意思能力と医療同意能力
前 田
泰
民法研究室
Competence for Contract and Competence to Consent to Treatment
Yasushi MAEDA
Civil Law
Abstract
This paper analyzes assessing competence to consent to treatment. It focuses on problems of competence for contract and competence to consent to treatment. Finally, it discusses the degree of assessing competence to consent to treatment
1 はじめに
医療行為には、医師の適切な説明により十 な理解をした患者の自発的な同意(インフォームド・ コンセント)が必要である、ということはもはや疑われることはない。そして、このインフォームド・ コンセントの理念は、患者自身の「最善の利益を自ら決定するという、自己決定権を尊重することを 目的とするものである。したがって、インフォームド・コンセントの理念は、患者本人が意思決定の 対象を理解し、それについて決定できる能力(同意能力)を保有していることを前提としている」。本 稿では、医療行為における同意能力を検討する作業の一つとして、意思能力に関する議論を整理する。 医療行為に対する同意に必要な同意能力は意思能力(の一種)であると言われることが少なくない 。 本稿は、同意能力を意思能力から捉えることができるのか、そして、そうすることにどのような意味 があるのかを検討することを目的とする 。 医療 争を解決するための法的構成の面では、契約構成によれば契約当事者の意思能力が必要にな るから、意思能力の議論はそのまま同意能力に影響することになる。これに対して、不法行為構成に よれば、身体的侵襲を正当化できる医療同意の必要性の問題となり、法律行為の意思能力とは直接的な関係を持たないともいえる。しかし、診療契約の構成を採っても、契約成立時だけでなく、重要な 医療行為にはその都度の同意を要すると解すべきであるから、結局、どの法律構成を採るかに関わら ず同意能力の問題を論ずべき必要性に変わりはない。本稿では、法形式・法律構成の選択の問題とし てではなく、実質的な意味で医療同意能力を意思能力から理解することの意義を探りたい。
2 民法学説
民法学説は、意思能力とは自 の行為の結果を判断できる精神能力であると一般に解している。以 下では、その内容をやや詳細に整理する 。 ⑴ 岡 説 岡 説は大正時代の学説であるが、これまでの意思能力の説明としては最も詳細であり、現在の学 説の基礎になっているともいわれているので、まず紹介する。 A 前提 岡 は、「行為能力」の語に独特の意味づけをしている。すなわち、岡 によれば、法律行為のみな らず不法行為や内心的容態(知・不知)等のすべてを含む法律的容態には、法律が要求する「精神的 品性」としての「行為能力」が必要である。意思能力はこの「行為能力」に必要な要件であり、意思 能力があり、かつ法定無能力(民法の規定する行為能力の欠如)に該当しなければ、「行為能力」があ る。 B 意思能力の内容 人に責任を負わせるためにはその人が結果の発生を「是認」していなければならないが、意思能力 とはこの是認に(したがって「帰責」に)必要な精神能力である。そして意思能力の「本体」は「 全な」精神力にあり、これがあるためには、① 全な「精神状態」が必要なだけではなく、その結果 として生じる② 全な「心理作用(心理的且法律的問題)」もまた必要である。 ①「精神状態の欠陥」は未成年、心神喪失および心神耗弱である。心神喪失には、継続的喪失と一 時的喪失とがある。継続的喪失が広義の精神病である。精神病者と鑑定された者が必ずしも意思無能 力ではなく、また必ずしも病状の軽重のみに関係するのでもない。心理作用(②)に対して精神障害 が一定程度以上に影響して、その心理作用を異常ならしむるという場合にだけ、意思無能力となる。 パラノイアでも普通の事務処理については能力があることがある。また、精神病の医学上の定義自体 が困難な状況であるから、精神病の定義にこだわらず、狭義の精神病のみならず「発達の阻止」や老 年性痴呆も含む。 一時的心神喪失には、一時的精神障害と意識障害とがある。一時的精神障害とは、各種の原因から 生じる譫妄、女性の生理や出産に伴う精神障害、中毒状態、催眠術による暗示状態等である。意識障 害とは、いわゆる失神の場合であるがもうろう状態も含む。睡眠、催眠、「半眠半醒」、「睡遊」、卒倒、てんかん、ヒステリーその他類似の発作。悲哀、恐怖、激怒、その他の感動より生じる意識障害。ア ルコール酩酊は必ずしも泥酔に陥り意識を喪失することを要せず、行為の性質と酔度とを較量して判 定する。 ②「心理作用」は「認識」と「意思」から構成される。すなわち、行為の動機および結果を正当に 認識し、かつ、この認識に従い意思を決定し行為する能力が意思能力である。心理作用の正当性を一 言で表せば「人並」であることつきる。 「認識」は「覚知」、「解釈」および「判断」から構成され、認識が正当であるためには各構成要素 が正当でなければならないが、「社会一般の多衆」と同様に、遺漏や錯誤のない「覚知」をし、錯覚に より誤解をしないで覚知を解釈し、評価して判断できることが各正当性の基準である。 「意思」とは、動機の認識を原因として、行為の結果を条件として行う「決意力」である。正当な 決意力には、動機の意思に対する作用、行為の結果の認識の意思に対する作用、および決意を行為に 実現する能力が、いずれも「平準(人並)」であることが必要である。 以上のように、岡 の説明は、精神障害の存在と障害を原因とする心理的影響とを区別しているこ と、および、心理的影響についてはあくまで通常人の心理を基準として「人並」、「社会一般の多衆」 と同程度および「平準」でなければ「異常」であり意思無能力となることの2点が特徴的である。こ の点において、法的に評価されうる意思が存在する可能性としては(権利能力の平面では)すべての 人間は平等であるが、しかし法的に評価可能な意思はあくまでも「自由な意思」でなければならない とする意思主義の え方が端的に表れていると言えよう。なお、前記⑴に記述した広い「行為能力」 概念はその後の学説には継承されなかった。 精神障害との関係につき岡 説によれば、意思無能力の要件となる「精神状態の欠陥」は精神病の 定義よりは広い。とりわけ「一時的精神障害」は広範であり、軽い症状であってもそれが心理作用に 影響していれば心神喪失になりうることになる。 ⑵ 意思能力に関する通説的な説明 岡 後の学説は意思能力につき詳細には論じていない。機能面から意思無能力を捉える見解は後述 するが(後記3)、その前に意思能力に関する一般的な理解を、代表的な教科書での記述により紹介す る。 ①於保不二雄『民法 則講義』46頁(有信堂、1952年) 「意思能力とは、一応、自己の行為の動機と結果とを認識し、この認識に基づいて、正常な意思 決定をなしうる能力をいう。別言すれば、一応の理解力・判断力を以て行為しうる能力である。 …意思能力を有する者の行為のみが、法律上、人の意思活動として認められる。意思無能力者が なし又はうけた法律的行為は、法律効果を生じない。」 ②我妻栄『新訂民法 則(民法講義I)』60頁(岩波書店、1965年) 「意思能力とは、自 の行為の結果を判断することのできる精神的能力であって、正常な認識力
