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発行元 三信倉庫㈱ 発行責任者 大竹英明 編集責任者 木村嘉宏今年のノーベル平和賞は、国際 NGO の核兵器廃絶国際キャンペーン (ICAN) が受賞しました。ICAN とは、
各国政府に対して核兵器禁止条約の交渉開始・支持の働きかけを行うために設立された全世界的なキャン
ペーンの連合体のことです。101 ヶ国で 468 団体が参加しています。受賞理由は、国連で核兵器禁止条約が
採択されるのに貢献したため、ということだそうです。
一方、核兵器禁止条約は、今年の 7 月 7 日に 122 ヶ国、地域の賛成多数により採択された条約です。文字通り、
核兵器の全面的な禁止と根絶を目的にしています。しかし、核保有国や核の傘の下にいるカナダ、ドイツな
どの NATO 加盟国や日本、韓国、オーストラリアなどは不参加となりました。
広島、長崎の原爆の被害を受けた戦後、また 1954 年に第五福竜丸がビキニ環礁での水爆実験の放射能の
被害にあって以来、日本は唯一の被爆国として、核兵器廃絶を世界に訴えてきました。昨年には原爆投下国
であるアメリカのオバマ前大統領が、初めて広島を訪れ、献花をし、平和記念館を見学したということで、
ようやくその活動の効果が出てきたといったところでした ( 前大統領がこの広島訪問時にも、核ミサイルの
ボタンを持っていたというのは、すっきりしないものがありますが、現状ではやむを得ないのでしょう )。
そのような活動をしてきた日本が、この条約に参加しないということは、矛盾しているのではないかと感
じます。もちろん、条約の内容に合意できないことがある、主張に合わないことがあるといったことがあれば、
参加しないのは説明できますが、日本はそもそも条約の会議にすら出席していません。つまり、内容以前に
この条約そのものの枠組みに賛同できないということなのです。このことについて、政府からの詳しい説明
はありません。北朝鮮の核兵器開発に対抗するため、という意見もあるようですが、そもそも北朝鮮は財政
的に困窮しています。全世界で核兵器を廃止するならば、喜んで参加すると思います。
日本としては、アメリカの核の傘の下で守られているという事実から、不参加を決めたのでしょうが、ア
メリカと協調しながら、核兵器禁止の活動を進めるという選択肢もあったと思うのです。政府内でどのよう
な議論があったのかはわかりませんが、これではアメリカの言いなりとしか見えず、情けない感じがします。
ぜひ政府には、これまでの核兵器廃絶の流れを受けて、核兵器禁止条約に参加してもらいたいと思います。
今回の受賞についての救いは、ICAN の中心メンバーに日本人がいたことと、皇后陛下が受賞について賛辞
を送ってくださったことです。
ノーベル平和賞
と
核兵器禁止条約
夏休みにハワイへ遊びに行った。 中1、小5、小2の孫も一緒だったので遊ぶだけではなく、社会科見学をかねて真珠湾ツアーに参加した。 日本人にとって真珠湾は複雑な思いがよぎる。 アメリカとの戦いが始まったところだし、 米側からすると事前通告なしの奇襲だったと 言われている。 日本は宣戦布告文を電信で送り、 ワシントン駐在の日本大使館員がアメリカ政府に手渡すはずだったのが、 たまたま日曜 日で手続きが遅れてしまい、 渡した時にはすでに攻撃が始まっていた。 一方でそのころの日本軍の暗号は全て解読されていて、 真珠湾 攻撃も事前に察知されていたと識者は言う。 第1次世界大戦で欧州の同盟国に手を差し伸べたために、 多くの犠牲者を出してしまった米 国民には厭戦気分があり、 そんな空気を一変させようとルーズベルト大統領が奇襲を容認したという見方もある。 事実真珠湾以降、 “Remember Pearl Harbor” のスローガンのもと米国民は一致して日本に対峙することとなった。
