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就 業 規 則 の 一 方 的 変 更 の 限 界

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(1)昭. 夫. 就業規則の一方的変更の限界 fタケダシステム事件最高裁判決を前にしてi. ま え が き. 藤. 一九五二年以来それまでほとんど三〇年に及ぶ間︑本大学においても労働. を記念し︑ますますの御壮健をお祈りして︑この稿を先生に捧げさせていただきたい︒ 一九八一年五月二五日︑沼田先生満六七歳の御誕生日に. 就業規則の一方的変更の限界︵佐藤︶. 二三. 書﹃就業規則論﹄︵一九六四年︑東洋経済新報社︶を読み返しながら誌したものである︒重責を果されての先生の御退職. る︒本稿は︑副題にかかげたような状況で判例理論の再検討を試みたが︑これもまた︑先生から直接いただいた御著. た私個人としても︑幸い大学院で親しく御教えをうける機会に恵まれ︑その後今日までたえず大きな学恩を蒙ってい. 法︑法社会学︑法哲学などの講義を御担当下さっていた︒法学部教員の一人として︑心から御礼を申しあげたい︒ま. の年は総長職の激務のため休まれたが︑. 沼田稲次郎先生は本年三月末︑二期八年にわたる東京都立大学総長の任を終えて大学を退かれた︒先生はその最後. 佐.

(2) 早法五七巻 一 号 ︵ 一 九 八 一 ︶. 秋北バス事件最高裁判決と現在の状況. 目次. 効力判断規準としての公序良俗. 一方的変更の限界−作成権能の国家法的限定. −. タケダシステム事件高裁判決の合理性. 労働基準法による価値判断︵保護法原理︶. 七. て︑きわめて多彩な論理を生みだしていった︒. ︵1︶. 二四. かれただけでなく︑同じ結論をとる場合でも︑就業規則の法的性質や︑その効力の根拠の理解の仕方ともかかわっ. で争われる事例が︑昭和二五年ごろから生じている︒そして裁判例や学説は︑その具体的解決である結論においてわ. ち︑就業規則の変更にかんする法律問題が︑現実のものとなる︒使用者の一方的に変更した就業規則の効力が裁判所. 昭和二四年の労働組合法改正が自動延長中の労働協約を使用者の一方的意思により消滅させることを可能にしての. 秋北バス事件最高裁判決と現在の状況. 六. 2. 末弘説と沼田説. 多数意見i法規説と合理性原則. 最高裁少数意見−契約説の検討. 就業規則論検討の視点. 三 二 幽 四. 五.

(3) こうした状態において︑最高裁の判例として一つの転機をしめしたのは︑いうまでもなく秋北バス事件最高裁判決. ︵最判昭四三.二一.二五民集一三巻一三号三四五九頁︶であった︒この判決の多数意見は︑就業規則の﹁法的規範性が認. められるに至っている﹂とした上で︑﹁新たな就業規則の作成叉は変更によって︑既得の権利を奪い︑労働者に不利. 益な労働条件を一方的に課することは︑原則として︑許されないと解すべきであるが︑労働条件の集合的処理︑特に. その統一的かつ画一的な決定を建前とする就業規則の性質からいって︑当該規則条項が合理的なものであるかぎり︑. 個々の労働者において︑これに同意しないことを理由として︑その適用を拒否することは許されないと解すべきであ. り︑これに対する不服は︑団体交渉等の正当な手続による改善にまつほかはない﹂とした︒そしてこの多数意見にた. いしては︑横田・大隅裁判官および色川裁判官の反対意見において︑不利益変更はそれに合意しない労働者を拘束し ないとする立場からのきびしい批判がのべられたのである︒. 最高裁はかつて三井造船玉野製作所仮処分特別抗告事件︵最決昭二七・七・四労民三巻三号二七五頁︶において︑﹁就. 業規則は本来使用者の経営権の作用としてその一方的に定めうるところであって︑このことはその変更についても異. るところはない︵労働基準法九〇条参照︶﹂とし︑﹁就業規則の制定権が元来使用者側にある﹂ということを強調してい. た︒この事件は︑就業規則の変更について協議約款があったことを理由に︑組合が就業規則変更の効力停止の仮処分. を申請した事件であり︑就業規則の変更がそれに反対する労働者の労働条件をも拘束するかが争そわれた秋北バス事. 件と事案を異にする︒しかしそれにしても︑使用者の﹁就業規則制定権﹂を確認しただけで︑その限界についてはな. 二五. にも顧慮するところがなかった︒これに対して秋北.ハス事件判決は︑﹁経営主体は一方的にこれ︵ 就業規則︶を労 就業規則の一方的変更の限界︵佐藤︶.

(4) 早法五七巻一号︵一九八一︶. 二六. 働者の不利益に変更できるか﹂の問題について︑﹁原則として許されない﹂としながら︑他面﹁合理性﹂の規準をた て︑その範囲内においてだけ例外的にその変更・適用を認めたのである︒. こうして︑この最高裁判決は︑右のような例外を設けたとはいえ︑使用者の﹁就業規則制定・変更権﹂に︑労働者. の﹁既得の権利﹂や従来の労働条件との関係で基本的な限界を確認し︑枠づけする方向に転じたことは間違いない︒. そして反対意見は︑変更に異議のある労働者への適用の有無という観点においてであるが︑これをさらに徹底させよ. うとするものであった︒それだからこの判決は︑それを理由づける論理にはさまざまの批判をうけながらも︑下級裁. の方向に大きな影響をあたえた︒不利益に変更された規定の適用を否定する多くの判決をみることがでぎるし︑また. その適用を認めゐ場合にも︑その条項の﹁合理性﹂の有無を検討してのこととなったのである︒だが他面︑多数意見. の﹁合理性﹂の原則がその具体的規準について明確さを欠くものであったため︑この論理の枠組みを踏襲するものの なかに︑有効性の認められる範囲について若干のばらつきを生みだしてきた︒. こうした判例状況のなかで︑近年東京高裁︵吉岡進裁判長︶が多数意見の判断枠組みと両立させながら作りあげて. きた規準は︑のちにみるようにすぐれた具体的妥当性をもつものであった︒日本貨物検数協会事件︵昭和五〇年一〇月. 二八日判決︑高裁民集二八巻四号三二〇頁︶︑タケダシステム事件︵昭和五四年一二月二〇日判決︑労民三〇巻六号一二四八. 頁︶など︒そしてこの後者の事件は使用者側から上告され︑最高裁の判断をまつ段階にきている︒秋北バス事件の判. 例理論は︑今や再吟味によって一そう正確な論理と︑妥当な結論を保障するものとなるべぎ時機だと思う︒この機会 に私なりの観点からの検討を通して私見をのべ︑就業規則論再考の一助としたい︒.

(5) ︵1︶. 現在までのこうした状態について︑川崎武夫﹁就業規則の法的性質﹂︵新労働法講座8︑昭和四二年︑二四七頁以下︶︑中. 冊一号・労働基準法︑昭和五二年︑二七五頁以下︶︑諏訪康雄﹁就業規則﹂︵文献研究労働法学︑昭和五三年︑九七頁以下︶︑. 山和久・就業規則の作成と運用︵労働法実務大系16︑昭和四五年︶︑蓼沼謙一﹁就業規則の法的性質と効力﹂︵季刊労働法別. 一七〇頁以下︑など参照︒本稿は︑最高裁の見解を検討の出発点として︑. これを批判しながら︑妥当な論理を探るという方法をとっており︑﹁およそ四派一三流になる︵さらに各説のなかに微妙な. 本多淳亮・労働契約・就業規則論︑昭和五六年︑. ニュアンスの差などがある︶﹂︵諏訪・前掲九六頁︶といわれる各説を︑それとしてはとりあげていない︒諸説から有益な教. 就業規則論検討の視点. 示をえながら︑礼を失している点のあることをおわびしておく︒. 二. 就業規則の一方的変更の効力にかんしては︑前述のように一面では就業規則の性質論などともからみ︑きわめて多. 様な見解がしめされている︒秋北バス事件の少数意見がいわゆる契約説により︑多数意見がいわゆる法規説に立つ︑. など︒こうした見解は︑それぞれ他の説にたいして︑採りえない短所をみているわけだろう︒そこで各説の検討に先. 立って︑いわばその検討の視点として︑就業規則論が満たすべきだと考えられる要請を︑念のため四点ばかり確認し ておこう︒. 第一は︑就業規則に関する具体的な法律規定との関係である︒労働基準法は︑a就業規則の遵守義務︵二条二項︶︑. b作成及び届出の義務︵八九条︶︑c作成・変更手続きにおける意見聴取義務︵九〇条︶︑d監督署の変更命令︵九二条. 二七. 二項︶︑e労働契約との関係での就業規則の効力︵九三条︶︑f周知義務︵一〇六条︶︑その他を定めているが︑これらの 就業規則の 一 方 的 変 更 の 限 界 ︵ 佐 藤 ︶.

