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著者 杉原 四郎

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[資料紹介] コッサの業績とその日本への導入につ いて : 明治経済学史の一側面

その他のタイトル [Material] The Works of Luigi Cossa and their Introduction into Japan

著者 杉原 四郎

雑誌名 關西大學經済論集

巻 19

号 3

ページ 391‑400

発行年 1969‑08‑20

URL http://hdl.handle.net/10112/15125

(2)

391 

資 料 紹 介

コッサの業績とその日本への導入について

—明治経済学史の一側面―

杉 原 四 郎

§1  イタリーの経済学者コッサ L u i g i Cossa  ( 1 8 3 1 ー 1 8 9 6 )の経済学や財政学の著 作の英訳本が明治時代に導入され,教師の講義のタネ本や学生のテキストとしてさかんに 読まれた時期があった。やがて二三の著作の邦訳も刊行され,それがまたかなり普及した ようで,明治時代における欧米経済学者達の業績の紹介と普及の度合から見ると,コッサ の場合はおそらくフォーセット夫人 ( M . G .

Fawce~t) についで高いものの一つであろう

と思われる。コッサの場合をフォーセット夫人の場合 1) とくらべると ( 1 ) 導入の時期が前 者ではすでに明治 6 年頃からはじまっているのに,コッサは明治 2 0 年頃からという風に,

十数年のおくれがあること, ( 2 ) フォーセット夫人の紹介書が全くの初学者用として地方 の中学や私塾などでもつかわれているのに,コッサの場合は大学や専門学校での教材とし

'て用いられることが多いというちがいがある。だがこうしたちがいは ( 3 ) 両者の内容的な 相異と関連して発生したものとも考えられる。つまりフォーセットの著作は,明治初年以 来わが国の経済思想に大きな影響を与えたイギリス自由主義経済思想のダイジェスト版で あるのに対し,コッサの著作は,彼が青年時代ウィーンのローレンツ・フォン・シュタイ ンやライプツィヒのロッシャーについて学び,イタリーにドイツの学界の動向を紹介した 人であることから当然に,従来の古典学派の上に歴史学派的な色彩がつけくわわったもの であって, 1 8 7 0 年代以降欧米で強くなる経済学界の新傾向を紹介する役割を,彼の母国で だけではなくわが国においてもになうことになったのだった。その意味で塩沢昌貞のつぎ のような回顧談は,明治 20 年頃のわが国でフォーセット=自由主義からロッシャー=歴史 学派への媒介をコッサがはたしたことをしめすものとして興味ふかい。

「私自身の経験も……明治 22 年前後あたりがある意味においては日本の経済学の思想の

転換期—というと少しはっきりし過ぎますが,ィギリスの方のクラシカル・スクールの

思想に対してドイツの方の経済思想が入って来た端緒であると思うのです。というのは,

(3)

392  闊西大學『継漬論集」第 1 9 巻第 3 号

私は明治 2 1 年に元の東京専門学校に英語政治科というのがありまして,その方に入ったの です。これは今日の早稲田大学の前身ですが,その時は総て教科書は英書でありました。

一年級のときにフォーセットが教科書で天野さん(天野為之のこと。杉原)がこれを受 持っておりました。それから財政学は家永豊吉氏でコッサのタクゼーション(この英訳は 1 8 8 8 年,つまり明治 2 1 年に出ている。杉原), あれは原本は財政学ですが,あの時代はイ ギリスあたりの財政学というものは末だあまり発達しないで組織的のものはイギリスにほ とんどありませんでした。バステープルが出たのは明治 2 0 年頃です ( B a s t a b l e ,   P u b l i c   F i n a n c e は 1 8 9 2 , つまり明治 25 年に出た。杉原)。 コッサの財政学は小さいものでした が,あれを用いました。コッサは御承知の通りイタリーにおける経済学の新思想を代表す る人で,それを用い,それから三年に………ドイツのロッシェルのレーラーのやった翻訳 書二冊,あれを教科書に使いました。ちょうど明治 2 0 年頃からドイツの思想が大分日本に 影響して来た。斯う自分個人の経験から思っておるのです」 2) 。

