1.『忠臣蔵外伝 四谷怪談』の特異性 本研究は、四世鶴屋南北作の歌舞伎狂言台本『東海道四谷怪談』の映画化作品のうちで、深 作欣二監督の『忠臣蔵外伝 四谷怪談』(松竹、1994 年)1を取り上げ、南北の原典がどのよう に解釈され、そこからどのような映画的世界が生み出されているかという点を明らかにするも のである。 『忠臣蔵外伝 四谷怪談』というタイトルが示しているように、この作品では、鶴屋南北の 『東海道四谷怪談』と、赤穂事件に基づいた「忠臣蔵」の世界とが融合する形で描かれている。 赤穂事件とは、元禄 14 年(1701 年)3 月 14 日に江戸城で赤穂藩主浅野内匠頭長矩が、高家筆 頭の吉良上野介義央に刃傷に及んだのに対し、即日切腹の上で浅野家のお家断絶という幕府の 裁定を不服とした赤穂藩の浪士たちが元禄 15 年(1702 年)12 月 14 日に吉良邸に討入し、主 君の仇討ちを遂げるまでの一連の事件を指す。この事件が「忠臣蔵」と呼ばれたのは、寛延元 年(1748 年)8 月 14 日の大坂竹本座での人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』2の初演がきっかけで 2014 年9月 10 日受理 * 尚絅学院大学 准教授
映画 四谷怪談考 ―
深作欣二『忠臣蔵外伝 四谷怪談』の特異性(1)
廣 瀬 愛 *
A Study of “Yotsuya Kaidan” Films : The Peculiarity of Film Adaptation in Kinji Hukasaku’s “Chushingura gaiden: Yotsuyakaidan”(1)Ai Hirose
本稿では、鶴屋南北作『東海道四谷怪談』映画化作品のうち、深作欣二監督『忠臣蔵外 伝 四谷怪談』を取り上げ、この作品に見られる原典の映像化の方法が、深作欣二の映画 的世界とどのように結びついているかという点を考察した。まず、この作品では、原典に 沿った顛末を描かず、「四谷怪談」と「忠臣蔵」の世界とを融合させている点が、映像化 の方法の特異性であると考えられた。次いで、深作欣二の全作品を年代順に五つの時期に 分類し、各時期の映画的世界を考察すると、その特徴は、様々な次元の人々を混在させる 群像劇により、多次元的かつ多視点的な世界を生み出す点にあることがわかった。以上の 考察により、この作品の映像化の特異性が深作欣二に特有の映画的世界から生み出され、 「四谷怪談」の持つ、現実の軸を自由に越えられる怪異性を「忠臣蔵」の世界に融合させ ることで、この両者が、多次元的かつ多視点的に描き出されていることが明らかとなった。 キーワード 日本映画、『東海道四谷怪談』、怪談映画、歌舞伎、映像表現あり、その人気から同年の年末には大坂嵐座、翌年の 2 月には江戸森田座で歌舞伎へと移入さ れたのである。 一方、鶴屋南北の『東海道四谷怪談』は、文政 8 年(1825 年)7 月に江戸中村座で初演された。 この初演時に、『東海道四谷怪談』は『仮名手本忠臣蔵』と交互に二日がかりで上演されたが、 その内容も、民谷伊右衛門という討入からは逸脱した「不義士」を主人公とすることで、『仮 名手本忠臣蔵』の「義士」の世界を反転させて描いたものであった。こうした『仮名手本忠臣 蔵』と『東海道四谷怪談』の関係性について、郡司正勝は、「義士と不義士の対照をきわ立た せ、「四谷怪談」を文政の現代版「忠臣蔵」として映発させたことに意味があるのだと思う。」3 と述べている。 このように、南北の原典『東海道四谷怪談』が、そもそも『仮名手本忠臣蔵』と深い関わり を持っていることを踏まえると、深作欣二の映画『忠臣蔵外伝 四谷怪談』において、「四谷 怪談」の世界と「忠臣蔵」の世界とが融合されているのは必然的であると考えられるが、この 融合の仕方は、南北の原典の場合と深作欣二の映画の場合とでは極めて異なっている。それで は、この映画では、どのように「四谷怪談」の世界と「忠臣蔵」の世界を融合しているのか、 原典の場合と比較しながら、その特徴を考察していこう。 原典での民谷伊右衛門は、もとは塩冶家の家臣4という設定がなされており、伊右衛門を間 接的に取り巻く人間関係の中で展開する「義士」の論理や建前の矛盾が描かれていくのに対し て、映画『忠臣蔵外伝 四谷怪談』では、民谷伊右衛門は赤穂浪士の一人として、赤穂事件の 発端から関わる人物として描かれており、この伊右衛門の存在の仕方を通して、この映画では、 『東海道四谷怪談』の世界と「忠臣蔵」の世界とが融合することになる。 それでは、この映画『忠臣蔵外伝 四谷怪談』において、民谷伊右衛門はどのような人物と して描かれているのか、その人物像の特徴を考察していこう。この映画の中で民谷伊右衛門は、 お家断絶当時の赤穂藩士たちの中で、堀部安兵衛と並んで、ただ二人の「人を斬ったことのあ る人物」である。伊右衛門が人を斬ったのは、彼がまだ 13 歳の少年であった時の出来事であ る。伊右衛門の父は浪人であり、往来で琵琶を弾いて日銭を稼ぐことで糊口をしのいでいた が、病に倒れてしまう。病床の父を抱えた伊右衛門は、ある夜、辻斬りで女性を襲い、財布を 持ち帰るが、それを見破った父は、絶望のあまり自害してしまう。つまり、浪人の子である伊 右衛門は、もはや刀を使うこと以外の自活力を持たないのであり、その結果、辻斬りによって 他者の財布を奪うという罪に必然的に向かわざるを得ないのである。 原典での民谷伊右衛門は、外見は二枚目でありながら、自分の旧悪に気づいた四谷左門、民 谷家秘伝の薬を盗もうとした小仏小平などを顔色一つ変えずに斬り捨てていく。歌舞伎の色悪 という人物造形であるが、ここでは、自分にとって都合の悪くなった人物を、次々と涼しい顔 で片づけていくことで、伊右衛門の残忍さが描き出されている。 このように考えてみると、映画『忠臣蔵外伝 四谷怪談』において描かれる伊右衛門の人物 像は、「悪」に向かわざるを得ない状況を、社会的背景から与えられてしまった人物であるこ とがわかる。南北の原典での伊右衛門像は、歌舞伎の色悪という型が生み出す、「すでに悪で ある」人物であり、自分の利益になることがすべての判断基準であることから、結果的に不義 士となる人物として描かれている。例えば、四谷左門は、伊右衛門に闇討ちにされる直前に、 「ア世の盛衰とは言ひながら、不慮のことにて家中はちりぢり、浪々の身の貧苦のなか、二君 に仕へず義を守り、身は泥水にけがれても、心は清きこの左門。それに引きかへ伊右衛門め、
