研究ノート
じ め に
・ルネサンスとイスラーム文化圏との関わりについては、古くかるものの、西洋美術史の文脈で語られることは従来、それほど多た。ピーター・バークは一九九九年に改訂され、二〇〇〇年に日版された『イタリア・ルネサンスの文化と社会』において、「ルイスラーム世界との相互影響については、アラブ医学やイスラー者レオ・アフリカヌス、またヴェネツィアとオスマン帝国との文する研究が公にされているとはいえ、いっそう不明瞭な状態であ域では、為すべき研究は多く残されている」と述べている (
どを手掛かりとして論じたものとして画期的なものである ( 、著名な西洋美術史家がヨーロッパとイスラームの関わりを視覚 ィングの『フィレンツェとバグダード―ルネサンス芸術とアラブ 況のなか、二〇〇八年に出版(英訳は二〇一一年)されたハン 。1)
ロッパにおけるオスマン朝文化の影響一四五三―一六九九年』 後も、この分野の研究は進展し続けており、最近では二〇一二 』が、これまでの研究をコンパクトにまとめたものとなってい 展覧会のカタログ『ヴェネツィアとイスラーム世界八二八― 三〇〇―一六〇〇年』と、二〇〇七年にメトロポリタン美術館 ックによる『バザールからピアッツァへ―イスラーム貿易とイタ の蓄積のある分野であり、近年では二〇〇二年に出版されたロザ スラーム美術史においては、イタリアとイスラーム美術との関わ 。2) が出版された (
。4)
近年の歴史学におけるグローバル・ヒストリーの潮流と軌を一にするように、美術史においても異文化間の交流に以前よりも注意が払われるようになってきたとはいえ、イスラーム美術史の研究者による成果が、西洋美術史を初めとする、関連する異分野の研究者に十分に認識されているとは言いがたいのが実情である。筆者はインドやイランのイスラーム美術を専門としており、イタリアとイスラーム美術の関わりを専門的に研究しているわけではないものの、こうした研究の現状を考えると、この分野のイスラーム美術史における研究の蓄積について紹介することにも一定の意味があると思われる。本稿では、一四世紀から一六世紀にかけて、イスラーム圏で作られた美術品とイタリアとの間に見られる密接な相互関係について、イスラーム美術史の先行研究をもとに、いくつかのメディアごとに考察する。最後に、両者の間に見られる密接な関わりが生まれた背景を考察する (
。5)
二 歴 史 的 背 景
イタリアとイスラーム圏のあいだに見られる初期の商業的・文化的なつながりを考えるうえで重要なのが、十字軍とモンゴルの進出である。一二世紀から一三世紀にかけて、十字軍が海路、あるいは陸路でアナトリアを経てレヴァント(東部地中海沿岸)へ到来するなかで、イタリア商人たちの活動は十字軍国家、ビザンティン、イスラーム圏を結びつけた。こうした商人や十字軍の兵士、あるいは巡礼者や旅行者によってイスラーム圏のすぐれた物品が少なからずヨーロッパにもたらされた。さらに、一二四〇年代から
一 四 世 紀 か ら 一 六 世 紀 に お け る イ タ リ ア と イスラーム美術 ―織物、 陶器、 装丁、 金工品、 ガラスを中心に
鎌田 由美子
早稲田大学高等研究所助教一三六〇年代にかけて、モンゴルがユーラシアの広大な地域を支配したことによって、一三四〇年代までヨーロッパの人々は、陸路で中央アジアを経て中国を訪れることが可能であり、またペルシア湾のホルムズを経由する海路を通じてもインドや中国に行くことができた (
。6)
一二五〇年に成立したマムルーク朝(一二五〇―一五一七年)は、エジプト、シリア、ヒジャーズの広い地域を支配し、一二九一年にアッコ(Acre)を陥落させて十字軍を追い出し、モンゴルとペルシア勢力の侵攻に抵抗した。明が海禁政策をとった一三七〇年代から、ポルトガルが喜望峰を回るルートを確立する一五〇〇年代初頭まで、ヨーロッパにもたらされるアジアの物産は主にマムルーク朝とヴェネツィア商人を通じてもたらされた (
いう ( 一五世紀後半のヴェネツィアでは、中国磁器やシリアの陶器が購入できたと 。7)
。8)
建築史を専門とするデボラ・ハワードはヴェネツィアの建築を分析し、イタリアの建築物にシリアやエジプト、さらに東方のイランの建築の要素が見られると指摘した。たとえば、ヴェネツィア総督公邸(ドゥカーレ宮殿、一三四一年施工開始、図一)の外壁最上部にある鋸歯状の棟飾りは、マムルーク朝カイロのモスクなどの建築物に頻繁に見られる同様の棟飾りに触発されたものと考えられ、また、外壁上部のタイル装飾による菱形文は、セルジューク朝やイル・ハーン朝の建築に特徴的なレンガやタイルによる壁面装飾を模倣した可能性が指摘されている (
一四六八―九六年)の紋章に類似したものが配置されている ( 法で飾られており、壁面にはマムルーク朝スルタン、カーイト・バイ(位 リア建築によく見られる、二種の色石を交互に用いるアブラクと呼ばれる方 ヴェネツィアからの使節を迎え入れており、細部を見ると、イーワーンはシ (図二)。そこでは、ダマスカス市街を背景に、マムルーク朝の高官たちが 一五一一年にヴェネツィアの逸名画家によって描かれた絵画から想像される 岸のイスラーム圏を訪れた様子は、現在ルーヴル美術館の所蔵する、 。イタリア人たちが東部地中海沿9)
。10)
イタリアにとってオスマン朝(一二九九―一九二二年)は脅威であり、両者の関係には敵対的な時期と友好的な時期があった (