§2  この塩沢の談話の中に出てくるコッサの財政学の原著は, P r i m i   E l e m e n t i   d i   S c i e n z a  d e ! l e  F i n a n z e  ( M i l a n o ,  1 8 7 6 ) だが, その英訳からの重訳が明治 22 年に刊行さ れた。町田忠治訳『財政学」(集成社)がそれである 3) 。町田は明治 2 0 年に東京大学法科選 科を卒業していたが,東京大学での財政学の講義も,ちょうど明治 2 0 年頃からイギリスや フランスの自由主義的なものからドイツ流の財政学へと移行する気運にあったむ。明治 2 0 年にスタートした「国家学会雑誌」の創刊号に,和田垣謙三が「財政学大意」を書いてい

るが,財政学の釈義,職掌,分科,地位,国家学との関係,沿革などについて財政学の学 問的性格を体系的にのべたこの論文は,筆者が冒頭に断わっているように「此篇ハ専ラ伊 国経済学士ルイギー・コッサーノ財政学大意二原キテ稿ヲ起シ傍ラアロイス・ピショフ財 政問答,ジョセーフ・ガルニエー財政学,ニウコム財政策論ソノ他スタイン,ワグネル,

ロッシェル,マキスウイルト,ゲフケン等ノ諸書ヲ参考シ且ツ鄭見ヲ加ヘタルモノ」 5) で

あったし, 町田は前掲の訳書をつくるに際し疑点を 「我師和田垣謙三, 中根重ー等ノ諸

君二質シテ教ヲ乞」うている (同書例言参照)のである。神戸正ーは「日本財政学史の

一節—明治における独逸財政学の輸入について一」の中で,

田尻稲次郎によって明

治初年にまず導入されたルロア・ボリューの財政学が,実務的技術的な性格をもつもの

として,西欧の近代的財政諸制度のわが国への移植の上に有益な役割りをはたしたもの

の,漸くヨリ体系的学問的な財政学への要求が強まってきた時に, ドイツの財政学の導入

を以てその要求にこたえようとしたのがこの和田垣論文であることを指摘し,同時にこの

論文がコッサに主として拠ったものであることに注目して,つぎのようにのべている。コ

(4)

コッサの業績とその日本への尊入について(杉原) 3  93・ 

ッサの業績が明治の経済学界におよぽした影響の一側面をてらし出すものとして引用して おこう。

「独逸財政学を我国に伝へるに最も貢献したのは,独逸人ならぬコッサの著書であっ た。コッサは伊太利人であるが,シュクイン,ロッシャーの門に入って独逸流の学風を良

く吸収した学者であり,特にその財政学は斯学の原理を巧みに要約した点で優れ,各国語 に観訳されていた 6) 。彼の経済学を我が国に輸入したのは本学の和田垣教授であるといわ れているが,その財政学の紹介もまた同教授を以って喘失とする。……やがてコッサの財 政学は〔わが国でも〕誦訳された。最初は英訳から〔前述の町田の訳をさすー一引用者〕。

やや後れてエーエベルクの財政学の第二版の観訳が出ている 7) が,原書はコッサの独訳た る第一版を独逸学界のその後の発展に応じて改訂増補したものである 8) 。さらに明治3 5 年 にいたって独訳からの重訳が和田垣教授によって行なわれた 9) 。かくの如く幾度か誦訳さ れたのは,町田訳の例言に, 『誠ニー小冊子二過キスト雖モ次第井然記事簡約而シテ財政 上ノ原理ートシテ論セサルナシ』と称せられているように,当時我が国において要求され ていた独逸財政学の蘊奥への橋渡しとして財政理論の要約を提供したからに外ならない。

その他にイリー,アダムス,バステープル等の英米の財政学書が翻訳され,また独逸の財 政学もコーンの翻訳を有したが,その影響の大なることコッサにおよぶものはなかった」

10) 。もっともドイツ財政学導入の初期においてコッサの著作がこのような影響力をも ちえたのは,せいぜい明治37 年にワグナーの財政学そのものの邦訳が出る頃まででぁって

11),  明治末期には一応その役割をはたしたといってよいだろう。

§3  つぎに上掲の神戸の引用文の中にあったコッサの経済学の導入についてである が,彼の Guidaa l l o  S t u d i o  d e l

E c o n o m i aP o l i t i c a  ( 1 8 7 6 ,   2nd r e v i s e d   e d .   1 8 7 8 )   の増訂第二版による英訳本 G u i d et o   t h e  Study of P o l i t i c a l  Economy ( L o n d o n ,  1 8 8 0 )   もまた,明治2 0 年前後にかなり普及した。ある女子学生の手になるこの英訳が他ならぬフ

