• 検索結果がありません。

『コリオレイナス』における貴族主義と市場の論理の相克 : 護民官とオーフィディアスについての考察を中心に

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "『コリオレイナス』における貴族主義と市場の論理の相克 : 護民官とオーフィディアスについての考察を中心に"

Copied!
26
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)文学・芸術・文化 1 9巻 1号 2 0 0 7 .9. 『コリオレイナス J における貴族主義と市場の論理の相克 一一護民官とオーフィディアスについての考察を中心に. 藤津博康. 『コリオレイナス』は、市民と貴族の対立を描いた劇であると、これま でしばしば指摘されてきた。たとえば、ヤン・コット ( J a nK o t t ) は、『コ リオレイナス』を単なる「王権の歴史 J “ (r o y a lh i s t o r y " ) を描いた劇では なく、「平民と貴族に分かれた都市の歴史 J “ (t h eh i s t o r yo fac i t yd i v i d e d. i n t op l e b e i a n sandp a t r i c i a n s " ) を扱った劇として解釈すると同時に、さ ら に 一 歩 す す ん で そ れ を 「 階 級 闘 争 の 歴 史 J“ (t h eh i s t o r yo fc 1a s s. s t r u g g l e " ) を扱った「近代的な劇 J “ (amodernp l a y " ) であると評してい K o t t 1 4 7 )。また、シェイクスピア劇に描かれた社会階級についての る ( 包括的研究、『シェイクスピアと社会階級Jにおいて、著者のラルブ・ペ リー ( R a l p hB e r r y ) は、「シェイクスピアの正典に含まれる劇で、『コリオ レイナス』を除いて、『終わりよければすべてよし』ほど階級に焦点を当 てた劇はな Lりと述べている ( B e r r y 123). 0. 1. ヤン・コットのように、『コ. リオレイナス Jを現代的な意昧での「階級闘争」の劇と見なすのは違和感 があるものの、この劇がローマを舞台とする貴族と市民との対立を描いて L、ることは、概ね研究者の間で共通の理解が得られているように思われる. O. このような『コリオレイナス』をめぐる批評史において、『シェイクス ピア・クオータリー j ( S h a k e s p e a r eQ u a r t e r l y ) に発表されたセオドア・レ インワンド ( T h e o d o r eLei n w a n d ) の「シェイクスピアとミドリング・ ソート J “ (S h a k e s p e a r eandt h em i d d l i n gs o r t " ) は、ロンドンの市民階層 にこれまでの議論とは異なる新たな呼び名を提供した点で異彩を放ってい る。シェイクスピアがロンドンでの演劇による成功で子にした財産をもと に故郷のストラッドフォードに多くの土地を購入したり、子孫に多額の財. -108一. (1).

(2) 『コリオレイナス Jにおける貴族主義と市場の論理の相克 藤 津. 産を残したりした事実を考慮、に入れ、レインワンドは「シェイクスピアは、 彼自身ミドリング・ソートの一人. それも、最終的には、かなり裕福な. ミドリング・ソートの一人でさえあった J( “ … S h a k e s p e a r ewash i m s e l f. v e noneo ft h ew e l l o f fm i d d l i n g oneo ft h em i d d l i n gs o r t- -i nt i m e,e s o r t . ")と述べ(Leinwand2 8 8 )、ロンドンで貴族とも、一般市民とも異 なる新たな社会階層が誕生する瞬間をシェイクスヒ。アの作品に読み取って いる. O. 特に、『コリオレイナス』については、レインワンドの議論では暴. 動に参加する市民がミドリング・ソートとみなされ、ローマの市民とロン ドンのミドリング・ソートが同等に扱われている。. .AtamomentwhenLondonw i t h i nt h ew a l l swas “i n c r e a s i n g l y m i d d l i n gp e o p l e, ' ' 'S h a k e s p e a r e 'sRomanc i t i z e n sd e t a k e no v e rby ‘ c l a r e, t i c u l a t em i d d l i n ggroup,t h ec i t i z e n si nCnrinlanusd e m o n s t r a t eb o t h ad e s i r ef o rg r e a t e rp a r t i c i p a t i o ni ng o v e r n a n c eandr e a d i n e s st or i ot . ( L ei nwand 2 9 5 ). また、論文中で護民官に触れた別の箇所に見受けられる「貴族. 言うま. でもなく護民官も J( “ “p a t r i c i a n s "- -n o tt omentiont h et r i b u n e s …") という記述からも明らかなように、レインワンドの論文では、護民官は貴 族の一部として捉えられてしまい、論文中護民官についての分析はほとん ど見受けられない(Lei nwand 2 9 5 )。 ところが、『コリオレイナス』を読む限りでは、市民の表象にミドリン グ・ソートの萌芽を見るよりも、貴族に完全に属しているともいえず、民 衆を代表しているように見えて、民衆と完全に一体化できていない護民官 にこそ、中間層としてのミドリング・ソートのさきがけを見るべきである ように私には思われる J なぜなら、私には、オックスフォード・シェイク. (2). -107.

(3) 文学・芸術・文化. 1 9巻 1号 2 0 0 7 .9. スピア版 (TheOxfordShakespeare)の編者であるパーカー(R.B .P a r k e r ) が指摘するように、『コリオレイナス Jでは、市民はあくまでも「通常の シェイクスピア特有の群集であり、理性がなく、不安定で、野蛮にして、 気まぐれと民衆扇動家に左右されやすい J“ (t h e y( = t h ec i t i z e n si nCor i o l a n u s )a r et h eu s u a lS h a k e s p e a r emob:i r r a t i o n a l,u n s t a b l e,s a v a g e,. anda tt h emercyo fe v e r ywhimanddemagogue") 集団として描出され ているように思われるからだ ( P a r k e r 4 6 )。私には『コリオレイナス』 における護民官の表象は、イギリス国内での新たな社会階層の誕生を描い ているのと同時に、彼らが代表する市場性を表象しているように思われる. O. 後に指摘するように、護民官は市場 ( m a r k e t ) と大いに関わっており、 冷徹な現実感覚、数量化への意識、演劇性といった特徴を兼ね備えている。 このような特質を備えた護民官主導の市民扇動によって、ローマから追放 されるコリオレイナスの姿は、コリオレイナス特有の貴族主義の、護民官 と彼らが扇動する市民が代表する市場への敗北を描いているとも解釈でき る。さらに、本論では一歩議論を進めて、たしかに劇の前半ではコリオレ イナスが護民官と市民によってローマを追放される姿が描かれているもの. V o l c e s ) の知将オーフィディアス ( A u f i d の、劇の後半ではヴォルサイ ( i u s ) に性懲りもなく策略にはめられ、コリオレイナスが二重の敗北を帰 する点に着目し、オーフィディアスの行動にも護民官のそれと同様に市場 のメカニズムが機能している可能性を探求してみたい。 もちろん、コリオレイナスの敗北は一義的でAはない。そこには、複眼的 な思考による評価を許す結末が用意されている. O. 本論では、「コリオレイ. ナス Jに描かれた市場のメカニズムと、高慢で自己反省力に欠けるコリオ レイナスの貴族主義との相克を明らかにするための準備として、レインワ ンドの論文を参考とし、護民官が単なる市民とは異なる新たな社会階層を 代表していることを確認する。さらに、市場と大いに関連性のある護民官 の気質を代表する上記のような特質を考慮に入れた上で、護民官とオー. -106一. (3).

