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『宗教研究』新第9巻第6号(*72号)

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(1)

――目次――

1,

心・識・分別と根本心地,宮本正尊,Shōson MIYAMOTO,pp.1-24.

2,

仏教教団における財物所有観,浄施法の研究を通して,上田天瑞,Tenzui UEDA,pp.25-52.

3,

宗教意識の本質を感情におく学説に対する疑義,関寛之,Hiroyuki SEKI,pp.53-68.

4,

人間神について,原田敏明,Toshiaki HARADA,pp.69-78.

5,

阿育王の八万四千塔建立の伝説について,財部健次,Kenji TAKARABE,pp.79-90.

6,

龍樹所引の大乗経典の二三について,塩見徹堂,Tetsudō SHIOMI,pp.91-104.

7,

フスの所説とその影響,朝日融溪,Yūkei ASAHI,pp.105-117.

8,

文化に対する態度,村上俊雄,Toshio MURAKAMI,pp.118-126.

9,

阿頼耶識思想の発生,水野弘元,Kōgen MIZUNO,pp.127-149.

10,

切支丹の学的研究漸く完成に近づく,姉崎博士の近著を読みて,松崎実,Matsuzaki

MINORU,pp.150-155.

11,

宗教学より見たる「英米の宗教哲学」,上野隆誠,Ryūzyō UENO,pp.156-161.

12,

「朝鮮の巫覡」を読む,金孝敬,Hyokin KIM,pp.162-169.

13,

新刊紹介,170-179.

Posted in 1932

(昭和7)年

(2)

∴ 五㌣八の精細現象論をなすに先づ沸教的立場よりしては、これ聖痕本分別﹂として論述するを最も邁普なりとす る催許に到つたのである。その褒め予は己に二三の論文を曹表して来たが、本誌前兢に於ては特に彿道修業者の 止親心一境性に於て塊伽唯諦観の薔生を跡付け、これを繹定戟の内容として彿敦挙蓮の初後を一貫する根本彿教 の一動向なることを論証し、阿合・阿見畳屋婆沙・塊伽諭その他に亘り夫々の時代の研究滑息を椅ヱ詳にしたので ある。 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ かくて止親行は根本俳教の鴬嬢修行の核心を虜すものであつて、更忙これは念併行者・壌伽行者・畢言行者・法 ヽヽヽ 挙行者等として、爾来印度支那円本と全彿教史を通じて甚だ重要なる研究題目となつておるのである。観彿念併 行者として初期浮土敦経論を始めとして世親く芦b呂db仁 の辞土論・丑欝の往生論証・救無塵讃彿経及びその研究 心・識・分別寸1根本心地

心・識・分別と根本心地

晩心一心と龍樹・天台

ニュ二・四 心細心地及び心性心地と根本心地

宮 本 正 尊

94J

(3)

二 心・裁・分別ミ根本心地 者などは逸其してはならないのである。大日経研究その他に基く聾一存者はこれ堂二密漁伽行者と云ふのである から甚だ明瞭であるが、これ等は皆な旅伽親行者の流簸であつて、これを﹁壌伽師﹂3思c腎Pと名けてよいので ヽヽ ある。日本に来ってかの修験道の組である役小角を﹁役行者﹂と呼んで居るのは、矢張りそれは塊伽親行をなす 塊伽師であるからである。前故に己に論定せる如く、玄奨が塊伽師と辞して居る語を、毘婆沙・硫大乗・倶合その 他に亘りて教程の異繹は行老・行人・勤行者等の評語を採用しておるのである。而て羅什の如きも龍樹の智度論の ヽヽ うち念彿の下に行者の語を依用しておる。かくて﹁行者﹂の謬語が特に後世に迄生き永らへて遂に日本彿故に於 ては勿論、日本文拳一般にも採円されておるの・である。予は日本文聾者がか1る言葉の原意と思想登蓮の過程を も研究して.更にその創意を決めて呉れることを希ふものである。 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 更に血戦行に就いて見落すことの出来ないものは天台智旗の﹁摩討止戟﹂である。摩討止戟とは大止戟である が、もと摩討は摩討街大乗に由来しておる語である。﹁大乗止戦法門﹂と云ふ書もその後出来ておるが、智顔の摩 討血税は大乗血戦の意に外ならない。天台ではこれは敦相戦心二門としてその宗義大系を示すものである。一方 金口相承、今師相承を詮いて邁々相承の根本彿敦的一貫を澄明しては居るが、他方これを﹁智者己心中併行法門﹂ ヽヽヽヽ とさへ云ふておるものである。その漸次・不定・凰頓の三種止親の漸層的過程に於て血戦行蟹澤の穴雑性をも物 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 語っておるが、その三諦園融l念三千の戟は智街の新曹揮と蒋せられておる。乍然、その大化戟、一心三親、三 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 諦凰触に就き最も重要なるは龍樹警g呈unaとの園係である。 天台が靡討止軌を画境止親・招待直観・不思議血税・無生止敬二大事止親等と名くる所以は、籠樹中論の無 942

(4)

生救に基いておるものであり.その三諦園蝕一心三瓶は﹁中諭併設不可思識一心三戦、歴一切法亦如是﹂ハ止観五上︶ と云ふ如く、同じく籠樹の中諭四緒戦に依るものである。その法華経の解繹にせよ龍樹の大智度論に示されたる ものが核心をなしておる。法華の根本本門彿が後に語られるにしてもそれは根本本門彿乗のことであつて一彿乗 ヽヽ Ekp・b已db苧yぎPの根本軌道を外れないのである。かくて天台の教義−竺二許囲敵に極る謙一としては﹁根本眞控﹂ ヽヽ ヽヽ 中一としては﹁根本中﹂に.また人一としては﹁一悌乗二大粟・根本粟﹂にあるのである。この鮎よりしてはそれは 全く﹁彿陀の根本jE法を聞明せる根本彿敦の眞備﹂であると僻してよいのである。而てか1る眞髄の源泉が龍樹で ヽヽヽヽ ヽヽヽヽ あると断定したものが﹁今師相承﹂の趣旨である。而てこの相承に就いては﹁此之血戦天台智者己心中併行法門、⋮ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ ⋮、智者事南岳、.・・::南岳事音叉辟師、⋮︰女節用心一俵群論。是籠樹所詮、付法萩中第十三師。﹂と云ふ摩河止 . 概一上の記事が最も明瞭判然しておる。ぷ文がその天兵務覿の園粟に遷し得たのはかの有名なる智度諭﹁三智葦 ヽヽヽヽヽ 布一心中村﹂の油息によりて埜亡埜照して初任無生忍位に郎入し.かの中論四紆晶の三静偶によりて恍戯大悟頓 ヽヽヽヽ 了した虜めであるから︵俳組統紀璽ハ︶、それは全く般若龍樹を承けたる頓蹄行人であり塊伽師であつたと云はね ぼならない。また意思も摩討術般若の行人であるが、かの智度諭﹁一心具携行﹂に就いて大品次第意なりと智置に ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 示し一念頓澄頓蟹の法華園頓の身鐙を教示せる頓躇親心行門の人師であつた。また﹁非汝弗辞.非我無詩、俳人 定着、法華二重別方便也−併牽持者l初旋陀経尼也。﹂と云ふ針掛か紛即掛か附針掛射に見らるゝ如く、全くこれ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 摩河出観の先遷であつたのである。かくて智街は﹁溺文法師・閻琵蹄師﹂の二逸を離れたる中道行者として﹁止鶴埜 、、、、ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ・ヽ 撃一偽双遊﹂の境地に遷したのであるから、その止観は真に﹁明野前代兼職﹂と解せらる1に至ったのである。乍 心・識・分別草根本心地 943

(5)

四 心・試・分別ミ根本心地 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ、、、 ヽ、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、ヽ、ヽ ヽ 然、その敦相戦心二門の大成も﹁智目行足至清涼地﹂と云ふ籠樹にその停承の源泉を見る虞に今師相承の本旨があ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ り、また﹁昔在室山同聴法華﹂と云ふ大蘇師賓同契にその琵解の根本俳敦の直許そのものである面目が躍如として ヽヽ おる。かの金口相承や付法戒停の如き単なる名の系列も、かうした勧心の醍経がその列と列との間、名と名との 間に埋れておちのである。それを生かすと育とは唯人々各々の工夫であり親心塊伽行の鍛練によるのである。

ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ

﹁北弊尊者.宿裏白然.不侯戦承、冥悟籠樹鮎客郎償郎中之旨、立馬心概、以授南岳。﹂と云ふ統紀の記事の如き は、か1る観心強伽行者としての憲文の濁自なる工夫登明を雄辞に物語っておるものである。而も我々は前波に ヽヽヽヽヽヽ 記せし如く絆経序に示さる幾多の膵行者の間に鵜漆せる俳数的漁伽繹範の拝辞の倖授を感受せねばならない。か ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ、ヽ ヽ ヽ ヽ、、、、、ヽ、ヽ、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 lる史的捧持と各人濁自の工夫による新襲揮との両面を見分けて研究してこそ彿敦の史的祈究の意義があるので ヽ ヽ ある。 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 啓開舜が組織委蓮せしめたる拳警笛の終決算些二十七科菩提分法の﹁発及び魔支の研究Lである。障って啓開 と雛も彿敦の眞髄はこの蒐及び兇支b。d亭bOdす邑望の研究に存せることは理解して屠つたのであるが、﹁菩薩大 ヽヽ ヽヽヽヽ ヽヽ 粟の畢﹂はその草間小乗が到遷せる発拳の要許そのものより出費したのである。その委絶大乗は寄菩提心bOdbi・ ヽヽ eit︵01p巴pである。啓開小乗は撃として蘇合組織せるものを、昔時の菩薩蓮は直ちにその精紳をつかんで出饗し たのである。粂の理由棍按をも突いて行ったのである。その菩提心・一心の研究はこれである。一は法教法相の 分猿整理の拳的誇りに碇はれ、他は直ちにその精紳を把握して跳躍前進したのである。阿合阿見塁では川合任止 ヽヽ ヽヽヽ ヽヽヽ 親心一境性であつたが、華厳に来っては﹁菩薩初哉心便成正魔﹂と云ひ﹁三界唯一心﹂と云ふ。般若は﹁任是一心能生 ヽ 944

(6)

ヽヽヽヽヽ ヽヽ ヽヽ 菩提遺﹂と説き或埠.菩薩心輿俳心無有賀﹂﹁三智一心中得﹂﹁一心中一時熊具足六政羅密﹂﹁一心具萬行﹂等と説く のである。かくて般若相應・峯相應・第一相應・般若方便カ・有方便善巧修行般若二念柏應憲等と表現せられるが、 ヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ ヽヽヽヽ これは皆な塊伽相應の異義であるから、般若経には﹁勝義癒伽﹂が詭かれ提婆の﹁四百戟論﹂が稔伽行論・璃伽師論 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ YOg腎腎eCpど思p言keと解せられるのである。凡てが概心一心行に切りつめられて来たのである。 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ されば籠樹は﹁彿意唯是心褒眞賓﹂とさへ云ふて.おる。その﹁普通達一切諸法相﹂の諸法賓相戦は貴にか1る親心 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽヽ ヽ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 般苦心・押智方便力に基いておるものである。されば塊伽は通常これを﹁相應﹂と詳し.塊伽唯識論師を﹁相應師﹂ 一心の極みなのである。﹁漁伽師﹂と云ふてもか1る親心行者の外にないのであり.﹁唯識観﹂の軌道もか1る壌伽 ヽヽヽ とさへ云ふのである、その癖伽相腔は﹁一切並方便善巧相應義故﹂であり、その際は後得智を以って自醍とするの ヽヽ である。元来塊伽は一心正敏相勝行であり、般若方便相應であるから、根本眞賓の般若に封しては、これが方便 ヽヽヽヽヽヽヽヽ 道である。龍樹が般若に眞襟方便の二道ありと云ふものは、これを般若璃伽・智行二道と言ひ摸へてもよいので ある。かの唸伽論記の如きは教理玄曾・行果冥符・智境恕蕾・客有不二の四義を以ってこの塊伽相應を解繹せる如 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ■ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ一ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ きは拓だ適切なるものである。龍樹を承けたるものに投婆Ar苫d等pあり知者計邑gPあり天台智鼓あり三諭吉戒 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ あり郵巌法痛がある所以も弦に基くのであり、後代り至りて文殊弼勒・籠樹無着。天親臨樹・客有・持相振起・中戦 、、、、ヽ ヽ 1 1 1 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 1 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 壌伽の南系など云ふことも、要之、か1る根本俳教蓉蓮の爽線的波瀾の祓鮎の捉へ方に外ならないのである。 ヽヽヽヽ 予は上述に於て大鰹、根本分別を解説するに苦り.先づ﹁心・諦・分別と根本行地・根本心地﹂とを施設開明すべ ヽヽヽヽヽヽヽ ヽヽヽヽ く、その中特に魂伽師地研究を中心として根本行地の研究を馬したのである。次で根本心地の研究の序曲として 心・裁・分別亡根本心地 五 94∂

(7)

心・撃分別モ根本心地

概竺心行による籠樹天台の史的一貫を挿入したのである。更に少しく前境戒伽師研究の補遺を悠しておかう。己

﹁行﹂を表にして謬するのがよいのであるが、乍然くPib唇訂を毘婆沙師、ぎ巳d罫n︼i訂を阿見達磨師、D鼻翼i訂↑

、、、 、、、、、、、、11111111 1 1、1 11 11、111ヽヽ 1ヽヽ 1、ヽヽ ヽ

忙論定せる如く﹁稔伽師﹂諾罫ミ。g啓ypは明瞭に唸祀星n即ち戒伽人・璃伽者を指すのであり述記も撥舐は

ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ

﹁師之稀﹂と云ふておる。菩薩親行の摩蟻鹿級より適切には壌伽勤行者・琉伽行軍魂伽行人・旅伽修行者・醸伽行師と

を皆喩師と辞する用例の如くこれを﹁塊伽師﹂と辞することは何等差支ないのである。而て予望別戟には彿教経典

ヽヽヽ に於ける﹁行﹂即ちc発音とc腎Pとの用例に基きその璃伽行の基本型として讃⋮r耳遠p・C腎aを定め、王とし

、、、、、、、111111111111ヽヽヽヽヽヽヽヽ

てこの鮎よりして論述したのである。乍然、この謹啓pは更にuぷ竃︵強伽︶と罫P︵行︶の二語の合成語とし

ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ

て解辞さる1ものである。璃伽略筆論記・連記の解繹の依室拝す官膏及び有財輝bpぎ畠山の如きも元来はこ 、、、ヽヽヽ れに讐るもので雪。而て若し依壬警らぼ塊伽の行として1行﹂が雪る1ので雷、多財将に依れば1璃伽 ヽヽヽ 行者﹂﹁塊伽行師﹂或は単に﹁璃伽師﹂として行焉者人師になるのである。たゞ三乗癒伽行者の人施設p鼻音ギ ヽヽヽヽヽヽヽヽ j首tiに依りて研究せらる1彿教の阿昆蓮磨諭書の停統的形式に随ふ大乗の阿見達磨論である1塊伽師地論﹂ Y。g琴。・b富邑・断筆旨−Y患c腎ya・bllぎi・賢rpにありてはーこれを塊伽師地・璃伽行者地・碗伽行師地と見るべきも のであり、陰って玄莫の如くこれを塊伽師地と属すは敢て差支ないのである。啓p−は捌く引啓p青首2の流 類に廃する語であり﹁行﹂と繹さる1のである。而て荻廉博士郁渾名義大集CH誓Ⅰ請功徳名目の第五訓告P恥il古 臭理趣者・具行軍同筆ハ冨r邑風任於法儀・任行軍同CC卜㌍ノヨ抄門誤過名目の窮二〓⊥一罫P音ココa古墳 法・壊行に用ゐられて居少、更に者那敦J2iコPの十二軍分A首の第一訂詮gaの如きテキストの名にも用ゐ 9塵β

(8)

ヽ ユウル・ヴエダ・ウパニシャツヅ誉苫P・Y告r邑p・已p邑朝adsのぎぎギ星−S邑P訂旨P−内a昔 の三り。ハニシャツヅ 、、、、、、、、、、、、、、、、、1 1 1 1 1 1 ヽ ヽ ヽ ヽ−ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ られて居る。乍墾これは何れも合成語の前分になつて居るのであつて、y竜・昏Pの如く後分に用ゐられて居る 、、、、、、、、、、 ヽヽヽヽ ものではないのである。予は不幸にして未だ肝心の賢raが後分に用ゐられておる他の彿敦梵語の用例を見出し て居らないのである。依って荻康博士に教示を仰ぎたるも、今迄注意を排ふて.怠らなかったと云はれるから、今 はたゞ博士の御注意による出。告−ing−ハ鈴R。︷hの梵語酔典に出するラーマーヤナのGuru・払気息p盲腎腎a ︵孝順師 博行者︶と云ふ多財輝の例のあることを附記する。 更に前波に於て稔伽師地論と薄伽梵歌との比較研究に節して三石したが、この間題に就いてはクリシュナヤジ のうち特に第一のマイトラーヤニイ・ウ。ハニシャツヅに於ける塊伽、。ハタンヂヤユ冒a登iの壌伽経YOg邑言 者那のへイマチャンドラ謬m昌ndrPの喩伽論Y。g註賢p、その他兵書塊伽リー邑rp諾P−捜塊伽gay。gP、手塊 伽H息首。g。、王璃伽屋P諾pの馨遷等との比較研究も必要である。先年故木村奉賛博士が﹁魂伽経に及ぼせる 併敦の影響﹂の論文に於て大鳥婆沙の三世貨有論の影堆を指摘せられ、欧米印度の聾者のうちには彿敦に射する 旅伽の影響を論ぜるものもあるが、未だ﹁塊伽師地論﹂との閲係に論及せるものはないのである。殊にマイトレー ヤ試賢e篭二即ち弼勒の撥伽師地論とマイトラーヤ=イ・ウ。ハニシャツヅの唸伽諭との比較の如きその名に於てす ら因線のあるものであり、甚だ興趣探きものである。 ヽ 附記、今節の註は頁敷の制限により全然省略、しゎりであろが、他日横を得て禰ふであら、つ。 心・識・分別草根本心地 こ タイ7