・オーセット夫人に捧げられていることや,その巻頭に本書の長所と.コッサの略歴とを概説

した w . s . ジェボンズの序文があることが目につくが,前半の g e n e r a lp a r t は天野為之

によりまた後半の h i s t o r i c a lp a r t は阪谷芳郎によって別々に邦訳公刊された。天野は・明

治 1 5 年阪谷は明治 1 7 年に東大文学部の政治学及理財学科を卒業するが,卒業後すぐに天野

は東京専門学校で,阪谷は大蔵省に出仕の傍ら専修学校で,いずれも経済学を講義すること

になり,おそらく彼等が学生時代に勉強したであろうコッサのこの書物の訳業は,その講義

の準備の副産物として生れたといってよいだろう。そこでまず天野による g e n e r a lp a r t  

の魏訳であるが, それは最初東京専門学校講義録としてまとめられ 12), ついで博文館発

(5)

394  闊西大學『継清論集」第 1 9 巻第 3 号

行の『政治学経済学法律学講習全書」第六冊(明治2 3 年)の中に「経済学研究法」として 発表され 18), 最後に博文館『社会文庫』第 1 9 篇として明治2 7 年に天野為之著『経済学研 究法」というかたちで刊行された 14) 。社会文庫では天野の著作となっており,コッサによ ったことは序言などでも表明されてないので,浅川栄次郎・西田長寿『天野為之」(実業之 日本社, 1 9 5 0 )の「主要著書目録」でもこれを天野の著作としてあっかっているが,この`

「経済学研究法」の巻末についている社会文庫の各冊の広告解説の中には, 「複雑なる経 済学の性質を簡明に説き明してこれが研究の方法を論じたる伊太利の経済学士コッサ氏の 原著により最も平易に訳述したるは経済学研究法なり」とある通り, G u i d e の前半部全 6 章の邦訳である。つぎに阪谷芳郎述『経済学史講義』(哲学書院, 明治2 0 年)は, その例 言に「余力経済学史講義ハ伊太利国『パビア」大学経済学教授『ドクトル, J レイギイ,コ ッサ」氏著ハス所ノ経済学案内卜題スル書中二戴スル所ノ経済学史ノ部二基キ講義セルナ リ」とその底本を明記しており,つづいて底本の冒頭にあるジェボソズの一文の要旨を紹 介している。ユスティやゾ ンネンフェルスの   ChamberS c i e n c e s を御部屋学派, Quesnay をクエスネイとするなど,稚拙な訳語や表記が目につくが,古今諸国におよぶ広範囲な内 容を多数の参考文献をふくめて訳出した労苦は,評価されるべきであろう 15) 。

§4  コッサの著作が導入された時期にわが国に紹介された経済学の方法論に関ずる書 物としては, ケアンズ ( J . E .C a i r n e s ) .   の『経済学の性格と論理的方法』 ( 1 8 5 7 , 再版 1 8 7 5 ) やケインズ ( J . N .Keynes) の『経済学の領域と方法』 ( 1 8 9 1 )があり,経済学史の書 物としてはイングラムの「経済学史」 ( 1 8 8 8 )がある 16) 。コッサの前掲書の前半部は,ヶ アンズやケインズの書とともに経済学の方法論を考究するために,またその後半部はイン グラムの書とともに経済学史の知識と展望をえるために,わが国でひもとかれたのである が,コッサの基本的立場が歴史学派の長所をとり入れるにやぷさかではないほどに寛容で あり,しかも歴史学派に心酔してその限界を見うしなうほど無定見ではなかったというこ と,そして彼の学識が各国の動向をひろくかつ公平に見わたすにたるほどゆたかであり,学 問的に適切な指針を初学者にしめしうる教師としての力量をそなえていたということ,こ れらのことが相侯ってコッサの影響力をわが国でもかなり大きなものとしたのであった。

明治期にわが国の学者によってかかれた数すくない経済学史の書物から一二の例をあげて その痕跡をうかがうことにしよう。かって私は乗竹孝太郎の経済学講義の中にコッサを参 照した興味ふかい箇所のあることを指摘したが 17), その講義(歴史篇)の第五章「中世 の経済学」,第六章「近世の経済学」および第十七章「和蘭,日耳義,瑞西,西班牙,葡萄.

