, こ うした 点 にあった。
しか も,教育技術 の対象 は物ではな く, 多様 に応答す る,能動 的な主体 としての生徒 である。
吉本氏が第三の構想力 として , 「 授業のなかで,子 どもたちの意見や解釈 を刻 々にね うちづ け,級 織す るタ ク ト ( 応答の技術) としての構想力」 をあげたこ とは,構想力 としての技術 の主観的な 面 に触れての発 言で あった。
こ うした共通点が あげ られ る反面,次の ような相違点 も指摘 で きようo
第一 は, 目標設定 に行動 目標分析 の方法 を積極的 に導入 してい る論 ( BCD) と,必ず しも積 極的でない論 とが あるこ とで ある。
第二 は,教師の タク トを構 想力 として前面 にはっ きり出す吉本 氏の立場 と,他 の三氏 との違い である。教 師的 タク トは,吉本 氏 も指摘す るように 「 授業 その もののなかで しか習得 され」ない0 吉本氏は , 「しか し,理論 をわが もの とした人 によって しか,タク トは習得 され ない」と断言す る。
吉本氏によれば , 「 授業のなかでの タク トは,授業以前 の指導案づ くりにおける,いわば理論 的構 想力 をわが もの とし, それ によって武装 された ときには じめて
,『 すばや い判断 と決定』を可能 に す るもの として成立す る」 のであって, その意味では, タク トは理解 と実践 との 「中間項,媒介 項」である。 タク トの形成 につ なが る 「 理論的構想力」の形成 と絶 えざる更新 が,教 師の実践に おける重要課題 であ り, と りわけ教具養成の中心課題 でなければ ならない。
以上の ような先行研究の考察か ら,筆者 は次の よ うな立場 を とるこ とに したい。
① 授業構想力論 の対象範囲 を授業 設計 にのみ限定せ ず,授業 の展開 と一体化 した授業過程全 体 とす る。 「 授業 とは,学習 目標への到達過程 としての活動
(ll)」だ とすれば, 目標2 内容 三 ±方法i ±評価 といった 目的的実践行為 の全体 が考察 されねばな らないO
② 行動 目標 の設定 には,教育評価法の思想 と技術 を とり入れ, また授業設計の技術 として教 育工学の方法 を加味す る。
③ 教育技術 は主観 (目的性) と客観 ( 法則性) , ロゴス とバ ス トの統一 ・ 綜合 であった。教育 技術 の客観性 を追求す るあま り,教 師の さまざまな人間的な営み を除外 してはな らない。教 育技術 は,主観性や非合理性 を許容 し内包 して こそ,生徒 に働 きか ける生 きた作用 となる。
教 師 と生徒 との応答的相互作用のなか にこそ高度 な教育技術が発揮 され る。
④ 授業展開の タク トとしての構想力 を も筆者 は積極的 に とりあげ るこ とにす る。吉本氏が授 業展開 としての タク トとして あげ る二種 八類の タク トは多 くの示唆 を与 える。
(1
) 学習規律の方 向づ け としての タ ク ト ( ① 聞 き方 の指 導 ②発表 の し方 の指 導 ③班や ) )‑ ダーの指導)
(2)
学 習内容 の方 向づ け としての タク ト ( ( 丑応答的 に語 りか け る ② 応答 的 に問 いか ける
③正答 をゆ きぶ る ④つ まず きを拾 う ⑤対立点 を明確化す る)
ただ し,語 りか け,問 いか け, ゆ きぶ りといった用語や その概 念の学問的妥 当性 につ いては慎
重でなければな らない と考 える。 この こ とに関連 してい えば, これ らの用語が学術用語 として生
みだ され る源 となった斎藤喜博や武 田常夫の実践記録 お よび理論 が,絶対的 に依拠すべ き資料 な
のか客観的 に検討 され る必要があ ると筆者 は考 える。
本節の主題 は,先行研 究 に よって, ( 国語科 )授業構想 力論 の対 象範 囲 と構 造 を考 察 し,筆者 の 立場 を提示す るこ とで あ った。 しか し, その基本用言 吾で あ る構 想 力お よび構 想 力 としての技術 に つ いては, 明確 な定義 を しない ままで あった。次節 では,三木清 の技術論 を もとに,哲学的 に考 察 し,教育 の問題 に敷宿 してい きたい。
三木清 には昭和
12年 か ら
13年 にか けて技術 に関す るい くつ かの論考 が あ る。 「 技術 と文化」 ( 三 木清全集第
13巻 岩波書店 昭和
42年。以下圏 と略記), 『 構 想力の論理 』第三章 「 技術」( 同
8巻 。 以下匠 と略記) , 「 技術哲学 」 「 技術学 の理 念 」 「 技術 と新文化」( 同第
7巻。 以下
E]と略記)な どで あるO三木が回 を中心 とす る論考 で一貫 して追求 しよ うとしたのは,理性 の論理 の基底 にあ る「 制 作の論理」 ( 創造 の論理 ) , 「歴 史的 な形 の論理」 ( 歴 史的形成 の論理) で あ るO三木 は これ に よっ て「フ ァシズム的非合理 性主義 の非論理 と同時 に, 啓蒙的論理主義 の一面 的論理 も明 らか に
(12)」し, フ ァシズムの勝利 に挑戦 しよ うとしたので ある。 したが って三木 の技術論 は単 なる 自然科 学 的技術論 に とどまらず, すべ ての文化 の技術論 に まで拡大 されて い る。 そ こに流 れ てい る形成 と 創造の論理 は, 人間形成 としての教 育技術 に も深 い示唆 を与 えるこ とにな るので あ る。
三 構 想 力 および教育技術の哲学的基礎‑ 三木清 を中心 に一
三木清 は,「 技術 の弁証法的性質 は進 んで創造 力の弁証 法的性質 その ものか ら理解 され ねば な ら ない 」 ( 5
