1.は じ め に
「幸福」(Happiness)とは何だろうか? 百人百様 の答えがあるだろう.人工知能の創始者の一人である 故 Marvin Minsky 博士は Happiness という言葉が好 きでなかったという.AAAI Spring Symposium 2016, 「Remembers Marvin Minsky」での Bo Morgan 氏の発 言である [Bo 16].「Because, absence of the goals.」と いうのがその理由である.「問題解決には Goal が必要,
Happyな状態を目標にしてはいけない,Happy だとそ
こに留まってしまうから」と著者は理解した.Minsky は, 著書の“Emotion Machine”の第 1 章で感情も思考の一 種であり,心を思考素の雲とみなすアイディアを論じて いる [Minsky 09].感情を表す言葉には,「un-, -less, in-(unbelievably, indescribable, flawless incredible)など」
の否定形をとる言葉が多い.Minsky は,感情的な状態 は思考素が制限されている状態で,理想的な状態は,あ らゆる思考素がうまく働き思考が研ぎ澄まされている状 態だと考えていた.Minsky は,心の 6 階層モデルを提 案しているが,このモデルは情報学的なアプローチで, 「幸福とは何か」を捉えるヒントを与えている.
AAAI Spring Symposia 16, SS07: Well-being Computing: AI Meets Health and Happiness Sciences では,人工知能研究者に加えて,心理学者,脳科学者, 社会学者を交えて,「幸福な状態とは何か」,「幸福度を 高める要因は何か」を情報学としてどうアプローチした らよいのか,議論する場をつくった.近年,高齢化社会 を迎え,ビッグデータを活用して,人工知能技術を医 療や健康分野に適用しようとする機運が高まっている [Ashley 10, Butte 08, 城戸 11a].しかし,ディジタルテ クノロジーが,我々の心や身体にどのような影響を与え
得るかの科学的な理解に基づき,well-being system を デザインしていく研究は,これまで多くはなかった.こ うした中で,メンタルヘルスとメディアデザインの境界 領域で,MIT Media Lab の Advancing Well-being プロ ジェクト [MIT 16] や,Positive Computing [Rafael 14] などの新たなアプローチも登場してきた.ポジティブ心 理学や幸福学 [前野 13] の知見と情報科学をつなぎ,「人 がどう感じるか」を重視した視点で,次世代メディアや 社会システムをデザインしていくアプローチは今後,重 要度を増していくと考えられる. 著者は,遺伝子を解析することによって得られる情報 が,人にどのような価値をもたらし得るかについて,研 究を行ってきた [Kido 10, Kido 11b, Kido 12, Kido 13a, Kido 13b, 城戸 13c, Kido 14a, 城戸 14b, Kido 15a, 城戸 15b].現代人の急速なライフスタイルの変化が,人の心 や体にどのような影響を及ぼしているのか,大きな関心 をもっている.人間の脳や身体が幸せと感じるメカニズ ムや個人差が生じる要因が明らかになれば,主観的には 見分けにくい異なる種類の幸福感が,客観的に敏感に見 分けられる可能性がある. 本稿では,人工知能と遺伝子解析を用いて個人の幸福 感を推定し利活用する技術の現状と課題,将来の可能性 について論じる.具体的には,2 章にて遺伝子を用いて 幸福感を推定する技術と知的環境知能,3 章にて Citizen Scienceのアプローチ,そして 4 章にて Citizen Science の実例:楽観性の個人差と遺伝子変異との関連性につい て著者の研究や関連研究を中心に紹介する.最後に 5 章 にて本論文をまとめる.
