モーツァルトのオペラ : 現代における適応と可能性について(その1)
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(2) . 3巻 第1号 北海道教育大学紀要 (人文科学・社会科学編) 第5. 1 I i ) VO ia Sc i ences t i i esandsoc t I I tyofEduca i do Un lofHokka ‐53 ‐ on (Human .No ver s Journa. 平 成14 年 9 月 Sept ember .2002. モ ー ツ ァ ル トの オ ペ ラ ~現代 にお ける 適応と可能性について (その1) ~ , ( 1d of八α。zart The vvor s )peras 1~ lbe Vol i {} on the d i l ・ l e and spacein thethea sbnctcharactersoft ‐. 塚. 田. 康. 弘. 北海道教育大学釧路校音楽研究室. 1. はじめに ) 愛 好 家達 は2006年 の 祝年 の年 を待 t 1756~1791 二 十一 世紀 に入 り 世 界の モ ー ツ ァ ル ト (W. A. Mozar ち 望 ん でい る. 我々 はす で に 様々 な社 会 現象 ま で引 き 起 こ したモ ー ツ ァ ル ト没 後200年 の 記 念の 年 を1991年 ” ” “ “ に体 験 し享 受 した. そ こ で我 々 は モ ー ツ ァ ル ト音 楽 否 モ ー ツ ァ ル ト が音楽 の世 界 で 隆盛 を極 めた の は勿 論の 事, 社 会現象 と して のモ ー ツ ァ ル ト旋 風 を 目の 当 たり に して, 世 界的 な視 野 の 中の モーツ ァ ル トと ) “1 “ して の 認 識 が二 十 一 世 紀 に 求 め ら れて い る 事 を確 信 す る に 至 っ た. そ して い ま を 生 き る モ ー ツ ァ ル ト. を求めて新しい時代に即応した実践的な演奏研究とモーツァルトの人間像を探求する研究が今世紀注目され ている.. モーツァルトの音楽は世界的な規模で普及を見せていると今日言われている. しかしこうした地球的な広 がり をも っ て 〈モ ーツ ァ ル ト〉 の名 が知 ら れ始 めて き たの は, 二十 世紀 の 現象 であ っ たと考 え ら れる. 二十 2 ) 一世 紀 に入 っ て, こ のよう な 〈モ ーツ ァ ル ト現象〉 はさ ら に どのよう な形 で展 開さ れて 行く の であろう か。. この命題に答応する試みが, 聖地ザルツブルクと我が国の一地域で展開されている. 3 ) ザ ルツ ブルク 国際モ ー ツ ァ ルテウム 財 団 は二 十 世 紀 末 に 〈モ ー ツ ァ ル ト2006年 ザ ルツ ブルク〉 委員 会 を 立 ち 上 げ, 生 誕250周 年 と なる2006年 に 向 け た 五 年 間の プ レ・イ ベ ン トと して 〈5 大 陸の モ ー ツ ァ ル ト〉 と 題 した シ ンポ ジ ウム が ザ ルツ ブ ルク の〈モ ー ツ ァ ル ト週 間〉の 中 で2001年 1月 末 か ら毎年 試 み ら れる 事 とな っ 4 ) た. 第 一 回目 の 試 み は 〈モー ツ ァ ル トの 東洋〉 と 題さ れ, 海老濠 敏 が シ ン ポ ジウ ム と コ ンサー トの 中 で, 日 本 にお ける モー ツ ァ ル ト受 容の 歴 史 と, 日 本 人 の 〈モ ー ツ ァ ル ト〉 を 主題 に した新 作 の初 演 な どが実演 入 り で紹 介さ れモー ツ ァ ル ト音 楽 が, 現在 す な わち, モ ー ツ ァ ル ト時代 か ら四世 紀 目 に当 たる 二 十一 世 紀初 め に, 世 界 の音 楽 を愛 する 人々 に と っ て どのよう な意 味を持 っ て いる か の 検 証が なさ れ た.. 7年から北海道の道南地域広域で また, 我が国の一地域におけるモーツァ ルトの祝祭が二十世紀 末の199. 5 ) 〈モー ツ ァ ル トの 音 楽 を 介 して 地 域 か ら 世 界 に 発信 す る 音 楽 文 化〉 と して 展 開さ れて い る. こ の 音 楽 祭 の. 名称は 『祝祭・国際モーツァルトi n 北海道』 と呼ばれ北海道モーツァルト協会が主催し芸術総合プロデュー サーとして筆者が企画・構成を手掛けているもので, すでに五回の実施実績を有している. この祝祭では毎 年祝祭のテーマを定め, モーツァルト音楽の現代から未来に向けての演奏実践とシンポジウムおよび資料の 展 示等 の統 合 による モ ーツ ァ ル ト像 の研 究 を, フ ェ ス ティ バ ルという 形式 で, 地域社 会 か ら世 界 に 向 けて の. 25.
(3) . 塚 田 康 弘. 音楽文化を発信している. 本 論 (現 代 にお ける 適応 と 可 能性 につ い て. そ の1) で は, 2000年 8月 に 開催さ れた 祝祭 の テ ー マ か らオ. ペ ラ 「フィ ガロ の結 婚」 (Le Nozze d iFigaro1 7 8 ) の上演の地域における実践的な方法を検証する. 6. 近年, オペラの演出方法は様々な視点から試みられ, ザルツブルク音楽祭においてもしばしば前衛的な演 出と演奏方法が話題となっている. 十九世紀から二十世紀の初頭までモーツァルトの音楽は原曲に忠実に , つまりオペラを上演するにはスコア通りのオーケストラ編成での忠実な音楽の再現がなされなければ意味が 無いものと認識されていた. しかし, 近年モーツァルト没後まもなく多く の編曲者によって編曲された楽譜 が市民のサロンや家庭で愛用されモーツァルトの音楽が広く人々に街中で楽しまれていた事実が検証されて い る.. こ の歴 史 的 な音 楽 実践 を, その 時代 に必要 とさ れてい た用 法 か ら今日社 会 の 様々 な フ ァ ク タ ー によ り よ ,. り多くの人々にモーツァルト音楽の普及を図る目的で再考し再現した今回の事例を 多様な角度から検証し , たい. そしてこのような演奏方法が決してモーツァルト音楽の普遍性と柔軟性のみにより今日上演されてい るわけではない事を把握しつつ, つまり音楽祭あるいはオペラの上演には莫大な経費の捻出が今日社会では 必要とされており, その上でモーツァルト音楽の普及活動を後世まで絶やさず続けていくことの価値をモー ツァルト音楽のなかで見いだし論じなければならないだろう.そう言う意味では,20 00年8月に開催された, )の 楽 譜を 借用 して の 筆 ジム ロ ッ ク 版6 者 の演 出 .構 成 によ る オ ペ ラ 上 演 は, 1790年 代 の ヴィ ー ン市 民 によ る. 音楽愛好のスタイルと現代の前衛的な感覚と地域の社会的な実状との融合と統合を図っ た 二十一世紀に向 , けての 全く 新 しい モ ーツ ァ ル トオ ペ ラ の紹 介と いえよう.. そしてそれらの検証と音楽実践の統合研究が, 現代におけるモーツァルトのオペラの価値と 時代を超越 , したモ ー ツ ァ ル トオ ペ ラ 演 奏 法, そ してモ ー ツ ァ ル トオ ペ ラ 演 出 法 の多 様性 に 柔 軟 に対 応 す る 事 の でき る. モーツァルト音楽の優秀性をも実証するものとして把握し論じたい. また, 本論の続編 (現代における適応と可能性につ いて その2) は今回の一事例のような現象が二十世 紀後半から二十一世紀にかけて日本国内はもとより世界のモーツァルト音楽の実践のなかでどのくらい試み られているか資料の収集を行い分析し, このような現象がただ単に経済的な理由そしてモーツァルト音楽を 一般に普及させるための簡素化として行われているのではなく, 十八世紀後半から1 9世紀前半にかけて様々 な編曲がなされた市民の音楽受容と音楽を愛好するという人間が本来持っ ている素朴な欲求が 二十一世紀 , にまた再び回帰される音楽文化の一現象であることを検証したい.. 2. モーツ ァ ル トのオペラが編曲楽譜として存在 した理由 モ ー ツ ァ ル トの 第三 者 による 編 曲と 出 版 はモ ー ツ ァ ル ト没 後 す ぐに始 ま っ た 裕福 な ヴィ ー ンの家庭 や 古 .. 典派の時代に王侯貴族社会とは別の台頭する社会で興っ たサロンで活用された編曲は 例えばブリス ラー , (モ ー ツ ァ ル トの 四大オ ペ ラ を ピ アノ 曲 に編 曲 して いる) にお ける 家 庭用 の た めの ピ アノ 編 曲 は最 も有名 で ある. ま たハ ルモニーム ジー ク 用 の編 曲 では後 世 知 られた ヴェ ン トな どが 多 く のモ ー ツ ァ ル トの名 曲 を手 , 掛 けている. こ れ らの編 曲 の曲 目 は, 新 モ ー ツ ァ ル ト全集 ケ ッ ヒ エ ル番 号 目 録 第6 版 「付 録B 他 人の 手 による 編 曲」 ,. の項目から考察するに当時はオペラの編曲が中心であった. 啓蒙思想主義を掲げてヴィ ーン市民から敬愛され, その皇帝の地位を最後まで継承しようとしたヨーゼフ 二世は数々 の政治的社会的な改革を行いながら 音楽芸術に多大な貢献をもたらした , . ヨー ゼ フ二 世 の音楽 にお ける 個 人 的な好 み は 八重 奏 の 編成 と レパ ー トリ ー の 中心 をオ ペ ラ か らの編 曲 と ,. 26.
