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企業の歴史的環境の考察 -- 松下電器事例研究 --

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(1)企業の歴史的環境の考察 —松下電器の事例研究―― ーN.W. チェンバレンの所論をふまえて一一. 大 1.. 1). 森. 弘. 企業にたいする歴史の役割. 2.. 企業における目的の意義. 3.. 企業の歴史的過程の性質. 4.. 企業の経験的一般法則と外挿的価値. 5. 6.. 企業と社会的対位法 企業と歴史的環境. 企業にたいする歴史の役割. 企業の理論――あるいは企業なりその行動を理解する論理は, どう構築さ れるべきか. はなはだ素朴で. かつ基本になる, そういう意味では古くて, また新しい問題について, これまでのN.W. チェンバレンの理解をふまえ ながら, 松下電器の事例研究の一環として考察してみたいとおもう。 率直にいって, チェンバレンの所論は. 企業にたいする歴史の役割を, か ならずしも重視しているとはいいえない。 たしかに, チェンバレンも, 規則 性を中核にする理論が過去, すなわち歴史に基礎をおくことを, つぎのよう に一 応は確認するのではあるが, かならずしもその役割を容認するのに積極 的とはいいえないのである。 チェンバレンの確認はこうである一一 過去が理論を構成するさまざまの規 則性を生み出し, あるいは明らかにしているのだから, 過去は経済理論がよ. -87 (87)-.

(2) って立つ舞台である。よく支持されるこの見方は, 歴史に経済的モデル構築 における中心的役割を与えるものである。過去は現在の創造者であり, また すべての経験的一般法則化の源であるよう, 過去ーーすなわち歴史ーーは, およそ経済的行動を説明すると称するもので, 今日われわれが知っているよ うなどん な理論もそこから流れ出なければならない泉である。このことは人 が個人, 企業, あるいは組織化された社会のいずれの経済的行動について一 般法則化を試みる場合にも妥当するだろう。 だが同時に, チェンバレンは, つぎのように強調する 一ーしかし, 人はあ まり文字どおりこのような見方をすることはできないと思う, と。そしてい ぅ —今日の行動を理解するのに, 記録に残る歴史をすべて再検討する必要 はめったにないだろう。実際, 過去のいろいろな時代で現在の経済活動に対 して分析上の関連性をもつことを示すにはどうすべきか, われわれは知ろう としない。そこでわれわれは, 過去の制約的な諸効果は否定せずに, 現在銭 察される経済的行動はそれらの効果を何かの方法で具体化しているのだと, 簡単にいうことができる。 なるほど認識できる規則性の源が過去のある時期 にあることに変りはないが, どの時期か, またその時期のどの局面か, につ いてわれわれが熟考する必要はない。個人, 制度, 組織化された社会が現在 のような状態であるのはその以前のありように原因がある一ーだれがそのこ とを否定しよう。しかし, それが起こってきた過程を追うことは不必要であ る。 起原がどのようで あろうと, 現在の行動の規則性を 求めれば十分であ る, と。 したがって, チェンバレンの議論の立場は,「歴史が経済理論の中心には —. なく, 事実上, 画面から消えている」注 1)として, つぎのように 結論 する 一それがどのようなものであろうと, われわれは歴史的過程を認めはする が, 無視する。そして一ー われわれは現在の個人, 現在の制度, 現在の経済 注-1) Neil W. Chamberlain "Enterprise and Environment" 1968. 大森他訳「企. 業と環境」ダイヤモンド社刊,昭和49年,訳書142頁。. -88. (88)-.

(3) を所与の一ーその 過去の 残留物である, 、 そのすべての 行動パターンを所与 の一ー ものと考え, そこから出発する, と。 そこでは現在こそが重要であり, チェンバレンの理論構築もそこに基礎を もち, つぎのように処理される5「せいぜい, われわれは趨勢を推定するた めにごく近い過去を含めるけれども, このわずかな過去をわれわれは現在に. ... 似ていると考えるのである一一そうしなければ, われわれは何事にも趨勢を 付与することなどできはしない。この手続きをとって, われわれは現在に関 連のある過去の諸要素を確認するという, 扱いにくい問題を手ぎわよく処理 する。われわれは観察することができ, またそれを頼りにして起こりうる将 来の活動に ついて予測することができる, 規則性と 一定不変性だけを求め ー る。」注 2). あまりにも忠実に, そのため冗長に, チェンバレンの論述をもとめすぎた ょうではあるが, 理論を構築する基礎となる部分の検討は, 慎重にかつ充分 にしたいためである。そこでチェンバレンの強調し, 重要視している現在の 役割を否定するわけではないが, , 過去, すなわち歴史の役割の 「無視」とま ‘. でいう限界づけについては, どうであろう。 だし かにつぎで検討する「目的 の意義」を「現在」との関連で強調しようとする理論の構 成および表現の問 題としては理解しえるが, 過去および歴史がもつ理論の内容における重要性 は, まさに車の両輪として強調さるべきとおもう。ー 「企業の歴史的環境」が, 企業の理論にもつ役割については別途に展開し, つづいてチェンバレンの積 極的な所論の領域である企業における「目的の意義」、についてふまえておこ う。. 2). 企業における目的の意義. 企業の行動を規定するのは, 過去あるいは歴史のみではない。むしろ過去 I. 注-2) N. W. チェンバレン, 前掲訳書,142頁。. -89, ·(89')-. •'.

