心理学評論(印刷中) 認知における言語・文化相対性:Sapir-Whorf 仮説再考 塚崎 崇史 (北海道大学大学院文学研究科) 石井 敬子 (北海道大学大学院文学研究科) 連絡先 060-0810 札幌市北区北10 条西 7 丁目 北海道大学文学部行動システム科学講座
Linguistic-cultural relativity of cognition: Rethinking the Sapir-Whorf hypothesis Takafumi TSUKASAKI and Keiko ISHII
(Graduate School of Letters, Hokkaido University)
The validity of the Sapir-Whorf hypothesis, the claim that structural differences in language influence cognition, has been examined in a body of empirical research on color memory and counterfactual thinking. A review of previous research in this area suggests that the meaning encoded in the structure of language does indeed influence cognition. Moreover, this paper reviews concurrent evidence in cultural psychology showing that not only is cognition influenced by meaning reflected in the structure of language, but also by naive theories and daily practices of a given culture (e.g., independent self and analytical thinking in West and interdependent self and holistic thinking in East). Implications for the future direction in the language, culture, and cognition research are discussed.
認知における言語・文化相対性:Sapir-Whorf 仮説再考 言語、とりわけその構造的側面の差異が認知様式に影響を与えているとするSapir-Whorf 仮説は、これまで色認識や反実仮想的思考などを中心に、その妥当性が検討されてきた。 関連する過去の知見をレビューしたところ、言語構造によって符号化されている意味が認 知に影響を与えていることが示唆された。また本論では、最近の文化心理学の研究を紹介 することで、言語構造に反映された意味のみならず、当該の文化における様々な素朴理論・ 慣習も認知に影響を与えている(例えば西洋における相互独立的自己観と分析的思考、東 洋における相互協調的自己観と包括的思考)ことを指摘した。最後に、今後の言語、文化、 認知研究への展望を示した。 キーワード:Sapir-Whorf 仮説、言語、文化、意味、認知
認知における言語・文化相対性:Sapir-Whorf 仮説再考 はじめに
当該の文化において日常的に使用される言語が人の認知や思考に影響を与えるという可 能性―アメリカの言語学者Sapir と Whorf を冠して Sapir-Whorf 仮説と呼ばれる―は、18 世紀から現在に至るまで、心理学、言語学、文化人類学などの領域で探索されてきている。 中でも、アメリカ・インディアンのホーピ族の言語と英語を比較し、それぞれの言語が持 つ意味と個人内の習慣的思考そして文化のパターンが結びついていることを示唆した Whorf の知見(Whorf, 1956)が明らかにされてからは、認知や思考における言語相対性の 妥当性が検討され続けている。しかし現在に至るまで、そのような言語相対性が存在する のかどうかはっきりした結論は見出されていない。加えて、Sapir-Whorf 仮説自体の妥当性 に多くの研究の関心が向いてしまい、その検証のみを目的とした研究が繰り返し行われた ことで、「言語による影響とは一体何なのか」「その影響はいつどのように生じるのか」な ど重要な問題は脇に置かれたままになっているという批判もある(今井, 2000; Lucy, 1992b)。 本論では、まずSapir-Whorf 仮説に関連した研究を 4 つの領域に着目しレビューする。 そのうえで、言語の語彙や文法規則は、それを用いる人々に対し、「どのような情報に注意 を向けるべきか」や「どのような情報を優先的に符号化すべきか」といった社会・文化環 境に対する捉え方を提供し、それ故に言語の構造的な特徴による情報処理への影響が見ら れることを指摘する。さらに本論では、最近の文化心理学の知見に基づき、自己観やコミ ュニケーション様式などに関する素朴理論や慣習も、人々に対して社会・文化環境に対す る捉え方を提供しており、語彙や文法規則といった言語の構造的な側面と同様、情報処理、 とりわけ注意配分やカテゴリー化の方法などに影響を与えていることを述べる。本論の内 容は、図1に示したように、言語および文化といったマクロレベルと個人の情報処理とい うマイクロレベルとの関わりを、これまでの Sapir-Whorf 仮説の検討および近年の文化心 理学の知見から見ていくことにある。そして最後に、人々を取り巻く社会・文化環境が認 知様式の多様性を生み出す基盤となっていることを示唆する知見が積まれてきている現在 において、Sapir-Whorf 仮説を再考する意義について触れたい。 図1 Sapir-Whorf 仮説の検討 Sapir-Whorf 仮説に関わる一連の研究では、主に文法規則や語彙数など、言語の構造的側 面と人々の認知・思考様式の対応関係に多くの注意が向けられてきた。その代表的な研究 として、ここでは、1)色名および色認識、2)文法規則と思考法、3)時間表現、4) 個別性とその認識について検討したものを紹介する。 色名語彙と色認識 色名語彙とその認識に関する研究は、Lenneberg らによって 1950 年代に集中的に行われ、