(9)

心・裁・分別ご根本心地 八 俳敦がその最初に於て最も具鰹直接なる経験︰・サトリを旨としたものであ少、そのサト∴りが心澄・現詮・自内 ︵四二︶ 琴直紀であるために、﹁心挿﹂﹁心馬本﹂﹁由心﹂﹁依心﹂﹁唯心﹂品心詮としてその根撼付けが営まれて発たので ある。己忙阿含等の原始経典にも華厳経摩等の大乗経典にも、または大衆部等の諸部彼の傾向のうちにも看取さ る1のである。かくて心学心音撃心依手心最膠の唯心縁起の傾向が華厳の十地経に来りかの﹁般若現前pr忌㌣ ︵望二︶ ヽヽヽヽヽヽ 。b一。imukl品の地﹂即ち根本のサト∴りとして﹁三界︵虚妄︶但是一心作、十二因線分皆依心﹂と云ふ有名なる表現となつ て以来、ここにエポックを作ったと云ひ得る。弦にかの五蕗詮としては色に謝しては勿論であるが受忍行に射し ヽ、、、ヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽ ても諦蕗は主導的位置を得来り、十二級起としては罪名色の園係に於て識の特異性が認められたことになる。而 もそこには修行者の心邁渾・止親心一塊の一心智憲が伴って居るのである。而てこの主導性とか特異性が認めら れることは.同系列のものが異系列になることを意味するのであるから、請詮は論説に止らすして﹁熱性詭﹂にな ヽヽ るのである。この識性詮なるものは心清浄・心性本浮の﹁心性詮﹂に外ならなのであるが、たゞこゝに識と心との 語の持つニュアンスの相違あることは拒めない。これは唯心唯識思想が草薙した後世に至る迄附き纏っておる。 ヽヽ 乍然、一度或にか1る一心に極る全鰹的立場としての彿数的立場が明瞭にせられると、これを頂粘として弦に ヽヽヽヽヽヽ 一方に於て心性本浮の要請・上求菩提下化衆生の大悲誓麒の﹁菩提心﹂と他方に於て現前虚妄の染汚心・﹁煩悩心﹂と が封舷性を明かにするのである。五琴十二級起・三界を虚妄とするも清浄無垢と規定するも畏はたゞその一面を 強調するのであるから、その何れかに依って畢詮を立てるとしても、その内容に於ては必ず他を何虚かにまた何 等かの形に取入れておかなくてはならないのである。全陛的立場としての沸教的立場に於ては、この両祀鮎或は 9Jβ

(10)

両系を一平面に於ける悪しき封踵とは執らないのである。かの煩悩即菩提・世間捏紫同一際・如来五戒不異はか1 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ る直記 ・サトリを表明せるものである。龍樹甥品.肯首喜の諸法案相戦はか1る種の最も緊密端的なるものである。 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 繹奪の中道と如貨智見、龍樹の中観と諸法貰相とに両親粘繭系に執らはれざる全鰹的なる俳数的立場を見るべき 呂︵︼首al︼−il︻P及びそれに順ずる三論宗・国論宗があり、蒲勒害Pitrのyaの分別癒伽師地に依る漁伽宗Y。gp一号P、Y。号 であらう。﹁根本彿教﹂とはか1る端的なる把へ方の一心分別の弾みに名付けらる1ものである。 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 肇巌の唯心縁起が般若の縁起戟であり、その第六般若現前地が般若眞賓と方便との交接の起動をなす根本眞葦 なのであるから、爾後唯心・唯識・自性清野心・併任・如来戒・一心等の凡ての縁起思想に動向を輿へるものとなつた のである。かくて一方忙於て菩提心・般若・汝起・無生・不二・本清押・一心として、他方龍樹に於ては般若・線起・八 ヽヽヽヽ 不壷・偶・中・彿として方々の辿りと極りを見せて、﹁線起﹂と﹁資相﹂の両親駄が弦に夫々エポックを作ったのであ る。 後代になるとこの両親灘が南系の封立とも考へられ、歴史の爽雑性が迭にこれを拳渡皐系の封立と化せしめた。 ﹁峯有の評論﹂とか﹁分別決判﹂の風と云ふものはその著しきものである。拳派としては籠樹の中戟に依る中和宗 。首P無着A邑笥の掻大乗論による塙論宗、世親の唯識論に因む唯詩宗5j訝na・ad首及び特に護法D訂l・2怠︼あ 成唯識論に依る玄莫慈恩の唯識法相宗、十地経及び仰親の十地経論に依る地論宗が或は宗とし或は型として生ず るに至った。而てこれ等が主に斧tP−・ぎ派執・宗執として相互に封宜し評論を醸したのである。 ︵円田ノ 就中玄奨意思の徒に依りて揚げられたる評論の蜂火とその後の﹁紛転﹂﹁沈結﹂の偏れる見苦しさは、かの義浮 心・裁・分別ざ根本分別 九 ク49

(11)

心・撃分別ミ根本分別 一〇 ニチハシテシスル﹁

エフニレカレカ

レカナラン をして中軌と癒伽の二は﹁西国隼行理部面競こと語らしめ、﹁斯並成準聖教誠是執非、何眞何備、︵下略︶﹂と慨 ヽヽヽヽ 嘆せしめておる。更にかの緊首法戒の如きは繭系位相散骨を相破相成の排辞法を以って全﹂ゝおる。法殖や義浮 、、、、、、、、、、、、 ヽ の云ひ分には夫々強く常時の歴史的爽難性を反映しておるのであるが.か1る融合は己にかの陥の天台智顕が﹁容 ヽヽヽヽヽ 有性相関骨﹂としてこれを企て.かの嘉群書戒は大小兼敏顆道無別と云ふておる。その他、かの華甲深寧俳地痩 伽・起信・心地学園発等の諸経論に併任・自内琴園琴木琴本位・園軍法界隈性等の表現が苦心せられておるの 、、、、、、、、、、、、、、 、、、、、1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 ヽ ヽ ヽ 1 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ も、矢張り両系の偏りに執はれざらんとし、この全性的才媛を夫々その昔時に於て最も邁切なる語を蓉明して表 、、、、、、、、、、、、、、、、、 、、、、、、、、、 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ し時代の精神力を反映しつ㌔彿畢

現敦﹂に従事したのである。要之、評論は祓鮎の極少、けじめを鮮明ならしむ

、、、、、、、、、、、、、、、ヽ、、ヽ ヽ ヽ、ヽ ヽ ヽ 1 1 1 ヽ 1 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ る ものであつて封蹟性を強調することになるのであるが、他面その止蕩を忘れてはならないのである。たゞ彿敦 が印寧支那・日本・西琴欧米等を流侍するにつれて轟々その爽雑性が克って来るのであるが.それに純粋性の究 明が件はない時には遽にそれは俳数的精神を失墜するに至るであらう。 ヽヽヽヽヽヽヽ 歴史的に鱒前述の如く彿数的思想の費遷にはエポックがあるのであるが、先づ認識論的には﹁中﹂が、草践的に は﹁地﹂が、隣って﹁零﹂と﹁諸法案相﹂とが前者に、﹁心﹂と﹁縁起﹂とが後者に連関して硬達して来たのである。その 中は﹁根本中﹂に極少、心は﹁一心﹂と切りつめられて表現せられるのであり、その線起が峯であるのであるからー ヽヽヽヽヽ 何れも兇詮根本法の全鰹的立場を顛表するに役立っておるのである。彿陀正準彿地・心地・自性心・捏琴木琴眞 如・法琴感性・併任・如来戒等に亘り夫々の表現が試みられたのである。就中来賓なる如来戒の就はgPTbJP であ るからこれは母胎としての大地を表徴する地b言n︼iの思想の寄穎璧喩である。己に十地鰹に於てかの敷詰の壬 ク占∂