(位一四五三―七八年)と外交関係を強化しようとした。そのころ、アク・ 支配していたアク・コユンル朝(一三七八―一五〇八年)のウズン・ハサン 直面して、ヴェネツィアは一四六〇年代初めに、イランとアナトリア東部を コンスタンティノープルがオスマン朝のもとに陥落した。彼らの勢力拡大に 。一四五三年には、11)
図1 ドゥカーレ宮殿
Source: File from Wikimedia Commons 図2 ヴェネツィア派の画家「ダマスカスを訪れたヴェネツィア使節の歓迎」1511年、ルーヴル美術館(Inv. 100)
© RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Thierry Le Mage / distributed by AMF
コユンル朝の首都タブリーズには、イタリア各地から来た職人たちが存在していたことがヴェネツィア人によって報告されている (
。12)
長年にわたる戦争後、一四七九年にヴェネツィアとトルコの間で和平条約が結ばれると、ヨーロッパの芸術にも関心を持っていたメフメト二世(位一四五一―八一年)は、自らの宮廷にヴェネツィア派の画家ジェンティーレ・ベリーニを呼び寄せた (
一四八〇年に描いたものである(図三) ( にあるメフメト二世の肖像画は、オスマン朝宮廷を訪れたベリーニが 。現在、ロンドンのナショナル・ギャラリー13)
が、イタリアだけでなくトルコでも制作されており ( 。この肖像画に影響を受けた絵画14)
を滅ぼすと、エジプトとシリアもオスマン朝の領土となった。 ン朝の密接な関係を象徴している。一五一七年にオスマン朝がマムルーク朝 、イタリアとオスマ15)
以上のような歴史的背景のもとで、イスラーム圏で作られたさまざまな物産や美術品がイタリアにもたらされた。それらに、イタリアの人々がどう反応したのか、織物と絨毯、陶器、装丁、金工品、ガラス製品を例に具体的に考察する。
三 イ ス ラ ー ム 圏 と イ タ リ ア の 間 に 流 通 し た 美 術 品 ・ 工 芸 品
三・一 織物と絨毯 織物はイタリアの工芸品のなかでは最も早く高い水準に達したとされ、その発展に中国や、中央アジア、イラン、シリアなどのイスラーム圏で生産された織物が寄与したことが指摘されている (
海東部に輸出されるようになっていたものの ( 産業がルッカやヴェネツィア、ジェノヴァで発達し、製品がスペインや地中 。一三〇〇年までには絹織物16)
銘文にはアラビア語で「賢者、スルタン」などと織り込まれている ( は、一四世紀にエジプトまたはシリアで織られた布を仕立てたもので、布の リューベックの美術館にある、ダルマティカ(カトリックの法衣の一種) ことはイタリアだけでなく、ヨーロッパ各地で見られる。たとえば、現在 トやシリア、トルコ、ペルシアなどで織られた布を、典礼用の服に仕立てる からもたらされる織物に常に価値を認め、さまざまな用途に用いた。エジプ 、イタリアはイスラーム圏17)
。18)
また、よく知られているように、一四世紀から一五世紀のイタリアの宗教絵画には、衣服や光背に偽アラビア文字文が描きこまれているものがある。たとえば、一四二二年にジェンティーレ・ダ・ファブリアーノによって描かれ
図3 ジェンティーレ・ベリーニ「スルタン・メフメト2 世 の肖像」1480年、ロンドン・ナショナル・ギャラリー
(NG 3099)©The National Gallery, London 図4 ジェンティーレ・ベリーニ「玉座の聖母子」1480年
頃、 ロ ン ド ン・ ナ シ ョ ナ ル・ ギ ャ ラ リ ー(NG 3911)©The National Gallery, London
た聖母子像では、マリアの丸い光背の縁を、アラビア文字を模したような文字が飾っている (
イタリア人の画家たちが模倣して絵画に取り入れたものと考えられる ( アラビア文字文は、イスラーム圏から輸入された工芸品のアラビア語銘文を、 には、アラビア語の銘文が装飾的に入れられていることが多く、こうした偽 。シリアやエジプトで作られた金工品や織物などの工芸品19)
。20)
イスラーム圏では、ティラーズと呼ばれる銘文入りの布が、各王朝の宮廷工房で織られ、外交的な贈答品や役人たちへの下賜品として使われる慣習があった。マックは、こうした偽アラビア文字文が描かれるのがキリストやマリア、その他の聖人の衣服や身の回りに限定されていることに注目し、イタリアの画家たちは、ティラーズがイスラーム圏のエリートたちによってのみ使用された、特別な価値を持つ布であることを踏まえたうえで描いたのではないかと指摘した (
偽アラビア文字文で飾ったのであろう。 品に高い価値を見出し、それゆえに、宗教的な画題に描かれる人物や場面を トやトルコ、さらに東方のイスラーム圏からもたらされた織物や絨毯、工芸 を認識できていたのかは不明だが、いずれにしても、当時の人々が、エジプ 。当時のイタリアの画家たちがティラーズの意味合い21)
もともと、絨毯生産の伝統がなかったヨーロッパの人々にとって、トルコやエジプトで織られた、色鮮やかで、細かなデザインの絨毯は憧れの存在であり、教会勢力や王族などの特権階級と、豪商などの富裕層によって熱心に集められた (
