魏晋南朝の司法における情理の語について
著者
佐藤 達郎
雑誌名
関西学院史学
号
41
ページ
65-81
発行年
2014-03-20
URL
http://hdl.handle.net/10236/00025786
魏
晋
南
朝
の
司
法
に
お
け
る
情
理
の
語
に
つ
い
て
佐
藤
達
郎
は
じ
め
に
漢 代 か ら 六 朝 時 代 に か け て の 裁 判 や 司 法 議 論 を 通 観 し た と き 、 後 漢 か ら 魏 晋 に か け て の 大 き な 変 化 と し て 、 ﹁ 情 理 ﹂ の 語 が し ば し ば 熟 語 と し て 、 あ る い は 情 ・ 理 そ れ ぞ れ が 密 接 に 関 わ り あ う 語 と し て 、 用 い ら れ 始 め る こ と に 注 目 さ れ る 。 周 知 の よ う に 、 清 代 中 国 の 司 法 に お け る 情 理 の 語 に 注 目 し 、 そ こ に 伝 統 中 国 の 司 法 の 特 質 を 読 み 取 っ た の は 滋 賀 秀 三 氏 で あ っ た 。 氏 は 清 代 の 幾 多 の 判 例 を 分 析 す る な か で 、 判 決 の 辞 に し ば し ば 現 れ る こ れ ら の 語 に つ き 、 情= ﹁ 具 体 的 事 実 関 係 ﹂ ﹁ 生 き 身 の 平 凡 な 人 び と の 心 ﹂ ﹁ 友 好 的 な 人 間 関 係 ﹂ 、 理= ﹁ 同 種 の 事 物 に は 普 遍 的 に 妥 当 す る よ う な 道 ︵ ! ︶ 理 ﹂ が と も に 判 決 に お け る 準 拠 の 一 つ と し て 機 能 し て い た と さ れ た 。 豊 富 な 事 例 と と も に 人 間 性 へ の 確 信 に 裏 付 け ら れ た 氏 の 高 論 は 、 清 朝 期 を モ デ ル と し な が ら も 広 く 前 近 代 中 国 の 司 法 の 特 質 を 照 射 し て 強 い 説 得 力 を も つ 。 も と よ り ︵ " ︶ そ の 歴 史 性 に 関 す る 分 析 考 察 は 後 代 に 託 さ れ た 課 題 で あ ろ う が 、 先 述 の よ う に 漢 魏 の 際 に そ の 語 が 現 れ て く る と す る な ら 、 中 国 に お け る 司 法 観 念 上 の 画 期 を そ こ に 見 出 す こ と が で き よ う し 、 ま た 進 ん で 、 そ の 背 景 に い か な る 思 潮 ・ 社 六 五会 上 の 変 化 が あ る か を 考 え ね ば な ら な い で あ ろ う 。 本 稿 は こ う し た 課 題 に 向 け て の さ さ や か な 一 歩 を 期 す る も の で あ る 。
1.
魏
晋
南
朝
の
司
法
に
お
け
る
情
理
の
語
の
諸
例
本 章 で は ま ず 、 情 理 の 語 が 熟 語 と し て 、 な い し は 関 連 し あ う 二 語 と し て 用 い ら れ て い る 諸 例 を 六 朝 の 正 史 な ど か ら 挙 げ 、 そ れ ら の 語 の 含 意 に つ き 検 討 し て い き た い 。 ま ず 漢 末 か ら 西 晋 の 諸 例 を 挙 げ る ︵ 以 下 、 引 用 史 料 は 基 本 的 に 旧 字 を 用 い る ︶ 。 ① ︵ 劉 虞 ︶ 累 遷 至 幽 州 刺 史 、 轉 甘 陵 相 、 甚 得 東 土 戎 狄 之 心 。 後 以 疾 歸 家 、 常 降 身 隱 約 、 與 邑 黨 州 閭 同 樂 共 ! 、 等 齊 有 無 、 不 以 名 位 自 殊 、 郷 曲 咸 共 宗 之 。 時 郷 曲 有 所 訴 訟 、 不 以 詣 吏 、 自 投 虞 平 之 。 虞 以 情 理 爲 之 論 判 、 皆 大 小 敬 從 、 不 以 爲 恨 。 ︵ ﹃ 三 国 志 ﹄ 公 孫 瓚 伝 注 引 呉 書 ︶ ② 時 有 投 書 誹 謗 者 、 太 祖 疾 之 、 欲 必 知 其 主 。 淵 請 留 其 本 書 、 而 不 宣 露 。 其 書 多 引 二 京 賦 、 淵 敕 功 曹 曰 、 ﹁ 此 郡 ︵ 魏 郡 ︶ 既 大 、 今 在 都 輦 、 而 少 學 問 者 。 其 簡 開 解 年 少 、 欲 遣 就 師 。 ﹂ 功 曹 差 三 人 、 臨 遣 引 見 、 訓 以 ﹁ 所 學 未 及 、 二 京 賦 、 博 物 之 書 也 、 世 人 忽 略 、 少 有 其 師 、 可 求 能 讀 者 從 受 之 。 ﹂ 又 密 喩 旨 。 旬 日 得 能 讀 者 、 遂 往 受 業 。 吏 因 請 使 作 箋 、 比 方 其 書 、 與 投 書 人 同 手 。 收 攝 案 問 、 具 得 情 理 。 ︵ ﹃ 三 国 志 ﹄ 国 淵 伝 ︶ ③ ︵ 滕 胤 ︶ 年 三 十 、 起 家 爲 丹 楊 太 守 、 徙 吳 郡 ・ 會 稽 、 所 在 見 稱 。 ︵ 注 : 吳 書 曰 、 胤 上 表 陳 及 時 宜 、 及 民 閒 優 劣 、 多 所 匡 弼 。 ⋮ 胤 每 聽 辭 訟 、 斷 罪 法 、 察 言 觀 色 、 務 盡 情 理 。 人 有 窮 冤 悲 苦 之 言 、 對 之 流 涕 。 ︶ ︵ ﹃ 三 国 志 ﹄ 滕 胤 伝 ︶ ④ 至 惠 帝 之 世 、 政 出 群 下 、 每 有 疑 獄 、 各 立 私 情 、 刑 法 不 定 、 獄 訟 繁 滋 。 尚 書 裴 " 表 陳 之 曰 、 ⋮ 昔 漢 氏 有 盜 廟 玉 環 魏 晋 南 朝 の 司 法 に お け る 情 理 の 語 に つ い て 六 六者 、 文 帝 欲 族 誅 、 釋 之 但 處 以 死 刑 、 曰 、 ﹁ 若 侵 長 陵 一 抔 土 、 何 以 復 加 。 ﹂ 文 帝 從 之 。 大 晉 垂 制 、 深 惟 經 遠 、 山 陵 不 封 、 園 邑 不 飾 、 墓 而 不 墳 、 同 乎 山 壤 、 是 以 丘 阪 存 其 陳 草 、 使 齊 乎 中 原 矣 。 雖 陵 兆 尊 嚴 、 唯 毀 發 然 後 族 之 、 此 古 典 也 。 若 登 踐 犯 損 、 失 盡 敬 之 道 、 事 止 刑 罪 可 也 。 去 ︵ 元 康 ︶ 八 年 、 奴 聽 教 加 誣 周 龍 燒 草 、 廷 尉 遂 奏 族 龍 、 一 門 八 口 并 命 。 會 龍 獄 翻 、 然 後 得 免 。 考 之 情 理 、 準 之 前 訓 、 所 處 實 重 。 ︵ ﹃ 晋 書 ﹄ 刑 法 志 ︶ ① は 漢 末 の 動 乱 期 、 官 を 退 き 郷 里 に あ っ て 民 の 信 望 を 得 て い た 劉 虞 が 、 官 に か わ っ て 郷 民 の 訴 訟 を 裁 定 し 、 そ の 公 正 さ を 称 え ら れ た こ と を 記 す 。 彼 が 情 理 に よ っ て 下 し た 論 判 に 皆 が 敬 従 し た と あ り 、 郷 民 と 苦 楽 を 共 に し た 彼 が 民 衆 の 心 情 に 精 通 し た う え で 、 よ く 衆 人 に 納 得 の い く 裁 定 を 下 し た こ と が う か が わ れ る 。 す な わ ち こ こ の 情 理 と は 、 人 心 お よ び 常 識 的 道 理 と い っ た 謂 で 解 釈 さ れ て よ い で あ ろ う 。 同 様 の ニ ュ ア ン ス を 、 ③ 滕 胤 伝 の 情 理 に つ い て も 認 め る こ と が で き る 。 