(6) 早法五七巻一号︵一九八一︶. 諸規定と調和する論理であることが必要だ︑ということである︒. 二八. 第二は︑法原理的要請である︒a法治国家において個人を拘束することが認められるのは︑法規︵ここでは制定. 法︑慣習法その他国家によって規範的効力を認められるものをいう︶か契約である︒したがって︑労働契約により決. 定された内容の変更は︑契約︵両当事者の自由意思による合意︶か︑そうでなければ法規によらなければならない︒. b労基法二条一項は︑この自由な合意の原理をさらに実質化して︑﹁労働条件は︑労働者と使用者が︑対等の立場に. おいて決定すべきものである﹂と規定する︒就業規則の効力論は︑これらの基本的法原理との関連をも︑合理的に説 明でぎるものでなければならない︒. 第三に︑その就業規則論による法的処理の結果が︑具体的妥当性をもつことである︒もちろん︑その一方的変更の. 場合になにが妥当な結果かは︑見解の対立するところである︒その検討はのちにゆずって︑ここでは一応︑つぎの三. つの観点をあげておく︒それらが対立する場合に︑そのどれを優先させるか︑あるいはバランスをとるのか︑といっ たことも問題であろう︒. a保護法理念︒労働条件が使用者の一方的な意思によって切下げられることは︑就業規則について定める労基法の. 保護法理念からみて︑結論的に︑いかにもおかしいと思われる︒それはまた︑対等決定の原理からの結論でもあろ. う︒そしてこれは︑最高裁少数意見の立場であり︑また多数意見の基本原則の立場でもある︒. b労働条件の画一的決定︒同じ職場の労働者の労働条件が︑ばらばらでは困る︒それは︑労働条件の不当な差別を. 許さないというかぎりでは労働者の人権上の要請でありうるが︑他面では︑労働条件の﹁統一的かつ画一的な決定﹂.

(7) という﹁経営上の要請﹂でもある︒この後者の点は︑秋北バス多数意見が例外的に一方的変更を認める上で︑重視さ れたところである︒. c就業規則変更の経営上の要請︒これは多数意見において明言されているわけではないが︑当該変更が﹁信義則違. 反ないし権利濫用と認めることもできない﹂といっているところから︑前提として考慮され︑bの画一的決定の要請 と結びついて︑その例外を許容する論理を規定したとみられるであろう︒. 第四に︑就業規則論は︑右にのべたところとも関連するが︑就業規則というものの現実の性質・機能をまげずにと. らえ︑それに即してその妥当な法的取扱いを論ずるものでなければならない︒そうでないかぎり︑一定の問題には妥. 最高裁少数意見ー契約説の検討. 当な解決をあたえる論理でも︑別の問題で不当な結果になるといったことも生じるからである︒. 三. 就業規則の法律的性質に関する諸説を契約説と法規説に大別するならば︑秋北.ハス事件の最高裁の少数意見は︑契. 約説に属している︒つまり︑就業規則の法的性質は契約条項であり︑契約としての効力をもつという立場での理論構. 成であって︑具体的には︑就業規則が一方的に変更されることは認めるが︑その拘束力が︑反対している労働者にま で及ぶことを否定する論理となる︒. 契約説も細部でまたさまざまに分かれるが︑就業規則の一方的変更の場合︑その拘束力が変更に合意しない労働者. 二九. に及ぶことを否定する点では︑ほとんど一致している︒この点を︑横田・大隅意見はつぎのようにのべている︒ 就業規則の一方的変更の限界︵佐藤︶.

(8) 早法五七巻一号︵一九八一︶. 三〇. ﹁就業規則と労働契約の関係を考えるに︑就業規則は︑これに基づいて個々の労働者との間に労働契約が締結され. ることを予定して使用者が作成する規範であって︑そのままでは一種の社会規範の域を出ないものであるが︑これ. に基づいて労働契約が締結されてきたというわが国の古くからの労働慣行に照らせば︑使用者としてはこれに基づ. く労働契約の締結に強い期待をかけることができるのであり︑基準法が就業規則の作成︑変更に当り労働者側の意. 見を聴くべきものとしている︵九〇条︶のも︑これに基づいて労働契約が締結される蓋然性を打診させるためのもの と解することができる︒. そして︑前述の労働慣行は単なる事実たる慣行に過ぎないものであり︑法たる効力を有するに至ったものとはと. うてい認められないので︑法律的にこれを観れば︑社会規範たる就業規則は労働者の合意によってはじめて法規範. 的効力を有するに至るものと解するのが相当である︒﹂﹁就業規則の変更について労働者に異議があると認められる. 場合には︑使用者は︑異議のある労働者に対してはその変更をもって対抗しえないものといわなければならない︒﹂. 右の論理のうち︑﹁就業規則は労働者の合意によってはじめて法規範的効力を有するに至る﹂という部分は︑不可. 解である︒契約と異なり法規範的効力というのは︑通常は合意によらずに個人を拘束する効力のはずである︒むしろ. ここでいう﹁法規範的効力﹂とは︑就業規則に基づいて労働契約が締結される結果︑労働者がその具体的内容を知ら. ない場合でもこれに拘束される−契約内容としてーというほどの意昧で︑正確には﹁法的拘束力﹂とでもいうべ. きものではなかろうか︒そして︑そのように解するならば︑この見解はそれとして論理的に一貫し︑反対している労. 働者が合意によらずして労働条件を切下げられることはない︑という要請を満たすことができよう︒.

(9) もっとも︑契約説の枠内でも︑就業規則の変更に異議のある労働者をも拘束する︑という論理も可能である︒それ. はかつて昭和電工控訴事件︵東京高判昭二九・八去二労民五巻五号四七九頁︶のとったところであり︑. ﹁労働者は:⁝予め使用者が一般的に定めて提示する就業規則を一括して受諾し︑その就業規則に定めるとおり. の︑しかして使用者が企業運営の必要に基き就業規則︵それ自体本来固定的なものでない︶を合理的に変更する場. 合にはこれによって変更されるとおりの労働条件に従って就労すべき旨︑換言すれば使用者側で定めるとおりの賃. 金その他の労働条件を以て労働力を売り渡す旨を︑明示若しくは黙示的に合意するのが一般の事例であって︑その. 結果就業規則に定める労働条件は労働契約の内容をなし︑就業規則にして変更されるときは労働契約の内容も亦従. って当然に変更を受けることになる︒すべてこれ労働契約における当事者の合意に基礎を置くのである︒それ故就. 業規則の変更が労働基準法所定の手続を践んでなされた場合でも︑それが労働条件に関する限り改めて個々の労働. 者の承諾を得ない以上無効︵不承諾の者に対して相対的に︶であるとか︑これに同意せざる労働者の労働条件を左. 右する効力を有しないというが如きは︑労働契約において特にその点につき反対の意思を表明した例外的の︵実際 上は稀有な︶場合の外は︑到底肯認することができない︒﹂. とする構成である︒しかしこの契約説u締結時合意説とでもいうべきものは︑契約という論理の形式で︑実質的には. 使用者の一方的意思の貫徹を是認するものである︒それは︑労使対等の立場での労働条件の決定という基本原理︵労. 三一. 基法二条一項︶にあまりにも背いているのが明白であり︑今日ではもはや支持する者のない説だといってよいだろう︒ 本稿でも︑この論理はこれ以上は問題外とする︒ 就業規則の一方的変更の限界︵佐藤︶.