(4) 『コリオレイナス Jにおける貴族主義と市場の論理の相克. 藤津. ブィディアスの親近性を指摘する。そして、護民官とオーフィディアスに 共通する特性が、コリオレイナスの貴族主義と大きく異なる事実に着目し、 『コリオレイナス』に特徴的な後昧の悪い結末の暗示する意昧を探り、こ の劇で描かれた貴族主義と市場との相克について考察を加えてみたい。. 二つの秩序意識. r 腹の寓話 J( t h eparableo ftheb e l l y ) と広場=市場. 本題に入る前に、『コリオレイナス』ではこの作品を代表する二つの主 要な秩序意識が存在しており、それらが劇中で重要な役割を果たしている ことを指摘しておきたい。 『コリオレイナス』は周知の通り、穀物の不作によって民衆が起こした 暴動で幕を開ける. O. この暴動を沈静化しようとして登場するのが、ローマ. の貴族、メニーニアス ( M e n e n i u s ) である. O. メニーニアスは荒れ狂う市. 民たちを前にして、有名な「腹の寓話Jと呼ばれる、国家を一つの身体に 警える話によって、民衆を説得しようと試みる. O. Thes e n a t o r so fRomea r et h i sgoodb e l l y , Andyout h em u t i n o u smembers:f o rexamine. i g e s tt h i n g sr i g h t l y T h e i rc o u n s e l sandt h e i rc a r e s,d Touchingt h ew e a lo'th'common, yous h a l lf i n d Nop u b l i cb e n e f i twhichyour e c e i v e Buti tp r o c e e d so rcomesfromthemt oyou, Andnowayfromy o u r s e l v e s . ( 1 .. i1 4 7 5 3 )3. このようなメニーニアスの国家観は、国家を有機的な統一体と見なし、そ の統一性を乱す行為は邪悪な行為であるとする論理に基づいている。一見、. (4). -105-.

(5) 文学・芸術・文化. 1 9巻 1号 2 0 0 7 .9. 予定調和的に見えるが、この場面でのメニーニアスには市民に対する蔑視 の感情が明らかであり、この偏見がコリオレイナスにも共有されている。 この直後の場面で舞台上にはじめて登場するコリオレイナスの、市民たち に向けた第一声にも彼の市民に対する侮蔑が表れている。. • Wh a t 'st h em a t t e r,youd i s s e n t i o u sr o g u e s. u b b i n gt h ep o o ri t c ho fy o u ro p i n i o n, That,r Makey o u r s e l v e ss c a b s ? (1. . i1 6 3 5 ). 飢鐘への不満を訴える市民の言葉も、コリオレイナスには体をかきむしり、 体に研癖(“ s c a b s " ) を作る行為程度にしか映っていない。あたかも、市 民ごときが少々騒いで、も、国家には何の影響力もないと言わんばかりであ る 。 このコリオレイナスの市民に投げかけた言葉にしろ、メニーニアスの腹 の寓話にしろ、国家が身体的イメージを用いて表象されているのは、この 劇の特徴である。そして、また当時のイギリスでは、腹の寓話が代表して いるように、国家という身体には秩序があり、それぞれの器官の機能の重 要度によって階層化されているとする国家観が有力であった c つまり、社 会の末端の者が、頭である貴族に逆らうことは自然の法に反する行為と見 なされたのである。この論法こそ、社会の不満分子を黙らせるために、 ジェームズ一世戴冠後の絶対王政下のイギリスでは頻繁に用いられたレト リックの根幹をなす論法であった。たとえば、ジェームズ一世自身も『自 T h eT r u eLaw0 1F r e eMonachies,1598) で、国王と民 由君主制の真法.1 (. 衆のあるべき関係について、以下のような記述を行っている O. …Thekingtowardsh i sp e o p l ei sr i g h t l ycomparedt oaf a t h e ro f c h i l d r e n,a n dt oaheado fabodycomposedo fd i v e r s emembers,f o r 104-. (5).

(6) 『コリオレイナス Jにおける貴族主義と市場の論理の相克 藤津. a sf a t h e r st h egoodp r i n c e sandm a g i s t r a t e so ft h ep e o p l eo fGoda c knowledgedt h e m s e l v e st ot h e i rs u b j e c t s .Andf o ra l lo t h e rw e l l r u l e d h es t y l eo fpaterpatriaewase v e r,andi s,commonly commonwealths,t usedt ok i n g s .Andt h ep r o p e ro f f i c eo fak i n gt o w a r d sh i ss u b j e c t s a g r e e sv e r yw e l lw i t ht h eo f f i c eo ft h ehead,b e i n gt h es e a to fj u d g r o c e e d st h ec a r eandf o r e s i g h to fg u i d i n g,andp r e v e n t i n ga l l ment,p e v i lt h a tmaycomet ot h ebodyo ranyp a r tt h e r e o f .Theheadc a r e s f o rt h eb o d y :s od o e st h ek i n gf o rh i sp e o p l e . ( W o o t t o n 9 9 ). 国家にとって王が頭であり、国民がさまざまなる器官であり、同時に王は 国民に対しては父のような存在であると述べ、頭が身体のことを考えるよ うに、王は国民のことを考えるとジェームズは述べている. O. メニーニアス. の用いた寓意は脳髄(“t h 's e a to f 't h ' b r a i n " ) である王を頂点として、元老. e l l y " )、宮廷を心臓(“h e a r t " ) として警え、最終的には市民 院を胃袋(“b をそれよりも劣った器官に醤えていた部分と多分に相通じる記述である。 身体というメタファーを借りながら、国家の安定を身体の器官の調和し た状態になぞらえて、劣等な器官である市民の暴動を沈静化しようと試み ている点で、メニーニアスの説得法と当時のイギリスの体制の思考法とは 共通する部分が多く、そこには王を頭として頂点とし、市民を底辺とする 垂直的な秩序観が共有されていた。もちろん、ローマでは国王は存在しな いものの、腹の寓話と『自由君主制 j に共通するのは、国家を有機的な統 一体とみなし、統治者を筆頭に末端の市民まで至る垂直的な秩序意識が、 この劇における貴族の思考を特徴づけている。 このような貴族特有の秩序意識に対して、『コリオレイナス』では、平 等を重んじ、現実に即して事象を捉えようとする思考が見受けられる。後 にコリオレイナスが市民に執政官になるために投票を呼びかける、二幕三. T h eForum) の場面では、その特徴が明確になっている。 場の「広場 J( (6). 103.