牙,伊太利の経済学」の部分は乗竹みずから断っているようにコッサの『経済学案内」に

(6)

コッサの業績とその日本への導入について(杉原) 395 

従って書いたものであり,その他の章でもたとえばスミスの『国富論」に対するコッサの きびしい評価を引用した上でそれに賛意を表しているなど, コッサの影響が著しい 18) 。 また小川市太郎「経済学史』は,「例言」の中で「本書の目的は経済学説発達の沿革を叔 述して一般経済学攻究者の手引に供せんとするにある」とし, 「此目的の為にはルイギー

・コッサの如く経済説発達の沿革を(イ)断片時代 ( F r a g m e n t a lP e r i o d )   (口)特定論文および 実験的方式時代 (TheP e r i o d  o f  Monograph and E m p e r i c a l  S y s t e m ) 料学問的方式時 代 (TheP e r i o d  o f  S c i e n t f i c  S y s t e m ) に)批評時代 ( C r i t i c a lP e r i o d ) となす方あるいは 説明に便ならん 19) も経済学史を考察するに当りても普通の歴史におけるが如く古代,中 世,近世,最近世の四大時期に区別するを最も穏当なりとするを以て余は之に従へり」との べている通り,本論はこの四時期構成をとっているが,実質的にはコッサの I n t r o d u c t i o n の構成に拠るところが大で,内容的にもコッサの叙述にしたがっている部分がすくなくな

ぃ 20) 。`小川がここで参考にしたコッサの経済学史の増補版は, 昭和に入って関未代策教 授によって邦訳され 21), わが国の学史研究に有益な作用をながく持続することになっ

た 2~) 。

§5  シュンペークーは『経済分析の歴史』第 4 編「1 8 7 0 年から 1 9 1 4 , 年(およびその後)に いたるまで」の第 5 章「この時期の一般経済学,人とグループ」のなかの, 5 「イタリア」

をつぎのような文章ではじめている。「最も好意を寄せている観察者でも, 1 8 7 吟三代の初 期のイタリア経済学に対しては,なんの讃辞をも払いえないであろう。また最も悪意を懐 く観察者でも, 1 9 1 4 年におけるイタリアの経済学が他のいかなる国のものにも劣らないの を否認しえないであろう」 23) 。そしてシュンペークーはこの時期に活躍したパンタレオー 二やバローネなど,それからこの時期の最高峰たるパレートとそのグループについて語る のだが, そのまえにまずこうしたイタリア経済学の復興を招来するに力のあった三人の

「老練な経国の士」つまりフェララ,メセダーリアおよびコッサの偉業をたたえている。

シュンペーターによれば,コッサは「なによりも先ず偉大な教師であった。すなわち近頃

のアメリカの大学教師の持っているような機会を敢て必要としないで, しかもあまり強く

ない関心しか懐いていない聴講学生の大クラスの中から,あたかも魔術によるようにして

個別面接によって生気を与える影響力に反応するような少数の学生を引き抜いてくるよう

な教師の一人であった 24) 」。グラッイアーニもコッサが偉大な教師であったことをつぎ

のようにのべている。「1 8 5 8 年から 1 8 9 6 年に歿するまで彼はパヴィア大学の経済学教授で

あったが(が),……コッサの影響力によってパヴィアはイタリアにおける経済学研究の

中心となった。彼はどの傾向の学説にも寛容であったので,語の厳密な意味では彼自身の

1 1 3  

(7)

396  闊西大學「経清論集」第 1 9 巻第 3

学派を創りはしなかった。彼は学生たちを親味になって援助し,経済理論,経済史,財政 学,統計学の諸分野で彼らが有益な仕事をするよう鼓舞した。彼はその「入門』 ( I n t r o ‑ d u z i o n e ,   1 8 9 2 ) の中でイタリア経済学史の諸側面をとりあつかった彼の弟子たちの労作 を利用することができた。彼は他国とくにイギリスやドイツの経済思想への関心を学生た ちに伝達した。イタリアの大学の教授の椅子は大部分彼の弟子か孫弟子によって占められ た。コッサは経済学の科学的研究の復活を促進するために 1 9 世紀の最後の 3 0 年の間に他の 誰よりも多くのことをなした」 25) 。 このようにコッサの業績はその祖国で著しいものが あったが,それにとどまらず,彼の諸著作が他の多くの国々に紹介され,とりわけ後進諸 国で魏訳されて,そごでの経済学の普及に貢献するところが大きかった。上来のべてきた わが国への導入も,その一例にほかならなかったのである。最後にコッサの主要著作のリ

ストをかかげ,彼の業績を概観する資料としよう。 . 