(10) 早法五七巻一号︵一九八一︶. 三二. だがこの点をのぞいても契約説には︑労基法の条文の規定上も他に困難がある︒契約説のように︑就業規則の一方. 的変更自体は︑九〇条の手続きによって自由にでき︑ただ︑それは変更に同意しない労働者を拘束しないだけだとす. ると︑﹁労働者及び使用者は︑労働協約︑就業規則︑及び労働契約を遵守し︑誠実に各々その義務を履行しなければ. ならない﹂︵二条二項︶という規定との関連は︑どうなるのだろうか︑この点は後述するが︑労基法が就業規則に︑労. 働契約とならぶ別個の存在として一定の効力を認めていることは否定できない︒そしてこのことは︑就業規則の効力 を定めた九三条からも明らかである︒. しかし︑それにもまして契約説にとっての決定的な難点は︑就業規則の現実的機能との関連で︵要請四︶︑労使対. 等決定の原理︵要請二b︶がその実質を失う場合が多く生ずるということである︒すなわち︑一方的変更に対して労. 働者が明確に反対を続けている場合には︑契約説はその条項の適用をまぬがれさせることができる︒しかし︑その変. 更に不満があっても事実上それが個々の労働者に押しつけられるという事態に対しては︑法の規律する範囲外の事項 として放任し︑そして暗黙の合意という形式でそれを法認する結果となるだろう︒. たとえば︑契約説に立つ色川意見みずから︑労基法九三条の立法趣旨として︑つぎの点を指摘している︒. ﹁就業規則は使用者が一方的に作成︑変更するものであって︑労働協約とは趣を異にし︑その内容は必ずしも労働. 者の利益に即するものではないが︑時として使用者は︑その優越した立場の故に︑就業規則所定の線にさえ達しな. い低い労働条件を︑個々の労働者に押しつけることがないともいえないので︑かかる場合︑弱者たる労働者を保護 するために︑特に設けられたものと解せられるのである︒﹂.

(11) 右のように︑使用者は個々の労働者に対しては︑その優越した立場のゆえに︑就業規則以下の条件さえ押しつける. 可能性がある︒そうだとすれば︑就業規則の変更に同意を押しつけるということについても︑また同様だといわなけ ヤ. ヤ. ればならない︒労組法一条一項は︑﹁労働者が使用者との交渉において対等の立場に立つことを促進する﹂ために団. 結権の擁護等をうたっている︒労働者個人の同意を要件とするだけでは︑対等決定の要請を満たすことにならないの. である︒そして︑この点を考慮するとき︑合意の有無にかかわらず労働者を事実上拘束する就業規則それ自身の存在. 多数意見−法規説と合理性原則. をとらえた上で法律論を構成する︑いわゆる法規説に近づくことになる︒. 四. いわゆる法規説は︑就業規則が契約としてのそれではなく︑一種の法規範的性質と効力を有するとみる基調に立っ. て︑論理を展開する︒ただし︑その根拠や効力の範囲等については︑法規説のなかでまた見解がわかれることにな る︒. まず︑秋北バス多数意見についてみると︑この見解は就業規則の﹁法的規範性﹂を認めた上で︑その一方的変更に. かかわる結論としては︑前述のように︑﹁労働者に不利益な労働条件を一方的に課することは︑原則として︑許され. ない﹂と明言した︒ただ︑それにもかかわらず︑その例外を許容する点に問題があったのであるが︑さらにその前提. としてのべられた就業規則の性質と効力にかんする論理構成は︑少数意見をはじめ多くの学説の批判を浴びたよう. 三三. に︑難解であり︑むしろ﹁理由に齪齪ある﹂︵民訴法三九五条一項六号︶とさえ思われるほどのものである︒それは︑つ 就業規則の一方的変更の限界︵佐藤︶.

(12) 早法五七巻一号︵一九八一︶ ぎのようにいう︒. 三四. ﹁元来︑﹃労働条件は︑労働者と使用者が︑対等の立場において決定すべぎものである﹄︵労働基準法二条一項︶が︑. 多数の労働者を使用する近代企業においては︑労働条件は︑経営上の要請に基づき︑統一的かつ画一的に決定され︑. 労働者は︑経営主体が定める契約内容の定型に従って︑附従的に契約を締結せざるを得ない立場に立たされるのが. 実情であり︑この労働条件を定型的に定めた就業規則は︑一種の社会的規範としての性質を有するだけでなく︑そ. れが合理的な労働条件を定めているものであるかぎり︑経営主体と労働者との間の労働条件は︑その就業規則によ. るという事実たる慣習が成立しているものとして︑その法的規範性が認められるに至っている︵民法九二条参照︶も のということができる︒. そして︑労働基準法は︑右のような実態を前提として︑後見的監督的立場に立って︑就業規則に関する規制と監. 督に関する定めをしているのである︒すなわち︑同法は︑一定数の労働者を使用する使用者に対して︑就業規則の. 作成を義務づける︵八九条︶とともに︑就業規則の作成・変更にあたり︑労働者の意見を聴き︑その意見書を添付し. て所轄行政庁に就業規則を届け出で︵九〇条参照︶︑かつ︑労働者に周知させる方法を講ずる︵一〇六条一項︑なお︑一. 五条参照︶義務を課し︑制裁規定の内容についても一定の制限を設け︵九一条参照︶︑しかも︑就業規則は︑法令又は. 当該事業場について適用される労働協約に反してはならず︑行政庁は法令又は労働協約に抵触する就業規則の変更. を命ずることができる︵九二条︶ものとしているのである︒これらの定めは︑いずれも︑社会的規範たるにとどま. らず︑法的規範として拘束力を有するに至っている就業規則の実態に鑑み︑その内容を合理的なものとするために.

(13) 必要な監督的規制にほかならない︒このように︑就業規則の合理性を保障するための措置を講じておればこそ︑同. 法は︑さらに進んで﹃就業規則で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は︑その部分については無効と. する︒この場合において無効となった部分は︑就業規則で定める基準による︒﹄ことを明らかにし︵九三条︶︑就業 規則のいわゆる直律的効力まで肯認しているのである︒. 右に説示したように︑就業規則は︑当該事業場内での社会的規範たるにとどまらず︑法的規範としての性質を認. められるに至っているものと解すべきであるから︑当該事業場の労働者は︑就業規則の存在および内容を現実に知. っていると否とにかかわらず︑また︑これに対して個別的に同意を与えたかどうかを問わず︑当然に︑その適用を 受けるものというべきである︒﹂. まず難解なのは︑﹁それが合理的な労働条件を定めているものであるかぎり︑経営主体と労働者との間の労働条件. は︑その就業規則によるという事実たる慣習が成立しているものとして︑その法的規範性が認められるに至っている. ︵民民九二条参照︶﹂という点である︒この点について︑たとえば色川意見は︑﹁事実たる慣習は︑契約を補完する作用. を有するにすぎず︑当事者がこれによる意思を有していたと認められたときに︑はじめて︑その慣習が法源となるに. とどまるものであって︵民法九二条︶︑契約当事者の意思如何にかかわらず︑これを規律する力を有するものではない﹂ と批判している︒. だが︑この点は少数意見にもみられた不正確な表現として補いながら読むと︑論理の筋としてはつぎのようになる. 三五. かも知れない︒すなわち︑一つの考え方として︑ここは﹁法的規範性﹂ではなく︑むしろ﹁法的拘束力﹂ないし現実 就業規則の 一 方 的 変 更 の 限 界 ︵ 佐 藤 ︶.