(7) 文学・芸術・文化. 1 9巻 1号 2007. 9. 『コリオレイナス Jで描かれているように、ローマの共和制には貴族から 市民へと至る垂直的に階層化された社会構造を補完するかたちで、執政官 に就任する人物は一般の市民に粗末な衣装を着て投票を呼びかける制度が 組み込まれていた。三幕二場に登場する「広場」の場面は、まさにローマ の共和制が基本的に有している垂直的に階層化された社会構造とは異なる 秩序を表現している。執政官になろうとするコリオレイナスが市民に頭を 下げて投票を依頼する場面を描くことで、この場面はローマの共和制に、 不完全ながらも、平等を重んじる秩序意識が存在している事実をわれわれ に想起させる。 ちなみに、「コリオレイナス』のほとんどの版では、三幕二場の設定は. TheF o r u m " となっている。ただ、私には、この「広場Jという設定に “ 8 5 6 年版のシェイクスピア全集を編集したチャールズ・ナイト ついて 1 ( C h a r l e sKni g h t ) が、この場面を「市場 J“ (T heM a r k e tP l a c e " ) に変更 している事実は市民と貴族が一同に会する空間としての広場のもつ市場性 を見出している点で示唆に富んでいるように思われる(Ar d e nE d i t i o n 1 7 9 ) 0 さらに、シェイクスピアが『コリオレイナス』を書くにあたって 参照したと思われるサー・トマス・ノース ( S i rThomasN o r t h ) によって P l u t a r c h 'sL iv e so fTheNobleG r e c i a n s 翻訳された『プルタルコス英雄伝 j( andRomans) 中のコリオレイナスについての記述でも、貴族と市民が対. 論する場は、いずれも“ m a r k e t p l a c e " で統ーされているのも興昧深い. ( B u l l o u g h5 1 8 )。これらの事実を総合して考えても、市場と広場は親近 性を多分に有しており、そこでは貴族も市民も同じ目線で交流するように 求められる、非常に公平な場であることが分かる。. 護民官と市民の境界 このような市場のメカニズムを代表する市場=広場では、市民の声のも つ力が、その「数」によって計量されるようになる。二幕三場の冒頭で、. -102一. (7).

(8) 『コリオレイナス』における貴族主義と市場の論理の相克 藤淳. 市民の一人は、みずからの声=票(“v o i c e " ) がコリオレイナスの執政官 選出に対しでもつ力について、以下のように述べている。. Weh a v epoweri no u r s e l v e st odoi t( =d enyC o r i o l a n u s ), b u ti ti sapowert h a twehavenopowert od o .Fori fhe showu sh i swoundsandt e l lu sh i sd e e d s, wea r et o p u to u rt o n g u e si n t ot h o s ewoundsands p e a kf o r l s o t h e m .Soi fhet e l lu sh i sn o b l ed e e d s,wemusta t e l lhimo u rn o b l ea c c e p t a n c eo ft h e m .I n g r a t i t u d e i smonstrous,andf o rt h em u l t i t u d et obei n omakeamonstero ft h em u l t i t u d e ; g r a t e f u l,weret o ft h ewhichweb e i n gmembers,s h o u l db r i n go u r i4 1 3 ) s e l v e st obemonstrousmembers. ( I I . i.. この引用から明らかなように、市民の声=票は、コリオレイナスの名誉の 負傷の数や、戦場で経験した武勇談によって交換されうるものである. O. さ. らにまた、この引用はコリオレイナスが市民を納得させるかたちで交換の システムに参画しない(すなわち、恩を忘れる(“ i n g r a t i t u d e " ))と、彼 らが「大衆という化け物J“ (am onstero ft h em u l t i t u d e ) となる恐れを、 この時点ですでに暗示している。 たしかに、市民のもつ怪物性はこの劇において特徴的で、最終的にはコ リオレイナスはこの怪物に食べ尽くされることとなる。しかし、本論では、 市民と市場の関係を考える際に、特に市民と護民官の違いを私は強調して おきたい。先に触れたように、レインワンドは市民を貴族に対立する群衆 として捉え、その姿にミドリング・ソートの痕跡を見ょうとしていた。し かし、市民が市場を代表していることを認めつつも、私はとりわけ護民官. 、. の果たす役割は市民のそれとは異なることをここで強調しておきた L. (8). -101一.

(9) 文学・芸術・文化. 1 9 巻 1号 2 0 0 7 .9. 実際、劇中でも護民官は市民とは異なり、貴族に近い存在として描かれ ている O たとえば、市民と護民官を分ける点として、護民官の呼称に注目 してみたい。『コリオレイナス』という劇を仔細に読んでみると、この劇で は、護民官に「高潔な J“ (n o b l e " ) という形容詞が頻繁に用いられている ことに気づく. O. たしかに、劇の前半では、上の引用にある「高潔なマー. (n o b l eM a r t i u s " ) に代表的されるように、貴族を呼ぶときに シャス J“. (n o b l e " ) という形容詞が用いられている場合がほと 「高潔な、高貴な J“ んどである O しかし、劇が進行するに従って、この. “ n o b l e " という形容. 調が護民官に言及する際にも使用されていることに気づく。市民一. ( F i r s tC i t i z e n ) は護民官を「民衆の口 J“ (p e o p l e ' smouth") になぞらえ、 (h a n d s " ) であると主張する。 みずからは彼らの意思を行動に移す「子 J“. Hes h a l lw e l lknow Then o b l et r i b u n e sa r et h ep e o p l e ' smouths Andwet h e i rh a n d s .. 皿. . i2 6 8 7 0 ). このせりふからも推察できるように、『コリオレイナス』では、民衆の意 思を護民官が決定し、「口」となって方向性を民衆に示し、それを民衆が 「子」となって実行に移すかたちがとられている。つづく三幕一場では元 老院議員までが、「高潔な護民官Jという呼称を共有してしまっているし、 “ n o b l et r i b u n e s " という呼び名は、最終的には三幕三場でコリオレイナ. スの追放を望む市民たちの合唱でも反復されている。. A l lP l e b e i a n s. Come,come,l e t ' ss e ehimo u ta tg a t e s !Come! Thegodsp r e s e r v eourn o b l et r i b u n e s !Come! E x e u n t .. (皿. i. i1 4 2 3 ) 1 0 0. (9).

(10) 『コリオレイナス』における貴族主義と市場の論理の相克 藤 津. これらの例から理解できるのは、護民官は市民の代弁者であると同時に、 一時的であるとはいえ、貴族と同様の呼称によって呼ばれる存在として表 象されていることである。コリオレイナスの護民官への罵倒を考慮すると、 護民宮は一方では貴族のような待遇を受けることはあるものの、貴族と完 全に同化せず、しかも市民たちとは心理的に距離のある存在として描かれ ているように見える。 (t o n g u e " )や「口 J “ (m o u t h " ) また、この作品では護民官が民衆の「舌J“. になぞらえられていて、市民の意見を代弁する存在であることが随所で暗 示されている。このことからも分かるように、護民官は市民と異なり、き わめて理性的であるように思われる。メニーニアスは、劇冒頭の場面で、. (c o w a r d l y " ) しか行動できないと評していた。 市民たちは「臆病に J“. …thougha b u n d a n t l yt h e yl a c kd i s c r e t i o n, Y e ta r et h e yp a s s i n gc o w a r d l y . ( 1 .. i2 0 1 2 ) このメニーニアスが市民に欠けていると指摘する「分別 J“ (d i s c r e t i o n ") こそが、護民官には兼ね備わっていて、彼らを市民と大きく分ける点と なっているように思われる。実際、護民官が民衆にコリオレイナスを執政 官に推薦するのを取り消すようにけしかける際に吐くせりふ、「諸君の体 y,Had には分別がないのか。諸君の舌は理性に逆らって叫ぶのか J(“Wh. y o u rb o d i e s / No h e a r t amongy o u ? Orhad you t o n g u e st oc r y/ i i .2 0 1 3 ) には、護民官には分 A g a i n s tt h er e c t o r s h i po fj u d g m e n t ? "1 1 .i 別や理'性が備わっているのに対して、市民がそれらを有していないことへ の苛立ちが感じられる。つまり、護民官の分別や理性こそが、『コリオレ イナス』では市民という怪物に方向性を与える役割を果たしているのであ る 。 以上のように、護民官は貴族のように扱われることもあるものの、貴族. (10). -99一.