さて真珠湾は今でもアメリカの軍事施設の中にあり、 地域内に入るには厳重なチェックが必要。 入場前には自動小銃を構えた兵士がツ アーバスに乗り込み、 臨検をする。 入場してもバスの外は写真撮影を規制されたり、 バスから降りる時は身の周り品はバスに残すよう指 示され観光地ではない事が伝わってくる。 見学場所は、 太平洋航空博物館、 撃沈した戦艦アリゾナの洋上に作られた記念館。 さらに日本が降伏文書に調印した戦艦ミズーリの 実物。 航空博物館には本物のゼロ戦や米軍の戦闘機などが展示され、 ミズーリ艦上には特攻隊が激突した後が生々しく残っている。 もちろ ん日本人飛行士は激突死したが、 自分たちを殺そうとした憎き兵士を米兵が囲んだところ、 司令官がまだ10代の兵士を懇ろに扱うよう 厳命し、 翌日米兵手作りの日章旗に包まれて水葬されたという。 アリゾナ記念館は一年前、 安倍首相が日本の総理大臣として初めて訪れ、 犠牲者に花輪をささげたところ。 それまで真珠湾を訪れる 観光客のうち日本人はわずか3%だったものが、 このセレモニー以降10%に跳ね上がったという。 一連の展示は 「日本人は日本のために戦った。 アメリカ人はアメリカのために戦った。」 という公平な精神で貫かれていて、 そこには だまし討ちとか卑怯者とかの記述は全くなかった。 戦後70年以上経過した今、 一度は訪れたい場所だ。
大竹広明
香港 ・ 深セン視察研修レポート
あるある
ロジスティクス
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今年度の東京倉庫協会研修委員会主 催の海外物流事情視察研修は、イギリ スから中国への返還 20 週年を迎えた 香港と、経済成長著しい深センを視察 してまいりました。 香港はイギリス統治時代に大きな発 展を遂げ、金融、物流、観光の拠点と して華南地区を主導してまいりました。 中国返還後も、独自の自治権が与えら れる特別行政区として一国二制度に守 られながら、その地位を築いています。 一方深センは、ほんの40年足らず前まで華南地区の一寒村 だったものが、中国の改革開放政策において重点地域の指定を 受けたために急速な発展を遂げ、今では北京市、上海市、広州 市と並んで中国の4大都市と呼ばれるまで急成長しました。そ の間にはまず工業化があり、その後、金融業や情報通信産業が 発達し、現在では携帯端末やパソコン、ドローンなど、世界の 先端市場において高いシェアを誇る会社の本社があります。 この両都市は広州、マカオなどとともに「珠江デルタ地帯」 を形成しており、大きな成長を示している地域です。物流にお いても、両都市とも広く、かつ近代的な港湾を擁し、中国内陸 の都市に対する輸出入の拠点として、また、東アジア、東南ア ジアとヨーロッパ、アメリカを結ぶ中継地点として、発展を続 けています。さらに、中国の一帯一路政策により、海だけでな く陸送にも力を入れており、深センを出発地のひとつとする ヨーロッパに対する鉄道を用いた輸送手段の開発にも取り組ん でいます。香港では、コンテナターミナルと 香港日通の倉庫を見学しました。香 港港の取扱量は、2015 年に世界第 三位から第五位に下りましたが、深 セン港、広州港と合わせると、ほと んど変化がないとのことです。関税 のほとんどが無税であり、輸出入申 告も事後でよいなど、貿易を行うの 深センでは、塩田港および後背地に位置する保税倉庫と、イオンの物流センターを見学しました。塩 田港は開港が 1994 年と新しいが、飛躍的に取扱量を伸ばしており、水深 17.6mのバースを用いる など、近代的な船舶輸送に対応しています。また、港まで鉄道の線路が通じており、一帯一路政策の一 環として、ここからドイツまでのコンテナ輸送を試験的に開始しています。