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日本文の「読み」に見出される諸問題の史的検討 : 日本文の「読み」に関する実験的研究 ; 1

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(1)日本 文 の『 読 み』 に見 出され る諸 問題 の史 的検討. (1) 2θ θ. 茂. 読 み﹄ に見出 される諸 問題 の史的検討 日本文 の ﹃ ︱︱ 日本文 の ﹃ 読 み﹄ に関す る実験 的研究 ・第 III. 伴. 、 これ.  日︱”♪ 88年、 弘文堂 、0 、大伴茂 ﹃天 才児 の研究﹄ HI×9 8ぁ年 、平凡社、② 、大伴茂 ﹃日本天才児 の心 理学的研究﹄、. 。 ︵ 注0、大伴茂 ﹃日本天 日本 天才 児 に関 す る実 証 的 研究 であ り、 そ の2 は ﹃日本 国字 に関 す る実 験 的 研究 ﹄ であ った. 、 私 は教 育 学徒 と し て、 日本 文 化 の真実 の建 設 と 発展 のた め に、 二 つの問 題 に生 涯 の関 心 をも って来 た が そ の1は. 工作 の 一つと し た。. を 近 代 教 育 にお け る極 め て重 要 な 問 題 の 一つと し 、 進歩 的 政 治 家 はま た これ をも って文 化 建 設 な いし 文 化 革 新 の基 礎. の問 題 は 人類 の進 歩 、 民族 の興隆 、 国 運 の発 展 に大 いにか か わ り をも つも の であ ると し て、特 別 の関 心 を も ち. 、 ﹃読 む ﹄ と いう こと が、 個 人的 、 民族 的 に、 生 活 的、 文 化 的 に、 如 何 に重 要 な役割 をも つも の であ るか は あ ら た 、 め て述 べる ま でも な いが、 こ の こと は当 然 に心 理学 者 や社 会 学 者 の注 意 を 促 がす と ころ と な り 、 特 に教 育 学 者 は こ. 究﹄として発表するも のである。. 読み﹂における眼球運動 の撮影記録 による実験的研 漢字かなまじり文 の ﹁ 設す るアイ ・ムーヴ メント ・カメラを使用し ﹃. 諸問題の史的検討﹄であり、第Ⅱ研究は、この史的検討から見出す ことの出来た問題を、甲南女子大学心理学研究室に特. 読み﹂ に見出される ﹃日本文 の ﹁ 読み﹂に関す る実験的研究﹄は、二つの研究から成る。第I研究は本論文 ﹃日本文 の ﹁. 大.

(2) 才 ﹂ 、 HI 圏 ” 手 ① ” oa ︻ ●” R 日 輿 一∽ R ︶ 納①︻①ユ ﹁ R 日 ∽ HI 〓 P ヽ 8 は ヽ. HS N年 、 青 山 書 店 ︶ 四 、 大 伴 茂 ︱ > り 同 x ︻い ヨ ①ユ 巴 R ﹃罵 お 器. 、 8 2 年 、 第 0 東 洋 図 書 株 式 会 社 ︶ 1 章. 望 邑 く R c ユ お ﹃∽一 ぞ. ﹁①●8 房. す. ﹃教 育 科 学 原 論 ﹂、 H 1 8 o. 日 a ① げЧ く 鶴 ︻o房. 同 、 大 伴 茂. 〓 2 ①8 8 お o r一 8 ”p. 諄 ① 同冠 R. し か る に ﹃日本 文 ﹄ の ﹃読 み﹄ に つい ては、 少 な くとも ﹃日本 文 ﹄ に使 用 さ れ る ﹃国字 ︵ す なわ ち 漢 字 、 か な 、 ロ ー マ字 な ど ︶ の各 々個 々﹄ の ﹃読 み﹄ に つい て検 討 され る だ け でな く 、 これ と と も に、 これ ら の国字 を も って表 記 さ れ た ﹃日本 文 ﹄ ︵ す な わ ち 漢 字 か な ま じ り 文 、 か な文 、 ロー マ字 文 な ど ︶ の ﹃読 み﹄ 、 それ か ら ﹃縦 読 み﹄ と ﹃横 読 み﹄ 、 そ の上 に文 語 体 と 国語 体 の ﹃読 み﹄ が検 討 さ れ なく ては な ら な い であ ろ 。 う これ が た め に、先 ず 、 日本 民族 が そ の文 化 の生 長 と創 造 に努 め て来 た千年 に 余 る生 活 のうち に、 史 的 検 討 を 試 み、 こ の検 討 か ら 幾 つか の国字 の ﹃読 み﹄ に関 す る重 要 問 題を 見 出 し す こと にし た 。 い. 漢字 の渡 来 と 日本 語 の表 記. 先 ず 漢 字 であ る が、 日本 に使 用 さ れ る漢字 は 、 日本 の国字 であ って、 中 国 にお け 漢 る 字 と は ︵そ の形 態 は同 一であ っても ︶ いろ いろ の点 で同 一のも の では な い。 1  漢 字 が 日本 の国字 と な った最 初. な いが、 それ なら ば それ. 国字 と し て の文字 は な か った の であ ろ. それ は漢 字 が中 国 か ら 渡 来 し 、 日本 人 が これ を使 用す る よ う にな った時 と し な け れ ば なら う か。 こ の こと に つい て考 え さ せら れ る のは、 神 代 文字 と いう も の. であ る が、南 北 朝 時 代 に忌部 正道 は、 象 形 だと説 明 し ヽ. ま で には 日本 には漢字 が な か った の であ ろう か 。 漢字 にか ぎ ら ず 、 他 に何 ら か. (2)ゴ θ9 茂. 伴 大.

(3) た が、 江戸時 代 平 田篤 胤 は、 実 物 す なわ ち 日文 な るも のを 示 し てそ の存 在 を主 張 し た。 けれ ども 国 学 者 賀 茂 真 淵 や本. 居 宣 長 は そ の存 在 を 否 定 し た。 5 ・6世 紀 に出来 上 った中 国 の史 書 ﹃隋 書 倭 国 伝 ﹄ には 、 日本 には ﹃文字 な し、 ただ. う。. こ、 と にか く朝 鮮 か ら 、   日本 の支 配者 階 級 へ、 し 、 こ の ころ ︱  漢 字 が渡 来 し て来 たと いう こと だ け は考 えら れ ると 思 ︲. 、 更 に博 士 王 仁 が来 朝 し 、 6年 OS年︶ 5   こ の時 ﹃論 語 ﹄ や ﹃千字 文 ﹄ 卜 年︶年 に百 済 の学 者 阿 直 岐 が来 朝 し、 翌 1 ・ S∞   こ の事 実 の 真 偽 は第 二と ﹃日本書紀﹄、﹁ 古事記し。 が伝 えら れ た いう と いう こと を注 意 し な ければ な ら な い であ ろ う ︵. 。 てよりも 、 それ を 日本 人 が如 何 よ う に取 入れ、 如 何 よう に国字 と し て使 用 し たか を 討 究 す る こと であ る か く て応神. と ころ が こ こ で問 題 と し な け れ ば なら な い のは、 こう し た 日中 交 通 の事 情 から 考 えら れ る、 漢字 渡来 の時 期 に つい. 。 見 ると 、 す で に早 く中 国 と の交 通 があ り、 この交 通 から こう し た漢字 をも った遺 品 が 見 出 さ れ る のだと いえ る. 東 大 寺 山古墳 か ら 見 出 さ れ た ﹃漢 中 平紀 年 銘太 刀﹄ の こ の中 平 は、 2世 紀 末 の年 号 であ る が、 以 上 の2、 3 の例 から. 。 1世紀 の中 ご ろ であ った。 これも す でに漢字 が 日本 には い って いた証 拠 とも な る であ ろ う ま た 、 3、 天 理市 礫 本 の. 委 奴国 王 ﹄ の金 印 は、 光 武 帝 の中 元 2年 に 日本 か ら 中 国 に い った使 者 がう け た印 綬 であ ると いわ れ て いる が、 これ は. う か は分 ら な いが、 こう し た漢字 が貨 幣 と とも には い って いたと は いえ る。 2、 九 州博 多 湾 の突端 で発 見 さ れ た ﹃漢. 貨 泉 ﹄ の 二字 があ る。 こう し た文字 は そ の頃 の 日本 人 が 一般 に使 用 し たか ど あ る が、 この表 面 に象 書 で鋳 込 ま れ た ﹃. この点 に つい ては、中 国 と の交 通 を 見 れば 、 1、 す で に弥 生 式時 代 ︵ 1世紀︶の出 土 品 中 に、 王 芥 の鋳造 し た貨 幣 が. であ ろ う。.   一部 のも の に は、漢字 が伝 わ って いたと いえ る かも 知 れ な い る と 、 この ころ に 日本 の全 部 的 に ではな いが局 所 的 に、. が、 更 に同書 に は、 ﹃仏法 を敬 す 、 百済 にお いて仏 経 を 求 得 し 、始 め て文字 あ り ﹄ と いう 旨 が 記載 され て いる のを 見. 木 を刻 み、 縄 を 結 ぶ のみ﹄ と 、 記 載 され た の で、 そ の記 載 から す れ ば 、 日本 には何 ら の文字 も な か ったと 考 えら れ る. 日本文 の『読み』 に見 出され る諸問題 の史的検討 ヨ98(3).

