• 検索結果がありません。

旧本憲法史における﹁憲法裁判権﹂      −

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "旧本憲法史における﹁憲法裁判権﹂      −"

Copied!
57
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

旧本憲法史における﹁憲法裁判権﹂      −

﹁憲法裁判権の動態  ドイッ憲法研究ノートー﹂補論

はじめに 第一節 一般の裁判官の法令審査権

第二節 大日本帝国憲法における﹁憲法裁判﹂

第三節 ﹁付随的違憲審査制﹂の確立

結  論

日本憲法史における一﹁憲法裁判権﹂       ︵都法四十五ー二︶   一

(2)

はじめに

 ω私は前稿において︑ドイツの﹁憲法裁判権﹂︵<Φ自゜・°・き︒q°・︒q︒ユ合﹇°・O曽犀︒邑の展開の再構成を試みたが︑そこにお

ける制度・運用と学説の変遷から︑わが国への示唆を導き出すには至ちなかった︒そこで本稿では︑大日本帝国憲法

の制定から日本国憲法の下での付随的違憲審査制の確立に至る憲法︵学説︶史において︑ドイツの﹁憲法裁判権﹂が        ︵1︶ どのように理解され︑また影響を与えてきたかを検討することで︑前稿の訣を補う一片としたい︒       ︵2︶  わが国の違憲審査制に関しては︑既に優れた制度史・学説史研究が数多く存在する︒それでも前稿において獲得し

た知見の一端によりつつ︑再検証作業を試みることに︑何程かの意味はあろうかと思われる︒まず︑冗漫に流れた前

稿の記述を整理する意味も込めて︑本稿の問題意識と構成を明らかにしておきたい︒

 ②連邦憲法裁判所︵e︒ロ巳︒︒・<①臣︒・︒・已品︒・o︒Φ9庁一︶の源流として︑ドイツ特有の﹁国事裁判権﹂︵°り§吟゜・加6ユ︒募σ碧宮ご︶

と︑アメリカ型の司法審査制と同様の根拠を有する﹁裁判官の審査権﹂︵ユ畠8邑臼︒°・㊥巳宮品゜・﹃︒合﹇︶の二つが挙げら

れる︒前稿の第一部では︑右の二つの法制度の内容・機能等について︑憲法体制の変化と結びつく形で連続と断絶の

両面が見られること︑ドイツの文脈で一般の裁判所と異なる特別の憲法裁判所の成立を理解するためには︑国事裁判

権の中でも﹁憲法争訟﹂︵<o自゜・°・ロoo︒°・°・胃①置σ︒汀﹂﹇︶の概念に注意する必要があることを︑明らかにした︒

 現在の付随的違憲審査制の下では︑大日本帝国憲法における﹁裁判官の法令審査権﹂に関する実務・学説に関心が

寄せられるのは当然であるが︑右で述べた知見から日本憲法史を顧みるならば︑﹁憲法争訟﹂がどのように受容・理

解されていたのか︑それと審査権の関係はどのようなものであったのかについても︑思いを致すべきであろう︒結論

を先取りして言えば︑大日本帝国憲法の制定過程及び学説において︑﹁憲法争訟﹂に相当する﹁憲法争議﹂と﹁憲法

(3)

       ︵3︶ 裁判﹂は︑一般の裁判官の法令審査権と独立したものとして理解されており︑しかも﹁枢機密勿の府﹂である枢密院

との関連で論じられていた︒そこで︑以下では一般の裁判官の法令審査権に関する議論を概観し︵第一節︶︑引き続

き﹁憲法争議﹂と枢密院の関係︑﹁憲法裁判所﹂︑論を検討し︵第二節︶︑それを踏まえた上で付随的違憲審査制の確立       ・      ︵4︶ 過程における論点に触れることとしたい︵第三節︶︒

︵1︶ ﹁憲法裁判権の動態ードイツ憲法研究ノートー﹂︵一〜六・完︶国家学会雑誌=五巻三11四号一頁以下︑一一11一

  二号五八頁以下︵二〇〇二︶︑︑一一六巻七・11八号一頁以下︑九11一〇号四三頁以下︑一三日一二号八七頁以下︵二〇〇三︶︑

  一一七巻三‖四号七三頁以下︵二〇〇四︶︒本稿では︑宍戸﹁動態﹂︵○︶○○頁の略記で引用する︒なおわが国の解釈論に

  ついての見取り図として︑宍戸﹁憲法訴訟﹂山内敏弘編違新現代憲法入門︵二〇〇四︶第皿編第10章︑﹁違憲審査制﹂小山

  剛‖駒村圭吾編・憲法の基本論点︵二〇〇五年刊行予定︶所収も参照︒

︵2︶ 江橋崇﹁司法権ど違憲審査権﹂法学セミナー増刊・憲法訴訟︵一九八三︶一四四頁以下︑﹁司法権理論の日本的特質﹂公

 法研究四六号︵一九八四︶七九頁以下︑佐藤幸治・現代国家と司法権︵一九八八︶第三章皿論文︑畑尻剛・憲法裁判研究序

  説︵一九八八︶第五章第二節︒      ︑   ︐       ・      .

︵3︶伊藤博文︵宮沢俊義校注︶・憲法義解︵一九四〇︶九一頁︒

︵4︶ 以下で各種資料や論文を引用する際には︑手許で使用できたもので︑一般に利用しやすいと思われる版によった︒また引

  用に際して︑カタカナをひらがなに換えたり︑旧漢字を改める等している箇所がある︒

日本憲法史における﹁憲法裁判権﹂      ︵都法四十五ー二︶   三

(4)

第一節 一般の裁判官の法令審査権

一 制憲過程及び実務

 ω大日本帝国憲法における裁判官の法令審査権を取り上げるに先立ち︑基本的な整理をしておきたい︒最も広い意

味で法令審査権とは︑具体的な事件に適用すべき法規範の効力を審査し︑無効である場合には適用を拒否するとい

う︑裁判官の権限と義務を指す︒法規範が無効であるかの審査は︑①法規範がその成立要件を満たしているか︑②他

の法規範との内容上抵触があるか︑に大別される︒①が﹁形式的審査権﹂︑②が﹁実質的審査権﹂と呼ばれるもので        ︵5︶ ある︒ここでは法律の憲法違反︑あるいは命令の憲法・法律違反の審査の問題だけを取り上げる︒

 立憲君主制憲法の中心的課題は︑君主と国民代表議会の間の関係の整序であった︒法実証主義的国法学において︑

﹁立法﹂の概念︑法律と命令の関係︑予算を含む国法の諸形式等が問われたのも︑それらが君主と議会の関係の法的

表現に他ならないからである︒以下の法律・命令の審査権をめぐる議論も︑まずはそうした背景の下で︑理解される

べきものである︒       ︐

 ②審査権の問題について︑憲法起草過程で参照されたのは︑明文でこれを制限するプロイセン憲法︵一八五〇︶一

〇六条である︒R・グナイストは︑当時のドイツの多数説である︑法律に対する形式的審査権を肯定する見解の主唱

者であったが︑伏見宮・土方久元への談話︵一八八六年三月三〇日︶において︑同様の規定を日本憲法にも置くこと       ︵6︶ を推奨している︒憲法起草に重要な役割を果たしたことで知られる︑H・ロエスラーの﹁日本帝国憲法草案﹂︵一八

八七年四月三〇日︶九四条もまた︑

(5)

  法律勅令は正当の手続を以て発布するに非ざれば効力を有せず

  正当の手続を以て発布したる法律勅令の法律上効力あるや否やの検査は裁判所及官署に於て之をなすの権なし      ︵7︶ としていたが︑﹁夏島草案﹂︵同八月︶ではこの条文は採用ざれなかった︒白エスラーは﹁憲法草案修正意見﹂︵同一

