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【経営学論集第 87 集】自由論題
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ディーセント・ワークと
コーポレート・ガバナンス
――非正規雇用労働者という存在を通して――
桃山学院大学 黒 川 秀 子
【キーワード】非正規雇用労働者(Non-regular employment workers),ディーセント・ワーク(Decent work),株
主主権型コーポレート・ガバナンス論(Shareholders-oriented corporate governance),利害関係者型コーポレート・
ガバナンス論(Stakeholders-oriented corporate governance),新自由主義(Neoliberalism)
1.は じ め に
日本経営学会大会第90 回大会の統一論題は『日本の経営学 90 年の内省と構想』であり,なかでも,
サブテーマ③は「社会と企業ガバナンスの関係」であった。
企業ガバナンス,すなわちコーポレート・ガバナンスの問題は,日本において1990 年代以降,経営学
をはじめ,法学,経済学など諸社会科学分野で議論されてきた。議論は,株主主権型(ストックホルダー型)
コーポレート・ガバナンス論と利害関係者型(ステークホルダー型)コーポレート・ガバナンス論に大別さ
れる。法学・経済学の立場からは,株主主権型が主張されたのに対し,経営学においては,主として利害
関係者型が主張されてきたといえよう。
議論の高まりと並行するように,この20 年以上の間に,コーポレート・ガバナンス関連の制度も次々
と整備されてきた。2015(平成27)年には,内閣府の「『日本再興戦略』改訂 2015」で「「攻め」のコー
ポレート・ガバナンスの更なる進化」が掲げられ,前年の金融庁「責任ある機関投資家」の諸原則《日本
版スチュワードシップ・コード》」に続き,株式会社東京証券取引所から「コーポレートガバナンス・コ
ード」が公表されて,上場会社は少なくとも2 名以上の独立社外取締役を設置することが望ましいとされ
るに至った。こうした一連の制度は,株主主権型(ストックホルダー型)ガバナンス論の主張に依拠して構
築されているといえよう。
一方,やはりこの20 年以上の間に,コーポレート・ガバナンスに関するこれらの動向と直接はあまり
関係ないように見える,ある深刻な社会的問題が浮上している。それは,日本のみならず,全世界の人々
【要約】企業ガバナンス,すなわちコーポレート・ガバナンスの問題は,日本で1990 年代以降,諸社会科学分野
で議論され,法学・経済学の立場からは株主主権型(ストックホルダー型),経営学では主として利害関係者型(ステ
ークホルダー型)が主張されてきた。しかし,現在のコーポレート・ガバナンス関連の制度は株主主権型の主張に依
拠して構築されている。
一方,この間,コーポレート・ガバナンスの動向と直接はあまり関係ないように見える社会的問題―全世界の人々
の働き方の問題―が浮上している。これに対し,ILO は「ディーセント・ワーク(Decent Work)」(働きがいのある
人間らしい仕事)を掲げている。
日本政府は「ディーセント・ワーク」と「「攻めの」コーポレート・ガバナンス」を掲げているが,そもそもこ
れは矛盾した概念ではないか。このことを全労働者の37.5%(2015 年)を占める非正規雇用労働者の存在を通して
考察すると,コーポレート・ガバナンスの問題と労働の問題の,新自由主義的思考という根本における大きな関連
性が理解できる。
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の働き方の問題である。これに対して,1999 年の第 87 回 ILO 総会に提出されたファン・ソマビア事務
局長の報告において初めて用いられ,ILO の活動の主目標となったのが「ディーセント・ワーク(Decent
Work)」(働きがいのある人間らしい仕事)(1)
であった。厚生労働省は早くからこの語を掲げ,2012(平成24)
年の閣議決定「日本再生戦略」にもディーセント・ワークの実現が盛り込まれた。
ところで,働き方に関連して格差問題とも絡み大きな問題となっているのが,いまや日本の全労働者の
37.5%(2015 年)を占める非正規雇用労働者(パート,アルバイト,派遣社員.契約社員,嘱託,その他)の存
在である。はたして,非正規雇用労働はディーセント・ワークと言えるであろうか。2016 年,安倍晋三
首相は,正規・非正規の格差是正のためとして,にわかに同一労働同一賃金の実現を打ち出した。また,
格差是正策として,正規雇用への転換促進も有力なものとされ,厚生労働省は,正社員転換・待遇改善実
現プランを策定してさまざまな施策を提示している。
しかし,そもそも「ディーセント・ワーク」と「攻めのコーポレート・ガバナンス」は矛盾した概念で
はないだろうか。直接はあまり関係ないように見える人々の働き方の問題とコーポレート・ガバナンスの
問題は,実は,根本では大いに関連しているのではないか。そのことを,非正規雇用労働者という存在を
通して,考察していきたい。
2.非正規雇用労働は,ディーセント・ワークか?
