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「学び方」に関する基礎的研究 −「日本学び方研 究会」の場合−

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奈良教育大学学術リポジトリNEAR

「学び方」に関する基礎的研究 −「日本学び方研 究会」の場合−

著者 松田 元宏, 松川 利広

雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学

巻 49

号 1

ページ 1‑13

発行年 2000‑11‑10

その他のタイトル A Fundamental Study on 'How to Learn' −in the Case of 'Japan Research Association of Learning Methodology'−

URL http://hdl.handle.net/10105/1395

(2)

til'i&tik辛紀ォj 廿日き MiI号 再、1‑・社会) 、蝣蝣^12‑‑│

Bull. Nara Univ. Educ,Vol.49, No. 1 (Cult.& Soc.), 200り

「学び方」に関する基礎的研究

!=1了]*蝣^、ノ ーa:;ー し′川7Ir・

松 Lll 元 宏* ・松 川 利 広

(奈良教育大学国語科教育研究室) (平成12年i F は8日受理) キーワード: 学び方学習、 「(本学び方研究会

1.は じ め に

1.1.研究の動機と目的

教育課程審議会答申(平成Ionr‑7J1291」)では、 「総 合的な学習の時間」を別設するにあたって、 「自ら学び 自ら考える力などの[生きるJJl は全人的な力であるこ とをふまえ、圧‖環化や情報化をはじめ社会の変化に主体 的に対応できる卓質や能力を育成するために教科等の枠 を超えた横断的・総合的な学習をより円滑にノー現白再一るた めの時間を確保するJ としている‑,

このように、文部省の教育改蝣・・:の加(,]性の一つとして、

「総合的な学習」 「′Kきる力」というキーワ‑ドが出てき た 2002年の実施に向けての移行措置が執られ、学校現 場でも、学習者の生活に実際的に活川しうる学習の在古1 方を模索している二,

現在学校を取り巻く社会では、社会福祉・lT革命・環 境問題・人権問題など、これまでの教育課程では想定し えなかったような問題が数多く取り上げられるようにな ってきている‑ これらの問題に拙邑するためには、 「生 きた学力」 「生きた能力」、すなわち、 「生きた知」が必 要になる二,この「知」をはぐくむために、現在の教科な どの枠組みを総合した学習の」去拍1必要になり、また、各 教f¥等に分化されていた学力を統合して問題解決に向か うようにするための新たな学t習旨導が必要になってく

‑′

i*M

だからといって、学習観の転換を図るとともに、新た な学習観を支える学習方式や児童観も必要になるため、

今すぐに学習者主体の授業をしようとしても、教帥や学 校が上体であった従前の教育制度を 一所することは困難

* 現在 奈良教育大学大学院教育判叶光村

であろうI Lかし、 「教帥主体」から「学習者主体」へ の転換は、本来あるべき公教育の姿である̲,そこで、

「学習者日本」の学校像を見つめていく必要があるr このような状況の中、実際に「生きる力」をはぐくむ ために生み蝣T,‑されたのが「総合的な学‑:Wの時間」であろ

う,

「生きる力」を身につけさせる学習の在り方には、学 習に対して強く意識化させることと学習の主体性をはぐ くむことが重要になってくる‑,言t弓負えるならば、前者 は、学習の意欲・関心であり、後者は学習の態度となろ

教科の枠を越えた学習課題を設定することで、各教科 等での学習内容をより実践的に活mすることができる,‑

つまり、学校での学習や学習内膏が身近な社会環境で実 際に清川できるのだという実感を与え、それが新たな学 習意欲や関心につながる̲,

同様に、各教科の中で設定されている階f射rtJな教育課 程から離れることで、各教科等でノ',Hヒされていた学習内 容が総糾畑二清川される,つまり、分化されているそれ ぞれの学習IM官がどれも等しく有効であ8)、どれも等し くて重要であるのだという学習態度をはぐくむことができ る,

現fltWftft,甘r出!l<]>蝣I二よ.‑て、学校で''I化されていた 学習再審を実′口舌において結合し活用するこ また、実生 活において総合「帖二感じられてきた問題を、学校におい て分化して取り組む このような分化と総合の連関を生 み出そうとしている

しかし、 「生きる力」をはぐくむためには、教育課程 の構造的な変革だけでなく、学習者白身の学習観を変え ていく必要があるr̲ やはり、今L」的な問題に対応しうる

(3)

2

松 出 元 宏・松 川 利 広 学習指導を実施するためには、教育課程の変革による学

習方式の転換だけでなく、学習観そのものも新たなもの にしなくてはならない

そこで、本稿では、現在の社会状況に見合った学習の 在り方を検討していきたい 封本的な方法としては、ロ

本学び机tf'ft会が提唱している「学び方」に着目して、

学習者の主体性を尊重し、はぐくむことができる学習机 や学習方式、児童観を考えていく‥

1.2.先行研究のまとめ

学習者の主体性の重要性をうたった教育研究組織は数 あるが、本稿においては、 H本学び方研究会に着目するN, 後述するが、日本学び方研ノ究会は、 「学び方」という独 自の教育埋念の追究、および学習者の主体的な「学び」

をはぐくむ授業実践の積み重ねを行っている研究組織で ある,: 「く教えるだけの授業>から<自ら学び取る授 業>へ」というテーマのもとで授業実践が行われ、教育 理念のf肝究が積み重ねられている.。また、日本学び方研 究会では、理論研究者つ受業実践者・学習者の3者によ ってのみ実践研寵を進めるのではなく、家庭教育、特に、

「保護者」を重視するという特徴もある。円本学び方研 究会に関して研究することは、今日的課題である、 「学 習者上体」の学習観や学習方式、児童観を模索していく 士で、大きな先行研究になるものだと考える,A,

そこで、学習者の主体性をはぐくむために今日的に在 効な学習の在り方を考えるために、本稿においては、日 本学び方研究会に着目して、 「学習者の主体性をf某証し ようとする「学び方」」とは何かを考察していく.1特に 今回は、日本学び方研究会の創設者である野瀬寛顕・高 沢幸太郎・石川勤の巾から、研究会の理論的指導者であ った野瀬寛顕と授業実践の血での中心的人物であった石 川勤に肴uする。l

では、はじめに、日本学び方研究会に関する先行研究 をまとめてみる=.

