• 検索結果がありません。

義理は日本文化に固有のものか 利用統計を見る

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "義理は日本文化に固有のものか 利用統計を見る"

Copied!
21
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

著者名(日)

長野 晃子

雑誌名

東洋大学社会学部紀要

38

1

ページ

55-74

発行年

2000-12

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00002241/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

義理は日本文化に固有のものか

Is‘GIRI’specifically Japanese?

   長野晃子

NAGANO Akiko

Abstract

  Ruth Benedict defines‘GIRI’as one of the key wards fbr understanding Japanese culture(courses of action). She says that it is one of the most curious of all the strange categories of moral obligations which anthropologists五nd in the culture of the world, and that it is specifically Japanese. According to her,‘GIRI’is something one does unwillingly, and it is the pressure of public opinion that compels a person to do‘GIRI’ against his wishes.  Is‘GIRI’really specifically Japanese as she said?If not, in the other cultures of the world, is it done without the unwillingness, without the pressure of public opinion?   Compa亘ng Japanese, American and French fblklore(manners and customs), this su吋ect is examined in this report. はじめに  ルース・ベネディクトは、義理を、日本文化を理解するためのキー・ワードの一つと位置づけ、 義理は、世界の文化の中に人類学者が見出し得るあらゆる風変わりな道徳的義務の中でも最も珍し いものの一つで、特に日本的なものであると言っている。そして、義理には強い不本意性が含まれ ており、日本人に義理を履行させる動機は世論の圧力であると言う。はたして、義理は、ベネディ クトが言うとおり、特殊日本的なものなのか、日本固有のものなのか。日本固有のものでないとす

(3)

ると、日本以外の文化圏では義理に不本意性が含まれていないのか、義理履行において世論の圧力 は意識されていないのか、日本とアメリカとフランスの民俗事例の比較を通して考察してみること にする。 1−1ベネディクトの義理論  ベネディクトは、日本文化の型を探究する過程で、ひじょうに日本的であるがゆえに、理解至難 な日本語の一つは義理であると言う。義理について、ベネディクトはr菊と刀』第7章「義理ほど つらいものはない」の中で、次のように記している。  日本人のよく言う言葉に“義理ほどつらいものはない”というのがある。人は“義務”を返済せ ねばならないと同様に、“義理”を返済せねばならない。しかしながら“義理”は、“義務”とは類 を異にする一連の義務である。これに相当する言葉は英語には全く見当たらない。また、人類学者 が世界の文化のうちに見いだす、あらゆる風変わりな道徳的義務の範疇の中でも、最も珍しいもの の一つである。それは特に日本的なものである。【ベネディクト,1974,p.155】  ある日本語辞書の説明によれば、義理とは、“正しき筋道。人のふみ行うべき道。世間への申し訳 に、不本意ながらすること”である。【ベネディクト,1974,p.156】  私が“世間に対する義理”一文字通りには“義理を返すこと”一と呼ぶところのものは、同輩に “恩”を返す義務である…。世間に対する“義理”は、大ざっぱにいえば、契約関係の履行というこ とができる。【ベネディクト,1974,p.156】  結婚は日本においては、むろん家と家との間の契約であって、生涯相手方の家に対して、…契約 義務を遂行することが、“義理を果たすこと”とされている…。人は義理の家族に対する義務を几帳 面に果たす…。“義理を知らない人間”という、恐ろしい非難を避けなければならないからである。 【ベネディクト,1974,p.157】  “義理”はつらいもの、不本意なものである。そこで“義理のゆえに”という表現は、日本人に とっては、わずらわしい関係を言い表すのに十分な言葉なのである。【ベネディクト,1974p159】  大多数の日本人が義理の家族との関係にすら優先すると考えている、重大な伝統的な“義理”関 係は、武士の主君および同僚に対する関係である。それは名誉を生命とする人間が、彼の長上なら びに彼と階級を同じくする同輩に対して負う忠節である…。それは武士の徳と同一視されている。 【ベネディクト,1974,p.159】  現在では、“義理を返す”ことは…、あらゆる種類の人びとに対する、あらゆる種類の義務を履行 することである…今日たえず用いられる表現は、嫌悪と、自分の意志に反して“義理”を行うこと を強制する世論の圧力の強調とに満たされている。彼らは、“全くの義理でこの縁談を取りきめてい るのだ”とか、“全くの義理であの男を採用せねばならなかった”とか、“全く義理であの人に会わ なければならない”とか言う。彼らはたえず、“義理にからまれる”と言うが、この表現は辞書では、

(4)

