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学校教育をめぐる多職種連携学習の施行(その2)-子どもの学習環境の保障を中心に-

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はじめに

教育と福祉の関係について, それらの実務者による実 践の事実がすでに実践理論の基盤の変更を突きつけてい る. 学校における子どもの人権擁護やアドボカシーをめ ぐる課題への必要性が, ソーシャルワークの方法技術や 理念を教育実践に求めている. しかしながら, いじめや 不登校, 貧困虐待をめぐる教育活動と社会福祉サービス 提供との連結や調整に終始する現状もある. こうしたこ とが充実することは不可欠ではあるが, 学校教育におけ る多職種連携は, 教職員のソロアプローチの克服を課題 とする. それはチームアプローチがこれからの行動原理 の前提となる多職種協働時代の創出的主体者の形成であ る. 以下では, まず, 学校教育の領域における多職種連携 の内発性の所在について, チーム学校を 「チーム医療」 からの示唆より考察し, それについて本学の教職志望学 生の学習者である学生の気づきの現状と重ねて検討する. 1 つの帰結として, 子どもの学習環境の保障が浮かび上 がった.

1 「チーム学校」 と多職種協働

 学校をめぐる新たな実践ステージ 今日, 学士課程段階の教職課程には, 学校安全 (2019 年度から) やインクルーシブ教育, 発達に特性のある児

学校教育をめぐる多職種連携学習の施行 (その 2)

子どもの学習環境の保障を中心に

日本福祉大学 子ども発達学部

The Trial for Learning of the Interprofessional in school (2)

−A Forcus on ensuring children's learning environment−

Nobuhiro SUZUKI

Faculty of Child Development, Nihon Fukushi University

Keywords:チーム学校, 連携, 多職種協働 要旨 学校教育と社会福祉の多職種連携学習を試行するうえで, 今後到達すべき学修モデルづくりに向けた指針が必要になる. 本稿は本誌第 11 号 (2019 年) 承前 「学校教育をめぐる多職種連携学習の施行 (その 1)」 の続きである. 「同 (その 1)」 で は, 学校と福祉をつなぐ多職種連携について, 自身の研究観点や大学での実践をふり返り, 学校教育と社会福祉をめぐる学 際的な研究上の接合点の意図や目的について論じてきた. (その 2) では学校教育と社会福祉の連携をめぐる人材育成の目的 と学習内容について, 学生の声を拾いながら多職種連携学習の教育内容についていくつかの観点を考察する.