〇月︶で︑︑﹁単に議論上に止んより寧ろ確然たる法律の明条に基づきたる地歩を占むるの必要ある﹂と明文規定の必

要を指摘し・規定の不備によって嚢権が実務上肯︷疋されるごとを危惧して擁・しかしこの危惧にもかかわらず

特段の議論もないまま審査権に関する憲法規定が省かれたため︑明確な制憲者意思を見出すことはできない︒

 ③次に裁判実務はどうか︒まず大審院についていえば︑審査権が問題となるのは事柄の性格上刑事裁判であり︑と

りわけ罰則規定の定立を包括的に命令に委任する明治二三年法律第八四号が︑﹁法律に依る﹂処罰を規定する憲法二

      ︵9︶ 三条との関係で孕む問題であった︒大審院大正二年七月一一日判決大刑録一九輯七九〇頁は︑

   裁判所が司法権を行うに当り先ず適用すべき法律命令が法律命令たる形式を具備するや否やを審按せざるべからざるは固よ

  り言うを侯たざる所なれども荷くも其形式に於て訣くる所なしとせば則ち進んで其実質が憲法違反の法律にあらざるか若くは

  法律違反の命令にあらざるかを審査して之が適用を拒み得べきものにあらず

として︑形式的審査権のみを肯定する立場を示している︒しかしながらこの後︑美濃部達吉が指摘するように︑大審

院は命令に対する実質的審査権を行使しパただ﹁総ての判例は︑常に其の命令を適法のものとして判定した﹂という       ︵10︶ のが実際である︒

 ④これに対して行政裁判所明治四三年四月一六日判決行録二一輯上四一一頁は︑特段の理由を示さず︑法律違反の

命令の適用を拒否している︒事案は︑命令が大臣の法律上の許可権限を下級行政庁に委任しているという状況でなさ

れた不許可処分の違法性が争われたというものである︒行政裁判所は︑

日本憲法史における﹁憲法裁判権﹂      ︵都法四十五ー二︶   五   ︑

(6)

   明治三九年農商務省令第一七号は同法︹鉱業法︺の規定に違背するものにして随て被告が之に依り為したる本件指令は亦違

  法の処分たるを免れず

として︑取消判決を下した︒しかし別の判決では︑

   行政裁判所は法律の内容が憲法に違反するや否やを審査する職権を有せざるものなる       ︵11︶ として︑簡単に法律に対する実質的審査権が否定されている︒

二 狭義の形式的審査権説  一木喜徳郎

 ωこれに対して学説は︑法律と命令︑形式的審査権と実質的審査権︑更に形式的審査の範囲等で区々に分岐してお

り︑実質的な論拠も一様ではないため︑安易な分類を許さないものがある︒ここでは︑一木喜徳郎の見解を出発点に

選ぼう︒彼によれば︑通常の命令に対する審査権は形式・実質の両面で肯定される一方で︑法律︵と緊急命令︶に対

する審査権は︑形式的かつ制限された範囲でのみ認められるべきものであった︒

 ②まず一木は︑裁判官の審査権への問いを法律の効力一般の問題に還元する︒元首の憲法違反の監視︑﹁憲法の監       ︵12︶ 守者﹂は帝国議会である一方︑裁判所は法律に対して﹁臣民が法律に対するの地位と同じ﹂地位にあるからである︒

では﹁帝国議会の協賛なきの法律は果たして国家の命令に非ざるか﹂︒これを一木は否定する︒﹁議会の協賛は独り元

首に対して効力を生ずることを得べし直接に臣民に対して効力を生ずること能わざるなり﹂︒﹁法律をして国家の命令       ︵13︶ たらしむるものは元首の裁可の外他に之れ有ることなし裁可は法律が国家の命令たるの唯一の原因なり﹂︒それ故︑

裁判官の形式的審査権が及ぶのは︑法律の効力発生要件たる元首の裁可︑国務大臣の副署︑法律の公布の有無のみで

(7)

  あり︑帝国議会の協賛の有無にまでは及ばないというのである○以上の一木の議論はパ法律の効力発生要件を﹁裁可﹂

  に求める点で︑当時ドイツで有力化したP・ラーバントに代表される﹁狭義の形式的審査権説﹂の影響を受けている         ︵14︶   ように思われる︒

   ③それでは法律の実質的審査権を否定する議論はどのようなものか︒二木は︑﹁憲法は法律の一種に非ず﹂とする

︑ アメリカ憲法とは異なり︑日本国法では憲法と法律の同位の観念が支配することを説く︒﹁元首が行政者司法者たる   資格を以てするの行為は常に立法者たる資格を以てするの行為の下に立たざるべからず立法者は国家最高の機関なり

  立法者は憲法を変更するの権力を有するものなり憲法も亦た法律の一種に外ならざるなり﹂︒これに対して︑裁判官

  が憲法違反を理由に法律の適用を拒み得るとすれば︑﹁立法権は主義に於て最高の権力なるに拘わらず実際の結果に        ︵15︶   於ては司法権の下に立たざるべからざるなり﹂︒法律による裁判を定める憲法五七条によれば︑﹁立法者が憲法に対し

  て下したる解釈も亦た裁判官を束縛するの効力を有せざるべからず﹂︑そして法律が憲法に対する立法者の﹁公正解        ︵16︶   釈を含蓄する﹂以上︑裁判官は法律に対する審査権を有しない︑というのである︒

   ωこうした立法権優位の解釈は︑逆に︑通常の命令に対する審査権を広汎に許容することになる︒︑憲法九条の解釈

  論としても︑﹁行政機関は憲法及び法律に対して公正の解釈を下すの権を有することなく﹂︑﹁裁判官は命令の形式実

  体両ながら之を審査するの権を有す然れども裁判官の判決は単に命令の或る一事件に適用すべからざることを定むる        ︵17︶   ものにして全く之を廃止するものに非ず﹂︒

   最後の︑形式実質に渡る命令の審査権を肯定する点については︑わが国でも早い段階で学説上のコンセンサスが成

  立したとみることができる︒問題は︑一木に代表さ︐れる法律に対する審査権に消極的な見解が  それは︑法実証主

  義的国法学の主流をそのまま受容したとも評しうる  ︑どのような方向で批判されるかである︒その方向をここで

日本憲法史における﹁憲法裁判権﹂       ︵都法四十五ー二︶   七

(8)

は︑立法権優位の議論を前提に重点を君主から議会へとずらすもの︵三︶︑君主大権を強調する立場︵四︶︑また憲法

の法律に対する優位を強調する方向︵五︶に分けてみたい︒

三 広義の形式的審査権説ー美濃部達吉と佐々木惣一

 ω美濃部達吉は︑法律に対して専ら形式的審査権のみを肯定する見解を説いているが︑一木とは結論および理由づ

けを異にしている︒﹁法律は其の形式的要件として議会の議決と天皇の裁可とを経て成立し︑命令は正当に命令を発

し得べき権限ある者が制定し︑共に法定の形式を以て正当に公布せられ︑施行期日に達し且つ未だ廃止せられざるも       ︵18︶ のなることを要す︒此等の点に付ては裁判所は総ての法令に付き其の審査権を有す﹂︒帝国議会の議決は︑美濃部に        ︵19︶ とっては裁可と並ぶ法的意義を有する︒﹁協賛と裁可とは相待ちて法律の内容を確定し且つ其の拘束力を生ぜしむ﹂︒       ︵20︶ 端的に審査権の文脈で言えば︑﹁議会の協賛を経たものでなければ法律として成立したものではない﹂から︑裁判官

は協賛の有無を審査しなければならないのである︒美濃部の一木との違いは︑形式的審査権論の内部で︑﹁広義の審

査権﹂︵議会の議決の有無の審査を認める︶の形で明確に現れている︒

 ②こうして美濃部の憲法学では︑専ら君主の意思ではなく︑君主と議会の合致という立法者が︑裁判官他の国家機

関に︑憲法の下での最高権威者として屹立することになる︒なるほど﹁法律は固より憲法の下に在り憲法に違反する

ことを得ざるものにして︑憲法に違反する法律は無効﹂である︒しかしこの憲法の法律に対する優位は︑﹁法律の内

容が果たして憲法に抵触するや否やは立法権者自身が最高の解釈権を有﹂することによって︑仮象であることが直ち

に露わになる︒﹁我が憲法は米国憲法と異なり︑立法権の行為を以て国家の最高の意思表示と為し︑司法権と行政権

(9)