L .   コッサの主要著作

1 .   P r i m i  e l e m e n t i  d i  e c : o n o m i a ,  p o l i t i c a  M i l a n o ,   1 8 7 5 ,   第 1 1 版 ( 1 8 9 9 ) ではタイトル が P r i m ie l e m e n t i  d i  economia P o l i t i c a ,  V o l .   I ,   E c o n o m i a ' s o c i a l e ,   第 1 5 版 ( 1 9 2 4 ) で は P r i m ie l e m e n t i  d i  e c o n o m i e  s o c i a l e となる。第 1 1 版の編者序文 ( p . 3 ) によれば,

それまでに仏,独, 露,ポーランド,スペイン,ポルトガル, 日本の各国語訳が出た。

H 本語訳は永井直好訳『社会経済原論』, (東京専門学校出版部, 1 9 0 1 ) であって,その 底本は E .‑ M o h r m e i s t e r のドイツ語訳 ( D i ee r s t e n  E l e

e n t ed e r   W i r t s c h a f t s l e h r e   1 8 7 9 ) の第 3 版 ( 1 8 9 6 ) である。

2 .   P r i m i  e l e m e n t i  d i   s c i e n z a  d e l l e  f i n a n z e ,  M i l a n o ,   1 8 7 6 ,  

第 12版, 1923 英・独•

・露,スペイン,ボルトガル,スウェーデンの各国語訳あり,町田忠治の邦訳の底本と なった英訳 ( A . H .Gumlogsen が S .Dana Hortou の協力で醜訳, H .White の序文 とノートつき)はつぎの通り。 T a x a t i o n ,i t s   p r i n c i p l e s  and m e t h o d s , ‑ N e w  York and  L o n d o n ,   1 8 8 8 。独訳は G r u n d r i / 3d e r  F i n a n z w i s s e n s c h 吋 f t ,Nach d e r   d r i t t e n   Auf‑

l a g e  d e r  P r i m i  e l e m e n t i  d i   s c i e n z a  d e l l e  f i n a z e ,   f r e i  b e a r b e i t e t  von D r .   K .   T h .   E h e b e r g .  E r l a n g e n ,   1 8 8 2 .   f r e i  b e a r b e i t e t とあるように元来忠実な魏訳ではない が,第 2 版 ( 1 8 8 7 ) ,3 版 ( 1 8 9 1 ) , 4 版 ( 1 8 9 5 ) と版を重ねるにつれてエーエベルクの色が 濃くなってくる模様である。仏訳は原本第 1 1 版 ( 1 9 1 8 ) を底本としてつぎのように刊行さ れている。 P r e m i e r s

l

m e n t sd e  l a  s c i e n c e  d e s  f i n a n c e s .  p a r  A l f r e d  B o m r e t .  P a r i s ,   1 9 2 0 。,

3 .   Guida a l l o  s t u d i o  d e l l ' e c o n o m i a  p o l i t i c a ,  M i l a n o ,   1 8 7 6 ,  2 6 ) 増訂第 2 版 1 8 7 8 ,

1 1 4  

(8)

コッサの業績とその日本への導入について(杉原) 397 

ペイン語訳, 1 8 7 8 . 阪谷芳郎や天野為之の邦訳の底本となった英語訳はつぎの通り。

G u i d e  t o   t h e  s t u d y  of p o l i t i c a l   e c o n o m y ,   t r a n s l a t e d   from the  s e c o n d   i t a l i a n   e d i t i o n  with a  p r e f a c e  by W . S .  Jev~ns, L o n d o n ,  1 8 8 0 。増訂第三版はつぎのように

タイトルがかわった。 I n t r o d u z i o n ea l l s   s t u d i o  d e l l ' e c o n o m i a   p o l i t i c a ,   1 8 9 2 .   27)  関教授の底本となったその英訳はつぎの通り。 An i n t r o d u c t i o n   t o   t h e   s t u d y   of  p o l i t i c a l  e c o n o m y ,  t r a n s l a t e d  by L .   D y e r ,  L o n d o n ,  1 8 9 3 .   フランス語訳もでている。

H i s t o i r e   d e s   d o c t r i n e s   e c o n o m i q u e s ,   A  v e c   une p r e f a c e   de  A.  D e s c h a m p s ,   T r a d u i t  p a r  A l f ! e d  B o n n e t ,  P a r i s ,   1 8 9 9 .  

