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HOKUGA: 東南アジアの人間像と日本経営史の原像(四)

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全文

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タイトル

東南アジアの人間像と日本経営史の原像(四)

著者

大場, 四千男; OBA, Yoshio

引用

北海学園大学学園論集(151): 73-149

発行日

2012-03-25

(2)

東南アジアの人間像と

日本経営 の原像(四)

四 千 男

目 次 はじめに 1編 チベット仏教と人間像 序 1章 中央アジア騎馬民族王朝とチベット帝国の勃興 2章 遊牧騎馬民族王朝とチベット帝国 3章 チベット仏教と勤労倫理 ⑴ リンチェン・ドルマの家系とチベット ⑵ チベット仏教と仏教的家族主義勤労観 ⑶ チベットの荘園制度とチベット仏教の倫理 2編 ブータン仏教と人間像 序 1章 リンチェン・ドルマとブータンとの関係 2章 ブータンの原像−1 中世ブータンの村落の 結 的絆 3章 ブータンの原像−2 幸福大国 への歩み 4章 ブータンの原像−3 遊牧騎馬民族の系譜 5章 ブータンの原像−4 王室の出自とジクメ家,ドルジェ家 6章 ブータンの原像−5 農民とブータン仏教=ドゥク派信仰 3編 ブータン探索 ∼サンジャ・アチャヤ著 女澤 恵訳 ブータン・ヒマラヤ山脈の王国 はじめに 序文 1章 着陸 2章 環境と開発 3章 雷龍の国 4章 チョモラーリ山:女神の神聖な山(148号)

つなぎのダーシは間違いです

本文中,2行どり 15Qの見出しの前1行アキ無しです

★★全欧文,全露文の時は,柱は欧文になります★★

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4編 東南アジアの大乗仏教と人間像 序 1章 チベット仏教とリンチェン・ドルマ 2章 チベット仏教7派 3章 ブータン仏教とドルジェ・ワシモ 5編 ビルマ(ミャンマー探索) ∼リチャード・K・ディラン著 女澤 恵訳 ビルマの消えゆく少数民族 序 1章 ビルマの地理的特徴 2章 民族集団 3章 民族の歴 (以上迄 149号) 6編 日本仏教と人間像 序 1章 日本の原像−1 騎馬民族征服王朝の形成 ⑴ 保元・平治物語 の騎馬合戦 ⑵ 平家物語 の騎馬合戦 2章 日本の原像−2 大乗仏教の天台宗と真言宗 ⑴ 天台法華宗の観音信仰 ⑵ 金剛乗の真言密教と鎮護国家論 ⑶ 浄土仏教の発展 観音信仰から阿弥陀仏信仰へ 一 阿弥陀仏経 の 無為自然 論 二 大無量寿経 48の誓願 3章 タイ模索 アナン・カンチャナパン著 女澤 恵 訳 タイにおける土地と森 林の地域統制 (上) 1章 序文:タイにおける文化的次元の発展 2章 森林地域の土地開拓と定住 3章 商業的農業における土地と労働者の管理をめぐる闘争(以上迄 150号) 4章 日本の原像−3 日本人の無常観と心の教え ⑴ 保元物語 の無常観と空観 ⑵ 平家物語 の無常観と空観 ⑶ 大乗仏教の無常観と阿弥陀仏信仰の形成 5章 日本経営 の人間像と心の教え 序 1章 人間像と心の教え

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2章 現代日本の人間像:アマルティア・センの日本人像 3章 P.F.ドラッカーの人間像と心の教え 6章 現代日本人の原像と心の教え 7章 タイ模索 アナン・カンチャナパン著 女澤 恵訳 タイにおける土地と森 林の地域統制 (下) 4章 土地所有の権原と地方コントロール 5章 山岳地帯の少数民族間における土地保有様式の矛盾 6章 コミュニティー森林の地元管理 7章 コミュニティー森林における地元権利の構築 結び 東日本大震災と心理経営学の軌跡

4章 日本の原像−3 日本人の無常観と心の教え

日本仏教は古代律令制国家において鎮護国家の国教として大きな役割を果たし,仏教国家を築 いた。さらに,日本仏教は東南アジアに共通する大乗仏教の金剛乗を全国に広め,日本の原像と して日本人の空観と無常観を人生哲学として育くみ,現在にも伝えられている。 こうした日本人の仏教観は平安時代の中頃から芽ばえ始め, 保元・平治物語 ,或いは 平家 物語 の思想的基盤となり,国民的精神として根づく。琵琶法師がこれら軍記物語,説話物語を 人々に語り,仏教観を背景に日本人の空観,無常観を精神の根に植えつけることになったのは日 本人の国民的精神を特徴づけることとなった。 山下宏明は 平家物語 の叙法の姿勢をラフカディオ・ハーンの 怪談 に求め,語り物語と して琵琶法師に重点を置き,覚一本テクストにその原型を見出そうとする。したがって,山下宏 明は 平家物語 を 語り手琵琶法師の思い入れ ( 平家物語 上,445頁)と位置づけ, 平家 物語 の歴 文学における意義を明らかにする。とするなら, 平家物語 を歴 文学として成り 立たせているのは琵琶法師の平家怨霊の鎮魂と送りを自 の仏性として共有する庶民,貴族,武 士の国民感情の共感に迎合することであり,日本の原像である大乗仏教の空観,無常観思想の文 学的表現となる,と えていいのだろうか。この疑問を明らかにする手懸りの一つとしてここで は 保元・平治物語 と 平家物語 を日本の原像である大乗仏教の空観,無常観の発達(観音 信仰から阿弥陀信仰への変化)として明らかにする。

保元物語 の無常観と空観

保元物語 は 中比帝王ましましき。御名をば鳥羽禅定法皇とぞ申 の文で始まり,保元の乱 の原因を鳥羽禅定法皇の王位継承問題にあると暗示しているが,同時に禅定法皇を名乗って大乗 仏教の法王としての権勢を誇示し,院政の政教一致体制を浮きぼりにする。白河上皇は保安4年

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(1123年)崇徳天皇の即位の際, 王権は如来の付属に依りて国王興隆す と述べ,王法を仏によっ て授けられたとする。院政は法皇のこうした王法の権威で支配権を行 する。院政の政教一致体 制を背景に鳥羽法皇は仁平3年冬熊野神宮へ参詣し,巫女から余命1年の託宣を次のように受け, 業命 とされる。 同 年の冬のころ,法皇熊野へ御参詣あり。見物の貴賤千里の濱までくびすをつぎ,供奉の月卿雲客は瑞籬の(踵) (砌) みぎりにひざまづき,既に本宮 證 誠 殿の御まへに御 夜ありて,現當二世の御祈誓あり。御前の河波あらしに(嵐) たぐひ,山をひびかす。深行まゝにしづまれば,御 心をすましき。ゆくすゑ今の御 法ありけるほどに,夜深 に及び,人しづまつてのち,證 誠 殿の翠簾すそよりひたりの御手とおぼしきうつくしげなるをさし出させ 給 て,(裾) (打 返) うちかへし 〳 〵 たび 〳 〵 させ給ふ。法皇是を夢ともなくうつゝともなく御覧ありて,人にはかくともおほせられ(現) ず,山 上無双の伊岡の板と 申 巫女をめされて 御ふしんのことあり。うらなひ申せ。 とおほせらるゝ。巫女(不審) 朝より權現をおろしたてまつるに,日中すぐるまておりさせ給はず。人々心をしづめ,たび 〳 〵 に詣すへき輩に いたるまで(目)め をすまして候じける。ほど(經)へ てのち,權現すでにをりさせ 給 ぬとおぼえて,巫女法皇にむかひま いらせて,左の手を捧げ,二三度うちかへし 〳 〵 ,是はいかにと 申 ければ,法皇御夢想に御らんぜられつるに少 もちがはねば,眞實の御たくせんよと思 召,いそぎ御弊をすべらせ給ひて,御 掌 をあはせて, われ十善の餘薫(託 宣) にほこり,九五の尊位を( )ふ むといへ共,それ三界具縛の凡夫なり,神慮はかりがたし。いかでかぜひをわきまへ(是非) んや。宣事のよしをしめし給へ。 と申させ給へば,巫女世にこゝろぼそげなる聲にて, 手にむすぶ水にやどれる月かげの有かなきかの世にもすむかな 此哥占を二三度詠じて,涙をはら 〳 〵 と落し, 君はいかでかしろしめさるべき。明 年の秋のころかならず崩御な るべし。其後せけん(世間)(手)て のうらをかへすごとくなるべし。 と御託宣あり。 ( 保元物語平治物語 ,57-58頁より引用) 熊野神宮に着いた夜,鳥羽法皇は手で招かれている夢を見て,占ひでその兆を判断すべく巫女 に権現(本地垂迹)の御託宣を受け,1年後に亡くなる旨を告げられて驚く。熊野神宮の神を仏 の現われとするこの本地垂迹の思想は大乗仏教にボン教アニミズム精霊主義を加え,仏教の新し い発展形態となり,シャーマニズムによる魂を抜き取る古代的形態を巫女の呪文に見る。既に, 大乗仏教が本地垂迹を発展させ,国民的精神の中心を形成することがこの保元物語の成立背景に あることが窺える。このように,鳥羽法皇は院政政治の思想として仏の王と本地垂迹を両輪に権 力の頂点を築く。さらに,大乗仏教の空観,無常観は保元物語の思想となり,物語の基本構造を 成し,余命の来るのを業命(カルマの因と果)と受けとめていくことを次のように描く。 卿 殿 上 人みな心さはぎして色をうしなひ, いかにしてか御壽 命のびさせましますべきや。と聲 〳 〵 に申 されければ,法皇も叡慮おどろかせまし 〳 〵 て,かさねて申させ給ひけるは, 夫和光 同塵の方 は, 苦与 の 爲なれば,大慈大悲の神慮のたすけ,などかあはれみ給はざらん。そのやくなんをすくはせましまさん事,尤 權(厄 難) 現の本誓也。願はかの方 をしめし給へ。 となく 〳 〵 申させ給へば,巫女いよ 〳 〵 泪を流して, 君は我朝のあ るじとして,四十餘 の春秋をおさめ給ひ,我は此國の鎭守として,一千餘年の星霜ふりたり。しかれば利生 方 慈悲,あはれみたてまつらずといふ事なけれども,定 業かぎりある事には神力にをよばず。まして守護の天童, 滿山の護法も力およはず。凡 極 浄土不退の地をこそ,ねがひてもねがひたまふべけれ。かゝる五濁らんまんの( 漫) うき世に,御 心をとゞめ 給 べからず。いまたゞ今 生の事をばおぼしめしすてゝ,後生ぼだひの御 勤あるべき也。(菩提) とて權現託してあがらせ給ひぬ。