(4) . モ ー ツ ァ ル トの オ ペ ラ. 7 ) してい る 点 に 反 映さ れて いる. 「編 曲」 の 定義 を 音楽 史 か ら概観 して みる と, バ ロ ッ ク 期 ま で は, 編 曲と作 曲の距 離 はあま り な か っ た.. グレゴリオ聖歌を定旋律とする多声音楽の発展, コラールを定旋律とする プロテスタント教会の音楽, いわ ゆるパロディ ー, つまり世俗曲の宗教音楽への改作等々, 教会音楽の歴史においては, 編曲は作品を生み出 し, 技 法を 発展 さ せる た め の 主要 な方 法 であ っ た. もう 一つ, 器楽 の歴 史 でも, 編 曲 が歴 史をリ ー ドして い る. 「イ ンタ ヴ ォ ラ ト ゥ ー ラ」 と 呼 ばれる, 声 楽 曲 の 器楽 演 奏 の た め の編 曲 が, 器楽 の 目 立 と 十 六 世 紀 以 降. の急速な発展の場であっ たのである. 十九世紀は, 編曲は作曲から峻別していった. 天才の1回限りの奇跡 としての作曲行為 と作品の絶対性の概念が確立すると, そこに実用 的な目的, 多くの場合商業的な目的で手 を加 える 編 曲 は, い か が わ しいも の と見 ら れる よう にな っ た. しか し, 編 曲 を作 曲 か ら は 区別 し, 芸 術 的な. 価値を否定しながら, 十九世紀は膨大な数の編曲を残している. このように編曲を歴史的に見ると, 十八世 紀までの編曲は作曲と深く結 びついた創造の一つの重要な方法であっ たが, 十九世紀には音楽の大衆化の中 で, 主 と して受 容 の方法 に変化 したと い える. モ ーツ ァ ル トの生 き た 時代 は, こ のよう な編 曲の歴 史 の過 渡 期 であ っ た. 定旋 律 による 作 曲やイ ンタ ヴォ ラ ト ゥ ー ラ はす でに廃 止 さ れて い た が,.バ ロ ッ ク 期 転用 の習 慣. は形を変えて生き残っていた. その一方で音楽受容の広がり は手軽に様々な音楽を楽しむ為の編曲を求めて い た.. 8 ) この 新 しい 受 容 と 出 版が結 びつ い て, や がて 編 曲 の新 しい流 れ が生ま れる こ と になる.. 上記の大久保一の論説は, モーツァルトの生きていたヴィ ーン時代の世相を端的に指し示していると言え る だろう. オペラの編曲は, 大仕掛けの音楽舞台芸術を家庭やサロンでその音楽の優雅さを, またある時は 官能的な響きをより多くの人々が手軽に楽しめる, 大衆化した芸術音楽の新しい革新的な胎動であったはず だ. coraus・ そ のよう な, ピ アノ 編 曲, 六 重 奏, 八重 奏 の編 曲 が 隆盛 の 中 で, ニー コ ラ ウス ・ ジム ロ ッ ク (Ni 0 )を1799年 に刊 行 した この パ ー )は弦 楽 四 重 奏用 篇 曲 版オ ペ ラ 「フィ ガロ の 結 婚」1 )9 simrorok 175 1~1832 . ト譜 を丹 念 にス コア と比 較検討 して いく とこ の当 時, モ ー ツ ァ ル トのオ ペ ラ が どれほ ど家庭 で愛 好 さ れて い ‐た の か がう か がい知 る 個 所 がす ぐに見 て 取 れる. そ れ はオ ペ ラ にお ける レチタ ティ ー ボの 扱 い である. ブリ ス ラ ー な どの ピ アノ 編 曲 版で は レチ タ ティ ー ボは全て割 愛 して ナ ン バー の楽 曲 だ けを編 曲 し編 纂 している の. に対して, ジムロックの弦楽四重奏用篇曲版では, 丁寧にレチタティ ーボまで弦楽で歌の声部を椅魔にそし て, 原 曲 の通り な ぞ っ て いる.. この事は, 当時の家庭にピアノはもちろんのこと弦楽までも一般市民の愛好楽器として深く浸透していた 事をも指し示すもので, 当時の音楽的な教養が広く行き渡り始めている社会現象のある一面を捉えている. モ ー ツ ァ ル ト没後 直後 か ら, 街 で弦楽 四 重奏 と して愛 好さ れて い たモ ー ツ ァ ル トのオ ペ ラ は, 当 時 か らそ .いう も の を市 民 にも た ら して いた に違 い な い. そ れ が ジム ロ ッ ク のよう な, そ れか ら の音 楽 の持つ 普 遍 性 と. 代々今世紀まで続く出版業としての家系が西欧に存続している実際が証明しているといえるし, 二十一世紀 においてもそれらの編曲楽譜の及 ぼす効果が今日社会にも通用するものと考察する.. 3. 現代に蘇ら せた ジム ロ ック版による オ ペ ラ 「フ ィ ガロの結婚」 の実践研究 n 北 海道2000 』 の テ ーマ を,〈モ ー ツ ァ 筆 者 が芸 術 総 合 プロ デ ュ ーサ ー を務 める 『祝 祭・ 国際モ ー ツ ァ ル トi ル トのオ ペ ラ〉 と 定め た の は, 1999年 の10月 であ っ た‐ 直 ち に次年 度の 計画 を立ち 上 げ, 招 聴 者 と の交渉 に ロ).小 川 京 子 . オ ペ ラ 監 修 入 り 同 年12月 ま で に, メイ ン ゲス ト: 海 老 津 敏. 特 別 ゲス ト: ○. ビー バ 博 士. 2 )の各氏を配しての学術的および音楽実践的な陣容の厚さ は ‘ 97年から開催 している祝祭では :栗山昌良1. 27.