丹 陽 郡 な ど の 太 守 と し て 社 会 情 勢 に 即 し た 適 確 な 意 見 を 孫 権 に し ば し ば 上 表 し た 彼 は 、 郡 太 守 と し て の 聴 訟 に お い て も ﹁ 言 を 察 し 色 を 観 、 務 め て 情 理 を 尽 ﹂ く し た と い い 、 供 辞 に よ る 事 理 の 審 査 と と も に 、 顔 色 や 様 子 に よ る 心 情 の 忖 度 を 併 せ 用 い 、 事 実 関 係 と 人 心 に 照 ら し て 公 正 な 審 判 に つ と め た こ と が 知 ら れ る 。 冤 獄 に 苦 し む 人 々 に 涙 し た と い う 逸 話 も 、 そ う し た 彼 の 公 正 さ へ の 強 い 志 向 を 示 す も の で あ ろ う 。 ④ は 、 や や 長 め の 引 用 に よ っ て 示 し た 通 り 、 山 陵 の 毀 損 に か か わ る 議 論 の 一 節 で あ る 。 漢 代 、 宮 殿 陵 墓 の 毀 損 が 皇 帝 ・ 国 家 へ の 間 接 的 侵 害 行 為 と し て 時 に 大 逆 罪 に 問 わ れ た こ と 、 魏 晋 時 代 に 入 る と そ れ が 明 確 に 律 上 に 規 定 さ れ 、 唐 ︵ ! ︶ 律 に お け る 十 悪 の 一 つ と し て の 大 逆 に つ な が っ て い く こ を 筆 者 は 前 稿 で 述 べ た が 、 こ の 元 康 八 年 の 事 件 で は 山 陵 の 草 生 の 焼 損 を 大 逆 と し て 族 刑 に 当 て る 量 刑 の 軽 重 が 問 わ れ て お り 、 ま さ に そ う し た 法 概 念 の 定 着 の 過 渡 的 状 況 に 対 応 す る 議 論 と い え よ う 。 先 に ﹁ 登 践 犯 損 し 、 尽 敬 の 道 を 失 す る が 若 き は 、 事 、 刑 罪 に 止 む れ ば 可 な り ﹂ と あ り 、 ま た 後 に 魏 晋 南 朝 の 司 法 に お け る 情 理 の 語 に つ い て 六 七
﹁ こ れ を 情 理 に 考 え 、 こ れ を 前 訓 に 準 う る に 、 処 す る 所 実 に 重 し ﹂ と あ れ ば 、 周 龍 は た ま た ま 陵 内 の 草 生 を 過 失 に よ り 踏 み 傷 つ け る な ど し た │ 唐 律 で い え ば 賊 盗 律 三 一 条 ﹁ 諸 盗 園 陵 内 草 木 者 、 徒 二 年 半 ﹂ と の 条 項 に 該 当 す る 行 為 で あ ろ う │ と こ ろ 、 誣 告 に よ り 故 意 の 放 火 と し て 族 刑 に 当 て ら れ た も の と 思 わ れ る 。 前 訓 と は 先 に 引 か れ る 前 漢 の 廷 尉 張 釈 之 の 逸 話 ︵ ﹃ 史 記 ﹄ 張 釈 之 列 伝 ︶ を 指 す で あ ろ う が 、 そ れ と 対 で 用 い ら れ る 情 理 の 情 と は こ の 場 合 、 故 意 か 過 失 か ︵ ! ︶ の 心 情 的 動 機 、 い わ ゆ る 原 情 ︵ 心 ︶ 定 罪 の 情 な ら び に 彼 が 実 際 に 行 っ た 行 為 内 容 、 理 と は 事 の 是 非 を 判 ず る 上 で の 道 理 、 と い っ た 意 味 に な ろ う 。 ② で は 曹 操 を 誹 謗 し た 匿 名 の 投 書 者 を さ が す べ く 、 魏 郡 太 守 の 国 淵 は 諸 生 に 命 じ て 二 京 賦 を 誦 読 せ る 者 を 探 し 出 さ せ 、 筆 跡 を 調 べ る と 同 筆 で あ っ た た め 、 そ の 者 を 拘 束 し 取 り 調 べ た と こ ろ ﹁ 具 さ に 情 理 を 得 ﹂ た と い う 。 こ の 場 合 の 情 理 と は 、 事 情 ・ 経 緯 ・ 動 機 お よ び 事 の 整 合 性 ︵ ﹁ つ じ つ ま ﹂ ︶ な ど の 意 を 有 す る と 思 わ れ 、 含 意 必 ず し も 明 確 で は な い も の の 、 他 三 例 に お け る そ れ ら と 矛 盾 は き た さ な い で あ ろ う 。 以 上 四 例 を 通 観 す れ ば 、 魏 晋 期 の 司 法 に お け る 情 理 と は 民 衆 一 般 の 心 情 ・ 当 人 の 内 的 心 情 、 ま た そ れ ら に 照 ら し て 明 ら か と な る 事 実 関 係 ︵ 情 の も つ こ の 二 つ の 含 意 の 関 係 に つ い て は 後 述 す る ︶ と そ の 是 非 を 判 ず る 道 理 、 と い っ た 意 味 に 解 す る こ と が で き 、 滋 賀 氏 の 明 ら か に さ れ た 清 代 の 裁 判 に お け る 用 語 例 と 大 き く か け 離 れ な い こ と が 確 認 さ れ よ う 。 情 、 理 が 分 離 し て 用 い ら れ る 次 の 例 で も 同 様 で あ り 、 情 理 の 語 の 比 較 的 早 い 用 例 と し て 挙 げ て お く 。 ⑤ 沛 郡 有 富 家 公 、 資 二 千 餘 萬 、 小 婦 子 年 裁 數 歲 、 頃 失 其 母 、 又 無 親 近 、 其 大 婦 女 甚 不 賢 。 公 病 困 、 思 念 惡 " 爭 其 財 、 兒 判 不 全 、 因 呼 族 人 爲 遺 令 云 、 ﹁ 悉 以 財 屬 女 、 但 遺 一 劍 與 兒 、 年 十 五 、 以 還 付 之 。 ﹂ 其 後 兒 大 、 # 不 肯 與 劍 、 男 乃 詣 郡 自 言 求 劍 。 謹 案 、 時 太 守 大 司 空 何 武 也 、 得 其 辭 、 因 錄 女 及 " 、 省 其 手 書 、 顧 謂 掾 史 曰 、 ﹁ 女 性 強 梁 、 " 復 貪 鄙 、 其 父 畏 賊 害 其 兒 、 又 計 小 兒 正 得 此 財 、 不 能 全 護 、 故 且 俾 與 女 、 內 實 寄 之 耳 、 不 當 以 劍 與 之 乎 。 夫 劍 者 、 魏 晋 南 朝 の 司 法 に お け る 情 理 の 語 に つ い て 六 八
亦 所 以 決 斷 也 。 限 年 十 五 者 、 度 其 子 智 力 足 以 自 活 、 此 女 " 必 不 復 還 其 劍 、 當 聞 縣 官 、 縣 官 或 能 證 察 、 得 以 見 伸 展 也 。 凡 庸 何 能 思 慮 強 遠 如 是 哉 。 ﹂ 悉 奪 取 財 以 與 子 、 曰 、 ﹁ 弊 女 惡 " 溫 飽 十 五 歲 、 亦 以 幸 矣 。 ﹂ 於 是 論 者 乃 服 、 謂 武 原 情 度 事 得 其 理 。 ︵ ﹃ 北 堂 書 鈔 ﹄ 巻 四 四 等 所 引 ﹃ 風 俗 通 ﹄ 佚 文 ; テ キ ス ト は 王 利 器 ﹃ 風 俗 通 義 校 注 ﹄ に 従 っ た 。 ︶ 話 の 設 定 は 前 漢 末 期 と な っ て い る が 、 こ の 話 は ﹃ 漢 書 ﹄ 何 武 伝 に は 見 え ず 後 世 の 仮 託 と 思 わ れ 、 こ こ に 見 え る 情 ・ 理 の 語 も ﹃ 風 俗 通 ﹄ の 編 ま れ た 後 漢 末 期 の 用 語 法 を 反 映 し て い る の で あ ろ う 。 