時間、費用の面で、飛行機 と船舶との間を狙っているとのことです。イオンの物流センターは市街地からかなり離れたところに立 地しています。道路インフラが整備中であることもあるが、渋滞対策には頭を悩ませているようです。 なお、市内にはかなり電気自動車が目立ち、バス、タクシーのほとんどは電気自動車になっています。 また、自己所有の自転車はほとんどみかけず、街中にシェアサイクルが普及しているのも新鮮に感じま した。 また、深センに入った途端に、google、LINE、facebook、twitter などが使えなくなりました。 以上、華南地区二都市を訪問してまいりましたが、渋滞等の問題はあるものの、街の構造に立体交 差が多く、港湾も近代化されていて、両都市の経済が活発であることを実感できました。さらに、香 港は金融、深センは IT と、工業都市からの転換を図っており、その中で都市構造がどのように変わっ ていくかというのも勉強になった視点でした。また、案内していただいた方々を含めて、女性が男性 と同じように活躍されているということも印象的でした。
はじめに
香港
深セン
おわりに
1
3
4
香 港 港 昔ながらの構造の倉庫もあります 塩 田 港 深セン発ヨーロッパ行きコンテナ列車 電気自動車のバス よく見ると排気筒がありません 黄色の自転車がシェアサイクル 街中に共産主義のスローガンが 掲示されています大竹英明
東京倉庫協会
研修委員長
)
(
情報統制と中国企業が開発 したアプリを使いなさいと いうことらしいですが、と ても不便でした。逆に言う と、日常生活で無意識のう ち に、こ れ ら の ア プ リ に 頼っているということがよ くわかりました。 に非常に恵まれた環境になっていま す。しかし、平地が少なく、優良な 倉庫物件が不足しているためと思わ れるが、倉庫の賃貸料が非常に高い、 また、都市部の道路は整備されてい るものの自動車数が多く、香港島と 九龍半島とを結ぶ海底トンネルを中 心に渋滞が発生するなど、物流に とって不利な状況もあります。 深セン2
2017 社員旅行 IN 箱根
2017 社員旅行 IN 箱根
2017 社員旅行 IN 箱根
2017 社員旅行 IN 箱根
出発・バス車中
2017年10月28日(土)・29日(日)に社員旅行に行ってきま した。行先は箱根。天候はこの時期にまさかの台風が接近してきて雨 だったのですが、当日の悪天候にも負けず、誰一人遅刻することもな く定刻通りに出発することができました。 例年に比べスロースタートな印象の車内でしたが、途中合流の長澤所 長が加わることによって後方座席のメンバーが調子を取り戻したかの ごとく賑やかになりました。恐るべし、潔効果。箱根神社
交通安全・心願成就・開運厄除の神様である箱根大神を祀っている由緒 ある神社を参拝してきました。関東における山岳信仰の一大霊場でもあ り、パワースポットでもある箱根神社。そんな中でも宝物殿の前に置か れている(宝物殿には入っていないので!)狛犬からパワーを感じとり、 とても印象に残りました。大涌谷
箱根観光でも 1,2 を争うメジャースポット、大涌谷。 本来なら早雲山よりロープウェイにて行くはずでしたが火山ガス濃度 が高かったため断念することに。乗車機会が滅多にないロープウェイ (去年久能山で乗ったことは置いといて)、是非乗りたかったところで したが、残念 !!! そんな中でも曇りながらに見えた早雲山の景色もなか なか趣きがありました。大涌谷では景色の方はあまりというか、まっ たく!見えませんでしたが名物の黒タマゴをしっかりと頂き、寿命を 7 年延ばすことに成功しました。昼食 BBQ
昼は芦ノ湖のほとり箱根園さんにてバーベキューです。 天候のせいか、お客さんも少なくほぼ貸切状態で BBQ を満喫するこ とができました。そんななか、肉・肉・野菜・肉・肉・肉!最後に焼 きそば!という感じでガッツリ美味しくいただくことが出来ました。ホテルおかだ
