宇宙論的哲学の対象
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(2) . : GAKUGEI. Vo l .2 ,2 , No. Dec .1950. 宇宙 論的哲学の対象 山. 嘉 二太. 本. 郎. 北海道学饗大学旭川分校哲学研究室 l l i I PI i Kataro YAMAI t of Co s ophy ( . ca 1 o c smo 1mo: obj e g ′. 編集者諌 山本教授は現在殆 ど失明の状態にある。 本稿は同氏 ‐るも の病床に於ける腹想の所産 であり、 その口述筆記であ. 「それに考え沈むこと がしば しば で且つ永ければ永い. いてつねに新 しく問し 直されてきた問題である。 そうし. ほ どいよいよ新 しきそう して 増し来る驚歎と畏敬とを以. てまた未来に於ても学の歴史がつづく限り限り無く問わ れ行くべき問題でもある。 云わばそれは人間に とって は. て心を充たすものが二つある。 我が上なる星辰の輝ける t l l 天空そうして我が中なる道徳法とがこれである。 」Ka ,. 古くしてつねに新 しき永遠の問題なのである。 古来の諸. Lap 1ace の星雲説の創始者であり批判哲学の創始者でも. 先学者のたゆみなき研究の結果久しく未知暗黒の彼方に. t はその著 あることによって哲学的 天才であった Kan く述べているo しかもこ の 最・後 の 書 (註一) の中にか・. かくれていた宇宙もこれ等の勝れ たる諾先学者の認識の ・ 光明に照されて次第に自身の壮麟極ま りなき姿を人類の. 「我 が上なる星辰の輝ける天空そう して我が中なる道徳. 前にあらわし始めている。 けれども現在までに贋実に存 在する姿が認識せられたのは全一的宇宙の一部分も しく. 法」 と云う ・言葉は彼 がその下に永眠せる墓標に深くき ざ まれてさえある。 遥遠の彼方に千古に不可思議なる光き. はー過程にしか過ぎない。 未だ全一的宇宙の大部分は依. を放ってまたた く無数の星辰や 星雲を見つめ且つそれ等. 然として人類の認識の及ばぬ彼方に未知暗黒のまま横た. を浮ばせている果て し無き暗黒の深淵を見つめて そこに 考え沈む時我々もまた先哲 Kantと共に我々人間を包む. わっているのである。 現 在までの輝やか しき学的成果か ら見れば人類は一歩一歩とかかる全一的宇宙の完全 なる. 永遠無限にして壮巌極ま,り解き宇宙の姿に感歎と畏敬の ‐念が油然としてわき起るのを覚える そう してまたかか 。. 認識に近づきつつあるかにも考えられる。 け れども永遠. る永遠無限の宇宙に比 して極微的利那的な存在と しての. 的存在と して生れ出で有限的なる身体と従ってまた有限. 無限の存在とも 考えられる宇宙の発展の過程に於て泡沫. 人間を泡沫の如くに惨ないものに感ずると同時にま,た我, 的なる認識能力とをしか興えられておらぬ我々人間に取 っては全一的宇宙の完全なる認識の段階に達しその中に 々 厚人間がこの様に修ない存在でありながら能く永遠無 達すると云う様なことは 於ける人間の終極的なる自覚に ’ して人間に 限の宇宙を認識し得 るものであるこ とを反省 果たして 現在の我々人間に坂っては予 可能であろうか , 対しても宇宙に対すると同じく限り無く驚歎と畏敬の念 うして我々はこ の様な宇宙と人 に打た れるのである。 そ, 何であるか人間 畏敬と共に人間とは 間とに 対する驚歎と. 想のできぬことであるけれ ども恐らくそれは総篤に行き. を含めて宇宙とは何であるかと云う問題の中へ深く考え 沈まずにはおられなくなるので ある。 如何にか してこの. だ然 し Pascal も云ったように 「人間は云わば一本の葦. しこの宇宙の中 不可思議なる宇宙をーそう明 らかに認識, の一分子として生存する人間についての終極的なる自覚 に達することを限り無く欲するのである。 人間とは何で あるか人間をも含めて宇宙とは何で あるか。,この問題は 然 し人類の学の歴史に於 て始原に問われた問題でありそ の後現在まで二千数百年に亘る学の発展の歴史をつらぬ. つくことのできぬ永遠不可解の問題であるであろう。 た であり自然の中で最もかよわきものに過ぎない。 けれ ど もそれは考える葦なのである。」(註二) 人間はこの宇宙 の発展し行く過程に於て必然的に進化の理法に支配され てこの地上に出現 したものであり必然的不可避的に思考 すること即ち認識することな しには生き行くことのでき と ぬ運命を背負 っている。 古来の諸先学者はかかる人間▼ づけ 冥 ち認識活動をつ 行 しての生きんとする絶対的運動 =. 150.