研究ノート

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童生徒への授業改善, そして学級づくりへの指導力向上, 外国にルーツを持つ子どもへの指導力など, 「合理的配 慮」 時代への一歩となる講義内容が求められる. 教職課 程の再課程認定をめぐる文科省と各大学とのやり取りの 中で, 講義シラバスの細部に至るまでチェックがはいる 状況になっている. 大学教育においても 「スタンダード 化」 が文教行政から示され, 教員養成―教員採用―現職 研修を一本化する様相にある. その際, 目立つことは, 個々の課題をトピックスとして扱うことで, その時々の 個別の教育課題への知識理解 (問題解決のハウツー) や 「対処技法」 の伝達が先行していることである. それで は, 学生たちにとって教育現場の息遣いや創意工夫が何 のフィルターもなく伝わることにより, 学ぶ側の主体性 を欠かせることになり, 学校現場の厳しさに学生の後ろ 向きな姿 (「部活・ブラック化・モンスターペアレント」 の話題) を生みだし, 他方で, 先入観や主観性を高め, 教育現場への恐れを抱かせる場合もある. 現実的に学校現場では, いじめや貧困, 不登校, 暴力, 虐待などを表面的な現象や事象として個別に取り上げら れることが少なくない. しかし, それらに通底するある いは背景となる課題へ着目する必要性を, 教師を目指す 若者が 「問い, 考え, 語り, 聞く」(1) こと, そして気づ くこと, 受け止めること, 取り組めること, さらに 「我 がこととしてとらえる」 能力の習得が求められる. 今日 の 「チーム学校」 では, こうした思考能力を身につける ことが学生段階から求められる. この能力が地域の社会 資源や専門機関と学校との連携, そこにかかわる人材の 育成, 地域住民や非専門家への子ども支援人材の育成に 至るまで, 包括的な連携を生み出す基礎となる. したがっ て, 「チーム学校」 は教師や教職員にのみ反映するもの ではないことは明確である. チームの一員として想定さ れるだれもが考える協働の思想と方法として浮かび上がっ てこなければならない. 「チーム学校」 が教師を含め 3 者以上の多職種による構成を前提とすると定義してみる 価値はあろう. 教師の後ろには保護者がいる (合い並ん でいる) という意味では, 教師の存在はすでに 2 者であ る. そうすると, そのチームは学校管理者のリーダーシッ プだけで統括できるものではなく, さらには管理職個々 人の意図や力量によって左右されたり, 当事者担当者に 丸投げされるものでもなくなる. 協働やパートナーシップといわれるとあからさまに拒 否ができない. 協力, 補佐, 補助において協力は, 要請 を受けると拒否ができない. 児童虐待防止法において教 職員に虐待の通報や見守り協力の網がかかり, 児童福祉 機関への報告や通告を含めた対応が求められる. 協力は ややもするとこの言葉を使って福祉サービスの管理的側 面 (統制) を学校組織の深部につきつける危険もある. したがって, 協働とは, 連携する相手が自分を映し出す 鏡であり, 自身の支援のあり方の内省を保持する行為で あらねばならない. アセスメントとは具体的な支援計画 づくりを目指すチームでなされてはじめて成立する行為 であり, 専門職のチームとしての目的を合議で確認し実 践の中で振り返る点検の 1 つの装置である. 協働とは我 が身を映し出す行為であるがゆえに, 人や組織どうしの 境界に立つことはその面に自身と他者が同時に映し出さ れる. 2015 年の教育再生実行会議の提言は, 学校経営を支 える事務職員の充実や教師と事務職員の役割の見直し, スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカー, 部活動専門指導者などの専門人材の配置 (職務) をおこ ない, いわゆる 「チームとしての学校」 を実現し学校の 組織力・教育力を高めることの重要性を指摘する. こう した専門職が児童の福祉や心理に関する支援に従事する という 「専門職」 になったわけである. まさに, 学校に おける子どもの多様性が教職員の多様性にも及んでくる 時代がはじまっている. ただ, その一方で, こうした 「専門職」 は, 日常の諸事案に責任を持ち, たとえば学 校事故において処分の対象にもなり, 矢面に立つことに なる. ゆえにその立場が 「非正規雇用」 のままであって は国民からの信頼は得られない. 喫緊の例として, いじ め防止対策推進法が示す学校でのいじめ対策委員会の構 成員に, 心理職や福祉職の参画・出席が明示され, 学校 の体制の如何を問わず, 介入が求められる. すでに現実 的問題になっているが, もし事案が発生した時にこれら の専門職員は何をしていたのかが公的に問われ, 世論の 評価に晒される. 現行, スクールカウンセラーなどはそ の責務を負う立場や雇用・業務基準に至っていない. 教 師は, 評価権を持つことによって業務遂行権が認められ ているが, こうした外部人材にはその責務が整備されて おらず, 「学校管理者の指示のもと」 にあいまいなまま おかれている. 先の学校教育法施行規則の省令が示すよ うに 「職員」 化したことは, 今後, 日を追って, 教育委 員会や学校管理者からの業務評価の被対象者として位置 づくことになる.