(4) の規則性よりも,将来の目的性のほうが, より企業の行動を規定するもので はないか。この設問が. これから検討しようとする課題であるといえるす チェンバレンも,「過去とその 残留効果だけでなく, 将来とその目的性の 効果もまた経済活動を制御する 」注 3) と表現 している。 その検討を追跡して みると,大要つぎのようである。現 実にある個人あるいは組織が行動する場 合,•それはつねに将来にむかってであり, それはある目的のためにとられる 政策によってであり,その目標とする位置にまで自身をおこうとする努力で ある。その場合の行動は, もっぱら過去から観察され抽出された規則性を参 照するだけでは予測できないのであり, 現在もつ目的を考慮せざるをえない ことになる。さらに検討をいっそう掘り下げていうなら, チェンバレンのい う「現 在観察できる行動の規則性はある過去の産物であり, その過去はまた —. 目的の要素を具体化したものである」注. .4) といえよう。. これまで経済理論の. 構築のためには. 「目的 」 そのものを首尾よく排除することに基満が見出さ れてきている。それは理論と政策を区分し, 目的との関連は政策の領域に特 有の事柄であるとする理解, たとえばー一われわれは 目的を,「政策 」 と呼 ばれ,. それも自体理論ではなく, 理論の応用に すぎないものに譲る。そし. て一ー理論は現実の事象の予測にかかわるのではなく, 仮定的事象の結果に のみ関心をもつのである一ー という見解である。この見解はさらに付言する と, つぎのようになる一ー政策は理論から流れ出るが. それとは別個のもの である。 この意味での 理論は分析的であって, 記述的ではない。 すなわち 一われわれは行動を 予測するのではなく, 行動の結果を予測するのであ る。目的は行動に関するものであるから, 目的は理論とは関係がない 一ー と いうことになる。このアプロ ー チは, 自然を制御するために自然法則を利用 するのと同様な方法で, 社会的な環境を制御する法則の体系をつくりあげよ うとしているといえよう。 注— 3) N.W. チェンバレン, 前掲訳書, 143頁。 注�4) N. W. チェンバレン, 前掲訳書, 1.43頁o. -90 C 90)-.

(5) これにたいし, チェンバレンは別途のアプロ ー チをとる, そのま ま引用す ると, つぎのようである一ー不幸なことに, われわれは目的の理論との関連 性をそのようにまった<容易に回避することはできない。. 般法則化の唯一. 一. の基礎は経験にある。 人が霊感, 予感, 直観, あるいはその他の啓示の源を 信じるのでなければ, 一般法則はどれほど偶然に観察されようとあるいは体. .... 系的に 観察されようと, 過去の産物である。 しかもその過去は 目的ー一偲l 人, 組織, 社会の目的一 ーを含ん でいる。 目的から注意をそらすよりはむし. ..... ろ, われわれは実際, 十分多数の観察によって, 目的をわれわれの一般法則 化の中に組み込むものと仮定している。 われわれが理論を組み立てるまさに その方法が, われわれがそれから流れ出るはずだと考える政策を普通含ん で いる一ーという。 まさに, 「目的は理論の中枢であり, 無関係なものとして —. 除くことはできない 」注 5)のである。 したがって一 ーもし人々の活動の目的が理論の不可避の要素であるとした ら, そのとき政策は理論と別個のものではなく, その一部分である。 われわ れが目的の不変性を仮定するのでなければ, このことは時間と場所とについ て特定の目的的活動の結果, 諸関係つまり一般法則の変化が生じることにつ いて, 経済理論が何かの方法で考慮しなければならないことを意味する一一 ともいえる。 たしかに経済法則は自然法則と相異しているのである。 自然法則は「無目 的の規則性」にもとづいている。 だが, 「しかし経済的一般法則化において —. は, 目的は観察者の心にあると同様に行為者の心 にもある」 注 6)といえる。 チェンバレンがいうように—英知と目的性があるかぎり,. .... 一. 組の条件に対. する行動の反応は新しい一組の条件を導き, それ自体が— また異なる— 行動の反応を伴う場合もあろう。 たとえば企業形態にかん する, アルフレッ 注— 5) N. W. チェンバレン, 前掲訳書, 145頁。 注-6) N. W. チェンバレン, 前掲訳翌146頁。. -91 C 91)-.

(6) ドし・チャンドラー: (Alfred Chandler)の研究 注7)によっても, アメリカの 産業組織における市場的拡大と技術的発展 そして競争的状況は, 製品多角化 した大規模な企業組織を育 成し,従来の小規模で単一製品の企業での行動を 規定 する原則とは相異した新規な原則が形 成され, 合理的行動として展開さ れきたったことをみる。 「したがって目的(政策)は単に目的のない 理論の応用と 見ることはでき ない。 それは一つの 成分で あり, したがって 理論の潜在的修正者 であ —. る。」注 8)チェンバレンの目的と理論にかんする見解の要約である。. 3). 企業の歴史的過程の性質. チェン バレンの 疑問は つづいて, 「歴史の 概念」 そのものにも提示され る一一 過去に基づく経済的行動の規則性の研究は,将来を志向 する目的をも つ行為の効果を考慮しえないほかに. い ま一 つの理由で疑問である一ーと。 つまり 一ー それは,それが具体的に表現する歴史の概念が限定されている点 で疑わしい—ーという。この問題については, チェンバレンは,フレデリッ ク.テガ. ー. ト(F. J. Teggart)の見解を大きな拠り所にしているといい ,. 「 過程」と「事象」,「固定性」と「進歩性」の区別はとくに 重要で あるとい う。 そしてチェンバレンは一ー歴史を一つの過程.一種の自然的発展 として の制度的諸現象の展開と見る立場を検討 する 一_必要があるともいう。 すな わち, 「人間の性質は変化しない」「自然は飛躍しない 」という表現に要約さ れるダ ー ウィニズムによって容認される 「ゆるやかな 進化の原則」つまり 「変化が徐々に連続して起こる社会的発展 の持続性」を検討 する 必要がある ということでもある。 「この進化的で 過程的な歴史観に反対するのは特定の 注—7) Alfred D. Chandler, Jr Strategy and Structure, The M. I. T. Press, Cambridge, Mass., 1962. ◆,. 注:--8) N.W. チェンバレン, 前掲訳書,149頁。 -92·(92)-.

