J.S.ミルの初期の人口思想
その他のタイトル J. S. Mill and the Population Question
著者 杉原 四郎
雑誌名 關西大學經済論集
巻 9
号 6
ページ 638‑658
発行年 1960‑03‑20
URL http://hdl.handle.net/10112/15565
J.S
・ミルの初期の人口思想︵杉原︶ ミルの思想体系をささえているいくつかの理論的支柱の一っにマルサス的な人口論がある︒これは︑単に彼の経
済学をつらぬく基礎理論であるだけではなく︑一方では彼の人間観や歴史観などの根本思想と密接にむすびついて
いるとともに︑他方では彼の農業論や植民論や労佑運動論や教育論や婦人論などの具体的な社会改革論とも論理的
なつながりをもつているものとして︑彼の思想を全体として統一的に把握する上での最も重要な結節点の一っであ
さらにミルの思想をその時代的背景との関連や当時の思潮のながれの中で考える場合にも︑
に と
ど ま
ら ず
︑
1 0
五 この点に着目するこ
一七九六年に公刊されたマルサスの﹃人口論﹄は︑ その後数
十年にわたつてイギリスの思想界に大きな論争をひきおこし︑当時の著名な思想家でこれに直接間接に参加しない
ものはほとんどないといわれるほどであったし︑彼等の間であらそわれる問題をほりさげてゆくと︑単なる人口論
フランス革命と産業革命との二つの大きな政治的経済的変革の必然的結果としての全社会体制の転 とは︑彼の思想の特質を浮彫する上に効果的である︒ る と 思 わ れ る ︒ J
•S
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杉
ル の 初 期 の 人 口 思 想
原
四
郎
換をどううけとめるかという点にかかわってくるからである︒
貧法改正・マルサスの死︶までの間に多くの人々によって多彩な人口論争が展開されたが︑
ミルがその思想的基盤を形成した青年期であって︑
性によって︑この人口問題に対しても︑自己の見解を︑種々な立場の考え方との接触を通じてかためて行った︒し
たがつて彼の思想の特質を他との比較において吟味する場合にもまた︑この点に着目することは重要な意義をもつ
ているのである︒
属する人なのだから︑ いうまでもなくミルはマルサスの人口論を基本的に支持する立場に立つ︒彼の属する哲学的急進派の人々はいず
れもそうである︒だが︑マルサス自身は決して哲学的急進派ではなく︑ある意味ではそれと対立する思想的陣営に
︑ ︑
︑ ︑
たとえ人口原理の採用については基本的に同一であるといつても︑それをめぐるすべての理
論において全く一致するというわけではなく︑
通常新マルサス主義といわれるこの思想は︑ はかなりな相違が生じてくる︒さらに︑ミルは哲学的急進派の中では産児制限論を最も熱心に唱える一人であった︒
一 八
二
0 年代以降労佑問題が重要化するにつれて有力となるイデオロ
ギーなのであるが︑さきに見たようにミルにおいてはこの思想が彼の全思想体系の中で非常に重要な地位をしめて
い る
だ け
に ︑
いわゆる新マルサス主義が︑ミルの人生観の中に内面的に包摂されることによって︑
づけられているのである︒したがつてミルの人口思想を新マルサス主義一般に解消してしまうことなく︑
おけるミルの特殊性をあきらかにすることは彼の人口思想を正しく理解する上に重要であると考えられる︒
とりあげるだけではなく︑ て︑このこと︑すなわちミルの人口思想の相対的・独自性の把握のためには︑ミルの思想をその完成したかたちで
その生成過程たる初期の一八二
0年代において吟味すること︑とくに他の思想家たちと
J.S
・ ミ
ル の
初 期
の 人
口 思
想 ︵
杉 原
︶
人口原理から導き出される系論では︑
そ し
マルサスと哲学的急進派とで あたかもこの時代こそ︑
このような時代の風潮の中で︑彼は持前の精励とゆたかな感受
いわばミル的に色
この点に とりわけナポレオン戦争の時期から一八三四年︵救
1 0
六
の交流の中でそれを考えてゆくことが重要ではないかと思われる︒
このような見地から従来の研究史をふりかえつて見ると︑ミル自身の研究においても︑
研究においても︑ この問題の解明に貢献する業績をすくなからず見出すことができる︒しかしわたくしにはこの問
題がすでに最終的に解明しつくされたとは思われないのであって︑とくにミル自身についての従来の研究において
は︑人口論があれほど基軸的な役割を彼の思想体系の中でえんじていることを思うと︑そのとりあつかいがやや手
薄ではなかったかという感じを禁じえない︒そこで本稿は︑ミルの初期の人口思想をしめす︱つの資料を中心とし
て︑この問題についての若干の考察をおこなおうとするものである︒
その資料はミルが一八二三年から翌二四年にかけて週刊紙﹃プラック・ドウォーフ﹄に寄稿した﹁人口問題﹂に
ついての論文であって︑同紙の編集者である
T.J
・ウーラーにあてた手紙の形式でウーラーの所説を反駁しつつ
産児制限の必要性を力説したものである︒
こ の
一 ︐
連 の
文 章
は
A . M .
または
H , M .