管qtlでは、先行研究にはその執筆者とH木学び方研究 会との関係から、 I〜Ⅲ群の類別ができた。以ト、それ ぞれをまとめる,J

まず、 I群として、日本学び方研究会の内部からの論 考等がある、

日本学び方研究会、特に「学び方」に関する書物は、

歴代会長の著書と、研究会の機関誌である「学び方教室」

および「学び方」とがある,二.現在入手可能な歴代会長の 苦書は、初代会長野瀬寛顕の『学び方教育のすすめ』

(小学館1980?‑;、第2代会長柴日義松の『学び庁を育 てる先生』 (図書文化社1992年) ・ 『学び方の基礎・基 本と総合的学習』 (明治図書1998年)、第3代会長稲川二 郎の『第三の授業』 (小学館1989年)、第4代会長石川

勤の『自ら学ぶ能力』 (貿明書房1973年) I 『学び方授 業のすすめ方』 (小学館1995年)などがある[‥,

また、機関誌は、 「学び方教室」が通巻125号まで、

「学び方教室」から誌名を変更して新たに発刊された

「学び万」が、白虎12年4月段階で通巻226号まで発行され ている.I

「学び方」の理論に関しては、歴代会長の著書、特に 初代会長である野瀬電顕の『学び方教室のすすめ』が基 本となっているようである̲、また、機関誌の「展望台」

の欄において、 H本学び方研究会の全国各地の支部での 実践報告とともに、講演会や研究発表を中心として随時

「学び方」の検討がなされている。

次に、 Ⅱ群として、日本学び厨研究会に関して書かれ た論考があげられる、‑

今日までの直接的に口本学び方研究会を扱った先行研 電論文としては、石川動の「学び方とは何か‑その歴史 的な展望にたって‑」 (岡崎女子短期一夫学研究報告第十 六輯pp.63‑75 1983牛津ある。これは、日本学び方研究 会の創設メンバーの一人である石川勤が、日本学び方研 究会の歴史を適時的にまとめたものである.石川勤が、

第4代口本学び方研究会会長であったこと、この論文が 昭和40年代に発行され現在廃刊となっている資料を基に 作成されていることなどが、特筆すべき特徴であろう.

また、管見では、これは日本学び方研究会を適時的に研 究した唯・の論文である。

また、秋田大学後藤恒允の「近藤同・の生涯と思想 (3)」 (秋田大学教育学部研究紀要人文・社会科学部門 52pp.19‑36 1997年)がある,‑ これは秋田県の国語教育界 において組織作りに尽力した近藤田一一の業績を発掘し国 語科教育史のrllに位置づけようという試みであるが、 [二l 本学び方研究会の機関誌「学び方教室」 「学び方」に依 拠しながら日本学び方研究会の動向がとりまとめられて いる̲,また、近藤国‑が中心となって発足した秋FH県学 び方研究会に関しての資料が整理されている.

「学び方教室」 No.119には名古屋大学安彦忠彦の「学 び方学習への期待と要望」と題した提言が記載されてい る。日本学び方研究会の外部からの総合的な批判・検討 がなされている,̲,この提言の中で、日本学び方研究会に 関する問題点が指摘されているEJ カリキュラム研究など 真体的な観点が明示されていることから、本研究におい て考察をする際の貴重な先行研究であるL、

続いて、 Ⅲ群として肝究書の巾にみられる日本学び方 研究会に関する記述である,.

教育学研究の書物としては、 『現場の授業理論』 (木原 健太郎 明治図書1975隼)がある。,同書第19章におい て、日本学び方研究会における学び方を一種の「学習方 式」として考察している。、この考察に関して特に注目し ておくべきは、 1975 川銅P50)牛に書かれたということ

(4)

「学び方」に関する基礎的研究

から、同時代評としてとらえることができるという点で ある,

また、 『戦後授業研究論争更』 (木原健太郎編明治図 書1992年)がある。,同書第2章第10f耐二おいて、 「スロ ーガンに終わった「学び方学習」」 (筆者片地味昇)と越 して、日本学び方研究会の設立の過程や、研究会の耽要 がまとめられている。,ここでは、 「仮説実験授業」や

「発見学習」との比較の巾、 「さまざまな点で、確かな実 像が描けなt川愛昧さをもっていることには間違いがな」

いとしつつも、その根拠や、 「スローガンに終わった」

と題する根拠は明示されていない‑, 『現場の授業理論』

を執筆した木原健太郎が、後年再度考察した結果、あえ て「スローガンに終わった」としている点が注目され る,̲

上記のようにして先行研究を探していくと、機関誌や 論文、書籍においても具体性を持って日本学び方研究会 に関する批判的検討をしているものは数少ないことがわ かった(二 また、 「スロ‑ガンに終わった「学び方学習」」

のように批判的見解が示されていても、その根拠がFFlら かにされていないことがわかった。本稿では、機関誌で ある「学び方教室」を資料の中心として、これまでの論 考には提示されてこなかった口本学びljW究会の教育理 念に関する資料を提示し、これまでなされてきた検討の 梶抱を考究する。また、これと同時に、日本学び方研究 会における「学び方」の今日的価値に関してツ里頼ノ珪顕と 石川勤に青し圧ノて考察していく.‑,

2.日本学び方研究会における「学び方」とは何か 第2章では、日本学び方研究会に関する基礎的な資料 を作成することに主眼を据え、事実の発生過程を適時的 にまとめながら、日本学び方研究会における「学び方」

とは何かについて考えていく.̲,その結果、今回は取り組 むことができなかった教科教育との比較や日本の教育実 践史との比較をする隙の研究対象を作り出すことが可能

になるのではないかと考える′, 2. 1.日本学び方研究会について

日本学び方研究会について、その成立から現在に至る までを研究会の広がりと会長の変遷に着目してまとめ

る,二

昭和41 (1966)年7日、初代会長野瀬寛顕によって、

学ぶ佃の確立を図る「学び方研栗」が提唱され、教育技 術連盟の中に、野瀬寛顕を会長、高沢幸太郎を指導部良 として日本学び方研究会が別讃された。,このとき指導員 として、波多野完治、細谷俊夫、辰野千寿、倉沢栄吉、

川u延、小u忠彦、東洋を迎えていた,J

3

日本学び方研究会では、会を発足させると同時に「学 び方研究だより」を発行し、 「学び方とは何か」 「学び方 の開発をどのように行うか」など、 「学び方」に関する 啓蒙普及にノ」を注いだニ,

野瀬電顕が「学び方研究」を提唱するのと時を同じく して現場での授業実践の動きも出始め、昭和41年4日、

愛知県刈谷市刈谷東中学校において、石川動のもと「学 び方学習」の実践研究が全校体制で始められた,。同校で は、昭和41年11月の「学び方学習」研究発表に始まり、

‖綱目42年10拙二第1回学び方学習仝同大会開催、昭和43 年に第2回、昭和44年に第3担」と全校体制での実践研究

を続けていった‑.