厚生労働省ホームページの「「非正規雇用」の現状と課題」(2)
を参照すると,「勤め先での呼称が「正規
の職員・従業員」である者」を正規雇用労働者,「勤め先での呼称が「パート」「アルバイト」「労働者派
遣事業所の派遣社員」「契約社員」「嘱託」「その他」である者」を非正規雇用労働者とした調査結果が出
ている,正規雇用労働者は,1984 年 3,333 万人,1994 年 3,805 万人で,その後全体的には緩やかに減少
し,2015 年は 3,304 万人である。非正規雇用労働者は,1984(昭和59)年の全労働者3,936 万人中 604
万人(15.3%)から1994(平成6)年には全労働者4,776 万人中 971 万人(20.3%)となり,以降現在まで
緩やかに増加し,2015(平成27)年は全労働者5,284 万人中 1,980 万人(37.5%)である。
非正規雇用労働者の年齢別推移では,近年,65 歳以上の割合が高まっている。1995(平成7)年に全非
正規雇用労働者1,001 万人中 6.4%(64 万人)であったのが,2015(平成27)年には1,980 万人中 13.5%
(267 万人)となった。雇用形態別推移では,パートとアルバイトが増加している。1995 年に全非正規雇
用労働者1,001 万人中,パートは 563 万人(56.2%),アルバイトは262 万人(26.2%)であったのが,2015
年には1,980 万人中,パートは 961 万人(20.5%),アルバイトは405 万人(20.5%)となっている。
不本意非正規(正社員として働く機会がなく,非正規雇用で働いている者)の状況として,平成27 年の総務
省「労働力調査(詳細集計)」で,現職の雇用形態(非正規雇用)についた主な理由を「正規の職員・従業員
の仕事がないから」と回答した者の,全体と年代別の人数,割合が示されている。全体では315 万人(非
正規雇用労働者全体の16.9%)で,年代別で最も多いのは人数的にも割合からも25~34 歳の 71 万人・26.5%
である。
非正規雇用労働者は,正規雇用労働者に比べ,賃金が低い。平成27 年 6 月分の調査に基づく時給ベー
ス平均賃金は,正社員・正職員では一般労働者1,958 円,短時間労働者 1,367 円に対して,正社員・正職
員以外では一般労働者1,258 円,短時間労働者 1,044 円である。
非正規雇用労働者は教育訓練の機会が少ない。平成26 年度の調査(正社員以外を常用労働者のうち派遣労
働者と請負労働者を含まない「嘱託」「契約社員」「パートタイム労働者」とする)によると,計画的な OJT は,
正社員で58.9%の事業所が実施しているのに対し,正社員以外に実施しているのは 30.2%,OFF-JT は,
正社員で 72.0%の事業所が実施しているのに対し,正社員以外には 36.6%で,いずれも正社員の約半数
である。
各種制度の適用割合も正社員を大きく下回る。平成26 年度の調査で,正社員では雇用保険 92.5%,健
康保険99.3%,厚生年金 99.1%,退職金制度 80.6%,賞与支給制度 86.1%の適用に対し,正社員以外で
は67.7%,54.7%,52.0%,9.6%,31.0%の適用にすぎない。
また,脇田は,労働法の立場から,以下のように(3)
記している。
1970 年代までの時期,被扶養者型非正規雇用が登場する。日本型雇用慣行は「男性片働き」をモデル
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に,夫(=男性正社員)の被扶養者のまま,家計補助的就労と決めつける形で,主婦パートタイム労働を位
置づけた。現在,パート労働者の多くは,被扶養者として医療・年金制度で一定の優遇を受けるが,その
基準は年収130 万円(4)