と予期力とを含むものである。…法律行為及び不法行為が法律上の効果を生ずるには、必ず、そ の行為者がその行為の結果を認識するに充 な精神的能力、すなわち意思能力を有するのでなけ ればならない。なぜなら、これらの行為が法律上の効果を生ずるのは『各個人は、原則として自 己の意思に基づいてのみ、権利を取得しまたは義務を負担する』という近代法の根本原則に基づ くのであるが、行為者に意思能力のない場合には、その行為者はその者の意思に基づくとはいい えないからである」。 ③幾代通『民法 則第二版』50頁(青林書院、1984年) 「私的自治の原則が認められる近代法のもとでは、すべての個人の尊厳と本質的平等(憲法13条・ 14条)とが最も基本的な価値として承認され、個人の私法上の権利義務の変動は、当人の社会的 活動と、右のような変動に対する彼の欲求・承認ないしは予測とがある場合にのみ、生ずべきで ある、ということが原則とされる。すなわち、私法上の権利義務の変動を生ずるための最も中心 的な要因は『意思』である、と構成される。 ところで、人間の行動を支える精神作用の質は、年齢的成熟の過程に応じ、個人的資質が異な るに応じ、またその他の環境に左右されて、具体的には、まさに千差万別である。そして、前述 した「意思」とは、およそなんらかの心理作用・精神活動があればよいというものではなくて、 当該個人の権利義務が変動するという法律効果の発生を認めてもよい、社会的に評価されうる程 度の最低限の質を有するものでなければならない、と えられる。このような最低限の標準に達 しているときの判断力・精神能力ないし精神的資質のことを、意思能力とよび、年齢的未成熟・ 病理的障害などのゆえに右の標準にまで達していない精神状態を、意思無能力と呼ぶ。意思能力 とは、行為の結果を弁識・判断するに足りるだけの精神的能力をいう、などとふつうにいわれる のは、以上のような意味である。」 ④四宮和夫『民法 則第四版』44頁(弘文堂、1986年) 「近代法における私的自治の原則は、各人は自らの行為によって自己を拘束する具体的規範を形 成しうることを認めるものであるが、それは自己の正常な意思活動に基づく行為によることを前 提とする(個人意思自治の原則)。すなわち、法律行為が、本来の効果を生ずるには、行為の結果 (それによって自 の権利義務が変動するという)を弁識するに足るだけの精神能力、すなわち 意思能力を有する者によってなされなければならないわけである。」 以上のように、意思自治または私的自治の前提として、意思能力の必要性と意思無能力者の行為が 無効であることとを説明する立場が一般的であった。
3 機能面から意思無能力を捉える民法学説
⑴ 末弘説 末弘は、民法の行為能力制度を制限能力者の保護の点から位置づけるべきことを主張し、意思が不完全であることから論理的に法律効果を否定する見解を批判した。末弘によれば、意思不完全を根拠 とする論者は、意思無能力である制限能力者の行為を当然無効であると主張するが、誤りである。な ぜなら、制限能力者に有利な行為であっても相手方の無効主張を許しその利益をはかることを是認す ることになるからである。このような え方は「意思表示に関するドイツ流の理論の根底に横つて居 る 想の致すところであると言わねばならない。即ち、法律行為の効果は当事者これを欲するが故に 発生すとの意味を解して、恰も当事者法律的効果を欲するの結果として、これと自然科学的因果関係 を以て当事者の欲したる法律的効果が発生するものの如くに へ、其の結果意思能力全く無き場合に は法律的効果の発生すべき理由なしとの結論を認めるのである。意思表示理論の根底に心理学的 察 を加へ、これに自然科学的正確さを与へたことは確かにドイツ法学の功績であるけれども、同時に法 律の本来規範たることを忘れ、法律所定の規範内容其のものを実質的に発現することを度外視して、 徒に心理過程の自然科学的 析にのみ捉はるるが如きは法律学の研究方法として根本的に誤 を犯す ものと言わねばならない」。このように述べて、末弘は、制限能力者が意思無能力であっても、制限能 力者の側からの取消が可能であるにとどまると解すべきことを主張した。 末弘は、制限能力者は意思無能力無効を主張できないことを述べたが、その基礎は、意思不完全か ら論理的に無効・取消を導く論法を否定する立場にあり、行為能力の制限との競合の問題とは別に、 意思無能力無効自体を問い直すものであった。 ⑵ 薬師寺説 薬師寺は、民法規定なしに当然に意思無能力無効が認められる理由は、「民法の採用して居る一大原 則たる私的自治の原則に基づくものである」と解する。そして薬師寺は、「各人は原則として自己の意 思に基づいてのみ権利を取得し、義務を負担する」という私的自治の原則を採用するに際して、民法 は「瑕疵ある意思決定に因る表示行為」については、私的自治の原則に基づく「行為者の保護」のた めに、行為者に責任を負わせないという配慮をせざるを得ず、その結果として民法は錯誤無効と詐欺・ 強迫の取消の規定を設けたと 析する。これを前提として薬師寺は、意思無能力者の行為につき、次 のように述べる。 「意思無能力者が、自己の行動を全然意識せずに或挙動例へば契約証書に押印しても、それは無意 識的行動であって人の『行為』と云ひ難いから、無効である。精確に云へば法律行為は成立しない。 然るに、之に反し、意思無能力者が、自己の行動を意識して之を為す場合には、意思決定に基づくも のであり、従って意思無能力者の『行為』ありと云ひ得るであらう。しかし、此の場合に於ても、意 思無能力者は、当該行為の結果に対する判断力を欠き、其の社会的価値を認識しないのであるから、 意思無能力者の為す表示行為は其の表示価値を認識しないか又は表示の内容を理解しないものとし て、錯誤に因る行為が無効とせらるると同一理由に因り、之を無効とすべきである。従って意思無能 力者の表示行為を無効とするのは、錯誤に因る法律行為の無効と同じく、私的自治の原則に基づくも のであって、瑕疵ある意思決定に基き表示行為をしたる者を保護するの趣旨に出づるものであると謂
はねばならぬ。」 さらに薬師寺は、意思無能力無効の理由が「私的自治の原則に基づくものであり、表意者の保護を 本旨とするものであると解するならば、条理上其の行為の無効は、之を確定的無効のものと解すべき でなく、表意者又は其の代理人の適法なる追認に因り之を有効と為し得るものと解す」べきことを主 張した。薬師寺によれば、法律行為を無効とすることにより得られる利益保護を表意者が放棄できる ことに問題はなく、「表意者が進んでこの利益享受を欲しない場合には、この利益を付与せずして、其 の行為を有効とすべきである」。 薬師寺は、意思無能力を「瑕疵ある意思決定に因る表示行為」として錯誤や詐欺・強迫と同視する という独特の論理を主張したが(後記舟橋説参照)、他方において、私的自治の原則から瑕疵ある意思 決定をした「行為者の保護」という視点を取り出して強調した点にも重要な意義がある。意思無能力 者保護の観点から意思無能力無効の内容を制限していく手法は後の学説に継承されていくことにな る。 ⑶ 舟橋説 舟橋は、意思能力と行為能力の関係を次のように説明した。すなわち、「意思能力のない者のした行 為は、何ら法律上の効果を生じないのであるが、意思能力は、各具体的場合における正常な判断能力 を意味するものであって、その有無は、外部から確知し難い内心の問題であるのみならず、表意者の 精神的発達の程度や当時の精神状態、あるいは、対象たる行為の難易などに、依存するものである。」 したがって、表意者にとっては意思無能力を立証して保護を受けることは相当に困難であり、他面、 行為の相手方や第三者にとっては、行為の当時に、表意者の意思能力の有無を確知することは困難で あるから、後に意思無能力無効になったときは不測の損害を被る。「そこで、民法は、財産的法律行為 が頻繁に反復して行われることを顧慮し、特に、行為の相手方その他の第三者について生ずべき不測 の損害を、できるだけ軽減するため」、①一定の画一的基準を具備するときは、現実の精神状態や行為 の難易などを問わないで、一律に、意思能力がないものとみなし(表意者たる意思無能力者を立証の 困難から救うことにもなる)、②この画一的基準を外部から認識できる一定の標識を備えさせることで 客観化し、これにより相手方に予知予防の機会を与えた。「かような客観的・画一的基準 例えば成 年年齢・裁判所の宣告 によって、意思能力を客観的に画一化した制度が、行為能力の制度なので ある。かように、意思能力の制度は、行為能力の制度に、昇華し転化してしまったのだから、この趣 旨を貫くかぎり、財産的法律行為に関しては、わが実定法上、意思能力なる制度は存在しないわけで ある。」 さらに舟橋は、表意者に有利な取引の場合にはその保護のためには意思無能力無効を認めずに、行 為能力の制限による取消の方が適していることを説明に付加している。 このように舟橋は、意思能力制度の存在を否定したが、行為能力の制度で救済されない意思無能力 者につき、錯誤に関する民法95条を類推適用すべきであると主張した。すなわち、「意思表示の錯誤は、