II本学び方研究会の発足以来、学び方研究への啓蒙普 及が進んだのは愛知県のみではなく、昭和44T‑12, 、近 藤回‑の努力によって秋川県学び眉研究会が発足した̲, この後、昭和45年7月北海道学び方研究会発足、同日二 戸学び方研究会発足というようにして、全国各地にu本 学び方研究会の文部が発足していく.二,結果、会員数は2 千名を超えた′二,

昭和45 (1970)牛4月、それまでの「学び方研究だよ り」を充実させ、新たにf=服志として「学び方教室」を 発刊した=. 「学び方」の実践の実証的成果を発表し続け、

推進に力を入れたこともあり、昭和53年末では、会員数 は8千j引二およぷU

昭和53年9 H指導部長であった高沢幸太郎が急死し、

昭和54年8日には会長の野瀬電顕が相次いで他界するり このことによって、 「学び方教室」も休刊することにな

・^‑h.

会長を失った後の経緯については、

会誌『学び方教室』は83号をもって休刊し、変わっ て F総合教育技術』に学び方のページを組み入れ、

理論と実践を発表していくことになった,これと並 行して、タブロイド版の「会報・学び方教室」を年 二回刊行し、会員に配布することになった(『学び 方教育の基礎理論』小学館 p.1881981年)

とあるように、機関誌は月刊ではなく4ケHに1司の発 行になり、会長も不在となったulこのような事態になり、

昭和54年度の会員数は、昭和53年末の8千名から、 3千 名にまで減少したL一

昭和55 (1980)年3日、柴田義松を2代目会長として 迎え、再出発し、同年11日には「学び方教室」 84号を復 川する.:.昭利55年度の会員数は、 4千5百名にまで増え ていった.,̲

昭和62 (1987)年4円には、稲川二郎を3ftH会長に 迎えたJ 「足もとの教育改革」を提唱し、 「学び万」の授 業行脚を続けるも、昭和63年6月に他界する。

昭和63年6月に、石川勤を4代目の会長として迎える.二.

「学び方の易行化」を提唱し、学び方の実践研究の活性

(5)

4

上 出 蝣'i: ‑'蝣': * 上 目i 付 し;!

化を因った<̲

平成3年4日号から「学び方教室」を「学び庁‑自ら 学ぶ手を育てる」と改称する   勤による研究の活性 化の結果、会員は3千5百呂を数えるL

f一成10 (199釦 年4FT、現会長である荒井立山を5代 IIの会長とLて迎える̲,

概観ではあるが、以Lのような歴史的変遷をたどり現 在に至るL‑ 葡北地方・関東地方・愛知県・沖縄県なとが 活動の活発な地域であるが、現在もなお全国各地に研究 会の支部を維持し続けている二,

昭和45年からU出口53年にかけての爆発的な会員増の背 景には、野瀬電顕のJミ'>‑hとともに、各地域にリーダー的 存在の人物がいたことに大きく起因しているようであ る,̲ しかし、昨今では、新規加入者が少なくなったこと とともに、現会員の加齢が原因で、 xa員数が減少傾向に あるようである,

2.2.野瀬寛顕に着目して

日本学び方fllf究会を別謂した人物である野瀬寛顕に青 口して、野瀬電顕の提唱した「学び方」とはどのような ものなのかを考えていくL̲

まず、日本学び方研究会の初代会長である野瀬電顕の 略歴をまとめるJ

天I:7年3 [川L幌師範学校本科第IIL部草葉つliJ年4 j上 北海道夕張郡由仁小学校訓導、東iiC私立成躍小学校訓導、

東京市祖学、東京r囲碁並第五国民学校長を経て、昭和20 年10H教育接術連盟結成、同埋小長に就任ニ.昭和23年11 11教育技術研矧‑<r設立、同主幹に就tf< 株式会社小学館 教育部次長等を歴任し、野津H40年4 rJ教育技術研究所所 長に就任する。

上記のように昭和40年当時、野瀬電顕は、株式会社小 学館教育編集部相談役と教育研究所所長を兼務してい たニ,当時野漸電顕は教育技術連盟の普及のため、年間卜 数回、全圧借地の現地研究を視察し、講演・講習会を問

い嗣MEm

野瀬電顕が「学び方の教育」の重要性に気づくに至っ た経緯は、持:びfJL教育のすすめ』の中で次のように述 べられている。,

遊びにおける内発的な心の働きを学習に生かす

「ごっこ遊び」の指導には、大人の社会生活をまね る学習の初期経験がある=,この遊びながらの学び方 のなかに、学習指導のエキスがあると私は思う.̲ 子 供は、ごっこ遊びの天体の見通しをもちながら、自 tfでまずやってみる,J そして、ゆきづまると、みん なと話し合う。‑、繰り返し続行するなかで、だんだん とうまくできるようになり、より神経なものを求め るようになるp.

私は、いつのころからか、このような子供のi:.体 性に基礎をおく学習指導を「学び方の教育」と呼ぶ ようになり、 (御古) (『学び方教育のすすめ p.ll) この記述をみると、野瀬ノ鮎頃が子どもの主体性を重視 しようとしていたことがわかる.1また、その主体性をは ぐくむための、主体性を生かすための学習指導法として

「学び方の教育」を提昭するようになっていったことが わかる̲.

では、野瀬電顕が「学び方」というJ服吾を使うように なった、また、 「学びIjの教育」という教育理念を提唱 するようになった背後にはどのような理由があったのか を、時代背景と野瀬寛顕の学習観という2つの観点で考 えていく。

r]本学び方研究会が創設された昭和40年前後の時代背 景と「学び方」という川語を使うようになった経緯との 聞達については、

rI銅日二l二年に文部省から出された最初の「学習 指導要領」い囲指)には、学習指導の過程において、

子供たちの学び方を重視するという考え方が′jはれ ている。

私たちは、このような考え方をさらに明確に主張 し、学習指導が本来目指していた自主的学習の立場 を強固にするために、 「学び方」という‖語を使用 するようになったのである,u (『学び方教育のすす め』 pp.21‑22)

と野瀬寛顕白身、考えを述べている.

次に、日本学び方俳光会を別謂しようとした時代背景 を考えてみる1. 『学び方研栗の提言』用木学び方研究会 1969年)に「あいさつ」として、野瀬電顕が「学び方」

を提唱しようとしていた当時の状況が書かれているの で、以日二引用する.

