• 検索結果がありません。

﹁キリスト教会およびキリスト教諸集団の社会教説﹂︵邦訳・+七︶

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "﹁キリスト教会およびキリスト教諸集団の社会教説﹂︵邦訳・+七︶"

Copied!
27
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

エルンスト・トレルチ 著

﹁キリスト教会およびキリスト教諸集団の社会教説﹂︵邦訳・+七︶

東京都立大学トレルチ研究会 訳

 訳者はしがき

 凡例          序言

・目次  序説・予あ明確にしておかなければならない方法上の諸問題

 第一章 古代教会において据えられた諸基礎

  第一節問題

  第二節中世的統一︑文化の端緒

  第三節 初期中世領邦教会の時代     ・   ︐

  第四節普遍教会の立場からの反動と^カトリック的統一9文化    ゜        ︑

﹁キリスト教会およびキリスト教諸集団の社会教説﹂ぞ      ︵都法四十四ー一︶.三九五

(2)

三九六

第五節中世の生活秩序における禁欲の意義    ・

第六節社会生活の実際の形態が︑相対的に教会の理念に接近したこと

第七節教会的統一文化はトマス主義の倫理学によって理論的に解明された

第八節トマス主義の諸原則から見た中世の社会哲学

第九節絶対的神法・絶対的自然法とゼクテ

教会の妥協的態度に対して古くから存在する反感の再浮上

教会型と対比して見たゼクテ型

ゼクテ型﹇集団﹈に見られる急進的自然法思想の形成︑およびその他の教義上の特徴

ゼクテの形成はグレゴリウス﹇七世﹈の教会改革を端緒とする

ワルドー派

フランチェスコ派

ウィクリフとその信奉者

フス派       ﹇以上︑本誌第二九巻第二号から第四三巻第二号まで﹈

農民の蜂起⁝⁝⁝⁝⁝⁝:・⁝⁝⁝⁝⁝⁝:・⁝⁝⁝⁝⁝:⁝・⁝⁝⁝⁝⁝⁝−・⁝⁝⁝⁝⁝⁝:・⁝⁝⁝⁝:⁝⁝・三九七頁

人民主権論の著作⁝⁝⁝⁝⁝⁝:・⁝⁝⁝⁝:⁝⁝・⁝⁝⁝⁝⁝⁝:・⁝⁝⁝⁝⁝−⁝・⁝⁝⁝⁝⁝⁝:・⁝⁝⁝⁝四〇〇頁

公会議派の改革理論に見られる自然法的要素:−⁝⁝⁝⁝・⁝・・÷⁝⁝⁝⁝⁝⁝・⁝⁝⁝⁝:⁝⁝・⁝⁝⁝⁝⁝−四〇七頁

都市の文化と個人主義︑神秘主義:⁝:⁝⁝⁝⁝・⁝い⁝⁝⁝⁝⁝・・−⁝⁝⁝⁝⁝⁝・⁝:⁝⁝⁝⁝⁝・⁝⁝⁝−︑・四一一頁

結論と予見⁝⁝⁝:⁝⁝⁝・⁝⁝⁝⁝⁝:⁝・⁝⁝⁝⁝⁝⁝:・⁝⁝⁝⁝⁝:⁝・⁝⁝⁝⁝⁝:⁝・⁝⁝⁝⁝−⁝⁝・四一六頁

(3)

     自然の掟の革命的転換・農民の蜂起      ︑

    このように︑さまざまな要因が複雑に絡み合って作用している︒その中から︑われわれは︑最初に︑キリスト教的

   神の掟および自然の掟の平等主義的理解︑すなわち革命的理解の発展を取り上げよう︒これは︑福音の純粋に宗教的

   な平等の観念を︑合理主義的解釈によって変更しようとするものである︒そのような解釈変更は︑すでに︑ストァ派

      ぐ    の合理主義の影響を受けた四世紀の偉大な教父たちによって︑少なくとも原始状態について行われた︒しかし︑それ

   は︑その後アウグスティヌスの予定説や︑アリストテレスに依拠する自然法上の不平等の理論の陰に隠されていた︒

   この平等主義的解釈の再浮上を決定づけたのは︑どめような事情だったのか︒この点については︑これらのことがら

   に関する現在の知識をもってしては︑ばとんどなにもいえない︒われわれは︑この観念が︑.すでにヨアヒム派やドル    ︑

  

@チ︸に現れているのを見た︒ドル†あ場A艮︑ヴ・ル・セ←アの農民蜂起と関係している︵噸⊇彩蔑諜ノ

   に対する+字軍の結成を命じ︑ヴェルチェ・り司教と・ヴァーフ司教︑およびモ・フェ・了ト侯を司菖とする+字軍が派遣された︒ドルチ﹂は︑ピエモ・テ州†ジア川

   上流のヴァル・セージアく巴o︒Φω田に立籠り︑農民らと共に武装して抵抗した︒当時︑ヴァル・セージア一帯はヴェルチェッリ︑ノヴァーラ両司教から独立した自治区の様相

  

@縮ぽ孔杜冶蜘ガ赤⁝艇舶㌢馴以矧四哩端緒︶︒確かに︑この思想は︑永続的な教父の伝統や︑ローマ法大全中の民主主義的・・共和

   ︐政的要素や︑修道制の下でその外部的︑社会的形式さえも絶えず新たに創出する宗教的平等の観念によって育まれた     ・

   ものである︒個別に見ると︑このような観念を噴出させ︑それを自らの利益のために利用するきっかけとなった

  のは︑・いずれの場合も︑明らかに︑特別な事情や外部的誘因︑とくに農民および都市下層民の民主主義的傾向であっ

   た︒次いで︑この観念を著作によって擁護し︑弁論によって煽動する者が現れる︒そして︑法律学や神学の教説ある           いは古いゼクテの伝承さえもが︑かれらの用に供される︒こうして︑かれらはさまざまな運動に参加し︑かれらなり

   の役割を果たす︒平等主義的︵民主主義的観念はすでに広範に流布しており︑かれらは一般的な理解を期待すること

   ができた︒このことは︑一四世紀初頭に成立した﹁薔薇物語﹂の急進主義を見れば明らかである︒﹁薔薇物語﹂はき

      ﹁キリスト教会およびキリスト教諸集団の社会教説﹂         ・    ︵都法四十四ー一︶ 三九七   L

(4)

      三九八

わめて評判の悪い作品であるが︑この作品の中で︑平等主義的・民主主義的観念が原始状態の観念として表明されて

いる︵嬬醐瀦熟鷲暮芦⁝︑蕪雛驚㌔澗㍍鷲鐸霞噛旭裸惑弓婿鐘羅纏濁饗遮ヨ設パ゜鷹ビバ羅

盤詩賢鷲㍑羅ボ⇔ぽ巳嘘運竃殻勧藝が韓㌍評︶︒ただし︑薔薇物語では︑この急進主義とキリスト

教との特別な関係が欠けている︒しかし︑この点は大して重要でない︒なぜならば︑原始状態の掟は︑まさに同時に        ︵⁝⁝︶ キリスト教の神の掟に他ならないからである︒実際︑このような観念が︑中世末期の大規模な農民蜂起において表明

されている︒大規模な農民蜂起は︑たいてい︑同時に︑急進的な民主主義的観念や︑平等主義的自然法の観念に依拠︐

しており︑さらに︑キリスト教的自由ならびに平等の観念や︑原始状態の掟の観念とも結びついている︒もちろん︑

これらの農民蜂起の直近の原因は︑経済的︑社会的領域にある︒それは︑あるときは﹇イングランドの場合のように﹈

従属農民の地位の改善であり︵その結果︑イングランドでは︑土地領主が︑強制的にふたたび従属関係を出現させて︑

奉公人不足を解消しようとする誘惑に駆られた︶︑あるときは︑フランスの場合のように︑戦争の負担による農民の

疲弊が原因であり︑またあるときは︑とくにドイツの場合のように︑ここでは詳しく説明できない複雑な事情に基づ

いていた︒しかし︑それと同時に︑これらの農民蜂起の多くは︑キリスト教的自然法の平等主義的︑共産主義的解釈

を伴っている︒ただし︑それが生じた道筋については︑先の複雑な事情の場合と同じように︑ここで︑それを詳しく

説明することはできない︒ここでは︑自然法および神法の平等主義的︑社会主義的︑民主主義的解釈︑およびその解

釈に基づくキリスト教的自由の観念が︑決して︑純粋にキリスト教的理念の弁証法から生ずるわけではないというこ

と︑そして︑それらは︑どこでも︑最初は︑政治的︑社会的革命によってもたらされたのだということ︑および︑農

民蜂起がその拠り所を伝統の中に見出す場合でさえも︑その伝統は︑キリスト教的理念それ自体から発展した倫理で

はなく︑教父の説く倫理の部分に限られているということ︑を指摘しておけば十分であろう︒これらの観念が力つく

(5)

