• 検索結果がありません。

吉永恵一郎先生の訃報に触れて

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "吉永恵一郎先生の訃報に触れて"

Copied!
2
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)日本心臓核医学会誌 Vol.23-1. ■ 追悼文. doi:10.14951/jsnc.23-001. 吉永恵一郎先生の訃報に触れて. 日本心臓核医学会 理事長 工藤 崇. 長崎大学原爆後障害医療研究所 アイソトープ診断治療学研究分野. 日本心臓核医学会(JSNC)の理事、編集委員会委. を頼って講演依頼・. 員長、Annals of Nuclear Cardiology の編集長であら. 手配をすることも多. れた、吉永恵一郎先生が本年 2020 年 10 月 7 日に逝去. かったと記憶しま. されました。ここに謹んでご冥福をお祈りするともに、. す。特に私が日本心. 日本心臓核医学会理事長として、吉永先生の業績をた. 臓核医学会の国際交. たえる追悼文を記させていただきます。. 流委員会委員長を拝 命していた時期に. 吉永恵一郎先生は 1992 年に鹿児島大学医学部を卒. は、海外における知. 業されたのち、循環器内科医として医師の経歴を始め. 己のほとんどいない. られました。その過程で心臓核医学に興味を示され、. 私を支えていただ. 1999 年に当時玉木長良先生が教授を務めておられた、. き、交渉の手助けを. 北海道大学医学部核医学教室に来られました。個人的. していただきました。米国心臓核医学会(ASNC)の. なことになりますが、私も玉木先生が京都大学におら. 学術集会に一緒に参加していただき、私よりも流暢な. れた時期に師事しており、大学は違うものの、同じ玉. 英語で ASNC 理事 / 事務局との交渉を手伝っていた. 木門下として、親しくさせていただいておりました。. だいたこと、ASNC 学術集会に設置された日本心臓. 当時、北海道大学は、玉木先生のもとで PET 検査を. 核医学会のブースに一緒に座ったこと、など懐かしく. 立ち上げていた頃で、吉永先生は循環器領域の責任者. 思い出します。ASNC と日本心臓核医学会は 2019 年. として活躍されました。若手の研究者が集まって研究. に学術交流協定を結ぶことが出来ましたが、吉永先生. 室を立ち上げる教室創始期であり、その中で心筋血流. と ASNC の間の強い信頼関係無くしては、学術交流. 量や血流予備能さらには血管内皮機能の解析を行い、. 協定の成立はなかったものと思います。吉永先生には. 多くの研究成果を挙げられました。. 深く感謝いたしております。. 吉永先生は、その後カナダのオタワ大学循環器病セ. 研究におかれては、カナダから帰国後、北海道大学. ンターに留学され、酢酸 PET などで著名な業績のあ. 核医学教室に戻られて、様々な領域において先進的な. る Rob Beanlands 先生の元で、さらなる心臓核医学、. 取り組みを行われてきました。吉永先生の中心テーマ. 特に PET による核医学検査の研究経験を築き上げら. である心臓核医学では、日本で初めての Rb-82 を用い. れました。留学中に行った研究の成果を数々の論文と. た心筋血流 PET 検査を開始されました。Rb-82 PET. して結実させたこと加え、この時期に米国・カナダを. による定量を用いて、心筋血流予備能・血管内皮機能. 中心とした一流の心臓核医学研究者との人脈を構築さ. の評価を行い、多数の論文を次々と発表され、その勢. れました。この人脈構築が、帰国後に日本の心臓核医. い に 驚 か さ れ た こ と を 記 憶 し て お り ま す。 ま た、. 学医と海外の研究者をつなぐ架け橋としての吉永先生. FDG PET を用いた心サルコイドーシスの診断にも着. の活躍につながったものと思います。日本心臓核医学. 目され、その有効性、検査法の確立に向けて数々の研. 会は、毎年学術集会において海外からの一流演者をお. 究を行われ、FDG PET が心サルコイドーシスの診断. 呼びして講演をお願いしていますが、吉永先生の人脈. に欠かせないツールとなり得ることを多くの循環器医 20. 心臓核医学vol23-1_P18-26.indd 20. 2021/02/17 14:47.