という署名がなされているだ
けで︑後年︑︑︑ル自身この論文をかいたことをどこでも明言しておらず︑ベインその他のミルの伝記作家もとくにこ
の点を問題にしなかったので︑これが︑ミルの著作であることが久しく忘れられていたのだが︑イギリスの産児制限
運動史の研究家である N.E ・ハイムズによって注目され︑一九二九年に発表された彼の論文で
J.S・ ミ
ル の
筆
( 1 ) '
になることが考証された︒しかしその考証には決定的なキメ手にかけるうらみがあったのだが︑その後一九四五年
N
・マクミン等アメリカの研究者たちによってミル自身が生前ノートしておいた公表著作目録草稿が発見・整理・
( 2 )
公刊されるにいたつて︑この論文の著者がミルであることが確証されるにいたった︒最近のミル研究ではこの点に
( 3 )
言及されていることが稀ではない︒しかし︑いずれも言及されている程度であって︑この論文ーハイムズは
" t h e s e
. J
. S
・ミルの初期の人口思想︵杉原︶
10
七
マルサス論争史に関する
a b l e
e s s
a y s "
とよんでいるーの内容にまで立入った所論は私の知るかぎり未だなされていないと思われる︒
ちなみにミルの初期の人口思想をうかがう場合に逸すべからざるもう︱つの資料として︑
にミルが﹁コオペレーション・ソサィエティ﹂というオーウェン主義者の団体のメンバーと人口問題について公開
討論をしたときの演説草稿がある︒ミルはこの討論会にチャールズ・オースチン︑
アーサー・ローバック等哲学的急進派の友人と共に出席したが︑後年彼が﹃自伝﹄の中で記録しているところによ
れば︑最初の討論のテーマは人口問題であって︑
ーウェン主義全体の価値について両派の論戦が三ヵ月にわたつてつづけられたのだった︒この時にミルがおこなっ
た演説の草稿がハロルド・ラスキの手に入り︑現在では彼によってつぎのような形で公表されている︒
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192 9.
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8‑ 61 .
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62
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.
19 29 .
S S .
225ー
23 9,
466ー
46 7.
つ て
︑
ウィリアム・エリス︑ジョン・
これについて五・六週間毎週討論がおこなわれた後︑
このうちの後者の内容は︑人口問題にも若干関説しているものの︑大半はオーウェン主義全体に対する吟味であ
( 5 )
その主張の骨子はすでに紹介したこともあるが︑後者はもっぱら人口問題を論じていて︑内容的にも第一の
資料と関連する多くの興味ある論旨をふくんでいる︒本稿ではしかしこのスビーチをとりあげる余裕はないので︑
その吟味は他日にゆづることにし︑まず第一の資料たるミル・ウーラー論争にかぎつてミルの初期の人口思想をう
かがつて見ようと思う︒
註
( 1 )
フィールドはかつてこの論稿の筆者を文体や内容からみてジェームズ・ミルではないかと推測した
J.S・ ミ
ル の
初 期
の 人
口 思
想 ︵
杉 原
︶
( F i e
l d ,
J.
A ;
T
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つぎにはオ 一八二五年のはじめ頃
1 0
八
J.S
・ミルの初期の人口思想︵杉原︶ラーの立場は︑おおまかにいつて︑
10
九 一方やは
: E a r l y P r o p a g a n d i s t M o v e t n e n t i n E n g l i s h
P o p u l a t i o n T h e o r y , B u l l e t i n o f A m e r i c a n E c o n o m i c
Association•
4 t h S e r i e s N o . 2 . 1 9 1 1 , F i e l d ; E s s a y s o n P o p u l a t i o n , 1 9 3 1 , p . 1 2 5 )
が︑ ハイ ムズ はプ リテ ィッ ツュ・ミ ュジ アム 翫土 曲
tの
フラ ン
ンス・プレース文書を典拠として︑この論文の筆者はジェームズ・ミルではなかろうかとするフィールドの説に対し︑プレ
ース が
J.S
・ミルに依頼して﹃プラック・ドウオーフ﹄に寄稿させたにちがいないことを論証しようとつとめている︒
しかしプレースと
J.S
・ミルとの往復書簡が失われてしまつているために︑それだけでは完全な論証としては不十分で
あ っ た ︒
H i m e s ,
N•E . ; J o h n S t u a r t
Mill•s
A t t i t u d e t o w a r d s N e o
,N [a l t h u s i a n i s m E , c o n o m i c H i s t o r y ( A S u p p l e m e n t t o t h e E c o n o m i c J o u r n a l , . v o l .
I) .
p p . 4 5 8 , 4 6 7
̀ 4
7 6
‑ 4 7 7 . J a n . 1 9 2 9 .
Cf•HiBe s ( e d . ) ; P l a c e o n P o p u l a t i o n , 1 9 3 0 . 4 5 .
Editor•s
m t r o d u c t t o n , p .
( 2 )
B i b l i o g r a p h y o f t h e P u b l i s h e d W r i t i n g s
o f J o h n S t
き
a
r t M i l l e , d i t e d f r o m h i s M a n u s c r i p t w i t h c o r r e c t i o n s a n d n o t e s b y N . M a c M i n n , J . R . H a i n d s a n d J . M . c M C r i m m o n . 1 9 4 5 . p p . 4
15 .
( 3 )
たと えば
︑
P a c k e ; T h e L i f e o f J o h n S t u a r t M i l l . 1 9 5 4 . p .
58•B l a u
g ;
R i c a r d i a n E c o n
0
m i c s . 1 9 5 8 . p . 1 0 7 .
(4 )M i l l ; A v t o b i o g r a p h y .
L a s k i ' s e d i t i o n p . 1 0 4 f .
朱牟田夏雄訳︱︱‑│‑︱ニページ︒
(5 )
杉原﹃ミルとマルクス﹄一九五七年︑一七三ページ︒
﹃プラック・ドゥオーフ﹄は︑ナポレオン戦争の終結後イギリスに輩出した諸種の急進派の機関紙の︱つで︑
T
•S・ウーラーThomas
J o n a t h a n W o o l e r
(
?