(14) 早法五七巻一号︵一九八一︶. ︑ ︑ ︑ ︑. ︑︑. ︑. ︑. ︑. 三六. ︑. ︑. ︑. ︑. ︑. の労働条件を規律するものとして﹁法的規範類似の性格﹂とでも読みかえて理解すべきであろう︒そうすると︑労働. ヤ. ヤ. 基準法は﹁さらに進んで⁝⁝︵九三条︶︑就業規則のいわゆる直律的効力まで肯認しているので⁝⁝法的規範としての. 性質を認められるに至っている﹂︵傍点筆者︶︒しかし︑労基法九三条は就業規則以下の低い条件をその規則の線まで. ひきあげる効力だけを規定するものなので︑つぎの段であらためて︑就業規則を既存の労働契約における条件よりも 低く変更する場合の効力を問題にする︑という論理の流れに連なってくるのである︒. さてこう考えると︑つぎにこの問題での多数意見の論理は︑就業規則は法的規範性をもつが︑その一方的変更によ. り労働条件を悪化させることは︑﹁原則として︑許されない﹂︒しかし︑﹁労働条件の集合的処理︑特にその統一的か. つ画一的決定を建前とする就業規則の性質から︑﹂その﹁条項が合理的なものであるかぎり﹂労働者を拘束するとい. うことであった︒このあたりの法的処理の抽象的枠組みは理解できるが︑どんな法的根拠からそうなるのかについて. は︑ほとんど﹁理由を付せず﹂︵民訴法三九五条一項六号︶と思われるほど説明が不足しており︑疑問が多い︒. すなわち︑﹁原則として︑許されない﹂という部分は︑判旨の最初のところで労基法二条一項の対等決定原理を引. いていることにより︑その根拠は明白である︒しかしなぜ例外が許されるのかについては︑﹁就業規則の性質から﹂. という以外に理由がなにも示されていない︒ただ︑その判断過程を推測してみると︑労基法に就業規則の変更手続き. が規定されていることとあわせて︑その変更の使用者にとっての必要性と労働条件の画一的決定ということを対等決. 定の法原理と比較衡量し︑﹁合理性﹂という規準をたてることにより︑原則−例外という関係で︑多数意見の諸裁判 ︵1︶ 官なりに法原理と事実上の必要性のバランスをとったということでもあろうか︒.

(15) さてそう考えると︑つぎのような疑間が生ずる︒第一に︑結果の妥当性と関連して︑一方的変更の必要性は︑例外. 的であれ︑対等決定の原理に譲歩を迫りうるほどの法的利益であるのか︑ということである︒第二に︑もしそうだと. した場合には︑ここにいう﹁合理的なもの﹂の内容をどうとらえれば︑判決の論理自体が合理的なものになりうるの. かが大きな問題である︒色川意見は︑﹁利害相反の鋭い対立を示している﹂労使関係においては︑﹁いわゆる経営の合. 理化は︑使用者の立場に立つ限り︑疑もなく﹃合理﹄性をもつが︑労働者にとって見れば︑不合理極まる一層の搾取. ヤ. ヤ. め. ヤ. ヤ. ヤ. なのである︒﹂と指摘していた︒前述の昭和電工控訴事件も︑﹁使用者が企業運営の必要に基づき就業規則︵それ自体. 本来固定的なものではない︶を合理的に変更する場合﹂︵傍点筆者︶にそれに従う旨の事前の合意があるということに. より︑名目は﹁業績賞与﹂だが毎期一か月分固定的に支払われていた給与の率を減少させることを承認し︑使用者の. 一方的支配を保障した︒裁判官が﹁これは合理的である﹂とさえいえば︑使用者の一方的意思が天下御免となるので. は︑労働者の人権はないにひとしい︒法の支配とも︑ほど遠い状態だといわなければならない︒. この間題の解決には︑もう一度前段に立ちかえって︑就業規則の現実の機能︑それに法が規範的効力を認める規範. 的根拠と︑したがってその限界の間題から吟味することが必要だと思う︒そしてこれについては︑労基法制定のはる. か以前の大正時代に︑すでに就業規則の社会的規範としての性格を指摘し︑その現実の性格に即して妥当な法的処理 の途をしめされた末弘博士の見解が︑まずかえりみられるべきだろう︒. む ヤ も この多数意見にたいする一つの見方として︑たとえばつぎのような批評もある︒﹁学者からずさんで雑炊的だと酷評され. 三七. る大法廷判旨は︑確かに批判通りの矛盾を含み法理論として粗雑であるが︑労働条件は労働者の合意なきかぎり絶対的に切. ︵1︶. 就業規則の一方的変更の限界︵佐藤︶.

(16) 1. 早法五七巻一号︵一九八一︶ む. も. ヤ. 三八. 下げ不可能となる︑という少数意見の帰結を現実的立場から緩和するところにその真意があるとすれば︑それなりに一定の. 末弘説と沼田説. 労働法の判例一二六頁︶︒. 立法政策に沿ったものといえるであろう﹂︵秋田成就﹁就業規則の改正と労働条件i秋北バス事件1﹂ジュリスト増刊. 五 効力判断規準としての公序良俗. 末弘博士は︑戦前︑工場法が就業規則の制定・変更になんら労働者の意見を反映させる途を認めることなく︑また. その効力についてなにも規定するところがないという法律状態のもとで︑つぎのような立法論と解釈論を展開され. た︒まずその立法論は︑就業規則の現実の機能を直視し︑契約説にたいする的確な批判でもあったので︑やや長文に わたって引用する︒. ﹁一工場内の就業規則が職工には何等の相談もなく単に工場主の独断に依り全然自己の都合だけを標準として制定. せられ︑又変更せられ︑而して新に雇ひ入れらるる者其内容を争ふの力なく︑又雇傭継続中に就業規則改正せらる. るも職工は之に抗議するだけの実力を持たぬ︒万事は凡て全く専制的に上から押しつけられ︑而かも職工には国民. の国家に対する場合の如き絶対服従の念がない︒どうしてか能く戴に問題が起らないのであろう︒不平の起るのは 勿論である︒. 蝕に於てか︑職工を保護すると云ふ人道的の方面から考へても︑叉工場の平和を期すると云ふ功利的の考察から.

(17) 云ふても︑就業規則に服従することが必ずしも職工にとって不平の種にならぬやう︑何とかして国家が之に干渉し. 監督せねばならない︒蓋し之を工場主の個人的好意にのみ一任しておくとぎは到底︑職工をして充分満足させるだ けの公正な就業規則の制定を期することが出来ないからである︒﹂. ︵一八○○年代の諸国の立法の要点を指摘したのち︶﹁就業規則の内容が如何に人道的であっても叉其内容が如何. に能く職工によって知られて居ても︑其制定が現在の如く主として工場主の専断する所であり︑従って其職工に対. する拘束力の基礎が職工の就業規則に与へられた承認i換言すれば之に依って成り立つ契約1に求めらるる限. り︑問題は永久に解決されない︒何となれば︑当事者が契約したるが故に拘束力ありと云ふものならば︑其契約が. 平等且公正に締結せられざる限り︑真に当事者を満足せしむることが出来ないからである︒而して経済的実力の差 等は常に職工をして公正且満足に契約を締結することを得しめないからである︒. 鼓に於てか正に出て来るべぎ新時代の立法は従来の個人主義的契約思想を棄てて全く新なる見地から問題を解決. せむとするものでなければなら澱︒其立法は一方に於ては工場主職工ー乃至労働組合iの隻方を全然平等の地. 位に立たしめ両々相共力して就業規則を制定せしむると同時に︑他方に於てこの規則を以て当該工場に於ける自治 ︵1︶. 的法律となし︑職工の之を服従するは法なるが故にして職工之を知りて契約せるが為めにあらずと云ふことにせね ばならぬ︒﹂. 三九. つぎに︑就業規則にたいして裁判所がどのような態度をとるべきかの当時の我が国の解釈論としては︑それが社会. 的規範に対する国家の価値判断の問題であり︑公序良俗を規準とすべきことを説かれていた︒ 就業規則の一方的変更の限界︵佐藤︶.

(18) 早法五七巻一号︵一九八一︶ ︵2︶. 四〇. ﹁就業規則は工場内の規律を定むるものであり︑而して工場の統制力−工場主−に依って其強行が確保せらる. る限り︑明かにその工場社会に於ける1社会的規範としての1法である︒﹂﹁けれども之が為め直に就業規則は. 国家の裁判所に対して当然に法源としての効力を有するものと論結することは出来ない︒何故なれば︑裁判所にと ︵3︶. って当然法源たるものは独り国家的規範あるのみである︒社会的規範−慣習法をも含むーは国家は之をωき?. 賦9することあれども必然に法源たるものではないからである︒﹂﹁従来の吾国に於ける如く︑就業規則に関して. 何等の国家的法規なき国に於ては︑それが単に工場内の社会的規範に過ぎずして国家的規範の一部をなすものにあ. らざることは明白である︒従って︑裁判所が其規範の拘束力に向って国家的ω碧&9を与へるや否やは裁判所の ︵4︶ 国家的価値判断に依って初めて定まるものと見ねばならぬ︒﹂﹁就業規則を以て工場社会に於ける社会的規範なりと. 考へる以上︑其拘束力を裁判上に確認するや否やの問題はー斯に一言したるが如く1同じ社会的規範の一種に. 過ぎない﹃慣習法﹄に向って国家的ωき&9を与ふべきや否やの標準を定めて居る法例第二条の精神を本として. 之と同様の態度を以て解決せらるべきであると考へる︒従って就業規則の内容が公序良俗に反するや否やは此問題. を解決するに付いての最も大切な標準であらねばならぬ︒而して︑当該就業規則の内容に拘東力を与へることが公. 序良俗に反せざるや否やの問題は一々具体的の工場及び規則に付いて具体的に考へられねばならぬが故に︑当該の. 規則は当該の経営上必要なりや適当なりや及び当該規則は大体に於て職工の承認する所なりや等の問題は右の価値 ︵6︶ 判断を為すに際して裁判所の必然に考へねばならぬ間題である︒﹂. こうした末弘博士の見解は︑就業規則の現実の性質︑作用をよくとらえ︑そしてこれに対してもっとも妥当公正な.