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( 保元物語平治物語 58-59頁より引用) 権現(本地垂迹)の本誓は鳥羽法皇の厄難を救うことにあるのだから,それを取り除いて欲し いと巫女に願うが,仏の教えである大乗仏教の教えは 和光 同塵の方 で法皇の 御寿命のび させ るためにあるのでなく,衆生の 抜苦与楽の為 にあり, 大慈大悲の神慮 であると巫女 に拒否される。さらに鳥羽法皇の助命を願われて巫女は 定業(カルマの法則)かぎりある事に は神力におよばず,まして守護の天童(仏法守護の姫新天人),満山の護法(熊野三山の仏法守護) も力およばず と述べ,さらに大乗仏教の密教である空観,無常観による悟りに解脱(菩提心を 深める)するように求められる。つまり巫女は権現の託を次のように述べる。 凡極楽浄土不退の 地をこそ,ねがひてもながひたまふべけれ。かかる五濁らんまんのうき世に,御心をとゞめ給ふ べからず。いまたゞ今生の事をばおぼしめしすてて,後生ぼだひ(菩薩)の御勤あるべき と。 かくて,巫女の権現の託宣は,大乗仏教のこの世,つまり 五濁らんまんのうき世 から解脱 して大乗仏教の菩薩心に目覚め(悟)て信仰の生活を送ることを求められている。 鳥羽法皇は熊野参りでの巫女の権現の託宣で 滅に入いる 衰弱を深め,久寿2年を越え,保 元元年を迎える。しかし,鳥羽法皇が余命を尽きる前に,突然近衛天皇が 17才で崩御されてしま い, 断の御命 であると,次のように大乗仏教の 無常のあらし と感じ入る。 近衞院は第八の御おとゝ,當(弟) はらの(腹) みや,愛子のみちをうけさせましますによつて,ぜひなく位ををしとら(宮) れ 給 て,せめて廿年の御寶算をだにもたもたせ給はず,わづかに十七年の春秋を送かねて,かやうにかくれさせ(保) 給ふぞあさましき。神武天皇は天下をおさめて七十六年,御壽 命 一百廿七歳也。そのゝちの帝王,あるひは百十 四年,或は一百廿余年など也。むかしは國王の御壽 命もかうこそのびさせ 給 けるに,末代こそ心うけれ。ほとけ も人も壽 命の長 短不同なるにや,釈 如來よりはるかのさき,照日 光 如來は御壽 命 十年,住無住如來はわづか に一日一夜なり。月 西如來たゞ一日,あしたにいでゝゆふべにいり給ふ。烏鵲の日輪 早かくれてしやうじの(生 死) (長 夜) ぢやうやいよ 〳 〵 ふかかりき。まことにほんがく 常 住の如來すら 段の御 命をばかうこそ御こゝろにまかせぬ(本 覺) 御事なれ。いはんやわが太子近衞院は,人皇七十六代にあたり給へる御門,末世におよび,位は如來にをとり給 へる有待の御身を持ながら,無常のあらしをいかでかのがれさせ給ふべきとおぼしめし,なぐさみたまはぬぞ御 つみ深くおぼゆる。 ( 保元物語平治物語 56頁より引用) かくて,近衛天皇の崩御が 末世におよび ,保元の乱へ導く 77代天皇への王位継承を巡って 崇徳上皇と後白河天皇は対立を深めることになるが,この点については前に述べたところである。 そして,近衛天皇の後を追うように鳥羽法皇も熊野参りでの権現の託宣どおりに崩御する 断 の命 であった。大乗仏教の空観,無常観が六道(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上)の 輪廻と 断(段)の命(長短)をカルマの因と果から導かれるが,鳥羽法皇の死はそうした大乗 仏教の空観,無常観から位置づけられ, 妙 覚の如来なを因果のことわりをしめす ものとして(理) 次のように見なされる。

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兩 院ともに千秋万歳とこそおぼしめされけれども,閻浮の身きせん高下ことなる事なく,無常のさかゐ刹利(貴賤) も須陀もきらはず,妙覚の如來,なを因果のことはりをしめし,大(理) (智)ち のしやうもん又前業をあらはす事なれば,(聲 聞) (凡下) ぼんげのおどろくべきにはあらねども,去年の御なみだに今年の御袖の露を(添)そ へさせ 給 こそあさましき御事な れ。手のうらをかへすがごとくなるべしと,巫女うらなひ 申 けむなれば,又この後もいかなる事かあらんずらん と,まことに深淵にのぞんで薄氷をふむがごとくおそれおのゝきけるほどに,かゝる御なげきの中にも,新院の 御 心のうちしりがたし。さればにや禁中も物さはがしく,仙洞もさゝやきのみおほかりける。(囁) ( 保元物語平治物語 62頁より引用) 近衛天皇,鳥羽法皇の死が 無常のあらひ と見なされ,さらに 如覚の如来なを因果のこと わり(理) と位置づけられることは 保元物語 の仏教観を集約する表れでもある。さらに,大 乗仏教の思想は保元の乱における主君=家臣の封 的人間関係の結びつきの契約思想となり,先 世の宿 習 に由るとする。すなわち,山田小三郎維行が鎮西八郎源為朝に弓矢合戦を挑むが,そ れに従って維行の馬を前に進める家臣の舎人は主人と共に討たれる宿命を家臣の宿 習とする武 士道精神を次のように述べる。 纔に馬の口に付たる舎人 男 一人ぞありける。心のはやるまゝになまじひなる事はいひちらしつ,伴 者は一人 もなし,さればとて又とつてかへすべきにもあらず。明日は疵の實 ,軍の評 定あらむずるに,山田が八郎殿に 射られたりける矢めはいづくぞ,鎧はこらへたりけるか,口には似ざりけりなむなどいはれん時は,何とか答べ き。さてはさ御さなんとて,あひ近付 向けるが,舎人 男いいひけるは, やをれ,をのれ年ごろ付つかへて,させ る思ひ出もなくて止なんこそ不 なれ。されどもしかるべき先世の宿 習にてこそ,主ともなり郎等ともなりて, (斯) かゝる 後までもつきしたがふらめ。維行いひつる詞,さだめて汝 聞つらん。今はとつてかへさむと思ふとも叶 まじ。八郎殿の矢に中て死なんこと一 定なり。但 弓矢とる者のかゝる事にあふは所 領の幸 也。生たりとも死た りとも,軍功は定の物ぞ。其時 汝が世にてこそあらんずれ。されば死たらば恥をもかくせ。千万が一も生たらば, 奉 の者と思ひしらんずるぞ。軍の證 人に立て,山田殿は軍をばとこそし給ひしが,かうこそ詞をばつかひ給け れと物 語にせよ,やをれ。 といひければ,奴は又主にもをとらぬしれものにて, 弓箭とらせ給ふ人につかはれ(痴 者) 申 者,かゝる事にあふべしとは兼て存知しらん候。殿のうたれさせ給はゞ,それがし生て何のせんか 候 べき。 殿の死し給はむ事は,某 先死での左右ぞ。また殿の下人を證 人に立給ひたらば, にたつべきか。軍功のことは 命の生てのうへのことなり。あな,たづらごとや。 とて, ( 保元物語平治物語 102-103頁より引用) 以上見たように,大乗仏教の教えが領主(地主)=小作人(舎人)の封 的主従関係の絆となっ たことはチベット仏教での観音信仰を共有することから荘園の地主=小作人を親子と見なしたリ ンチェン・ドルマについて前に述べたところである。チベット仏教と同じ大乗仏教である日本で も相同性関係を見出し,封 制を生み出すのに大乗仏教の果した役割は大きい。すなわち,大乗 仏教の教えは鎮護国家の人間関係(封 的主従関係)を前世の宿習と見なし,さらに主人と共に 討死にする武士道精神の思想をも育くむ。つまり,家臣の舎人は主君・維行との運命共同体(封 的主従性)であると見なし, 殿の死し給はむ事は,某 先死での左右ぞ と述べることに見出 される。 保元物語 が仏教文学として位置づけられる最も大きな根拠の一つは保元の乱に敗北し,嫡子