とは其の下に相並立するものし為五二木でも示ざれていた・憲法の最高解釈者としての立法者理解が・美濃部で

は実質的審査権否定の主要な論拠とされているのである︒更に美濃部は︑同じ問題を憲法変遷と関連づけて説明して

もいる︒審査権を否定すれば立法による憲法変遷が︑審査権を肯定すれば裁判例による憲法変遷が生じうる︒それ

故︑

   問題は︑憲法の最高解釈権及び之に伴う憲法擁護の任を︑議会及び政府に任ずると︑裁判所に任ずると︑其の何れが憲法の

  精神に適するかに在る⁝わが憲法は憲法違反の法律が成立することを防ぐことに於いて︑用意甚だ周到で︑菅に議会の両院を

  して互に相抑制せしむるのみならず更毒密院をして憲法擁護の任に当らしめ︑此等の総てが薮した上︑最後に天皇の裁一   可に依って︑始めて法律が成立するのである︒

 ③佐々木惣一の議論もまた︑比較的簡潔であるが︑帝国議会の協賛を重視した審査権論と捉えることができよう︒

佐々木にあっては︑﹁法律の成立するには要素として帝国議会の協賛及び天皇の裁可あることを要す﹂︒ただし︑この

審査は︑﹁協賛として行いたる行為の事実上の有無を審査すべきのみ﹂であって︑﹁其の協賛⁝が法上完全なるものな

りや否やは審査するを得ず﹂︒﹁帝国議会も亦其の協賛を法上完全なりとして行いたるものなれば︑司法裁判所は之を        ︵23︶       ︑ 前提とするの外なトいのである︒このように美濃部と佐々木は︑議会の内部事項への司法権の介入という反議会主義.

者の付け入る隙を排除しつつ議会の協賛を確保する︑グナイストと同様の解釈論を説いていたといえよう︒

四 実質的審査権説と天皇大権論

 ωこうした見解とは逆の︑法律に対する実質的審査権を肯定する見解も︑早くから唱えられていた︒殊に清水澄

は︑形式的審査権を制限する見解を鋭く批判していたゆ彼は例えば帝国議会の協賛が﹁法律の要素﹂であることを指

日本憲法史における﹁憲法裁判権﹂        .      ︵都法四十五ー二︶   九

(10)

一〇

摘するだけでなく︑問題は﹁真の優勝の公証力を有するもの何たるやにある﹂として認証理論を退け︑更に議会の内

部事項の審査権はまさに﹁議事規則制定の権﹂に基づき議院にあるというように︑﹁狭義の形式的審査権﹂説に逐一       ︵24︶ 反駁を加えている︒更に清水は︑英仏独米の実務を照会した上で︑結局﹁司法官の性質及我憲法の精神より之を論定

するの外なきものなり﹂とした上で︑﹁憲法に抵触したる法律は真正の法律なりと云うを得ず﹂とする︒しかし︑こ

の先の立法者の憲法解釈権の問題の処理の段階で︑清水の議論はかなり剣呑なものになる︒というのは︑﹁憲法解釈

権に付ても特別の明文なきにより当然憲法改正権を専行する君主に属する﹂︒従って︑法律の実質的審査権が裁判官

にあるとしても︑﹁若し君主が裁判官の或法律を違憲なりとしたる解釈を不当と認る場合には裁判官其職務上の過失       ︵25︶ の為懲戒上の責任を受くべきは当然なり﹂というのである︒しかし︑清水のこうした中途半端な実質的審査権説は︑

却って事態をこじらすものであろう︒裁判官の法律に対する審査権は︑天皇が﹁最終的解釈権﹂を留保した暫定的性

格のものとなり︑事件の解決が終局的にどうなるのかすら︑不明となるからである︒そもそも﹁最終解釈権﹂を説く

ならば︑法令制定時の天皇の裁可にそれを読み込み︑審査権を否定するのが本来の筋であろう︒

 ②他方で︑反議会主義の立場から︑法律に対する実質的審査権を肯定する見解も説かれている︒その代表者は︑法

律の形式的審査を裁可の有無に限定しながら︑実質的審査権を肯定するという一見奇異な議論を説いた︑上杉慎吉そ

の人である︒まず︑彼の形式的審査権限定の論拠は認証理論である︒﹁裁可は議会の協賛を経たる法律案を裁可して︑

法律と為すの行為なり︑されば裁可は自ら議会の協賛を経たるの事実を確認し︑之を真の法律なりと確定するの意義     ︵26︶ を包含する﹂︒では︑実質的審査権の肯定はいかにして導かれるのか︒上杉によれば︑実質的審査権を否定するなら        ︵27︶ ば︑﹁憲法改正の鄭重なる手続を定め︑これを不磨の根本法と為せる所以は︑悉く失わるる﹂︒西洋諸国で実質的審査

権が否定されてきたのは︑﹁立法権最高の主義に従い︑裁判所は法律に絶対的に服従すべきものなりとするに依る﹂

(11)

が︑アメリカでは︑﹁厳格なる三権分立﹂と同時に︑﹁国会は政党に偏せざる正しき立法を為すものなりとの信用人民     

の間に固からず﹂という﹁政治上の理由﹂によって︑審査権が肯定されてきた︒そしてヨーロッパでも︑﹁近来政党

の弊甚だしきに至れると共に︑裁判官の法律審査権は︑最も貴重なる憲法の保障なりとせらるるに至れり﹂︑肯定論

が高まりつつある︑というのが上杉の認識で麩・なるほどドイッでもワイ了ル憲法の下で裁判官の嚢権止目定論

が有力化し︑それはしばしば議会主義不信を主観的嚢としていたことは・周知の通りで艶・しかし・監の穂積

八束の天皇大権論からすれば︑こうした﹁政党の弊﹂による立法は本来防ぎ得るはずであり︑そもそも認証理論を説

くのであれば天皇の裁可権行使の自由が前提の筈であろう︒こうしてみると︑上杉の議論は︑現実には天皇を輔弼す

る国務大臣に議会の影響が及ぶことを通じて︑天皇の裁可拒否の可能性が名目化した情勢を前提しているものと考え

られる︒

五 憲法の法律に対する優位と実質的審査権の限界       ︐  −

 ω右に見た反議会的な実質的審査権説に対して︑市村光恵のそれは︑法治国的である︒形式的審査権を肯定すべき

ことは当然として︑﹁国家の意思に抵触又は矛盾あることは道理上考え得可からざる事﹂であるから︑﹁何れが国家の︐

正当の意思なりやを定むる必要起るべし法令の形式に差等を設け憲法は一切の法令の上に在り法律は命令の上に在り

と定むる所以のものは実に此撞着を解決せんと欲したるに外ならず﹂・かくして・﹁法の適用解釈は全然混乱墓﹃︶と

いう状況を避けることを理由に︑実質的審査権を肯定する立場は︑ひとまず国家法人説に依拠しつつ︑客観法秩序の

統一性の維持を説くものといえよう︒       ︑

  

@日本憲法史における﹁憲法裁判権﹂       ︵都法四+五三︑/二

(12)