(7) 事象(event)の衝撃を強調する立場にある」チェンバレンのアプロー チで ある。たしかに 「歴史の概念」を「進化的で過程的な歴史」にのみ限定する のは問題であり, いわば変化的で侵入的(intrusive)な歴史という二元的 一元性注 9) というか,「歴史的対位法」をふまえなければ,歴史の具体的な 全体像は描き出せないであろう。従来の 一ー経済学者たちは内生的(過程) および外生的(侵入的事象)変数によってこれを区別する傾向がある。普通 この分類の助けを借りて, 後者を理論に組み入れないことが正当化されてき た一一と注記するチェンバレンの強調には首肯かれるものがある。むしろ企 業の環境が安定的であった時期から, より変動的で・ 不安定, 不確実になれ ばなるほど, 「自然の秩序」を撹乱する侵入的諸影響を無視できないし, 研 究しなければならないであろう。 エディス・ペンローズ(Edith Penrose)の. ... 企業成長論にかん して, チェンバレンはいう一一組織的スラックがつくり出 される過程はそれだけで変化の原因となるのではない。つまり過程に加えて ・. 何かの事象がなければならない—ーと。なぜなら多数の企業は組織としてス ラックをもっているが,. 一. 部分だけがそれを活用し変化し成長する事実から. してもいえる, と。 このことは企業の成長の歴史についてだけでなく, 産業 や経済の成長と 発展 についてもいえることであり, まさに 「全般的歴史過 程」は,「特定の, 特殊化された, 独特の歴史」による「侵入的事象」で変 化するのであろう。われわれは一般的な理論を求めるあまりにー, 侵入的歴史 事象の影響から注意をそらす努力をすることが,その対象を企業にしろ経済 にしろ, 「一種の自然史」 を構築 しようとする努ガであることに注意してお かねばならない。これは チェンバレンが繰り返し強調するように一一恨洩韮勺 事象は時間と場所 とにおいて唯一だからである 一ーといえよう。 われわれはここで 「社会史」としての企業成長の歴史あるいは産業や経済. 注—9) ベルクソン哲学をふまえた澤濤久敬博士の見解,参照。 たとえば澤濤久敬著 「個性について」第三文明社刊,1972年など。. -93 (93')-.

(8) の そ れに つ い て検討し な ければならない段階である。ただ進化的で過程的な 企業の歴史だけでない こ と も確認 し えたが, 変化的で侵入的な事象のみによ っ て企業の歴史が形成 される とも 強調しえない こ とを確認 し て おきたい。い わ ば 「歴史的対位法J に よる企業の成長 • 発展の歴史の 構 成でなければ な ら な い こ とである。 こ の こ と は言葉をかえれば, こ れまでの, いわゆ る「企業 行動の一般理論ー一過程の理論」• だけでは企業行動を全般に理解 し え な い と いう こ とでもある。す なわち企業行動の事象の理論をあわせ包摂した全体の 理解でな ければ な ら ない。 企業行動の一般的現象である行為が. .何故に変異性を もち, 進化の過程以 外の変化をもつのかの理由の発見が大切である。そのためには個々 の企業と 環境との嬰係において,企業 に 影響をお よ ぼす特定の事象, その影響にたい して企業が対応す る 感受性の程度, あるいは一般に共通の現象でありな が ら その企業 自 身の歴史によ っ て適応の行動が相異するなどの理由が理解 さ れね ばな ら ないであ ろ う 。企業行動の も つ規則性は, 企業という存在全部が一般 的にしたがう過程や条件の結果と し て生 じ たものにたいして, 企業行動の不 規則性は企業への影響の相異する事象によってか, あるいは企業が も つ目的 の相違かの, いずれかによって起 こ る も の である。 たし かに. 一方で. 「あ る 社会は それ 自 身の 歴 史的 経路 にそって 発展 す. る」注10) ものであり, その 社会で多数の 企業が影響 される と こ ろか ら,「連 続的行動のパ ク ー ン」 と し て特徴づ け る こ とができ, いわゆ る企業行動の一 般理論ー一過程の 理論がいわれる。 だが, 「しかし, 企業の個体群の中の各 企業 は そ れ 自体の歴史をもち, その歴史はいくつかの点で他の企業のそれと 必然的に違ってお り 」注11) 他方で まさに チ ェ ンバレンがいうように,企業行 動の理論にとっては, 企業行動の不規則性, あるいは個性的行動 こそが, 重 要な検討の対象にならなければならないであろう。個別的な企業は, もとも 注ー10) N. W, チェンパレン, 前掲 訳書, 154頁。 注—11) N. W チェンバレン, 前掲訳書; 154頁。 -94 C 94 ) -.