] P.255)として , 「 技術 の根低 に働 く」構想 力の論理 に よって技術 の性質 を解 明 しよ うとした。三木哲学 で は弁証 法 ・構 想力 ・技術 が どの よ うな こ とば を媒介 として結 びつ くか, ま ず,論 の展開 を簡単 に迫 ってみ たい。
弁証 法 はい うまで もな く対 立す る もの を統一 ・総合 しよ うとす る一つ の思考 方 法 で あ る。弁証 法 的 関係 に あ る もの の 間 の 自己運 動 に よって , 「 形」が 生 成 し,発 展,消 滅 す る 「 形 の 転 化
transformation」に,三木清 は 「 歴 史的 な形 の論理」 をみ る。 それ は , 「 無限の緊張」をは らんだ
「 生命」の持続 で あ る。 しか して,三木清 は,「 形」を「イデー」として きた古代 ギ リシャ以来の思惟 の論理 を退 け る。彼 は この 「 生 きた形」 をイマー ジュす る,構 想力の論理 を提 唱す る。構 想 力 と は 「 対象 をそれが現在 しな くて も直観 にお いて表象す る能 力」の こ とで あった。
か くて,三木清 は,創 造的弁証法 ‑その根底 にあ る構 想力の論理 を「 生命 の論理 」 , 「 形の論理
」である と規定す る。
ところで, 人間 も自然物 も環境 に適 応す るため に 「 形」 をつ くる。技術 が もの を作 るこ とで あ るとすれば, あ らゆ る 「 生命 は形 をつ くる もの として技術 的 な もので あ る」( 国
P.234)とい え る。技術 に よって作 られ た もの はすべ て 「 形」 を有 し,形の見 られ る限 り, そ こに技術 がみ られ る。 したが って , 「あ らゆ る技術 に とって一つの根本概 念 は形
Fromの概 念 で ある」( 且
P.227 ) とし 1え る。 か くて 「 生命 」 「 形」の論理 にお いて, 技術 は,構 想 力 ‑創造的弁証 法 と一体 とな って いる。
技術 的 な形が弁証 法的で あ るこ とは,機械 的道具 の技術 において顕著 にみ られ る。 そ こには, 第一 に, 自然法 則の認識 とい う客観 的 な もの, ロゴス的 な もの, 第二 に, 人間 に よる目的 ( の設 定) とい う主観 的 な もの,バ ス ト的 な ものが あって, それ らが総合 されて,物 を変化 し一定の技 術的な 「 形」 を生産 す るので ある。
構想力 と技術 との こ うした基本的関係 を, 国語科教育 の問題 にかかわ らせ なが らい くつかの観 点 を設 けて考察 してみたい。
① 転形 ・形成 につ いて。
技術 の根本作用 は 「 与へ られ た ものの形 を変 じて, これ に新 しい形 を与へ る」 こ と, す なわ ち
‑ 17‑
「 転形
transformation」で あった。 また技術 とは , 「 物 を して その本質 を発揮 させ 」 「自然の うち にない新 しい形, 意味,価値 を形成す るこ とに よって文化 と呼 ばれ る もの を形成す る 」 ( E
] P.256)
こ とで あった。 そ して, その根 底 には,創造 的 な構 想力が働 いていた。
転形 お よび形成 とい う技術 の本質 は, まさに教育 技術 その もので あ る。教育 とは,教 師の働 き か けが媒介 にな って,生徒 がす ぐれ た文化財 と出会 い,生徒 の精神 の なか にそれ まで になか った 新 しい価値 が形成 され るよ うに促 す作 用 にほか な らない。
② ロゴス とパ トスの弁証 法 につ いて。
三木清 は , 「 構 想力 といふのは形 を作 る能 力で あ る。主観 的 な もの と客観 的 な もの といふ矛盾す る ものは形 において綜合 され る」 ( E
] P.236)と規定 す る。
ここでい う 「 主観 的 な もの」 とは, なにか に働 きか けて転形 L形成 しよ うとす る, 人間の 「 意 欲或 ひは意志」で あ る。 それはバ ス トで あ り, 人間 のデ モー ニ ッシュ な情動 で あ る。一 方 , 「 客観 的 な もの」 とは,科学的法則 で あって, これ らは まさに矛盾す る。
教育技術 につ いてい えば,国語科教 師 は,心理 学,教 育学,言語学,文芸学等 の法則 を知悉 し, これ に従 って 自らの主観 的悪 意 を抑制 しな ければ な らない。 しか し,教 師 は同時 に, 固有 の世 界 観 に基づ いた価 値体 系 を もつ主体 的 な存在 で あ る。 そ こか ら発す る人 間的 な願 いや 生活 信条 と い った,個 々人の豊 か なバ ス トを実践 に反映 させ る存在 で あ る。教育 技術 とは, そ うした矛盾 を 畢む人間的 な実践行為 で ある。
しか も,教 育技術 は機械 技術 と くらべ て,働 きか け る もの と働 きか け られ る ものの関係 が全 く 異 なるC この点 につ いて吉本均 氏 は次 の よ うに述べ るQ
教育的働 きか けの対象 で ある子 どもとい う内的 自然 は,客観 とい うよ りはむ しろ主体 とし て とらえ られねば な らないので あ り,主観一 客観 の説明科 学 としてで はな くて, 主体‑ 主体 の間 におけ る応答関係 を成立 させ る実践科学 として, その技術 が あ きらか に され な くてはな
らない
。 (13)教 師の外 か らの働 きか け と,生徒 の内側 の求 め る心 とが符号 した とき,教育 の作 用は成立す る。
「同時峰啄」の呼応が授業 で ある とい える。
吉本 氏のい う主体‑ 主体 の応答関係 は, 国語科教育 の 目標 戸 内容2 万法i ±評価 すべ ての面 にか かわ り, それ ぞれの あ り様 を決定す る。