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 チーム医療からの示唆―役割の拡大と制限 本誌 11 号でもチーム医療をめぐる IPW の実践につ いて論じたが, こうした 「チーム学校」 の今日的課題に ついて, 改めて, チーム医療の歴史的経緯と現状・課題 から 「チーム学校」 へのいくつかの示唆を得たい. 多職 種連携がすでに職場の組織風土になっている医療・看護 分野においてチーム医療の目的とそこで求められる資質 は以下のようにまとめることができる. 第 1 に, チーム医療におけるチームとは, 役割拡大の 際に用いられる社会的な仕組みであるという点である. 総合病院などを見ると, 30 近くの国家資格を含む専門 職が業務に従事しており, それぞれは 1 人の患者のケア のために協働する. いわば医師を 「頂点」 に, 看護師や 保健師, 助産師, 社会福祉士, 公認心理師などが従事す る. 1948 年に医師と看護師 (当時は看護婦) 保健師 (同), 助産師 (同), 薬剤師, 1951 年に診療エックス線 技師 (今日の診療放射線技師), 1965 年に理学療法士や 作業療法士, 1987 年に社会福祉士と介護福祉士, 1997 年に精神保健福祉士や言語聴覚士, 介護支援専門員など が国家資格となり, それぞれに自身の行為行動を下支えす る法規や根拠規定を持ち今日に至る. その他にも事務系 職種や任意団体の資格を入れるとさらに膨らむことになる. その中で, 多職種連携とは, 昭和大学の有賀徹氏らの いう 「多職種相互乗り入れ型」 の定義によれば, 「すべ ての職種の一人ひとりが, この (チームを組むこと) 流 れの全体像をイメージしつつ, 自分の立ち位置をしっか り認識していないことには, 結局のところ患者の 生活 にはつながっていかないだろう」 という点につながる(2). これは患者個人への医療行為だけでなく, 患者の地域生 活においてもチームで考える仕組みを持たないと患者に とって優れた医療の提供にはならない. チームで考える とは, そのチームを患者の生活世界に創り出す営みとさ れる. その軸には, 侵襲者としての医療実務者が患者の 意思決定・自己決定を保障するという原理と個の尊厳を 第一義におくという原理との 2 つがあることを示してい る. 第 2 に, 看護師がチーム医療の中核になる根拠でもっ とも理解を得られるのは, 患者と接触する時間が最も長 く, 患者の生活場面に直接かかわっており, 患者の情報 をもっと多く持ち, 家族とのかかわりも多く, ときとし て患者と他者とのパイプ役であるという点である(3). こ れは, チーム医療の中心的な役割を担う看護師像をしめ すうえで承認を得やすい. しかし, 医師の承認が義務付 けられる. たとえば, 診断書交付義務は医師にある. 看 護師はその補助にある. 看護師の役割の拡大と教師のそ れとを比較すると, 多職種協働は教師の役割の拡大にあ たるのか, それとも切り分けや閉じこみにあたるのか. また, 医師と比べ, 校長の包括的指示は同様に考えてい けるのかという検討課題がある. さらに, 教師の 「特定行為」 とはなにかという議論を 生み出すことにもなる. これが明らかになると教師のオー バーワークや無駄な職責の拡張を遮り, 業務を整序して いく筋道づくりとなる. 教師の 「特定行為」 は評価権に あるが, 支援を受けることと協働をしておこなうという 場合, 支援を受けるとは, その事項自身が主務にはなっ ていないことがある. 同様にスクールソーシャルワーカーには何が付与され るのか. スクールソーシャルワーカーの 「特定行為」 の 追求はスクールソーシャルワーカーの全国的な視野で実 践ガイドラインや共通業務マニュアルの作成となって現 れていくべきものであろう. 第 3 に, いかなる職種においてもチームの質を高める という点でコミュニケーションや情報の共有化やチーム マネジメントがあげられる. 情報共有という日常的行為 とは何かも問われてくる. 情報共有後には何らかの実効 計画が示されることが大切であり, ここでは対応や実践 の共有と専門性の個別化の関係が問われる. 効率的なサー ビスを提供するために情報共有は業務の起点であり, 情 報収集力の専門性は事実の把握力と実行力の両面を併せ 持つ. 多職種のもつ個々の人材の対等性が担保されねば ならない. 第 4 に, チーム医療には 「患者やその家族もチームの 一員」 という中心的原理がある. この視点は, 学校での いじめや貧困, 不登校などについて, それらを経験して いる子どもたちの声自体が専門職をつないでいくという 枠組みにあたり, 保護者をチームアプローチの一員であ るとする理解につながる. こうした 「クライエント (子ども) の意思決定や個の 尊厳」, 「支援者 (教師や福祉職) の特定行為の解明」, 「情報収集と実行をめぐる権限」, 「保護者もチームの一 員」 という 4 つの視点は, 学校における多職種協働での 共通項であり, 社会福祉がもっとも得意とすべき業務指 針になるのではないだろうか. 多職種の間でケース記録の体系化や統合化や当事者参