(5) . 塚 田 康 弘. 過去最大規模になった. これは, 我が国の音楽文化水準を向上させるための民間文化助成団体である三菱信 託芸術文化財団と花王芸術科学財団の支援が約束された事にも起因している 地方で開催される音楽祭に二 . つもの我が国を代表する民間文化助成団体が支援することは極めてまれで 北海道では初の助成として高く , 祝祭の学術的評価を内外に示す事となった. 筆 者 は, 栗 山演 出 による 「フィ ガロ の結婚」 を 解 説付 きの レク チ ャ ー コ ンサ ー トで 公演 する 事 がこの地 域 にお ける オペ ラ の 発展 に最も 寄与 できる と確 信 し キ ャ ス トとス タ ッ フの 選考 を 実施 した , .. まずキャストはできるだけ地元地域から擁立 し フィガロ・伯爵夫人・伯爵・バジリオの役は経験豊富な , 東京および関西からオペラ歌手を招増したが, 残りのキャストと合唱団はこのプロジェクトのために特別に 組織し, 半年以上に渡り筆者が栗山演出ノートを元に演出および音楽指導を厳しく指導し プロとしてのオ , ペラ制作方法で地域における音楽文化向上を目指して確実に実施 した . ま た, オ ー ケス トラ にお いて は フ ルオ ーケス トラ の誘 致 はこ の 祝 祭 の規模 に は合 値 しない た め 海老 津敏 ,. の助言の基に, 17 99年初版のジムロック弦楽四重奏用篇曲版を借用し我が国初の試みが実施できるかの検討 に入 っ た. と 同 時 に4 本の 弦楽 奏者 はオ ペ ラ 「フィ ガロ の結 婚」 のオー ケス トラ ビ ッ トに入 た事 の有 るオ っ. ペラ経験者を招略するための人選をも行っ た また 当時の演奏様式に近 づけるための工夫として 指揮者 . , , はチ ェ ンバ ロ をも 受 け持つ 事 と して ヨーロ ッ パ でコ レ ビイ テ ィ の 経験 を有 する 指揮 者 を選 出する 事 と した , .. 本来, ジム ロック弦楽四重奏用篇曲版は室内楽的なオペラの伴奏楽譜ではない為 オペラの伴奏譜と して , 使用する場合幾つかの改編を余儀なくされた. しかし ジムロックの弦楽四重奏用篇曲版は本来サロンや家 , 庭で楽しまれることを目的としていたため当然優雅な旋律を弦楽と共に人が口ずさむことも充分に考慮され ていたであろうと推察して楽譜を開くと, 予想通りそうした編曲となっていたため筆者はしチタティ ーボの 扱いを中心に改編をおこなっ た. 担当するオペラ歌手にはオーケストラの響きが弦楽4本で充分伝わ てく っ るとだけ伝え練習はペータース版のボーカルスコアで行い公演終了まで弦楽四重奏用篇曲版スコアは見せる 必要がなかったのは, 制作運営面では非常にジムロックの編曲は有益であった . では, このジムロック弦楽四重奏用篇曲版とはいかなる構成からなるか幾つかの事例を列記し考察する . 序曲. プレス ト. ニ長調, 四 分の 四拍 子. 十 八世紀 オ ペ ラ ブ ッ フ ァ の序 曲の代 表 的なも の と して しば し ,. ば単独でも演奏される. 軽快なゼクエンツ風の動き (例譜1) が全体を支配 し ブッファの陽気で浮き立つ , ような気分を表徴する. これに対して後に第1ヴァイオリンとファ ゴッ トで呈示される旋律 (例譜2) はい くらか対照的な動きを見せる. 経過句を経てほぼ全体が反復される 「後宮からの誘拐」 以降のオペラで . , 序曲とオペラ本体とを何らかの形で結びつきを示すものはなにもない また現存する自筆楽譜には このあ . , とにつなぎの三小節とシチリアーノの冒頭一小節が書かれ これが斜線で抹消されている 作曲者はこのプ , . レス トの 後 にア ン ダン テ ・ コ ン・モ ー ト ニ 短調 八 分の 六拍 子 の シチリ ア ーノ を入 れ 全体と して急 .緩 , , ,. ‐急の伝統的なナポリ派のオペラ序曲のスタイルによるつもりで書き始めたが 何らかの理由でそれを取り , 3 ) 止 め現行 の 一楽 章の 形 にと どめ たよう である 1 .. 上記の吉田泰輔の解説は序曲の解説としては的確な解説ではあるが 急‐緩-急の伝統的なナポリ 派のオ , ペラ序曲のスタイルをなぜ取り止めたかについては明確な回答を提示していない 二十一世紀 に入りモー . ツ ァ ル トの研 究 はそ の 〈モー ツ ァ ル トの 人 間像〉 にま で及 ぶ に至 っ た 今日 上 記 の解 説 はいさ さ か色 槌 せ て ,. さえ見える.. 28.
(6) . モ ー ツ ァ ル トの オペ ラ. (譜 例 1). (譜例2). Ptes t o. ,. ・ 署* ≠-^--≦宅i, ぜ「 一 円--F Fお‐,t 十島 ビ ー,, ば ≦ ”. この明確な回答は次項の考察課題として再び取り上げる が, 当時モーツァルトがオペラに注いだ情熱の一. 4 1 ) 端 を垣 間見 る と 言う こ とで 推 察 でき.よう. そ れはア ンリ ゲオ ンの 第 八章 に はっ き り と歌 わ れて いる‐. 当 時, 皇 帝 ヨー ゼ フ 二 世 自 身の判 断を 勝ち 得 て の 「フィ ガロ の結 婚」 の 上演 許可 であ っ た はず だ. そ して. このオペラ全てが前衛的であり兆戦的であったにことに間違いない作品であった. 作曲者は聴衆を長い序曲 で眠らせたくなかっ たに違いない. ありとあらゆ ,る音楽の束をこの序曲に投じた結果が音符で溢れる全編 プ レス トで矢 の 様に突 き 進 む音楽 と して昇華 して い っ た の である. こ の序 曲 にはモ ー ツ ァ ル トの恐 れを知 らな. い生気溢れる自信に満ち溢れて, 自ら第一番のフィ ガロとスザンナの二重唱への幕を開けたのである. 理由 は単純で明快であろう. 5 1 ) こ の (例 譜1) の序 曲 の 冒頭10小 節 ま での 部 分をス コア (例 譜3) と ジム ロ ッ ク 弦楽 四重奏用 篇 曲 版 (例 譜 4) を比 較 して みる と, ま ず 冒頭ス コア で はフ ァ ゴッ トが弦楽 と共 に軽 快 な旋 律 を刻 む が, ジム ロ ッ ク 弦. 楽四重奏用篇曲版では弦楽のユニ ゾンの中に取り 込んでいる. 実際の祝祭での演奏を聞いてみると弦楽だけ で奏される旋律は原曲よりもクリア に響き, よりモーツァルトの望んだ軽快感がかもし出される事となって い る.. (譜 例3). } sinfonia。 Pres to. P P β 2 ”月参上”/刀-. p p. /. PP. 29.
(7) . 塚 田 康 弘. ス コ ア の 8小 節 目オ ー ボエ ・ホ ル ンのパ ー トがチ ェ ロ の パ ー トに重 なる が ジム ロ ッ ク 弦 楽 四重奏用 篇 曲 , 版 で は 第1 ヴ ァイ オリ ンがホ ー ボエ 1の旋 律を 第2 ヴ ァイ オリ ンがホ ル ン2 の旋 律を 受 け持ち ビ オ ラ は , ,. 休止したあと9小節目からファ ゴッ トの旋律を受け持って小節頭の四分音符をしっ かりと押さえて行く さ . らにこの間チェロはスコアと同じ旋律を的確な刻 みで力強く最低声部を進行して行く そして9小節目から . 第1 ヴ ァイ オリ ンは フ ルー ト1 の上 向する 旋律 に乗 り移 り 第2 ヴ ァイ オリ ンもク ラリ ネ ッ トの旋 律 に移行 , して いく. こ の奏法 はス コア を見 て行く と モ ー ツ ァ ル ト珠玉 の音 楽旋 律 の華 麗 な凝 縮 さ れたス コア に書 き ,. 記された9本旋律を,4本の弦が巧みにそして軽快に泳ぎ渡りつないで行くのが見て取れる この軽快さは ‐ , 弦楽4本の同調する響きがかえってモーツァルトの序曲にこめられた情念をかもし出す効果が感じられ す , で に200年 を 経 過 した編 曲楽 譜 にも か か わ らず 正 に二 十 一 世 紀 に生 き つ づ ける 事 の でき る モ ー ツ ァ ル トの ,. 音楽として蘇生されている. (例譜4) メ.. ・efto. ,r.. ・′ r ioli I io rr. . ノ ‐. Violin。 2} P. OU UVXK 【 rt R UR匝’ ・ o ^ ^ . ー. . ( 」 i, H i 士,ー ;.什 一 だ・. 30. ‘. . ‐ 霊. -/ヨF リ e ,〔 プ・. 凸F. 1. ◆. , . 霊. 盛. . 1. . β. ‐. 1.