Well-being Computing:
AI とゲノミクスからの展望
─ Citizen Science によるアプローチ─
Well-being Computing: Perspectives from AI and Genomics
─ Citizen Science Approach ─
城戸 隆
株式会社理研ジェネシスTakashi Kido Riken Genesis Co., Ltd. JST PRESTO. [email protected]
Keywords:
well-being computing, artificial intelligence, genomics, citizen science, positive computing. 「Well-being Computing」2.遺伝子を用いて幸福感を推定する技術と環境
知能
近 年 の 遺 伝 子 解 析 技 術(Genomics) を 用 い て, Eudaimonic(生きがい追求)・Hedonic(快楽追求)な 幸福感への関連性が指摘されている遺伝子発現,および 人との親近感,信頼感との関連が深い「オキシトシン」 などを用いて主観的な幸福感を分類,推定できる可能性 がある.「出来事」への捉え方や感じ方の違いが,身体 に及ぼす影響を遺伝子レベルで評価できるようになれ ば,「幸福感」を情報学的に表現できるようになる.ウェ アラブルデバイスや心理調査を用いて得られた情報を組 み合わせることにより,人がいつ,どんなイベントで幸 福感を感じているのかについて大規模な時系列データを 集積することで,幸福に影響を与える要因を情報学的に 解析し,「幸福な状態とは何か」につながる新たな理解 に資する可能性がある.図 1 にこのアイディアを図示し たものを示す. 図 1 に表記した「フォーカシングイリュージョン」と は,「幸福に対する間違った思い込み」を意味する.こ れは,ノーベル経済学賞受賞者でもあるダニエル・カー ネマン [Kahneman 11] が用いた言葉で,「人は所得など の特定の価値を得ることが必ずしも幸福に直結しないに もかかわらず,これらを過大評価してしまう傾向がある」 というポジティブ心理学の研究に端を発している [前野 13].図 1 の構想で目指しているのは,幸福感に影響す ると思われる要素(例えば,健康状況,家族関係,家計 の状況,自由な時間,就業状況,友人関係など)の中で, 個人の思考パターンや日々の生活習慣の特徴を見いだそ うとする中で,「何がフォーカシングイリュージョンな のか」という問いに,気付きを与えるような情報環境を 構築していくことである. 幸福学の分野では,主観的幸福度は,主に心理調査票 による分析によって測られてきた.例えば,前野らは, インターネット上での 1 500 名の心理特性に関するに 29項目 87 個のアンケート質問を因子分析し,幸福に関 わる四つの重要因子として,(1)やってみよう(自己実 現と成長の因子),(2)ありがとう(つながりと感謝の 因子)(3)なんとかなる(前向きと楽観の因子)(4)あ なたらしく(独立とマイペースの因子)を報告している [前野 13]. しかし,アンケートによる心理調査には限界も指摘さ れている.ダニエル・カーネマンは,「経験の自己」と「記 憶の自己」を区別して幸福を考える重要性を説いている [Kahneman 10].カーネマンによれば,アンケート調査 でわかるのは,「記憶の自己」である.例えば,幸せの 度合いを調べるのに,オハイオにいた人に「カリフォル ニアに移って幸せになったか?」という質問をしたとす ると,その人は,「オハイオがどれだけ悪かったかを思 い出し,自分が正しい決断をした」と思って回答する. しかし,心理学的な現在は約 3 秒といわれており,人生 では約 6 億回(月 60 万回)にも及ぶ「経験の自己」が 感じた「心理学的な現在」のほとんどは,「記憶の自己」 には無視される.「経験の自己」から見ると,カリフォ ルニアに移って幸せだと感じた瞬間が多くあったかも しれないのである.