       β     で実現されなければならず︑しかも︑革命がキリスト教的な基礎を持っていなければなちないと考えられる場合には︑       ︵191︶ ︐  その限りで︑ここでもまた︑絶えず︑旧約聖書が救いの手を差し出さなければならない︒    ︑−     ・

       

︵091︶ <°bdΦNO匡田ユaユo亡お命◎︒ムq⊃ト︒︒︒﹈いΦ汀Φ<oづ匹2<o済o︒mo已︿Φ品巳品け﹇≦餌言Φ5口9ω窓↑#巴巴8﹃夕培戸o︒8口゜力09      一

  N巴訂o古ユ含ωΦ︵﹂o︒べΦ︶﹈co.ωらひを見よ︒

︵191︶ このよヶな民主主義的︑共産主義的観念を表現するさまざまな事例は︑カウッキー﹁社会主義の歴史﹂に収集されている︒

  民p巳qo古pづコ民p暮゜・犀ざΩΦω○証98匹ΦのoooN一巴﹇c力目仁︒︒日国日NΦ江p房9一﹂§σqΦ昌□ご一゜︒⑩⑰しかし︑残念ながら︑

  カウ︑ッキーの叙述は著しく厳密さを欠いており︑しかも︑宗教的動機やさまざまな集団の相違がまったく理解されていない︒       ルンペンプロレタリア ト   カウッキーにとつて︑中世のキリスト教的共産主義とは︑古代の極貧無産者層に属するキリスト教徒の観念から生まれ︑

 基本的に文献を通じて伝えられた︑共産主義の貧弱な早生児である︒早生児とされるのは︑それが︑いまだ︑支配的な生産   段階とも︑﹁発展﹂の傾向とも一致していないからであり︑同時に神秘主義的︑禁欲主義的であって︑政治的に無力︑かつ

  学問に敵対的だからである︒これに対して︑現代の生産段階と一致するこんにちの成熟した社会主義は︑そうであるが故に︑     ︑

  あらゆる点で︑中世のキリスト教的共産主義と対立する!とくに南ドイッの農民運動とタボル派に関して豊富な資料を提

  供しているのは︑ツェルナーである︒国Nぴ﹂巨隅>O﹂Φ<O霧后︷ΦO口Φmロ巴隅づ育↑ΦσqΦ︒︒°=二八七年のイングランドの農

  民蜂起と\農民たちが掲げたキリスト教的︑共産主義的綱領については︑内知暮c︒ズざbd匹゜﹈w吉じ力゜一゜︒ω−一⑩⑰を見よ︒ルー

  ス︵乙力﹇日ΦoコP已OO﹂︒︒ωωL︒︒⑩ト︒︶・によれば︑フランスのジャックリー・の乱﹇=二五八年﹈はそのような理念を持たなかった︒

  o力゜廿仁o♪臣゜︒8口⑩江Φ一p﹂p︒ρ已Φ口ρト︒ΦΦ匹∴一゜︒廷゜ドイツの運動の理念は︑﹁ジギスムンドの帝国改革案﹂国Φ﹇o﹃目知江o︑°

  ・︐誓ξ昆︵Φ巳゜ 口ぴ古b山 一〇◎↓Φ︶によ.て明・りか寒れでいる誌叉書攣賭語纈舶ぼ・ル齢礪騒語口著露緬姻鑛防㌶

  が冠せられている︒内容は︑当時の改革の気風を反映して︑教会および世俗のそれぞれの領域におけるあるべき秩序の回復を説いたもので︑教会については︑清貧の   教会に立ち戻って狭義の宗教活動に専念すべきこと︑世俗の君主については︑体僕を解放してかれらに自由を保障し︑暴利や搾取から貧しい人々を守り︑暴力や私闘

  酷轄杣れ旅喘桧汲既既撚縮吋牛儲疑紗樋鯛禦加恒恥㌍綜教︶︒そこでは︑比較的保守的な教会改革の綱領と並んで︑奴隷や従属民のため

  に︑自然法とキリスト.教的自由︑すなわち平等および自然状態の下での財産の共有の思想が強調されている︵切ひ古bρω゜︽o◎︶︒

  また︑ドイッ農民の革命的運動については︑ブリ﹂ガー﹇弓ぼo巳○﹃bd9σqΦ♪お±−一・⊃嵩﹈の概説がある︒bd口OσqΦさ.

 印Φ合﹃日P註O見戸⇒己已︒力冨﹂Ow≦Φ︸轟Φo・o巨oプ↑Φ ﹇O知o︒NΦピ巴9﹃匹Φ弓閲ぼ○﹃日P江OづΦ見﹂q⊃Oo︒﹈ω゜︾︒q⊃腎ωOΦ゜この概説の

       〆

 ・﹁キリスト教会およびキリスト教諸集団の社会教説﹂        −     ︵都法四十四ー一︶ 三九九

(6)

四〇〇

随所で︑革命的な要求と︑神の掟および原始状態すなわちアダムが耕しイヴが紡いでいた時代の自然法との同一化が見られ︑

さらに暴力が旧約聖書によって正当化されている︒1しかし︑ゼーベルグの﹁教義史﹂が明らかにしているように︑そ

の他の点には精通している神学者たちでさえも︑この問題については確信が持てず︑手探りの状態にある︒国Φ↑5古o一ユ

を述べている︒しかし︑そのいずれにおいても︑中世自然法の多様な要素が認識されていないし︑絶対的自然法と相対的自

c力

WぴΦ謁s廿Φ宮ぴ⊂合合弓Ooσq日Φ5σqΦωo巨︒宮Pbd臼﹂−ω゜一ΦΦ︷︷°中世の自然法に関して︑ゼーベルグはさまざまなこと

然法との区別も認識されていない︒とくに︑このような自然法概念を受容しなければならなかった深い内面的な必要性がまっ

たく理解されていない︒

   国家法ならびに教会の改革理念に対する影響

 それとは反対に︑ゼクテ型の個人主義から生まれた集団や︑急進的な彼岸の倫理ならびに清貧の理念の現世無関心

的急進主義に社会を従わせようとする思想から生まれた集団は︑そのような革命精神とは無縁である︒これが︑ゼク

テ型から生まれる第二の流れである︒もちろん︑この第二の流れは︑第一のそれと幾重にも混じり合っている︒しか

し︑両者は常に区別されなければならない︒両者の関係は︑タボル派とボヘミア兄弟団の関係と同じである︒ただし︑

タボル派およびボヘミア兄弟団には教会に対するボヘミア人に特有の反対の姿勢があったが︑この二つの流れには︑

そのようなものは存在しない︒そういうわけで︑男子および女子のべギン会や︑共住生活兄弟団や︑それに類似した

組織のような︑比較的小規模で閉鎖的な集団の中で行われた共産主義の実験は︑もっぱらこの第二の流れの意味で理

解されなければならない︒これらの集団は︑寄る辺のない者や孤独な生活を送る者︑瞑想的心情の持ち主や︑社会か

ら排除された人々に対する救護施設である︒それらは︑個別に見れば︑技術的な意味で︑生産のための結社に成長す

る︒しかし︑そこで主張されている理念は︑社会を改革する自然法ではなく︑社会との関係を絶った人々の禁欲的な

愛の共産主義である︒かれらは︑かれらなりに俗人宗教を再生させ︑それと同時に︑宗教的個人主義を復活させる︒

(7)