今日、内外の教育は、大きくうつりかおろうとし ています=,その要因はなんでしょうか

わが国における、その第 ‑は、教育の本質を、と りもどすことであり、第二は、教育の体制と方途を、

時代の進展にRPl邑して、きりかえることです。 (『学 び方研究の提言胴

『学び方研究の提言』が作成されたのは、その奥付か ら昭和44年5Jjl IIであったことがわかるE̲ 「内外の教 育は、大きくうつりかわろうとしてい」るというのは、

時期を考えると、 =綱目43年になされた第4次改訂『小学 校学習指導要範II告示、 u銅1144年になされた第4次改訂 :中学校学習指導要領』告示を受けてのことであろう‑.

このようにみていくと、野瀬寛顕が「学び方」を強調し、

「学び方の教育」を提鳩するようになった‑つの理由と して、教育改革を求める当時の時代の影響が考えられ る̲t

野瀬宜輝のいう「教育の本質」とは何かを学習観とい

(6)

「学び方」に関する基礎的研究

う観点で考えると、

教育の本質は、育てることにあるE̲.教えることは、

外側から、外にあるものを子供に与える働きである が、育てることは、子どものl用期にあるものを外へ 発展させていく働きである̲ (『学び方教育のすす

め p.12′)

としていることから、学習者の知識や技能のみに着日す るのではなく、学習の意欲やl卦L、、態度に青uしている ことがわかる=.つまり、 ∫‑どもの内にある育とうとする 力、すなわち、学ぼうという力を伸ばそうというのであ るJ

この野瀬寛顕の考えを復に柴仕l義松は「問い」という 言葉を使って解説している=,

「学III]」というのは、文字通り r問うことを学ぶ」

ことに本質がある:, (『ひとり学びを育てる授業』

小学館1993年p.26) とL、さらに、

「問う」ことを指導し、問い続ける子どもを育てる ことがより大切なのだという授業観を教師とともに t.徒自身も抱くようにすることが必要である、 (『学 び方の基礎・基本と総合的学習』明泊Ll書1998年 p.K12)

と述べている̲,

野瀬電顕は「教育の本質」を「育てること」だとし、

自ら進んで学びとろうとする学習態度や学習能力を育成 することを慮調しているし、受動的に教えられる学習か ら、能動的に学び取ろうとする学習へと授業観・学習観 を転換しようとしていた.I 「教育の本質」に立ち返って 学習観を提案するとき、 「学び方の教育」の学習観が必 要となっていたのであろう̲,

ここまでで、野瀬寛顕は「学び方」ある国ま「学び方 の教育」という言葉を使って、既存の教育を変革しよう としていたことはわかった.̲ しかし、ただ、授業観のみ を、学習観のみを変えようとしていただけではない̲

H獅ri43年と昭和44年になされた学習指導要領の第4次 改訂を受けた当時の教育界では,問題解決学習が勢いを 失い、系統学習が広く普及していた,その結果、教育の 機能化・能率化を図るあまり、自由裁量のきわめて少な い、人間性不在の学校教育となっていった,つ落ちこぼ れ」がとりたたされはじめたこと,学園船争が起こった ことなどが象徴的である,

野瀬宜釦はこの人間性不在の状況を打破するために、

このさい、つよく要望されるのは、旧態依然の教育

̲̲上嬢を開発する、 「フロンテヤ精神」であります‑.

(『学び方研究の提言』 p.6)

とし、その説明として、次のように述べているE‑

教育土壌の「ひろがり」、それは、教育活動の行わ れる、全領域で、家庭・学校・社会にわたりますし、

ubL

その「」、かさ」は、教育活動の根源である、教育精 神のあり方と、それから発動する教育活動、さらに、

その精神と活動を碗捕りし、調和する行政活動などが 考えられます. (『学び方研究の提言』 p.6)

と、教育土壌を開発する必要性を説いている′̲ また、

「ひろがり」 「ふかさJなど、 J棚碇になってはいない部分 に関しては、次のように述べている、

その第一は、教育に関与する、教師と父母、これを とりまく‑一般社会人のもつ、教育に関する通念を開 発することで、第つま、家庭や学校で行われている、

いままでの教育の仕方、これを開発することです一 第 つま、教育の日的対象である子どもが、自らを育 ててl><;学習のfl二万、つまり「学びIj」を開発する ことで、第四は、家庭のあり方を開発することで すE,

第五は、家庭をとりまく、 「社会の開発」で、第六 は、 「教育行政の開発」ですが、これに関して考え られるのは、政泊のあり方の開発、とくに「教育優 先のあり方」が要望されますJ (『学び方研^Lの提 言』 pp.6‑7)

このように教育上壌の開発の柱を6点にしぼってまと めているJ意図的に書き分けられているかは定かではな いが、第一と第二をあわせた内容と第‑:̲と第四をあわせ た内宮が、似通っている,A,それぞれの差違は、第I一一と第 二に関しては、教育者を主体としていて、第三と第川で は学習者を日本としていることである̲ しかし、主体が 変わ‑了こも、主張の根底にあるものは変わらない,A

学習者の学習の場である家庭と学校において教育精神 を変革するべきであること二,学習者と学習者の指導にあ たる父母と教師とが学習のあり方を変革すること.ニ,

この2点こそが、野瀬電顕が教育の土壌の開発、ひい ては「学び方」の開発にあたって根底においていた考え であることがわかる,̲ 野漸電顕は「学び方」を提唱する ことで、学習埋論を提案するとともに、学習観の転換を 図ろうとしていたことがわかる,‑′ 学習の喝を広くとらえ た教育改革の必要性を感じ、 「学び方」の有効性を認識 していたからこそ、 「学び方」という教育理念を広めよ うと考えたのではないだろうか,̲

さて、野瀬寛顕がいかにして「学び方の教育」の重要 性を抱くに至ったのか、また、野瀬電顕が教育の土壌の 開発、ひいては「学び方」の開発にあたって重点をおい てきたものは何かをみてきたL、

それを受けて、次に、野瀬電顕が日本学び方研究会を 発足するに至った経緯はどのようなものであったのかを 改めてまとめていく,

1999年5JJ2 上 石川勤に、日本学び方研究会の発足 当初の様了ヰインタビューをしたL‑ 石川勤は、第4代口 本学び方研究会会長であり、,現日本学び方研究会名誉会

(7)

6

松 田 元 宏・松 川 利 広 長である、このとき、具体的に日本学び方研究会の別i5^

事情を伺い知ることができたので、以下にその概要をま とめる。,

昭和40年、愛知県刈飾If立刈谷東巾学校長であった 石川勤は、 「学び方学習」を提唱し、実践的研究を はじめる。そして、昭和41年4月から、同校で実践 研究をはじめた.ノ実践研究の必要性から当時東京教 育大学教授であった辰野千寿に助言を仰ぐが、授業 参観などで、辰野が共鳴し、野瀬寛Ui'jを紹介され