愚 昧 貪 悪 な 正 嫡 の 娘 夫 婦 に 対 し 、 亡 父 の 意 を 汲 ん で 妾 腹 の 息 子 の 遺 産 継 承 を 認 め た 太 守 何 武 の 裁 き に つ い て ﹁ 情 を 原 ね 事 を 度 り 、 そ の 理 を 得 ﹂ と あ り 、 情 ・ 理 で 明 確 に 対 を な し て は い な い が 、 情 理 の 語 が 定 着 し て い く 過 渡 的 段 階 を 示 し て い る も の と 考 え ら れ る 。 続 く 東 晋 南 朝 時 代 の 裁 判 関 係 記 事 に も 、 情 理 が 熟 語 と し て 、 も し く は 情 ・ 理 が 密 に 関 連 し あ う 語 と し て 用 い ら れ る 例 が い く つ か 見 ら れ 、 先 に 結 論 を 言 え ば 、 そ れ ら の 用 例 に お い て も 右 に 概 括 し た 情 理 の 語 の 意 味 合 い を 確 認 す る こ と が で き る 。 ⑥ 時 會 稽 剡 縣 民 黃 初 妻 趙 打 息 載 妻 王 死 亡 。 遇 赦 、 王 有 父 母 及 息 男 稱 ・ 息 女 葉 、 依 法 徙 趙 二 千 里 外 。 隆 議 之 曰 、 ﹁ 原 夫 禮 律 之 興 、 蓋 本 之 自 然 、 求 之 情 理 、 非 從 天 墮 、 非 從 地 出 也 。 父 子 至 親 、 分 形 同 氣 、 稱 之 於 載 、 即 載 之 於 趙 、 雖 云 三 世 、 爲 體 猶 一 、 未 有 能 分 之 者 也 。 稱 雖 創 巨 痛 深 、 固 無 讎 祖 之 義 。 若 稱 可 以 殺 趙 、 趙 當 何 以 處 載 。 將 父 子 孫 祖 、 互 相 殘 戮 、 懼 非 先 王 明 罰 、 咎 繇 立 法 之 本 旨 也 。 向 使 石 厚 之 子 ・ 日 ! 之 孫 、 砥 鋒 挺 鍔 、 不 與 二 祖 同 戴 天 日 、 則 石 # ・ $ 侯 何 得 流 名 百 代 、 以 爲 美 談 者 哉 。 舊 令 云 、 ﹃ 殺 人 父 母 、 徙 之 二 千 里 外 ﹄ 。 不 施 父 子 孫 祖 明 矣 。 趙 當 避 王 期 功 千 里 外 耳 。 令 亦 云 、 ﹃ 凡 流 徙 者 、 同 籍 親 近 欲 相 隨 者 、 聽 之 ﹄ 。 此 又 大 通 情 體 、 因 親 以 教 愛 者 也 。 趙 既 流 移 、 載 爲 人 子 、 何 得 不 從 。 載 從 而 稱 不 行 、 豈 名 教 所 許 。 如 此 、 稱 ・ 趙 竟 不 可 分 。 趙 雖 內 愧 終 身 、 稱 當 % 痛 沒 齒 、 孫 祖 之 義 、 自 不 得 永 絶 、 事 理 固 然 也 。 ﹂ 從 之 。 ︵ ﹃ 宋 書 ﹄ 巻 五 五 傅 隆 伝 ︶ 魏 晋 南 朝 の 司 法 に お け る 情 理 の 語 に つ い て 六 九
⑦ 義 熙 五 年 、 吳 興 武 康 縣 民 王 延 祖 爲 劫 、 父 睦 以 告 官 。 新 制 、 凡 劫 身 斬 刑 、 家 人 棄 市 。 睦 既 自 告 、 於 法 有 疑 。 時 叔 度 爲 尚 書 、 議 曰 、 ﹁ 設 法 止 姦 、 本 於 情 理 、 非 [ 謂 ] 一 人 爲 劫 、 闔 門 應 刑 。 所 以 罪 及 同 産 、 欲 開 其 相 告 、 以 出 爲 惡 之 身 。 睦 父 子 之 至 、 容 可 悉 共 逃 亡 、 而 割 其 天 屬 、 還 相 縛 送 、 螫 毒 在 手 、 解 腕 求 全 、 於 情 可 愍 、 理 亦 宜 宥 。 使 凶 人 不 容 於 家 、 逃 刑 無 所 、 乃 大 絶 根 源 也 。 睦 既 糾 送 、 則 餘 人 無 應 復 告 、 並 [ 合 從 原 。 ﹂ 從 ] 之 。 ︵ ﹃ 宋 書 ﹄ 巻 六 六 何 尚 之 伝 ; [ ] 内 は 中 華 書 局 標 点 本 の 校 勘 に 従 っ た 。 以 下 同 例 。 ︶ ⑧ 時 沛 郡 相 縣 唐 賜 往 比 邨 朱 起 母 彭 家 飲 酒 還 、 因 得 病 、 吐 蠱 蟲 十 餘 枚 。 臨 死 語 妻 張 、 死 後 刳 腹 出 病 。 後 張 手 自 破 視 、 五 藏 悉 糜 碎 。 郡 縣 以 張 忍 行 刳 剖 、 賜 子 副 又 不 禁 駐 、 事 起 赦 前 、 法 不 能 決 。 律 傷 死 人 、 四 歲 刑 、 妻 傷 夫 、 五 歲 刑 、 子 不 孝 父 母 、 棄 市 、 並 非 科 例 。 三 公 郎 劉 勰 議 、 ﹁ 賜 妻 痛 [ 遵 往 ] 言 、 兒 識 謝 及 理 、 考 事 原 心 、 非 存 忍 害 、 謂 宜 哀 矜 。 ﹂ 覬 之 議 曰 、 ﹁ 法 移 路 尸 、 猶 爲 不 道 、 況 在 妻 子 、 而 忍 行 凡 人 所 不 行 。 不 宜 曲 通 小 情 、 當 以 大 理 爲 斷 、 謂 副 爲 不 孝 、 張 同 不 道 。 ﹂ 詔 如 覬 之 議 。 ︵ ﹃ 宋 書 ﹄ 巻 八 一 顧 覬 之 伝 ︶ ⑥ ⑦ は 情 理 で 熟 し て 用 い ら れ る 例 、 ⑧ は 一 連 の 議 論 の 中 で 情 、 理 が た が い に 連 関 を も っ て 用 い ら れ る 例 と し て 挙 げ た 。 ⑥ は 息 子 黄 載 の 妻 王 氏 を 殴 打 、 死 に 至 ら し め た 母 の 趙 氏 が 流 刑 と さ れ る に 当 た り 、 被 害 者 の 一 族 か ら ︵ 復 讐 を 避 け る た め ︶ 受 刑 者 を 遠 ざ け る 律 令 ︵ ﹁ 令 ﹂ と あ る が 、 こ こ で は 具 体 的 に は 律 を 指 す と 思 わ れ る ︶ の 規 定 に 対 し 、 黄 載 お よ び そ の 息 子 の 黄 称 が 人 子 の 義 と し て 趙 氏 に 随 行 す べ き を 論 じ 、 そ れ が 裁 決 さ れ た も の で あ る 。 議 論 の 中 で 傅 隆 は 、 ﹁ 礼 律 ﹂ 本 来 の 趣 旨 と し て そ れ が ﹁ 自 然 ﹂ と ﹁ 情 理 ﹂ に 根 ざ す こ と 、 し た が っ て 三 代 に わ た る 親 子 の 一 体 な る き ず な を 絶 つ の は 律 令 本 来 の 趣 旨 で な い こ と を 述 べ 、 さ ら に ﹁ 凡 流 徙 者 、 同 籍 親 近 欲 相 隨 者 、 聽 之 ﹂ と の 令 文 ︵ こ れ も 律 で あ ろ う 。 唐 名 例 律 二 四 条 に ﹁ 父 祖 子 孫 欲 随 者 聴 之 ﹂ と あ り ︶ が ﹁ 大 い に 情 体 に 通 じ ﹂ 、 ま た 孫 祖 の 義 を 永 絶 す べ か ら ざ る は ﹁ 事 理 の 固 よ り 然 ﹂ れ る を 主 張 す る 。 情 、 理 が そ れ ぞ れ 人 情 一 般 、 常 識 的 道 理 の 意 で 用 い ら れ て い る こ と 魏 晋 南 朝 の 司 法 に お け る 情 理 の 語 に つ い て 七 〇