(11) 文学・芸術・文化. 1 9巻 1号 2 0 0 7 .9. からは嫌悪され、市民を代表するものでありながら、彼らを理性や分別に よってコントロールする役割を付与された第三の集団であると言える。. 演劇性と市場性・・・護民官とオーフィディアスを結ぶもの 護民宮の特徴として、分別や理性を指摘したが、これらの美徳はオー フィディアスにも共有されている。実際、オーフィディアスが言及してい るように、オーフィディアスにしてみれば、コリオレイナスは、「悪魔J. “ (t h ed e v i l " ) であるが、「大胆ではあるが、知恵が足りな pJ“ (B o l d e r,. thoughn o ts os u b t l e . "1 .x.17) 悪魔にすぎない。このように知恵が足り ないと認識した上で、オーフィディアスは、後にローマから追放されたコ リオレイナスを寛大な態度で迎え入れている。. oMartius,Martius! Eachwordt h o uh a s ts p o k eh a t hweededfrommyh e a r t Ar o o to fa n c i e n te n v y .I fJ u p i t e r S h o u l dfromyondc l o u ds p e a kd i v i n et h i n g s Ands a y" T i st r u e' ,l 'dn o tb e l i e v ethemmore. Thant h e e,a l l n o b l eM a r t i u s .Letmet w i n e Minearmsa b o u tt h a tbody, wherea g a i n s t Myg r a i n e da s ha nhundredt i m e sh a t hb r o k e, Ands c a r r ' dt h emoonw i t hs p l i n t e r s . ( N .v .1 0 2 1 0 ). 本心では戦場で何度も辛酸を翫めさせられた経験を恨んでいるにもかかわ らず、このような大げさな言葉でもって相手を受け入れるには、相当の政 治的な判断力や洞察力が必要である O オーブイディアスの分別と理性を感 じさせる一節である O 実際、シェイクスピアは、武人としてのオーブイ ディアスのコリオレイナスに対する優位性をヴオルサイの市民をして. -98一. (1 1).

(12) 『コリオレイナス Jにおける貴族主義と市場の論理の相克 藤津. I (コリオレイナスよりも)六倍も値打ちがある J“ (Wo r t hs i xonh i m . " N. v . 1 6 9 ) と、語らしめている。 統治者の美徳としての分別は、他方で演劇i 性と多分に関連している. O. な. ぜなら、分別や理性は個人の行動を客観化することを可能にし、それを持 つ者に自らの行動をコントロールすることを可能にするからだ。護民官と オーフィディアスを繋ぐ要素として、分別や理性以外に、状況に応じて態 度を変化させられる演劇性を指摘できる。 統治者の演劇性という観点からこの劇を観てみると、コリオレイナスと オーフィディアスは、互いに対照的であると同時に、相補的な関係にある ように見える。コリオレイナスは、武力に勝り、自らの腕力に絶対的な自 信をもっていて、血の気が多いのに対して、オーフィディアスはコリオレ イナスに戦場で連敗しているものの、冷静な知将であり、最終的には即興 的政治手腕により、ゴリオレイナスをローマへの裏切り者であると同時に ヴォルサイへの裏切り者に仕立て上げるのに成功している。ヴォルサイの 市民のオーフィディアスを称える言葉にも係わらず、私にはオーフィディ アスがコリオレイナスの六倍すぐれた統治者には思えない。 あえて、統治者の理想をこの作品に求めるとするならば、コリオレイナ スに一時的に民衆に嫡びて執政官(co nsul)の称号を子に入れるように命 じる、ゴリオレイナスの母、ヴォラムニアの発言はその有力な候補であろ. つ. O. P r a ybec o u n s e l l 'd ;. t 1 ea p ta sy o u r s, 1haveah e a r ta sl i t Buty e tab r a i nt h a tl e a d smyuseo fanger Tob e t t e rv a n t a g e .. 皿. i i .2 8 31 ). 上の引用で「気の強さ J“ (ah e a r t " ) は必要最低条件としても、怒りを抑. (12). -97.

(13) 文学・芸術・文化. 1 9巻 1号 2 0 0 7 .9. 制する「分別 J“ (ab r a i n " ) が必要なことを、ヴォラムニアはコリオレイ ナスに的確に忠告している。この引用の少し後の部分で、ヴォラムニアは、 さらにすぐれた統治者になるには、本心とは異なる偽りの言葉を必要なと きには口に出せるような、演技力の重要性もコリオレイナスに説いている. O. 1wouldd i s s e m b l ew i t hmyn a t u r ewhere Myf o r t u n e sandmyf r i e n d sa ts t a k er e q u i r 'd 1s h o u l ddos oi nhonour .1ami nt h i s o n,t h e s es e n a t o r s,t h en o b l e s ; Yourw i f e,yours Andyouw i l lr a t h e rshowo u rg e n e r a ll o u t s. Howyouc a nf r o w n,t h a nspendafawnupon'em Fort h ei n h e r i t a n c eo ft h e i rl o v e sands a f e g u a r d Ofwhatt h a twantmightr u i n .. 皿. i . i6 2 9 ). 本心を偽る行為を積極的に認めるヴォラムニアの言動は、彼女のマキャ ヴでエリズムを表している。ところが、気牲と分別のバランスをとることの 重要性を強調するヴォラムニアの理想を、息子のコリオレイナスは実現で きない。メニーニアスが嘆いているように、彼は「この世に生きるにはあ. " H i sn a t u r ei st o on o b l ef o rt h ew o r l d…" ま り に も 高 潔 す ぎ る の だ J(. 皿. . i2 5 2 )。劇全体を通して、コリオレイナスは演技力よりも、自己同一 性にこだわるがあまり、状況の変化に対応できずに破滅を迎える登場人物 として表現されている。 しかし、演技は、ともすると真実を偽る手段ともなる。瓦幕三場でロー マ征圧を思い留まるよう説得に来た母と妻の姿を見ただけで、呆然自失し (ad u l la c t o r " ) のコリオレイナスとは対照的 てしまう「間抜けな役者 J“. に、演技力の点ですぐれているように映るオーフィディアスには、政治的 先見性という点で光るところもあるものの、それと同時に内心を隠し、着. 96-. (13).