=一

︐     ②市村の議論に特徴的なのは︑審査権を臣民の法的地位と結びつける点である︒一般に臣民は形式上有効に成立し

             た法令に服従しなければならないが︑法律違反の命令に基づく違法な処分は﹁此法律に依りて保障せられたる個人の

     権利を侵害する﹂から︑審査権を有する裁判所に対して﹁行政訴訟法上の救済﹂を求めることができる︒﹁慈に於て

     か初めて憲法が法律命令の形式上の効力を定めたる趣意も達せられ憲法第二章に保障せられたる臣民の権利も亦実質

     を生ずるに至るなり﹂︒﹁法令の有効無効は国家の司法機関に依りて決定せられ如何に無道の法令も一度裁判所の関門

     を入れば忽ち其正否を決せられ又適用の途なきに至るべし是れ実に司法機関の職司にして又実に法治国の理想た

      お       り﹂︒ここで市村が念頭に置いているのは行政裁判であり︑司法裁判所では審査権の問題が殆ど生じないとも指摘さ

     れている︒﹁憲法の規定上臣民の財産法上の権利義務拉びに刑罰上の責任は法律を以て之を定むることを得べく又法       ︵33︶      律を以て規定すれば足る﹂からである︒

      ③市村は最後に︑﹁我国の憲法は普通の法律以上の効力を有し其変更も亦特別の手続を要し立法も司法も等しく此

     憲法の下に働くべきものなれば合衆国に於ける主義も亦我国に認めて妨ぐるところなし﹂として︑法律の実質的審査

     権の基礎づけを閉じて誌・市村の審査権論は・これまでの論者の多くが立法者と裁判官の間の関係として問題を捉

     えていたのに対し︑客観法の統一を図る裁判官が同時に臣民の権利の保護者であるという側面を強調し︑またアメリ

     カ流の憲法の法律に対する優位を正面から肯定する点で︑現在の付随的違憲審査制の理由づけにほぼ相当するといえ

     よう︒憲法の法律に対する優位から審査権を同様に導く別の論者としては︑稲田周之助も注目に値する︒彼は︑﹁我

     が日本及び総ての立憲国には皆憲法という最高の根本法あり﹂︑﹁法律は憲法の下に立つものにして之を最高と云うは              当らず又立法者自身も最高解釈権を有するということも妄断にあらざれば則ち独断なり﹂︑あるいは﹁司法裁判所は

     法律に就て最高且最終の解釈権を有す﹂﹁国家の最高の意思は憲法なり法律は憲法によりて成立する憲法に違わざる

(13)

        限りに於て其効力を有す﹂と説き︑語気鋭く法律に対する実質的審査権を主張している︒

 ω遂には︑﹁憲法に矛盾する法律は全く効力なかるべき﹂ことと同時に︑﹁既に法令審査の職権は裁判権より当然に

派生する﹂ことを不動の前提に︑審査権に関する明文がないこと自体を決め手として︑﹁帝国憲法は法令審査権につ

きて特別の制限を設けざるが故に司法裁判所は法律の形式拉びに実質の両面に亙りて審査を行い得る﹂と説く見解も    ︑

登場畜・こうして大呆帝国憲法下においても・葎の実質的嚢権を肯定する見解が多数説と三たと評レてよ        いであろう︒他方で︑これらの議論は実質的審査権を行使すべきというにとどまり︑いかに行使すべきかについての

議論が深められたとは言い難い︒この点で︑例えば早くから副島義一は︑G・イエリネックを参照しつつ︑憲法の規

定の中でも︑財産権の制限に関する公益要件︵憲法二七条二項︶のような﹁唯立法機関に対する規定﹂については︑

裁判官は法律に対する審査権を行使できないが︑﹁各個人又は諸種の国家機関に対する規定﹂例えば免責特権︵憲法

五二条︶に反する刑法規定については︑審査を行いうるというように︑﹁法律の実質も一概に之を審査するを得ずと

謂うを得ず︑法律の実質が憲法の規定の如何なる種類に関係するやを検査して其適用を完全にせざるべからざるな          り﹂としている︒野村淳治も︑﹁普通法律制定機関が憲法の規定を文字通りに遵奉︵執行︶することを要し︑憲法の

明文に違反することを得ないに拘わらず︑それが明白に憲法の規定︑殊に重要なる規定に違反するの規定を設くるに

至った場合﹂は当該法律は﹁絶対的に無効︵不成立︶﹂であるが︑同機関が憲法の認める﹁自由裁量権を濫用して恣

︑意に基づき不適当な規定を設けて︑憲法法律の精神に違反するに至った場合﹂は︑蝦疵を有する﹁不適当なる法律﹂

ではあるが﹁引続いて効力を有すべき﹂ものとして︑裁判官は適用を拒否できないと説いて趨・これらは・憲法規

範の性格から実質的審査権の限界を見出すものだが︑管見の限りではこうした審査権の限界論は︑ごく萌芽にどど

まっていたように思われる︒

   日本憲法史における﹁憲法裁判権﹂       ︵都法四十五ー二︶  一三

(14)

一四

六 小結

 大日本帝国憲法の規定に即する限り︑憲法と法律の間に形式的効力の差が存在することは︑多くの論者が認めると

ころであった︒その上で一般の裁判官の法令審査権に対する学説は︑相当程度まで論者の憲法政策的立場と結び付け

て説明できるように思われる︒しかし︑法律に対する法令審査権が実務上否定されていたことはもちろん︑市村の議

論に示唆されるように︑それが認められたところで広汎な活躍の場が開けたというわけではない︒法律の留保を前提

するならば︑民刑事の裁判はもちろん行政裁判でも︑法律の内容が憲法の内容に反して違憲であるという結論が導か

れる余地は︑もともと殆ど残されていないからである︒むしろ﹁組織規則﹂としての立憲君主制的憲法は︑国家機関

間の権限関係を主たる規律事項として荒・臣民に対する法律の適用の場面で憲法の霧する可能性はもともと少な

いともいえる︒ここで本稿は︑その国家機関間の権限に対する憲法の規律から生じる問題そのものに目を転じること

にしよう︒     パ

︵5︶ 宍戸﹁動態﹂︵一︶二九頁参照︒大日本帝国憲法の下では︑国法と国際法の関係︑あるいは﹁典憲体制﹂における国法と

 皇室法の関係等も問題になりうる︒

︵6︶ ﹁西哲夢物語﹂明治文化全集・第一巻憲政篇︵第三版︑一九六七︶四七七頁︒なお当時のドイツの審査権論について︑宍

  戸﹁動態﹂︵一︶二九−三四頁参照︒

︵7︶ 稲田正次・明治憲法成立史下巻︵一九六二︶一一六頁︒

︵8︶ 伊藤博文編・憲法資料下︵一九三四︶九七−八頁︒

︵9︶ 小嶋和司﹁明治二三年法律第八四号の制定をめぐって﹂明治典憲体制の成立︵一九八八︶三九五頁以下を参照︒この問題

(15)

  の実質は従って︑命令の法律違反よりも憲法違反︑あるいは委任法律の憲法違反の問題であった︒

︵10︶ 美濃部達吉・評釈公法判例体系上巻︵再版︑一九三六︶四七ー九頁︒例えば︑大審院昭和一〇年一〇月一二日判決大刑判

   一〇巻四四五頁︒美濃部が大正二年判決と同旨と指摘する大正三年一〇月≡二日判決大刑録二〇輯一九二四頁も︑命令が﹁違・

  法に非ざる﹂ことを説いた上で︑仮言的に実質的審査権を否定するに止まる︒

︵11︶行政裁判所昭和二年=二月二七日判決行録三八輯一三三〇頁︑同旨︑行政裁判所昭和六年二丹六日判決行録四二輯一二五

  頁︒

︵12︶ 一木喜徳郎・日本法令予算論︵一八九二︶一八八頁︒

︵13︶前掲注︵12︶一九一−二頁︒

︵14︶ 前掲注︵12︶一九四−五頁︒もっとも一木の議論は︑ラーバントの認証理論そのものではない︒ラーバントの認証理論は\

  連邦参議院が裁可権限を有することを前提に︑ドイツ帝国皇帝が裁可を審査し認証するという構造を前提しているからであ

  る︒また︑副署の任にある国務大臣の責任を追及すればよいとする点︵二〇五頁︶や︑議会の議決の有無を審査することが

  議会に対する裁判所︒の介入になるという指摘︵二〇二頁︶も︑君主優位の立憲君主制を前提に︐ドイツ帝国憲法の解釈とし

  てしばしば説かれたところと同じである︒この点を含め︑︐宍戸﹁動態﹂︵一︶五三−四頁参照︒

︵15︶ 一木・前掲注︵12︶二一〇1一頁︒

︵16︶ 前掲注︵12︶二一八−九頁︒

︵17︶ 前掲注︵12︶二二〇頁︒

︵18︶ 美濃部達吉・憲法撮要︵改訂第五版︑一九三二︶五六七頁︒

︵19︶ 前掲注︵18︶四八九頁︒

︵20︶ 美濃部・憲法講話︵一九一二︶四四七頁︒ ︐︵21︶前掲注︵18︶五六八−九頁︒こうして立法権に絶対服従の関係にある司法権は︑行政権に対しては対等の地位にある︒命

