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<論文>イギリス穀物法反対運動前史 利用統計を見る

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<論文>イギリス穀物法反対運動前史

著者

金子 俊夫

著者別名

Kaneko Toshio

雑誌名

経営論集

19

ページ

25-47

発行年

1982-03-31

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00005816/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

イ ギ リ ス穀 物 法 反 対 運 動 前 史

金 子  俊  夫

1 。2.3.t5.序 1814年の穀物法 尚1815 年の新穀物法 諸階級への影響 結一 反対運動の端緒 2S く1. 序  イギリス自由貿易運動は資本主義的生産様式 の普及 とそれに よる生産力 の 飛躍的な発展を基盤にした産業資本が,議会運営を掌中に握 り,政治的権力 を駆使し, 自己 の資本活動を円滑に運営するための自由主義経済を実現し よ うとし た一連 の運動である。そし て18世紀後半 の産業革命以降イギリス産業 資本は機械制大工業 の 七つ高度な,かつ積極的な工業生産力に よって,国外 市場への進出が可能になると,外国貿易におけ る重商主 義の保護貿易主義政 策は彼らにとって,やがて絶えがたい栓楷 と化したのであった。 すなわち国 家に より外国貿易が意識的に保護され,抑制され,禁 止されることからの全 くの解放を,本格的な自由貿易を要求して産業資 本家達が立ち上ったのであ った。こ0 ような自由貿易において,もっとも中心的問題 となっているのが 穀物法廃止問題でちろ り1)。  イギリス穀 物法の歴史は非常に長く,多種多 様であ り,14世紀中頃 より存 在した。し かしながら当時の穀物法は中世 の社会的思想であ る合理的公正価 格での商品販 売が唱えられ,主 として消費者の利益が優先され,商品価格統 制としての役割を 演じていた。そ のため当初は食料の国内確保の目的で条例 が制定され,農業不況時 の穀物価格騰貴を防ぐために穀物の自由輸入,輸出ユ の禁止・制限を規定した ものが多 く,農業生産者の利 益は消費者ほ ど考慮さ

(3)

れなかった。  しかし, 17世紀後半以降は消費 者偏向傾向から脱して,輸入穀物に関税を 課し,輸出奨励金制度を導入し,穀物の高価格を維持することに よって農業 生 産者の利益を保証し,地主を保護 する条 例が多く制定 された。 18 世紀に入 ると穀物輸出奨励金制度の是非をめぐる論 争が流行し,消費者 利益も主張された結果,穀物法は消費者にはほ とんど苦にならず問題は生じ なかった。なぜなら輸出奨励金に よって, より多く の土地が耕作され,穀物 生 産が推進され,それ故国家は必要な時に より大なる国内供給を維持するこ: とができた。そして実際に, もしその年が凶作と判断されるなら輸出奨励金 はあ らかじめ停止され, また穀物 の輸出さえ禁じられた。したがって穀物価 ノ格は輸出奨励金に よって決して高騰することはなく,消費者は穀物の恒久的 供給に よる価格の低位置不変性に より平 均して利益を得たのであ った。  その後イギリスが18世 紀後半以後に第1 表に見られるご とく穀物 の輸出国 か ら輸入国に変化し,穀物不足 傾向に陥 り,フランスにて大革命が勃 発し, これに引き続いてナポレオンの大陸制覇が行われるや否やこの不況 傾向に拍 章 がかかると穀物法問題が注目され始めた。すなわち, 1791年に次の ような 穀物 法が議会を通過した。 輸出……4ヽ麦価格46 シリンダ以上の時 輸入……dヽ麦価格54シリンダ以上の時 50 シ リン ダ 以 下 の 時 禁 止 。 6 ペ ン スの低 関 税。 24 シ リ ン ダ3 ペ ン ス の 高 関 税2)。 46∼44 シリンダ以上の時一 奨励金なしで許可。44 シ リンダ以 下の時-c シリングの奨励金。 54∼50 シ リ ン ダの時一2 シ リ ンダ6 ペ ン スの低 関 税。 これ まで は穀物 法 制定 の際 , 戦争 経 済を 考慮 す る必 要 性 がな か った が,対 仏 戦争 の勃 発な どに よりそ の必 要 が生じ た結果 の1791 年 の穀物 法 であ った。 そし て, 1793年 か ら1815 年 まで イ ギ リ不は, 1802年3 月 の ア ミアン の和約 に よる1 年2 ヵ月 間(1803年5 月破棄)を除 き,フ ラン ス と戦争を 続げ た。 そ の間 大陸 封 鎖に よりヨ ー ロ ッパ大陸 のほ とん どがフ ラン ス の支 配 下 に入 り, 大陸 に 食料 供給を あお い でい た イ ギ リ スは ヨ ーロ ッパか らの穀物 輸 入を阻 止 さ れ ,小麦 の価 格 は高騰 し ,第2 表 のご とく1800 年に は113 シ リン ダ10 ペ ン スに ,翌1801 年 に は119 シ リン ダr* -j-^ン ス となった。 こ の価格 は飢 饉 価 格で

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1751 1752 1753 1754 1755 1756 1757 1758 1759 1760 1761 1762 1763 1764 1765 1766 1767 1768 1769 1770 1771 1772 1773 1774 1775 1776 1777 1778 1779 1780 1781 ●●● ●●畠 ●●● 命丿● ● 4 ● ●丿● ●●● ●●● ●●● ●●● ●●● ●●● ●●・ ●●● ●●・ ●●● 3  一 − 201 − 5 141562 20353  162 3 − g ︶n / `LO I> 1 104547  11020 … 497905 … 349268 4378  34 2510 25474 56857 … 289149 560988  20578 … 233323 … 106394 ●●● ●●● ●●● 5039  3915 159866 イ ギ リス穀物 法反 対 運動 前史  27-第1 表  イ ギ リ ス 小 麦 ・ 小 麦 粉 の 輸 出 入 量        ( 単位  ク ォータ ー) 662957 430117 … 330754 356781 237466 … 102752 11545  9234 … 227641 … 393614 4●& ●●● ●●● ●●● ●●● 441956 295385 429538 396857 167126 … 164939 5071 7433 49892 75449 10089  6959  7637 15928 91037 … 210664 87686 … 141070 222261 … 224059 … 103021 1782 1783 1784 1785 1786 1787 1788 1789 1790 1791 1792 1793 1794 1795 1796 1797 1798 1799 1800 1801 1802 1803 1804 1805 1806 1807 1808 1809 1810 1811 1812 ●丿● ●&● ●●● ●●噛 80695 584183 216947 110863  51463  59339 148710 … 112656 ●●● ●●● ・ 1 ● ●丿● 222557 469056  22417 490398 … 327902 … 313793 … 879200 … 461767 … 396721 … 463185 …1264520 …1424765 ・・■ 647663 373725 … 461140 920834 … 310342 … 404946 84889 455987 …1567126 … 336131 … 290710 ●丿● ●●● ●●● 丿●● 145152 51943 89288 132685 … 205466 … 120536 ●●● 甲 9 9 ●●● ●●● 82971 140014  30892  70626 … 300278 ●●● 76869 … 155048 ●・● ●●● ● 4 ● ●丿● ●●● 18839 24679 54525 59782 39362 22013 28406 … 149304 76580 63073 77955 29566 25113 93005 31278 75785 97765 46325 1813 1814 1815 1816 1817 1818 1819 1820 1821 1822 1823 1824 1825 1826 1827 1828 1829 1830 1831 1832 1833 1834 1835 1836 1837 1838 1839 1840 … 559000 ・ヽ・ 852567 ・ヽ・ 384475 ● 4● 332491 ・ヽ・1089855 ・・・ 1694261 ●●● 625638 ・‥ 996479 ・‥ 707384 ・‥ 510602 ●●● ●・ 4 ●●● ● 1 ● ●●噛 424019 441591 787606 897127 711868 ・・・ 1410300 ・・・ 2190095 ‥・2205751 ・・・ 2867860 ・・☆1254351 ・‥1166457 ●●哺 981486 ・‥ 750808 861156 ・・・ 1109492 ・‥1923400 ・‥3110729 ・‥2526645 ■・・Recordsdestroyed … 111477 ` … 227947 … I2i6ir … 317524' ●丿● ●●● 丿●● ●●● 4 ●● 58668 44689・94657199846160499-… 145951' ●●● ●●● ●●● ●●● ●●● ●●● ●●曙 ●●● ●●● を●丿 t ●● 61680' 38796; 20054 57323 76489 ・750973714965875 ・289558 ≒ 96212 159482 … 134076 … 256978 。 … 308420 … 158621 ●●● ●●● 42512^ 87242

D. G. Barnes, A History of the English Corn Laws from 1660−1864, 1961, pp. 299−300. あ り , 製 造 業 者 の 倒 産 も 相 次 ぎ , 労 働 者 は 高 い 食 料 の 購 入 に 困 窮 し た3) 。 