真正な事実…の不認識に対し、さらに不真正な事実の認識…が加わり、よって、真意を欠くものとな るのであるが、その意思表示が無効とされるのは、もっぱら、前者、すなわち真正な事実の不認識で ある。…一時的心神喪失者や禁治産宣告を受けない成年の白痴などの意思無能力者の行為も、全然真 意がないので、不真正な事実の認識はないけれども、真正な事実の認識…を欠いている点では、錯誤 の場合と相通ずるものがあり、まさに、この点で錯誤に関する95条を類推適用すべき根拠がある」。 ⑷ 須永説 須永は、意思無能力による絶対的な無効を当然視する意思ドグマの え方を否定する立場から、意 思能力および行為能力の制度の研究を継続して行っている。 須永は、意思能力と行為能力の関係につき、舟橋説を一部修正し、(a)制限行為能力を理由とする 取消が通用するかぎり意思無能力を理由とする無効はこれに吸収されるが、(b)制限行為能力を理由 とする取消の通用の余地がない場合には意思無能力そのものを理由とする無効を認める 。 (a)須永が、制限行為能力者が意思無能力であっても意思無能力無効の主張を認めない(この点 では舟橋説を支持する)理由は、意思無能力制度の 革と現行法の解釈論の両者にある 。まず、 革 につき、須永は次のように述べる。「『意思能力』という概念が承認されるに至ったのはドイツ普通法 学を一貫する意思理論に基づく過度の抽象癖によるのであり、この過度の抽象癖のために、代理制度 が不備未発達の結果として本人みずからに法律行為をさせねばならなかったというただそれだけの事 情に促されてローマ法上承認されていたにすぎない『幼少者』(Infans)のごときものまでもが、普通 法学上意思無能力者の一類型として包摂されてしまったのである(Savigny,…)。ところが近代法のも とでは『意思能力』という概念の機能しうる余地が実はかえってせばめられているはずであり、とり わけ必ず法定代理人を付せられることになっている未成年者や禁治産者についてまで『意思能力』の 有無を問題視することの実際的必要性は今日ほとんど存しなくなっているはずだ、とみることができ よう」 。次に、現行法の解釈論としては、須永は、追認による有効化、無効を原因とする返還義務の 範囲、無効主張の期間制限等に関して意思無能力無効の内容を取消の効果に近づけるべきことを前提 として、制限行為能力の取消のほかに意思無能力無効を認める必要性がないと主張する 。 須永によれば、「そもそも、行為能力制限の制度は、本人による意思無能力無効の立証を容易化する とともに、相手方にも予知予防の手がかりを与える(戸籍謄本・登記事項証明書とか)という形で、 意思無能力無効法理を合理化している。したがって、このように、より合理的な行為能力制度が機能 している場合に、より不 な意思無能力無効の法理の通用を認める余地・必要性は存しない。」行為能 力の制度は、「表意者・相手方の利益の比較衡量において 衡を保っている」し、制限行為能力者は不 利益な行為を無効化できる制度的保証を受けている。なぜなら、能力制限を受けているというだけの 理由で無効化が可能であるし、本人だけでなく保護機関にも取消権がある。しかも相手方は取り消さ れた後の原状回復が受けられない可能性があるのに、制限行為能力者の側は完全な原状回復が可能で ある 。このように須永は、行為能力制度による保護で十 であると解している。
(b)須永が、制限行為能力者ではない意思無能力者については、意思無能力無効を認める(この 点では舟橋説を支持しない)理由は、①意思無能力者を保護する必要性があることと、②舟橋が主張 する錯誤規定の類推適用が妥当でないことにある。 須永は、意思能力の概念は「民法典成立直後から今日に至るまで、日本の判例・学説上すでに確固 たる存在を認められてきている概念だから、今にわかにこれを否定することは困難」であると見て 、 そして意思無能力者を保護するために意思無力概念を肯定する。しかし、須永によれば、「意思無能力 法理の根拠は私的自治の原則」であるから 、「この場合の『保護』は、私的自治を実現できなかった 意思無能力者に私的自治を回復してやるためのものだということである。すなわち、意思無能力者の 行為は行為時には無効、ただし、無効を主張するか有効のままにしておくのかの選択権が意思無能力 だった者に留保された性質の『無効』であり、このレヴェルで意思無能力だった者の私的自治は回復・ 確保される」 。 舟橋が主張した錯誤規定の類推適用につき、須永は、「意思無能力は内的精神状態の欠陥に基づき人 並みの心理作用を不可能とされている状態だから、本来は通常の人が単にたまたま錯誤に陥ったとい うだけの場合よりも厚く保護されるべき必要性」があるから、95条の類推適用は適切でないと解す る 。 ⑸ 中舎説 中舎は、今日の能力概念は、「人間の行動に関する原理・原則的な要請」ではなく、「ある法律問題 を解決するための一つの法技術にすぎない」から、「能力概念は、道具概念としての機能を維持するた めに客観的にとらえられ、また、能力の欠如の効果は、ある問題解決のための他の諸制度とのバラン スの上で えられる」との視点から 。「そもそもこのような概念が今日もなお必要なのだろうか」と いう疑問を提示する 。そして、中舎は、まず、「今日では、意思無能力は、精神能力を欠く者による 意思表示の効力を否定し、表意者を保護するための概念であることを前面に出して理解されるように なっている」こと、意思無能力無効は「表意者保護のための無効であるから、法律行為の相手方や第 三者からは主張できない無効であると解されるようになっている」ことを指摘する(「意思欠缺の問題 を表意者保護の観点からとらえようとするのは、95条の錯誤における議論と共通している」ことも指 摘している 。次に中舎は、意思無能力概念の有用性を、旧禁治産・準禁治産の制度の利用者が少ない ために制限能力による取消の機能が働く場面が少ないという制度的難点を補充する点に求める 。し かし、民法には、行為能力の制限以外にも法律行為の効力を排除するための規定があるから、「実際問 題としては、意思表示の合致があり(これが大前提である)、それが真意であって(93条、94条に該当 しない)、誤解がなく(95条に該当しない)、騙されも脅かされもしておらず(96条に該当しない)、内 容的にも問題がない(90条に該当しない)が、高齢者だからといった理由だけで保護しなければなら ないような場合はあるのだろうか」という疑念を提示して、中舎は、「こうしてみると、意思無能力概 念は、実のところ、理論として以外にはさほどの機能を有していないといえるのではなかろうか」と