主観‑ 客観 か ら主体一 主体 の関係へ の転換 は,国語科教育 で は,特 に文章観 ・ 教材観 とかか わっ て重要 な意味 を もつ。文章 を,客体 として客観 的 に把握 すべ きもの と見 るこ とか ら,読者 との相 互作用 をひ きお こす もの として見 るこ とへ の転換 は,近代 国語教育 の読 み方指 導 の歩 み その もの で あった。
ここに,授業論の一分 野 として教材論, 方法論 が設定 されねばな らない一つ の理 由が ある。
③ 技術 の イデー としての 「目的」
三木清 は , 「 技術 は因果論 と目的論 との統一 で あ る0‑‑・ ・ この統一 は形 において与‑ られ る」( E]
P.218)
と述べ る。
技術 とは,欲望 を満 た し意志 を実現 す るため (目的) ,道具 ( 手段 )の もつ客観 的 な 自然の法則 ( 因果 ) を利 用 して,何か ( 形) をつ くるこ と ( 行為 の形) で あった。 目的 とい う主観的 な もの と, 自然法則 とい う客観 的 な もの とを総 合 して,物 とい う形 に具体化 す る行為 で あった。
したが って技術 は単 な る手段 で はない。技術 の中に 目的が入 ってお り, 目的が,技術過程 の全
体 と部分 とを有機 的 に統一す るイデー として働 いて い るこ とが必要 なので ある。表現 とい うもの
が 内部 主観 の客観的外化 で あ る とすれば,技術 は, 目的 とい うイデー を具 体化 す る もの として ま
さに 「 表現 的
」(且 P.217)で あ るO 内な る目的 を達 成す るため に外 な る もの として あ らわ して
いくこと,そこに 技術の本質がある 。 技術は目的というイデーを具体化することを目的とすると いう意味で , 「自己目的」的である 。 教育においては , 教育目標という目的を , 生徒の学力や能力に具体化していく実践行為が技術 である。教育技術においては,目標2内容2方法2評価という授業過程全体の中に,教育目標が それらの有機的関連を統一するイデーとして働くことが必要である。目標の設定は,形式的な手 続きとしてではなく ,こうした自覚をもってなされねばならない。それは,国語科授業構想力の 基底となる 。 国語科授業論において , 国語科教育目標論が核として設定されねばならない理由はここにある 。 目標論では , 国語科教育目標の体系 , 史的展開 , 国語科目標設定の社会的側面(客観性)と個人 的側面(教師の主観性) , 行動目標として具体化し焦点化する手続きと問題点 , 学力論や評価論と のかかわりが論ぜられる必要がある。 ④形の「多様性」 科学の求めるものが一般的な抽象的な法則であるのに対し,技術において実現される形におい ては , 「多様性」がその「本質」となる 。 (E
]P.226)O 国語教育においては ,かつて輿水実によって基本的指導過程が唱えられ,今また向山洋一氏ら によって教育技術の法則化運動が提唱されている。だれでも,いつでも,どこでも同じ水準の授 業の型に達することは一つの理想だとしても,技術の本質からいえば現実的ではない。技術は, 科学的法則に支えられることによって人間を経験の偶然性から解放するとともに,科学的法則で 一般化されえない特殊性ももつ。同じ教材を扱っても,生徒の実態や教師の力量などさまざまな 条件によって一時間の授業の実態 も , 授業過程全体の姿も異なる 。 また , 同じ授業の中で達成さ れる目標も生徒個々人によって異なる。それらはまさに「多様」であることが本質的なのである。 国語科授業過程を科学的考察の対象としてそこから法則を描くことと , 画一化した「形」を導 き出して固定化することとは異なる O固定化や画一化から脱して,絶えざる改革・変形・多様化 をはかる創造的な構想力のなかにこそ ,かえって授業の法則性を生み出す素材が蔵されている。 「構想力の自由な産物が客観性を有するところに構想力の超越性が認められる」(B
]P.299)の である 。 たとえば , 指導過程の問題を一つとりあげても , 三読法・一読法・文芸研方式・分析批 評といった,一般化した方式によりかかり,そこに閉じこもるのではなく,生徒の実態と教材の 特質に即した , そのときその場での独自な授業を構想していくことが , 必要である 。 特殊な方式 の固定化から「超越」して「自由」になることが , その中にかえって真理を含み「客観」性をも つことになるのである。 ⑤イメージをつくりだす 技術の発生起源は「発明」的であり , 科学の仕事は自然の法則を「発見」することである 。 「発 見」が覆い隠されていた既存のものを顕わすことであるのに対し , 「発明」は「末だ嘗て存在した ことのない関係を樹立することである」 。 また , 「発見」が主として分析的であるのに対し , 「発明」 は , 「既存の要素を構成的に同化して , 行動の新しい綜合 , 新しい型或ひは形態を形成することで ある」(B
]P.224)O 不(非)在のものを現存せしめる発明の創造性は , 教育技術とのかかわり で注目せねばならない 。 「発明」と構想力との関係は , しかし ,近代の科学技術においてかえって顕著にみられる。「新 しい技術は近代科学によって確保された抽象的原理のうちに潜在的にふくまれてゐる種々の技術 的可能性を構想力によって鋭敏に看取するところから生まれた」(E
]P.232). 近代の技術は , 「経験を造かに越えて直接眼前に横たはってゐない目的を複雑な手続きを経て達する」(同)点で , 経験的な原始的技術と異なる o Lかも , その過程には複雑な思考が組み立てられている点できわ
ー19‑め て 「 構成的」 になってい る。
こ うした,構 想力 ( イ メー ジ)の創造的 ・構 成的 な性格 につ いて吉本均 氏は次の よ うに述べ て いる。