ア産の絨毯が非常に細かく描写されている(図四) ( ティーレ・ベリーニよって描かれた聖母子像の足元には、同時代のアナトリ ロンドンのナショナル・ギャラリーの所蔵する、一四八〇年頃にジェン た絨毯は、一五世紀から一六世紀の絵画に頻繁に描かれている。たとえば、 。そのようにしてイスラーム圏からヨーロッパにもたらされ22)
画家による一五〇〇年ごろの絵画「聖ジルのミサ」に描かれるように ( 。パリで活躍した逸名23)
るなど、ステイタス・シンボルの役割も果たした ( 画のなかに、トルコなどからもたらされた絨毯を誇示するかのように描かせ と考えられる。さらに、教会の有力者をはじめ、王族や豪商は、自らの肖像 そうした絨毯は祭壇付近など、教会のなかの重要な場所で実際に使用された 、24)
干に掛けられたマムルーク朝絨毯の側に描かれている ( ティネンゴ宮殿の壁画には、マルティネンゴ家の女性たちがバルコニーの欄 ルーク朝の絨毯も人気となり、一六世紀前半に描かれたブレーシャのマル 。一六世紀にはマム25)
毯もイタリアにもたらされており、現在もヴェネツィアのサン・マルコ寺院 。ペルシア産の絨26) ツィアに贈ったものである ( に残るペルシア絨毯は、サファヴィー朝の使節が外交上の贈物としてヴェネ
。27)
イタリアは、トルコやエジプト、ペルシアで織られた絨毯に匹敵するような絨毯を生産することはできなかったが、織物に関しては輸入品を凌ぐほどの発展を見せた。その発展を如実に示すのが、イタリアの教会で使われたコープ(大外衣)や、オスマン朝宮廷のカフタンに用いられた織物である。たとえば、ヴェネツィアのサンタ・マリア・フラーリ教会に現存するコープは、一五世紀にトルコのブルサで作られた絹のヴェルヴェットをヴェネツィアで裁断し、仕立てたものと考えられている (
五)、それらが逆にトルコに輸出されるようになり ( 以降に、イタリアで質の高いヴェルヴェットが生産されるようになると(図 。ところが、一五世紀半ば28)
た ( は、カフタンにヴェネツィア製のヴェルヴェットが用いられるようになっ 、オスマン朝宮廷で29)
ヴェットをトルコでカフタンに仕立てたものが現存している ( 。実際に、トプカプ宮殿には、一六世紀にイタリアで作られたヴェル30)
入れるなど、相互に密接な関係が見られた。 ようになると、今度はトルコでイタリア産ヴェルヴェットのデザインを取り 模倣していたものの、イタリアでの生産が盛んになり、トルコに輸出される のヴェルヴェットは、当初はトルコで作られたヴェルヴェットのデザインを 。イタリア31)
三・二 陶器 イスラーム圏で作られた陶器には、鮮やかな色合いで絵付けをしたものや、金属的な輝きを持つラスター彩など、さまざまなタイプがあり、中国陶器への憧れを反映しつつ、独自の発展を遂げていった。そうしたイスラーム陶器がイタリアの陶器の発展に大きな影響を与えたことはよく知られている。イタリアの人々がイスラーム陶器を高く評価していたことは、一〇世紀終わりから一四世紀初めにかけて、イタリアの教会の正面や塔の部分の装飾として、イスラーム圏からもたらされた陶器をはめ込んでいたことからもうかがわれる (
イタリアにもたらされていたことが明らかである ( 。史料からも、イスラーム圏で作られた陶器が一三世紀には32)
。33)
そうした輸入陶器に対する高い評価がうかがわれるのが、アルバレロと呼ばれる壺である(図
六) (
アにもたらされると、壺そのものに価値が見出された。ヴェネツィア、リド な物質を貯蔵する目的のためにイスラーム圏で日常的に使われたが、イタリ 。アルバレロは、もともとは薬品ほか、さまざま34)
図5 ヴェルヴェット、イタリア(ヴェネツィア)、15 世紀 後半、メトロポリタン美術館
The Metropolitan Museum of Art, Rogers Fund, 1912 (12.49.8) Image ©The Metropolitan Museum of Art
図6 アルバレロ、シリア、12−13世紀、メトロポリタン美術館
The Metropolitan Museum of Art, H.O. Havemeyer Collection, Gift of Horace Havemeyer, 1948 (48.113.12) Image © The Metropolitan Museum of Art
図7 アルバレロ、イタリア、1480−1500年頃、メトロポリタン美術館 The Metropolitan Museum of Art, Robert Lehman Collection,
1975 (1975.1.1116) Image © The Metropolitan Museum of Art
図8 皿、トルコ(イズニク)、16−17世紀、大英博物館(G. 142)
© Trustees of the British Museum 図9 皿、イタリア(ヴェネツィア)、1629 年、大英博物館 (1997,
0402.1)© Trustees of the British Museum
図10 装丁、イラン、16世紀、メトロポリタン美術館
The Metropolitan Museum of Art, Rogers Fund, 1956 (56.222) Image © The Metropolitan Museum of Art 図11 装丁、ヴェネツィア、1520 − 30 年頃、チャッツワース・
コ レ ク シ ョ ン ©Devonshire Collection, Chatsworth.
