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『宗教研究』新第13巻第4号(*96号)

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(1)

――目次――

1,

出家式の本義とその成立,上田天瑞,Tenzui UEDA,pp.1-20.

2,

道元の人倫観,秋山範二,Hanji AKIYAMA,pp.21-41.

3,

支那仏教初期の般若経に対する課題(下),梶芳光運,Kōun KAJIYOSHI,pp.42-60.

4,

宋版一切経輸入に対する社会的考察,森克己,Katsumi MORI,pp.61-74.

5,

日本中世寺院法における相続法,細川亀市,Kameichi HOSOKAWA,pp.75-97.

6,

餓鬼について,死人の運命に関する仏教の考へ方,宮田菱道,Hishimichi MIYATA,pp.98-126.

7,

ウパニシャツドの一解釈,Kausītakibrāhmaṇopaniṣad と ‘Saṃkara の解釈,坂井尚夫,Hisao

SAKAI,pp.127-136.

8,

山谷省吾氏の近著『パウロの神学』を読む,三枝義夫,Yoshio SAEGUSA,pp.137-143.

9,

最近における独逸の宗教政策,高橋海定,Kaizyō TAKAHASHI,pp.144-146.

10,

海外雑誌論文,pp.147-148.

11,

新刊紹介,pp.149-157.

Posted in 1936

(昭和11)年

(2)

出家︵Pabbajjヂ.SKt.P岩くrajy巴とは常に言はれる如く﹁豪より︵出で1︶家なきに到る﹂︵Ag腎as∃由 Aロag腎iya8 pabbajjati︶ ことにしてこれは唯り俳教のみに限らす俳陀時代の各景況に北ハ通なる修造生活の形 式であつた。例数に於いては後に伶伽の組織が整備するに至り、たとへ俳致を信じて家を棄て修道を志す育と雉 も必ずしも凡て恰伽の正員即ち比丘として認められざるに至り、酎豪にも自ら贋狭の二義があるに至つた。如ち 俳教を信じて家を桝づる解義の出家と、恰伽の正員として挿受せらるる狭義の州家とである、山家の目的とする桝 は後者なるが故にこれを眞の出家と見るべく前者はこれに封する預備的なる着である、前者は沙弼︵SPlヨa霊ra︶ にして後者は比丘︵bhikkF︶である。かくして出家の儀式にも自ら沙弼の出家式と比丘の出家式との二を生じ 前者真申に出家︵Pabbajj巴と云ふに封し後者を受具︵Upasampad豊と云ふのである。この二は最初に於いて は必ずしも別物ではなく寧ろ同一なろものであつたが、後に至つて判然院別せらるる様になつたのである。 諸種の律赦に説く日豪式を明かにし、川家の本義を考へ、叉律赦の成立問題をも推論して見ようと思ふのがこ の小論の目的である。 ∵ 拇家式の本義とその成立

出家式の本義とその成立

天 瑞

J≠βク

(3)

巴利律及び四分律五分律に放ける出家式

律液中出家式を述べて居るのは世塵部︵khandhaka︶ の第一受戒篇である。巴利律の第一大軽度︵Mah欝k・ FandFa−ハa︶ にょれは ︵一︶ 彿陀の初轄法輪によつて最初に仰陀の許に弟子となつた惰陳如等五比丘の出家については次の如く言ふ

その時法を見、法に達し⋮⋮師の敦に依り他に依るこユなき阿苦情陳如は世尊に白せり、﹁尊師、願はくは

世尊の許に於いて出家を得受具を得ん﹂と。世合口へり、﹁来れ、此丘、法は善く説かれたり、善く苦を轟さ

んが焉に梵行を修せよ﹂と、是れこの具詔の受具なりき。︵ehi bhi罫hq ti bha管品aくOCa、S品kkh巴O

dhammO−Cara brahmacariya召dukk訂ssa antakiriy薫.聖ti一S抑イa tassa茸asmatO upaSamp・

ad抑abOSi.︶︵Mく﹂−の、∽柏︶

即ち唯今により﹁来れ、比丘﹂云云と言はれることにょつて弟子たるの許可を得直ちに世尊の教囲の正員とな

れるもので、後にこれを﹁書架受具﹂或は﹁菩来待﹂と云ふのである。その後耶合︵Yasa︶の出家、その俗友五

十四人、或は三迦菓、舎利俳、日蓮の出家竿俳陀が自ら刑家を許されたる者は悉くこの菩秀行にょるものとして

居る。

︵二︶ 彿陀の弟子達が諸地方に至つてその教法む宣布するや、例数に出家せんとする者各地に漸く多く、これ

等を一一怖陀の許に連れ来ることは煩労に堪えざりし故に、俳陀は諸比丘が各方各国に於いてこれ等を出家せし

むることを許されたとし、その方法として次の如く説く。

出家式の本義とその成立 Jノア(J

(4)

諸比丘、今より汝等各方図に於いて出家受具せしめよ、先づ巽髪を剃り、袈裟衣を着せしめ、欝多羅檜衣を

一眉を葎ふ様に着せしめ、諸比丘の足を祀し、踊脆合輩して是の如く唱へよと言ふべし。﹁我れ彿に踪依し奉

る、我れ法に蹄伏し奉る、我れ恰に蹄伏し奉る。我れ二度び彿に⋮⋮我れ三度び俳に⋮⋮﹂と。詔比丘、この

三蹄依にょる出家受具を許す。︵Anuj抑n抑ヨi bhikkha諾i舅ehitニーi sara雲gamanehi pabbajjaちupaSa

mpadan ti︶︵ibid∵忘−∽1舎 即ち一比丘の前にて三相依を唱ふることによつて出家受具を得る.ものにして、これ聖二蹄待と言ふのである。 ︵一︶ ︵三︶ 後に至つて詔比丘の診り欲せざるノ婆薙門が出家を求めし時、仰はこの横に従来の三踪得を靡して白四 掲磨にょる受具︵ロlat︹icatutth2ロakammenaupasaヨpad抑︶即ち伶伽合議の儀式をもつてする出家受兵法を 制定され、︵声−−勇﹀ 更に出家者の師︵和佃︶、儀式出席者、Ⅲ豪者の資格、儀式構成の人員等についての規 定を定め、最後に定型的儀式として説くものは次の如くである。 ︵二︶ ︵1︶ 集合せる恰伽は先づ受者七封して儀式上の指導をなす教授者︵Anu川阿山aka︶を定める。 ︵2︶ 教授者は受者に師たる和何︵Upajjh甘a︶を講はしめる。 ︵3︶ 次に衆恰の倉座を離れたる所にて受者に三衣鉢の用意あるや空相ね、後刻臍衆中にて問ふべき受具の資 ︵三︶ 格を失ふ種種の障難法︵Antar首−ハa dhaヨm。︶なきやと試問し、大衆中にてもこれにつき怖れす眞賓を 語るべき棟数へる。 ︵4︶ 教授者衆恰の許を得て受者を喚び衆檜中に来らしむ。 出家式の本義とその成立 J4アJ

(5)

︵5︶ 受者恰衆に受具を得んことを懇請す。

︵6︶ 大衆中の聴明輝能なる一比丘︵くyattta bhikkhu paュba︼a︶伶衆の許を得て受者に障難港を間ふ。

︵7し.この比丘︵漢詩に弗磨師︶恰衆に言ふ。﹁某甲なる者某を師とし受具を得んことを講ふ。恰伽にして可 ならば彼に受具を輿へん、これ提議︵訝tti白︶たり。﹂﹁諸大穂巾彼に受具を輿ふることを忍許せらるる者 は黙し、不可とせらるる者は述べられは︵第﹂掲磨︶、二度び︵閉はん︶︰⋮︵第二掲唐︶、三度び︵問は ん︶、誇大徳申⋮⋮︵第三弗磨︶。﹂ ﹁恰伽は某甲に某を師として受具を輿へ先んぬ、伶衆はこれを是とす、 かるが故に黙然たるなり、我れ是れをかく判す。﹂ ︵8︶ 次に直ちに日影︵時刻︶を量り受具せる時季、日、時を告知す。 ︵9︶ 次に四依法︵Catt腎02.SSay巴及び四不麒作事︵Catt腎i akara思y腎i︶即ち四波薙夷法を教示す。 ︵宗−謡︶ ︵四︶ これ︵白四︶掲磨待と言はるる庵のにして最も単価せる日豪儀式である。この儀式は十人以上の比丘にょつて 行はるべく︵芦−︶、和椅は受具後十夏以上たるべく、叉新しく受具せるものは五夏以上和佃或は阿閣梨に任止 して訓育を受くべく規定されて居る。 巴利律に説く受其の作法は以上の三種であるが漢諸にはこの他に種々の受兵法をあげてをる、五分律には彿の Ⅲ家は自然に受具せられたりとして自然具足︵自然得︶とし︵大正出・一〇二b︶、臍祀律には四種の具足法あ りとして白具足︵世尊︶、善来具足︵五比丘等︶.十衆具足、五衆具足をあげて摺る。︵大正22・四一二b︶叉 把家式の本義とその成立 四 J47g