イメー ジは , 「 無か らつ くり出 され る」一定 の像 や形 なので はない。しか し,その像や 形 は, たんなる 「 物 の写 し」 で もな くて , 「かた ちや形式の組 みか えのつ くりなお し」 なので ある。
複雑 な関係 の組み合 わせ を分解 した り,新 しい関連 で とらえた りす るこ とに よって行 われ る
「 可能性豊 か な関係 の組 みか え」 なので あ る。 この よ うな イメー ジは,単 にロ ゴス的,概 念 的 な もので はな く, ロゴス とバ ス トを統一 す る構想 力 として とらえるこ とがで きる。 イ メー ジ をつ くりだす力が構 想力 にほか な らない。 ( 1 4)
教育技術 とは, 生徒 の 目に見 えない 「 教育 目標」 を,教材や集 団学習で構成 しそれ を介 して生 徒 の 削 こ見 える もの に してい く実践過程 で ある とい えるO また, その実践過程 をイ メー ジ として つ くり出 してい くこ とだ とい える。
⑥ 「 媒 介的 」 「 過程 的 」 「 方法的」 とい うこ とにつ いて,
技術 とい う 「 行為 の形」 にはつ ね に道具 とい うものが含 まれてお り,技術 は道具 を媒 介 して実 現 され る。三木清 は,技術 の媒介的 な性格 につ いて次の よ うに述べ る。
技 術 の媒 介 的本 質 は道 具 にお い て顕 は に な る。道 具 は 手段
Mittelで あ り, 手段 は媒 介
Vermittelnす る もので あ る。技術 的行為 は直接 的 ではな く媒介 的で あ るが故 に,す ぐれた意 味 にお いて過程 的で ある。技術 が手続 きと考 え られ るの もそのためで あ る。過程 的 な行為 は 方法的で あ り, また方法 的で なければ な らぬO ( E]
P.202)ここには,教育技術 に示唆す るい くつか の ポイ ン トが示 されてい る。
第一 に,教育技術 は まさに媒介 的指 導 で ある とい うこ とで あ る。「 教 えねば な らない 目的や 内容」
を, 「直接 に,無媒介 に」 伝達 す るこ とではな く,教 師の教 材解釈や働 きか けを手段 化 して,生徒 の 「 能動的 な応答 をひ きお こす」過程 だ とい うこ とで あ る。
(15)た とえば,発 問 とい う技術 は単 なる質 問ではない。生徒 の対立や分 化 をイ メー ジ として先取 り しなが ら,高 い認識 の次元 に追込 み,教材 の本質 に触れ させ るための媒介 的 な指導 で ある。
第二 は,技術 が 「 過程 的」 で ある とい う指摘 で あ る。
過程 とは , 「 何 か」が どこか を通 りす ぎる ときに , 「 他 の何 か」 の働 きか けに よって形が変 わっ てい くこ とで あ る。 その働 きか け とは
,「 他 の何 か」が, ある判 断力 に よって,働 きか け る ものの 形 を変 えるこ とを決 定 して い くこ とで ある。 こ うした こ とか ら,三枝博 音 氏は,技術 を 「人間の 実践的生産 にお ける,客 観的 な規則 に よる形成 の判 断力過程 で あ る ( 1 6) 」 と規定 してい る。
教育技術 にお ける 「 過程」 とは以上 の よ うな意味 での 「 過程」 で あ り, それ は,教 師側 か らみ た とき指導過程 とな り,生徒 側 か らみ た とき学習過程 となる。
ただ, 国語科教育 の指導過程 には次 の よ うな問題 点が李 まれて い る。
国語科教 育 は理科 や社会 といった内容教科 の よ うに体 系 だ った学 問 に沿 って構造化 されていな い。国語科教育 の基礎理論 として,言語学,文 法学,文芸学,表現学,修辞学 な どが あげ られ る が,それ らを一本 の体系 として国語科教育 の授業 内容 とす るまで には至 っていない。勢 い , 「 理解」
や 「 表現」ない しは 「 言語事 項」 とい った言語活動 の領域 に よって指 導過程 を組織 す る しか ない。
しか も, その組織化 には,背景 とな る言語哲学 ( 観 ) ,文 芸理論,教育学 の流れ,認識論 ,思想の 違 いに よって, さまざまな方式 ( 数式)が考案 され て きて い るので あ る。
国語科教育 にお いては,指 導過程 の考察 が,教科構造 ・支援科 学 との関係 ・歴 史的展 開の究明 ともか らまって,重要 な課題 とな るので あ る。
第三 に,技術 が 「 方法的」 であ る とい う指摘 で あ る。 方法 とは,真理や 目標 に到達 す るための
合理的 な筋道や手続 きの こ とで あ る。教育技術 が科学 的法則的 な技術 で あ る限 り,悪意 的 な方式 は退 け られねば な らない。
しか し,教育 にお ける方法 とはなに を指 すのか とい うこ とにつ いては,教育学 で も国語科教育 学 にお いて も定義 が 多義 的で あって,簡単 に特定 で きない。
た とえば,飛 田多善雄 氏は
,『 国語教育方法論 史』の なかで , 「 本格 的 な指導法 の研 究」 に必要 な観点 として,次の よ うな二つの条件 とその下位項 目をあげてい る。
明 と教材観 の確 立 ④ 発達心理 と児童生徒 観 の確 立 ⑤ 授業 認識 と方法観 の確 立 ( 授業研 究 には ( イ) 印象 中心 の経験的観察法 ( ロ) 要素 中心 の構造 的 ・分析 的研 究法 ( / , ) 目的性 を重視 す る機能 的研 究法 な どが あ る。)
B
実践 的条件‑ それ ぞれの研究 の主 た る観 点 を,①指導 目標 にお く場合 ② 指 導 内容 にお く 場合 ③指導計画 にお く場合 ④指導形態 にお く場合 ⑤指 導過程 にお く場合 ⑥ 指導技能 にお