議 会 は こ の よ う な 状 況 に 対 処 す る た め に , 囲 い 込 み 手 続 を 簡 素 化 し 費 用 を 安 く し , 囲 い 込 み 条 例 を 成 立 さ せ , 農 業 者 の 耕 作 面 積 の 拡 大 を 助 長 し た 。 そ し て こ の 時 か ら1815 年 に か げ て 囲 い 込 み 運 動 は 急 速 に 進 行 し た 。 結 果 , 豊 作 続 き も 主 要 原 因 の1 つ と な り , 穀 価 は1802 年 に69 シ リ ン ダ10 ペ ン ス に ,1803

(5)

第2 表 小麦 の年平均価格 年 価    格 年 価    格 年 価   格 s. d. s. d. s. d. 1771 1772 1773 1774 1775 1776 1777 1778 1779 1780 1781 1782 1783 1784 1785 1786 1787 1788 1789 1790 1791 1792 1793 1794 1795 1796 1797 ●●● ●●● ●●● ●●● ●● 丿●● ●働● ●●● 丿● 丿 ●丿● ●● ● ●●● ●● ● ●●● 丿 丿● 丿丿● ●●丿 48 52 52 54 49 39 46 43 34 36 46 49 54 50 43 40 42 46 52 54 48 43 49 52 75 78 53 737304         1 138903341054997033279 1 1798 1799 1800 1801 1802 1803 1804 1805 1806 1807 1808 1809 1810 1811 1812 1813 1814 1815 1816 1817 1818 1819 1820 1821 1822 1823 1824 ●●● ●● ● ・丿● ●争 ● ●●● 4● ● 丿●● 51 69 113 119 69 58 62 89 79 75 81 97 ・・■ 106 ●● ● ●●● ●争 l ●●● 盛●● 丿●● 95 126 109 74 65 78 96 86 74 67 56 44 53 63 10 0 10 6 10 10 39144.45369476 11 360174     I n 1825 1826 1827 1828 1829 1830 1831 1832 1833 1834 1835 1836 1837 1838 1839 1840 1841 1842 1843 1844 1845 1846 1847 1848 1849 1850 ● t ● 丿●● 呻や丿 ●●● ●●● 4●● ● ●争 ●●● ●●& ●●● ●●● ●●● 申呻 ● ●●● ● 4 丿 ● ● 4 .   0 0 0 0 e n   < o       L O 58 60 66 64 66 58 52 46 39 48 55 64 70 66 64 57 50 51 50 54 69 50 44 40 i £ > 0 0 t£>      m 3 Q ︶ 4 唾 ︵ χ ︰ ︶ 11 2 4 6 10 7 8 4 4 3 1 3 10 8 9 CD CO 3

D. G. Barnes, op. cit., p. 298.

年に58 シリンダ10ペンスに低下し,さらに1804年 の初期 には49 シリング6 ペ ンスまでに下落し,農業生産 者は危機に直面し, 1791年 の穀物 法改正を要求 し た請願書がNorfork, Suffolk, Stafford, Worwick, Essex, Lincoln の 諸地方か ら議会に提出され保護を要求した。穀物法調査委員会の報告 も保護

の必要性を認め,1804年に穀物法は下記のごとく改められた。 

輸出……54シ リンダ以上 の時一 禁 止。     54

∼48 シリングの時一 奨 励金なしで許可。     48

(6)

輸 入… …66 シ リ ン ダ以 上 の時 イ ギ リス穀物 法 反対 運 動前 史  29 '言 ペ ンス の低関 税。

66∼63シリンダの時一3

シリングIf ペンスの低関税。

63 シ リ ン ダ以 下 の時 30 シ リ ン ダ ペ ン スの 高関 税i)。 この穀物法には, ナポレオンの大陸封鎖や豊作に より穀物価格が高い水準 に保たれ,地主にとって満足 のい くものであったため, 1814年に改正される までさほ ど社会問題化しなかった。し かし1809年以来連続4 年農業不況が続 き,穀価が急激に上昇しはじめ1812年5 月には152 シ リンダ3 ペンスに上昇

するとスコットランド西部お よびインタラン ド 北 部 のLanark, Paislay,Port Glasgow, Renfrew ,Lochwinnoch, Beith,Glasgow, Dumbarton,Rutherfflen,

Perth, Hamilton, Stirling, Falkirk, Dunfermline, Renton な どの新興工業都市から穀物法に よる保護の増大に対し不満を表 明する請 願 書が議会に送られた。当時イギリスの社会組織は近代的様相を呈しつっあっ たが,かなり封建的思想 も残存し てお り,貴族の条件0 ひとつ として農村に 広大な土地を所有することが必要であった。そのため製造業 ,商業に より富 を蓄積した資本家は農村に雄大な邸宅を構築し,農場を所有した。すなわち 囲い込み運動(encloure)であ る。 1765年から1794年 の間に1,263 の議会囲い 込 み条例が成立し ,さらに1795年から1814年 までは対仏戦争の影響に より,1,765 の条例が議会を 通過した。 18世紀から19 世紀に かけ て成 立した条例数 は第3 表 のようであ る。囲い込 み運動の結果は農業生産力 の増大であった。 かくして得られた農産物の増収に より,産業革命遂行 の途上にあったイギリ ス0 増大する人口を支えることができた。当時1,000 万人を超過したイギリ スの全人口の うち,輸入した外国小麦 で生活してい るのは60万人から80万人 で,小麦需要の90パーセント以上を自給できた。しかし対仏戦争 の 末 期 の1809 年以降に激しい物価騰貴 が起 こり,これが小麦価格の騰貴を も招き,同 時に地代 と利潤とを増大させ,地主・農業資本家が積極的に農業に資本投下 を行った。反面,農業 労働者や都市工業労 働者は困窮した0 であった‰  ここに今までとは違った性格○穀物法が制定された のであった。 1814年, そして1815年 の穀物法であ る。 イギリス自由貿易運動 の頂点 としての反穀物

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第3 表 一 年 1720− 91725 −341730 − 91735 −441740 − 91745 −541750 一91755 −641760 − 91765 −741770 − 9 1720 年−1834 年 に 成 立 し た 囲 い 込 み 条 例 数 条 例 数 5 7 9 1 6 9 7 3 5 1 02 3 3 4 3 4 3 8 8 3  6 1 2 3 5 6 年 1775−841780 − 91785 ―941790 − 91795 −18041800 − 91805 −141810 一 一91815 −241820 − 91825 −34 条 例 数 1  6 0 9 2 75 4 8 6 8 44 2 2 4 7 8 983 853 368 220 177

p. Deane & W. A. Cole, British Economic Growth 1688一1859 ;     Trends and Structure, 1962, p. 94.

法運動 の対象 としてい るのは,主 とし て新たな段階に入った19世紀初めのこ れらの穀物法,そして一 連の穀物法であ る。 これらの穀物法は自由貿易運動 の展開において垂要な意義を有している。穀物法の実施 と廃止こそが本来的 重商主義の保護貿易主義 と産業資本主義の自由貿易主義との対立の顕著な実 例だ からである。換言すれば ,穀物法の歴史は,穀物お よび原材料に対する 輸入関税の存続を希望し ,そ うすることに より高地代を維持し ようとしたブ ルジ ョワ的地主 と, より低廉な穀物ならびに原材料を獲得するために関税の 廃止を主張し た産業資本との対立の歴史 であった。産業 資本は穀物お よび原 材料に対 する関税の廃止に よって賃 金を 引き下げ,生産費を減少させ,商品 の低価格を実 現し,利潤を増大させ,市場での勝利を得 ようとしたのである。 この ような自由貿易運動の具体的現象形態の1 つ とし ての反穀物法運動を 考察するにあたっては,あ らかじめその運動が展開され るに至るまでの事情 を十分理解す る必要があろ う。 注 1) 穀物法廃止問題以外 の主要な ものとしては航海条 例廃止 問題,東インド会社等 の貿易 独占排除問題な どをあげ ることが でき,これ らが撤 廃されてはじめて本格 的 自由貿易時 代が到来する のであ る。 19世紀 後半以降 であ る。本稿においては穀 物法反対運動に のみ焦点をあ てる。

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イギリス穀物法反対運動前史  312 ) C. R. Fay, The Corn Laws and Social England ,1932, p. 30.3

) 農業 経営者たちは,小麦 価格の騰 貴に よっ て収得しつっ あったもの のほんの一 部を,賃銀 引き上げに よってそ の労働者に手渡したにす ぎなかった。戦時中 の景 気 が絶望的に きびし かった人び とが た くさ んいた とい うこ とは,疑 う余地がない 。 た とえば サセッ クスの農場 労働 者の賃銀は,1790 年O 1 週9 シ リンダか ら1810年 の13 シ リン ダへ とほんのわずか上昇 したのち,実際に12 シ リンダへと下 落した よ <うにお もわ れるし, また ボルトン の手織工たち(彼 らが帽子に5 ポンド紙幣を 差 し込 んで この町を歩 きまわ っだ のはそ う以前 のことで はなかった) の 賃 銀 は, 1805 年か ら1808年 の間に,25 シ リン ダか ら15シ リン グに 下落した のであった。 ま た1812 年 の製釘工だも の労働 日は,朝4 時 にはじ まり, 夜n 時 まで続いたものの

ようであった。(C. P . Hill, British Economic and Social History 1700一1914, 1957.