(9) と個性的な行動でなければならないのである。それは企業の過程の理論にし たがって一般化しようとする企業行動を変化さすことによって, 特殊化する ことによって成り立つのである。すなわち, 「特殊の環境,. 事象が進化の過. 程に押し入って, それを変えたのである。j 注12) こうした特殊な環境とか事象 は, チ ェ ンバレンも例を上げるように 種々あるであろう, たとえば一ー全企 業に共通でなく, ある特定の企業に独特の, この特殊な歴史的条件は, 何代 も続いた経営者たちゃ, 彼らに所属 するいろいろな専 門的才能をもつスク ッ フ によって築きあげられている戦略 セ ッ ト, 永年にわたって得た評判, そ の 実験室におけるいくぶん か偶然の発見, その財務的地位をつくりあげあるい は破壊したであろう 開発, 利用の企て, それがつくりあげた特殊の 事業上,. ... 政治上の結び つき, その他さまざまの要素を含ん でいる一ーという。 —. たしかに「 事象は正常な過程に変化を創造する要素である。」注 13) チ ェ ンバ レンは, カ ー ル. ・. メン ガ ー (Carl Menger) の所説まで引合いにしながら執. 拗なまでに解説する。メンガ ー の主張する 「経験的規則性(一般的で理論的 なもの)」の重要性を一応は容認しながらも, どのような分析的 推論もでき ない「歴史的個別性」の重要性を指摘する。これに ついてチ ェ ンバレンはつ ぎのように強調する一ーもちろん , 一般法則化の可能性をつくり出す唯一の ものである社会的継続性の重要さを強調する点で, 彼は正しかった。 けれど も, もしわれわれがもっぱらこのような規則性, このような行動の継続性に だけ注意を払うならば, われわれは生起することがわかっている社会的変化 についてなん の説明もし ないであろう。ある調整期間の後, 新しい行動パタ ー ンや新しい継続性, 新しい経験的規則性に屈し, それらも順に, 将来侵入 する 事象によって覆されるしかない不連続性について説明することは, 何か 新しいもの一ー速度の変化, 方 向の変化一ーを生み出すようなやり方での,. 注—12) N. W. チ ェンバレン, 前掲訳書, 155頁。 注—13) N. W. チ ェンバレン, 前掲訳書,. 156頁。. -9 5. ( 9 5 )-.

(10) 二つあるいはも っ と多くの単位の歴史の偶然の時間的接合から生じ る独特の 事象を認めることによってのみ可能である一ーと。 したがって企業は,「歴史的対位法の練習」注14) をしていると表現する。 企 業は環境の影響力に順応する持続的傾 向のなかで, 規則性の体系という意味 で均衡過程あるいは進化過程を生み出すとともに, たえず偶発的 事象の不規 則な撹乱によってときとしてその体系を改造するほどの強力な変化にさらさ れる。 その変化はわずかな調整によって制度的に同化されえない,, また小さ な修正によって現 存の理論的図 式のなかに分析的に適合させられない, まさ に「新しい力」をもつ。 この歴史的に偶然かもしれないが強力な 事象を排除 し たり注意しない歴史観は, まったく「この歴史的対位法の主題の一つしか — 15) といえよう。. 具体的に表現 していない」 注. 規則性や安定性に たいしてとと. も に 変化にたいして, あるいは連続性と断続性., 一般性と特殊性, こうした 歴史的な対位性をもつ歴史観こそが必要であ る。 すなわち 歴史とは, 「それ は社会的変化の原動力を提供する, 歴史的過程と歴史的 事象との間の相互作 — 16). 用である」 注. と いう理解である。. あるいはチ ェンバレンも吟味しているように, こうした定式化が侵入的 事 象を, とくに単一企業での侵入的 事象の貢献を過度に重視ししすぎている嫌 いがあるかもしれない。 た しかに侵入的 事象が部分的な影響に終始する場合 もあるかも知れないが, その刺激が累積されて全体的な影響となり, 相乗的 な効果と し て企業の行動バタ ー ンを変化させる歴史的 事象ともなる一こ ん な ふうに歴史的 事象の概念を拡大することはそれから概念的意義を奪うもの ではない, と チェンバレンはいう。 さらに一ーその源がなにであれ, それま で理解されてい たような「正常な」あるいは「習慣的」過程との相違は依然 としてある。 それは新しい一般法則化, あるいは少なくとも「摩擦」として 注—14) N. W. チェンバレン, 前掲 訳書, 157頁。 注—15) N. W チェンバレン, 前掲 訳書, 158頁。 注—16) N. W. チェンバレン, 前掲 訳書, 158頁。. -96. ( 96 )-.