く場合 。
ここには,本稿 で述べ て きた, 目標 2 内容2 方法i ±評価 の授業過程全体 が対 象 とされ てい る。
方法論 は, この よ うに対象 を授業過程全体 にす るのか, その 中の狭義 の「 方法」, と りわ け指導過 程論 に限定 す るのか に よっで 性格 が異 なる。
国語科教育 にお ける方法 とはなにか,対 象規定,研 究の方法 も含 めて再検 討す る必要 が あ る。
以上,構 想力 を技術 と関連 させ て考察 し, 国語科教 育 に も言及 して きた。
構想 力 と技術 とは , 「 形 」 「 生命」 において結 びつ いて いた。 そ こでは,主観 と客観,一般 と個 別, ロゴス とバ ス ト, 目的 と因果 といった相 反す る ものが 「 形」 にお いて弁証 法 的 に統一 され て いた。また , 「 形」は変 形 し,絶 えず発展 し消滅 してい く生 きもので あ った。技術 はその変形 の「 過 程」 に 「 媒 介的」 に作用す る具体 的 な方法 で あった。
形成 され るで あろ う 「 形」 をイメー ジ化 し, また, その具体化 のための 「 技術 」 をイ メー ジ化 す るこ とが構想 力で あった。 国語科授業構 想力 とは,学 力形成 ・人間形成 とい う目標 を実現 させ
よ うとす る実践的過程 の,一つの 「 形」 で あ る とい えるC
四 授業構 想 力論の教 育 学的基礎 と国語科授業論 の構 想
国語科授業論 とか国語科授業研 究 といった場合 ,対 象領域 の 多 くの部分 は国語科教育 学 と重 な る。 しか し,筆者 は, 国語科教育学 の研 究領域 であ る歴 史研 究や基礎 理論 の考察 を 「 従」として, 実践の 中核 であ る授業 とい う教 育事 実 に対 象 を絞 るこ とにす る。 そ して,教育 目標 を実現す るた めの一貫 した営為 が どの よ うな法則性 を もって いるか とい う主題 を, 隣接 す る支 援科学 を基礎 理 論 に して究 明 し, それ に よって実践 の科 学化 を促 す こ とを目的 としたい。 国語科教 育学 が国語科 教育の本質や基底 にある もの を多角 的 に とらえ よ うとるすの に対 し,授業 とい う生 態の具体 的 な 運用 に関す る法則 を究め るこ とに傾 きを強 くしよ うとす るので ある。
以下 に,砂沢喜代次 氏や広 岡亮蔵 氏の教育学 の理論,輿水 実 の貫語科教 育学 の理論 を考察 しつ つ,国語科授業論 が いか なる体系や構造 を もつべ きか を検討 してみ たい。
Ⅰ 砂沢 氏の理論 か ら‑ 学習者論 か らの出発
本稿 では教 師 に視点 をす えて授業論 を進 めて い る。 しか しその こ とは,生徒 を論外 に置 くこ と を意味す るのではない。
授業 は教 師が主体 となった教授過程 で あ るが,生徒 の学習過程 が伴 って初 めて成立す る。授業 とは,教授過程 と学習過程 が表裏 一体 とな り応答 し合 うなかで教育 目的が達成 され る過程 で あ っ
1 21‑
て,教 師 を主体 にみた とき教授過程 とな り,生徒 を主体 にみた とき学習過程 となる。す なわち, 教 師 と生徒 が,教授 目的 と学習 目的 とを一致 させ,教材 を共有 し , 「 共 に相手の意識 を解釈 し合 う
こ と」 をとお して , 「 共 に 自己の意識 を変革 ・止揚 してい く過程
(17)」 こそ,授業 である といえ る。
教授 目的 と学習 目的 とを一致 させ確 認 させ るため には,教 師は,生徒 の実態や発達状況 を知悉 し,学習 目的 を達成 させ るのにふ さわ しい学習過程 を設定 してい くこ とが必要 とされ る。 このこ とにつ いて,砂沢喜代次氏は次の ように述べ る。
教育実践 ない し 「 技術の学」としての教育学 は, その語源
Paidagogosが示す ように , 「 子 どもを導 く」学で なければならない。「 子 どもを導 く」とい うことの中に,子 どもが存在す る 内外 の世界 に関す る 「 現実的認識」 と,子 どもが導かれ るべ き目標 に関す る 「 規範的認識」
と, さらに もっ とも本質 と思 われ る,導かれてい く 「 過程 と方法」 に関す る 「 技術的認識」
とが含 まれている
。(18)砂沢氏は まず , 「 導かれ る子 ども自身が, 自らの認識,意識,心情,能九 技術 を自らの力で し か も自然 に見につ けてい く」面 を強調す る。 したが って,教 師の 「 技術的認識」においては , 「 子 どもの内的 な精神構造,精神 的 ・身体 的発達 の諸段 階, さらに人格体 としての 自発性や 自立性や 自己形成性 などに関す る洞察 と理論」 を 「 教育 目標 に向けて意図的 に作用す るように努め るべ き である」 とす る。す なわち,生徒 の内外 に関す る 「 現実認識」 と,教育 目標 とい う 「 規範的認識
」とを媒介す る ところに , 「 技術的認識」の技術 たるゆえんが あるとす るので ある。 まず,学習者に 関す る 「洞察 と理論」が学習者論 として措定 されねばな らない。
砂沢 氏は, それ と同時 に, この 「 現実」 を 「 規範」に導 き方向づ ける 「 過程 と方法」に注 目し, 原則や法則 を追求す る ところに教育学成立の要 因が ある とす る。砂沢 氏に とって, そこに成立 し た法則的認識 を実践へ 「 媒介」 してい (点 に, また , 「 技術的認識」の技術のゆえんがあ り , 「 技 術的認識」 は教育学 の中核 として重要視 されねば な らない とす るので ある。