という低賃金である。これは,行政や立法を通じて制度化された,他国にはない日
本的非正規雇用形態である。
1985 年以降,非正規雇用が拡大する。1985 年制定の労働者派遣法は,主に女性や現業部門などの正社
員を代替して「フルタイム非正規雇用」を生み出す転機になり,さらに,女性を登録型派遣労働者や有期
契約社員とする新たな雇用慣行が広がる。1995 年,日本経営者連盟の「新時代の『日本的経営』」(5)
で,
多様な雇用形態を利用し企業の都合に応じた雇用調整を可能とする雇用三分化の提言がなされる。
80 年代から 20 年間の労働分野における規制緩和の結果,雇用社会は大きく変容した。従来保護されて
いた若年労働者さえ不安定で劣悪な労働・雇用環境に追いやられた。労働法では,立法が後退して企業内
慣行を追認する一方,労働者の個別同意を重視する労働契約論が台頭する。EU 諸国では,非正規雇用を
例外的に容認するとともに「非差別」を原則に均等待遇を保障するのに対し,日本では,非正規雇用は不
安定・劣悪条件にもかかわらず同一労働差別待遇が一般的である。
以上,厚生労働省のホームページから非正規雇用労働者の現状と課題,また,脇田の論文から日本にお
ける非正規雇用の急増と雇用社会の変容,特に日本の特殊性を見た。
現実問題として,収入面(時給換算における低さ,賞与制度の少なさなど)から,非正規雇用労働で自活す
るのは困難である。教育訓練機会の少なさは,技能向上による正社員への転職機会も失わせる。有期であ
ること,各種保険制度加入率の低さ,退職金制度自体が少ないことは,将来の見通しが立て難いことを意
味する。
現代の経営環境の厳しさから,生産性向上,基幹化などの名のもとに,非正規雇用労働者も多大な貢献
を求められている。契約に縛られ,休みたい時に容易に休めない場合も多い(学生のブラック・バイトはそ
の一例)。にもかかわらず,経営環境に変化があれば,雇用の調整弁として容赦なく真っ先に解雇されるの
は,非正規雇用労働者である。企業にとって,非正規雇用の存在価値はそこにある。よく,不況時も従業
員を解雇しなかったと自賛する会社があるが,そこでいう従業員とは会社が「ウチ」の人間と認識する正
規雇用労働者のことであって,「ソト」の人間でしかない非正規雇用労働者は数のうちに入らない。雇用
の調整弁とされた後,それまでの労働で獲得された技能・経験は,労働者個人のささやかな一経験として
以外,ほぼ継承されず生かされない。このことが労働者にとって損失であることは気付かれているが,実
は会社にとっても損失であることは気付かれていない。
それでも,非正規雇用労働者は,労働の現場において,会社の内部者としての従業員である。このこと
が典型的に現れるのが,派遣労働者である。労働者派遣事業所,いわゆる派遣会社と契約し派遣先の会社
で働き,給与は派遣会社から振り込まれ,ほとんどの場合交通費込の時給制で賞与なし,一定要件を満た
せば加入する社会保険も派遣会社のそれであるが,派遣先の社外に対してはあくまで派遣先の従業員とし
て応対する。しかし,実際はそこに属していないにもかかわらず,ある組織の内部者としての貢献を求め
られる状態は,精神の安定と労働へのモチベーション保持を困難にしないだろうか。
さらに,正規雇用労働者と非正規雇用労働者は一種の社会階層化して,現場における差別意識をうみだ
しており,人間としての尊厳を毀損するに至っている。不本意非正規の存在は当然で,特に,25~34 歳
の非正規雇用労働者の71 万人・26.5%,約 4 人に 1 人が不本意非正規であることは大きな問題である。
「不本意非正規は全体の 20%足らずで,ほとんどは自由市場で自らの意思で非正規を選択している」と
いう反論も予想される。確かに,家庭の事情などから自らの意思で非正規を選択している人々も多いであ
ろうが,調査結果に明瞭に現れない形で非正規を選択せざるを得ない人々もまた多いのではないか。疲弊