忠義忠義と心の邪。かやうな不道の悪者に、あのお岩めは添はしておかれぬ。」5(下線部は原 典では踊り字による表記)と、その人物像を語るが、ここでの伊右衛門の場合、武士としての 建前を貫こうとするのは、あくまでも彼を取り巻く周囲の方であり、伊右衛門はそこから逸脱 することで「悪」という性格が浮かび上がってくるのである。 映画『忠臣蔵外伝 四谷怪談』の場合、こうした「四谷怪談」の主人公である民谷伊右衛門 を、目下進行中の赤穂事件の当事者として位置づけることで、社会的背景の中で生きる人間と して描き出している。この映画での伊右衛門は、もとから嗜虐的で残忍な人物ではなく、生い 立ちの貧苦から、また浪人として生きざるを得ない状況から、悪の一線を越えてしまう人物と して描かれているのである。それでは、映画『忠臣蔵外伝 四谷怪談』では、このように、赤 穂浪士の一人として位置づけられた主人公の民谷伊右衛門を通して、どのような「四谷怪談」 が描き出されているのか、この映画の内容をとらえてみよう。 この映画では、赤穂藩の藩主浅野内匠頭が江戸城で吉良上野介に対して刃傷に及び、赤穂城 開城の上、お家は断絶、赤穂藩の家臣たちは浪人となって、江戸で筆頭家老大石内蔵助の討入 決起の沙汰を待つという状況の中で、「四谷怪談」の筋が語られることになる。赤穂藩の浪人 となった民谷伊右衛門は、江戸の裏長屋に住み、同じく赤穂浪士となった横川勘平、矢頭右衛 門七とともに、鬼子母神の境内で琵琶の合奏を行ない、糊口をしのぐ日々である。やがて伊右 衛門は、琵琶の演奏に聞き入っているお岩と出会う。 原典でのお岩は、塩冶家の義士四谷左門の娘という設定であり、父を闇討ちにした張本人で ある伊右衛門の口車に乗せられ、父の仇討ちを託すために伊右衛門と復縁をするという、武家 の娘の価値観を背負った人物として描かれる。こうした、原典でのお岩の人物像がもたらす「四 谷怪談」の特徴について渡辺保は、本来は男性に託される仕事であり、女性には体力的にも困 難な敵討ちを、女性であるお岩が負わざるを得なくなることにあるとし、次のように述べている。 「そこでおこる悲劇は、敵討ちとは一体なにかという疑問を私たちに投げかける。そこが 「四谷怪談」の面白いところであり、この面白さは背後の「忠臣蔵」の敵討ちそのものを 空無化し相対化する力になっている。」6 一方、映画『忠臣蔵外伝 四谷怪談』で描かれるお岩は、武家の娘ではなく、盛り場の湯屋 で働く遊女である。この点について深作欣二は、原典のお岩像を踏まえた上で武家の女房とい う設定を外し、「全然、浅野も吉良も知らない。刃傷事件のことすら知らない。ただ伊右衛門 と運命的に巡り会って離れられなくなった女」7としてお岩を描くことで、「伊右衛門の自分の 中の分裂とうまい具合に位相」8させることを意図したと語っている。 伊右衛門と出会い、やがて伊右衛門の子供を身ごもったお岩は、伊右衛門の裏長屋に押しか け女房として住まい、所帯を持つようになるが、折しも、大石内蔵助から討入の列に加わる者 は京都安養寺に参集するようにとの伝令が下る。伊右衛門は、お岩にどこにも行かないでくれ と縋り付かれたために、討入には向かわないと腹を決めるが、この後、赤穂浪士たちが京都円 山の安養寺に集結した場面から、深作欣二の意図する伊右衛門の自己分裂が生じ始める。 ここでは、まず、安養寺に集結した赤穂浪士たちの宴席で曽我兄弟の仇討ちを演ずる「夜討 曽我」の連れ舞いが始まり、その琵琶の音が、遠く江戸の裏長屋に所在なく寝転んでいる伊右 衛門の耳に聞こえてくる。伊右衛門は、その音に導かれるように長屋を飛び出し、あてもなく
歩き続けるが、その音が止むと同時に、目の前には狐の面をかぶり、あでやかな塗り駕籠を取 り囲んだ一行が現れる。駕籠に乗っているのは、鬼子母神境内で窮地を救われて以来、伊右衛 門に恋い焦がれている伊藤喜兵衛の娘お梅であり、乳母のお槇に請われるまま、伊右衛門はそ の駕籠で伊藤家に向かう。 一方、伊右衛門の裏長屋では、お槇から買収された宅悦が、伊右衛門から預かった安産の妙 薬だと称して、お岩に容貌が崩れる伊藤家秘伝の毒薬を手渡す。この場面に続き、赤穂浪士の 宴席での曽我兄弟の連れ舞いの場面、お岩が毒薬の包みを開く場面、伊藤家の宴席でお梅が踊 り狂う場面がモンタージュされる。やがて、伊藤家の宴席では、伊右衛門が、実は、お岩に容 貌の崩れる毒が届けられていたことを打ち明けられる。伊右衛門は驚きのあまり、その場を立 ち去ろうとするが、ふと足を止め、いきなり琵琶をかき鳴らし始める。赤穂浪士の宴席では、 曽我兄弟の連れ舞いが最高潮に達している。伊右衛門の裏長屋では、お岩が突然苦しみ出し、 その容貌が崩れていく。 この局面において、伊右衛門には自己分裂が生じることになる。伊右衛門は、突如、琵琶を かき鳴らすのをやめ、お岩を離別し、お梅と祝言を挙げる腹を決めたことを告げ、吉良家への 仕官の推挙を伊藤喜兵衛に申し出るのである。この時、伊右衛門の顔には、明らかな視覚的変 化が訪れている。それは、先ほどまで変化のなかった伊右衛門の顔色が白塗りになっていると いう点である。 この白塗りの顔色は、伊藤喜兵衛、お梅、お槇といった伊藤家に属する者たちが登場時から 帯びているものであり、宴席の襖の奥に控えていた清水一学もまた白塗りの顔色をしているの である。この白塗りの顔色については、深作欣二の先行作品にも、その前例を見ることができ る。例えば、『柳生一族の陰謀』(1978 年、東映京都)における烏丸少将文麿、『必殺4 恨み はらします』(1987 年、松竹)における老中酒井雅楽頭、テレビドラマ『阿部一族』(1995 年、 フジテレビ)における細川忠利と林外記といったように、深作欣二の先行作品では、朝廷の公 家、大名、藩主といったように権力の側に属する人物を視覚的に表す方法として、白塗りの化 粧が用いられてきた。深作欣二が、この白塗りの化粧によって、官僚政治の異様さをコントラ ストとして描き出す意図があった9と述べていることを踏まえると、ここで、伊右衛門の顔色 が白塗りへと変化することによって、伊右衛門が異形の権力者へと変容していることがわかる。 つまり、この場面において伊右衛門は、赤穂義士になること、お岩と所帯を持つこと、伊藤家 を足掛かりに権力に与することの中で自己分裂をおこし、その結果、最も異形な権力悪の世界 に身を投じることを決断するのである。 一方、伊右衛門の裏長屋では、宅悦の白状から全てが伊藤家の企みであったことを知ったお 岩は、出刃包丁を手に伊藤家に乗り込もうとするが、止めようとする宅悦ともみあいになり、 自らを刺し貫いて息絶えてしまう。長屋に戻り、その顛末を見届けた伊右衛門は、その場に居 合わせた宅悦を不義密通の口実の下に斬り捨てる。その夜、お梅と祝言を挙げた伊右衛門の床 にお岩の亡霊が現れ、狂乱した伊右衛門は、伊藤家一家を斬り殺してしまうが、清水一学は顔 色一つ変えることなく、仕官のためには討入の準備を始めている大石内蔵助を斬ることを命じ る。伊右衛門は、死を覚悟で川崎平間村の大石内蔵助を密かに訪ねるが、赤穂浪士たちに返り 討ちにされ、半死状態となってしまう。半死状態のまま、伊右衛門は、お岩の亡霊とともに赤 穂浪士たちの討入の顛末を見届けるのだった。 以上のように、映画『忠臣蔵外伝 四谷怪談』は、本来は『東海道四谷怪談』の主人公であ