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重仁親王を次天皇に就かせようとする子を思う親の崇徳上皇(新院)の四国讃岐での仏教生活の 中で崩御する凄惨さにある。こうした厳しい処罰は天皇の大権を示す象徴となる。保元の乱での 処罰は後白河天皇の乳 藤原信西によって断行される。信西は 非常の断は人主 専にせよ の方 針を掲げる。つまり,天皇が支配権を専ら行 する主体(絶対君主)となるが,この所謂天皇の 大権(王権)は次のような厳しい処罰の中でその確立をみるのである。 御室の法親王是をみ參らせ給て,御 涙を流させ給ふ。關 白殿様 々〴 〵に執申させ 給 しかども,少納言入 信西, 御身は配所に留らせ給ひ,御手跡 計 都へ返し入させ給はんこと,いま 〳 〵 敷 覚 候。其上いかなる御願にてか 候 らん,無覚束。 と 申 ければ,主 上げにもとや思 召れけむ,御 免れなかりける間,力 及ばせ給はず。 ( 保元物語平治物語 180頁より引用) 御室(仁和寺)の法親王が崇徳上皇の都への復帰を信西に要請するが,信西はこの申し入れに 対して いまいま敷 覚 候 ,つまり不吉であると答える。この結果,崇徳上皇は崩御されるまで 讃岐に閉じこめられ,46才で亡くなる。この亡くなる3年間大乗経を筆写し,崇徳上皇はその功 徳で命乞いをするが,天皇の許しも困難となり,終いには生きながらの天狗のような凄惨な姿に なり果てて次のように天皇の対応に口惜しさをにじませる。 新院是を聞 召れて 口 惜 事ごさんなれ。日本我朝にも限らず,天竺・震旦・鬼海・高麗・鶏旦國に至 迄,位 を ひ国を競て,兄 弟合 をいたし,叔 甥 軍を起 例 多かりけれ共,昔も今も習 有なれども,時 移 事去て, 罪を謝し科を宥らるゝ,王 の惠,無邊の情 也。いかに況 出家入 して菩提の爲に佛 經を修讀する〔をも皆ゆ るされてありしが,後世の爲にとて書たてまつる〕大 乗 經の敷地をだにも惜れんには,後世迄の敵ごさんなれ。 さらんにをひては,我生ても無益也。とて,其後は御ぐしをもめされず,御爪をもはやさせ給はず,生ながら天(髪) 狗の姿にならせ 給 そ 淺ましき。 ( 保元物語平治物語 180頁より引用) かくて崇徳上皇はかつて 十善の君,万乗のあるじ と云われたのだったが,保元の乱で敗れ て今や讃岐に流され, 前世の宿業をば猶 給はざりける の身となり,大乗仏教の因と果とか ら逃れられないことの無常さで涙を流しながら亡くなるのであった。 崇徳上皇は亡くなるに際し,天皇に復讐を誓う本願を神仏に奉じ,大乗経の筆写による功徳の 行業を三悪道(地獄道・餓鬼道・畜生道)に投げ入れ,その返す力で 日本国の大魔縁 として 天皇を滅ぼさんと次のように誓うのである。 斯て新院御寫 經 事 畢しかば,御前に積置せて,御祈誓有けるは, 吾 深 罪に行れ,愁 淺からず。 速 此功 力を以,彼科を救はんと思ふ莫太の行 業を, 併 三 に抛籠,其 力を以,日本國の大魔縁となり,皇を取て 民となし,民を皇となさん。 とて,御舌のさきをくい切て,流る血を以,大 乗 經の奥に,御誓 状を書付らる。 願は,上梵天帝 釈,下堅牢地神に至 迄,此誓約に合 力し 給 や。 と,海底に入させ給ひける。 ( 保元物語平治物語 181頁より引用)

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崇徳上皇は 不慮の行 業を企る 身として業罪の深さにこの世の空観,無常観を感じ,火葬さ れてもその煙となって都へ向けてたなびく怨霊となる。この報せを受けて天皇は崇徳院の追号を 送って次のように宥る。 其後九ケ年を(経)へ て,御年四十六と申し長 寛 二年八月廿六日,終 隠させ給ひぬ。軈 白峯と云 所に渡 奉る。 さしも御意趣深かりし故にや, 上 奉 烟の末も都をさして靡けるこそ怖けれ。御墓 所は軈 白峯に構 奉る。 此君當國にて崩御成しかば,讃岐院と 申 しを,治承の比怨 靈 共を宥られし時,追号有て,崇德院とぞ申ける。 ( 保元物語平治物語 181頁より引用) 以上のように,大乗仏教がわが国の中世を築く思想として大きな役割を果したことは 保元物 語 の 析によって実証されたものと える。すなわち,大乗仏教は⑴鎮護国家の守護神として 仏教国家=顕密体制を築き,⑵騎馬民族王朝として平家,次に源氏の鎌倉幕府を育くみ,貴族, 武士の思想を生み,⑶この世の現世利益主義をカルマの因と果で功徳の実践で実現し,そして⑷ 武士の封 的主従関係を観音信仰の親子と見なし,或いは前世の宿業と位置づける。 こうした 保元物語 に登場する人間は大乗仏教の教えを受け,この世の空観,無常観から功 徳を積む 開花された人間 となり,逆に崇徳上皇のように怨霊となって祟ろうとする場合も生 じるが,日本の原像を形成することになると云えよう。

平家物語 の無常観と空観

平家物語 では 保元物語 より大乗仏教が発達するが,この大乗仏教の発達は法華経の観音 信仰から阿弥陀仏信仰へ移行し,武士階級の禅を中心にする神秘的本覚思想を生み,その後にお ける騎馬兵の武士道,さらに明治維新の軍人精神へ結実し,現代日本の精神,思想の源流となる。 平家物語 は大乗仏教の空観,無常観の鐘を鳴らしながら平家と後白河法皇の 園精舎の時代 を次のように幕を明ける。 園 精 舎の鐘の声,諸 行無常の響あり。娑羅双樹の花の色,盛 者必衰のことはりをあらはす。奢れる人も久 しからず,唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ,偏に風の前の塵に同じ。遠く異朝をとぶらへば, 秦の趙高・漢の王 ・梁の周伊・唐の禄山,是等は皆旧主先 皇の 政 にも 従 はず,楽みをきはめ,諫をも思ひい れず,天下の乱れむ事をさとらずして,民間の愁る所を知らざッしかば,久しからずして,亡じにし者ども也。 近く本朝をうかゞふに,承平の将門・天 慶の純友・康和の義親・平治の信頼,此等は奢れる心もたけき事も,皆 とり 〴 〵 にこそありしかども,まぢかくは六波羅の入道 前 太政大臣 平 朝臣清盛 と申し人のありさま,伝うけ 給るこそ,心も詞も及ばれね。 其先祖を尋ぬれば,桓武天皇第五の皇子,一品式部卿 原 親王,九代の後胤讃岐守正盛が孫,刑部卿 忠 盛 朝臣の嫡 男なり。彼親王の御子高視の王,無官無位にして失せ給ぬ。其御子高望の王の時,始て平の姓を給ッて, 上 介になり給しより,忽に王氏を出て人臣につらなる。其子鎮守府 将 軍義茂,後には国香と 改 む。国香より 正盛にいたる迄六代は,諸国の受 領たりしかども,殿 上の仙籍をばいまだゆるされず。 ( 平家物語 上 新日本古典文学体系(岩波書店)5頁より引用)