(14) 『コリオレイナス』における貴族主義と市場の論理の相克 藤 津. 実に計画を実行して行く計算高さ、腹黒さが引き立って見えてしまう。 実際、オーフィディアスを市場性と結びつける点として、彼が自らの行 動を商人が使用するような言葉を用いて説明している点があげられる。一 例をあげると、ローマを追われたコリオレイナスをヴォルサイに受け入れ たオーフィディアスは、自国でコリオレイナスが次第に民衆の支持を取り つけ、徐々に彼と肩を並べるような脅威になりつつあることを忠言してく れる側近に対して、次のように応えている O. 1u n d e r s t a n dt h e ew e l l,andbet h o us u r e Whenhes h a l lcomet oh i sa c c o u n t,heknowsn o t. 羽Tha t1c a nu r g ea g a i n s th i m . ( … )y e theh a t hl e f tundone. Thatwhichs h a l lb r e a kh i snecko rh a z a r dmine Whe n e 'e rwecomet oo u ra c c o ut.町. v i . i1 7 9 ) この引用で、二度にわたってオーフィディアスは「決算J“ (a c c o u n t " )と いう言葉をくり返している O あたかも、商人と、商品を買った客のような 関係をオーフィディアスとコリオレイナスの聞に連想させ、決算の時期ま で、コリオレイナスを泳がしておくと言わんばかりである。 たしかに護民官とオーフィディアスの聞には身分の差の点で大きな差が あるものの、計算高さ、現実に即して行動する特徴などを勘案すると、彼 らは市場のメカニズムに則って行動しているという点で相通じるものがあ るように思われる。それゆえ、この両者に貴族の価値について観念的で本 質主義的なコリオレイナスが、足元をすくわれ、いとも簡単に国家への裏 切り者としてで、っち上げられてしまうのは仕方がないとも言える。. 白び. 5. (14).

(15) 文学・芸術・文化. 1 9巻 1号 2 0 0 7 .9. 市場と数量化 護民官とオーフィディアスに計算高さ、冷徹に策略を遂行して Lミく現実 感覚が共通点として指摘でき、それが市場の論理で共通していると指摘し たが、それは当時の西洋社会で、起こりつつあった現実を把握する歴史的な 意識の変化とも呼応していたように思われる。 ヨーロッパの覇権の原因を明らかにしようとした試みの一つ、アルフ レッド. . w・クロスビー(AlfredW.Crosby)の『数量化革命 j (TheMeas. u r e01R e a l i t y ) によれば、西洋社会が覇権を手にした理由は、現実を計量. 化し、それらを理解しやすくするために視覚化を徹底したところにあると. 7 いう私には、クロスビーの指摘する数量化の意識(おそらくそれは 1 世紀以降の科学精神へと発展していくのであろうが)こそが、護民官や オーブィディアスの行動原理となっている市場の論理と大いに結びついて いるように思われる。西ヨーロッパで貨幣経済への移行がさまざまな分野 に対して影響を及ぼした原因を、慢性的な金の不足に求めたクロスビーは 新世界に金を求めて世界で航海を続ける西洋人たちを評して、「西ヨー ロッパ人ほど金貨や銀貨に心を奪われ、その重さと純度を気づかい、現金 の代替物である為替手形その他の証書類について策略をめぐらせた人々は かつて存在しなかった。西ヨーロッパ人たちほど計算、計算、計算にとり つかれた人々は、かつて地上に存在しなかったのである」と評している (クロスビー. 100)06 このような数量化や計算を重んじる態度は、『コリ. オレイナス Jでは護民官やオーフィディアスによって多分に共有されてい るように思われる。 また、計算や計量によって、通常計測不可能で、あると映る人間の価値や 名誉の価値などを計ることができるのかという根源的な問いかけは、シェ イクスピアの中期以降の作品ではその変奏を見出せ、たとえば、友情を計 ることができるかを問うた[ヴェニスの商人 j ( T h eMerchant01怜 n i c e ). 94. (15).

(16) 『コリオレイナス Jにおける貴族主義と市場の論理の相克. 藤津. や娘の父への愛情の計量が可能かを問うた『リア王I ( T h eT r a g e d yofKing L e a r ) などはその一例であると言えるだろう. o. r コリオレイナス』もこのよ. うな問いかけを行なっている作品群の延長線上に位置していると思われ、 この劇における護民官やオーフィディアスはその代表と言える。 7. コリオレイナスの傷と数量化 ところが、数量化という観点から『コリオレイナス』を観た場合、コリ オレイナスの行動は数量化とは対極的な位置にある。また、コリオレイナ スの数量化への嫌悪は、彼独特の貴族主義を規定する以外に、彼を敗北へ と追いやる市場との反目とも受け取れる。ここで名誉を数量化されること を嫌う、コリオレイナスの性格を如実に表す場面を指摘しておこう. r コリ. o. オレイナス』では、ローマのために負った傷の数や流した血の量によって、 戦士の名誉を計量しようとする風潮がある。この風潮は、一般の市民のみ ならず、貴族に属するヴォラムニアやメニーニアスにも共有されている。 コリオレイナスの戦場での功績を喜ぶヴォラムニアや、メニーニアスに とっては、戦場から帰還したコリオレイナスの傷の数が、彼の名誉を図る 上での判断基準となっている。. Menenius. Whe r ei she. wounded? L 匂l u m n i a. I 't h ' s h o u l d e r,andi ' t h ' l e f ta r m :t h e r ew i l lbe. l a r g ec i c a t r i c e st oshowt h ep e o p l ewhenhes h a l l s t a n df o rh i sp l a c e .Her e c e i v e di nt h er e p u l s eo f 't h e ' b o d y . T a r q u i ns e v e nh u r t si 凡1 e n e n i u s. (16). 9 3.

(17) 1 9巻 1号. 文学・芸術・文化. 2 0 0 7 .9. Onei ' t h ' n e c k,andtwoi ' t h ' t h i g h t h e r e ' sn i n e That1know. Volumnia. Hehad,b e f o r et h i sl a s te x p e d i t i o n,t w e n t y f i v e woundsuponh i m . Menenius. Nowi t 'st w e n t y s e v e n :e v e r ygashwasa nenemy'sg r a v e .. ( n .. i1 4 5 5 5 ) ヴォラムニアとメニーニアスにとって、傷の数と名誉の大きさは比例関係 にある O 彼らの論理に従えば、傷の数が増えれば増えるほど、コリオレイ ナスの名誉は増大する. O. しかし、このような名誉を傷の数によって数量化. しようとする姿勢こそ、コリオレイナスのもっとも嫌悪するものである。 コリオレイナスの凱旋を民衆が歓迎する声を聞いて、コリオレイナス本人 が不快感を示しているのは、その証左である。. N0 moreo ft h i s ;i td o e so f f e n dmyh e a r t . P r a ynow,nom o r e . (n .. i1 6 7 8 ). ところが、コリオレイナスに、形式上民衆に傷を見せ、支持を求めるそぶ りを見せるように勧めるメニーニアスに対して、コリオレイナスはローマ のために負った傷が、民衆の支持を得るための道具として用いられること に我慢がならない。. Tob r a gu n t othem,t h u s1d i d,andt h u s, Showthemt h ' u n a c h i n gs c a r swhich1s h o u l dh i d e, Asi f1hadr e c e i v 'dthemf o rt h eh i r e 白河 U. 内〆“. (17).