る民谷伊右衛門を赤穂浪士の一人として位置づけ、討入までの顛末に関わらせることで、「四 谷怪談」の世界と「忠臣蔵」の世界とを融合させていることがわかる。こうした二つの世界の 融合によって、「四谷怪談」の筋のうちで大きく変化しているのは、お岩の死後のくだりであ る。戦後の『東海道四谷怪談』の映画化作品では、各監督が独自の解釈で映像化を試みながら も、お岩が死後に亡霊となり、伊右衛門を追い詰めていく場面を映画の山場として設定してき たという共通点がある。南北の原典を土台とする時、伊右衛門は、お岩の亡霊によって追い詰 められ、狂乱し、それまでの企みや悪事を暴かれて倒されるというのが定石の描き方であった。 しかし、この映画『忠臣蔵外伝 四谷怪談』では、伊右衛門はお岩の亡霊に責め苛まれて死 んでいくのではない。伊右衛門は、大石内蔵助と対峙し、赤穂浪士たちに返り討ちにされて最 期を迎えるのである。一方、お岩も、死後に亡霊となり、恨みを向ける先は伊右衛門ではなく、 自分を死に追いやった伊藤家、自分を戸板に打ち付けた清水一学とその家臣たちである。この 映画の最終局面は、半死状態で魂だけの状態となった伊右衛門が、お岩とともに赤穂浪士の吉 良邸への討入の現場に居合わせ、その一部始終を見届ける場面であるが、お岩による伊右衛門 への復讐の成就という定石通りの顛末を描かず、この「四谷怪談」の二人の登場人物を「忠臣 蔵」のクライマックスへと立ち会わせている点が、この映画『忠臣蔵外伝 四谷怪談』の、他 の映画化作品とは異なる映像化の特異性であると考えられる。それでは、この映画『忠臣蔵外 伝 四谷怪談』では、このような特異な映像化の方法によって、「四谷怪談」の世界を描くこ とがどのような意味を持っているのだろうか。以下に考察していこう。 2.深作欣二の映画制作個体史における位置 映画『忠臣蔵外伝 四谷怪談』の映像化の特異性のもたらす意味について明らかにするため には、なぜ深作欣二は、「四谷怪談」を鶴屋南北の原典の定石通りに映像化することなく、「忠 臣蔵」と融合した形で描いたのかという点について、まずは考察する必要がある。この問題に ついて考えていくために、本節では、深作欣二の映画作品歴の中に映画『忠臣蔵外伝 四谷怪 談』を位置づけ、この作品が、深作欣二の映画的世界とどのような関わりを持っているかとい う点を考察する。 深作欣二は、1953 年に東映に入社し、1961 年に監督デビュー作『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』 『風来坊探偵 岬を渡る黒い風』の短編シリーズを制作した後、2001 年に遺作となった『バトル・ ロワイアル特別篇』を完成させるまでの間に、通算 62 作品の映画作品10を制作している。こ のうち、1994 年に制作された映画『忠臣蔵外伝 四谷怪談』は、59 本目の作品にあたり、ほ ぼ最晩年の集大成に近い作品といってよい。その点を踏まえた上で、この 62 作品を通底し、 映画『忠臣蔵外伝 四谷怪談』にも反映されている深作欣二の映画的世界がどのように確立さ れていったのか、62 作品を五つの時期に区分しながら、その映画的特徴を考察してみよう。11 まず、1961 年から 2001 年までの深作欣二の作品歴は、東映の社員としてデビューし、ギャ ング映画を制作した第一期、東映を退社し、フリーの監督として東映の任侠映画の系譜を踏襲 した第二期、東映とは本数契約を結びながら、新しいやくざ映画としての実録路線を模索した 第三期、東映のやくざ映画の終焉以後、時代劇復興を担った第四期、原作のある文芸路線の大 作を数多く制作した第五期の五つの時期に区分することができる。このうち、映画『忠臣蔵外 伝 四谷怪談』は第五期に作られた作品である。以下、第一期から、時代区分ごとの深作欣二
の映画的世界を考察していこう。 (1)第一期(1961 年~ 1966 年) 第一期は、1961 年のデビュー作から、1966 年の『北海の暴れ竜』までの 13 作品が相当する。 この時期の東映では、時代劇の人気に陰りが見え始めたため、時代劇に変わるジャンルの模索 が始まっていた。深作欣二の長編デビュー作となる『白昼の無頼漢』(1961 年)は、米軍基地 に運び込まれる現金輸送車を襲い、現金を強奪するギャングアクションで、会社の要請に応え た作風であった。 この第一期の区分の特徴は、ギャング映画をジャンルの土台としながらも、その作品に戦後 の社会を反映させようと格闘していた点である。この時期の中で特筆すべき作品は、『狼と豚 と人間』(1964 年)である。山根貞男編による深作欣二のインタビュー集『映画監督 深作欣二』 所収の作品解説には、この作品が、深作欣二の暴力映画の方法論の端緒であり、「繁栄と飢餓、 信義と裏切りなど、ここで描かれた諸問題は、その後の深作映画で形を変えながら変奏される 基調音となっていく」12とされている。この作品の舞台となるのは、崩れかけたバラックがひ しめき合う戦後の貧民街であり、実際には、東京都江東区枝川町のごみ処理場で撮影された。13 この映画は、貧民街で生きることを捨てて新興やくざの幹部となった長兄、一匹狼のチンピラ となった次兄、貧民街を捨てた兄たちを憎悪し、次兄と手を組みつつも長兄の組織から強奪し た金と麻薬を隠してしまう末弟の三つ巴の葛藤を描くことで、組織の論理に従属して貧困から 這い上がることと、アウトローとして破滅へと向かう生き方の対立を構造化しているのである。 ここで重要なのは、江東区枝川町の埋め立て地で撮影された貧民街の情景が、その後、深作欣 二が戦後のドラマを作り上げていく上で欠かせない要素となっている点である。この点に基づ きながら、続く第二期に形成された深作欣二の映画的世界を考察していこう。 (2)第二期(1967 年~ 1972 年) 第二期は、深作欣二が東映を退社し、東映とは監督本数を契約する形で手がけた 1967 年の 『解散式』から、1972 年の『軍旗はためく下に』までの 12 本が相当する。この第二期の特徴 は、松竹で丸山明宏主演の『黒蜥蜴』(1968 年)、『黒薔薇の館』(1969 年)を制作し、またア メリカ資本の『ガンマー第3号 宇宙大作戦』(1968 年)、『トラトラトラ!』(1970 年)を手 掛けるといったように、作品のジャンルの幅が広がっている一方で、『解散式』(1967 年)、『博 徒解散式』(1968 年)、『日本暴力団 組長』(1969 年)、といった鶴田浩二主演の「任侠映画」 が連作されている点にある。 この時期の東映は、時代劇に替わる路線として明治以降のやくざ渡世人の生き方を描いた 「任侠映画」を本格化させており、例えば、加藤泰監督の『緋牡丹博徒』シリーズもこの時期 に連作されている。深作欣二の映画監督のキャリアとしては、デビュー作からのギャング映画 の手腕を買われ、「任侠映画」の量産を東映から要請された時期である。 しかし、この第二期の中で、深作欣二が手がけた「任侠映画」には、破滅に向かっていくし か生きられないやくざ渡世の美学よりも、旧態依然としたやくざの生き方とそれを置き去りに していく社会とのコントラストが共通して描かれることになる。この主題が特に際立っている のが、深作欣二の本格的なやくざ映画の第一作目となる『解散式』である。この作品には、第 一期の『狼と豚と人間』で登場した江東区枝川町の埋め立て地が撮影場所として用いられ、戦
後の焼け跡で地を這うように生きてきた人々と、それらをすべて埋め立て、均質化していく石 油コンビナートが対比的に描かれる。 この作品で、鶴田浩二演じる主人公となるのは、土地の利権をめぐって敵対する組の組長を 殺し、8 年間刑務所に入っていた昔気質のやくざであるが、彼が出所すると、かつて他の組と 利権を争っていた土地には巨大な石油コンビナートが建ち、自分の組も解散し、かつての子分 は新興やくざとなり、他の企業やくざとコンビナートの利権を争う状況に一変している。主人 公は、かつての情婦と自分の子供が暮らす養鶏場のバラック街がコンビナート拡張のために新 興やくざたちから地上げを狙われていることを知り、それを阻止しようと新興やくざのもとに 殴り込むが、相討ちとなり、無念の最期を遂げてしまう。 このように、かつての組に仁義を通し、長年の刑期を終えて出所した主人公の昔気質のやく ざが、一変した社会のありようになすすべもなく飲み込まれていくという構造は、続く『博徒 解散式』(1968 年)以降、『日本暴力団 組長』(1969 年)、『血染めの代紋』(1970 年)、『博徒 外人部隊』(1971 年)の第二期のすべての「任侠映画」に共通することになる。