1 7 8 6
│
1 8 5 3 )
に よ っ て 一 八 一 七 年 に 創 刊 さ れ た 週 刊 紙 で あ る が︑ 政 府の圧迫に抗して一八二六年まで続刊され︑
W・コベットの﹃ポリテイカル・レジスター﹄やL・ハントの﹃イグザミナ
( 1 )
ー
﹄ な ど と と も に 当 時 の 代 表 的 な 急 進 派 の 一 っ と し て
︑ か な り の 普 及 度 を も つ て い た
︒ 政 治 的 急 進 派 と し て の ウ ー
コベットの左︑
R
・カーライルの右に位置するといつてよいだろう︒
反 対
で ︑
それとほぼ同じ時期にはじまつている︒ これに対してプレースが︑
すなわち第一回は同誌の一八ニ︱︱︱年十一月二十七日号 の若干の機関紙に掲載され︑ それをめぐつて人口論争が展開された︒ り急進派の一人で︑
︑ ︑
︑
ベンタムやミル親子などの哲学的急進派とも親しかったフランシス・プレース
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(1771ー1854)
が 一 八 二 二 年 に 上 ^
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' L
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d o
n ,
2 7 1
を公刊して産児制限論をはじめて明確なかたちで主張し︑更に翌二三年の夏頃から︑ その主張を一そう強く一
般の大衆に訴えるために︑簡単な︒ハンフレットをつくつて︑精力的な宣伝をはじめるのだが︑
pp•
XV +
その宣伝紙が急進派
﹃ブラック・ドゥオーフ﹄もまたそのための
( 2 )
︱つの舞台を提供し︑かなりの期間ほとんど毎号この論争に紙面を提供することになるのである︒ウーラー自身は
他の多くの政治的急進派の人々と同様にマルサスの人口法則乃至はその一変種であるプレース流の産児制限論には
ついで彼のすすめで
J.S・ミルが新マルサス主義擁殿の文章をよせているの
で あ
る ︒
J.S
・ミルが熱心なプレースの使徒となって労佑者の間に宣伝ビラを配布したことによって官憲に検束
されたことは︑彼の青年時代の伝記のかくれた一エビソートとして今では有名であるが︑﹃プラック・ドゥオーフ﹄
に対する寄稿も︑
(M•
pp
.
748-56)
に坦四曲 5され、つづいて第二回目が十二月十日号
(M•pp
.
791 │ 98)
︑第三回目が翌二四年一月九日
(3)
号(益•
21│
23)、そして最後の第四回目が二月二十五日(盗•
238│
43)にあらわれた。以下われわれはウ—ラーとの
( 4 )
論争というかたちで展開されている︑ミルのこの一連の寄稿の論旨をたどつて見ることにしよう︒
編集者ウーラーに対する第一の手紙でミルは次のように書いている︒現在佑く人々がみじめな貧困状態にあると
いう認識ではわれわれの意見は一致する︒くいちがうのはその貧困のよって来る原因を何と見るかという点にある
ので︑ミルはそれを生活資料にくらべて人口が多すぎることにあると考えるのに対し︑ウーラーは︑人口が生活資
J .
s .
︑ ル
の 初
期 の
人 口
思 想
︵ 杉
原 ︶
︱
1
0
こ と
に し
よ う
︒
料以上に増加するという傾向が存在することを否認し︑労佑者の窮乏の唯一の原因は悪政にあるとする︒もつとも
ミルとても現在の政治に決して満足するものではなく︑下院のラディカルな改革を主張することにおいてはウーラ
ーと同様であるが︑ ゥーラーがそのような改革は大衆の窮乏状態を出提してはじめて可能であるとするのとは正反
対に︑労佑者階級がみじめな状態にあるかぎり改革は無限のかなたにのばされるであろうとミルは考える︒彼らの
うけとる労賃があがり︑彼らが政治のあやまりに関心をよせる余裕をもつようになってはじめて︑政治上の改革は ︑︑︑︑︑︑︑︑ そのための出発点として人口制限計画を︑ミルは重要視するわけである︒このような︑ミルの 可能となるのであって︑
の一っをなしているが︑ 考え方は彼の人口論の基本性格を規定するものとしてきわめて重要であり︑ウーラーとの論争においても中心論点
この点に関する詳論はあとにゆずつて︑第一論文におけるミルの所論をつづけて見てゆく
さきに見たように︑ミルとウーラーとの意見の対立の一っは︑
いう命題を認めるか認めぬかにかかつていた︒そしてミルはこの命題の正しさを信ずるのだが︑
ることは︑やや複雑である上に︑当面の問題たる貧民の間での受胎制限の必要性の論証のためにはかならずしも必
要ではない︑という理由で︑ミルはこの論点をウーラーとの論争ではとりあげない︒この点についてのミルの所説
を見ることができるのは︑前節でのべたオーウェン主義者との論争に関する別の資料においてである︒
ミルはつぎの四段にわかつて自己の所説を展開している︒第一に︑そしてこれが︑ミルの見解の核心なのだが︑賃
金の高低は労佑者の需給関係によって決定されるーー︐すなわち労佑者の過剰は失業者を生み出してその圧迫によっ
て賃金水準は切り下げられるが︑労佑者不足は必要な人手を確保するために資本家側に高賃金を支払うことを余儀
J.S
・ ミ
ル の
初 期
の 人
口 思
想 ︵
杉 原
︶
この命題を論証す ﹁人口は生活資料以上に増加する傾向がある﹂と
き政治ではない︑ しかもたとえそれ
︑ ︑
︑
が実現されたとしても、どうして他の方法ー|'人口制限ー~を併用してはいけないのだろう?」。回ミルは悪しき
体制のもとでの一時的な安楽などはのぞむところでないというウ—ラーの言葉を引用して、
あれ良き体制であれ︑ していない
後者は前者のための手段︑ 非常に重要な手段であるが︑ しかし手段なのだという︒ 人々が安楽であることをのぞむものである﹂とのべ︑ 第二段以下でミルは自己の見解に対するウ—ラーの駁論を吟味しているのだが、第二段ではつぎの三点がとりあ げられる︒り人口制限よりも減税をという主張︒なるほど減税によって就業労佑者の生活は楽になろうが︑失業者 が存在する以上︑労佑者相互間の競争による賃金低下は起るだろう︒ 問題に対する答にはならない︒何故なら︑貴方は不幸にしてこの租税廃止という方法を実現するだけの力をまだ有