その後のBerlin や Kay そして Heider らによる研究では、語彙によらない色名認識の普遍 性が主張された。普遍性に関する研究で有名なのが、Heider が行ったニューギニアの一民 族であるダニとアメリカ人を対象とした色名および色の記憶に関する比較実験である (Heider, 1972)。ここでは、言語間の色名語彙数の違いが、それぞれの話者における色認識 に果たしている影響について検討された。実験では、まず、被験者に対してある色チップ を5 秒間見せ、インターバルの後、英語話者における 8 つの典型色を含んだ 160 色からな る色配列を見せた。そして、先に見た色チップがどれであるか同定するよう求めた。そも そも英語には11 個の色名語彙があるのに対し、ダニには明暗に対応した mili と mola の 2 語しかない。にもかかわらず、結果は、いずれの言語の被験者も色チップが典型色である 場合のほうが非典型色の場合よりも再認成績が良かった。これは、たとえダニの色名語彙 が2 つしかなくても、彼らには典型色に基づく 8 つの基本的な色カテゴリーに関する認識 が備わっているとするBerlin and Kay (1969) を支持するものであった。加えて、この実験 に引き続き、ダニに8 つの典型色と 8 つの非典型色を学習させ、その過程の中で生じるエ ラー数を数えたところ、典型色のほうが非典型色よりもエラー数が少なく、正しく学習さ れやすいことが示された。以上の結果は、色の認識、特にこの場合はカテゴリー再認が言 語にかかわらず普遍的であることを示唆しており、Sapir-Whorf 仮説の強い反証例である と考えられる。 一方、Heider (1972) の結果が追認されないことがいくつかの研究により示されている (Lucy & Shweder, 1979; Roberson, Davies, & Davidoff, 2000)。例えば、Lucy and Shweder (1979) は、Heider (1972) が用いた色配列に注目し、その配列では典型色がその 類似した色と離れたところに置かれており、典型色が顕著になりやすい状態であったこと を指摘した。そしてそれを是正した配列を用いて同様の再認実験を行ったところ、典型色 が非典型色よりも再認されやすいという結果は得られなかった。また、Roberson et al. (2000) は、Heider (1972) において、典型色・非典型色にかかわらず総じてダニの成績が アメリカ人よりも低かったことに対して妥当な解釈がされていないことや、そもそも、こ のダニに関する結果を追認した研究が 1 つもないことを指摘した。そして、ダニと同様に 色名語彙が少なく、5 つしかないニューギニアのベリンモ語話者とアメリカ人を対象に、 Heider (1972) の追試を目的とした厳密な実験を行った。その結果、やはり、いずれの被験 者群においても、典型色と非典型色の再認および学習成績に有意差は見られなかった。こ れらの結果は、典型色の通文化普遍的な効果を唱えたBerlin and Kay (1969) らの説に反す るものである。 さらにRoberson et al. (2000) は、それぞれの言語で名づけられている色の種類と、その カテゴリー化の効果(別のカテゴリーにあるものは違いがより大きく判断され、同じカテ ゴリーにあるものは違いがより小さく判断されること)についても検討を行っている。そ の結果、緑と青の境界におけるカテゴリー化の効果は、それらのカテゴリーを持たないベ リンモ語話者の方がアメリカ人被験者よりも弱いことが示された。むしろ、彼らはベリン
モ語に特有の Nol と Wor という色名の境界でカテゴリー化の効果をより強く示していた。 これは、語彙が色の識別に影響を与えるという点において、Sapir-Whorf 仮説を支持するも のと考えられる。 また、認識人類学者の福井は、エチオピア西南部におけるフィールドワークを通じ、そ の地に住むボディ族の色彩認識が、彼らの生業である牧畜と密接に絡み合った結果、極め て豊かであることを示した(福井, 1991)。福井は、25 人の被調査者に対し、98 枚の色彩 カードをランダムな順番で見せ、その1 枚 1 枚の色が何であるかを答えるよう求めた。そ して、まず、そのように収集した色彩用語の内容を分析したところ、単一の語彙素からな り、かつ高頻度で用いられていた、8 つの語彙が色彩基本語として特定された。Berlin and Kay (1969) は、基本色に関する色認識は文化普遍的である一方、基本色に関する語彙数と 文明の発達が比例関係にあることを唱えたが、福井の示した結果はその反証とも言える。 加えて、この8 つの色彩基本語には、典型色に基づくそれと異なる特徴が見られた。まず、 青と緑の区別がなく、それらは同一の基本語で示されていた。また青紫系統や赤紫系統の 色彩認識が曖昧であり、人によって異なった基本語が用いられていた。 さらにボディの人々は、色彩認識にあたって、基本語のみならず、多くの具象語を用い てそれを表現しようとしていた。しかも女性よりも男性において、その使用が多く見られ た。福井によると、男性のこのような傾向は、日常的に従事している牧畜関係の知識を背 景にして、より色彩を細かく認識しようとしていることに因っているとされる。例えば、 被調査者に対し、答えた色彩語彙を分類するよう求めたところ、その分類体系が、ウシの 毛色の遺伝体系と対応していた。このことは、ボディの人々が歴史的に数多くのウシの交 配事例を観察し、彼らの遺伝観を構築していった一方、それが彼らの文化体系の中に組み 込まれていった結果、それに基づいた色彩の認識体系が発達していったことを示唆する。 文法規則と思考法 Bloom (1981) は、中国語話者にとって事実に反する仮定を含んだ文章に答えるのが困難 であることを指摘した。例えば、「香港政府が、香港以外で生まれ育った人々に対し、毎週 警察に行って、活動内容について報告することを義務づけたとしたら、あなたはどうしま すか?」といった質問を中国人にしたところ、彼らの反応は、「政府はそんなことをしない」 や「それは不自然だ」というものであった。しかしアメリカ人やフランス人は、同様の質 問に対し、そこに含まれている反実仮想的な意味を理解した反応(例えば、実際に香港政 府はそのようなことをしていないことを理解した上で、「そういった義務をなくすよう、政 府にアピールする」と答える)を示した。 さらにBloom (1981) は、このような中国人の反応は、英語における仮定法のような言語 構造が中国語にないことに因ると主張した。例えば英語には、事実に反する仮定を述べる 際、”If she came earlier, she would catch the train.”のように、if 節に過去形(もしくは過 去分詞形)の動詞を置き、主節に過去助動詞+現在形の動詞(もしくは過去助動詞+現在 完了形の動詞)を置くことで、単なる仮定と区別する用法がある。そして聞き手は、それ
らの明確な手がかりから、話し手の仮定している内容を理解することができる。しかし中 国語では、そのような用法で単純な仮定なのかそれとも反実仮想なのかを区別しない。も しも中国語で事実に反するような仮定を置くのであれば、その主語が現在どのような状態 であるかをあらかじめ聞き手に伝えるか(例えば、“She is late.”という現在の状態を聞き手 に伝えた上で、”If she comes earlier, she will catch the train.”と述べる)、もしくはそれま での文脈から聞き手が反実仮想を想定していることを推測するしかない。そして中国人と アメリカ人に対して、反実仮想を含む文章を用いた推論課題をさせたところ、中国人に比 べ、アメリカ人の方がそれに沿った推論を正確に行えることが示された。