同時に、これ らの作品で、長年の刑期を終えて出所するやくざはすべて、東映任侠映画のスターであった鶴 田浩二が演じている。 つまり、この第二期から読み取ることのできる深作欣二の映画的世界は、一つには、自らと 組織とを結びつけている仁義という観念が戦後の合理的発展の中で幻想となり、組織のイデオ ロギーによっては生きられない社会のありようを描き出すという点が挙げられ、この点は、映 画『忠臣蔵外伝 四谷怪談』のモチーフとなっている「忠義」への懐疑へとつながると考えら れる。このイデオロギーの共有への懐疑という視点は、例えば、第二期の映画の中では、『君 が若者なら』(1970 年)の中で、集団就職で上京し、町工場で働く五人の若者がトラックを共 同購入し、運送会社を始めようと連帯するものの、一人一人の生き方の違いからそれが破たん していくという構成にもつながるものであり、この時期の深作欣二の映画に共通する主題と なっていたと考えられる。 一方で、「任侠映画」のみならず、この第二期の深作欣二の映画的世界を形成しているもう 一つの要素は、貧困を視覚化する貧民街のバラックの風景である。第一期の『狼と豚と人間』 に引き続き、この第二期には、『解散式』での養鶏場のバラック街、『血染めの代紋』での横浜 の埋め立て地のスラム街、『軍旗はためく下に』での三谷昇演じる元陸軍上等兵の養豚場など、 同じく江東区枝川町の埋め立て地で撮影された作品が連作されている。こうした風景描写から 喚起されるのは、戦後、そこで生き延びてきた人々の飢餓感であり、この時期の深作欣二の映 画では、そうした生のリアリズムと、急速に発展するコンビナートの無機質さとのコントラス トが表われ、「任侠映画」でありながらも、そこにはその当時の社会のありようが批評される ことになるのである。 こうした第二期の深作欣二の一連の「任侠映画」においては、鶴田浩二演じる主人公は、出 所後に目の当たりにする任侠道や社会の変容を目の当たりにしながらも、自分に染みついてい る任侠道の論理に従って行動する他はない。そのため、これらの作品での主人公は、最後には、 相手と刺し違えて死んでしまう。この主人公の行動パターンが大きく変化するのが、続く第三 期で連作される実録やくざ映画の作品群である。
(3)第三期(1973 年~ 1977 年) 深作欣二の作品歴の中での第三期は、1972 年の『現代やくざ 人斬り与太』から、1973 年 以降の『仁義なき戦い』シリーズを経て、1977 年の『北陸代理戦争』まで至る 16 作品が相当 する。東映では、1972 年に藤純子の引退をもって『緋牡丹博徒』シリーズが終焉したことを きっかけに「任侠映画」路線の人気に陰りが見え始めた時期である。 この時期に、深作欣二が手がけた『現代やくざ 人斬り与太』(1972 年)は、それまでの 「任侠映画」で描かれてきた仁義を通すことが正義であるという価値観を覆すような、悪を悪 として描くことに徹した作品であった。続く『人斬り与太 狂犬三兄弟』(1972 年)も、『現 代やくざ』シリーズからは外れるものの、同じく菅原文太を主演とした、悪としてのチンピラ を描く作品であった。この二作品で描かれる構成は、第二期に鶴田浩二主演で連作された「任 侠映画」での、刑期を終えた主人公のやくざが出所してくるというパターンを踏襲するもので あったが、出所後の状況の変化に対する主人公の行動の仕方が、「任侠映画」と、この二作品 では大きく異なっている。 「任侠映画」の場合、出所してきた主人公は、かつての任侠道に従って、自分の舎弟が細々 と続けてきた組や、ささやかなシマを存続させようとするものの、それを妨害しようとする 「悪」に立ち向かわざるを得なくなる。つまり、たとえ深作欣二の映画においても、任侠道に 従って生きる主人公は「正義」であり、一方、それを脅かす「悪」となるのは、戦後の高度経 済成長の論理の中で転身した新興やくざというのが基本的な図式である。 これに対して、第三期の『現代やくざ 人斬り与太』『人斬り与太 狂犬三兄弟』において、 主人公は、敵対する二つの組の両方から存在を問題視されるような暴力装置であり、最終的に は無軌道に暴れまわった挙句に死んでいくことになる。つまり、この第三期の深作欣二の作品 においては、「任侠映画」がそうであったような、「仁義」や「義理人情」というイデオロギー を遵守するための、やむを得ず必要とされる暴力が描かれるのではなく、やくざのはらむ悪が 暴力装置としてそのまま描かれているのである。 第三期の中で、深作欣二が、こうした悪を悪そのものとして描くことを徹底させたのが、 1973 年から始まる『仁義なき戦い』シリーズであり、実際の広島やくざ抗争を描いたもので ある。モデルとなった人物や組織が実在することから、現実に基づく映画として、「実録やく ざ路線」というジャンルが確立していったのである。 この作品の主人公は、菅原文太演じる復員兵の広能昌三であり、広島県呉市の闇市で暴れて いた男を殺して服役することになる。出所後の広能昌三は、山守組に属することになるが、そ の後、山守組と敵対する土井組との間での抗争、同じ組の中での幹部同士の対立や寝返りなど、 その抗争は次第に入り乱れたものとなっていく。 このシリーズの特徴は群像劇であり、広能昌三を演じる菅原文太は主人公ではあるものの、 必ずしもその生き方が肯定的に描かれるわけではない。様々な組織の、さまざまな立場の人物 が、その時々の状況やそれぞれの利害に応じて癒着、反目、裏切りを繰り返すドラマが『仁義 なき戦い』シリーズなのである。このシリーズにおいては、対立しあう組織が、その考え方や 行動の仕方によって善と悪に分けられるわけではなく、そもそも悪として存在する者どうしが ぶつかり合う暴力の噴出そのものが描かれる。この点が、深作欣二の作品歴においては、第三 期に確立された映画的世界の特徴ということができるが、この特徴は、続く第四期の『柳生一 族の陰謀』にも引き継がれていくことになる。
(4)第四期(1977 年~ 1978 年) 「実録やくざ路線」の終焉を経て、続く深作欣二の作品歴の第四期は、1977 年の『ドーベル マン刑事』、『柳生一族の陰謀』(1978 年)、『宇宙からのメッセージ』(1978)、『赤穂城断絶』 (1978 年)の四本が作られる時期に相当する。東映では、映画の観客動員数の不振から、1978 年にそれまでの二本立てから、一本の大作を封切る興行へと転換を図った時期である。同時に、 やくざ映画に代わる新たな題材として、再び着目されたのが時代劇であった。この第四期で深 作欣二が手がけた『柳生一族の陰謀』(1978 年)は、そうした時代劇復興の目的から、東映の 時代劇スター萬屋錦之介を主演として迎えた作品であった。 この作品は、徳川二代将軍家忠の急死後、三代将軍の座をめぐり、秀忠の長男家光を擁立し ようとする派閥と、次男忠長とを擁立しようとする派閥との間で、し烈な跡目相続争いが繰り 広げられるという内容である。この中で萬屋錦之介は、家光を将軍に擁立することで、自らの 地位を確立しようとする柳生但馬守宗矩を演じている。こうした目論見のために、柳生但馬守 は、自分の息子柳生十兵衛を利用し、長年懇意にしてきた隠密の根来衆も手駒のように使い捨 てながら、対立する秀忠の擁立を阻んでいく。 つまり、この作品で主人公として描かれる柳生但馬守は、登場の時点からすでに悪として描 かれているのである。