(18) 『コリオレイナス』における貴族主義と市場の論理の相克 藤 津. oft h e i rb r e a t ho n l y ! (I I .i i .1 4 7 5 0 ). 「民衆の票を買い取るためにのみ、傷を受けたかのように J“ (Asi f1had. r e c e i v ' dthemf o rt h eh i r e/Oft h e i rb r e a t ho n l y " 4 9 5 0 ) には、コリオ レイナスの傷を貨幣として扱い、それによって民衆を買収しようとしてい る自分自身に対する嫌悪が見て取れる。 この場面以降でも、傷がコリオレイナスの名誉を計量し、民衆の声=票 と交換される貨幣としての機能を果たすものとして何度か言及されている。 二幕三場では、執政官になるため、しぶしぶコリオレイナスは広場に出て、 みすぼらしい衣装で身を包んだ状態で国家のために負った傷を市民に見せ く 。 て、執政官になるための票を市民に求めて Lミ. C o r i o l a n u s. Well,t h e n,1p r a y,yourp r i c eo ' t h ' c o n s u l s h i p ? F i r s tC i t i z e n. Thep r i c ei s,t oa s ki tk i n d l y . C o r i o l a n u s. K in d l y,s i r,1p r a yl e tmeh a 't .1havewoundst o h a l lbey o u r si np r i v a t e .Yo u r showyou,whichs goodv o i c e,s i r .Wha ts a yy o u ? SecondC i t i z e n. Yous h a l lh a ' t,worthys ir . (I I . i. i7 4 9 ). この引阿部分でも、コリオレイナスは不本意ながらも、戦場で、負った傷を 一つの売り物として扱い、同時に「執政官の値段J “ (p r i c eo ' t h 'c o n s u l s h i p " ) を表しうる、一種の貨幣として扱っている。いわば、コリオレイナスが市 民に傷を見せる行為は、買収行為であり、それが恥ずべき行為であると彼. 唱EA. A可 U. (18).

(19) 文学・芸術・文化. 1 9 巻 1号 2 0 0 7 .9. 自身が一番気づいている。あまりの自己矛盾のために、少し後の場面でコ リオレイナスは新たな市民を見つけて、自暴自棄になって以下のように語 りかける O. Herecomesmoev o i c e s . Yourv o i c e s !Foryourv o i c e s1havef o u g h t 羽T a t c h 'df o ryourv o i c e s ;f o ryourv o i c e s,b e a r. t 1 e st h r i c es i x Ofwoundstwodozeno d d ;b a t 1h a v es e e nandh e a r do f ;f o ryourv o i c e sh a v e e s s,somem o r e :y o u rv o i c e s ! Donnemanyt h i n g s,somel I n d e e d1wouldbec o n s ul . (1 1 . i. i1 2 4 3 0 ). 声=票を得るために、傷を誇示するコリオレイナスの姿も、執政官になり たいと公言するコリオレイナスの姿も、いずれも彼の本心とは大きく食い 違っている。それよりも、先の引用で、「お前に見せる傷がある。しかし、 それらは個人的に見せよう J“ (1h avewoundst o/showyou,whichs h a l l. bey o u r si np r i v a t e . "7 6 7 ) というせりふの方に、コリオレイナスの名誉 を切り売りする行為への基恥が透けて見える。 この場面でのコリオレイナスにとってのジレンマは、民衆を嫌悪してい るのにもかかわらず、執政官の地位を子に入れるために市民の信頼を勝ち 取らなければならないことである。この目標を果たすには、民衆たちが出 入りする市場に入り込み、そこで承認を受けなければならな L、 こ の 時 点 でのコリオレイナスは平準化され、彼自身が一種の商品となっており、そ の商品の価値をつけるのは、民衆の声=投票である. O. すぐれた商品(執政. 官)と見なされるには、一定の評価が必要であり、その設定された評価= 価値の高みまで飛び上がる運命を、コリオレイナスは甘んじて受け入れよ うと努めている。. -90一. (19).

(20) 『コリオレイナス Jにおける貴族主義と市場の論理の相克 藤浮. 『コリオレイナス Jでは市場はコリオレイナスに勝利したか このようなコリオレイナスの努力にも関わらず、コリオレイナスは最後 の場面でオーフィディアスにヴォルサイへの裏切り者というレッテルを張 られ、命を奪われる。では、『コリオレイナス j では、ローマからも、 ヴオルサイからも裏切り者吸いをされるコリオレイナスを描くことによっ て、市場の論理の一方的な勝利が描かれているのであろうか。この間いに 答えるにあたって、この劇の最終場を以下検討してみよう O 最終場に入って、いきなり官頭の場面で、オーフィディアスはあたかも 商人のような目で、コリオレイナスが母や妻の涙にほだされてローマ征圧 を思い留まった行為を、ヴォルサイという国家を売り渡した行為として見 なす。. Atafewd r o p so fwomen'srheum,whicha r e Ascheapa sl i e s,hes o l dt h eb l o o dandl a b o u r Ofo u rg r e a ta c t i o n . (V. v i .4 6 8 ). 市場性を重んじるオーブィディアスには、コリオレイナスの行動は、女性 の涙数滴と引き換えにヴオルサイ人の流した血と苦労を交換した行動とし て映っている。あたかも、商人が債務者に借金を清算させるかのように、 オーフィディアスはローマ追放以降のコリオレイナスにとって唯一の財産 である「コリオレイナス」という名前を剥奪する。ローマがヴオルサイに 征服された事実を認める、ローマ側が作成した議定書を携えてヴォルサイ に戻ってくるコリオレイナスを制止し、オーフィディアスは機転の平山、た 政治的判断により、コリオレイナスを「裏切り者」へと仕立て上げる。. (20). 8 9.

(21) 1 9巻 1号 2 0 0 7 .9. 文学・芸術・文化. Au βd i u s. Readi tn o t,n o b l el o r d s ; B u tt e 1 1t h et r a i t o ri nt h eh i g h e s td e g r e e Heh a t ha b u s 'dy o u rp o w e r s . C o r i o l a n u s. T r a i t o r ?Hown o w ! A u f i d i u s. Ay,t r a i t o r,M a r t i u s ! C o r i o l a n u s. M a r t i u s ! A u f i d i u s. Ay,M a r t i u s,C a i u sM a r t i u s !Dostt h o ut h i n k 1 '1g r a c et h e ew i t ht h a tr o b b e r y,t h ys t ol 'nname. nC o r i o l e s ? (V. v i .8 4 9 0 ) C o r i o l a n u s,i. この場面から、「コリオレイナス」という名前がマーシャスにとって仮面 にすぎなかったことが明らかになる. O. コリオレイナスはオーブイディアス. によって、裏切り者の熔印を押されると同時に、「コリオレイナス」とい う名前が彼の本質ではないことを思い知らされる。 この場面の後、息をつく聞もないうちに、コリオレイナスは殺害され、 オーフィディアスに足で踏みつけられることとなる O ト書きには、以下の ような指示がしである。. TheC o n s p i r a t o r sdraw ,andk i l lMartius,whof a l l s ; A u f i d i u ss t a n d sonh i m .. このト書きを考慮に入れて劇を読み直してみると、劇冒頭の場面でヴォラ. 8 8. (2 1).