(6)

十調律五十六には自然得︵世隼︶、見諦得︵五比丘︶、自書得︵摩討迦菓︶、論議得︵蘇陀︶、遼五得・受重得 ︵摩詞波簡波接尾︶、遣使得︵年迦戸︶、音楽得、三踪得、自四得の十種の具足薮をあげて居る。︵大正23竺

Oa︶

以上は受具即ち比丘となる儀式について述べたが、沙摘の出家については、巴利律には受具の規定が生じた後

︵五︶ 二十歳に達せざる者に受具む典ふるべからざる規定を生じ、それ以下の川家を抄弼とし︵串e、その作港につ いては裸眼薙︵R警亡︼a︶ 出家の縁を説き、前述の比丘の三蹄得と全く同様にlニ蟄踪依空一眼することによつて 旧家することを説いて居る。︵箪∽︶更に父母の許可を得ざる少年を旧家せしむるを禁じ、沙摘の十戒︵dasa Sikk富pad賢十嬰塵︶を定め、これを拳召することを制してある。︵夢−︶ 漢詩の四分律︵第三十姦1三十五巻︶、五分律︵第十五巻−十七雀︶を見るに、この再律に説く研は部分的 ︵六︶

なる鮎を除き大饅に於いて巴利律と一致して居る。これより見るもこの三律は最も古き形を倖ふるものと考へ

られる。

十謂律・伶武律に於ける出家式

十諦律恰紙律の雨律が前三者と受戒篇の記述に於いて大いに異なることは注意すべきである。

十諦律︵第二十一巻︶にては受戒篇の初めにある彿俸は全部省略し、直ちに和翻、阿閣梨を有つことを制し、 次に白四掲磨受具のこ.と空口ふも極めて簡畢にして始めには寧ろ沙弼の旧家法を要はしく説く、これ他律の簡単

なる記述と大いに異なる鮎である。

出家式の本義とその成立 五 ヱゴア3

(7)

沙摘出家法︵大正23一四九C巳下︶ ︵1︶ 剃髪し袈裟をかけしめ戒師︵掲磨師︶が受常に三踪依聖二咽せしめて傑婆塞となし五戒を授け垂詩護

持を誓はしむ。

︵2︶ 次に出家を乞聖二賛蹄依を三唱し出家し巳る。 ︵3︶ 次にこの出家の年歳を憶持せしめ更に戒師が十戒を誰き示す。 この抄摘の出家法は巴利律等に説くものより厩る整へるものであり、且つ儀式的となれるものであつて、これ は後の受具の作法に倣へるものなることは一見して知ることが出来る。 次に受具の法としては大髄に於いて巴利律等と﹁致するが注意すべき相異鮎は、最初に二衣鉢を受持せしむる 儀式を説くことと、最後に四依法、四境法︵四波維夷︶を説き、更に十三恰残法の内容を一一説き示すことにし て、ここにも審理附加せる恐達的部分む認め得るのである。 次に檜紙葎︵大正22四一二巳下︶も他律とその記述形式大いに異なり、最初より具足法に四種ありとして白具 足、書架具足、十衆具足、五米兵足をあげて説いて居る。そめ十衆具足が如ち白四掲磨の受具にして其の作法の 記述は、巴利四分等より十誠に近く儀式的に客理されて居るが、その中他律と異なる鮎は、︵1︶他の律では四依 法は受其の発きに説くべからすとするに封し、愴砥律では後に説くべからすとし正反封である。発きに説きて充 分これに堪え得るやを聞き掲靡受具せしむべしとする。︵2︶掲磨を終了して四境法のみならす所謂具足城︵二百 五十戒︶の金牌を説くべしとする瓢にして、この律が後死後蓮せるものなることを示して居る。 出家式の本義とその成立 ユノ74

(8)

有部律及び南海寄席俸に於ける出家式 唐の義浮三赦︵票㌫−ご∽ AD.︶詳の石部枠及び其の著市振寄掃化によれば、出家法は一骨儀式的に要はしく ︵七︶ 説かれて居り其の内容に於いても刑骨四に異なるものがある。根本龍一切布部百一婦靡巻一︵大正24Pq五五C巳下︶ には出家受近l園の儀式聖二階段に分って説く。 一、掟三蹄五夢魔−−出家を求めて一師の詐に来る時は、先づ障耕法を悶ひてこれ無き時は挿受し三錯及び五 畢庭を授けて優姿塞となす。 二、授十畢庭 − 次に師︵和佃︶及び日米者︵掲麿帥︶を講ひ、〓衆者は衆恰に某甲をH家せしむる許を得て 剃髪者に剃髪せしめ、洗浴せしめ、裸及び繕衣を漬せしめて、諸比丘に求寂律儀︵十戒︶を授かりて出家するこ とを講はしめ、次に十畢虞を授かりて求寂︵抄約︶となる。 三、授近園1求寂が年二十歳に達すれば受具せしむ、その作法は師が先づ三衣、鉢、濾水薙、臥教具の六物 ︹八︶ を調へてやり、十人或は五人の恰衆中に到って師を請ひ、師は焉に三太と鉢とを受持する式をなさしめ、次に受 者を恰衆の面前より去らしめて︵見廃部閉庭︶怜衆は屏教師︵教授師︶を選定し、教授師は受者に障難法を閉ひ 次に恰衆の許を得て受者を檜中に喚び、臍衆巾にて受具を請はしむ。次に掲磨帥は恰衆の許を得てその面前にて ︵九︶ 障難法を間ひ、次に白四掲靡をなして受具し光る。受具巳るや直ちに時刻を量りこれむ告知し、最後に四依法、 四境落法を説き、更に閃種囲應作法を説示する。 ︵一〇︶ この出家作法に於いて沙摘の出家に先づ三蹄の外に五戒を授けると云ふことは巴利四分に言はぎる桝で、五分 出家式の本義とその成立 ・七 JJ7.ウ

(9)

出家式の本義とその成立 八 律、十諦律及び布部律に云ふ所である。又受具の外四依、四堕の外四桝應作法を説くのは全くこの律に限ること であつて、その四法は︵1︶他に如何なる侮辱危寄を加へらるるとも能く心を挿して返報すべからす。︵2︶戒に於 いて恭敬心を抱き厭離せす、師に封しては父想を生じ相看問すべし。︵3︶同梵行に封して敬重随順なるべし。 ︵4︶共に諌諭膵思修行して託児淫楽を得べしと云ふのである。︵故意︶ 南海寄鋸俸は轟渾三赦が自ら印度南海諸洲に於ける行事の茸際を見聞して記したものであるが、其の記述はこ の有部百一婦磨と殆んど同じである、これにょつて養浮三蔵常時南海詔洲に於いては石部律が賓際に任用されて 居つたことを知り得るのである。たゞ問々茸際上の説明が加って居る。例へば掲磨の時掲磨師が文を執って試み 或は情調すると言ひ、叉受具の後師に封して財物をなして感謝の意を表すると云ふが如きである。 以上各種の根本律叔によつて出家式を見たのであるが、これ等の律蔵より出家式その他の儀式特に儀式用の作 ︵一一︶ 法語を集録せるものがKaヨmaく抑c抑と言はるるものにして漢詩にも摘沙釆掲磨木、掲磨︵四分︶、大沙門百一 婦磨港等がありこれ等にょれば諸種の儀式を簡便に窺ふことが川来る。 支那日本に於ける出家式 更に支那及び口本に於け左肘家式を見てその欒化畿達を見庇いのであるが、今はその僚裕がないのでこれは他 日を期したい。たゞ極めて概折的見透しを述べて置くならば、支那に於いては唐時代頃までは各種律赦をそのま ま採用するもので、上述せる桝と大差ない枝であるが、元明時代以後に到ってはその根幹は律織によるけれども 益々儀式的に鞍へられ荘厳紳秘性をも見せんとし中には梵唄、陀羅侶の加はるものさへある。又支那に来っては ユー!7β

(10)