Reproduced by permission of Chatsworth Settlement Trustees
島のサン・ニコロ教会に伝わる聖遺物入れは、一四世紀にシリアで作られたアルバレロを転用したもので、シリア産の陶器への高い評価がうかがわれる (
イタリアで作られるようになった(図七) ( 。その後、一五世紀以降には、シリア製のアルバレロを模した陶器が35)
。36)
一三世紀後半から一四世紀初めに、スペインのイスラーム王朝で作られた陶器が貿易によって各地に流通すると、それを模倣したものが一四世紀後半から一五世紀初め以降にイタリアで作られた (
ルコでは大きな成功を収めたという ( たイタリア陶器はエジプトやシリアではあまり人気がなかったようだが、ト 。マックによれば、そうし37)
ト赤」といわれる鮮やかな赤色を表現するには至っていない(図九) ( 花を散りばめたデザインを模しているものの、イズニク陶器が誇った「トマ 一六二九年にヴェネツィアで作られた皿は、イズニク陶器の皿に典型的な、 たちのなかには、それを模倣するものも登場した。大英博物館の所蔵する、 ニクにおいて優れた陶器が作られるようになると(図八)、イタリアの陶工 。その後、一六世紀にトルコのイズ38)
インや技法を摂取しながら、独自の陶器を作っていったのである。 のように、イタリアの陶工たちはシリアやスペイン、トルコの陶器からデザ 。こ39)
三・三 装丁 イスラーム圏で作られた装丁も、イタリアの職人たちに影響を与えた (
一〇) ( 中央にメダイヨンを置き、四隅にその四分の一を配するものである(図 た。イラン、トルコ、エジプトの装丁に共通する最も一般的なデザインは、 ラッカーを塗って華やかに飾ったものなど、さまざまなタイプのものがあっ 丁を施すことが多く、そうした装丁には、革に押し型で装飾したものや、 イスラーム圏では、コーランをはじめ、科学書や文学作品の写本に豪華な装 。40)
ションに残っている ( の憧れでもあり、現在でもヴェネツィアをはじめとする多くの欧米のコレク 。イスラーム圏で発展した優雅で豪華な装丁は、ヨーロッパの人々41)
ツィアで作られた革細工の装丁(図一一)は ( のチャッツワース・コレクションに所蔵されている、一六世紀初めにヴェネ 装丁にはイスラーム写本の装丁を踏襲したものがある。たとえば、イギリス 。そうした憧れを反映して、一六世紀のイタリアの42)
作られた装丁と類似しており ( 、サファヴィー朝イランで43)
ネツィアで作られたメダイヨン・デザインの装丁にはラッカーが施されてい かである。また、シカゴのニューベリー図書館にある、一五七〇年頃にヴェ 、そうしたものを模倣していることが明ら44)
図12 箱、イタリア(ヴェネツィア)、1570−90年頃、メトロポリタン美術館 The Metropolitan Museum of Art, Rogers Fund, 1957 (57.25a, b)
Image © The Metropolitan Museum of Art 図13 手桶、おそらくエジプトかシリア、14 世紀後半−
15 世 紀 初 め、 ベ ル リ ン・ イ ス ラ ー ム 美 術 館
(B.72)©Museum für Islamische Kunst, Berlin
るが (
塗の装丁などを挙げることができる ( は、たとえば、トプカプ宮殿にある一四九二年にイランで作られたラッカー こうしたイタリアで作られたラッカーの塗られた装丁のプロトタイプとして 、これもイスラーム圏で作られる装丁に良く見られるものであり、45)
。46)
イタリアの職人はトルコやペルシア、エジプトで作られた装丁を模倣するにとどまらず、そこから取り入れたデザインと技法をほかの工芸品にも応用した。たとえば、メトロポリタン美術館の所蔵する、一六世紀末期にヴェネツィアで作られたラッカー塗りの箱は、一見するとイスラームの工芸品とは無関係に見えるが、よく見るとイスラーム圏の装丁とまったく同じデザインのパネルを各側面にはめ込んでいることに気付く(図一二) (
ラーム圏の作例との密接な関わりが見られる。 に、一六世紀のイタリアの装丁や工芸品には、デザインや技法の面でイス 。このよう47)
三・四 金工品 イスラーム圏では様々な工芸品が発達したが、金工品もその一つである。ヨーロッパの人々は、高度に洗練されたイスラーム圏の金工品に見られる技法的な卓越や多様なデザインに魅了され、交易の発達や十字軍、巡礼者、旅行者などの移動にともない、シリアやエジプト、トルコ、イランなどで作られた金工品がヨーロッパにもたらされた。そのなかには、イスラーム圏における本来の機能とは全く異なる文脈で使われたものもある。たとえば、トレヴィーゾ司教区博物館にある、金銀の象嵌を施した真鍮製の手桶は (
のものがベルリン・イスラーム美術館にも所蔵されている(図一三) ( 一四世紀にシリアかエジプトで作られた金工品によく見られるもので、同様 、48)
道具として用いられたことが分かる ( た後に作られた、細い棒が付属しており、教会などで聖水を振りまくための かし、トレヴィーゾ司教区博物館にある手桶には、ヨーロッパにもたらされ 。し49)
このタイプの手桶と細い棒が、壁に吊り下げられていることに気が付く ( ルパッチョが描いた絵画「聖ウルスラの夢」をよく見ると、一揃いとなった 。興味深いことに、一四九〇年にカ50)
。51)
イスラーム圏で作られた金工品は、ヨーロッパにもたらされて宗教的な文脈で使われただけでなく、支配階級や豪商などによっても使用されたり、収集されたりした。たとえば、シリアやイランでは、真鍮に銀で細かな象嵌を施した香炉が作られたが、ヨーロッパにももたらされており、メディチ家の一五五三年の財産目録にも「ダマスカスの香炉」が二点記載されている (
。52) された場合もあった ( 寒いヨーロッパでは、それらは香炉としてではなく、手を暖めるために使用
一四) ( とくにヴェネツィアの一族の家紋が入れられたものが現存している(図 おける使用者の家紋を入れるためのスペースが空けられ、そこにイタリア、 法、デザインはシリアの金工品に典型的なものであるものの、ヨーロッパに 紀にダマスカスで作られた燭台はそのような金工品のひとつで、形態や技 リアなどでヨーロッパへの輸出用の金工品が作られるようになった。一五世 かがわれる。一五世紀になると、ヨーロッパでの需要の高まりに応じて、シ で作られた金工品に高い価値を認め、それを独自の文脈で使用したことがう 。こうした事例からは、イタリア人がイスラーム圏53)
。54)
フィレンツェのバルジェロ美術館には、かつてフェルディナンド一世・デ・メディチ(一五四九―一六〇九年)が所有した、一五世紀後半から一六世紀初めにアナトリアまたはイランで作られた真鍮製の蓋付の箱が残っており、その表面は銀の象嵌と彫による、複雑で細密な装飾文様で覆われている (