‘Iam obliged to it’〔やむをえずせねばならない〕と訳されている。彼らは、“あの男に義理で強 いられた”とか、“あの男に義理で迫られた”とか言う…。これらの語法はすべて、不本意ながら、 また、和英辞典が言っているように、‘for mere decency’s sake’〔ただ世間体を繕うために〕義理 を果たす、という意味を含んでいる。“義理”の規則は、厳密に、どうしても果たさなければならな い返済の規則である…。また、“義理”の規則は、隣人を自分と同じように愛するということとも、 何の関係ももたない。日本人は、人が真心から自発的に寛大な行為をすることを要求しない。彼ら は、人が“義理”を果たさなければならないのは、“もしそうしなければ、人びとから『義理を知ら ぬ人間』と呼ばれ、世人の前で恥をかくことになるからである”、と言う。“義理”にどうしても従 わなければならないのは、世間の取り沙汰が恐ろしいからである。事実、“世間に対する義理”はし ばしば英語では、‘conformity to public opinion’〔世論に従うこと〕と訳される。また辞書には、 “世間への義理だからいたしかたない”が、‘people will not accept any other course of action’〔世 人はこれ以外のやり方を承認しないであろう〕と訳されている…。“義理”の返済は正確な等量の返 済と考えられている。【ベネディクト,1974,pp.162−164】  ベネディクトは、義理は日本人の道徳的義務であると言う。そして、日本人にとって義理はわず らわしいものであり、世論の圧力により自分の意に反して行うものであり、日本人が義理を行うの は、“義理を知らない人間”という恐ろしい非難を避けるためであると言う。そして、義理の規則は、 隣人を自分と同じように愛するということとも何の関係もない。日本人は、人が真心から自発的に 寛大な行為をすることを要求しない、と言う。あまりにも義理の不本意性が強調されている。そし て、日本人は真心から隣人を愛し、自発的に寛大な行為をする徳を持ち合わせていないといった印 象を与える書き方がなされている。 1−2 ベネディクトの義理論批判  このベネディクトの義理批判とも取れる義理論が導火線となって、『菊と刀』が日本に紹介されて 以後、桜井庄太郎、姫岡勤、和歌森太郎、有賀喜三衛門、安田三郎などにより「義理とは何か」を 論ずる義理論が展開された。それらの義理論に関しては、副田義也が『日本文化試論一ベネディク ト「菊と刀」を読む』の中で、安田三郎の「義理について一日本社会論ノート(1)、(2)」{])をベネ ディクト以後の義理研究の総集編と言えるものと位置づけ、それを中心に紹介している。そして、 これらの義理論が展開される過程で、義理ははたして、ベネディクトが言うように、日本文化固有 のものであるか否かも検討されている。  副田義也は安田三郎の「義理について一日本社会論ノート(1)、(2)」に基づき、義理を次のよう に5分類している。 ①義理=意地説(津田左右吉、福場保洲による) ②義理=他への配慮説(下出隼吉による)

(5)

③義理=好意の交換説(桜井庄太郎、姫岡勤、源了圓、ベネディクトなどによる) ④義理=交際説(和歌森太郎など民族学者による) ⑤義理=道義・規範説(守随憲治、有賀喜左衛門、古川哲史による)【副田,1993,pp.187−188】  そして副田義也は、安田三郎がベネディクト批判の中で、「桜井説と関連して興味深いのは、桜井 の徹底的批判の対象となったベネディクトが、戦前の桜井論文は恐らく読まなかっただろうに、義 理を恩との関連で論じ、かつ義理は契約関係の履行であり、恩に対する等量返済と理解している点 で、桜井のポトラッチ説と極めて類似しているのである。ベネディクトがモースを読んでいたなら、 (読んでいなかったとは信じられないのだが)、義理をあれほど奇妙に思わなかっただろう」[安田三 郎「義理について一日本社会論ノート(1)」p.93]、と記している一節を引用した後で、次のように 述べている。「しかし、ベネディクトの義理にかんする特殊日本的テーゼを否定するために、ポトラ ッチまでもちだす必要があるのだろうか。義理の等量返済テーゼにきわめて類似する事象は欧米の 現代生活の中にも、いくらでも見出せる」【副田,1993,p.198】。そして、その一例として、ピータ ー・ l・ブラウの「交換と権力」の次の一節を取り上げ、引用している。  「印象的な観察が示しているように、法的制裁によって強制できる経済的交換での契約義務とは 対照的に、強制できる拘束的契約が存在しなくても、社会的交換での社会的義務は履行されるのが 普通である。その理由は義務の不履行が多数の不利な諸結果をもたらすということである。そして 不利な結果のいくつかは互酬の規範の存在とは無関係である。たとえば、隣人からいつもある道具 を拝借していながら、機会があっても隣人に好意を返して報いないという個人を想像してみよう。 彼は道具を必要とするつぎの機会にまた借りることはできなくなるかもしれない。もし厚かましく 道具を借りようとすれば、隣人は貸すことをいやがるかもしれない。隣人のほうもまた、なにがし かの好意をうけたあとでお返しすることを拒んでいるものには非友好的になりやすい。そのうえ隣 人はおそらく将来かれを信用しないであろう。たとえば、隣人が境界の共用の柵にペンキを塗って も、彼がそれに報いてくれると信頼することはないだろうし、あらかじめ彼に支払いを要求するだ ろう。さらに隣人は他の隣人たちにこの人物の忘恩について話すだろう。その結果、コミュニティ でのこの人物の一般的評判は失墜する。はっきりいえば、その隣人の不平を聞いて、たくさんのひ とたちはかれをよく思わず、かれに好意を与えることを躊躇し、一般的にかれを信頼しなくなるだ ろう。最初の隣人と他の隣人たちが自分自身のセルフ・インタレストを守ることに関心をもつだけ だとしても、かれらはこのように振舞う理由をもっている。かれらのあいだに互酬の規範が存在す れば、厚顔な人物への否認と、かれに好意を与えたくないという感情はいっそう補強される。それ らはいまや、かれら自身の利益の擁護であるとともに、道徳的基準の違反者への懲罰的反作用とな る。最終的には互酬の規範が内面化されると、この規範は義務の不履行者に罪の感情を抱かせ、他 のひとたちのいかなる行為ともかかわりのない制裁を不履行者に加えることになる。このようにし て社会的義務の不履行が引き起こす多方面の罰が、義務の履行への圧力をつくりあげている」【ブラ

