中国における高齢者医療制度の創設可能性 : 日本の高齢者医療制度の立法過程にみる再分配の視点
39
0
0
全文
(2) 横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月). (3)高齢者医療の無料化について (4)日本の後期高齢者医療制度からの示唆 (5)中国における高齢者医療制度の創設―モデル案の提示 6 本論文の総括と今後の課題. 1 はじめに (1)研究背景 現在の中国の医療制度改革においては、都市と農村の二重構造のもとで、都 市部住民 と 農村部住民 の 健康水準(妊産婦死亡率・新乳児死亡率、5 歳以下 児童の死亡率等)と健康素養 1)のアンバランスな状況が顕著である。例えば、 農村住民の健康状態は元々悪かったが、1980 年の改革開放以後もっと悪くなっ ている。それに伴い、都市住民とのギャップはさらに拡大している。その原因 は医療資源の不公平な配分とそれにともなう公衆衛生、医療と保健の環境整備 における都市と農村の格差にあると考えられる。これらの問題を解決するた め、中国政府は、2003 年に新農村合作医療制度を実施し、2009 年に新医療制 度改革を行った。しかし、いずれの改革においても、農村部の医療制度は都市 部医療制度との保険間の財政調整がなく、再分配のシステムの構築が課題とし て残っている。 他方、日本の高齢化率は世界一であるが、中国の人口も日本を上回るスピー ドで高齢化しつつある。中国において 2009 年の 65 歳以上の高齢者人口は 1 億 130 万人であり、60 歳以上の高齢者人口は 1 億 6714 万人である。高齢化率は 2008 年より 0.5%上昇し、12.5%となった。2020 年には、高齢化率が 17%にな り、2050 年には 30%に達すると推計されている(中国国家統計局 2010) 。 中国の農村では、 「老後のために子供を育てる」という伝統的な思想のもと で、親の面倒をみるのは子供達の責任と認識されてきたため、長い間中国の農 民は基本的に年金保険制度とは縁がなかった(王 2001, pp. 45-57) 。今日高齢者 88.
(3) 中国における高齢者医療制度の創設可能性. の 8 割弱が農村に住んでいるが、その大半は子供による扶養と本人の労働で生 活を維持している。しかし、1979 年の一人子政策の実施により、2 人の子ども が親世代 4 人の扶養をするという困難な状況になり、高額な医療費用の負担が さらに深刻になっている。2006 年の中国国家統計局の調査によれば、中国国 民が深刻と考えている社会問題のなかでも「看病難・看病貴」 (医療費が高す ぎて、診療を受けられない)が第 1 位となっており、医療制度の不備は大きな 社会不安の要因となっている(人民日報日本語版 2006) 。さらに、少子高齢化 の到来にかかわらず、中国の医療制度は、高齢世代と現役世代は同じ保険制度 のもとで、同じ保険料負担する仕組みになっており、世代間の再分配がなく、 高齢世代の医療問題が深刻化している(李 2013) 。そこで最も早く後期高齢者 医療制度を導入した日本の医療制度の参考価値が高いと考えられる。 福祉国家における再分配政策は、税金制度による再分配が行われる一方、社 会保障制度(医療保険・年金保険・介護保険等)による給付面の所得再分配が 最も重要である。「社会保障制度の実際の保険料は、保険料といいながらも税 に近い性格を持っている」(小塩 2005, p. 33) 。社会保険の基本的な役割はリス ク分散である。しかし、そのリスクの発生が高齢期に集中すると、社会保険は 実質的に現役世代から高齢世代への所得移転措置として機能している(小塩 2005, p. 34) 。日本においては税金を徴収する際に累進課税による再分配が行わ れるが、社会保障制度における給付でも弱者(高齢者、低収入者等)に配慮す る再分配が実施されている。 1993 年に世界銀行は、途上国の医療システムに関する提言を行い、高度医 療機関の整備などに対する政府の投資は極力減らし、基本的な臨床医療サービ スに重点をおくべきであると指摘した。医療の財政面については、貧困層のみ を対象とするのではなく、全国民を対象とする制度の方がより効率的であると 指摘した。これは戦後日本の医療政策とほぼ一致する。また、今日、世界各国 では良質で適切な医療の確保と国民医療の効率化が医療改革において目指すべ き方向となっているが、中国のような途上国からすると日本の低い医療費と高 89.
(4) 横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月). い健康指標の達成、医療制度のパフォーマンスの良さは医療システムとして理 想的と指摘した(広井 2002, pp. 69-73) 。 したがって、中国が、再分配機能のある医療制度を、時間的経済的損失最小 化しつつ効率的に構築するためには、最も早く後期高齢者医療制度を導入した 日本の制度が参考になると考えられる。. (2)先行研究 中国政府は、2003 年に新農村合作医療制度を導入し、2006 年には「和諧社 会」2)を目標とした社会保障制度の再構築を宣言した。さらに、国務院研究機 構 3)は WHO と協力して、2009 年 4 月 6 日に 「医薬衛生体制改革の意見」と 「医 療衛生体制改革に関する当面の重点実施プラン(2009 - 2011 年)の通知」を 公布し、新医療制度改革をスタートさせた 4) (lexunDu・WenmingZhang 2009, p. 56) 。それをきっかけに中国では、農村医療や医療制度改革について様々な 研究が発表されるようになった。 具体的には、2003 年の新農村合作医療制度について、 「新」 「旧」の合作医 療制度を比較し、農村医療保障制度の必要性やその出発点を論じながら、現制 度の根本的な問題点と今後の発展方向を検討している研究がある(王 2009) 。 また、医療制度改革について医療格差の視点から「看病難・看病貴」という医 療問題を切り口として、医療格差の実態と原因について分析し、格差是正に向 けた改革を提言している研究もある(三浦 2009) 。 2009 年の新医療制度改革について、医療市場の観点から中国の医療改革の 全体的な流れ及びその方向性を分析し、新医療制度改革について、保険加入率・ 給付範囲、医療費抑制、医療財源の分担、連携医療と個人の選択という観点か ら評価を行い、新医療制度改革が日本の医療産業に与えた影響を論じている研 究が存在する(江藤 2011) 。この論文は新医療制度改革に関して日本で初めて 紹介されたものであり、全般的に中国の医療問題点を分析したものである。し かし、中国の医療制度の大きな特徴は都市部と農村部を分断した二重構造であ 90.
(5) 中国における高齢者医療制度の創設可能性. る。したがって、医療改革を評価するためには都市部と農村部をそれぞれ分析 する必要がある。特に医療問題が深刻となっている農村については、独自の調 査が必要である。また、新医療制度改革の目的は、国民の医療問題の解決にあ るため、新旧制度保障内容の比較に加えて、主体である各層の国民、特に農民 の観点からの分析が必要である。以上の点から筆者は、中国の医療改革におけ る都市部と農村部の状況を個別に把握し、2008 年の「中国衛生服務調査研究 (Analysis Report of National Health Services Survey in China(NHSS2008) 」5) 及び同年実施の「中国国民健康素養調査」6)を検証したうえで、2009 年に筆 者が実施した新農村合作医療制度のモデル地域 におけるアンケート調査、及 び 2011 年に実施した中国医療保障に関する国家機関・研究所等へのインタ ビュー調査に基づいて、新旧医療制度を比較し、農民や研究者の観点から中国 の新医療制度改革の課題について論じた(李 2012) 。 一方、中国の医療保障における再分配については、中国の基本医療保険制度 にみる再分配の機能に限界があることを論じている論文がある(窪田 2008) 。 この論文は都市部の医療保険制度を中心に分析し、その問題点と再分配の機能 に限界がある原因を明らかにしたが、同研究は中国都市部を中心としたもので、 医療保険制度における都市部と農村部の格差や農村医療保険制度における再分 配の問題を論じていない。この問題を踏まえて筆者は農村部の医療制度を中心 に分析したうえで、再分配体制における中国の位置づけを検討し、2009 年の 新医療制度に欠落している再分配機能を明らかにした(李 2013) 。 いずれの先行論文においても医療制度の問題点の分析はなされているもの の、農村部と都市部の医療制度間における財政調整のあり方や再分配システム の構築方法に関する研究がゼロに近い。また、少子高齢化の到来にかかわら ず、医療問題が深刻化している高齢者を対象とする医療制度の研究の蓄積がと ても少ない。そのなかで代表的なものといえるのが徐林卉の研究である。この 研究論文では日本の医療制度を分析したうえで、後期高齢者医療制度のメリッ トとデメリットを検討した。その結果、中国では「高齢者医療保険制度」の確 91.