山本弘文 訳『近代英 国社会 経済史 』法政大学出版 局, 1964年,108 頁。)4

)C. R. Fay, op. cit., p. 30.5

) こ の間 のより詳細 なる状況は 次の通 りであ る。  enclosure の結果は農産物 の増収であ る。 ところが一方 これに よって小農民存 在 の根底は失われ, 彼等は単な る労働者 となって 大農に 雇用せ られるか,あ るい は外 国に移住し, あ るいは田園を去っ て黒煙 濠々た る工 場都市 に集まり純粋な る 無産 労働者 とな るの外はな かった 。   か くし て故郷を離 れた人 々凪 永久に賃 銀労働者 とな って資 本家 階級に雇われ ねば な らなかった のであ るが, 不幸にし てかかる者 の需 要は当時 機械の発明 と労 働者 の激増 とのため甚だ僅少な るものであ った。原野であ った土地を開 拓す る場 合には 新たに労働 の需要を増大せしむ るであろ うが,一 旦開墾せ られた土地や在 来開け てい た耕地に於ては新農法が労働を節 約す るか らそれだけ需 要を 減じて行 く。乗晩 都会に於け る紡績工場 の新設 は, 田舎 の婦人や 子供 よりそ の内職を奪い。 農村に 益 々打撃を 加え ることとな った 。かくて土地を失い 資本を 有せぬ社会大衆 の生 活状態は, た とい職にあ りつ くとし て 乱 物価 の騰 貴に苦 しめ られ,租税 の 徴 収に 悩 まされ ねばな らなか った。勿 論1793 年 より1812 年に至る間に農業 労働者 及び手 工業 者 の賃銀は2 倍近くに上 ったけ れど 乱 しか もなお必需品 の騰貴せ る 価 格に 比し ては 未だ不充 分なも のであ った 。況 んや職を 離 れ或いは職に耐え得な くな った人々 の窮境は想像以上 であ った と考え な くては な らない。   かか る穀価の暴騰 とこれに伴 う労働者 階級 の困窮 とに 対 して,地代 の騰貴とこ れに伴 う地主及び資 本家 階級 の逸 楽とが事象 の背反を物 語 ることはい うまでもな し稲      丿   か くて大地主 と農業 労働者 との間 には越 見難 き社会上 の鴻溝が横たわ ることと なり,米 騒動は前後数回至 る処に勃発 して社会的不安は 全英にみなぎったのであ る。(m 井隆三・東嘉生訳『 マソレサス穀物 条 例論I 東嘉 生稿「 解説」岩波文 庫, 昭和15 年, 172−173 頁 。)  18 世紀 と19世紀 の前半 とには, 14もの州で共有耕地 と荒蕪 地のあ る部分 とを囲

(9)

込む諸法令 に よっ て囲込 まれた面 積を百分 率にす ると,25 パ ーセン トから50 パ ー セン トほどに もな り, 16の州におい てはやっ と5 パーセン ト以下 に とどまった。 また,第1 期 にはすこしで も影響を うけ た のは,あわせ てわず か25 州であ った の に,18 ・ 9 世紀 では法令は36 州で通過した。それだけ ではない 。後期には, 囲込 まれた土地 の総 面積は,初期に囲込 まれた土地面 積の約8 倍 ない し9 倍 の大 きさ

に達し,イ ギリスの総面 積のほぼ5 分 の1 を占めた。(M. Dobb, Study in theDevelopment

of Capitalism, 1946. 京大近代史研究会訳『資 本主義発展 の研究n

』岩波 現代 叢書,1965 年,9 頁 。)

2. 1814年 の 穀物 法 

特別 委員 会(a select committee)が,地 主 に とって 有利 な時 期 で あ っ た1813 年3 月22 日に ,イ ギ リ スの穀 物貿易 を 調 査 す るた めにParnell, Hu-skisson

,Peel, Castlereagh, Vansittart 等 を 委員 とし て設 置 された。 こ

の委員 会 の実際 の 目的 は,アイ ル ラン ド の地 主 であ る議 会 のHenry Parnell 卿 の1814 年 の演 説 の中 に見 い 出さ れ る よ うに , アイ ル ラン ド穀 物 は西 イン ド, ブ ラジ ル,そ の 他 の国 々に 自由 に輸 出す るこ とが で きず ,単 に イ ギ リス本国 に の み許 可 され てい た こ とに反対 し , アイ ル ランド穀 物 の輸 出を 自由 にし よ うとい うものだ った 。 そし て委 員会 は次 の6 ヵ 条を 決 議し た報 告書 を 発表 し たo  (1)1804 年 の穀 物 法に 決 めら れた 穀物 の輸 入価 格, 関 税 ,そし て輸 出奨励 金 の支払 を 廃 止 す るこ と。  (2) アイル ラン ドを4 つ の海上貿 易 地域 と4 つ の内陸 貿易 地 区 とに 区分し , 各 地域 にお け る穀 物 価格を 調査し てイン タ ラン ド同 様に 穀 物報 告受取 人 (the Receiver of Corn Returns)に 報告す るこ と。 

(3) 輸 入価 格 な らびに 輸 出価 格は イン グ ランド の12(D 海 上貿 易 地域 , ス コ ット ラン ドの4 海 上貿 易地 域, アイ ル ラン ドの4 海 上 貿 易地 域 におげ る 総平 均 穀物 価 格に よっ て決 定 す るこ と。 (4 ) 小麦 価格 が1 ク ォータ ーあた り90 シ リン ダ2 ペ ン ス以 上 の場 合 は輸出 を 禁止 す る こ と。  ㈲  小麦 が105 シ リン ダ2 ペ ンス以下 の場 合は24 シ リ ン ダ3 ペ ンス の関税 を課し ,そ れ以 上135 シ リン ダ2 ペ ン ス以 下 の場合 は2 シ リン ダ6 ペッ スの関税 を課 す こ と。

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イギリス穀物法反対運動前史  33 ㈲  外 国 の小麦粉 , あ ら粉(meal ) はイ ギ リス本国 へ の輸 入を禁 止 す る こ と。 なお ,(4)と ㈲ の価 格は不 変 で はな く,輸 出価 格は 毎年2 月1 日に20  年間 の平均 価 格に7 分 の1 を 加 えて 決め直 す。 輸 入価 格 は同 様に穀 物報 告受 取 人 作成 の新 明細表 に より,毎年2 月1 日に 改正 さ れ るこ と6)。  さ らにParnell 議長 は 同年6 月15 日 の議会 におい て 上記 決 議を次 の様に弁 護し たレ  報告 書 の 目的 は現存 の農業 保護 制度 の弊害を 指 摘し , かつ固 定的 で 適度 な 価 格で , より多 くの穀 物生 産を 保証 す るこ とであ る。 このた び の変 更 は農業 家 令地 主 の利益を 増大 させ る もの で はない。 彼 らは近 年 大い に繁 栄 し てい る の であ るか ら穀物 法 のい か か る変 更を 乱 そ れが 議会 外 か らの請 願 であ ろ う と,あ るい は, 仲間 内か ら出 さ れた 条 例に よる もので あろ うと,好 まなか っ たのであ る。 委 員 会に より提案 され た改 正は 外 聞穀物 の輸 入に よる危 険 か ら 国民を 保護 し よ うとし た もの であ る。近 年 穀物 価 格が 異常 に騰 貴し た のは, 貨 幣価値 の下 落, 穀物 輸 入業 者の 市場 操作 も原 因し てい るが,事 実 は外国 穀 物 の輸 入 であ り,国 内穀 物 の生 産減 少を もた らし ,さ らに 重要 な こ とは敵国 あ るい は仮 想 敵国に生 計を 依存 す る とい う危 険 が生 じ るとい うこ とであ る≒ Parnell 卿 は,全 て の 貿易 が 自由 であ るな ら農業 に も保 護 は必要 ない。 全 て の製 造業 者や商人 が 完全 な る 自由 貿易 制度 の採 用 を 承 諾す るな らば ,穀物 輸 入禁 止を支 持す る者 は保 護制 度 の要 求を 全 て破 棄 す るであ る うと続け た。 アダ ム・ ス ミスの自 由貿 易理論 は 全 ての ヨ ー=i ツパ諸 国 が共 通の同 一 貿易 政 策 を 採 用す る とい う仮 定 の うえで の み自由 貿易を 認 め た ものだ と論 じた。 そ して 提案 が採 用 さ れ るな らば ,農民 は生 産を 増大 させ ,国 内市場 へ の供給 が なされ るば か りで な く, 植民 地 平外 国に も輸 出 す るこ とが で きる。 貧 民を 苦 しめてい るの は高い穀 価 で はな く,変 動 価 格であ る。 そし て真 の利益 は外国 穀 物へ の依存 を 除去 す る ことに よ り経 済的 独立を 獲 得 す る ことであ る8)。  各階 級へ の影 響 につい て も説 明を 加 え てい る。 地主 と農業 資 本家 には, 国1 内 市場 の独 占 が価格を 高 水 準に 保つ こ とに より高地代 と利益 を与 え ,農業労 慟 者, 都市労 働者 は1765 年 以 前に 普及 し てい た低 い安 定 価 格が得 られ,製 造 業 者は高 価格 が賃 銀に 影 響し ,ひ い て はそ れが生産 費 に影響 す るこ とを恐 れ て い るが ,彼 らの最 良 の取 引 相手 であ る農民 階級 の繁 栄 を 減じ る ことな ぐ, 破 らに 価 格低 下を 実 現す る9) とい う ように 全 て の階 級 に 利益を 保証 した た め,