しかしBloom (1981) 以後、いくつかの研究においてこの結果に妥当性がないことが示さ れた(e.g., Au, 1983; Takano, 1989)。例えば Au (1983) は、Bloom (1981) の実験では、 被験者や刺激呈示に関するカウンターバランスが不十分であり、また中国語の刺激文がネ イティブから見て不自然であったことを指摘した上で、これらの点を修正し、Bloom (1981) と同様の実験を行った。結果はBloom (1981) と異なり、中国人とアメリカ人の成績に違い は見られなかった。また、Takano (1989) は、Bloom (1981) の実験に参加した大学生被験 者の専門領域(理系・文系)に偏りがあったことを指摘し、それを統制した実験を日米で 行った。そして、母語による違いは全くないことを示している。 時間表現 Boroditsky (2001) は、時間表現に関する空間的なメタファーの用い方が英語と中国語で 異なることに注目し、この差異による思考法への影響を検討した。一般的に時間の順序は、 英語では主に水平的、つまり前後の関係(先に起こったことが前)で表現されるのに対し、 中国語ではそれに加えて、垂直的、つまり上下の関係(先に起こったことが上)でも表現さ れる。そこで実験1では、英語が母国語のアメリカ人と中国語が母国語の中国人に対し、 次のような課題を実施した。被験者は一連の試行の中で、まず、2 つの物体(e.g., 白と黒 のボール)とその位置関係(前後 [水平] または上下 [垂直] )を表した文 (e.g., The black ball is above the white ball.) をコンピュータの画面に呈示され、その文の内容の正否を判 断するように求められた。そして、この先行(プライミング)課題を 2 題行った後、時間 の順序関係 (e.g., March comes earlier than April.) を示す表現の正誤を判断するターゲッ ト課題を行う、という手順を繰り返した。しかも、実験ではいずれの被験者に対しても英 語が用いられた。もしアメリカ人が日常的に時間を水平的に捉えているならば、水平的な 空間認識をプライミングされた場合の方が、垂直的な空間認識をプライミングされた場合 よりもターゲット課題に対する反応時間はより速くなるであろう。一方、中国人が日常的 に時間を垂直的に捉えられるのであれば、たとえ英語で課題を行ったとしても、垂直的な 空間認識をプライミングされた場合の方が、水平的な空間認識をプライミングされた場合 よりもターゲット課題に対する反応時間はより速くなるであろう。結果は、この予測を支 持し、アメリカ人は水平的な空間認識をプライミングされた場合の方が反応時間は速かっ た。一方中国人は、使用された言語が英語であったにもかかわらず、垂直的な空間認識を
プライミングされた場合の方が反応時間は速く、時空間のメタファーにおける言語相対性 を示していた。 一方、同様の手続きを用いて中国語と英語のバイリンガルである中国人を対象に行った 実験 2 では、英語を習得した年齢と垂直的な空間認識のバイアスの強さとの関係が検討さ れた。具体的には、垂直的な空間認識のバイアスの強さの指標として、垂直的な空間認識 をプライミングされた場合の反応時間と、水平的な空間認識をプライミングされた場合の 反応時間の差が計算された。そしてその値と英語を習得した年齢との相関が調べられた。 結果は、反応時間の差の平均が正の値を示しており、実験 1 と同様に、中国人被験者の間 で垂直的な空間認識がなされやすいことが示された。加えて、その反応時間の差と英語習 得時の年齢との間に正の相関が見られ、英語を習得した年齢が早いほどいずれの空間認識 も行いやすく、逆に英語を習得した年齢が遅いほど、垂直的な空間認識のバイアスが強く なっていた。つまり、中国語のみに接していた期間が長いほど、そこで用いられている時 空間のメタファーの影響をより受けている、と考えられる。 個別性とその認識 個別性の存在論的な区分のされ方が言語によって異なることに注目したいくつかの研究 より、その差異が個別性の認識に影響を及ぼすことが示唆されている (Imai & Gentner, 1997; Lucy, 1992a)。中でも Imai and Gentner (1997) は、この問題に関して英語話者と日 本語話者との比較を行った。英語の文法では、個別性の存在論的な区分が明確に示されて いるのに対し、日本語は英語と比べてそれが曖昧である。例えば英語では、個別性のある ものは可算名詞になりうるが、個別性のないものは不可算名詞として扱われる。また可算 名詞には、その個別性故に複数形がありうるが、不可算名詞にはそれがありえない。よっ て、水や塩のように個別性のないものに対してその数量を表現するには、“a glass of water” のように、別の単語を用いて数量の単位を明示化しなければならない。一方、日本語の文 法では、個別性の有無と数量化の方法は英語ほど明確ではない。例えば、「一杯の水」とい うように英語に対応した言い方もあれば、「一台の車」というように、可算名詞に対しても 助数詞を使った表現をする場合があるからである。よって日本語の場合、個別性の有無よ りもむしろ数量化する必要の有無によって、助数詞を用いた数量の単位を明示するか否か が決まる。
Imai and Gentner (1997) の実験では、刺激として機能性のある複雑な物体(例えばレモ ンのしぼり器)、機能性のない単純物体(例えばインゲン豆の形をしたロウ)、物質(例え ばニベアクリーム)の3 種が用いられた。そして 2 歳前半、2 歳後半、4 歳、成人の被験者 に対し、その3 種のいずれかが呈示された。その際“dax”というように、その刺激は未知の 名前で呼称された。次に、最初に見せた刺激(例えば逆C 字状のニベアクリームのかたま り)と形状については同じだが材質が異なるもの(例えば逆 C 字状のヘアクリーム)と材 質については同じだが形状が異なるもの(例えば、円状のニベアクリームのかたまり)の2 つを呈示した。課題は、後続の2 つの刺激のうち、どちらが“dax”であるか選ぶというもの
であった。形状について同じのものを“dax”として選んだ割合に注目したところ、年齢にか かわらず、日本語話者も英語話者も機能性のある複雑な物体に対しては、その割合が高か ったのに対し、物質に対しては、そのような傾向がほとんど見られず、むしろ材質が同じ ものを選んでいた。しかし興味深いことに、機能性のない単純な物体に対する反応が言語 間で異なっていた。英語話者は、2歳前半の被験者ですらそのような物体に対しても形状 が同じものを選びやすかったのに対し、日本語話者にはそのような傾向があまり見られな かった。しかも日本語話者については大人の方が、単純な物体をその形状に基づいて判断 する傾向が弱くなっていた。この結果は、英語・日本語の文法規則における個別性の重視 の程度に対応している。つまり、個別性の有無を明確にしなければならない、という英語 の文法上の特徴を反映し、英語話者は、単純な物体に対してもその個別性に注目した結果、 形状に基づく判断をしがちであったと考えられる。