(6) 横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月). 立が必ず必要であると論じたが、中国の高齢者の規模や農村部に高齢者が集中 する事態から財源を確保することが難しく、 「高齢者医療保険制度」の構築が 困難であると結論づけた(徐 2008) 。しかし、日本において、高齢者の規模や 国民健康保険に高齢者集中する事態が中国と類似していると考えられる。また、 日本は後期高齢者医療制度の財源確保をするために、10 年以上の改革を行っ てきた。先行研究において、この 10 年間の改革過程について殆ど論じてない。 したがって、中国において高齢者医療制度を創設するため、日本医療制度の枠 組みの分析を行うことのみならず、どのような改革過程を通じて制度の構築や 実施ができるようになったかについて、さらに深める研究が求められている。 そこで高齢者医療制度の立法過程及び実施モデルに関する分析が重要な価値が あると考えられる。. (3)研究目的 こうした現状を踏まえ、本論文では、中国と日本の医療制度を紹介したうえ で、再分配の視点から日本の高齢者医療制度の立法過程について分析を行い、 中国における高齢者医療制度の創設可能性を検討することを目的とする。以下 では、まず中国と日本の医療制度改革の仕組みについて検討する(2) 。そして、 再分配の視点から日本の高齢者医療制度の仕組みと経緯を検討しながら、その 立法過程を考察する(3、4) 。さらに、中国における高齢者医療制度の創設可 能性を検討する(5) 。最後には、 本論文の統括と今後の課題について述べる(6) 。. 2 中国と日本の医療制度の内容と流れ (1)中国の医療制度 現在の中国では、都市と農村の二重構造 7)のもとで、社会保障において最 も重要である医療保障を全国民に適用するための統一的制度が存在しない(表 1) 。医療保障制度は、都市部の「都市職員・労働者の基本医療保険制度」 (1998 92.
(7) 中国における高齢者医療制度の創設可能性. 表 1 都市部医療保険制度と農村部医療保険制度 都市部従業員基本医 療保険 加入者数 2.19億人 (2009年). 都市部住民医療制度. 新農村合作医療制度. 1.82億人. 8.33億人. 対象. 都市部の企業の従業員 または退職者. 無職者と農民工. 農村住民と農民工. 加入方法. 強制. 任意. 任意. 保険料. 企業:賃金の6% 個人:賃金の2%. 個人:50% 政府:50%. 個人:20% 中央政府:40% 地方政府:40%. 出所:筆者作成8) . 年) 、 「都市住民医療制度」 (2007 年)と農村部の 「新農村合作医療制度」 (2003 年) の 3 本柱から構成され、それぞれ一部の国民がカバーされている(舒 2008,p. 82) 。 また、中国の医療制度の発展段階は 3 段階に分けることができる(李 2013, p. 92) 。第一段階は、1978 年の改革開放前の計画経済体制の下で、平均主義の 原則によって、全国的に公費の医療保障制度が作られた時期であり、格差がな く平均的な分配による再分配が行われ、いわば再分配機能が最大化した時期で あった。第二段階は 1978 年改革開放後の時期であり、農村部の人民公社の崩 壊に伴い、農村では医療保険制度がなくなり、都市部のみの医療保険となった。 すなわち、都市部に偏重した再分配であり、再分配機能の転落期といえる。第 三段階は、 「和諧社会」の構築期であり、国民皆保険の目標が掲げられ、再分 配の機能が重視されるようになった。この時期は再分配機能の再構築段階とい える(李 2013, p. 92) 。 「中国の再分配政策は、累進税や政府の臨時的な政策が中心であり、社会保 障制度の立ち遅れから社会保障を通じた再分配機能が効いておらず、再分配の 効果が極めて小さくなっている。医療制度改革についてみると、現在の新農村 93.
(8) 横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月). 表 2 日本の医療制度の内容と流れ 段階. 第1段階 第2段階 第3段階 第4段階 1922年~1961年 1961年~1973年 1973年~2008年 2008年~現在 項目 再分配機能の萌芽期 再分配機能の形成期 再分配機能の転換期 再分配機能の改革期 1961年国保: 公的 被用者保険: 市町村国民保険・ 保険 1922年健康保険法 種類 1938年国民健康保険法 国民健康保険組合 対 象 者. 労働者. 高齢者医療: 高齢者医療: 1973年福祉元年 2008年 老人医療無料化 後期高齢者医療制度 1983年老人保健制度. 農業者・自営業者 75歳以上高齢者 75歳以上の高齢者 無職者 65歳以上の寝たきり 被用者保険の退職者 の高齢者. 出所:筆者作成11). 合作医療制度においては都市部の基本医療保険との保険間の財政調整がなく、 再分配のシステムの再構築が課題となっている」 (李 2013, p. 96) 。また、少子 高齢化の到来に関わらず、高齢世代と現役世代は同じ保険制度のもとで、同じ 保険料という仕組みになっており、世帯間の再分配がなく、高齢世代の医療問 題が深刻化している。そのため、日本のような世代間の再分配システムが求め られている。次に、日本を事例に取り上げ、高齢者医療制度の立法過程を分析 し、再分配の視点からその特徴を明らかにした上で中国へ示唆する。. (2)日本の医療制度 表 2 の通り、現在の日本の公的医療保険制度は大きく被用者保険 9)、国民健 康保険 10)、高齢者保険の 3 つに分けることができる(徐 2008, p. 125) 。日本の 医療制度改革は医療保障の再分配機能の変化に基づくと、4 段階に分けられる と考える。第 1 段階は、1922 年から 1961 年までの再分配機能の萌芽期である。 第 2 段階は、1961 年の国民皆保険の成立によりほぼ国民全員に保険が適用さ れるようになった時から 1973 年までの再分配機能の形成期である。第 3 段階 は、1973 年の老人医療の無料化の実現から、2008 年後期高齢者医療制度の実 94.
(9) 中国における高齢者医療制度の創設可能性. 施までの再分配機能の転換期である。第 4 段階は、2008 年の後期高齢者医療 制度改革から現在までの再分配機能の改革期である。第 1 段階と第 2 段階は国 民皆保険の形成過程であり、第 3 段階と第 4 段階は高齢者医療制度の改革過程 ととらえることもできる。. 3 再分配の視点からみる日本の高齢者医療制度改革 (1)老人医療制度の形成 第 2 段階において日本の国民健康保険は平等な医療体制に向けての大きな一 歩であったが、保険間の格差等大きな不平等が依然として存在した。当時の国 民健康保険の加入者には高齢者、無職者が多く被用者保険の加入者と比べて 健康水準や所得レベルが相対的に低かったため、自己負担割合は 5 割という 高い水準にあった。特に国民健康保険に加入している高齢者の割合が多く、こ の高い個人負担は受診の大きな壁となり、当時の統計によると、高齢者の有病 率は中年より高かったにもかかわらず、医療機関への受診率は低かった(池 上 1996, p. 109) 。1960 年代から 70 年代末にかけて、厚生省(当時。以下同じ) は医療を拡充する政策を展開し、国民健康保険の保険給付率引き上げ、低所得 被保険者への保険料の免除等、主に国庫負担の投入を財源に、医療保障の充実 が図った(野村 2003, p. 21) 。 そのため、実際に国民健康保険を救済するために国庫負担が一方的に拡大し た。それを阻止するために接ぎ木のような形で老人保健制度や退職者医療制度 が導入された。前者の老人保健制度は、医療保険制度間の財政調整の装置とし て機能していることになる(小塩 2005, p. 220) 。そのなかで、高齢者の医療保 険について日本医師会は、1968 年に「医療保険制度の抜本改正に関する意見」 の中で問題として取り上げ、老齢健康保険構想が提言された。また、1960 年 代に岩手県の沢内村は 65 歳以上の高齢者に対して 10 割給付を行うという老人 医療費の無料化を実現し、その影響は僚原の火のごとく全国に広がっていった 95.