最終的に柳生但馬守は、長男の柳生十兵衛により、将軍の座に擁立した ばかりの三代将軍家光を斬り殺されるという形で報復を受けるが、柳生十兵衛のその行動は、 正義感から悪を討つ14という目的ではなく、親交の深かった根来衆を柳生但馬守が利用した挙 句、口封じのために闇討ちにしてしまったことへの復讐である。 このようにとらえてみると、この『柳生一族の陰謀』は、将軍の跡目相続に対し、二つの陣 営の抗争が、正義と悪という対立ではなく、衝突そのものとして描かれていると言える。深作 欣二は、この作品を制作するにあたって、「まあ、『仁義なき戦い』の構図を時代劇に移そうと すれば、まずは跡目相続ですよね。ちっぽけな大名一家の跡目相続じゃ面白くない、それなら 将軍家だということになりますよ。」15という構想があったと述べており、このことからも、『柳 生一族の陰謀』はある一つのイデオロギーの肯定に帰着しない群像劇であることがわかる。こ の点で、第三期の『仁義なき戦い』で作り出された深作欣二の映画的世界は、第四期の『柳生 一族の陰謀』にも引き継がれていると言えるのである。 この第四期の深作欣二の作品では、この『柳生一族の陰謀』に引き続いて、やはり時代劇の 『赤穂城断絶』が同じ年に制作されている。この作品は、同様に東映の時代劇復興の目的で制 作された大作であり、タイトルが示すように、「忠臣蔵」の世界を描き出したものであった。 つまり、深作欣二の作品歴においては、本稿で取り上げた『忠臣蔵外伝 四谷怪談』以前にも、 1978 年の時点で「忠臣蔵」を題材とする作品が制作されていたのである。 それでは、この『赤穂城断絶』と『忠臣蔵外伝 四谷怪談』とでは、描かれている内容にど のような違いがあるのか、両者を比較してみよう。『赤穂城断絶』は、浅野内匠頭の刃傷沙汰 から、赤穂浪士の決起、吉良邸への討入までの赤穂事件の一連の出来事を忠実に描く「正統派 の忠臣蔵」映画ということができる。この場合、正統的な忠臣蔵を描く意向を強く持っていた のは大石内蔵助を演じた萬屋錦之介であり、深作欣二は、『仁義なき戦い』の構図で、「忠臣蔵」 を描く構想を持っていたが、東映の強い意向により、最終的には、正統派の忠臣蔵をまとめる ことを余儀なくされた16のである。 「忠臣蔵」の描かれ方に焦点を当てて比較すると、『忠臣蔵外伝 四谷怪談』と、この『赤穂
城断絶』には大きな違いがある。それは、大石内蔵助が討入を決意する理由の違いである。『忠 臣蔵外伝 四谷怪談』では、冒頭の浅野内匠頭の一周忌の場面で、墓前に集まった赤穂浪士た ちに、町人たちが石を投げ、まだ仇討ちをしないのかとはやし立てる。こうした町人たちの声、 いわば世論に煽られるように大石内蔵助は、討入を余儀なくされる。『忠臣蔵外伝 四谷怪談』 では、赤穂浪士たちは吉良を討ちに決起するものの、それは吉良が悪であるからではない。こ の映画の中で、浅野内匠頭の刃傷事件に際して大石内蔵助が「よしなき短慮の尻拭いをさせら れる」と語るように、赤穂浪士たちは、忠義からではなく世間に対しての建前から、討入とい う回路の中に追い込まれていくのである。 これに対して、『赤穂城断絶』の場合は、大石内蔵助が討入を決意するのは、赤穂藩と吉良 家への両方に喧嘩両成敗の沙汰を下さなかった幕府への異議申し立てのためである。この場合、 赤穂藩を取りつぶしたものの、吉良家にはお咎めをあたえなかった時の将軍綱吉こそが大石内 蔵助の怒りの向かう先であり、この対立において、綱吉が悪に、それに立ち向かおうとする大 石内蔵助以下、赤穂浪士たちが正義とされているのである。このように、『赤穂城断絶』では、 正義と悪とが明確に描き分けられている点が、この第四期に作られた深作欣二の時代劇であり ながらも、『仁義なき戦い』『柳生一族の陰謀』で形成されてきた映画的世界を共有しない作品 であると考えられるのである。 (5)第五期(1980 年~ 2001 年) 深作欣二の作品歴で第五期は、1980 年の『復活の日』から遺作となった 2001 年の『バトル・ ロワイアル特別篇』までの 17 作品17が該当する。これらのうちで、小説や戯曲を映画化した 作品は 10 作品を数えることができ、第五期は深作欣二が原作に基づいた映画を中心に制作し た時期であると言える。日本の映画界では、1976 年の『犬神家の一族』以降、角川書店が自 社の小説の映画化を本格化させた時期であり、それまでの撮影所中心の映画作りのシステムか ら、外部資本による映画制作へと移行した時期にあたる。この時期に制作された深作欣二の作 品は、例えば、小松左京原作の『復活の日』(1980 年)、山田風太郎原作の『魔界転生』(1981)、 宮本輝原作の『道頓堀川』(1982)、つかこうへい原作の『蒲田行進曲』、檀一雄原作の『火宅 の人』といったように、SF、時代劇、メロドラマ、戯曲、文芸小説など、幅広いジャンルの 小説の映画化が続いている。本稿で取り上げている『忠臣蔵外伝 四谷怪談』は、この第五期 の中で制作された作品である。 第四期の『赤穂城断絶』は、萬屋錦之介主演の時代劇大作として、正統派の忠臣蔵を描いた ものであったが、深作欣二が、当時を振り返って、「まともな形で「忠臣蔵」を撮らされたら かなわんと逃げまくっていたんだけど、とうとう捕まっちゃった。そのときから、ほんとに「忠 臣蔵」をやるんだったら「四谷怪談」だなと思っていたわけです。」18と語っているように、自 身の映画としては意に染まない作品であったことがわかる。この『赤穂城断絶』に続く時代劇 として、深作欣二は、第五期では、山田風太郎原作の『おぼろ忍法帳』を、『魔界転生』とし て映画化することになるが、この作品は、島原の乱で弾圧された天草四郎時貞が、細川ガラシャ 夫人、宮本武蔵、伊賀忍者霧丸など、この世に無念を残して死んでいった人物を甦らせ、時の 将軍家綱に復讐を挑むという内容である。 この原作の映画化については、深作欣二自身が企画を温めていたものであり、『赤穂城断絶』 のような正統派時代劇ではなく、伝奇的な趣向の時代劇の方が自分の映画になり得るとして、
次のように述べている。 「『柳生一族の陰謀』を撮り終わって、そっちの方が僕に近いなとやっぱり思ったわけです。 (中略)こっちは現代的な時代劇をやりたい。それでないと時代劇は死んでしまうと思い ましたからね。だから、もっと飛びたいという感じがすごくあって、『おぼろ忍法帖』の 話を持ち出したんですね。」19 ここで言及されているのは、天草四郎時貞が甦るといったような奇想天外な伝奇性を時代劇 に持ち込むことによって、荒唐無稽な世界を描き出そうとしたという意図ではない。深作欣二 が、自分の作品として『赤穂城断絶』の正統性ではなく、『魔界転生』の伝奇性を必要とした のは、その伝奇性によって、時代劇に異質な視点が持ち込まれるのを求めたためである。 深作欣二にとって、『赤穂城断絶』の正統性は、すでに映画を作り始める以前から定められ ていた視点から、「忠臣蔵」の世界を描くことであり、それは、すでに語りつくされてきた赤 穂浪士の討入を大石内蔵助の視点から描くのに留まることであった。それは、映画を作らなく ても容易に想像できる世界である。一方、『魔界転生』は、深作欣二にとっては、徳川幕府に 恨みをもって甦ってきた魑魅魍魎たちの視点から江戸初期の時代を描くといういわば実験作で あり、映画を作ることによって初めて描くことのできる世界であった。