(19) 法律的取扱い方法を主張されるものであり︑十分に説得的だと考える︒博士がこの論文で念頭におかれた現実の間題. の一つは︑工場主の多数が就業規則の中に︑﹁極めて苛酷な罰則を設けて規律を職工に強制する︒その結果時には些 ︵6︶ 細の小過失に対してすら一目分の賃金を差引くが如き残酷な処置を執ることを辞しない﹂といった事態であった︒こ. れに対して博士は︑﹁労働者の受ける賃金は彼れの生活の為め必要欠くべからざるものである︒彼も人であり︑而し ︵7︶. て総ての人はとにかく生きて行くだけの権利がなくてはならぬ︒して見れば︑彼れの唯一の生活資料が全部乃至大部. 分奪ひ去らるることは︑到底あり得べからざる不正である﹂と断じ︑こうしたことが善良の風俗に反することを力説. した上で︑前述の立法論・解釈論を展開されたのである︒そしてこの賃金差引きの問題は︑現在︑労基法九一条によ って立法的に解決されたところである︒. こうして博士は︑従来の吾国のように﹁就業規則に関して何等の国家的法規なぎ国﹂における﹁裁判所の国家的価. 値判断﹂の﹁標準﹂として︑﹁公序良俗﹂をあげられた︒だから︑この博士の考え方からしても︑現在のように労基. 法という労働者保護立法により国家的価値判断が示されたときは︑公序良俗は一般条項としては残るが︑就業規則の. 効力等についてより具体的には︑労基法の規定やその精神を標準として判断すべきことになるだろう︒労基法はまさ. に前述のように︑就業規則を労働契約に解消されないものとしてとらえ︑国家的規律をあたえているのである︒そし. て今日において︑就業規則に法的効力をあたえる根拠が労基法九三条にあり︑そしてその一方的変更の効力について ︵8︶. 四一. も保護法の目的から判断されなければならぬと主張され︑この問題に最も有力な解答を示していると思われるのが︑ 沼田教授の見解である︒. 就業規則の一方的変更の限界︵佐藤︶.

(20) 2. 早法五七巻 一 号 ︵ 一 九 八 一 ︶. 労働基準法による価値判断︵保護法原理︶. ヤ. ヤ. 四二. 就業規則の一方的変更をめぐって︑沼田教授はつぎのようにいわれる︒ ヤ ヤ ﹁経営における社会規範として妥当している就業規則は︑保護法目的に照らして法的効力が認められているといわ. ねばなるまい︒すなわち︑就業規則の法的効力の根拠は規範論理的には保護法原理に存するものであり︑その根拠. を明記する実定法規はまさに労基法九三条にほかならないのである︒労基法九三条が孤立的にではなく︑労基法の. なかの一条として保護法の目的ないし原理を具体化するという意味をもって︑就業規則に法的効力を付与している ヤ. ヤ. のだ︑と解すべきものであろう︒してみれば︑就業規則の内容もその運営もまたその変更修正にしても︑保護法の. 目的や原理に矛盾するかぎり︑法的なサンクションをうけることができないと解するほかはあるまい︒保護法目的. に反するごとく改悪された就業規則i従来の経営内最低労働基準であったものを︑その下で働いていた労働者の ヤ. ヤ. 合意をも得ないでこれを改悪すること自体が労働保護の原理に反し︵労基法一条二項を参照︶ているのであるーを. 法認すべきでなく︑その法的効力も否定すべきであるということは︑右のごとく就業規則の法的効力の根拠を論定. したことの論理的な帰結にほかならない︒なるほど労基法九〇条は就業規則の作成のみならず変更についても従業. 員代表の意見を聴き︑反対意見をも付記して監督署に届け出るべき旨を規定するにすぎない︒だが条文は孤立的に. 解釈されるべきでなく︑規範的意味連関のなかで目的論的に解釈されるべきであり︑社会政策立法においてはわけ. てもそのような解釈態度が要請されているものだとすれば︑始源的な就業規則の作成ということの意義−作成は.

(21) ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヘ ヤ ヤ. ヤ. ヤ. 使用者に対して義務づけられたものであるーと︑作成され妥当している就業規則の変更ー使用者は変更の義務. か食弘噸み呑邸かいtということの意義の差異に呼応して︑保護法原理の実現されたりとするための法理に差異. を生ずるのは怪しむに足りないことである︒就業規則作成は労基法に違反しないこと︑に重点がおかれるだろう. が︑その変更となると︑労基法を理由としての既存の労働条件−経営の最低労働基準に支えられるところのー. ︵9︶ を低下させてはならない︵基一条二項︶という制限の面に重点がおかれるのは当然だと思われる︒﹂. ﹁労基法の労働憲章︵基二条一項︶に従えば労働条件は労使対等の立場で決定されるべきであり︑その原理が具体化. されるには協約あるいは協定をもって決定されるべきであるが︑かかる集団的合意による決定は︑労働組合の熟成. をまってはじめて真に労使対等決定の原則を実現するに足りるのである︒しかるにわが国の労働組合の現状におい. ては使用者の一方的に作成する就業規則に法的規制を加えることによって︑少なくも経営の最低基準を定立させ. ︵最低基準である保護法規の経営規範による具体化である︶︑そこを出発点として労使対等原理の︑より豊富でたし. かな実現に向かわせる必要がある︒かかる必要のための手段的ないし過渡的な意味でのみ就業規則法の労基法上の ヤ 位置が見いだされるはずである︒だから︑原則としては︑ひとたび法規範として成立した就業規則が妥当している. ときは︑保護法原理の真の実現に向かってのみ使用者の一方的変更が法認されうると考えざるをえない︒使用者が. 一方的に労働者の不利益になるように︑就業規則を変更することはできないのである︒不利益に変更するには労働. 者側の同意を求めるほかはない︒けだし︑労働者が団体を通じて表明する意思は特殊なばあい︵使用者の支配介入. 四三. がなされているようなばあい︶を除けば︑労働基準法そのものに反しないかぎり︑実質的に自由なる意思であると 就業規則の一方的変更の限界︵佐藤︶.

(22) 早法五七巻一号︵一九八一︶. 四四. みることが︑労働法の基本原理だからである︒したがって︑﹃既に既存の規準が存在していた場合は︑これを不利. 益に変更する意味の改正は同意のない限り無効である﹄︵野村平爾﹁就業規則の本質﹂﹃労働法律旬報﹄三五号︶︒無効で. あるというのは︑ただに改正以前の就業規則のもとに働いていた労働者に対して改正をもって対抗しえないという. のではなくて︑改正した規則はその存立をも否定される意味で無効なのであるから︑改正後新規に採用した労働者 ︵10︶ に対しても︑その労働条件の規準となるのではない︒﹂. こうして︑この沼田教授の見解によれば︑就業規則にたいし法規範的効力を認めた労基法九三条の保護法原理は︑. 同時に就業規則の変更に対して一定の限界を置く︒労働条件を切下げるような変更はー労働者側の同意がないかぎ. り1従前の規則のもとで働いていた労働者を拘束しないのはもちろんのこと︑その不利益変更自体が保護法目的に. 照らして認められない︑とされるのである︒契約説にとって難点であった︑就業規則の現実の性格に即した実質的な. 労使対等決定原理からの要請も︑これによって満たされるといってよい︵要請二a・b︑三a・b︑四︶︒. しかし他面︑この見解は︑条文の規定との関連で︵要請一︶︑疑念をよびだすことも事実であろう︒保護法原理とい. っても︑解釈論として︑その実現の仕方に条文の規定をはなれることはできない︒労基法九〇条一項が作成又は変. 更の手続きとして﹁意見を聴くこと﹂を規定しているのに︑不利益変更について同意を要件と解することができるの. ︵11︶. か︒労基法一条二項を重視することによりその結論をみちびきだす右の論理は︑この点の説明として十分であろう か︒. こうした批判を考慮しながら︑節をあらためて私見をのべよう︒沼田教授の見解とその結論および保護法原理とい.