部屋は落ち着いた雰囲気でのんびりとできましたし、内湯の大浴場・露 天風呂ともに贅沢な開放感を楽しみながら浸かってきました。日帰り温 泉施設としても使用されている『湯の里おかだ』にも行ったのですが、 雨が降っていたことが逆に風流に感じられるような露天風呂で大満足で した。今回の宴会でも多くの方に歌っていただけましたが、その中でも 城南島のパフォーマンスはバリエーションに富んでいて、大変楽しませ てもらいました。かまぼこづくり@鈴廣
翌日も雨の中の移動が不安でしたが、鈴廣・かまぼこの里に無事到着。 かまぼことちくわの手作り体験に参加してきました。職人さんのかま ぼこ制作の手つきは説明をされても再現できない程の早業。 作成した蒲鉾は職人さんほどうまくはできませんでしたが、愛着が湧 いちゃいました。自分で練って形を整えたかぼちゃ入り竹輪(ハロウィ ン仕様)は普段の竹輪とは違う感じが新鮮で味も格別でした。~旅行後記~
今回の社員旅行では、バスガイドさんや添乗員さんが若いのにとてもしっかりとしている女性だったためか、社員の皆さんも心なし か喜んでいるように見えました。(特に若手社員の一部!)宴会やお風呂も楽しめましたので来年も是非、参加したいと思いますし、 参加できなかった方も楽しめること間違いなしなので是非来ていただければと思います。 出 会 い の パ ワ ー ス ポ ッ ト で も あ る、 箱 根 神 社。幸 あ れ と 願 わ ず に は い ら れません。 BY 編集部 噂の狛犬です。 ど ー で し ょ う か、 パ ワ ー 感 じ て 頂 け ていますか? ご覧ください、長澤所長を中心に据えた 瞬間にあふれ出るこの安定感。 『絶好調!長澤潔です!!』 このフレーズ、1 回使いたかったんです。 BY 編集部 外は寒くても問題無し。 黒タマゴを食べまくってきました ( 笑 ) 仲睦まじい二人。 可児君の表情も嬉しそうです。 職人さんの休憩にしか見えない千葉さん。 哀愁さえ感じる佇まいでした。 ここ数年安定感を増したと噂の宴会の様子です。 年代・営業所を越えて盛り上がっている様がお 伝え出来ていますでしょうか。 来年以降も盛り上がって行きましょー!板橋営業所 牧野 勝也
今年度全社員共通のイベントが終わってしまい残念に思っている、板橋営業所の牧野です。 今年度の楽しい社員旅行記事を任されたとのことで大変緊張していますが、 自分なりに思い出を語っていきますので、最後までお付き合いよろしくお願いします!ジ
ョ ー ナ ン
の
つ ぶ や き
各営業所の全所員に毎回毎回違うお題で一言つぶやいて もらうというコーナーです! 普段なかなか会う機会の少ない人でも、このコーナーを 通して少しでもその人のコトが分かればとの思いもあり ます。もしかしたら意外な一面が見えるかも…!?「 冬 の 思 い 出 」
遠藤さんは病気療養のため、今回は見送りとさせていただきました。 Nob utaka Tanak a 昔 、毎 年 の よ う に 仲 間 達 と 九 十 九 里 浜 ま で 、 強 行 初 日 の 出 ツ ア ー に 行 っ て い た こ と 。 若 か っ た な ぁ … と 思 い ま す 。 Hiroshi Chiba と あ る 忘 年 会 の 夜 、 と あ る 二 次 会 の お 店 で 、 と な り の 女 性 に「 ま だ 、こ こ に い て も い い ? 」 と 聞 か れ ま し た 。「 い れ ば い い じ ゃ ん 」 と 答 え ま し た 。 3 , 0 0 0 円 取 ら れ ま し た … 。 Jun Ito 忘 年 会 の 二 次 会 で 、 千 葉 さ ん が す ぐ に 指 名 し て 延 長 し ち ゃ う 事 で す 。 