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加は大きな変革作業のひとつとなる. 多職種によるいじ め問題への相互乗り入れは, その一例として注視に値す る. 弁護士においても暴力対策・クレーム対応型のコン プライアンス系と子どもの人権擁護型の人権系とがせめ ぎあっている. 「学校は紛争当事者ではなく, 被害者か らのクレームの調整はできない」 といって突っぱねるこ とを正義とする弁護士もいる. しかしながら学校はそう いったリーガル文化の入り込む場所ではない. ここに学 校教育と社会福祉の相互の目標がある.  チーム医療の示唆から生まれるいくつかの問い こうしたチーム医療からの 4 つの示唆は, 学校教育に おいていくつかの問いを生み出す. 例えば, スクールカ ウンセラーの力量が高まることで, チームの質が向上し たのか. 同様にスクールソーシャルワーカーにおいても どうであるのか. これは, 学校教育における心理的社会 的な指導・援助のなかに福祉的なものがどう位置づいて きたのかをめぐる検討と重なる. そこには生活課題の概 念規定の再考がある. 従来の学校教育での心理的社会的 支援と社会福祉の福祉的支援はどこで重なり, また何が 違うのかという問いである. これが第 1 の問いである. また, 近年のチーム医療への発言の中に, 少なからず 「東日本大震災をめぐる医療関係者の相互乗り入れへの 感触」(4) がある. そのほかにも医療関係者のさまざまな 報告や文献資料の中に散見できる. 廃用症候群への対応 や生活再建と関わって顕著に問われたことであるが, こ れらは制度や法令によってつくられてきた連携論による チームではなく, いわば必要によって枠組みや制度を超 えてなしえてきた営為である. 震災は既存の枠組みや 「想定・常識」 のとらえ方や扱い方を拡大したといえる. 学校も同様に, 対応するかしないかという 「フィルター の問題」 が問われた. つまり, 学校が避難所となり, 子 どもの家庭生活や地域生活全般にわたる相談や要望によっ て子どもの命と暮らしを守るという包括的な相談支援が 学校の持つ機能となったがゆえに, 一時期, 何々はやれ ない, 何々はやるというフィルターが学校教職員から解 除されたことを意味する. これが一時的なものなのか, 本質的なものなのか. これが 2 つ目の問いである. そして, チームとは, その必然の感受と実際の活動経 験をくぐってはじめて我がものとできるのかもしれない. 「チーム学校」 は, 相談援助の交渉技術の面で当事者の 参加とともにその当事者もクライエントだけでなく取り 巻く人々や専門職も含め, チーム医療と比べると非専門 職や利害関係者を含むことが前提になっているという特 徴は大きい. 利害関係者, ステークホルダーが同居, 混 在することをどう考えるかが 3 つ目の問いである. 次の 4 つめは, もっともチームを考える上で困難な課 題であり問いとなる. 専門性の中に他者への尊厳や専門 職への尊敬である. 学校には, 校長, 教頭・副校長, 主 幹教諭, 教諭, 主任, 主事, 養護教諭, 養護助教諭, 栄 養教諭, 司書教諭とともに, 学校医, 学校歯科医, 学校 薬剤師, 高校では助手教諭, 近年, 部活動指導員, スクー ルカウンセラー, スクールソーシャルワーカー, そして 学校事務職員, 調理師, 調理員, 寄宿舎指導員などがい る. 教育相談員, 学校支援員, 特別支援教育支援員など, そのほかにも自治体で独自に採用する職名がある. しか し, たとえば, 教育相談支援員は通常の時間勤務である が, 特別支援では介助員として業務対象が一人の子ども に対応する (他の子どもには関わらない) という勤務実 態がある. パートタイム, フルタイムの違いはあっても, チーム医療には存在しない業務形態がある. そのなかで, チームマネジメントの主体にはなりにくい. こうした課 題が明らかにならねばならない.  医療機関完結から地域生活完結へ ―学校完結から地域完結へ また, チーム医療には, すでに地域生活への志向があ る. 医療機関完結から地域生活完結への帰着である. 学校で子どもの福祉を保障するときにその責任をどう 負うのか. その際に誰がどういった組織がその責任を負 うのか. そのときに, コーディネーターの大切さは仲介 や仲裁である. 近年よく 「学校をプラットフォームにす る」 という言葉が聞かれるが, 学校が地域の子どもの全 数把握というフィルターを活用することは, その一方で 子どもの留め置き場所や領置 (個人所有のものをそこで 押収される) をつくることになる. 少なからず子どもか らしあわせが奪われる(5). 大人の考える効率性を 「すべ ての子どものために」 という言葉でごまかすことになる. すでにこの用語は陰りを見せている. 子ども食堂や無料 塾など貧困施策はその典型であり, さらにはソーシャル ワーカーの役割を 「学校」 に備え付け, 結局は問題解決 のフィルター (場) を学校や教員に求めることになる. 貧困対策に対して特段の権限や業務遂行権をもたない教 員や非常勤職が業務にあたることは責任の所在を不明確

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にする. 先に述べたように, 「チーム学校」 は学校が責 任を負うべき現実をカモフラージュする. そもそもフィ ルターとは学校の役割を刷新し, 学校の仲介性を高める 意味がある. かつて日本の教育実践の中では 「学校を温室と考え る」(6) と言われた. 学校は学びの場であり, 児童虐待に 見られるように保護責任者の処分や罰則に関与する空間 ではない. ゆえに, スクールソーシャルワーカーの社会 正義は, 学校への無用な法規や専門職の介入を防ぐこと であり, 子どもをとりまく差別や偏見を取り除き, 本人 の意志により, 合理的に問題解決が進んでいるのかといっ た進行管理を行うことである. これが間接的な関与を指 し, 本人の意志決定に存しているかを確かめることが直 接的な関与にあたる. そのために, 関係者の信頼関係を 構築することや地域の関係機関の連携強化が欠かせない. 連携の決定意志はどこに存在するのか. それは当事者自 身である. その意味で, 今日, 教育現場ではスクールソー シャルワーカーによるケースワーク (家庭訪問の代理行 為や機関連携など) と多職種横断のソーシャルワーク (地域における多職種協働) のいずれを求めるべきかの せめぎあいが起こっている. したがって, プラットフォーム論はややもすると学校 完結型の促進になっていることに無自覚である. プラッ トフォーム論は, 社会福祉固有の用語ではなく, 子ども・ 青年の学校のもつ選別機能の再来であり, 文教政策・子 育て支援政策の用語である. 連携はだれが同意して形成 されるのか. 出来事を法規やサービスシステムにのせる ことではない. それとの接続の部分 (接合面) でいかな る生き方や現実, 公正性があるのかを見極める. 本当の 本人の意志がなにかを分析する. 教師は本来, 処分や処 置, 「対応」 が教育実践の技術になることに違和感を持 つ. 子どもは対策の対象ではなく, 対策は大人や関係者 に向けられる言葉である. スクールソーシャルワークの 原義は 「スクール・ソーシャルワーク・サービス」 であ る. 「サービス」 をめぐる認識は, 欧米との差異を自覚 しておく必要がある. サービスは申し出や任意性はある が, 当人の権利が付随する. 「施し」 感覚が強い日本の 生活感覚からすると, 「サービスも選択されるもの」 と いう認識が欠かせない. このプラットフォーム論は, 福祉にとどまることなく, さまざまな職種においても同じ責務や使命をおく. チー ム医療でも, 医療機関で業務が完結するのではなく, 退 院後のケアや相談支援などになっている.