 これと似たことを︑すでに︑神秘主義者や︑いわゆる前宗教改革期の宗教的論文の著者も行っている︒しかし︑これ

 らの集団には︑およそ社会改革の綱領というものが存在しない︒つまり︑これらの集団は︑社会政策的に無害な︑原

 始キリスト教時代の愛の共産主義の類型に対応しているのである︒      ・

  さて︑最後に︑・この宗教的個人主義ならびに福音の神の掟の急進主義は︑教会および国家の公的活動領域にまでそ

 の影響力を及ぼす︒さらに︑それを通じて︑そのような個人主義や急進主義と対立関係にある公的秩序そのものの理

 念の世界に対しても影響力を及ぼす︒しかし︑これは︑なんら不思議なことではない︒とくに︑どこにでも介入する

 教皇の普遍的支配権に対する反動がいたるところで活発化し始めて以来︑このような個人主義と急進主義が︑貧しく

 かつ純粋に宗教的な教会の要求として表明された︒さらに︑それによって︑同時に︑国家と教会の関係に対しても新

 たな基盤が作り出された︒そうすると︑これは︑必然的に︑教会および法律関係の文献・著作にも改革の思想を持ち

ロ       ホ

 込むことになる︒教会の世界支配と社会全体に対する指導権の基礎は︑すでにわれわれが見てきたように︑固有の

 意味の国家が存在しなかったことや︑教会の統一性と指導権が国家思想の代替物として用いられたこと︑・そして社会

 的ならびに経済的関係がそれらのすべてを可能にするほど単純だったことにある︒しかし︑いまや︑国民国家や︑も

 はや教会の倫理によってはそんなに簡単に管理することのできない社会生活が出現したことによっで︑中世の教会体

 制の危機が生まれ︑新しい秩序が模索される︒国家は︑その領域内の教会に影響力を及ぼそうと努力し︑この目的の︑

 ために︑教会における俗人の力と権利を宣言しなければならなかった︒この目的を達成するために︑ゼクテの思想が︑

 少なくとも部分的に︑適していることが明らかとなった︒ただし︑それは︑時代の流れがむしろローマ教会との交渉

 ならびに政教条約へと向かい︑君主が教皇と共に教会の権力を分有するようになるまでのことである︒他方で︑教会

 の組織もまた︑外部および内部から動揺させられた︒それは︑教会組織が︑過度に大きな課題を引き受け︑その結果   ︑

    ﹁キリス㊦教会およびキリスト教諸集団の社会教説﹂       ︵都法四十四ー一︶ 四〇一

(8)

四〇二

に苦しみ始めていたからである︒そういうわけで︑教会の利益を代表する人々も改革に向けて努力しなければならな

かった︒かれらは︑一方で俗人の助力を誘致し︑また一方で脱世俗化した清貧の教会の理念に出口を見出そうとした︒

したがって︑教会改革の側でも︑ゼクテの個別の要求に接近したのである︒しかし︑この改革は︑教皇権の下で教会

の中央集権化が強化され︑領邦君主との間で政教条約が締結されることによって︑実質上︑最終的に幕を閉じた︒

* ﹁教会の世界支配﹂以下この段落の最後までの文章は︑書物にまとめる際に追加されている︒今回の邦訳部分には︑雑誌論

 文として掲載された文章に加筆修正された箇所が少なくない︒そのすべてを指摘することは煩墳にすぎるので︑本稿では︑

 三箇所ある一〇行以上の加筆修正部分のみを指摘しておく︒

パドヴァのマルシリウスとオッカムのウィリアム

    俗人の助力については︑フランス王権の側に立つ法律家および神学者︑かれらに依拠しつつバイエルンのルートヴィッ

   ヒ﹇四世︒=ユ目σq﹈︿ユ2ロ苫Φさ旨゜︒ベー一ωミ゜=一=四年以降ドイッ国王︑=二二八年以降神聖ローマ皇帝﹈を著作

   によって助けた支援者たち︑そしてかれらの中でも︑とりわけ︑有名な﹁平和の擁護者﹂OΦひΦ5ωo﹃bΦ︒﹂°︒の著者で

   ある谷ヴみ㌃㌃ズをあげることができる︵聡翻㌢詔轡霞駕.駐聲璽埠鑓ぷ鯉毒露⁚輔

   のアヴェロエス主義者ジャンダンのジャンq8コ合﹀Φ邑二Pρ烏゜︒Φらω柏゜︒°と共にバイエルン国王ルートヴィヒの庇護を求めて亡命した︒﹁平和の擁護者﹂は一三二七年に異    端的著作と宣告されたが︑マルシリウスはミュンヘンで没するまでルートヴィッヒの側近として活躍した︒ちなみに︑後出のオッカムのウィリアムも=二二八年にルートヴィッ

   註簾藷︶︒マルシリウスは︑この著書で︑国家権力を保全する・︑と︑および教会を聖書の状態すなわちコンスタ

   ンティヌス以前の状態に立ち戻らせることによって︑平和とキリスト教社会の改革とを達成しようとしている︒ここ        ︵291︶    には︑紛れもなく︑初期のウィクリフの思考過程との類似性が存在する︒ただし︑ここで国家を保全するための出発 ︑ 点となっているのは︑神の予定に従って国家に権力が付与されているという理論ではなく︵㍍⇔謝㌘難週.遵猪監

(9)

  篇竃璽雛籔鯖︒玲諌ぎ竃い鴇竃顯簾鞠ぽ寡わ︶︑一般的かつ公的な自然法論である︒したがっ

  て︑国家に関しては︑トマスの理論と共通する自然法的︑アリストテレス的要素のみが強調されている︒実定法規な・

  らびに統治組織は︑本来の立法者である人民またはその代表者の意思から生まれ︑その運用は本来の立法者の統制に

  服する︒そうでない場合には︑神の世界統治と同じように︑−君主が理性に従って法制度を運用することになる︒この

  提題は︑きわめて相対的な意味で民主主義的であるにすぎない︒マルシリウスの提題がトマスの教説を超えているの

  は︑マルシリウスがトマス以上に自然法を強調し︑自然法を民主主義的に捉えている点だけである︒しかしながら︑

  国家に対する教会の地位が一変したことにより︑かれの提題は︑明らかに︑トマスの教説とまったく異なる.側面を獲

︑ 得している︒すなわち︑ここでは︑教会が︑神の掟に基づいて︑国家とまったく同じよ・プに︑まずはその構成員の合

  意から生まれる︒この神の掟は︑それ自体︑自然法と同一である︒したがって︑教会もまた︑第一義的には︑信者の

  共同体と同一であり︑その統治は︑共同体が任命する司祭すなわち叙階のために存在しなければならない司祭によっ

  て︑聖書の中で特別に啓示された神の掟に従って行われる純粋に霊的な統治に限定される︒これに対応して︑.共同体

. は自らの司祭を任命し︑監督し︑審判する︒すべての司祭は相互に平等であるσ司教は︑本質的でないいくつかの特

  権︑とくに司祭を叙階する権限を有するにすぎない︒そして︑この司教による司祭の叙階を通じて︑キリスト以来の

  伝承が維持されるの︑である︒★

   教皇職および聖職位階制は︑︐コンスタンティヌスによって設立された有害な制度であり︑たんなる人法上の制度に

  すぎない︒つまり︑それは︑必要な場合に︑世俗の権力の監視下で︑聖職者にょる指導や助言を利用するためのもの

  にすぎないのである︒司祭の役目は︑秘跡を執行し︑罪の許しを宣言することである︒しかし︑その場合に︑贈罪の

  秘跡は宣言的でしかなく︑効力を発生させる性質を持たない︒そして︑個別の事案については︑共同体が判定する︒

     ﹁キリスト教会およびキリスト教諸集団の社会教説﹂      ︵都法四十四ー一︶ 四〇三

(10)