(10) 横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月). (及川 2009) 。 これを背景に、厚生省は 1972 年に老人福祉法を改正して「老人医療費支給 制度」を創設した(河野 2004, p. 128) 。翌年の 1973 年は健康保険法改法案が 成立し、自己負担の最大割合が 3 割に引き下げられると同時に、高額医療費に 対しては各保険に共通な自己負担額の上限が設定され、さらに 70 歳以上の高 齢者に対する医療保険の自己負担分が公費で負担されるようになった(池上 1996, p. 109) 。この 1973 年は、日本の医療保障の頂点を築いた年として、 「福 祉元年」と呼ばれている(野村 2003, p. 21) 。日本の医療保障が頂点に達した 大きな要因は、1960 年代の高度経済成長期に厚生省が関係諸団体の利益をう まく調整したからであると指摘されている(野村 2003, p. 21) 。 「福祉元年」において老人医療費無料化の実現など世代間の再分配機能が最 大化したが、その寿命は短かった。1971 年のニクソン・ショック及び 1973 年 の第 1 次オイルショックにより国家財政が急激に悪化したため、政府は倍増す る高齢者医療負担に耐えられなくなった。また、少子高齢化により日本の人口 構成が大きく変わり、無職の高齢者が増えるなど医療保険の実態が大きく変わ り、医療保険制度改革が必至となった(池上 1996, p. 110) 。1980 年代になると、 戦後政治の総決算を謳った中曾根政権が強力に推し進めた臨調行革路線 12)の 一環として医療政策の見直しが開始された(野村 2003, p. 22) 。実施された一 連の医療制度改革は、行政改革によって政府の財政負担を削減することが主な 目的であった (野村 2003, p. 21) 。だが、 「弱者切り捨て」という方法はとられず、 むしろ制度全体としてはより平等化が進んだ(池上 1996, p. 110) 。このような 改革の下で 1982 年に老人保健法が制定され、その翌年老人保健制度が施行さ れた。 1983 年に新設された老人保健制度では、75 歳に達した者、あるいは 65 歳以 上で寝たきりなどの状態になった者が対象とされ、医療費の無料化を廃して老 人本人に自己負担を求めると共に、国庫負担を抑制する仕組みであった(野村 2003, p. 22) 。実際、健康保険組合や政府管掌健康保険等の職域保険は現役世代 96.
(11) 大する老人医療費用についての新しい制度の検討も必要になってきた(徐 2008,p.141) 。 これらの問題点について、図1に示すように、1990 年代以降、10 年以上にわたって抜本 的な改革をめぐって議論が行われ、財政運営の責任主体を明確化するとともに、これまで 支えられる側であった高齢者に一層の負担を求められ、高齢者の人数比率の上昇に応じて 高齢者の負担割合が高くなるような仕組みである後期高齢者医療制度が 2008 年 4 月に導入 されたのである(西村 2006,p.37)。. 中国における高齢者医療制度の創設可能性. 高齢者医療制度の歩み 平成 20. 年. 年. 18. 後期高齢者医療制度が実施. 平成. 年. 17. 健康保険法等改正法案が成立. 平成. 年. 年. 15. 医療制度改革大綱を政府・与党で決定. 平成. 平成 14. 医療保険制度体系等に関する基本方針 を閣議決定. 年. 12. 新制度まとまらず、次の課題に. 2. 平成. 年. 11. 「新たな高齢者医療制度等の創設につ いては、 年後実施する」. 平成. 年. 9. 老健拠出金不支払運動. 平成. 年. 58. 政府等で新しい制度の検討を開始. 昭和. 年. 老人保健法を制定 老(健制度 ). 昭和. 老人医療費の無料化 ( 歳~ ) 70. 48. 出所:厚労省ホームページ13)より筆者作成 出所:厚労省ホームページ13より筆者作成 (2)高齢者医療制度をめぐる論点. 図1. 10 年間の議論の主な論点は、高齢者向け医療費の財源をどのようにすれば無理なく調達 13 厚労省高齢者医療制度の歩み(1) 中心であるが、国民健康保険は退職者を受け入れているため、前者から後者へ. 〈http://www.mhlw.go.jp/bunya/shakaihosho/iryouseido01/info02d-24.html〉(2013.10.13 参照)。. の間接的資金移転が起こっていることになる。 「この資金移転は、公費負担の 9. あり方と同様に、被用者から自営業者・農業者へ、そして現役世代から引退世 代へという所得移転を意味するものでもある」 (小塩 2005, p. 221) 。 しかし、この老人保健制度の実施に伴い、多くの問題点も生じた。老人保 健制度 に よ る 財政調整 は、保険制度間 の 利害対立 を 生 み 出 す(小塩 2005, p. 221) 。老人保健制度は、保険料を納める保険者と運営主体の市町村が分離し、 財政運営の責任主体が不明確であり、高齢世代と現役世代の負担割合も不明確 である。したがって、制度の構造問題として、高齢者関係給付に係る制度間財 政調整方式の限界が認識されるようになり、高齢化に伴って増大する老人医療 費用についての新しい制度の検討も必要になってきた(徐 2008, p. 141) 。 これらの問題点について、図 1 に示すように、1990 年代以降、10 年以上に わたって抜本的な改革をめぐって議論が行われた。財政運営の責任主体を明確 化するとともに、これまで支えられる側であった高齢者に一層の負担を求めら れ、高齢者の人数比率の上昇に応じて高齢者の負担割合が高くなるような仕組 みである後期高齢者医療制度が 2008 年 4 月に導入されたのである(西村 2006, 97.
(12) 横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月). p. 37) 。. (2)高齢者医療制度をめぐる論点 10 年間の議論の主な論点は、高齢者向け医療費の財源をどのようにすれば 無理なく調達できるかという点である。日本の高齢者医療の仕組みは、各医療 保険のうえに老人保健制度が乗りかかる構造になっている。そして、 「その財 源は、各医療保険からの拠出金と公費負担(税)によって構成されているため、 かなりの部分が現役世代からの所得移転によって賄われていることになる(小 塩 2005, p. 231) 」 。この仕組みについて、 疾病リスクが加齢とともに高まる一方、 引退すれば所得は減少することになるから、若年者と高齢者を同一の医療保険 でカバーすることには初めから無理な面がある(西村 2006, p. 37) 。また、 「当 時の状況では、政管健保、組合健保、市町村国保のいずれにおいても、支出の うち 3 分の 1 程度が老人保健制度への拠出金となっているため、この拠出金負 担の削減が、各医療保険にとって強く望まれていることは容易に想像されよう (小塩 2005, p. 231) 」 。高齢者医療のあり方が医療保険改革の中心的なテーマと なっているのは、以上のような背景があるからである。高齢者医療制度改革に は主に 2 つの論点がある。第 1 は、制度構成の問題として、少子高齢化により 高齢者のための独立の制度とするかどうかであり、第 2 は、財源の問題として 被用者保険と国保の制度間・保険間の財政調整及び公費の導入をどうするかと いうことである。この 2 つの論点については、表 3 に示すように、4 つ の提 案に基づいて議論が進められた(小沼 2003, pp. 24 - 25、厚労省 14)) 。すなわ ち、リスク構造調整方式、独立方式、突き抜け方式、一元化方式である。以下 では、この 4 つの提案をめぐる議論を整理したうえで、それぞれのメリットと デメリットを論じる。 A.リスク構造調整方式 この案の主なメリットは年齢による区分がないことである(厚労省 17)) 。一 98.