2 「学校福祉」 における学生たちの福祉理解

 「どうして学校に通うのか」 を問う こうした学校が持つ問いや課題について, 学生感覚と してはどうであろうか. 筆者は, 学生の授業などで, 「どうして学校に通うの か, どうして勉強をするのかという問いを子どもから受 けたらどう返事をしますか」 という質問をすることがあ る. 教職課程の履修学生からはこの問いに対し, 即座に 「学校では友だちの中でコミュニケーションの力を育て るため. 新しい知識を持って生きる力を高めるため」 と いった返事 (こうした趣旨の回答) が返ってくることが ある. これらの多くは, 教育の持つ人格形成の場として の学校, 将来への学習や教養の習得などの学校の教育的 機能を示す発想である. 一方, 社会福祉学部の学生や福祉系大学の学生に同様 の問いを出すと, すぐさま 「学校の役割とは」 という返 答よりも, 「どうしてあなたはそうした質問をしたの」, 「そうした質問をしてくれてありがとう」 という, 子ど もへの問いとも言える返答が多い. これはあくまでも筆 者の経験に過ぎないが, 教育と福祉が予定調和的につな がらないことの一定の根拠として認めることができる. 極端な言い方になるが, 子どもからスタートするか, そ れとも教室や学校, 学習財や教育材から出発するかに違 いがあるのかもしれない. 教師であろうとする. 教師をめざそうとする. そうす ると 「子どもと大人, 指導するものと指導されるもの, 知っているものと知らないもの」 という構図が瞬時に生 まれる. この即時性に対して, いくつかのクッションが 間に入り, ここに空間のあることを想起する. ここには, まだ学生に立場あるいは教育実習生という子どもたちに とっては何者かわからない立場の自分が子どもたちにそ こまで答えていいのかという問いー迷いもあるだろう. 自分ならどうするのかがストレートに問われるときに, 子どものしあわせというクッションがどう介在させれば よいか. ここに 1 つの 「学校福祉」 の意味がある.  教育実習後のふり返りに見る 「学校福祉」 日本福祉大学での後期科目 (2018 年) では 学校福 祉とは何か をテキストにして講義をおこなった. 生 徒指導・進路指導論 という教職科目で, 受講生は小学