旧家と受戒は全く同一物と考へられ、本来の山家式は種々の戒條を授ける受戒式の一となつてしまひ、常に授五

戒、授十戒、授具足戎と次第されて店少、更に注意すべきはこれ等についで大乗の授戒法如ち菩薩滅儀を生じた

ことである。

日本に於ける特徴は南都系のものは、所謂別受戒に於いては、大櫻四分律赦に詮く所にょつて居るが、最豊日

通に行はれる儀式としての授戒には通受の作法をなし、全く大乗の精神によつて小乗戒を受くる儀式を作り、大

小粟折衷の作法をなして居る。叉本釆の⋮家式たる沙摘十破の受持が全く授戒法の一部となり一別に州家得度法

なるものが作られて居る。叉天台系に於いては全く小乗戒の作法を難えざる菩薩戒儀を採用して居るし、南都系

なる虞言の作法は特に神秘的聾術的となり梵唄を多く加へて居る。

倍現今日本に於いては川家授戒の作法は全く形式化して居るが、セイロン等の南方彿教に於いては今日も倍こ

闇℡=で弛

れを甚だ重醍し、種々の儀式が附加され居るにせよ、根本律制が殆んど茸行されて居ることは諸家の報貸する所

である。

出家・受具及び串虚︵戒條︶

田家と受具とは各館に於いて明かに直別されて店る。巴利律にも罪を犯してこれを認めす駆出された者が再び

来って受具を求めたる時は、彼が其の罪悪伸むれば出家せしむべく︵Pab風etabbO︶ 然らざれば出家せしむぺ からずとし、更に田儀の後再び罪を認むるやを悶ひこれを認むれば受具せしむべく︵Upasamp監etabbO︶然ら 出家式の本羞とその成立 九 ヱ477

(11)

出家式の本義とその成立

一〇

ざれば受具せしむべからすと詮いて居り︵MくⅠ・声丁陀︶四分律にも同様に云つて居る。︵大正22八一六a︶

殊に十調律、布部律等は出家法と受兵法を院別して説き、支那の律菩に於いては益々明瞭に区別して居る。

然るにこれを成立の上より言ふ時は巴利律四分律等に言ふが如く、本来は出家と受具とは特に典ったものでは

なかつたのである。彿陀の許に出家することが即ち比丘となることであり、それによつて敦囲のjE貞となつたの に相違ない。故に既に述べた如く菩来待、三踪得を説く時は常に﹁山家を得受具を得ん﹂︵−abheyy抑mapabb・ ajja寧Iabh薫yMma亡paSampada邑と華へ上げて居る。事茸に於いては出家と受具の霞別がなくかく並べ上

げるのも茸は両者の霞別が起つて後院別のない事茸に封して並べあげたものであると思ふ。出家と受具とを別々

に考ふるに到ったのは恐らく自四掲磨法が制定された後の事であつて︵受戒篇にもこの順序に述べる︶−白四掲

僻の制定は教囲の蟄達、比丘の修行法規即ち戒律の峯備等にょつて数圃の市貝たることが重要なる問題となるに

至り、冊伽自ら慣重に入園者に許可を輿ふべき必要が起りし故であつて、この故に白四絶勝の中心が許可にある

のである。それ以前に強いては俳数に封する信仰と出家の希望とが最も重要なることであつて、これあるものに

は凡て直ちに爪家受臭が許されたのである。菩来待の小心が志郎であり、三踪得の中心が信仰であることはこれ

堅不して居る。姉茸律赦に詮く桝によれば自四掲暦法は詔比丘が志朗者に封して入閣を軟迎せぎる時に制せられ

たのである。

かくして許可中心のH四掲靡法が制せられて後は、自然檜伽の正員以外の‖家が存するに至り・ここに教陶の 正月としての刑家︵比丘︶とそれ以外の刑家︵沙禰︶との院別を生じ、その人図式に於いても自ら二となつたの Jゴア♂

(12)

である。而も日豪は骨川然比丘たるむ本鹿ナし〓的とすろも妙なるが故に、沙弼はその成立が暗闘的に比丘より後

︵一三︶

であつたのみならす、その本性に於いても全く比丘に従属的なるものである。

次にウパサン。ハグーと具足戒所謂二百五十戒との関係を見るに、これは詩語受具或は受具足戒が示す如く、後

には具足戒を受廿てこれを守ることを誓ふことであるとせられて居る。伶祀律には掲磨の後に戎序、四波羅夷よ

り七城評に至るまで比丘戒全櫻を説くペしと云ひ、石部出家事にも﹁五戒、十戒、二百五十戒を授くべし﹂と云

ふ、殊に支那に来ってこの事は決定的に考へられ、ウパサン。ハダーせ受大波と解し、その作法に於いてもこの事

を示して居る。明の法赦揆﹁俸授三壇弘滅法儀﹂には四堕法を説ける次に﹁更に十三恰伽婆戸沙法、二不定法、

三十尼薩音波逸捷港、九十波逸捷法、四波薙捷縫合侶法、一首應雷撃法、七城評法有少、犯することを得す、能

く持つや否や、答へて云はく、能く持つ、師云はく、請書男子此れは走れ比丘二百五十清浄の戎行なり、一一犯

することを得す、能く持つや否や、答へて云はく、能く持つ﹂ ︵卍綬一、丑、12、一、8b︶とし、叉清の譲饉

撰の﹁侍諌正範﹂には二百五十戒の一言説いてさへ居る。是の如くして五戒八戎を受けるものが在家信者たる

優姿塞であり、十戒を受けるものが出家あ沙弼、二百五十戎を受けるものが比丘なりと確定し、更に又具足戒を

受ける時の儀式として五戒受持の作法より進むる様にすらなつたのである。

然しながらり。ハサンバダー本来の意味が果して二百五十戒を受けることであつたか、ウ。ハサン。ハダーと二百五

十戎とは必然的関係ありやについては上に述べし所によつて明らかなる如く僻考慮せぬばならない。既に述べし

如く、最初のり。ハサン。ハダーは五比丘に封して帥陀が﹁来れ、比丘﹂と言はれたことに成立し、このことは彿陀

出家式の本義とその成立 ヱ47エ)

(13)

出家式の本義とその成立

一二

自身が出家を許される囁は常に用ひられ、千数百人の比丘に画して行はれたことが説かれて居る。この場合に於 けるり。ハサンバダーは﹁仰の弟子となり、梵行履修することを志願しこれを俳によつて許されるこ るもので濁って、.その意養はUpasampad抑.の字義が﹁来り近づくこと﹂、﹁達すること﹂、﹁得ること﹂である 如く﹁俳の許に来り近づくこと﹂.即ち仰の弟子として任することであつて、その内容としては弟子の方より言こ ば仰の教材信じ仰の詐にあつて修行することむ志願するにあり、彿の方より言へばこれを可許することにあるの である。前にも述べし如く書架得にあつては志朗が中心であり、三踪得にあつては信仰が中心をなし、掲磨得に 於いては其の許可が中心をなすものである。 かくしてサ。ぶン.。ハダーの木質をなすものは三賛踪依の信仰、入閣修行の志朗及びこれに封する許可であつて 二百五十戒を受けると云ふことがり。ハサン。ハダーの本質ではない。この事は本木の受具の儀式に於いて一白三縄 唐即ち入園望心朗を述べ、これに封する許可を輿ふることが中心をなし、四依法四堕法を説くことは儀式の終了 後附加的に説かるることによつても知り得るし、叉成立の上より云ふも白四掲磨港の成立せる後に至つて、四依 四曙法を説くに至つたと説くことによつても知り得るのである。この鮎は既に宇井伯詩博士が委はしく論じて居 ﹁一四︶ られる所でこれ以上諭すべき必要もないが、佃一つ附け加へ庇いことは言語として見ても確かにUpasampad抑 は俳弟子となることであつて、四依法四唱法乃至は俳陀の説かれた畢靡︵憩kkh首ada︶を授かると言ふ意味で はなかつたに相違ない。故に律に説くが如く三踪により或は蕾来と言はるることによつ・ても仰弟子とな少、これ をり。ハサン。ハダーと稀することが円木るのである。 ヱ4gO

(14)