し過ぎた人間には声を上げる気力も時間もないことを,忘れてはならない。
「ディーセント・ワークとは,権利が保障され,十分な収入を生み出し,適切な社会的保護が与えられ
る生産的な仕事を意味」(6)
するというなら,このように安定と安心を得られない非正規雇用労働は,はた
してディーセント・ワークといえるであろうか。
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3.日本におけるコーポレート・ガバナンス論と制度の展開
一方,日本におけるコーポレート・ガバナンス論とコーポレート・ガバナンスに関する制度の展開はど
うであったか。本来.コーポレート・ガバナンス論とは,「巨大な公開株式会社を対象にした議論である」
(7)
。
1970 年代末,アメリカで新自由主義が台頭し,「法と経済学」「新制度派経済学」を組み込んだ株主主
権型コーポレート・ガバナンス論が打ち出された。1980 年代以降,この株主主権型コーポレート・ガバ
ナンス論は世界的に伝播した。1990 年代以降の日本におけるコーポレート・ガバナンス論の活発化も,
その一例である。
新自由主義とはハーヴェイによれば「強力な私的所有権,自由市場,自由貿易を特長とする制度的枠組
の範囲内で個々人の企業活動の自由とその能力とが無制約に発揮されることによって人類の富と権利が
最も増大する,と主張する政治経済的実践の理論」(8)
である。
1990 年代以降,日本においてコーポレート・ガバナンス論が活発化した背景には,①意図的に喧伝さ
れた新自由主義的思想の影響,②「経営者支配の弊害と,そのチェック手段としての監査役制度への不信」
という元来の問題意識,③当時の「IT 革命と金融資本主義の下で復活した力強いアメリカ経済 VS バブ
ル崩壊後,停滞する後進的な日本経済」という構図,そして,①とも関連するが,④1970~80 年代の留
学時アメリカ流社会科学を丸呑みにして帰国し,“生粋の”新古典派経済学者,アメリカ流所有権絶対主
義の法学者になったエリートたちによる推進(9)
,が挙げられよう。
株主主権型コーポレート・ガバナンスに対しては,2001 年のエンロン事件や 2007 年以降の世界金融
危機以後,疑問が呈され,利害関係者型コーポレート・ガバナンス論への支持も高まった。今日,ただ株
主のために会社経営すべきという議論は,さすがに鳴りを潜めたようである。経営学においては,利害関
係者型コーポレート・ガバナンス論からさらに踏み込んで,CSR(企業の社会的責任),Ethics(倫理),
Sustainability(企業の持続性)と,活発な議論が展開されている。
しかし,世界金融危機以後も,コーポレート・ガバナンスに関する日本の国家としての方向は,基本的
に従来通りの株主主権型のままでの制度強化にあった。また,法務省や経済産業省だけでなく,金融庁,
東京証券取引所,内閣府までが,コーポレート・ガバナンスの問題に関与してきているのが,近年の状況
である。
2002(平成14)年の商法改正で,監査役制度との選択制とはいえ,委員会等設置会社(指名・監査・報酬
の三委員会の過半数が社外取締役)というアメリカ型の制度が導入され,それまでの監査役機能の強化に注
力された改正からの方向転換が示唆された。
2006(平成18)年に施行された会社法は,2015(平成27)年に改正された。改正の主目的はコーポレー
ト・ガバナンスの強化で,取締役会の業務執行者に対する監督機能強化のための社外取締役の積極的活用
が強調され,①(監査役会設置会社,指名委員会等設置会社(改正前の委員会設置会社)に加え)監査等委員会設
置会社制度の創設,②社外取締役等の要件の厳格化,③社外取締役を置くことが相当でない理由の説明,
の改正があった。
安倍内閣の「日本再興戦略」(2013(平成25)年6月14日閣議決定)では,「企業の持続的成長促進の観点か