カーネマンによれば,「記憶の自己」 と「経験の自己」の相関は,0.5 程度であり,これは,「父 の身長が 180 cm である」という情報から実際の自分の 身長を推定するのと同じ程度の不確かさであるという. この例のように,体験と記憶を混同してしまう「認知の 罠」が幸福学研究を困難にしているとカーネマンは指摘 し,「生活の中で見いだす幸福」(経験の自己)と「自分 の人生での幸福度合い」(記憶の自己)は非常に異なる 概念であるとしている. しかし,遺伝子解析技術を用いることで,認知的は 区別しにくい「経験の自己」と「記憶の自己」を遺伝 子発現の変化を見ることによって見分けることができ る可能性がある.Steve Cole 博士らは,幸福感の種類 によって免疫細胞の遺伝子発現のターンが変化すること を発見している [Cole 13].幸福学において,「おいしい ものを食べて幸せ」,「欲しかったものが買えて幸せ」の ように,目先の欲求を満たすことで得られる自己満足感 は“Hedonic”(快楽主義的幸福感)と呼ばれる.それ 図 1 「幸福感」をゲノミクスと情報科学で捉える基本的なアイディアに対して,「人生に方向性や意味がある」,「社会に貢献 できるものがある」など,人生に目的や意味を見いだす ような幸福感は Eudaimonic(人生追求的な幸福感)と される.Steve Cole 博士らは,35 ~ 64 歳までの健康 な 80 人に,Hedonic や Eudaimonic な質問に答えても らい血液中の免疫細胞の遺伝子発現との相関性を調べた ところ,Hedonic な幸福感では,孤独感を感じていると きに生じる発現パターンと類似したパターンが見られ, Eudaimonicな幸福感では,炎症反応に関連する遺伝子 発現が抑えられ,抗ウイルス反応に関連する遺伝子がよ り活性化されていることを見いだした [Fredrickson 13]. 興味深いのは,Hedonic な幸福レベルが高い人々が,気 分が良くない,不幸を感じているということはなく,意 識レベルでは,「人間として満たされた生活を送ってい る」と非常にポジティブな言及をしていることである. 認知レベルでは,Hedonic な幸福感を Eudaimonic な幸 福感と錯覚しているのもかかわらず(図 2 左),身体レ ベルでは遺伝子発現の変化として,ネガティブな影響が はっきりと表れているのである.(図 2 右)本人も自覚 できなかった認知レベルでの幸福感の錯覚に,身体に生 じた遺伝子レベルでの変化を可視化することによって, 新たな気付きが得られる可能性がある. どのようなイベントが,幸福感の変化を引き起こし ているのかを特定する情報技術も重要である.大きな挑 戦の一つは,ウェアラブルデバイスを用いた情報集積や ソーシャルネットワークのつながりを利活用した環境知 能の構築である.例えば,Killingworth らは,スマート フォンのアプリケーションとして幸福度追跡装置(Track Your Happiness)を開発し,人々が幸福感を感じたイ ベント(仕事,会話,テレビを見ているときなど)を, ランダムに通知を送ることでサンプリングし,幸福度 が一番高かったのは,目の前のことに没頭しているとき であり,気が散っている(マインドワンダリング)と きは幸福度が低くなる傾向があることを報告している [Killingworth 10].また,Flowler らは,疫学研究で用 いられたソーシャルネットワークデータを解析すること により,幸福度が高い人とつながっている人は,より幸 福度が高い傾向があることを報告している [Fowler 09]. こうしたウェアラブルデバイスやソーシャルネット ワークに連動した環境知能とゲノミクスを用いて,「幸 福感」を情報科学的に表現し解析することで,「現代人 の急速なライフスタイルの変化が,心身にどのような影 響を与えているのか」を理解し,心身に良い影響をもた らす行動を発見し,心身に良い習慣を体系的に開発でき る可能性があると著者は考えている.