(8) . モ ー ツ ァ ル トの オ ペ ラ. 2. 炉・. ,. A 、、 、, /′“禽 、\ /′ ′ ー盛”獅 蝕w E EPも璽 」 に ギ - -“ ヒ ギ ギ n ー . ヒ 翌 - - ー ー ー ト . 伊 fE 、. 」. ( )VER蟹1 リRA. (. ◆ 1. 111. .2.. ヲ ‐. - …- m m辻虹 綱 だ 縦 一. iQ1qncellひ. ~〆. o謡 警 ‐. A、 、. Vi lola. )re歌。 p 旧¥ 〔. ;. …. …’軸. ぬ ” ≧ 護. ≦ 幽 艶恥 晦鴛慧 艇.締- 卵 -. 当 曲 ▼ ‐ 麹 ョd--“ 姑- ‐. 掃 1 率 鞄. 序曲の後のオペラナ ンバーでは, 基本的に歌のパートは全て実音で原則的に第1ヴァイオリンが受け持っ ときは旋律線がク ている. その為, 編成が少ない弦楽四重奏の伴奏であるにもかかわらず, 舞台で上演する ル は と リ ア になり オペ ラ歌 手 を戸 惑 わ せる 事 はな か っ た. 特 にオ ペ ラ の 経験 がない 地域 の演 奏 家 に っ て , フ. オーケス トラと変らない音楽体験をこの小編成の弦楽器で体験できた事は, 今後の地域におけるオペラ活動 の基盤が展望でき期待できた. しかし, 弦楽が歌の旋律に ぴったりついているために弦楽奏者がオペラの歌 の特性, そしてオペラ歌手の特性を瞬時に判断して演奏しなけれ ば呼吸が合わなくなり音楽が歌と弦でずれ る事がしばしば見うけられた. 音楽がクリアになればなる ほど鋭敏な感覚が必要とされ, 弦楽奏者の優劣が オペラ公演に大きな影響を及ぼす事も判 明した. しかしそれは逆に地域においては弦楽奏者を地元では擁立 で き ない こ とお も 示 唆す る こ と と な っ た. 次 に 問 題 にな っ た の はアカ ン パ ニ アー トセ ッ コ の部 分 である. 第3 幕 のフィ ナ ー レ23番 マ ー チ か ら始ま る 場 面 は,搭乗 人物 の駈 け引 き を結 婚 式の 場面 と交錯 さ せ な が ら,. 、なければならない最も演出面では演出家の手腕の問われるところでもある. 合唱の舞台配置も考慮し 一 連の や り 取り が 終 わり最 後 の レチタ ティ ー ボ, 伯 爵 が民 衆 に自 己の権力 を賭 けて 語る. “Anda t e anncl. はス コア で はチ ェ ン バ ロ の 介入 は見 ら れず, 弦 楽 の 他 にフ ルー ト, オ ー ボエ, フ ァ ゴッ ト, ホ ル ンの管 楽 器 は も 奏さ れる アカ ン パ ニア ー トの 形式 で舞 台 を高 らか に盛 り上 げて いる.ジムロ ッ ク 弦 楽 四 重 奏用 篇 曲 版 で , l o と 明記 して 受 け持 っ て い る. こ の レチ タ ティ ー ボの 場 合 も モ ー ツ ァ ル 第 1 ヴ ァ イ オリ ン伯 爵 の 声 部 を So. トのアカンパニアートセッコの全てがそうである様に, 管楽器群は常に弦楽器群の音律線に合わせる形で付 さ れている の で, す な わち そ れ は音 楽 の深 み をマ エス トーソ の響 き で深 める 為 の手 法 と して用 い ら れている. ため, 弦楽4本が管楽器パートをなぞらなくても良い様に処理されている. しかしパートを注視すると第1 ヴ ァイ オリ ンの パ ー ト譜 (譜例 5) に は, 本来 の ヴ ァイ オリ ンの音 符 が小 さく 記 載さ れてお り, この事 は,. 弦楽四重奏の楽譜として出版されたもののヴィーンの街では当然伯 爵の歌が歌われる場合もあると言う事の 想定の基に編纂された に違いないと推察される‐ この1箇所だけの楽譜の編纂の仕方を見るだけでも ジム ロック弦楽四重奏用篇曲版は弦楽四重奏に編曲した楽譜とは言うものの明らかに, オペラを意識した編纂に な っ て いる. So l o の 旋 律 の書 き こ み があ り, 弦 楽 同 様 に 第2 ヴ ァイ オリ ン, ビオ ラ, チ ェ ロ の パ ー ト譜 (譜例 6) も′. l oの音符に伯爵の歌詞 を書き込み弦楽奏者に渡し, 奏者の助けになっている.当然,筆者はこのパート譜のSo l 公演ではSo o旋律は演奏せずにオペラ歌手に任せる様に指示した.. 31.
(9) . 塚 田 康 弘. 結果, 今回のジムロック弦楽四重奏用篇曲版を使用してのオペラの公演 では 弦楽付きのレチタテーイ ボ , の個所 (アカンパニアートセッコ) はすべて弦楽器はその旋律線を棄ててスコアの旋律線を追いつづけるこ と と した. ま た, チ ェ ンバ ロ による レチタ テ ー イ ボ の個 所 はペー タ ース 版の ボーカ ルス コア をそ のま ま 使用. し練習の効果と効率を上げる事に選進した. (譜例5) u‐. vio1ino lヤ& ‐ 至 一. 斜 一肌, - … 鰹讐 も.生E語 数 # ねb &R,. 一. , , .豊. 一 ヱ 砧幽.. 科. 鳳 ヒ…-. ‐-- … 製. - 且川. 、. -. 盤. mt t iも. -. [. (譜例6) Violino 2f r. Viola ‐. violonce1lo・. ・. 9.. 9、 ,. 夕.. Rec it y p. 4, 原曲と現代版 オ ペ ラ 「フ ィ ガ ロの結婚」 の独創性と 現代社会との かかわり モー ツ ァ ル トは600曲 以 上 の 作 品 を世 に残 し オ ペ ラ は20曲 にも 及 ぶ そ のう ち 7 曲 は モ ー ツ ル トの 傑 ァ , . 作オ ペ ラ と して, 世 界の劇 場 の レ パ ー トリ ーオ ペ ラ と な っ て 今日多く の上 演 回 数を重 ね ている しか しこ の .. 7曲の作品は全て異なっ た題材を基にしたリブレッ トで構成されている どれと して同じ題材を使うことな . く, す なわち モ ー ツ ァ ル トが テ ー マ と した い 人 間の 愛 の 表現 方法 を 同 じ手法 で はリ ブ レッ トは勿 論 音 楽 に , お いても 同 じ繰 り返 しは しな か っ た の であ る .. そうしたなかで 「フィガロの結婚」 はその傑作オペラ群の中であるいは同時代に活躍した他の作曲家の中 で最も新しいもの, 革新的なもの, 前衛的なものとして評価あるいは非難されていた . 32.