(11) 安易に包摂するにはあまりにも全般にわたる, 古い理論の修正を必要とする 新しい発展 方 向である一一七 もいう。 そしてチェンバレンは,前世紀の西欧社会において, 企業に適用する一般 法則を変化 さ せるほどに重大な衝撃となった発展 ないし事象をいくつか例示 している。第一には企業にかんする全般的な制度の出現である。それは「専 門経営者階級」を涎生さ せ,「企業階 層制組織」 を形 成するための「経営関 係の学校の普及 • 発展 」 を実現したのである。第二は組立てライ ンの導入で あるという。それは「大量市場の発展 」を促進し,「産業帝国の編成」 を刺 激したのである。第三は企業内における研究 開発の制度化であるという。そ れは シ ュ ンペ ー タ ー のいう 「創造的破壊の過程」をもたらし,「製品転換の促 進」「製品多角化」 そして「複合企業の性格」をもつのに寄与する主因にな っているという。最後に第四として最近の事例として コ ン ビ ュ ー タ ー をあげ ている。 こ れは今日の企業が,「全生産 ・ マ ー ケテ ィ ング過程を結合して一 つの自動化 さ れた連続過程とする可能性」 の最中にあり, こ れまでの企業行 動の一般法則を現在変化 さ せつつあるものであるという。 企業行動の 一般法則を歴史的環境との関連で考 察 す るとき, 「 ゆるやかで 体系的な(したがって予測できる) 進化運動」としての歴史的過程の側面か らの見方では, ま さ に「ドン キ ホ ーテ的」であり, むしろ「進行中の企業活 活動の流れに押し入って新しい一般法則を要求するほどその方 向 と速度を変 える」 ような歴史的事象の側面からの見方が不可欠であり, 将来的な現実で あり,事実をふまえた考察といえよう。 こ こ に,「事象は,個人,企業,政府 のどれに起原するにせよ ,概念とその時間的,場所的環境の組合せー一」 注17) ま さ に新規な組合せとして「革新」( イ ノ ベ ー シ ョ ン) であり, 企業行動の 法則を革新する「新しい力」であるといいえよう。. 注—17) N. W. チェ ンパレ ン,前掲訳書 160頁。. -9 7. ( 9 7 )-.

(12) 4). 企業の経験的一般法 則 と 外挿的価値. 企業 に た い する歴史の役割 に つ いて, 目的の意義との関連そして歴史的過 程というものの性質にかんして考察してきたわけである。 そこでは 「社会科 学 に おける一般法則化の唯一の基盤は経験主義一—•過去から識別できる規則 性ーー にある」 という, 将来を予測するための歴史の役割が, 二つの点で検 討され, 疑 問を提示されたのである。 第一は, 企業行動に目的がおよぽす効果 に ついて十分な考慮がなされてな いことである。 つまりー一過去を客観的データの堆積物として扱う こ と によ って, それは過去の目的が過去の行動 に どんなふう に影響したか説明できな い— のである。 第二に , 企業行動が 過去の規則性 に 依存す るということ は, 進化的な過程を強調する歴史的 ア プ ロ ー チを必要とし, 歴史的 に むしろ 回避しえない偶発的な変化をよぶ侵入的な事象の役割に ついて十分に認識し て いないことである。 つまり一一進化過程は漸進的で連続的であり, したが って外挿法に よ る予測を認める一ー まさに経験的一般法則にたいする外挿の 価値であり,その限界である。 チ ェ ンバレンも確認する。 「こうして 目的と偶然が結びつ い て経験的一般 法則の予測的価値を限定する。 過去ー一個人, 組織, 社会の歴史ーーは行動 を制約するけれども制御しはしな い。抜術的に は経験的一般法則はせいぜい. . .. 過去に だけ 適用 できる ことを われわれは 認め なけれ ばなら ならで あ ろ う 。 」注-18) そうかといってこの ことは過去か ら 将来への行動の連続性がなしに す ませ えると いうことではない。 過去の 行動からえた知識は将来への対応 に 役立つ。 日常の 事業活動にしても, 組緞や社会の秩序を工夫する に し ても, 過去の行 動の知識から,ある刺 激 に た い して人々がどのよう に 行動するであろうかの 注—18) N. W. チェ ンバレン, 前掲訳書, 162頁。. -98 ( 98 ) -.

(13) 期待があるからである。 だがチ ェ ンバレンは何度も強調するのである。 「し かし, も う 一度技術的にいえば行動の連続性を仮定するための. したがって 予測的. 一. 般 法則化 の論理的 基盤は 何も ない こ と を 認め なければ ならな. い」 注19) と 。 そ してせいぜいいいえる こ と は, 短期的な予測について, 過去 からの規則性にも と づ く予測が有用である可能性が大と い う , つ ま りー一 こ れは, われわれが 扱 う 期間が短ければ短いほど, 目的的行動や侵入的 事象の 可能性が少ない と い う 明 白 な理由のために, そ う な るのである一� と い う 。 そのため長期的な予測は, 進化過程による増分主義にも と づ く こ と はで き ない。 長期的な時間尺度のなかで, しかもますます変動的な環境において, 企業を 考察しなければ ならない と きに, その理論の構 築は いかにあるべき か。 たしかに一ー 自 然科学 と しての経済学を建設する こ と ができる と 仮定す る根拠はない と い う結論が残される一ー と いえよ う 。 したが っ て一ー 自 然科 学 と 対照的に社会科学が必要 と するのは, た えず進歩す る ただ 一個の知識体 系でなく, 一連の理論体系でそのおのおのが そ れ 自 身の時代に有用であるよ う なものである一ー と い う 。 時代 と 環境, あるいは歴史 と 風土に適切である理論がも と められている。 それは現象が 同ーなのに見方を相異して と い う 意味ではなく, 現象それ 自 体 がもはや 同一でない と い う 理由で, 理論はつねに 革新されなければ ならな い。 現在でも短期的には過去の行動の規則性からの外挿的予測による理論化 はあるが, 長期的な課題への理論化はそれでは満足できない。 理論構 築の作 業が, 相変らず予測的価値を持続する一般法則 と , その内容が変化しその価 値を喪失する一般法則を区分する こ と から 開始されねばならないであろう。. 5). 企業 と 社会 的対位法. すでに 「企業内 部で均 衡 と 不均衡を助長する諸力の相互作用」注20) を考察 注—19) N. W. チェンバレン, 前掲訳書 162頁。 注ー20) N. W. チェンバレン, 前掲訳 書,165頁。. -9 9. ( 99 ) -.