3.Citizen Science のアプローチ
Citizen Scienceとは,参加型コミュニティ(その多く は Crowd Sourcing による)を形成して科学研究を推進 するフレームワークである [Catlin-Groves 12, DIY 16, Swan 12a, Swan 12b].専門の研究者コミュニティの枠 を超えて,非専門家を含む自発的な参加者が主体となり, 科学データの収集,解析,ツール解析,多様な視点か らの意見集積を行っていくことが特徴である.Human Computation [Michelucci 13],メカニカルデザイン,ゲー ミフィケーションといった人とコンピュータの協働によ る社会問題解決手段を用いて新しい発想や集合知,メッ セージを社会に発信する社会運動としても捉えることも できる. ● Citizen Science の意義 1:多様性 (当事者研究の視点から) 非専門家を含めたコミュニティの多様性は価値創造に とって非常に重要である.例えば,当事者研究のコミュ ニティでは,医師から見える世界と,当事者から見える 世界は大きく異なっており,当事者の視点を取り入れる ことの重要性が叫ばれている.例えば,自閉症の当事者 であるテンプルグランディン博士は,例えば,写真をと るような方法で記憶する自身の認知特性や映像を用いて 物事を考える特徴を主観的な体験から明らかにすること によって,他者(医師)からの視点では理解され得な かった認知的メカニズムを見いだしている.彼女は,「世 界はあらゆる頭脳を必要としている」と主張し,認知の 偏りから生じる多様な個性(映像型思考,言語型思考, 聴覚型思考など)を尊重することの重要性を説いている [Grandin 10]. 発達障害の当事者も,認知特性の偏りが原因で,本人 の無意識な行動が,周囲から違和感をもって受け止めら れ,本人だけでなく周囲もストレスを感じる場面も多い. 周囲の理解不足もあり,当事者の潜在能力を生かせず, 自立や社会参加が困難になるケースも多い.さまざまな 認知の偏りや暗黙知をデータ化し,可視化することがで きれば,無意識に生じていたかもしれない偏見に気付き, 相互理解を促し,当事者の強みを積極的に社会に生かし, 当事者の自立や社会参加の機会を増やしていける可能性 がある. ● Citizen Science の意義 2:主観的体験の観察・記述 (一人称研究の視点から) 諏訪正樹は,知の探求には一人称研究という研究方法 が必要であると主張している [諏訪 16]. 諏訪は,「一人図 2 Eudaimonic vs. Hedonic な幸福感 [Cole 13]. 認知レベルと遺伝子レベルでの反応の違い
称研究は,対象を外部から客観的に観察し,記述し,分 析するという従来の科学研究のやり方とは異なり,知を 成り立たせている主体(本人)の立ち位置から見える世 界を(一人称視点で)観察・記述するという研究のやり 方である」とし,一人称視点でないと観察・記述できな い主観的なデータに基づいて仮説を立てることの重要性 を論じている. 我々も,Quantified Self(QS)という「自分自身を観 察し,気付き(仮説)を見いだし,分かち合う」という 取組みを推進している.Quantified Self(QS)は 2010 年前後に米国シリコンバレーを中心に始まったライフロ グ・ヘルスケアを中心とした参加型コミュニティである が,我々は 2012 年より QS Tokyo を立ち上げ,定期的 に Meet up を主催してきた.我々は,例えば,メタボリッ ク(糖尿病などの生活習慣病の予防),睡眠,利他心(認 知特性や性格)といったテーマで,参加型のオンライン コミュニティをつくり,科学発見を目指すプロトタイプ プロジェクトも進めている. ● Citizen Science プロジェクト(認知特性と遺伝子変 異との関連性) 図 3 は,認知特性の理解を目指して,我々が実施して きた Citizen Science のプロジェクトの一覧である.上 図はプロジェクト名,下図は,認知特性との関連性が指 摘されている遺伝子を示す.四つのプロジェクト(Social Intelligence, Cognitive Enhancement, Thinking Fast and Slow, Creativity and Innovation)において,それ
ぞれのプロジェクトごとにインターネット上に参加者を 集い,科学データや解析ツール,関連文献,個人的体験, 気付きなどを共有した.例えば,“Thinking Fast and Slow Study”では,損失回避傾向(人は利益を獲得する よりも,損失を回避する傾向のほうが一般に強いとされ る)に個人差があるかどうかというテーマで,研究に賛 同したボランティアを集い,遺伝子変異との関連性を調 べた. 下図は四つのプロジェクトのそれぞれについて,関連 遺伝子を探索するために行った遺伝子に関わる文献調査 の項目を表している.ドーパミン(Dopamine)やオキ シトシン(Oxytocin)といった脳内ホルモンに関わる 遺伝子を中心に既知の文献報告を調査した.“Thinking Fast and Slow Study”の予備実験の結果では,脳内ホ ルモンのドーパミン伝達に関わる DRD2 と呼ばれる遺伝 子上にある遺伝子変異(SNP: rs4274224)と損失回避 傾向に有意な相関を見いだしている.次章では,Citizen Scienceの実例として,ポジティブ心理学や幸福学と関 連の深い Social Intelligence プロジェクトを紹介する.