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人公である金剛裁く与。竃bbPが大地の化現と見られておるものと連閲しておるのであるから、矢張り地写ぎi ヽヽヽ の思想として如来敢は﹁如来地﹂・﹁俳地﹂に外ならないのである。若し如来痛が如衆地・僻地の表現とすれば.これ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ’ヽヽヽヽ●ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 明かに彿数的充填の究尭的のものである。更にこの﹁一心分別﹂の全醍的立場が衆生心と云はれ、彿心とも表現せ ヽ ヽ ヽ、、ヽ ヽ ● ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ、ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ られ、それが信心とせられ娘心とせられて、彿数的立場の排鐙法がその緊密と尖銀の度を檜して今日に及んでお る。これに就いては更に﹁分別の機構﹂と﹁信ズルの研究﹂の二論文に待たねばならない。 三 ヽヽヽヽヽヽヽ 彿数的立場は中により八不によりて示されて何れも簡繹を嫌ふのであり、菩提般若の法性心性の研究に力を悉 ヽヽヽヽヽヽ すのであるが、そのうち彿陀魔澄の分析分所分別の方面に専心する際には立に法相心根分別の阿毘達磨が委達す ヽ ヽ 、、、、、、 、 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ、ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ るのである。この傾向にも﹁中﹂の立場が失はれるわけではなく、﹁地﹂の思想も考へられておるのであるが、差別 ヽヽヽヽ 分別を旨とする相の研究に偏するのである。了別別知を活きとする識鼻音呂分別が克っておるのである。これ ヽヽヽヽヽヽヽ は般若中搬と毘曇姿沙との智と識となり.立場の封立として見らる1程特徴を作ったのである。而てこの後者の 、、ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 法相心根分別の動向は最もよく上庭有部鬼婆沙師の間にその典型的なるものを見るのである。 ヽヽヽ この群れに於ては﹁中﹂も外道の有無二見に射するとせられる中の原始的形態を残辞的に留保するに止り、更に 研究されて費蓮を蓮ぐるに至らす、またその﹁地﹂隻馴述の如く準鰐経十地や十七地の行地心地の如き勝義甚探の 、、、11ヽヽ 意味を鋏きーかの大地法夫煩悩地法・小煩悩地法・大書地法・大不善地法・大石環無記地学大無忍無記地法・不定 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 地琴の如き、﹁心相地﹂としての心心所論に於て漸次その螢達を途げたのである。かく阿毘蓮磨論師の﹁地﹂の研 心・濾・分別ミ根本分別 ク5J

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心・準分別ご根本分別 一二 ヽヽヽヽヽヽヽヽ 究は心性の心地としてゞなく心相・心教法の心地として牽遷したのである。意義根撥付けをなす統一的方面に於 、、、、、、、、、、、ヽヽヽヽ1ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ てゞなく.各々別相の心和語分別に於てゞある。従来地の思想と云へば撃巌の十地思想とのみ聾者は老エておる ー 、、、、、、、、 、、、、、、、、、、1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ が、この阿毘達磨諭師畠婆沙甲法相分別家の心心肝論乞そ、かの菩薩地 と封際的に研究せらるべき、﹁地﹂の研 、、、、 、、、、、、、、、、、、、、、、、1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 ヽ 1 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 究である。予はその重要性を弦忙強調するのである。即ちそれは﹁心性地﹂と﹁心相地﹂との研究の封股である。雨 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1、1 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 者とも﹁地 ﹂の研究でありつ1柏封立するのである。これは法性と法相の研究がともに阿昆蓮磨の研究でありつl 、、ヽ ヽ、ヽ ヽ、、、 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ︵田托︶ヽヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 相封立した如くである。予は先に根本中の立場よりLてこの﹁阿見達磨の本義﹂を訟ぃたが、今は﹁地の本糞﹂と 、、、、、 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、1 1 1 1 1 1 1 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ して前に﹁ 節行地﹂に於ける唯心十行地と唯識十七行地の関係を見、今は﹁心地た於ける﹁心性法性分別﹂と﹁心相法 −、、 、、、、、、、、、、、、、、、、、 、、1 1 1 1 1 1 1、1 1 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 相別 分﹂の掛取を所詮法的に考察するのである。両種の新政は何れも分別であるため、戴に全鰹的立場として高 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ・ 次的の﹁根本分別﹂を設定するのである。 、、、、、、、、、、、、、、、、、、ヽ ヽ ヽ ヽ 1 ヽ ヽ 1 1 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 1 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ て前や 建それ等に附帯せる特異な歴史的爽錐性を明かにして俳教黎蓮の眞相を示さんとするのである。 心心肝論に於て﹁地﹂と云はれるのは大なる心或は心王に基礎しておるからであるから、例へぼ大地法と云へば 、、、、ヽヽ 大心地法と云はるべきであるとは法膠の阿見垂心論経の解繹である。か1る心地が右に蓼げた如く七位に分類さ ︵四六︶ れたのは大昆婆沙に於てゞあるが、世友くas邑t冒の界身足諭せ富u首p の十大地学十大煩熔地琴十小煩悩地 ヽヽ ヽヽ 法の三位及び撃伺・識・無廟・無他の五法の分嬢の如きは心肝論の分類的研究の先頭に立つものと見てよいであら ︵臼七︶ヽヽ ぅ。これが同じく世友の著と樽へらる1品類足諭り旨rぶpp乱pに於て十大善地法が加上せられて囲位とたり、 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ かく︼方根本分別の意義を明かにしつ 、、、、ヽ、ヽ ヽ ヽ ヽ、 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ゝ他方弦に智訣・心詮・諸説・魔詮詭の把へ方の相異やそれ等笹涯宗派の 9∂β

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﹁門八︶ヽヽ 婆沙は前記の如く七位となし、法政じ訂r⋮告別訂の難阿見丑心論は無慨無挽のl一大不替地法を順位に加へて五地と ︵M九︶ なし、世親の倶合論は疑心の五地を承けておるから﹁心法五、大地等別故﹂吋‰cPd訂cPご出血P試b12.m箋d⋮b訂d賢一︶ ヽヽヽヽヽヽ として五位詮と見るべきであらう。然し倶合の新費揮は﹁説五品心法己、有飴法不定﹂として、尋何等の﹁不定 地﹂を特設した駄にあるから、六位或竺ハ地の術語をこそ用ひておらないけれども、第六地としての不定地が己 ヽヽヽヽヽヽ に意園されたものである。故に倶舎家の心心肝論として纏めて法相心相を分別する際には、これ室ハ位四十六心 併とするのは嘗然の成行である。 ヽヽヽヽヽ 泄親のこの尋何等不定地別開は分別の研究なる本論文としては甚だ重要なことであつて、これを特筆大書して ヽヽ ヽヽヽヽヽ おかねばならぬ。元来尋何に窒息を排ふことは唯識・唯分別の動向に着眼しておる聾者であるならばこれは極く ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 自然なことである。倶舎論こそは世親が誓喩者崇旦釧ntikpや経部S邑−・馴nti訂等の碗鮎をも折衷して造った著作 、、、、、、、、、、ヽ ヽ 1 1、ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 1 1 1 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ であるから彼等の群れの間に如何に尋伺が重要観せられておつたかに思を致せば、倶舎の尋伺不定地別開の理屈 、、、、、、、ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ、ヽ ヽ ヽ ヽ 1 1 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ も明瞭するのである。そこに世親が己に有部小乗より唯識大乗への轄向過程を示しておるのである。而して塊伽 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 唯識の動向に於て如何に尋何と分別とは重要な役目を果しておるかは攻節に於て踊説するであらう。 世親が迦観留拳の後に倶舎を作ったのであるが、元来が限囲西方師の系統に属する穴雄性を有するのであるか ヽヽヽ ら、その唯識論に進展するに及んでは普然五地歌より明際に進んで尋伺を不定地とする六地説を説くのが本筋で ヽ ヽ ある。後代の倶舎家の法相で云ふやう忙倶舎論が己に六地詭であると云ふてよいのであるが、彼の分別としての

′トトトト

トトナり 唯講読を説く際には充分に六任訟であつたのである。彼の唯識本論が﹁此心併遍行別境善煩悩随煩悩不定﹂と六 心・戎・分別ミ根本分別 仇娼

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心・裁・分別ミ根本分別 一四 ︵五〇︶ 位を数へており、次での詮明空ハ位として順序が組織立てられておるのである。このことは彼の大乗五慈諭P㌣ 色孟訂ヨdb還rP訂ra.雲F では﹁是諸心法、五是適行、五是別境.十一是善.六是煩悩、飴是随煩悩、四是不決定。﹂と ︵五一︶ 明瞭に六位の順序も心併の数も降立せられて分類が輿へてある。安慧StEr買ぇiの大乗廣五藩論もこれに順じて ︵宰一︶

ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ

居る。更に安慧の揉造と云はる1難集諭第一には﹁如是思等五十五法、若偏行若別境若菩若煩悩若随煩悩若不定、 如其次第、五・五÷一・十二十由應知。﹂とあるから明かに六位詭になつておるがその心肝の数は壌伽の五十三 でもなく、唯識の五十一でもなく五十五となつておる。それは第囲の煩悩が六大煩悩でなく十法となつておるか らである。而してその十が界身・品類・婆沙の十大煩悩地を復活したのではなく、た三ハ大煩悩の第六悪見を五見 ︵五三︶ に別閲した斜めなのであるから、失張旦ハ位五十一法と同一分煩なのであえ㌔更に世親に辟せられておる大乗百 ヽヽ 法明門論に依れば﹁第二心併有法、略有五十一種、分璽ハ位、一遍行有五三別境有五三善有十一・囲煩悩有六・ ヽヽヽヽ 五随煩悩有二十・六不定有囲﹂と六位の術語迄用ゐてある。その後六位の語迄用ゐておる代表的の著作は護法の ︵五四︶ ヽヽ モモシト▼ルコト ヽヽヽヽヽヽ 成唯識論弟五番に﹁論日、些ハ輪講、輿一六位心肝一相應﹂﹁粍藷心肝名義無衰、而有夫位種類差別ご碍遍行有五・ ヽヽヽヽヽヽ 別境亦五・善有十一・煩悩有六・随煩悩有二十・不定有四。如是六位合五十一。﹂とあるものであらうが・これは 三十項の註持として寧ろ普然なことであらう。 ︵五五︶ 尋何の位置を心肝論のうちに特設したのは全く惟親の手柄であるには相違ない。然し彼がこれを不定地として 別閲するに至ったことは、前述したやうに璧囁者・経部・法政・兇天等の尋何に掬する云ひ分を克く見たのである ヽヽヽヽヽヽヽヽ ことを忘れてはならない。更に後述するやうにこの尋何と分別と唯識との密接なる舶係も注意せねばならない。 タβ4

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かく心性心相に亘りて漸次研究せられて来たのであるが、結局はこれ1心地﹂の研究であるのである。さればか

、、、ヽヽヽヽ の阿見達磨諭書に於ても心重心併と云ふて識王論断と些諒ない。ま空ハ識意根を七心界と云ふのである。かく

て阿見蓮磨論書竺面これ﹁心論﹂であるから、法膠に阿昆点心論があり、法政に錐阿毘小芯論があるのである。

ヽヽヽ 而して従来この心にはeittPでなくb乳a冒b舌、Pが宛てられておる。11己蔓は肉囲心として心臓を指すのであ るが、同時にciコt馴とせられまたcぎとせられて振慮心をも揺すのであるから、か1る阿見帯芯は矢張り後者の 扱虚心に基いて名けられておるのであらう。この線鹿心は巴利ではぎ12巨邑ci邑己cぎl臣とされて線慮封境 更に心肝論としては世親は唯講談に於て倶舎の十大地法を別関して・五過行雪旨gp−五別境p邑号音i署呈 ヽ ︵五六︶ し.八不定を四不定§音pに整理してぉる。次に南方のアヌルツダAロur邑bPのAbEb巨口邑−岩音訂は 遠心行sPbトacil︷p整㌻P別境p鼻音等の七位轟けて音が、その遠心行と別境品伽唯諭の五遅行五別 境に似ておる。前者には爛pけ匡受邑呂抑想邑欝思eぎp心一境性¢首g註命根ji吉nd音作意m呂軋暫a の七を、別境野墜寺島已計伺鼓rP膠解Pd已mOkk訂勤致竃書p罠欲c訂dpの六を数へておる。そのうち

、、

︵五七︶ 尋何が別境のうち忙族められておる。また更に南方の論事穿旨星ぎに依れば北道派已ul︷畳旨k品等を一切

心克行呂ト音訂と見て雷。後越する誓喩雷1諒伺彗声と警、1尋何は心なり﹂とさへ云うて君。こ

︵五入︶ の外、巴利長都の内eむJ訂皇邑芸如きはーeil号i告ぎをi−芸註aと相ゐて心意惑の活きを指してお るが、法相未分別のま1に説いておる程である。 四 心・哉・分別ミ根本分別 9β占

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が心とせらる1。 七悌通誠の侶など、唱俸せられておる、かの﹁諸悪美作姦善事行・自評其意・是諸彿教﹂などは・特に﹁意﹂が ︵丑九︶ 用ゐられておる。しかし阿合議経・大衆部・般若・錐摩等の諸大乗経典に亘りて、心浮訟の色彩が濃い。大昆婆沙な ヽヽ どにも其心措辞なれぼ飴鑑亦然りとして.五蕗のうちに誠意の最勝と主導性を認め、これを心清挿となしておるJ 更忙心辞なればその土また浮と云ふ如きは.単に諾意の首軍性を認むるのみでなく華厳に於ける、﹁心如工童師﹂ 、、、、 ヽヽヽヽ の侭その他に示さる▲唯心縁起の基調となるものであるが、塊伽師の軸心の内容たる唯識線起の基調も決してこ ヽヽヽ れを逸しておるものではなく、己に阿含経典に心持詭が強く敵っておる。されば菩薩の菩提心と云ふ如き時・念 、、、ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 智や誓臓が語られる時、蓉智曹憲が意囲される時、これ等は何れも俳数的立場の緊張せる尖鴇を的示ルてをるも ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ のであつて、全性的なる精細の迫力を示しておるのである。同じ阿毘達磨論でも本論吉−守許すpと迄名付けらる 、、1 111 ︵六〇︶ 111 ヽヽヽヽヽヽ ヽヽ ヽヽ ヽ ヽ るかの八擬度論が、通常替智論姦智経と云はれ或は聾慧論と名けられておる。暗鬼虞線に随ふて.或は﹁心﹂或 、、、、、、、、、、 、、、 、 、 1 1 1 1 11 11 111、、ヽヽヽヽヽ ヽヽ ヽ ヽ ヽ ヽ は﹁識 ﹂を以て表徴せられ、その他﹁智﹂﹁憲﹂﹁発﹂﹁意﹂﹁念﹂﹁戯﹂﹁分別﹂等と用語に夫々の持ち味を示しては居ち 、、、、、、、、、、、、、、、、−、、、111 ヽヽヽヽ が、徹底的には魔琵の全鰹的立場を外さないのである。たゞ後代になつて唯論法相の心相法相分別が道理世俗の ヽヽヽ 立場を執って、その分別が精細を加へて禿た褒めに.心意諦が夫々差別せられ丁寧思軍兵熟の三滝要が規定せ られて、六・七・八諸に配富せらる1に及んだのであり、心意識の三に元来かく分化する傾向が成せられては居っ たのであるが、その昔初からしてかく迄に明かに分判せられて居ったのではないのである。これは巴利決謬に汀“ −、、、ヽ ヽ、ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ、ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ︵六こ ヽ ヽ ︵さ〇ヽ ヽ ヽ ヽ へ六〓︶ りて同趣である。たゞ阿毘達磨分別が盛んになるに連れて.一方心意識の三者は﹁義一異名﹂﹁賛同而異名﹂﹁鰹一﹂ 心・試・分別ご根本分別 9β6

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I、、 、、、 、、、、、、、、 1 1 1 1 1 1 1 1 1 ヽ ヽ ヽ、ヽ ヽ ヽ−ヽ ヽ、ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ として﹁別 無差﹂であるとされつ1、他方差別ありと諸種の分別が施さる1に至ったのである。就中、詳細忙亘つ ︵六円︶ ておるのは大昆婆沙論森七十二、結蕗第二の十門納息第四之二であつて、その無差別訣は﹁有祝着﹂として紹介せ られておるものである。 ヽヽヽヽヽヽ ﹁或有論考無有差別、心郎是意、意郎是諭、此三聾別、義無臭故。如火名火、亦名焙巧亦名俄然、亦名生 明、亦名受祀、亦名指熟、亦名黒路、亦名鎖息、亦名個嘩亦名金柏。如是一大有十種名、欝雄有異而鰹無別。 知夫帝繹、亦名轢掲羅、亦名補爛蓮窄亦名実伽梵.亦名婆諷縛、亦名僑戸迦、亦名設芝夫、亦名印澤琴亦名 名三十三天鴛如是一重有十稀名、聾維有異而鰹無別。如封法中、詭受名受、亦名等受、亦名慶安、亦名受趣。 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 如是一受有五種名、啓錐有異而鰹無別。故契経詮、心意識三、琴雛有異而無差別。﹂ これに射して差別詮の方も﹁復有詭者﹂として糾名即ち差別するから、拘世亦差別して過去は意・未来は心・現在 は識、伺壷た界虞籍三科施設の差別、囲義の幕別として種族・生門・積釆・同業差別としてイ連行・前行・繚生、 ︶ ′一−︳ヽ ︶︶ い彩筆麻趣・丁別.ハ滋長・思畢分別に亘る詮を紹介しておる。次で婆沙の大立物である脇尊者宗旨pの詮が ︵ ヽヽ 連ねてあるが、滋長分割・思量思野分別解丁を夫々心意識の業となし、そのうち滋長思量分別は有漏の心意詩の 、、ヽヽヽヽヽヽヽ、ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 業であり.分割思惟解丁は無漏の心意識の業であるとなしておる。この脇尊者の詮は唯鼓の轄諭得智や分別智無 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 分別智を研究する際に参照すべきものである。 かゝる婆沙の設は昔時に於ける阿見量産婆汐の語草者の詮を集大成したやうなものであつて、爾後の阿見達磨 ヽヽヽヽ 法相分別の基本となるものである。その後保倉や順正理の﹁新薩婆多﹂が起ったにしても何れも新組織をなしたの 心・哉・分別ミ根本分別 9∂7