一方、日本語の文法規則において個別 性の有無は明確でないため、日本語話者は英語話者と比べ、個別性に基づいた判断をする 傾向が弱かったと考えられる。 まとめ 以上4領域における知見のうち、まず色認識に関しては、典型色の認識と色のカテゴリ ー化において予測される言語差が見られるようである。ただし、このような色認識におけ る語彙の効果は、例えば色に関して 2 つの語彙しかない文化の人々が、世界を2色でしか 見ることができない、といった極端な形での言語相対性を意味しているわけではない。光 の波長スペクトルからある色のまとまりを捉えるには、人々の住む社会・文化環境にかか わらず、人々に備わった何らかの生理的なメカニズムが働くと考えられる。そして、むし ろ言語による効果は、大まかな色のまとまりをさらに細分化して認識する際に生じるのか もしれない。つまり色認識においては、普遍的な生理メカニズムを土台にして、言語によ る効果が生じていると言えるだろう。次に、文法規則に関しては、Sapir-Whorf 仮説を支持 するはっきりとした証拠はないようである。しかし、言語における仮定法の有無にかかわ らず、それに関連した思考法の用いられやすさに差異がないという結果は、果たしてより 精度の高い指標(例えば、課題の遂行に要する時間を測定)によっても確かめられるか定 かではない。第 3 に、時間表現に関しては、当該の言語で用いられている時間順序の表現 に対応した人々の空間認識が示唆された。ただし、時間の概念のすべてが言語に規定され ているわけではなく、こうした空間認識における言語的差異は、時間はある軸にそって一 方向的に流れるという普遍的な認識があって初めて成り立つものである。最後に、個別性 とその認識に関しては、言語・文化にかかわらず、しかも 2 歳児の段階から、人々は物体 と物質を概念的に区別することが可能だった。しかし、物体と物質を両端とし、それら 2 つをクラス分けしたとすると、当該の言語における文法規則はその境界線の引き方に影響 を与えていた。以上より、既存の Sapir-Whorf 仮説の検討では、1)厳密な手法を用いた 研究においては、少なからず言語による認知への影響が見られる、2)言語による認知へ の影響と一言にいっても、言語が認知を極端な形で決定づけるのではなく、むしろ言語(特
に語彙や文法規則)は、社会・文化環境においてどういった事象に注意を向けるべきなの かといったことや、事象をどのように符号化すべきなのかといったことを人々に促す結果、 人々の情報処理に影響を与える、という2点が明らかにされてきたと言えるだろう。 ここで重要な点として、まず、これまでの Sapir-Whorf 仮説に関する知見では、認知が 完全に言語によって規定されることを否定していることが挙げられる。これらの知見では、 人間に備わっている普遍的な認知能力を認めており、この点については Sapir-Whorf 仮説 の妥当性について疑問を投げかけてきた研究者の主張(cf. Chomsky, 1992; Pinker, 1993) とは相反しない。よって、認知が完全に普遍的か相対的かというレベルで Sapir-Whorf 仮 説の妥当性について議論することはあまり生産的ではない。次に、これまでの知見は、普 遍的な能力を土台としながら、言語に対応した認知の多様性が生じることを示唆している ことが挙げられる。とりわけ認知における言語相対性は、情報の取捨選択や符号化にかか わる領域で見られる。このことは、Sapir-Whorf 仮説を検討するにあたって、人間の情報処 理に注目すべきことを指摘したHunt and Agnoli (1991) の見解と一致する。しかし、こう した情報処理のレベルに影響を与えるのは、言語の語彙や文法規則そのものというよりは、 むしろそういった語彙や文法によって符号化されている内容であろう。例えば Imai and Gentner (1997) が示した結果は、個別性に関する符号化の内容が言語によって異なり、そ れが認知に反映されたと言うことができる。つまり、語彙や文法規則の背後にある意味が 情報処理のレベルに影響を与えている、と言い換えてもよいだろう。
Gumperz and Levinson (1996) は、Sapir-Whorf 仮説とは意味の理論であると述べてい る。よって、もし Sapir-Whorf 仮説をそのように位置づけるのであれば、先にレビューし た研究で扱われていた語彙や文法規則など、言語の構造的な側面のみに研究対象が限られ る必然性はないだろう。なぜなら、意味は、ある言葉に対して一義的に決まるのではない からである。むしろそれはその言葉が発せられる文脈、具体的には話し手や聞き手、場面 の性質などに依存し、しかもその文脈は多くの場合、当該の社会や文化における日常的な 慣習や人々の間で共有されている素朴理論に埋め込まれているからである。このことは、 「言語が認知に影響を与える」という命題を探求していくにあたり、文脈から独立した語 彙や文法規則のみならず、ある言葉がある文脈において発せられたときに、その言葉がど んな意味を指しているのか、といった語用論的な側面をも考慮する必要性を導くだろう。 こうした観点から、Gumperz と Levinson による編書“Rethinking linguistic relativity”の 後半部では、Sapir-Whorf 仮説に対する語用論的アプローチを試みた研究が採録されている (Gumperz & Levinson, 1996)。
情報処理における素朴理論や慣習による影響
Sapir-Whorf 仮説の検討を行った既存の研究より、人々の認知は、普遍的な能力を土台と しながら、言語、それもとりわけ意味による影響を受けることによって多様であることが 示唆される。図1の右側における楕円どうしのつながりは、そのプロセスを示している。
しかも、意味に注目した際、それは文脈依存的であるが故に、近年では、語彙や文法規則 の構造的側面のみならず、語用論的な側面から Sapir-Whorf 仮説を検討していくアプロー チも採用されるようになった。語用論的なアプローチでいうところの「意味」は、コミュ ニケーションがなされる文脈の性質に依存し、またその文脈は、多くの場合、当該の社会・ 文化における日常的な慣習や素朴理論に埋め込まれていると言えよう。こうした社会・文 化的に構成された意味が、実際にコミュニケーションを運用する人々の情報処理にどのよ うな影響を与えるのかという関心は、Sapir-Whorf 仮説を再考する 1 つの流れである。 そして本論では、こうした流れに加え、文化心理学の観点から Sapir-Whorf 仮説を検討 していくアプローチを提唱する。このアプローチは、社会・文化的に構成された意味を重 視する点において、語用論的アプローチと軌を一にする。具体的には、当該の社会・文化 における素朴理論や慣習に内在化された意味構造に注目し、それらに対応した心理傾向を 検討することで、「意味が情報処理に影響を与える」可能性を探るアプローチである。人々 は、日常的に、当該の文化における素朴理論の枠組みの中で行動をしたり、その文化にお ける慣習を実践したりしている。