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平清盛は 保元物語 で後白河天皇側に付いて政敵である源為義を倒すが, 平治物語 では源 義朝を葬って天下を取り,後白河天皇と天下を二 にする。その際,平清盛は娘の婿である藤原 信西に負う所も大きい。 平家の繁栄は⑴一連の源平合戦に勝利し,武家の頭梁として擡頭したこと,⑵有力貴族で有能 な藤原信西と婚姻関係を結び,出世コースを歩んだこと,そして⑶天皇家と婚姻関係を結び,身 内から高倉天皇と安徳天皇を出すに至ったことである。したがって,天皇家との婚姻関係は次の 図-1に,さらに天皇家の系図を図-2に示す。 図-1に依れば,平氏は桓武天皇の嫡子 原親王の2系統を根幹として枝岐れをする。つまり, 原親王の長男が高見王で,この系譜の流れに 忠盛−長男清盛,次男経盛,三男敦盛,四男頼 盛,五男忠度の系譜となる。もう一方の平氏は 原親王の二男時信の系譜で,長男時忠,長女時 子(清盛室)二女滋子( 春門院・後白河法皇中宮)となる。したがって清盛は 原親王の長男 系統であるが,その次男系統の平時信の娘時子(八条二位)と結婚し,平氏一族の長としての地 位を築くのである。平清盛は正室時子の妹が滋子の後白河法皇の中宮であるから後白河上皇とも 親戚関係となっている。 図-2では天皇家は鳥羽法皇の2系統を中心に天皇に就けている。つまり,鳥羽−待賢門院系統 では長男崇徳上皇,三男後白河法皇を出している。もう一方の鳥羽−美福門院系統では近衛天皇 である。そして後白河法皇は長男二条天皇と高倉天皇を出している。この二条天皇は嫡子六条を 天皇に就かせ,他方,高倉天皇が長男安徳,次男後鳥羽をやはり天皇につけている。したがって 後白河法皇が院政の時代を長く続け,長期安定政権を築けたのは子供(二条と高倉),そして孫(六 条,安徳,後鳥羽)の天皇の後見役を果し続けていたからである。 平家物語 の 王と仏御前が平清盛の寵愛を受ける芸能者出身で,所謂白拍子として次のよう に呼ばれ,都中の となった。 入道相国,一天四海をたなごゝろのうちに握り給ひしあひだ,世のそしりをも 憚 らず,人の をもかへりみ ず,不思議の事をのみし給へり。たとへば其比,都に聞えたる白 拍子の上手, 王・ 女とておとゝひあり。と ぢといふ白拍子がむすめなり。あねの 王をば入道相国 最 愛せられければ,是によつて,いもうとの 女をも, 世の人もてなす事なのめならず。母とぢにもよき屋つくつてとらせ,毎 月に百 石・百 貫ををくられたりければ, 家 内 富 貴して,たのしい事なのめならず。 抑〳 〵我朝に,白 拍子のはじまりける事は,むかし鳥羽院の御宇に,しまのせんざい・わかのまひとて,これ ら二人が舞ひ出したりけるなり。はじめは水 干に立 烏帽子,白ざやまきをさいて舞ひければ,男 舞とぞ申ける。 しかるを中比より,烏帽子・刀をのけられて,水 干ばかりをもちいたり。扨こそ白 拍子とは名付けれ。 京中の白拍子ども, 王がさいはゐのめでたいやうを聞いて,うらやむものもあり,そねむ者もありけり。う らやむ者共は, あなめでたの 王御前の幸や。おなじあそび女とならば,誰もみなあのやうでこそありたけれ。 いかさま是は, といふ文字を名についてかくはめでたきやらむ。 ( 平家物語 上,16-17頁より引用) 平清盛の寵愛を受けた 王と仏御前は 前世のうまれつきでこそあんなれ と見なされ,大乗

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仏教の無常のあらし(嵐)に晒される残酷な運命を送るものと受けとられていた。こうした の 中で 王は仏御前の出現で平清盛の寵愛を失ない,平清盛の元から離れる妹の 子と母の子3人 で一緒に京都郊外で隠 生活をしていたが, 王は清盛の再度の申し入れを受け親を楽させたい ため,平清盛の所へ戻るが永続きしなかった。終に 王はその つらき道 に涙を流して 心憂 さを母に訴え,自害を えたが果せず,次第に るに至った。 王の惨状さに母は反省して清盛 (朝日新聞社 日本の歴 65号 3-295頁より作成) ( 平家物語 上,396頁より作成) 図-2 天皇家系図 図-1 平家と天皇家の婚姻関係

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とよりを戻させたことを後悔し,身を投げんと える。 王は母の自害を五逆罪( ,阿波,阿 羅漢(高僧)を殺す及び仏身の血を流すこと,さらに僧籍を破る)の業罪に値いすると え,次 のように嘆く。 王とかうの御返事にも及ばず,涙をおさへて出にけり。 親の命をそむかじと,つらき道におもむひて,二 たび憂きめを見つることの心 憂さよ。かくて此世にあるならば,又 憂きめをも見むずらん。今はたゞ身をなげん と思ふなり と言へば,いもうとの 女も, あね身をなげば,われもともに身をなげん と言ふ。母とぢ是を聞 くにかなしくて,いかなるべしともおぼえず。なく 〳 〵 又 教 訓しけるは, まことにわごぜのうらむるもことは りなり。さやうの事あるべしとも知らずして,教 訓してまいらせつる事の心 憂さよ。但わごぜ身をなげば,いも うともともに身をなげんと言ふ。二人のむすめ共にをくれなん後,年老 をとろへたる母,命いきてもなににかは せむなれば,我もともに身をなげむと思ふなり。いまだ死期も来らぬおやに,身をなげさせん事,五逆 罪にやあ らんずらむ。此世はかりのやどりなり。はぢてもはぢでも何ならず。唯ながき世のやみこそ心 憂けれ。今 生でこ そあらめ,後生でだに,悪 道へおもむかんずる事のかなッしさよ と,さめ 〴 〵 とかきくどきければ, 王なみ だをおさへて, げにもさやうにさぶらはば,五逆 罪 疑 ひなし。さらば自害は思ひとゞまりさぶらひぬ。かくて 宮古にあるならば,又 憂きめをも見んずらん。 ( 平家物語 上,24-25頁より引用) 王はこうした世の無常である男女の中のはかなさ,一時の豊かな生活のむなしさ,母の自害 未遂による五逆罪への恐しさを体験することで,すべて仏性の供わっていないためであると え, この闇から逃れるために信仰に取り組もうとする。かくて, 王はこの 世はかりのやど で恥 をかいても何でもないが,この世の闇の憂き目に会うのはもうやれきれなくなり,その 心優さ さから空観を抱く。終に 王は都の郊外嵯峨の奥に後世を願い念仏生活を次のように送ろうとす る。 今はたゞ都の外へ出ん とて, 王廿一にて尼になり,嵯峨の奥なる山里に,柴の庵をひきむすび,念仏し てこそゐたりけれ。いもうとの 女も, あね身をなげば,我もともに身をなげんとこそ契しか。まして世をいと はむに,誰かはをとるべき とて,十九にてさまをかへ,あねと一所に籠居て,後世をねがふぞあはれなる。母 とぢ是を見て, わかきむすめどもだにさまをかふる世中に,年老 をとろへたる母,しらがをつけてもなににかは せむ とて,四十五にてかみをそり,二人のむすめ諸共に,一 向専 修に念仏して,ひとへに後世をぞねがひける。 ( 平家物語 上,25-26頁より引用) かくて, 王は 21才で尼となり,後世を願うことから阿弥陀仏信仰に入る決意を固る。そこで, 王は仏性を身につけ,無常に対する悟りの智慧で闇の地獄から解脱して後世の転生(極楽=涅 槃)を誓願する。そして, 王は念仏の功徳を積む仏教徒への生活を始める。 王が一向専修に唱える念仏は大乗仏教の阿弥陀仏信仰であり,念仏の功徳で阿弥陀仏の迎え によって極楽往生をすることで, 保元物語 の観音信仰からここ 平家物語 での阿弥陀信仰へ の発展を見ることになる。 嵯峨の庵りで親子3人は阿弥陀信仰の生活に入り,善の根を心に植えつける 平 生 業 成 の