︵ し
か も
そ れ
が 実
現 さ
れ る
ま で
人 々
を み
じ め
な 状
態 に
と ど
め て
お く
べ き
理 由
は な
い ︶
の だ
し ︑
も と
よ り
︑
人間の行為の目的は幸福であって善 ﹁私は悪しき体制で 人数の制限という形で指摘された場合︑租税廃止という別の方法を指摘することは︑ 前の方法の是非如何という の不利益で最大の利益をもたらす方法である︒﹂ かということに存するだけだ︒ なくさせる—ーという命題が確認された上で、 n
s o
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m p
l o
y m
e n
t
よりもすこし低目に彼等の人数を維持してゆくことが彼等にとつてつねに賢明であると思わ
れる︒そうすれば失業者は一人もなく︑したがつて労佑者を獲得する困難さが資本家を強制して高賃金を提供させ
ることになろう︒たとえこれを阻止しようとするどんなきびしい法律ができても資本家はそうするだろう︒労佑者
たちの人数を制限することが︑ そのような大した効果をもたらすとすれば︑問題はただどのような方法で制限する
私見によれば︑人口増加の制限計画
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こそ最小
J.S
・ ミ
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初 期
の 人
口 思
想 ︵
杉 原
︶
つぎのように主張されるのである︒ ﹁労佑者が雇用手段
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,
﹁その上︑労佑者階級を益する方法が彼等の
J.S
・ミルの初期の人口思想︵杉原︶
い の
で あ
る ︒
民地の︱つであるノヴァ・スコティアをみるがよい︒ ルのいう幸福とは︑単なる衣食の豊富につきるものではなく﹁それ以上のもの﹂を意味する︒だが﹁それ以上のも の﹂は衣食の改善とともに減少するのではなく増加するものなのだ︒ よくならない︒そして彼等の教捉がよくならないかぎり︑彼らは僧侶の衆愚政策と上流社会への服従という二重の くびきからみずからを解放することはできまい﹂︒パウーラーが人口制限策にくみしえぬ理由の一っは︑彼がそれ を富者のための貧者抑圧策と誤解していることにある︒しかし﹁低い賃金でもよろこんで沢山の人手が供給される ことぱ製造業者の利益である﹂︒その人手を制限することによって賃金をひき上げることが︑どうして富者のため になるのだろうか?︒このいの論点はつぎの第三段の後半でよりくわしくとりあげられる︒
第三段の前半で︑ミルはウーラーのつぎのような主張を吟味している︒
の蓄積と比例して減少してきた︒すなわち賃金低下の原因は︑労佑者が多すぎることにあるのではなく︑資本とい
うこの支配的な原理が︑
ある﹂︒ミルによれば︑ それ自身に都合のよいような条件で労佑者がはたらくように強制することができるからで
このような労佑に対する資本の優位は︑労佑者人口が過多であるという事実によって支え
られているのであり︑人口が過少の場合は正に逆の事態が見られる︒たとえば北アメリカがその適例だ︒そこでは
労佑者は決して資本家の奴隷ではないのだが︑もし貴方がそれを善政のせいだというなら︑たとえばイギリスの植
あるいは南フランスやオーストリア領地の一部をみるがよ
い︒労佑者の不足または人口制限によって︑名だたる悪政にもかかわらず︑ これらの地域における労賃水準はたか
第三段の後半でミルがあきらかにしているのは︑過剰人口の存在が低労賃したがつて高利潤をもたらすことによ
~
﹁イングランドではこれまで賃金は資本 ﹁人々の食事がよくなるまでは彼等の教養も
最後に第四段で︑ミルが反批判を加えるのは︑ 人口制限策は自然の法則の侵害だという批判である︒ ミルによれ
J .
s •.
︑ ル の 初 期 の 人 口 思 想 ︵ 杉 原 ︶
つて資本家を益するのみならず︑耕作拡張←穀価上昇←地代上昇によって地主にとつても利益であること︑すなわ
ちこの点において富者の中の二つの階級は過剰人口の存在に共通の利益を見出すということである︒それだけでは
なく︑人々の多くが一日に十四時間もはたらくことを強いられていて︑政治を批判する余裕がなく︑自分も自分の
子供も教育することができず︑自分達を僧侶と国王の奴隷たらしめている偏見をしりぞけることもできない状態に
あるということは︑これらの紳士達にとつてまことに好都合である︒なればこそ︑過剰人口はどうにもならない禍
悪だという学説は貴族の愛顧をうけてきたのであった︒したがつて過剰人口は決して宿命ではなくて克服可能だと
いう考え方は︑富者により︑なかんずく僧侶によって︑反対され︑その実行は妨害されるにちがいないのである︒
ば︑自然の法則をおかすといった大それた事は人間のおよびもつかぬこと︑人間にできるのはただある法則を他の
法則と対抗するために利用することである︒性交は人工的にさまたげられぬかぎり子孫の増殖をもたらすことは自
然の法則である︒だが人間は幸福を求めるものであり︑そのために他の自然の法則を利用するであろうこともまた
自然の法則である︒人口を制限することが不自然でないのは︑雨をさけるために傘をさすことが何ら不自然でない
のと全く同様である︒不自然な人間の小細工はやめて神の摂理を信ずるべきだというウーラーに対して︑ミルは﹁
天はみずから助くるものを助く﹂という諺を以てこたえている︒
註
(1
)
﹃プラック・ドウォーフ﹄については︑つぎの書物を参照︒
A s p i n a l l
A; ,
P o l i t i c s a n d t h e P r e s s
1780ー
18 50 .1 94 9.
p p .