      四〇四

規範はもっぱら聖書の神の掟である︒疑問がある場合には︑すべての信者またはその代表者からなる一般公会議によっ

て決定される︒この会議を招集するのは︑共同体の代表者としての世俗の権力である︒司祭は︑あらゆる世俗事項に

関して︑たとえば裁判権や財産権に関して︑世俗の権力に従属する︒また︑司祭の数を決定するのは世俗の権力であ

る︒司祭は︑キリストに倣って︑清貧の生活を義務づけられる︒かれらの刑法は︑異端者に対する場合でさえも︑警

告と威嚇に限定される︒全体にとって有害な異端を根絶するのは︑世俗の権力である︒賞罰をもって神の掟を外面的

に実現することは︑彼岸を待たなければならない︒この世では︑国家において政治的自然法が支配し︑教会において

霊的指導という形の神の掟が支配する︒ただし︑霊的指導は︑決して国家の権利を侵害してはならない︒はっきりし

ているのは︑あらゆることがらにおいて︑世俗の権力の利益が本質的に決定的な位置を占めていること︑および︑政

治的自然法に由来する民主主義的共同体の原理が︑宗教的共同体にも転用されているということである︒司祭職と秘

跡は存置される︒しかし︑それにもかかわらず︑その施設的性格は極端に切り詰められている︒なぜならば︑一方で︑

司祭という客観的な施設から︑神の掟に従って自らを統治する共同体が生まれるが︑他方で︑その共同体を代表する

政治権力は︑どこでも︑自己の名において行動するのだから︑この共同体もまた︑明らかに国家権力に依存するよう

になるからである︒ここには︑共同体の宗教的自立性に対する関心などまったく見られない︒しかし︑たとえそうだ

としても︑マルシリウスのこの理論全体は︑紛れもなく︑個人主義の風潮および純粋なキリストの掟の観念の帰結と

して生じたものである︒そして︑この個人主義および純粋なキリストの掟の観念は︑清貧の教会ピ俗人宗教を掲げた        ︵ova︶ フランシスコ派の綱領が︑フランシスコ会とその周囲に広めたものであった︒

(11)

      ︵291︶ この類似性は︑°後に教皇グレゴリウス十一世によってもはっきりと表明された︒リ﹁ッラー︑二九七頁﹇臼σq日已口創

        固暮Φ﹃<︒づ空ΦN一2︶︵﹂o◎︽ωー 声⑩ト◎べ︶O↑Φ﹂↑8日旨︒95き合尺ωp・臥Φ弓餌隅勺e°︒8NξNΦ営巨昆Sσqω餌◆ロpぺΦ吟見

        一゜︒ぺ声o力゜︒︒雪﹈の記述を見よ︒パリのジャン﹇⊂$づ匹Φ勺巴﹇°︒﹂ト⊃︒︒O一ωOΦ﹈がかれの文章を﹁ワルドー派的﹂と表現して

        いる点について︑国巴﹂胃.﹇qoず⇔きΦ︒・二゜︒㊤−﹂⑩台﹈勺知b°・#已白ゴコα民片○プΦ2Φ︷o吋日bdPロ一⑩O伊o力゜ズ゜を見よ︒ケ

\      ラーPロ画註m内巴零︵一c︒︽⑩山⑩嵩︶一〇皆印Φ︷o内日p江9已コ匹合Φ巴9﹃Φ昌口Φ︷○﹃白U隅け巴Φ見一゜︒°︒9﹈は︑ワルドー派の・         影響を受けているとして︑マルシウスを非難している︒  ︐       ︑

      ︵20ua1︶ マルシリウスとかれの先行者については︑国一①己Φ□O一Φ巨雲p臣゜︒6ぴΦ5≦巳胃ωp︒ゲ2口Φ﹃勺書゜・↑ΦNξNΦ営廿昆乞一σqω

        画゜bd知∨2ロ一゜︒べ命゜を見よ︒しかし︑わたしには︑リーツラーがマルシリウスをあまりにも近代化しすぎており︑中世の社︑         会理論に含まれている決定的に重要な観点を十分理解していないように思われる︒全体の状況については︑ハ︑ラーの教えら

︐.    れるところの多い記述を見よ︒出巴声Φ5勺pb︒︒↑言日§江民戸﹃合Φづ冨﹇o内白wロα゜﹇さらに︑民゜民α巨曾−c力冨巴︒・戸Φ汀Φ工隅

        くo酵Φ合弓白巴o叶Φづ︵⊂知宮ぴ已○プ后﹃口①暮ωoプΦ弓庁Φo言㈹↑p×﹈×口××°︶°も見よ︒

  パドヴァのマルシリウスとオッカムのウィリァムー続きー

︐.この闘争における第二の偉大な文献上の弁護人は︑オッカムのウィリアムである︒かれの教説は︑マルシリウスの 

・それと比較し.て︑︑いっそう宗教に力点が置かれておりぺ教会に関して保守的である︒オッカムは︑教権と俗権の双方

      かしら が対等であるとみなし︑両者は共にキリスト教社会の頭であって︑協力し合うように命じられていると考えた︒・キリ.

スト教社会では︑なんらかの緊急事態に際して︑そしてその場合にのみ︑教皇権が腐敗した世俗の政府に介入する権        ノ トレヒト 限を有すゐ︒あるいは︑.逆に︑俗人の権力は︑世俗化した教会政府に対する介入権を緊急権として主張することがで︐.

きる︒オ・カムたとって︑フランシスコ派の清貧の教説が教皇ヨハンネスニニ世によって威嚇されたことや︵醐註.二

︸妻騨鄭熊︒⁚︒誌巴に窪運遷コ喜つ㌔㍉記饒紮聾践竪︶︑教会の政治化が表面化したことは︑後者

の種類の緊急事態を意味すると思われた︒そこで︑かれはべこの非常事態に際して︑国家権力および俗人に助けを求

﹁キリスト教会およびキリスト教諸集団の社会教説﹂        −︐ ー   ︵都法四十四ー一︶ 四〇五

(12)

       四〇六

める︒その理由は︑結局のところ︑教会の成員資格はもっぱら信仰によって決定されるのであり︑司祭職によって決

定されるのではないという点にある︒ここにも︑フランシスコ派の俗人宗教の観念のゼクテ的な帰結が存在する︒も

ちろん︑これは︑たんに一時的な緊急権として宣言されているにすぎない︒しかし︑それは︑永続的な影響力を及ぼ

す︒﹁教皇は︑そして教皇によって招集される公会議でさえも誤りうる︒その場合にただ一つ残された道は︑共同体

      キルヒエンフェルザンムルンク の原理と直接選挙に基づく教会集会である︒世俗の人々もこの集会から排除されるべきではない﹂︒﹁最後に︑

婦人も排除されてはならない︒なぜならば︑信仰の問題については︑聖職者と俗人の間になんら相違がないだけでな

く︑男女の間にもま・たく違いがないからである﹂︵トレルチは出典を明示していないが︑この二つの引用文は︑≦巨p日ohOoズp日︑O鼠ざ西已切炉口ωQ︒\︿°にある︶︒この急進的な結論を導く

緊急権の観念それ自体は︑自然法に含まれる衡平の法に基礎をおいている︵この法は︑すでにトマスにおいても︑非

常事態に際して自然法および神法の本来の意図を実定法から護ることができる法であり︑かつそうしなければならな

い法であるとされていた︶︒したがって︑ここでも︑宗教の個人化がゼクテ型に接近している︒それと共に︑ここで

もまた︑急進的なキリスト教的自然の掟と神の掟が︑一つは清貧および愛の理念の側面から強調され︑一つは個人の       ︵9︑0︶ 平等の側面から︑いっそう強調されている︒

︵92b1︶ オッカムについては︑固↑Φ巴Φ亘PPOこω゜︒︒お︷︷°とくにo力o力゜︒︒ΦOふ忠゜を見よ︒マルシリウスとオッカムの影響力

  については︑国ぴΦoμPo力゜︒︒笥︷°を見よ︒当然のことながら︑オッカムの影響力はマルシリウスのそれよりも遙かに大きい︒

 ﹁平和の擁護者﹂が印刷されたのは︑ようやく一五二二年になってからのことであった︒オッカム派の理論とゼクテの教説

 との類似性︑およびオッカム派の理論とフランシスコ会急進派との類似性は︑ハラーによっても強調されている︒出巴﹂Φ□

 勺pbo︒江β目已ロ巳民戸8古巴﹃Φ︷05昌bd巳゜□oo°o︒﹂°

O

(13)