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功徳を積み,阿弥陀仏の来迎で極楽往生を遂げんと勤行に明け暮れていた或る夜,突然仏御前の 訪問を受け,次のように驚く。 かくて春 過ぎ夏 ぬ。秋の初風吹ぬれば,星合の空をながめつゝ,あまのとわたるかぢの葉に,思ふ事かく比 なれや。夕日のかげの西の山のはにかくるゝを見ても, 日の入給ふ所は,西方 浄土にてあんなり。いつかわれら もかしこに生れて,物を思はで過ぐさむずらん と,かゝるにつけても過にしかたの憂き事共,思ひつゞけて唯 つきせぬ物は涙なり。たそかれ時も過ぬれば,竹のあみ戸をとぢふさぎ,灯かすかにかき立てて,親子三人念仏 してゐたる処に,竹のあみ戸をほと 〳 〵 とうちたゝくもの出来たり。其時尼どもきもを消し, あはれ是はいふか ひなき我等が念仏して居たるを妨んとて,魔 縁の来たるにてぞあるらむ。昼だにも人もとひこぬ山里の,柴の庵 の内なれば,夜ふけて誰かは尋ぬべき。わづかの竹のあみ戸なれば,あけずともおし破らん事やすかるべし。中 〳 〵 たゞあけていれんと思ふなり。それに情をかけずして,命をうしなふものならば,年比 頼たてまつる弥陀の 本 願をつよく信じて, なく名 号をとなへ奉るべし。声を尋て迎へ給ふなる聖 主の来迎にてましませば,などか 引 摂なかるべき。相かまへて念仏おこたり給ふな と,たがひに心をいましめて,竹のあみ戸をあけたれば,魔 縁にてはなかりけり。仏御前ぞ出来る。 ( 平家物語 上,26頁より引用) 仏御前が涙を流して語るのは,自 もいつかは 王のように平清盛の寵愛を失ない, 王と同 じ 心優う (情けのない)境遇になり下ってしまうので今や 浦山 しい阿弥陀信仰の生活を共 にしたくと思い,仲間に入れてもらうべく参りましたと語る。仏御前も 娑婆の栄花 の無常さ とこの世の空観の如実さに疲れ,せっかく人間として生まれて来たので仏の教えを聞き,極楽往 生をとげたいと次のように告げる。 王, あれはいかに,仏御前と見たてまつるは。夢かや,うつゝか と言ひければ,仏御前 涙をおさへて, か 様の事申せば,事あたらしうさぶらへ共,申さずは又 思ひ知らぬ身ともなりぬべければ,はじめよりして申なり。 もとよりわらはは 推参のものにて出されまいらせさぶらひしを, 王御前の申やうによつてこそ,召しかへされ てもさぶらふに,女のはかなきこと,わが身を心にまかせずして,おしとゞめられまいらせし事,心憂うこそさ ぶらひしか。いつぞや又,召されまいらせて,今 様うたひ給ひしにも,思 知られてこそさぶらへ。いつかわが 身のうへならんと思ひしかば,嬉しとはさらに思はず,障子に又, いづれか秋にあはではつべき と,書置給ひ し筆の跡,げにもと思ひさぶらひしぞや。其後は在 所を焉とも知りまいらせざりつるに,かやうにさまをかへて, ひと所にとうけ給はつてのちは,あまりに浦山しくて,常は暇を申しかども,入道殿さらに御もちいましまさず。 つく 〴 〵 物を案ずるに,娑婆の栄花は夢のゆめ,楽み栄 へて何かせむ。人身は請がたく,仏教にあひがたし。 ( 平家物語 上,27頁より引用) 仏御前は 楽み栄へて何かせむ。人身は請がたく,仏教にはあひがたし と菩提心を発し,無 知の闇から解脱する智慧を得て人間として6道の転生を繰り返してでも極楽往生を遂げたい一念 で 王の所に来ましたとその尼姿を現わし,これまでの罪を許して欲しいと涙を流しながらつぎ のように語る。 後 生を知らざらん事のかなッしさに,けさまぎれ出てかくなつてこそ参りたれ とて,かづきたるきぬをうち

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のけたるを見れば,あまになつてぞ出来る。 かやうに様をかへて参りたれば,日比の科をばゆるし給へ。ゆるさ んと仰せられば,諸共に念仏して,ひとつはちすの身とならん。それになを 心ゆかずは,是よりいづちへもまよ ひゆき,いかならん のむしろ, がねにもたほれ臥し,命のあらんかぎり念仏して,往 生の素 懐をとげんと 思 ふなり と,小雨 〴 〵 とかきくどきければ, 王なみだをおさへて, 誠にわごぜの是ほどに思 給けるとは,夢 にだに知らず。憂き世中のさがなれば,身の憂きとこそ思ふべきに,ともすればわごぜの事のみうらめしくて, 往 生の素 懐をとげん事かなふべしともおぼえず。今 生も後生もなまじゐにし損じたる心ちにてありつるに,か やうにさまをかへておはしたれば,日比のとがは露 塵ほどものこらず。今は往 生 疑 ひなし。此度 素 懐をとげ んこそ,何よりも又うれしけれ。我等が尼になりしをこそ,世にためしなき事のやうに人も言ひ,我身にも又 思 しか,さまをかふるもことはりなり。今わごぜの出家にくらぶれば,事のかずにもあらざりけり。わごぜはうら みもなし,なげきもなし。ことしは纔に十七にこそなる人の,かやうに穢土をいとひ,浄土をねがはんと,ふか く思ひいれ給ふこそ,まことの大 道 心とはおぼえたれ。うれしかりける善知識かな。いざもろともにねがはん とて,四人一所にこもりゐて,あさゆふ仏前に花香をそなへ,余 念なくねがひければ,遅 速こそありけれ,四人 のあまども,皆往 生の素 懐をとげけるとぞ聞えし。されば後白河の法皇の長 講 堂の過去 帳にも, 王・ 女・ 仏 ・とぢらが尊 霊 と,四人一所に入られけり。あはれなりし事どもなり。 ( 平家物語 上,28・29頁より引用) 17歳で尼姿になって前に立っている仏御前の固い阿弥陀信仰の深さに対し,時には仏御前を うらめしく 思ったことを恥じる 王は今や仏御前には うらみもなし,なげきもなし と許す。 その上で 王は仏御前が 穢土(この娑婆世界)をいとひ,浄土をねがわんと,ふかく思ひいれ 給ふ 大道心に感動して,共に 往生の素懐 を遂げるのに法要と勤行に努めるのであった。終 に4人は,誓願を叶え,極楽往生を遂げるのであった。この4人の死を知り,後白河法皇は 長 講堂の過去帳に 王・ 女・仏・とぢらが尊 霊 と四人一所に入れ て,弔うのであった。 以上のべたように, 平家物語 が阿弥陀信仰を思想的背景に形成されたことは 王 編に集 約され, 平家物語 の無常を表す一つの主題を成していることから窺える。 王は仏御前と共に 平清盛の寵愛を離れて嵯峨の庵りで阿弥陀仏と唱えながら後生での極楽往生に備えて法要と勤行 に務めて 往生の素懐 を遂げ, 平家物語 の無常,空観から善知識に導かれる庶民階層の代表 者を務めるのであり,白柏子に代表される芸能者集団の仏教観をも表している。 平安時代の中頃から末期にかけて 王に代表される庶民階級の底辺にまで阿弥陀信仰が広がっ ているが,他方,平家の頂点にたつ平薩摩守忠教は平清盛の異母弟にあたり,熊野地方で育ち, 一の谷の西手を守る将軍となるが,阿弥陀信仰を深める貴族=武士階層を代表する者として位置 づけることができる。前に述べたように,義経が一の谷 鵯 越えを騎馬の坂落しで,一挙に駆け 降りて平家軍を懐滅するが,そのため,忠教は百騎を率いて落のびようとするところを坂東武士 の猪俣党岡部六郎忠純に見つかり,勝負を次のように挑まれる。 薩摩守忠教は,一の谷の西手の大将軍にておはしけるが,紺地の錦の直垂に黒糸 おどしの鎧 着て,黒き馬のふ とうたくましきに,いッかけ地の鞍 をいて乗り給へり。其勢百騎ばかりがなかに打かこまれて,いとさはがず, ひかへ 〳 〵 落給ふを,猪俣党に岡辺の六野太忠純,大将軍と目をかけ,鞭,あぶみをあはせて追ッ付たてまつり, 抑いかなる人で在まし候ぞ。名のらせ給へ と申ければ, 是はみかたぞ とて,ふりあふぎたまへるうちかぶ とより見入れたれば,かねぐろ也。あッぱれ,みかたには,かねつけたる人はないものを。平家の君達でおはす