る.‑J

野瀬寛顕も昭和40年から「学び方教育」を提唱して いたため、 「学び方」という精神のもと、野瀬寛顕 と石川勤はともに「学び方」の啓蒙普及に力を入れ るようになったLl

昭和40年以降の流れをみると、昭和41年7月、野瀬寛 顕は、高沢幸太郎とともに、教育技術連盟の中二「日本 学び方研究会」を発足させた,二,教育技術連盟理事長であ った野瀬寛顕は、教育の営みを根元に立ち返って考える とき、学ぶ子どもの自主性を生かし、子どもの「学び方」

を育てることこそが、最も重要な課題であることに気づ くに至った。,

当時、教育現場を支配していたものは、科学技術の振 興と高度成長の社会に酎邑する知識主義を中心にした教 育で、とかく人I珊生不在のゆがめられた教育が指摘され ていた,̲ 「学び方の教育」はこのような時代背景の巾で、

知識に変わって「学び方」を重視する学ぶ個の確立を図 る人間教育を標輯して誕生したといえるだろう。,

このような時代背景の中、野瀬電顕が「学び方研ノ究」

を提唱し、教育技術連盟の中に、初代会長を野瀬寛顕、

指導部長に高沢幸太郎を迎えて日本学び方研究会を設立 する。二 また、指導委員として、当時お茶の水女子大学学 長の波多野完治、当時東京大学教授の細谷俊夫、当時東 京教育大学教授の辰野丁尋、当時東京教育大学教授の倉 沢栄吉、山川寺東京学芸大学教授の川口延、当時お茶の水 女二子大学教授の小口忠彦、当時東京大学助教授の東洋の

呂があがっているE=,

野瀬電顕は、 H本学び方研究会設立にあたって、次の ように宣言をしている。,

二、設立趣旨

(‑) 教育の生命である、愛育の精神を高揚 し、これをH帯の教育に生かすため、

児童・生徒の「頭づくり」と「人づく り」の接点になる「学び方」の開発を する.I,

(二) この「学び方」を、児童・生徒の身に つける「教育協同体」を、各地に組織

し活動する,ニ

① 学者と現場教師の協Il爾井究によ

り、近代的・能率的な「学び方」

を探求する,:.

(:)〕現場教師のもつべき、専門的職 能を促進する.

唱、家庭教育の充実をはかり、学 校・家庭・地域社会の連けいを緊 密にする。 (『学び方研究の提言』

pp 16‑17)

また、

新しい発足のちがい

最近、我が国の科学技術の進歩と、めざまLtl産 業の発達によって、国民総生産はLLr界のトソプレベ ルに進山しました,こ

この発展をみて、われわれは、わが民族の優秀性 を自覚するとともに、この繁栄を永遠に持続して、

「十 一世紀のよびかけにこたえねばなりませんL, ひるがえって、その根茎をつちかう教育の現状は どうでしょうか,I,遺憾ながら、今日の繁栄のかけに、

いまだかってない教育悲劇のあることを見のがすこ とはできません̲.この悲劇を生んだ原岡は、何であ りましょうかE、

もちろん、それは複雑多岐ですU しかし、その基 本的な基因は、戦後、民主主義の教育を、教育上壊 の開発を忘れて、観念的、形式的にうけ入れたこと にあると思います,ニ,

いまからでも、おそくはありません。,わが国の風 日二あった教育上壌の開発をすることが、これから の教育の中心になる問題です.=.教育の土壌開発、そ のキイポイントが、本会のめざす、 「学び方」の開 発です<̲ 仕学び方教室」 Nul pp.6‑7)

宣言の骨子は、学校・家庭・地域社会が協力して「学 び方」の開発によって教育土壌を開発するのだという教 育改革の必要性を述べている,,

実際に、野瀬覚顕が日本学び方軒先会の方向性として 重要だとしているのは、 「個の確立」である,:, 「個の確立」

と「学び方」との関係については、

まず、 「個の確立」について、

「学び方」のねらいを一つにしぼると、個の確立と いえる, f回の確立とはやる気を持つことである二, 廿学び方教育のすすめ』 p.80)

と述べている。,

野瀬寛顕は、学習者の内発的な学習意欲を開発するこ とを重視している,、それは、員体的な学習方法や学習方 式を身につけ活用することも重要ではあるが、自ら問題 を持ちそれを追求し解決しようとする積極的・主体的な 態度に、より重要性を感じていたからであろう.I.

もちろん、具体的な学習方式を軽視しているわけでは ない.̲

(8)

「学び方」に関す/‑L基槌的研究

個の確立の連続として発展する線の延長は、行わ としての学習活動を理論づけたキルハトリ,ソクの提 唱によるプロジェクト・メソッドと同様の立場をと る,̲,つまり、 Mft)をもち、計画を立て、それを'jf行 し、その結果を反省するという「学習の行為化」で あるJ (『学び方教育のすすめ二p.81)

としていることから、学習を意識化させることだけでな く、学習を行為化させることにも着目していたことがわ かる̲,

野瀬電顕にとって、 「学び方」とは、やる気をもって 学習に望む際に、児童・生徒に伝えておきたい学習の行

万化の方法ともいえるであろう,I.

先に出てきたキルハトリ、ソクのプロジェクト・メソッ ドとは、

教f相加二意味のある活動や経験を、学習者の自発性 に基づいたプロジェクトとして学習者白身に企画・

計画・実行させ、プロジェクトで目的とされた具体 的成果を達成させることにより、教育目的としての 理解や知識つ封Fiの獲得を図ろうとする教育の方 法E̲ (『現代学校教育大事典二6巻ぎょうせい1993 年プロジェクト法中村浦山5.110)

と定義づけらわ、

またプロジェクトの遂行過程を、 (主用的を立てるこ とpurposm針蔓'蘭画planning、 (3虜行executing、甘 柿栗の判断judgingの4fJ│i皆でとらえた(同L

Ill)

という特徴も持っている[=

先に引円した「キル′月、リ・ソクの擢um二よるプロジェ クト・メソッドと同様の立場をとる」とは、学習の投階 の設定の仕方、また、その意図という点において、野瀬 覚顕の考えとプロジェクト・メソ..jドが類似性を持って

いるという意味で考えてよいだろう̲,

この野瀬寛顕の発言をみると、野瀬電路の考える学習 の行為化は、 「問題解決学習」やキJL,ハlトリ、ソクのプロ ジュクト・メソ、ソドに近い形式をとっているL̲.