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あ る 階 級 に 約 束 し た 利 益 は し ざし ば 他 の 階 級 の 利 益 と 対 立 す る と い う 矛 盾 を・ 含 む も の だ っ た 。        ■     ■       ■  こ の よ う なParnell 卿 の 演 説 に 対 し て 各 方 面 か ら 反 対 の 声 が あ が っ た の は 当 然 で あ り , つ い に 審 議 不 能 と な り 次 の 議 会 に 持 越 す こ と と な っ た 。  次 の 議 会 は1813 年11 月 に 開 か れ た が , 遅 延 の 連 続 と ,1814 年 の1 月 か ら3 月 ま で 休 会 さ れ た た め に 穀 物 法 が 議 会 で 再 び 審 議 さ れ た の は5 月 に な っ て か ら で あ っ た 。 議 会 の 再 開 時 の 農 業 状 況 はParneli 卿 が 議 壇 に 立 っ た1813 年6 月 と は 様 相 を 一 変 し て い た 。 当 時 は 穀 価 は 高 く(1813 年6 月 は1 ク ォ ー タ ー あ た り117 シ リ ン ダ10 ペ ン ス で ,8 月 は112 シ リ ン ダ6 ペ ン ス で あ っ た) , 戦 争 が 続 き>' ■4 年 続 き の 農 業 不 況 で 労 働 者 階 級 は 困 窮 し て い た が , 地 主 と 農 業 資 本 家 は 逆 に 繁 栄 す る と い う 状 況 で あ っ た 。 彼 ら は 巨 大 な 利 益 を 獲 得 し , 穀 物 の 高 価 格 を 永 続 的 に 予 想 し て , 改 良 に 莫 大 な 資 本 を 投 下 し , 多 く の 場 合 価 格 に 比 例 し た 地 代 で 借 地 契 約 を 更 新 し た の で あ っ た 。 し か し 今 で は 穀 価 は 低 く(1814 年4 月 に は75 シ リ ン ダ8 ペ ン ス と 下 が り ,5 月 に は69 シ リ ン ダ7 ペ ン ス に 下 落 し た) , 平 和 で 大 豊 作 の 結 果 , 豊 富 に 穀 物 は 供 給 さ れ , 地 主 ・ 農 業 資 本 家 階 級 に は 不 満 が い っ ぱ い で あ っ た 。  こ の よ う な 状 況 下 に お い てParnell 卿 は1814 年5 月5 日 に 新 決 議 案 を 議 会 に 提 出 し た 。 そ の 動 議 は 下 記 の 内 容 を も つ も の で あ っ た 。  穀 物 そ し て 小 麦 粉 の 輸 出 は い つ で も 関 税 そ し て 奨 励 金 な し で 許 可 さ れ , まノ だ 輸 入 に つ い て は 現 存 す る 関 税 を 次 の よ う に 変 更 す る 。  84 シ リ ン ダ 以 下 の 時 … …24 シ リ ン ダ3 ペ ン ス の 関 税 。  84 シ リ ン ダ 以 上87 シ リ ン ダ 以 下 の 時 … …2 シ リ ン ダ6 ペ ン ス の 関 税 。  87 シ リ ン ダ 以 上 の 時 … …6 ペ ン ス の 関 税 レ  ま た 北 ア メ リ カ 植 民 地 か ら の 小 麦 は 以 上 の 規 準 価 格 を そ れ ぞ れ10 シ リ ン ダ 引 き 下 げ て 税 率 は 同 じ と す る 。 ラ イ 麦 , ソ ラ 豆 , エ ン ド ウ 豆 , 大 麦 , 麦 芽 , ガ ラ ス 麦 に 関 す る 関 税 七 言 だ 引 き 上 げ を 行 う10)。  こ の 提 案 に 対 し, George Rose が1813 年 の 決 議 と と も に 厳 し く 非 難 し た 。 彼 は500 年 以 上 の 間 法 令 全 書 に あ っ た 根 本 方 針 を 見 捨 て る も の で あ り , 報 告 書 に は た く さ ん の 誤 謬 か お る と し て , 次 の よ う に 指 摘 し た 。 穀 物 生 産 者 は 適 正 な 地 代 を 支 払 い , 自 己 の 合 理 的 利 益 を 確 保 で き る 程 度 に 穀 物 価 格 の 保 護 を 必 要 と し て い る 。 こ の 目 的 が 達 せ ら れ た な ら , 消 費 者 は 保:

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イギリス穀物法反対運動前史  35 レ護価格以 下 であ らゆ る利 益を 受 け るであ ろ う。 この原 則を 適 用す るに は輸 入 同 様輸出に も統 制 が必 要 であ る。 穀物 の絶 対的 な 自由 貿 易は ご くわず か の思 想であろ うし , これほ ど生 産 者と消費 者に等し く有害 な もの はない1‰  これに対 しParnell 卿 は ただ ちにRose に 対し返 答し た。 そ れは次 の4 点12)に集 約で き る ○  (1) 戦 争に より生 じ た 不 自然 な状 況 の もとで ,穀物 や 工業 の代 価を 他 国が 支払 う政 策 に よって生 じ る外 国 穀物 の流 入を防 ぐ ことは ,農業 に とって 不可 能な こ とであ る。  (2) 外国 か ら十 分 な 供 給を 得 るこ と は可 能だ とい う議論 かお るが , もし こ れが事実 だ とし て も長 期 間連 続的 に供 給を あお ぐな ら穀物 価 格 は騰 貴 す る。 (3 ) 無 制限 の穀物 輸 入 は地主 階 級 の購買 力を 減退 さ せ,そ の結果 製 造業 者 か ら, 最良 の顧 客を 奪 ってし ま うことに な る。 こ れを 自 由貿 易論 者に 指 摘 す る。  (4) 穀 価を より高 くす る こ とが製 造業労 働者 の賃 銀 を 上昇 させ , そし てそ れ が イ ギリ ス製 造 業 者 の優位 性を 外 国人 に奪 かね てし ま うとい う議論 を 論破 す るの は容 易 であ る。  これ ら の穀物 法 が穀物 価格を 上 昇 させ る とい う説を 容認 し て 乱 賃 銀 が需 万要 と供給 に より決 定 さ れ る よ うに た ってか らは,そ の 次に 賃銀 の上昇 が続い て 生 じ る ことに はな らない 。 し かし , もし 穀 物 価格に よっ て賃 銀 が 決定 され るとい うことが真 実 であ る とし て 乱 イ ギ リス の製 造 業 者は外 国 市場 で商 品 を市 価 よりも安 く販 売す る よ うな こ とに はな らない。 なぜ な ら,イ ギ リス製 造 業 の優位 性は安 い 労 働力 ばか りでな く, より良い 熟 練, 優秀 な機 械, そし て一 層 拡大 し た資 本 に存 す るか らであ る。  彼 は低い 安 定し た穀 物 価 格を 確実 に 維持 す るのが 保 護的 な輸 入関 税 であ り, 彼の 提案 が, 穀物 価 格を 低下 させ る と論 じ ,穀物 価格 の低下 に より, よ り大 なる供 給を受 け るこ とが で き,大 な る供 給に より穀物 生産 が 促進 さ れる と説 き,前 の輸 入 に関 す る提案 の修 正を 次 の様に示 し た1‰  小麦 国 内価 格84 シ リン ダ以 下 の時 ……輸 入禁 止。       84 シ リ ンダ以 上87 シ リンダ以 下 の時 … …2 シ リ ン ダ6 ペ ンス の関 税。