  令に対する審査権は︑司法権の独立の内実をなしている︵前掲注︵20︶四四六−七頁︑︵18︶五七〇1一頁︶︒︐

︵22︶ 美濃部・逐条憲法精義︵初版第二刷︑一九二八︶五九二頁︒

︵23y 佐々木惣一・日本憲法要論゜︵訂正第四版︑一九三三︶五二六ー七頁︒

︵24︶ 清水澄﹁裁判官の法律審査権の範囲如何﹂法典質疑問答第七編︵一九〇六︶.四四−六頁︒

・日本憲法史における﹁憲法裁判権﹂      ︐      ・ ︵都法四十五ー二︶  一五

(16)

一六

︵25︶ 前掲注︵24︶四八−五〇頁︒清水澄・国法学第一編憲法篇︵第一二版︑一九二三︶一=六−二七頁も同旨である︒

︵26︶ 上杉慎吉・新稿憲法述義︵第八版︑一九二八︶五九八頁︒

︵27︶ 上杉・帝国憲法逐条講義︵第=二刷︑一九四三︶一六四頁︒

︵28︶ 前掲注︵26︶六〇ニー七頁︒

︵29︶ 宍戸﹁動態﹂︵二︶六一−七五頁参照︒山崎又次郎・憲法学︵一九三三︶六七九ー八〇頁は︑H・トリーペル等に代表さ

  れる﹁法律に対する平等﹂に関する立法者拘束説を取り上げ︑﹁法律万能主義﹂﹁議会専制政治﹂に対して制限を加えるとい

  う観点から︑﹁裁判所の法令審査権なるものは︑実に︑此意味に於て︑重大なる意義を有する﹂と称揚する︒

︵30︶ 市村光恵・帝国憲法論︵訂正六版︑一九二〇︶六九〇1一頁︒

︵31︶ この点については︑佐藤丑次郎・新法学全集憲法︵一九三六︶四五−六頁参照︒

︵32︶ 市村・前掲注︵30︶六九ニー四頁︒

︵33︶ 前掲注︵30︶六九七頁︒

︵34︶ 前掲注︵30︶六九九頁︒

︵35︶ 稲田周之助﹁我が日本の憲法問題﹂法学新報三三巻六号︵一九二三︶三五−六頁︒

︵36︶ 稲田周之助﹁憲法争議解決機関﹂法学新報三四巻一号︵一九二四︶一九−二〇頁︒

︵37︶ 佐藤丑次郎・帝国憲法講義︵第二六版︑一九四一︶二六︑二三ニー五頁︒

︵38︶ 一九二五年時点での学説状況の概観として︑宮沢俊義﹁仏国裁判所の法律審査権﹂憲法と裁判︵一九六七︶一四一−四頁︒

︵39︶ 副島義一・日本帝国憲法論︵第三版︑一九〇九︶四七七ー八〇頁︒

︵40︶ 野村淳治﹁司法裁判官の法令審査権﹂美濃部達吉教授還暦記念・公法学の諸問題第一巻︵一九三四︶四三三−六頁︒

︵41︶ 宍戸﹁動態﹂︵一︶五四−六〇頁参照︒

(17)

第二節 大日本帝国憲法における﹁憲法裁判﹂ ︑

一 ﹁憲法争議﹂と枢密院

︑ ω大日本帝国憲法の制定過程で起草者を悩ませた最も重大な問題が予算議決権︵六七条︶であり︑そこでプロイセ       ︵42︶ ン憲法争議が念頭に置かれていたことは︑周知の通りである︒そしてそのプロイセン憲法争議のドイツ憲法史上の意

義の一つは︑立憲君主制憲法の要石と呼ばれたーつまり憲法保障の最も重要な手段である1大臣弾劾制度の運命       ︵43︶ を決定したことにあった︒日本では憲法争議への配慮が︑以下に見るように﹁枢密顧問﹂︵五六条︶という独特の機       ︵44︶ 関の形成に︑大きく寄与していた︒

 ②この連関ではまず︑憲法の本格的な起草作業に先立つ井上毅の﹁憲法試草﹂︵一八八二年︶が︑次の二点で注目

に値する︒第一に井上は︑大臣の憲法違反を議院が弾劾し︑高等法院で裁判するという制度を構想していた︵三七条︑

   ︵45︶

七七条︶︒第二は︑﹁参事院﹂という国家機関を憲法上の機関として想定していることである︒﹁法律の説明は参事院

       ︵46︶      ︵47︶ 及大審院に属す﹂︵九九条︶︒これはフランス帝政期の○︒自①=△.団§を念頭にした法制局的存在であった︒

 ところで︑憲法争議でビスマルクと対決した当事者であるグナイストが︑プロイセン憲法六一条の空文化をむしろ        ︑︵48︶ 好意的に語っていたこともあってか︑大臣弾劾制度は︑早くから憲法起草者の構想から脱落した︒

 これに対して参事院の存在は︑井上の起草する憲法草案の一つの特色であった︒例えば﹁憲法草案初稿﹂︵一八八

七年三月︶では︑﹁第三章 内閣及参事院﹂として︑

  第八条 内閣員は各省大臣︵及参事院議長︶を以て組織す︒

日本憲法史における﹁憲法裁判権﹂      ︵都法四十五ー二︶  一.七

      ノ

(18)

       一八

  第十二条 参事院は内閣の諮問に懸え︑法制を草按し︑及特定の條項に就ては行政の事務を審査す︒︵参事院は法律の疑義を

  説明す︶

となっている︒その趣旨として井上は︑﹁法律の説明﹂として司法︵大審院の判決︶と︑立法︵議院の有権解釈︶の

双方の難点を指摘し︑﹁中央の官局法制起草の任に居る所の参事院﹂に︑議院での説明や各地方からの質問を集中さ       ︵49︶ せ︑﹁法律統一を維持すべき﹂と論じている︒そしてこの憲法上の機関としての参事院は︑夏島会議に至るまで維持    ︵50︶ されている︒

 ㈲しかしながら︑参照すべき各国の法制の違いもあって︑﹁参事院﹂の性格は一定していなかった︒例えばグナイ

ストのいう参事院は︑大臣会議を﹁監督する所の衙門﹂︑﹁内閣は之を行い︑参事院は之を議す﹂という︑大臣経験者       ︵51︶       ︵52︶ を含んだ超重量級の最高顧問会議であったのに対して︑L・シュタインの説く参事院は行政裁判所であった︒そして

ロエスラーは︑井上の﹁憲法試草甲案﹂に対する詳細な答議の中で︑各国の関連法制を紹介・整理し︑この種の機関

に消極的な態度を示した︒その理由は︑内閣と﹁参議院﹂の役割が重複する結果︑﹁君主に二個の最上の輔佐官ある

ときは︑必ず争議軋礫を生ずるを免れず﹂というところにある︒仮にこの種の機関を作るとすれば︑﹁立憲上機関た

るの資格﹂を認めず︑﹁内閣の勢力を減殺することなく︑之を強大にすることを力めざるべからず﹂︒かように﹁内閣

の提出したる法律・勅令草案を論議して︑之が意見を陳ぶる﹂ものに留めるとすれば︑この機関の設置は﹁勅令を以       ︵53︶ てすべきが故に︑之を憲法に掲ぐべからず﹂︵同年五月一六日︶︒このロエスラーの答議を受け︑﹁夏島草案﹂︵八月︶