46 ,
52 1
56 . 15 7.
細吐疋図H
南
冷 ハ
﹃ イ
ギ リ
ス の
民 主
主 義
文 学
﹄ 一
九 五
六 年
︑ 五
七 ー
五 八
ペ ー
ジ ︒
(2)•
T h e D i a b o l i c a l H a n d b i l l s
"
とよばれるこの宣伝ピラは︑﹃プラック・ドゥオーフ﹄の
S e p .
17 , 19 23
;
N o v .
19 , 19 23;
D e c .
1 0, 8 1 23;
J a
n .
7, 8 1 24
の各号に掲載されたようである︒
C f .
A
L i s t o f B o o k s ,
P a m p h l e t s , n a d A r t i c l e s o
n t h e p o
p u ,
︱ ︱
四
l a t i o n Q u e s t i o n , p u b l i s h e d i n B r i t a i n i n t h e p e r i o d
7 1 9 7 t o 1 8 8 0 . C o
8 p i
l e d b y
J.
A•
B a n k s a n d D .
V .
G l
a s s , G i a
,
s s ( e d .
) ;
I n t r o d u c t i o n t o M a l t h u s . 1 9 5 3 . p . 1 0 7 . な
お こ の 問 四 の 事
F檎E
に つ い て は 蔀 叩 埠
I
フ ィ ー ル ド の 研 究 に く わ し い ︒ F i e l d ,
E s s a y s o n P o p u l a t i o n , p p 9 . 7
11 0 4
.•
・
(3)
第 四 回 目 の 寄 稿 は ほ と ん ど ジ ェ ー ム ズ ・ ミ ル が 一 八 一 八 年 に " T h e ・ S u p p l e m e n t
t o t h e E n c y c l o p a e d i a
r B i t a n n i c a ! l
寄
稿した"Colony•
という一文からの抜幸からなっているー前節註図であげた彼の著作目録にもあげてあるのは第三回目ま で で あ る
︒ C f . i b i d . , p . 5とくに編者の脚註参照ーので︑
J:
.S
・ミルの見解を知るには第一第二第三の手紙がとくに重
要である︒父ミルの﹁植民﹂における人口論についてはつぎの二書を参照されたいが︑杉山忠平氏の教示によると︑その
二書がともに﹁植民﹂から引用している部分を︑
J.S
・ミルもこの第四の手紙の中で結論的に引用している︒吉田秀夫
﹃新マルナス主義研究﹄九一ー九ニページ
0M c C l e a r y , G . F ・ , T h e M a l t h u s i a n P o p u l a t i o n
T h e o r y . 1 9 5 3 , p . 8 5 .
(4)現在わたくしの手許には、、、ルの寄稿のうち第一•第二および第三の手紙の写真版があるだけで、それ以外の『プラック
・ドウオーフ﹄の箇所を参照する便宜がないために︑以下の叙述も︑もつばら︑︑︑ルの主張の吟味だけにとどめなければな
らない︒ただし︑前掲のフィールドの研究によってウーラーの所説の輪廓は知ることが可能である︒Field,
E s s a y s o n
PoPu-at3n•p p . 4 f . 2 3 .
1 1 6
f f . (5 )
ミルの推定によれば︑ウーラーの論理は︑悪政←過重な課税←生活必需品の価格上昇←労佑者階級の生活窮乏化という
ことになる︒この問題に立ち入って論じてはいないけれども`︑ルもこの点は容認する︒しかし︑窮乏化の真の原因はこの
因果系列の他にあると彼は考えるのである︒(BlackD
里ミミf .
v o l .
X[•
p p . 7 5
0 │
5 2 . )
(6
)
︑︑︑ルはここでは賃金上昇の過程をただ労佑の価格変動としてだけ説明しているけれども︑﹃経済学原理﹄の賃金論では︑
賃金の最少限界としては物理的なものだけではなく精神的なもの(what
m a y b e t e r m e d a m o r a
l m
i n i m u m ) を 考 え な ければならず︑しかもこの精神的限界は変動しやすいものであること︑そしてこの限界を恒常的に上昇させる上に人口制
限が不可欠な作用をするものであることを論じて︑単なる需給論をこえた説明をあたえており(Principles "
p . 3 4 7 ,
末
永訳ロニ八四ページ︶︑別の箇所で実質賃金を決定するものは労働者階級の生活上の慣習と要求だとのぺている
( i客 d .,
p .
7 2 1 .