(14) したのであるが, 同様な相互作用は社会内部にも存在しているといえる。 社会的諸関係の体系において, ある環境のもとで人 々 の行動は, 法的制度 をは じ め慣習や規制などに よ って特異な行動は減少し, ま さに_可能なか ぎりそれらは周知の行動パク ー ンに同化され, 不規則性を規則性 に統合する 過程が進行する一ーそうした一面をもっている。 とともに他面では, 侵入的 事象と よ んだ諸変化, そして目的的行動といった諸活動によって, 現存の規 則性を覆し , 単なる古いものの修正された再建でない, 革新された体系化に 十分なほ どの変化の過程も展 開する。 こ うした社会的傾向を, チェ ンバ レ ン は; 「社会的対位法」 に よって理解しようとする。 「 こ うして,. ー. 企業内におけ ると同様に,. 一. つの社会の内 部で均衡と不均. 衡に向 かう対位法的傾 向 一一乱雑 な諸関係を 一 つのよ り 秩序ある体系へ落ち 着かせるのと, 秩序ある諸関係をい っ そうゆるやかで漠然とした形態へ揺り 動かすの と , 過去の成長の諸効果の統合の企てと将来の成長を助長する諸力 の解放の企てと一ーがある」 注21) と。 こ うし た好例は, 経済社会において, とくに技術革新との関連で, よ く 見 出 さ れ る事例である。 チ ェ ンバ レ ンも,「経済的諸関係の現存の体系を撹乱 ー. するにも維持するにも技術的変化が 果たす役割について」 注 22) 啓蒙的研究と い う, ベラ ・ ゴ ー ル ド (Bela Gold) の成果を引用して解説している。 , そ こ では「変化への順応過程におけるある価格関係の安定 性」 が主題とし て解明されてはいるが、 経済的諸関係だけでなく社会的諸関係においても, その社会に共通の価値体系に順応する過程である こ とを明確にしており, そ の こ とであら ゆる社会的, 経済的 システ ムにおいて, 限界はあるにせよ行動 への共通の刺激にたいし, 予測できる反応行動を期待させる根拠であるとい ―. う。 そのため社会的にも経済的にも, 安定 的諸関係を強化す る よ う な制度を 工夫し, ま た尊重するような動機が強化されるのである。 こ れにかんしチェ 注—21) N. W. チェンバレン, 前掲訳書, 165頁。 注—22) N. W. チェンバレン, 前掲 訳 書, 166頁o. -100 ( 100 ) -.

(15) ンバレンは , 制度学派といわれる ジ ョ ン. ・. コ モンズ CJ. R. Commons) 0). "Legal Founda t ions of Capi t alism" ( 1924)まで引合いにだしている。 ここでチ ェンバレンは, 一ーおそら く , このような社会的一致の必要性の 結果として, われわれは ある時代の様式, ある時代にある人々 が受け入れる 合理性の諸原則, 彼らを支配する価値体系. いわばある特定の社会の戦略セ ッ トを明らかにすることがで き よう。 われわれは国 ごとの, また一 国内 でも 時間を通じての相違を発見しなければならないが, それらは確めることがで き よう—ーという。 たしかにこうした,. 一. つの社会 システムとして埜本的均衡を保持しようと. する傾 向は ある。 とともに時間を通じて変革され, 新しいバタ ー ンでの再統 合へと導 く 別の傾 向があることも. たしかで ある。 この変革はと き には「革 命」 という言葉で 表現される 「暴力的運動」 によって展開される場合もあ る。 だがより自由な, 進歩している社会では. いわゆる「革新」によって. つぎのような状況で展開されるであろう。 たとえば一ーと く に西欧では一般的秩序はもっとゆるやかであり, 個人, 集団, 組織が暴力 に訴 えることなしに支配的価値体系, あるいは社会の戦略 セ ッ トに挑戦する機会はもっと大である。 革新はその外面的効果がたとえ分 裂的であろうとも, 積 極的な価値をもつものとみなされる。 変化は肯定的な 意味を含んでおり, またしばしば歓迎される一一のである。 このように持続的な社会的均衡化の傾 向 は, たえず社会的不均衡化をうち にふ く み, 従来の関係を崩壊させ, 新規の行動パタ ー ンを確立してい く 傾 向 との拮抗のなかにある。 われわれは, 歴史的過程として社会的な均衡化の傾 向を十分にふまえるとともに, 変化を創造する目的的活動および侵入的事象 としての 社会的な 不均衡化の 傾 向 に, より以上の理解をはらいたいのであ る。 たしかに, 「企業精神の盛ん な 企業はその歴史的環境が遺贈したどん な機 会あ るいは制約でも, その相続人であ る。 あ る特定社会の内 部の企業に企業. -101 ( 101 ) -.