(6)

ウ, 1974,p.86】。

ll農作業・建築等の社会的交換の事例

 ベネディクトは、「義理は…、人類学者が世界の文化のうちに見いだす、あらゆる風変わりな道徳 的義務の範疇の中でも、最も珍しいものの一つである。それは特に日本的なものである」と言って いるが、義理を等量返済を前提とする社会的交換の意味に解するならば、副田義也が言うように、 「欧米の現代生活の中にも、いくらでも見出せる」ばかりか、アメリカ、ヨーロッパにも古くから存 在する社会的現象である。日本におけると同様に、不本意性も内包され、世論を意識してなされて いる社会的現象、民俗事象である。以下に、日本で義理と呼ばれる民間習俗と、それに対応するア メリカとフランスの民間習俗との事例を比較してみたい。 ll・−1 日 本  明治35(1902)年に長野県安曇村で生まれ、そこでずっと農林業を営んでいた横山篤美は、自分        ゆの村の、自分が体験している結いと義理について次のように報告している。 結(いい)       ゆ  むらという生活共同体が示した互助と自衛は、結い(いい、ええ)と無尽講に象徴されよう。ず っと昔の、まだ人の社会に貨幣というものがなかったときは、人々はどのように暮らしていたろう か、という不審に答えるような姿が、思いのほかおそくまで山村には残っていた…。金はいらなく ても何かの貸し借りがなければ暮らせないはずである。それが“手間”とよぶ労働力であった。こ の村にもこれが一つの融通として残っていたのである。これを“いい”とか“ええ”とかいった。 畑仕事のおくれや炭窯造りとか、屋根の葺ふき替えなど、その日のうちに仕上げたい仕事にはよく この手間をかりた。これは金の貸し借りと違い、寛容と相身互いの精神がいる。  金なら百円借りて百円返せば完全である。手間ではそうはいかない。達者で仕事のできる人の手 間を借りて、それに見合う手間で返せない場合もある。だがそれは大目にみて、誰の手間も一日は 一日として損得は言わない習いであった。かぎ役という村の労務がそうであった。男手がありなが ら女子が出動するというのには不足料金をとったが、女所帯の女手間は、男並みにして当然として いた。  この“いい”は親類間に限らず一般に行われたが、借りた手間は相手の欲しい時に返す。そのた め、それが何ヵ月も経ってからになることがあり、家々はそれを忘れずにいた。こうして村人の間 にはいつも絶えない貸し借りの関係がある。それが村というものであった。 義 理  “いい”に似て違うものに“義理”があった。家を建てる、屋敷を作るなどに一切を業者に渡す ようになったのは近頃のことで、以前はわずかな職人を中心に、手伝いの手間で仕上げたものであ

(7)