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心・識・分別ミ根本分別 ︼八 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ でもなく新時代を劃した程のものでもなかつたのであるから、大鰹これで阿見蓮磨の拳凪が行く虞迄行きついた 、、、、 、、、、、、、、、、、、、、、ヽ、ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 1 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ものである。障って新エポックはそれを相承しっ1も全く新しき動向に於てなされる必要があつたのである。異質 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 異系統との交流である。そこに中速分別が接頭し、通一一届・抵大乗が企園せられるのである。法性法相分別や心 ヽヽ 性心柏分別の綜合が起るのである。一方に於て中遽の批判主義が過少、三位三無性が詮かる1と共に、他方六識 ヽヽヽヽ 及び意根の七心界或は七瞳分別に止つでおつたものが、阿陀那諸賢写去釦npとか阿頼耶轟音言ij欝npが創設 ヽヽヽ され、また染汚意打誓m呂覧が泉郷識として詮かれて来た。これ等の新設が漸次組織せられて途に八識詮が醍系 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 付けられて禿たのである。八識唯論説も識詭の新設として漸次加上せられて費蓮したもので突如として八識が整 ヽヽヽヽヽヽ って説かれたものではないのである。無着が分別自性練起の基本である阿頼椰識を詳説するに雷少、大衆部の根 本識・化他部の窮生死幾等をその登壇過程に認めておるが、護法の成唯識では更に上座部の有分識をも加へてお る如き、また現代の我々となればその外督喩者の無想滅轟二足の細心不滅や軽部の純意識をも考慮に入れて、唯 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 識思想を牽生的に研究するのは、可なり根底的な通三乗の行き方なのである。たゞ我々のか1る行き方もー彿雫 一排澄粟の全鰹的立場を彫り出す清めの手段であり撃に過ぎないのである。 ヽヽヽヽヽヽ 阿見達磨講師の時代は心肝・心相鷹島の研究即ち心相分別が克っておつたのであるが、璃伽唯諭になつてから ヽヽヽヽヽ は心性分別の影響を受けておるから、その八詩詭に於ては二ハ・七人の心識・心王論が特に重要性を帯びて充た ヽヽヽヽヽヽ のである。かくて丁境・思革具熟の三能登や、因果の二能愛の如き分別は、未だ且って有部等の部渡小乗では企 ヽヽヽヽヽ てられなかつた新法相分別である。﹁講読﹂皇詳a・邑pそのものは五惑詮や十二枚起詭としてその濫勝己に久し 9占β

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いものであるが、この−唯識﹂く嘗p︷im賢愚く嘗na2ぎl抑の新奇挿は遂に講説とし云へば唯諸説忙限るかの如

、、、、、、、、、、、1111111111111ヽヽヽヽヽヽヾヽ

く考へしむる磯因を作ったのである。これ唯識詮の占むる彿敦畢螢蓮史上の濁自なる爽錐性であつて、識訣の種

、、、、、、、、、、、、、、、、1111111 ヽ一 々を自らに統輸しそれを猫占してしまつた形である。而て唯識詮をしてか1る偉業を迭げしめた根本原因はーか 、、、、、、、、、、、、、、、111111111111111111、111 1ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ の十地の心性心地と阿見遵磨の心相心地との心地の両分別と般若毘螢の識

智の射撃法性法相の封立が綜合され・

、、、、、、、11111111111111 1111111111111111111ヽヽヽヽ ヽヽ ヽ ﹁根本行地﹂としての地の上に生育した展でである。而もそれが龍樹の批判主義に依りて地並らしされた1中観﹂の 、、、、、、、、、、、、111 111 11111 1111111ヽヽヽヽヽヽヽ ヽヽヽ 大地忙於てせられたのであるから、彼等も﹁唯識中道宗﹂と自ら誇耕することが出来たのである。 予は弦に唯講説のか1る猫特な穴雄性を明かに属すべく努力するのであるが、今はより混き他の理由を以って 、、、、、、、、、ヽ1111111ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ

その唯諸説も葦は識改一般の一動向に過ぎないことを指摘したい。就中、唯詩詮そのものも彿数的立場よりして

は、必ずしも八詩詮と云ふ八の数に碇へられる必要はないのであゎ1六講読にても充分その本旨に契ひ得るので ぁる。龍樹等の六諭設は兎も角も、世親以後に於てもかの論理の大家なる法蒋Dト胃2p打叫邑の正埋一涛憲首F ヽヽヽヽヽヽ d∈ の如きにその適例を見出すであらう。その外−九講説も可経であ少、十論談も組織出来るであらう。1俳敦拳﹂

よりしては、その数に諭せられ有相差別に囚はれてその根本的立場を逸失する如きことがあつてはならないので

、、、、、、、、、、、、、、、11 1111 1111111111 11ヽ1ヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽ

ぁる。八識唯識論も講説一般に琴苦られて、﹁根本心地﹂の研究なるその素地が明かにされてこそ、却って彿敦

、、、、ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ

的立場としてその本旨を蟄挿し得るであらう。

唯識詮が螢達して支那に於て諸種の立場が決判されて兼た鳥めに、心王心肝や心性心地や能線心の1心﹂に就て

、、

︵ぺ丘︶ も種芸考察が加へられて初心の分穀などが生するに至った。かの宗密の群源諸詮集都序巻上には、1統制陀耶 心・識・分別草根本分別 9β9

(21)

心・琴分別ミ根本分別 二〇 言。苫肉園心、2級放心︵︷品呈︵諸八諌︶、3質多耶eetP召集起心︵第八識︶.4乾東壁恥宣言こ芸芯主音心 ︵悪︶の囲心を設き−憲沼また郎賢琵撃一に1乾粟多心音苫童心・讐心・自性清浄心、2質多cit︷蒜 慮心︵八識︶、3積集能肝︵八識︶、4蹟衆最膠義︵第八識︶の四心を詮いてゐる。かく四心として﹁心ci蕾設﹂とし ヽヽ て諸成熟を纏むるとしても、そのうちに諦や智を含まねばならないことは.恰も﹁詩論﹂に依るもそのうちに樽護 符智や第九阿摩羅識冒已ミ嘗np・無垢琴自性清浄心・如来戒を詮かねばならないと同趣である。この根本的滑 ヽヽ 息を外さないならば、或は心地に依り或は講説に依りて彿数的立場を考察するも.何れもたゞその横線に障ふべ きである。今は雛記法に力を入れる梵に﹁分別﹂の語に依って根本分別として根本彿敦の形憩を明かにせんと欲す るのである。 、、、、 、.、 、、、、、、、、、、 1 1 1 1 1 1 1 1 11 11 1 1 1 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽヽ ヽ ヽ ヽ ヽ か く心・意・琴智・分別の夫々の説に就き、その発生と機構とを分別する時には、その爽雑埼自性と純粋性とが 、、、、、、、、、、、、、、、1、、1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 11 1 1 1 1 ヽ 1 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽヽ ヽ 相反映して蟹澤してゐることが分るのである。そこには分析・抽象・批判・破野曝撃沈洒・必過軽重等の方法が用 、、、、、、、、、 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ゐ られるのであるが、全醍的立場が素地としてまたそのま1忙薦示されて来るのである。そのいきさつが最もよ く﹁中﹂によつて了解されるのである。されば﹁中﹂は彿教の嘗初より根本的立場として初韓法輪経以来強調された 、、、、、、、、 、、、、、、、1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 ヽ ヽ 1 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ のであるが、籠樹に来って椿に﹁中の研究﹂と銘を打つに至り、それが﹁唯中﹂の位置に高められたと見てよい。こ 、、、、、、、、、、、、 、、、、1 1 1 1 11 11 11111 111 1 11 1 ヽ ヽ ヽ ヽヽ ヽヽヽ ヽ れは華厳の但是一心の﹁唯心 ﹂、璃伽唯諸に凍って﹁唯識﹂と表徴されたものに比照して、予はかの﹁中丁中無限﹂の ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 滑息よりして﹁唯中﹂ときまりをつけたのである。唯心も唯識も﹁唯心地﹂であるが、阿尾澤磨の﹁心心肝地﹂と舞詮 ヽヽヽヽ 法的閥係に碇へて、弦に﹁根本心地﹂が施設せられるのである。 9β0

(22)