は 明 ら か で あ る 。 ⑦ は 強 盗 を 働 い た 男 の 父 が 息 子 を 官 に 告 発 し 、 法 で は 一 家 棄 市 に 処 せ ら れ る べ き と こ ろ 、 父 の 刑 を 赦 免 す べ き を 論 じ た も の で 、 こ こ で も 法 本 来 の 趣 旨 を 情 理 に 基 づ く と し た 上 で 、 家 人 を 棄 市 に 処 す る 規 定 の 本 旨 が 告 発 の 奨 励 に あ り 、 父 子 の 縁 を 敢 え て 忍 び わ が 子 を 告 発 し た 父 は ﹁ 情 に お い て 愍 れ む べ く 、 理 と し て ま た 宜 し く 宥 す ﹂ べ き と さ れ る 。 情 は 親 子 の 情 、 理 は や は り 常 識 的 道 理 の 意 で 解 し て よ い で あ ろ う 。 ⑧ の 例 は 遺 言 に 従 っ て 夫 の 遺 体 を 解 剖 し た 妻 の 行 為 が 赦 前 に あ り な が ら 非 常 の 残 忍 事 で あ り 、 か つ 律 に か か る 行 為 に 該 当 す る 罰 則 規 定 が な い た め 、 郡 県 に て 決 す る 能 わ ず 朝 廷 に 請 讞 が な さ れ た 、 そ れ を 承 け て の 尚 書 都 座 に お け る 議 論 で あ ろ う 。 妻 は 夫 の 遺 言 に た が い 難 く 、 傍 ら に い な が ら 制 止 し な か っ た 息 子 は そ の 分 別 い ま だ 十 分 に 理 に 及 ば ず 、 と し て 情 状 酌 量 を 求 め る 三 公 郎 劉 勰 に 対 し 、 吏 部 尚 書 の 顧 覬 之 は 妻 の 所 業 が 常 人 の そ れ に 非 ざ る 不 道 の 行 い で あ り 、 ﹁ 宜 し く 曲 げ て 小 情 を 通 ず べ か ら ず 、 当 に 大 理 を も っ て 断 を な す ﹂ べ き だ と す る 。 こ こ で の 小 情 と は 妻 と 息 子 の 心 情 、 大 理 と は ﹁ 凡 人 ﹂ の 遵 う べ き 世 間 一 般 の 道 理 、 と 見 て よ か ろ う 。 こ う し た 理 の 意 味 合 い は 次 の 西 晋 末 の 例 に お け る ﹁ 常 理 ﹂ に 端 的 に 表 れ て お り 、 参 考 ま で に 挙 げ て お く 。 ⑨ 元 康 中 、 梁 國 女 子 許 嫁 、 已 受 禮 娉 、 尋 而 其 夫 戍 長 安 、 經 年 不 歸 、 女 家 更 以 適 人 。 女 不 樂 行 、 其 父 母 逼 強 、 不 得 已 而 去 、 尋 得 病 亡 。 後 其 夫 還 、 問 其 女 所 在 、 其 家 具 說 之 。 其 夫 逕 至 女 墓 、 不 勝 哀 情 、 便 發 冢 開 棺 、 女 遂 活 、 因 與 歸 。 後 婿 聞 知 、 詣 官 爭 之 、 所 在 不 能 決 。 祕 書 郎 王 導 議 曰 、 ﹁ 此 是 非 常 事 、 不 得 以 常 理 斷 之 、 宜 還 前 夫 。 ﹂ 朝 廷 從 其 議 。 ︵ ﹃ 晋 書 ﹄ 巻 二 九 五 行 志 下 ︶ 以 上 、 不 十 分 な 集 成 分 析 で は あ る が 、 ひ と ま ず 右 に 見 て き た と こ ろ か ら 魏 晋 南 朝 の 司 法 に お け る 情 理 の 語 の 用 い ら れ 方 と そ の ニ ュ ア ン ス を 傾 向 と し て う か が う こ と は で き よ う 。 こ こ に 挙 げ た 諸 例 の 他 に も 南 朝 の 司 法 に お け る 情 、 理 魏 晋 南 朝 の 司 法 に お け る 情 理 の 語 に つ い て 七 一
の 用 例 が い く つ か み ら れ る が 、 そ れ ら の 例 に お い て も 右 に 見 て き た 情 理 の 意 味 合 い が 確 認 で き る こ と の み 触 れ て お く に と ど め 、 こ れ 以 上 逐 一 挙 例 す る こ と は こ こ で は 控 え て お き た い 。 ま た 北 朝 に お い て も 正 史 さ ら に は 墓 誌 銘 な ど に 多 く の 例 を 見 出 す こ と が で き 、 そ れ ら を 通 じ て 右 に 述 べ て き た こ と を 大 き く 修 正 す る 必 要 は な い と 思 わ れ る が 、 そ の 詳 細 な 検 討 に つ い て は 機 を 改 め た い 。
2.
﹃
晋
書
﹄
刑
法
志
に
見
え
る
情
理
の
語
と
名
理
学
・
玄
学
さ て 、 前 章 で は 具 体 的 実 例 の 中 で 用 い ら れ る 情 、 理 の 語 に つ い て 見 て き た が 、 ﹃ 晋 書 ﹄ 刑 法 志 に は こ れ ら の 語 の 意 味 を め ぐ っ て 次 の よ う な 注 目 す べ き 記 載 が あ る 。 文 脈 理 解 の 必 要 上 最 低 限 、 節 略 し て 引 用 し 、 便 宜 上 各 段 落 に 番 号 を 割 り 振 る 。 其 後 、 明 法 掾 張 [ 斐 ] ︵ 原 作 裴 ︶ 又 注 律 、 表 上 之 、 其 要 曰 、 ⋮ ① 夫 律 者 、 當 慎 其 變 、 審 其 理 。 若 不 承 用 詔 書 、 無 故 失 之 刑 、 當 從 贖 。 謀 反 之 同 伍 、 實 不 知 情 、 當 從 刑 。 故 失 之 變 也 。 ⋮ ② 夫 刑 者 、 司 理 之 官 。 理 者 、 求 情 之 機 。 情 者 、 心 神 之 使 。 心 感 則 情 動 於 中 、 而 形 於 言 、 暢 於 四 支 、 發 於 事 業 。 是 故 姦 人 心 愧 而 面 赤 、 內 怖 而 色 奪 。 論 罪 者 務 本 其 心 、 審 其 情 、 精 其 事 、 近 取 諸 身 、 遠 取 諸 物 、 然 後 乃 可 以 正 刑 。 仰 手 似 乞 、 俯 手 似 奪 、 捧 手 似 謝 、 擬 手 似 訴 、 ⋮ 出 口 有 言 當 爲 告 、 下 手 有 禁 當 爲 賊 、 喜 子 殺 怒 子 當 爲 戲 、 怒 子 殺 喜 子 當 爲 賊 。 諸 如 此 類 、 自 非 至 精 不 能 極 其 理 也 。 ⋮ ③ 夫 理 者 、 精 玄 之 妙 、 不 可 以 一 方 行 也 。 律 者 、 幽 理 之 奧 、 不 可 以 一 體 守 也 。 或 計 過 以 配 罪 、 或 化 略 ︹ 以 ︺ 循 常 、 魏 晋 南 朝 の 司 法 に お け る 情 理 の 語 に つ い て 七 二或 隨 事 以 盡 情 、 或 趣 舍 以 從 時 、 或 推 重 以 立 防 、 或 引 輕 而 就 下 。 公 私 廢 避 之 宜 、 除 削 重 輕 之 變 、 皆 所 以 臨 時 觀 釁 、 ︹ 使 ︺ 用 法 執 詮 者 幽 於 未 制 之 中 、 采 其 根 牙 之 微 、 致 之 於 機 格 之 上 、 稱 輕 重 於 豪 銖 、 考 輩 類 於 參 伍 、 然 後 乃 可 以 理 直 刑 正 。 ⋮ ④ 王 者 立 此 五 刑 、 所 以 寶 君 子 而 逼 小 人 、 故 爲 敕 慎 之 經 、 皆 擬 周 易 有 變 通 之 體 焉 。 欲 令 提 綱 而 大 道 清 、 舉 略 而 王 法 齊 、 其 旨 遠 、 其 辭 文 、 其 言 曲 而 中 、 其 事 肆 而 隱 。 通 天 下 之 志 唯 忠 也 、 斷 天 下 之 疑 唯 文 也 、 切 天 下 之 情 唯 遠 也 、 彌 天 下 之 務 唯 大 也 、 變 無 常 體 唯 理 也 、 非 天 下 之 賢 聖 、 孰 能 與 於 斯 。 こ れ は よ く 知 ら れ て い る よ う に 、 西 晋 泰 始 四 年 に 頒 布 さ れ た い わ ゆ る 泰 始 律 令 に 、 張 斐 が 注 を 付 け て 進 奏 し た 上 奏 文 の 一 節 で あ る 。 冒 頭 で ま ず 彼 は 、 総 則 に あ た る ﹁ 刑 名 ﹂ 以 下 、 各 篇 の 次 第 と 趣 旨 に つ い て 述 べ 、 つ い で 律 上 の 諸 用 語 の 定 義 を 解 説 す る 。 