では︑この種の機関に関する規定は︑一切見られない︒

 この後の経緯のうちでは︑更に二つの点に注目しておきたい︒第一は︑予算議決権問題に関連して︑﹁議院に於て

法律上必要の費用を拒むときは憲法に違反する者とす﹂という案の中で︑﹁或邦は此争議を最高法院の裁決に任すべ

(19)

しとせり﹂として︑会計上の問題を政府と議会︵議院︶の間の﹁憲法争議﹂として第三者機関の判定に委ねる可能性       ︵54︶ を︑井上が認識していたことである︵八月一四日︶︒第二は︑憲法及び憲法付属法令の制定手続について︑伊藤博文

等が︑天皇の至高顧問府で諮詞するという構想を︑一八八八年初には確定させたことである︒そこで井上は−﹁参議院

章程﹂を作成したが︑︑これは天皇直隷に格上げして構成員の地位を高めたものの︑機能としてはなお法制局的なもの       ︵55︶ に留まっている︒

 ωこれに平行して﹁二月草案﹂の︑﹁第四章国務大臣及枢密顧問﹂において︑

  第五十八条 枢密院は天皇の諮問を雁う

の形で初めて﹁枢密院﹂が登場し︑後の修文を経て︑重要国務に対する天皇の諮詞機関であり︑しかも憲法上の機関        ︵56︶ であるという︑その地位が確定した︒この間︑伊藤が伊東巳代治を通じてロエスラーに依頼していた﹁枢密院官制﹂

       ︐       ︵57︶ の案が提出された︵四月六日︶︒その権限規定は次の通りである︒

  第五条 枢密院は天皇陛下の裁可を仰ぎ第一憲法及憲法に附属する法律の解釈及適用に関し第二憲法第 条に依り予算及其他

  会計上の疑義の決定に関じ帝国政府と帝国議会との間に起りたる争議を裁決す

  第六条 枢密院は左の事項に就き意見を述ぶべし

   一 勅令

   二 憲法又は憲法に附属する法律の改正に関する法律の草案

   三 其他の法律の草案列国交渉の条約其他国家重要の件に関し勅命を以て諮詞せられたるとき

 ここで注目されるのは一法制局的存在を越えることに否定的であったロエスラーが︑伊藤の依頼を受けて具体化し

た枢密院が︑予算問題を含む憲法争議を裁決する︑国事裁判所的性格の強いものだったことである︒プロイセン憲法

争議を強く意識していた関係者が︑大臣弾劾を退けはしたものの︑他方で何らかの収拾策を講じようとした場合に︑

日本憲法史における﹁憲法裁判権﹂      ︵都法四十五ー二︶  一九

(20)

二〇

ドイツの領邦における制度を参酌したものと見るべきではないかと思われる︒

 ⑤しかし︑井上は﹁本件は憲法保障之為に御深慮有之候事と奉拝察候﹂の一文を含む伊藤宛書簡で︑強力な枢密院

構想に反対した︵四月一九日︶︒即ち︑﹁今両府の間の争議を判決するの一の最高等院即ち最上裁判所あらしめば議院

中の事を好む者は墳事細件においても動もすれば政府と紛争を生じて以て最高等院の判決を仰ぐに至る﹂結果を招

き︑また天皇が枢密院の結論を受けいれれば︑天皇と政府︵内閣︶の意思の乖離が生じて︑﹁憲法の大体の精神と矛

盾す﹂︒そもそも憲法争議といっても︑﹁畢寛政府と議会との紛議にして局を結ばざるものは予算の事に止まる﹂はず

であり︑しかもこれは前年度予算執行の規定を置く以上︑﹁他に紛議裁決の高等院あるの要用なかるべし﹂︒かくして

井上は︑持論である法制局への引き下げを主張し︑枢密院を﹁枢密院乃法律解釈之権は︵憲法をも含む︶行政部内乃        ︵58︶ 質問討議に止まらしめ﹂るべく︑先の﹁憲法草案初稿﹂中の参事院に関する説明を伊藤に再び示したのである︒井上

は憲法争議の裁決の仕組みを十分に理解した上で︑反対の姿勢を取ったものといえよう︒

 これに対する伊藤の返答は︑強力な枢密院構想が﹁全く小子の新発明より起候事﹂ーグナイストの影響がもちろ

ん看取されるがーとして︑その趣旨を次のように明らかにしつつ︑伊東との調整を依頼している︒

   き政府議会之間協議不相調時は聖裁に依り大臣之辞職と湘成か又議会之解散と相成議両途之外に不出此場ム・に於て国家   の大勢国民の感情を明察し抑揚其宜を得るには善良なる勧告を呈する顧問官なかるべからず

 そこで︑井上と伊東の間で︑慌ただしく枢密院官制の修正作業が行われたが︑これは結論としていえば︑国事裁判

所的性格を︑天皇の顧問機関としての性格に吸収・解消する過程となった︒順に﹁争議を判決し勅裁を乞う﹂︑﹁判決

する為に意見を述べ勅裁を乞う﹂︑更に﹁争議に付意見を述べ勅裁を乞う﹂と争議解決機関としての性格が段階的に        ︵60︶ 薄められた上で︑争議条項は他の憲法・付属法令の改正に関する諮詞と同列のものにされたのである︒

(21)

 ⑥かくして︑﹁枢密院を天皇の輔翼機関として強力なる憲法上の機関とする﹂伊藤の当初の構想と︑﹁高々法制局程

度の参事院に止めたき﹂井上の意見との妥鵠・百主独立的﹃判決﹄竃を排除する結果となつた・こうしてみる︐

と︑伊藤の構想に憲法争議の裁決という表現を与えたのは︑ロエスラーの影響によるのではないかと推測される︒と

いうのは︑後に枢密院に提出された彼の﹁憲法草案意見概要﹂︵六月一七日︶は︑憲法五七条について︑

   余は左案の如く枢密院の特別重要なる職掌を本条に掲ぐるの適当なるを信ずるなり

   枢密院は重要の国務に就き天皇の諮詞に雁え及び帝国政府と帝国議会との間に生じたる憲法上の疑問を決議し天皇の親裁を   仰ぐ.

      ︵63︶       と︑憲法争議の裁決を憲法上の権限とすることを︑なお誰奨しているからである︒その後もロエスラーが︑﹁枢密院・

は︑政府と議会との間に起る一定の争議︵憲法及予算︶を判決する職権を有し︑又法律勅令其他重要なる国事に関し        ︵64︶ 諮詞の庁たる職務を有す﹂と説いている点もまた︑注目されよう︒

 しかし︑大日本帝国憲法五六条は最終的に︑

  枢密顧問は枢密院官制の定むる所に依り天皇の諮絢に磨え重要の国務を審議す

と先行する枢密院官制に詳細を譲り︑その官制の改正︵一八九〇年一〇月八日︶によって︑﹁争議﹂の語は﹁圭角が        ︵65︶ ある﹂として﹁疑義﹂に改められた︒こうした経過により︑﹁憲法争議﹂の観念は制度上否定され︑ただ枢密院官制        ︵66︶ の文言に︑僅かにその痕跡を留めることになったのである︒

日本憲法史における﹁憲法裁判権﹂      ︵都法四十五ー二︶  二一

(22)

二二

二 枢密院と憲法学

 ωはたせるかな︑国家機関の間の憲法解釈に関する疑義を枢密院が解決した事例として知られるのは︑大日本帝国        ︵67︶ 憲法の施行期間中︑貴族院の予算増額修正問題のただ一件を数えるのみであった︒これは︑第一次松方内閣が提出し