(2) 日本心臓核医学会誌 Vol.23-1. に認識してもらえるきっかけを作られました。FDG. Cardiology」の立ち上げの最大の貢献者でありました。. PET の利用適応の拡大がなかなか進まない中でも、. 日本心臓核医学会の長年の念願であった英文誌の立ち. 心サルコイドーシスへの適応拡大が予想外に早く. 上げが吉永先生の手によって成し遂げられ、「Annals. (2012 年)認められたのは、吉永先生の研究成果の貢. of Nuclear Cardiology」という名前を与えられて、最. 献が非常に大きかったものと考えます。これらの活躍. 新号 6 号まで着実な歩みを続けてくることが出来たの. から、2009 年には日本心臓核医学会賞、2010 年には. は、吉永先生が Founding Editor として大変な努力を. 日本核医学会賞、また 2011 年には井村臨床研究奨励. 重ねられた成果であると考えています。幸い最新 6 号. 賞を受賞されております。. も、吉永先生がお亡くなりになる前に発行にこぎ着け ることが出来ました。吉永先生がお亡くなりになる直. その後、2017 年より吉永先生は放射線医学総合研. 前まで御努力されていた、PubMed への掲載、Impact. 究所に異動され分子イメージング診断治療研究部の. factor の取得に向けてこれからも努力していきます。. チームリーダー、後には同グループリーダーとしての. 吉永先生には、学会として、また理事長としてまだ. 活躍を始められました。この頃には、これまでの業績. まだ様々な活躍をお願いしたいと思っておりました。. / 活躍の数々から、日本における循環器領域 PET 研. 特に国際交流については吉永先生の広い人脈を頼るこ. 究の第一人者として皆の認めるところであったと思い. とも多く、今後も学会を引っ張っていく一人としてい. ます。また、放射線医学総合研究では循環器のみなら. ろいろなことをお願いしたいと思っていたところでの. ず、MIBG を用いた内照射療法の研究・普及にも尽力. 突然の訃報で、個人的にもとても大きな衝撃と無念を. されていたと伺っております。お亡くなりになる数日. 感じております。吉永先生の残して行かれた数々の業. 前には MIBG 治療の有用性に関する論文が JNM にア. 績、そして何より Annals of Nuclear Cardiology とい. クセプトされたと伺っております。出版物をご覧にな. う学会としての最大の財産をこれからも守り、発展さ. る前にお亡くなりになったことが残念でなりません。. せていくことを誓いたいと思います。. 吉永先生は、日本心臓核医学会にとって学会を牽引. ご冥福をお祈りいたします。. する重要なメンバーでした。米国心臓病学会特別会員 (FACC)や米国心臓核医学会特別会員(FASNC)を. さようなら、吉永先生。. 取得している数少ない日本人であり、海外での広い人 脈は、日本心臓核医学会の海外における活動で頼りに. 日本心臓核医学会 理事長 工藤 崇. するところでありました。なんと言っても、吉永先生 は 日 本 心 臓 核 医 学 会 の 英 文 誌「Annals of Nuclear. . 2018 年日本心臓核医学会でのご講演の風景. J-STAGE 早期公開日 2020 年 11 月 9 日. 2019 年米国心臓核医学会(ASNC)にて、ASNC 役員の 皆様と一緒に. 21. 心臓核医学vol23-1_P18-26.indd 21. 2021/02/17 14:47.

(3)

参照

関連したドキュメント

関係委員会のお力で次第に盛り上がりを見せ ているが,その時だけのお祭りで終わらせて

地方創生を成し遂げるため,人口,経済,地域社会 の課題に一体的に取り組むこと,また,そのために

・2017 年の世界レアアース生産量は前年同様の 130 千t-REO と見積もられている。同年 11 月には中国 資本による米国 Mountain

Automatic Identification System)として想定されている VDES に着目し、2019 年秋に開催 される国際電気通信連合(ITU)の会合(WRC-19)にて衛星

キャンパスの軸線とな るよう設計した。時計台 は永きにわたり図書館 として使 用され、学 生 の勉学の場となってい たが、9 7 年の新 大

しかしながら、世の中には相当情報がはんらんしておりまして、中には怪しいような情 報もあります。先ほど芳住先生からお話があったのは

先行事例として、ニューヨークとパリでは既に Loop

 学年進行による差異については「全てに出席」および「出席重視派」は数ポイント以内の変動で