ら,幅広い範囲の機関投資家が企業との建設的対話を行い適切に受託者責任を果たすための原則について
検討を進める」とされた。
これを受け,2014年2月,金融庁は有識者会議とパブリックコメントを経て「「責任ある機関投資家」の
諸原則≪日本版スチュワードシップ・コード≫~投資と対話を通じて企業の持続的成長を促すために~」
を公表した。
さらに,2015年6月,金融庁の有識者会議とパブリックコメントを経て,株式会社東京証券取引所は「コ
ーポレートガバナンス・コード~会社の持続的成長と中長期的な企業価値の向上のために~」を公表した。
ここでは「「コーポレートガバナンス」とは,会社が,株主をはじめ顧客・従業員・地域社会等の立場を踏
まえた上で,透明・公正かつ迅速・果断な意思決定を行うための仕組みを意味」し,「独立社外取締役は会
社の持続的な成長と中長期的な企業価値の向上に寄与するように役割・責務を果たすべき」で,「上場会社
はそのような資質を十分に備えた独立社外取締役を少なくとも2名以上選任すべき」とされた。
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改正会社法によって,上場会社は,監査役会設置会社,指名委員会等設置会社,監査等委員会設置会社
の3種類の機関設計のうちのいずれかを選択することになっている。このコードによって,監査役会設置
会社(株主総会で選任される監査役の半数以上は社外監査役とし,かつ常勤の監査役を置いて,取締役会と監査役・監
査役会に統治機能を担わせる日本独自の制度)あるいは,指名委員会等設置会社,監査等委員会設置会社(取締
役会に委員会を設置して一定の役割を担わせ監督機能の強化を目指すもの。その点で,諸外国にも類例が見られる制度)
のいずれを選択するにせよ,事実上,2名の社外取締役の設置は既定のものとなった。
つまり,近年の日本が国家として考えるコーポレート・ガバナンスは,株主をはじめとする利害関係者
の立場を踏まえたうえで会社の持続的成長と中長期的な企業価値の向上のためになるような意思決定を行
うための仕組みであり,それは,基本的に上場会社(=取締役会、経営陣幹部)と株主との十分な対話に基づ
き,また,取締役会の業務執行者を監視する社外取締役の存在で担保できる,というものである。
4.現行コーポレート・ガバナンス制度の問題点と非正規雇用労働者
2016 年 9 月 2 日の日本経営学会【記念講演Ⅱ】「コーポレート・ガバナンス 3.0」において加護野忠男
教授が驚きを表明されていたように,上述の「コーポレートガバナンス・コード」は,近時の利害関係者
尊重や社会的責任の議論の動向に十分配慮して策定されたことが窺えるかなり良心的なもので,株主至上
主義に凝り固まったようなものではない。
しかし,まず第一章に置かれているのは「株主の権利・平等性の確保」である。第二章「株主以外のス
テークホルダーとの適切な協働」では,上場会社は,自らの持続的成長と中長期的企業価値創出を達成す
るために,株主以外のステークホルダーとの適切な協働が不可欠であることを十分に認識するよう求めら
れている。第三章「適切な情報開示と透明性の確保」,第四章「取締役会等の責務」ときて,第五章「株
主との対話」で締め括られる。
いかに利害関係者は株主だけではないことを認識していても,コーポレート・ガバナンスを株主と会社
の経営者(層)が主という前提において捉えているということは,やはりその論拠は株主主権論というこ
とになる。結果的に,そこから導かれるのは「現代社会では,従業員や消費者等のステークホルダーを無
視すると業績に悪影響が出て企業価値向上の妨げになるので,株主に損失を与えない程度において彼らに
配慮しなければならない」というに等しい主張である。