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87シ リンダ以上の時 ……6 ペンスの関税。  しかし,これに対しWilliam Huskisson は修正決議案を提出した。すな わちParnell 案の84 シリンダまで輸入を禁 止する措置は, 国内穀物生産者 に独占を与 える傾向にあるので, これを63シリングに引き下げ るとい うもの で,その時 は24シリンダ3 ペソスの輸入関税を課し ,それ以上 に な る と,sliding scale を採用し穀物価格が1 シリンダ上昇毎に , 関税は逆に1 シリ ンダ ずつ減少す る。そして86シリンダに穀物価格が達した時,全 ての関税を 解除し,無 税にて輸入を許可する。植民地の穀物は外国穀物の2 分 の1 の関 税を課す る14)とい うものだった。修正案には2 つの目的があった。1 つは穀 物の外国依存か らの独立であ り, もう1 つは安 定した穀物価格であ った1‰ この修正案はParnell 案とはかなり違った ものであ った力y Parnell 卿 唸合意を表 明した。しかし地主階級から激し く反対 された16)。 同時に高い輸 入関税に対し国内各方面から非難 の声 が高まり,特に工業地区から激しい反 対運動かお り, 100通以上の抗議の請願書が議会に送られたのであった。 Canning はこれらの請願書を議会委員会が考察する動議を提案し, Van-sittart が同意し,動議は173対67で通過した。彼は次に3 週間の審議期間を 提案したが, General Gascoigne が6 ヵ月 の修正案を出し, 116対106で可 決された17)。この ような審議に時間を費やし,今議会中に穀物法修正案の通 過を みることは困難になった。 結局のところ アイルランドの地主階級の提案 し た,輸出の自由のみが確保されたに過ぎなかった。そして穀物法が再び議 会に登場してくるのは翌1815年であった。 注 ○

D. G. Barnes, A History of the English Corn Laws _,pp. 117 −118. 7)Ibid., pp. 118−119 。   さ らにParnell 卿は実 例として,1810 年に フラン スから334, 887 ク ォーターひ 小麦, 202,922クォーターの小麦粉を 輸入してい るこ とを 指摘した 。 この結 果, Napoleon は 穀価の下 落が 原因 でひきお こされた フラン ス南部 の暴動を鎮圧した ば か りでな く, 輸出に重税を 課することに よりそ の損失を イ ギリス国民に負担さ せるこ ととな った 。そ してかか る戦時 におい ては穀物供 給 の停止 とい う危険性と 敵 国船舶に よる穀物 輸送が敵国海軍力 の増強 とい う危険性 の存在を も指摘した。

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う り り り う り う う う8 9 0 1 2 3 4 5  ≪D  1 1 1 1 1 1 1 イ ギ リ ス穀 物 法 反 対 運 動 前 史  37 D. G. Barnes, op. cit., pp. 119 一120. Ibid.,

p. 120. Ibid.,

pp. 122 −123. Ibid., pp. 123 一124. Ibid., p. 124. A.

Brady, op. cit., p. 47. D. G. Barnes, op. cit., p. 125. A. Brady, op. cit., p. 47. 

抗 議 内 容 は 次 の よ う な も の で あ る 。   「 我 々 は 革 命 時 代 の 法 政 策 に 戻 す 。 我 々 は 農 民 に 対 し , 奮 い 立 た せ る べ く 信 頼 を 与 え ね ば な ら な い 。 そ し て す べ て の 外 国 依 存 を か な ぐ り 捨 て る 。」   「 イ ギ リ ス 穀 物 生 産 者 に 市 場 の 安 定 は な く , 外 国 穀 物 の 流 入 に 対 す る 保 証 も な い 。」   「 穀 物 価 格 が100 シ リ ン グ に 達 す る ま で 外 国 穀 物 を 占 め 出 せ 。」  (D. G. Barnes, op. cit.,p. 125 べ) 17)Ibid., p. 126. 3. 1815年の新穀物法 1814 年 の1 クォーターあた りの穀物の平均価格が・,9 月に78シ リンダ6 ペ ンスであった ものが下落し はじめ12月に70シリンダ4 ペンスとなり,翌1815 年1 月に62シ リンダ1 ペ ンスに,2 月にはさらに63シ リンダ2 ペンスに低下 し,これは1804年以来の低価格であ り,12月にはついに55 シリンダ7 ペンス となり,近年 における最低価格を示した18)。対仏戦争中におい て,飢饉に よ る価格騰貴に刺激を受け,その反動とし て1793年 から1815年 の間 の約125 万 エーカーの議会立法に よる囲い込み19)で,前述 のご とく小麦価格の下落に直 面し ,農業事情は混乱し,保護が叫ばれたのであった。  この ような時期の1815年2 月穀物法問題が再燃した。9 条か らなる新決議 案が商務省副総裁のF. J. Robinson に より下院に提出された。その要旨は 次の ような ものであった。 (1) 外国穀物並びに穀物粉は,あらゆる時に無税にて輸入し ,これを保税 倉庫に入 るることを得。 (2) 両 者共にあ らゆる時に無税にて輸出することを得。 (3) 輸入許可点とし て定められた穀価に到達し たる時は,いかなる種類 の 穀価とい えど 乱 これを 保税倉 庫から引 き出してイギリス本国にて販売

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す る こ と を 得 。 (4) こ の 価 格 は 小 麦 に お い て は80 シ リ ン ダ 。 ラ イ 麦 , ソ ラ 豆 , エ ン ド ウ 豆  に お い て は55 シ リ ン ダ , 大 麦 , ビ ー ル 麦 あ る い は ビ ッ グ( 大 麦 の 一 種) に  お い て は40 シ リ ン グ , エ ソ 麦 に お い て は26 シ リ ン ダ と す 。  ㈲  も し も2 月15 日 ,5 月15 日 ,8 月15 日 ,n 月15 日 直 前 の6 週 間 の 平 均  価 格 が こ れ ら の 価 格 以 下 に 下 る な ら ば , 新 平 均 価 格 の 算 定 さ れ る ま で ,  ア イ ダ 河 地 方 な ら び に ロ ソ ス 河 地 方 の 間 か ら は 輸 入 の 禁 止 を 行 う 。 ト(6) 北 ア フ リ カ 植 民 地 の 小 麦 の 輸 入 許 可 点 は80 シ リ ン ダ の 所 を67 シ リ ン ダ  と し , 他 の 穀 物 の 価 格 標 準 も こ れ に 応 じ て 引 き 下 げ る も の と す 。 (7) 北 ア ノ リ カ 植 民 地 か ら の 穀 物 は 無 税 に て 保 税 倉 庫 内 に 入 る る こ と を 得 。 ㈲  あ ら ゆ る 時 に こ れ を 無 税 に て 輸 出 す る こ と を 得 。 (9) 植 民 地 か ら の 穀 物 の 消 費 が 許 さ る る 時 , こ れ を 販 売 す る こ と を 得20) 。  彼 は こ れ ら の 決 議 案 が 一 階 級 の み の 利 益 と な る こ と を 否 定 し , 全 階 級 に 利 益 を も た ら す こ と を 確 信 し , さ ら に 国 内 市 場 の 利 益 , 劣 等 地 へ の 資 本 投 下 の 弊 害 , そ し て 食 料 供 給 を 外 国 に 依 存 す る 危 険 性 を 詳 細 に 説 明 し た 。 こ の 案 は 穀 物 の 自 由 輸 入 よ り も 一 層 安 価 な 穀 物 を も た ら す で あ ろ う と , 最 後 に 付 け 加 え た 。    ■ ■        ■        ■  ■  こ の 決 議 案 に 対 し , 地 主 の 利 益 の た め の 穀 物 価 格 の 騰 貴 を 目 的 と し た も の だ , さ ら に 製 造 業 者 に は 労 働 費 の 上 昇 と 資 本 の 不 利 益 な 生 産 業 へ の 分 割 に よ り 損 害 は 大 き く な る , と い う 反 対 が 請 願 書 と い う 形 で 数 多 く 議 会 に 送 ら れ て き た 。3 月10 日 提 出 さ れ た42,473 人 の 署 名 に よ るWestminster 請 願 書 が 有 名 で あ る 。 要 旨 は 次 の3 点 に 集 約 で き る 。 (1) 都 市 の 住 民 が 戦 争 に よ る 重 税 に 苦 し ん で い る 一 方 , 地 主 ・ 借 地 人 は 地  代 の 上 昇 と 農 業 生 産 物 の 暴 騰 に よ り 多 大 な 利 益 を 得 て き た が か か る 不 平  等 の 除 去 を 願 う6 (2)Robinson 決 議 案 が 採 択 さ れ る な ら , 地 主 階 級 に と っ て は 有 益 で あ る  が , 生 活 必 需 品 価 格 を 永 久 に 騰 貴 せ し め , 中 産 階 級 に , 商 工 業 , ひ い て  は 国 家 に 損 害 を 与 え , つ い に は 地 主 自 身 の 繁 栄 を 妨 げ る も の で あ る 。 (3) 増 加 し た 工 業 人 口 を 支 え る た め の 穀 物 に 不 足 が 生 じ た な ら , 低 価 格 で  生 産 し う る 外 国 か ら の 輸 入 は 賢 明 な こ と で あ る 。 か く し て 各 方 面 か ら 反 対 が あ っ た に も か か わ ら ず ,1815 年3 月23 日 新 穀 物