これは稚戚中の用語によつても認められることで、例へば四波隷夷法第一保に﹁比丘り撃滅を受け戒︵軍︶を

捨てすして⋮⋮﹂︵bhik罫旨a召Sikkh抑s革くaSam晋annOSikkha召apaCCakkhplya⋮︰︶ なる語があるが、

これを註繹して、﹁撃とは⋮⋮戎とは世尊によつて制せられたる畢虞、これを戒と名づけ、これを畢召するを戎

を受けと言ふ﹂︵sikkh抑ごi⋮⋮・S抑jHくa召n抑ma ya膏 bhaga<at抑 pa掛野attalづ Sikkh首ada召 eta召

S盟叫くa召n抑ma、taSmi膏Sik粁訂tiこena くuCCati s叫暑くaSam首annO、ti︶︵く.P・苧p・柏彗南俸Ⅰ、三七

頁︶と説く、この場合註繹申にupasaヨpad抑なる語は全く見えす、受戒 ︵S抑jiくaSam晋annO︶即ち世尊の畢 屡を受け畢ぶことは即ちり。ハサン。ハダーなりとしてゐない。文革堕法︵訂cittiya︶第四、五、八、九の各傑に﹁末 受具者﹂ ︵AnupasampaロnO︶の語があり、この詫樺にも﹁比丘、比丘尼を除けるもの﹂とし、受戒せざる者と言 はない。︵く・P﹂く・pp・−P−P“軍∴巴︶これ等は積極的論評とはならぬかも知れぬが、いづれもり。ハサンバダ ーなる語と受戒なる語とが同一内容を有するものと説かざるものである。これによつて我々はり。ハサン。ハダーは ︵一五︶ 本来の意義に於いて受戒なるものと別のものであると認めぬばならぬ。従ってUpasaヨpa㌫の詩語として﹁受 具﹂を用ふるのは不適雷で、従来あるものとしては寧ろ﹁進具﹂の方が通常と云ふべきである。︵今は従来の用 例に従つて受具を用ひたが︶ 然し虜に考ふべきことはこの両者はその事寮内容に於いて相一致するものがあり、極めて早い時代より結合せ るものであると云ふことである。宇井博士は両者の別物なることを極めて強調せられ、﹁俳陀時代に於いてり。ハ サン。ハダーが授受具足戎と言はれる理は絶封にない。進具望単に白四掲磨によつて成立したのであつて如何にそ 出家式の本義とその成立 〟鋸

(15)

出家式の本義とその成立

一四

れが複雑になつても、精々四依法四不磨作事が附加的に告知せらるることがあつた程度に止ったと信する。恐ら

くこの骨知も必然的に凡て行はるる要はなかつたであらう﹂と論じて居られるが、是の如く雨着を全く猫立的の

ものとし区別することはどうであらうか。

自分の考へでは、律赦に説いて居る通り、事茸に於いても白四掲磨法が制定された後には直ちに受其の式に於

いて四依四堕法を説き示す様になつたのであると思ふ。受具即ち俳弟子として入閣することは前述の如く三賛踪

依、入園志朗、許可の三者が重要であるが、入園志願の内容は梵行を修して解脱を絡んとすることであり、許可

することは恰伽の一点としてこの修行をなさしめることである。故に五比丘の受具に於いても俳は﹁来れ、比丘、

法は善く説かれた少、善く苦を蒸さんが焉に梵行を修せ﹂︵Carabrahmacariya召︶と言はれるのである。この ︵一六︶

梵行を修するとは如何なる内容なり亘と言ふに、四依法、四堕法を根幹とする戒律の寛修を中心とするものであ

る。又受具によつて比丘となるも、若し四波薙夷を犯せば比丘としての資格を失ひ、再び受具を得ざるが故に、

受具はE波羅夷法の制せられた後に於いては、その内容の一部分として四波確実戒の受持と云ふことを事賓上に

於いて含んで居るわけである。故に白川掲庚蓮あ如き厳重なる入園作法が制せられたる後は、儀式としては附加

的であるにしても、内容的には常然比丘となることは即ち四波薙夷戎を守ることと解せらるるに至るのである。

かくして時代の進行するにつれ、戒律伯東のm霜首生じ、梵行を修することは全く戒律の貴行であり、出家此丘

とは戎律を守ることにして、この鮎に於いて在家信者と異なるとするに至り、ウパサンバダー郎受裁とせられ、

ウパサンバダーの小心が二百五十戒受持なりとせらるるに至つたので、これは相常早い時期より考へられたもの

J49g

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と‖心ふのでJいる。 然しり。ハサンバグー本来の意味はどこまでも三賓鋸依、張心修行でなけれぼならぬ故に、散りに律傑中心に考 へることはその本義を獲却するものであると言はねばならぬ。後に至つて大乗件数に於いて﹁汝是雷成俳我是巳 成帥、骨同作如〓書恒、城=⋮巳具足﹂ ︵梵網㌍︶と言ひ或は菩提心を蟄起せしむるを以つて授戒とする︵授菩提心城 依︶は寧ろこの根本義を考拝せるものと言はぬばならぬ。 出家受戒式より見たる各種律藩の成立 上に述べた各種組織受戒篇に於ける出家式を比較する時、これ等受戒篇の成立、新吉について如何なる推定を ︵一七︶ なし得るであらうか。受戒篇の成立について和辻折‖郎教授は受戒篇の製作は教圃に於いて硯茸に行はれる儀式を 説明せんとしてなされたるものにして、その儀式の起元に関して種々の倖説む集めたものであり、箕際には儀式 を成立せしめた眞の事情は忘れられて居たのであるとし、nE掲靡法を説くことが受戒篇の中心であり、従って この部分が穀も古い部分であつて、他の部分はこれに附加されて行ったものである。従って複雑なるものは後の 成立であり、筒口。叫なるものが原形であるとし、その新盲を判定して十調律をもつて最も原形的なるもの古きもの とし、次に臍砥律次に巴利律とし、四分律五分律は最後の考連を示し最も新しきものとして居られる。 自分の意見は上に述べた研よれ自ら明らかたるが如くこれと全く反封である。自分は四分律・五分律・巴利律 が最も古き形を侍へ次に十調律・恰舵律・布部律と順序すべきものと信するのである。自分は受戒篇が硯茸の儀 式を説明する焉に航輯︵敢へて製作と言はない︶されたものなることは認めるが、航輯の始めは軍に口四掲磨の 出家式の本義とその成立 ブイ斤∫

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出家式の本義とその成立 ハ 〓ハ ことのみであつたのではなく、最初より善釆絡、三膵得等が編輯されて居つたものであり、其の起元について述 べる所は必ずしも単なる偉詮に非すして、その中心は寧ろ致圏が俸持し来れる.茸際の歴史より探り乗ったもので あり、かくして編輯されたものが別々の部派に於いて漸次整理され、或は茸際上の都合によつて種々の攣化を生 じて成つたものが現存の受戒第であると思ふ。故に必すしも簡革なるものが古くして、複雑なるものが新しいの ではなく、寧ろ簡単なるものが新しい場合が多いのである。新古の判定は寧ろ最も古き内容を多く侍へ其の本義 が攣化することの少ないものが古くしてこれが整理され、或は欒化せる鮎の多きものがより新しいと見るべきで ある。 出家式に於いて最も根本的にして古い意味は既に述べし如く、最初に於いては出家と受具とが霞別されなかつ たこと、及び受具と受戎とは別々なるものであつたと云ふことであり、これが欒化して前者は漸次に区別づるるに 至り、後者は漸次同lのものとされる経過をたどつたのである、これが現存律蔵に如何に硯はれて居るやを見る に、上に述べし如く川分律・五分律・巴利律は一致してよく出家式に於ける本来の意義を俸へ、且つ教理の跡が 少ない。然るに十涌律に至ると本衆徒屠的であつた沙禰の出家法を始めに要はしく説き、儀式的に教理し、箪な る三賓踪依と十戒とのみでなく、五戒をも授けることを詮き、且つ最後に出家の年歳を憶持せしむることを説く のは明らかに比丘の受具式より探り乗ったものである。更に比丘の受具に於いても儀式的に整備せるのみならす ■シ∴ クシー↓ ′ニ 最後に四依港四堕法の外に更に十三恰残を二説き示し、﹁其飴戒和伶阿閣梨贋教レ汝、汝巳受具足蒐﹂︵大証23 一五七C︶とすることは受具が二百五十破の受持にありとするに到りつつあることを示すもので、以前の諸律と Jノざす