株主主権型コーポレート・ガバナンス論の論拠である株主主権論(「株主は株式会社の所有者であるがゆえ
に主権者である」)(10)
には,株式会社の所有の二重構造と株主の所有の真意の二点から,法学的にも疑問が
ある。株式会社の所有の二重構造とは,株主が提供した資金は会社のものになって会社は資金の所有者に
なり,株主は株式を取得して株式の所有者になるという二重構造のことである。株主の所有の真意とは,
株主は有限責任で管理責任を負わないから民法上の所有者と同様に扱われるべきではないが,株主の地位
は議決権という支配権能の一部と利益配当請求権という収益権能の一部によって「変形された所有」,「希
薄化された所有」ではある,として所有という語を使うにすぎない,という意味である。この二点を考え
れば,「株主は株式会社の所有者ではないし,主権者でもない」。
しかし,現行法の構造は,現実資本を直接人格化する法技術をもっていない。そのため,経営者を株主
総会(=会社所有者に擬制された総株主)が雇って委任するという形式をとっている(11)
,というだけである。
ところが,このことをもって株主を株式会社の所有者であると単純に規定しているのが株主主権論である。
その結果,これに基づくコーポレート・ガバナンス論では,株主以外のステークホルダーが登場する余
地がほとんどなくなる(12)
。つまり,基本的に登場するのは株主と経営者だけ,ヒト,モノ,カネの中の
カネ(企業価値=株価=擬制資本)の世界だけの話になる。
こうして,ヒトにかかる費用はさらにコスト視されるようになって非正規雇用労働者は拡大し,国民全
体で見れば貧困化と購買意欲減退を招き,結果,かえって日本の企業経営を厳しくしているのではないの
か。投資家,特に海外投資家からの評価が高まれば企業価値が上がるというのは一面的見方である。
近年の株主分布状況調査(13)
を見ると,所有者株主数から見れば95%超が個人であるが,株式保有高か
ら見れば約8 割が個人以外,つまり法人である。ここにコーポレート・ガバナンスにおける機関投資家へ
の期待やスチュワード・シップという話も出てくるとして,同じ企業である機関投資家に期待ができるの
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だろうか。
さらに問題なのは,会社経営の体現者というべき内部利害関係者である労働者(従業員)がコーポレー
ト・ガバナンスに関与する余地がないことである。高度化,複雑化した巨大組織である現代日本の上場企
業は,経営者層の力のみで動いているわけではない。
このことを克服しうる利害関係者型コーポレート・ガバナンスを提示しており,特に現代株式会社にお
ける従業員(労働者)の性格を端的に把握している論者として,宮坂(14)
を挙げたい。
ステークホルダーはストックホルダー(株主)を含めた企業の利害関係者を表現する概念で,株主は特
別なステークホルダーではあるが最優先されるべき存在ではない。企業目的を株主利益の最大化に求める
ストックホルダー・セオリーに代わってステークホルダーの利害調整の場として捉えるステークホルダ
ー・セオリーが展開されており,現代社会が求める社会規範を受容して事業展開しなければ組織存続でき
なくなってきているという意味で,現代企業は道徳的主体としての企業である。
そして,従業員は,企業と雇用関係にあるという意味で企業と対峙する一方,それ以外のステークホル
ダーと対峙するという本人(プリンシパル)としての会社自体に含まれる,あるいはその代理人(エージェ
ント)として行動する経営者に連なる点で,株主とは異なるステークホルダーである。「企業経営の実態を
見れば明らかであるが,ステイクホルダーと日々接触するのは経営者だけではなく,その経営者の指揮下
にある従業員であり,ないしは「組織人格としての」従業員であり,従業員が会社を代表して行動してい
る」(15)
。