  公会議主義の改革理論

 教会の側から見ると︑教会の伝承それ自体から新たな教会概念を創出しようとしたのは︑公会議運動の法理論な

らびに神学である︒この運動は︑教皇の普遍的文化および普遍的支配という壮大な社会的ユートピアがその理想に近        ︵391︶ い形で現実化し︑﹇逆に﹈その結果として衰退し始めた後に出現した︒その当初の目的は︑教皇権から司教および司

祭への回帰であった︒したがって︑それは︑施設の概念を放棄したわけではない︒しかし︑この運動によって俗人が

キリスト教世界の担い手︑教会を裁く者であるとされるようになると︑それに対応して︑この運動自体もまた︑一部

はゼクテ型に接近し︑一部は︑民主主義的基盤の発展に支えられて︑教会的自然法の個人主義的・合理主義的要素へ

と接近する︒人々が反対したのは︑罪の状態の相対的自然法や教会の政治的組織の固定化に対してだったのだから︑

かれらには︑絶対的自然法が必要であった︒今後は︑この自然法を︑ウィクリフに従って︑純粋にキリスト教的な形       ↑ 態の絶対的愛の共産主義において︑すなわち予定によって神から与えられた権利や権力の保有者の地位を全体のため

に犠牲にするという仕方で追求することもできたし︑あるいは︑むしろ教会の思想的財産の中のストア的︑ローマ法

的要素から導き出される合理主義的︑個人主義的︑平等主義的要素に求めることもできたであろう︒しかし︑ウィク

リフの教説は︑この運動全体によってあっさりと拒否された︒したがって︑残ったのは基本的に後者のみである︒後

者の合理主義的︑個人主義的︑平等主義的要素は︑もっぱら霊的な仕事に専念する純粋かつ清貧の司祭職の理念と結

びついでいる︒また︑それは︑どこでも︑同時に︑俗人の審査権や介入権を含んでいる︒この権利は︑公教会が改革

を拒否するやいなや︑ただちに︑教会を浄化する目的のために行使される︒さらに︑後者には︑俗人宗教や︑・信者の

共同体としての教会や︑貧しく霊的な教会という観念︑そして自然法の観念が︑一体化されて内包されている︒しか

しながら︑司祭職や秘跡や聖職位階制に内在する施設概念の根幹を原理的に破棄することはおよそ考えられなかった

   ﹁キリスト教会およびキリスト教諸集団の社会教説﹂       ︵都法四十四ー一︶ 四〇七

(14)

四〇八

ので︑すべてのことが︑結局︵施設概念を一貫して体現し︑中央集権化を進めた聖職位階制の勝利に終わるほかなかっ

た︒聖職位階を構成する聖職者は︑教会のいくつかの権利を世俗の君主に譲与することによってかれらと結託し︑運

動全体を沈静化させた︒しかし︑いったん鎖から解放された思想はその影響力を残しており︑カトリックの教会概念        ︵491︶ を突き崩すために︑それなりの役目を果たしたのである︒

︵391︶ 教会の中央集権化を完成させたのは︑まさにアヴィニョンの教皇座であった︒それは︑とくに教会の財政制度の中央集権

  化に表れている︒ミュラーおよびハラーは︑この点を正しく強調している︒民p巳ζ巳﹂Φ□民巳ひξ匹Φ﹃Ω⑩σqΦ5ぼ9︒﹃ダ

  ﹇三丁民巨琴臼隅Ω品巴乞知昼HξΦ穿§ば巴旨σq巨匹H冨ΦN邑p冨誘㎎゜<s㊦p巳窪gΦぴ⑩飼弓Φや﹂口

  ︾げ古p昌巴§σq占o力゜b︒一ご出①一﹂Φ♪勺碧゜・叶言日巨匹民片○古Φ5目﹇o﹃日切ユ゜一゜さらに︑ハラーは︑次のように.付け加え   ている︒政府というものはすべて費用のかさむものだが︑とくにあのような世界統治にはお金がかかる︒そういうわけで︑

  この財政主義は中央集権化に伴う必然的な現象であった︒この旧式の財政主義は︑トレント公会議によって廃止もしくは制

  限された︒しかし︑よく知られているように︑その後も︑依然として︑財政制度が教皇庁組織の難点の一つとして残されて

  いる︒

︵491︶孚法母↑︒古く8bdΦN°﹂匹wいΦ冨①<8創曾く︒院︒力︒︒︒⊆<Φ呂ζ巴冨書8昆昔ωζ戸↑邑巴§ρ田︒︒8曇・古ΦNΦピ︒・︒冒臣

  ωΦ︵一◎︒べΦ︶﹈oo°ωO一−ωO°︒°国家の自然法的理論構成が教会にも転用される︵同書三五二頁︶︒﹁ランゲンシュタインの提言

 .︵=二八一年︶からピサおよびコンスタンツ公会議の時代にいたるまでの間に︵われわれにとって︑この期間はジェルソン   に体現されている×教皇と教会の関係に関する理論は数々の段階を経た︵遵彰㍉註当覗貧蕪綾㍍⇔樗劉

  として即位した︒ここから︑いわゆる教会大分離が始まる︒この危機を打開するために︑ランゲンシュタインのハインリッヒ匡Φ日号庁くoコ90西Φ房9日出Φ号8¢°︒

  江Φ着σc︒貫ρ一㏄台−p﹂ωq⊃↓°は︑=二八一年に﹁教会の一致と改革に関する平和の助言書簡﹂国O尻8声8コc︒巨冨︒尻含Φ旨﹂o器p︒器吟o§餌ひδコΦ穿︒ぽ日pΦを著して︑   教皇の正当性について判定するために︑全体公会議の開催を要求した︒教会大分離は︑ジェルソンが活躍したピサ公会議﹇一四〇九年﹈およびコンスタンツ公会議   ﹇一四一四〜 八年﹈によって収束する︒なお︑トレルチは︑コンスタンツをチェコ語で民o⑩9烏と表記しているが︑なぜそのような表記を採用したのか︑その理由は

  設ぽか︶︒そして︑最後に︑この理論は︑既存の制度や教会の伝承を完全に捨て去り︑ま.たく自然法の懐に身を投じた︵こ

  の自然法は絶対的自然法である︒しかし︑フォン・ベツォルトもまた︑この自然法と相対的自然法︑すなわち既存の教会や

  社会とうまく折り合いをつけた︑古典的な神学および教会法学の自然法とを区別していない︶﹂︵同書︑三五三頁︶︒﹁神法お

(15)

       よび自然法の優位の観念はジェルソンに見ちれる︒この観念はすでにマルシリウスに存在しているが︑ジェルソンの場合に

       は︑それが︑衡平国甘匹Φを︑法の世界において争う余地のない最上位の審級に高めることによって表現されている︒衡平は︑     ノ        法律的な屍理屈にとらわれずに自らの基準に従って︑・つまり素朴な法感情に従って︑この法またはあの法が︑そのまま適用   −︑

       されるべきか︑解釈によって変更されなければならないか︑あるいは廃止されるべきか︑またそれをどのような仕方で実現 /

トノヘ      エ      へ

︑      すべきかを判断する︒いまや︑全体公会議がこの至高の法に従って行動しなければならない時である︒こうして︑ジェルソ

       ンは︑全体公会議に無制限の権限を付与する﹂︵同書︑三五三頁︶︒この︐﹁衡平﹂は︑実は︑相対的自然法の誤って形成され

       た部分と︑相対的自然法に基づく実定法の誤って形成された部分とに対して︑絶対的自然法を適用するための法に他ならな        い︒ジェルソンは次のように論じている︵同書︑三五四および三五五頁︶︒﹁もし︑教会の権力がその義務を怠るならば︑こ

       の神聖な義務は︑どんどん下に降ろされ︑ついには農民にまで︑それどころか︑まったく取るに足りない老女にまで降ろざ     ︑        れる︒かれはこう叫ぶ︒﹃世俗の君侯のみならず農民や労働者︑さらに最も低い層に至るまでのすべての信者が︑教会の統

       一と平和と刷新を支持しなければならない︒そして︑必要な場合には︑昔の人々の例に倣って︑羊の群れ全体を救うために

       自らの生命を賭けなければならない︒﹄﹂そして︑ジェルソンは︑古代の市民的徳の証言者として︑キケローとヴァレリウス.