アル=クルディーの署名が入っている ( た、いわゆるアラベスク文様で覆われ、円形のメダル部分にはマフムード・ されたと考えられている真鍮製の盆の表面も、銀の象嵌と彫によって表され 。大英博物館の所蔵する、一五世紀後半にイランかアナトリアで制作55)
の銘の入った金工品は全部で一二点現存するが ( 。マフムード・アル=クルディー56)
得ていたことは、その贋作が作られていたことからもうかがわれる ( れにしても、マフムード・アル=クルディーの銘入りの金工品が高い評価を イランのいずれかで作られたのか、いまだに議論が決着を見ていない。いず ていないため、一連の作品がエジプトかシリア、あるいはアナトリアか西北 、彼についてよく分かっ57)
。58)
一六世紀イタリアの著名な建築家・画家であるジョルジョ・ヴァザーリ(一五一一―七四年)は、ダマスカスで作られた象嵌が施された金工品を高く評価しているが (
た。たとえば、ロンドンのコートールド・ギャラリーにある盆は ( れた金工品に対する人気と需要を反映し、それらを模した盆や燭台が作られ 、一六世紀のヴェネツィアでは、イスラーム圏で作ら59)
におそらくイタリアで制作された燭台(図一五)は ( パ独自のものとなっている。また、メトロポリタン美術館にある、一六世紀 デザインもイスラーム風ではあるが、よく見ると改変されており、ヨーロッ に銀で象嵌を施している点ではイスラームの金工品の技法を踏襲しており、 、真鍮60)
面ではイスラームの金工品によく似ているが、形態がヨーロッパのものに 、技法やデザインの61)
なっている。このような事例から、イタリアの金工の発展にイスラーム圏の金工品が重要な役割を果たしたことがうかがわれる。
三・五 ガラス ローマやビザンティンの職人たちによって発達したガラス工芸の伝統は、イスラーム世界に引き継がれてさらに発展し、シリアでは一三世紀から一四世紀にかけて、透明ガラスのビーカーにエナメルでデザインを施したものが作られた(図一六)。そのなかには、キリスト教主題のものもあれば (
チーフを取り入れたものもあった ( ンゴル人の東進とともにもたらされた、鳳凰や蓮などの中国に由来するモ 、モ62)
てヨーロッパにもたらされ ( ルーク朝時代に作られたガラス製品の一部は、貿易や旅行者、十字軍によっ 。このような、アイユーブ朝やマム63)
口縁が広がった器形で、側面にエナメルで駱駝が表されている ( 初めに、ヴェネツィアで作られたもので、イスラームのプロトタイプ同様、 クンストパラスト美術館が所蔵するビーカーは、一三世紀後半から一四世紀 人によって、それらの模倣品が作られるようになった。デュッセルドルフの 、しばらくすると、ヴェネツィアのガラス職64)
関連をうかがわせる要素はなくなっている(図一七) ( の器形、技法ではあるものの、描かれている図柄や銘文にはイスラームとの 同時期にヴェネツィアで作られた、大英博物館の所蔵するビーカーは、同様 。一方、65)
。66)
イタリアのガラス職人は、イスラーム圏で作られたビーカーのほか、モスク・ランプも模倣している。一五〇〇年頃におそらくヴェネツィアで作られたと考えられるガラスのランプ(図一八)は (
プを模したものであることは明らかである(図一九) ( 一四世紀にマムルーク朝のエジプトまたはシリアで制作されたモスク・ラン 、器形やデザインの点で、67)
た ( のガラス製品が、これまでとは逆に、イタリアからイスラーム圏に輸出され ではムラーノがガラス生産の中心的な存在となり、そこで生み出された独自 と、マムルーク朝におけるガラス生産が減少していくのに対し、ヨーロッパ 。一五世紀になる68)
られている ( ドゥールによって大量のムラーノ・ガラスがトルコにもたらされたことが知 。たとえば、一四三六年から一四四〇年にかけて、商人ジャコモ・バ69)
職人によってイスタンブルに送られる予定の大量のガラス製品が記載されて ぶことが記されているほか、一五九〇年の別の文書には、ムラーノのガラス よる一四七三年の手紙には、ヨーロッパで作られたガラス製品をクレタに運 。また、イスタンブルを拠点に活動するヴェネツィア商人に70)
図14 燭台、おそらくシリア(ダマスカ ス)、1400 年 頃、 大 英 博 物 館
(1878,1230.721)© Trustees of the British Museum 図15 燭台、 イタリア(おそらくヴェネツィア)、
16世紀、メトロポリタン美術館
The Metropolitan Museum of Art, Gift of J. Pierpont Morgan, 1917 (17.190.637) Image © The Metropolitan Museum of Art 図16 ビーカー、シリア、13 − 14 世紀、メ
トロポリタン美術館
The Metropolitan Museum of Art, Gift of J. Pierpont Morgan, 1917 (17.190.2039) Image © The Metropolitan Museum of Art
いる (
スのモスク・ランプは、そうした状況のなかでもたらされたものであろう ( 。トプカプ宮殿博物館に残る、一六世紀にヴェネツィアで作られたガラ71)
。72)
四 密 接 な 関 係 が 見 ら れ た 要 因
以上、メディアごとにいくつかの事例を見てきたように、一四世紀から一六世紀にかけて、シリア・エジプト・トルコを中心とするイスラーム圏とイタリアの間には、商業活動や、旅行者や外交使節の往来によって密接な関係があり、それが両者の美術品にも反映されている。イタリアは、イスラームの工芸品から技法やデザインを摂取することで、織物や陶器、装丁、金工品やガラス製品の水準を高めていった。そうして生み出されたイタリアの工芸品は、国際市場で流通するようになり、その一部はオスマン朝をはじめ、ムスリムにも享受された。イタリアが、贅沢品として扱われる工芸品を輸出するようになったあとも、イスラーム圏からの工芸品はイタリアにもたらされ、収集され、模倣され続けた。一四世紀から一六世紀にかけて、両者の間にこのように密接な商業・文化・芸術上の関係が生じた背景として、以下の四つの要素が考えられる。
第一に、イタリアと、シリア・エジプト・トルコなど地中海に面するイスラーム圏が、共に、古代ギリシア・ローマとビザンティンの文化的・芸術的な伝統と遺産を継承していることが挙げられる (