戸田訳四四七ページ︶が︑ミルによって賃金の中の精神的要素がこのように重視されていることは注目すべきである
J.S
う ︒
・ミルの初期の人口思想︵杉原︶
︱ ︱
五
649
のウーラーの批判にこたえているが︑
て ゆ
き ︑
その過程で必要なかぎり第二•第三の手紙の内容をとりあげてゆくことにしようと思う。
一般に︑同じラデ 以上に見たようなミルの所説に対するウーラーの反論をうけて︑ミルは︑更に第二および第三の手紙を寄せてそ
そこでの主張は︑第一の手紙の中のいろいろな問題の補足的説明が主で︑と
くに新しい論点はほとんど見あたらないから、第二•第三の手紙については順序だった紹介はやめにして、
こ こ
で
ミルの所論を全体としてつぎの三項目に整理しながらその中にふくまれている重要な諸点に若干のコメントを加え
(A )
まず第一に︑改革論者
( R a d i c a l s )
の一人としてのミルの改革についての基本的態度である︒現体制は改革さ
れなければならないということ︑
なければならないということ︑
時的・部分的なものにすぎず︑ そしてそのためには一般大衆がその必要を明確に意識し改革への強い意慾をもた ここまではミルもゥーラーも一致する︒だが︑民衆の政治意識が高まるためには︑
先づもつて彼等の経済生活が改善されなくてはならず︑またそれは現体制の下においてもある程度可能である︑と考
える点で︑ミルはウーラーとたもとをわかつのである︒ウーラーによれば︑現体制の政治機構が根本的に変革され
ないかぎり︑大衆の生活は向上されがたいのであって︑
J.S
・ミルの初期の人口思想︵杉原︶
たとえそれが可能のように見えても︑ それはあくまでも一
そのことによって現体制に対する大衆の批判的意識がにぶくなった批合︑ それは改
革実現に対してマイナスにこそなれ︑決してプラスにはならず︑いわんやそれがミルの考えるように改革実現の出発
点として必要だとか可能だとかいうことは決してないのである︒この点に関する見解の相違は︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
ィカルズの中でも︑ミルの属する哲学的急進派と︑ウーラーの属するいわば政治的急進派とを基本的に区別するメ
︱︱
六
J.S
・ ミ
ル の
初 期
の 人
口 思
想 ︵
杉 原
︶
︱︱ 七
つぎの二点が注意されなくてはならない︒
第
持金すべてでやっと生存をささえうるという状態
ミルはまずウーラーのつぎ ルクマールとしてきわめて重要であり︑ミルーー̲ウーラー論争の一中心点となることは当然であって︑
この点についての批判に対して︑ミルは第二の手紙でも釈明乃至反駁をのべている︒ ウーラーの
のような批判ー﹁あなたはもし民衆が悪しき体制の下で安楽になれるならそれで満足されるのでしよう︒そして
悪しき体制からどんな帰結が確実に生ずるにせよ︑現実に何の不満も感じられないうちは︑その体制はいとわるべ
きではないと主張されるように思われます﹂ーに対して︑自分は衣食の改善﹁より以上のもの﹂をのぞんでいる
のであり、政治機構の改革の味方であることを再び強調した(第二の手紙・七九ニページ•以下
n.p .
792
と 略
記 ︶
上で︑ウーラーとの見解の相違についてつぎのようにのべている︒
﹁あなたは依然として貧困によって絶望においこまれないかぎり民衆というものは改革をなしとげないだろうと
考えており︑︵その説の根拠として︶中産階級の政治的無関心をあげている︒それなら私の方では労佑大衆の極貧層で
ある農業労佑者の無槻心を引証することができよう︒あなたの御説にもかかわらず︑私は︑よき政治を希求するこ
とにおいて︑この国の中産階級が労佑者階級よりも熱意がとぽしいとは断じて思わない︒そしてイギリス以外のす
べてのヨーロッパ諸国においては︑どういうかたちででもとにかく政治上の改革をのぞんでいるものは中産階級の
みであることはたしかである︒⁝⁝あなたは﹃衣食が足るまでは教蓑がたかまりえないということは根拠がない﹄ ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ という⁝⁝が︑たとえ腹がくちくなりや頭がにぶるとしても︑
で︑本をかったり子供の教育に金をつかうはずがない︑ということもそれにおとらず間ちがいないだろう⁝⁝﹂
( n . pp.
795ー796)
︒
このようなミルの考え方と彼の人口制限論との関係について︑
は彼の終生堅持した立場であるといつてよいだろう︒ い︒ところで労佑者の生活が改善されるには︑労賃の引上げや労佑時間の短縮が必要なのだが︑ ける支配階級の利害と相反するから︑労佑者の生活改善方策は当支配階級によって採用されることはありえない︒ し
た が
つ て
︑
その方策は労佑者自身が行いうるものでなければならないのであるが︑しかるに労佑者階級は現在貧
困であり︑政治的活動を行う余裕がないのだから︑その方策は︑窮乏した生活の中にあっても労佑者自身によって
技術的・経済的に実施可能なものであり︑かつ労佑者がそれを行うことを支配階級自身が阻止できないものでなく
てはならない︒労佑者の人口制限とくに受胎制限こそまさにこのような要請をみたす最適の方策であるとミルは考
えたのであった︒そこで彼にとつては︑人口制限によって生活水準が向上するという必然性を万人が納得するよう
に理論的に解明すること︑および︑その理論を︑受胎制限の実際的方法の説明をふくめて︑労佑者に啓蒙宣伝する
ことが重要な課題となるであろう︒前者については後段
( B
)
で︑後者については
( C
) でとりあげることにしよう︒
第二に︑ミルにおいては人口制限が政治改革かという二者選一のかたちで問題が提起されているのではなく︑政治
改革のための前提条件として人口制限が考えられている点が重要である︒ミルによれば人口制限によって労賃が上
つて物的生活は向上するとしても︑それにとどまるかぎり︑たとえば南仏やオーストリーの地方の場合のように︑
迷信と悪政とが民衆を愚昧化しているかぎり︑彼等の真の幸福はありえない︒物的生活の改善から生じた余裕が政
治的精神的自覚と向上とにむけられることによってはじめて改革が完遂されるのである︒労佑者の主体的自覚を媒
( 1 )
介楔機とする民主的改革のこのような展望との関連においての人口制限論を︑ミルは考えているのであって︑この点 に︑彼の主張が説得性をもっためには︑ J.S ・ミルの初期の人口思想︵杉原︶
現体制のもとでの生活改善が可能であることが証明されなくてはならな
それは現体制にお
︱︱八(l
[.
p p
ー
.