(4) (4)ヱ θ2' 茂 伴 大. ︲ ︰ つい で6世 紀 に は、 百 済 か ら 五経 博 士 が来 て いるc 五経 博 士 と は ﹃易,経 ﹄ ﹃詩 経 ﹄ ﹃書 経 ﹄ ﹃春 秋 ﹄ ﹃礼 記 ﹄ の五. 経 に精 通 し た学 者 の こと であ る が、 6世 紀 の中 ば ころ に は、 こ の上 に易 博 士 、 暦 博 士 、 医 博 士 が来 日し た。 これ ら に. よ って儒 教 の影 響 が少 な か ら ぬも のが あ った こと は事 実 であ る。 恐ら く 日本 人 のうち にも 、 これ ら の典 籍 を 読 み、 そ. し て 理解 す るも のが そ の数 を 増 し て来 た にち が いな い。 し か し 、 私 ども の大 切 な 討究 は、 こう し て学 習 し た漢字 を、 た だ受 け容 れ る だ け でな く 、 日本 国字 と し て使 用 し て来 た こと に つい て であ る。 2   ﹃古事 記 ﹄ 、 ﹃日本 書 紀 ﹄ の漢字 によ る表 記 ︱ ︱ これ を 如 何 よ う に読 む か︱︱. 3世 紀 ご ろ に つく ら れ た ﹃魏 志 倭 人 伝 ﹄ η三国史し は、 日本 の こと を書 いて いるが、 これ は中 国 人 の手 によ って書. か れ たも の であ る。 5世 紀 ご ろ に つく ら れ た金 石文 を 見 ると 、 これ も 中 国 人 ではあ るが、 帰 化 し た 人 たち の手 にな る. も の のよ う に思 わ れ る。 と ころ が 7世 紀 に書 かれ た聖 徳 太 子 の ﹃法 華 義 疏 ﹄ や ﹃十 七条 憲 法 ﹄ な ど は、 太 子 みず から. が 漢 字 によ って書 か れ た著 明 な 述 作 であ る。 し か し な お 漢 文 の形 で書 か れ たも の で、漢字 を 使 用 し て 日本 語 そ のも の を そ のま ま に語順 に表 記 す ると いう の ではな か った。. し か る に8世 紀 に は いり 、 和銅 5年 貧に年︶、 ﹃古事 記 ﹄ の成 立 によ って、   漢字 が国字 と し て の漢字 と な った こと. を 見 のがす こと は出 来 な い。 こ の時 に使 用 さ れ た漢字 は、 も ち ろ ん中 国 の漢字 にはち が い はな いが、 これ ら の漢字 は. 国 字 と し て使 用 さ れ た の であ る。 ﹃古 事 記 ﹄ は稗 田阿礼 の誦 む と ころ の古 代 から の旧辞 を 、 太 安 萬 呂 が そ の物 語 る そ. のま ま を漢字 で表 記 し た のだと 伝 えら れ て いる が、 こ の ﹃古 代 か ら の旧辞 ﹄ が、 漢字 をも って表 記 さ れ た の であ る。. 例 え ば 、 上 巻 のは じ め の ﹃天地 のは じ め の時 、高 天 の原 に な り ま せ る神 の御 名 は⋮ ⋮﹄ は ﹃天地 初 発之時 、於 高 天原. 成 神 名 ⋮ ⋮﹄ と 洪 字 ば か り で書 き あ ら わ さ れ 、   →した が って こ の漢字 表 記 を、あ め つち のはじ め の時 、 高 天 の原 にな. り ま せ る神 の御 名 は ⋮ ⋮ と 読 み︶ 、 ま た速 須之 男 の須 賀 の官 作 り の時 の歌 ﹃やくも た つ、 いづも や え がき 、 つま ご み.

(5) 日本文 の『読み』 に見 出され る諸問題 の史的検討. ︰ . ︲ 、 . . 、 , のや え が きを﹄ と い の ,や え が き つく る、 に、 う を 、 漢字 ば か り で、 ﹃夜久 毛 多 都 、 伊 豆毛 夜 弊 賀 岐 都 床 碁 彼 面 そ. 夜 弊賀 岐 都 久 流 、 曽 能 夜 弊 賀 岐 衰 ﹄と表 記 さ れ た ︵し た が って こ のよ う に表 記 さ れ た こ の歌 を ﹃やくも た つ⋮ ⋮﹄ と. 苦 心 が いる こと は いう ま でも な い。.  相 当 に かし こう表 記 され たも のを 読 む と いう こと にな ると 、 表 音 の と ころ と表 意 のと ころ と が ま じ って いる の で、. は、堂 々た る 四六 辟 側 体 で書 か れ ているが、 これ は中 国 に行 なわ れ て いた諸 書 仏 典 な ど を 参 考 にし た の であ ろ う 。 し. れ ば な ら な か った こと を 記 し て いる のであ る が、 そ の苦 心 と努 力 はわ か る。 殊 に ﹃古事 記 ﹄ に収 め ら れ た上表 文 な ど.  併 用 し な け じ と 述 べて いる よ う に、 表 音 法 と表 意 法 と を 併 用 し た 理由 を 明 か にし 、 大塚竜夫 ﹃ 古事記全釈、序 、馬IH. 植松安、 の文が更に長くなります。それ で今 、或は 一句の中に音と訓とを混用したり、或は 一事をす べて訓 で書 いたりしました﹂︵. しますと、詞にあきたらぬ所があります。又全部を字音 にして仮名 のみで述 べますと、 字数が多くな って、 訓によ ったのよりも其. 思想もとも に素朴 でありまして、文章として書きう つします には、 誠に書きとりにくくあります。 悉くこれを字訓のみで記そうと. 、或 一事之内 、全以レ 上古の世 には言葉も 訓録﹄と述 べているように、すなわち ﹃ 用書訓 一 者、事趣更長。是以今 、或 一句之中、交上. 心。全以上国連 逮レ 字即難。巳因レ 文構レ 句、於レ 訓述者、詞不レ 記﹄ の筆 者 は、 そ の序 にお い て、 ﹃ 然、上古之時 、言意並朴 、敷レ. 、 読 み手 には煩 鎖 な こと であ る 。 4は、 例 え ば 最 初 にあ げ た例 のよ う に 漢 字 では、 子 懐 能 多 伽 機 耳 ﹄ と 表 記 さ れ るが、 、 ﹃古事 では表 記 さ れ て いる が、 表 音 式 の表 記と、 表 意 式 の表 記 と がま じ えら れ て いる点 であ る。 こ の こと に ついて. 朝 日新聞社版︶ の 一部 が︶ 、 ﹃古 事 記 ﹄ ︵ 古訓古事記︶では ﹃克 田高 城 に﹄ と いう のを ﹃宇 陀 能 多 加 紀 雨 ﹄ 、﹃日本 書 紀 ﹄ ︵. 神 武 天皇 が オ ト ウカ シ の宴 にお い て歌 わ れ た歌 詞 日本 の こと ば の音 符 と し て使 用 さ れ た。 し か し 、 3 同 じ こと ば が ︵. 、 ろう。 2 は、 例 えば 右 にあ げ た歌 謡 のよう に、 あ り のま ま に 一字 一語 で表 記 し た点 であ る。 こ の場 合 は 漢字 は全 く. 旧辞 ﹄ を 漢 字 で表 記 さ れ たと いう 点 で、 これ は上 代 日本 民族 の驚 異 す べき知 能 的 な着 眼 と 努 力 であ ったと いえ る であ. 読 む の であ る。 ︶ し か る に、 こ こ で次 のよう な点 が注 意 さ れ な けれ ば なら な い。 1 は、 先 ず このよう に ﹃古 代 から の. (5) コ9δ.

(6) (6)コ 95 茂 伴 大. こ こ であ る、 な ぜ こ の時 に、   一字 一語 と いう 表 音 法 一本 で終 始 し な か ったかと いう 点 であ る。 今 日 のよ う な文 化 の 複 雑 にな って来 た時 に は、 日本 の こと ば を今 にわ か に表 音 法 一本 に、 き りか え ると いう こと に は、殆 ん ど手 が つけら れ な いと 思 わ れ る ほど の困 難 が あ り 得 る であ ろ う が 、 千 何 百 年 の昔 と し てみれば 文 化 内 容 も 今 日 のよ う に複雑 ではな か った であ ろ う か ら 、 思 いき って、 漢 字 を国字 と し て、 表 音 一本 で ﹃古事 記﹄ と いう 国 書 を書 き得 た こと であ ろう と 考 えら れ る。. ﹃ 古事 記﹄ の成 立 よ り お く れ る こと 8年 貧8年︶、 大 著 ﹃日本 書 紀 ﹄ が編纂 され た が 、 ﹃日本 書 紀﹄ も 、 ﹃ 古事 記﹄ と 同 じ よ う に、 漢字 を も って表 記 され 、 そ の表 記 法 も 、 漢 文 体 の表 意 法 を主と す ると と も に、 歌 謡 は 一字 一語 で表 記. さ れ て いる。 編 纂 にあ た って は、 総 裁 が舎 人 親 王 、 これ に吉 備 真 備 や阿 倍仲麻 呂 な ど の中 国 留 学 を終 え て帰 朝 し た人. 々が つづ き 、 殊 に編 纂 の史 官 に は帰 化 人 たち が いた の であ る か ら 、 ﹃日本書紀﹄ の記 述 に、 表 意 式 の漢 文 体 が多 く 用. いら れ た のは当 然 だ ったと いえ る かも 知 れ な い。 し た が って これ を 読 む場合 には、 や は り漢 文 体 の ﹃ 読 み﹂ と、   一字 一語 の表 音 式 の ﹃ 読 み﹄ と を も た ねば なら な い こと にな る。 宣 命 ﹄ の漢 字 によ る表 記 3  ﹃ ︱ ︱ これ を 如 何 よ う に読 む か︱ ︱. し か る に こ こ に、 漢 字 を 使 用 す る が、 し か し 同時 に こ の漢字 を 全 く表 音法 に適 用 し て、 日本 語 を そ の語 順 に表 記 し. た いわ ゆ る宣 命 を 注 意 し てお き た い。 こ の表 記 法 は、 1 は、 ﹃ 古事 記﹄ や ﹃日本 書 紀 ﹄ と 同 じ く、 漢字 を 使 用し て い. る こと で、 2 は、 日本 語 を そ の語 順 に表 記 し て いる こと であ り ︵これ が特 に注 意 す べき 点 であ る︶、 3 は、 日本 語 の. 特 質 の ﹃て にお は﹄ を 、 多 く の場 合 、 小 文字 で 二行 割 注 にし て表 記 し て いる こと であ る。. これ を 普 通 に ﹃ 宣 命 体 ﹄ あ る いは ﹃ 宣命 書 き﹄ と いう の であ る が 、 文武 天皇 即位 の用 と いわ れ る宣 命 6鶏4︶ の 一 ・ ⋮ 部 を次 に例 示 し よ う 。.