「 技術的認識」 を教育学の中核 とす る砂沢氏の考 えは,国語科教育 の構造 を考 えてい くときに 一つの示唆 を与 えて くれ るo
I I 広岡亮蔵氏の輪か ら
「よい授業が もつ基本条件」 とはなにか, とい うこ とに触れた広岡亮蔵 氏の論考
(19)は,国 語科授業論 の構築 に示唆 を与 える点が 多い。広 岡氏は, よい授業 が もつ基本条件 として四項 目を あげる。 それは , 「 単元計画 ない し授業計画 を立て る」ための , 「 基本原理」となる ものであった。
(1)
目標条件 ‑‑・ 生 きた発展的 な能 力の形成
よい授業計画 を立て るため には, よい授業 目標が なければな らない。広岡氏は, よい授業 目標 を 「 生 きて働 く知識 ・技術 の形成, または,分厚 い発展的 な能 力の形成」 と性格づ ける。科学が 急速 に進歩 しつつ ある現代,生徒 が科学的知識や技術 を確実 に習得 し, それ を類似構造 に転移 し 応用す る力 を育成 され るこ とが授業 で 目指 され るべ きで ある と,広岡氏は主張す る。 そ して, こ の転移 力 を科学技術 の進展 に合 わせ て伸 ば し,新 しい科学技術 を生む創造的 な力の基礎 にせ ねば な らない とす るので ある。
能力や学力 を現代の科学技術 に適合 させ ようとす る広岡氏の考 えは, その まま国語科教育の 目 標論や学力論 に結 びつかない。 しか し , 「 生 きて働 く」 , 「 発展的 な」とい う学力の規定は重要であ
る。
国語科教育 は,語葉,文法 といった要素的な言語の習得 を,理解や表現 といった言語行為 に転
化 させつつ, その過程 で人間形成 をはか ってい く,言語 の教育 である。知的 な言語体 系 を習得 さ
せ るに とどまらず, 日常の言語生活の中で 自らの生存 を支 える 「 生 きて働 く」力 として内在化 さ
せ なければな らない。授業 では, また 「 生 きて働 く」 こ とばの基礎 力 を意図的 ・計画的 に養 うよ うな,生 きた言語活動 その もの を設定す る必要 が ある。
言語能力 ・言語学力の規定 には, この よ うにその根底 に言語の本質や機能 をどの ように見 るか とい う言語観 ・言言 吾哲学が求 め られ る。 これは,現実の授業 のなか には直接的 にあ らわれないけ れ ども,授業 を内か ら支 える不可欠の要素 である。
広岡氏は, 目標 につ いて次の よ うな重要 な指摘 もしている。「 生 きて働 く発展的 な」学力 を身に つ けさせ るためには , 「 知識形成 と態度形成 との二重の形成 目標 をかかげるべ きこ と」を広岡氏は
「とくに強調」す るのである。知識面 だけでな く情意面の 目標が あ り, それ らが生徒 の 中で融合 された とき真 の能力 ・学力になる。情意 目標 ・態度 目標 は明確 に文字化で きない しまた評価す る こともむずか しい。 しか し,国語科教育 につ いで 情意 目標 ・態度 目標 の設定お よび評価 は,媒材 となる言語の特性上 どうして も欠かせ ない。国語科 の よい授業 目標 は,国語学力の構造,国語科 の領域構造,学年 の発達段階,教材の特質,教 師個 々人の考 えによって決定 され る。 これ らを整 序 し構造化す る目標論が授業諭の一分野 として黄初 に考察 されねばな らない。
(2)
内容条件・ ‑‑教材 内容 の現代化 と構造化
よい授業 にはす ぐれた教育 内容 が必要である。広 岡氏は,す ぐれた教育 内容 の条件 として二つ あげるo一つ には , 「 現代の進歩 しつつ ある科学 ・ 技術の線上 にあるこ と」。二つ には , 「その雑然 たる枝葉 を払 って,基本脈絡 を焦点 をもたせ て構造づ けた ものであるこ と。つ ま り現代科学化 さ れた内容で あるこ と」。
国語科の授業 が国内外 の古典教材 も取 り扱 い, どの時代 に もみ られ る普遍的 な人間性 の考察 を 目指す ものである以上,広岡氏のい う教材 内容 の現代化 には簡単 に適応で きない。しか し,反面, 時代の緊要 な課題 に即 した現実性のある教材 を扱 う必要 もある。 この こ とは広岡氏の創 見ではな
く,教材 内容 の現代化はすでに明治時代 に もみ られ るo た とえば,大町桂 月 ・上 田敏編の 『 新体 中等国文教程』( 明治
33年)の 「凡例」に,次の よ うな一節が あ り,古文 中心の教科書編集 を草新 しようとした意気込みが示 されている。
‑ 古文 とは,古文 の謂 に非ず,現 に今 日に用 ゐるべ き文章の謂 な り ( 後略)
‑ 中学教育 は国民 を養成す るものなれば, これが読本 も亦国民 として欠 くべ か らざる知識 を附与せ ざるべか らず ( 後略)
‑ 在来の読本 は, 多 くは個 人の漫筆 を集め たに過 ぎず, これ明治新国民の読本 とすべ くも あ らず, ( 中略)この書,実業,科学 な どに関す る ものは,すべ て最新 の知識 を附与せ ん こ とを期す
。 (20)ここには,時代の要請 にこたえ時代の こ とばに即 した教材 を教育 内容 とす るこ とによって,時 代にふ さわ しい国民 を育成 しよ うとす る,清新 な意図が述べ られている。教材 は教育 目標 によっ て選定 され るものである と同時に, この一例の よ うに,教育 目標や学力 をも規定す る。 そこに, 教材選定の重 い意味がある。 また, 中心教材 としての教科書の もっている機能の重 さが示 されて いる。
教材 内容 に関 して,広岡氏は,構造化 とい うこ とを提 唱す る。教育 目標 を効果的 に達成 させ る ために,教育 内容 か ら 「 根幹 にあた るもの」‑ た とえば社会科や理科 といった内容教科 であれば, 教材の中心観念 ( 教材 をつ らぬ くモチー フ) を取 り出 し, それ を中軸 に して,関連事項 を体 系的