(23) ︵1︶. 同書四一一頁︒. 同書三九七ー八頁︒. 末弘厳太郎・労働法研究三九一ー四頁︒. う基本的思考をほぼ同じくするが︑これをやや異なった観点から説明してみたいと思う︒. ︵3︶. ︵2︶. 同書四=二−四頁︒. 同書四二二頁︒. 同書三七六ー七頁︒. 同書三八二頁︒. ︵4︶. ︵6︶. ︵5︶. ︵7︶. 沼田教授の法源論は︑末弘博士のそれと異なる︒沼田教授によれば︑﹁今日の法律論においては︑法的確信にささえられ. ているという性格こそ︑社会規範を法規範たらしめる根拠であるとされるのであり︑裁判所もそのことを承認すべきだとい. ︵8︶. しかし︑﹁現在の. わなければならない﹂︵沼田稲次郎・就業規則論一一五頁︶︒そして︑使用者が一方的に決める就業規則は法的確信にささえ. られておらず︑したがって現在の法理に照らすとi労基法を度外視すればー法規範とは解しがたい︒. わが国の就業規則は法としての効力をもっているのである︒ただ︑それが法である根拠は法的確信にささえられた法的規範. いう立法目的︵社会正義の観点からその価値を肯認せられうるごとき法目的である︶から︑そのものとしては法規範性をも. であるからではなくて︑労働保護の目的から実定法が法的効力を法認するからにほかならない︒﹂﹁労働基準法は労働保護と. たないところの社会規範である就業規則に対して特に法的効力を法認しているのである︒労基法九三条がそれである︵基一. 一二〇頁︶と︒. ということは︑就業規則の法的効力が労基法の. 諸規定や原則に矛盾しないかぎり法認されていることにほかならない︒﹂︵同書一一九頁︑. 三条をも参照︶︒﹂﹁就業規則が労働基準法によって法規範性を法認された︑. この法源論は︑法の進化という観点から考えて︑きわめて示唆的だと思う︒しかし当面の問題にかぎっていえば︑沼田教. 授の﹁法的確信﹂と宋弘博士の﹁公序良俗﹂とは︑いわば実質と形式として︑解釈論上の論理構成においては類似の機能を. 四五. はたす︒ある社会規範が﹁法的確信にささえられていないから﹂法規範的効力を認められない︑ ということは︑﹁公序良俗 就業規則の一方的変更の限界︵佐藤︶.

(24) 早法五七巻一号︵一九八一︶. 四六. の一方的に定める就業規則は法的確信にささえられた社会規範ではない︑とされるのに対して︑宋弘博士は前述のように︑. に反するから﹂認められない︑とも構成されうるからである︒ただし︑その実質的内容についてみると︑沼田教授が使用者. ﹁当該就業規則の内容に拘束力を与へることが公序良俗に反せざるや否や﹂の価値判断をするには︑﹁当該規則は大体に於て. この実質的内容をどう考えるかは︑. 一つの問題である︒松岡教授は︑. つぎのようにいわれる︒﹁就業規則は︑日本の封建. 職工の承認する所なりや否や等の問題﹂を考えねばならぬ︑とされていたのである︒. 的な労使関係の現実からみると︑労働者にとっては絶対者として受けとられるばかりでなくそれ以下に切り下げられること. のない期待に着目しなくてはならない︒若しこの場合就業規則に法規範的性質を認めなければ︑使用者の絶対性だけが残. り︑それ以下の悪い待遇を受けないという救いがなくなる︒もし法的確信という言葉を使うなら︑日本の従来の労使の力関. 係を前提としたささやかな法的確信を見出すことができる︒﹂﹁だからその法的根拠は︑もとより︑経営の組織統制権に求め. から言えば︑就業規則を法規とみる法的確信を発見できる︒だから︑その段階においては︑就業規則の法的性質は︑労働基. うるべきではない︒むしろ︑使用者の専制的な経営の組織統制からの保障に求むべぎである︒﹂﹁労働基準法制定当時の正義. 準法によってはじめて与えられたものではなくその第九三条は︑実定法上の連絡をしたまでのことであると解すべきであ 七頁︑九九〇1一頁︶︒. る︒これは︑大体において︑末弘博士の気持と同じであると︑わたくしは思っている﹂︵松岡三郎・条解労働基準法下九八. 使用者が一方的に作成変更してもそれが直ちに労働者を拘束するという意味ではなく︵この点については次節参照︶︑就. は︑私も法的確信があったとする松岡教授の見解にしたがいたいと思う︒戦前︑工場法施行令等が就業規則についての監督. 業規則より低い労働契約の条件を︑就業規則の線まで引上げるという片面性を以て使用者を拘束する九三条の意味において. 的規定はおいたが︑その効力に関する規定のない時代においても︑裁判例に︑就業規則に定めた解雇手当につき︑﹁実質上. 本工に比すべきものを徒に臨時工なりと為し其の名に於て解雇手当の支給其の他の福利施設を拒否するは公平の精神にも反. し﹂︑﹁一且就業規則に解雇手当制度を定め之が支給を約したる以上該規定は強行性を有し成規の手続きを経て之を変更する. は格別制定者の専恣に依り之が適用を二︑三にし叉特約に依り其の効力を排除するは法律の許さざるところ﹂とするものが.

(25) みられるのである︵国産工業解雇手当請求控訴事件︑大阪地判昭一一・九・一七法律新聞四〇四四号四頁︶︒これを規定し. いずれにせよ︑﹁就業規則に関して︵労働基準法という︶国家的法規﹂が作られた現在の法律状態において. たのは公平の観念と︑就業規則を制定施行する使用者に対する︑いわば禁反言的な法感覚とも結びついた法的確信だろうと. は︑﹁法例二条の精神﹂からする論理構成の実務上の意味はすくない︒労基法によって示された﹁国家的価値判断﹂がまず. 思う︒しかし ︑. 沼田稲次郎・就業規則論一七七ー八頁︒. 裁判所を拘束するからである︒ ︵9︶ ︵10︶ 同書二二〇ー一頁︒ ち ヤ. も. ヤ. 沼田説にたいして︑たとえばつぎのような疑間がだされている︒﹁労働者保護の目的であれ労働者を拘束する法規である. 就業規則を一方的に作成する権限を認められている使用者が︑どうして一方的な不利益変更は許されないのか︒保護法目的. ︵n︶. こうした批判者にたいし本多教授は︑﹁保護法授権説﹂︵沼田説︶は﹁保護法の原理やその. の真の実現に向かっていない変更だからだーというのみでは根拠づけとしては不十分である︒﹂︵下井隆史﹁就業規則﹂恒 藤武二編論争 労 働 法 二 八 一 頁 ︶ ︒. 政策的理念に対する評価が前面に出ているため︑この評価に同調でぎず法の文理解釈にこだわる立場をとる者にとっては︑. 容易に受けいれがたい面を備えているかもしれない︒しかし︑私見によればまず︑就業規則の作成権限が使用者にあると考. 作成権能の国家法的限定. 十分な説得力に欠けることも事実であり︑さらに一段と理論を精密化する必要があろう︑といわれる︵本多淳亮﹃労働協約. えること自体正しくないと思う﹂とされる︒そして︑保護法授権説の基本的な構想に賛成されながら︑それが客観的にみて ・就業規則論﹄二二二ー五頁︶︒. 六 一方的変更の限界. 使用者は現実に労働者側の同意がなくとも就業規則を作成し︑実施している︒法律論はこの現実から出発し︵要請. 四七. 四︶︑目標として労使の合意による労働条件の決定︑しかも対等の立場でのそれ︵要請二a・b︶の実現に近づく必要 就業規則の一方的変更の限界︵佐藤︶.