(13) 中国における高齢者医療制度の創設可能性. 表 3 後期高齢者医療制度をめぐる論点 関係団体 厚労省. 提案 Aリス ク構造 調整. 反対団体. C突き 抜け. 国保中央会等15) D一元 化. デメリット ・負担が不明確 ・保険制によって高齢者 間の不公平 ・拠出金の形式で保険間 の財政調整額が不明確. ・支援金の形式で負担額 と運営責任が明確 ・保険間の財政調整 ・世代間の財政調整. ・独立した制度に区分さ れる. ・負担ルールと運営責任 明確 ・年齢区分がない ・保険内の世代間の財政 調整ができる. ・被用者・非被用者を区 分することは社会連帯 の理念が希薄 ・保険間の財政調整がな く、国保の問題が解決 しない. 医師会・健保 B独立 連・経団連 方式. 連合. メリット. 健保連・連 ・年齢区分がない 合・経団連 ・被用者保険の拠出金に より保険間の財政調整 ができる ・公費の導入により世代 間の財政調整. 市町村. 健保連・連 ・運営責任が明確 合・経団連 ・年齢区分がない. ・健保組合解散の問題 ・所得捕捉の状況が異な る保険料の算定方法等 の問題. 出所:筆者作成16). 方、主な問題点は 2 つある。1 つは、被用者保険が負担増となることである。 もう 1 つは、老人保健制度と同じく拠出金の形式として現役世代から高齢世代 へ財政調整をするため、高齢者の保険料と現役世代の保険料を区別していない、 よって、調整額が不明確であり、従来の老人保健制度の問題が再び生じる可能 性がある(小沼 2003, p. 29、厚労省 18)) 。つまり、若者と高齢者の負担ルール が不明確であることや加入する制度によって高齢者の保険料が異なり、不公平 であることである。 この提案は 2002 年に坂口厚労大臣の私案として提示され、年齢構成や所得 に着目したリスク構造調整方式により、負担の公平化を図るものであり、財政 99.
(14) 団連. なる保険料の算定方 法等の問題. 出所:筆者作成16 横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月) A.リスク構造調整方式. A.. リスク構造調整方式. この案の主なメリットは年齢による区分がないことである(厚労省17)。一方、主な問題. は 2 つある。1 つは、被用者保険が負担増となることである。もう 1 つは、老人保健制度. 調整の方式は若年者から高齢者まで一貫して年齢・所得に応じたものである. 同じく拠出金の形式として現役世代から高齢世代へ財政調整をするため、高齢者の保険. (小沼 2003, p.と現役世代の保険料を区別していない、よって、調整額が不明確であり、従来の老人保 24) 。この案について、関係団体は次のような見解を出している。. 制度の問題が再び生じる可能性がある(小沼 2003,p.29、厚労省18)。つまり、若者と高齢 「日本医師会は、各保険間の保険料負担が大幅に異なり、また、被用者保険と. の負担ルールが不明確であることや加入する制度によって高齢者の保険料が異なり、不 国民健康保険では保険料の賦課方式が大きく異なるという理由から、リスク. 構造調整を図ることは非現実的であると指摘した」 (小沼 2003, p. 29) 。日経連 15. 国民健康保険中央会のほか、全国市長会・全国町村会が含まれる。 は、 「保険者の自主、自立、自己責任に基づく運営を阻害し、保険者機能を縮 16厚労省ホームページ、週刊社会保障. 2007a,p.28、小沼 2003,p.29 より参照。. 減させるという理由から、 保険者間の『財政調整』に反対した」 (小沼 2003,p. 17前掲・注(14)(2013.10.13 参照) 18. 前掲・注(14)(2013.10.13 参照) 29) 。連合は、 「年齢リスク構造調整方式については、現行の老人保健制度と本. 質的に変わらず、問題の解決になっていない」 (小沼 2003, p. 29)と指摘した。 また、2007 に日経連は健保連・連合・日経連の 3 団体で共同意見を提出し財 政調整には断固反対であった。その理由は保険者として自主 ・ 自律をもって運 営することが原則で、つまり、財政を含め保険者がそれぞれ責任を負って連営 することが大切であるというものであった(週刊社会保障 2007a, p. 28) 。 100.
(15) 2003,p.29)と指摘した。また、2007 に日経連は健保連・連合・日経連の3団体で共. を提出し財政調整には断固反対であった。その理由は保険者として自主・自律をもっ. することが原則で、つまり、財政を含め保険者がそれぞれ責任を負って連営するこ 切であるというものであった(週刊社会保障 2007a,p.28)。 B.独立方式. 中国における高齢者医療制度の創設可能性. この案は2つのメリットがある。この独立方式には、第1に、高齢者医療をめぐ. 責任が明確になり、給付と負担の関係がわかりやすくなるメリットがある(厚労省 B.独立方式. 2に、高齢者以外の医療については保険方式で運営して保険原理を働かせ、高齢者. この案は 2 つのメリットがある。この独立方式には、第 1 に、高齢者医療を. については現役世代が面倒をみるという福祉原理を貫徹するという仕組みは、保険. めぐる財政責任が明確になり、給付と負担の関係がわかりやすくなるメリット. 支援金と公費負担(税)が複雑に絡みあっている現行制度に比べると非常にすっきり. がある(厚労省 19)) 。 「第 2 に、高齢者以外の医療については保険方式で運営 19. 前掲・注(14)(2013.10.13 参照) して保険原理を働かせ、高齢者の医療については現役世代が面倒をみるという. 福祉原理を貫徹するという仕組みは、保険料金、支援金と公費負担(税)が複 雑に絡みあっている現行制度に比べると非常にすっきりすることである(小塩 2005, p. 233) 」 。デメリットは一定の年齢により独立した制度に区分されること である(厚労省 20)) 。 独立方式は、1997 年 8 月に医療保険協会によって提示され、高齢者を対象 とする独立した保険制度を創設するものである。対象年齢は原則 70 歳以上、 財源 は 高齢者自 ら の 負担(定率負担)の ほ か、公費負担(3 ~ 4 割 を 目安) 、 現役世代の負担を充て、ただし、一定の収入以上の高齢者は、現役と同程度の 負担にする(小沼 2003, p. 24) 。 101.
(16) 以上の高齢者は、現役と同程度の負担にする(小沼 2003,p.24)。. 一方、日本医師会も独立方式に賛成するが、対象年齢は 70 歳以上ではなく、75. 後期高齢者を対象とした、新たな独立型の「高齢者医療制度」を創設し、介護保. の統合を図るものである(小沼 2003,p.24)。厚労省も 75 歳以上の後期高齢者を対 保険制度の創設に賛成する。. 横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月). C.突き抜け方式. この案の主なメリットは被用者グループ内での助け合いとすることにより、若. 者の納得を得られやすく、若者と高齢者の負担ルールが明確であって、運営責任 一方、日本医師会も独立方式に賛成するが、対象年齢は 70 歳以上ではなく、 あり、年齢による区分がないことである (厚労省 )。 75 歳以上の後期高齢者を対象とした、新たな独立型の「高齢者医療制度」を 21. しかし、この突きぬけ方式にも問題がある。特に、年齢層が高く平均的な所得. 創設し、介護保険制度との統合を図るものである(小沼 2003, p. 24) 。厚労省. 保は、収支がいままで以上に悪化する可能性が高くなる(厚労省22)。「突きぬけ方. も 75 歳以上の後期高齢者を対象とした保険制度の創設に賛成する。. 統的な日本的雇用慣行を前提とした改革案という側面を色濃く持ってい 2005,p.234)」。. C.突き抜け方式 突き抜け方式は、1999 年に健保連より提示された。内容は現行の老人保健拠出. し、社会保険方式を基本とした新たな高齢者医療保険制度を創設し、被用者保険 この案の主なメリットは被用者グループ内での助け合いとすることにより、. 若年者被用者の納得を得られやすく、若者と高齢者の負担ルールが明確であっ 20. 前掲・注(14)(2013.10.13 参照) て、運営責任も明確であり、年齢による区分がないことである (厚労省 21)) 。 21前掲・注(14)(2013.10.13. 参照). 22前掲・注(14)(2013.10.13 参照) しかし、この突きぬけ方式にも問題がある。特に、年齢層が高く平均的な. 所得が低い国保は、収支がいままで以上に悪化する可能性が高くなる(厚労 省 22)) 。 突き抜け方式は、1999 年に健保連より提示された。内容は現行の老人保健 拠出金を廃止し、社会保険方式を基本とした新たな高齢者医療保険制度を創設 し、被用者保険退職者グループと国民健康保険退職者グループを分立するもの 102.