純粋性を示す譜としては﹁唯﹂日賢註は適切であるが、桝記法的には﹁根本﹂日已aの方が一屠根底的であるから、 全陛としての彿数的立揚を示す術語としては優れておるのである。大地の創造的構成力に像られておる十地の地 ヽヽ ヽヽ ︵六七︶ b冨mi の思想は、苦熱にも﹁十地は是れ一切俳法の根本なり﹂。或は﹁十地は︼切彿法の先導b冨mi・苫lr召臣g冒馴t ヽヽ ヽヽヽ にしてまた究責bb少mr竹竿y彗鼠重なり。菩薩は能く無師自然妙智を獲得して具さに修行佳を成就す。﹂と自ら詮

ヽヽヽ いておる

ヽヽ 薩行を示すものであるが、その地に生成するものは菩提心b。d已eitすである。か1る菩薩の尊書捉心の相は﹁蚤趣 大乗﹂であるから、大乗即ち摩南街mP試甘口pを﹁根本乗﹂m已息npとも名くるのである。旅伽論本地分が十七地 経と云はれ、か1る華厳の十地根本に基くものであるから、これを菩薩本母とか無障凝智浮根本とか名けられて ヽヽヽ 居るが.更に適切には根本乗と名けてよいのである。これは同じく粥勒夢ぎe箋の託と云はる1大乗荘厳経論 ヽヽヽハ六入︶ Sぎ巴a首野pが同様に撃巌大経の菩提心に立脚しておる食め、これを﹁根本乗﹂とかの堅意の入大乗論に名けられ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ ておるによりても明かである。この根本乗とは予が上衣説いて充た﹁根本行地﹂・﹁根本心地﹂忙一貫する根本俳敦 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ を的示する言葉に用ゐてよい。 予は思想の開設法的牽蓮性に障って、唯中・唯心・唯識の極りを更に高め、弦に根本中・根本行地・根本心地・根 本分別の位に於て根本彿教の鼻面目が明かにせられ、彿教畢の組織に一新紀元が劃さる1日を望みたい。 ︵竺︶ 姉崎博士﹁根本悌政﹂弟七篇、集諦・世相の分析、第二章、五蕗即ち月心¢生存行動。二三六−二四五。 ︵望︶ P払旨冨m芹邑青gp邑i計p弓J●謬Eer.Prダー¢寧p声 心・裁・分別モ根本分別 9βJ

(23)

二二

心・識・分別ご藤本分別

ci︷t巴B芋幹m id説こ已idP計t邑d訂tu打p浄甘n苫p旨抑Pi dad臥p b訂乱.厨脚ni tat訂gat昏a prPbFap計■音字甘・

t馴nⅥPpis雪ま宅e召Cit昏Pm獣rit許スG釧th抑こeci吉−鼓t邑raid試tuぎmO︷胃呂tiぢご欝bpa身PitidY巴臥P各pe賢e●︶ ︵四四︶ 南海寄師内法博第一、唐義浄撰、 ﹁所云大乗無過二種。一別中叔、二力輸伽。中軌則俗有眞空憬虚如幻。輸伽則外無内有事皆唯識。斯並成邁聖教。 軌是執非。同契l−撃讐何眞何償1意在下噺−蔭煩惑︼萩中漕衆生山雀飲下鹿致︼−紛転一重埠申沈若山俵行則倶昇;彼岸両棄背則 並溺−1生津叫西国蟹行理無一面競叫既襲恵月−誰撃−是非可借主久習南修レ之。幸無レ労−於自制亡大声哲ぎ ︵窒︶ ﹁根本中の研究﹂は内厘を﹁阿見達磨の本義﹂ミ郡ぜり。 ヽヽ ︵票︶ 界月足論巻上、本事品第一﹁三地各十種、五煩悩五見、五鱗五根津、六六貞相應﹂。冬十、一走。大声空P ︵四七︺ 品頬足論、第二、所七事品第四、冬†、十八左。大望●誇00● ︵買︶ 難阿見盈心論第二、行品第二、冬十二、二八左。大︼芦0000ー● ︵究︶ 眞許諾、倶合評論第三、分別根品之二、冬一、一六左。大諾●−遥P−文典詳、惧舎論令第四、分別根品第二之二、 ﹁頃日、心所旦有五、大地法等異﹂収九、一一〇左。大富・望a● ︵吾︶ 大乗五薙論、爽九、九八左。︵五一︶ 大乗 廣五経論、牲一〇、六六左。︵至︶ 阿毘達磨雑集論策二∵爽八、三一左。︵彗︶ A 大乗官法明門論、爽一〇、 ヽヽ 一二右。大望●00誓r 乱 世親の倶舎でに明かに五地の術語な用ひておろが、六地の語は互い。よ圭唯我三十嘆や ヽヽ 五藩論では分類は朔疲富六位にこなつて心庸の敷ら整へられておろが、大任の術語代用ひて克い。然︺決こて五地ミ も五位ミも云ふておら光い︰寸﹂をも見逃−しては叱らセい。随つて世親ほ五地試であつて、六地祝li世親以後の改で ぁろミ云ふ=ざは以上の事葺からは導出されセい。圭ゞ世親ほ内容からは六位試であるが六位の語ねそ︰に用ひて おら兄いミ云ふ丈であろ。大乗百法明門論の用ひておる六世の術語も必ず・しもそれが鈴木博士の云はるゝ如く世親 撰述否定の理由に光ろモーェ考へに㌧1い。鈴木博士﹁倶曾諭の心併貌l二閲すろ研究﹂︵宗教研究、斬罪八、第三舵、 9ββ

(24)

ヽヽ 四〇−四一頁︶は倶含諭に五地ミ云ふ術語がぁろが六地・六他の語が用ひて兄い=ヾJを創ゆて指摘された粘に於て奥 田 0︶ 疎探きものでぁる。 ︵高︶ 冠導成唯識論第五、二〇右左。社一〇、二二右。大声崇e・柏㌢ ︵蓋︶ 放水村寮費博士﹁併歓心理論に於ける心作用の分頬の常連﹂宗教研究、新第二巻、二三四。尋伺の位置を庵轟音る は世親の大兄る手柄であろ三石にれておる。然J何故彼がそれを別開Lたかに就いて1‡何等説明がない。 ︵乗︶ COmpendiGmO鴫字il。SOpす・諾−i↓星誓eiety−Sすe臣t−A誓g・詳⊥P Rす∽U邑dm・−讐○︶pp・慧Tふ戸 ︵薯︶ 内乳試召t︷ど山内、∽●く○︼●肖pp・た柏こl∽・くi邑ハ試n鳥獣ta訂t試、冒intsOへCOntrO孟r草pp・誌00、柏芦 ︵宍︶ 内e畠dd訂邑tp●D.軍国Ⅰ●Pぎ山・:・pp・田∽・R汽旨mp団ep内e言dd訂馴de詮5眉.別号腎i﹃呂可Id訂穿1乳dど 馴d訂已∴ミ出■巴貯pit¢m呂Oit︷訂診p〓em騨ロOitipiteeittp診モ、 漢詩の﹁観衆生心節食法﹂に相嘗すろものミ推察される。大−・−○︼eJO野猫詳OttOヲ旨訂︶p一声9mpgl dium Of吋已︼OSOpビワp●柏諾・ ︵莞︶ 大鬼婆沙論撃一七、.収二、八左。大声−舎e● ︵告︶ 根本申の研究、四六九、四八〇。︵六一︶ 阿見盈心論経尭 ﹁界品第一、冬一一、八一左。 ︵六ニ︶ 阿民会心論奇策一、行品第二、冬一一、五五左。 ︵空︶ 倶舎順正理論等。 ︵盃︶ 大路婆沙諭巷七二、収三、八七左。 ︵宝︶ 露諒講義壷都序巻上之一、 ヽヽヽ ヽヽ ヽヽヽヽ ﹁汎言心者、略有四種、梵語各別柄諦亦殊。一乾利陀耶些需内園心、此農兵中五戒心地。二妹慮心、此是八舐、倶 心・識・分別モ根本分別 bbik霹up弓賢覧ptn邑二登磨ugg已帥np訃cit︷a計pigi邑icet乳訂臣pi乳−邑i まー賢打iす許 pi巴is賢一良品rit巳首pi

(25)