いう結論を導く 。 このように中舎は、端的に意思無能力無効の機能に着目し、表意者の保護という帰結は民法が規定 する諸制度により達成することができるから、規定のない意思無能力の概念を う必要性がないこと を主張する。 ⑹ 熊谷説 熊谷は、『意思無能力法理の再検討』と題する著書 において、低年齢による意思無能力の場合だけ ではなく、高齢者や精神障害者の取引上の 争をも想定し、従来の意思表示論・法律行為論との関係 や消費者保護制度との関係を踏まえたうえで、ドイツ法を含めた意思無能力制度を 合的に検討し、 理論的な判断枠組みの方向性を研究した。 A 意思無能力制度の存在意義 熊谷は、意思無能力制度の存在意義を、次の3つの点に求めている。 (I) 行為の不成立・不存在の場合に問題とされる意思無能力。判断能力の程度としては、「行為を なすこと自体の認識がないといえるような場合である」 。 (Ⅱ) 法秩序維持の観点から問題にされる意思無能力。「私的自治の正当性保障機能を維持するため には、一定の者が取引から排除される必要があり、この点を定めたものが意思無能力法理であ ると えるわけである」。これまで「意思主義の論理的帰結」として説明されてきたことと表裏 の関係にある 。 (Ⅲ) 判断能力の低下した者を保護するという観点から問題とされる意思無能力。「意思無能力法理 を、判断能力の劣る者の自己決定の尊重及びその者の保護と相手方の信頼保護との調整の問題 と位置づけるのである」 。 熊谷は、意思無能力法理をこの3つの面で区別して検討すべきであると主張して、各面から意思無 能力法理を再構成する方向性を探り、従来の意思表示論・法律行為論との関係や消費者保護制度との 関係から意思無能力法理の有用性を検討して、結論として、3つの面において、それぞれ意思能力法 理の必要性を肯定している 。 B 意思無能力の判断枠組 次に熊谷は、上記3つの面から意思無能力を判断する「枠組」を検討する 。(I)まず、行為が存 在しないほどに能力が低下しているかを判断する。これに該当すれば意思無能力であり、逆にこの点 では能力があると判断される場合には、(Ⅱ)次に、問題となる当該取引のルールとの関係で取引から 排除すべき者に該当するかどうかを判断する。排除すべき者に該当すれば意思無能力である。これに 該当しない場合には、(Ⅲ)さらに、判断能力の低下のために(取引から排除しない形での)保護が必 要かどうかを判断する。ここでは判断能力の低下だけでは意思無能力とはならず、他の法理での保護 との関係で保護の必要性を検討し、必要な場合には意思無能力となる。
C 従来の学説の枠組との関係 さらに熊谷は、上記の意思無能力の判断枠組と従来の民法学説による判断枠組との関係を検討す る 。すなわち、意思無能力につき民法学説は、①行為の結果を弁識するに足るだけの能力を欠くこと、 あるいは ②自 の行為の動機および結果を正当に認識し、この認識に基づいて正常な意思決定をな す精神的能力を生物学的要因のために欠くことと定義してきた。このうち②の定義では「認識」だけ ではなく「意思決定」の要素をも重視し、かつ、「生物学的要因」を要求しているが、熊谷の主張する 上記の判断枠組では、このいずれの要素も二次的な位置づけに過ぎないと 析する。すなわち、上記 (I)では「かなり能力が低下した場合にのみ意思無能力が認められることになる」から、認識か意 思決定かは問題にならず、かつ、(要件としなくても)生物学的要因がある場合がほとんである。上記 (Ⅱ)では、当該取引のルールとの関係で取引から排除すべき者かどうかが問題となるので、意思決 定の能力を欠くかどうかとか、生物学的要因によるかどうかは、論理的に要請される要件の問題では ない。上記( )の意思無能力は、合意の瑕疵論と連続性を持ち、かつ「合意の瑕疵にかかわる規定 においては、認識にかかわる場合(錯誤・詐欺)と意思決定にかかわる場合(強迫・暴利行為論)と が含まれているのであるから、意思決定の要素を排除すべき理由はない」。しかし、上記(Ⅲ)では、 「相手方の態様や行為内容が 慮されるから、生物学的要因以外の要因から判断力が低下した場合も 含めるほうが、この意思無能力の趣旨をよりよく達成できる」。
4 精神医学の見解
⑴ 意思能力に関する従前の理解 意思無能力を理由として契約等の法律行為の効力が争われる裁判は近時多数にのぼり、そこでは精 神科医の鑑定を基礎として意思能力の有無が判定される例も少なくないと思われる。しかし、この意 味での意思能力を対象とした精神医学の研究はほとんど存在しない。精神医学の中で司法に関わる領 域である司法精神医学の研究対象はもっぱら刑事責任能力であった。ごく稀に民事責任が扱われる場 合は、旧禁治産・準禁治産(現在の成年後見)制度に関するものであった。そして、そこで「意思無 能力」が語られるときには、禁治産宣告をする(後見を開始する)審判の基準としての「心神喪失」 (事理弁識能力の欠如)を意味していた(民法学の通説が、この心神喪失を意思無能力の意味である と解していたことが前提になっていると思われる)。すなわち、精神医学において意思無能力とは禁治 産を宣告する原因としての心神喪失のことであった。 例えば金子らは、「いわゆる意思能力の精神医学的研究 禁治産宣告の場合を中心として」と題す る論文で、家 裁判所の禁治産宣告事件の調査結果から、民法上の意思能力を検討している 。また、 精神鑑定の権威者であったと思われる中田による解説においても、行為能力と意思能力との混同に基 づくと思われる記述が見られ 。さらに、禁治産宣告の原因である心神喪失に対する理解においては、 刑事責任能力と「類似した精神的能力」であると記述する解説書もあるという状況であった 。⑵ 西山説 以上のような状況の中で、西山は、民事の精神鑑定に関するわが国で初めての単行書 を出版し、鑑 定実務に大きな影響を与えた。以下において、まず、この著書から、意思能力に関係する部 を中心 に一部を紹介し(遺言を含めた家族法上の問題は省略した)、次にその後の論文を紹介する。 A 『民事精神鑑定の実際』 ⒜ 精神鑑定の仕方」の章 ここでは、三宅鑑定書が現在でもわが国の「精神鑑定の標準」になっていることを指摘し、主に同 鑑定書とグレールの鑑定書とを参照して、各医師ごとの手探りでの作業である精神鑑定書の作成の一 般的方法を解説している。 西山鑑定書は、「民法上の判断」を鑑定書に記述するべきかどうかについて、次のように述べている。 「法律は鑑定人が心神喪失や心神耗弱の判断をすることを禁止してはいない。鑑定人もこれらの判断 がかなりの程度に可能である。ただ、すべてを 合的に検討して、いかなる判断が事件を 正に解決 するかの最終判断をするのは裁判官(審判官)である。裁判官は自己の職責を全うすべきである。そ のような裁判官にとっては、鑑定人の心神喪失等の判断は参 にこそなれ邪魔になることはないであ ろう」。「裁判所が自 の鑑定結果を採用したか否かによって一喜一憂する必要はない。裁判所が自 の鑑定結果を採用したことをもって、自 の意見の正しさが証明されたかのように言う人もあるが、 それは大なり小なり見当違いである。鑑定人が 察すべき範囲と裁判官が 慮すべき範囲に、もとも とかなりのずれがあるからである」。 ⒝ 民事精神鑑定とその周辺の問題」の章 ここでは、金子論文、坂本報告、寺島報告、村田報告等を参照して、禁治産制度の弊害・危険性を 含めて無能力者制度の実状を解説している。 ⒞ 鑑定に必要な民事法」の章 ここでは、意思能力、法律行為等の法律用語の説明や、立法趣旨を含めて民法7条、11条等の条文 の説明が記述されており、精神科医の側から行う法的評価の基礎に該当する部 である。 ⒟ 意思無能力の鑑定例の紹介 70歳の本人が 設会社の営業所にパンフレットが欲しいと電話したところ、重役を含めた社員3人 が自宅に来て、3億8000万円になるワンルームマンション65室の 築契約書に署名捺印させた。帰宅 した長男が断りの電話を入れると、契約書に記載されていた違約金として7700万円を請求された。こ れに対して本人側は詐欺・強迫または意思無能力を主張して訴 になり、裁判所の鑑定委託により意 思無能力とする本鑑定書が提出されたが、判決前に本人側が実費として250万円を支払うことで和解し た。以上が事件の概要である。 本鑑定書は、Ⅰ緒言、Ⅱ家族歴、Ⅲ本人歴、Ⅳ現在症、Ⅴ 察と説明、Ⅵ鑑定主文、以上の章で構 成されている。内容は全体的に平易な叙述で詳細に書かれているが、本人歴と現在症が要約されてい る「Ⅴ 察と説明」の「病状診断」において、本人の状態は次のようにまとめられている。「最初は忍