       マクシムス議露藩障蟻︒靴藻.露゜㍉露゜認誘鷲はω︶を引用している︒ジ・ルソ一ンは︑・︑の市民的徳を同時

       代のキリスト教徒の心に燃え上がらせ︑いわゆる霊的共和国のために役立てたいと考えたのである︒﹁公会議の教父たち自

       身が︑⁝⁝教会を救うために︑大衆の力を利用する可能性について検討した﹂︵同書︑三五六頁︶︒この文章に続いて︑フォ.

       ン・ベツォルトは︑とくにニコラウス・クサーヌスを引き合いに出して︑次のように述べている︵同書︑三五七頁︶︒﹁自然

       法は人間の理性に内在しているのだから︑拘束力を有するすべての実定法規は︑自然法を起源としなければならない︒そう        すれば︑個々の法律が人間の最も深奥にある本質と関係するようになる︒しかし︑個々の人間はその本性上等しく権力を有

       し︑等しく自由なのだから︑制定権すなわち法や権力を創出する権能を所有するのは︑全体のみである︒﹃あらゆる政府は︑

       すべての人々の合意に基づいて︑すべての人々が任意に服従することによってのみ存立する︒﹄クサーヌスは︑王の権力の

       みならず司祭の権力についても︑このような方法で説明しようとしている︒﹃すべての権力は︑それがキリスド教的権力で

       あろうと世俗の権力であろうと\人民の中に潜在的に含まれている︒﹄確かに︑そこには神の働きが加わっている︒しかし︑

       この形成光源﹃①合已︒︒8﹃日①江く二mは︑かなり後退させられている︒﹂この文章をトマスのそれと比較してみていただきだい︒

       そうすれば︑両者の違いは一目瞭然であろう︒この相違をもたらしているのは︑自然法それ自体ではなく︑自然法の捉え方

﹁キリスト教会およびキリスト教諸集団の社会教説﹂      ︑    ︵都法四十四一一︶ 四〇九

(16)

四一〇

と適用の仕方である︒原始状態の急進的︑絶対的自然法は︑罪の状態の相対的自然法すなわちあらゆる制度を正当化する自

然法と対立する︒絶対的自然法が︑アリストテレス・トマス的な自然的不平等の意味で理解されずに︑ストア的・合理主義

的なすべての人々の平等という意味に理解されるようになると︑絶対的自然法と相対的自然法の対立は︑ますます︑先鋭化

する︒そして︑教会概念は︑もはやいかなる意味でも︑このような自然法を正当な連れ合いと認めることができない︒なぜ

ならば︑教会概念は︑純粋に霊的な教会という理念や聖書の基準に従って行われる俗人の批判の権利によって︑その施設概

念の最も強固な支柱を奪われるからである︒また︑最近の数世紀間における教皇権の発展は︑教会概念が︑統一的な救済の

施設を表現するもの︑そのような施設の全体概念であることを強調している︒その結果︑教皇制を司教主義や更新された領

邦教会制に押し下げることは︑教会に関する基本的概念全体を動揺させることになる︒いずれにせよ︑理論的に教会概念を

解体しようとするこの試みは︑教会改革という大きな闘争の中の第二次的な要素でしかない︒この闘争の︵政治的︶核心は︑

ハラーの興味深い書物によって明らかにされている︒﹁したがって︑これらの成果は︑一部は︑キリスト教教義史の一章を

なすものでしかない︒しかし︑それと同時に︑これらの成果は︑それに劣らず︑というよりもむしろそれ以上に︑教会と国

家の間で数百年にわたって行われた闘争の一局面なのである︒もっと厳密にいえば︑それは︑カトリック教会と国民国家と

の間で長年にわたって繰り広げられた闘争の一餉なのである﹂︵出巴声Φ口PPOこo︒°ミ⑩゜︶︒しかし︑ハラーは︑イギリ

スの国教会制度を出発点とする教会政治上の衝撃の他に︑教会概念の解体の第二次的要素も認識している︒というのは︑か

れは︑清貧の教会を要求する﹁敬度主義﹂︵ハラー︑前掲︑八九頁︶や︑﹁平和の擁護者﹂O忠Φ霧o吋b①o冨の影響︵同︑三

四〇および三四一頁︶︑とくにオッカムの影響︵同︑三四二および三四三頁︶に言及しているからである︒この第二次的要

素は︑再生した教皇権や︑政教条約や︑領邦教会制という形で︑公会議が政治的要求を充たすに足りる成果︵ただし︑それ

は︑宗教的批判や︑宗教的個人主義の理想を満足させるものではなかった︶を獲得した後も︑その影響を及ぼし続けた︒⁝:

オッカムの理念と自然法に基づく民主主義的理念が公会議主義の改革運動に混入している点について︑民゜ζ巳﹂Φ口民≒oけΦ〒

σqΦΦ゜匡゜90bdP口︵一q⊃Ob︒︶りo力゜①◎Φべ︷°および民o巨Φ♪①゜知゜○°を見よ︒前出︑本文四=二頁︵本邦訳︑三七六︑七 頁︶で述べた諸理論の背景をなす全体状況については︑フォン・ベツォルトの明確な叙述がある︒<°切ΦNO一P日..民巳↑烏

鮎Φ吋ΩΦσqg妻巴○.ロw<二◆

(17)

      都市の文化と個人主義     ゜         ・      .  ︑   

     最後に忘れてならないのは︑自立的な都市の俗人文化の発展と共に︑総じて中世末期全体が︑教会と司祭によ?て

    指導されていた従来の思想世界に対する強力な競争相手になったということである︒当然のことながら︑都市の俗人

    文化の作用は︑まず︑教会的文化を制限する方向に働いた︒しかし︑その後︑この作用は︑ますます︑教会概念およ

    び施設概念に伴う宗教の客観化全体を解体する方向に働いた︒そめ結果︑都市の俗人文化は︑それ自身がまったく考

    えてもいなかったし︑望んでもいなかった分野に対してさえも︑その影響力を及ぼした︒イタリアで都市の発展がゼ

    クテを発生さぜたように︑その後イタリアに続いて発達した北方の都市も︑それぞれの仕方で︑俗人キリスト教に有

    利に働いた︒この点に関するいくつかの記念碑が︑中世末期の文献の中に存在している︒その中の最も有名な事例は︑

    ﹁ドイッ神学﹂である︒この文献は︑ルタるプ・テスタンティスムをも魅了した︵賢詩㌔.離籍鷲鱈︒⁝露 ︐↓誘曇警嬬雛塑竃顧隷簿蕪還躍鷲鞭戴鱈竃誤竃竃霞︶︒中世末期の宗教的民衆運動も

      ︵591︶ *     また︑客観的な教会制度の弛緩を前提としている︒ そして︑いずれの場合も︑明らかに︑.キリスト教的理念に基づ

    くなんらかの社会学的類型が生まれ︑成長している︒ただし︑この社会学的類型は︑もはや︑ゼクテと同じではない○

    それは︑なにか新しい類型︑いわば神秘主義に由来する急進的︑宗教的個人主義である︒この個人主義は︑一般的に︑

    もはや組織化された社会を求めない︒それが求めるものは︑自由で精神的な思想の交換︑そして純粋な思想の共同体

    のみである︵ちなみに︑このような共同体が可能になったのも︑印刷機が発明されたからである︶︒したがって︑こ

    こでは︑キリストの掟PΦ×○宮↑c・泣と自然法が︑支配的地位から消え去る︒ここでは︑それぞれの個人と︑心理学的

    意味の沈潜および分析がすべてである︒キリストの掟廿Φ×○汀﹂°︒ユについては︑キリストの模範の部分だけが残され

    る︒ただし︑この社会学的類型が独自の普遍史的意義を獲得するのは︑かなり後になって︑イギリスでプロテスタン

       ﹁キリスト教会およびキリスト教諸集団の社会教説﹂    ︑   .    ︵都法四十四−一︶ 四=

(18)