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大いに異なる桝である。 次に恰祀律に到れば、最初より具足戒に四種ありとして述べ、他律に言ふ所を整理せることが充分に認められ ハノ る。その弗磨得を説く内容に至つて望剛述の如く四依法を掲磨の先きに説き、最後に滅相を説く時﹁此戒序法・ 四波羅夷・十三恰伽婆戸沙・二不定法二二十尼疎音波夜提・九十二純波夜捉・四波薙捷投合尼・衆拳法・七城評 ・シアヒリヲ ナリ ーークニ′ク 法・随順法、我今略説敬二誠汝”如レ是後和佃阿聞梨革東電レ汝寧﹂︵大正22四一五a︶とし、本来の音読より欒 化して、受具に二百五十減を受けるのが必然的なるを谷言明瞭にしてゐる。叉檜祀律には四種具足戒の一として 遼囲の特例たる五衆具足を受戒篇に於いで述べて居るが、これは他律に於いては、遊園のことむ説く皮革軽度 ︵Cajヨakkhandhaka︶、に説く所である。これをここに持ち来って居ることも整理せることを示すものと考へ られる、なんとなれば是の如きことが本釆受戒笛にあつたとすれば、これを取少去って他に持って行くと言ふこ 七は考へられないからである。又恰舵律には畢釆具足につき他律が二その因縁を説けるに封して、凡てこれを 省略し、受者の名の.みをあげることも確かに本来あつた因縁談を省略したものである。文数技師の教授に贋略の 方法ありとするが如きも、他律に見られない所でこの律が後の成立なることむ示すものである。 有部律が以上の諸律より造かに後なることは諭するまでもないことであるが、これを以上の如き出家式の比較 研究の方法によつて見るも明かにこの事を示して居る。これは又他面受戒篇成立の新吉を推定するに、自分の採 用せる標準が誤りでないことの一許接ともなるのである。布部律に於いては出家受具は益々明瞭に匿別せられ、 此丘も最初三辟五戒を受け、次に十戒、二百五十戒を受け儀式的に順次受戒するものとし、或は又四依、閑暇法 出家式の本義とその成立 ム〟ほ

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の外に四所應作法を附加するが如きは背後代整理されたるものなることを示すものである。 以上の如く見る時は、和辻教授の詮と全く反封に現形の受戒筈は四分五分巴利、十諦、恰紙、有部の順序に成 立せるものと見ねばならぬ。これは叉経分別︵Suttaまbha厨a︶に於ける各種律叔の比較研究の結果とも完全に ︵一入︶ 一致するのである。自分は嘗て本誌上に於いて控分別内容の比較研究にょつて各種律赦を内容的にa・巴利四分 五分、b・十諦有部、C・伶祀聖二類に分ち、成立の順序としては、a・四分五分、b・巴利十諦、C・帰航有 ︵一九︶ 部と三段階に介ったが受戒第の研究に於いても全く同一なる結果を得て従来の推定の確資性を深めたと信じて居 るのである。 ︵旺︶ ︵一︶ 自四粕磨とは帯四の白帯まで並べる作法の意である。漢語にては付紙律に一自三翔磨と許する如く一度自し︵掟読︶ 三度鵜摩する︵賛否を間ふ︶故に一自と三相磨とを合して自四粕勝と云ふとする。白四鵜磨に封して一白一掬磨なるを 自二鵜磨︵琵、ttidutiya K.︶と云ひ、自のみなるを盟白粕磨︵已.tti K.︶と云ふ。 ︵二︶ 漢語にては出家式にはlニ師七澄を要すとし、和佃︵親教師︶、教授師︵昇教師︶、掲磨価︵戒価、自衆者︶を三師と するが巴利律に於いては和何は勿論誼くが、特に三師と並べて其の名をあげて居らぬ。然し、このanus珂sakaは渾課 の教授師であり、常に云ふ隠明堪能の一比丘︵くyattabEkkぎpaュbala︶と云ふのば粕磨価なるが故に革賓上三師が あるわけである。 ︵三︶ 障難法を間ふは巴利にては、五種の悪病なきや、人間なりや、男子なりや、自由人なりや、負債なきヤ、王兵に非ず や、父母の許を得たるや、浦二十嵐に達するや、衣鉢を具備するや、汝の名は何んぞ、和仰の名は何んぞ、の十一であ る。これ四分律に十遮と云ふものにして︵人間なりヤを除く︶、この他に何種々の障耕法があり四分律では十三難とし て後には儀式に於いて問ふとする。 ︵四︶ 連取の他にては五人なるを許す。︵Mく.く.−∽こN︶ 出家式の本義とその成立 J4∫〝

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︵五︶ 始め十五歳に透せぎる者を出家せしむるを禁じ ︵芦−︶後十五歳末浦のものも、鳥を騒ふ∴とを締る者は、陣馬奇 ︵K買u言paka︶として出家せしめ得るとする。︵芦−︶漢許にては十諦、布部は巴利と同じく十五裁とするが四分律 ︵三十四︶には巴別の十五歳を十二裁とし、付紙律には十四歳とする。騒島沙輔の最低年齢については巴利四分に言は ぬが、五分律︵十七︶には七歳なるを出家せしめたとし、十師律︵二十一︶には最下は七歳なりと云ひ、付紙律三十 三︶にも最少七歳とする。叉出家の最高年齢については伶構律︵二十三︶に七十歳を過ぎたる者、或は七十歳末藩なる も老衰し起臥に他人の事を要するものは出家を許さず、浦七十歳の者は健靡にして静菜を修習し待るものは出家を許す とする。薩婆多諭九には年六十ならば大戎を受くるを待ずと云ふ。かくて行事紗︵下四︶には三晶沙禰として、駐鳥沙 輔︵七歳−十三歳︶、應法沙弼︵十四歳−十九歳︶、名字沙弼︵二十歳−七十歳︶を説く。 ︵六︶ 但し五分律は後年に於いては十諦律に似たる鮎あり。 ︵七︶ 根本説一切有都民奈耶出家事撃一にも説くが首一拍磨に委はしき故にとて省略して居る。 ︵入︶ 出家の時師はあるも近風の時は更に別人を師とすることあり、同一人でも夏めて儀式的に乞ふのである。 ︵九︶ 受具の時刻を生ることは諸律に言ふ併であるが其の方法反び時季の配官等については、南海寄麻停警一︵高柿博士英 語、ARecOrdOft訂BuddhistRelig叫。np●−00︶、四分律行革砂上三、善見律第十七等に番はしく説く、参頗すべ し。 ︵一〇︶ 五戒は常に優姿塞入信の時説く、而も巴利律にては優姿塞の時も単に三腐のみを説き五戒を言はぬ。これを以って 長井眞琴博士は五戒の成立を可成後のものなりと見てをられる。︵根本彿典の研究︶ ︵一こ Kamma品c還淘逸のSpiege−・︵︼芝−︶、及び 野eth−ingk︵−00吾が刊行してをる。

︵一二︶ Spence Hardy−EasternMOnaCbism︵−00筈︶p.N∽ff.p.怠ff.Warren−Buddhism in Trans−ati呂s

︵−¢N8p・恕uこf・RhysDa5.ds、Buddhism︵−讐ヾ︶p﹂諾ff.MaEbOdぎ︼琵∽、nOS.uこ、にはDhammapa−a がベナレスに新建立の初韓法輪寺にて受具するに十衆をととのへる馬にセイロンより長老が凍ったことを報じてをる。 ︵〓ニ︶ これはS脚ma官ra の語義が﹁沙門に屈する﹂の意なるによつても知り梓。 ︵一四︶ 印度曹草餅究第四、﹁根本偶数に於ける倍伽の意義﹂。 ︵一五︶ Upasampad騨は四分・五分・十諦・倍舐に受具足、或は受具足戎、待要具足と課きれ有部律に安近樹と課す。南 出家式の本義とその成立 7ノざγ l■

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出家式の本義とその成立 ニ○ 晦寄齢停には﹁郎婆︵upa︶是近、三鉢那︵Sampanロa︶是卸、謂捏柴也、今要大戒−帥是親壷捏琴哀云こ具足l看貫こ 其汎意ことする。 ︵一六︶ Brahmacariyaは度々性欲の禁止を意味すろ。十戒には燻欲行をabrabmacariya︵非梵行︶とする。 ︵一七︶ 原始偶数の賓践哲畢、﹁根本資料の取扱ひ方について﹂。 ︵一入︶ 宗教研究新節八巻第六班、﹁巴利律裁と漢詩律威との比較研究﹂。 ︵一九︶ 巴利律と五分律との前後関係に多少の差興が感ぜられはするが。 h紬