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校実習から戻ってきたばかりの学生たちであった. その 学生らに 「教育実習のふり返りのなかで, 学校福祉とい うものがどう見えたか」 について問いを出した. ここで いう学校福祉の理解やとらえ方は学生に任せたが, 本著 の第 1 章で論じた 「学校が子どものしあわせにどう責任 をおっているのか」 という問いを読み込んでのものであ る. この学校福祉とはおおよそ以下の趣旨である. 「学校は子どもと社会をつなぐ地域のソーシャルセン ターである. その学校の機能には, ①社会的統制, ②職 業的訓練, ③文化価値・教養の伝達, ④学校の福祉的機 能がある. 学校福祉は, 家庭ー学校ー地域のつながりの 中にある学校を基盤として, 教育の福祉的機能と福祉の 教育的機能の結節点を示す概念である. そこで培われる ものは, 子どもたちの主権者としての諸能力である. そ して学校福祉は, その構成員である子ども・教師・保護者, そして地域住民, 専門職という具体的な人の存在と相互 の営みを通じて学校という 場 で子どもたちのしあわ せの具体化に責任を持つ」(7).  学生の声や気づき 以下, 教育実習後の学生の 「学校福祉というものがど う見えたか」 のレポートや発言の要約を列記する. なお, これらは記載については学生らの了解を得ているととも に, 文意を変えず, 筆者がデフォルメを行っている. A さんは, 教育実習を通じて, 学校内の福祉につい て, 給食やトライライト (学童保育の名称), 遊具・運 動場の整備, 保健室の存在をあげてきた. 栄養のバラン スの取れた食事としての給食指導や朝ごはん・外食をめ ぐる保護者との対話, 小学校の 1・2 年生の利用が多い 学童保育で, 終業時間の早い低学年と中高学年が一緒に 下校できるようにして子どもの安全を図っていること. 遊具や運動場利用について低中高の児童にあった遊具を そろえ運動場も優先学年エリアを設けて, 全学年が平等 に遊べる空間を確保する. 健康管理チェックがおこなわ れる保健室の役割に学校福祉があるのではないだろうか. Bさんは, 実習中に病院から学校に電話があり, 子ど もの疾患について親の理解が弱く, さらに都合がつかな いことを理由に通院が途絶えている家庭に, 学校からそ の保護者に連絡をとってほしいという内容であった. 担 任や養護教諭, 管理職が話し合い, 登下校や学校生活の 支援を含め, 全教員に周知して家庭でできない投薬や身 体管理を学校でおこなうことを確認する会議に同席した という. 子どもの健康のためにすぐに動きだせる体制を つくるところに, 学校の先生による 「学校にある福祉」 を感じたという. C さんは, 外国籍の児童でモンゴルから来たばかりで, 日本語教室の開設などの教育サービスの手続きと実施, および日本語が未熟ゆえにクラスでトラブルとなる場面 での教師からの 「支援をしてほしい」 という要求や働き かけが, 学校での子どものしあわせを保障することにな ると述べた. D さんは, 子どものニーズに沿っていることに着目 し, 外国人・貧困・いじめ・不登校など, 関係機関の支 援や資源が学校に及ぶ仕組みに学校の福祉を見ていた. E さんは, 地域の人々の見守り活動, 子どもたちが当 たり前のように地域の人々から見守られて, それを永続 的に実施し, 維持している学校の役割. 学校の一員とし てだれも一人ぼっちにしない. また, 学校の行事の中で 教師は口出しをせず, 子ども集団の協調性や考える力を 育てる. 周囲の人と協力して何かを作るという経験を学 校福祉の一例としてあげていた. F さんは, 特別なニーズを持つ子どもへの授業づくり など子どもの特性に合った教科指導や, 教師も一緒にグ ランドであそぶこと, 5 年生の米づくりの行事で, 農家 による指導の中で, 昔ながらの米づくりからの学びの中 にある自然や人々の生活に分け入って見えてくる学びへ の感覚を育てることにふれていた. G さんは, 学校福祉について関係機関と学校との連 携などもあるが, 日常的な子どもの日記を活用した学級 づくりも学校における福祉につながるのではないかとい う点に着目していた. H さんは, 家庭科の授業で地域のボランティアがミ シンの使い方を教えてくれることやバス通学があること, 授業を通じて生まれる子ども同士の人間関係や子どもが 学校に行きたくなることも学校福祉 (学習権) である. 一人一人の考え方に違いがあることに子どもが気づき, 考え方が広がる. 知識の押し付けでないところに学校福 祉がある. 学校で多くのことを学ぶ, 間違っても非難さ れず, 学び方を共有すること. 対話的学習そのものが学 校福祉であるという理解を述べていた. I さんは, 「学校と自分との間」 になにがあるのかに 関心を持った. これは教師から転じたスクールソーシャ