(16) ............ 精神があまね く いきわたる こ とはいま 一つの 歴史的堆積物 である」注-23)と い えよう。. 6). 企業と 歴史的環境. われ われはまず, 企業に たいす る 歴史の 役割をみて き たが, 歴史ー一過 去. あるいは経験は. 予 測 に 不可欠の 一般法則を 成 り 立たせ る 素材を提供 し, 理論の礎石となっている。企業の行動に秩序があるように理解を可能に するのも, そのためである。 だが歴史は均衡化の過程の側面だけでなく, む し ろ 不均衡化させる側面 ー一いうな ら 目的的活動と侵入的 事象の影響力によ っ て, い わば二元的統一性 と して構 成される。企業の歴史的環境とは, そう い っ たものであり, それが企業との関係において理解されねばな ら ない。 たしかに一-ある時期の 目的は行動の規則性に関する どん な理解において もその 中心であるが, 目的は またいつかの時点においてそれ ら の規則性の変 化をつく り 出す こ ともあ ろ う。 行動の規則性は一 つの社会的過程と して観察 すでる こ とがで きるが, 過涯は侵入的事象によって崩壊 さ れる こ ともあろう。 新しい, あるいは修正 さ れた一組 の 規則性が古いもの に 代わって展 開し,• そ れ と と も に新しい理論が必要 となる一ーの で ある。 し たがって一一社会的諸 関係を扱うに際し, われわれはあ る 時代の理論が新しい理論によ っ て とって 代わ ら れ る こ と 一 ー前者が誤っていたか ら ではな く , そ れがもはや適用 さ れ えないか ら一ーを覚悟 し なければ な ら ない 一ー と いう。 、 そ こ に歴 史的 過程にたいす る, 目的的活動や侵入的 事象に よ る 変化, ある い は革新の役割,ー し た が っ て歴史的対位法ないし社会的対位法の 意義を理解 し てきたので あ る。 こ れまで チェンバレンの所論を, あまりにも忠実にふまえん がために, 字. , 注-:-23) N. W. チェ ンパレン, 前掲訳書, 17!頁。. - 102 ・( 1 02 ) -.

(17) 義どおりまた冗長に 引 用して理解につとめ たつもりであるが, こ こ で松下電 器の事例によりながら, 許される紙数のなかで吟味してみたい。まず手掛り として, 松下幸之助の言葉を糸 口 にしよう。経営自体の こ と について一ー経 営学は教える こ とはできるが, 経営はみずから学ぶよりない—―ーという。最 近の著作でも, 「経営の コ ツ こ こ なりと気づいた価値は百万両」注24) と, 経営 幹部に年頭の辞として贈った言葉をその ま ま表題にしている。 こ こ に松下幸之助の経営観というか企業観, あるいはもっといえば人間銭 の原点がひそん でいるようにおもわれる。歴史のなかにおける企業, そして 人間も, 過去の累積としての歴史的過程, それは一般法則化されて理論とな り , 経営学として教えられ, 将来への予測に役立ち はするであろうが. はた して現実の実際の経営は, それだけでよいのであろうか, い や むしろみずか ら学ぶぺき何物か, すなわち コ ツ こそが大切と強調するのである。 コ ツ とかカン, 表現をかえて直観ともいい, 経営者の資質の大事としてい る。「 こ うありたい」「 こ うすべきだ」「 こ うなければ ならない」 という希望 なり理念なり悲願のような, 経営者としての使命観を強調するのである。 こ れは経営の「基本的考 え 方」 としての哲学の問題であり, 「目的的活動 」 の 頷域である。 こ れは戦略的経営 決定の前提であり源泉でもある戦略 セ ッ トな いし価値 セ ッ トの課題である。松下幸之助のいう, いわゆる「水道哲学 」と いわれる内容であり, 松下電器における 「信条」「網領 」 注25) にいわれる表現 である。 ただ こ こ では松下幸之助のいう水道哲学の内容 を 吟味するのでな < . 経営 における哲学の, しかも直観の哲学の意義 づけ, そしてその吟味をしよう。 こ れに ついてはすでに 以前ふれもしたように, 「経営理念 — 目的と 個性 —の考察」 にかん し, ヘン リ ・ ベ ル ク ソ ン (Henri Bergson) の哲学を ふ 注—24) 松下幸之助著 「経営の コ ツ こ こ な り と気づい た価値は百万両」 PHP 研究所 刊, 昭和55年。 注ー25) 拙稿 「経営理念一 目 的と個性ーの考察」 商経学叢62号, 参照。. -103 ( 103 ) -.