び寄るように進行した痴呆が昭和58年(59歳)頃には明瞭な姿をとった。すなわち、記憶障害、思 力・批判力の低下などの知的低下のほか、羞恥心の喪失、無 着に代表されるような人格変化を生じ たのである。翌59年にはこうした傾向が一段と顕著になり、脳の血管性変化(脳梗塞)と脳実質の軽 度萎縮が証明された。その後も昭和63年ころの軽い脳卒中を経て、心身の病状はほぼ平行して進行し た。記憶障害はさらに顕著になり、思 内容は 困化して自 の意見を持つことができず、無関心、 無気力、自発性の低下が目立ってきた。平成3年には進行した多発性脳梗塞と脳萎縮が証明されてい る。その後も心身の病状はごく緩慢ではあるが進行しているようである」。そして、記憶障害に始まり、 感情的疎通性が保持され、感情失禁がみられるという症状の特徴、脳梗塞、脳の萎縮などの検査所見、 痴呆が段階状に進行し脳の血管性変化の進行と痴呆の進行との並行関係という経過から、「脳血管性痴 呆と診断を下すことができる」、「遅くとも平成五年にはすでに中等度の痴呆状態」であるから、本件 事件の時点でも中等度の痴呆であったと推定している。さらに、事件当時に、顕著な脳梗塞と脳の萎 縮があったこと、計算力が低下していたこと、IQは56程度であったことを推定している。 民法上の判断として、まず、民法の教科書には意思能力の有無の基準として7歳から10歳程度とい う記述があることを紹介し、精神年齢と IQを対応させれば精神年齢7歳から10歳は IQ45から65前後 に相当すると説明するが、しかし個別に検討する必要性があることを述べて、この数値から直接的に 結論を出すことはしていない。 次に、理解力が比較的よく保たれていることと知能の低下との関係を検討している。すなわち、名 前を書いて下さいと言われれば署名でき、話の内容がマンションの 設であることも理解でき、署名 捺印したら約束を守らなければならないという知識もある。しかし、他人の申し出について、「自 や 家族の観点からいかなる点に注意をしなければならないかの 慮もなく、家族に相談するという知恵 もなかった。それがいかに不用心な行動であるかの認識と、その結果どうなるかの予期力に欠けてい たい。同時に、自 の能力がいかに低下しているかを判断する能力にも欠けていた(病識を欠いてい た)のである」。「利害打算に関する判断力のみならず、自 の行為が家族にとってどういう意味をも つかというような是非善悪の判断力も失われている」。 最後に、脳疾患による人格変化が意思能力に影響する面として、「羞恥心を失い、無気力、無 着、 不関の傾向が著しい。自己の主体的な意思を形成し、これを貫徹するということができない」ことを 挙げている。 結論として次のように述べている。「判断力、思 力、知的自発性を欠き、感情的疎通性を残して好々 爺ではあるが、無気力、無 着の目立つ痴呆状態にある」。「規模が大きく、細部にも吟味を要するよ うな財産上の法律行為に対して、相対的に高い精神的能力を要求するとすれば、被告の場合は意思能 力を欠くと えるのが妥当であろう」。 B 成年後見制度における弁識能力とその判定」 この文献における西山は、成年後見鑑定および診断に焦点を り、それが刑事責任能力や民事の意 思能力の鑑定(西山は「狭義の民事精神鑑定」と呼ぶ。)とは異なり、過去の事件またはその原因を対
象とする作業ではなく、「現在と近未来を視野の中心においた展望的な作業である」ことを指摘してい る。しかし西山は、成年後見鑑定も、刑事責任能力および民事意思能力の鑑定と共通の、次のような 三段階の構造を持つと主張する 。 すなわち第一段は、精神上の障害の有無とその種類・程度に関する判断で、いわゆる生物学的要素 と呼ばれ、医師が判定する。 第二段は、この障害による弁識能力の低下の有無およびその程度に関する判断で、いわゆる心理学 的要素と呼ばれる。民法の「事理弁識能力」、および、現在の精神鑑定実務の鑑定書式における「判断 能力」または「自己の財産を管理・処 する能力」はこの段階の能力を指す。この能力の有無を判定 する者につき議論があるが、現行制度のあり方から見て、鑑定人と裁判所の両者がそれぞれ判定する と えるべきである。その結果、医療「専門家の判断する弁識能力」と「裁判所の判断する弁識能力」 の2つが存在することになる。 第三段は、各成年後見の審判を開始するかどうかの判断であり、これが裁判所だけの仕事であるこ とに異論はない。しかし審判実務は、事理弁識能力に問題がある場合には裁量の余地なく成年後見を 開始すべきであると解しているので、実際にはこの段階の判断が行われておらず、このため裁判所の 法律判断は第二段階に移入されざるを得ない。 西山は以上のように主張し、意思能力に関する民法学の通説的理解(および私見)を批判的に検討 する中で、さらに次のことを主張した。「臨床であれ裁判または審判であれ、人の判断能力(責任能力、 意思能力等)の判定は本来誰にでもできる、というのを出発点にしなければならない。そうでなけれ ばそもそも陪審が有罪、無罪、または心神喪失による無罪を評決することなどできるはずがない。そ のような、元来はだれにでもできる判断を、一方で精神医学の臨床活動を通じてソフィスティケート させたのが精神科医であり、他方で法的評価の面をソフィスティケートさせたのが裁判官である。し たがって、法的判断と精神医学の判定とは別次元の問題でな」いと えるべきである 。 この理解を前提とし、西山は、成年後見鑑定における第二段階について、次のように主張する。「弁 識能力の有無・程度の判断は純粋に医学的な判断ではないが、純粋に法的な判断でもない。それは両 者の 合」である。しかし、審判実務が弁識能力に問題のある場合には必ず後見を開始しなければな らないと解しているために、本来なら第三段階として行うべき「法的評価を弁識能力の有無・程度の 判断に繰り込まざるをえない。その結果弁識能力判断等に占める法的評価の割合が肥大する」。このた めに事理弁識能力の判断に医師が関与することを法律家は忌避するようになった。しかし、医学の協 力なくして審判官はこの判定をすることはできない 。 さらに西山は主張する。「裁判官(審判官)の独立は、法的価値判断と精神医学的判断とを別次元に することによってはじめて確保されるようなものであってはなるまい。後見開始の審判をし」、その法 的効果を検証するのは裁判所であるから、医師の「弁識能力の判断を参 にしつつ、個別事例に即し た 合的な最終判断をするのが裁判官の職責である。判断の最終責任は裁判所がとるしかないが、弁 識能力の判断については専門家と裁判官が相互に討論できるのでなければならない。法と精神医学と