た追加予算のうち︑衆議院が削除した軍艦製造費等を貴族院が復活させたことに端を発する︒貴族院議長は︑両院の

間で衆議院の予算先議権︵憲法六五条︶の解釈に疑義が生じたとして上奏し︑天皇が枢密院に諮詞したところ︑貴族       ︵68︶ 院の修正権を認める旨の奉答があり︑同旨の勅語に衆議院も従ったという事件である︵一八九一年︶︒

 そもそも生誕時にして既に枢密院は︑憲法争議裁決機関としての性格が後退させられ︑その活動は専ら天皇の諮詞

に対して奉答する形を取り︑しかも大臣責任制の下では諮詞行為自体が大臣の輔弼を受けてなされるものである︒そ

して枢密院との関係では内閣は一体性を保って行動するのが常であり︑他方で枢密院は他の国家機関との直接の接触      ︵69︶       ︵70︶ を持ちえない︒この枢密院が︑議会・政党の影響力の増大に比例してむしろ内閣に対抗する﹁第三院﹂としての性格        ︵71︶ を強めていったのは︑政治史の常識に属する︒本稿の文脈でいえば︑中立的第三者機関としてではなく︑自身が﹁憲        ︵72︶      ︵73︶ 法争議の一対手﹂として︑憲法争議の解決の任を果たしえなくなるのもまた自然の勢いであろう︒この文脈で枢密院

が﹁憲法の番人﹂なのかどうかが︑学説上も議論されるに至った︒

 ②穂積八束の遺著の一章﹁憲法の保障﹂は︑立憲的憲法の保障に対する一般的認識と︑彼独特の三権分立論の結合       ︵74︶ 点で︑枢密院に﹁憲法を擁護するの藩屏﹂の任を託しており︑注目に値する︒彼は﹁機関の軋礫﹂に立憲政体の利点        ︵75︶ を見出すと同時に︑それを警戒する︒この﹁機関の軋礫﹂とは︑穂積によれば︑憲法解釈の疑義である︒

   憲法の疑義を決定するの権力は︑即ち機関の軋礫を調和するの最高の権力なり︒我が憲法は之を独立自由の大権に留保す︒

(23)

      統治機関の憲法上の軋礫は︑其の権限の軋礫なり︒其の権限の軋礫は︑即ち憲法の解釈の争議なり︒若彼の或国に於けるが如       く憲法の疑義は機関各々自ら決するの外他に屈伏することなしとせば憲法の争議は法の争に非ず勢力の争とな乏︒

    穂積にあっては︑この憲法疑義の決定権は︑それ自体権力分立の一角を占める君主大権に帰属する︒だとすれば︑そ        び     の最終権限の行使に参与して︑﹁憲法公正の解を持し︑其の疑義を決し︑紛争を絶つ﹂枢密院の重要性が強調される

︑   こと自体は︑特に怪しむに足りない︒彼の枢密院論の特徴は︑むしろこの先にある︒君主大権の独立が︑輔弼者たる

    国務大臣によつても脅かされる事態を︑彼は懸念するからである︒ここに国務大臣の外に立つ枢密顧問の存在理由が

    認められる︒穂積は︑大臣弾劾を枢密院が判断することで︑大臣からの君主の自立性を創出しようとする︒

       重要の国務は大臣の輔弼に待つの外︑更に枢密顧問の諮詞を経るものとす︑特に憲法の疑義は必ず其の議を経べきの言明あ

      り︒枢密顧問にして此の重大なる憲法の委託に顧み︑能く権勢の外に独立し︑大権輔翼の重任を尽くぶ醗︑内に在りては大臣

      専権の弊を防ぎ︑外に向こうては大権独立の実を挙げ︑以て憲法を擁護するの藩屏たることを得べきなり︒       ア            右の穂積の議論は﹁君主大権の直接親裁﹂の建前が崩壊するに従い︑枢密院が﹁政府の監督機関﹂に変遷する状況

    に対応した枢密院の弁証論といえるだろう︒これに加えて清水澄は︑欽定憲法の構造及び皇室の擁護に枢密院の存在

    理由を認めつつ︑罰則付きの独立命令に対する﹁行政権の専決﹂を妨げる点を捉えて︑﹁臣民権利の保障機関﹂であ             る点をも指摘しているが︑これは法律の留保の下での︑極めて限定的な意味での弁明に過ぎない︒

     ㈲穂積とは反対に︑枢密院批判論を代表するのが美濃部である︒なるほど枢密院官制が諮詞事項の一つである草案            審議の対象を憲法付属法令に限定していることは︑﹁枢密院の憲法擁護機関としての任務を認めた結果に外ならぬ﹂︒

    しかし憲法・付属法令の解釈に関する疑義の決定について︑枢密院が﹁憲法争議の裁判所たる地位﹂を持つとは解さ   ∵

    れない︒その議決に︑他の国家機関や一般国民に対する拘束力を持たせるためには︑勅令ではなく憲法の規定が必要 ︑

    だからである︒また︑各国家機関は﹁自己の職権に属する範囲内に於ては︑何れも自己の独立の解釈を以て憲法及び

日本憲法史における﹁憲法裁判権﹂       .      ︵都法四十五−二︶  二三

(24)

二四

       ︵82︶ 法令を運用﹂するからである︒それ故︑枢密院に﹁憲法及び附属法令の最高解釈権﹂が定められたものとはいえない︒

かくして枢密院は﹁憲法の番人としての職務﹂を果たしえないのであり︑﹁若し憲法擁護の任務を議会及び政府の権       ︵83︶ 能に任ずることを以て危険な理とするならば︑正式に憲法裁判所を設くるを以て遙かに勝れり﹂というのである︒こ

の美濃部の批判に対しては︑反政党内閣の立場から枢密院を擁護し︑﹁既に︑憲法の有権的解釈権が天皇に在り︑而

して︑其審査機関として︑枢密院が存在する以上︑何も︑欧州諸国に模倣して︑之︹憲法裁判所︺を設置するの必要        ︵84︶ もなかろう﹂という山崎又次郎の再批判が︑目に付く程度である︒しかし︑ここで憲法裁判所が持ち出されたことに        ︵85︶ は︑枢密院に対する当て馬として引き合いに出された以上の意義を見出すべきであろう︒実際にも美濃部の枢密院批

判に先立ち︑様々な形で憲法裁判所が学説上論じられており︑それも憲法の起草過程で退けられた大臣弾劾や憲法争

議の裁決を導入しようという文脈が存在したからである︒それらの議論の検討が︑本稿の次の課題である︒

三  ﹁憲法裁判﹂としての大臣弾劾

 ωまず︑大日本帝国憲法下での﹁憲法裁判所﹂を論じるに当たり︑﹁憲法裁判﹂の語に注意しておきたい︒現在の

﹁憲法裁判﹂の観念は︑付随的違憲審査制の磁力の下で︑二極化されているからである︒一方で︑①司法権11民事裁

判・刑事裁判そして行政裁判が行われる際に︑憲法上の争点が主に先決問題として生じる場合を指して︑﹁憲法裁

判﹂という場合がある︒他方で付随的違憲審査制の反対の観念として︑②司法権の行使とは独立につまり﹁事件﹂と

は関係なく︑法令の違憲性を一般的効力をもって決定する特別の裁判所の国家作用を指して﹁憲法裁判﹂という場合

がある︒これに対して︑ドイツで実体法︵領域︶の違いに応じて︑民事裁判権・刑事裁判権・行政裁判権と並ぶ国事

(25)

裁判権または憲法裁判権の観念が成り立つ事情や︑それがボン基本法制定時の連邦憲法裁判所を支える論理の一つで         あったことは︑前稿で詳しく示したとおりである︒そこで︑我が国の憲法史についても無造作に﹁憲法裁判所﹂を検