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は し が き

耶鯨は﹁カイゼルのものはカイゼルに、紳のものは刷にかへせ﹂と云った。純粋に宗教的な人間は自己の紳に忠賓なる ためには世俗の世界における主には仕へ符太いものゝのやうに感じ久数へる。人は二人の主に仕ふること能はずといふ様 に。そして紳に仕ふるものは世間の道徳と経線し、之れを足下に疎開しても紳の後に徒ひ、聖なる紳の兵卒としての死せ 堵すべきものであるといふ。多くの殉教者といふものはかくの如くして忠箕克紳の兵士としての死を造げ、多くの場合雄 世に於ける納の国の発光を待ち望みつゝ聖悦にひたるのである。耶蘇が﹁夫れわが凍るは人をその父に背かせ、女をその 母に背かせ、娘を其の姑に背かせんがためな㌔人の敵はその家のものなるぺし、我よりも父母を愛しむものは我に協は ぎるものなり、我よりも子女を愛しむ者は我に協はぎるものなぺその十重架をとりて我に従はぎるものも我に協はぎる ものなn㌔﹂と云ったのも紳の愛子となるためには世間に封して反逆の克とならなければならぬことを意味する。 彿故に虻.そのあらはれ方は基督敦とは多少異ってゐるが、たとへば﹁乗息入無慮、展貴報恩者﹂の語の示す株にまこと に備に仕へるものは牡鹿を絶って出家草道し、一介の比丘比丘尼として出世間道を行かねば篭らぬものと詮く。 何れにしても純粋に采.数的克るものは世間の人倫関係の外に出て、之と経線することによつて修道伶、出家人等として その生涯を紳彿咋捧げねセならねと数へる。併し果してきうであらうか。人は果して二人の主に仕へ得ぬであらうか。 香、宗教と道徳、卵の道と人の道とは人間を支配する互に相容れぬ二人の圭であらうか?いふまでもなくさうであつては 道元の人倫粧

道元の人倫観

秋 山

範 h 二

7‘持ク

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道元の人倫漑 二二 ならない。二者は互に相容れぬ二人の圭ではなく、一人の主のたゞその婁を異にせるもの、香、更に正確には同一者の内 と外といふべきものである。票数とは人が自己の仝生命を托して些かの不安なきものに於て自己を見出せる時、其虚に点 らるゝ現象である。道徳とはかくの如き大安心の人より自らに流れ出る貿鹿である。而も前者は後者として必ず自己を 現はし、後者は前者を必ず自己の根抵尤耕する。二者は必然的聯開に於てある。之れを抽象的に分離して二者を別物とな し、殊に之れを互に相矛盾するものとして同時には仕へ待竺一人の圭であるとなすことは、宗教と道徳といふ人生に於ける 二つの必然的聯閑に於てある現象を強ひて抽離せんとする分別人の串である。宗教は必ず道徳生活に於て、従って人倫生 活に於て、展箕の自己のいのちを示さなければセらないものであつて、之れを外にして票数自健の純宗教的生活が存する 棟に考へることは誤りである。 殉教者が家を捨て、闘に救いて紳のために生命を捧げるといつた蕩合、人はやゝもすれば宗教と人倫との矛盾を見んと するのであるが、この場合もし紳のために生命を捨てるものゝ側に誤りがなかつたとすれは家、閉等の側に誤りが存した のであり、もし家、閣等の側に誤りがなかつたとすれば紳のために死んだものゝ側に誤りが存するのである。勿論二者共 に誤ってゐたといふ番はあり得るが、もし一方が誤ってゐなかつたとすれば之れと相容れぬ立場に立った他方は必然的に あやまつてゐたと云はなければならないのである。若し人倫生酒の外に宗教生活が存し得るとすれば二者共に誤りなしと いふ革があり得るけれども、そ←て此の場合は二者全く無交渉に存し得るけれども、そして仝然低級を絶って陰逓生活を する出家の場合の如きやゝこれに近き場合としてゆるし得る様にもあるけれども、此の場合と雄も出家も何等かの閥家の 国民である限りい二者全然無交渉に存在し得る串はあり得ないのである。徹って如何に純粋に紳にのみ仕へる如き生活を なすものも世間の人倫生活の外に超然とした存在を保つことは不可能と云はなければならない。云ひかへれべ宗教生活は 必ず人倫生活中r於てなされなければならな〆、而も二者互に相並んで行はれるものではなく、上に云った様な聯開に於 て二者は一つの生活として生きられねばならないのである。云ひかへれば二者は矛盾的に封立せる二枚の生活ではなく一 J4タロ

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に統一せられた金一の生活でなければならないのである。従って紳に忠貨なる生活は人倫生活を破るものではなく、反対 に之れを建立するものでなければならないのである。逆に云.へば人倫生活はやがて袖に忠なる坐椚でたければたらないの である。一般に宗教生活部道徳生活でなければならないのである。 宗教は道徳生活にゆるがぬ基礎を興へるものでなければならぬ、従って若し或る宗教がこの宗教の行はるゝ敢骨に於け る人倫生活と相容れぬものであるとすれば、其の内何れか、或は両者共にあやまれるものとして之れを正しきものに改め ねばならない。その各々の場合に如何に正すべきかはその場合々々に於ける特殊車惜を考慮することによつて決定せられ ねばならぬことであるが、たゞこゝで時宗敦の封象が如何なるものであるかといふ鮎よりこの間題に隣して三日すれば﹂ 宗教の封象としての絶封者−紳、悌等いはるゝものーは実は封象といふ言葉によ.つてはあやまり停へられ易いもので あつて、まことの絶対者はある固定せる者としては、自己をあらはきぬもの、紳は婁なきもの、規定を廻越せるものであ る。崇拝の封象とはなり得るが捉へ得ぎる婁なき封象である。無なる紳である。而も所在に、個々の人.に於て或は通じて自 己を顛はにし、啓示し爽るもの、かくして個々の人々をまことに生きゆかしむる根源である。かういふ無なる紳にして初 めて如何なる敢曾、如何なる人倫闊係に於ても常に自己を顕示し得るものである、初めより固定せる何等の姿をも有しな いものであるから如何なる場合にも常に自由無擬に自己を働かし得るのである、人を導きうるのである。もし之れを固定 せる資あるもの、有として、認誠の封象として、の紳の如くあゃまり、之れに執務する時、生ける紳はその働きを止め、 死の婁常於て.自己を示するのである。かくの如き死せる紳に固着する時、あやまれる殉死者の陥る運命が存するのである。 死せる紳を生ける紳と誤認することによつて、自己も自己の住む配合に於てまことに生きゆく道を失って、死にょつて醗 骨より二目己の存在を葬り去らねばならぬことゝなるのである。勿論此の逆に敢骨が誤りを押し通すことによつてまことの 生ける紳に仕へるものを逝殺する非を蓬げることもあり得る。この場合配曾が生きて働きゆく代りに枯死せるためにかへ って生ける紳を賛すこと←なるのである。何れにしても紳と人とは一つとなり、紳が人の世の中に働きつゝたへず自己を 道元の人倫粧 ム折り

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道元.の人倫取 二田 顕示心.牽けれぼなちないの・である。人の世の外に己れ・あ城砦を築き、−こ←.に閉ぢ籠って、遠くからたゞ弱々しい葦で人の 世を尊びかう.とする瘍合、紳は却って自己を死.の世界の中に葬り去るのである。 虞宗に往粕廻向還桐廻向の数へがある。これ読教生活融通徳生酒を説くものである.。徒相週向は云はゞ宗教生活本木の 生括であつて、之れによつて紳︵上衆宗教的封象としての絶封者を紳と呼んで爽たのでこゝでもその例にならつておく︶ の世界に入り、紳に於て我を、我k於て紳を生き祥るのであるが、一度きうすることが出衆れば所謂極楽世界にたゞ法楽 を享受して枯坐をつ.ゞけることなく、直ちに再び人間の世界に還って、それ′\の人倫関係の中にあつて人間としての生 活を磨むべきで.ある。還祁週向がこれであるが、これがゃがて高々が上に譲数の板紙の上に立つ道徳生活、人倫生活等と 云つ乍ものである。一旦徒如由向を経ぬ、違和偲向は眞の還祁週向であり得ず、展の徒粕週向は必然忙還粕由向を内に叙 するのである。まことの紳は一と塵も大凶にその楽しみに安住するものではなく、休むひまなく人間世界に出て凍て人間 救済の仕事にいそがしいのである。徒相廻向還鼎週向の思想が宗教生前と道徳或は箕践生清一般との相耳聯閥の問題を明 か尤するものとすれば、三溝底本の思想は更にこゝに青々の問題とせる、前者と人倫生活との関係を明かにせるものと云 へる。 左の一女は右の問題につ小て道元が如何に考へてゐ美かを知らうとしたものである。拙著﹁道元の研究﹂と聯関して書 いた沓和に屈し、同音の内容む挽菩想した灘がある.のでこれだけでは意を造さない所があるかとや㌔なほ本文中括狐内 の章節は右﹁道元の研究﹂中の竜節そ亦す。 道元の坐の宗教は紙管打坐を宗とするものではあるが、箪に坐わ世界の観想生活に終始するものでなく、坐よ り立つ七坐によつて閑lし得たところに月常茶飯事より天下の大小に至るまで、吾々の刻々にその中に遣かれる環 境を媒介としてその小に鯉擬の寛虚右行じゆく艇にその眞適が軍規せられるのであつて、﹁世法即仰法﹂は道元 ブイ∂

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の宗教の究藷地でなければならない。云ひかへれば日常の茸践生活中に湛ちに宗教生活む見んとするのである。

︵第二結節両羞参照︶然るに人倫生活に閲する道元り言説は必ヰしもこの洋々の解膵た〓侵するものではなく、

時には却つて之れをうらぎる如き鮎があるので、之れについての疑問を解決することにより、道元の遺徳に関す

る見解を一骨明かにせんとするのが今の吾々の課題である。吾々はこの課題を孝遣の問題を取り扱ふことによつ

て解決せんとする。孝造に関する道元の言説が今の昏々の課題を境も明かる提起し、且つその解決を輿へてゐる

様に思ふからである。.