る。最奥の大野川では家の移転はよくやったが、そうした手間だけで一日のうちに運び、その日の        くれうちに仕上げることにしていた。壁は板張り、屋根は榑板という大野川の家は、そのまま運んで組 み立てればよかったのである。  この手間は親類間は当然であるが、他人へは知らせずにおくと、その家の規模を見計らって、手 伝いに出るのが義理であった。わずかな仕事に大勢行ってはかえって迷惑なことがあり、その辺の 心得も大切とされた。他所から移ってきた者など、その場を計りかねては思い切ってその義理に出 てみる。そんなことが度重なって次第にむらの中へ溶け込むのだった。大野川は隔絶したむらであ る。むらの内の家の移転は容易であった。しかし梓川沿いの下のむらの場合は、他村から古屋を買 入れることが多かった。本当の手伝いの意義がそこに発揮されていたので、少し詳しく述べること にする。  家を建てるということは火災の跡に復旧するか、または家族を分家さす場合である。稀にあった 金持ちが従来の家を不足に思い、建替えるというのには、この村の義理遣いは及ばなかったのは注 意すべきことである。  一般にこのときの義理は“いい”のようにお返しを考えるものではない。他人の困難を見舞うと いうものである。したがってその当人が困窮といえば金の工面もし、遠くから運ぶには弁当持ちで 参加する。当時は鉄物は貴重で釘なども高価であったので、家を解体するにも古釘は大切にした。 釘は抜かずに運搬し、土台下の据石まで運ぶことがあった。これは路上に運送馬車の普及をみてか らのことである。  朝、大勢が集まるとしぜんに世話をやく者の指図が始まる。他村まで古材を運びに行く者は比較 的達者なものが当てられる。義理に出る者は雑多である。いつも多いのは老人連である。こんなと ころに「お義理」の姿が見られた。でも老人には得手がある。古材の釘を抜くとか、日向に莚を敷 き、石を台にしてその釘の曲がりを直すなどは適当であった。地形と土台石の配置はすでに済ませ てある。古屋の組立ては簡単である。素人大工の補助があればたちまち出来上る。屋根にたるきを 置き小舞を釘付けにすれば、屋根板を置く作業に移る。当時村の者はみな慣れていて葺き方のでき ないものはなかった。葺き終わると長い梯子が掛けられ、中ほどに中継ぎの人がいて、高い屋根な ら中継ぎ二人で屋根板の押えの石を上げる。中継ぎは梯子を背にして前で石を受取り、自分の頭の 上まで差上げて上にいる人に渡す、手送りである。危険であるが慣れているのでその手際は見事で ある。屋根の上では横に渡した石持木の上に石を置くが、風当たりの強いところは石を密に置くの である。屋根一面の石の数は数えきれないほどである。これで建家がどっしりするのである。  大勢のことで屋根に登るほかは一階のころばしを掛け敷板を打ちつける。壁には仮に板を当てて 縄で押えておく。この間に一部の者はいろりを作る。これはあらかじめ用意した粘土で形を造り上 げ、中へ灰を入れると出来上り。そしてすぐに焚き初めをするが、これは丑年生まれの男子と決め られている。鉤がかかって鉄びんが吊るされる頃には、板を敷き終えた間取りには新しい板の飯台 ができる。ここがお祝いの酒席となるのである。この全作業には自然に宰配する人も出来るが、大

(8)

方は決まったことを推し進めるのに戸迷うこともなく、短い秋の日でも一軒の建前は滞りなく済む のであった。  お祝いの酒は近い親類が二樽(一斗入り)ほど出せば、村でも一樽用意するのが例となっていた。 時代の特徴は、この場合当主は人様に振舞う飯米さえ苦労すればよいと言われていたことである。 困る者を助けるという趣意に徹しているのである【横山,1989,pp.152−157】。  横山篤美の報告によると、結いは一日の手間を借りたら一日の手間を返すというようにお返しを 考えるもので、義理はお返しを考えないで困っている人を助けるためにするものと区別出来そうだ が、筆者自身の民俗調査や民俗誌や『民俗学辞典』などで日本各地の例をみると、必ずしもそう区 別できないようである。結いという語も義理という語も地域ごとに様々な使われ方がなされている ので、結いと義理をきちんと区別することは恐らく出来ないのではないかと思うが、ここでは結い と義理の区別には拘泥しないことにする。ここで注目しておきたいことは、義理がいやいやなされ ている様子が感じられないことである。みんなが当たり前の助け合いとして行っていることが感じ 取れることである。 ll−2 アメリカ  次にこの日本の結いと義理に相当するアメリカの共同作業の実例を、アメリカの歴史博物館学芸 員であるジャック・ラーキンの『アメリカがまだ貧しかったころ』から引用してみよう。 助け合い一共同作業とお楽しみ       ハスキンf フロリノク  とうもろこしは、アメリカの代表的な穀物であり、とうもろこしの皮むきパーティーは、農村地 帯独特の収穫期の行事だった…。西部や南部の高地では、この作業は男性中心で、互いに競い合っ て進められた。つまり、男と年かさの少年たちが皮をむくかたわらで、女たちは忙しく夕食の支度 に当たるのである。グリーン郡の年代記作者の記録によると、ペンシルバニア南西部では、月夜の 晩に、近所の人びとが呼びだされ、とうもろこしが納屋の床まで引き摺って運ばれ、積み上げられ、 高さ4フィート(L4メートル)の長さの小山ができると、皮むきパーティーが始まった。二人の若 者がキャプテンに指名され、とうもろこしの山の両側に並んだ二列のうちのどちらかを自分のチー ムに選ぶ。それが終わると、両チームとも、できる限りにぎやかな音をたてながら、カー杯皮むき を始めた。  ニチーム間の競争は熾烈だった。ダニエル・ドレークは、“まだ皮をむかないとうもろこしを相手 側に投げつけ、足でとうもろこしを仕切りの反対側に押しやってしまうこともあった。こんなズル を答められても、みんなシラを切った。これ以上はらはらドキドキする競争とすさまじい戦いはみ たことがない”と書いている。男たちは、皮むき競争の儀式に則り、酔っ払い、取っ組み合いをし てさらに雰囲気を盛り上げた…。