における織物、陶器、装丁、金工品、ガラス製品の水準を高め、それらを国 らの趣味と需要に合うように改変させつつ摂取することによって、イタリア スラーム圏で作られた工芸品がもたらされると、その技法やデザインを、自 術品や工芸品などの奢侈品がイタリアに流入した。イタリアの都市では、イ びつき、トルコ、エジプト、シリアを中心とするイスラーム圏で作られた美 の活動や、旅行者や巡礼者の移動などによって、東部地中海地域が密接に結 と人の移動である。ジェノヴァやヴェネツィアをはじめとするイタリア商人 が地理的に近接していることが挙げられる。第三の要因は、活発な商業活動 られる。第二に、イタリアとビザンティン帝国、トルコ、エジプト、シリア に、共通する要素も多く、互いの芸術言語を取り入れやすかったことが考え 中海圏のイスラーム美術とイタリアの美術は、源流を同じくしているため ローマの美術伝統を受け継ぐビザンティン美術の影響が色濃く見られる。地 とするウマイヤ朝の美術など、初期のイスラーム美術には、古代ギリシア・ 。実際に、シリアを中心73)
図17 ビーカー、ヴェネツィア、13世紀 後半−14 世紀初め、 大英博物館
(1876,1104.3)© Trustees of the British Museum
図18 モスク・ ランプ、 お そらくヴェネツィア、
1500年頃、クンストパラスト美術館(P1978
−1)© Foundation Museum Kunstpalast, Glasmuseum Hentrich, Dusseldorf, Germany; photo LVR, Stefan Arendt 図19 モスク・ランプ、エジプト、1329 −
35年頃、メトロポリタン美術館 The Metropolitan Museum of Art,
Gift of J. Pierpont Morgan, 1917
(17.190.991)Image
© The Metropolitan Museum of Art
内外の市場に流通させた。四つ目の要因として、異国趣味を挙げることができるだろう。人々の持つ、異なる文化や芸術伝統への関心が、芸術上の趣味としてのシノワズリやジャポニスム、オリエンタリズムを生み出してきたが、一四世紀から一六世紀にかけてイスラーム圏とイタリアの間に見られた、美術上の密接な相互関係の根底にも異国趣味があったと考えられる。交易や人の往来によって、かつてない規模で流入するようになった互いの美術品・工芸品に見られるデザイン、器形や技法は、新奇で異国的なものに映り、インスピレーションを与えて、芸術活動を鼓舞したことだろう。
五 お わ り に
よく知られるように、古代ギリシアの科学と哲学はアラブの人々に継承され、アラビア語に翻訳されただけでなく、独自の変容と発展を遂げた。そうして生み出されたアラビア語の諸文献は、一二世紀になるとヨーロッパの人々によってラテン語に翻訳された。類似の現象は、美術の分野にも見られる。たとえば、シリアやエジプトを中心として作られたガラスは、ローマやビザンティンのガラスの伝統を継承し、独自の発展を経たものであり、それをイタリアが学び、自らのガラス工芸を展開していったのだが、これは、時代は異なるものの、先述のいわゆる「一二世紀ルネサンス」と同様の現象である。
一四世紀から一六世紀にイタリアにもたらされた、エジプト、シリア、トルコを中心とするイスラーム圏の工芸品の考察を通じて、それらがイタリアにおける工芸の発展に与えた大きなインパクトが明らかになる。また、イタリアによる活発な商業活動を契機として、両者の間に芸術上の密接な相互関係が形成された要因として、イタリアと、エジプト、シリア、トルコを中心とするイスラーム圏が、共に東部地中海圏に位置して地理的に近接しており、互いに古典古代とビザンティン文明を継承していたことが指摘できる。工芸品の技法や素材、デザイン、機能や受容された環境などを調べることで、当時の社会状況や文化伝統、交易関係や異文化への眼差しといった様々な情報が明らかになる。イスラーム美術研究においては工芸が大きな比重を占め、研究の蓄積も豊富であり、現在も発展を続けている。そうした成果が西洋美術史をはじめ、歴史学や経済史など、さまざまな分野の研究者によって共有されることが望まれる。
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︻註︼
(
( Burke (1999), p.102000, pp. 17-18.1)とバーク()
( 能に重点を置いた美術研究の重要性を主張している。 木幸一訳、勁草書房、一九九一年)において、美術作品の社会における受容と機 Belting (2011).2)ハンス・ベルティングは一九八五年の著書『美術史の終焉?』(元
( tola (1993)Burnett and Contadini(1999)やなどがある。 Mack(2002)Carboni (2007)Cura-3)とを参照。これらに先行する主要な研究として、
( Arcangeli and Wolf (2010)たイスラーム美術品に関する論文集については、を参照。 Atasoy and Uluç (2012).4)その他、二〇一〇年に出版された、地中海世界で流通し 5)本稿は、二〇一二年三月二七日に早稲田大学高等研究所が主催した国際セミナー
『一四―一六世紀イタリアにおける異文化コレクション』での口頭発表「一四―一六世紀のイタリア美術に見られるイスラーム美術とのかかわり(Italy and Islam-ic Art in the 14th to 16th Century)」を改稿したものである。(
( Mack (2002), pp. 16-17; Lane (1973), chapter 4 and 7.6)
( なった。 おける商業活動において、ヴェネツィアはジェノヴァよりも優位に立つように Mack(2002), p. 20, Lane (1973), pp. 285-286. 7)一五世紀半ばまでには、東部地中海に
( Chong(2005), p. 20, fig. 6を参照。 Campbell and 国の青花磁器らしきものが描かれている。この絵画については フェラーラ公アルフォンソ一世・デステに送られた絵画「神々の饗宴」には、中 Carboni (2007), p. 86. 8)ジョヴァンニ・ベリーニによって描かれ、一五一四年に
( Bloom (1995), p. 81, fig. 105Bloom and Blair (1997), p. 163, fig. 87を参照。と Blair and せたパターンによって飾られている。それぞれの建築物については、 ル・ハーン朝のウルジャーイトゥーの墓廟のドームは、二種のレンガを組み合わ ニー・モスクなど。また、一三〇七―一三年にスルターニヤに建てられた、イ ク朝カイロのモスクとして、たとえば一三三九―四〇年に建てられたマリダー Howard(2000), pp. 175-180. 9)同様の鋸歯状の棟飾りを持つ、ほぼ同時代のマムルー かがわれる。ヴェネツィアから派遣された使節たちの果たした役割については、 術館のものと同様の構図の絵画が二枚現存しており、人気の主題だったことがう Raby (1982), p. 53を、またカーイト・バイの紋章についてはを参照。ルーヴル美 10Raby (1982), pp. 55-65; Campbell and Chong (2005), pp.22-23)この絵画については