そ れ に 続 く ① で 彼 は 、 ﹁ 変 ﹂ 、 変 則 的 な ケ ー ス に 対 し て 法 適 用 を 慎 重 に 行 い 、 事 物 の 根 底 に あ る ﹁ 理 ﹂ を 明 ら か に す べ き を い う ︵ 内 田 智 雄 氏 訳 ﹁ そ も そ も 律 と い う も の は 、 そ の 変 則 的 な も の に 心 を く ば り 、 そ の 条 ︵ ! ︶ 理 を 審 ら か に す べ き で あ る ﹂ ︶ 。 い わ ば 法 適 用 の 原 則 を 説 い た ① の 次 に 、 ② で は 審 理 に あ た る 者 の と る べ き 姿 勢 が 述 べ ら れ る 。 刑 と は 理 を つ か さ ど り 、 理 と は 情 を 求 め る か な め 、 情 と は 心 に 動 か さ れ る も の で あ る 。 心 が 感 ず れ ば 情 が 動 き 、 言 と な り 挙 動 と な り 、 は て は 所 業 に 発 露 す る 。 ゆ え に 論 罪 に 当 た っ て は つ と め て 当 人 の 心 に も と づ き 、 そ の 情 を 明 ら か に し 、 事 実 を 精 査 し て 遠 近 よ り 範 例 を 取 り ︵ ﹃ 易 ﹄ 繋 辞 下 伝 ︶ 、 そ う し て は じ め て 正 し い 刑 が 引 き 当 て ら れ る 。 挙 動 と し て 現 れ た 心 情 を 推 し 測 り 、 正 し い 刑 を 当 て る に は 、 精 細 な 用 心 を 尽 く さ ね ば 理 を 究 明 す る こ と が で き な い 。 ③ は 律 の 働 き の 根 本 に つ い て 論 じ た 部 分 で 、 律 と は ﹁ 精 玄 の 妙 ﹂ な る 理 、 そ の 最 も 幽 玄 微 妙 な る も の で あ る と い う 。 様 々 に 状 況 の 異 な る 事 案 ご と に 柔 軟 に 論 罪 を 判 断 し 、 未 だ 顕 現 せ ぬ 不 軌 の 萌 芽 を 未 然 に 摘 み 取 り 、 そ の 隠 微 な る 魏 晋 南 朝 の 司 法 に お け る 情 理 の 語 に つ い て 七 三
悪 の 軽 重 と 類 型 を 推 し 量 る こ と に よ っ て 初 め て 、 理 は 筋 が 通 り 用 刑 は 正 し く な る で あ ろ う 。 ⋮ か く し て ④ 、 易 繋 辞 上 伝 を 模 倣 し た こ の 段 で は 、 律 の 全 体 を つ ら ぬ く 精 神 と し て 、 忠 の 心 に 基 づ く 民 意 へ の 通 暁 、 文 雅 周 到 な 言 辞 に よ る 事 案 の 断 罪 、 深 遠 な 識 見 に よ る 衆 情 ︵ 天 下 之 情 ︶ の 斟 酌 、 広 大 な 構 想 に よ る 諸 般 の 実 務 の カ ヴ ァ ー 、 そ し て [ 精 玄 な ] 理 に よ る 臨 機 応 変 の 判 断 が 求 め ら れ る 。 ﹁ 天 下 の 賢 聖 に 非 ず ん ば 孰 か 能 く 斯 に 与 ら ん ﹂ 、 そ の 精 神 を 具 現 し た 泰 始 律 こ そ は 一 代 の 聖 典 た る に ふ さ わ し い で あ ろ う 。 以 上 の 張 斐 の 議 論 の 中 で 、 情 は ま ず 心 情 、 人 情 の 意 で 用 い ら れ て い る よ う で あ り 、 そ の こ と は ② に ﹁ 心 感 ず れ ば 情 は 中 に 動 き ﹂ と あ る こ と に 端 的 に 見 て 取 れ る 。 一 方 、 ① ﹁ 実 に 情 を 知 ら ず と も 当 に 刑 に 従 う べ し ﹂ で は 具 体 的 事 実 、 事 情 の 意 で 用 い ら れ て い る よ う で あ る 。 情 の 語 に お け る 前 者 と 後 者 の 意 と が 内 的 関 連 を 持 っ て い た こ と に つ い て は す で に 滋 賀 氏 も 次 の よ う に 説 明 し て い る 。 ﹁ 判 断 に 際 し て 直 接 対 象 と な る 事 象 だ け を 孤 立 さ せ ず 、 背 景 と な る 諸 事 象 と ︵ ! ︶ の 具 体 的 関 連 の な か に お い て 同 情 的 に 理 解 し 評 価 す る と い う 要 請 が 、 ﹁ 情 理 ﹂ の 情 に 託 さ れ て い る 。 ﹂ 別 の 言 い 方 を す れ ば 、 各 事 案 に お け る 事 実 関 係 と 、 そ の 背 景 に あ る 本 人 の 心 的 動 因 、 及 び そ れ ら を 理 解 す る 衆 人 の 心 情 と は 密 接 不 可 分 で あ っ た と の 一 種 、 主 客 一 体 的 な 観 念 が そ こ に 横 た わ っ て い る よ う に も 思 わ れ る ︵ 犯 罪 者 の 心 的 動 機 を 重 ん ず る い わ ゆ る 原 心 定 罪 の 考 え も 、 こ う し た 観 念 と 無 縁 で は な い で あ ろ う ︶ 。 ④ の ﹁ 天 下 の 情 ﹂ を 右 で は 便 宜 的 に 人 情 と 訳 し た が 、 そ こ に は 人 情 と 事 情 、 双 方 の 含 意 が 込 め ら れ て い た と も 解 せ る 。 次 に 張 斐 の 議 論 中 に お け る 理 の 語 に つ い て 見 れ ば 、 前 章 で 見 た 諸 例 と こ こ で の 用 い ら れ 方 と は い さ さ か ニ ュ ア ン ス を 異 に す る よ う で あ る 。 ② に ﹁ 理 は 求 情 の 機 な り ﹂ と あ り 、 そ こ で の 情 が 先 述 の よ う に 心 情 と 解 さ れ る も の で あ れ ば 、 そ れ を 考 究 す る た め の 機 軸 た る 理 と は 、 事 実 の 背 後 の 心 情 を 洞 察 す る 思 考 の 論 理 、 と で も い っ た 意 味 に な ろ う し 、 ま た 表 面 上 相 い 似 て 動 機 を 異 に す る 案 件 に つ き ﹁ 至 精 に 非 ざ る よ り は そ の 理 を 極 む る 能 わ ず ﹂ と あ れ ば 、 そ の 理 魏 晋 南 朝 の 司 法 に お け る 情 理 の 語 に つ い て 七 四