(22) 『コリオレイナス Jにおける貴族主義と市場の論理の相克 藤津. ムニアが夫の戦場で無事を案じるヴァージリアに応えて語ったせりふとの 奇妙な一致に気づく. O. H e ' l lb e a tA u f i d i u s,headbelowh i sknee, Andt r e a duponh i sneck . ( 1. i. i4 6 7 ). ヴォラムニアの予想はみごとにはずれ、劇の最終場で命を落とした自分の 息子が敵将、オーフィディアスに踏みにじられている皮肉な現実を彼女は 知らな p 。しかし、この母親を少しでも納得させるかのようなせりふを、 シェイクスピアはコリオレイナス殺害の場面に立ち会った貴族に語らしめ ている。. SecondLord. Thouh a s tdoneadeedw h e r e a tv a l o u rwi l 1w e e p . T h i r dLord. Treadn o tuponh i m .M a s t e r sa l l,beq u i e t ! . i1 3 2 4 ) P u tupyours w o r d s . (V. v. コリオレイナスの死骸を踏みつけるオーフィディアスを戒めるせりふをつ け加えることで、オーフィディアスの即興的演技は冷や水を浴びせかけら れている。コリオレイナス特有の幼稚な貴族主義はたしかに敗北したかも しれないが、かといってオーフィディアス流の計算を尽くした戦略も登場 人物すべてに支持されていない現実を、この悲劇の結末は暗示している O たしかに、計算高いオーフィディアスであるがゆえに、日出嵯に自分の立場 を弁護するせりふが、彼の腹黒さをさらに強調する幕切れとなっている。. Myr a g ei sgone, ウ t. o o. (22).

(23) 文学・芸術・文化. 1 9巻 1号 2 0 0 7 .9. And1ams t r u c kw i t hs o r r o w . Takehimu p .. H e l p,t h r e eo ' t h 'c h i e f e s ts o l d i e r s .1 '1beo n e . ( …. Thoughi nt h i sc i t yhe. Hathw i d o w 'dandu n c h i l d e dmanyaone, Whi c ht ot h i shourb e w a i lt h ei n j u r y,. Y e thes h a 1 1havean o b l ememory. Exeunt ,b e a r i n gt h ebodyo fM a r t i u s .A deadmarchs o u n d e d .. (V. v i .1 4 6 5 3 ). この場面は表面的には、もともとは敵であったローマの英雄をその暇庇も 考慮に入れた上で評価しようとする、オーフィディアスの寛容な態度であ ると観客には映るかもしれない。しかし、同時にオーフィディアスの計略 をこの場面より少し前に聞いて情報を共有していた以上、観客にとってこ のせりふの空々しさは否定できないであろう。 最後の場面から『コリオレイナス』という劇を振り返ってみると、ゴリ オレイナスの倣慢さや民衆への蔑視については嫌悪感を誘発されるものの、 それと同時に自分の信念に対して正直に行動するコリオレイナスには、一 種の潔さを感じ取ることができる O それに対して、護民官やオーフィディ アスの行動は、冷静な状況分析と有効な弁舌の才に見るべきところはある ものの、計算高く、策略的でしかも状況によっては容易に態度を急変させ るご都合主義を感じずにはいられない。その意味で、『コリオレイナス J の最終場では、一見するとコリオレイナスの極端な貴族主義が、護民官や オーフィディアスに代表される市場の論理に敗北する姿が描かれているよ うに映る。しかし、この劇ではコリオレイナスが代表する貴族主義の愚か さが描かれているが、同時にオーフィディアスの頭脳の明断さが伴う負の 側面、腹黒さへの嫌悪も同時に表明されていることも忘れるべきではな p 。 護民官とオーフィディアスを劇の前半と後半で結びつけるのは、彼らの. -86一. (23).

(24) 『コリオレイナス』における貴族主義と市場の論理の相克. 藤津. 冷 徹 な 現 実 認 識 、 数 量 化 へ の 意 識 、 演 劇l 性であり、それは市場と大いに関 連している。オーフィディアスと護民官の共通点としては、彼らがともに 政治的に脇の甘いコリオレイナスを、裏切り者に仕立てていく子段の巧妙 さである。この劇を貴族の側からの商人の台頭への不安、それと同時に彼 らの商人のもち合わせた冷徹さ、計算高さへの不安を描き出した劇である と評するには、さらなる歴史資料による裏づけが必要であろう。しかし、 先に言及したクロスビーの見解に従うならば、西洋社会の覇権を実現させ る上で欠かせなかった数量化の徹底と市場の論理の影響力の拡大は、自ら の本質的価値を疑わない旧来の貴族にとっては、一種の脅威であったに違 いない。いずれにせよ、近代初期のイギリスが迎えた大きな歴史の変化の 中 で 、 「 コ リ オ レ イ ナ ス Jと い う 劇 は 、 護 民 官 と オ ー フ ィ デ ィ ア ス が 代 表 する市場の論理への貴族の抱く不安を映し出した劇であるように私には思 われるのである。. i 主 *本論は、平成 1 9年 1月に広島大学大学院文学研究科に提出した博士論文、『シェイク コリ スピア後期劇と初期近代イギリスにおける社会階層 Jを構成する未発表の論考、 オレイナス Jにおける身体表象、市場の論理、社会階層 J(論文の第七章に該当)を大幅 に加筆修正したものである。. r. 1i sf o c u s e donc l a s sa si snoo t h e r 1.原文は、以 Fの通り。“All'sWellThalEnds恥 1 p l a yi nt h ecanons a v eCoriolanus." また、「階級戦争j を『コリオレイナス』に読 み取ろうとするべリーとは対照的に、オーデンはシェイクスピア講義録の中で、コ リオレイナスのテーマはこの劇での対立はゴリオレイナス対民衆で、一対多である から、「階級戦争j ではないとはっきりと断わっている ( Auden 2 4 4 5 )。 2 . レインワンドのミドリング・ソートの定義は暖昧な部分が残っているが、本論ではミ S h a n i ドリング・ソートを扱った論集で採用されているシャニ・ドクルーズ ( D ' C r u z e ) の、医師、法律家、聖職者、商人などから成るイギリス市民革命期に指 導 的 な 役 割l を 果 た し た 独 立 し た 世 帯 を 形 成 す る 集 団 ( “i n d e p e n d e n tt r a d i n g B a r r yandBrooks 2 3 )。 h o u s e h o l d s " ) に準拠している ( 3 . コリオレイナス Jの原文からの引用は、すべて以下の版による c Wi 1 1iamS h a k e s p e a r e . Coriolanus. E d .P h i l i pBrockbank . Lon d o n :Methuen,1 9 7 6 . 9年度日本比較文学会関西支部四月例会(4月2 2日 於:甲南大学)で、シェイ 4 . 平成 1 クスピア研究者、今西雅章がプルタルコスの『英雄伝 Jにおけるコリオレイナスに. r. (24). -85一.