(10) . モ ー ツ ァ ル トの オペ ラ. それは幾つかの音楽的事例を指摘する事で明確に証明できる. と ま ず こ のオ ペ ラ は当 時 ヴィ ー ンの街 の 生活 そ のも の を舞 台 に上 げて いる 点 であり, こ れ は当 時 考 える こ の でき ない斬 新 なリ ブレ ッ トが劇作 家 ダ・ ポ ンテ との 間で作 り 上 げられた こと 事 体, 真 に新 しい 試 み とさ れ た.. このオペラは当時の啓蒙思想の理念に基づいて, 全ての人々 は平等だと言う思想からドラマが構築されて おり, それが顕著な特徴となるべくモーツァルトは思想理念を音楽で具現化 している. 登場人物の扱いで見 て みる と, フィ ガロ は伯 爵 に仕 える召 使 で ある が, しか しオ ペ ラ で は主 人と平等 な活躍 振り が 表現さ れて い る. こ れ は前 項 にも触 れた が 皇帝 ヨ ー ゼ フ 二 世 がサ ゼ ッ シ ョ ンを与 えて上 演 さ せ たも の だが, ドラ マ の 内容. も勿論だが, アリアの数も伯爵よりも多いのには, 当時の聴衆は驚きいぶかしく思う 貴族も出てきた事は充 分予想される. 啓蒙君主の皇帝ヨーゼフ二世が進んでこの曲を書かせたが他の貴族は怒りを感じたものも多 か っ た に違い な い.‘ヨー ゼ フ二 世 はその 肖 像 を刻 ん だ銅 版画 な どを 観察する と 冠 を着 けてい ない 皇 帝と して 表現さ れて いる こ れは紛 れも ない啓 蒙君 主の 証 と して 当 時か ら ヴィ ー ン市 民 に愛 さ れてい た こ と を物 語 っ て い る.. そ の 皇 帝 に支 持さ れたモー ツ ァ ル トで はあ っ た が 「フィ ガロ の結 婚」 は当 時 どれ ほ ど議 論の 的 にな っ た か が伺 い しれる. その 証 拠 と して我々 はその シー ズ ン中 このオ ペ ラの ヴィ ー ンでの上演 回 数 が諸所 の トラ ブル か ら劇 場 支配 人 の 独 断で削 ら れ, 9 回 である 事 実 を知 っ て いる か らである. しか し, モ ー ツ ァ ル トのオ ペ ラ が初 演 さ れて か ら, 数週 間後 に は他 の都 市 で プライ ベ ー トな 公演 で はある がエス テ ルハ ー ジ家 お 抱 えのハイ ドン自 らタク トを 取 っ て いる. ま た, ドーナウ エ ッ シ ン ゲ ンで は フュ ッ セ 1 6 ) ン ベ ルク 候 が公演 を行 い ドイ ツ 語のリ ブレ ッ ト が残 さ れてい る. この 二つ の事例 は, モ ー ツ ァ ル トのオ ペ ラ に対 して 賞 賛す る貴 族も い た ことを指 し示 すも の で, モー ツ ァ ル トが堂々 と 批判 に対 抗 して 生 き てい た 現 れ であり, オ ペ ラ もモ ー ツ ァ ル トもと にかく 話題 の 中 に巻 き 込ま れてい た 事 にま ち がい はな い.. 次に前項でも若干触れた序曲についての革新的な手法について考察する. 当時序曲は幕が開く間の聴衆に と っ て はつ ま らな いも の で, ヴィ ー ンの聴 衆 は ア イ ス クリ ーム を 食 べ たり ソー ダを 飲 ん だり, 回り の 友 人と. お喋りに興じて幕が開くのを待つ事が日常とされていた. オペラ作曲家達もそれを知っ ており序曲はバック グラ ン ドミ ュ ー ジ ッ ク 的な 扱 い で作 曲さ れて い た.モ ーツ ァ ル トは当 時 の 観衆 をあ きさ せ る 事 の無 い よう に,. 自分のオペラから耳を離されないように, 聴衆のお喋りの邪魔を序曲でしてやろう とまで考え, 出だしはピ アノそして突然フォルテそ して最後まで音符をふんだんに駆使して プレストで駆けぬける と言う技法で対処 した. こ れが 「フィ ガロ の結 婚」 序 曲の 新 しい解 釈であろう. そ して 幕 が上 がる と聴 衆 は舞 台 か ら目 を離せ なく なる.な ぜ な ら,主役 はテノ ー ルが演 じる も の と思 っ て いる 聴 衆 に対 してテノ ー ル歌 手 は舞台 に は上 が っ. ていない. 7番で登場するバジリオ役は脇役でしかないのに驚嘆する. 主役はフィ ガロか伯爵か, これも定 か で はなく 感 じら れこ の 二 人 でさ え, バ リ トンの声 部 でか か れ, 舞 台 を見る 限り 貴 族 の伯 爵も 平 民の フィ ガ ロ も 主 役 でいき いき と舞 台 で 活躍 して いる. こ んな 「フィ ガロ の結 婚」 筋 立 て と音楽 構 成 は我々 現代 人 に と っ て は慣 れて はいる こ と だが1786年 の初 演 の ヴンー ンで は, 主 役 にテノ ー ル が配 置さ れ てい ない だけでも 大 セ ンセセ ー シ ョ ナ ルな オペ ラ と して物 議 を かも したの は 疑う 余地 の な いこ と であろう. そ して, もう ひ とつ の 革新 的 な特 徴 を表 す も のと して, ケ ル ビーノ の役 が挙 げられる. 少年 か ら青年 にな. ろう としている複雑な役 どころで, 年頃により心の中の葛藤が自分でもよく表現できない人物として少し低 めの軽いソプラノに歌わせることが多いが, 役者は女性 だが男役に扮してズホンをはかせて舞台に取り 込み 上 げた の はモ ー ツ ァ ル トのオ ペ ラ が最初 であ っ た. そ して ケ ル ビーノ の アリ ア の音 楽 を聞く とメ ロ ディ ー旋. 律を支える伴奏の弦楽器奏法に, 胸の鼓動を感 じさせる音楽の配置には聞く者の心を掴んで離さない. 三連 33.