﹁行持﹂中に道元は次の如く云つてゐる。

﹁思につかはる1前途たた曙鞘の雲霧なり。小臣につかはれ、民間に身命をすつるもの、むかしふり多し。おし むべき人身なり、遣器となりぬべきゆゑに、今立法に逢ふ、汀†恒沙あ身命を捨て1も正法を参解すべし、いた

つらなる小人と、騎大深遠の彿法と、いづれのためにか身命をすつべき、賢不宵ともに進退にわづらふべからざ

るものなり。︵中略︶禽獣よりもおろかなる恩愛をしんですてざることなかれ、たとひ愛惜すとも長年のともな

るべからす、あくたのことくなる家門、たのみてととまることなかれ、たとひととまるともつひの幽棲にあら

す。むかし彿組のかしこかりし、みな七繁子子むなけすて、宝殿柴棲をすみやかにすつ、沸唾のことくみる、糞

土のことくみる、これらみた古木の俳組の古釆の俳組五報謝し来れる知恩報恩の韮なり。﹂

又﹁永牛廣鋒﹂ ︵巷第七︶には次の様に云つてゐる。﹁夫攣蜃俳法嘉男難レ得、所以者何、縦雌姦心之有−

茸、不レ知レ落レ魔、不レ覚撃病、道心破敗、修謹返照、眞可二憐憫一着也。⋮⋮兄弟、直撃審紬参畢、拾レ魔撃

道元の人倫戯 J∠タJ

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病。所謂魔者、硯二父母、師長、兄弟、骨肉、親睨、従僕之類義々強詮二過道因縁ご

之れによつて道元が恩愛を禽獣よりもおろかに、家門をあくたの如く顧みるに惜しないものと考へ、のみなら

す父母師長兄弟骨肉等をも道に入るを妨げる魔として、彿法を求め道に入らんとするものは、昔辞令がした様に、

悉くこれらの礪絆から脱しなければならぬものとする事が明かである。こ1に於て疑問となるは俳法を求めんと

するものは発して世間の道徳を排斥しなければならぬか、又排斥すべきものであるかといふことであぇじこの間

題は併し多少興ったそしてより一般的な形に於て眈に﹁道元の研究﹂第二篤第四書中に提出せられ、且つ道元が

世法と俳法とを不二と見るといふ鮎よりこれに封する解決も輿へられてゐる筈である。こ1には之れを人倫中の

一徳目孝道に関して連出せられる同様な問題を道元自身の言菓をたよりに同様の結論に達することによつて、道

元の言葉を皮相的に請むものが往々誤解するであらうやうに、世間の道徳が遭を修するもの1ために決して無用

のものでないこと、世間の道徳中にこそ却って眞の道の存することを明かにせんとするにあるのである。

一方に於て上の如く俳法に此して人倫を軽視する道元は併しながら必ずしも思を思ひ、孝道を顧みてはならぬ

といふのではない、却つて彼は蜃と思を重んじ孝遺の忘るべからぎることを説いてゐるのである。例へば﹁袈裟

功徳﹂には﹁畜生なほ恩を報す、人類いかでか恩をしらざらん。もし恩をしらすば畜生よりも愚なるべし﹂と云

ひ、﹁四繹比丘﹂には﹁過硯音楽の諸俳諸税ともに、父母師恰三賛に孝順し病人を供養するを化原︵人を造に化 する源︶とせり﹂と云つてゐる。之れ登別の恩を畜生の如しといひ、家門を芥の如しとするに此する時雨者は明

に矛盾してゐる。之れを一腰一は勝義諦より見、他は世俗諦より見た言であるとして、二者の矛盾生且喝の相異

道元の人倫観 J4少産

(28)

といふ鮎より解決し得ぬでもないが、もし簡単にさう解してしまへば勝義諦より見る時速に恩義、孝順等は香淀

せらるべきものとなり、恩養を節んじ、孝順一忙はげ㍗事はやがて≠俗の人の事であつて、筍くも伽追の世界に住

むものはかくの如きものにとらはれる必要なきこととなるのである。併し﹁世法如俳汝﹂であつて、世間に住む

ものに封しては世間的生活を外にして別に仰法はあり得ない筈である。故に上の如く世間と出世間とを抽象的に

分離して孝順といふ道徳的規範を川中に世間の世界に於てのみ安督するものであつてH世間の世界には安雷性を快

くものとすることは道元の賓践生活観より見てゆるされぬことである。二者の矛盾は箪に矛盾として之れを抽象

的に見るべきものではなく、矛盾を止揚することによつて二者を具標的統一に於て見なければならぬのである。

道元の茸践観より見てさうでなければならぬ様に、孝道にいつ語れる彼の言葉も亦このことを示してゐる。

道元が何故に恩愛を畜生の如しと云ひ、父母師長等を道に入ることを妨ける魔となすかといふ理由は、道元が

その師明全の入宋の際の事情を語つてゐるところによつて明かに知りうる。︵﹁隈開記﹂第五参照︶道元は師明全

に従って共に入宋したのであるが、丁度明全が入来を計量してゐた時明全の師﹁叡山明融阿閣梨重病起少、病床

にしづみ眈に死せんと﹂した。﹁その時、かの師︵明融︶云く、我眈に老病起り、死去せんこと近きにあり、今

暫く入来をとどまりたまひて、我が老病を扶けて冥路を弔ひて然して死去の後、その本意をとげらるべしと﹂云

った。共靡で明全は弟子法類等を集めて評議して云つた。﹁我幼少の時、健親の家を出てより後、此の師の養育

を豪つていま成長せり、其の看官の恩赦も探し、亦出世の法門、大小椎茸の教文、因果をわきまへ、是非を知り

て、同輩にも越え名叛こl忙得たること、亦俳法の道理を知て、今入来求法の志しを起すまでも偏に此の師の恩に非 道元の人倫取 J如占

(29)

道元の人倫敬

二八

すといふことなし。然るに今年すでに老極して重病わ床に臥したまへり、余命存しがたし、再倉期すべきにあら

す、故にあながちに是を留めたまふ。師の命もそむきがたし、今身命をかへりみす、入宋求法するも菩薩の大悲

利生の馬なり。師の命をそむきて采土に行ん道理有りや否や、各の思はる1虚をのべらるべし。﹂ 之れに封して

人々は皆云った。﹁今年の入来は留まらるべし、師の老病死巳に極まれ少、死去決定せり﹂今年ばかり留りて明

年入宋あらば師の命をそむかす、重恩をも忘れす、今や一年年年入来退きとても何の妨げかあらん、師弟の本意

相異せす、入宋の本意も如意なるべし。﹂ 此の時道元も二言自己の意見を述べてゐるのであるが之れは後の問題

に関係があるので今はふれぬことゝする。諸弟子の意見を聞いて後明全の云つた言葉は次の如くである。

﹁おのおのの評議いづれもみな留まるべき道理ばかりなり、我が所存は然あらす、今度留りたりとも決定死ぬべ

き人ならば共に依て命を保つべきにもあらす、亦我留りて看病外護せしによりたりとて苦痛もやむべからす、亦

最後に我打つかひ、すゝめしにょりて生死をはなれらるべき道理にもあらす、只言命に随て師を慰むばかりな

り、是れ即ち出離得道のためには一切無用なり。鋳て我が求法の志しをさえしめられば、罪業の因縁ともなりぬ

べし、然あるにもし入来求法の志をとげて一分の悟りをもひらきたらば、一人有漏の迷情に背くとも多人得道の

国となりぬべし、此の功徳もしすぐればすなはちこれ師の恩をも報じっべし、設ひ亦渡海の間に死して本意をと

げすとも、求法の志を以て死せば、生生の厩つきるべからす、玄英三赦のあとを思ふべし。一人のために失ひや

すき時を重しく過さんこと俳意に合なふべからす。故に此度の入来一向に思ひ切り畢りぬ。﹂ 明全はかう云つて

敢て入莱を決したのである。明全の此の見解を道元が骨つでゐる事は彼が之れについで次の如く云つてゐるので

J4タブ

(30)