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ルワーカー, 社会福祉学部から上がってくる新卒のスクー ルソーシャルワーカー, 福祉や医療などの職場経験のあ るスクールソーシャルワーカーなど, いろいろな出身者 の中に多様な支援や援助のとらえ方が読み取れるのでは ないかと論じていた. J さんは, 特別支援教育への関心, 子どもが他者の感 情を理解するための教育がなされていること. 障害を持 つ子ではなく 「急に立ったり, 大声を出す子」 という理 解にしている. 朝の会があること, そして子どもの健康 観察, 行動観察といった毎日のルーティーンも学校福祉 の大切な領域や機能と考えると述べていた. K さんは, 家庭の事情や貧困問題を配慮して学校で の子どもの行動を日々見ていくこと. 学習支援教員が配 置されることのもつ福祉的意義もある. 子どもに劣等感 を持たせないことのもつ意味に関心を持ってみていた. L さんは, 学校での自主学習タイムでの国語の表現力 や正しい接続詞を書くこと, プリント学習などの運営に も福祉を見ることができるのではという. 算数が子ども のしあわせにどう責任を負うのか. こんな問いもできる. M さんは, 黒板で使うチョークの色が子どもの視力 への配慮となる. N さんは, 地域の中に学校があることで, 子どもが 地域で生きていくため, そして地域福祉の担い手になる ための教育も学校福祉である. 特別な配慮は福祉との関 係があると述べた. そのほか, もっと学校における福祉が発見できるので はないだろうかという視点をもつ学生が数多くいた. 教 育実習では, 基本, 教壇実践―授業とそれに関わる子ど も理解や子ども観察に力点が置かれる. そのため, 福祉 というキーワードは, 福祉教育やボランティア, 地域か らの学校支援, 児童福祉機関との連携のなかに読み取ら れることが多い. ところが, 日常の学校や教室の環境や 友人関係, 子どものみならず子どもと接点のあるものす べてに 「配慮」 や注意が向け, その行為全体が学校福祉 の範囲としてとらえられている. 学校教育における多職種協働は教職課程の学生にとっ ては, 個々の事象を担っている, あるいはかかわってい る地域の人材や専門職と直接出会うことが少ないため, 明確に認識することは少ないがその機会や場があれば十 分認知することができる. つまり, 多くの学生の中に背 景をイメージする素地が見られた. 気づきのきっかけと いえるものがある. 学校が地域とつながっていることをさらに実感するこ と. SOS が子どもだけでなく教師も保護者や地域に発 信されていること. 子どもを多面的に見ること. 日々の 子どもの変化を読み取ること. 行動の背景にあるものに 気づくこと. これらは先に述べたチーム医療の 4 つの視 点に整理していくことができる.  スクールソーシャルワーカー養成課程 (社会福祉学 部) の実習報告会への参加から 2018 年 11 月, これらの教職履修学生がスクールソー シャルワーカーの報告会 (本学社会福祉学部の野尻紀恵 教授担当) に参加する経験を得た. 福祉大の特徴として, 児童福祉や子育て支援, 特別支援教育, 学童保育, 放課 後デイサービスなどの福祉系のボランティアなどに相当 の学生が携わっている. 教育福祉や医療福祉, 社会福祉, 司法福祉, 地域福祉などの講義に接する機会も少なくな い. しかし子ども発達学部ではソーシャルワークという 認識や方法技術への関心と密接には結びつきにくい. 以下は社会福祉学部のスクールソーシャルワーカーの 養成課程の実習報告会に参加した教職の学生のコメント の概要である. 教育実習は, 実習校の担当教員の指導の下, 学年経営 や学級経営とともに多くの時間を教壇実践, 指導案作成 やその吟味, 授業後の指導などに多くの時間をとる. 個々 の子どもの教室での人間関係や学校と地域とのつながり, 保護者と教師の関わり方について, たとえば, 家庭訪問 の場面に同席する機会はきわめて少ない. その際, スクー ルソーシャルワーカーと地域の関係機関への訪問やスクー ルカウンセラーとの相談室での陪席や講話はあったとし ても, 具体的な実習はない. ゆえに, この実習報告会で の同じ学生たちの実習発表はとても刺激的で身の丈で考 える機会であったという感想が多かった. その中で, 教師とスクールソーシャルワーカーの相違 について, 「枠組みが広い」 という感想がまずは目を引 いた. したがって, 「他者に説明しにくいと教師にはわ かりにくい」. 「どんな仕事をしているのかが伝わらない と信頼されない」. 「コンサルテーションで一括できない」. 1 つの学校, 学年に配置される教育実習とは異なり, 派 遣と配置の業務形態を持つスクールソーシャルワーカー をみて, 「複数の学校を巡回することで, 重点が異なる のではないか」 という戸惑いを感じる学生もいた. しか し, 「教師もスクールソーシャルワーカーも同じく子ど

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もに対する熱意がある」, 「学校のため, 子どものためと いう点で区分はない」 という共感を得たようである. さらに, 「 教師とは , スクールソーシャルワーカー とは と, 両者の役割がともに一言で言えないところに 相互理解の意味がある」 という学生の発言があった. 教育実習を終えた学生たちも, 「スクールソーシャル ワーカーがどんな仕事なのかの答えを見つけていくため にどんな経験や体験をすればいいかを考える」, 「スクー ルソーシャルワーカーから見た子どもの様子, 学校のあ り方, 視点, 考え方を交流してみたい」, 「教師と福祉職 がどうつながることで, 学校福祉が実現できるのか」. このように, 学生たちの声からも 「教職と福祉職との 協同実習が学生の時代にあるといい」 という発言もあっ た. その中で, 今回の実習報告会に参加して, 「実習前 と後でのスクールソーシャルワークをめぐるイメージの 変容はどうであったか」, 「実習が周囲に大きな影響を与 える. 子どもから見て信頼できる大人になれるにはどう すればいいか」 という経験交流の機会は欠かせないと思 われる.