(18) ま え た先学の理解を 吟 味 し ている。 そこでも強調 し ておいたよ う に, 学 問 に おける哲学と科学の意義なり, 役 割 は , 基本的に相異 し てお り , 両者は補完的な関係にある。 それはとく に広 義における医学での原理的 な哲学と病理的な科学の関係について理解 さ れる ところである。 医学は病人を 治 癒 さ せる役割からして, 経営学も企業を対象 として類似の役割と意義をもつものと理解するとき, 原理的な哲学 と 病理的 な科学の両方 と , そ れぞれの補完的な関係が必要であろ う 。 こ れから必要なか ぎりにおいて ,. ベル. ク ソ ンの見解を ふ まえながら, 「哲. 学と科学」 そ し て 「 直観の哲学」 について素描してお こ う。 ま ず哲学と科学 と では, 対象への接近の方法で基本的に相異 し ており, 哲学がその対象を内 か ら とらえる方法にたい し , 科学は外からと ら える方法によって接近すると いう。 したがって認識論と して, 科学は外部か ら の認織の立場であり, その た め科学的認識は絶対的でなく相対的であり, 分析的認識であると, ソ ン研究の 権威, 澤 漑久敬博士は展開 注26) さ れる。. ベル ク. さ ら に一�科学 の目的. は , 対象の認識では なく, 存在 に 対 す る 人間のはたらきか けにあるので あ る。 科学は技術化 してはじ めてその存在目的を十分に達するこ と ができるの も, その た めである。 要するに, 科学は人間の 行動の学, 生活の た めの学問 である。 それに対 し て , 哲学はただ真実在 を 知 ろ う とするもの である一ーと いう。 その た め 哲学は 内 部からの 認識, すなわち直観的認識が必要であるとい う 。 ベ ル ク ソ ンの認識論が. 直観の哲学 と いわれる理由である。 こ れについ て一一直観, intuitfo とは in ( 内 ) , tueor (見)することであ る 。 し か し , ほんとうに 内 か ら 見る と は , 自らその 対象となって, その対象 を 内 感する こ とでな ければなら ぬ-という。 直観にかんする展開を理解しよう。. 一. 般的にいって, 物質的なものを直観. 注-26) 澤濾久敬編著 「ベルク ソ ン」 中央公論社刊, 昭和54年。 ー104 ( 104)-.

(19) することはできないし. 直観が可能なものは, 意識そのものであるという。 むしろ意識は直観によってのみ認識しうるものであるともいう。しかも意識 は時間とともにたえず変化するものであり, その変化は直観なくしては把握 しえないものであり, また直銀は時間なくしては存在しえないものである, ともいう。 ベ ル ク ソ ンの言葉によれば,「直銭の理論の前に持続の理解がある。 」 そし. ...... て「直観的に考えるとは持続において考えることである。 」 すなわち, 変化 してやまない流れる時間のなかで考えるということであり, つぎのようにも 表現されている一ー持続は自ら自 己を生きることによって, 持続とは何であ るかを自ら知るのである。それは刻々に新たなる自 己の創造である。ここに はいっさいの過去の否定がある。直観とは否定である。そこには また, あら ゆる一般性, すべての共通性の否定が必要である—と。 またベ ル ク ソ ンは, 直観を共感(同情)sympa thie とも表現一つまり. 直観は知的ではなく, 感覚的あるいは感情的なのである, と一�している。 したがって哲学的直観は, [知的 intellectuel なものではな く, 心的 spirituel なものであり, 「知的直観 」intuition in tellectuelle でなく, 「心的直銀」. intuition spirituelle である。 哲学するということは, 事実を心的に共感によって, 直接的, 絶対的にと らえることである。無数の 事実, 多種多様の 事実の存在に底流する根源的 事 実, さらにその原初的事実, まさに一—哲 学するとは, あらゆる事実の源泉 にまで渕ることである一ーと。 ベ ル ク ソ ンのいう, 哲学とは積分的経験であ る, の意味であり· 「哲学の本質は 単純の精神である 」とはこのことであろ う。 松下幸之助のいう 「経営 学 」とは科学としての学問であり, 他から教えら れない, みずから学ばざるをえない「経営 」とは哲学としての学問の領域で あり, 対象であるといえよう。経営を哲学するとは,. コ. ツ やカ ンをふくめた. 心的直観による直接的, 絶対的な基本となる 事実の把握, それは単純ではあ. -105 (105)-.

(20) る が積分的経験としての全体であ り , たえず過去にたいして否定的で, つね に将来にたい し て創造的に変化 し て や まない。 まさに経営哲学であ り , 経営 原論であ り , 経営そのものの源泉であ る 。 企業が歴史的環境のなかに 生きつづけえ る か, それは「流れ る 時間」 とし ての「持続」 のなか に , 「心的直観」 をもち, 創造的変化 によって経営を個 性化 し てい く , このベ ル ク ソ ン的展開は, 松下幸之助によ る「水道哲学」と い われる 経営観としての経営理念で実践され, チェンバレンのいう歴史的過 程をこえた目的的活動となって成果づけられてきてい る 。 企業 と しての松下電器にとって, やは り 第二次世界大戦の戦前, 戦中, 戦 後は, 社会的にも歴史的 に も環境と し て, 過程的な延長としてでなく, まさ に侵入的な事象と しての衝撃であ る 。 そ こ に松下幸之助の 心的直観としての 水道哲学な る 経営観も, 経営の原点, 源泉た る 本質にはその単純さにおいて 変質なしといえども, 経営の展 開には幾多の革新をよん で い る 。科学の対象 としての経営, その外部からの分析的認識 と し ての経営理論, すなわち経営 学は, 松下電器の歴史にみられ る ように侵入的事象による変化を学ばなけれ ばならない。 チェンバレン がいう, 企業行動の 歴史的過程としての規則性 が, 歴史的環境に適 応しない た めに, 目的的活動 および侵入的 事象によって 崩 壊され, そこに新たな理論注27) の生成をみ る の であ る 。. 注—勿) N. W. チェンバレ ンの所論を' H. ベルク ソ ンの哲学論お よ び 科学論をふま えて吟味し, 広義の経営理論を再検討す る 機会は別途に も ち たい。. -106 (106 ) -.

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