(11) . 塚 田 康. 弘. 7 ) 音符の連続使用が人間の鼓動を表出するという音楽効果の確立がそれに当たる 1 . さ らに, 二 幕 冒頭10番 ・伯 爵 夫 人の アリ ア の前 奏 がい か に長 い か は何 を意 味 して いる の であろう か 51小 .. 節のうち17小節を前奏に費やしているモーツァルトの書法は 前奏から言葉のないアリアとして 伯爵夫人 , , が今望んでいる事を代弁し表現しており実現するかどうかは分からない望みを託して 聴衆に切々と訴えか , けて いる.. 上記のような様々なエ ピソー ドを, 当時のヴィ ーンの社会そして生活そのものを凝縮したような話題作オ ペ ラ 「フィ ガロ の結 婚」 を ま た当 時話 題と な っ た ジム ロ ッ ク 弦楽 四重 奏用 篇 曲版 を借用 して のオ ペ ラ 公演 ,. を, 二十一世紀の我が国一地域でどのように位置付けて行くかが公演を成功させそして成立させる鍵とな っ た. そこで主催者は, 地域にお ける音楽文化活動の基本姿理念と主催者がこの地域にモーツァルト音楽を二 十一世紀の社会においても受け入れられやすくするために 芸術効果を損なうことない現代的な合理性と十 , 九世紀の市民の音楽の楽 しみ方との融合させる事で このオペラの演出法と構成を考察し実施した , . 以下, 項目別に基本理念と運営制作の対応を付記する. 1) 地域の音楽レベルの向上を目指す為 に オペラ公演にはオーケストラの伴奏でプロ演奏者と地元音楽家 , の 交流 を 図る.. 対応として:日本初演となるジムロック弦楽四重奏用篇曲版の使用により弦楽4本とチェンバロによる伴奏 楽器群によりオーケストラ並みの音楽効果と地域音楽文化の話題作りに貢献した . 2) 地域 にモ ー ツ ァ ル トのオ ペ ラ を根付 かせ る ため の 活動 を推 進 する .. 対応として:地元の音楽家を半年に渡り栗山演出による指導を筆者が行い 最終的には数日間の栗山昌良の , 直接 指 導 によ る「モ ーツ ァ ル ト・オ ペ ラ ワ ーク シ ョッ プ」を 実施 した さ らに 公演 は レク チ ャ ー . , コ ンサ ー トの 形式 を 取 り オ ペ ラ 抜粋 に 海老津 敏・ 0 ビー バ 博士 の解 説 を要 所 に 配置する構 , . 成 を筆 者 が詳細 に検討 し 初 めてオ ペ ラ を鑑 賞する 人 にと っ ても オ ペ ラ がな じみや す い 様 に構 , 成 し た.. 3) 時代を超越したモーツァルトを今日社会で体感しながら モーツァルト音楽の普及活動を推進する , . 対応として:オペラ演出法においては, 時代を現代社会に置き換え 衣装は日常のスタイルに留め 舞台は , , グ レー 一色 の 地耕 で覆 い, 照 明効 果 で ドラ マ の シチ ュ エ ー シ ョ ンをかも し出す シ ン プルな方 , 法 を駆 使 して, 誰 も が, 気 軽 に劇 場 に来る 事 が できる よう な演 出と した そ れと 同 じに 今日 . , よく 行 わ れ ている, 前 衛 的 な演 出 法 を伺 わせ な が らも モー ツ ァ ル トの古 典 を 意 識 でき る 舞 台 , 構 成 と した.. 社会においては, 地元特別協賛企業の地域にお ける社会環境の支援として 各企業によりモー , ツ ァ ル ト製 品を 祝 祭 開催 中 街に供 給する 事 により 街 全 体が自 然 にモー ツ ァ ル トと の接 点 が持 , てる よう な 雰 囲気 作り を 行 っ た.. 4) 地域から世界に発信する音楽文化と して活動を推進する . 対応として:二期会レベルの演奏を行うために 地元演奏家および合唱団に対して筆者は徹底した個人指導 , を 実施 した. 学術 面 で はメイ ンゲス トの 海老 津 敏の助 言 と 指導 に でき る か ぎり対応 した .. これらの統合が, 祝祭開催前から地域での話題となり 前後20回にも及ぶ新聞報道等は この祝祭の企画 , , の社会におよぼす効果を十分に伝え, 且, 祝祭の持つインパクトすなわちモーツァルト音楽が今日において も多くの人々に時代を超えて愛され 共感を劇場に求め集まる為の原動力になっていることを改めて知らさ , れる 事と な っ た. こ の 様 に, 地域 にお ける 音楽 文化 活動 にお い て起 こる 〈社 会 現象〉 こそ モ ー ツ ァ ル トの 「フィ ガロの 結 ,. 婚」が世に出た二百数十年前のオペラの独創性にヴィ ーン市民が驚いた現象に匹敵すると包括して考えれば , 34.
(12) . モ ー ツ ァ ル トの オ ペ ラ. 正 しく, モ 」 ツ ァ ル ト音 楽 は 今日 も 人々 に愛 さ れて いる 事 となる.. 地域に於ける ジムロック弦楽四重奏用篇曲版での演奏は,時代を超越した画期的な方策であり,多くの人々 にモ ー ツ ァ ル ト音 楽 のス ケ ー ルの 大 きさ と 美 しさ と繊 細 さ を伝 える 事 に充 分貢 献 した. ドラマ テ ッ ク パ フォ ーマ ンス オ ペ ラ 「フィ ガロ の結 婚」 と名 づ けた こ の 祝 祭 のオ ペ ラ 公演 は, 演 奏 会場 の. 70 0席の座席は満席で立ち見に溢れかえる会場となり, クラシックの催し物ではホール開設以来の集客数と なり, 地 域社 会 の話 題 と な っ た.. この祝祭という実践は, この地域における試みは海老淫敏が年来の主張である, 〈二つの音楽〉 , すなわち 的音楽から, 人間の内から湧 〈狭い音楽〉 から 〈 広い音楽〉 , 換言すれば, ひたすら技術に偏向する専門家 8 ) 1 き出, 溢れ出る もの 音 楽 へ の転 換 の提 唱 とも 一 脈通 じる も の であ っ た. と いう 論 説 を わ が国 の 地域 社 会 に おいて具現化し実証する試みでもあっ た.. 5. 西欧におけ る祝祭2000の評価 モ ー ツ ァ ル トが 後 半 生 活 躍 した ヴィ ー ン に 本 部 を 置 く, ヴィ ー ン 学 友 協 会 の 機 関 紙 MUS工KFREUNDE i tgeme en 2000年11月 号 に ○. ビー バ 博士 の寄 稿 nde Wi 2000年11月 号 と ヴィ ー ン の音 楽愛 好 家 機 関 紙 Mozar 1 9 ) (全 文 1 頁) と 後 者 が ” ” Japans 論 文 が 掲 載 さ れ た. 論 文 タ イ ト ル は 前 者 が Mozartin Hokkidげ ) (全 文 4 頁) と な て い る M0zan-Fesuv 妊 20 っ .. 要旨は両論文共に ヴィ ーンから遠い異国の地日本でモーツァルト音楽が現在もなおかつ多くの人々に愛さ れ続け, 東京から離れた地域での祝祭の活動を克明に記載されている. さらにこの祝祭の地域における制作 の過程や 出演者が決して皆西欧での教育を受けていないのにもかかわらず, 非常に洗練された音楽を演奏す る事の驚きにも触れており, 地域に在住する日本の演奏家に対する 賛美も付加されている. この論文はさら n 北 海 道2000 』 のよう な 地 に北 海 道 で行 わ れて いる P M F の 大 規 模 な 音 楽 祭 と 『祝 祭・ 国 際 モ ー ツ ァ ル トi. 方都市で行われる祝祭の音楽事情比較についても調査研究がなされており, さらに日本の音楽教育の現状に まで付言している. これは今日の西欧人から見た日本の音楽事情観が直接的に伝わってくる極めて特異で貴 重 な 論 文 にな っ て いる.. ○‐ ビーバ博士は, 祝祭期間中オペラに使われる ジムロック弦楽四重奏用篇曲版の楽譜使用に強い関心を 示 したも の の, 使 わ れる 言 語 がイ タリ ア 語 で はなく邦 訳と な っ ている ため に, 幾 ら優 秀 なオ ペ ラ 歌 手 が丁 寧 にモ ー ツ ァ ル トの 音楽 表 現 を試 み ても 西 欧人 に と っ て は, 耳 障り な 発音 になり, モ ー ツ ァ ル トの音 楽 の優 位. 性が損なわれると盛んに筆者 (芸術総合プロデューサー) に進言した. これに対して, たとえ使用言語によ 6年までこの地域 りモーツァルトの音楽性が多少失われても, 今祝祭の第一の使命はモーツァルト記念の200 において聴衆の理解と支援を得る為の啓蒙活動に徹 しなければならない事を力説し, 日本の聴衆に分かり易 いオペラの啓蒙のため邦訳を使用することを説明した. 明治から我が国は西欧の音楽文化を自国の音楽文化として音楽教育の中にも取り込んできたが, 二十世紀 末においてもやはり 欧米の音楽関係者からは, 異文化の移入としての文化を扱う国として日本が写るのであ ) ろ う か.21. モ ー ツ ァ ル トは日 本人 にと っ て 明治 か ら最 も多 く 親 しま れ た作 曲家 と して, そ の普 及 の 様子 は レコ ー ド普. 2 2 ) 及資料を調査することで推測されるようになり研究な どが近年試みられている. こ れらの現 象 は後 世, 日 本の音 楽 文化 か らモ ー ツ ァ ル トに対 して 唯単 に思 いを 寄 せ て いる の で はない こと は, モー ツ ァ ル トのオ ペ ラ の 中 に日 本と いう 固有名 詞 が登 場す る 事 でう か がい知 れる. オ ペ ラ 「魔 笛」 のリ. ブレッ トには, 幕開きの最初の ト書きとして 「狩衣を着た日本の王子がこの闇の世界に迷い込む」 と書き込 35.