と は 考 究 対 象 た る 事 実 を 通 貫 す る 論 理 、 と い っ た 意 味 に 解 せ よ う 。 さ き の 情 に お け る 主 客 一 体 的 観 念 が こ こ に も 見 て 取 れ る 。 ③ で ﹁ 理 は 精 玄 の 妙 、 一 方 を 以 て 行 う 可 か ら ざ る な り ﹂ │ 事 実 を 律 す る 論 理 は 事 案 ご と に 異 な れ ば 、 審 理 者 は 精 密 玄 妙 な 用 心 を 以 て 柔 軟 に 論 理 的 考 察 を 働 か せ 、 事 実 の 動 因 た る 情 、 心 を 極 め ね ば な ら な い │ と さ れ る 理 も 、 ま た ④ の ﹁ 変 じ て 常 体 な き は 唯 だ 理 な り ﹂ に お け る そ れ も 同 様 で あ る 。 前 章 で 挙 げ た 諸 例 の 中 で 理 と は お お む ね ﹁ 常 識 的 道 理 ﹂ と い っ た 意 味 に 解 さ れ る こ と を 先 に 述 べ た が 、 か た や 張 斐 の 議 論 に お け る 理 は よ り 抽 象 的 ・ 哲 学 的 概 念 を 表 す 語 と し て 用 い ら れ て い る よ う で あ る 。 そ れ で は 前 者 と 後 者 と の 間 に は 何 の 連 関 も な い の か と い え ば 、 決 し て そ う で は な い 。 一 連 の 事 実 に お け る 論 理 を 問 う べ く 、 審 理 者 の 駆 使 す べ き 精 玄 な る 論 理 、 そ れ は 常 識 的 道 理 か ら 懸 隔 し て は な ら な い 。 平 凡 な 一 般 人 の 感 覚 に 照 ら し て は じ め て 事 案 の 経 緯 と そ の 心 的 動 因 は 考 究 で き よ う し 、 事 の 是 非 を 判 ず る こ と も 許 さ れ る は ず で あ る 。 さ も な け れ ば 、 ③ ﹁ 幽 理 の 奥 ﹂ を 体 現 し た 律 が 普 遍 的 準 則 と し て 広 く 社 会 を 律 す る こ と が ど う し て で き よ う か 。 さ て 、 張 斐 の 理 に 多 分 に 見 ら れ る 哲 学 的 傾 向 が 魏 晋 時 代 の 名 理 学 、 玄 学 と 深 く 関 わ っ て い た こ と に つ い て は 、 易 繋 辞 伝 の 引 用 模 倣 か ら も う か が い 知 れ る が 、 王 葆 % 氏 は こ の 張 斐 の 議 を 例 に 挙 げ 、 漢 末 よ り 盛 行 し 始 め た 法 形 式 に 関 す る 学 、 い わ ゆ る 法 理 学 が 強 く 玄 学 の 傾 向 を 帯 び て い た こ と を 指 摘 し 、 政 治 学 と し て の 法 理 学 ・ 名 理 学 が 抽 象 的 な 哲 学 ︵ ! ︶ ︵ " ︶ と し て の 玄 学 へ と 変 化 し て い く 過 渡 的 状 況 を そ こ に 看 取 し て い る 。 ま た 韓 樹 峰 氏 は 湯 用 彤 氏 の 指 摘 を 敷 衍 し 、 泰 始 律 ︵ # ︶ の 形 式 と 内 容 自 体 に 名 理 学 ・ 玄 学 の 強 い 影 響 の 見 ら れ る こ と を 論 じ て い る 。 こ の 時 代 を 代 表 す る 名 理 学 者 に し て 、 魏 律 の 編 纂 に も 関 わ っ た ︵ ﹃ 晋 書 ﹄ 刑 法 志 に 魏 新 律 の 編 纂 に 関 わ っ た 学 者 の 一 人 と し て 彼 の 名 が 見 え る ︶ 法 学 者 と し て 劉 劭 が い る 。 劉 劭 と 法 学 と の 関 係 に つ い て は 湯 用 彤 氏 は じ め 多 く の 先 学 に よ る 言 及 が あ り 、 た と え ば 近 年 の 東 川 祥 丈 ︵ $ ︶ 氏 の 研 究 に よ れ ば 、 彼 の 想 定 す る 法 に は 道 家 的 色 彩 が 強 く 見 ら れ 、 法 ・ 立 法 家 に お い て は 自 身 の 道 徳 規 準 と 公 的 基 準 魏 晋 南 朝 の 司 法 に お け る 情 理 の 語 に つ い て 七 五
と の 合 致 が 求 め ら れ た と さ れ る 。 こ う し た 彼 の 法 思 想 が 、 社 会 的 通 念 と し て の 情 理 の 重 視 に つ ら な る で あ ろ う こ と は 自 ず と 見 通 せ よ う 。 そ も そ も 情 が 司 法 に お け る 伝 統 的 な 準 拠 の 一 つ で あ っ た こ と は 、 ﹁ 以 五 聲 聽 獄 訟 、 求 民 情 ﹂ と の ﹃ 周 礼 ﹄ 秋 官 小 司 寇 の 言 葉 、 ま た ﹁ 聖 人 既 躬 明 悊 之 性 、 必 通 天 地 之 心 、 制 禮 作 教 、 立 法 設 刑 、 動 緣 民 情 、 而 則 天 象 地 ﹂ と の ﹃ 漢 書 ﹄ 刑 法 志 の 序 文 か ら も 明 ら か で あ る 。 ま た 道 理 が そ こ に も う 一 つ の 準 拠 と し て 意 識 さ れ て い た で あ ろ う こ と も 想 像 に 難 く は な い ︵ ﹃ 韓 非 子 ﹄ 大 体 篇 ﹁ 古 之 全 大 體 者 ⋮ 不 逆 天 理 、 不 傷 情 性 ﹂ 、 制 分 篇 ﹁ 其 法 通 乎 人 情 、 關 乎 治 理 也 ﹂ ︶ 。 魏 晋 間 に お け る 名 理 学 ・ 玄 学 の 盛 行 は 法 学 思 想 に も 深 く 影 響 を 与 え 、 こ う し た 従 来 潜 在 的 に 意 識 さ れ て き た で あ ろ う 司 法 の 準 則 を 、 概 念 ・ 言 葉 と し て 定 着 さ せ た 。 以 後 、 こ の 言 葉 は 玄 学 的 な 抽 象 性 を 払 拭 し つ つ 、 伝 統 中 国 の 司 法 に お け る 準 拠 と し て 明 清 時 代 に 至 る ま で 沿 用 さ れ て い く こ と に な る の で あ る 。
3.
情
理
の
語
と
礼
学
議
論
情 理 の 語 は こ の 時 代 、 実 は 司 法 関 係 の 議 論 と 同 程 度 、 あ る い は そ れ 以 上 に し ば し ば 礼 学 関 係 の 議 論 に お い て 用 い ら れ て い る 。 少 々 例 を 挙 げ れ ば 次 の よ う で あ る 。 ① ︵ 西 ︶ 晉 侍 中 庾 純 云 、 ﹁ 古 者 所 以 重 宗 、 諸 侯 世 爵 、 士 大 夫 世 祿 、 防 其 爭 競 、 故 明 其 宗 。 今 無 國 士 世 祿 者 、 防 無 所 施 。 又 古 之 嫡 孫 、 雖 在 仕 位 、 無 世 祿 之 士 、 猶 承 祖 考 家 業 、 上 供 祭 祠 、 下 正 子 孫 、 旁 理 昆 弟 、 敘 親 合 族 、 是 以 宗 人 男 女 長 幼 、 皆 爲 之 服 齊 ! 。 今 則 不 然 、 諸 侯 無 爵 邑 者 、 嫡 之 子 卒 、 則 其 次 長 攝 家 主 祭 、 嫡 孫 以 長 幼 齒 、 無 復 殊 制 也 。 又 未 聞 今 世 爲 宗 子 服 齊 ! 者 。 然 則 嫡 孫 於 古 則 有 殊 制 、 於 今 則 無 異 等 。 今 王 侯 有 爵 土 者 、 其 所 防 與 古 無 異 、 重 魏 晋 南 朝 の 司 法 に お け る 情 理 の 語 に つ い て 七 六嫡 之 制 、 不 得 不 同 。 至 於 大 夫 以 下 、 既 與 古 禮 異 矣 、 吉 不 統 家 、 凶 則 統 喪 、 考 之 情 理 、 亦 有 違 。 按 律 無 嫡 孫 先 諸 父 承 財 之 文 、 宜 無 承 重 之 制 。 ﹂ ︵ ﹃ 通 典 ﹄ 巻 八 八 ﹁ 孫 為 祖 持 重 議 ﹂ ; 世 字 は も と 避 諱 で 代 に 作 る ︶ ② 時 有 遭 亂 與 父 母 乖 離 、 議 者 或 以 進 仕 理 王 事 、 婚 姻 繼 百 世 、 於 理 非 嫌 。 尚 議 曰 、 ﹁ 典 禮 之 興 、 皆 因 循 情 理 、 開 通 弘 勝 。 如 運 有 屯 夷 、 要 當 斷 之 以 大 義 。 夫 無 後 之 罪 、 三 千 所 不 過 、 今 婚 姻 將 以 繼 百 世 、 崇 宗 緒 、 此 固 不 可 塞 也 。 然 至 於 天 屬 生 離 之 哀 、 父 子 乖 " 之 痛 、 痛 之 深 者 、 莫 深 於 茲 。 