3 多職種協働のための学習内容をめぐって

 「学習権保障」 が協働の芽 以上, こうした声や気づきが教職履修の学生たちから 挙がった. スクールソーシャルワーカーの仕事について は, 概して, 学級経営や授業経営から見て外部視があり, 個別の家庭や学校外生活への接点として教師の教育実践 との関係性が薄く感じられる. 教師には教材がある. し かしソーシャルワーカーは自身が教材や道具になる. 学 校福祉の理解を合わせて考えると, 「学習指導」 + 「学習 環境の整備」 の専門家としての教師, 「生活福祉」 + 「学 習環境の整備」 の専門家としてのスクールソーシャルワー カーという表記をあえておこなうと, 「学習環境の整備」 が学校教育の多職種協働の場となり, 「学習権保障」 が 協働の芽となる. このように, 協働が誰のためのものか を吟味する上で, 協働をつくるための共通の言葉の掘り 下げが, 学生の中から生まれてくるようにする. 学習環境の整備とは, 教師にとっても子どものことで 困ったときに助けてもらえる組織, 失敗しても支えても らえる組織, 外部に拓かれた組織であることで, 適切に その事案と向き合うことができることである. このこと が子どもを中心に考える環境づくりになる. 学習内容の 習得を把握することは, 子どもたちとの対話であり効果 的な指導や適切な働きかけにあたる. このことも 「子ど もが中心」 であることを示す. この視点は, 学校, 教師 の力を借りないと達成できないソーシャルワークの社会 的正義の視点とつながる. 要するに子どもの力を借りる (引き出していく) という点である. 子どもたちは教育にしても福祉にしてもその客体では なく主体である. 児童福祉施策にある子ども食堂も学習 支援・無料塾などがもつ教育的機能とはなにかが明らか にされてくる必要もある. ただ, 学力向上の肥大化によって, 学校の福祉的機能 が薄らいでいく. 学校福祉とは, 子どもの福祉 (しあわ せ) の根拠や拠点が, どんどん学校 (教育) から離れて いくことをいかに食い止めていくかを考えるものであろ う. 学校の福祉的機能が薄らいでいくと, 急激なスクー ルソーシャルワーカーの増員拡大が, 地域資源で 「つな いでいく」 ことに動いて, それが逆に, 学校や教職員の 主体的力量を奪っていく. 今日の教員養成において, 家 族問題はスクールソーシャルワーカーに 「丸投げ」 する ことを助長しないよう, 教師が 「家庭問題は学校の外の 問題」 という風潮を断ち切っていく視点が欠かせない. 子どもたちとともに夢が語れる福祉職とはどのような 力を持つか. 学校教育の力を使って, 地域のソーシャル ワークを充実させる視点が必要になる. 学校における福祉的機能は福祉職への理解や連携とい う外形的なことにとどまらない.  学校や学習からの排除を考えあう では, 先のチーム医療からの示唆で上げた 4 つの視点 を, この 「学習権保障」 への気づきとクロスする問いと は何か. 「患者の意思決定と個の尊厳」 については, 子 どもの意思決定の保障や支援と個の尊厳という点で, 同 質で考えられる. しかし, 「医師や看護師などの特定行 為」 については, 教諭の教壇実践の専門性に見られるよ うに, 学習と評価が特定行為になる. 社会福祉は子ども とともに教師の学習環境にもコミットすることが学校福 祉の特徴となる. 「情報収集と実行をめぐる権限」, およ び 「保護者もチームの一員」 は, そのまま通用すると考 えられる. 今後, こうした視点を学生の気づきに高めるには, 自 身の経験感覚が学校一般の常識と捉えないことへの学習 がある. 「学習権保障」 に着目することは, そこから排 除や疎外されている子どもとの出会いや存在への認知に

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より立ち上がってくる. 教育課題を社会的問題として立 法化される法制度が多職種連携を推し進めようとしても, 子どもの意志やニーズ (子どもにとって自然な肌感覚) との乖離ができる. こうした乖離や矛盾, ジレンマを教 材化していくことへの探求と関心が学校福祉をめぐる多 職種連携学習の学習内容の 1 つとなるのではないだろう か. これらは, その教育課程の本質論ではなく, 外形的な 事柄である. しかし, 学校・学習からの阻害を考えあう には, たとえば, 教材研究や授業案づくりにおいて, 福 祉教育やボランティア学習に特化せず, すべての教科教 育と福祉のつながり, たとえば家庭科教育が子どもの福 祉や幸せをどう育てきたのか, 社会科教育や算数科教育 が子どもの福祉とどう結びつくか, など, 「わかる・で きる」 ことの喜びと福祉とのつながりや社会科学の目を 習得することなど, 予定調査や主観ではなく, 客観的に 構想していくような機会が必要であり, こういった多職 種連携学習においてこうした接近も求められる. こうし た議論が現職教員やスクールソーシャルワーカーの現任 者の日常感覚をくぐり, 改めて学生たちに立ち戻ること が必要になろう. その点については, 今後に期すことと する. 謝辞 本稿の執筆にあたり, 大学の授業で発表やレポートで 意見をいただいた学生諸氏ならびに, 多用な中, スクー ルソーシャルワーク教育課程の授業 (発表会) への参加 を快諾いただいた本学社会福祉学部教授野尻紀恵氏およ び諸学生, 関係者に御礼申し上げる. 注  梶谷真司 考えるとはどういうことか , 幻冬舎, 2018 年, p. 48  NPO 法人地域の方位活的な医療に関する研究会編 「多職 種相互乗り入れ型」 のチーム医療 , へるす出版新書, 2012 年, p. 13  細田満和子 「チーム医療」 とは何か , 日本看護協会出版 会, 2012 年, p. 42  前掲, p. 52  鈴木庸裕他編 多文化社会を生きる子どもとスクールソー シャルワーク かもがわ出版, 2018 年, p. 23  城丸章夫 「学校とは何か」 教育 国土社, 1973 年, p. 56  鈴木庸裕編 学校福祉とは何か , ミネルヴァ書房, 2018 年, p. 1

参照

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