プロジェクト・メソ、ソドにおいては、経験学習の学習 活劫を(1) I的立て(2)計由立ノ案(3)実行(4)批判 の4段階に';>(ナ各段階を締させていたL‑,

野瀬電顕が学習の行為化を4段階に区分し、 「学習の 目的」 「計由」 「実行」 「反省」と称していたことからも、

プロジェクト・メ、ノ・ソドと野瀬魔顕の学習の行為化の方 法とは非常によく似ているといえる,I.

また、特定の教育内容に対する学習過程を示すもので はなく、いわば普遍的に活用可能な学習過程を示してい るという点でも類似性がある‑

しかし、野瀬寛顕の提唱した「学び方」は、単に、学 習の投階を明確に区'Jlしてすべての学習活動を意図的に 行為化していくぺきだという主張にとどまっているわけ

ではない一

二二までみてきてわかるように、野瀬寛顕が提昭した

「学び方」は、あくまで学習観の転換を図るものであっ て,その主張に内包される形で、学習方式の転換や授業 理論の転換が唱えられていたと理解すべきであろう,̲ し たがって、野瀬寛顕の提出した「学び方の教育」の学習 方式が問題解決学習に酷似しているにせよ、主として理

解すべきは、その学習観である‑,

このような「学び方」を提唱した野瀬寛師は、 [十本学 びh'W先会の求心力となった‑̲.野瀬寛銅を会長として迎 えたことによって、日本学び方軒先会は組織され、また、

H本全国に拡大していったのだが、理論研究に携わる研 究者と、学校現場の教師集団が、互いに牽引し合いなが

ら、 R本学びfj研n会は発展していく[コ

野瀬電顕のfL賠品的特徴は、 「学び方の学習」を「広く 牛泥につながるような生き方そのものの学習」 ([惇:び方 教育のすすめ』 p.75)と広く位置づけ、 「個の確立」、す なわち、自ら学ぼうとするやる気・意欲を強調している ことである,ニ

2.3.石川勤に着目して

まず、石川動の略歴をまとめる,

大 「「2年愛知県に生まれるl昭利9年に岡崎師範学校 を卒業‑ '酬獅HIO牛から教壇に立つこ 昭利19年に丈検

「教育」合格=,昭和10年より日鋼1149年まで、幼f;f紺亘I長・

小学校長・中学校長・県立高等女子高校教諭・県教委指 導‑巨Jト教育事務所副所長を歴任する,‑,昭和49年から昭 和63年まで、岡崎女了瀧別大学教授、学良‑ 現在は、日 本学び方研究会名誉会長、岡崎女子短期大学名誉教授J

f川働の職務歴に関して特筆すべきは、幼児から大学 生、果ては現職教員の教育に至るまで、およそすべての 牛代の学習者に指導をしてきたことだろう.ニ この経験か ら、全人的かつ一生涯にわたる学習の在り方についての ,u講を深めていたであろうことがうかがえる̲.

昭和63年4月膏目付けで、石川動か岡崎女子短期大学 職をもって教員生活を終わるという内容の文書を関係各 位に送付しているE̲ その中で、自らの教員生活を3期に 区分している.̲ 第1期 川綱目10年から昭和19牛) 「新任 時代」、第2期(昭和22牛から昭利40年) 「教育評価に対す る研栗実践の期間工 第3期(P3郁40年から昭和63年目学 び方学習」の「実践研究」の貯日印である しかし、昭利 63年で「学び方学習」の研究が終わったわけでなく、 L 記の第3期以降も、日本学び方研究会の会長として、ま た名誉会長として後進の指導にあたっているtJ

次に、石川勤が「学び方学習」の実践研究をはじめよ うとしていた当時の様子をみていく.I

石川勤は昭和40年当時どのような状況にあったのかと

(9)

Ll

松 田 元 宏・松 川 利 広

いうと、昭和41年度からの「学び方学習」の実践研究の 準備段階にいた‑,具体的には、日出口41年4月、愛知県刈 fti j v'.^Ut'vMi'い′、;斗'<!i‑おいて 白L'lら学ぶ日和'.J人間のflL 成」 「生きて働く転移する力」 「学力をあげる学び方」の 3つの目標を持った「学び方学習のJ実践研究」をはじめ るJ この実践的研寵は、同校の全校体制において実施さ れ、同校校長であった石川勤が研究の指揮を執った̲.

昭利41年度からの継続的実践研究を昭和45年に振り返 って、石川勤は次のように述べている̲,

山上学習の基本を育てるためには、学ぶ内容その ものばかりでなく、それを学び取るしかたを身につ ける必要があると考え、まず、国語、社会、数学、

理科、英語の五教科を中心に、学び方二、五方式を 試行錯誤の末うち立て、これを実践しで学業成績の H二も、学ぶしかたのT夫においても、また学ぶ態 度や生活のしかたにおいても、確かに成皐があがる ことを実証的に明らかにすることができた‑, (「学び 方教室」 ¶「..I p.13)

「自主学習」という言葉にも気をつけなくてはいけな いのだが、 2000年3月4日に石川勤にインタビューした 際、 「子どもが求めて学ぶLl,それが自主学習である̲.」と

fll義された,̲,

Lの記述をみると、石川勤の場合、野瀬電顕とは学習 回路の分析に明らかに違いがある‑,

野瀬寛顕の場合、まず意識化して次に行為化するとい う捜階で考えているこ しかし、石川勤の場合には、行為 化した後に意識化されるのだと考えているようである′

この点に関しては、同日のインタビューで、 「方略は教 師が持っている.̲ 教師の後追いをすることによって、方 略を体験することによって、子どもが、何をしたか・何 が良かったのか・何を用いるべきかを意識し始める[̲l」

としていた.̲。

つまり、まず行為化し、次に意識化され、最後にその 活動すべてが体験になるのだという考えであった,:′

二人の差異に関しては後述することにして、この実践 研Jjtの成果については、

′日圧をみとおした能力態度をつちかう、いわば生 涯教育を企図する場合においても、学び方学習がど んなに意義と価値があるかを、ある程度実証的にと

らえることができた。 (「学び方教室」 No.1 p.13) としている。

石目l勤は、生涯学習という大きな視野に立ち、学業の 面でもF口舌の面でも活用しうる、学習の仕方を学び取ら せようとしたことがわかる<二「学び方学習」を提唱し、

全校体制での実践的検証をもって、 「学び方学習」によ って「生涯をみとおした能力態度」が育成されることを 実証しようとしたのである,i

先に述べたインタビューの様子からは、教師の授業法

にのみ注意が弘われているようにも感じられるが、石川 勤が「学び方学習」や「ひとり学び」、 「自‑主学習」を提 唱するようになった理由がどこにあるのかを続いてみて いくL‑

石川勤の提唱した考えの中核となるのは、自主学習で あるL二 後に石川勤は「ひとり学び」と呼んで啓蒙普及に つとめるが、学習者が自主自<J{二.主体的に学ぶことを理 想とし、学校教育においては、自主学習の仕方を学ばせ ようとしたのである,二 このことは、石川動自身「学び方 の授業のめざすものは、自ら学ぶ人間を育てることで す,‑,」 (u学び方授業のすすめ方』 ).ll)と述べているこ とからも、明らかであろう.一.