(7) 日本文 の『 読み』に見 出される諸問題 の史的検討. 194(7). 現御神止大八島国所知天皇大命麒麻詔大命乎、集侍皇子等王臣百官人等天下公民、 諸聞食止詔。 高天原商事始而遠天皇祖御世中 今至醐氏天皇御子之阿礼神乃御子随母夫坐神之依之奉之随、此天津 日嗣高御坐之業上現御神止大八島国所知倭根子天皇命授賜止負 賜布貴重口 同支広支厚支大命乎受賜利恐坐氏此乃食国天下乎調賜比平賜■ ⋮︰. こう し た宣 命 体 の文 章 は これ を、 ﹃日本 書 紀 ﹄ に つづ い て つく ら れ た ﹃ 続 日本 紀 ﹄ に見 出 す こと が出来 る。 宣 命 は、 日本 語 を そ の語 順 に表 記 し て いる の で、 漢字 を読 ま ねば な ら な いが、 し か し 日本 語 の語 順 に読 ん でゆ け ば い いわ け であ り 、 ほ んと う を いえ ば 、 ﹃ 記紀﹄ よ り も よ り筋 のと お った表 記様 式 と いえ る。 4   ﹃万葉 集 ﹄ と ﹃ 万葉 がな﹄ ︱ ︱ これ を 如 何 よう に読 む か︱︱. と ころ で8世 紀 の後 半 に ﹃万葉 集﹄ が成 立 し、 ﹃ 万 葉 集 ﹄ 二十 巻 に収 め ら れ た歌 は合 計さ 8 首 、仁 徳 天皇 皇 后 の歌. と いわ れ るも のか ら 、  天 平 宝字 3年 の歌 が集 めら れ て いる。  そし てそ の 全 部 が漢字 によ って 表 記 され た ︵ す なわち 音 と 訓 と で表 記 さ れ た の であ る。 ︶. この音 で表記される分は、 ﹃ 万葉がな﹄で表記されたのであるが、  この ﹃ 万葉がな﹄ は大野晋の調査 によると、 ﹃ 古事記﹄ ﹃日 本書紀﹄ ﹃ 万葉集﹄を通じて 喝∞になるという。 ︵ 大野晋編 ﹃ 万葉仮名 一覧﹄、 岩波講座 ﹁日本文学史﹂第二巻、古代 、小松茂美 7転載︶ ﹃かな﹄岩波新書 、3. し た が って これ を 読 む に は、相 当骨 が折 れ る。 次 節 に ﹃ 古 今 和歌 集﹄ と 対 比 し て、 この点 に論 及す る であ ろ う 。. 一一   か な の発 生 と そ の使 用. 漢字 を利用し て、国書 ﹃ 古事 記﹄ や ﹃日本書紀﹄ をあれだけすばらしく書 き上げ た 日本上代 人 の驚異す べき着 眼と.

(8) (8)19θ 茂. 伴 大. ぃ , 、 ﹃ 奈 努 力 を 認 め ると と も に へこれ は 8世 組 のは じ み 噴 であ つた が ︶ 、 0 古 今 和歌 集 ﹄ が撰 集 され、 ︵ 1世紀 には いり. 平 が な﹄ を 使 用 し て︶、 全 良 時 代 に発 生 し平 安 時 代 に入 ってか ら も 使 用 さ れ た ﹃万 葉 が な﹄ から 更 に変 形 発展 し た ﹃. 巻 二 8 首 の和歌 を 表 記 し て来 た 日本 民族 の、 更 に驚 異 す べき 創 意 と努 力 をも 認 め な く ては なら な い であ ろう。 そ こで こ の ﹃平 が な﹄ ﹃ 片 か な﹄ の発生 を 少 し く 見 る こと にし よ う。. ﹃万 葉 が な ︵す なわ ち 真 が な ︶ と平 行 し て、 万 葉 が な を 略 体 化 し た草 がな ︵ 当時 は ﹁そう ﹂ と よば れ た︶ が徐 々に. 発 生 し てき た。 そし て、 それ は さら に大 胆 に書 き く ず さ れ 、 も と の万 葉 がな の姿 さ え 見 当 の つか ぬ ほど に変 形 し 、今. 小 日 で いう 平 が な が つく り 出 さ れ た の であ る。 ま た、 別 の方 向 か ら 、 万 葉 がな の 一部 を と った片 か なも 生 れ た。 ﹄ ︵ 4︶ 松茂美 ﹃かな﹄岩波新書 、6. 大野並 こ の簡 明 な ﹃か な﹄ 生 成 の述 作 と なら べて、 も 一つ簡 明 な述 作 を 、 ﹃日本 語 の年 令 ﹄ ︵ 3 か ら摘 録 す る こと に. し よ う 。 ﹃こ のお 経 の ︵ 奈 良 時 代 にま でにお 経 の点 本 ま た古 点 本 と いう のがあ った が、 正確 な記 録 の残 って いる の で. は 天 長 5年 の 3跳年︶ ﹃ 成 実 論 ﹄ であ ると 著 者 は指 摘 し ︶読 み の振 が な が片 か な の起 り であ る。 これ は奈 良 の法 相 宗. 早 く書 き た い o 同書い 三論 宗 華 厳 宗 の僧 侶 の間 か ら 始 ま り 、 万 葉 が な を省 略 し て書 く のが出 発点 と な って いた。 ﹄ ︵ じ ﹃. 一心 か ら 生 ま れ た こ の略 体 のか な は、 お経 を 読 み、 漢 文 を 訓 み 下 す 補 助 の文字 であ るだ け でな く、僧 侶 の間 では文章. を書 き お ろ す にも 使 わ れ る よ う にな って いた。 ﹄ ︵ 奈良時代末期から平安時代 にか 同書88 ﹃し か し貴 族 社会 の女 たち が ︵.  や はり 歌 や手 紙 を書 く 文字 が欲 し か った。 学 ぶ にや けての︶、 恋 の手 紙 や歌 の やり と り を し な か ったわ け では な い。. さ し く 、 楽 に書 け る文 字 が 作 り 出 さ れ ねば な ら な か った。 こ こ では漢字 が規 範 と し て控 え て いる こと も な い。 実 用 に. 便 利 で、 見 た 目 に美 し く あ れ ば よ い。 こう し た時 に登場 し た の が、 奈 良 朝末 の万 葉 が な の手 紙 に使 わ れ て いた、 く ず し た簡 便 な文字 の流 れ であ った。﹄ ︵ o 同書N 81N じ.

(9) 日本文 の F読 み』に見 出され る諸問題 の史的検討. 92(9) lヨ.   漢 字 か な ま じ り 文 の生 成 と そ の 発 展 〓一 ︱ ︱ これを 如 何 よう に読 む か︱︱. 読 み﹄ の対 比 平 が な使 用 ︶ の ﹃ 古今 和 歌 集 ﹄ ︵ 読 み﹄ と ﹃ 万 葉 が な使 用 ︶ の ﹃ 1   ﹃万 葉 集﹄ ︵ 、0 、 のは じ  最初 は私 的 な仮 り の 文字 と さ れ て いた のが  前 節 で述 べた よう に   1世 紀 新 し く 発生 し て来 た平 が な は、 、 P 8首︶ の撰 集 にあ た り  大 び ら き って 使 用 さ れ る よ う にな 万葉集﹄より後 の古今 の和歌H 古 今 和 歌 集 ﹄ G8年 、 ﹃ め、 ﹃ 新 撰万 葉 集 上巻﹄ で 、 っ に注 意 し な けれ ば なら な い。 寛 平 5年 3日年︶ に編 集 さ れ た菅 原道 真 の ﹃ 1 第 を 先 ず と こ た 古 今 和歌 集﹄ を き っか け に、 それ か ら後 はま だ 真 が な が 使 用 さ れ て いた のが、 それ か ら約 十 年 後 に撰 集 さ れ た こ の ﹃ っ 。 と し て、 そし て主 に出 た勅 撰 和 歌 集 は真 がな でな く、平 が なを 使 用 し て表 記 さ れ る よ う にな た 私 的 な仮 り の文字 、 る よ う にな った の と し て女 たち の間 に使 用 さ れ て いた平 が な が   こ のよう にし て 公 的 な勅 撰 和歌 集 に使 用 さ れ て 来 、 。 味 か ら だ け では な く 、 は、 ど う いう 理由 によ るも の であ ろう か これ は単 に か な の生 成 と そ の使 用 の拡 大 と いう 意 、、 、 、 、 、 、 、 、、、 、、 、 瀞じ め て 卜朴 獅 自 の文一 、 す わ か か 国﹁ の外生 ぃ 、 そ い発き ど ぅ の使 卜 の 拡 大 と いう 見 地 から 考 えら る べき であ ろ. ﹂ つ。 、 土 左 日記 ﹄ ︵承平5年 古 今 和歌 集 ﹄ の撰 集 から お く れ て0 3年 撰 集 者 紀 貫 之 が ﹃ 次 に第 2 に注 意 し た い の は こ の ﹃ 、 詞書 のす べて に平 が な が用 いら れ 、 こ の ﹃日記 ﹄ は か な ば 古 今 和歌 集 ﹄ の序 文 、 和歌 o8o 年︶を書 い て いる が、 ﹃. 、 が かり で書 か れ たと 考 えら れ る こと で ︵﹃日記﹄の自筆原本がないので、その立証は不可能 であるが この原本 の 一部を定家 、 こ し t 珈激 の 崚 れる︶ 臨書した断片が のこ っており、 定家 の長 男為家 の模写したものなどがのこ っているものから 推定さ ︲ ・う 。 記 だ け でな く 、 思 想 の表 記 にも 、 か な書 き をも ってし て ぃる こと でぁ る.