文化心理学では、人の心理傾向の多くは、こうした文化 の日常的現実、つまり歴史を通じて築かれ蓄えられてきた素朴理論や慣習に即して生きる ことを通じて形成されると考える。1 過去にこの分野では、洋の東西で対比的な素朴理論、とりわけ自己観に着目することで、 それに関連した様々な心理傾向の文化的差異を明らかにしてきた。Markus and Kitayama (1991) は、西洋では相互独立的な自己観が、東洋では相互協調的な自己観が優勢であると 主張した。相互独立的自己観は、自己とは他者や周囲の物事とは区別され、切り離された 実体であるという信念により特徴づけられる。よって、自己は、周囲の状況とは独立にあ る主体が持つ様々な属性(能力・性格特性・動機など)によって定義される。一方、相互 協調的自己観は、自己とは他者や周囲の物事と結びついた、関係志向的な実体であるとい う信念により特徴づけられる。よって、自己の定義も、人間関係など、ある特定の状況や 他者の性質によって大きく異なる(北山, 1998)。 また、当該の文化で優勢な自己観のあり方は、日常的なコミュニケーション様式とも関 わりがあることが示唆される。例えば、西洋において優勢な相互独立的自己観のもとでは、 自己と他者は切り離されている故に、自らの発話意図を明確に表現しない限り、他者がそ れを理解することは難しいだろう。よって、コミュニケーションの機能は他者に明示的に 情報を伝えることに重点が置かれ、発話内容も相手との関係性や相対的地位などのコンテ クストに依存せず、客観的かつ論理的な内容によって相手の理解を促すことがより重要に なるだろう。一方、東洋において優勢な相互協調的自己観のもとでは、自己はそれを取り 巻く関係性の中に埋め込まれている故に、たとえ明確な表現をしなくても、自らの発話意 図は理解されうるだろう。むしろ、コミュニケーションの機能は、他者との関係性を維持 することに重点が置かれると考えられる。そして、発話内容もコンテクストに依存しやす く、話者による相手への積極的な働きかけがなくても、その相手は発話内容のみならずコ
ンテクストを考慮することによって、発話意図を理解するだろう。このような洋の東西に おけるコミュニケーション様式の差異は、Hall (1976) による低コンテクスト(西洋)と高 コンテクスト(東洋)、Scollon and Scollon (1995) による情報伝達機能(西洋)と関係性 伝達機能(東洋)、井出 (1998) による鳥瞰的な話者の視点(西洋)と埋没した話者の視点 (東洋)、として指摘されている。
加えて、自己観やコミュニケーション様式などに関する、文化特有な素朴理論・慣習は、 人間関係という文脈に限らず、事物一般に関する人々の認知様式にも反映され、やはり洋 の東西で対比的な文化差が見られることが示唆されている。具体的に、Nisbett, Peng, Choi, and Norenzayan (2001) は、ギリシャ文明を起源とする西洋文化では、個の自立を機軸に 自然を理解しようとしてきた伝統があり、人々の認知様式は、分析的―対象を文脈から切 り離し、その特性やカテゴリーに焦点を当てる―であるとした。一方、中国文明を起源と する東洋文化では、個を自然の一部として理解しようとしてきた伝統があり、人々の認知 様式は、包括的―対象と文脈との相互関係や全体的な布置に焦点を当てる―であるとした。 Nisbett et al. (2001) も示唆しているとおり、こうした認知様式の差異は、それぞれの文化 において優勢な自己観の性質と符合する。そして、人々は実際に物事を理解し、行動した りするための準拠枠として、当該の文化で優勢な自己観にも内在化されている意味構造を 用いる結果、その自己観に対応した性質が人々の認知様式にも反映されると考えられる。 つまり、西洋文化には、「個とは互いに独立したものである」とする公の意味構造があり、 人々はその意味構造を準拠枠として物事を理解する結果、彼らの認知様式は分析的になる だろう。一方、東洋文化には、「個とは互いに結びついたものである」とする公の意味構造 があり、人々はその意味構造を準拠枠として物事を理解する結果、彼らの認知様式は包括 的になるだろう(素朴理論・慣習のあり方と個人の認知様式の関係に関する文化心理学的 な解釈については、図1の左側を参照のこと)。 人々の持つ認知様式は、当該の社会・文化に特有な、自己観やコミュニケーション様式 などに関する素朴理論・慣習に内在化された意味構造を反映している、とする文化心理学 的知見は、徐々に蓄積されつつある。ただし、現在までの限られた知見では、当該の文化 における公の意味構造が認知のどの部分に影響を与えるのか、といったことや、そもそも 公の意味構造に言語がどのように関連しているのか、といったことは定かではない。しか し前述のように、Sapir-Whorf 仮説とは、「意味が情報処理に影響を与える」ことであると 定式化するのが妥当ならば、文化心理学的知見は、その傍証として極めて重要であると考 える。本稿の後半では、人々の情報処理様式について、このような素朴理論・慣習との対 応を見出した先行研究についてレビューを行う。 素朴理論・慣習と情報処理 Nisbett et al. (2001) が提出した作業仮説―西洋の分析的な認知様式・東洋の包括的な認 知様式―は、前述のように、洋の東西において歴史的に蓄えられてきた、自己観やコミュ ニケーション様式などに関する素朴理論・慣習から導かれるだろう。この作業仮説は広大
であるが、とりわけ情報の取捨選択やその符号化といった情報処理の領域に注目すると、 西洋人は、事物の中心的な属性に対し専ら注意を向けやすいのに対し、東洋人は、中心的 な属性のみならず、その背景情報やそれとの関係性にも注意を向けやすいと考えられる。 事実、このことと一貫した証拠が多くの研究で得られている。以下では、1)注意配分、 2)推論、3)カテゴリー化、4)発話の情報処理の 4 点に注目し、それぞれの文化差につ いて検討した研究を紹介する。 注意配分 認知様式における洋の東西の差異を示した先駆的な研究として、Abel and Hsu (1949) がある。Abel and Hsu は、精神分析の分野で用いるロールシャッハ図形をヨ ーロッパ系と中国系のアメリカ人に見せ、その反応を比較した。そうしたところ、まず、 反応に用いたアプローチが 2 つの被験者群の間で大きく異なっていた。具体的には、ヨー ロッパ系の被験者は、ロールシャッハ図形のより細かい部分に注目した反応をしがちであ ったのに対し、中国系の被験者は刺激の全体的な布置に注目した、いわゆる全体反応を多 くしがちであった。次に、その反応の内容を見ても対比的な文化差が見られた。例えば、 人体を想定した反応であった場合、アメリカ系の被験者の多くは、それを人体の一部とみ なしたのに対し、中国系の被験者の多くは、それを人の全体像と見なした。