792793)︱︱
九
マルサスにおけ 一方では人ロ一般で
(B )
つぎにとりあげなければならないのは︑賃金水準を決定するのは労佑者に対する需給関係であり︑労佑者
の需給関係を決定する最も重要な要因として労佑者の人口数である︑
に︑彼の改革論はこの点にささえられてはじめてなりたつものであると同時に︑ウーラーとするどく対立する点で
も あ
る の
で ︑
ゥーラーヘの第二•第三の手紙においても、彼はくりかえしこの点の説得につとめているのである。
たとえばつぎのようにーー'﹁人口が生活資料を圧迫するというのは︑人口が雇用手段を圧迫するということ︑
つ ま
り︑その日の生産的資本によって安楽に雇用され扶養されうるより以上の人間が存在している意味だということを
あなたに知っておいてもらう必要があろう︒これが事実だということは︑低賃金が一般にゆきわたっていることで
十分証明されている︒地球上でアメリカと他の新しく開発された諸国をのぞけば︑人口制限が行われていないかぎ
り労賃がひくくない国は︱つもない︒ところでもし人口が雇用手段を圧迫しなかったとしたら︑どうしてこんな事
がおこりえたろうか︒もし世界の資本が雇用しうるよりも労佑者の方がすくなかったとしたら︑資本家は彼等をえ
るのが非常に困難になって︑どんな費用をはらっても彼等をえようとし︑賃金がとても高くなるまで相互に競争す
るだろう⁝⁝︒しかしあなたはこういう場合でも雇い主は賃金をひくくしておくことができるのだと主張される︒
私の理解しがたいところである︒資本家がこれまで賃金をひくくしておけたのはただ労佑者相互の競争があったか
らだけであった︒奴隷は雇い主の支配下にあって彼らの都合のよいように佑かさせられるからでもあろう︒奴隷に
は労佑を強制することができる︒だが自由な労佑者にはそれができない﹂︒
このようなミルの主張でまず目につくことは︑対照的にとりあげられている二つのものが︑
はなく労佑者人口であり︑他方では生活資料ではなく雇用手段すなわち資本だということである︒
J .
s ,
︑ルの初期の人口思想︵杉原︶ というミルの見解である︒ さきに見たよう
J.S
・ ミ
ル の
初 期
の 人
口 思
想 ︵
杉 原
︶
る人口対食物の関係にかえるに資本対労佑者人口の関係を以てすることにより︑地代の理論から資本の理論への転
( 2 )
換の第一歩を印したものは︑学説史上︑ジェームズ・ミルであるとされているのだが︑この点において
J.S
・ ミ
ルの問題意識は父のそれと全く同一であるといつてよい︒つぎに注意されるべきことは︑労佑者の需給関係のうち
で︑可変的因子としてとりあげられているのは供給側の労佑者人口であって︑需要側の資本ではないということで
ある︒この点についてミルはウーラーの批判にこたえて第三の手紙の末尾でこういつている︒
は資本であるというのは単なる言葉の遊戯にすぎないと思う︒資本とは年々の生産物のうちで生産的労佑の維持の
ためにとつておかれる部分である︒おつしやるように資本が現在より一そう急速に増加するようになされうるかも
一定期間はそれが可能であることを私も認める︒しかし資本が増加されうるのはただ貯蓄からだけであ
多くの関係論点のうちどれをとりあげるべきかがわかるだろう﹂︒︵国.
p .
23)
ゥ ー
ラーはこれに対して﹁資本は︑不生産階級がそれをさまたげぬかぎり︑そうすることが必要である程度のはやさで
生産階級の手中で蓄梢されるであろうと自分は考える﹂とのべている
(i bi
d.
︶︒ミルはこれに対してそれ以上こたえて
いない︒しかしもし答えたとしたら︑おそらく一定の時と場所においては一展用にあてられるべき一資本の量は一定
していること
( 1 1
いわゆる労賃基金説'.︶およびその分量は経済発展とともに増加することは可能であるとしても︑
土地の固有の性質に基本的に制約される
( 1 1
い わ
ゆ る
収 穫
逓 減
法 則
' .
︶ こ
と に
よ っ
て ︑
そ の
速 度
に は
一 定
の 限
度 が
あ る
.
一八二五年のオーウェン主義者との論争においてわれわれはこの点についてのミル
の見解を一そうくわしくうかがうことができるであろう︒おわりに︑最も重要なことは︑ミルにあっては︑資本家 ことを主張したにちがいない︒ よ ︑
議論の土俵はせまくなり︑
る ︒
それなら蓄積を強制するのか︒ 奢俊禁止令を出すのか︒ 貴方がこの問いに答えるなら︑ 肯定否定いずれにせ
し れ
な い
︒
﹁あなたように労佑 ︱
二
0
J.S
・ミルの初期の人口思想︵杉原︶
四
と労佑者との関係が︑労佑の売買という流通過程において全く平等に取引する等質的な主体の間の交換関係として
とらえられているということである︒だが﹁自由︑平等︑所有およびベンタム﹂がもっぱら支配的に行われる流通
( 3 )
または商品交換の部面にのみ視野をかぎつている以上︑労資関係の本質をとらえることは不可能である︒分析を資
本制的生産過程に及ぼすなら︑さらにその生産過程を基本的一環とする資本蓄祓過程を全体として考察するなら︑
資本家に対する労佑者の従属的地位は︑単に労佑の需給のアンバランスによる価格関係の不利にもとづくものでは
決してなく︑交換関係と階級関係とか内面的に結びついている資本制的生産関係の特殊性によるものであることが
あきらかになるはずであり︑したがつて労佑者による人口の自主的制限によってその経済的地位を改善する可能性
にはせまい限界のあることも分明するはずである︒この点について﹁資本家がこれまで賃金をひくくしておけたの
︑
︑
︑
︑
はただ労佑者相互の競争があったからだけであった﹂︵力点引用者︶とするミルとそうではないとするウーラーとの
主張を対比するとき︑われわれはかえつて経済学者ならぬウーラーに左担せざるをえないであろう︒
註
(1 ) ミルは︑﹃自伝﹄のなかで︑マルサスの人口原理が彼等のグループの旗じるしの一つであったのは︑彼らがその原理を︑
︑ ︑
﹁労佑人口の数が増さないように自発的に制限することによって︑全労伯者に高賃金での完全雁用を確保できれば︑人間
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑
の社会はどこまででも改良できるのであって︑それを実現させる唯一の手段がここに示されていると解した﹂︵力点引用者︶
からであるとのぺている︒
A u t o b i o g r a p h y ,
p .