つま古上 石川勤が「学び方学習」を提uPiLた根拠とし ては、知識注入型の授業から学び方を学ぶ授業への授業 観の転換を図るために、自己学習力の育成をねらったと 考えることができるこ.

昭利40f陣笠階では、アメリカのブルーナ‑の学習理論 として、 「学習の仕方を学習する(learn howto learn)」

(『教育の過程三 p.7)ことの重要性は=珊」38年に翻訳さ れて紹介されていた[=.また、日本国内においても相良守 次の『学びffの科学二 白室業行動研究所昭利44年9日5 口)なども発表されていたことから、石川動が「学び方 学習」を提唱するようになったのは、時代的な背景も関 連があったのではないかと考えられる,J しかし、 「「学び 方学習」という新教育川語をはじめて使目したのが、愛 知県刈谷市立刈谷東rFr学校および、 njrlf立小高原小学校 です」 (「学び方教室」 No.lp.30)とあるように、石川 勤の主張した「学び方学習」は、ブルーナーや和良守次 とは、類似性はあるが違ったものであったのであろう.

「学び方」や「学び方学習」という言華は、古くは一 般的な和語であって教育円語ではなかったようであるL

多くの教育雑誌にとりあげられ、紹介され、学び方 は、いまや教育現場での通日語となり、基本同語と なった。仕学び方ガイドブ、ソク」 p.5)

「学び方学習」という新教育同語をはじめて使用し たのが、愛知県別術ff立刈谷束中学校および、同市 立小高原小学校です。,仕学び方教室」 No.l p.30) とあることから、おそらくは教育用語として使われてい た言巣ではなかったのであろう,I,概念としてはブルー十 一などとも類似性を感じるが、術語としては独自の用法 によっていたと考えられる.、.

たとえば、 『「学び方」とは何か‑ 「学び方教育」を解 明し実践の要訳を語る‑』 (日本学び方研究会1984牛)

と超した冊子の巾で、そのあとがきとして柴旧義松は、

学習のし方を学習することの重要性は、アメリカ のブルーナーたちの教育理論の中でも説かれている が、日本学び方研究会の理論および実践は、むしろ わが国十着の教育思想に根ざすものである.

(10)

Hも覆 Hi邑抗sssffiHlはon

すなわち、大IJl二期以降、l」本の学校現場にしだい に恨づいてきた生活指導の方法、やる気を育てるた めの偉摘り学習と集LfJ学習との統合、見通し学習に始 まる学習の行為化の方法などを独白に発展させたも のである。,什「学びJj」とは何か」pp.14‑15) とLている.

他に、[11日勤白身が「学び方学習」の性質を述べたも のとして

学び方学習は、教材構造の再構成のしかたを学習 することをめざすものであるから、知識の習得とい うよりは、知識や技能が、教材のしくみの部分とし て、構造の中でどのような意味、役割、関係を持っ ているかの認知、またそのような学びとり方・考え 方を訓練しようというにある,,したがって、問題解 決的な学習態度を尊重し、‑日本的な学習を強調する,‑

だからといって、教材はデューイのいうような経験 的な生活現実をとりあげねばならぬというのではな い学び方学習が必要と考える教日とは、教材構造 を学びとるのに都合のよい材料であり、子どものし デIネスにi!UIノて、学びとり方の訓練を行うことの できる題材であることが大切である,‑(『自ら学ぶ能 丑』p.91)

という記述がある

また、2000‑ト3円4「lのインタビューでは、「愛知県

の三河地方では生活教育、′Lきることや実際の′r:.活に関 する教育が、元来強調されていた.人間を大事にしよう、

生活を大切にしようという地域の歴史的・伝統的な教育 と結びついている学び方研賀会というのは地域性が強 いのだ∴」と、石川勤自身もi三強していた

これらを考えあわせると、J'臣枠〕時間的な関係からい うと、デューイやブル‑十一などの考えを援用している ようにも思われるが、実際には、日本の伝統的な教育理 論をふまえて、学校現場から発生したものであるのだろ ラ̲,

他から理論を導入して、そのノ妾践を行ったというわけ ではなく、「自ii学習の基本を育てる」という必要性か ら「学び万学習」に考え至り、その有効性を実践研究の 中で確認できたからこそ、石川勤は「学び方学習」を提 ulHノたと考えることができるt,

さて、改めて石川勤の提iiFt Hiiする「学びJj学習」に話杏

戻すが、till!勤のめざす「学び方学習」の本質は、

学び方学習は、学習を進める場合、何が大切か′1.辛 習のポイントとなるものは何か.こういった学習課 題と考えられるものや中心となる基本内容を正しく おさえることのできる能力を育てようとする‑,(『自 ら学ぶ能力』p.63)

とあるように、学習の焦点化・意識化であろう。

「学び方学習」という学習観の中で、その具体的な′妾

9

h'射gIJとして「学び方三.五方式」や「さしすせそ学習」

とい‑つた学習方式が設定されている‑

このことは、木原健太郎の分析の中で、

学び万学習の唱道者が最も強調する点は、その日的 観である,‑ 則本的に言うと、 「なのために学ぶがと いう学習の意味」を児!li・生徒に「つかんで¥V.ちあ がらせる」ことがたいせった‑ そこから、学習の目 的はl学徳‑一体の実践である」という信念が生まれ てくるのであるが、学徳というものを子どもに理解

させ、それが「教科の学び方の急所をつく」ことが できるようになるためには、学習ということについ ての深遠な省察と、詳細な手だてが必要になるもの のようである‑, (『現場の授業理論。 p.153)

とされていることからも裏廿けられるのではないだろう か,

加識注入里の持業から「学び方」を学ぶ授業への転換 を図ろうと、自己学習JJ (ひとり学び)の育成をねらっ た結果、ブルーナ‑の提案した考えに近い「学び方学習J が発′上し、それを学校現場で寛戯的に(酢究する中で、