4. Citizen Science の実践:
楽観性・悲観性と遺伝子多型との関連性
外向的か内向的か,楽観的か悲観的かといった気質は, ある程度,遺伝的に決まっているという研究報告がある. Bernstein [Bernstein 11]らの研究報告によれば,オ キシトシン受容体の遺伝子多型(rs53576)の遺伝子型 が G/G の人は,A/G や A/A の人に比べて,ポジティブ 思考の傾向が高い.オキシトシンは人間を利他的な行動 にかきたてるホルモンとして注目されており,「信頼の ホルモン」とも呼ばれている.[金井 13] によれば,オ キシトシン受容体の遺伝子多型(rs2254298A)は直接 的に脳の構造に影響し,この遺伝子多型が G/G の人は 扁桃体が小さく,A/A の人では大きく,A/G の人ではそ の中間的な大きさであるという報告もある. 我々は,DIYgenomics [DIY 16] と共同で楽観性・悲 観性などの心理特性と遺伝子変異との関連性を調べる Citizen Scienceプロジェクトを Social Intelligence とい うテーマ名で実施した.楽観性,共感性,利他性などの 測定には,オンラインの 2 種類の心理テスト(1)IRI: Interpersonal Reactivity Index[28 問]と(2)EQ: Empathy Quotient test(Baron-Cohen)[60 問]を用 いた.図 4 と図 5 に IRI と EQ のアンケート設問の例 を示す.また過去に楽観性,共感性,利他などの心理特 性との関連性が報告されている図 6 に示す九つの SNPs (SNP とは一塩基を単位とした多型を示す遺伝子配列の こと)を解析対象とした. 2012年にこのプロジェクトを開始し 2015 年 12 月ま でに,68 名のボランティア(男性 28 人,女性 20 人, 性別不明 20 人)が参加し,38 名が年齢を公開(26 ~(A)Citizen Science Projects
(B)関連遺伝子
図 3 認知特性の理解を目指した Citizen Science Projects. (A)プロジェクト名,(B)関連遺伝子
66歳まで)した.参加者の多くは米国在住であった. 24名が人種を公開し,その多くが白人であった.24 名 が 9 SNPs の遺伝子情報を提供した.ただし 1 名は, rs2283265を除く 8 SNPs のみを提供した.24 名はいず れも 23andMe 社の遺伝子情報サービスのユーザであり, 同社の遺伝子情報レポートの一部を提供した. 我々は,(1)遺伝子多型と心理指標(EQ Score,IRI Score)との関連解析,(2)機械学習による予測精度を 評価した.(1)では,EQ Score と IRI Score のそれぞ れに対し,Kruskal-Wallis 検定を実施し,遺伝子多型と 各心理指標の関連性の強さ(統計的有意性)を示す p 値 を算出した.(2)では,遺伝子多型情報から心理指標(EQ Score)を機械学習によって予測する手法の精度を評価 した.機械学習は,Adaboost, Deep Learning, Bagging, CART, Single Hidden Neural Network, Random Forest,
SVMの 7 種類の手法を評価した.各アルゴリズムの評
価には,図 7 に示した R の関数を用いた.