わかる。

﹁先師にL﹂りて眞琶の道心と存ぜしこと是らハ■道理なり、然あれば今の畢人も或は父母ハ長め、或庭師匠のため

とて無益の事を行じて徒らに時を失ひて諸道にすぐれたる彿遺むさしをきて茎しく光陰をすこすことなかれ。﹂

之によつて明かな様に遺元は高恩ある父母師長の命に背くことをも是認してゐるのであるが、それは﹁一.人有 漏の迷惜に背くュも、多人指道の何級となりぬべLきことを保件としてゐるのである。そして之れはやがて道元 が恩愛を畜生の如しJな⊥、父母師長を行道を妨げる歴となす理由を明かにしたもので濁る。道元は父母師長 の恩愛を父母師長の恩愛なるが故に直ちに之れを否定するのではなく、有漏︵煩悩︶迷情の凡夫としての父母師

長の恩愛を道のための魔として之れむ否定するのである。もし孝順といふ道徳的規範がその内容の如何を間はす

たゞ形式的に父母帥長の人叩に従ひ、その希望を満足せしむることを意味するものとすれば道元の態度は孝順とい

ふ道徳的規範に々むくものであるが、眞の孝順は決して自己の行違を棄てゝも迷情の父母師長を喜ばすべきこと

を要求するものではない。よし〓旦は父母師良ハ庖偶に基く希望にそむくことにより之れを悲しませることがあ

るとも自ら道を求め得て父母は勿論世の多くの人々に遺を知らせて之れ聖典の意味に於て安柴の境に導くことが

出来れば孝順の遺を全くしたと云ひうるのである。父母師長の煩悩の満足を願ふことは自己亦傾悩を宿すること

であつて煩悩を断すべきことを本朔とする俳法に入らんとするもの1長く止るべきで虚ではなぃ■∴〓早は所謂人 情にそむき、世間の道徳に反する如く見へることを敢てしても眞茸道を求め一、隼つ自ら偵憫老断ぺ.更に父母胴

長の煩悩をも断することをはからねばならないのである。

道元の人倫就 J郷

(31)

併し此の場合考へておかなければならぬことは同一の場合に際しても眈に道を得てゐるものと、今から道を求 めんとするものとの間には自らその態度に差別あるべきことてある。先きの明全の場合にしても其の他これに類 した場合にしても自ら未だ道中の人となつてゐないものが遣を求めんとする場合には求道を妨ぐる一切のものは 悉くこれを排して蕎直に道を求めて去らねばならないのである。造を得てゐないものに取って先づ道を求めるこ とより重大事は他にあり得ないから∪繹迦は眈にこの事を模範的に寒行してゐるのである。もし道を求むるもの に此の否定の力を快く時、人は遽に道を得る期はないと云つてい1であらう。併しそれだからと云つて父母師長 に封する孝順といふ道徳的規範が否定せらるべき、憤値良きものであるのではない、孝道はそれ白身道徳的憤値 として否定すべからざる鮭封的慣値を有するものである。た1未潔白ら道を得てゐないものは解玖は眞に孝の意義 を解し得す、従って孝道のだ践の仕方を知らないが故に、先づ道を求めて眞に孝道をも行じ得る様にならんとす るのである。若しこの事をせすして恥に≠間の凡情によりて要求せられる様な孝道にそむかざらんとして道を求 めることを怠るものは永久に煩悩の苦界に身をおき自己をも父母師長とも救ふ期はないのである。一且の孝を棄 てることは却ってまことの孝を寛現せんがためである。初めの孝は有漏の孝、後の孝は無漏の孝であ去。有漏の 孝を捨てることによつて無漏の孝を得んとするのである。故に求道の志が満たされ得た場合には孝は行ふ必要が なくなるのではなく眞の仕方に於て行はれなければならないのである。石偏の孝道でなく無漏わ孝道が貨現し氷 らねばならないのである。故にたとへば明全の場合、求道者としてはそり帥をも棄てねばならなかつたのである が、もし道た紹た人であつたな告げ口上述りた態度に出づべきであつた。終に死せんとする恩師をすて、外聞に 道元〃人倫勅 Jイ9g

(32)

上る代宜に、そハ枕頭にはべつて瀕すべキ什〃に於て帥孝む適すべきであつたらう。此か喝人‖なほ恩帥を托する に什サて我江北い浩子パふのだとい▲∵㌧道とト・.㌫叫たる柚象的概念香車育∴しにひかれてさまよひ井くもわはか へって来だ眞の道を得ざるものである。未だ道を柑ないものこそ如何にして道を冒すべきかを知るために一切を 拾てゝ笹つ求道の道にいそがぬばならないのであるが、眈に道を得たものは其の場八日に自己の環境の要求するが まゝに自由に無艇に特殊に於て具現し来る造を行じなければならないのである。個々の場合に要求せられる具催 的なる道草〃じ柑ないで笹に抽象的に遺といふものを求めんとするが如きは普遍は必ず特殊に於て現じ来ること を解しないものである。故に道二几は明全入朱の場合の評議に際して¶俳法の悟り人′はさてかうこそありなんと思 刀¶さるゝ依ならば御留り黙あるべし。﹂ と云つたわであつた。之れに封して明全が﹁然あるなり、俳洩わ修行こ れほどにてありなん、始終かくの如くならば即ち出感得遣たらんかと圧す﹂と云つたので、彼はかさぬて﹁その 儀ならば御留りたまひてしかあるべし。﹂ と明仝の留つて師に蒸すべき﹂とをす1めてゐるのである。此の場合 一 道元が明かに﹁俳法の悟り今はさてかうこそありなんと思召さる1儀ならば﹂と休作をつけてゐる事に望思すべ きである。そして明全が彿法わ修行も一應〓東上り、侶離得遣をも心得たと一ムふのを聞いて初めて﹁その儀なら げ御留りたまひてしかあるべし。﹂ と云つてゐるのである。此の時道元は明かに上にいつた意味に於て明全に道 を柑たもわとしての孝道のあることを述べてゐるのである。 たゞ明全は初め道..几に﹁帥法の修行これほどにてありなん云ヱと自己の川部待遇を認めておきながら、その あとに﹁若し入宋求法の志しをとげて一分の悟りをも開きたらば﹂と未だ悟りを得てゐないものゝ様に云つて、 道元の人杵批 Jdβ伊

(33)

道元の人倫淑 三こ それを理由として師−で捨て1入宋せんとしてゐるのである。この鮎前後矛盾する研があるのであるが、その何れ が眞であるにしても、若し明全が出離得道してゐたのなら改めて入宋の必要はない筈であつて、直ちに自己の脚 下を照顧して其虐に自己の賓践を待つ具牒的なる道を行すべきであるし、もし未だ求法しなけをばならぬのなら 入宋の事が是認せられるのみならす要求せられるのである。 人世は撫常にして 一 道元の時間給より云ふ時我の生きてゐるのはたゞ現前の瞬間に於てのみであるから︵第 一帯革由章参照︶−1jまことに道を求めるに切なるものは而今の一瞬をおいて其の横はないのであるから﹂頭燃 をはらふが如くに一切をすてて先づ道を求めなければならない。かくの如き場合親を捨て師にそむく如き態度に 出ることもまたやむを得ざる事である。たゞ併し此の場合と堆も種々特殊事情の下に於て子︷して忍びぎる心の 起るは自然 − 俳性の自らなる自己開示1であつて、こ1に孝道の銀波が存するのであるから之れを形式的に 否定して父母師長を捨てて自らよしとする事は却って遣にそむくものである。去るには去る道がある。未だ遺を 解せざる求法の士と畔も故に求法の志計聾したものには内に菩捷心が目醒め乗ったものでぁる。人各と自己に輿 へられた特殊車怖あり、その巾に於て己れ′∼にあらはれ来る遺を行ぜなければならないのであるが、月己の場 合に如何にすべきかは自ら知られる筈である。それをも知り得ぬといふものは眞に求法わ志が起つたといふ事も 惰りでなければならぬ。たとへば親一人子一人と云つた様な場合には自ら収らるべき道が考へられるのである。 かくの如き甥合に人は必ずしも求道のためと云つて世間の孝道を形式的に否定すべきもの.ではない 度かくか如き場合についてのある恰と道▲▲几t﹂の間答が﹁随聞記﹂︵琴二︶に鼠ユてゐる。人′比ハわ全文をリー用すれば J占フ0

参照

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