Howard (2010)を参照。(
( 11Lane(1973), pp. 234-237.)
( 12Rogers(2005), p. 93.)
( Rogers(2005), pp. 82-83. もあったという。 13)メフメト二世の図書館にはアラビア語文献やペルシア語文献のほか、西洋の文献
( 106-129を参照。 pp. pp. 78-79, cat. no. 23を、ベリーニとオスマン朝の関係については同書、特に 14Carboni (2007), p. 68, cat. no. 23; Campbell and Chong (2005), )この肖像画については
( fig. 35を参照。 109, cat. 24Campbell and Chong (2005), p 91, を、トルコで制作されたものとして 15Carboni (2007), p. )一六世紀初めのヴェネツィアの逸名画家によるものとして、
( 16Mack(2002), chapter 2; Watt and Wardwell (1997), p. 132. )
( 17Mack(2002), p. 30. )
18Mack(2002), pp. 41-42, fig. 32Sievernich and Budde(1989), pp. 172-173, cat. no. )及び ( 187.
( 19Mack(2002), p. 61, fig. 53)サン・マッテオ国立博物館所蔵。を参照。
( Ward(1993), p. 107, fig. 84る。この鏡については、を参照。 と銀で象嵌を施した丸い鏡は、装飾的なアラビア語銘文によって縁どられてい 20)たとえば、大英博物館の所蔵する、一四世紀半ばにカイロで制作された、鋼に金
( and Chong(2005), pp. 30-31, fig. 12. Campbell わせる偽アラビア文字文の縁取りが施されている。この絵画については 房で制作された、キリストの割礼を描いた絵画では、高僧の衣にティラーズを思 21Mack(2002), chapter 2, esp. p. 54. )一五〇〇年ごろにジョヴァンニ・ベリーニの工
( 22King and Sylvester (1983))ヨーロッパにもたらされた絨毯についてはを参照。
( はじめ、イタリアの財産目録に記述されていることが指摘されている。 イプの絨毯が、一四八三年に書かれたフランチェスコ・ゴンガーザの財産目録を 23Mack(2002), p. 83, fig. 76; Campbell and Chong(2005), pp. 60-61, cat. no. 11. )このタ
( を参照。 24King and Sylvester (1983), p. 21, fig. 19)ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵。
( 235, pl. 99を参照。 Spallanzani (2007), p. 置かれた本を読む姿で描かれている。この肖像画については ロ・スパノッキ枢機卿の肖像画では、枢機卿はトルコ絨毯の敷かれたテーブルに 25)たとえば、フィレンツェ派の画家によって一五五五年以前に描かれたマルチェ
( p. 178, cat. no. 81て同、を参照。 26Mack(2002), p. 91, fig. 86; Denny(2007), p. 178, fig. 4. )マムルーク朝の絨毯の例とし
( 毯」と呼ばれる絨毯には、絹に銀を巻きつけた糸が織り込まれている。 27Carboni (2007), p. 31; Denny(2007), p. 180, cat. 83. )このタイプの、「ポロネーズ絨
( 28Denny(2007), p. 187, cat. no. 70. )
( (2007), p. 186を参照。 Denny作られた絹織物はイタリアにもたらされたようである。これについては、 p. 47, figs. 39-40て同書、を参照。しかし、一五世紀後半以降も、イスラーム圏で 29Mack(2002), p. 24. )一五世紀後半にイタリアで作られたヴェルヴェットの例とし
( 30Mack(2002), p. 24. )
( 31Denny(2007), p. 188, cat. 80. )
( な、教会にはめ込まれたイスラーム陶器は、バッチーニと呼ばれる。 32Hess(2004), pp. 11-12, fig.7; Mack(2002), pp. 2-3; Fontana (2007), p. 281. )このよう
( 33Fontana(2007), p. 282. ) 32を参照。 34Hess(2004), pp. 138-139, pl. )メトロポリタン美術館所蔵のアルバレロについては
(
( は珍しい。 入れとして転用される例は多く見られるが、アルバレロを聖遺物入れにすること や、後ウマイヤ朝スペインで制作された象牙細工が、ヨーロッパの教会で聖遺物 35Carboni (2007), p. 31, fig. 9 )を参照。ファーティマ朝エジプトで作られた水晶細工
( pls. 34-35を参照。 36Mack(2002), pp. 7, 100, figs. 6, 94; Hess(2004), pp. 142-145, )その他の例としては、
( 37Fontana(2007), p. 286. )
( 38Mack(2002), p. 174. )
( fig. 113Fontana(2007), p. 291, cat. no. 188とを参照。 Mack(2002), p. 109, セーヴル陶磁器美術館に所蔵されている。この皿については 39)同じように、イズニク陶器を模倣して、一六三三年にパドヴァで作られた皿が、
( 125-137Grube(2007)とを参照。 40Mack(2002), pp. )装丁に見られるイタリアとイスラームのかかわりについては
( Stanley (2003)を参照。 p. 240, cat. 129Tanindi (2003)を参照。サファヴィー朝時代の装丁についてはと 41Grube(2007), )メトロポリタン美術館の所蔵する一六世紀イランの装丁については
( 42Grube(2007), p. 236. )
( 43Grube(2007), p. 239, cat. no. 132)この装丁についてはを参照。
( Tanindi (2003), p. 165, fig. 6.9れている装丁など。を参照。 44)たとえば、一五三〇年頃にイランで制作され、現在トプカプ宮殿博物館に所蔵さ
( 45Mack(2002), p. 134, fig. 143.)