(26) 早法五七巻一号︵一九八一︶. 四八. がある︒そして労基法の就業規則にかんする諸規定もまた︑こうしたことを通して労働条件を﹁労働者が人たるに値. する生活を営むための必要を充たすべきもの﹂︵一条一項︶に近づけようとする趣旨で制定されたはずであるし︑そ の趣旨で解釈︵要請一︶されなければならない︒. ところで労基法は︑使用者に就業規則の作成・届出・周知等を義務づけ︑作成・変更の手続きを定めている︒この. 点からみれば︑使用者はみずからの責任においてその義務を履行しえなければならぬ道理であり︑その意味では使用. 者に︑手続きにしたがってそれを作成・変更する権能が認められていると解されるはずである︒. それでは︑その義務履行のためにも必要な権能の︑法的根拠はどこにあるのか︒かつて最高裁は︑就業規則が﹁経 ︵1︶. 営権の作用として一方的に定めうるところ﹂︵三井造船玉野製作所事件︶だといった︒しかし︑今日の実定法上︑﹁経. 営権﹂という独自の権利は存在しない︒したがって︑この法体系に位置を占めるものであるかぎり︑﹁経営権といっ ︵2︶. た場合においても︑もし一体としての企業の所有権という考え方が許されるとすれば︑このような企業所有権を︑そ. の作用の面から呼んだ名称と考えていい﹂が︑そう考えた場合に︑﹁経営権の実体は︑生産要具や資材の所有権︑特. 許権︑実用新案権等の無体財産権︑時問内における労働力の処分をする権能までを含む各種の債権等と︑これらを統 ︵3︶ 合し行使してゆく権能を含んでいるのであるのであって︑その中心はやはり私所有権にあるといっていい﹂だろう︒. こうして︑もし﹁経営権﹂という言葉で使用者の経営に関連する物権︑債権等の具体的な権利の総体を総称するなら. ば︑たしかに︑就業規則の作成変更は経営権に基づくといってもよい︒また労基法の明文上︑作成・変更のさいには 労働者側の意見を聴けば足り︑その同意が要件となっていないのも事実である︒.

(27) しかし同時に︑そのようなものであるかぎり︑その﹁経営権﹂が所有権や債権等の内容以上のものを含むものでは. ありえないし︑したがってまた︑他のいかなる権利にも優越し︑どんな制約にも服さない︑といったようなものでは. ないことも明白である︒かつて末弘博士が公序良俗といわれたもの︑あるいは保護法原理というにせよ合理性という. にせよ︑とにかく一定の枠があり︑使用者の就業規則作成・変更の権能は︑その枠内でのみ︑適法な行使となりう. る︒現在ではそれはまず︑労基法の手続上︵九〇条︶︑内容上︵九一条︶の制約に服する︒さらに公序良俗︑信義誠実︑. 権利濫用の禁止といった一般条項の制約に服することも︑当然であろう︒. だが︑さらにそれは︑他の権利を侵害することが許されないのも当然であり︑関係する他人の権利︑つまり労働者 ︵4︶. ︵5︶. の権利によっても制約をうける︒そしてその権利は︑歴史的発展の過程にある︒野村教授が早くから指摘されていた. ように︑そして末弘博士がさらに古く工場法の時代にその流れを指摘し︑立法的に要望されていたように︑歴史的. に︑現行労基法の規定も︑実はこうした労働者の権利による制約としての労使の共同決定への流れの過程においてと. らえられるものであろう︒それでは︑この労働者の権利による制約は︑現在どのような形で存在するのか︒. 個別的な労働関係における労働者の権利は︑もちろん一般契約法上の権利を基礎とする︒だが前述のように︑現在. ではそれだけでなく︑さらに︑その平等な自由意思による合意をより実質化した︑労働保護法上の権利としても結実. している︒したがって︑使用者の就業規則作成権能にたいする制約も︑この二つの側面においてみていくことが必要. である︒まず︑労働者の契約法上の権利という点でいえば︑労働契約によって定められた労働条件が︑合意によらな. 四九. いで変えられることはないはずである︒ここから契約説は︑就業規則の一方的変更について︑それが合意により労働 就業規則の一方的変更の限界︵佐藤︶.

(28) 早法五七巻一号︵一九八一︶. 五〇. 契約の内容とならないかぎり︑労働者に対する拘束力をもたない︑と考えた︒このことは労働者の権利との関係でも. っとも基礎的な論理であり︑1一定の条件で労働協約という団結意思におきかえられる場合があるのを除いては︑. i結論として否定できない︒それでは︑就業規則の変更自体はどうなのか︒つまり︑規則の変更としては有効だ. が︑その拘束力が異議のある︵合意しない︶労働者に及ばないだけなのか︑それとも︑その変更自体が無効なのか︒. ここでは契約説は︑法的効力の視点からは︑就業規則に契約内容の類型としての意義しか認めず︑合意に先行する就. 業規則の変更は︑使用者による労働契約変更の申込みにすぎないから︑法定手続きにしたがえば自由になしうるとす るのである︒. しかし︑前述のように労基法二条二項は︑労働協約や労働契約とならんで︑就業規則の遵守︑義務の履行というこ. とを定めている︒実定法上就業規則は労基法九三条により︑就業規則に定める基準に達しない低位の労働契約条件を. ひきあげる効力をもつだけでなく︑それ以外の場合でも労働契約としてではなく︑それ自体一定の拘束力をもつもの. とされているのである︒契約説では︑この点の説明がつきかねる︒そしてこの点は︑現行労基法の諸規定が全体とし. て就業規則をどうみているか︑つまり労基法における﹁保護法原理﹂との関係をみなければ︑解決でぎないであろ う◎. そこで︑保護法上の労働者の権利との関連である︒労基法上︑使用者が九〇条の手続きを守って就業規則の作成変. 更をおこなうかぎり︑同法違反とはならず︑処罰されない︒しかし︑手続きを守っただけで︑それが直ちに有効と認. められるわけではない︒違反に対し罰則を以て使用者に監督を加える手続上の要件は︑免罰の要件であって︑有効の.

(29) ︵6︶. 必要十分条件ではないからである︒﹁一応基準法所定の手続きを経ておればそれだけですべての規定が直ちに効力が ︵7︶. あると考ごうべきではなくて︑就業規則の変更手続とその変更された規定の法律上の効力とは一応区別して考えてお く必要がある﹂︒. 一方的変更についていえば︑前述のように最少限労働者の契約法上の権利との関連でも︑変更された就業規則が︑. 合意しない労働者を拘束しないことはもちろんである︒だが︑間題はその法律上の拘束力ということだけではなかっ. た︒就業規則は法律以前に︑﹁社会的規範﹂︵多数意見︶ないし﹁事実上の契約規準﹂︵色川意見︶として︑労働者が. 個人では反対しづらいままに︑すくなくとも現実の作用として︑労働条件を規定する︒この作用に︑どのような﹁国. 家的価値判断﹂をするかが問題なのである︒もっとも︑その変更が労働者の有利になされる場合にはー団体交渉の. 拒否︑不当労働行為といった問題が起る場合を除いては1適法性に間題はない︒しかしそれは︑労働者の暗黙の承. 諾があるからという理由によってではない︒たとえば︑賃金規則について使用者が五パーセントアップの改訂をして. も︑労働者側は一〇パーセントを要求して︑五パーセント改訂に反対する場合もあるだろう︒それでもその改訂は︑. いわば使用者が労働者に権利をあたえるものであって︑労働者の契約上の権利を傷つけるものではなく︑またその実. 際上の作用も︑労働条件をともかく改善するものである︒労働者保護の観点からいえば︑この就業規則が労働条件を. 規律する社会規範としての作用は︑国家的に肯定されてよい︒それを確認し︑使用者をも法的に拘束することを明確. にしたのが︑労基法九三条である︒そしてたとえ改善の場合でも︑可能なかぎり労働者側の意思を反映させるのが︑. 五一. 対等決定に近づく途である︒だから九〇条は︑改善・改悪を問わず︑作成変更に過半数代表労働組合または過半数代 就業規則の一方的変更の限界︵佐藤︶.