(17) 2002 年に、連合により同様の突き抜け方式の制度が提示された。つまり. 出金を廃止し、地域保険と職域保険の二本立てを前提とした新たな高齢者医 者健康保険制度」の創設の提案である(小沼 2003,p.25)。 D.一元化方式. 中国における高齢者医療制度の創設可能性. この案の主なメリットは、年齢による区分がなく、運営責任が明確である. 労省23)。問題点は、健保組合等をすべて解散させることになること、地域保. である(小沼 2003, p. 25) 。. た場合、事業主の負担が軽減され、従業者の負担が増えることになるこ. 2002 年に、連合により同様の突き抜け方式の制度が提示された。つまり、 2005,p.234)。. 老人医療費拠出金を廃止し、地域保険と職域保険の二本立てを前提とした新た. 一元化方式は、2001 年に国保中央会、全国市長会及び全国町村会により提. な高齢者医療制度「退職者健康保険制度」の創設の提案である(小沼 2003, p. 2003,p.25)。その内容は全ての被保険者である国保と被用者保険を一本化し 25) 。. 対象とし、制度間の負担と給付の格差を解消する仕組みである(小沼 2003,p. D.一元化方式. り、保険者の自主、自立、自己責任に基づく運営を阻害し、保険者機能を縮. 健保・連合・日経連は、一元化が高齢者医療問題の解決策として不十分で う理由から国民健康保険との統合に反対した(厚労省24、小沼 2003,p.29)。. この案の主なメリットは、年齢による区分がなく、運営責任が明確であるこ とである(厚労省 23) 。問題点は、健保組合等をすべて解散させることになる 4) 後期高齢者医療制度の実施と改革. こと、地域保険に一元化した場合、事業主の負担が軽減され、従業者の負担が 関係団体は各々意見を主張し合ったが、結局後期高齢者医療制度の 4 つ. 関係者が全面的に賛同する案を出すまでには至らなかった。その結果、4 つ 増えることになることである(小塩 2005, p. 234) 。. すなわち、A のリスク構造調整と B の独立型の組合せであり、前期高齢者医 一元化方式は、2001 年に国保中央会、全国市長会及び全国町村会により提. 案された(小沼 2003, p. 25) 。その内容は全ての被保険者である国保と被用者 23前掲・注(14)(2013.10.13. 参照). 24前掲・注(14)(2013.10.13 参照) 保険を一本化した保険制度の対象とし、制度間の負担と給付の格差を解消する. 仕組みである(小沼 2003, p. 29) 。 103.
(18) 横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月). 健保・連合・日経連は、一元化が高齢者医療問題の解決策として不十分で あるとしており、保険者の自主、自立、自己責任に基づく運営を阻害し、保 険者機能を縮減させるという理由から国民健康保険との統合に反対した(厚 労省 24)、小沼 2003, p. 29) 。 . 4 後期高齢者医療制度の実施と改革 関係団体は各々意見を主張し合ったが、結局後期高齢者医療制度の 4 つ の 提案について関係者が全面的に賛同する案を出すまでには至らなかった。その 結果、4 つの提案の妥協、すなわち、A のリスク構造調整と B の独立型の組合 せであり、前期高齢者医療制度と後期高齢者医療制度の 2 つからなる案に落 ち着いた(島崎 2011, p. 286) 。2006 年に成立した「高齢者の医療の確保に関す る法律」に基づき、2008 年 4 月に江利川毅厚生労働事務次官が望むように円 滑な施行が求められた。後期高齢者医療制度は 75 歳以上の者を 1 つの保険集 団として括る独立型の保険制度である。一方、前期高齢者医療制度は 65 歳以 上 75 歳未満の者の加入率に着目し保険者間で財政調整する仕組みである。後 期高齢者医療制度では 75 歳に到達すると被保険者資格が変わるのに対し、前 期高齢者医療制度では被保険者資格は変わることはないことが重要な違いであ る。 前期高齢者は、被保険者資格を有する国民健康保険や被用者保険に加入する。 前期高齢者には退職を契機に市町村国保に加入する者が多く、約 8 割が国民健 康保険の加入者である。このため、被用者保険と国民健康保険の間では前期高 齢者の加入率に相当な偏りが生じることになる。そこで、保険間での財政調整 の仕組みが導入され、負担の平準化が図られることになった(堤・品田 2008, pp. 69 - 74) 。 後期高齢者の財源構成は、患者負担を除き、公費(約 5 割) 、現役世代から の支援金 25) (約 4 割)のほか、 高齢者から広く薄く保険料(1 割)を徴収する (島 104.
(19) 中国における高齢者医療制度の創設可能性. 崎 2011, pp. 286 - 299) 。 第 3 段階において、老人保健制度は順調に実施されたが、その後保険間の財 政調整をめぐり審議会と関係団体は激しい議論を続けてきたが、そのなかで厚 労省は調整に苦労しながらも後期高齢者医療制度の実施に漕ぎ着けた。しかし、 後期高齢者医療制度が実施される前の 2007 年 7 月の参議院選際に反対の狼煙 が上がり、2008 年に制度が実施されると、反対は、皮肉にも僚原の火のごと く全国を駆け巡った(小林・西川 2009, p. 18) 。後期高齢者医療制度の評判は、 「伝統的な家族の絆を壊す、現代の姥捨て山だ、名前が機械的で冷たい、保険 料が上がった、滞納すると保険証を取り上げられる、終末期の医療を制限し早 く死ねというものだ、等、散々であった(小林・西川 2009, p. 18) 」 。こうした 反発に対して、政府・与党は医療費用の負担及び医療制度の改革などの議論を 行い、反発の強い事項や軽減措置の不十分なところを見直し、新たな制度を構 築するための議論を続けてきた。. (1)現制度の再分配の仕組みに関する諸議論 後期高齢者医療制度について、いまなお議論が続いている日本では、2011 年に国民皆保険制度 50 周年を迎えた。日本の医療制度における過去 50 年間の 最大の成果は、低コストで国民の良好な健康指標を実現し、国民間の公平性を 徐々に高めてきたことである。しかし、少子高齢化による人口構造の変化、ま た現在経済成長の低迷期にある日本は財政難などの諸要因によって、国民皆保 険制度の持続可能性が脅かされている(渋谷 2011, p. 100) 。こうした問題に直 面し、日本はいま、医療制度における再分配機能の第 4 段階の改革期にあると いえる。 現在の日本の状況に合わせた新たな制度を構築するため、厚生労働大臣は、 高齢者の代表、関係団体の代表、有識者の計 19 名からなる「高齢者医療制度 改革会議」を 2009 年 11 月に設置した。この会議では、後期高齢者医療制度廃 止後の制度の構築、保険間の財政調整、世代間の財源分配、保険料、運営主体 105.
(20) 横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月). など、具体的なあり方について検討が進められている。厚労省は、2009 年 11 月から 2010 年 12 月の間に国民の意識調査を 2 回、地方公聴会を 7 回開催し、 高齢者医療制度改革会議は 14 回に及ぶ検討を通じて新たな制度に関する基本 資料を公表した 26)。高齢者医療制度改革会議に当たっては、厚生労働大臣よ り示された次の 6 原則 27)を踏まえ、検討を進めてきた。 「①後期高齢者医療制 度は廃止すること、②マニフェストで掲げている『地域保険としての一元的運 用』の第一段階として、高齢者のための新たな制度を構築すること、③後期高 齢者医療制度の年齢で区分するという問題を解消する制度とすること、④市町 村国保などの負担増に十分配慮すること、⑤高齢者の保険料が急に増加したり、 不公平なものにならないようにすること、⑥市町村国保の広域化につながる見 直しを行うこと」 (厚労省)である。. (2) 「高齢者医療制度改革会議」の中間とりまとめにおける諸議論 厚労省では、2010 年 8 月に制度の基本骨格についての中間とりまとめを公 表するとともに、その前後に国民意識調査を 2 回、地方公聴会を 7 回開催する など、後期高齢者医療制度導入時の反省に立って、幅広く国民の意見を問う取 組を進めてきた。 中間とりまとめでは、現行制度の問題点を整理したうえで、新たな制度の基 本骨格を示している。つまり、制度の基本的枠組みに関しては、後期高齢者医 療制度を廃止し、 「地域保険は国保に一本化する」とし、加入する制度年齢で 区分することなく、 「サラリーマンである高齢者の方や被扶養者は被用者保険 に、これら以外の地域で生活している方は国保に、それぞれ現役世代と同じ制 度に加入する」との方向を示した 28)。費用負担については、保険者間の調整 の仕組みとして、①現行の後期高齢者医療制度の方法、②老人保険制度や現行 の前期高齢者に係る保険者間の財政調整の方法、③両者を組み合わせる方法を 示すとともに、被用者保険内の財政調整については、引き続きの検討課題に位 置づけた(週刊社会保障 2010b,p.7) 。 106.