夫 以 一 體 之 小 患 、 猶 或 忘 思 慮 、 損 聽 察 、 況 於 抱 傷 心 之 巨 痛 、 懷 忉 怛 之 至 戚 、 方 寸 既 亂 、 豈 能 綜 理 時 務 哉 。 有 心 之 人 、 決 不 冒 榮 苟 進 。 冒 榮 苟 進 之 疇 、 必 非 所 求 之 旨 、 徒 開 # 薄 之 門 而 長 流 弊 之 路 。 或 有 執 志 丘 園 、 守 心 不 革 者 、 猶 當 崇 其 操 業 以 弘 風 尚 、 而 況 含 艱 履 慼 之 人 、 勉 之 以 榮 貴 邪 。 ﹂ ︵ ﹃ 晋 書 ﹄ 巻 七 九 謝 尚 伝 ︶ ③ 安 帝 義 熙 九 年 四 月 、 將 殷 祭 。 詔 博 議 遷 毀 之 禮 。 大 司 馬 琅 邪 王 司 馬 德 文 議 、 ﹁ 泰 始 之 初 、 虛 太 祖 之 位 、 而 緣 情 流 遠 、 上 及 征 西 、 故 世 盡 則 宜 毀 、 而 宣 皇 帝 正 太 祖 之 位 。 又 漢 光 武 帝 移 十 一 帝 主 於 洛 邑 、 則 毀 主 不 設 、 理 可 推 矣 。 宜 從 范 宣 之 言 、 築 別 室 以 居 四 府 君 之 主 、 永 藏 而 不 祀 也 。 ﹂ 大 司 農 徐 廣 議 、 ﹁ 四 府 君 嘗 處 廟 室 之 首 、 歆 率 土 之 祭 。 若 埋 之 幽 壤 、 於 情 理 未 必 咸 盡 。 謂 可 遷 藏 西 儲 、 以 爲 遠 ! 、 而 禘 饗 永 " 也 。 ﹂ 太 尉 諮 議 參 軍 袁 豹 議 、 ﹁ 仍 舊 無 革 、 殷 祠 猶 及 四 府 君 、 情 理 爲 允 。 ﹂ 祠 部 郎 臧 燾 議 、 ﹁ 四 府 君 之 主 、 享 祀 禮 廢 、 則 亦 神 所 不 依 。 宜 同 虞 主 之 瘞 埋 矣 。 ﹂ 時 高 祖 輔 晉 、 與 大 司 馬 議 同 。 須 後 殷 祀 行 事 改 制 。 ︵ ﹃ 宋 書 ﹄ 巻 十 六 礼 志 三 ︶ ① は 嫡 孫 が 祖 の た め に ﹁ 持 重 ﹂ 具 体 的 に は 斬 $ 三 年 の 喪 に 服 す べ き か 否 か を 論 じ た も の 。 今 の 世 、 王 侯 の 爵 土 を 有 す る 者 に あ っ て は 、 い に し え と 同 じ く 嫡 孫 が 三 年 の 喪 に 服 し 争 競 の 源 を 防 が ね ば な ら な い 。 し か し 大 夫 以 下 、 爵 邑 を 有 せ ざ る 者 の 嫡 孫 な れ ば 、 そ も そ も 古 礼 と は 同 じ か ら ざ る 上 、 吉 事 に て は 一 族 の こ と を 主 宰 せ ず 凶 事 の み に そ の 義 務 を 課 す る の は ﹁ こ れ を 情 理 に 考 う る に 倶 に 違 う る あ り ﹂ 、 ま た 律 に ﹁ 嫡 孫 は 叔 父 た ち に 先 ん じ て 財 産 分 与 を 受 け る ﹂ 魏 晋 南 朝 の 司 法 に お け る 情 理 の 語 に つ い て 七 七
と の 規 定 も な く 、 ゆ え に 嫡 孫 の 三 年 の 服 喪 な か る べ し 、 と い う 。 ② は 喪 乱 の 中 で 父 母 と 生 別 し た 者 が 、 生 死 の 定 か な ら ぬ 両 親 の た め に 喪 に 服 す 間 、 任 官 ・ 婚 姻 を 避 け る べ き か 否 か に 関 わ る 議 論 で 、 恐 ら く 東 晋 初 年 、 胡 中 に 没 し た 温 嶠 の 母 の 改 葬 を 発 端 に 起 こ っ た 朝 議 ︵ ﹃ 晋 書 ﹄ 礼 志 中 ; ﹁ 是 時 中 原 喪 亂 、 室 家 離 析 、 朝 廷 議 二 親 陷 沒 寇 難 、 應 制 服 不 。 ⋮ ﹂ ︶ と 関 係 を 有 す る も の で あ ろ う 。 仕 進 は 王 事 の た め 、 婚 姻 は 家 の 継 承 の た め ﹁ 理 に お い て 嫌 あ ら ず ﹂ と す る 議 者 に 対 し 、 謝 尚 は 、 典 礼 の 本 旨 が ﹁ 情 理 に 因 循 ﹂ し 、 そ の 実 施 に 支 障 が あ れ ば ﹁ 大 義 ﹂ に よ っ て 断 ず べ き を 述 べ た 上 で 、 家 統 を 絶 や さ ぬ こ と は 大 事 で は あ る が 、 肉 親 と 生 別 す る 悲 痛 こ れ よ り 深 き は な く 、 か か る 悲 し み を 抱 い た 者 が 時 務 を 総 べ う る は ず な い 上 、 敢 え て そ の 中 で 任 官 を 許 せ ば 栄 利 を 貪 る 弊 風 を も た ら す と し て 、 反 対 意 見 を 表 明 す る 。 ③ は 、 五 年 に 二 回 の 祖 廟 祭 祀 で あ る 十 月 の 殷 祭 に あ た り 、 四 府 君 す な わ ち 晋 皇 室 の 祖 た る 征 西 将 軍 司 馬 鈞 ・ 豫 章 太 守 量 ・ 潁 川 太 守 雋 ・ 京 兆 尹 防 の 神 位 を い か に 処 す べ き か を 論 じ た も の で 、 各 人 の 主 張 は あ ら ま し 次 の よ う で あ る 。 司 馬 徳 文: 親 の 尽 き た こ の 四 代 の 神 主 を 別 室 に 蔵 し 、 祭 祀 の 対 象 と は せ ぬ が よ い 。 徐 広: 従 来 廟 室 の 首 位 に 置 か れ 祭 祀 を 受 け て き た 四 府 君 の 神 主 を 土 中 に 埋 め て し ま う ︵ こ れ は 六 十 七 年 前 、 穆 帝 永 和 二 年 ︵346 ︶ の 朝 議 で の 意 見 を 指 し て い る ︶ の は ﹁ 情 理 に お い て 未 だ 必 ず し も み な 尽 く さ ず ﹂ 、 西 の 別 室 に 遷 蔵 し た 上 で 祭 祀 を 受 け 続 け る べ き で あ る 。 袁 豹: 従 来 通 り 、 殷 祠 に は 四 府 君 を あ わ せ 祭 り 続 け る の が ﹁ 情 理 に て 允 る と 為 す ﹂ 。 臧 燾: 四 府 君 の 神 主 を 四 時 の 亨 祀 の 対 象 か ら 外 す 以 上 、 も は や 祖 霊 の 依 る 所 で は な い ゆ え 、 虞 主 ︵ 葬 礼 の 際 の 虞 祭 に 用 い ら れ る 桑 製 の 木 主 ︶ の 例 に 同 じ く 埋 蔵 す る の が よ い ︵ な お 彼 の 議 論 は ﹃ 宋 書 ﹄ 巻 五 五 本 伝 に 詳 し く 載 せ ら れ て い る ︶ 。 以 上 三 例 に お け る 情 理 の 語 は 、 い ず れ も 情= 人 間 の 自 然 な 感 情 、 理= 道 理 と 解 し て 差 し 支 え な い で あ ろ う 。 す な わ ち 一 章 で み た 司 法 に 関 わ る 諸 例 と 同 様 の 含 意 を こ こ で も 確 認 す る こ と が で き る 。 二 章 で 見 た よ う に 、 魏 晋 時 代 の 名 理 魏 晋 南 朝 の 司 法 に お け る 情 理 の 語 に つ い て 七 八