ど う い う お 店 か は お 答 え 出 来 ま せ ん が 、 と て も 印 象 に 残 っ て い る 思 い 出 で す 。 Y usuke Komatsu 小 学 生 の 頃 、 雪 が 降 る 度 に 山 の 斜 面 や 民 家 の 裏 山 ( ! ? ) を 、 友 達 と そ り で 滑 り ま く っ て ま し た 。 民 家 の 住 人 か ら 逃 げ て い た の も い い 思 い 出 で す 。 Kohei Otaka 小 学 校 ∼ 社 会 人 ま で 父 親 と お 風 呂 に 入 る の が 楽 し く て 、 冬 の 時 期 は 1 時 間 以 上 入 っ て い て 、 よ く 母 親 に 怒 ら れ た こ と 。 成 人 式 の 日 に 大 雪 が 降 っ た こ と 。 当 日 は 大 変 で し た が 、 今 で は い い 思 い 出 で す 。 Yu Hamanaka 以 前 の 社 員 旅 行 は 2 月 に 行 わ れ て い て 、 何 時 も 雪 が 降 っ て き た よ う な … 寒 か っ た 。 Kiy oshi Nagasaw a Yukio Abe 休 み が あ れ ば 行 っ て た ス ノ ー ボ ー ド 。今 は や っ て い ま せ ん が … 。 Takanori Hoshi 小学生の時、初めてスキーに行ったのですが、現地 について早々に高熱を出してしまい、滞在中一度も 滑ることができず…。無念の残る思い出です。 Hiroki Otake 去 年 初 め て ス ノ ー ボ ー ド に 挑 戦 し た こ と で す 。 運 動 不 足 で 腹 筋 が つ り 、 途 中 で 断 念 し ま し た が 、 ゲ レ ン デ で 飲 む ビ ー ル は 最 高 で し た 。 Konomi Saito 大 晦 日 に 地 元 の 公 園 で 友 達 と 朝 ま で 飲 ん で 、 遊 ん で 、 年 を 越 し た 事 で す 。 Kaneyoshi Narit a 小 中 学 生 の こ ろ 、 冬 は 雪 が 多 く て 、 カ マ ク ラ な ど を 作 り 、 そ の 上 を 竹 ス キ ー で 滑 っ て 遊 ぶ 事 が で き る く ら い 多 か っ た の で す が 、 今 で は … 。 そ の 頃 に 戻 り た い ? ! Suguru Shiratori お 祝 い 事 や 記 念 日 が 多 く 、 美 味 し い も の を 沢 山 食 べ ら れ る 。
去る7月25日、大竹会長と長澤所長がそろって表彰を受けました。 会長は海事功労として国土交通大臣表彰、所長は永年勤続功労として関東運輸局長表彰でした。 大臣表彰は過去1年間、無事故無違反が要件となるため、内示を受けてから半年間、自動車運 転にはいつも以上の注意を払いました。ある大手の倉庫会社元社長は、通行区分違反で切符を 切られ、内示取り消しになったそうです。 8/1 に浦和のドン・キホーテ隣地の駐車場土地を取得しました。取得理由としては、今までの駐 車場土地所有者の方が土地を手放したいとの情報があり、三信倉庫以外の誰かが所有してしまっ た場合、ドン・キホーテの駐車場として使用せず、ほかの用途にしてしまう可能性がありました。 ここの駐車場は、店舗にとってお客様に便利な駐車場であることと、荷捌場としても利用してい るため、ほかの用途になると店舗の運営ができなくなる恐れがあり、三信倉庫が取得し、引き続 き店舗駐車場として使っていただくのがよいと判断し取得したものです。会社にとっても賃貸料 が増え、将来の再開発時にもより魅力的なものができると思っておりますので、今回の土地取得 は効果的だったと思っています。