(10) (lθ )191′. 伴 大. 序と いう 、. 憲肇雲鮫嵯写. ︱. 年 のうちに春はきにけり0と出川引︱ ま川l こ﹁d刊酬︱ こdЫJ刊洲潤川 ︱. こ ⋮ ︲ 酔電社信 艇む れ紳驚勲熱︶とりょろふ ﹃. 川 山常庭村山有等取与 呂布︲. っ へ 勝は 鶴硫 ゎ 知 勢譴﹁ 規ゃ 大 ﹃ 古. 川 毛多都、伊豆毛夜弊賀岐︲. ませ なり る 御 神の 名⋮ ほ 枷 知鼈 旭卿 妖 初期高 抑 諏﹂ ﹃. 利洲刻d馴創ヨ劉翻冽﹁. 古事 記 、日本 書紀 より万葉集 、源氏物 語 にいたる ︵約 3百年間 ︶表記様式 の推移 8世紀初期 ︵ ﹃H ヽた 十︶ 古事 記. 8世紀後半 万葉集 引潤日釧月日引﹁ 古今 和歌 集. 古今. ︲. 倭歌集 平安時 の口 剤割刷到d ︵ ¶¶ ¶剣刷刃佃酬創馴Ⅶ団Ⅵコ州鋼﹁国剌﹁ ︲﹁川づ洲︲ % で割 属紀 0 くり 、 、 広 . . 、 ↑ の 在 て お 化 げ り 文 年 千 じ 面 華 が 0 2 3 見 渕 が OⅣ 利o 陰 の 割 橘 写 を と , 保氏物 語河内本 、写本 、鎌倉 時代 のも の. そ こ で こ の点 に つい て、 今 述 べて来 た ﹃  さ き に述 べた ﹃万葉 集 ﹄ と の、 表 記様 式 を 比 べて見 る 古今 和 歌 集﹄ と 、 と 、 少 な か ら ぬ興 味 と新 たな 意 味 のあ る こと に気 付 く であ ろう 。 ﹃万 葉 集﹄ にお い て、 そ の表 記様 式 に多 大 の苦 心 が 払 わ れ た こと は、 容 易 に知 る こと が出来 る の であ る が、 和 歌 一つを 例 にと っても 、 ﹃ 古事 記﹄ の ﹃やぐも た つ⋮﹄ に お け る よ う な 表 記 法 と ち が って、 ﹃万葉 集 ﹄ の和 歌 の表 記 は表 記 法 と し ては不徹 底 であ り 不明快 であ ると指 摘 せざ. る を得 な い。 例 えば 、 天皇 が香 具 山 に登 り て望 国 さ れ た時 の御 製 の歌 ﹃やま と には、 む ら やまあ れ ど、 と り よ ろ ふ⋮.

(11) 日本文 の『読み』に見 出される諸問題 の史的検討 ゴθθ (ゴ 1). ⋮﹄ と いう のを 、 ﹃ 山 常 庭 、 村 山有 等 取与 呂布 ⋮ ⋮﹄ と 書 きあ ら わ さ れ て いる が、 ︵ 佐 々木信綱 ﹃ 定本万業集﹄︶ ﹃ゃま. と には﹄ を ﹃やま と﹄ の ﹃やま ﹄ が ﹃ 山﹄ と いう 漢字 、 ﹃と﹄ と いう のが ﹃ 常 ﹄ 、そし て ﹃に は﹄ が ﹃庭 ﹄ と いう漢字. で書 きあ ら わ さ れ て いる。 し た が って これを読 む 場 合 に は、   一通 り でな い苦 労 が いる。 これ を ﹃ 古事 記﹄ にくら べる と 、奇 妙 な表 記 法 にな って いると いわ ねば なら な いし 、 ま た それ を 読 む には複雑 なも のがあ ると いわ ねば なら な い。 しか る に ﹃ 古 今 和 歌 集﹄ では、 そ の収 録 され た〓 8 首 の和歌 は いう ま でも なく、 序 文 、 詞書 が、 す なわ ち 思想 的 な面. ま でが、殆 ん ど か なば か り で表 記 され て いる の であ る。 これ は ﹃ 平 が な使 用 の表 記 法 ﹄ と し て の 一段 の発 展 であ った. と いわ ねば なら な い であ ろ う 。 か く て漢字 か な ま じ り 文 の大 作 ﹃源氏物 語﹄ の出 現 を 見 る。 2   ﹃源 氏 物 語﹄ ﹃ 枕 草 紙﹄ な ど の出 現. 前 節 ︵ヨ ﹄及び F 菖 ︶にお い ても 述 べたよう に、 8世 紀 初 期 に ﹃ 古事 記﹄ や ﹃日本 書 紀 ﹄ 、 そ の後 半 に ﹃ 万 葉 集﹄ が出 た が、 何 れ も 漢字 のみ の使 用 の表 記法 であ った のが 、 0世紀 には いると 、 漢字 の他 に新 し く 日本 で つくら れ て来 1 た平 がなを 使 用 し た、 ﹃ 古 今 和歌 集﹄ や貫 之 の ﹃ 土 左 日記﹄ な ど が出 て来 た。 漢字 か な ま じ り文 の颯 爽 た る出 現 であ 1世 紀 の初 頭 にな り 、 ﹃源氏物 語﹄ 五十 帖 る。 そし て 1 四 が出 た が、 ︵ H o 8年IH o 8年と いわれ ている︶ま さ に漢字 か なま じ り文 の代 表 的 な 大 作 であ る。. 約0 1カ年 を か け て ﹃源氏 物 語 ﹄ が書 き 上げ ら れ たと いわ れ て いる が、 これ が世 にあ ら わ れ る や余 程 評判 にな った よ う であ る。  一条 天皇 や左 大 臣 道 長も 読 ん でお り η紫式部 日記し、それ から 0数 年 の後 に は、 4才 の少 女 が 五十 四帖 の全 1 1 巻 を求 め、 昼 も 夜 も 読 み ふ け ったと いう 翁更級 日記し 。 読 者 層 が こ のよ う に皇 室 、 貴 族 か ら 、 年 少 のそれ も 少 女 に いた. るま でに及 ん だ のは、も ち ろ ん内容 がす ば ら し か った か ら であ ろ う が、 こ の貴 族 生 活 の生 々し い、豊 か な、 複雑 な実. 体 を、 見事 な文 で克 明 に心 理描 写 し、 し かも これ を のび のび と漢字 か なま じり で表 記 し た こと を 見 のがす こと は出来.

(12) (12)189 茂 伴 大. な い であ ろう と 思 う 。 同時 にま た こう し た物 語 は漢 字 か なま じ り 文 ではじめ て美 し くも う るお い多 く表 記 す る こと が 。. 出 来 た のだと いう こと も 見 のがす こと は出来 な い であ ろ う と 思 う. 、 ﹃源氏 物 語 ﹄ の第 一、 桐 壺 の巻 のは じめ が、 ﹃いづ れ の御 時 にか 女御 更 衣 あ ま た さ ぶら ひ たま ひ け る な か に いと. 、 、 や む ご と なき 際 にはあ ら ぬ が、 す ぐ れ て時 め き給 ふあ り け り﹄ ︵ ﹃源 氏物 語﹄ 河 内本 鎌 倉 時 代 の写本 ︶ であ る が. 古 今 和歌 集 ﹄ の和 歌 を 漢字 と か なと で表 これ でも わ か る よ う に、 漢字 か な ま じ り と い っても 、 さ き に い った よ う な ﹃. って. も ち ろ ん物 語 であ る が︶ それも 美 し く も ロ マンテ ィ ックな女 御 記 し ただ け のも の でな く、 宮 廷 の生 々し い実 生 活 が ︵. 桐 壷 の更 衣︱ 皇 子 出 生︱ 皇 子 三才 の時 更 衣 が世 を去 る︱ 皇 子 は 6才 ま で祖 母 に育 てら れ た が1 7才 の時 臣 籍 に下. 源 氏 と な る、 光 源 氏 が これ であ る︱ 左 大 臣 の姫 君 葵 の上 と結 婚 す る が︱ う ま く いか な い︱ 亡 き 母 によ く似 た藤 壺 の女 、 文 章 は漢 文. 。. 、 内容 がま た ロ マンテ ィ ック であ る から 、読者 は. 御 を ひ そか にし た う と い った書 き 出 し の首 巻 か ら 、 綿 々五十 四帖 の物 語 が つづら れ て いる の であ るか ら. のよ う なぎ こち な いも の でな く 、 読 む に容 易 な 上 に、 う るお い多 く. 広 く 。 そ の当 時 だ け でな く、 後 世 にま で長 く及 ん で いる の であ ろ う. 、漢字 な ど は多 く 使 用 さ れ な い で表 記 され. 読 み﹄ の魅 力 であ る。 今 日 のも のが読 む と な ると 、 こ こで考 え さ せ ら れ る のは、 第 1 に.漢字 か なま じ り 表 記 の ﹃ ﹃源 氏 物 語﹄ は古 典 であ る のゆ え に、 容 易 に読 め る と いう わ け でも な いが. 、 源氏 物 語﹄ と なら び称 せら れ る清 少 納 て いる の で、 広 く 読 ま れ た のも も っと も であ る。 漢 字 か なま じ り文 で こ の ﹃. 家 の裏 手 ︶あ ま り 心 よ き と 人 に知 ら れ た る人 ︵お あ な ど ら れ るも の︶ 家 の北 お も て ︵ 一 百 の ﹃人 にあ な づ ら ろ るも の ︵. 老 人 ︶ 又あ はあ は し き 女 ︵う わ ついた女 ︶ ついぢ のく づ れ ︵く ず れ た土 塀 ︶﹄ と いう よ 人 よ し ︶ 年 老 いた る お き な ︵.   そし て こう し た 漢 字 か なま じ り であ って こそ描 写 す る こと が 出 来 た のだと 思 わ れ  ま こと に読 み易 い、 う な筆 致 も 、 、 、 る。 第 2 に考 え さ せ ら れ る こと は、 こ こま で来 た漢 字 か な ま じ り 表 記 が な ぜも 一歩 は い って か な 一本 には いら な. 枕 草 紙 ﹄ でも 、 そ の他 当時 の か ったか と いう 点 であ る。 別 にか な 一本 には いら な く ても 、 こ の ﹃源 氏物 語﹄ でも ﹃ ︲女.