この『魔界転生』での 試みについて、深作欣二は、「これが表現としての一つの世界に結び付くまでにはまだ時間が かかって、やっぱり『忠臣蔵外伝 四谷怪談』の方向までつながっていかないと、意図も正確 には出なかったと思います。」20と、振り返っているが、この発言からは、この『魔界転生』と いう作品が、『忠臣蔵外伝 四谷怪談』にいたる試金石であったことがわかるのである。 この第五期の中で、『忠臣蔵外伝 四谷怪談』にいたる深作欣二の映画的世界が形成されて いるとみられる作品としては、1988 年の『華の乱』を挙げることができる。この作品は、永 畑道子原作の小説『華の乱』と『夢のかけ橋』を翻案した映画であり、吉永小百合演じる与謝 野晶子と松田優作演じる有島武郎の秘められた恋を描いた物語である。しかし、内容として大 正時代の女流歌人の恋が描かれるにしても、この作品で描写の力点が置かれているのが、大杉 栄、伊藤野枝、松井須磨子、島村抱月といった、あくまでも大正時代の文化人たちの群像であ る点には着目したい。深作欣二の作品歴においては、この『華の乱』に次いで、アクション映 画の復活となる『いつかギラギラする日』(1992 年)が制作され、1993 年には、長編テレビド ラマとして森鷗外原作の『阿部一族』が制作された後に 1994 年の『忠臣蔵外伝 四谷怪談』 へと続いている。つまり、深作欣二が、自身の作品歴の集大成ともいうべき第五期で、『忠臣 蔵外伝 四谷怪談』にいたる映画的世界として確立し続けてきたのは、「現代性のある時代劇」 であり、なおかつ、ある一つの時代を「群像劇」として描き出すということであった。 これまで、本節では、深作欣二の作品歴を、第一期から第五期に分類し、各時期に形成され た映画的世界を考察してきた。その結果、第一期から第二期の「任侠映画」にいたる作品群で は、生きることのエネルギーとなる飢餓感とともに、旧態依然とした渡世人の生き方とそれを 押し潰していく高度経済成長の社会との対比を通して、画一的なイデオロギーに収束されない 描写がなされていた。こうした、いわば、社会の中のあらゆる次元を描こうとする方法が、第 三期では、『仁義なき戦い』を中心とする群像劇へと展開し、第四期では、群像劇として描く 時代劇としての『柳生一族の陰謀』へと展開していったのである。
こうした群像劇として深作欣二が確立していったのは、映画の中に、様々な次元で生きる登 場人物の価値観や考え方を混在させる方法であり、映画が出来上がることで初めて、スクリー ンの中に多次元的かつ多視点的な世界が生み出されるという面白さであった。この点において、 第四期で大作映画として制作した『赤穂城断絶』は、あらかじめ正統的な忠臣蔵という設計図 が決まっているものであり、作る前から完成形の見えている作品であったと考えられる。深作 欣二が、この作品に悔悟を残しているのは、実験的な面白さを描き出せなかったという点にあ る。そのため、続く第五期では、こうした群像劇としての方法論がさらに確立されていったと 考えられるのである。 以上のようにとらえてみると、深作欣二の作品歴の集大成ともいうべき時期に制作された 『忠臣蔵外伝 四谷怪談』には、深作欣二の映画的世界の特徴として、群像劇の視点が導入さ れていると考えることができるのである。 3.なぜ「四谷怪談」か これまで考察してきたように、深作欣二の映画『忠臣蔵外伝 四谷怪談』の映像化の特異性 は、「忠臣蔵」の世界と鶴屋南北の『東海道四谷怪談』の世界とを融合させ、「四谷怪談」の二 人の登場人物である民谷伊右衛門とお岩を「忠臣蔵」のクライマックスへと立ち会わせている 点であった。前節での考察からは、深作欣二の作品歴を通底する映画的世界は、様々な次元の 人々の描写や価値観を作品の中に混在させる群像劇のスタイルを導入することによって、スク リーンの中に多次元的かつ多視点的な世界を生み出すという特徴を持っていることがわかった。 それでは、『忠臣蔵外伝 四谷怪談』で、「忠臣蔵」と「四谷怪談」の世界を融合させるとい う表現方法の特異性はどのような意味をもたらし、それが深作欣二の映画的世界の形成とどの ように結びついているのか考察していこう。 深作欣二が 1994 年に『忠臣蔵外伝 四谷怪談』を制作する前後の作品歴においては、1993 年にフジテレビと松竹との共同企画で、森鷗外原作の『阿部一族』21のテレビドラマが制作さ れている。このドラマは、寛永 18 年(1641 年)に肥後藩で起きた殉死事件を描いたものであり、 主題としては、翌年に制作される『忠臣蔵外伝 四谷怪談』と共通する。このドラマの概要は 以下の通りである。 寛永 18 年、肥後藩主細川忠利が病死した後、生前に許しを得た家臣たちは次々と追腹を斬っ たが、殉死を許されず、その遺言を守り続けた家臣の阿部弥一右衛門には臆病者扱いの誹謗中 傷が高まっていった。弥一右衛門は、一族の名誉のために殉死を決行するが、新藩主の細川光 尚は、それを反逆行為とみなし、知行分割を断行してしまう。そうした沙汰を不服とした阿部 一族は、屋敷に立てこもり、新藩主の差し向けた討手を迎え撃つのであった。 この作品の中で、阿部弥一右衛門は、藩主細川家への忠義からではなく、たとえ主君からの 許しがなかったとは言え、追腹を斬らないのは命が惜しいからだという同僚の家臣たちからの 誹謗中傷に追い詰められ、殉死を決行することになる。森鷗外の原作小説の主題は、武士の意 地を描いたものであるが、この場合、阿部弥一右衛門にとっての意地とは、藩主の命に背いて でも、自分の体面を守ることであり、それは自らの行動を自らの判断で為すという「個」の論 理に基づくものであったと言える。 この阿部弥一右衛門の自己の決意による殉死に引き続き、『阿部一族』では、長男権兵衛の
旧藩主の一周忌で髻を切るという形での抗議、次男弥五兵衛の屋敷への立てこもりといったよ うに、一族を継ぐそれぞれが自らの意地に基づいて起こす行動が描かれることになる。こうし た一族の、藩主への異議申し立てのみが描かれるのであれば、『阿部一族』は、ある一家が体 面を守るという一つの視点に収束されてしまうだろう。しかし、この作品には、もう一つの視 点として、隣家の武士、柄本又七郎の、この顛末への関わり方も同時に描かれることになる。 柄本又七郎は、次男弥五兵衛と同じ剣術道場で切磋琢磨しながら槍の腕を磨いてきた同輩で あったが、弥五兵衛が屋敷に立てこもり、藩主に反抗の構えを見せると同時に、妻に陣中見舞 いに向かわせる。そして、妻が隣家から戻ると槍を磨き、新藩主の討手の助太刀に阿部一族を 討ちに向かうのである。ここでは、阿部一族の反逆精神とは真逆の、藩主に対して手柄を立て ることを第一義とする武士の存在が描かれることになる。又七郎は、阿部家とはこれまで親睦 を深めてきた仲であり、籠城後も妻を陣中見舞いに向かわせるといったように、阿部家を憎ん でいたわけではない。しかし、同時に、隣家の反逆は、又七郎にとって武士としての格を上げ るまたとない好機であり、情に流されずそれに乗じることも、又七郎にとっては武士の意地に 他ならないのである。 このように、阿部一族の家をめぐるそれぞれの意地、又七郎の阿部家の反乱に乗じて手柄を 立てようとする意地、といったように、次元の違う様々な価値観が描かれるのが『阿部一族』 のドラマなのである。こうした多様な価値観の混在が、深作欣二の映画的世界の特徴である群 像劇であり、『阿部一族』では、この表現の方法によって、「忠義とは何か」という問いが浮か び上がって来るのである。