の対話はこのようにしてはじめて可能になるであろう。」 以上のように、西山は、法的評価のみを行う第三段階を審判実務が実施することを強く求めており、 それを前提として、第二段階にある「弁識能力」の有無は医師が判定することを主張する。そして、 西山によれば、鑑定医と審判官が同一の「次元」でそれぞれ判定することになる。 さらに西山は、その後の解説において 、医療同意能力や後見人の同意権の問題 、PTSD を含めた 不法行為・災害における賠償責任の問題等 の民事責任の全体を俯瞰して鑑定医の役割に言及してい る。 ⑶ 五十嵐説 五十嵐は、イギリスにおける代理および後見制度の法改正に関する法律委員会の(1991年の)提言 や、他の英米法圏の法制度等の調査を基礎として、意思能力の判定に関して次の提案を行っている 。 A 状態―機能判定法 まず、イギリスの法律委員会の報告書の内容から、能力判定方法には、①結果判定法(本人の意思 決定の結果が一般人の常識・規範に適合しているか)、②状態判定法(年齢、疾病等の身体的・精神的 状態が、ある一定の状態にあてはまるか)、③機能判定法の3つの方法があると 析し、五十嵐は③の 機能判定法を支持している。機能判定法は、特定の意思決定をする際の本人の個人的な能力と意思決 定に至る本人の主観的な思 過程に焦点をあてた能力判定の方法であり、自己の意思決定の一般的な 内容と起こりうる結果を理解し、その意思決定を他者に伝達できるか否かで能力を判定する。 さらに五十嵐は、治療同意に関するアメリカの学説を参照して、精神障害の有無や内容は能力の有 無に直接に影響するものではないが、しかし常にすべての者の意思能力を判定することはできないか ら、意思能力に疑義が生じるような臨床状態をあらかじめ想定し、その臨床状態に該当する人につい て能力判定を行うという方法が現実的であると見て、純粋な機能判定法ではなく、状態判定法と機能 判定法との併用である状態―機能判定法を支持している。 B 意思能力判定の構造 以上を前提として、五十嵐は、意思能力判定の構造を、①機能的能力、②キャバシティ(Capacity)、 ③コンピタンス(Competence)の3つのレベルに けて えることを提案する。五十嵐は、意思能力 の判定に際しては、法律学の概念と医学・心理学の概念とを明確に区 することが必要だと主張し、 アメリカの心理学説を参照して、医療関係者が判定する臨床状態としての能力をキャパシティと呼び、 裁判官が法的に判定する能力をコンペタンスと呼ぶ。機能的能力は医師がキャバシティの有無を判定 するための素材であり、医師の判定したキャパシティの有無を参 にして裁判官はコンピタンスの有 無という法的結論を下す。 C 機能的能力」の測定 五十嵐は、医療同意に関するアメリカ学説の提案に従い、「機能的能力」の中核は、①理解(特定の 意思決定に関連する情報を理解する)、②論理的思 (得られた情報を論理的に操作する)、③認識(意
思決定の行われる状況や意思決定の結果を認識する)、④選択の表明(意思決定の結果=選択を他者に 伝達する)の4つの能力であると見る。そして問題となる行為ごとに必要となる能力の程度はそれぞ れ異なるという。 そして五十嵐によれば、この「機能的能力」は、知能と同様に、認知機能評価により連続量として 測定可能であり、結局、「機能的能力とは、精神医学的・心理学的に客観的に評価することが可能な認 知機能としての」能力である。しかし、従来の認知機能検査は一般的な認知機能の測定を目的として いるので、特定の行為に対する機能的能力を直接に測定することはできない。そこで五十嵐は、一般 的な認知機能検査とは別に、医療同意に関する認知機能を評価するために作成されたアメリカおよび わが国の評価尺度と、財産管理能力に関する認知機能を評価するために作成されたアメリカおよびわ が国の評価尺度を紹介している。 D キャバシティとコンピタンスの有無の判定 五十嵐によれば、機能的能力の測定結果から、医療専門家がキャパシティの有無を判定する。キャ パシティの有無は、本人が置かれている状況のもとで「意義のある意思決定」を行えるかどうかの評 価である。キャパシティの有無を区 するための閾値を機能的能力に設ける必要があるが、本人の「背 景要因」を 慮しなければ判定できないから、一般人の平 的な機能的能力を基準にすることはでき ない。 ここで五十嵐は、医療同意の場合、特に患者の最善の利益に適すると医師が判断する療法を本人が 拒否する場面を掲げて、キャパシティの判定は自律性(自己決定)と保護(最善の利益)とのバラン スを 慮することになると見る。そして、現代社会では本人の価値判断に基づく自律性を重視するこ とが求められるが、他方、保護の要素には評価者の価値判断が反映されることになるが、あくまでも 医療専門家としての判定であるから、法的な意味での規範的判断とは「次元が異なる」と位置づける。 このキャパシティの有無の判定を参 資料として、裁判官がコンピタンスの有無を判定する。キャ パシティの有無は本人の「背景要因」のみから判定するが、コンピタンスは、法規定や判例をも 慮 した「規範的かつ普遍的な判定」である。 E 小活 以上からわかるように 五十嵐は、わが国の成年後見の開始審判における精神鑑定または診断のあ り方を念頭において論じているものと思われる。五十嵐の主張は、明確に述べられているわけではな いが、成年後見の開始を判定する際にも、精神科医は一般的な能力に関する鑑定を行うのではなく、 財産管理能力に特定した能力に関して鑑定・診断を行うべきであるということにあるように思われる。
5 同意能力と意思能力
⑴ インフォームド・コンセントの法理はわが国に定着し、その存在意義を疑われることはないが、 しかし、その前提である同意能力を直接に扱う素材は乏しい。恐らく、以下に紹介する新美説が、民法学の側から医療同意能力を正面から論じる唯一の文献 であると思われる。 ⑵ 新美説 新美は、「同意能力の有無の問題は患者の自己決定権と患者の 康利益とをトレード・オフするポイ ントをどこに求めるかに帰着する」と見る。そして、「患者の同意能力の有無を誰がどのようにして何 を基準として判定するかは、インフォームド・コンセントの理念の死命を制する」重要な問題だと位 置づけたうえで、わが国で同意能力を論じるための素材が乏しいため、アメリカでの議論を紹介し検 討する。 A 同意能力の判定基準 新美は、同意能力の判断基準を検討するために、まず、1982年に 表された大統領委員会の報告書 から、同意能力の構成要素は、①価値体系および目標の保有、②情報の伝達能力および理解能力、③ 選択についての論理的思 能力および検討能力、以上の3要素であること、そして、「3構成要素であ る各能力の有無」を判断する基準が、次の4通りあると指摘されていることを紹介する 。 すなわち、①「選択表示」基準:医療上の意思決定に関する選択を表示さえしていれば、同意能力 を有している。②「合理的結論」基準:意思決定された内容が客観的に正しい、または合理的である 場合に、同意能力を肯定する。③「地位」基準:意識不明者、精神病者など、一定のカテゴリーに該 当する者は、同意能力を備えない。④「機能」基準:意思決定をすべき状況において、適切な意思決 定機能を働かすことができるかどうかによって、同意能力の有無を判定する。以上の4通りである。 これらのうち、大統領委員会報告書は、個別具体的な医療上の事柄に関して患者自身の価値体系に調 和する意思決定をする能力ないし機能が患者に備わっているかどうかで同意能力の有無を判定すべき であるから、④の「機能」基準によることが望ましいとし、その具体的機能としては、理解力、意思 伝達力、選 形式・表示力などが掲げられている。 次に新美は、アメリカの学説における議論を整理して紹介する 。まず、「いかなる機能を尺度にす るのか」に関して、大統領委員会が提案する「機能」基準を前提としたうえで、①「理解力」基準(医 師の提供する、意思決定に必要な情報を理解できる)、②「理解力」基準を発展させた新「理解力」基 準(情報を理解し、医師がその情報を正しいと えているということをも認識する)、③「評価力」基 準(情報を理解し、評価・検討する)、さらに「評価力」基準を発展させた、④「信頼」基準(情報が 正しいものと信じられる)、⑤「誤信」基準(意思決定に影響するような明白な誤信を抱かない)、お よび、⑥「論証力」基準(理解した情報を操作し、論証する力を備えている)が提案されていること を紹介する。そして、ここでの議論の整理から、新美は、「自己決定権の容認する常識にとらわれない でいることあるいは非合理でいることと、自己決定権が最終的に目指す決定者本人の最善の利益の確 保とともに100%満足させるような基準を設定することはほとんど不可能であり、いずれかの点で妥協 をしなければならないということが明らかにされてきた」ことを指摘する。 上記の機能を尺度にして測られる「どの水準をもって同意能力ありとするのか」を決める「能力の