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イギリス穀物法反対運動前史  39 法は ここに 効力 の発生を みた のであ る。この法令 はRobinson の決議 案を も とにし た もので 次 の通 りであ る。  外国 穀 物 はい つ にて も無 税に て輸 入し て 保税倉 庫に 入 庫し ,諸 種 の穀物 の 平均 価 が輸 入許 可点 まで到 達し た る時 は,入 庫品を 国 内消 費用 に 庫出す る こ とを 得。 外 国 穀物 は 価格 が次表 又 はそ れ以 上 に到達 し た る時 は,何 等 の関税 を 支払 うこ とな くし て, 輸入あ るい は保 税倉 庫 より庫 出す るこ とを 得。 小麦 は80 シ リン ダ, ライ麦 , ソラ豆 ,エ ン ドウ豆 は53 シ リ ン グ,大麦 ,ビ ール麦 あ るい はヒ ップ は40 シ リン グ,エ ソ麦 は27 シ リ ン ダ。 こ れ らの平均 価は 現行 法に従 っ て年4 回 算定 す。 計画直 前3 ヵ月 の平 均 価を もっ て各 種 穀物を 次回3 ヵ月 間 の輸 入を 許 可 すべ き か否か の基準 とす。 本 規 則 に対 す る例 外は, ア イ ダ地 方 か らビ ダッ ア地方 までの間 の諸港 か ら輸 入 す る穀物 に対 し て適応 す。 もし 乱 2 月15 日, 5 月15 日,8 月15 日, 11 月15 日に 続 く6 週 間 の穀物 の平 均 価が 上記 基 準に達 せ ざる時 は,新平 均 価が算 定 され る まで, これ らの諸港 から の輸入 を 許可 せず 。 イ ギ リス領 北 アy リ カ植 民地 か ら の穀物 に対し ても 同一 輸 入許 可 条件 を 適用 す。 ただし 平 均価 は次 のご と く引 き下げ る。 小麦 は67 シ リ ン ダ, ライ麦 , ソラ豆 , エ ソ下 ウ豆 は44 シ リ ン ダ,大 麦 , ビ ール麦 あ るい はビ ッ グは33 シ リン ダ,^ ン麦 は22 シ リソ ダとす21)。  それ に よって1815 年 か ら1822 年 にかけ て諸港 は小麦 の平均 価 格に より, 次 の よ うに交 互 に 開い た り, 閉じ た りし た。 開か れた時 は無税 で 輸入 され たが 閉鎖時 は輸 入 が全 く禁 止 され ,穀物 価 格 の変 動に よ り不 規 則 な輸入 がな され た。  1815 年   ∼1816 年11 月… …閉港  1816 年11 月∼1817 年11 月…‥・開 港  1817 年11 月∼1818 年2 月 …… 閉港  1818 年2 月∼1818 年9 月… …開港  1818 年9 月∼1818 年n 月‥…・閉 港(近港からの輸入のため)  1818 年11 月∼1819 年2 月 …… 開港  1819 年2 月∼1822 年   …… 閉港22) 注 18)1814 年から1817年の各月の穀物価格。

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( 単 位 シ リ-y グ ・ ペ ン ス) 年 1 月 2 月 3 月 4 月 5 月 6 月 7 月 8 月 9 月 10 月 11 月 12 月 1814 78.2 77.4 77.3 75.8 69.7 69.10 68.4 73.8 78.6 75.5 73.5 70.4 1815 62.1 63.2 67.3 70.1 70.4 69.2 67.10 68.10 63.7 57.9 56.6 55.7 1816 52.10 55.6 55.4 60.2 73.7 74.11 74.0 82.1 85.11 90.10 98.10 103.7 1817 104.1 101. 10 102.4 103.3 105.4 112.8 102.4 86.5 78.8 77.5 80.4 84.0

(Boyd Hilton, Corn, Cash, Commerce. The Economic Policies of the Tory   Governments 1815一1830, 1977, p. 7 べ)19

)J.D. Chambers, The Workshop of the World, British Economic History from 1820 to 1880, 1961. 宮 崎 犀 一 , 米 川 伸 一 訳 『 世 界 の 工 場 』 岩 波 書 店 , 昭 和41 年 ,77 頁 。20 ) 北 野 大 吉 著 『 英 国 自 由 貿 易 運 動 史 』 日 本 評 論 社 , 昭 和18 年, 89−90 頁 。21 ) 同 ,94 頁 。22 ) C. R. Fay, op. cit., p. 79. 4.  諸階 級 への影 響       ト 1815 年穀 物法 の 目的 は ,外 国穀 物 のイ ギ リスへ の自由 輸入 が実 現 された時 。 穀物 価 格 の低迷 か ら地主 や 農業 資本 家 を 保護 す るた め, 戦時 中 の高穀 物価 格。 高地代 を 維持 す ること であ り,別 名 を 「地 主 独占 法」 と も呼 ば れた。 事実 , この保 護 傾向は1815 年 か ら1822 年 に かけ て, 閉港 , 開港 が繰 り返 し行 われた とい う事実 に顕 著 にも ら われ てい た。  し た が って, この 法律 は地主 ・ 農業 資 本家 に と っては ,戦 時中 の 高価 格を1816 年末 か ら1817 年前 半 に は回 復し100 シ リン ダを越 え(注18 : 参照のこと), 彼 らに と って利 益 とな っだ のであ っ た。 また彼 ら自身 , 利益 は 自分達 だけ で な く,借 地人, 農業 労働 者に も同 様 に利 益 があ る と考え てい た。し かし なが ら地主 階 級 の利益 は, 現実 に は短 期間 でし かな か った。 新穀 物 法が 制定 され てか らかな りの農業 不況 に み まわ れ,事 実1816 年 と1817 年 の高 穀物 価格 は不 作 に よる ものであ った が,多 数 の農業 資 本 家が苦 境 に陥 り,財産 の売 却を 行 っ たほ どであ った。  農業 労 働 者に とって は一 層 ひ どい ものがあ った。 地主 階級 の, 高い 穀 物価 格 は高 い賃 銀 のた めに必 要 不可 欠 な要 素だ , とい う宣 伝 に よ り彼 ら自身 の立 場 を 明 確に表 明し なか った。 だ か ら とい って彼 ら が地主 階級 に追 随し てい た