EQ Scoreは,Low(39 点未満),Middle(39 点以上
46点未満),High(46 点以上)にカテゴリー化し,遺 伝子多型情報は,各 SNP ごとにマイナーアレルを A, メジャーアレルを B として,遺伝子型を AA=0,AB=1, BB=2 と数値化して表現し,九つの SNPs の多型情報 (例えば,012121021)から EQ Score(High, Middle, Low)を予測するタスクを与えた.Leave-one-out cross-validation法により,24 サンプルのデータに対し,23 サンプルをテストデータとして用いて,残りの一つのサ ンプルの EQ Score を予測する評価を 24 回実施し,各 アルゴリズムの予測精度を比較した. 図 8 に九つの SNPs と EQ/IRI スコアとの相関を示す. X軸は,各 SNP の rs 番号,Y 軸は p 値の対数の絶対値 (-log(p-value))を表す.青(●)のプロットは EQ Score,赤(◆)のプロットは IRI Score である.Y 軸の 値が高いほど関連性が強いことを示す.EQ Score と最 も関連性が強かったのは rs6265(BDNF)で,次いで rs53576(OXTR)であった(青のプロット).一方で, IRI Scoreでは,p 値が 0.05 未満となるような強い関連 性は検出されなかった(赤のプロット). 図 9(A)に rs6265(BDNF)の遺伝子型と EQ Score の関係を示す.X 軸は rs6265(BDNF)の遺伝子型,Y 軸
図 4 IRI(Interpersonal Reactivity Index)
図 5 EQ(Empathy Quotient test(Baron-Cohen))
図 6 解析対象の遺伝子多型
図 7 7 種類の機械学習アルゴリズムの R 関数
は,EQ Score を示している.遺伝子型(Genotype)とは, ある遺伝形質に関する遺伝子アレルをどのような組合せ でもっているかをアルファベットの記号(本稿の表記で は,A, T, G, C の組合せ)で表したものであり,例えば, rs6265には,CC,CT,TT の 3 種類の遺伝子型がある. CTタイプの遺伝子型(n=9)は,最も低い EQ Score (39.6)であり,TT タイプの遺伝子型(n=3)は最も 高い EQ Score(46.7)であった.CT タイプと CC/TT タイプの EQ Score の差異は統計的に有意であった( p= 0.0167).また,図 9(B)に rs53576(OXTR)の遺伝 子型と EQ Score の関係を示す.AA タイプの遺伝子型 (n=5)は最も低い EQ Score(38.2)であり,AG タイ プの遺伝子型( n=14)は最も高い EQ Score(45.1)であっ た.AA タイプと AG/GG タイプの EQ Score の差異は統 計的に有意であった( p=0.0240). オキシトシン受容体(OXRT)の遺伝子多型(rs53576) の遺伝子型が AA 型の人が EQ Score が低くなる傾向 があるという予備実験の結果は,Saphire-Bernstein [Saphire-Bernstein 11]らの研究報告を裏付けるものと なっている.rs53576(OXRT)のアレル頻度は,欧米 人とアジア人では大きく異なることが知られている.ア ジア人では,この遺伝子多型で AA 型となる人の割合は, ヨーロッパ人よりも多い [Saphire-Bernstein 11].これ はアジア人はヨーロッパ人よりも悲観的な遺伝的気質を 備えているという議論に一石を投じるデータである. rs6265(BDNF)と EQ Score との関連性は新規の報 告である.BDNF 遺伝子は,統合失調症,てんかん,ア ルツハイマー病,神経可塑性,うつ病との関連が報告さ れている [Terracciano 10].BDNF 遺伝子は新しいシナ プスを生成する神経可塑性と深く関わっており [Chaieb 14],CC タイプの遺伝子型は,CT/TT タイプよりも, 可塑性が 20%高まるという報告もある [Madrigal 09, McHughen 10].また BDNF 遺伝子が日々の意思決定に 関わる認知機能と関連しているという報告 [Rostami 11] や,社会的ストレスの感受性 [van Winkel 14],ポジティ ブな社会的感情の促進 [Goleman 07, Panksepp 12] との 関連性を示唆する報告もある.今後,より大規模な集団 での検証やエビデンスの蓄積が必要である. 図 10 に 7 種類の機械学習アルゴリズムの予測精度比 較の結果を示す.X 軸は機械学習アルゴリズムの名称, Y軸は EQ Score のクラス(High,Middle,Low)の予 測の正解率を示している.Deep Learning が,正解率が 最も高く(17/24 = 70.8%),次いで Adaboost,CART (14/24 = 58.3%)の正解率が高かった. 機械学習技術の遺伝子解析領域への適用は,今後,開 拓の余地がある.遺伝統計解析を用いて統計的に有意な 関連遺伝子を見いだしていくことが,これまでのゲノム 疫学の主流なアプローチであった.本稿では,機械学習 によって遺伝子型から表現型を予測する手法を評価する 予備的実験を行ったが,遺伝統計学による手法を代替す る提案には至っていない.現在,遺伝子データのみなら ず,多様で高次元のオミックスデータから科学的知見を 導き出していく需要が高まっており,マルチモーダルで 少数の正事例,負事例からの予測を可能にする手法の開 拓が望まれている.また予測率を高めるだけでなく,そ の予測がなぜ,個人にとって適切なのかを説明できる (エビデンスを提示できる)ことが重要になってくる.「相 関関係」と「因果関係」は異なるものであり,「擬似相 関」と本質的な因果関係を見分ける技術も必要である [城戸 16].