以上の宮坂の主張は,利害関係者型のコーポレート・ガバナンス論を模索する時,労働者がコーポレー
ト・ガバナンスに関与する根拠となり得ると考えられる。
ところが,ここに,非正規雇用労働者という存在,それが全労働者の4 割近くに及んでいるという事実
が立ち現れる。彼らも「企業経営の実態を見れば」それ以外のステークホルダーと対峙している労働者で
ある。非正規雇用労働者は全企業労働者の4 割近くであるから,必ずしも上場企業の非正規雇用労働者が
4 割近くとは限らないとはいえ,かなりの数が上場企業で働いていていることは事実であろう。これらの
非正規雇用労働者は,コーポレート・ガバナンスに関与できない存在なのであろうか。
5.お わ り に
こうして見ていくと,現内閣が訴える「ディーセント・ワーク」と「「攻め」のコーポレート・ガバナ
ンス」は,矛盾した概念であると考えられる。
新自由主義的思考から,労働の世界では,フレキシブルな働き方(働かせ方)が登場し,それは非正規
雇用労働者をはじめとする労働環境の悪化を招いた。これに対応して現れたのが「ディーセント・ワーク」
という概念である。
同じく新自由主義的思考から,企業統治の世界では,(株主主権型)コーポレート・ガバナンスという考
え方が登場した。日本において,今や「「攻めの」コーポレート・ガバナンス」という国家戦略の一部に
なっているが,実際には短期利益志向,経営における長期的視点の欠落,過剰な内部統制,海外投資家に
よる国富の流出まで招いている。
そして,実は,この二つは,根本のところで共通し,大いに関連しあいながら,ここ30 年以上進行し
てきた。このことは,非正規雇用労働者という存在を通して,浮かび上がる。
今,にわかに,同一労働同一賃金ということで,非正規雇用労働者への処遇改善が呼びかけられている。
しかし,根本を把握できないまま矛盾した概念を掲げている状態で,非正規雇用労働者の社会的問題が解
決できるのであろうか。
そしてまた,経営学は社会の問題にいかに応えることができるのであろうか。現状を打開できる法制度
面をも含めた理論的枠組を構築する端緒もつかめない自省の念もこめて,今後の課題としたい。
( 1)「ディーセント・ワークとは ILO の反グローバリゼーション戦略であるとみなして過言ではないだろう。」黒田
兼一(2012)「人事労務「改革」とディーセント・ワーク」『国学院経済学』第 60 巻,3-4 号,626 頁。
( 2)「非正規雇用の現状と課題」http:www.mhlw.go.jp/ 厚生労働省ホームページ 2016 年 6 月 18 日。
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( 3)脇田滋(2015)「若者と労働関連法制」『学術の動向』日本学術協力財団,Vol.20(4),50-51 頁。
( 4)2017 年からの制度変更が取り沙汰されているところである。
( 5)「雇用ポートフォリオ論」。「長期蓄積能力活用型グループ」「高度専門能力活用型グループ」「雇用柔軟型グルー
プ」の三つに雇用を分別し,規制撤廃,多様化する雇用形態を促進させたものといわれるが,実は,執筆者たち
自身は,雇用グループ間の自由な移動を重視していたとされる。(八代充史・牛島利明・南雲智映・梅崎修・島西
智輝編(2015)『『新時代の「日本的経営」』オーラルヒストリー―雇用多様化論の起源』慶應義塾大学出版会)
( 6)「ディーセント・ワーク」http:ilo.org ILO 駐日事務所ホームページ 2016 年 6 月 18 日。
( 7)今西宏次(2006)『株式会社の権力とコーポレート・ガバナンス―アメリカにおける議論の展開を中心として―』
文眞堂,ⅰ頁。
( 8)ハーヴェイ,デヴィッド,渡辺修監訳,森田成也・木下ちがや・大屋定晴・中村好孝訳(2007)『新自由主義―