(9)

 南部やニューイングランドの海岸沿いに住む白人の農民たちの皮むきパーティーは、人間の配置 のしかたと社会的意味の点で違っていた。ここでは、男と女、時にはこどもも、交互にとうもろこ しの山の周りに座り、一緒に皮をむいた。飲酒は、男たちの儀式の一部で、ラムやりんご酒をあお ったが、東部のハスキングでは、男同士の競争より男女間の関係を重視した。幸運の赤い穂や枯れ た“黒穂病にかかった”穂は男女交際のお守りだった…。  アメリカ人は、皮むきパーティー以外のさまざまな労働でも力を貸しあった。材木を片付けるた        スト ン’ピ ズ めの“丸太転がし”、畑から岩を取り除く“石とりパーティー”などの他にも、畑に肥やしを撒く “こやしパーティー”などというものすらアメリカのほぼ全土で日常的に行われていた。農家の人々 は、このような集いを村の日常生活のあからさまな貸し借り勘定のらち外に置いた。隣人とのどん なに些細な取引も細大漏らさず帳簿に記録した農民や職人ですら、“助け合い”に費やした時間に対 する代金はめったに請求しなかった。  アメリカ人の協同作業のなかで最もドラマチックな儀式は、住宅や納屋の棟上げである。ティン バー・フレーム様式の建物の場合、大勢の男たちの協力が必要であり、巨大なフレームを立てよう と悪戦苦闘する男たちの一致団結のがんばりぶりは、男らしい力を誇示すると共に、見る人に命が けという感じを与えた。二階までの広い側面が、それを支える手や立て上げ中の支柱から滑り落ち て作業中の人間に当たり死ぬこともあり、男たちが、四番目の、最後のフレームの部分を立て、き ちんと固定し終える瞬間は、みなほっと胸を撫でおろした。次に、ニューイングランドではラム・         リソジポ ル ポールとも呼ばれる棟木を屋根の頂のフレームに乗せる。これが固定されると、男たちは一連の力 くらべや飲みくらべを始める。勇猛果敢な連中は、ラム酒やウイスキー瓶を片手に、われ先に棟木 までフレームをよじ登る。時には固定された棟木に跨がることさえあった。見物人が見上げるなか、 棟に登ったうちの一人が祝杯を上げ、瓶の中身を建物に注ぎ、続いてまるで船にするように、(とき に詩のかたちをとることさえあったが)棟に命名した。これが済むと、男たちは先を争って頂上か ら下に降りるか、丁度1818年、ニューハンプシャー州ウオレンで教会堂が建てられた時のように、       プレ−ト 地上30フィート(9メートル)の陸棟やクロスティンバーの上で10フィート(3メートル)空中に 飛び上がったり、棟木の上で逆立ちを披露して、見物人に大胆不敵さを見せつけた。食べて、取っ 組み合いをして、さらに飲んで、その日の棟上げ作業を終えるのがならわしだった…。  これに比べると、規模は小さく、ドラマ性にも欠けたが、広く行われたという点では負けない、 “女だけの集まり”があった。伝統的に女の仕事とされてきた、織物や仲間で力を合わせて布と針を 使って仕上げる作業の集いである。キルトづくり、裁縫、糸紡ぎも仲間が協力して膨大な仕事を早 く終わらせ、次は支援のお返しをすることができた。とうもろこしの皮をむいたり、フレームを立 てる場合とまったく同じだった。キルティング、家づくり、皮むき、その他あらゆる助け合いは、 この国の田舎の人々の生活に独特の彩りを添えた。助け合いは協力の場であるとともに、競争の場 でも、恋愛の場でもあった【ラーキン,2㎜,pp.316−320】。

(10)