(13) 日本文 の『読み』 に見 出される諸問題 の史的検討 ヨ88(13). 流 の作 品 は 。何 れも 漢字 か なま じり表 記 で、 こ のよ う に成 功 し て いる のであ る が、 思 いき ってか な 一本 にし た方 が表. 記様 式 と し ては、 筋 が と お ったと 思われ る。 第 3 には、 これ は教 育 が何 と い っても 、 貴 族 と いう特権 階 級 の間 に限 ら. 、 れ て いた か ら で、 も し教 育 がも っと 一般 的 に、 いわ ゆ る教 育 の機 会 均 等 が行 なわ れ て いれ ば お そら く か な 一本 にま 。 、 では い ったよ う に思 わ れ る の であ る が こう し た偉 大 な女 流 作 家も なお教 育 の民衆 化 に つい て ここま では考 え な か. った のだ ろ う。 そし て第 4 には、 ま だま だ支 那 崇 拝 、 漢 文 謳 歌 の時 勢 であ った こと であ る。 3  漢 文 使 用 は依 然 と し て明治ま で つづ く. も ろ ん漢字 か なま じ り文 は、今 日ま で つづ い て来 て いる が、 漢字 は鎌 倉 時 代 か ら は可 なり衰 え た には衰 え た が、 ち 。 徳 川時 代 には いると 、 林 家 や伊藤 家、木 門 の諸 儒 、 狙 篠 な ど の名 儒 が続 出 し て旺 ん な るも のが見 られ た と り わ け て. 儒 教 政 策 が武 士 階 級 に そ そ がれ、 し たが って漢 文 ・漢 学 が重 要 視 され た。 武 士 階 級 の子 弟 には、 儒教 教 育 が主 と し て 、 、 素 読 ﹄ が強 要 さ れ た。 各 藩 には藩 校 が開 か れ て 行 な わ れ 、 し た が って0 1才 以前 には 論 語 孟 子 な ど の四書 五経 の ﹃   一般 の子 弟も教 導 さ れ た。 これ ら の教 育 にお い て主 と し て さ か ん な るも のがあ った が、 ま た随 所 に私 塾 が開 か れ て、. 。 用 いら れ た のは、 漢 書 であ った。 幕末 にな って来 ると 、 漢 文 で書 かれ た ﹃日本 外 史 ﹄な ど はず いぶん広 く読 ま れ た. 当 時 1年 に 1万 部 も 売 り さば かれ たよう であ る 。 ︵この こと は ﹃日本 外史 ﹄ 出 版 元 の河 内 屋 宛 の頼 支峯 の手 紙 によ る︶. その数は約 一千通、著者蔵︶を 見 る ま た こ の出 版 元 に各 藩 四方 の学 者 から寄 せら れ た 0 1数 年 にわ た る漢書 注 文 の手 紙 ︵ 外 史 ﹄ にか ぎ ら ず、 如 何 に多 数 の漢 書 が読 ま れ たか がう か がわ れ る。 と 、 ひと り ﹃. 心学﹄ が行 なわ れ た。 心   一般 子弟 が教 えを受 け る こと が出 来 た が、 こう し た塾教 育 の他 に、 ﹃ これ ら の私 塾 には、 、 学 は享 保 年 間 石 田梅 岩 を 学 祖 と し、 雨来 2百 数 十 年 全 国 に普 及 し た が、講 義 、 日演 と 同時 に これ に関す る著 述 が   一.   これ ら の著 述 は漢字 か なま じ り 文 によ って つく ら れ た のは いう ま でも な い。 手 島 堵 奄 般 民衆 の間 に広 く読 ま れ た。 ︰.

(14) (14)ヱ 87 茂 伴 大. . 全巻8uページ のす べてが漢字  その ﹃ は、梅 岩 に師事 し て心学 の真髄を得 た人 であ るが、 手島堵奄全集﹄を見ると、 かなま じり文 であ る。 これ が今 から 2百数十年 の前 であ った。 このことは、 4  読 者 層 が拡 大. さ れ て来 た こと を お し え るも の で、 読 者 層 は 貴 族 や武 士 階 級 だ け に限られ ず、   一般 庶 民 の間 にも 拡 大 さ れ て来 た の. であ る 。 こ の こと が し た が って、 漢 文 表 記 の必 要 を 少 な く し 、 年 一年 と 漢字 か な ま じり 文 が多 く 使 用 され るよ う にな. って来 た の であ る。 も ち ろ ん、 漢字 か なま じ り 文 は、 漢字 か な ま じ り文 であ り 、 か な 一本 の文 では な か った が、 こ の.  読 み易 く か つ理解 し易 いよ う に 表 記 さ れ る よ う に努 力 され 、   これ と相 応 じ て、 庶 民 の読 者 にも 、  庶 民階級 にお い て.   コ餌み、 書 き 、 算 用﹄ が 主 要 カ リ キ ュラ ムと な って ﹃ も、 寺 小 屋﹄ が発達 し て来 た。 享 保 年 間 には 含N 81ヽ3年︶江. 戸 の寺 小 屋 数 は8 oにも な った。 俳 諧 の作 者 の数 は ﹃ 俳 書 刊 行 の最 初 と いう寛 永 0 1年 含o田年︶の ﹃犬 子集﹄ ではヽ ∞人. にす ぎ な か った け れ ど も 、 0 o 8年︶ には8 8 人以上 に増 加 し て いる。 ﹄ ︵﹃日本語の年輪﹄N IH 3年 を 経 た万 治 年 間 貧8∞. 5年 貧o N 清 水 物 語 ﹄ では ヽ1 8 8 部 も 売 れ たと い じ ま た ﹃仮 名 草 子 も 1 刷圏 o部 の少 数 であ った が 、 寛 永 1 8年︶の ﹃.  大 阪 町 人 の経 済 力 が増 大 し 、 う ︵  西 鶴 ら の ﹃ 同書 、Nじ。 浮 世 草 子﹄ や ﹃ 八文 字 屋 本﹄ な ど が出 て、 読者 層 は いよ い. 女 重 宝 記﹄ な ど の女 性 の テキ ストも 出 て、 読 者 層 は女 性 の間 にも のび て来 た ︵ よ拡 大 し 、 ﹃ この項 、大野晋 ﹃日本語の年. 、 7 京 阪 地 方 には、 天 和 、 元禄 の頃 ︵ 輪﹄圏卜 参照︶。 そ の上 に 、 瓦 版﹄ 1世紀終りから8 1世紀 のはじめ頃︶ 一枚 刷 の いわ ゆ る ﹃ が行 な わ れ た。. ﹃ 南総 里見 八犬伝﹄ に見出され る 一試 み. 南総 里見 八犬伝﹄を書 いたが、 これ は庶 民対象 の小説 であ った ので、漢字 かなまじり文 ではあ る 曲亭 馬琴 は小説 ﹃.

(15) 日本文 の『読み』 に見 出され る諸問題 の史的検討 ゴ86(15). ︲ . .か ば か り で書 き た か った 、洪 字 大 部分 に は振 が . .考 え では、 が、 そ の な の な が施 こさ れ た。 こんな点 から 見 ると 、 作 者 の. し 、 ま た書 け ると 考 え た にち が いな いが、 か な では充 分 に意 を 伝 え る こと の出 来 な い こと も あ り 、 か な ば か り では 冗.  ま た充 分 に意 を み たす こと も出 来 ると 判 断 し た の であ ろ 漫 にも な る し 、  漢字 を 利 用 す れ ば簡 単 にす む こと もあ り、. う 。 同 作 者 は文 化 6年 含∞ 燕 石雑 志﹄ の序 文 で、 ﹃この書通俗を旨として、さらに文辞をかざらず 、 8年︶に出 し た随 筆 集 ﹃. 要を提げ繁をさり、 も っぱら童家 の為にし つ。 字音は仮名遣ひを正さず、 彫字 の人を労せんことを、厭ひ、しようをせうとし、ち やうをてうとするたぐひ多し﹄と迷 べて いる。. ﹃ 浄 瑠 璃 ﹄ は 一種 の音 楽 と いえ るかも 知 れ な い。 ﹃か た る﹄ のも 音 楽 なら ﹃それを きく﹄ のも 音 楽 であ る。 し か し. 日本 人 の生 活 に にじ ん で いるあ れ だけ の義 理 人情 を 、 ﹃か たり 、 そし てき く﹄ だ け で、あ れ だ け の感 激 を も た せ る の. であ る か ら 、 恐 ら く漢 文 では そ の目的 は達 し が た い であ ろう 。 こ こに漢字 か なま じ り文 の持 あ じ が出 て来 て いると い え る であ ろ う 。. 6  漢 学 者 たち の著 述 にお ける漢 文 体 の述 作 と漢字 か な ま じ り文 の述 作 と の比率. 漢 学 者 が自 分 たち の専 門 から い って、 漢 文 を も って書 かれ た漢 籍 を 使 用 し、 これ を ただ 一本 に子 弟 に教 授 し た のは. 当 然 の こと であ った。 し た が って自 分 たち の著 述 も 漢文 で書 く のが 普 通 であ った。 し かし、 これ ら の著 書 の読者 が、. 自 分 たち と 同 様 の儒 者 ば か り でな く、 そ の著 述 の目的 が、広 く 民衆 にも 行 き わ たら せ ると ころ にも あ った の で、 漢字. か なま じ り 文 で記 述 し た著 書 論 文 も相 当 に行 な わ れ て来 て いた こと を 見 お と す こと は出来 な い。 そ の 1、 2を 例 示 し て みよ う 。. 松 宮 観 山 貧o 81H 一 3年︶と いえ ば、 山 鹿 素 行 の時 代 に つづ いた時 代 の学 者 で、 素 行 よ り も 大 物 であ ったと も いわ れ. て いる。 観 山 は は じ め朱 学 を も って立 った が、 後 、 深 く皇 室 を 崇 び 、 国 道 を 重 ん じ、自 ら神 儒 を 調 和 す る の見地 に立.

(16) (16)Iθ σ 茂 伴 大. った が 、 つね に ﹃国 制 に随 って、 大 道 を 侶 え﹂ た。. 観 山 の著 書 論 文 が ︵ お そら く そ のす べて では な か ろう が︶、 ﹃ 松 宮 観 山集﹄ 全 4巻 に掲 げ ら れ て いる が、 そ の全 著 書 論 文 ヽ 繋 ペ ー ジ のうち 漢 文 で書 か れ たも のは全 著 書 論 文 の約 0% で、 漢字 か なま じ り文 で書 かれ た のが 0% 強 であ 2 8 5年 の全 生 涯 を さ さげ た碩 学 が、  さ す が に ﹃ る。 大 道﹄ を お し た て て 9  単 に 一部 の限ら れ た人 たち に対 し てだ け でな. 、 。 く 、 全 民衆 の啓 発 に つと め て、 そ の著書 論 文 の0 8% 強 も 漢字 か な ま じ り文 で書 き 上 げ た こと を注 意 し た いと 思 う. 独 自 の学 的 地 歩 を占 め る 条 理学 者 三浦 梅 園 含べ   そ の主 著 ﹃玄 圏IH ﹃ 8年︶ は、 観 山 と はそ の学 風 も ち が ってお り 、. 語﹄ 、 ﹃ 贅 語﹄ 、 ﹃ 敢 語﹄ は さ す が に漢 文 で書 か れ 、相 当 に難 解 な内 容 であ るが、 ﹃ 梅 園全 集﹄ 上 下 2巻 に収 め ら れ. 、 。 た総8 8 ペー ジ の著 書 論 文 のう ち の0 5% 弱 に相 当 し 漢字 か な ま じ り 文 の著書 論 文 は それ でも 0 5% 強 であ る. 国 学 者 たち が 漢 字 か なま じ り 文 で、 日本 語 を 表 記 す る こと は いう ま でも な い こと であ るが、 漢 学 を も って立 つ漢 学. 者 たち にお い て、 上 に述 べる が 如 く、 そ の著 書 論 文 の表 記 は、 漢 文 と 漢 字 か なま じ り文 と が半 々であ り 、 学 者 によ っ 。 ては漢 文 が 全 著 書 論 文 の0 2% に過 ぎ な い の であ る. お そら く 徳 川時 代 も いわ ゆ る幕 末 にさ し せま って来 ると、文 芸 にた ず さわ る 人 たち は いうま でも な く、 国 学 者 も 漢. 学 者 も 共 通 し て、 漸 次 広 く な って来 た読 者 層 に適 応 す る ため に、 出 来 得 る限 り、 読 む に易 く、 理解 す る に好 都 合 な漢. 字 か な ま じ り 文 を 使 用す る こと に つと め て来 た こと は見 のがす こと は出 来 な い。 し か し こ こま では到 達 し て来 たよ う. であ る が 、 そ の 一線 を 乗 り 超 え て、 国字 と し て漢 字 やか な そ のも の の使 用 に、 更 に根 本 的 な検 討を 加 え て、 何 ら か新. し い表 記様 式 の 日本 文 にし よ う と す る努 力 が殆 ん ど な か った こと は事 実 であ った。 し か し幕末 から 明 治 初 期 にか け、. ようやくにして国字改廃に関する先覚者 たちの販起を見るようにな った。そこでこれらの先覚者たち の見解を検討す. いと偲う。洗ず問題となるのは、個字としての漢字 に ついての検討である。 ること にした ︲ ︲ ︲.