その歴史的展開と現在』作品社,010 頁。
( 9)ドーア,ロナルド(2006)『誰のための会社にするか』岩波書店,62 頁。
(10)商法学者の松井秀征は,以下の疑問から株主総会制度を検討し,株主総会はあってもなくてもよいと結論した。
「第一に,共同企業たる株式会社の議論を,なぜ当然に個人企業の議論の延長線上で扱うことができるのか。第
二に,株主は,なぜ個人企業所有者と同様の意味で企業の「所有者」といえるのか。第三に,かりに株主の「所
有者」性を前提とするにしても,なぜ株主の「所有者」性から当然に企業経営への参与権が導かれることになる
のか」松井(2010)3 頁。
(11)片岡信之(1992)『現代企業の所有と支配―株式所有論から管理的所有論へ』白桃書房,83-88 頁。
(12)「「株主は会社の所有者である。経営者は株主の代理人である」といった,私はあえて挑発的に民法理論会社法
(原文:太字)と呼んでいますが,こうした発想ですと,そこに労働者が入り込む余地は基本的にありません。」
(上村達男発言,上村達男・金児昭(2007)『株式会社はどこへ行くのか』日本経済新聞出版社,306 頁)
(13)「2015 年度株式分布状況調査の調査結果について」http://www.jpx.co.jp/, 日本取引所グループホームページ 2016
年6 月 30 日。
(14)宮坂純一(2009)『道徳的主体としての現代企業―何故に,企業不祥事が繰り返されるのか―』晃洋書房。
(15)宮坂,同上書,178 頁。
<参考文献>
伊丹敬之(2000)『日本型コーポレートガバナンス―従業員主権企業の論理と改革―』日本経済新聞社。
稲上毅・森淳二朗編(2004)『コーポレート・ガバナンスと従業員』東洋経済新報社。
今西宏次(2006)『株式会社の権力とコーポレート・ガバナンス―アメリカにおける議論の展開を中心として―』文眞
堂。
上村達男・金児昭(2007)『株式会社はどこへ行くのか』日本経済新聞出版社。
加護野忠男(2014)『経営はだれのものか―協働する株主による企業統治再生』日本経済新聞出版社。
片岡信之(1992)『現代企業の所有と支配―株式所有論から管理的所有論へ』白桃書房。
黒田兼一(2012)「人事労務「改革」とディーセント・ワーク」『国学院経営学』60(3-4)621-649 頁。
――――,山崎憲(2012)『フレキシブル人事の失敗:日本とアメリカの経験』旬報社。
小池和男(2015)『なぜ日本企業は強みを捨てるのか』日本経済新聞出版社。
佐藤博樹,藤村博之,八代充史(2015)『新しい人事労務管理〔第 5 版〕』有斐閣。
ドーア,ロナルド(2006)『誰のための会社にするか』岩波書店。
本田一成(2010)『主婦パート 最大の非正規雇用』集英社。
ハーヴェイ,デヴィッド,渡辺修監訳,森田成也・木下ちがや・大屋定晴・中村好孝訳(2007)『新自由主義―その歴
史的展開と現在』作品社。(David Harvey(2005)A Brief History of Neoliberalism, Oxford University Press.)
松井秀征(2010)『株主総会制度の基礎理論:なぜ株主総会は必要なのか』有斐閣。
宮坂純一(2009)『道徳的主体としての現代企業―何故に,企業不祥事が繰り返されるのか―』晃洋書房。
宮本光晴(2014)『日本の企業統治と雇用制度のゆくえ:ハイブリッド組織の可能性』ナカニシヤ出版。
八代充史・牛島利明・南雲智映・梅崎修・島西智輝編(2015)『『新時代の「日本的経営」』オーラルヒストリー―雇用
多様化論の起源』慶應義塾大学出版会。
脇田滋(2014)「‘日本型’非正規雇用改善のための法政策」『社会科学研究年報』龍谷大学,269-275 頁。
―――(2015)「若者と労働関連法制」『学術の動向』日本学術協力財団,Vol.20(4),50-53 頁。