Il−3 フランス  日本の結いと義理に相当するフランスの事例は、フランス人社会学者のクリスチアン・オングロ ワの『ヴァンデーの若者組』の中から、取り出してみよう。 フランスの共同農作業・助け合い・交際n  農作業の主なものは社会学及び暦日研究上の重要な手掛かりである。主だった農作業の特徴は男 性の、とりわけ若者の交際に由来している。人生、その過程と盛りの時期は農業暦の中に刻み込ま れ、麦打ちとブドウの取り入れは若者にとって、的確な仕事によって称号が決定され、公認される 機会となる。子どもたちは年長者の喉を潤す酒瓶を運び、独身の若者たちは穀袋を担ぐ。へとへと になる酷な仕事だが、女性たちの尊敬という栄誉を賜る。独身で強い男たちのこの仕事は、ブドウ の取り入れの時に今でも見られる。この時には女性と子どもと年寄りとおやじ連中は、収穫したブ ドウでずっしりと重いモッコ運びから締め出される。仕事のきつさが必要な体力を持つ年齢層を選 ばせることも事実だが、そこにはグループ(村共同体)の意志、将来の夫、婿、義理の兄弟の能力 を試そうとする意志、も読み取られねばならないだろう。さもないと、まだ若くて働き盛りでも既 婚男性はモッコ運びからほぼ排除されているのは何故か、説明出来なくなってしまう。麦打ちこそ は、独身の若者たちによる穀袋担ぎの絵そのものである。  昔風の麦打ちが消滅してから使われはじめた用語である伝統的麦打ちという語を使えば、最後と もいえる伝統的麦打ちがアンティニー村のエグリュエールで、1968年頃、アンドレ・L家で行われ た。麦打ちには沢山の男と女の参加が必要である。それは“手助けを与え合う‘””助け合いの一様 式なのである。隣人も親類縁者も友人たちも、この日には労力を提供した。まず前夜に、その家と 近隣の農園の若者たち一16才から20才か20才過ぎの男子と女子一が集まって、農園の麦打ち場でダ ンスをする。これは地面を踏み固めるためでもある。麦打ち場の穴ぼこが泥と粘土を混ぜ合わせた もので塞がれることもよくある。そうしないお百姓たちはそれ用のシートをもっている。地面に落 ちた麦や麦穂を拾いやすくするためである。  仕事の分担はきちんと仕切られていた。女性の仕事は料理だけで、40人から100人分の朝、昼、晩 の食事の支度をした。少年たちは給水係で、ワインやフィラントロワC4)の瓶や小樽を持って、男た ちの間を駆け回っていた。男たちは、力と、とりわけ年齢クラスに応じて、仕事を割り振っていた。 最年長組は麦束をほどいたり、脱穀機の下の籾殻をかき出したり、穀袋の口を縛ったりする。おや じ組は脱穀機に麦束を入れたり、積み藁を作ったりする。若者、とりわけ独身者組は率先して穀袋 運びをする。適齢期の娘を持つ親たちにとって、最良の結婚相手を選び出すチャンスである。まさ に体力を競う婿候補品評会である…。  日中の仕事はきついけど、麦打ちはお祭り的な性格を持つものなのだ。その日は、男も女も、近 隣同志のいがみ合いをわすれる。この日の食事にはたっぷりと肉が出る。この日のために子牛が殺 されることも稀ではない。夕食時には、若者たちの認定式が行われる。その家の娘たちや台所の手

(11)

伝いに集まった娘たちみんなが、初めて穀袋を担いだ若者に、初めて麦束をほどいた若者に、最後 の麦束で積み藁を仕上げた若者に、花束と抱擁を贈るのだ…。夕食の後、穀袋担ぎ組は、くたくた に疲れているのだが、台所にやってきて娘たちの食器洗いを手伝う。この女の子たち、とりわけ適 齢期の娘たちがお目当てなのだ。というのも、おかみさんたちは、料理と食べ物の準備というもっ と威厳のある仕事をして、後片付けと皿洗いを娘たちに残して、さっさと寝に行ってしまうから。 おやじ連中も、翌日の隣の農園での麦打ちに備えて早々と寝てしまう。そのあと、若い連中だけの 歌と踊りとおしゃべりで夜は更けていく。  “麦打ち祭り”が今日増えていることからも分かるように、麦打ちをやっていた世代の人間にと ってはかけがえのないこの麦打ちも、20∼30年前から、ラ・シャテーニュレ郡では行われなくなっ てしまった。1985年には、大がかりな農作業のサイロ入れと麦打ちですら、3、4人の男手しか必 要としなくなってしまったし、村外、郡外の、企業専属のチームを持つ業者に請け負われることも 稀ではなくなってしまった。ただブドウの取り入れだけは、今でも“伝統的”麦打ちの家族的祭り の性格を残している【HONGROIS,1988, pp.107.109】。  耕地の拡張と、飼育や農作物保存の技術の多様化に先立って、ここ10年来、ヴァンデー中で、と りわけボカージュで、15年から20年前に建てられた納屋(倉庫)が、それが建っている場所での機 能性をなくして、納屋の移動が行われている。この、いつ見ても壮観な建物の引っ越し一6から10 トンのものを数メートルないし数10メートル動かす一は、農民たちの間に実に感動的な連帯感を呼 び起こす。彼らは、共に働くことの喜びを発見または再発見し、模範的なバイタリティーを発揮す る。アンティニーでは、移動が予告されると、それには60人から100人分の腕力が必要なので、村の 農業経営者ほぼ全員動員される。1981年に、プロヴァンシュのモーリス・Rの家で行われた時もそ うだった。まさに男性のみの力仕事。年齢クラス間にいかなる差別もなされない。申し出られた腕 力はその頑強ささえ確かなら大歓迎される。農民と職人のみが働く。役人たちは丁重にご遠慮いた だくか、たいへんな力と技を要求する仕事を目で追うのみに、観客にとどまってもらう。結局、そ の場は独身者たちのものである。独身者たちは、当然のことながら、運ぶ途中の建物の形がきちん と保たれるか否かがそれにかかっている、最も重要な持ち場を要求する。男たちを指揮するのは、 建物を地面から引き離し、補強し、支柱を添える作業をする施工者、つまり大工と鍛冶・鉄骨屋で ある。なされた仕事の唯一の報酬は、行事を祝い体の疲れを癒す酒樽を別にすれば、彼らの一人一 人にとって、交換とお返しの原則によって、隣…人が潜在的な協力者であるという確信のみである。 したがって、近代化の要求にもかかわらず、CUMA(農業機械利用協同組合)が60年代に具現し ていた相互扶助の法的形態を越えたところで、連帯がまだ現役であることが裏付けられる。しかし この共同労働は、とにもかくにもショー的である。仕事の後は、酒をあびるように飲んで、行事を 祝い、なされた仕事、達成された偉業にとどまらず、各人の力と勇気をも祝う(褒めたたえる)。一 人一人がひそかに評価されているのだ。共同でやる清掃作業の時もそうだったように。共同清掃を、 農民たちは、今世紀初めから1950∼1960年頃までボカージュの村々や農地で、年に一度行っていた。