(25) 文学・芸術・文化. 1 9巻 1号. 2 0 0 7 .9. ついての記述と『コリオレイナス Jをf f細に比較検討した結果、『英雄伝』での記述 とは異なり、シェイクスピアの作品では護民官が市民とは明らかに異なる身分に属 する独立した存在として改変が加えられて L、るとの指摘を行った。今西の指摘は、 本論を執筆する上で大いに示唆を与えてくれた。. 5 .A l f r e dW.C r o s b y . TheMeasureofRea/ it y :Q u a n t i f l c a t i o nandW e s t e r nS o c i e t y ,1 250ー 1 6 0 0 . C a m b r i d g e :CambridgeU n i v e r s i t yP r e s s,1 9 9 7 . 特に、 C h a p t e r1 ." P a n t o m e t r y :AnI n t r o d u c t i o n " 参照。 6 . クロスピーの著作からの引用については、小沢千重子訳 『数量化革命 ヨーロソパ 覇権をもたらした世界観の誕生.1 (紀伊国屋書脂、 2 0 0 3年)を利用させていただいた。 なお、原文は以下の通り o " T h e r ewerenop e o p l eone a r t hmorec o n c e r n e dw i t h c o i n st h a nW e s t e r n e r s,nop e o p l ewhow o r r i e dmorea b o u tt h e i rw e i g h tandp u l a y e dmoret r i c k sw i t hb i l l so fexchangeando t h e rp i e c e so fp a p e rt h a t r i t y,whop e o p l eone a r t hmoreo b s e s s e dw i t hc o u n t i n gand r e p r e s e n t e dmoney- -nop c o u n t i n gandc o u n t i n g . "( C r o s b y7 4 ) 7 . クロスピー以外に、以下の論考が本論を書く上で『コリオレイナス j執筆時のシェ イクスピアが遭遇したであろう、イングランドにおける経済的要因の変化と数量的 世界観の出現について示唆を与えてくれた。スティーブン・クー卜 ( S t e p h e nC o o t e ) の概説書、『シェイクスピア. コリオレイナス.1 ( S h a k e写peareC o r i o l a n u s )の. rコリオ. と1 7世 紀 の 政 治 J ‘ (S h a k e s p e a r eandt h eS e v e n t e e n t h c e n t u r yP o l i t i c s ') レイナス J は、ロンドンの劇的な人口増加などの経済的、人口学的要因を加味しつつ、ローレ. wrenceS t o n e )の「貴族の危機」説(“t h ec r i s i so ft h ea r i s t o c r a c y " ) ンス・ストーン(La を媛用し、この劇でコリオレイナスは当時の貴族の美徳、尊敬、名誉地位などを体 現していたのに、広場に赴き、投票を呼びかけることで貴族の美徳を危険にさらし. C o o t e9 0 )。また、シェイクスピアが創作していた頃のイ ていると指摘している ( ギリスでは、権式簿記が発明され、数学が尊ばれていたことをリンダ・ウッドブリッ ジ. ( L i n d aWoodbridge)が、『金とシェイクスピアの時代.1 (Moneyandt h eAgeof. Woodbridge2 7 )。 S h a k e s p e a r e ) のイントロダクションで詳説している (. r. 8 . コリオレイナス』の最後の場面について、私が 2 0 0 4 年に東京で劇団昂が上演をした 『コリオレイナス』を観た後のポスト・ショウ・トークで、演出家の村田元史に「な ぜ、原作とは異なり、死んだコリオレイナスをハムレットの死体を運ぶときのよう に舞台上の登場人物たちで抱え上げ、. 十字架を連想、させる体勢を取らせ、退場させ. たのかーと質問した際に、「原作通りでは、幕を降ろせないから、あのような演出を した」という返答を得た。俗に問題劇と呼ばれる劇と同様になんとも後昧の悪い、 しかもアンチ・クライマティックな終わり方をする原作の設定を、演出家自身も居心 地の悪さを感じて避けたという事実を確認できたのは大きな収穫であった。 また、蛤川幸雄演出の『コリオレイナス.1 ( 2 0 0 7 ) では、唐沢俊明が最後の場面で 大立ち回りをした後、流血の中引きつけを起こしながらもさらに戦いを続けようと する生命力あふれるコリオレイナスを演じていた。私としては、クーデターのよう に突発的に、しかもほとんど無反抗のうちに殺害されるコリオレイナスを想像して いただけに、意表を突かれた思いがしたことを付記しておく。. -84-. (25).

(26) 『コリオレイナス Jにおける貴族主義と市場の論理の相克藤津. 考文献. Auden,W.H . LecturesonShakespeare. E d .A r t hurK ir s c h .P r i n c e t o n :P r i n c e t o nU n i v e r s i t yP r e s s,2 0 0 0 . ] o n a t h a nandC h r i s t o p h e rB r o o k s .e d s . TheMiddlingS o r t0 1People:Culture,So B a r r y, c i e t yandP o l i t i c si nEngland1 5 5 0 1 8 8 0 . L ondon:Macmillan,1 9 9 4 . a l p h . ShakespeareandS o c i a lC l a s s .A t l a n t i cHi g h l a n d s :H u m a n i t i e sP r e s sI n Berry,R 9 8 8 . t e r n a t i o n a l,1 B u l l o u g h,G e o f f r e y .e d . “TheL i f eo fC a i u sM a r t i u sC o r i o l a n u s . "P l u t a r c h 'sL i v e s0 1the Noble G r e c i a n s andRomans. T r a n s .S i rThomasN o r t h .1 5 7 9 .Narratiν eandDra m a t i cS o u r c e s0 1Shakespeare.Vol .5 .Lon d o n :R o u t l e d g e& KeganP a u l,1 9 6 4 .5 05 4 9 . t e p h e n . ShakespeareC o r i o l a n u s . H armondsworth:Penguin,1 9 9 2 . Coote,S 1f r e dW. The Measure 0 1Rωl i t y :Q u a n t i f i c a t i o n and W e s t e r nS o c i e t y ,1250ー Crosby,A 1 6 0 0 . C ambridge:CambridgeU n i v e r s i t yP r e s s,1 9 9 7 . ‘C o r i o l a n u s ' andt h eBodyP o l i t i c . "Shakespeare Survey 2 8( 19 7 5 ) Gurr,Andrew “ 6 3 9 . Leinwand,TheodoreB ‘ Shakespeareandt h eM i d d l i n gSor t . ' Shakespeare Quarterly 44 ( 1 9 9 3 ) .2 8 4 3 0 3 . Shakespeare, W i l l i a m .C o r i o l a n u s .E d .P h i l i pBrock 王b a 此 n 叫 1 也 k ι . .L 加 o 吋 r n 吋 l d叩 on :Met加 h I 川 I u 犯 e 引 悶削 凹 n,1 仰 97 6 . ι ι Cor 円i o α l ωnu 削 4 s .E d . R .B .Parker .O x f o r d :OxfordU n i v e r s i t yP r e s s,1 9 9 4 in d a .e d .Moneyandt h eAge0 1Shakespeare. NewYork :P a l g r a v eMacWoodbridge,L 0 0 3 m i l l a n,2 Wooton,D a v i d .e d . DivineRightandDemocracy:AnAnthology0 1Political Writingi n S t u a r tE n g l a n d . Lo n d o n :Penguin,1 9 8 6 . 一一一一一一一一一一一一一一. “. (26). -83-.

(27)

参照

関連したドキュメント

問についてだが︑この間いに直接に答える前に確認しなけれ

存在が軽視されてきたことについては、さまざまな理由が考えられる。何よりも『君主論』に彼の名は全く登場しない。もう一つ

tiSOneと共にcOrtisODeを検出したことは,恰も 血漿中に少なくともこの場合COTtisOIleの即行

これは基礎論的研究に端を発しつつ、計算機科学寄りの論理学の中で発展してきたもので ある。広義の構成主義者は、哲学思想や基礎論的な立場に縛られず、それどころかいわゆ

 

弊社または関係会社は本製品および関連情報につき、明示または黙示を問わず、いかなる権利を許諾するものでもなく、またそれらの市場適応性

以上の基準を仮に想定し得るが︑おそらくこの基準によっても︑小売市場事件は合憲と考えることができよう︒

⑥同じように︑私的契約の権利は︑市民の自由の少なざる ⑤