この『阿部一族』は、深作欣二にとって、自らが作り上げる映画的 世界の持つ意味を確認するための指標となった作品であり、この点について、次のように振り 返っている。 「『阿部一族』は時代劇なんだけれど、日本の現代につながるものを十分持っていたという ことですね。「忠臣蔵」よりも持っているはずです。そういう作り方は、いろんな可能性 を温めていくなかで、いつでも見つけようと思えば見つかるというもんでもなくて、やっ てみたら、うまい具合に引っかかったというような結果論が大きいかもしれないけれど、 それはやっぱり映画というものの持ってる社会性なんでしょうね。」22 このことは、『阿部一族』というドラマを制作した時点で、深作欣二の映画的世界が、群像 劇という方法で様々な要素を混在させ、ある時代や社会を結果的にスクリーン上で、現代にも 通じる問題として描き出すという到達点に達していたことを示している。 この『阿部一族』の撮影中に、深作欣二は、『忠臣蔵外伝 四谷怪談』の構想を始めること になる。この時、深作欣二には、二度目の忠臣蔵映画として、『赤穂城断絶』での悔悟を乗り 越えるために、「忠臣蔵」と「四谷怪談」を融合させるという構想がすでにあったとして、次 のように述べている。 「大石内蔵助を主人公にして吉良上野介一派と四つ相撲を取らせたら、また同じことにな る。それは嫌なんで、むしろ大石と民谷伊右衛門を同じ土俵に上げちゃいたいと。それを やれたら、鶴屋南北の原作『東海道四谷怪談』ともまた変わるはずだと思ったんです。ま た、そういうふうに「四谷怪談」を持ってきて組み合わすと、「忠臣蔵」という素材も面
白いんですよ。」23 深作欣二が、こうした『忠臣蔵外伝 四谷怪談』についての構想を実現させていったのが、『阿 部一族』の撮影中であったことを踏まえると、『阿部一族』で到達した群像劇による現代的な 視点からの歴史描写がこの作品にも反映されていると考えることができる。それでは、深作欣 二の言葉を踏まえると、「忠臣蔵」と「四谷怪談」が融合することによって、それぞれが新た にどのような意味を生み出しているのか考えてみよう。 深作欣二が、この映画で構想したのは、「忠臣蔵」の主人公である大石内蔵助と、「四谷怪談」 の主人公である民谷伊右衛門を「同じ土俵に乗せること」であった。このことは、赤穂浪士の 討入という事件の顛末を、大石内蔵助という当事者の立場と、民谷伊右衛門という討入に加わ らなかった人物の立場との両面から描く意図があったと考えることができる。つまり、深作欣 二が、自分の映画的世界として「忠臣蔵」を描き出すためには、当事者の視点のみならず、そ れを外側から眺める視点が必要だったと考えられるのである。このことは、この映画のクライ マックスから最終場面をとらえてみると明らかとなる。 民谷伊右衛門は、清水一学から吉良家への推挙の条件として、大石内蔵助を斬るように命ぜ られ、赤穂義士たちが潜む平間村の豪農の屋敷に忍び込む。そこで民谷伊右衛門は、大石内蔵 助と対峙することになるが、この時、大石内蔵助は伊右衛門に、四十七人の討入は必ず成功 し、世間からも将軍家からも褒めたたえられることになると語る。伊右衛門は、この後、詰め かけた赤穂浪士たちに斬られ、魂だけの存在になってしまうが、その状態で、亡霊となったお 岩と再会し、赤穂浪士たちの討入の顛末を見届けることになる。そこで、伊右衛門が目にする 討入の顛末は、大石内蔵助が伊右衛門に対し気炎を吐いていたものとは異なり、炭焼き小屋か ら見つけ出した吉良上野介は弱々しい老人であり、悄然と赤穂浪士たちのなすがままになって いる。この討入のあり様こそが、最終的に民谷伊右衛門の目から見た討入の様子なのであり、 魂だけになって、もはや現実に関わることのない伊右衛門は、傍観者としてその様をただ見て いるのである。 以上のように考えてみると、深作欣二が、『忠臣蔵外伝 四谷怪談』において、「忠臣蔵」の 世界と「四谷怪談」の世界とを融合させたのは、討入を当事者の視点から描く「忠臣蔵」の世 界に閉じることなく、その顛末を外側から傍観者として見届ける視点を導入させるためであっ たことがわかる。つまり、この作品においては、「赤穂事件」が、多次元的かつ多視点的に描 き出されているのである。この表現方法は、深作欣二の映画的世界の特徴である群像劇のスタ イルと考えることができるが、ここで、「四谷怪談」が「忠臣蔵」の世界と融合されるのは、 「四谷怪談」があくまでも「怪談」という現実とは異なる次元を持っていたためであると考え ることができる。それは、「四谷怪談」の持つ、現実の軸を自由に越えられる怪異性である。 深作欣二が、『魔界転生』で現代的な時代劇を描き出すために、伝奇性を必要としたように、 この『忠臣蔵外伝 四谷怪談』では、自らの映画的世界を群像劇として完成させるために、こ の「怪異性」を必要としたと考えられるのである。このような、『忠臣蔵外伝 四谷怪談』に 見られる怪異性の特徴については、稿を改めて考察していきたい。
深作欣二監督作品歴 時期区分 作品名 公開年月日 製作会社 時間 主演 備考 1 第一期 風来坊探偵 赤い谷の惨劇 1961年6月9日 ニュー東映東京 60分 千葉真一 2 第一期 風来坊探偵 岬を渡る黒い風 1961年6月23日 ニュー東映東京 60分 千葉真一 3 第一期 ファンキーハットの快男児 1961年8月5日 ニュー東映東京 53分 千葉真一 4 第一期 ファンキーハットの快男児 二千万円の腕 1961年9月13日 ニュー東映東京 53分 千葉真一 5 第一期 白昼の無頼漢 1961年11月1日 ニュー東映東京 88分 丹波哲郎 6 第一期 誇り高き挑戦 1962年3月28日 東映東京 89分 鶴田浩二 7 第一期 ギャング対 G メン 1962年11月2日 東映東京 82分 鶴田浩二 8 第一期 ギャング同盟 1963年7月31日 東映東京 100分 内田良平 9 第一期 ジャコ萬と鉄 1964年2月8日 東映東京 100分 高倉健 10 第一期 狼と豚と人間 1964年8月26日 東映東京 95分 三國連太郎 11 第一期 脅迫 1966年2月17日 東映東京 84分 三國連太郎 12 第一期 カミカゼ野郎 真昼の決斗 1966年6月4日 東映配給 90分 千葉真一 (製作)にんじんプロ=國光影業股有限公司(台) 13 第一期 北海の暴れ竜 1966年10月25日 東映東京 85分 梅宮辰夫 14 第二期 解散式 1967年4月1日 東映東京 93分 鶴田浩二 15 第二期 博徒解散式 1968年2月9日 東映東京 90分 鶴田浩二 16 第二期 黒蜥蜴 1968年8月14日 松竹大船 86分 丸山明宏 17 第二期 恐喝こそわが人生 1968年10月26日 松竹大船 90分 松方弘樹 18 第二期 ガンマー第3号 宇宙大作戦 1968年12月19日 東映東京=ラムフィルム(米) 77分 ロバート・ホートン (共同監督)田口勝彦 19 第二期 黒薔薇の館 1969年1月25日 松竹大船 91分 丸山明宏 20 第二期 日本暴力団 組長 1969年7月8日 東映東京 97分 鶴田浩二 21 第二期 血染の代紋 1970年1月31日 東映東京 87分 梅宮辰夫 22 第二期 君が若者なら 1970年5月27日 松竹配給 90分 石立鉄男 (製作)新星映画社=文学座 23 第二期 トラ トラ トラ! 1970年9月25日 二十世紀フォックス 146分 マーティン・バルサム(監督)リチャード・フライシャー、舛田利雄、深作欣二 