(17) 日本文 の『 読 み』 に見 出 され る諸 問題 の史 的検討 184 (ヱ 7). 読み﹄における複雑性の検討 四 国字としての漢字の ﹃ 1  先 ず使 用漢字 の数 に ついて の検 討. 唐 熙字 典﹄ にはお ヽ卜字 がお さめ 説 文 ﹄ によ れ ば 、 文字 の数 は8 認字 、 ま た ﹃ 中 国 にお いては、 紀 元8 o年 ご ろ の ﹃ 、 知 識 人 と し て の就 職 は殆 ん で不 可能 な の. ら れ て いる。 中 国 では これ だ け の文字 を 読 みか つ書 く こと が 出来 な ければ. 、漢字 を 使 用 す る と し ても 、中 国 にお け る ほ. 、 ま た書 く こと が出来 な く ても 、 か な で表 記 され るなら容 易 に. 、容 易 に考 えら れ る こと であ る。. 。 、 で、 し た が って教 育 の殆 んど す べては こ の文 字 の学 習 にあ てら れ ねば なら な い そ こ で この学 習 の困 難 は同 時 に教 育普 及 の非 常 な 阻害 と な る であ ろ う こと は. も ち ろ ん 日本 にお い て は、 漢字 を読 む こと が出 来 ず. 読 む こと が 出 来 、 ま た か な で容 易 に表 記 す る こと も 出 来 る であ ろう から. 、慣 用音 な どと いうも のが 区別 され ね ば な ら な い. 、 ど に多 数 の漢 字 を 学 習 す る必 要 も な い。 ︵し か しヽ1 8 8 字 前 後 は 知 って いな けれ ば  知 識 階 級 と はされ な か った で 。 あ ろ う 。 ︶ こ こに学 習 上 に少 な から ぬ問 題 の存 在 す る こと を 見 のがす こと は出 来 な い 2  漢 音 、 呉 音 、唐 音 、 宋 音、訓音. 。 木 ﹄ と いう 文字 は、 現 行 法 によれば 、 義 務 教 育 当 用漢字 と し て小 学校 1年 で ﹃き ﹄ と 読 む よう にな って いる し ﹃. 、 木﹄ は こ のよ う に 三通 も く﹄ と 読 ま な けれ ば な ら な い。 ﹃ かし更 に学 年 が進 め ば 、 時 に は ﹃ぼく﹄ と 読 み 時 に は ﹃. 。 、 き﹄ と 読 み、 ﹃ぼく﹄ り に読 み分 け ら れ な け れ ば なら な いが も ち ろ ん何 れ に読 ん でも ま ち が い では な い し か し ﹃ 、 、 木﹄ の ﹃ 読 と読 み、 ﹃も く﹄ と 読 ま ね ば なら な い場 合 が き め ら れ てお り   この場 合 を 区 別 し 得 な け れば  本 当 に ﹃ 。 ﹃ 木 ﹄ を ﹃き﹄ と 読 む のは訓音 で、木 戸 、 木 賃 宿 があ る。 ﹃ぼく﹄ と 読 む の み﹄ を 学 習 し たと は いえ な い の であ る. 、 、 、 、 、 は漢 音 で、 木 刀 、 木 剣 、木 石 な ど があ り 、 ﹃も く﹄ と 読 む のは呉 音 であ って 木 工 木 版 木 炭 木 馬 樹 木 な ど が.

(18) (18)ヱ 8J.  それ ゆ え に ア ク セ ントと い っても 高 低 があ るだ け であ る。 だか ら 、   こう し た アク セ ント の方 面 から い っ 字 であ る。. 人 にと っCは 言 語 に絶 す る ほど の複 雑 さ であ る。 し か し 日本 では漢字 は、中 国 の漢 字 では な く し て、 国字 と し て の漢. 5字 、 下 平 に先 以 下 5字 、 上 声 に董 以 下 9字 、去 声 に送 以 下 0字 、 入声 には 屋 以 下 7字 を 所 属 韻字 と す る。 日本 以下 1 1 2 3 1. Nミ 韻 も あ った ︶ に分 け ら れ る。 さ ら に これ を 平 声 、 上 声 、去 声 、 入声 の四声 に、 平 声 はま た上 平 、下 平 、 上 平 に東.  そ の発音 の類 似 によ って分 類 し た 区 別 の名 は、 中 国 の漢 字 には 、韻 を 無 視 す る こと は出 来 な い。 古は  通 例 8o韻 ︵. っても 、 日中 同 様 に解 釈 す る こと は な い。. 3  し か し 国字 と し て の漢字 には中 国 の漢 字 の如 き 、 厄 介 な アク セ ント の複 雑 さ が な いか ら 、 同 じ く漢字 と い. ら 子供 が 学 習 し な けれ ば な ら な い のだと な ると 、 そ の労苦 に慄 然 た る感 じが し な い こと も な い であ ろ う。. ぼえ てし ま ったも の にと って は 、漢字 と いう も のは案 外 便 利 であ る かも知れ な いの であ る が、 さ て小 学 校 のはじめ か. 、 0 り 、 これ を そ の場 合 々 々に応 じ て読 みわ け てゆ か ねば なら な い の であ るから 、 0 1数 年 も いな 2年 前 後 も か か ってお. どう も な い であ ろ う が 、 し か し今 述 べたよ う に、  訓 よ み、 漢 よ み、 呉 よみ、 慣 用 よ みと いう よ う な 種 々の場 合 があ. だ か ら 例 え ば 漢字 ﹃ 木 ﹄ 一字 を お ぼえ る と いう 場 合 、簡 単 な漢 字 であ るから 、 これ を お ぼえ る の に、 さ ほど のめ ん. が慣 用音 は ワ、 ﹃ 輸 ﹄ の正 音 は シ ュであ る が 、慣 用音 は ユであ る。. み癖 、 ま た は 世 俗 の誤 読 によ って、 現時 通 用 し て いる音 は、 これ を 慣 用音と す る。 例 えば ﹃ 話﹄ の正音 は ク ワ であ る. れ から 力 農 は リ ョク ド ウま た は リ キ ノウ であ る べき だ が 、漢 呉 音 混 同 し てリ ョク ノ ウと 発音 す る。 更 にま た古来 の読. く、世 間 一般 に通 用 す る音 は す べて通音 と す る。 例 えば 農 墨嬰 はパ”は 、 通音 で ノ ウ、 適墨嬰 蹴ル書は 、 通音 で テキ。 そ.  ま た音 韻 の異 同 に関 す る こと な  木 乃 伊 を ﹃み いら﹄ と 読 む 。 漢 音 た ると 呉 音 た ると に論 な く 、 綿 を ﹃は ま ゆ う﹄ 、. あ る。 こ の他 に木 綿 を ﹃ も め ん﹄ 木枯 ら し を ﹃こが ら し﹄ 木 立 を ﹃こだち﹄ 、 と 読 む こと があ り 、 甚 し い場 合 は浜 木. 茂 伴 大.

(19) 日本文 の『読み』に見 出され る諸 問題 の史的検討 」82(19). 、 ま た そ の使 用 に. 、 て、 同 じ形 の漢字 であ っても 、 国字 と し て の漢字 には中 国 漢 字 にお け る が如 き複 雑 さ は な いが それ でも 今 指 摘 し て 。 来 た よ う な幾 種 も の音 を 使 いわ けねば なら な い厄 介 さ があ る わ け であ る. 五   国 字 と し て の漢 字 全 廃 論 の検 討. 国字 と し て の漢 字 には 、 中 国 にお け る漢字 の如 く 、 や っか いな音 韻 の問 題 は考慮 す る必 要 は な く. あ る いは ロー マ字 ︶ を 使 用 す る こと が出 来 る の で、 事 実 、 使 用 す る漢字 は多 く て 当 っては漢字 を使 用 せ ず に、 か な ︵ 、 。 ヽ︱ ∞8 o であ ろう 。 中 国 にお け るが如 く 、数 万 を学 習 し な け れ ば なら ぬ こと は な い し か し 国字 と し て の漢字 には. 読 み﹄ の上 に、読 みわ け し な けれ ば なら な ま た さ き に述 べた が 如 く 、 国字 と し て の漢字 であ るが ゆ え の、殊 に そ の ﹃. 。 い複 雑 性 が生 じ て来 たと ころ に、漢字 使 用 に ついて の大 き い問 題 が先 ず 見出 され て来 る 、 こ こ に徳 川幕府 の末 期 、 明 治 のは じ め にか け、企 国 が勤 王 討 幕 のご った が えし た騒 乱 の渦 中 にあ った時 権 力 や武 、 力 の闘 争 から はな れ 、新 し く生 れ る であ ろ う 新 日本 の出 生 と そ の大 いな る生 長 のため の 根 本 的 な文 化 工作 の 一と し. 、 て、 2 、 3 の先 覚 者 たち が 、先 ず こ の国字 問 題を 真向 から 検 討 し 、 国字 と し て の漢字 改 廃 を 強 烈 に主 張 し た こと は 日本 文 化 史 上 に見 出 さ れ る す ば ら し い見識 であ ったと 思 う。. 、前 島 密 が漢 字 全 廃 論 を 主 張 し た。 前 島 は将 軍 徳 川慶 喜 に ﹃ 漢字 御 廃 慶 応 2年 2 ∞ H 8年 、この2年後が明治元年︶ 1月 ︵ 止 之 儀 ﹄ を提 出 し 、. ﹃ 国家 の大本は国民の教育 にして 其教育は士民を論せす 国民に普からし め之を普からしめんには成る可く簡易なる文字文章を. 用ひさる可らず 其深選高尚なる百科の学に於けるも文字を知り 得 て後に其事を知る如き 難渋迂遠なる教授を取らす 渾て学とは. こ於ても西洋諸国の如く音符字 ︵ 仮名字 ︶ を用いて教育を布 其事理を解知するに在りとせさる可らすと奉存候 果して然らは御国︱ ︲.