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るにこそと思ひ,をし並べてむずとくむ。これを見て,百騎ばかりある兵ども,国 のかり武者なれば,一騎も 落あはず,われさきにとぞ落ゆきける。 ( 平家物語 下 170-171頁より引用) 薩摩守忠教は平氏の中でも勇猛な武者であり,黒糸おどしの大鎧を着て呈ましい黒の馬に乗っ て一の谷から落ちのびる途中,岡部六郎忠純に勝負を挑まれ,騎馬戦で刀で切り付け,岡部六郎 忠純に傷を負わせ,後一振というところで六郎忠純の従者に右のかひなを切り落とされ,覚悟を 次のように決意する。 薩摩守, にッくひやつかな。みかたぞと言はば,言はせよかし とて,熊野そだち,大ぢからのはやわざにて おはしければ,やがて刀を抜き,六野太を馬の上で二 刀,落ちつくところで一刀,三刀までぞつかれける。二刀 は鎧のうへなればとをらず,一刀はうちかぶとへつき入られたれども,うす手なれば死なざりけるを,とッてお さへて頸をかゝんとし給ふところに,六野太が童 をくればせに馳来ッて,うち刀を抜き,薩摩守の右のかいなを, ひぢのもとよりふつときり落す。 ( 平家物語 下,171頁より引用) 薩摩守忠教は騎馬戦の刀での戦いに勝ち,六郎忠純の首を き切うとした に,逆に従者に切 られてしまう。 かくて,薩摩守忠教はその深い傷から覚悟を決め,最後に 十念唱えん と南無阿弥陀仏を唱 え,最後に極楽往生への願いを込めて 光 明 遍照十方世界,念仏 衆 生 摂取不拾 ,つまり, 阿 弥陀仏の光明は遍く世界のはてまで照し,念仏を唱える衆生をすべて極楽浄土に救いとり,決し てお拾てになることはない とのべ次のように討たれるのであった。 今はかうとや思はれけん, しばしのけ,十念 唱へん とて,六野太をつかうで弓だけばかりなげのけられた り。其後西にむかひ,高 声に十念 唱へ, 光 明 遍照十方世界,念仏衆 生 摂取不捨 とのたまひもはてねば,六 野太うしろよりよッて,薩摩守の頸を討つ。よい大将軍 討ッたりと思ひけれども,名をば誰とも知らざりけるに, ゑびらにむすび付られたる文をといて見れば, 旅 宿 花 といふ題にて,一首の歌をぞよまれたる。 ゆきくれて木のしたかげをやどとせば花やこよひあるじならまし忠教 とかゝれたりけるにこそ,薩摩守とは 知りてンげれ。太刀のさきにつらぬき,たかくさしあげ,大音声をあげて, この日来,平家の御方に聞えさせ給 ひつる薩摩守殿をば,岡辺の六野太忠純が討ちたてまッたるぞや と名のりければ,敵もみかたも是を聞 ひて, あないとをし,武芸にも歌道にも達者にておはしつる人を。あッたら大将軍を とて,涙を流し,袖をぬらさぬ はなかりけり。 ( 平家物語 下,171-172頁より引用)

⑶ 大乗仏教の無常観と阿弥陀仏信仰の形成

薩摩守忠教が最後に唱えた阿弥陀信仰は 観無量寿経 の中で浄土を観想する 16の方法のうち, 第 16観 の 下品下生 での 十 念 に当たる文章と思われる。この 十六観 による浄土観

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想は 命の終る時 に 10回 南無阿弥陀仏 と唱えて死ぬと,阿弥陀仏に来迎されて極楽往生す るもので,その意味で死ぬ直前に菩提心を発すことから 下品下生の者 の観想と見なされる。 この第 16観は次のように極楽往生への 法として唱えられるのである。 【漢訳書き下し文】 仏は,阿難および韋提希に告げたもう, 下品 上 生> とは,あるいは衆 生ありて,もろもろの悪業を作る。 方等 経 典を誹謗せずといえども,かくのごときの愚人は,多くもろもろの悪を造りて,慚愧あることなし。命が 終らんと欲する時,善知識の,〔その人の〕ために大 乗 十二部経の首題の名字を讃えるに遇わん。〔その人は〕か くのごとき諸 経の名を聞くをもってのゆえに,千劫の極 重の悪業を除 却す。智者は,また,〔その人に〕 合 掌・ 叉手して 南無阿弥陀仏>を称えよ と教う。〔この〕仏の名を称うるがゆえに,五十 億劫の生死の罪を除く。そ の時,かの仏は,すなわち化仏と化観世音・化大勢至を遣わして,行 者の前に至り,讃えていいたもう, 善男子 よ,汝は,仏の名を称うるがゆえに,もろもろの罪が消 滅す。われ,来りて汝を迎う と 。(中略) 仏,阿難および韋提希に告げたもう, 下品 中 生> とは,あるいは衆 生ありて,五戒,八戒および具足戒を 毀犯す。かくのごときの愚人は,僧 物を み,現前僧物を盗み,不浄 説法して,慚愧あることなく,もろもろ の悪業をもって,しかもみずから荘 厳す。かくのごときの罪人は,悪業をもってのゆえに,まさに地獄に堕すべ し。命が終らんと欲する時に,地獄の衆火,一時にともに至る。〔その時〕善知識の,大慈悲をもって,〔かれの〕 ために阿弥陀仏の十 力の威徳を説き,広くかの仏の光 明の神力を説き,また戒・定・慧・解脱・解脱知見を讃う るに遇わん。〔しからば〕この人は聞きおわりて,八 十 億劫の生死の罪を除く。(中略) 仏は,阿難および韋提希に告げたもう, 下品下生> とは,あるいは衆 生ありて,不善の業たる五逆・十 悪を 作り,〔その他〕もろもろの不善を具す。かくのごときの愚人は,悪業をもってのゆえに,まさに悪道に堕し,多 劫を経 歴して,苦を受くること窮まりなかるべし。かくのごときの愚人は,命が終る時に臨みて,善知識の,種々 に安慰して,〔かれの〕ために妙 法を説き,教えて仏を念ぜしむるに遇わん。この人は,苦に られて,〔多くの〕 仏を念ずるに遑あらず。〔かの〕善友は,告げていう, 汝よ。もし〔 仏を〕念ずることあたわざれば,まさに無 量 寿仏〔の名〕を称うべし と。かくのごとく,至心に,声をして絶えざらしめ,十 念を具足して, 南無阿弥 陀仏>を称えしむ。仏の名を称うるがゆえに,念々の中において,八 十 億劫の生死の罪を除き,命が終る時,金 蓮華の,なお日輪のごとくなるが,その人の前に住するを見ん。一念の頃のごとくに,すなわち極楽世界に往 生 することをえ,蓮華の中において,十二大劫を満ちて,蓮華まさに開く。〔その時〕観世音・大勢至は,大悲の音 声をもって,〔その人の〕ために,広く諸法の実相と,罪を除滅する法を説く。〔この人は〕聞きおわりて歓喜し, 時に応じて,すなわち菩提の心を発す。これを 下品下生の者> と名づく。これ(下品の三種の往 生の観想)を 下輩の生まれる想い> と名づけ, 第 十 六観> と名づく 。 (中村元 浄土経典 174-176頁より引用) 観無量寿経 は前述した第 16観を含め 16の観想に関する方法を挙げ,1∼13観までを定心 (精神統一の状態)と 14∼16観を散心(心の散乱している状態)とに け,次の観想を描く。 第一に,日没を観想して,西方の極楽を想うという 日想観> です。 第二に,水や氷のすがたを観想して,極楽の大地が瑠璃のようにきらめていると想う 水想観>。 第三に,水のすがたをさらに明らかにとらえ,それによって,極楽の大地を観想する 地想観>。 第四に,極楽のいろいろの樹が,宝石をちりばめて,きらきらしている,その不思議なすがたを観想する 樹 想観>。 第五に,宝の水をたたえた池を観ずる 宝池観>。この水には,八種の功徳があります 八功徳水>。 第六に,宝のような高楼を観ずる 宝楼観>。