(3) . 第 2巻 第2号. ・. 璽. 学. 昭 和25年12月. くべき運命を背負ってこの永遠の問題に向ってひたむき .的哲学は学的に如何なる ものをその対象乃至問題とし且 つ如何なる方法に依って進め行くことができるが。 .我々. に研究に没頭し現在に至ったものと考えられる。 人間が 員の意味に於ける人間的生存をつづけ行くことを欲する. は先 づこのことについて厳密に限定しおかなくてはなら. 限りどこまでも思考し認識するものでなけれ ば な ら な. ないのである。 . さて我々がこの宇宙論的哲学に於て認識することを 欲. い。 けだし人間の本質は思考し認識する生物であること に存しその進化発展はかかる文化活動に因って始めて可. する対象は人間をも含めて諸世界全体としての宇宙なの. 能となるものだからである。 そう してこの様な人間的生. であるが古来の哲学的宇宙論に従えばこの宇 宙 の原 語 Kosmos は初原的には絶対に無秩序無法則であり純粋に. 存活動は人間が宇宙に依って背負わされたところの運命 的不可避的なる縄対的運動なのである。 我々は人間に不. 偶然的なる状態と しての混沌 KI sに対 して法則的統一 o a l. 可避的 に背負わされてある 上の様な運命をさとり諸先学 者の後につづき 人間とは 何であるかそう して人間をも含. あ. る組織体 として考えられた存在の綜体を意味した。 こ の意味を最初に Ko hago sに背負わせた学者は Py smo t r s a. めて宇宙とは何であるかと云う恐らくは継篇に行きつく ことのできぬ永遠の問題の答を室しく求めて どこまでも. であったと樽えられている。 けれどもこの古代 ギリシャ に於て考えられた Ko l s no sの概念はその後の二千数百年. 進み行こうと考えるのである。. にわたる科学の発展に従って内容的には著しい発展をと げたのである。 現在に於てはこの発展 した概念を表現す. さて我々 は今やこのように運命的不可避的に人間をも. るために多くの場 合に於て Ko ld; sms の代りに Wor Uu i l i v r e s e(英) We t;Un ve r s um (独) 等が用いられて l いる。ところでこの We tは一般に世界と訳されると同時 しば宇宙とも訳されている。 然 し Un にまた しば・ i r s um ▽e. 含めて諸世界全体としての宇宙の認識に進み行こうとし ているのであるが然しそれはどこま でも厳密に学的に認. 識し行かねばならない。 即ち体系的組織的合理的方法的 に認識し行かなくてはならないのである。 それではかか る人間の学 であると共に人間をも含めて諸世界全体とし. はもっぱら宇宙と訳されている。 「鹿義に於・ l t (は We i と Un ve r l s um とは同一 であり狭義に於ては We t は. ての宇宙の学云わば宇宙論は如何なる学であるべきか。 もろもろの科学はそれぞれの特定の対象としての世界を ・ものである それぞれの特定の方法によって認識し行く 。. Uni r sum の一部分である。 従って そ こ に は 無数 の ve Welten(P1 t t ane s en em) が存在する。」(註ヨ) と説明 ys. 例えば物理学はその対象としての物理学的世界を物理学. せられている様に We l tは或る場合には部分的世界を意. 的方法によって認識 し行く ものであり天文学はその対象 としての天文学的世界を天文学的方法によって認識 し行. 味しまた或る場合には諸世界空体 We l l l を意味す t ena る。 Wor ld と Un i s r ve eとの用法に於てもほぼ同様の概念 . くものであり そうし・ (生物学はその対象と しての生物学 的世界を生物学的方法によって認識し行くものである。. が見出される. ただしこの様な科学の対象や方法はつねに一定不愛のも. 部分で ,ありまた或る場合にはその全体であるのに対して Un i v r e eはつねに完全の即ちすべてを包む概念であるこ s. のではなくして科学の進化発展と共 にその都度進化発展. l d は 即ち Wor ,或る場合には存在の或る. するものであることは云うまでもない。 