(20) 8r (2θ )ヱ. 茂 伴 大. 、 を御廃止 成 様に ︲ ,文 に 漢字 の ︲解決が最も重大 であ ,こと の かれ漢字 は用いられす終 には日常公私 の と 奉存候﹂と主張し、 ﹃この 相 候 用 る﹄と論断した。. 更 に明 治 2年 貧So 年︶初 夏 、 こ の建 議 及 び 別 冊と し て ﹃国 文 教 育 ノ施 行 方 法﹄ 、 ﹃ 廃 漢字 私 見書 ﹄ を そ え て政 府 に 提 出 し た。 後 者 には次 のよ う な主 張 が掲 げ ら れ た。 す な わ ち. ﹃ 此改良 ノ事タ ル、千載慣用 の文字 ヲ変ジ、公私万般 ノ記録文書 ヲ改造 スベキ大事件 ナレバ、  一朝 ニシテ行 フベシト論断 スルハ、. 頻 ル軽忽粗暴 二似タル嫌 アリト雖 モ、 今 日ノ状勢 二就テ之 ヲ見 ルニ、 人 々競 フテ漢語 ヲ話 シ、漢字 ヲ書 シ、官私ノ文書 ハ殆 ンド漢. 文 二擬 セント スルノ傾向 ヲ生ゼリ。此勢 ヲ以テ、此学制 ヲ施サ ルルアラバ ︵ 中略︶、健全強壮ノ体神ヲ得、開明富強 ノ真境実域 二達 スルノ期無カラシムベシト痛歎 二勝 ヘズ⋮﹄. 前 島 は か よ う に漢字 全 廃 を 主 張 し た が 、 それ は同時 にか なを 主 張 す るも の であ った。 漢字 を 全 廃 し て、漢字 の代 り に 日本 伝 来 のか なを 使 用 し よ う と いう の であ った。. ﹃ 教育 に漢字を用ひるときは、其字形と音訓を学習候為め長 日月を費し、成業の期を遅緩ならしめ、又其学び難く習ひ易かりざる. を以て就学す る者甚だ稀少 の割合に相成候﹂と見、  日本には0  これを使用して ﹃ 世界無量 の事物 5音 の仮名字 のあることを指摘し、. を解釈書写するに何の故障も之れ無く、誠 に簡易を極む﹄るも のであると謳歌し、 かかるかなが使用されるのに、 漢字を常用とし たことは ﹃ 実 に痛歎の至に御座候﹄とま で極論した。. 6年 含∞ そ の後 明 治 1 田年︶ ﹃か な のく わ い﹄ が生 れ 、大 正 9年 貧o8年︶に は ﹃カ ナ モジ カ イ﹄ が 発 足 し 、今 日 に いた って いる。. こ の点 が 、中 国 にお け る 国字 制 定 の主 張 や 運 動 とち が ったと ころ で、中 国 では、早 く から 表 音字 母 の問 題 が論 ぜら. れ 、 民 国 元年 ︵ oに年 ・大 二 九年︶に は、 北京 の教 育 部 にお い て、注 音字 母 ︵ H 漢字 の音 を 示 す ため の字 母 ︶採 用 の案 が通. 過 、 翌 お お 年 、 注 音字 母 が 制 定 さ れ 、 そ の後 学 校 教 科書 のため の エスペラ ント語 の主 張 があ り 、前 後 し て ロー マ字 国.

(21) 日本文 の『読 み』に見 出され る諸問題 の史的検討 (21) 18θ. ︲ 、 、 語 の運 功 が起 き 、 ソ連 に行 な ゎ れ たラ テ ン字 母 の影 響 を う け で っいにお 露 年 か ら お 駕 年 にか け 中 国新 文字 の運 動. 、 中 国 語 では今 の北京 語 のよ う に 簡 単 にな ったも の でさ え 音 節 の数 が含 ド種 と 計 が猛烈 にす す め ら れ た の であ る。 ﹃.  一応均 等 に配 分 さ れ た 4 つの高 低 アク セ ント、 いわ ゆ る 四声 ︵さき の説 明 を 参 算 され る のみ か 、 そ の各 音 節 に対 し、. 漢字 の運命﹄5︶と いう の であ る か ら 、 ま さ に中 国 にお け る国字 改 良 の 倉石 ﹃ 照 ︶を 乗 ず る と 、 す べてぶミ 種 と なる﹄ ︵ 、 、 日本 語 の単音 節 は大 ま か に い って0 5音 以 上 には出 ず そし 、 漢 字 廃 止 を 主 張 す る場 合 には、 いう ま. 問 題 は 、 決 し て尋 常 の問 題 では な いが、 日本 にお い ては. てかな は 当 初 から 日本 語 を 如 実 に表 記す る よ う に発生 し て来 た の であ るから. 。 でも な く 当 然 にか な の表 記 が 主 張 され て来 る であ ろ う. 、 大 学 時 の H ∞ 8 年 ︶ 前 島 密 は漢 字 全 廃 ︲か な表 記 を 主張 し たが 、 あ た かも これ に対 す る が如 く 南 部 義 寿 は明 治 2年 ︵ 、 。 記年︶文 部 省 に文 字 改換 の こと を 建 議 し た 南 部 は か な でな し に ロ 修 国 語論 ﹄ を 、 更 に明治 5年 貧∞ 頭山内 容 堂 に ﹃ ー マ字 使 用 を 主 張 し た。. 6 、 ﹃ 学問ノ道、西洋諸邦 ハ易 シトナシ、皇国支那 ハ難 シトナス、而 シテ皇国 ハ甚シトナス。 ソレ西洋ノ学ヲナスヤ 夕ヾ2ノ字 ヲ知. 。 り、文典 ノ儀 ヲ解 スレバ則 チ読 ムカラザ ルノ書ナシ。是 レソノ易 シトナス所以ナリ。 支那ノゴトキ ハ然ラズ 数百ノ書 ヲ読ミ数千. 。 ッ ノ書 二通ズ ルニ非ザ レバ則チ不可、是レソノ難 シトナ ス所以ナリ。 然リトイ ヘドモ支那 ハ尚 ホ専 ラナリ 皇国 二至 テ ハ則チ之 ニ. 、漢 字 の性 質上 、自 然 に滅. 。 加 フ。和学卜俗用ノ文トヲ以テ併 セテ之 二通ズ ルニ非ザ レバ則チ不可、 是ノ故 二学ヲナ スノ難キ皇国 ョリ甚 シキ ハナシ 文物 ノ盛 否、職 トシテ之 二由 ル。人才 ヲ育 セント欲 スルモ亦難カラズ﹄. エ ハ  国 字 と し て の 漢 字 自 然 滅 亡 論 の検 討. 国字 と し て の漢 字 は、 し か し ながら上 に述 べた が 如 く意 識 的 に そ の全 廃 に努 め な く ても.

(22) (22)179. 亡 し てゆ く 運 命 にあ るも のだ と 主 張 す る人 たち があ る。. も ち ろ ん漢 字 は絶 対 に滅 亡 し な いと 見 る人 たち があ る こと を 先 ず 一顧 し てお く こと も 必 要 であ ろ う 。. 漢字は将来なくなるだろう 漢字 の神秘﹄の序 において、 ﹁ 宇野精 一や実際教育者 の石井勲らはそれ である。 宇野は石井 の著書 ﹃.  日本も廃止しないと世界 で唯 一つの漢字使用国 になるぞとか、警 とか、本国 の支那 でさ へ漢字を廃止しようとしているのだから、. 告して下さる向もある。よその国がどうしようと構はな いが、 実際はさうな っていな いし、 最近 ではむしろ漢字 の価値が再認識さ. れ ている位で、 少くとも現在生きている我 々や次代を背負ふ子供達も漢字を捨 て去ることは、 到底考 へられないのである。﹄と、 同書を推薦し ている。   コ 年 生 でも 新 聞 が 読 め る﹄ ︵ 石井 勲 は 、 講談社刊︶で、. ﹁ 年後の日本がどう変ろうと 、漢字 の必要性は絶対 になくなりません。⋮⋮漢字の必要性 世界がどう変ろうと、今後 の8年 、8o.   わ が 国 の小 説 文 のな か の漢字 が、あ し か る に安 本 美 典 は ﹃ 漢 字 の将 来 ﹄ にお い て ︵コ一 o 8年 、筑摩董 房︶、 生活﹄H 皇叩 一. のなくなることは、想像 できるかぎり の将来には絶対 にあり得な いことな のです﹄と主張している。. と 何 年 後 に滅 亡 す る であ ろ う か を 推 定 し たが 、 現 代 の百 人 の作 家 の百 編 の小説 に つい て、 そ の文章 中 にも ち いら れ て. の漢 字 は中 国 の漢 字 と 運命 を と も にす る であ ろ う か。 いか にも 漢 字 そ のも の の性 格 と し て近 代 化 に抵 抗 し封 建 性 を 擁. 最後 に 日本 漢 字 の運 命 ﹄ 貧o 倉 石武 四郎 は ﹃ S年、岩波新書︶で、健 実 にし て そ し て洞察 の深 い見 解 を の べて いる。 ﹃. し て いる。. 漢 字 の余命 は、あ と 、 だ いた い、 N1 8 年 であ る﹄ と 用 いら れ る と いう こと は 、 ち ょ っと 想 像 でき な い﹄ と い い、 ﹃. 直 観 的 に考 え て、わ が 国 で、漢 字 が、あ と 、N8 年 以上 も 、 と 述 べたc 和 田英 一は ︵ 東大におけ” る電子計算機技術者︶、 ﹃.  だ いた いX o年 前 後 と 考 え る のが、 も っと も 妥 当 であ る よ う に思わ れ る﹄ わ が 国 の小説 文 の漢 字 の余 命 は、 摘 し、 ﹃. いる漢 字 と 仮 名 の割 合 を し ら べ ﹃ 漢 字 の使 用率 は、 あ き ら か に、 近 年 に近 づく に つれ 、 減 少 の傾向 にあ る﹄ こと を指. 伴. 茂 大.