(21) 中国における高齢者医療制度の創設可能性. (a)後期高齢者医療制度の問題点と利点について 29) 後期高齢者医療制度の問題点と利点については、表 4 に示したように、関係 諸団体の議論の中で指摘され、その後の新医療制度に関する議論の中で改善が 図られつつある。 その問題点は、健保連・連合・全国老人クラブ連合会等から指摘されたもの で、一つは 75 歳という年齢で区分することの問題であり、一定の年齢に到達 したことをもってそれまでの保険制度から分離・区分するという基本的な構造 に関する問題である。これは、働いている後期高齢者の働く意欲を減退させ、 高齢者の世代間の不公平が発生する要因となった。この点は、高齢者医療制度 改革会議に提出された国民の意識調査の結果を見ても明らかであった。国民の 意識調査では、一定年齢以上の高齢者だけを一つの医療制度に区分すること について、 「適切でない、あまり適切でない」とする割合が 44%(有識者に同 様の調査を行うと約 53%)と、 「適切である、やや適切である」とする割合約 30%(有識者:約 35%)を上回っていた。 もう一つは財政の問題であり、後 期高齢者制度の財政面が凍結されたことによる国の財政の悪化や、保険料につ いて高齢者の保険料の伸びが現役世代の保険料の伸びを基本的に上回る構造で あることや、患者負担の上限は同じ世帯でも加入する制度ごとに設定適用され ていること等の問題も指摘された。 利点については、後期高齢者医療制度は老人保健制度の問題点、つまり負担 割合の不明確性や高齢者の保険料負担の不公平性を改善した点である。後期高 齢者医療制度は現役世代と高齢者の負担を明確にしたことや同じ都道府県で同 じ所得であれば同じ保険料に改善したことを新制度の中に続いて取り入れるべ きであると全国市長会・日本経済団体連合会・全国健康保険協会・全国知事会 等から提言された。 (b)制度の基本的枠組み の提案について 制度の基本的枠組みについては、主に 2 つの論点について検討が行われた。 つまり「縦の線」 (被用者と国保の二本立てとする)を入れるか否か、 「横の線」 107.
(22) 横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月). 表 4 後期高齢者医療制度の問題点・利点と新医療制度の改善点 後期高齢者医療制度の問題点. 新医療制度の改善点. 年齢による区分し・保険証を別とする. 年齢区分がなく、保険証も統一. 75歳以上の被用者の保険料全額負担すること 保険料は事業主と原則折半負担 傷病手当金等ないこと 傷病手当金等が受けられる 扶養されている高齢者も 保険料負担が必要であること. 国保は世帯主がまとめて保険料負担 被用者保険は被保険者全体で保険料負担. 高齢者の保険料は 現役世代より上回る構造. 高齢者の保険料の伸びが現役世代の保険料の 伸びを上回らないよう抑制する仕組みを導入. 同世帯の患者負担の上限は 加入する制度ごとに適用される. 現役世代と同じ制度に加入することで、 世帯当たりの負担を軽減する. 健康診査の受診率が低下. 国保・健保等に健康診査の実施義務. 老人保健制度の問題点の改善 → 後期高齢者医療制度の利点 → 新医療制度の維持 負担割合の不明確の問題:公費・現役世代・高齢者の負担割合を明確化していることに改善 高齢者の保険料負担の不公平の問題:原則として、同じ都道府県で同じ所得なら同じ保険料 に改善 出所:厚労省ホームページ30)より筆者作成. (年齢で切る)を入れるか否かである(島崎 2011) 。その組み合わせが、① 65 歳で「横の線」を明確に入れるという「独立方式」の健保連の対馬案、 ②「縦 の線」だけ入れ、 「横の線」は明確にはいれない「突き抜き方式」の日本労働 組合の小島案、 ③「横の線」も「縦の線」も入れない一元化方式の池上直己(慶 應大学教授)案、そして④「横の線」は明確に入れないが「縦の線」は入れる 年齢リスク構造調整方式の宮武剛(目白大学教授)案である。各委員及び有識 者達は、この 4 つの提案について、表 5 に示したように、それぞれのメリット 及びデメリットを中心に議論を行ってきた。 ① 健保連の対馬案について-独立型. 対馬案は、65 歳以上の高齢者を対象とした「別建て」で、65 歳以上でも働 き続ける高齢者とその家族は被用者保険へ継続加入をする都道府県単位の運営 主体の制度提案である 32)。この提案については、年齢区分において差別論が 再燃する危険性があること及び被用者保険 ・ 国保 ・ 高齢者医療制度間のリスク 108.
(23) 中国における高齢者医療制度の創設可能性. 表 5 現制度の再分配の仕組みに関する諸議論 提案委員. 類型. メリット. デメリット. ① 健保連 対馬案. 独立型. 世代間の負担明確 高齢者間の負担の公平化. 年齢区分において差別論. ② 連合会 小島案. 突き抜け 連帯の強化 保険者機能の強化. ③ 池上直己案. 一元化. 公平性の確保 世代間連帯の強化. ④ 宮武剛案 リスク 簡易な制度 構造調整 世代間連帯の確保 高齢者の負担の公平化. 制度間・保険者間の リスク構造格差が残存 保険者機能の損害 財政的に不安 保険者機能を発揮しにくいこと等 都道府県単位化に時間がかかる 年齢区分の差別論. 出所:厚労省ホームページ31)より筆者作成. 構造格差の問題は残ることから、日本高齢・退職者団体連合から反対意見が出 された 33)。 ② 連合小島案「突き抜け方式」について. 小島案は被用者保険と国保の二本立てを基本とし、退職した従業者は引き続 き被用者保険が支えるという「突き抜け方式」 (退職者健康保険制度)であり、 担当者は協会けんぽが担うこととする提案である。退職者の保険料の半分を、 事業主負担に相当する分として現役被用者グループ全体で負担し、支援すると いう考え方である 34)。 小島案について日本医師会は、被用者保険内の連帯が強化され、保険者機能 も強化される点を評価した。これに対し、全国知事会は、制度間・保険者間の リスク構造格差が残存し、その対応が必要であると指摘した。また、健保連は、 協会けんぽが業務委託を受ける点について、1,100 万人規模の個人を事業所と いう基盤もない中で把握していくことは事実上困難であるとして拒否した。さ らに、健保連は就業構造、雇用環境や高齢化の現状変化の中で小島案の突き抜 け型は現実的ではないと反論した 35)。. 109.
(24) 横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月). ③ 池上直己案(一元化)について. 池上直己案は、全年齢でリスク・負担構造調整を行った上で、保険者に保険 者機能を発揮させ、都道府県単位で統合して「地域医療保険」という新たな制 度を作るという提案である 36)。 池上直己案について全国健康保険協会は、公平性の確保、世代間連帯の強化 という点については非常に高く評価したが、各都道府県に健保組合を区分する となると保険者機能を損なう恐れが大きいし、国庫負担が少なくなり財政的な 安定性にも不安があると指摘した。また、健保連は、池上直己案では保険者の 自主性が保てないこと、事業主の協力を得られないこと、保険者機能を発揮し にくいこと等から極めて困難であると反論し、若年者の制度体系については、 職域の被用者保険と地域保険の市町村国保による多元的な制度体系が最善であ ると主張した 37)。 ④ 宮武剛案(リスク構造方式)について. 宮武剛案は、国民皆保険の基盤である国民健康保険は、都道府県単位とし、 後期高齢者医療制度とドッキングさせ、持続可能な制度にする提案である。一 定年齢以上の方々の医療費についての財政調整は介護保険制度のように、同じ 制度の中で、第 1 号被保険者(現役世代) 、第 2 号被保険者(高齢者)と区別し、 現役で働く高齢者とその家族については、若年者の各制度に継続して加入する ことが提言された 38)。 池上直己委員は宮武剛案について、国民健康保険を都道府県単位化するのは 非常に時間がかかることや、年齢により財政運営の仕組みを分けおり、差別論 が再燃する危険性があることを指摘した 39)。. (3)後期高齢者医療制度についての概評 2008 年、厚労省は関係諸団体の利益調整という多難を乗り越えて、四つの 提案に基づいて 2008 年に後期高齢者医療制度を実施した。これにより、日本 の医療保険制度は第 4 段階に入ったといえる。後期高齢者医療制度の実施前か 110.