(12)

      しゅんせつラ・シャテーニュレ郡での年に一度の家畜小屋の掃除や共同洗濯場の凌櫟iは、20∼30年前に途絶え てしまったが、これは謝肉の火曜日《5’に、働き盛りの男たちが集まって行っていた…。断固として 男たちだけの仕事だった…。その場では、若者の全行動と力と器用さが観察され、有利な結婚相手 と評価された若者の未来が決められる。姻戚関係が可能と判断されると、ひそかに両家の間で交渉 が開始される。直ちに財産の評価がなされて、婚約が成立するか否かは、もっぱら財産評価にかか っている【HONGROIS,1988, pp.111−113】。 11−4 日・米・仏の共同作業参加者の意識(語り方)の差異  上記の日・米・仏の民俗事例を見ても分かるように、文明先進地域でも、一昔前までは、開墾、 畑の石取り、肥やし撒き、田植え、米・麦・ブドウの収穫、とうもろこしの皮むき、家や納屋の建 造・移動、屋根の葺き替え、炭窯造り、材木の片付け、村の清掃作業など、村人たちの助け合いに よる協同作業で行われていた。そしてその労力交換は、「誰の手間も一日は一日、損得は言わず、手 間を貸し合う」(日)、「日常生活の貸し借り勘定のらち外に置き、助け合いに費やす時間の代金は請 求しない」(米)、「日常の近隣i同士のいがみあいを忘れて助け合い、なされた仕事の唯一の報酬は、 交換とお返しの原則によって、隣人が潜在的な協力者であるという確信のみ」(仏)といった言葉に 語り出されているように、個々人の体力差、能力差は問題にしない、原則的等量交換である。  しかし、日・米・仏の農村の共同作業の場の語り方には顕著な違いが見られる。  日本の横山篤美の語り方は、いかにも日本的と言えないであろうか。「大勢が集まるとしぜんに世 話をやく者の指図が始まる。他村まで古材を運びに行く者は比較的達者なものが当てられる」と語 られていることから、日本でも元気一杯の若者たち、働き盛りの男たちが、仕事の大部分を担って いたのであろう。それら若者たち相互間に競争意識は有るのか無いのか、全く問題にされていない。 若者たちを評価する目も意識化されていない。それに反して、釘の曲がりを直す老人たち、力は弱 っているとはいえ、村人としては若者と同じに大切な住人である弱き人々にしっかり言及している。 かと思うと、「わずかな仕事に大勢行ってはかえって迷惑なことがあり、その辺の心得も大切とされ た。他所から移ってきた者など、その場を計りかねては思い切ってその義理に出てみる。そんなこ とが度重なって次第にむらの中へ溶け込むのだった」と、隣人への気遣い、新しく村に入ってくる 人々への気遣いにもふれている。村人の連帯なんて初めからあって当たり前との意識からだろうか、 連帯感をことさら強調することもない。とにかく男も女も、若者も年寄りもなく、村全体がひとま とまりで主役で、村全体がうまく機能すること、肝心な仕事が無事に成し遂げられることが何より も大切との意識が語り出されている。  一方アメリカとフランスの語り方では、男性、若者、力仕事、腕力、勇気、交際、連帯、自発的 助け合い、達成された偉業が強調されている。男たち、主として若者たちの、共同労働の場での競 争、他人よりも高く評価されようとする競り合いが非常に顕著に語り出されている。そして、それ らの男たちを評価する人々の目がしっかりと語り込まれている。