討する前に︑一例として美濃部の﹁司法﹂に関する説明を一瞥しておごう︒

 ②﹁司法﹂はまず︑﹁其本来の意味に於いては裁判と云うのと同じ﹂︑即ち﹁法の適用に付いて争があり︑又は疑が ︐ある場合に於て︑其の争又は疑を決定するが為めにする国家の行為﹂である︒ところで﹁此の本来の意味に於ける司

法の行為は法の総ての区域﹂︑国際法・憲法・行政法・民法・刑法で行われる︒具体的には︑国際仲裁裁判︑行政裁

判︑懲戒裁判︑権限裁判と並び︑﹁大臣の責任を裁判する所謂政治裁判﹂︑﹁議会と政府との間に憲法上の解釈に付い

て衝突の起った場合に︑其の争を決定して憲法の疑義を解決する裁判制度﹂がある︒しかし︑大陸法における司法か         らの行政の独立の経緯によって︑﹁司法と云う言葉は沿革上専ら民事及刑事の裁判を謂﹂い︑右の意味での﹁憲法裁        ロ 判はわが憲法の全く認めない所﹂である︒こうして﹁司法﹂の内包は裁判と同義であるが︑沿革上︑民刑事の裁判を

外延とするというのが︑美濃部の最終的な結論である︒ここでは﹁憲法裁判﹂とは憲法争議の裁決の謂であり︑それ

が実体法領域の別に対応した民事・刑事・行政の各裁判と並立した概念であること︑従ってドイツ型の﹁憲法裁判﹂

観念が︑美濃部に前提されていることは︑明らかであろう︒       ・  ︑

 ③右の理を確認した上でここではまず︑ドイツで憲法保障の中心と考えられた︑大臣弾劾の問題に注目したい︒大︑

臣責任は︑立憲君主制憲法の根幹に関わりべわが国でも対天皇責任か︑対議会責任かを初めとして︑様々な議論がな

されてむ趨︒しかるに︑憲法五五条は﹁大臣の為政事裁判所﹂を設置することを要請も否定もしていないと説ぐ一木

のよ仁鯉︑大臣弾劾の可能性は早くから意識されつつも︑その制度化は真剣な議論の対象ではなかったように思われ

る︒美濃部も︑大臣責任を追求する手段としての﹁大臣訴訟﹂が︑﹂仲裁裁判でも﹁大臣と議会の間に憲法上の争議を

日本憲法史における﹁憲法裁判権﹂      ︐      ︵都法四十五ー二︶  二五

(26)

二六

決定する﹂ものでもないとして︑その法的性格を明らかにすると同時に︑﹁唯大臣訴訟の制度が先進の諸立憲国に於

て久しく不使用に帰せるが故を以て我国に於ても亦之を認むるの必要なしと断定するは早計に失するものなることを        ︵91︶ 恐る﹂と述べるにとどまっていた︒

 .④それに対して︑佐々木惣一は大正デモクラシーの直前に︑大臣弾劾を制度化し︑﹁憲法裁判所﹂を設けることを

説いている︒﹁大臣の行為の憲法違反か否かを判定す﹂る国家作用は︑﹁其の場合に適用せられるべき憲法の原則其の

ものを宣明するものに過ぎぬ﹂故に︑﹁裁判﹂である︒﹁私は此の裁判を憲法裁判と云い︑其の機関を憲法裁判所と名        ︵92︶ ける︒憲法擁護の制度としては︑憲法裁判及び憲法裁判所なる制度を確立するを以て︑最良とする﹂︒彼のいう﹁憲

法裁判﹂の内実は美濃部における﹁大臣訴訟﹂であるが︑そこでの裁判という性質決定も︑美濃部とほぼ同様である︒

 また後には︑詳細に外国の法制を紹介した上で︑枢密院議長・顧問官︑貴族院議長・議員︑大審院長・高級司法官︑

行政裁判所長・評定官︑大学教授等から構成される特別裁判所による弾劾裁判を説く川手忠義の浩潮な単著も現れ

︵93︶

た︒詳細は省くとして︑ここでは川手が後述の稲田周之助の研究を参照しつつ︑﹁大臣訴訟﹂と﹁憲法争議解決裁判﹂

の異同を論じている点に注目したい︒彼に依れば︑﹁議会の大臣弾劾は国務大臣の国務上の責任を問う手続也︒然る

に憲法争議解決裁判所は国家の各機関間︑又は国民との間に起る憲法条章の疑義につき︑裁定を為すを職とするもの

なるを以て︑憲法争議に関連せしめて政治上の責任を問う如きは︑全く其目的の範囲外なり﹂︒ただし︑第一次大戦

後のオーストリア・ドイツ等の﹁憲法裁判所︑国事裁判所︑政治裁判所﹂のように︑﹁憲法条章の疑義を正解するこ

とは︑憲法違反の審判を為すことと同一智識の人に侯つこと多き﹂であるので︑大臣弾劾を判定する裁判所に憲法争        ︵94︶ 議解決の任を委ねることが︑最適だろうというのである︒       .

(27)

四 憲法争議解決機関としての憲法裁判所・

 ω右の川手の議論にもあるように︑︑大臣弾劾とは別の︑憲法争議の裁決機関としての憲法裁判所への注目が高まっ

たのは︑第一次大戦後のオーストリア・ドイツ等の動向に大きく影響されたものと思われる︒オーストリア憲法裁判

所に関する美濃部の論孜は︑それ自体としては紹介の域を越えていないが︑憲法裁判をめぐる動向について︑次のよ

うな認識を示している︒まず︑立法権を最高権力とするヨーロッパに対して︑アメリカでは﹁裁判所が法律の憲法違

反ならざるや否やについての審査権即ち或る意味に於いての憲法裁判権を有する﹂︒ところが最近ではヨーロッパで

も政党政治の弊が甚だしく︑アメリカ流の裁判所の法令審査権を承認すべき︑また﹁特別の憲法裁判所を設置して法

律の憲法違反ならざるや否やを審査する権能を有せしむべし﹂との思想が高まりつつある︒オーストリァの憲法裁判

所はこの後者の思想に基づいたもので︑アメリカ流の﹁司法権による憲法擁護の制度とも著しく異なったもの﹂であ

る︒それは︑﹁司法権の作用として実在の事件に付いての憲法の有権的解釈を決定するものではなく︑司法権又は立

法権以外の別個の権力として︑憲法と法律との抵触を裁断するのであって︑普通の三権分立説に依る三権以外に第四       ︵95︶ の権力を為す﹂︒また憲法裁判所の判決は︑法律の適用排除ではなく︑法律自身を直接廃止する効力を持つ︒この簡

潔かつ明晰な対比が︑以後のわが国のオーストリァ憲法裁判所の︑引いては﹁憲法裁判﹂一般のイメージを象徴する

ものと言ってよいであろう︒

 ②これに対して︑大日本帝国憲法の運用との関係で︑﹁憲法裁判﹂の語が用いられる際には︑伝統的な﹁憲法争議﹂

の観念の延長で︑ワイマール憲法のドイツ・ライヒ国事裁判所をも視野に入れられながら論じられていた︒美濃部自

身も︑﹁枢密院が憲法争議の裁判所たる地位に在る者に非ざるは勿論なり︒憲法裁判所は唯憲法自身に依りてのみ之

日本憲法史における﹁憲法裁判権﹂       ︵都法四十五ー二︶  二七

参照

関連したドキュメント

前述のとおり、税については、日本国憲法 84

(( .  entrenchment のであって、それ自体は質的な手段( )ではない。 カナダ憲法では憲法上の人権を といい、

       ︵1︶

中学社会(地理・歴史・公民)の重要基本事項を完全収録。

強制実施権が人類の保健福祉増進と反競争行為抑制というその本来の目的を果たすためには、補償

をつけた。すなわち,あらゆる憲法改正についてそこで示された留保条件

についての法律(1991 年 4 月 24 日) (14) ならび に「ロシア共和国憲法裁判所」についての法 律(1991 年 5 月 6 日) (15) を採択し,第 4

本の省令に相当する)を制定した。