Abel and Hsu (1949) と同様の証拠は、近年、Masuda and Nisbett (2001) によっても 明らかにされている。Masuda and Nisbett は、事象を知覚する際、どの程度状況的な要因 に注意を向けるかに関して文化差があることを、魚の絵を用いた記憶課題により、実験的 に検討した。実験では、日本人とアメリカ人の被験者に対し、水中の様子を描いた動画を 呈示し、その後で何を見たかを説明するように求めた。そして予告なしに、動画に登場し た事物を思い出すよう求め、その再認率を調べた。この再認課題では、1)その事物を背 景なしで見せられるか、2)初めに見たのと同じ背景で見せられるか、3)初めと異なる 背景で見せられるかの 3 条件が用意された。結果は、西洋における要素重視・東洋におけ る関係性重視を反映したものであった。まず、動画の内容の説明に関しては、その動画の 中心となっていた魚に言及した回答数に文化差は見られなかったが、海藻などの背景情報 に注目した回答の数は、日本人により多く見られた。また、動画の中心にいた魚と背景情 報との間の関係について触れた回答も、日本人の方が多かった。次に再認に関して、日本 人の成績は、最初と同じ背景で呈示されたときに高く、異なる背景で呈示された場合に最 も低くなっていた。これは、日本人がある事物を処理する際に、その背景と結びつけて知 覚する傾向が強いことを示しているだろう。一方、アメリカ人の再認成績は、その 3 条件 間で差がなかった。これは、アメリカ人が、対象となる事物をその背景と切り離して知覚 する傾向が強いことを示しているだろう。
さらに、Kitayama, Duffy, Kawamura, and Larsen (2003) は、新たに Framed-Line-Test (以下FLT) を開発し、そこにおいても注意配分に関する同様の文化差(西洋における要素 重視、東洋における関係性重視)があることを示した。FLT では、まず被験者は、ある大 きさの正方形の上部中央から垂直に線が引かれている図形を見せられたのち、次に大きさ
の違う正方形の紙を呈示され、そこに最初に見たものと同じ長さの線を引くか(絶対課題)、 もしくは最初の図形のときと、正方形の一辺に対する比率が同じになるような線を引く(相 対課題)ように求められた。つまり、2 つの課題のうち絶対課題では、文脈情報を無視する 能力が必要とされるが、相対課題では文脈情報を考慮に入れる能力が必要とされた。実験1 では、日本に在住する日本人とアメリカに在住するアメリカ人に対して両方の課題に答え るよう求めた。結果は、日本に在住する日本人は絶対課題より相対課題の方が成績は良く、 一方アメリカ在住のアメリカ人は絶対課題の方が成績は良かった。さらに実験 2 では、日 本在住の日本人とアメリカ在住のアメリカ人に加え、アメリカ在住の日本人と日本在住の アメリカ人に対しても同様の手続きを用いた実験を行った。日本在住の日本人とアメリカ 在住のアメリカ人の結果は、実験 1 と同様であり、その知見を追認していた。そして興味 深いことに、日本在住のアメリカ人とアメリカ在住の日本人の反応は、他の 2 群のちょう ど中間であった。このことは、間接的な証拠ながら、現在の居住地における文化的な環境 が認知様式に影響を与えていることを示唆するだろう。
推論 Abel and Hsu (1949) が示したように、西洋人は刺激の部分的な情報に、東洋人は 刺激の全体的な布置により注目するのであれば、逆にそれらを手がかりとして対象につい て推測させる場合にも、それらの有効性には対比的な文化差が見られるであろう。特に、 知覚・認知様式が分析的な西洋人は刺激の部分的要素から、また包括的な東洋人は刺激の 全体的布置から、より効率的な判断をすると考えられる。Kitayama, Nisbett, Tsukasaki, and Hedden (2003) は、知覚的同定課題を用いてこの点を検証した。知覚的同定課題では、 被験者は、ある物体や動物の画像の部分的な情報のみを抽出した刺激を呈示され、その本 来の画像が指すものは何かを同定する課題(パーツ課題)と、画像の全体的布置はわかる もののモザイク処理が施されて細部が曖昧な刺激を呈示され、その本来の画像が指すもの は何かを同定する課題(モザイク課題)の両方に答えるよう求められた。この2つの課題 における遂行を、日本人と日本に留学しているアメリカ人被験者の間で比較したところ、 まずパーツ課題の成績は、アメリカ人の方が日本人よりも高かった。一方、モザイク課題 に対する無回答率を比較したところ、日本人の方がアメリカ人よりも低かった。つまり、 認知様式における文化差を反映し、ある事物が一体何であるかを推論する際に用いられる 手がかりとして、部分的な情報はアメリカ人にとってより有効であり、全体的な情報は日 本人にとってより有効であることが示唆された。 カテゴリー化 認知様式における文化差は、カテゴリー化においても同様に検出される と考えられる。つまり、カテゴリー化にあたって、西洋人はカテゴリーを支配する共通の 属性・規則を重視するのに対し、東洋人は事物間の関係性や類似性を重視するだろう。 Norenzayan, Smith, Kim, and Nisbett (2002) は、東洋人・アジア系アメリカ人・ヨーロ ッパ系アメリカ人を対象にした比較文化実験を行い、この予測を検討した。実験では、被 験者は、ある事物(例えば花や家)の4 個の例からなる 2 つのグループと 1 つのターゲッ ト(判断対象)を呈示され、そのターゲットがどちらのグループとより似ているかを判断
するように求められた。なお、片方のグループには4 個全てにおいて、ターゲットとある 1 つの属性を共有しているが、その他の特徴に関する類似度は低かった。また、もう一方の グループはターゲットと完全に共有している属性はないが、その他の特徴に関する類似度 は高くなるように構成されていた。このとき、東洋人は類似性の高さをより重視した判断 をしがちであったのに対し、ヨーロッパ系アメリカ人は、より似ている方を選ぶように教 示されたにも関わらず、類似性は低いながらも 1 つの属性を共有しているグループをより 選択する傾向が見られた。また、アジア系アメリカ人は他の 2 群の中間の傾向を示してい た。 発話の情報処理 洋の東西において対比的な自己観に関する素朴理論の差異とコミュニ ケーション様式に関する慣習の差異には、一定の整合性が見られるようである。例えば、 前述のように、西洋において優勢な相互独立的自己観、つまり自己と他者は切り離された 実体であるとする素朴理論は、個人の発話内容を重視するコミュニケーション様式と、そ の表現によって言語的に明瞭に伝えるというその機能に対応するだろう。また、東洋にお いて優勢な相互協調的自己観、つまり自己はそれを取り巻く関係性の中に埋め込まれた実 体であるとする素朴理論は、個人の発話内容自体はそれほど重視せず、むしろ文脈的手が かりを重視するコミュニケーション様式と、その表現によって関係性が維持されるという その機能に対応するだろう。そして近年、このようなコミュニケーション様式の性質が発 話の情報処理様式に反映されていることを示す知見が、Kitayama らによって見出されてき ている (Ishii, Reyes, & Kitayama, 2003; Kitayama & Ishii, 2002)。