学 ・ 玄 学 の 盛 行 を 契 機 と し て 、 ﹁ 情 理 ﹂ を 規 準 に 人 間 社 会 の し か る べ き あ り 方 を 判 ず る 法 ・ 刑 上 の 観 念 が 定 着 し た 。 お な じ く 人 間 社 会 に 則 り 、 そ れ を 律 す る 規 範 と し て 一 方 に 礼 が あ る 。 情 理 の 語 の 司 法 上 の 使 用 と 、 礼 学 上 の 使 用 と は 揆 を 一 に し て 始 ま っ た と い わ ね ば な ら な い 。 言 い 換 え る な ら 、 社 会 を 律 す る 規 範 と し て の 法 ・ 刑 と 礼 と の 接 近 、 い わ ゆ る 礼 刑 一 致 の 様 相 を 、 こ の 語 の 使 用 か ら も 見 て 取 る こ と が で き よ う 。 な お 最 後 に 、 礼 学 に 関 連 し て 付 言 す れ ば 、 東 晋 南 朝 時 代 、 情 理 の 語 が 学 術 討 論 、 い わ ゆ る 清 談 に お い て 用 い ら れ た 例 を 挙 げ る こ と が で き る 。 晉 陵 顧 悅 之 難 王 弼 易 義 四 十 餘 條 、 ︵ 關 ︶ 康 之 申 王 難 顧 、 遠 有 情 理 。 ︵ ﹃ 宋 書 ﹄ 巻 九 十 三 隱 逸 關 康 之 伝 ︶ 王 濛 恆 尋 ︵ 支 ︶ 遁 、 遇 祗 ! 寺 中 講 、 正 在 高 坐 上 、 每 舉 麈 尾 、 常 領 數 百 言 、 而 情 理 暢 。 預 坐 百 餘 人 、 皆 結 舌 注 耳 。 ︵ ﹃ 世 説 新 語 ﹄ 賞 誉 篇 下 注 引 高 逸 沙 門 伝 ︶ 前 者 は 王 弼 易 注 を め ぐ る 顧 悦 之 と の 問 答 に お い て 関 康 之 の 説 が ﹁ 遠 く 情 理 ﹂ あ っ た こ と 、 後 者 は 清 談 の 名 手 と し て 知 ら れ た 支 遁 和 尚 の 講 話 が 数 百 言 の み で ﹁ 情 理 と も に 暢 り ﹂ 座 者 を 驚 嘆 せ し め た こ と を 伝 え る 。 こ れ ら の 場 合 の 情 と は 衆 情 に お い て 納 得 の い く 妥 当 性 、 理 と は 道 理 な い し 論 理 的 整 合 性 を 指 す も の と 思 わ れ る 。 情 理 の 語 が 司 法 や 礼 学 関 係 の み な ら ず 学 術 上 の 語 と し て も 広 く 用 い ら れ た こ と 、 つ ま り こ の 時 代 の 学 術 ・ 思 想 の 潮 流 が 、 礼 学 や 司 法 観 念 と も 深 く 関 わ り 合 っ て い た こ と が 、 こ こ か ら 改 め て 確 認 さ れ る の で あ る 。
お
わ
り
に
司 法 に お け る 情 理 の 語 の 使 用 が 、 魏 晋 時 代 の 大 き な 文 化 的 変 革 と 深 く 関 わ り 合 っ て い た こ と を 本 稿 で は 不 十 分 な が 魏 晋 南 朝 の 司 法 に お け る 情 理 の 語 に つ い て 七 九ら 述 べ て き た 。 稿 を 結 ぶ に あ た り 、 推 測 的 に 今 ひ と つ 、 そ の 社 会 的 背 景 に つ い て 考 え て み た い 。 情 理 に よ っ て 民 間 の 紛 争 や 犯 罪 を 裁 定 す る 司 法 の あ り 方 は 、 裁 き 手 た る 地 方 長 官 に 、 民 情 や 社 会 的 常 識 に 応 じ た 柔 軟 な 判 断 と 裁 定 を 要 求 す る こ と に な っ た 。 前 漢 後 半 期 か ら 後 漢 に か け て 、 地 方 社 会 の 経 済 的 文 化 的 成 熟 と と も に 、 各 地 の 風 俗 、 土 地 柄 に 沿 っ た 循 吏 的 統 治 が 求 め ら れ る よ う に な り 、 そ の こ と が 各 地 に お け る 地 方 的 教 令 の 流 行 を 生 ん だ ︵ ! ︶ こ と を 筆 者 は 以 前 に 別 稿 で 述 べ た が 、 こ う し た 地 方 社 会 と 地 方 長 官 と の 関 係 が 、 司 法 上 の 言 葉 と し て 情 理 が 用 い ら れ 始 め た 、 そ の も う 一 つ の 背 景 と し て あ る の で は な か ろ う か 。 仮 に そ う 考 え る こ と が 許 さ れ る な ら 、 こ の 語 の 出 現 は 地 方 長 官 と 地 方 社 会 と の 距 離 、 よ り 巨 視 的 に は 国 家 と 社 会 と の 関 係 に お け る 変 化 を 示 す 一 つ の 指 標 と 見 る こ と も で き よ う 。 も と よ り こ う し た 見 通 し を 司 法 そ の 他 の 諸 側 面 か ら 確 証 す る た め に は 、 よ り 多 く の 事 例 に 基 づ き 多 角 的 検 討 を 行 う 必 要 が あ り 、 今 後 の 課 題 と せ ね ば な ら な い 。 注 ︵ 1 ︶ 滋 賀 秀 三 ﹃ 清 代 中 国 の 法 と 裁 判 ﹄ ︵ 創 文 社 、 一 九 八 四 年 ︶ 第 四 ﹁ 民 事 的 法 源 の 概 括 的 検 討 │ 情 ・ 理 ・ 法 │ ﹂ ︵ 2 ︶ た と え ば 宋 代 の 裁 判 に お け る 情 理 に つ い て 清 代 と の 差 異 を 論 じ た も の と し て 、 佐 立 治 人 ﹁ ﹃ 清 明 集 ﹄ の ﹁ 法 意 ﹂ と ﹁ 人 情 ﹂ │ 訴 訟 当 事 者 に よ る 法 律 解 釈 の 痕 跡 ﹂ ︵ 梅 原 郁 編 ﹃ 中 国 近 世 の 法 制 と 社 会 ﹄ 京 都 大 学 人 文 科 学 研 究 所 、 一 九 九 三 年 ︶ お よ び 同 書 に 対 す る 滋 賀 秀 三 氏 の 書 評 ︵ ﹃ 東 洋 史 研 究 ﹄ 五 二 巻 四 号 、 一 九 九 四 年 ︶ 参 照 。 ︵ 3 ︶ 拙 稿 ﹁ 後 漢 末 の 弓 矢 乱 射 事 件 と 応 劭 の 刑 罰 議 論 ﹂ ︵ ﹃ 関 西 学 院 史 学 ﹄ 四 〇 号 、 二 〇 一 三 年 ︶ ︵ 4 ︶ 原 心 定 罪 に つ い て は 、 日 原 利 国 ﹃ 春 秋 公 羊 伝 の 研 究 ﹄ ︵ 創 文 社 、 一 九 七 六 年 ︶ 第 三 章 ﹁ 心 意 の 偏 重 │ 行 為 の 評 価 に つ い て │ ﹂ に 詳 し い 。 ︵ 5 ︶ 内 田 智 雄 編 ・ 冨 谷 至 補 ﹃ 訳 注 中 国 歴 代 刑 法 志 ︵ 補 ︶ ﹄ ︵ 創 文 社 、 二 〇 〇 五 年 ︶ ︵ 6 ︶ 滋 賀 氏 前 掲 書 二 八 六 頁 。 ︵ 7 ︶ 王 葆 " ﹃ 正 始 玄 学 ﹄ ︵ 斉 魯 書 社 、 一 九 八 七 年 ︶ 第 七 章 四 節 ﹁ 理 的 上 昇 和 義 理 学 的 形 成 ﹂ 魏 晋 南 朝 の 司 法 に お け る 情 理 の 語 に つ い て 八 〇
︵ 8 ︶ 湯 用 彤 ﹃ 魏 晋 玄 学 論 稿 ﹄ ︵ 初 版 : 人 民 出 版 社 、 一 九 五 七 年 ︶ 所 収 ﹁ 読 ︽ 人 物 志 ︾ ﹂ ︵ 9 ︶ 韓 樹 峰 ﹁ 魏 晋 法 律 体 例 的 変 化 与 学 術 風 気 之 関 係 ﹂ ︵ ﹃ 中 国 人 民 大 学 学 報 ﹄ 二 〇 〇 七 年 第 四 期 ; 同 氏 ﹃ 漢 魏 法 律 与 社 会 ﹄ 社 科 文 献 出 版 社 二 〇 一 一 年 に 再 収 ︶ ︵ 10 ︶ 東 川 祥 丈 ﹁ 劉 劭 の 法 思 想 に つ い て ﹂ ︵ ﹃ 東 方 学 ﹄ 第 一 〇 五 輯 、 二 〇 〇 三 年 ︶ ︵ 11 ︶ 拙 稿 ﹁ 漢 六 朝 期 の 地 方 的 教 令 に つ い て ﹂ ︵ ﹃ 東 洋 史 研 究 ﹄ 第 六 八 巻 四 号 、 二 〇 一 〇 年 ︶ 魏 晋 南 朝 の 司 法 に お け る 情 理 の 語 に つ い て 八 一