心・撃分別ざ根本分別 二四 ヽヽヽヽ 舵線慮自分境故。此八各有心斯善之殊、諸軽中之中、日諸心肝線名心血。調書心窓心等。三質多耶、些玉集起心、 唯第八鼓、硬集種子生起現行故。四乾粟陀耶、此云堅質心、亦云貞賃心、此是良心也。然第八識無別白煙、但是眞 ヽヽ 心。以不党故、典諸妄想有和合不和合義。和合義者、能含染野、日馬戴識。不和合着、健常不襲、日食最知。都是 、、、 、、 ヽヽヽヽヽヽヽ 如死蔵。故櫻伽云、寂滅著名偲︼心、一心者即如来蔵、如来蔵亦是在抵法貞、加藤髪軽耽。故知四種心本同一饅。﹂ 陽三、三七右。 ︵六六︶ 慧濯、金光明最勝王軽疏巷二、末、 ﹁凡首心者有四義。一眞茸名心如般若多心、帥眞如理亦名焦心故。膠雲軽云自性清浄心。彼名乾粟多心。二繰慮心 帥邁八識、彼名箕多。三硬集義名心、亦邁八裁、通能併梗集故。四硬兼最勝義名心、帥唯第八。今昔此間帥繰慮癒 集二義名心、三心馬能障、著能除噺待至三草書来臨噺遠離三月不能待至、不能得鹿北卑不能至法貞。﹂大声 相加−b. 宍七︶ 根本中の研究、四八九、四九五、五一一。 ︵宍︶ 入大東給、里意菩薩造、北凍道春等諾。 ヽヽヽ ﹁是政告知鹿討街着是相本乗。如禰勒荘厳軽中祝、費菩提心事、解菩提心、件菩提心、得大利益、不堕窓趣。解菩 提心、浄菩提心、徒地至地、漸々埠金、而得浩貞、能現紳邁、知慮舎那併件襲化﹂暑二、七三右。大声念b. 附記、以上ほ前鍍より総揖ぜる﹁心・撃分別寸1根本分別﹂¢第︼節﹁心・撃分別ご根本行地及び根本心地﹂を諭準し上の であろが、その第二節﹁哉及び分別ご根本分別﹂lェ夏lニ他の横倉に蓉表する心算であろ。 9β壷

(26)

Ⅰ 原初社台の所有親についての儒教細話

徐に説く浮施法︵註pppaロ馴︶ の研究を中心として彿数々囲に於ける財物併有の理論と事葺とを考察するに苦り

はしがきとして入寮は如何にして今日の如き私有財産制の融合を現出したかについての彿敦紳話を加へることも

︵一︶

あながちに徒爾ではないと思ふ、中阿合婆羅婆堂経等に設く屏によれば劫未時この世界が凡て破壊された時生き

残った衆生は光普天︵旨.訂琶1馴de忌︶ に生れこの世界が成立すると再び天上から降つて来る、この時の人間は喜 ︵p叢︶ をもつて食とし、身鰹は軽妙で峯中を自在に飛ぶことが出来、身鰹よりは光明を放ち日月墓碑の別もなく 人類は全くの平等であつた、然るに彼等は地上数寸の厚さに布かれてあつた蜜の様な地味9試日i・pPpp号訂︶を嘗 めてその美味を知りこ1に始めて食欲の心を生じ、やがて日月を生じ彼等の身脛にも差別が出来互に相棒侵する

彿数々囲に於ける財物所有観

− 辞施法の研究を通して −

上 田 天 瑞

Ⅰ原初敢曾の併有救についての俳敦紳話 Ⅰ比丘生活と財物 Ⅱ財物併有に射する戒律上の理論と

作法︵辞施法︶ 叩浮施法の歴史的親祭 Ⅴ彿敦に於ける併有戟 Ⅶ彿敦の理解に射する恕度につき。 俳数々園に於ける財物所有漑 タββ

(27)

二六 例数々圏lこ於けろ財物所有親 様になつた、やがて彼等は地味を食り食って途に地味は無くなつたけれども薗山野には自然の米措︵A首巻且巨 邑i︶を生じ彼等は耕さすして食った。この時男女の性別を生じ男女柏倉して欲行をなす悠に家屋を作るに至っ た。かくして彼等は朝に夕に山野に至つては身を養ふに必要なだけの凍米を食して居つたが彼等の中に働惰な者 が出来必要に應じてその都度食を求めることを煩はしいとして二日分、三日分乃至は七日分を一度に取り来つて これを貯へる様になり他の者もこれに倣った。こ1に於いて彼等に併有観念を生じ自然の米椙は彼等の欲望を滞 すだけ生ぜぬ様になつた。そこで彼等は互に相談して田畝の境界を立てその節有地を定めて米蓼を作る労働をな しその収穫物を貯戒する様になつた。然るに彼等の中食欲のものは他人の所有物たる米蓼を盗む様にな少、こ⊥ に窺盗、妄語、学問等の悪事が起るに至った、かくて迭に彼等は彼等の中の有力者を立てて王 ︵k訂ttp.星召p註 臼玉︶とし彼等を治めLめその折有物を保護せしむる様になつた、是の如くして人類敢曾は漸く事繁く益々努苦 ︵二︶ を檜すに至ったのである。 この紳話は人類敢曾の財物併有は人類の食欲憐情に基くものであると詮明するものである。 琵 ︵一︶ 中阿含三十九巻、これに相嘗するものは長阿合六巷小繰経、D・芦Agga琵守邑t冒す埠一阿含三十四巻七日品。僚 祀律一、︵大正22二二九真︶、同二︵二三九頁︶、有部律二︵大正23六三五頁︶等lこも出ろ。 ︵ニ︶ この次にこの王即ち合長か剃帝利種の起元であり、人々の中人頼の労苦み恐れて濁り軍歴lこ逃れて梵行を修するも のが婆羅門の槌元でぁり、次に見合棟が出、更に首陀薙が生じた三雲ふ、︵中阿含lこli首陀羅を云ほぉ︶、剃帝利む 中心ミする敷浪羅門俸親王異叱り注意すべ与でちろ。 9ββ

(28)

Ⅱ 比丘生活と財物

俳敦世界戟の根本基調は諸法無我論である、この我と我屏︵有︶とを否定する根本哲畢の立場よりすれば無論積

極的な併有論は成り立たない。今述べようとするものはしばらくこの立場を離れて現賢の事箕として認められる

人間、比丘についてその箕際生活に於いて如何なるものが併有され如何なる所有の理論に立つて居ったかを見る

のであつてこの立場は無論彿陀も認められた肝である。

印彿教竺圃の制規によれば敦囲に入つて比丘生活をなす者はその入園式に所謂四依法︵C芝野。日計邑を授け られて比丘生活の準則を示される、即ち比丘たるものは、何食は乞食︵pi息i量。p臣音np︶によ少伺衣は糞薄衣 ︵p邑邑色g才5他人の棄てた布︶を用ひ。拘任は樹下ハru打ぎ冒巴監eロ馴琶p︺により㈹薬は腐尿薬︵p髭m已昏F碧・ ︵一︶ j甘 牛威から製したもの︶を用ふべしとする囲の規則である。但しこの四は原則を示すもので必要な場合には飴 ︵二︶ 得官re打已欝bp︶としてこれ以外の衣食住葉も許されるのである。 次に比丘生活必須の併持物として常に云はれるものは所謂比丘の六物である。即ち三衣盲呵責rp︶と鉢︵p旨︶ 食券︶.漉水盛︵p弓i蟄ana水コシ袋︶、坐具︵ni敦賀且 の六である。北方俳敦に云ふ六物に謝して南方彿敦では 八物︵鼻骨二官告誼罫風︶を云ふ、即ち三衣、鉢、漉水嚢に針︵象︶帝︵首ab邑訂np︶剃刀︵鼓︶を加へたもので ︵三︶ ある。 ︵凹︶ 又北方有部の註辞書には比丘の要衣として十三茸具なるものを診いてをる。これは衣について比丘の所持すべ

きものをあげたものである、その名のみを列挙すれば次の如くである。

沸教々閻に於ける財物所有軌 9β7

(29)

︵六︶ その他比丘尼戒には比丘尼の所持することを得る十六牧羊を詮くが、これ等の六物乃至十三資具の如く一組と

して列名してをるもの以外に比丘の所持物として許されてをるものが極めて多いことは律書を一読すれぼ知るこ

とが出来る。その一々を奉げることは今の場合許されないが故に巴利律に説く重要なものを国元あげれば・

l ウ一 3 4 −D 6 7 00 9 0 1 1 1 ウ一 l ウリ l 係数々囲に於ける財物併有軌 伶伽腰︵担召g富江重複衣︶ 岨喝囁伶伽︵utt邑訂膏雪上衣︶ 安岨婆姿.甘ロすp■訝下衣︶ 尼師哩郷︵臥叫daPp臥教具︶ 泥伐散郷︵nilぎロp裾︶ 副 〃 ︵up邑づ・副裾︶ 伶脚歓迦︵s鼠訂首訂掩腋衣︶ 副 〝 ︵貞岳凰ェ副 〝

迦耶褒折郷︵訂苫唱登琶拭身巾︶ 米俵褒折那ハm百村F眉息眉p拭面巾︶ 錐舎鉢卿底掲痢呵︵貯em首r邑gr臣a剃髪衣︶ 建豆鉢卿底車慣郷す息眉r邑cgロp遽瘡折衣︶ 鞄殺敢鉢利色加藤9訂i鼠ypp胃i首rp葉賓具衣︶ タββ

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