Kitayama らの実験では、快もしくは不快な意味を持った単語を、快もしくは不快の語調 で読んだ感情的発話が用いられた。そして、発話内容重視のコミュニケーション様式に慣 れ親しんでいる西洋人は、そのような感情的発話を呈示されたときに意味情報に自動的な 注意を向けやすいのに対し、文脈重視のコミュニケーション様式に慣れ親しんでいる東洋 人は、文脈的手がかりの1つである語調情報に自動的な注意を向けやすいと予測した。 この予測を検証するにあたって、中でもIshii et al. (2003) は、比較する言語間で感情的 発話の性質がほぼ同じになるよう厳密な手続きを用いて感情的発話を作成した。日米比較 を行った実験 1 では、1)バイリンガルの話者を用いて声の性質を言語間で可能な限り均 質にし、2)語調の快・不快の強さが単語の意味の快・不快および言語にかかわらず同程 度になるよう統制された。その上で、単語の意味を無視して語調の快・不快を素早く判断 させる条件(語調判断条件)と、語調を無視して単語の意味の快・不快を素早く判断させ る条件(意味判断条件)を設定し、両条件にアメリカ人および日本人被験者を割り振った。 そして無視すべき情報による干渉効果に注目した。予測によれば、発話内容重視のコミュ ニケーション様式に慣れ親しんでいるアメリカ人は、それを反映し、意味情報に注意を向 けやすくそれを無視することが難しいと考えられる。故に、語調判断条件において意味に よる干渉効果を示しやすいと予測される。つまり、意味情報が判断すべき語調情報と一致 している場合のほうが不一致の場合より反応時間が速くなるだろう。また、文脈重視のコ
ミュニケーション様式に慣れ親しんでいる日本人は、それを反映し、語調情報に注意を向 けやすくそれを無視することが難しいと考えられる。故に、意味判断条件において語調に よる干渉効果を示しやすいと予測される。つまり、語調情報が判断すべき意味情報と一致 している場合のほうが不一致の場合より反応時間が速くなるだろう。結果は、この予測と 一致し、アメリカ人被験者における意味情報の優位性と日本人被験者における語調情報の 優位性が示唆された。 Ishii et al. (2003) の実験 2 は、少なくとも実験 1 の結果では、コミュニケーション様式 を反映した感情的発話の処理の違いが、言語の違いによるのか、それともコミュニケーシ ョン様式に含意された日常の文化的な慣習の違いによるのかは不明であることから、タガ ログ語と英語のバイリンガルであるフィリピン人を対象に、同様の実験を行った。これま での知見より、フィリピン文化は集団主義的で、文脈重視のコミュニケーション様式が優 勢であることが知られている。同時にフィリピンでは、母国語のタガログ語とともに、さ まざまな場面で英語が用いられている。このようなフィリピンの文化・言語的特徴に基づ くと、もし感情的発話の処理が言語そのものの違いに対応しているのであれば、英語の感 情的発話に対しては意味情報に注意を向けやすく、またタガログ語の感情的発話に対して は語調情報に注意を向けやすいと予測されるだろう。一方、もし感情的発話の処理が文化 的なコミュニケーション様式の違いに対応しているのであれば、英語・タガログ語にかか わらず、感情的発話に対しては語調情報に注意を向けやすいと予測されるだろう。結果は、 文化相対性を支持するものであった。具体的には、言語にかかわらず、実験 1 における日 本人被験者と同様、意味判断条件における語調情報による干渉効果を示していた。そして、 語調判断条件における意味情報による干渉効果はほとんど見られなかった。2 今後の展望 本論では、まずSapir-Whorf 仮説に関する代表的な研究として、1)色名および色認識、 2)文法規則と思考法、3)時間表現、4)個別性とその認識、の 4 領域に着目し、過去 の知見をレビューした。そして、これらの知見では、厳密な手法を用いる限りでは、少な からず言語による認知への影響が見られていた。加えて、このような影響は、語彙や文法 規則によって符号化されている意味が、当該の社会・文化環境における適切な情報処理を 促す結果として生じることが示唆された。次に本論では、言語構造が指す意味に加え、当 該の社会・文化における素朴理論や慣習に内在化された意味構造に注目し、それによる情 報処理への影響を検討した文化心理学の知見を紹介した。これまでの文化心理学的研究に よると、とりわけ自己に関する素朴理論(自己観)については、西洋では相互独立的自己 観が、東洋では相互協調的自己観がそれぞれ優勢であるとされた。また、このような自己 観の傾向に対応し、コミュニケーションの慣習にも、西洋の言語内容重視、東洋の文脈重 視といった特徴が見られていた。そして、人々の認知様式について、例えば注意配分や推 論、カテゴリー化などの領域においては、当該の文化における素朴理論を、そして発話の
情報処理においては、コミュニケーションの慣習を反映した傾向がそれぞれ見られていた。 本論で我々は、Sapir-Whorf 仮説に関する従来の研究で注目されてきた言語の語彙や文法 構造の背後にある意味のみならず、当該の社会・文化環境における公の意味構造にも焦点 を当てた。なぜなら意味は、語彙や文法構造によって一義的に決まらないからである。こ のことは、言語の意味は、それを使用する人々とは独立に存在しえない、という示唆を提 供するだろう。当然のことながら、人々は、その日常とは独立に辞書的な意味を理解し獲 得する。しかし、人々を取り巻く意味とは、辞書的な意味のみならず、個々人が生きる文 化の慣習によっても構成されている (Bruner, 1990)。単純な例だが、「いい」という言葉は そのまま辞書的意味で捉えれば、「良い」に他ならない。だが日本文化において、その言葉 は時として拒絶を意味する。そして、ある文脈において発せられた「いい」という言葉が 果たして「良い」を意味するか、拒絶を意味するかを直感的に判断できるようになるため には、たとえそのような事例を紹介する優れた辞書があろうとも、日本文化に生き、その 文化に内在化された意味構造を経験的に理解しない限り無理であろう。 ただし、図1に示したように、過去の Sapir-Whorf 仮説に関する検討、文化心理学によ る検討のそれぞれによって得られた知見の間の整合性は、未だ明らかではない。また、こ れまで文化心理学の分野で得られた知見は、主に西洋と東洋における人々の心理プロセス の差異を見出したものであり、ベリンモ語やボディ語などに関する言語相対性について直 接言及するものではない。しかしながらそのような文化心理学の知見−人々の注意配分の 仕方やカテゴリー化の基準は各々の文化に特有であり、しかもそれらの特徴は言語刺激を 用いなくても見られる−は、Sapir-Whorf 仮説が扱ってきた認知における言語相対性の検討 に大きく貢献すると考える。経験世界にある様々な情報について、その取捨選択(どのよ うな情報をより重視するか)や符号化(どのような情報を類似しているとみなすか)の方 法は、論理的には無限にありうるだろう。文化心理学の知見によると、それらの方法は、 分析的・包括的などの表現 (Nisbett et al., 2001)にあるように、各文化内ではある一定の傾 向が見られ、また、言語相対的な認知もその中の一部に位置づけられる可能性が考えられ るからである。 Sapir-Whorf 仮説に取り組んできた研究者の一部、例えば Lucy や今井と同様、我々もこ れまでの研究がその妥当性ばかりに注目してきたことに対し、批判的である。なぜなら、 完全な認知の普遍性および相対性などあり得ないからである。そして今後の研究では、人々 の認知傾向には、言語構造に反映された情報の取捨選択・符号化の違いが影響しているこ とを、文化心理学の知見を生かしつつ、より厳密に示していくことが重要であろう。例え ば、本稿の前半で挙げた過去の研究を再検討する際、まず色認識・時間表現・個別性の認 識については、各々の文化の中で、そのような色のラベルや空間表現を用いたメタファー、 また個別性に関する区分が出来上がった背景にある、生態学的基盤や他の素朴理論・慣習 などとの関連を併せて探るべきであろう。加えて、子供の言語獲得において、家族や友人 など他者と場を共有し、また言語が発せられた際、そこに織り込まれる他者の意図を推測