(25) 中国における高齢者医療制度の創設可能性. ら第 3 段階における二つの論点(年齢区分・財政調整)をめぐり議論がなされ、 実施後も、年齢区分に対し批判があった。しかし、後期高齢者医療制度は四つ の提案のデメリットを克服し、メリットを活かしたと考えられる。その特徴に ついて以下の 3 点があると考える。 第 1 に、国民健康保険と健康保険間の財政調整による保険間格差の是正であ る。少子高齢化が進展し、財政構造を圧迫することになり、高齢者が中心であ る国民健康保険と従業者が中心である被用者保険の間に財政能力や医療保障の 水準に関してかなりの差が生じていた。後期高齢者医療制度は高齢者を対象と した独立の保険制度として構築されたことにより、高齢者の大半が属している 国民健康保険の財政問題を緩和し、医療保障水準も上げることができた。また、 被用者保険に属していた退職者が後期高齢者医療制度に移動したため、被用者 保険から財政調整としての拠出金が出され、国民健康保険との財政能力や医療 給付水準の格差が是正した。 第 2 に、世代間の財政調整の実現による、世代間格差の是正である。疾病リ スクが加齢とともに高まる一方、引退すれば所得は減少することになるため、 若年者と高齢者を同一の医療保険でカバーすることには初めから無理な面があ る。後期高齢者医療制度は高齢者を独立の制度として、拠出金と公的負担とい う形で、現役世代から高齢世代への所得再分配が明確になり、世代間格差の是 正には効果的といえる。 第 3 に、厚労省の調整により、関係諸団体及び国民にほぼ納得できる医療制 度が実現したことである。関係諸団体は四つの案を提示したが、厚労省はそれ ぞれのメリットとデメリットを考慮したうえで、関係諸団体及び国民が納得で きる後期高齢者医療制度を提示した。後期高齢者制度は、上記分析したような、 一元化方式(国民健康保険中央会主張)の健康保険の解散の問題、突き抜け方 式(市町村主張)の保険間の財政調整がないという問題、リスク構造調整方式 (厚労省主張)の世代間の財政調整がないという問題を克服した。また、後期 高齢者医療制度は、独立方式(医師会・健保連・経団連主張)において提案さ 111.
(26) 横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月). れた被用者保険制度に属する退職者を後期高齢者医療制度に加入させることに より、健保連が拠出金を出すことに納得できるというメリット、及びリスク構 造方式において提案された公費導入により世代間の財政調整ができるというメ リットを取り入れている。したがって、後期高齢者医療制度については、厚労 省という調整役の下で、関係諸団体及び国民がほぼ納得できる医療制度が実現 されることになったと考えられる。 後期高齢者医療制度は年齢の区分に対して多くの批判がなされ、2012 年に 新制度へ検討したが、現行制度の構造からみると、年齢区分以外はほぼ同じ再 分配システムであることが分かる。また、後期高齢者医療制度は再分配視点か らみると、世代間の分配及び保険間の分配により、高収入者から低収入者へ、 疾病リスクが低い者から疾病リスクが高い者への再分配機能を果たしたといえ る。日本の後期高齢者医療制度の再分配システムは、中国の医療制度のような 世代間及び保険間の財政調整がない医療システムにとっては、多くの示唆を含 むものと考えられる。. 5 中国における高齢者医療制度の創設可能性 (1)中日の医療制度改革の比較 中日の医療制度改革の歴史の流れをみると、年代の考察を抜きにすれば、中 国と日本には共通する歴史段階が存在している。表 6 に示したように、1949 年から 1978 年までの中国の第 1 段階の医療制度改革では、共産主義の下で全 国民に平等な皆保険が実現された。これは資本主義である日本には存在しない 歴史段階である。しかし、第 2 段階の 1978 年から 2003 年の間において、中国 は都市部の発展を中心とする再分配政策へと転換した。これは日本の第 1 段 階と同じであり、ちょうど戦後間もなく重工業に傾斜し、経済発展を中心に置 き、労働者を対象とした被用者保険制度がつくられた。近年の第 3 段階の中国 の状況は、第 2 段階の日本と同じであった。すなわち、 「農村の窮乏が深刻化 112.
(27) 中国における高齢者医療制度の創設可能性. 表 6 中日における医療制度改革の流れの比較 特徴 国別. 中国. 中国特有. 第1段階1949年~1978年 平等主義再分配. 中日共通 労働者中心の保険制度. 第2段階1978年~2003年 都市部中心の労働者保険. 日本. 第1段階 1922年~1961年 被用者(労働者)保険. 中日共通 第3段階2003年~現在 第2段階 農民の重視皆保険の構築 皆保険の再構築・農民対象の保険構築 1961年~2008年 国民皆保険の実現 農民等対象の国保 日本特有. 今後の課題. 第3段階、第4段階 2008年~現在 後期高齢者医療制度 改革. 出所:筆者作成40). し、治療費を支払えないために身売りするなど悲惨な事態」 (島崎 2011, p. 42) とほぼ同じような背景の下で、農民を対象とする国民皆保険が実施されてきた。 そして、近年の中国においては、第 3 段階・第 4 段階の日本と同じく国民皆保 険のシステムが構築された。しかし、制度間の格差、二本立ての医療システム をどうするべきか等の問題が存在しており、都市と農村の医療格差が大きな問 題となっている(李 2012) 。近年では、日本を上回る勢いで少子高齢化が進行 している。低水準の新農村合作医療制度に属しており、全国の 80%の高齢者 の医療問題は既に深刻なものとなっており、今日の中国にとって制度間の格差 の是正と高齢者の医療問題が喫緊の課題となっている。そこではまさに日本の 第 3 段階や第 4 段階のような医療制度改革が求められているのであり、日本の 高齢者の医療制度改革について、その経緯の議論を参考にすることは今後の中 国の医療制度の改善にとってきわめて有益と考えられる。. 113.
(28) 横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月). (2)高齢者の医療問題 「中国国家統計局 2010 年」に よ る と、2009 年 の 65 歳以上 の 高齢者人口 は 1 億 130 万人、60 歳以上 の 高齢者人口 は 1 億 6714 万人 で あ る。高齢化率 は 2008 年より 0.5%上昇し、12.5%となった。2020 年には、高齢化率が 17%に なり、2050 年には 30%に達すると推計されている。日本の高齢化率は世界一 であるが、中国は日本を上回るスピードで高齢化しつつある。中国では「空 巣高齢者」41)が増加する一方、高齢者の収入は少なく、特に農村の高齢者に 対する年金制度も未だ試験的なものであるため、高齢者にとって現在の医療保 障水準では全然足りていないという指摘がある。現状からみると、今日の中国 は約 8 割の高齢者が農村に住んでいるため、大部分が低水準の新農村合作医療 制度に属している。すなわち、中国の新農村合作医療制度は、低所得の農民だ けではなく、医療ニーズが高く、収入が少ないまたは収入がない高齢者が中心 であり、日本の国民健康保険よりもかなり深刻な状態に陥っている。 加えてこの問題だけではなく、日本の保険料のような世帯ごとの応能負担・ 応益負担がなく、新農村合作医療制度の保険料は皆均一の保険料である。つま り、富裕層と貧困層の区別がなく、高齢者と若者の区別もないのである。2003 年に貧困層及び三無老人について医療扶助制度が整備されているが、加入資格 が厳しく、また各地域の保障範囲及び人数が制限されたために人口の多数を占 める農民及び高齢者にとって効果が極めて小さいと考えられる。. (3)高齢者医療の無料化について 日本の第 3 段階で実現した高齢者医療の無料化は、今日の中国では相当困難 である。その後、日本では 1983 年に老人保健医療制度が成立後も、若者と高 齢者の負担割合の不明確さなどの問題をめぐり政府と関係団体は議論を続けて きている。その主な論点は、保険制度間の財政調整であり、言い換えれば、世 代間の分配のあり方である。現在の中国は日本と同様に都市部保険の若者加入 者は多いが、医療のニーズは少ない。一方、新農村合作医療制度では高齢者が 114.