(30) 早法五七巻一号︵一九八一︶. 五二. 表者の意見を聴かなければならないことにしたものと解される︒したがって︑労働条件改善の就業規則改訂は適法の. 枠内として︑使用者が手続きを守って自由になしうるところとされてよい︒その結果は︑九三条の明定する﹁就業規. 則の定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は無効とする︒この場合において︑無効となった部分は︑就業. 規則の定める基準による﹂という︑就業規則の最低基準としての規範的効力によって︑契約内容が引上げられる︒. これに反して︑前述の作用をもつ就業規則の︑すくなくとも過半数代表者の同意なしの一方的な不利益変更を有効. と認めることは︑たとえ法形式上は労働者個人の明示黙示の合意という形をとってであろうとも︑現実の作用とし. て︑労働条件の引下げにゆきついてしまう︒従来の労働条件という︑既に存する労働者の契約上の権利が︑対等決定. ではなくまさに一方的に︑不平等な経済的力を背景として事実上否定される結果となる︒労基法二条一項の精神から. 考えるかぎり︑たんに同意しない労働者を拘束しないというだけでなく︑そのような変更自体を適法とするわけには いかない︒. また︑他の規定との関連から考えてもそうである︒第一に労基法は︑この事実上の作用を重視する︒法律上は個人. を拘束しないというだけで︑放置しておいてよいものではない︒法令又は労働協約に反する就業規則についての監督. 署の変更命令︵九二条二項︶にしても︑当該就業規則の法律上の効力という点ではもともと無効であっても︵同条一. 項︶︑それが就業規則として存在することの︑事実上の作用を正すという意味をもつ︒第二に︑周知義務︵一〇六条﹈. 項︶と必要記載事項︵八九条︶との関係をみても︑就業規則は﹁始業及び終業の時刻︑休憩時間︑休日︑休暇並びに労. 働者を二組以上に分けて交替に就業させる場合においては就業時転換に関する事項﹂︵一号︶︑﹁賃金の決定︑計算及.

(31) び支払の方法︑賃金の締切及び支払の時期並びに昇給に関する事項﹂︵二号︶︑﹁退職に関する事項﹂︵三号︶など︑職. 場の具体的な労働条件を客観化︑明確化し︑労働者がそれによってみずからの具体的な労働条件の内容を確認しうる. ようにするものであろう︒これらの点からみると︑就業規則は法律上︑労働契約に対する最低基準の保障であるが ︵8︶ ︵九三条︶︑同時に原則的に︑現実の労働条件と一致して︵最高裁のいう︑統一的かつ画一的決定︶それを支えるもの. であり︑労働契約より低位の︑労働者に不利益な労働条件を規定してはならない︒そう考えてはじめて︑さぎ留保し. た︑労働者及び使用者が就業規則を﹁遵守しなければならない﹂とする二条二項も︑合理的に理解できるようにな. る︒つまり︑労働者が就業規則の改訂による契約内容の変更に同意せず︑したがって労働者を法律的に拘束できない 条項が︑原則として就業規則中に存在していてはならないのである︒. もう一度要約するならば︑つぎのようになる︒まず契約上の権利との関係では︑九三条の場合をのぞいて︑労働条. 件は労働契約によって定まる︒使用者は︑合意によらないで契約条件外に労働者を拘束することはできない︒ところ. が労基法によって使用者は︑就業規則作成を義務づけられている︒その就業規則は労働条件条項を含み︑労使双方を. 拘束する︒そして人は︑自己の有する権利以上のものを行使することはできない︒つまり︑使用者は就業規則作成義 ︵9︶. 務をはたすのに︑あらかじめ労働契約で労働者を拘束しうるものとされた条件の範囲内で︑就業規則にそれを具体化. し︑明確化することができ︑それを義務づけられている︒しかし︑その範囲をこえて就業規則を定めることはできな. い︑ということである︒たとえば︑もし労働契約で一日八時間一週四八時間労働とし︑例外として繁忙期の変則四八. 五三. 時間労働制を認めていたとするならば︑変則四八時間の範囲内で繁忙期の﹁始業及び終業の時刻﹂︵八九条一項一号︶ 就業規則の一方的変更の限界︵佐藤︶.

(32) 早法五七巻一号︵一九八一︶. 五四. を︑就業規則に定めなければならない︒変更の場合も同様に︑使用者が一方的にできるのは︑従前の労働契約に反せ. ず︑それによって許容されている範囲内にかぎられる︒その範囲をこえた場合には労働者を拘束しないだけでなく︑. 変更そのものが適法性を欠き︑無効である︒こう解してこそ︑契約法上の基本原理と矛盾することなく︑また対等決 定の保護法原理とも調和して︑その就業規則の遵守を求めることもできるのである︒. こうして︑就業規則の作成・屈出・周知の義務︑それにともなう作成変更の権能は︑使用者にある︒しかしその権. 能は︑行使のさいに他人の権利を侵害することが認められるはずはなく︑これに対抗する労働者の権利によって制約. をうけたものである︒就業規則に従前の契約内容︵その最低基準が就業規則︶以下の労働条件を定めるような一方的. 作成・変更は︑労働者を拘束しないだでけなく︑対等決定の原則に反してその適法な権能の枠外にあり︑無効だとい. わなければならない︒このように解することにより︑さきに検討の視点としてのべた︑労基法の諸規定︵要請一︶︑. ︵10︶. 法原理︵要請二︶︑就業規則の現実の性質・機能︵要請四︶に即するという要請を︑満たしうるのではないかと考え. る︒要請三の結果の妥当性という点については︑次節でタケダシステム事件高裁判決を検討するさいにのべる︒. ただし︑不利益変更であっても︑労基法が就業規則の作成変更のさいに﹁当該事業場に︑労働者の過半数で組織す. る労働組合がある場合においてはその労働組合︑労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の. 過半数を代表する者の意見を聴﹂︵九〇条一項︶くべきものとしていることからみて︑扁方的ではなく過半数労働組合. ︵11︶. または代表者の同意があれば︑一応︑対等決定の精神に反するものではないとして︑その変更自体は一応有効と認め. てよいだろう︒しかしその場合でも︑これに反対する労働者には︑拘束力を及ぼしえない︵労働者の契約法上の権利.

(33) との関係で相対的無効︶︒労基法九三条が規定するのも︑就業規則に達しない労働条件を定める労働契約を無効とす. る片面的効力であるし︑またその就業規則が変更に反対の労働者を拘束することは︑労働組合法一七条が労働協約の. 一般的拘束力につき四分の三以上の数の労働者への適用という要件を規定していることの対比からいっても︑おかし. い︒労働者に︑その意思に反して労働契約より不利益な労働条件をあたえるには︑組合員に対しては労働協約によ ︵12︶ り︑それ以外の労働者の場合はすくなくとも労組法一七条の要件を満たさなければならない︑ということである︒. それでは︑就業規則の一方的不利益変更は︑どのようなものでも全く不可能かといえば︑そうではない︒前述のよ. うに︑私見でその変更が適法の枠外となるのは︑それが実質的に労働条件を引下げる作用をはたし︑労働者の契約上. の権利を否定する結果になるからである︒そして契約内容の一方的変更について︑契約締結時になされる事前の全面. 同意が対等決定の精神に反し︑公序良俗にも反することは明らかだが︑状況の変化に対応する細部の実質的に軽微な. 変更は︑技術的な要請から使用者に任せたと解するのが合理的な場合もあろう︒次節であらためてふれるが︑その意. 味で︑タケダシスム事件高裁判決のいう︑﹁労働条件の統一的かつ画一的な処理のため︑たとえば︑賃金締切日が一. ヵ月二回であったのを一回とするような︑賃金計算方法の変更などは︑それが労使関係において合理的なものである. 五五. 限り許される余地もあろう﹂というのは︑労働契約における事前同意の︑合理的許容範囲内においては正しいと考え る︒. 野村平爾﹁経営権と労働者の権利﹂︵野村平爾著作集一巻︶一五一ー二頁︒. ︵1︶ 石井照久﹁就業規則論﹂︵私法八号︶二一頁︒. ︵2︶︵3︶. 就業規則の一 方 的 変 更 の 限 界 ︵ 佐 藤 ︶.

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