      四一ニ

トの非国教徒が出現し︑さらに人文主義との癒着が生じた後のことである︒したがって︑この個人主義については︑

プロテスタント非国教徒の純粋な個人主義を説明する際に︑詳しく論じられることになろう︒      ⁚

︵591︶民゜ζ=巨①5日﹃合⑩づのΦ︒︒︒9宮pbd巳゜ロω︒︒二〇命−§こ︒冨§Φ゜︒Ω︒庁■°︒・プ莫︑勺︒法戸︒︒6冨§匹旦↑σq旨Φ<巳民c力−

  ぴΦ乞Φσq旨σqΦづくo﹃匹Φ弓印Φ合﹃日知江o戸﹂°︒べ゜︒°を参照されたい︒

* ﹁そして︑﹂以下次の段落の*印箇所﹁示唆するにとどめたい︒﹂までの文章は︑書物にまとめる際の追加である︒

  中世世界全体の解体

 これらの理論は︑すべて︑たんに︑なんらかの思想の理論的帰結であるだけではない︒それは︑変革と新たな建設

への衝動を呼び覚ますような状況が存在しなければ︑引き出されることがなかった結論なのである︒したがって︑こ

れらの理論の基盤は︑中世世界を初めて本当の意味で動揺させた一般的状況の変化という事実にあるのである︒この        ホ 変化についてはしばしば説明されているので︑ここでは︑それを示唆するにとどめたい︒政治的︑経済的利害が︑教

会という国際的な帝国と︑経済活動を束縛する教会の経済倫理から解放される︒いまや︑国家が︵ちなみに︑総じて

キリスト教的統一文化は︑本当の意味の国家を知らなかった︶︑都市の共和政組織や︑民衆の国民感情︑軍隊ならび

に王朝を通じて実現される領国の連携の中から台頭してくる︒独占や信用取引や商事会社や家内工業と共に資本主義

が始まり︑この資本主義が︑自然的必要の承認という︑単純な教会の経済倫理の下で唯一認められていたつつましい

基準を粉砕する︒生活関係が財産所有ならびに政治的自立化に伴って変化し︑感性の文化が創り出される︒そして︑

この文化は︑現世に対する敬度な愛という︑教会が設定した制約を押しのける︒個人主義は︑もともと︑教会と教会

の中で維持されたストア派および新プラトン主義の伝統とによって育てられた︒しかし︑いまや︑個人主義は︑人格

(19)

  を区別し養成するために︑純粋に宗教的な手段だけでなく芸術的な手段にも触手を伸ばす︒その結果︑この個人主義

  は︑徐々に︑古代をふたたび明るみに引き出す︒そして︑たんなる宗教的な方向とは異なる方向で自らを補完し酒養

  するための手段として︑それを利用する︒このようなことがすべで重なり合って︑教会の指導権が衰退するのである︒

  文学︑芸術︑そして学問が︑教会の手から俗人の手に移行する︒このような環境の下で︑・引き続き進められる教会的

  思想の再生と並んで︑また︑︑主観主義を奉ずる人々の仲間団体と並んで︑そして︑︐教会および宗教に対する無関心と

  並んで︑とくに︑次のような︑キリスト教的理念の第三の社会学的類型が台頭してくる︒それは︑教会のように施設

  の観念に依拠するのでも︑ゼクテのように聖書の掟の字義通りの解釈に依拠するのでもなく︑むしろキリスト教的思

  想を︑その他のあらゆる種類の要素と自由に結び合わせる個人主義︑すなわち組織を持たない個人主義である︒ある

  いは︑それは︑教会と並んで存在し︑大衆のために教会を前提とする個人主義である︒この第三の社会学的類型は︑

  いまや︑さまざまな仕方で︑人文主義者の集団とも結合する︒この社会学的類型は︑固有の社会組織をまったく欠い

  ているので︑総じて測定可能な特定の社会的影響や社会理念というものを持たない︒もしくは︑社会的ユートピアを

  創り出す︒後者は︑キリスト教的要素と人文主義的要素の自由な混合物であり︑文学上の思想の遊びであって︑決し

  て︑実践的な改革や造形の試みではない︒この分野では︑トマス・モアの社会小説が︑ 一連の自由な思想形成への道

  を開いた︒この第三の社会学的類型は︑一六︑七世紀に︑教会生活の新しい波に洗い流される︒しかし︑その後︑近       ︵691︶   代世界と共にふたたび戻ってくる︒

︐  ︵691︶o戸gNΦrbd①↑§σq①・⊆・ΩΦ︒・量・§gω゜力︒N芭一゜・日仁m︐︵N①戸庁切6臣口寄ピ旨§旨巨匹○Φm音゜宮Φα胃︒︒けgけ゜・

     Sω︒・︒白mO古p︒︷冨づ﹈H°︶を参照されたい︒ここに︑トマス・モアについての記述がある︒個人主義的な教養キリスト教

     ・d邑⊆5・・ω合﹃一・︒法︒匡↑という新しい類型については︑とりわけディルタイの重要な仕事を見よ︒き匡目昆逼口・.声.

     ﹁キリスト教会およびキリスト教諸集団の社会教説﹂      ︵都法四十四ー一︶ 四一三

(20)

       四一四

匡﹈﹀§三旨9・︒巨︒§巳・モ巨・︒・︒菖p︿・°≦︵﹇計顯鰭誇篭魂惣賢い露ゴ齪﹀.鰭詩西恥恒賠謹.

ヨ≦熟㏄詫盤詩講誘取誘㌔5︐﹃露.蕪羅︒鰐聾配雪日︑贈熟S詩書誹♂°顯Φ⁚肇巨撰ぷ謡醒︶︒

モアの思想は︑宗教の新たな社会学的類型である︒それがモアの思想の顕著な特色である点について︑とくにディーツェル

の研究が︑次のように教えてくれている︒すべての人々が︑キリスト教およびストア哲学から生まれた一般的な一神教を共

有し︑その他の点では自由に宗教上の独自の見解を表明することができる︒それと同時に︑礼拝儀式が著しく縮小されてい

る︒        ︑

  これまでの成果の原理的重要性

 これらのすべてをまとめて考察することにより︑初めて︑教会的文化の解体を理解することができる︒しかし︑た

とえ︑最後にあげたようなさまざまな仕方で説明されている現象が︑教会的文化の解体にとって重要な意味を持って

いたとしても︑概念や思想の動揺は  なんらかの概念や思想の動揺がなければ︑思想的な基盤を有する体制は︑

決して︑本当の意味で克服されることがない  ︑やはり︑教会の本質的な根本思想の崩壊やゼクテ型の影響から

生ずるのである︒ゼクテ型では︑急進的個人主義と急進的な愛の倫理とが手を組んで︑文化に対して比較的に友好的

な︑そして宗教的な力の客観化と物質化を特徴とする教会型に対抗している︒

 ところで︑われわれの問題との関連で決定的に重要なことは︑この教会型とゼクテ型の対立が︑たんに中世のキリ

スト教的統一文化の解体にとって重要であるばかりでなく︑総じてこの対立全体が︑キリスト教的社会教説をそれ自

体として理解する上でも重要だということである︒いまや︑本章の最初に述べた根本思想が明らかにされ︑具体的に

解明された︒それと同時に︑その根本思想が︑これらのことがらを理解するためにきわめて重要であることも明らか

になった︒ことがらは︑それをあるがままの姿で見ようとするならば︑その根底においてはいたって単純なのである︒

(21)

