目吹
青 森 県 に お け る 防 御 性 集 落 期 の 生 業 と 課 題 (上 )
‑考古学的現状確認と仮説の建設的批判を中心に‑
はじめに 佐藤智生
はじめに
一防御性集落期の各種遺跡と地理的環境
二実際に調査された集落とその問題点
三防御性集落期の各種生業
a.食料の栽培とコメの移出問題
b.木器生産とロクロ土師器の問題
C.五所川原産須恵器の生産・流通
d.鉄生産と交易の問題
2.防御性集落期の鉄銭とその問題
‑.漁業と漁携具(以上、本号)
g.考古・文献資料からみた馬の飼育・生産
h.土器製塩と移出の問題
・1.交易
四分析結果と考察
おわりに
あとがき 十〜十一世紀の北日本社会、そこには前代までにみることのなかった
形の集落が数多く誕生していた。
それが壕(堀・濠)・溝・土塁・柵などによって区画され、あるいは急
峻な地形に設けられた防御性集落である。
この集落をめぐっては、古くから幾多の議論を呼んできたが、その明
治時代にまで遡る長い研究の歴史は、アイヌのチヤシ・蝦夷館・中世城
館などとして考えられてきた証であるとともに、定まるところのない秤
価の積み重ねでもあった。
しかし、十年前、突如として画期が訪れる。いわゆる防御性集落論の
幕開けだった。
その火付け役ともいうべき三浦圭介氏の発表は'防御性集落とい‑名(I)称の確立と社会的評価を訴えたものだったが(三浦一九九五a・b)、更に
驚くべきは、今までの沈黙が嘘であったかの如く、当分野の研究を促進
させた点にある。
異常なまでのその速さは、次々と戦乱・交易に関わる緊張関係の象徴、
(2)あるいは北方交易の拠点などといった解釈を生み出し、我が国の歴史や
北方史、ひいては1般市民の歴史認識に対しても次第に大きな影響を与
えるようになった。
さて'こうした状況に至った背後には、考古学と文献史学の連携とい
う歓迎すべき風潮があったことは確かだが、三浦氏の研究からわずかの
間に組み立てられたこれらの論に対し、様々な問題が指摘されつつある
のも、また事実である。
その最たる例は、防御性という集落の性格をも含んだ名称の問題であ
ろう。
この点は、工藤清泰氏や井手靖夫氏が用いる環濠集落(工藤一九九九・
二〇〇四㌧井手二〇〇二)や、斉藤淳氏が用いる区画集落(斉藤二〇〇三)と(3)いう用語に良く表されている。
このような名称を用いる研究者に共通する主な視点は'防御性集落論
にありがちな防御や戦闘以外の特徴を重視することよりも、集落の形態
的名称を尊重し、客観性を重視する狙いがあるようにみえる。
これらは、大規模な壕や土塁の存在に目を奪われることなく、戦闘以
外の視点を探ることで多様性を模索する動きと評価されるが、防御性と
される集落に戦いの痕跡が見当たらない現状からすると、確かに的を射
た見解である。
但し、その中の一部で繰り広げられる宗教的結界・聖域・交易拠点な
どとする視点に関しては、特定の遺跡や遺物を過大評価しているきらい
もあり、やはりこの時代の社会的傾向を示しているようには思えない。
この辺の問題は、防御性集落初の国指定史跡となった高屋敷館遺跡で (・・)示された疑問が未だに解決されていないのであろう。
かくして'三浦氏の研究から十年'防御性集落の研究は飛躍的に深化
した。これは驚異的ともいえる速さである。
しかしながら'何故'かつての日本考古学界が抱えていた神寵石論争
にも似た防御と聖域をめぐる視点の二極化が起こるのか。そして'これ
ほどまでに活発な議論が行われているにも関わらず'この時代の社会は'
不透明なままのか。
一つの答えとして'文献には現れることのない防御性集落の検討に際
し、考古学的物証'しかも資料集成からなる数量的観点に基づいた検討
が殆ど行われていない現状があるからだと筆者は感じている。
つまり'従来の防御性集落論で採り入れられていた考古学的見解の多
くは、統計的手法を用いたものが少なく'数量的にみて根拠薄弱かつ具(5)体性に欠けるのである。
これは'文献記事が乏しく'考古資料が中心となるべきこの時代を研
究する上において'まさに致命的欠陥といえる訳だが'更に深刻なのが'
こうした「特定の遺跡」の「特定の成果」によって生み出された都合の
良い解釈が'これに依拠した更なる仮説へと発展し'最終的には根拠を
相互依存する悪循環へと陥っている点にある。
その傾向は'文献学者が考古学者の'考古学者が文献学者の仮説を引
用する形で既に一般化している。
加えて'もう一つ最近の傾向として疑問視されるのが'注目される遺
跡の報告書刊行以前の段階に'調査担当者以外の人物が一部の調査成果
のみを強調しながら'遺跡の評価を宣伝する事例が増えたことにある。
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無論'それらが調査担当者の見解とも合致しているのであれば、問題
は軽減されるのだが、多くの場合、従来の仮説に当て族めた解釈を述べ
ることによって、その壕を埋めようとする。この点については、既に井