と ころでもろも ろの科学はとの様にそれぞれ特定の対象と しての世界を. とに依って区別せられる。 (謎四). それぞれ特定の方法に依って認識し行くものである限り 単に或る一個の科学の範囲に於ては人間をも含めて諸世. 宇宙の概念を形作るならば世界は宇宙を椿成す るもろも ,. 界全体の学としての宇宙の学即ち宇宙論となることはで きない。 宇宙論はかかるもろもろの科学の部分的特殊的. の世界の無数に集合して構成せられる云わば諸世界全体. この様な用例を母体としてこの宇宙論的哲学に於ける ろの部分であ. り要素でありかかる部分と してのもろもろ. が宇宙であるとすることができる。 即ちこの宇宙論的哲 学に於ては世界と云う場合には極微的世界よりかかる極 , でなければならない。 即ちそれは最も綜合的なる或る学 数的世界の離合集散に因って 現象している大小さま ざま 微的世界 でなければならないのである。 か くの如き全体的普遍的 ‘の諸世界 の諸世界を意味し宇宙という場合には極微的世界より限 なる学そうして綜合的なる学 は必然的に哲学である他は ・界に至るま.での全体を意味する ものと考 り無く大なる世 り無く大. 段階を越えた或る学であり最も全体的普遍的なる或る学. ない. け だし周知の如く哲学は古来もろもろの学の中に ・えるので えるのである。 ところでこの宇宙論的哲学に於て学的認. ・ 於て最も全体的普遍的なる学でありまた綜合的なる 学と 」 識の対象として考え行こうと している諸 世界乃至宇宙は しての歴史を保有しているからである。 従って我々は必 単に我々人間の脳髄の中に限想や幻想に依って形作られ 然的に宇宙論は即ち哲学であるとして考え行かなくては. た空想的な なる乃至は幻覚的なる影像ではなく して どこま. ならない。 それではこの宇宙論と しての哲学即ち宇宙論. でも客観的に時間的空間的に贋実 でも客観 ・ に存在するところの諸. 151.
(4) . Vo l .2 .2 ,.No r. ・. 、 ,. GAK GARUGE工 .. Dec .i950. 世界乃至宇宙それ自体なのである。 それではかかる人間・ て 分布 じな がら相互に斥け合い犬なる速度を以て相互に 後退運動を しつ づけているところの動的なる も の で あ の去来存亡を越えて客観的に存在する諸世界乃至宇宙と. る。 現在までの科学者達に依って認識せられた世界は微 覗的極微的には素粒子と呼ばれる世界に及び亘覗的極大. は具体的には如 何なるものを指すか。 我々の周囲には極. 微的世界から極大的世界に至るまで数知れぬ多種多様の 世界が千態方様の形相をあらわし絶え間なく運動し鱒愛. 的には上の様な目閉球状的膨脹宇宙にまで 及んでいる。. けれども未だ徴硯的にも巨硯的にも認識の及ばぬ多くの. 上 し生滅し進化 しているのが見聞せられる。 即ちこの地・ 2 2 には 億人以上の人類が生き動き数知れぬ種類の植物. 未知的世界 が存在することは云うまでもない。 そうして あらゆる世界は絶えま なく運動 L闘饗し生滅し進化しな. や動物が生き動いている。 山岳がそびえ丘陵が起伏し平 野が通り河川が流れ海洋がただよU・動きつつ存在してい. がら存在しているのでありそのことに因ってこの字宙間. る。 さ らに我々を包む大気の中には風 が吹き雲が浮び雨 雪が降っている0 かくの如きもろもろの世界はそれをの. に於てはあたかも我々の耳を惑わ し目を舷ます程に千慶 万化 し多彩鮮美なる諸世界 が現象しつつあるのである。. せている大地と共に地球と云う世界を形作りな がら存在. 我々がこの宇宙論的哲学に於て認識の対象 と しようと し ているのは上の様な意味に於ける諸世界乃至宇宙なので. している。 この地球的世界の周辺にはそれを包む太陽系 という 世界が速り存在している。 この太陽系的世界は 1 9個の惑星 26 個の衛星 1150 個以上の小惑星 個の太陽,. その他無数の慧星流星とこれ等の天体を含む塵間とから. ある。 かくの如き諸世界はまた部分的には個物と呼ばれ おしな べては万物と も呼ばれさらにまた森羅万象とも呼 の ばれることがある。 