「学び方三.Ji.方式」や「さしすせそ学習」とい‑)た学 習方式が項等の教室の中から/I:̲まれてきたと考えるのが

本当であろう,

また、白川'tJ観」を重要視することは決して一面的な 考えではない

filll勤は、 2000年3月4Rのインタビューで、次のよ うにも述べていた‑, 「子どもと対向して実践した場合、

今回が‑満の問題かというと、 「授業は与えられるもの という通念」が目の前にtj二ちふさがっている,̲, 「教帥」

や「授業」をうち砕くには「学び方」しかない「学び 方の教育」をするためには、 「通念の授業」を砕く必要 がある,̲」

石川動の目指す「学び方学習」を実践するためには、

直接的には授業を政吉すればよい,‑ Lかし.授業を政吉 するには、学習者の学習観を変えなければならないし、

同時に、教紬と学習者の授業観を変えなければならな

木原健太郎は「H的観」としたが、これは「学び方学 習」の思想性・方向性を指すものであろう,̲ 授業を改善 するためには、教育理念は娩曲的に見えるかもしれない が、実践家のRからみると、宴は教育理念という現実か ら離れた根本的なものを変革することこそが、本質的な 授業改善には直接的に作用すると感じられるのではない だろうか,̲ そして、学習観や授業観の変革に重点を置い ていることこそがイーI'll働の「学び甘、予習」の特徴でもあ

るといえる1

(11)

松 田 元 宏・松 川 和 広

2.4.日本学び方研究会における「学び方」

野瀬寛顕と石川勤に共通するものは、効率化・能率化 を推し進める教育にゆがみを感じ始めた時代に、自ら主 体的に学ぼうとする意欲を高めようとし、自ら学ぶため の「学び方」を身につけさせようとしたことであろう。

学習者自身が自ら問う気持ちを持つことができるように することと、そのために何らかの具体的な学習方式を用 意すべきであるということの2点において、共通点が,u 出せる.

しかし、すべての面で致しているわけではない。,野 瀬寛顕の「学び方」は、学ぶfl二方を育成することのほか に、学習の場として学校だけでなく、家庭や社会も範暗 に入れたことから、広義の「学び方」ととらえることが できる,̲、それに対して、石川勤の「学び方」は、学ぶ仕 方を授業や学校/l三活の中で芋ばせようとはしたが、学習 の場を学校にとどめおいたことから、狭義の「学び方」

ととらえることができる:.

このことは、野瀬電顕が「学び方の教育」と¥uサ、u 川動が「学び方学習Jといったことからも伺い知ること ができる,‑,野瀬寛顕の場合、より広く教育活動全般に焦 点を当て、石川勤は上に授業の変革に重点をおいていた のである.二ノ

「学び方」にたどり古くまでの過程にこそ違いがある が、覚える学び庁から自ら考え創造する学び方へと学習 観を転換し、教えられる学び方から自分で学習の計画を 立て、問題を解決する学び方へと学習方式を転換したと いう2点において、本質的には共通していたことがわか る̲I

ここまで野瀬寛顕と石川勤に肴目して、「学び方」の 理論的特徴をみてきたJそこで、次に、「学び方」自体 がどのように評価されてきたのかをみていく,二 先行研究を探すという作業をした結果、R本学び方研 発会における「学び方」に関する理解については、多く、

「学び方」は「型」学習だという批判があることがわか ssa

以トに、具体的に例を挙げながらどのような批判を受 けてきたのが、またその根拠はどこにあったのかをみて いく‑,

日本学び方研究会の活動に対して、「学び方教室」誌 上で矧Ill.

I'JJ点を指摘した代表的な論考として、安彦忠彦の

「学び方学習への期待と要望」仕学び方教室」No.119 pp.2‑10)があげられる,‑,宏彦忠彦の指摘は、網羅的であ り、かつ、系統的であるため、ここで代表的な例として 取りLげることにする,‑̲、この論考では、1「学び方学習」

への私のイメージ、2「学び方学習」の実践と研究の区 分、3「学び方学習」と自己評価、4「学び方学習」のカ リキュラムという4つの観点で疑問点の整埋と安彦忠彦

の希望する改善の万lサJt生を示している。、,

1 「学び方学習」への私のイメージでは、 3つの観点 で「学び方学習」に対するイメージがまとめられている,̲

(1) ターン化されている(2)問題解決学習や発見学 習と基本的に同じである(3)指導過程一般に関心があ り、指導内容の方は重視していないの3つであるが、こ れらはすべて、 「学び方」の問題点でもあると考えるこ

とができるニ.

(2)の指摘は、 「学び方学習」をある種の学習方式に よる学習指導なのだと考えると、まさしくその通りであ る‑,また、 (3)についても、 「学び方」研究では優先的 に指導過程の打l酎ヒ、学習過程の手順化を進めたため、

「学び方」のカリキュラムを作成するには至らなかった という現実をIk確に指摘している′‑,

安彦忠彦の指摘の中で、特に(1)に関しては、他か らも数多くの指摘があるようである.̲,この点に関して、

その指摘はふさわしいのか、また、指摘する根拠はどこ にあるのかをみていく,I,

「学び方」を、 I一つの里(パターン)のように思 っている人がいるリ「学び方学習の方式を簡単に示 してくれ」とか「00方式」が「学び方」だ、など という人たちがいる。. (「「学び方」とは何か」 p.2) と、野瀬電顕自身が語っていることからも、 「学び方」

というものに対して、 「型(パターン)」というイメージ を持っている人がいることがわかるが、そのような人た ちに対して、野瀬電顕は異論を昭えている̲.たとえば、

「望」というイメージと「学び方」との違いについて、

つの漢字を覚えるにも、計算をするにも順序が ありますので、その順序を堀えるのも つの学び方 ですが、ここでいう「学び方」とは、一つの単元や 題材に取りくんでいく「学びTj」をいうので、その 単元や題材を学ぶrH的」をつかみ、 「計画」を立 て、それを「実行」し、その結果を「反省」し、そ の欠如を補う、というように「行為の投階」をふん で進む「行為化」の学習を基本的な「学び方」とい うのです.ニ(「学び方教室」 ¥q63 p.19)

と、 「行為の段階」という言葉で「学び万」を解説して いる., 「型」学習とするときの「型」という言葉に誤解 の原因があるようであるU 野瀬寛顕のいう「学び方」と は、一つの問題解決法だけではなく、問題解決法の作成 をも含んだ「′日圧学習につながるような生き方」も同時 に含んでいるのであるE二,一つ山リな学習ではなく、多様な 学習の在り方を目指していることに「型」学習と断じる 批判は反しているのではないだろうか,̲

ここで先に述べた広義の「学び/j」と狭義の「学び方」

に戻る。石川勤における「学び方」の特徴は、 「学び方 の学習」を「ひとり学び」の学習と置き換え、実践研究 の立場から授業観や具体的な学習過程の分析を主にして

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