(29) 中国における高齢者医療制度の創設可能性. 多く、医療のニーズは高いが、医療の給付水準は低い。従って、都市部からの 財政調整をすべきであると考えられる。少子高齢化の社会では、特に若者中心 である都市部保険から高齢者を中心とした新農村合作医療制度への世代間再分 配が必要である。また、中国の農村においては、多様な格差が存在するため、 保険料には日本のような応能負担方式を導入すべきと考える。. (4)日本の後期高齢者医療制度からの示唆 日本は、増え続ける高齢者医療費に対応するため、第 4 段階において、高齢 者を代表する関係諸団体等が 10 数年にわたる検討の末、四つ提案(一元化・ 突き抜け・リスク構造・独立方式)に基づき新しい高齢者医療制度を構築した。 2008 年に実施された後期高齢者医療制度は、75 歳以上の者を 1 つの保険集団 として括る独立型の保険制度である。後期高齢者の財源構成は、患者負担を除 き、公費(約 5 割) 、現役世代からの支援(約 4 割)のほか、高齢者から広く 薄く保険料(1 割)を徴収する仕組みであった(島崎 2011,pp.286 - 299) 。こ の仕組みにより、若年者世代から高齢世代への再分配をすることができ、高所 得者から低所得者への支援もできたと言い得るだろう。 (a)一元化の非現実性 社会調査及び筆者の調査によれば、全国統一の医療保障制度の構築につい て、国民からの強い希望があるが、中国の現状からみると未だ困難である(李 2012) 。上述のように都市と農村の二重構造のもとで、医療保障を全国民に適 用するための統一的制度は存在しない。医療保障制度は、 都市部の「都市職員・ 労働者 の 基本医療保険制度」 (1998 年) 、 「都市住民医療制度」 (2007 年)と 農 村部の「新農村合作医療制度」 (2003 年)の 3 本柱から構成され、2011 年の時 点ではそれぞれ 2.52 億人、2.20 億人、8.36 億人の国民がカバーされている(中 国衛生統計年鑑 2012) 。 都市部の「都市職員・労働者の基本医療保険制度」だけは強制加入であるが、 115.
(30) 横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月). 他の二つは任意加入方式であり、3 つの保険方式の財源と個人負担の割合もま ちまちである。仮に統合する場合、都市部医療保険制度と新農村合作医療制度 の廃止、保険料の算定方法、強制加入か任意加入か等が問題となると予測され る。他方、財政を含め保険者の責任の所在が曖昧であり、現段階の中国にとっ て実施することは難しいと言えよう。 (b)突き抜け方式とリスク調整方式からの示唆 中国の都市職員・労働者の基本医療保険制度では、日本の後期高齢者医療制 度の導入時に提案された突き抜け方式と同じく、従業者であった退職者が被用 者保険によって保障され、都市部内の世代間分配機能が存在し、それが継続し 続けることが重要である。しかし、中国の高齢者は、全高齢者人口のわずか 20%しか都市部に居住していないうえ、保険給付額に最低額と上限があること から保険基金は大幅な黒字を計上している。一方、高齢者人口の 80%と農民 が加入している新農村合作医療制度は同様に保険給付額に最低額と上限がある にもかかわらず、疾病リスクの高い高齢者が多いため赤字に陥っている。その ため、リスク調整方式のような保険制度間の財政調整が求められている。新農 村合作医療制度の高齢者の医療費負担は、公費負担と現役世代の支援金さらに 高齢者の保険料という三者による負担の形が、中国にとっては参考にする価値 があると考えられる。年金制度が構築中の農村部の高齢者にとって、医療費の 負担は大きな問題である。現役世代からの支援が必要であるが、それだけでは 不十分であることから国家公費の導入が必要となる。このように見ると、公費 負担と現役世代の支援金さらに高齢者の保険料という三者負担の形式を取って いる独立方式の後期高齢者医療制度は高齢者の医療問題を緩和することがで き、高齢者中心の農村部医療の都市部との格差も是正できると考えられる。し たがって、中国では日本の後期高齢者医療制度のようなシステムを構築する必 要性があると考えられる。. 116.
(31) (5)中国における高齢者医療制度の創設―モデル案の提示. 本論文では以上の考察をうけて、中国における高齢者のための新医療制度改. したい。具体的には図 2 の通りである。すなわち、高齢者を対象とした独立の. 高齢者保険料以外には、国家の財政支援並びに都市部医療制度及び農村合作医 政支援金の三本柱から構成する制度である。 図2. 中国における高齢者医療制度の創設可能性. 中国における高齢者医療制度のモデル案. 高齢者医療制度 公費・支援金・保険料. 都市部. 新農村. 医療制度. 合作医療制度. 出所:筆者作成. 出所:筆者作成. 給付費は公費によって賄われ、言い換えれば高齢者の医療費の部分は税金で 図 2 中国における高齢者医療制度のモデル案. とにより、現役世代から高齢世代への財政調整が行われるのみならず、高齢世. 効果もある。そして、都市部保険者からの支援金という形をとるならば、現役 (5)中国における高齢者医療制度の創設―モデル案の提示. 齢世代への財政調整は合理的になり、その割合も明確となる。さらに、このモ. 本論文では以上の考察をうけて、中国における高齢者のための新医療制度改. 保険者である高齢者が保険料を拠出し、高齢者の人数増加に伴い高齢者の負担. 革案を提示したい。具体的には図 2 の通りである。すなわち、高齢者を対象と. なる仕組みであり、老人保健制度にように拠出金が際限なく増加する問題を解. した独立の制度とし、高齢者保険料以外には、国家の財政支援並びに都市部医 者間の再分配を行うものである。. 療制度及び農村合作医療制度の財政支援金の三本柱から構成する制度である。 この制度により、農村部合作医療制度に属している 80%の高齢者の医療費が. 農村部の「看病難・看病貴」の医療問題が克服できると考えられる。また、独 給付費は公費によって賄われ、言い換えれば高齢者の医療費の部分は税金で. 者医療制度には都市部の退職者も加入するため、都市部の若者が支援金を拠出. 賄われることにより、現役世代から高齢世代への財政調整が行われるのみなら が認められ、現役世代から高齢世代への財政調整も可能となる。. ず、高齢世代間の分配効果もある。そして、都市部保険者からの支援金という. 形をとるならば、現役世代から高齢世代への財政調整は合理的になり、その割 6本論文の総括と今後の課題 合も明確となる。さらに、このモデル案は被保険者である高齢者が保険料を拠 本論文では中国と日本の医療制度改革の経緯を紹介したうえで、日本の高齢 出し、高齢者の人数増加に伴い高齢者の負担割合が高くなる仕組みであり、日 本の老人保健制度のように拠出金が際限なく増加する問題を解決し、高齢者間 の再分配を行うものである。 この制度により、農村部合作医療制度に属している 80%の高齢者の医療費 117.
関連したドキュメント
医療保険制度では,医療の提供に関わる保険給
心臓核医学に心機能に関する標準はすべての機能検査の基礎となる重要な観
成績 在宅高齢者の生活満足度の特徴を検討した結果,身体的健康に関する満足度において顕著
We concluded that the false alarm rate for short term visual memory increases in the elderly, but it decreases when recognition judgments can be made based on familiarity.. Key
○
活動の概要 炊き出し、救援物資の仕分け・配送、ごみの収集・
在宅医療の充実②(24年診療報酬改定)
購読層を 50以上に依存するようになった。「演説会参加」は,参加層自体 を 30.3%から