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多文化共生社会における偏見と差別に関する一考察
人間教育専攻
現代教育課題総合コース
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吉田麻人は じ め に
本稿では、「多文化共生社会における偏見と差 別」を主題に据えるO グローパノレ化が進み、「多 文化共生」が挙げられている現代社会において も、マジョリティによるマイノリティに対して の文化問摩擦による偏見や差別の問題が存在す る。偏見や差別意識の低減の困難性を踏まえた 上で、(他者〉とどう関係性をとっていくか考察 する。
第
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章 多文化共生社会での偏見・差別の現状 と問題の所在日本の多文化化に伴って増加した、外国につ ながる子どもたちは、日本語をうまく話せない ことやマジョリティ社会に比べ文化圏が大きく ことなることから、異質な者として見られ、不 当な扱いを受けることでアイデンティティ形成 に影響を受け、事件の当事者・被害者に発展し た事例も多く挙げられている。
このような差別や偏見に対して、学校はどう 対応してきたか概観すると、日本語での教育を 保障し、国際教室の設置や日本語指導教室の設 置などの対応によって、マジョリティとマイノ リティの「差異」を埋め、すべての子どもをに 対して外国人、日本人関係なく平等に対応する
ことで I差別」をなくそうとしてきた。
また、外国につながる子どもたちに対する偏 見・差別行動を低減するために、学校教育にお
指 導 教 員 谷 村 千 絵
いて人権教育や国際理解教育、道徳教育といっ た各教科、領域を総合し、学校の教育活動全体 を通じて対応してきた。
ここで、問題提起として挙げられることは道 徳などの学習指導要領などを見ても、差別・偏 見を低減し、価値観の変容を遂げることを望ま れているが、偏見、差別をしてしまう(弱さ) については根本的に考えることは少ないと思わ れるO本稿ではなぜ偏見・差別をしてしまう〈弱 さ)が生じてしまうか、第二章で問い直し、偏 見・差別の低減の困難さについて考察するO そ して第三章では偏見・差別の低減が困難な中で どう(他者〉と関係性を持つべきか考察する。 第2章 偏 見 ・ 差 別 を す る ( 弱 さ ) に つ い て
外国につながる子どもたちは日本社会、日本 の学校文化、親の文化のコンテクストに組み込 まれ、生きていく。成人期を迎えた人聞は「擬 似種族化Jという概念のもと、共同体の内外に 境界線をひく。この共同体の範囲は集団の属性 に応じて様々である。そして集団「内」の者た ちに対してはお互いの信条やイデオロギーに親 密性を抱き、自分たちは特別な種族であるとい う「近しさ」を持つ。一方、集団「外」の者た ちに対しては自分と相手は異なる種族であり、
自分の生殖性の関心の範囲外であるという認識 という感覚のもと、敵意を抱き、拒否性を示す。
そして成人期の人間的な強さである「世話Jと
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その不協和傾向である「拒否性jがジレンマを 起こし、
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巨否性」の傾向が勝ったときに偏見意 識や差別的行動として現れる。しかし「世話jの不協和傾向である「拒否性j
は完全に抑圧するべきでないと考え、自分の世 話の範囲内外にあるものすべてを受け入れてい ては、世話することが困難になる。また拒否性 をあまりに抑圧しすぎると、やがて自己を抑圧 する危険性がある。何かを拒否したいという衝 動や本能は誰しもが持つものであり、それを否 定することは人間の存在の否定にもつながる可 能性がある。拒否性を無条件に肯定することも できないが、否定することもできない。そのよ うなジレンマの中で人は発達していくのであり、
拒否性から逃れられないのが人間の本能的傾向 である。
子どもと大人の関係性は「非対等」である。
「非対等」であるからこそ、子どもは大人に「基 本的信頼」を寄せ成長してし、く o 大人は権威主 義的に子どもに世界のかかわりを伝えていき、
子どもは大人の世界とのかかわりをみて育って し、く。そうするうちに子どもは社会的範囲を拡 大し、大人は子どもに伝えることで今の枠組み を再認識する。そういった大人と子どもとの相 互的なかかわりによって、「擬似種族化」は世代 間伝達を起こすのではないかと考えられる。
自分のオートポイエーシスを守るために、擬 似的な種族化を強化し、「擬似種族化」の枠組み の範囲外からオートポイエーシスの存続に危険 にさらされる可能性を感じる場合には排除的な 行為を行う。このオートポイエーシスのシステ ムの原理は自然界の生物にとって絶対的な原理 である。このような絶対的な原理において、マ イノリティである外国につながる子どもたちと、
マジョリティである子どもたちの聞に偏見や差
別意識が生じ、これらの意識を低減することは 困難な課題であろう。人聞はこのように偏見や 差別をしてしまう(弱さ〉を抱えた存在である。
第3章 多文化共生社会で(弱さ〉とどう向 き合っていくか
E'レヴィナスの他者論を援用すると(他者) は絶対的な(他者)であり、(私)の理解の枠組 みを超えた外部性をもたらす存在であり、理解 しようとしても、理解できない無限の隔たりを 生じさせる存在である。
(私)はむき出しの(他者〉と対峠し、主体 性が問われるようになるが、(他者〉は絶対的な (他者〉であり、無限の距離がある。(他者)と 向き合うことで自己が解体され、不能の権能に 陥る可能性もあるかもしれないが、(私)のアイ デンティティを規定する偏見・差別をしてしま う人間存在の「弱さ」でさえも開示し、「贈与」
することで自分の場所を空け渡し、自己が変容 していく可能性がある。(他者〉との関係に隔た りがあることを意識しながらも、自らの痛みを 伴うような「贈与Jをし、有責性の中で自己を 問い続けることが「自己形成空間」が開く契機 になる。
「多文化共生j社会での教育においても、教
育の側面として偏見や差別の低減のための「知 識・内容」を伝達することは必要であるが「内 容の伝達」という概念に偏したとき、子どもは (他者)と出会い、自分の責任が本当に問い直 されるという経験が希薄なる可能性がある異文 化という自分の文化と異なる者との関係性を考 える際には、合理的に思考する能力を育もうと する前に、子どもたちが(他者)に出会い、(他 者)の「顔」を迎えいれるような「体験Jを取 り入れることで(私)は生成されるものだと考 える。