(13) . 塚 田 康 弘. ま れて いる. 西 欧のオ ペ ラ のス コア に 否 西 欧の楽 曲 に日本 とい う 文字 が書 き 込ま れた の は1791年 の 「魔 , , 笛」 だと 記 憶 して いる 者 にと っ て は モー ツ ァ ル トが 日本 に寄せ る 当 時の異 国趣 味を快く 感 じる 事 だ ろう , . 2 2 ) ま た モー ツ ァ ル トが作 曲 した ドイ ツ 舞 曲 K 600の 4 番 に ” w l ぎ と 命名 さ れ ヴィ ー ン楽 友 協 会 japanes at . の学 術 資 料と して 保管 さ れて いる事 が 2001年 の ザ ルツ ブルク 国 際モー ツ ァ ル テウム 財 団の 機 関誌 に発表さ , 2 3 )当然 の事 な が らこ の楽 曲 に は日 れた. 本の音 楽旋 律 は なにも 存在 して い ない が 上 記 の 事 によ り モー ツ ァ , , ル トの楽 曲 に少なく と も 現在 ま で二 つ の “日本” が存 在 している 事 になる .. このような研究の成果があっ て社会のニュースとなり融け込んでこそ異文化に対する近親感が深まり 我 , が国におけるモーツァルト音楽の発展がより促進され二十一世紀には 世界の共通語としてのモーツァルト , として受け入れられよう.. 6. おわりに 本論では, モーツァルトのオペラを我が国の地域で上演させる為の音楽的な実践研究と 現代社会のなか , でモーツァルトのオペラを受容できる環境をどのよう に整備したかを検証した また音楽文化活動としてど . のように地域に根付かせるかの方法を, 様々な角度から検証し研究と活動の統合を各項目に分けた中で論じ て き た.. 4 )などこれまで考え 北海道の-地域で地域の文化活動の中から モーツァルトのオペラの正統的な上演2 , る事もできなかっ た. しかし179 9年に編曲されたジムロック弦楽四重奏用篇曲版の楽譜の持つ意味を 社会 , における音楽事情や必要性を当時と現代とを照らし合わせて拡大的に再考することにより モーツァルトオ , ペラは 〈現代における適応と可能性〉 を充分に持ち合わせ モーツァルト音楽の持つ世界の無限性を我々 に , 示 した. ま た 今 日, 実 際 にモ ー ツ ァ ル トの オペ ラ を 今 回の事 例 のよう な視 点 を 変 えて実践 す る場 合 ジム ロ ク 弦 ッ ,. 楽四重奏用篇曲版の楽譜をそのまま借用する事は 実践の演奏では困難も生じる その打開の為に 公演の , . , 構成の再考, オペラの演出の再考, 弦楽四重奏用篇曲版の楽譜の再考 オペラ歌手の演奏方法に対する意識 , の 再 考 等 の統 合 によ り, 新 しいモー ツ ァ ル トのオペ ラ の演 奏 が可 能 とな っ た .. この事は, 日本でジムロック弦楽四重奏用篇曲版による初演が行われたという音楽文化の歴史に価値ある 足 跡 を残 した 事 に留 ま らず, 遠く モー ツ ァ ル トが縦横 無尽 の 活躍 を した 街 ヴィ ー ンで こ の新 しいオ ペ ラ が ,. 学術的に紹介された事は, モーツァルト音楽の持つ普遍性がもたらしたものである . 正しい学術的考察と学術資料に基づいたモーツァルト音楽 に対する研究や実践や前衛的な試み そして意 , 欲的な地域文化実践活動が, 二十一世紀に生きるモーツァルトを創生し 地球的な規模でのモーツァルト音 , 楽の受容がなされるものであると言う事を, 5年におよぶ地域 における実践研究活動を通して実証的に推論 7 )を意 する. そ して地域 にお ける 音 楽 文化 発展 の た め の活動 にお い て常 に 〈狭 い音 楽〉 か ら 〈広 い音 楽〉 1 ,. 識し, 常にその融合と割合を社会との係わり合いの中で検討していかなければ真の音楽文化は存在し得ない こ と を, 本事例 の 『祝 祭 ・ 国 際モー ツ ァ ル トi n 北 海道』 は 体現 している.. 【注】 1) 筆者がモーツァルト音楽普及活動の一環で企画・構成・実施している 公開講座・機関紙寄稿原稿等の二十一世紀におけ , るモーツ ァ ル トの研究テーマの標 語. (下記論文 講座等 参照) , 北 海道七 飯町音楽協会機 関紙寄稿タイ トル (5回連載 1997年12月 ~). 神戸学院女子短期大学公開講座タイトル (講座構成:筆者 20 0 1年6月 2 日 神戸学院女子短期大学演奏スタジオ). 36.
(14) . モ ー ツ ァ ル トの オ ペ ラ. n TOKYO の講演タイ トル 国際モーツァ ル トレク チ ャ ーコ ンサー トi (企画・構成:筆者 2001年10月13日. 田崎真 珠銀座店). n TOKYO の プロ グラム ~ 2) 海老浄敏講演, 国際モ ー ツァ ル トレク チ ャ ーコ ンサー トi せて~より要 旨引用.. 「いま を生きる モーツ ァ ル ト」 によ. 講演テーマ: 「いま を生きる モーツ ァ ル ト」. 企画‐構成:塚田康弘 北海道教育大学大学院 御ー路校) 助教授 2001年10月13日 (土) 14:00~ タザキ ジュ エリータワ ー田崎真珠銀座 店6 F と して設立され, 3) ザルツ ブルク国 際モ ーツ ァ ルテウム財 団の前身 は, 1841年 に 〈大聖堂音楽協 会兼モーツァ ルテーウム〉 ーツ ァ ル その課題は音楽 教育機関の設 立と教会音楽の実践 そ してコ ンサー トの 開催 が主とさ れていた. その後, 1870年 にモ 0 年 〈大聖 1 8 8 テーウム は 〈国際モーツ ァ ル ト財団〉 を 設立する事 になり, 旧モー ツ ァ ル ト全集の編 纂に力 を注 ぐ事となる‐ 堂音楽協会兼モーツ ァ ルテー ウム〉 が解体 し,〈モーツ ァ ルテーウム〉 と 〈モー ツ ァ ル ト財 団〉 が結 合 して, 今日の く国際モー は1991年 ツァ ルテーウム〉 財団が発足 する‐ 現在, 同財団の事務局長 はル ドルフ・ア ンガミ ュ ーラ博士 が務めており, 筆者 ける 筆 祭にお ル ト音楽 レー ト国際モーツァ ロベ 9 9 6 年 1 よりモーツ ァ ル ト音楽 の実践につ いての 資料提 供を受けて いる‐ ( , ・ n 北海道 99にお けるシ ンポ ジウ ム での講演 等) 者のリサイ タルに対する 批評・1999 , 年祝祭・ 国際モ ーツ ァ ル トi 4) ザルツ ブルク国際モーツァ ルテーウム 財団名誉財 団員, 同財団中央 モーツ ァ ル ト研究所所員 を務める 海老洋敏氏 は, 2001 年1月 〈五大陸のモ ー ツァ ル ト〉 の第 一 回目の シンポ ジウム で, 明治初期 から始まる我 が国のモーツァ ル ト音楽受容 におけ る実演付きの発 表と新作の 発表を行い, 二十一世紀に生 きる モーツ ァ ル ト, 全人類か ら愛 さ れる モー ツァ ル ト像を2001に実 証 した. 日本人による新作: 田中利光作曲 小山和 彦作曲. 「魔笛」 の主題 による 変奏曲と バ ツ サカリ ア モーツ ァ ルトのモチーフに よる幻想曲-作曲家 達 の群像冊. ) 塚 田康弘著 「地域 にお ける音楽療 法的文化活動の 一 考察」 1998年およ び 5) 神戸学院女子短期大 学紀要 第31巻 (P123~136 ) 塚田康 弘著 「地域 にお ける音楽文化活動の 一考察」 2000年を参照. 神戸学院女子短期 大学紀要33巻 (P183~201 6) W. A‐ モーツ ァ ル ト: 《フィ ガロの結 婚》 弦楽 四重奏用 編 曲 版, ボン, ニーコラウス・ ジム ロ ッ ク刊 1799年初 版本,. 