閾値」に関して、新美は、大統領委員会報告書が、①意思決定の対象ごとに意思決定のために必要な 機能ないし能力の程度が異なると見る対象相関論、および、②意思決定の結果が重大であればあるほ ど意思決定に必要な機能ないし能力の程度は高いものが必要になるという結果相関論とを採用してい ること、ならびに、学説においては、①の対象相関論に異論はないが、②の結果相関論には異論が多 いことを紹介し、その内容を整理している 。 B 同意能力の判定手続 ①いつ、②誰が、③どのような方法で、個々の患者の同意能力を判定するのか。新美は、やはりま ず、大統領委員会報告書の内容から、①患者が医師の勧める治療行為を拒絶した場合に、同意能力の 有無を検討すれば足りるとすること、②同意能力の有無の判定が医学的な診断の範疇に属する事柄で はなく、一般人の常識によってなされるべきことを承認したうえで、最終的には医療機関が、精神医 学、心理学、神経学などを専門とする同僚の応援を得て判定するという見解にある(③の判定方法に は詳しい言及がない)ことを紹介する 。 これに対して学説は、①患者が医師の勧める治療行為を拒絶する場合に同意能力が問題になること は当然の前提としているが、しかし、②医療機関が判定するという見解には反対するものもいること が紹介されている。反対する理由は、現状を追認しているだけだ、現場の医師は自覚的に同意能力の 判定をしていないし、代諾者も自 の役割を十 に心得ているのではない、すべての州法は、無能力 者の判定を裁判所が行うことにしているし、多くの州の裁判所が、同意能力を欠く旨の宣告を裁判所 がすることを承認しているから、裁判所の関与にもいくばくかの価値がある、ということである 。 次に新美は、前記③の同意能力の判定方法についての議論は多くないが、次のことが認識されてき ていることを紹介する 。すなわち、「同意能力の有無が意思決定の対象ごとに判定されるべきである 以上、時空の見当識、注意力および計算力、記銘力、言語能力などの機能を測定する形式化された試 験はあくまでも、一次的かつ大雑把なスクリーンとしてのみ有用であるということ」が認識されてき ており、さらに、これらの試験が「教育程度の低い者や文化的に劣位にある者の意思決定能力を低く 評価する傾向を示すなどの短所があること」が指摘され、これを是正するために、「定式化された試験 の他に、精神科医によるインタビューを通じて、患者に問題となっている具体的な意思決定プロセス を歪める心理的なファクターを除去する努力がなされ」るにいたっており、医学領域では、このよう な認識に った判定手続が提案されていることが紹介されている。 C わが国での議論に向けて 新美は、これらのアメリカの議論からわが国での議論へ向けた示唆として次のことを指摘する 。① まず、同意能力を判定する尺度については、意思決定には情報についての一定の評価が不可欠である こと、情報の評価について医師に全面的に下駄を預ける結果となる「信頼」説には賛成し難いこと、 「論証力」説よりも「誤信」説の方が患者本人の価値体系ないし目標に介入する余地の少ないことか ら、「誤信」説の支持を表明する。ただし、この見解によるときには、「十 な理解力もあり、妄想も ないけれど、強度の抑うつ状態の故に、治療拒絶など好ましくない選択をする患者をどう扱うのかと
いう問題に直面する」が、「抑うつ状態が患者の価値体系を歪めているかどうかを吟味することによっ て患者の同意能力を否定するという方法で解決を図るべきである」と主張する。②同意能力ありと判 定するために必要な精神活動能力の程度に関して、新美は、対象相関説の指摘を支持するが、しかし 結果相関説に対しては「何が最善かを決定する権利を患者に認めておきながら、その選択では患者の 最善とはならないとしてその決定権を否定することは論理矛盾である」から賛成できないと主張する。 ③同意能力の判定方法につき、新美は、性格を異にする複数の種類のものが採用されるべきであると 主張する。④同意能力の判定者を誰にするかにつき、新美は、日本の裁判所は、経験の乏しさ、迅速 性に欠けること、事前判断に適した構造になっていないこと等から「おおいに疑問」があり、しかも 日本の医療供給の構造がアメリカより閉鎖的であり、同僚の審査システムが未開発であり、倫理委員 会などの機関が未整備ないし未発達であるから、アメリカより日本の方が深刻な問題であることを指 摘したうえで、事態を打開するには、医療機関ないし倫理委員会の整備をはかるしかないが、整備さ れない間は裁判所に期待するしかなく、裁判所の中では「家 裁判所が適任であるといえるが、迅速 な対応をするには人的・物的整備の充実が焦眉の課題」であることを指摘している。 ⑶ 医療同意能力と意思能力 民法学における意思能力の議論を、医療同意能力の問題に直接に反映させることはできないだろう。 医療行為と法律行為との法律構成や概念の相違の問題とは別に、実質的に比較が難しいからである。 岡 に代表される初期の民法学説のように抽象度の高い意思能力論であれば、現代の医療同意能力の 問題をも取り込んだ理論構成を えることができるかもしれない(ただし、そのような抽象的理論構 成の実際上の意義には疑問がある)が、機能面を強調する近時の意思能力学説においては、比較検討 すべき利益の内容が異なることを重視せざるをえない。 すなわち、能力判定の手続に大きな違いが生じるであろうことの他に、法律行為の無効を主張する (意思無能力の)場合には、取引の種類を特定できず、表意者のみならず取引の相手方の保護が(場 合によっては第三者の利益も) 慮の対象となり、返還義務の範囲を含めて意思無能力無効の内容に ついても検討したうえで、意思無能力無効のあり方を えなければならない。これに対して、医療同 意能力については問題となる場面をある程度特定することができ、その限りでは同意無能力の機能を 明らかにすることができる。すなわち、医療の現場において、どのような帰結を導くために同意能力 が問題視されるのかが重要である。 例えば、以下の(I)の各医療行為に対して、(Ⅱ)の場面における医療行為の可否を決めなければ ならない場面を想定することができる。そして、その帰結に患者本人の同意能力の有無が影響するか どうか、さらには、その帰結に法定代理人(またはその他の同意の代行者)の存在が影響するかどう かが、重要な問題になると思われる。