.  4 .   S a g g i  d i   e c o n o m i a  p o l i t i c a ,   M i l a n o ,  1 8 7 8 .   コッサが雑誌などに発表した経済学の 論文を集録したもの。

5 .   S a g g i  b i b l i o g r a f i c i  d i   e c o n o m i a  p o l i t i c a ,   P r e f a z i o n e   d i   L . D .   P a n e ,   B o l o g n a ,   1 9 6 3 .   コッサが 1 8 9 1 年以来何度か作成して G i o r n a l eD e g l i  E c o n o m i s t i の Supplemento として発表した経済学文献目録を集成したものに, 彼の死後息子の経済学者 E .C o s s a   のつくった補遺や正誤表や索引をつけて集大成したもの。なお本書の p .1‑344 の部分 をまとめて C o s s a ,B i b l i o g r a f t , a  e c o n o m i c a とした書物(刊行年は不明)が大阪市大所 蔵のゾンバルト文庫にある 28) 。

(1) 

フォーセット夫人の著作の導入と普及については,杉原「自由主義と歴史学派」の

1

と 2 (有斐閣『近代日本思想史大系』第 5 巻所収,刊近)を参照。

( 2 )   座談会「経済学の黎明期を語る」, 『経済往来」第 1 4 号 , 1 9 4 i , p . 5 。

(3)  町田の邦訳では底本の巻末にある文献目録一~これにコッサの特色がよくあらわれて

いるのだ力← 町田

(J

ノこの訳本は明治ぉ年に再版が出たらしい

O

本 庄栄治郎『日本経済思想史概説』, 1 9 4 6 , p . 2 7 3 。

(4) 

町田は法科大学三年配当の財政学を受講したようであるが(松村謙三『町田忠治翁 伝 」 , 1 9 5 0 , p .  3 1 ) ,   それが誰の担当であったかはつまびらかでない。

( 5 )   和田垣「財政学大意」,『国家学会雑誌』第 1 号 , 1 8 8 7 , p p .  5‑6 。 ( 6 )   c f .   C o s s a ,   T a x a t i o

,れ

p .v i i .  

( 7 )  

エーヘベルヒ,寺田勇吉•

平塚定二郎共訳『財政学』,八尾書店,明治 2 4 年 。

( 8 )   E h e b e r g ,   K . T .  v o n ,   G r n n d r i s s  d e r   F i n a n z w i s s e n s c h a f t   i n   A n s c h l u s s   an L .  

C o s s a ' s  E l e m e n t i  d i  s c i e n z a  d e / l e  f i n a n z e ,   4 .   A u f l .   2 .   n e u b e a r b .   A u f l .  E r l a n ‑

g e n ,  1 8 8 8 。

(9)

398  闊西大學「継清論集』第 1 9 巻第 3 号 ( 9 )   この訳本は筆者末見である。

U O )   前掲『東京大学学術大観』 p . 5 7 1 .   アダムスの「公債論」は天野為之が東京専門学校 講義録の中に訳出しており,後に小野英二郎訳補の「公債論」(明治 2 9 年,経済雑誌社)

が出た。イリーの邦訳は前掲の座談会に名前の出ている家永豊吉が塩沢昌貞との共訳で 出した『威氏租税論』,丸善,明治 2 7 年。バステーブルのそれは,井上辰九郎・高野岩三 郎共訳『財政学』,東京専門学校出版部,明治 3 2 年 , コーンのそれは,天野為之訳「財 政学』,富山房,明治 3 2 年,にそれぞれ刊行。

U l l   滝本善夫『ワグナー氏財政学』,上下,同文館,明治 3 6 年 。 なお河上鑑解説「ワグナ ー氏経済原論』上巻(同文館,明治 3 9 年)にはワグナーの経済学体系全体の中での財政 学の位置が図示されている。同書 pp 157‑158 。

U 2 l   伊・博士コッサ氏原著,文学士天野為之,政学得業生利光孫太郎編集の「経済学の性 質」は, g e n e r a l p a r t の観訳で,明治 2 1 年ごろ,東京専門学校の政学部講義録として 刊行された。

U 3 l   これは実物未見であるが,浅川,西田『天野為之」に引用されているところ ( p . 1 6 5  

‑168) から推定すると,『社会文庫」版はこの紙型をそのままつかったもの(したがっ

てページ数も全く同じ)らしい。 ' 

目次

4 ページ。本文 1 2 4 ページで,ミノ<ェ,ス講述「経済学史』 ( 4 2 ペ‑ジ)と合本に なっている。ちなみに天野為之は,この h i s t o r i c a l

part も鶴訳^~ただし文献紹介の

ところと第六章第四節以下は省略̲̲̲̲.:.して,経済学史の講義録につかっていた。私の所 有しているのは,文学士天野為之講義,政治科得業生山沢俊夫編輯の政治科講義で,表 題はおそらく誤植であろうが「経済史」と印刷されており,全文 1 0 2 ページで,刊行の