24 第二期 博徒外人部隊 1971年1月12日 東映東京 93分 鶴田浩二 25 第二期 軍旗はためく下に 1972年3月12日 東宝=新星映画社 97分 丹波哲郎 26 第三期 現代やくざ 人斬り与太 1972年5月6日 東映東京 88分 菅原文太 27 第三期 人斬り与太 狂犬三兄弟 1972年10月25日 東映東京 86分 菅原文太 28 第三期 仁義なき戦い 1973年1月13日 東映京都 99分 菅原文太 29 第三期 仁義なき戦い 広島死闘篇 1973年4月28日 東映京都 100分 菅原文太 30 第三期 仁義なき戦い 代理戦争 1973年9月29日 東映京都 102分 菅原文太 31 第三期 仁義なき戦い 頂上作戦 1974年1月15日 東映京都 102分 菅原文太 32 第三期 仁義なき戦い 完結篇 1974年6月29日 東映京都 99分 菅原文太 33 第三期 新 仁義なき戦い 1974年12月18日 東映京都 98分 菅原文太 34 第三期 仁義の墓場 1975年2月15日 東映東京 94分 渡哲也 35 第三期 県警対組織暴力 1975年4月26日 東映京都 94分 菅原文太 36 第三期 資金源強奪 1975年6月21日 東映京都 100分 北大路欣也 37 第三期 新 仁義なき戦い 組長の首 1975年11月1日 東映京都 94分 菅原文太 38 第三期 暴走大パニック 大激突 1976年2月28日 東映京都 84分 渡瀬恒彦 39 第三期 新 仁義なき戦い 組長最後の日 1976年4月24日 東映京都 91分 菅原文太 40 第三期 やくざの墓場 くちなしの花 1976年10月30日 東映京都 96分 渡哲也 41 第三期 北陸代理戦争 1977年2月26日 東映京都 98分 松方弘樹 42 第四期 ドーベルマン刑事 1977年7月2日 東映京都 90分 千葉真一 43 第四期 柳生一族の陰謀 1978年1月21日 東映京都 130分 萬屋錦之介 44 第四期 宇宙からのメッセージ 1978年4月29日 東映京都 105分 真田広之 45 第四期 赤穂城断絶 1978年10月28日 東映京都 159分 萬屋錦之介 46 第五期 復活の日 1980年6月6日 角川春樹事務所 156分 草刈正雄 47 第五期 青春の門 1981年1月15日 東映京都 140分 菅原文太 (監督)蔵原惟繕、深作欣二 48 第五期 魔界転生 1981年6月6日 東映京都 122分 沢田研二、千葉真一 49 第五期 道頓堀川 1982年6月12日 松竹大船 122分 真田広之、松坂慶子 50 第五期 蒲田行進曲 1982年10月9日 松竹=角川春樹事務所 109分 風間杜夫 51 第五期 人生劇場 1983年1月29日 東映京都 138分 永島敏行 (監督)深作欣二、佐藤純彌、中島貞夫 52 第五期 里見八犬伝 1983年12月13日 角川春樹事務所 136分 薬師丸ひろ子 53 第五期 上海バンスキング 1984年10月6日 松竹 121分 風間杜夫 54 第五期 火宅の人 1986年4月12日 東映京都 132分 緒方拳 55 第五期 必殺4 恨みはらします 1987年6月6日 松竹 131分 藤田まこと 56 第五期 華の乱 1988年10月1日 東映京都 139分 吉永小百合、松田優作 57 第五期 いつかギラギラする日 1992年9月12日 日テレ・松竹 108分 萩原健一 58 第五期 阿部一族 1995年11月24日 フジテレビ=松竹 120分 山崎努、佐藤浩市 93年に制作、95年に放映 59 第五期 忠臣蔵外伝 四谷怪談 1994年10月12日 松竹 105分 佐藤浩市 60 第五期 おもちゃ 1999年1月15日 東映 113分 宮本真希、富司純子 61 第五期 バトル・ロワイアル 2000年12月16日 製作委員会・東映 113分 藤原竜也 62 第五期 バトル・ロワイアル 特別篇 2001年4月7日 製作委員会・東映 121分 藤原竜也、片岡礼子 本表の作成にあたっては、深作欣二、山根貞男『映画監督 深作欣二』(ワイズ出版、2003 年)を基礎資料とした。
1 『忠臣蔵外伝 四谷怪談』(1994 年、カラー、105 分)松竹/製作 櫻井洋三/プロデューサー 佐生哲雄、 斎藤立太、原克子/脚本 古田求、深作欣二/撮影 石原興/出演 佐藤浩市(民谷伊右衛門)、高岡早紀 (お岩)、津川雅彦(大石内蔵助) 2 竹田出雲、三好松洛、並木千柳の合作。歌舞伎に移入されてからは、いつ上演しても大当たりを出す演目を 意味する、「歌舞伎の独参湯」と呼ばれる演目となった。 3 郡司正勝校注『東海道四谷怪談』、新潮日本古典集成(第 45 回)、新潮社、1981 年、410 ページ。 4 江戸時代の歌舞伎においては、現実の時代設定と実在の人名を使用することが御法度となっていた。そのた め、『仮名手本忠臣蔵』では、「赤穂事件」の顛末が南北朝の『太平記』の時代に置き換えられ、赤穂家は塩 冶家に、大石内蔵助は大星由良之介に、吉良上野介は高師直にそれぞれ書き換えられている。 5 前掲書、郡司正勝校注『東海道四谷怪談』、101 ページ。 6 渡辺保「忠臣蔵伝承の担い手たち」、渡辺保『忠臣蔵 もう一つの歴史感覚』、講談社学術文庫、2013 年、 349 ページ。 7 「深作欣二監督インタビュー」、『キネマ旬報 臨時増刊 忠臣蔵-映像の世界』、1994 年 10 月 25 日号、 141 ページ。 8 同上、「深作欣二監督インタビュー」、140 ページ。 9 深作欣二、山根貞男『映画監督 深作欣二』、ワイズ出版、2003 年、465 ページ。 10 1995 年放映のテレビドラマ『阿部一族』を加えた場合の作品数。 11 深作欣二の全監督作品については、本文の後に掲載した「深作欣二監督作品歴」を参照のこと。なお、本稿 の考察にあたっては、作品歴に記載の作品はすべて視聴した。 12 前掲書、『映画監督 深作欣二』、123 ~ 124 ページ。 13 同上、『映画監督 深作欣二』、124 ページ。 14 この作品の後半にいたるまで、柳生十兵衛は、柳生但馬守の隠密として忠長を失墜させるための裏工作に奔 走しているため、「柳生十兵衛=正義」、「柳生但馬守=悪」という前提で描かれているわけではない。 15 前掲書、『映画監督 深作欣二』、353 ページ。 16 同上、『映画監督 深作欣二』、365 ページ。 17 この中で、『青春の門』(1981 年)と『人生劇場』(1983 年)は共同監督であるため、正確には単独監督の 15 作品となる。 18 前掲書、『映画監督 深作欣二』、364 ページ。 19 同上、『映画監督 深作欣二』、388 ページ。 20 同上、『映画監督 深作欣二』、389 ページ。 21 このドラマの放送は 1995 年となる。金曜エンタテイメント『阿部一族』(1995 年 11 月 24 日放送、フジテレ ビ系列、カラー、16 ミリ、120 分)フジテレビ=松竹(製作協力 松竹京都映画)/企画 能村庸一、鈴木 哲夫/プロデューサー 佐生哲雄、高須準之介、市古聖智/原作 森鷗外/脚本 古田求/撮影 石原興/出 演 山崎努(阿部弥一右衛門)、佐藤浩市(阿部弥五兵衛)、藤真利子(おいち)、石橋蓮司(林外記)、仲谷 昇(細川忠利) 22 前掲書、『映画監督 深作欣二』、463 ~ 464 ページ。 23 同上、『映画監督 深作欣二』、467 ページ。