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第七に,阿弥陀仏の立派な台座(華座)を観ずる 華座観>。 第八に,仏像を観想して阿弥陀仏を想う 像想観>。これは 観無量寿経 のなかでは,とくに重要なものです。 仏のすがた(像)を心に浮かべよ,というのです。 第九に,その奥にある真実のすがたを観想する 真身観>。 第十に,観世音菩薩を観想する 観音観>。 第十一に,勢至菩薩を観想する 勢至観>。 第十二に,あまねく仏,菩薩,浄土などを観想する 普観>。 第十三に,仏のほんとうの身体やあるいは仏像など,いろいろな仏のすがたをまじえて観想する 自在身観>。 それから, 第十四に,上 品三生を観想する 上観>。 第十五に,中 品三生を観想する 中観>。 第十六に,下品三生を観想する 下観>。 (中村元 浄土仏教 163-165頁より引用)

5章 日本経営 の人間像と心の教え

東南アジアの人間像を明らかにするため, 法として東南アジアに共通する原像として想定す るのは第1に中央ユーラシア大陸の中央アジアの支配を巡って衝突しあう遊牧騎馬民族征服王朝 の形成である。その代表としてチベット帝国の騎馬民族が1編で取りあげられ唐,ウィグル帝国 との対立の中から位置づけを試みた。2編と6編ではその 長線上にブータンと日本の騎馬民族 征服王朝を明らかにした。 第2に東南アジアに共通する原像としては大乗仏教国としてのチベット仏教,ブータン仏教, そして日本仏教を取りあげ,それぞれ大乗仏教の共通性と相違点を比較 の立場から明らかにし た。結論として⑴チベット仏教はリンチェン・ドルマの チベットの娘 を一次的資料として見 倣し,ダライ・ラマの観音菩薩の化身系譜を中心にする観音信仰を位置づけた。⑵ブータン仏教 はドルジュ・ワンモの 幸福大国ブータン を一次資料として位置づけ,ブータン仏教ドゥモ派 の価値観の上に築かれる 幸福大国 の担い手を 開花された人間 と類型化した。仏教徒であ る 開花された人間 はこの世の空観,無常観からの解脱する 法として善の廻向と念仏信仰を 両輪にする功徳=福徳国家(精神的に豊かな社会)を担い,その結果 幸福大国 (GNA)を築き, 現代のブータンを欧米の物の豊かさの社会=経済大国(GNP)と対比した。

1章 人間像と心の教え

日本仏教はこれらチベット仏教とブータン仏教と共通する大乗仏教の金剛乗を天台宗,真言宗 に求め,さらに法華経の観音信仰から浄土仏教の阿弥陀信仰へ発達する特異性を 保元物語 及 び 平家物語 を一次資料にして探り,掘り下げた。この結果,日本仏教の神秘的密教は本地垂

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迹で熊野三山を位置づけ国王と仏王の融合として院制,或いは天皇制の正当性を権威づけ,他方, 浄土仏教の禅的瞑想精神主義から武士道精神,天皇制ナショナリズムの芽を育くみ,成長する根 源となった点を既に述べた処である。日本仏教は 平家物語 の無常,空観思想から救いを観音 信仰,さらに阿弥陀信仰へ求めて純化しながら, 法として善の廻向と念仏信仰を両輪にする仏 教の功徳=福祉国家を既に築き,開花された人間 を歴 の担い手として生み出す原因と化する。 これまで述べたように日本経営 の原像を構成するのは,第1に騎馬民族征服王朝であり,そ の担い手を騎手兵と位置づけ,第2に日本仏教によって育くまれる 開花された人間 を東南ア ジアに共通する人間像として見なし,日本の歴 における普遍性をこうした 開花された人間 に求めて来たのである。 網野善彦,さらに石井進,或いは柳田国男が日本の歴 を縦の支配論から横の人間の鎖の広が りへと視座を移して再検討し,そこに中世,或いは近世の新しい人間像を設定しようとする。特 に,柳田国男は民俗学の立場から地主=小作人を大家族の結的結合と見なし,山田盛太郎の日本 資本主義の担い手としての経済的地主=小作人と異なる人間像として描いている。 しかし,これらの新しい日本の原像の普遍性を探る研究は最近の平川南によって進められ,古 代 と現代 の相互 流から日本の原像を求ようとしている。だが,日本の原像は精神の側面か らも浮ぼりにされえるのでないかと え,この論文の中心課題と見なすのである。ここでの試み は日本の原像を探り,さらに日本の東南アジアにおける位置づけを普遍性の側面から見きわめる 試みを行い,この立場から⑴騎馬民族論,⑵仏教による 開花された人間 を取りあげたのである。 ドルジェ・ワンモが 幸福大国ブータン で提示する新しい2つの人間像(仏教徒の 開花さ れた人間 と近代化論の物の豊かさを追求する経済人としての人間)は東南アジアを含む世界的 規模で展開され,とりわけ開発論の中心となる南北問題として世界 的規模で現に横たわり,解 決を求めている普遍的な人間像と見なされる。近現代 の担い手の人間像はドルジェ・ワンモの 言う 開花された人間 と近代化論の経済人である 閉じられた人間 との対立・克服として日 本の歴 を特徴づけている。この2つの人間像を 析し新しい経済学と経営学を構築したのが, アマルティア・センと P.F.ドラッカーである。

2章 現代日本の人間像:アマルティア・センの日本人像

アマルティア・セン(以後センと略)は 1933年インド・ベンガルで生まれ,カルカッタ大学を 卒業し,ケンブリッジ大学で学位を取り,この 自由と経済開発 (石塚雅彦訳,日本経済新聞社) で 1998年度ノーベル経済学賞を受け,経済学の新しい後進国開発論を切り開いたとして評価され ている。センはこれまでの途上国,或いは後進国の近代化,或いは資本主義への発展に対して批 判する。すなわち,センはこれまでの近代化論の経済人を担い手とする経済開発に対して新しく 自由の秘める人間の潜在能力の開発を対置して 開花された人間 を育くむことを新しい自由の 開発として次のように描く。

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開発とは,人々が享受するさまざまの本質的自由を増大させるプロセスであると見ることができる。本書はこ のことについて論じる。人間の自由に焦点を当てる開発論は,開発を国民 生産(GNP)の成長,個人所得の上 昇,工業化,技術進歩,社会的近代化などと同一視する狭い見方とは対照をなす。もちろん GNP や個人所得の成 長は,社会の構成員が享受する自由を拡大する手段として非常に重要なものになり得る。しかし自由を決定する 要因はそれだけではない。社会的・経済的な制度(例えば教育施設や医療)のほか,政治的・市民的権利(例え ば 開の討論や検討に参加する自由)なども含まれる。工業化,技術進歩,社会の近代化は人間の自由を大きく 増大させることができるが,自由はほかの要因にも影響される。このようにもし自由が開発によって促進される のであれば,特定の方法や選ばれた手段ではなく,自由という目標全体に焦点を当てた議論が重要なはずである。 また,開発を自由の拡大という基準で見ることは,開発の過程でいくつかの際立った役割を果たす手段だけでは なく,なぜ開発が重要になるのかという目的に注意を向けさせるのである。 開発の目的は不自由の主要な原因を取り除くことだ。 困と圧政,経済的機会の乏しさと制度に由来する社会 的窮乏, 的な施設の欠如,抑圧的国家の不寛容あるいは過剰行為などである。世界が全体としては前例のない ほど豊かになっているにもかかわらず,現代世界は膨大な数の人々 多 ,大多数の人々 に対して基本的 な自由を与えていない。時として本質的な自由の欠如は経済的 困に直接関係がある。それは飢えを満たし,十 な栄養を摂取し,治すことのできる病気の治療を受ける自由や,必要な衣料を身にまとい,雨露をしのぐ住居 を得,清潔な水や衛生施設を享受する機会などを人々から奪う。また別の場合には,不自由は疫学的対策,医療 のための組織体制や教育施設,地域の平和や安全を維持するための効果的な制度といった 的な施設や社会福祉 の欠如と密接につながっている。さらにまた,自由の侵害は権威的体制による政治的,市民的自由の否定,地域 社会の社会的,政治的,経済的活動に参加する自由の規制などの直接の結果として生じる。 (アマルティア・セン 石塚雅彦訳 自由と経済開発 (日本経済新聞社 1-2頁より引用) センは 開花された人間 の育成を新しい開発の担い手として重視する。センは伝統的な近代 化論の経済人(物の豊かさを追求する人間)を GNP 型人間として2つの人間像の対立と捕えてい る。ここでは 開発された人間 をドルジェ・ワンモの言う精神的に豊かさを追求する人間の GNH 型人間として位置づける。すなわち,センは近代化論の経済人を 開発を国民 生産(GNP)の 成長,個人所得の上昇,工業化,技術進歩,社会的近代化 を担う GNP 型人間と見なす。他方, センは開発の目的を人間の 不自由の主要な原因を取り除くこと と見なし,新しく社会開発を 経済開発と位置ずけ,生まれたインドの開発を踏まえて明らかにする。すなわち,社会開発は 困と圧政,経済的機会の乏しさと制度に由来する社会的窮乏, 的な施設の欠如,抑圧的国家の 不寛容あるいは過剰行為 を取り除き,改善するために 開花された人間 による開発を近代化 論の経済開発と比較する。すなわち,センは最初に社会開発を自由の潜在能力を高める教育,福 祉を中心に進め,次に経済開発に取り組むべきものと えと,社会開発の先行と人材教育の離陸 take out を強調する。 こうしてセンは社会開発を自由な力を教育で身につけさせ,仕事に就けることを目標に掲げ, 人間の安全保障論を政治的自由と生活の質の向上から行なわれるべきであると次のように述べ る。 自由は二つの際立った理由で開発の過程にとって何よりも重要である。 ⑴評価にかかわる理由 進歩の測定は,人々が持つ自由が強化されたかどうかを主たる基準に行われなけれ