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イギリス穀物法反対運動前史  41

わけで はな か った。 1816年 のEast Anglia のBread or Blood と呼 ぶ一 連

の農民 一 揆 に より彼 らの苦悩 が 現わ され てい た。 穀物 条例 がや りとげ た こと のすべ て は, 外国 と の自由 競争 がお こな わ れてい た な らば 急 性疾患 とな り, 恐 慌を もた らし てい た であろ う病気を ,い つ も同 様で は あ るがや は り苛 酷なl 圧迫を 農業 労 働者 の状 態 にお よぼす 漫性疾 患に か えた こ とであ った2呪 すな わち彼 らに と って穀 物法 は賃銀 を 少し も上昇 させ て く れず,地 代 が5 倍 に上 昇し ,平均 し て も2 倍 以 上 の時 でさえ も実 質 賃銀 は下 落し た25)。  都市 の工業 労働 者は,1814 年4 月 ナ ポ レオ ンが 王座 を 失 って か らイ ギ リス。 の産業 は楽 観的 見解 につ つ まれ ,利 子 率 が低 下し ,パ ソの価 格 も下落し ,輸 出 も国 内 市場 向け 生産 も良 好 であ った。 し かし , この 穀物 法に より食 料価 格 の騰貴 にあ い ,「 高い パ ソ」に↑薗まさ れ不平 を い だい てい た。 18世 紀に は暴 動 は地 方 的 で陽気 さ がい くら か まじ ってい た が ,19 世 紀 の10 年 代 ともな る と 一 層深 刻 かつ 物騒 な様 相を 呈し て きた。 ラ ダイ ッツがMidland の靴下編 機 や北 部 の力 織機を 破壊 し だ のは1811 年 と1816 年 であ るが ,そ れ はい ず れも政 治的 事件 や 凶 作 のために 不況 に 陥 った時 であ った^‰1817 年 ,そし て1819 年 の際 も同 様 に不手 ぎ わな政 治 や不況 が 原因 であ った。 彼 ら の賃 銀 は農業労 働 者の場 合 の よ うに穀 物価 格 の騰 貴 と比 例し て 上昇 せず ,相変 らず大変 低い 水 準 にお さ え られてい た のであ った。  地 主階 級 と対 立 す るのは産業 資 本 であ り,彼 らに 従 属し てい る 商 業 資 本( 貿易商人) であ った。 彼 ら はイ ギ リスの工業 製品 を 海 外市 場 に輸 出し , これ に 対し 見 返 りとし て外国 か ら穀物を 輸 入し た のであ っ た。 従 って外国 穀物の 輸 入禁 止 とい うこ とはイ ギ リス産業 資 本に と って憂 慮 すべ き事 態 であ った27‰ イ ギリス の輸 出 は産業 資 本家 らが 自分 だも の新 しい 市 場を 占拠し ようとし て あ らゆ る努 力 を 傾け てい るに もかか わ らず ,進 展し な か った。 然 るに,海 外 の穀物 の排 除 はや が てイ ギ リス製造 品 の輸 出を より一 層 制限 す る結果 とな る ことは当 然 考 え られ るべ き ことであ った。 特 に ,戦争 終 結に よる海外市場 で の外 国製 品 との競争 にお い て,益 々問 題 は 深 刻な る結 果を 予 想 された のであ る28)。 更 に ,安 き穀物 は安 き賃 銀を 意味し ,安 き賃銀 は安 き生 産費を 意味す るので あ っ たか ら, こ の意味に おい て も穀 物 の自由 な る輸 入 は彼 らの最 も望 む所 の もの であ った29)。 し た が って地 主階 級 が特 別 の 保護 を受 げ る理 由を 理 解 せず , 高い 穀 物価 格 は労 働者階 級 の生 活 を 苦し め る もの とし て反対し た の

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であ った。しかし真の理由は製 造業製品に対する需要の減退に よる安売 りヘ の 恐れであることは明白である。

23 )E. L. Jones, The Development of English Agriculture 1815 −1873, 1968,  p.

10.

.24)F. Engels, Die Lage der arbeitenden Klasse in England, 1892. 武 田隆夫 訳『イギリスにおげ る労働者 階級 の状態 』マル クス・エン グル ス全集2, 新 潮社,

昭和41 年, 262頁。,25

)J. S. Nicholson, The English Corn Laws, 1904, p. 96.26

)T. s. Ashton, The Industrial Revolution 1760一1830, 1943. 中川 敬一郎 訳

『産業 革命 』岩波現 代叢書, 1966年,164 一165 頁 。27 ) 拙稿「 第1 章  外国貿易 の歴史」早川広中,小林甫編著 『現代貿 易の知識』所 収,広文社, 昭和54 年, 50頁 。28 ) 実際1816年 か ら1830年に かけ て輸出は 数量において64 パーセン ト増 大していた のに, 価値におい ては8 パーセントの下落(4.170万 ポン ドか ら3,830万 ポンドへ), を示した。輸出 価格は輸入 価格 よりも早 く下落し,そ のた め交 易条 件は イギリス にたいし急 激に不利に転 じつつあ った 。(J. D. Chambers, 米川 伸一訳, 前 掲書, 108頁 。)29 ) 北野大吉著,前 掲書, 100頁。 .5. 結 反対 運 動 の端 緒 1815 年 の穀物 法 はあ ま りに も厳 格で あ った ために どの階 級 を も満足 させ る 結果 とは ならな か った。 Mr , Whitmore は,穀物 法 は世 界貿 易 に 最大 の害 を与 え, 貿易経 路を 変 化 させ ,そ の流 れを沈 滞さ せてし まった , と非 難し て い るso)。 1817年, 1818年 に小 麦 価 格 は80 シ リン ダを越 えた が 農業 不 況 は相変 らず だ った。 1815年 以 降 の港 の 開閉 に より小麦 価 格を80 シi; ンダ に 保 と うと し た に もかか わ らず 激し い 変 動を み,地 主 ・農業 資本家 階 級 から 農業 保護 の 現 行 制度 に対し一 層 の保 護 の強 化を 求 め てきた。 多 くの請 願 書が 続 々 と議会1 こ提出さ れた ので あ った。 こ の段 階に な る ともはや1815 年 の 穀物 法を 維 持す る根 拠 が薄 れて きた の であ る。 1819年 か ら1821 年 に イ ギリ スのあ らゆ る農業 地 方 か ら1200 もの外国 穀 物 の輸 入 を批 判し た請願 者が殺 到し た31)。 穀 物 の輸 入 量 は多 くな か った に もか か わ らず ,請 願 者は一 層 十分 な 保護を 要求し た。 こ の よ うな状 況に あ っ たが ,1815 年か ら1822 年 の間 はどち ら か とい えば 地主

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イギリス穀物法反対運動前史  好 の利益を 偏重 す る傾向 にあ った 。  国民 の一 階 層 であ る労 働 者が失 業 や賃 銀低 下 に悩 み, 他 の一 部 階層 の製 造 業 者が 国内外 でそ の製 品 のた め の市場 拡 大 の必要 性に 迫 られ てい る折, さ ら に 他の一 階層 であ る地主 ・農業 資 本 家 の価 格を 引 き上 げ ,穀 物輸 入を禁 止 し , 製造業 製品 の輸 出を 妨 害 す る とい う行 動 には批 判 が殺 到し た。 イ ギリス で長 年に わた る政 治を 支配 し て きた地 主 階級 に対 す る農業 保護を め ぐっ て産 業 資: 本 であ る製 造業 者のた め の19 世 紀半 ば に至 るまで長 きに わ た って, 保護 貿易 か, 自由貿 易か とい う論 争 の幕 が切 って落 さ れ たの であ る。 1820 年 代 に入 る と穀 物 法に対 す る反 対 が活 発 化し て きた。 製造業 者・貿 易‥ 商人 から の要 求 が頻 発し ,そ の最 も顕 著な 例が 「 ロン ド ン商 人請 願書 」 とな って, 1820年5 月8 日に 数多 くの ロ ン ドン商人 に より署名 され , す な わ ちー 「ロソ ドソにおけ る もっ と も富 裕 にし て企業 心 に富 んだ お びただ しい 数 の商‥

館」 の署名 を得 て, Baring に より議会 に 提出 さ れ, 後にEdinburgh やManchester

の商業 会 議 所に 支持 され た。 これ は保護 制 度の弊 害を 摘発し た

だけ でな く, Huskisson, Baring, Wallace 等 のあ る意味 では 自由 貿易 に と

って有利 な報 告を委 員 会で 導 きだし ,議 会 に穀 物法反 対思 想を 定着 させ るぎ っかけを なし た の であ った。 

この請 願書 はThe History of Price り 著 者であ るThomas Tooke に

ょって 起草 さ れた も ので, Adam Smith 以来 の古典 経 済学 の自 由貿易主 義 思想の骨子 であ り, そ の後 の 自由 貿易 運 動 の一 大 指針 とな った 代表 的理論 で あ る。 要 旨 は次 の よ うであ る。 1. 外 国貿 易は国 富を 増 大 させ ,資 本 と産業 に利益 し ,そ の最 良の取引 江 則は安 い 市場 か ら の購 入 と高 い 市場 へ の販売 であ る。        十 2. イ ギリ スに おい て は この よう な政 策 は採 用さ れ ていない た め,外 国 は 自国生産 の奨 励 のた め,他 国製 品 の排 除 傾 向を まし , 結果 ,相互 利益 の調和 が くず れ てい る。 3. 保護 制 度擁護 者は,外 国商 品 の輸 入が イ ギ リス の商品生 産 の障害 とな ると考 えてい るが , 継続的 な輸 入 の維 持 目的 で輸出を 行 うこ とは,イ ギ リ ス にと って不 適当 な生 産 を 縮小 し 適 す る生 産を 促進さ せ ,結果 的に は資本 と 労働 に利 益 す る。 4. 関 税制 度の問 題点 とし て は,一 産業 部 門 の外国 競 争か ら の保護 は他 ひ