5.お わ り に
本稿では,AI とゲノミクスの視点から「well-being computing」を捉え,人工知能と遺伝子解析技術を用い て,人の幸福感を推定し利活用する技術の現状と課題, および展望を論じた.また Citizen Science のアプロー チによって,多様性を重視した科学的探究を行うことの 重要性を主張した.具体的には,(1)「幸福な状態とは 何か」,「幸福度を高める要因は何か」を情報学的に捉え, ディジタルテクノロジーが,我々の心や身体にどのよう な影響を与え得るかの科学的な理解に基づき,システム 図 9 EQ Score と 2 SNPs との有意な相関 (A)rs6265(BDNF),(B)rs53576(OXTR) 図 10 7 種の機械学習アルゴリズムの予測精度比較をデザインするためのフレームワークとして「well-being computing」を位置付け,(2)遺伝子を用いて幸福感を 推定する技術と環境知能の現状,課題,および展望を論 じ,(3)Citizen Science のアプローチによって科学的探 究を行うことの意義を述べ,(4)AI とゲノミクスの視 点から「幸福度」を評価する Citizen Science の実例と して,楽観性・悲観性と遺伝子多型との関連性に関する プロジェクトを紹介した. 本稿では,遺伝子解析分野への機械学習技術の適用や Citizen Scienceのアプローチのよる幸福学テーマの探求 を試みたが,本稿で述べた将来展望を具体的な研究の成 功事例として完全に実証するには至っていない.今後, Citizen Scienceならではの「多様性の尊重」から生じ た価値創造(新しい科学仮説立案など)や従来の解析手 法では手掛かりがつかめなかった科学課題での新発見と いった成功事例の創出を目指していきたい. 謝 辞 本研究は,科学技術振興機構(JST)さきがけ “遺伝 子解析と人工知能技術を用いたパーソナルゲノム情報環 境の提案と評価”の支援を受け,理研ジェネシス社,ス タンフォード大学,DIYgenomics,ならびに多くの研 究協力者の皆様からのサポートを得て実施した.UCLA の Steve Cole 博 士 に は,AAAI Spring Symposium 2014, Ambient Intelligence for Health and Cognitive
Enhanceにおいて講演をしていただき,貴重なアドバ イスをいただいた.また,さきがけ「情報環境の人」領 域の石田 亨教授(京都大学),竹林洋一教授(静岡大学) には,本稿のテーマを考察するうえで貴重なヒントやコ メントいただいた.ここにお世話になったすべての方々 に深く感謝の意を表する.
◇ 参 考 文 献 ◇
[Ashley 10] Ashley, E. A. and Butte, A. J., et al.: Clinical assessment incorporating a personal genome, Lancet, Vol. 375, No. 9725, pp. 1525-1535(2010)
[Bo 16] https://www.youtube.com/watch?v=w0OEtWSgQks (2016)
[Butte 08] Butte, A. J.: The ultimate model organism, Science, Vol. 320, Issue 5874, pp. 325-327(2008)
[Catlin-Groves 12] Catlin-Groves, C. L.: The citizen science landscape: From volunteers to citizen sensors and beyond, Int. J. Zoology, Article ID 349630(2012)
[Chaieb 14] Chaieb, L., Antal, A., Ambrus, G. G. and Paulus, W.: Brain-derived neurotrophic factor: Its impact upon neuroplasticity and neuroplasticity inducing transcranial brain stimulation protocols, Neurogenetics, Vol. 15, pp. 1-11 (2014)
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[Kahneman 11] Kahneman, D.: Thinking, Fast and Slow, New York, NY: Farrar, Straus, and Giroux(2011)
[金井 13] 金井良太:脳に刻まれたモラルの起源,岩波科学ライブ ラリー(2013)
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2016年 11 月 18 日 受理