(23) 日本文 の『読み』に見 出され る諸問題 の史的検討 ). 178 (2θ. 。 、 護 す る も のを 含 む 以 上 、 そ れ は 世 界 史 の大 勢 か ら い って つい に 亡 び 去 る も のと 思 わ れ る ﹄ し か し. 近代化しようとす る意気ご みは中国 に対し遜色あ る こと確実 であ る。とす れば 日本 の漢字 の寿命 は中国 の 0 日本 の少 なくとも ﹃. 漢字 より長 いと いう ことも予想され る﹄ ︵同葛じ。② 日本 では言文 一致 の運動 で国 語を そのまま記録し、 つまり仮名 によ って簡単. に表記 でき るし 、 ラジオ の発達はま た耳から聞く ことば の訓練 に大きく 貢献 し たと いう ような事情 で、 それだけ言語革命を行なう.  そし ていよ 中国が言語革命を行なう ために必死 の言語研究 、 語法研究を試みているあ いだ 、 必要 は中国 ほど痛 切 ではな いと見 、 ﹃.  日本 では傍観 できるかも知れな い﹄と述 べ、 0 、日本 では標準語がわりあ いに普 及し て いるから 、方 言 いよ文字革命 に移 っても 、.  この点 は ロー マ字なリカナ モジなり に 切り かえ るとし ても いささか の困難 もな い。 こ を ロー マ字 で記録す る必要はほと んどな い。. 調和され て 一種 の美と さえ考えら れ るが 、 それ にし ても千八百 五十字 、 それ に固有名 詞 に現われ るも のを加えた二千字 以上 の漢字. んなような点 が これま た漢字 の延命 工作を助 けるかも知れな い。0 かなと いう音節文字 と これと漢字 の表意的性格とが たく みにも. 少 なくとも中国 で 大改革が行なわれ ても 日本 は この状態 を ﹃われわれ の子孫 の負担とし て永久 に保存 させねばなら ぬかどうか﹄ ﹃. に甘 んず る のではな かろうか。﹄﹃し かし近代化と の正面衝突が こうし て回避 され る以上 、中国が思 いき った改革を施し ても 、日本. は ﹃子ども たち に無 責任﹄ であろうとす る可能性が強 い。﹄ 仮名と いうも のがあ るため に ﹃それだけに仮名 のあ いだ に千 や二千 の. 漢字がま じ っていたとしろ で大し た ことはな い、 と い って高をくくる可能性 が多 く 、 中国 で千辛万苦 の末 に漢字 の追放を完 了し て.  日本 ではまだ 二千 に近 い漢字を常備軍とし 、 数万 の漢字 を後楯とす ると い った状態を考えられよう 。 そ のとき 丸 腰 にな ったとき 、. は アメリ カ人から無 責任だと いわれ ても 、 本 国 で追放 され た亡命文字を懇 切 にも保護し てあげ るほど 義侠的な国民だと いう評判が 同葛ω lヽこ とするど い皮肉な観察と警告を与え ている。 立 つかも知れな い﹄ ︵. 七  英 字 ︵あ る い は英文 ︶ への改廃 主張 の検 討. 漢字 の自然滅亡を手をこまぬいて待 っているには、社会生活は余りにもめまぐるしい変化を っづけている。しいも ⋮.

(24)  日本文と英文とど のように異るか、それは何れ の方 そし てそれはいうま でもなくその内容を理解するために、 能率 の上から見て、. ﹃ 今 日の急務中 の急務とも いう べき者 は漢字を廃することと、 我邦人をし て西洋語を普通に 学ばしむることの二事なり。﹄外国. り﹄ と 主 張 し た のを 見 お と す こと は出 来 な い であ ろ う 。. 、 漢字 を 廃 し 、 英 語 を 熾 に興す は 今 日 の急 務 響 こ こに明 治 7 震年︶に、な お 、 外 山 正 一が ﹃ 1年 にな り そ の6月 貧∞.   一方 に漢字 に代 ってか な のみを 使 用 せよと主 張 し 、他 方 にお マ字 会 ﹄ が 設 立 さ れ た。 か く の如 く 漢 字 廃 止 に関 連 し 、 い て ロー マ字 のみ を 使 用 せ よと 主 張 し て国字 の問 題 は相 当 にやかま し く な った。. 8年 貧o 7年 含∞ 8年︶ ﹃ロー 賀年︶ ﹃羅馬 字 会 ﹄ が生 れ 、後 明治 2 た。 こ の後 ロー マ字 の主 張 は漸 次 さ か ん にな り 、 明 治 1. 洋 字 フ以 テ国 語 ヲ書 ス ル論 ﹄ を 発表 し 、 同 じ く ロー マ字 採 用 の利 を 説 い こ の2年 後 、 明 治 7年 貧∞ だ年︶、 西 周 も ﹃. に有利 であるかと いう ことも興味ある研究課題の 一つであろう。森は更 にロー マ字 の使用を主張した。. 欧米かぶれかどうかは第 二とし て︶、一応は考えてみても いい問題であるように思える。同じ内容 のことを読む場合 に、 の是非は ︵. 、 国語を採用す ることは、 結局その国 の文化 に同化すること である。 日本が英国 の文化に同化することははなはだ有益 であるが そ 。 の場合 に修正された英語を採用したのでは効果は充分 でな い、 自然のままの英語を採用す べきである云 々と答えている 森 の主張. 文化的に政治的に優越したその 争 F尾だ記①〓 冒罵口こ に関し ﹁ ︻ ︼ δ●諄①巴ε一 ︼ 口R 諄①国口∞ o これに対し、ホイ ット ニーは、 へ. な ら な い状 態 にあ ると いう旨 の書 を 贈 た。. 宗 教 、 な ど の真 理を 学 ぶ上 から も 、 今 日ま で の 日本 語 では 不 適 当 であ る。 将 来 国 語 は次 第 に英 語 に代 えら れ な く ては.  ホ イ ット ニー教 授  比 較 言 語学 、  サ ン スク リ ット、 明 治 5年 含∞  駐 米 代 理公 使 森 有 礼 は エー ル大 学 言 語学 、 記年︶、 士 ム術 、 西 洋 の科 学 、 に、 文 明 の進 歩 し た 現今 、支 那 の文 字 を 用 いる こと は非 常 に不便 であ る。 商 業 上 はむ ろ ん の こと 、. は な いか と いう 主 張 が 、 す でに明 治 の は じ め ころ に起 き て いた。. ︲がみ とぃ ならば、 ,こと、日字を井字 ︵ ︰  一その 灘字全 あるいは井文︶に分な一しまうのが急務で 魔にも麿々の支障 る う. (24)177″ 伴. 茂 大.

(25) 日本文 の『読み』 に見 出され る諸問題 の史的検討. f176(25).  その理由とし て7 無論英 語 に如く者 はあらざ るなり﹄と英語を指 摘し 、  そ の 一を選 ぶとすれば ﹃ 語と い っても英仏独語があ るが 、. 第 一英 語は仏語若く は独逸語より遥 に学び易き語なり。 第 二英 語は世界中最も多数 の人 の使 用す る語 にし て、 殊 に つをあげ る、 ﹃. 中略︶、 第 二英語は東洋 にては殊 に専 用せら るる語な るが故 に 東洋 にては如 何な る国 の人と交接す る 英米 二国人 の語な るが故 に⋮ ︵. 中略︶、 第 五英仏独 三国 の人民中最も にも英 語を解し得 る時 は差支なから ん。 第 四我邦 に住居す る西洋 人中最も多数なるは英人⋮︵. 中略︶、 第六英米 人は仏独人に比し て道徳大 に優 る者也 、 道徳 の為を思えば英米 の書 を読ましむ るに如 着実 な る者 は英人なれば ⋮ ︵. 東洋学 かざ るなり 、第七英米 人 に、 崇仏 の心 の深きは天下 の公認す る所 也 ﹄。 外 山はま た ロー マ字を鼓吹し た。 ︵昭和 7 1年 6月 ﹁ 3号︶ 芸 雑 誌﹂第 3. 八   か な 文 主 張 の 検 討 と こ の検 討 に 見 出 さ れ る 問 題. 漢 字 全 廃 論 の有 力 な根 拠 は、 漢 字 そ のも の の複雑 性 にあ る と いえ る であ ろう が、 同時 にま た容 易 に使 用 され るか な. と か ロー マ字 と か いう よ う な 、 た だち に漢 字 にかえ る こと の出 来 る国 字 があ った から だと も いえ る であ ろう。 ま たか. な や ロー マ字 の立場 か ら い っても 国 字 と し て の意 義 と 価 値 と を 積 極 的 に主 張 す る こと が出 来 る か ら であ ろ う 。 日本 語. は か な で語順 に容 易 に表 記 す る こと が出 来 、ま た 日本 語 を こ のよ う に表 記 す る に必要 な 用具 と し て工夫 さ れ て来 た の. 8字 を 知 ってお れば 、 こ のよう に表 記 す る こと が出 来 る だ け でなく 、表 記 さ れ たも のを容 易 に読 だ と も いえ る。 か な 4 む こと が ︵か つ書 く こと も ︶ 出 来 るわ け であ る。. し た が ってか な 一本 の表 記 が それ が 日本 語表 記 の本 す じ の表 記 と し て、自 然 にま た当然 に行 な わ れ て来 な けれ ば な. ら な か ったはず であ る。 し か る に そう いう こと に いたら な か った のに は、 理由 があ った にち が いな いし 、今 日なお か. な 一本 の表 記 に いたら な い の にも 、今 日 にお いてなお 除 き が た い理由 があ る から であ ろう 。 それ を 検 討 し つ つ、 かな.

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