が何れにもせよここに我々が認識・. 成っている。 そう してこの太陽系的世界は決 して静的な るものではなく・して絶え間なく運動 しつつ ある動的なる. 対象とするものは上の様 な贋実に存在するところの人間 をも含めて諸世界全体としての宇宙なのである。. ものである。 即ち太陽は不断にその周囲を運行する如上 の諸天体をひきつれて自らもまた目醸 しながら太陽向点. l r l nや l ▽e su t ena 上の様に じ〔我々は We比y Wel , Uni び宇宙の の 世界及 U i 体として d l Wo e r s r , 等 用例を母 , nve. の方向に向って運動をつづけているのである。 然 しこの. 概念を形作 つたのであるが更にこの世界及び宇宙と云う 言葉の用例を手 がかりにしてその概念を 一そう高次のも. 太陽系的世界の彼方にもさらにこれを包む銀河系と云う. の に発展させておかねばならない。 世界は世と界との二 語から構成せられている が古き 「世を遷 流と篇 し界を方. 世界 が存在している。 この銀河系的世界は晴れたろ夜基 に我々の目に云わゆる天の川として映ずるものでありそ. 篇と篇す。」(裾織経) 及び 「東西南北 上下を界と篇 し過 と篇す。 」(同上) 等の用例に従えば世は 去 現在未来を世●. o 万光年厚き約2方光年の円盤状室間とそ れは直径約 ー の中に浮び動く多数の恒星や星雲とから成るものであり しかもそれは全体と して自ら目興 しな がら不断に或る方. 過去現在未来と云う様な時間的なものを表現し界は四方 な塞間的 なるものを表現した。 この概念を 上下と云う様・. 向に向って運動 しているところの動的なる世界である。 我々 が肉眼を以て 認識し得る世界はこの銀河系内の諸天. 発展させて現在の科学的意味に於ける時間及び空間の概. 体と銀河系外の二三の星雲に限られる。 もしも我々が望. 念を世及び界に背負わせるならば世界と熟語することに 依って時間空間を密接なる関連に於て表現することがで. 遠鏡を通して観測したとすれば銀河系的世界の周辺にそ. きる。 現在の自然科学 とくに物理科学に於ては周 知の如 i i d や 配 l t e l l s n等による相対 性理論の確 立 【 ows くに Minl ‐空間とは決 して独立のものではなく してつね 以来時間と に密接なる関連に於て存在するものでありこ の時間空間. iれを包むより大なる星雲群と呼ばれる世界の存在が認識 せられる。 ,この星雲群的世界は長直径約100万光年の楕 円歌墓間とその中に浮び動く9個乃至 12 個 の星雲とか ら成るもので ある。 鹿漠たる宇宙空間には我々の銀河系. の四次元連続体が自然に対して根本的なる意味を有する. の様な小規模の星雲群的世界が数多く発見せ の属する上●. .於ては ものとせられた。 (誰五) 即ちこの相 対性態論に r l i t vet と呼ばれ l i l Vi e We t はまた Raumzet ona erdimens. られると共にさ らにまた多数の星雲を 含む大規模な星雲 圏と呼ばれる世界も 20 数個以上は 見られるので ある。. l i t が時塞世界と訳されまた単に世界と t 、 ve こ の Raumze. この様な多数の星雲群的世界や星雲圏的世界から成る世 界は 現在までに人間によって見 られた限りに於ての全一 的なる世界であり従ってそれは云わば観測的乃至可硯的. も訳されている。 この様にして世界と云ぅ言葉は現在の l i tの意味をも twe e 物理科学に於て確立せられた Raumz. 宇宙と呼ばれてよい ものである。 この観測的 可覗的宇宙 は牛径約5億光年の球状室間とその中に含まれる諸星雲 とから成る目閉球状宇宙であるがこれもまた決して静的 Eを保っ I なるものではなく して諸星雲が塞問に一様の 阻禽. に於て我々 が諸世界と云う場合はそれぞれの範囲と段階 に於る時間空間とその中に運動 し縄愛 し生滅 し進化して. 完全に包みこむところの深遠 なる概念を表現 するものと 考えることができるのである。 かくてこの宇宙論的哲学. 152.