海老津敏所蔵楽譜を実践演奏 (我が国初演) するために借用. 7) モーツァ ルト全集(全15巻)の別巻P249の33~3鱈テ, 大久保ー著「編 曲さ れたモーツ ァ ル トの作 品」 から引用. 小学館1993. 年 . 8) モーツ ァ ルト全集 (全15巻) 別巻P252の11行~P253の11行, 大久保ー著 「編曲された. モーツ ァ ル トの作品」 から引用 小学館1993年 i i 31L i i c ans8 - 9) The New GROVE Di cand Mus ct onary of Mus. 参照. 10 ) 海老津敏氏 から借用 した ジム ロ ッ ク刊 弦楽 四重奏の パー ト譜のコ ピー はB4 版169ペー ジにも およ び, 表紙 はイ タリア語 で書かれ出版 はアムス テルダム である と記載されて いる. 11) ot i 1946~現 在)ヴィ ー ン学友協 会学術 部長, ザルツ ブルク 国際モーツァ ルテ ウム財 団モーツ ァ ル ト中央研 究所所 to B ba(. 員 12 ) 我が国を代表する オペラ演出家, 1969年芸術 選奨文部大臣賞等 受賞 13 ) 最新名曲解説 全集 第18巻歌劇 1のP140下段 1行目~16行目を引用 14 ) モーツ ァ ルトの散歩. P247~P261参照. ) 新モーツ ァ ルト全集 15. ベー レンライタ ー 版. 16 ) ヴィ ーン学友協 会資料部所蔵 年9月 2 日. ア ンリ ゲオ ン著. 吉 田泰輔著r 音楽 の友社. 高橋英郎訳. 白水社 1988年. Werkgruppe5Band161976年 この 資料 は 『祝祭・ 国際モーツ ァ ル トi n 北海道2000 』 にお いて日 本初 公開された. 2000. 函館市芸術ホ ー ル・ ギ ャ ラリー. 17 ) 神戸学院女子 短期 大学紀要第30巻. P123~136 塚 田康 弘著 「モーツ ァ ル ト音楽効果」 1997年. 18 ) モーツ ァ ルトとルソー P366の2行~5行引用. 海老津敏著2000年. i ba toB ‐Desmber2000 jg13/3P‐13 ot i kむeundein Wi l en sct直 der Mus 19 ) MUS工KFREUNDE Gesel . to Biba ig57/6P-8 ~ PII 0t 20 ) Mozartgemeide Wi en Wiener Figaro.Desmber2000, ihara Mi noru i i i sh i j tResept sho Era PI18 ~ PI96 参 照 Ni i nthe Me ‐Ta oni 21 ) Mozart ana The Mozar ingofsP RecordsPI97 ~ P211 i rom the sen i ewedf odinJapan vi i onofthe Eary showa per 22) Mozar t ana Mozart Resept. i 参照 Wa t eko anabeCh ba t l oBi jgP95~ PIOI参照 ot lst i先ung Mo i t zburgNovember200149 eum sa ona za r 23 ) MITTEILUNGEN 工nternat できる音楽 し世界に発信 24 ) 本論でのオ ペ ラ 公演 とは, 学術的な研 究に基 づ い た, プロ の演奏家に よる 演奏水準の 向上を目指. 37.
(15) . 塚 田 康. 弘. 文化水 準を指 し示 しているも のであり 地域 における ”市民オペ ラ“ と同格 に取り扱 てはい ない , っ ‐. 【参考文献】 Bi 2001 MOZART AND JAPAN Se n Ebi sawa l hon Ar ected Papers Ni tCenter , ot to Biba i ISt童ung Mozar l ona teum Sa 9 zburg4 ,2001 M工TTEILUNGEN 工nternat jgP95~ PIOI Watanabe Chi 2001 Mozar i t eko tResept i ana Mozar i onofthe Eary Showaper odinJapanvi l l ingofSP Re , ewedf rom the Se cords Ni ihara Mi 2001 Mozart i sh noru i ana The MozartResept i i i oninthe Me j ‐Ta , shoEra ot to B i ba2000 Mozartgemeide Wien Wiener Figarojg57/6. ot ba2000 MUSIKFREUNDEGes t oBi l l i kf tder Mus e schf r eundein Wi enjg13/3 アンリ ゲオ ン, ,1988 モー ツ ァ ル トの散歩. 高橋英郎訳. 白水社. 門間直美, 1 9 8 0 最新名曲解説全集 全2 4巻 音楽の友社 TheNew GROVE Di fMus i i i cbonaryo 31L 参照 c ans8 cand Mus - Rud l fE1 9 J 1 i ver s f人 4us onaryo i 31L cand公なusicians8 , 93The ew GROVE Dict ‐ 海老津敏, 1993 モー ツ ァ ル ト全集 (全15巻) 小学館. 塚田康弘,2 0 0 0 神戸学院女子短期大学紀要第3 3巻 塚田康弘, 1 9 9 8 神戸学院女子短期大学紀要第3 2巻 塚田康弘, 1 9 9 9 神戸学院女子短期大学紀要第3 1巻 塚田康弘, 1997 北海道七飯町音楽協 会機関紙 (5 回連載 1997年12月 ~) Robb i ns Landon l996 The Mozart Compendium He i bonsh i a 海老津敏, 1991 モーツ ァ ル ト辞典 海老様敏, 1984 モーツ ァ ル トの生涯. 東京書籍株式会社 白水社. 海老津敏, 1987 モー ツ ァ ル トは鏡 音楽之友社 海老津敏, 1991 モー ツ ァ ル トの 旅全5巻 音楽之友社 海老郷敏, 2000 モー ツ ァ ル トと ル ソー 音楽之友社 海老擬敏, 1996 モーツ ァ ル トの ザル ツ ブルク 音楽之 友社 海老様敏, 1991 モーツ ァ ル ト 海老運敏, 1999 超越の響き. TBS ブリ タニカ 小 学館. 【引用楽譜】 ベー レンライ タ一社, 1976 新モー ツ ァ ル ト全集 ジムロ ッ ク刊, 1799 《フィ ガロの 結婚》 弦楽四重奏用編曲版パート譜 ペー テル社, 1967 《フィ ガロの結婚》 ヴォ ーカルス コア. 【参考演奏】 ドラマティ ッ ク パ フォーマ ンス オペラ 「フィ ガロの結婚」 K 492 (抜粋) . 解説:海老沢敏・ 0.ビーバ オペ ラ監 修:栗 山昌 良 構成・演出:塚 田康 弘. 指揮:中村健. 弦楽伴奏:祝祭2000モーツ ァ ルテウム弦楽 ア ンサンブル (ジムロ ック刊 《フィ ガロ の結婚》 弦楽四重奏用編曲版パート譜使用 キ ャス ト:伯爵-塚 田康弘. 伯 爵夫 人-垣花洋 子. フィ ガロー 山田健司. 改編:塚田康弘). ス ザンナー鈴 木比都美. 他. 舞台監督:片倉 公 2000年9月 2 日 (土). 函館市芸術ホール. 御ー路校助教授). 38.
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