上雅孝氏の批判があるので'これ以上触れない(井上二〇〇五)。
以上のように、未検証な考古学的仮説に端を発した論の展開は、根拠
となる資料数の把握も行われないまま、更なる仮説へと発展し、やがて
一般市民にも還元されてゆく。ゆえに、仮説先行で考古学的検証の大幅
に遅れた歴史像の宣伝は、これからの歴史教育を考える上でも大きな陰
を落としかねない。
実は、先の名称問題の中には'こうした問題に対する批判の意味が込
められている場合もあるのだが、これとて限定的な資料を用いた反論に
過ぎないことは既に触れたとおりであり、いわゆる水掛け論に陥りかね
ない。
では、このような状況を打破するために、今、何が求められているの
だろうか。
それは、今までのような仮説前提の議論ではなく、考古学的資料の集
成・分析に回帰した議論と筆者は考える。
理由として、本県では大規模開発による発掘調査事例が年々増加し、(6)量的検討を行う環境が整ってきていることが挙げられる。これは防御性
集落研究とて例外ではない。
従って、いつまでも個人の直感に重きを置き、自説に都合の良い資料
のみを使い続ける研究姿勢は最早改め'物証や出土量に基づいた客観的
な議論や評価を行うべき時が来たのである。 ゆえに、本稿を進めるにあたっても'右記の視点を重視しっつ'主に
考古学の立場から防御性集落期の生業を検討する。
その具体的方法として、第一に基礎資料の集成・分析、第二にその吟
味・評価、第三に仮説の検証、第四に物証に基づく新たな仮説提示を行
い'同時に現状の概観、考古学的検証の有無、考古学的問題の指摘、今
後の展望等についても触れておく。
なお'本稿では無用な混乱を避けるため'報告書未刊の資料は基本的
に扱わない。また'名称問題からも離れ、単に集落内に堀や溝などの区
画施設が認められるものを防御性集落とした点を明記する。
本稿の狙いは'敢えて従来の仮説とは別の見地から、議論の多様性を
模索することにある。
一防御性集落期の各種遺跡と地理的環境
青森県の古代史を解明する上で大きな謎の一つとされる防御性集落で
あるが、果たしてこれを取り巻く環境は如何なるものであったのか。
実は、最も基礎となるべきこの辺の確認は、何故かあまり行われてい
ない。よって、生業を述べる前提条件として少し触れておきたい。
先ず'この時代の遺跡の種類について述べておくと、実は話題の中心
となる防御性集落ばかりではないことが解る。
すなわち、最新の資料集成によると、a.防御性集落、b.区画施設
の無い集落、C.低湿地の集落、d.各種生産施設といった存在が認め(7)られている(図1。蝦夷研究会二〇〇五、一〇一〜一〇四頁)。 3
欝 遺 跡 名 遺番号跡 遭 跡 名 # 遺 跡 名 遺跡番号 遺 跡 名 # 遺 跡 名
1 古館 22 唐川城跡 43 向野(2) 64 林 ノ前 85 杢沢
2 永野 23 福 島城跡 44 向野(3) 65 上七崎 86 大沼 3 砂沢平 24 観 音林 45 山館 (1) 66 熊野堂 87 朝 日山 (1) 4 石川城跡 25 美音 46 立 山 671風張 (1) 88 朝 日山(2)
5 石川長者森 26 中里城跡 47 沢畑 68 楢館 89 大沢
6 小友館 27 唐崎(安倍太郎屋敷) 48 野牛平 69 櫛 引 90 上野 平 7 小栗 山館 28 深郷田(探郷田館) 49 鷹架 沼竪穴 70 大 仏館 91 発茶沢 (1) 8 下恋塚 29 五林 (五林館) 50 内沼蝦夷館 71 大仏 92 沖附 (1) 9 茶毘館(中別所館) 30 蓬 田大館 51 中志蝦夷館 72 蝦夷館 93 白旗館 10 早稲 田 31 小館 (I) 52'戸鎖館 73 白沢 94 烏 口平 (2) ll 松笠森 32 野尻 (4) 53 二十 平 (1) 74 大平 95 売場 12 高舘 (1) 33 高屋敷館 54 野辺 地蟹 田(ll) 75 阿蘇 山(3) 96 根城 13 八幡崎 (1) 34 山元 (1) 55 向 田(35) 76 五輪野 97 八幡 14 前川 35 野尻(3) 56 明前 (1) 77 浅井 (1) 98 田向 15 水木館 36 源常平 57 内姥沢蝦夷館 78 懸河 99 牛 ケ沢(4)
16 富永 37 杉 ノ沢 58 赤平(3) 79 久米川 100 岩 ノ沢平 17 豊富 38 宮元 59 倉越(2) 80 牛潟(2) 101砂子
18 柾子館 39 三内 60 矢館 81 上相野
19 種里城 跡 40 野木 61 大林 (砂子 田館) 82 石神神社 20 大館森 山 41 新 田 (1) 62 切 田前谷地 (1) 83 実 取(2)
蝦夷研 究会2005を基 に作成C なお 、本 国 は カ シ ミール 3Dを使 用 して作製 され て い る。
図1 防 御 性 集 落 期 の 遺 跡
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