(I) 同意(または同意の代行)が問題となる医療行為の内容と本人の利益・不利益 ①通常の医療 本人の利益 ②輸血 ③人工妊娠中絶 ④侵襲の程度が大きい医療行為・リスクがある場合 ⑤生命維持治療の実施・差し控え ⑥治験 本人に利益のない場合あり ⑦ヒト由来物質・ヒトゲノム 本人に利益なし ⑧三兆候死臓器移植ドナー ⑨脳死臓器移植ドナー ⑩生体臓器(骨髄を含む)移植ドナー 本人の不利益 (Ⅱ)患者本人の状態(同意能力・法定代理人の意思)についての場合 け A 本人に同意能力あり ⒜ 行為能力の制限なし(通常のインフォームド・コンセント) ⒝ 行為能力の制限あり=法定代理人あり ①本人同意・法定代理人拒否(・事実上の保護者同意または拒否) ②本人拒否・法定代理人同意(・事実上の保護者同意または拒否) ③本人拒否・法定代理人拒否(・事実上の保護者同意または拒否) ⒞ 行為能力の制限あり・法定代理人なし (意思能力ある未成年者に親権者がいないが、後見人が選任されていない場合) ①本人同意(・事実上の保護者同意または拒否) ②本人拒否(・事実上の保護者同意または拒否) B 本人に同意能力なし ⒜ 行為能力の制限なし(法定代理人なし) (例:重度の精神障害者が成年後見の手続をしていない) ①事実上の保護者同意 ②事実上の保護者拒否 ⒝ 行為能力の制限あり・法定代理人あり ①法定代理人同意(・事実上の保護者同意または拒否) ②法定代理人拒否(・事実上の保護者同意または拒否) ⒞ 行為能力の制限あり・法定代理人なし (例:同意無能力の未成年者に親権者がいないが、後見人が選任されていない場合) ①事実上の保護者同意 ②事実上の保護者拒否
なお、法定代理に関する私見を述べれば、例えば親権者の法定代理権は未成年者の利益に合致する 範囲に限定されており、これに反する代理行為は効力を生じないと えている 。医療行為に関して も、法定代理人の代理権または同意権は、まず医療行為が患者本人の利益に合致する範囲でのみ行 でき(本人に必要なときには行 する義務があり)、これを超える範囲には代理権や同意権は及ばない と える。ただし、医療行為において法定代理の法律構成を採る意義は、「正当な医療」を法定代理の 構成で(法形式として)法的に正当化する必要性がある場合にのみ存在し、法定代理人の同意の有無 により当該医療が実質的に正当化されるのではない(せいぜい、正当化のための一要素に過ぎず、し かも本人の同意とは異質な性格のものでしかない)。「正当な医療」かどうかは、法形式・法律構成の 選択の問題とは一応別の問題であると える。 ⑷ 本稿では、医療同意能力を意思能力として捉える一般的な理解にどのような意味があるのかを 探るために、意思能力に関する民法学説の議論を、特に近時の意思無能力無効の機能面に着目する見 解を中心として整理して紹介し、次に、精神医療の側における意思能力の議論を紹介した。さらに、 わが国の医療同意能力論の出発点になるであろう新美説を紹介して、ごく簡略に私見の観点を添えた。 そして最後に、同意無能力の機能を える場合に、医療の現場にとって同意能力の有無は、単に、患 者本人以外の者に同意の代行を求めて治療を正当化するための手続を要するかどうかの問題に過ぎな い面があるようにも思えるため、法定代理に関する私見を付加した次第である 。 注 1 新美育文「患者の同意能力」加藤一郎古稀『現代社会と民法学の動向 上』417頁(有 閣、1992年)。 2 新美・前記注(1)437頁は「わが国のおおかたの見解は、同意能力と意思能力とを同義として扱っている」と見てい る。さらに、広瀬美佳「医療における代諾に関する諸問題(上)」(早稲田大学)法研論集60号249頁(1992年)参照。 3 意思能力の意義につき、行為能力や(民事)責任能力等との関係を含めた整理・検討作業を、拙稿「意思能力につ いて 法的立場から」 下正明ほか編『司法精神医学4 民事法と精神医学』22-41頁(中山書店、2005年)で行っ た。さらに、拙著『民事精神鑑定と成年後見法 行為能力・意思能力・責任能力の法的判定基準』(日本評論社、2000 年)も、参照して頂ければ幸いである。 4 学説・判例の整理は、須永醇「権利能力、意思能力、行為能力」星野英一ほか編『民法講座1』97-130頁(有 閣、 1984年)参照。さらに、熊谷士郎『意思無能力法理の再検討』46頁以下(有信堂、2003年)も参照。 5 岡 参太郎「意思能力論(2)・(3)」法学協会雑誌33巻11号45-87頁、12号27-73頁(いずれも1915年)。 6 末弘厳太郎「表意者の無能力」『民法講話(上)』208-214頁(岩波書店、1927年)。 7 薬師寺志向「意思無能力者の行為並びに錯誤に因る無効行為の追認」法学志林43巻4号1-11頁(1941年)。 8 舟橋諄一『民法 則』44-47頁(弘文堂、1953年)。 9 舟橋諄一「意思能力、特にその行為能力との関係について」(九州大学)法政研究29巻1=3号359頁。 10 須永・前記注(4)118頁。 11 須永 醇「意思能力・行為能力」遠藤浩ほか編『演習民法( 則・物権)』21-39頁(1971年)。
12 須永・前記注(11)27頁。さらに、同「財産法上の法律行為と意思能力」法学志林63巻4号128頁(1966年)参照。 13 須永・前記注(11)28頁。さらに、同「意思無能力者の法律行為の『無効』の法的性質に関する一視点 フランス 法からの示唆」法学志林83巻3号1-44頁(1986年)参照。 14 須永 醇『新訂民法 則要論 第二版』43頁(勁草書房、2005年)。 15 須永・前記注(4)117頁。 16 須永・前記注(14)34頁、37頁。 17 須永・前記注(14)38頁。 18 須永・前記注(4)117頁。さらに、同・前記注(11)26-27頁参照。 19 中舎寛樹「意思能力・行為能力・責任能力・事理弁識能力」中舎ほか『民法トライアル教室』2頁(有 閣、1999 年)。 20 中舎・前記注(19)1頁。 21 中舎・前記注(19)3頁。 22 中舎・前記注(19)6頁。 23 中舎・前記注(19)10-12頁。 24 熊谷・前記注(4)所掲書。 25 熊谷自身は意思無能力法理の「根拠」と表現し(前記注(4)345頁)、これに対して須永は、熊谷の主張が「根拠」で はなく「機能」のことであると指摘している。須永・前記注(14)37頁。本稿では、意思無能力制度の「機能面からみ た存在意義」であると解して、「存在意義」と記述する。 26 熊谷・前記注(4)345頁。 27 熊谷・前記注(4)347頁。 28 熊谷・前記注(4)348頁。 29 熊谷・前記注(4)357-362頁。 30 熊谷・前記注(4)363-364頁。 31 熊谷・前記注(4)365-367頁。 32 金子仁郎・坂本昭三・大野周子・林 正 「いわゆる意思能力の精神医学的研究 禁治産宣告者の場合を中心に」 精神医学6巻499-502頁(1964年)。筆者による紹介は、前田・前記注(3)所掲書78-81頁参照。 33 中田 修「3.民事法」(懸田克躬編)『現代精神医学大系第24巻 司法精神医学』127-134頁(中山書店、1976年)。 筆者による紹介とコメントは、前田・前記注(3)所掲書81頁以下参照。 34 村 常雄・植村秀三『精神鑑定と精神判断』4頁(金原出版、一九七五年)。筆者による紹介とコメントは、前田・ 前記注(3)所掲書84頁以下参照。 35 西山 『民事精神鑑定の実際』新興医学出版社(1995年)、さらに同書の追補改訂版が1998年に出ている。本稿では 追補改訂版を紹介するが、紹介部 は前田・前記注(3)所掲書100頁以下および108頁以下によっている。 36 西山・前記注(35)3-8頁。 37 西山・前記注(35)9-14頁。 38 西山・前記注(35)15-30頁。 39 西山・前記注(35)244-291頁。鑑定例の紹介の前に、「精神障害者の意思能力」と題する章が設けられ、西山説の主 張が展開されているが(特に33-48頁)、この部 は後記Bの論文へさらに発展したものとみてここでは省略した。 40 西山 「成年後見制度における弁識能力とその判定」西山=新井編『成年後見と意思能力』138頁(日本評論社、2002 年)。同「民事鑑定はどのように変わったか」精神医学44巻6号611頁(2002年)もほぼ同趣旨の主張を記述している。 41 西山・前記注(40)143頁。西山のこの主張は、「精神障害者の行為能力」臨床精神医学26巻11号1393頁(1997年)や 前記注(35)33頁以下で既に明確にされていた。