(5) . 第 2巻 第 2. 号. 醤. 学. いる物質とを意味することとする。 こ れと全く同様な仕. ,. ●. - 昭和2 5年12月. である。 ……即ち宇宙人世最高原理の学問である。 」‘謎. 方を以て諸世界全体としての宇宙の概念を極めて深遠な. 七) と云う規定は古来の哲学の本質を最もよく表現して. そうして高次なるものに発展せしめることができる。 即 , ち 「往古束今之を宙と謂し ・四方上下之を宇と謂う。 」(堆. いる。 この宇宙論的哲学に於てもまた人間とは何もある かと云う問題は宇宙とは何であるかと云う問題と共にそ . の姶源にかかげられなが. ら同時に柊橋にま で不断に考え つづけられるものである。 ところでこの宇宙論的哲学の. 南子) と云う用例に依れば ! 字と宙とはそれぞれ空間的な るものと時間的なるものを表現した。 従って宇宙と云う 熟語の意味を世界のそれと同じ仕方で発展さ せることに 依ってそれをして相対性理論に於ける Raumzei l tの twe. 対象と しての人間は宇宙の発展過程に於てと,くに銀河系 乃至太陽系の進化の法則に支配されてこの地上に出現 し. 概念をも表現させることができるのである。 そうして宇 宙が諸世界全体であるとするならば宇宙を ま即ち無限の彼. た生物の→種である人類を意味する。 従ってそれほどこ . までも宇宙の一部分即ち その一構成要素と しての人間で. 方にまでひろがる全塞間と永遠の過去か ら永遠の未来に 向って流れている全時間と及びかかる時間空間の中に存. ある。 ここに於て我々は生物乃至人間は如何に進化 して 現在に至ったもので あるかそうしてその構造や本質は如. 在する物質的世界の全体を同時に意味するものとなるの. 何なるものであるかについて認識を欲する。 と ○こ人間. である。 我々がこの宇宙論的哲学 に於て認識を欲する対 象は上の様な意味に於る諸世界全体としての 宇 宙 で あ. がそれを以て自然の段階を超越しているところの女化の 解明及び宇宙に於ける人間の地位や当 〔 ,鴬や運命につい‐. る。 我々{ まこの宇宙の室間的雛造と同時に時間的発展の 認識を通 して宇宙とは根源的には何であるか全体的 には. の終極的な自覚が目ざされるのである。 宇宙論的哲学は 上の様に宇宙と人間とをその対象 と し人間- とは何である. 何であるかについての認識に達しようとするのである。. かそうしてま た人間をも含めて宇宙とは何であるかにつ. この宇宙論的哲学は上の様な宇宙の根源的全体的認識. いて限り無く認識し行くもの である。 それは宇宙学であ. を通してさらに叉かかる宇宙の中に於る人間とは何であ. ると共に人間学であり宇宙像と共にその中に於ける人間. るかについての終極的なる自覚に達 しようとするもので. 像をも形作ろうとするものである. もある。 古来の哲学に於ては人間はその最も重要なるそ うして本質的なる対象とせられてきた。 かつて 1(ant. 方法に依って可能となるものであるか. は哲学の領野が人間は 何を認識するこ とができるか人間. を次に草を改めて考えなければならないのである。. は何を偏さねばならぬか人間は何を希望すべきか そうし. 註一、 Kan t: 儒. て人間とは何であるかと云う問題から成るもの● と し哲学 のあらゆる問題は人間とは何であるかと 云うことに帰着 するものと考えた。 (註六’ 凡そ如何なる科学もそれが 人間に依って形作られるものである限り或る何等かの意 味に於て人間とは何であるかと云う問題に答えないもの はない。 がとくに哲学は人間をその本質的対象とするも のであった。 ことに現在の哲学は即ち人間学 であるとさ え言はれている3 「哲学は単に世界観・ のみならず人世観. それではかかる宇宙 と人間とを対象とするところの宇宙論的哲学は如何なる. 1三 経に: Pa s ca l 註一三 詮 s e r: 、 配i. 我々はこのこと. Kr i ik de i t r Prakt 1 s che I Vernunft , 1788 . Pensee l i ss 1 ℃l on.1697 1 are gi . l Wおr i l t erbuc ・ der ph osophi schen 1927 iぽe Begr .. .. l d・ in; Di l l t i 証 四、 Ba ▽ c onary of Phi o ・y and sop l ogy .Psycho .1905 . i i i▽ inz i l t t … i t 証 五、 Ein s e n u.s at spr .w.; Re p !922 . Log ik 蝕メミ Kant: 浸 .1800 .. 註七、 岩波哲学辞典 (西田幾多郎 「哲学」). 153.
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