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ばならない。 ⑵効果にかかわる理由 開発の達成は人々の持つ自由な力(agency)に全面的に依存している。 私はすでに,第一の理由を明らかにした。自由に焦点を当てる場合の評価にかかわる理由である。第二の理由 は,すなわち効果にかかわる動機を追究するにあたっては,経験に基づく,相互連関の意義に目を向けなくては ならない。特に,異なった種類の自由がお互いを強化するような連関である。これらの相互連関性は,本書でか なり詳しく 察するが,自由で持続可能な力が生まれ,開発の大きな原動力になるのはこの相互連関性のおかげ である。自由な力そのものが開発を構成する要素であるだけでない。他の種類の自由な力の強化にも寄与するの である。この研究で広い範囲にわたって探究されている経験的連関性は, 自由としての開発 という え方の二 つの側面を結び付けている。 個人の自由と社会開発の達成との関係はそれ自体重要なことであるが,これは単に互いの構成要素であるとい う以上の問題である。人々が積極的に達成することができるものは,経済的機会,政治的自由,もろもろの社会 的な力, 康であることを可能にする条件,基礎的な教育,主体的な行動の奨励と涵養などによって影響される。 これらの機会を確保するための体制は,人々が自由を行 することによっても影響を受ける。それは社会的選択, これらの自由を前進させる の決定に参加する自由を通じて行 されるものである。 (アマルティカ・セン,前掲書,2-3頁より引用) 社会開発は人間のセフティ・ネット,つまり安全保障論の制度を確立し,教育,医療, 康, 年金,経済的機会,政治的自由,福祉,生きる価値観等の社会的選択,政治的参加の自由によっ て推進され, 開花された人間 の育成を最優先する。センは 困の原因を 潜在的能力の欠如 に求め,通説の所得に由る 困を次のように批判する。 社会正義を 析するにあたって,ある人が持つ潜在能力を基準にして個人の利益を判断することの妥当性が主 張された。すなわち,その人が自ら生きる価値があると思うような生活をするための本質的自由である。この え方によれば, 困はたんに所得の低さというよりも,基本的な潜在能力が奪われた状態と見なければならない。 ところが現在のところ, 困を説明する標準的な基準は所得の低さである。潜在能力の 困という え方は,低 所得が明らかに 困の主たる原因の一つであるというもっともな見方を決して否定するものではない。所得の欠 如はある人の潜在能力を奪う主要な原因であり得るからである。 たしかに,所得の不十 さは 困の大きな条件である。そうならば, 困を(所得に基づく標準的な評価に対 して)潜在能力の観点から眺めることを主張する意味は何なのか。私は 困についての潜在能力アプローチを支 持する以下の点であると える。 ⑴ 困は潜在能力の欠乏という観点から正しく説明することができる。このアプローチは(手段としてのみ意 味のある低所得とは違い)本質的な重要性を持つ欠乏状態に関心を集中するものである。 ⑵所得の低さ以外にも潜在能力に したがって真の 困に 影響を与えるものがある(所得は潜在能力を 生み出す唯一の手段ではない)。 ⑶低所得と低潜在能力の間の媒介的関係は異なる地域社会,さらに異なる家族や個人の間ですら可変的である (潜在能力に対する所得の影響は不確定であり状況に左右される)。 (アマルティア・セン,前掲書,99-100頁より引用) センは3つの 困を解決するため教育を身に付け,人間能力の向上を人間のセフティ・ネット の形成と位置づける。 第一の 困は所得の低さよりもその人間の潜在的能力の低さから生み出され,例えば年齢,性, 場所,環境等の影響を受ける。

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第二の 困は年齢,障害,病気などの不利な条件による低所得に原因する。 第三の 困は伝統的な慣習,制度に由来し,例えば長子相続制による財産の配 ,或いは性差 別,男尊女卑の習慣に由来している。 センはインドの 困の低減を人間の潜在的能力の拡大,改善に求める成功例をケララ州の社会 開発政策について次のように描く。 しかしながら,ケララは経済成長があまり高くないにもかかわらず,インドのどの州よりも急スピードで所得 の 困を低減させた。ある州(パンジャブはもっとも顕著な例である)は高い経済成長を通じて所得の 困を減 じてきたが,ケララは 困を低減させるのに基礎教育,保 ,平等な土地配 などの拡大に依存するところが大 きかったのである。 所得の 困と潜在能力の 困の以上のようなつながりは強調するに値するが,同時に重要なのは,所得の 困 の低減だけではおそらく反 困政策の最終的な動機にはならないだろうという基本的な事実を見失わないことで ある。 困を所得の欠乏という狭い規準で見て,教育,保 などが所得の 困を減じるという目的にとって良い 手段だからという理由で,これらに対する投資を正当化することには危険がある。これでは目的と手段を混同す ることになるだろう。すでに論じた理由で,基本的な問題は,人々が本当に送ることのできる生活,人々が実際 に持っている自由という観点から 困と欠乏を眺めることをわれわれに強いるのである。人間の潜在能力の拡大 はこれら基本的な 察に直接当てはまる。人間の潜在能力は,生産性と所得獲得力の拡大と一緒に向上するとい う傾向もある。この連関は,潜在能力の改善が直接,間接に生活を富ませ,欠乏状態を少なくし激しさを減じる ことを助けるという重要な間接的なつながりを作り上げる。 (アマルティア・セン,前掲書,104-105頁より引用) センは人間の潜在的能力の拡大をその人間の自由を広げ,生産性と所得拡大とを一緒に向上す ることが望ましい循環と え,経済開発との関連性を重視する。さらに,センは人間開発を推進 する 共政策の効果に注目し,教育,医療,土地改革を通して人間の能力開発と自由の拡大を実 現して生活の質を高め, 困の制約をうち破ることに社会開発の意義を次のように見出そうとす る。 開発途上国一般にとって,社会的機会の 出における 共政策のイニシアチブの必要性は決定的に重要である。 すでに論じたように,今日の豊かな国の過去に,教育,医療,土地改革そのほかの問題に対処した 的な行動の 注目すべき歴 を見ることができる。これら社会的機会を広範に共有したことが国民の大多数に経済拡大のプロ セスに直接参加することを可能にしたのである。 ここでの真の問題は財政保守主義そのものの必要性ではなく,ある政策形成関係者の間に支配的な,人間開発 は豊かな国だけ可能な一種の贅沢であるという基本的 そして議論されないことが多い 信念である。東ア ジア諸国経済が近年達成した成功(数十年前の日本から始まった)の恐らくもっとも大きな影響は,このような え方に内包されている偏見を完全に弱体化させたということだろう。これら諸国の経済は比較的早い時期に教 育の大規模な拡大,そしてその後には医療に取り組んだのだが,多くの場合は,一般的な 困の制約をうち破る 前にこのようなことを実行したのである。そしていくつかの国が最近見舞われた金融危機にもかかわらず,ここ 何十年間かの実績は全体として特筆すべきものだった。人的資源に関する限り,これらの国々は種を蒔いただけ の収穫を得たのである。実際,人的資源開発を優先した事例は,十九世紀半ばの明治時代に始まる日本の経済発 展の初期の歴 に特に当てはまる。その後日本が金持ちになり豊かになったからといって,その優先度が特に強

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