  福音それ自体は︑基本的に︑倫理的︑宗教的な人間の理想像を提供する︒もちろん︑それには深刻な社会的帰結が

伴う︒しかし︑・福音は︑この帰結を引き出す任務を神の奇跡の力に委ねている︒神の王国が到来するとき︑この奇跡

 の力がすべてのものを秩序づけるであろうというわけである︒福音から発生する祭儀共同体ないし宗教共同体では︑

 このような将来のことを考えて︑共同体生活の秩序が整えられる︒しかし︑その際に︑一時的に堪え忍ばなければな

・ウない現世との妥協が行われ︑そこでは︑現に存在する状況や秩序に対して︑受忍的であると同時に保守的な姿勢が

採用される︒また︑周囲の状況から導き出される帰結が新たな倫理の理念と調和しない場合でも︑その帰結が︑たん・

に共同体の内部で︑可能な限り破棄されるにすぎない︒このような共同体から︑司祭と秘跡の教会が成長する︒そし

て︑この教会は︑その理念の絶対性と力の絶対性とを聖職位階制という中核組織の中に保存して︑実践の基準は相対

化する︒そして︑国家および社会の秩序を︑原始状態のキリスト欝自然法が堕罪の結果・必然的に濁らされ・修正 されたものとして容認する︒教会は︑古代世界の倒壊後︑中世の比較的単純な生活関係の基盤の上に︑受忍と容認の

姿勢から独自の自立的組織を形成する方向へと歩を進める︒その限界は︑教会によって承認された相対的自然法の秩

序である︒そして︑教皇の神聖政治の下で︑キリスト教的統一文化を建設する︒そこでは︑福音の倫理の理想像が現−

世に対するさまざまな避けがたい譲歩によって緩和され︑世俗の生活から︑神秘的な聖化および貧しい人々の兄弟愛

 へと上昇する倫理の発展段階が想定されている︒      .       ︐

 しかし︑このような物質化や相対化に対しては︑福音自身が︑その急進的︑宗教的個人主義ならびに絶対的要求を

もって反発する︒絶対的要求どは︑すでにそもそもの最初から︑どこででも︑教会の保守的な発展に順応させられた

ことが一度もない要求のことである︒ゼクテの場合には︑共同体が︑個人の信仰の篤さと倫理的業績とによっで表現

される︒そして︑罪の状態の相対的自然法に対する譲歩を拒否することによって︑福音の倫理的掟に含まれる急進主

   ﹁キリスト教会およびキリスト教諸集団の社会教説﹂        .      ︵都法四十四ー一︶ 四一五

(22)

      四一六

義が貫徹される︒そこから︑さらに︑直接的にも︑福音の掟を徹底させる社会的帰結が生ずる︒それが︑社会改革の

実践である︒この改革においては︑あらゆるものが︑福音の理念の実現のために役立てられなければならない︒すな

わち︑あらゆるものが︑独立の宗教的人格と無条件の兄弟愛を実現するために役立てられなければならないのである︒

最初に期待されるのは︑堕落して相対主義的になった教会が改革され︑これによって︑福音の理念がおのずと実現さ

れることである︒しかし︑それは︑そのような教会の改革が行われた場合にしか実現しない︒そこで︑次に︑神の奇

跡的な介入や千年至福説的な夢に期待がかけられる︒さらに︑旧約聖書を援用して実力に訴えることにより︑キリス

ト教的共産主義を実現する︒そして︑最後に︑ふたたび︑現世から切り離された共同体に立ち戻る︒この共同体は︑

その中心にキリストの掟を立て︑現世の秩序を罪の帰結︑自分たちとは無縁の環境とみなして︑いつか来るであろう

自分たちの時まで︑それを受忍するのである︒

      ホ   結論と予見

 キリスト教の社会教説は︑このような対立関係の中で発展する︒教会は︑普遍主義とキリスト教的文化の原理であ

り︑精神的自由や流動性や適応能力の根源である︒しかし︑教会は︑教義と司祭職に具現されている神的内容に拘束

されており︑その相対化はきわめて狭い範囲に限定されている︒さらに︑教会は︑恩寵の内面的な働きの余地を確保

するために︑国家および社会に対する外部的︑排他的支配権を要求する︒こうして︑教会は︑一般的状況と関係させ

られる︒そして︑この一般的状況が︑そのような神聖政治や︑現世の生活を何らかの形で強く制約するそのような倫

理の出現を可能にするのである︒教会は︑より大きな自由の原理である︒しかし︑それは︑教会が︑同時に︑教義的︒

客観的なものと祭儀的・制度的なものとにいっそう緊密に結ばれている場合にのみいえることである︒これに対して︑

(23)

︑    ゼクテは︑主観的.人格的真理と結束の原理であり︑いっさいの妥協を排除した福音の尺度の原理である︒その結果︑ ︑

    ゼクテは普遍主義を放棄する︒あるいは︑あらゆる福音の尺度に反する暴力によってしか普遍主義を確立することが

     できない︒そうでない場合には︑終末論に逃避せざるをえない︒しかしながら︑他方で︑ゼクテにおいては︑個人が

     その行動によって福音を実証する︒この場合に︑個人の行動は︑急進的個人主義の社会的帰結として現われる場合も

    あれば︑︑いかなる文化財を前にしても立ち止まらない兄弟愛の社会的帰結として生ずる場合もある︒それと同時に︑

    ゼクテは︑教会の場合以上に︑福音を字義通りに理解することに密接かつ強力に拘束されている︒そのために︑ゼク

     テは︑教会よりもいっそう流動的︑主観的で︑いっそう真実らしくかつ内的な原理である︒

     第三の型︑すなわち組織を持たない宗教的個人主義はパキリスト教の真理の核心に対してさまざまな立場を自由に   

    表明する︒しかし︑この型が姿を現すのは︑教会型とゼクテ型との敵対関係の間にあって︑その関係の将来の発展を

    予言する場合に限られる︒

 キリスト教の社会教説は︑近代の世界で︑次のような無限に困難な状況に直面している︒第一に︑キリスト教は︑     ︑

一方で︑もはや破れ目のない教会によって担われてはいない︒しかし︑それでもなお︑教会制度による拘束力の保障

がないままに︑教会の自由な精神や適応能力を探求している︒第二に︑それは︑他方で︑主観的確信や自発性や道徳

的生活による信仰の実証に基礎を置きながらべしかも︑文化を否定する急進主義や︑信者集会の狭さを受忍すること

ができない︒また︑福音を字義通りに理解することと結びついたゼクテの社会改革を我慢することもできない︒キリ\

スト教は︑いまや︑教会でもゼクテでもない︒それは︑神聖性を体現する施設を持たず︑福音との急進的な結びつき

も失っている︒キリスト教的観念は︑近代的世界観の豊かな分野と結合して︑社会秩序を︑堕罪からではなく自然的︑

発展から導き出す︒キリスト教は︑教会型に見られるような︑あらゆる譲歩に付された確固たる限界も︑社会的な力

   ﹁キリスト教会およびキリスト教諸集団の社会教説﹂       ︵都法四十四ー一︶ 四一七

参照

関連したドキュメント

[r]

Based on anthropological fieldwork among the Traditionalist and Christian Lahu in northern Thailand, this paper examines the changes in order and discipline of Christian Lahu as

小牧市教育委員会 豊明市教育委員会 岩倉市教育委員会 知多市教育委員会 安城市教育委員会 西尾市教育委員会 知立市教育委員会

『手引き 第 1 部──ステーク会長およびビショップ』 (2010 年),8.4.1;『手引き 第 2 部──教会の管理運営』 (2010 年),.

の原文は“ Intellectual and religious ”となっており、キリスト教に基づく 高邁な全人教育の理想が読みとれます。.

1951 1953 1954 1954 1955年頃 1957 1957 1959 1960 1961 1964 1965 1966 1967 1967 1969 1970 1973年頃 1973 1978 1979 1981 1983 1985年頃 1986 1986 1993年頃 1993年頃 1994 1996 1997

市民社会セクターの可能性 110年ぶりの大改革の成果と課題 岡本仁宏法学部教授共編著 関西学院大学出版会

第二次審査 合否発表 神学部 キリスト教思想・文化コース