に組織化,構造化 しようとす るのである。
構造化の問題 は,精選 とい う問題 に直接す る。精選 とは,過大 にふ くらんだ教材や過密化 した 内容 を,縮小 ・削減 ・簡易化す るこ とではない。 国語学力の焦点化,高い教育的価値 をもった教 材の選定 ・ 発 見 ・創造, 目標達成 に向けて思考が深化拡充す るよ う組織 だて られた授業 によって,
‑ 23‑
精選 は可能 とな る。 まさに 「 精選 は, 国語科教 育‑ の求心 的探求 の成果 として具現 して くる」の で あ り , 「 国語科指導 内容 の精髄 を, どの よ うに兄 いだ して い くか ( 21 )」 にかか って い る。 しか
ち, それ は,教 師一 人ひ と りの実 践 と研究 を通 して な さねば な らないので あ る。
(3)
方法条件 ‑‑・ 思考 が深 ま りい く過程 の重視
構造化 され た教材 をその ま ま提示す るこ とが授業 で もな く,教 材の体 系 に治 って教 えるこ とが
「 授業過程 」で はない。 「 授 業過程 は教 材構造 にいた る道順 で」 あ り , 「 教 材構造 の体 系 は,授業 の終点近 くの ま とめ において打 ちだ され る,教 材 内部 の論理 的 な秩序」 で あ る。教育技術 の媒介 的作用 とは,教 材 とい う文化財 が論理 的秩 序 を もつ にいた った生成の過程 に生徒 を出会 わせ て, その過程 を体 験 し再構成 して 自分 の もの に してい くよ うな学 習活動 を組織 す るこ とで あ る。 その よ うな再現 ・ 再構成 を生徒 の 自己活動 とさせ , 「 教材構造 の体 系」 に到達 させ る一定 の道順 を設定 す るこ とが媒介 的 な技術 としての授業 なので ある。
前述 の三木清の技術哲学 で も触 れた よ うに,技術 は,媒介 的,過程 的,方法的で あ る点 に本質 が あった。
国語教 育 に関 して いえば これ まで提 唱 され た さまざまな指導過程 が, それ ぞれ どの よ うな基礎 理論 に支 え られ,媒介作 用 として どの よ うな特質 を もつか検討 され る必要 が あ る。 また各指導過 程 の実践 の なか でいか に生か して い くべ きか も考察 されねば な らない。
( この項 目では , 「内容」を問題 に しなが ら, 多義 的 に使 って きた。 しか し,前述 の 「 方法」と同 じよ うに , 「内容」 も論 者 に よって さまざまな使 われ方 を してい る。 「内容 」 の概 念規定 を明確 に す るこ とも,授業論 の課題 とな る。)
(4)
授業 形態 とその具体 的計画
以上 にあげた三つ の条件 は, しか し , 「どの単元 の授業計画 に もあては まる条件」 で, 「 原則的 で あ り,抽象的 で あ るこ とをまぬがれ ない」。実際 の授業 は,教材 の特質や生徒 の心理 発達 な どに よって, 多様 な計画が立て られ るのが現実 の姿 であ って, それ を体 系づ けるこ とは煩雑 な作業で あ る。 そ こで,広 岡氏は, 四つの典 型的 な授業形態 を と りだ して,次 の よ うに整理 す る。
a 主体 学習 b 系統学習 C 個別学習 d 集団学習
学習者の教 材 にたいす る対 しかたの ちが い
学 習者 の人間関係 の ちが い
ただ,現実 の授業 はあ る形態が単独 で あ らわれ るこ とはな く, これ らの複合体 で ある。 四つの 授業形態 は補 い合 い結 びつ き合 ってい るので あ って,どれかの形態が拡大 されてい るにす ぎない。
広 岡氏は, 四つの授業形態 の各 々につ いて, それ らは仏) どんな教材特質 の とき成 り立つか
,(B)それ ぞれの形態 では,授業 の発端 ・展開で どの よ うな学習活動 が設定 され, どの よ うな思考 がふ かめ られ るのか,授業計画 の相違 ・特徴 を綿密 に検 討 してい る。
授業形態 の違 いに応 じて,授業計画が具体 的 に どの よ うに変 わ るのか とい うこ との視 点 は, さ まざまな学習指導過程論や学 習理論 が錯雑 して い る国語科教 育の場合, それ らを整序す る有効 な 手 だて となる。
た とえば
,『 教育科学 国語教育』No . 1 02では 「 特集 授業 を支 える基礎理論 の検討」 を組 んでい る。 その 目次 には, 国語科 授業 に関連 す る基礎 理論 として,解釈 学 ・意味論 ・修辞学 ・文章構成 法 ・文芸学 ・第二信号系理論 ・プ ログラム学習論 ・構 造言語学が あげ られてい る。 また,授業 を 支 える基礎理論 が,一読総 合 法 ・基本的指導過程論 ・構 造的 な読 み ・三層読 み ・個別学習 に関 し て検討 されてい る。
同誌次号 では , 「 特集 一 時間の指導過程 を切 る」 を組 み, 立場 として基本的指 導過程 ・ 構造読
み ・一読総合法 ・段階読み ・プ ログラム学習 をあげている。
ここには,指導過程 の観点が,言語理論,表現論,文芸理論,学習理論,読 みの方法論 な どか ら雑然 とあげ られている。 しか も,用語のなかには,国語科教育 にお ける特殊用語 として,一般 にはな じみのない もの もある。
以上 四項 目にわた る広岡氏の提言は,国語科授業 の具体 的 な計画が どの よ うな観 点か ら立て ら れねばならないかにつ いて,一つの示唆 をあたえて くれ る。
I I I 輿水実の国語科教育学 の理論 か ら‑ 国語科教育学 の体系
昭和
7年 に丸 山林平が 『 E] 語教育学』 を著 して国語教育学の樹立 を提 唱 して以来,国語教育研 究の科学化 を目指 して さまざまな構想が提案 されて きたC垣 内松三の独 立講座 『 国語科教育科学』