日付はない。 『近代日本の社会科学と早稲田大学」 ( 1 9 5 7 )p p . 1 2 6 ,   1 3 5 をも参照。

U S l   阪谷は明治 1 7 年に東大を卒業してすぐ大蔵省に入るが,同年 1 0 月から専修学校の講師

として経済学や財政等の講義をおこない, 19年 10 月•以来,それまでの担当者だった和田

謙三にかわって経済学史の講義をはじめた(『阪谷芳郎伝』, 1 9 5 1 , p .   9 1 ) 。この訳書も その時の成果である。阪谷にはこの「経済学史講義」の他に内容は同一の「経済沿革 史」なる一書があり,『講義」よりさきに出版されたようである (コッサ, 関未代策訳

「経済学史」訳者序 1 ページを参照)が,未見である。なお関西大学図書館の所蔵する G u i d e  t o  t h e  S t u d y  of . P o l i t 必 1 / Economy には,タイトルページに「阪谷芳郎所蔵」

という蔵書印があり,鉛筆で若干の書き込みが各所にある。阪谷の手沢本であろうと思

われる。

(10)

コッサの業績とその日本への導入について(杉原) 399 

U 6 l   ケアンズは伴直之助が「経済要義」 ( 1 8 8 4 ) として, ケインズは天野為之が『経済学 研究法」 ( 1 8 9 6 ) として紹介し,ィングラムは阿部虎之助が『哲理経済学史」 ( 1 8 9 6 ) と

して訳出しいてる。

U 7 l   杉原「明治時代の経済雑誌序説」『経済論集」 XVI‑4・5( 1 9 6 6 ) ,   p .   71‑72 。 U S )   粛堂遣稿『経済学』, p .3 2 2 を参照。

U 9 )   C o s s a ,  A n ・ I n t r o d u c t i o n  t o   t

Studyof P o l i t i c a l   E c o n o m y ,   t r a n s l a t e d   by L .   D y e r ,  1 8 9 3 ,   p .  1 2 5 ,   関未代策訳「経済学史』 p .13‑14 。コッサによればこの第一期は 古代・中世および 1 7 世紀.のある著作家たちにあたり,第二期は 1 6 世紀末から 1 8 世紀中頃 まで,第三期はとくにケネーとスミスの時代で, 1 7 世紀に発し 1 8 世紀の後半と 1 9 世紀の 初期に完全な発展を見た時代,第四期はそれ以後から現在 ( 1 8 9 8 ) にいたる時期となる

( H i s t o r i c a l  P a r t ,  C h a p .   I 参照)参照)。そして C h a p .l I が第一期を, C h a p .i l l ― 

V が第二期を, C h a p . V I 一囁が第三期を, C h a p .

lX—XVI が第四期をとりあっかって

いる。

( 2 0 ) .   小川市太郎『経済学史』,帝国百科全書 N o .1 6 4 ,   博文館, 1 9 0 7 年 。 ( 2 1 )   コッサ,関未代策訳「経済学史」,巌松堂, 1 9 3 0 。

( 2 2 )   もっとも 1 9 4 6 年以降に経済学史の研究をはじめたわが国の世代にとっては,コッサの 業績はほとんど忘れられてしまっておるので,ミークが 1 9 5 8 年にかいたある論文でコッ サの I n t r o d u c t i o n からそのステュアート評価を引用している ( M e e k ,R . L . ,  E c o n o m i c s   a

I d e o l o g yand o t h e r  E s s a y s ; 1 9 6 7 ,   p .   7 .   時永淑訳『経済学とイデオロギー』, 1 9 6 9 , p.9‑10 。)のをみて,前世紀末に書かれた古い華作力,;ひき合いに出されていることにい

ささか奇異の念をいだくものが多かったのではなかろうか。だが多くの経済学史の書物 では英・独・伝・米の諸国の記述にほとんどかぎられているのに反し,オランダ,スペ イン,ボルトガル,スカンジナヴィアおよびスラヴの八ケ国の経済学にも目をくばり,

詳細に各国の文献を整理紹介しているという点だけでも:,  I n t r o d u c t i o n は今なおかえり 見られるべき書物であるょうに私には思われる。