する能力が不可欠であるとするならば(Tomasello, 1999)、こうした能力が発現してくる4, 5歳児の情報処理の仕方にどの程度文化特有な素朴理論・慣習の影響が見られるのかとい った発達的な過程の検討も必要であると考えられる。また、反実仮想的な思考については、 前述のように、反応時間などより精度の高い指標を用いるだけでなく、語調などパラ言語 の部分に含まれる情報の量や内容にも文化差が見られるのかという点 (cf. Ishii et al., 2003) にも、今後より着目すべきだろう。最後に、同じ言語を用いているものの、異なる 2 つの社会・文化に生活している人々やバイリンガルを対象とし、彼らの注意配分やカテゴ リー化などの情報処理の特徴を見いだしていくことは、情報処理がどの程度言語構造その ものに依存するのか、またどの程度当該の社会・文化における素朴理論や慣習に依存する のかなどを明らかにするうえで有用だろう。 現段階で心、とりわけ認知が当該の社会・文化環境によって構成されている、という視 点から実証研究が行われるようになったのはここ数年のことである。故に、先行研究から 得られた知見は非常に限られており、たとえ注意配分、推論、カテゴリー化、発話の情報 処理などの問題を扱ったとしても、これらの知見から社会・文化的影響が人間の認知プロ セスのどこに現れ、またどのようにしてそれが可能になるのかを解明するのは困難である。 よって、今後はさらに文化―認知研究を推し進め、そこから得られた知見を整理すること で、この点に関する理論をより精緻にしていくことが望まれる。また、人の認知とそれを 取り巻く文化的環境がどのように共進化してきたのか、そして、その共進化の過程でコミ ュニケーション様式などの文化的慣習がどのように維持されてきたかなどについても、併 せて考察していく必要があるだろう。
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謝辞
本稿の草稿段階で北山忍(京都大学)、亀田達也(北海道大学)、内田由紀子(京都大学)、 川村匡(京都大学)の各氏から有益な助言を頂いた。記して謝意を表します。
脚注 1 ここで「文化」の定義を明らかにしておきたい。文化心理学者の北山によると、文化とは 「歴史的に取捨選択され、累積してきた慣習、概念、イメージ、通念、それらの体制化さ れた構造、さらには、それらにもとづいて作られた人工物の総体」である(北山, 1998, p.34)。 本論における文化の概念は、この北山の定義に基づく。一方、Sapir-Whorf 仮説に注目した これまでの研究では、明確に文化の定義がされていない。ただしWhorf (1956) によると、 文化とは、信念および行動パターンの束と捉えられていたことが推測される。そして、Whorf (1956) は、そのようなパターンこそが思考であり、それは言語によって影響を受けると考 えていたようである。これら2つの文化観には、当該の文化に生きる人々の行為がどの程 度文化に関与するのか、その程度の見積もりに関して大きな差異があるだろう。つまり、 文化心理学では、当該の文化に適合した心の性質を獲得した人間による文化の変容と維持 について考慮するが、少なくともWhorf の見方に基づけば、文化の変容と維持はすべて言 語構造に帰属されると考えられる。こうした文化観の差異は、実際のところ、意味の捉え 方の違いにも反映されるだろう。文化心理学では、素朴理論や慣習に内在化された意味に よる情報処理への影響が注目されるが、そこにおける意味とは、個々人がもつ信念が共有 された結果、公のものとなり、そして構造化されたものである。一方、Sapir-Whorf 仮説で は、文法規則や語彙などの構造的な側面に内在化された意味による情報処理への影響が注 目されるが、そこにおける意味は、すでにある言語構造に対し所与のものとして存在して おり、個々人の信念が共有された結果生じる「公の」意味とは異なるものである。以上の ように、文化心理学によるアプローチとSapir-Whorf 仮説によるアプローチでは、文化の 定義から端を発し、その意味の捉え方も異なることが推測される。しかし、人々の情報処 理はどのように形成されるのかという問いについて考察するには、いずれかの捉え方だけ では不十分であるため、今後はそれらの間の整合性について検討すべきである、と我々は 考える。 2 これまでの Sapir-Whorf 仮説に関する研究では、語調のようなパラ言語に対する情報処 理にほとんど注目してこなかった。しかしIshii et al. (2003) によると、コミュニケーショ ンの慣習においてどの程度言語情報およびパラ言語情報を重視するかによって、その情報 処理にも違いが見られるようである。このことから推測するに、パラ言語に代表される非 言語情報の処理の検討は、言語の構造的側面のみに注目するだけでなく、文化内の素朴理 論や慣習にも注目することで初めて可能になるのかもしれない。よって、非言語情報の処 理について今後検討していくことは、それが既存の研究では扱われてこなかった点、およ びその探求にあたっては素朴理論や慣習をも考慮しなければならない点において、極めて 重要であると考えられる。
図の説明 図1. 文化・言語・認知の間の関係。Sapir-Whorf 仮説については、これまで、言語の構造 的な側面が認知に与える影響を検討していたが、近年では語用論的な側面を考慮に入れた アプローチも試みられている。一方、文化心理学では、当該の文化における素朴理論や慣 習に注目し、そこに内在化された意味構造が認知に与える影響について検討が行われてい る。しかし、これら2 つの分野で得られた知見の間の整合性は、未だ明らかではない。
普遍的な生理メカニズムや認識 対 応 は 未 だ不明瞭 内在化された意 味構造の影響? 文 化 心 理 学 による検討 Sapir-Whorf 仮説 に関する検討 素朴理論や慣習(自己や人間関 係に関する理解・コミュニケー ション様式など) 符号化された 意味の影響? 語用論的側面 認知 言語 文化 構造的側面(語彙・文法規則) 注意、推論、 カテゴリー化、 発話の情報 処理・・・ 言語に対応し た思考(色認 識など) 図1. 文化・言語・認知の間の関係