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産業 部門からの保護要求をひきだすことになる。 5. 制限 制度が不況を招き,資本と産業に弊害をもた らすゆえに,早急に 撤廃すべきであ る。その理由は近年諸外国におい てイギリスを見習い,保護 制 度を採用す る傾向かおる。 6. 外国の保護制度を解消するためには,イ ギリスの妥協的政策が必要で, 積極的に譲歩し てイギリス側から保護制度を廃止して, 自由貿易政策を採用 すべきであ る。 7. 我々は財政収入 の本質に関係ない全ての関税に限 定して反対し てい るi のであ り,外国競争からの保護を 目的としてい る全ての関税に反対してい るのであ る。 しか もそ の後まもなく, Manchester とGlasgow か ら 屯請願が続きにや がてLiverpool からも相つぎイギリス全国にお よび, 自由貿易主義思想が 運動とし て具体化した端緒であった。        づ  厳格な穀物法は1822年に改められ,小麦輸入解禁価格を70シ リンダに引き 下げられた。 さらに修正し ようとい う各種の努力がなされ,とりわけHus-kisson が大 きな役割を演じた。彼は外国貿易の障害が穀物法にあ ると考え, 現存法を緩和す るために弾力的関税制度を提案した。し かし地主階級に受け 入れられず, Wellington の修正案が採用 吝れた。 Sliding scale 方式 の登 場 であ った。地主階級の態度の変化が生じたのであ った。すな わち戦時 の好 況時から覚醒し ,安い穀物価格もやむをえないと諦めて,彼らはすでに地代 の引き下げ を行 っていた。平時農業を基盤にして採算を とる必要性を認識し はじ めてきたのであ り,商工階級の運動が活発であ ったのに対し ,彼らの態 度は著し く消極的になった。 1828 年の穀物法は小麦価格が52シリンダの時,34シリンダ8 ペンスの関税 を課し,これを 基準にし て税率を スライドさせ,73シリンダに達し た時1 シ リンダの関税を課した もので,第4 表 のようである。  これは国内小麦 価格が一定の価格に達するまで厳格に外国穀物 の輸入を禁 止す るのではな く,国内価格の変化に対応し て関税 も変化す るものであり, 価格に下落が生ずれば関税も下落させるとい うように,保護 の程度を価格の 低落につれて調整す ることに よって,穀物価格の安定を 図った ものであった。

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小 麦 の 国 内 価 格   | 52 シ リ ン ダ の 時 34 5 6 7 8 90  工 2 3456 7 8 9 0 1 2 3555 5 5 5 5 6 6 6666 6 6 6 6 7 7 7 7 イ ギ リ ス穀 物 法 反 対 運 動 前 史  45 第4 表 1828 年 の穀物法1828 年sliding scale 法 の関税 34シ リン ダ8 ペン ス 3 2 10 9 8 7  6 5 4 3 2 108 6 3 0  6 2 133 3 32 2 2 2 2 2 2 2 221 1 1 1 8 8 8 8 8 8 8 8 8 8 8 8 8 8 8 8 8 8 8 8 0 1827年穀物法の関税40 シリング8 ペンス 8 64 2 0 8  6 4 2 033 3 3 3 2 2 2 22 18 16 4 2 0  6 4 2 1 1 11 1 1 8 8 8 8 8 8 8 8 8 8 8 8 8 8 8 8 8 8 0 0 0

D. G. Barnes, op. cit., p. 200. 

これは自由貿易の方向に一歩前進した ものであったが,それで もなお思 う ような効果をあげ ることはできなかった。穀物価格の安定はみられず,不作 を当 てこんだ穀物商人 の低関税率での外国穀物 の投機的な購入を助長じ,価 格上昇時に退蔵させ,高価格を確保した後 の販売に より,彼らに利益をもた らした のであ った。  すなわち,借地農は価格が クォーター当 り72シリンダになるまで商人たち 宍 に よって供給 が押えられ ることを奨励す るものであ り,そ の水準に達すると 段階別に定められた名ばか りの輸入税で輸入穀物 が殺到す る結果 ,価格の急 速な下落がそれに続 くとい う理由から苦情を続けたのであ った。 市場にくる のがおそかったイギリスの借地農は,そのよい潮時を恐らく見逃してしま う

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こ とにな った であ ろ う。 他方, 商人 の方 で も穀 物 価 格 の僅 少 の低落 , 例え ば,73 シ リン ダか ら69 シ リンダへ の低落 は, 輸 入税を1 シ リン ダか ら一 挙に13 シ リン ダ8 ペ ンス に上げ るこ とに な り,そ れ は輸 入を ひ どい投 機 的事業 にす る もの であ る と苦 情を鳴 らし た叫。 そ れゆ え ,「 投機 業 者便宜 法 」 と呼ばれ た。 そし てさ らに こ の法令 はイ ギ リス北 部 のLancashire の綿 織物 と外 国 の穀物 との 貿易を 阻 害 し ,一 方 的 に国民所 得 の一 部 を 地主 や 借 地農 に もた らす もの であ ると考 え られ, Manchester の新 興産 業 資 本家 か ら反対 の声 があ がった。 や が て これ は穀 物 法 に反 対 す る組 織的 な 運動 へ と発展 し てい くのであ る。 そ の出 発点 とし て,1836 年末 にLondon にて次 の74 名 の委 員34)か ら成 る「反穀

物 法協 会(Anti-Corn Law Association )」 が設 立 され ,翌1837 年 初 めに活動を 開始 し た。

John Blackburne, M. P.,Joseph Brotherton, M.

P・,J.

s. Buckingham, M.P.,William Clay, M.

P.,p. Chalmers, M. P.,T.

S. Buncombe, M, P.,H.

Elphinstone ,M. P.,William Ewart, トM. P.,George Grote, M.

P.,D.

W. Harvey, M. P.,Benjamin Hawes, M. P. ,Joseph

Hume, M. P.,J. p. Leader, M. P.,Sir W.

Molesworth, M. P.,James

Pattison, M. P.,Richard Potter, M. P.,J.

A, Roebuck, M. P.,Joshua Scholefield , M. P.,Colonel Thompson,

M. P.,C.

A. Talk, M. P.,Thomas Wakley, M.

P.,Goorge Charlwood,John Anderson,J.

W. Anderson,W. H. Ashurst,

Robert Wallace, M. P.,Dr.

J. Wyatt Crane,John Crawfurd,Ebenezer Elliott, Sheffield,Thomas Falkoner,E.

W. Field,Edmund Fraser,Ale

χander Galloway,Thomas F. Gibson,Dr.

J. M. Gully,G.

H. Heppel,William Howitt, Nottingham ,W.

Ibbotson, Endcliffe Hall,J. W. Liggins,Captain

M'Arthur Law,John Marshall, Leeds,Elias

Moss, Liverpool,Robert Nicol, Leeds,Francis Place,Archibald Prentice, Manchester.W.

G. Prescott,Thomas Prout ,Samuel Revans,W. D. Sauli,Samuel Simes, Brighton,

(24)

Samuel Bailej^ Sheffield, Augustus Beaumont,

William Bitton, Portsmouth,

Dr. J. R. Black,Laman Blanchard,J. E. Body,John Bridgeford, Sheffield,George Brown,Richard Burnett,W.

Byers, Devonport,Thomas Campbell, L. L. D.,H.

S. Chapman,

イ ギ リ ス穀 物 法反対 運動 前史  47

Colonel Leicester Stanhope, Major H. C. Smith,J.

L. Stevens,William Tait, Edinburgh,Dr.

John Taylor, Glasgow,John Travers,H. Waymouth,William Weir, Glasgow,R.

G. Welford,John Wilson,Charles Wood,John Ashton Yates.

しか し な がらLondon とい う都市 は当時 , この よ うな組 織 に とって の最 良 の中心 地 で はな か ったた め,活 動そ の鳥 の はそ の後 活 発化 せず ,理論家 集 団的色 彩が 強 か った。 なぜ なら穀物 法反対 運 動 の旗手 は新興 工業 都市であ り。 し たが って場 所 的に はManchester の方が 適し てい た のであ っ た。 そし て この運 動 は1838 年 のManchester の 「反 穀 物 法協 会 上に 引 き継 がれ るので あ るが,北 部 のこ の よ うな運 動の登場 を早 め た とい う功績 は 自由 貿易運動 啓 蒙 の先 駆 的 存在 とし て評 価す る こ とがで き る。 

さらに , 団結強 化 のた め の「反 穀物 法同盟(Anti-Corn Law League )」 へ の

移行を み るにあ た っ て目的に 向け 着々 と進行 し ,つい に1846 年 穀物法廃 止を 勝ちと るの であ っ た。       (1981年11月U 日)

30)Leone Levi, History of British Commerce and of the Economic Progress of

the British Nation 1763一1870, 1872, p. 222.31

) そ れ らの請願書 の要求は,1. 貨幣制度 の変更, 2.国債 の削減,3. 税金 の停止, 4. 高保 護関 税の実 施, のごとく多彩であ った 。   

そ の結果,請 願者の代表者であ るGooch が農業 不況 を調査す る特別委員会 のヽ

設 置を 提案 し,採択 され,指導的委員 とし てHuskisson をはじ めとしGooch, Castlereagh,

Robinson, Brougham, Parnell が任 命さ れ,4 週間 の調査活動を 行った。32

」J. D. Chambers ,宮 崎犀一・米川伸一訳,前 掲書, 88頁 。33

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