( 46Stanley (2003), p. 186, fig. 7.2.)
( 47Mack(2002), p. 137, fig. 147; Carboni (2007), p. 246, cat. no. 147. )
( fig. 21.7. 48Contadini(1999), p. 17, fig. 1; Mack(2002), p. 140, fig. 148; Contadini(2006), p. 314, )
( 49Carboni (2007), p. 125, cat. no. 110)この手桶についてはを参照。
( 50Contadini(1999), p. 4. )
( 51Contadini(1999), pp. 18-19, figs. 2a-2b; Auld(2007), p. 216. fig. 2.)
( Contadini(2006), p. 308, fig. 21.1としてを参照。 (1993), p. 110, fig. 87を、また、おそらくイランで一五世紀後半につくられたもの 52Contadini(2006), p. 309. Ward)ダマスカスで一三世紀後半に作られた香炉として、
( 53Ibid., p. 309. )
た燭台があるが、これは一五世紀初めにエジプトまたはシリアで作られたもので ツィアのコレール博物館には、ヴェネツィアの名門コンタリーニ家の家紋の入っ 54Auld(2007), p. 217, cat. no. 94)大英博物館所蔵のものについてはを参照。ヴェネ ( Contadini(2006), p. 311, fig. 21.3ある。この燭台についてはを参照。
( マルの署名が入っている。 55Auld(2007), p. 217, cat. no. 107. =)この蓋付きの箱にはザイン・アルディーン・ウ
( 56Auld(2007), p. 220, cat. no. 101. )
( 57Auld(2007), p. 218.)
( Auld(2007), pp. 222, 224, fig. 8署名入りの盆がある。を参照。 58=)ボルチモアのウォルターズ美術館には、マフムード・アルクルディーの偽物の
( 59Auld(2007), p. 215. )
( Campbell and Chong(2005), pp. 34, 35, cat. no. 4る。この盆についてはを参照。 美術館には、一五〇〇年頃にヴェネツィアで制作された同様の盆が所蔵されてい 60Auld(2007), p. 221, cat. no. 120. )ボストンのイザベラ・スチュワート・ガードナー
( Allan (1986), pp. 106-107, no. 20いてはを参照。 されたと考えられている燭台が、個人コレクションにも存在する。この燭台につ 61 Carboni (2007), p. 28, cat. no. 121.)その他、一六世紀初めにヴェネツィアで制作
( Mack(2002), p. 114, fig. 118; Carboni (2007), p. 78, cat. no. 151されている。を参照。 ガラスのビーカーには、エナメルで「キリストのイェルサレム入城」の場面が表 62)たとえば、ウォルターズ美術館の所蔵する、一三世紀半ばにシリアで制作された
( 63Carboni and Whitehouse (2001), pp. 254-260, nos. 126-128)具体例としてを参照。
( Hess(2004), p. 6, fig. 3である。を参照。 護されて、長らくイングランド北部の屋敷イーデンホールに保管されていたもの はエジプトで制作され、ヨーロッパにもたらされたあと、特注の革製の容器に保 デンホールの幸運」として知られるガラスのビーカーは、一三世紀にシリアまた 64)たとえば、ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館に所蔵されている、「イー
( 65Mentasti and Carboni (2007), p. 257, cat. no. 158. )
( 257, cat. no. 156. 66Mack(2002), p. 114, fig. 117; Hess(2004), p. 5, fig. 2; Mentasti and Carboni (2007), p. )
( 67Mack(2002), p. 122, fig. 129; Carboni (2007), p. 69, cat. no. 163. )
( ni and Whitehouse (2001), pp. 230-238, cat. nos. 115-118を参照。 68Carbo-)一四世紀にマムルーク朝のもとで制作されたモスク・ランプについては、
( 69Mentasti and Carboni (2007), p. 259; Hess(2004), pp. 16-17. )
( 70Rogers(2005), p. 81. )
( 71Mentasti and Carboni (2007), pp. 268-269. )
( 72Mentasti and Carboni (2007), p. 271, cat. no. 171. ) 73Soucek(1997))イスラーム美術とビザンティン帝国とのかかわりについてはと Redford(2004)を参照。また最新の研究として Evans and Ratliff (2012)がある。