( 2 3 )   S c h u m p e t e r ,   J . A . ,   H i s t o r y  of E c o n o m i c   A n a l y s i s ,   1 9 5 4 ,   p .   8 5 5 ,   東畑精一訳,

5 ,  p .   1 8 0 5 ,   1 9 5 8 。

叫 伽 d . ,p .   8 5 7 ,   前掲邦訳 p .1 8 0 8 。

図 G r a z i a n i , A . ,   C o s s a ,   L u i g i ,   E n c y c l o p a e d i a  of t h e  S o c i a l  S c i e n c e s ,   e d i t e d  by  S e l i g m a n ,  I V ,   1 9 3 1 ,   p .   4 6 2 。 な お ロ リ ア 一 『 資 本 論 』 第 3 巻の序文でエンゲルスが.

マルクスを歪曲するものとして批判しているイタリアの大学教授一~

グラツイアー

(11)

400 

開 西 大 學 「 綬 清 論 集 』 第

1 9

巻 第

3

二とほぼ同様の高い評価をコッサにあたえて•いる。

L o r i a ,   A . ,   I t a l i a n   S c h o o l   o f   E c o n o m i s t s ,  P a l g r a v e ,  D i c t i o n a r y  of P o l i t i c a l  E c o n o m y ,  V o l .   I I ,   1 9 2 3 ,   p .   4 6 8 。

( 2 6 )  

この

Guida

をマルクスは

1 8 7 8

1 0

2 0

日に読み,

7

ペ ー ジ 半 分 の 抜 幸 ノ ー ト を つ く っ て い る 。 川 鍋 正 敏 「 国 際 社 会 史 研 究 所 所 蔵 マ ル ク ス ・ エ ン ゲ ル ス の 草 稿 お よ び 読 書 ノ ート目録」『立教経済学研究』

XX, 3 ( 1 9 6 6 ) ,   p .   6 8

V g l . M a r x ‑ E n g e l s ,   W e r k e ,   1 9 ,   1 9 6 2 ,   s .   610‑6110, 

ちなみに

C o s s a

は 本 書 の 増 補 第 三 版 た る

I n t r o d u z i o n e

の 最 終 章 「 現 代 社 会 主 義 の 理 論 」 の 中 で マ ル ク ス の 学 説 を か な り く わ し く 紹 介 し て い る 。

pp.  545‑548

。関訳,

pp, 436‑440

⑫  7 )  

福 田 徳 三 は 『 経 済 学 講 義 』 の 中 で 本 書 を 「 伊 太 利 書 に 甚 だ 便 利 な 書 あ り 」 と し て 経 済 学史の参考書の一つにあげ,,つぎのように評している。「コッサは学者として深き研究 者 に あ ら ず , 其 著 す 所 凡 て 皆 コ ム パ イ レ ー シ ョ ン < 編 集 > と 称 す 可 く , 独 創 の 意 見 に 成 る も の 甚 だ 乏 し , 此 書 に 至 っ て は 殊 に 然 り 。 さ れ ば 其 説 く 所 悉 く 浅 薄 , 皮 を 相 し て 肉 に 至 ら ず , 初 学 者 に は 便 な る に は 相 違 な け れ ど も , 初 よ り 多 読 を 期 せ ざ る も の は , 須 ら く 第 一 流 の 書 の み を 読 む を 却 て 勝 れ り と す る 点 よ り 云 へ ば , 必 ず し も 推 薦 す 可 き 書 と 云 ふ を得ず」。福田「経済学全集」第一巻,

1 9 2 5 , p p .  137‑138

( 2 8 )  

なお

E n c y c l o p e d i a I t a l i a n a ,   X I ,   1 9 4 9 ,   p .   5 8 6

L . C o s s a

の 項 目 に は こ の 他 に つ ぎ の よ う な 著 作 も あ が っ て いる。

Dia l c u n i  s t u d i  s t o r i c i  s u l l e  i e o r z e  e c o n o m i c h e  d e i  

G r e c i ,   Di a l c u n i  s t u d i  r e c e n t i  s u l l e  t e o r i e  e c o n o m i c h e  d e l  M e d i o e v o ,  M i l a n o ,   1 8 7 6 .  

S u l l e   p r i m e   c a t t e ̲ d r e   d i   e c o n o m i a   i n   I t a l i a ,   M i l a n o ,   1 8 7 3 ,   La t e o r i a  d e l  l i b e r o  

s c a m b i o  n e l  s e c .   X V I I .  M i l a n o ,   1 8 7 3 。

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