( 昭和
9年) ,石 山修平の 『 国語教育学
』(10年) ,西尾実の 『 国語教育学 の構想
』(26年)
,『 国語教 育学序説』 ( 32年) ,志 田延義 『 国語科教育学』 ( 47 年) な どである。
こ うしたなかで,輿水実 は
,『 国語科教育学』( 30年)
,『 国語科教育学入門』( 43年 )を著 し,昭 和
50年 には,輿水実独 立講座 『 国語科教育学大系
』12巻 を刊行 し,一貫 して,国語科教育の科学 化,近代化 につ とめ ようとした。独 立講座 の構成 は次の よ うになってい る0
1
巻 国語科教育の基礎学 としての言語哲学
/ 2巻 国語科教育研 究法
/ 3巻 国語科教育の
歴 史/4巻 現代の国語科教育思潮
/5巻 国語科教育計画
/6巻 国語科学
力/7巻 国語科 教材研究
/ 8巻 国語科授業研究
/ 9巻 国語科読解指導
/10巻 国語科文学教育 ・読書指導/
11 巻 国語科作文教育
/12巻 陪語科 言語 ・聞 く話す ・書写 の指導O
輿水 は,言語哲学 を国語科教育の基礎学 として究め ることによって機能的言語観 を導 き,機能 的言語教育 を提 唱 したO 目標論 の うえでは価値 目標 と技能 目標の統一, 内容論 の うえでは技能 の 弓 重視 と教材の精選 を提 唱 したO輿水 は また,方法の科学化 を唱え
,『 国語科 の基本 的指導過程』全
五巻 を刊行 し,前述 の 目標 ・内容 を実践 として具体化す る原理 を追及 した。
輿水 の理論 は,垣 内松三の形象理論の残影 をひ きず っているな ど課題 もあるが
,「20世紀前半か ら後半への過渡期 に、 過渡期 の課題 を もっ とも切実 に とらえて,近代 国語科教育 を生み だす ため の,大 きい役割 をはた し」続 けたのである
。 (22)輿水 に,国語科教育学の体 系 につ いて述べ た論考 がある( 23)。 その一節 を要約す る と次の よう になるが,授業論構築の一つの指標 となる。
1
実際的立場
輿水 は , 「 国語科教育 を考 えるの に必要 な区分 として,わた しは まず,教育計画 と学習指導
㌔
を区別 したい」 とす る。
教育計画‑ 教育過程,指導計画作成の問題 ‑国語科 の 目標,方法 をどうきめ るか,資料や 評価 をどうす るか。
学習指導‑ 授業の問題 ‑指導過程,指導形態,指導方法の問題,教材研究の問題,診 断指 導の問題
2
基礎学的立場
指導内容面‑ 文学理論 ・言語学 ・国語学 ・意味論 ・言語哲学0
万法面‑ 教育学 ・心理学 ・教育心理学 ・学習理論 ・教授学 ・教育工学。 ( 解釈 学 ・表現学 ・ 修辞学 ・文章構成法)
3
国語科教育学的立場
国語科教育学の基本概 念が もとになって実践理論 に及 んでい く全体 の体 系。 それは前述の 独立講座 の体系 となる。
ⅠⅤ
以上 に考察 して きた諸論考 をもとに,筆者 は次の よ うな授業論 を構想 したい。授業 とい う
‑ 25‑
ヤ ヌスは, どの よ うな理 論 を構 築 した こ とろで その全 貌 をつ かむ こ とはで きな い。 こ こにあげ る の は あ くまで も試論 で あ って, その真相 へ 至 るため の一つ の過程 で あ るにす ぎない。 と りあ えず 大項 目 と中項 目をか か げ,小 項 目は各論 で示 す こ とにす る。
Ⅰ
国語科指 導計 画論①
目標論 (1)目標論 (2)学 力論 (3)教科 構 造論 /② 内容論 (1)「内容 」論‑ 「内容 」の概 念規 定 (2)教 材論 (3)教 材研 究論 (4)教 材分 析論 (5) 教 材 の精選 につ いて (6)教 材 開発論
③
方 法論 (1)指 導過程 論 (2)学 習形 態論 と学 習理論 (3)学 習者論 (4)教 授 組織 論 (5)単元
学 習論 (6)発 間論 (7)板 書論 (8)古典教 育論 (9)作文 教 育論 (10)文 学教 育論 (ll)読書指 導論
④ 評価論 (1)評価 論 (2)形成 的評価 論 (3)国語科 にお け る情意 的 目標 の評価 につ いて (4) 授業分 析 論
Ⅰ
Ⅰ 国語科 授業 展 開 の タ ク トと課題ここに は, 国語科 授 業 を展 開す るため に必要 な教 師 の力量 に関す る問題 と, 国語科 授業 で現 在 か か えて い る実 践的課題 を, 筆 者 の観 点 か ら拾 い あげ る。 これ らにつ いて は, 各論 で具 体 的 な実 践例 をあげつつ考 察 す るこ とに したい。
① 国語科 授業 コ ミュニ ケー シ ョン論
② 教 師の発 話行為 につ いて‑ 表現 力 を中心 に
③ 国語科 授 業 にお け るゆ きぶ り
④
国語科 授 業 にお け る追 い込 み⑤ 国語科 授 業 と視 点論
⑥
個 人差 に応 じる学 習指 導⑦ 自己学 習 力 を育 て る
⑧
わか る授業 の組織⑨
関連指 導⑲
言語 ・認識 ・思 考⑪
言語 と映像⑲
国語科 教 育 と 「論 理 」⑲
イ メー ジ を育 て る学 習指 導⑲
想像 力 と国語科 教 育⑮ 比喰論
⑲
語 い指 導論⑰ 「主題 」 をめ ぐる問題 につ いて
⑲
戦争文 学 を ど う教 えるか⑲
大 学 にお け る教 師教 育 につ いて⑳ 国語科 授業 改善 の視 点
Ⅰ Ⅰ
Ⅰ 国語科 授 業 とその基礎 理 論①
指 導 内容 面 (1)言語学 (2)国語学 (3)意味 論 (4ト 般 意味論 (5)文 学理 論 (6)新修 辞学 (7)記号論 (8)文体 論 (9)言語 哲学 (言語 観 )② 指 導万 法面 (1)教 育 学 (2)心理 学 (3)教 育 心理 学 (4)認知 心理 学 (5)教 育工 学 (6)表現 学