88
f.
朱牟田訳九六ー九七ページ︒
(2 ) 吉田秀夫﹃新マルサス主義研究﹄五
0
ペ ー ジ 参 照
︒
` (3 )
M a r x ; . D a s
Kapital•D i e t z V e r l a g
I
S •
. 18 4.
である︒ところで第三の手紙の中のつぎの一節は︑ミルの推奨する方策についてのヨリ具体的な説明として引用す
﹁子供が二人の家族と十人の家族とではどちらが個人にとつて都合がよいかということを考えるのは賢明でも政
治的でもない︑なぜなら︑そういう問題はつねにおのずと解決されるだろうだからである︑とあなたはいわれる︒
まさにそうあってほしいとわたくしも思う︒わたくしは人口増加を法律やその他どんなかたちの強制力ででも規制
( 1 )
したいなどかりそめにも思わない︒それはおのずから規制されるであろうしまたされるべきである︒だがあなたが
忘れていることは︑規制の手段が知られてなければ規制はおこなわれないということだ︒家族数を制限する方策を
︵ 力 点 原 文 ︶
︒
したがつて
わたくしは物理的抑制が民衆に教えられることが大へんのぞましいと考える︒そしてその場合家族を何人もつかは
各人の判断にゆだねるのが一番よいという点でわたくしはあなたに同意する﹂
︵国
. p .
22)
︒
労佑者の自発的な受胎制限が改革者としてのミルの立場から最適なものとしてえらび出される論理的必然性につ
いては
( A )
で見たごとくであるが︑彼は︑あるいは︑嬰児殺害をすすめるにもひとしい無情な仕業だとか︑ある
いは︑性欲の追求という人間性に反する不自然な行為だとか︑またあるいは︑人工的なさかしらはやめて神の摂理 知らなければ扶養手段に応じて家族数を調節することはできない︒というのは一般大衆が現在のような無教育状態 ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ にあるかぎりマルサス氏のいう道徳的抑制の効果を信用することができないからである るに値いすると思われる︒ ということになる﹂
J.S
・ミルの初期の人口思想︵杉原︶
( H
•
751)
で あ
ろ う
︒
~
︑ ︑
( C )現体制の下で労佑者の経済生活を向上させることがすべての改革の第一歩として必要であり︑またそれが
︑ ︑
労佑者数の制限によって可能であるとすれば︑のこされた﹁唯一の問題は︑労佑者数の制限方策のいずれをとるか
ミルによれば﹁人口増加の制限﹂が利最も多く害最もすくない方法なの
J.S
・ミルの初期の人口思想︵杉原︶ があることを見おとすぺきではないであろう︒ に信頼すべきだとか︑種々の論法ではげしい攻撃を加えてくるウーラーに対して︑三つの手紙の随処で︑説得につ と
め て い る
︒ ミ ル に と つ て は
﹁ 人 類 の 一 般 的 幸 福 の 堅 実 な 追 求
﹂ に 水 を さ す よ う な セ ン チ メ ン タ ル な
感情論こそ︑かえつて非道徳的として非難されるべきものであった︒ところでこのような偏見を打破して民衆に人
口制限の意義と方策とを知らせる上に最も大きな障害となるものは︑宗教的な反対論︑.とくに僧侶の妨害であると
ミルは考える︒なぜなら︑僧侶は貧民の間に大きな影響力をもつていて︑
p.
55 7
; ] l
. p
. 7 96 )
の で
太 3 h J ︑ 念
U
困は決して民衆の宿命ではなく自力で克服できるものだということを彼等がさとる
ことは︑その奴隷状態の上に安住している僧侶にとつて致命的なことだから︑その克服のプランが民衆に教えられ
( 2 )
( I .
p.
75 5)
か ら
で あ
る ︒
採用されることを妨害するためには﹁僧侶はあらんかぎりの手段をつくすであろう﹂
くてミルにとつては宗教的束縛から開放された思想の自由︑およびその思想を表明・宣伝するための言論・出版の
自由が制度的に保証されかつ社会的に尊重されることがきわめて重要となるであろう︒ミルがこのような自由のた
( 3 )
めに終生努力をおしまなかったことは周知の事実であるが︑彼のその努力を思想的にうらづけている重要なモメン
ト と
し て
︑
(] I. p .
79 8)
これを知的な奴隷状態においている
(I.それらの自由が一切の社会改革の出発点としての人口制限の実現のための必須の条件であるという認識
思想の根底にある人間観をとりあげなければならない︒ 以上
(A )
︵
B
)
︵C
)
の三項にわけてミルの所論を見てきたのであるが︑最後にわれわれはこのような︑ミルの人口
マルサスが人口制限策として結婚延期の﹁道徳的抑制﹂を
とくにとどまり結婚後の﹁物理的抑制﹂をしりぞけたのは︑彼が特定の人間観をもっていたからであると考えられ
る︒本来怠惰な性質をもつている貧民たちを勤労へとかりたてる最も強く有効な拍車は人口と食糧とのアンバラン
三
か