(13)

 また、日本とアメリカ・フランスの語り方の違いとして指摘できるのは、日本はお返しの方を強 調し、アメリカ・フランスは、お返しの方は、 “交換とお返しの原則”という一言にあっさり封じ 込めて、自分の力量発揮の方を強調して語っていることである。同じことをしていても、日本は、 “常々世話になっている他人に何をしてあげられるか”に観点を置いて語っている。これに対して、 米・仏は、 “自分は何が出来るか、他人に何を施せるか”に観点を置いて語っている。この語り方 の違いに、日本と欧米の文化の差異が感じられると言えよう。

111葬儀における社会的交換1例

 義理という語は民俗語彙にもなっており、r民俗学辞典』にも収録されている。『民俗学辞典』に は、「常民の間で義理という言葉の使われるのは、交際・付き合いの意味であることが多い。したが って、義理を果たすことは相互関係を維持するために必要な行為であるとされている…。義理には 親族縁者など同族の間におけるものと、村一般に対するものとあるが、これが具体的に示されるの は、まず冠婚葬祭などの儀礼や屋根葺き・普請・田植えなどの作業に際してである…。冠婚葬祭に 当たっての義理は今の都会地でも見られるが、この中でも殊に重要なのは葬式の場合であって、俗 語で義理というと主として凶事の訪問を意味するくらいである…」【民俗学研究所,1985,p.163】と 記されている。百科事典の「民俗語の義理」の項では、「庶民とくに農民のあいだで使われてきた義 理とは、道徳規範というよりも世間並みの付き合いを行うことを意味していた。ことに葬式の際の 訪問や会葬することを単に義理と称するところが多い…」【岩本,1985,p.453】と記述されている。  横山篤美は北アルプス山麓の安曇村の義理の例に古屋の組み立てを取り上げているが、一般には、 民俗語で義理と言えば葬儀を指すと言っても過言ではないようである。今日では、都会地を中心に、 葬儀が業者に委託され、寺院や斎場で行われることが多くなっているが、自宅で行われる場合には、 親類や近隣の女性たちはエプロン持参で手伝いにゆき、台所に立ち、男たちは枢担ぎ、墓穴堀りま で行っていた。業者任せで斎場で行われる場合にも、悲嘆にくれている家族に代わって、会葬者の 接待は隣近所や被葬者及びその親族の職場などの女性たちによってなされ、男性たちによって、会 葬者の受付など外回りの仕事が受け持たれている。葬儀は今でも被葬者が所属する共同体全体の社 会的交換によってなされる行事なのである。 111−1 日本  筆者自身が行った民俗調査では、葬儀への参加を義理と呼んでいる地域はなかった。今年度 (2㎜年)調査に行った島根県美濃郡匹見町では、葬式の手伝いに行くことは、「付き合いって言っ てる。義理とは言わない。みんなあいこだからさあ。牛の子のツキアイに行くって言う。牛の子は 角で突き合って遊ぶんだ。それにひっかけて付き合いのことを牛の子のツキアイって言う」(話者

(14)

西田久雄)とのことだった。昨年調査に行った宮城県加美郡宮崎町では、手伝いと言っていたと言 い、次のように語られた。「屋根葺きの手伝いも、昔はぶらくとしてやってたけど、今はしない。手       くわがら 伝いって言ってた。契約ね、契約ってものあって、その定めがあった。契約講って言う。鍬柄講{6) とも言うんだ。義理とは言わない。義務だからさあ。頼まれると、皆、出なくてわんねえ(いけな い)んだねえ。全部、その、こういう萱葺き(話者の家は今でもみごとな萱葺き)だったから。お 互いだったから。みんな助け合ったんだねえ。今はそれが成り立たねえ。今ここで萱葺き三軒しか ないから。契約講の鍬柄は、屋根葺き以外には葬式ね。もと土葬だったからさ。お墓まで担いで行 くの。お互いの役目決めて担いで行ったんだね。今は火葬。30年位前まで土葬。国の方から衛生上 よろしくないってわけで、土葬禁止になったんだね」(話者 鎌田強)。話者の「義理とは言わない。 義務だからさあ」の言葉から、義理なら断れる、参加を拒否できるが、義務は拒否する余地のない 絶対的なもの、当然なされるものとの意識がうかがえる。  東京都内で行った聞き取り調査では、話者が男性か女性か、職業人か否かで、「お付き合い」「仕 事上のお付き合い」「当然のおつとめ」など、様々な表現がなされていたが、葬儀は当然参加するも のという意識は全員に共通していた。「義理というか」との質問に対しては、「当然のことで、いや いやじゃないから義理とは言わない」という答えが一般的だった。  葬儀を義理と言っていた時代にも、葬儀への参加者は不本意ではなく当然のこととして参加して いたであろう。当時は、義理という語にはいやいやという不本意性が今日ほど含まれていなかった 可能性もあるように思われる。義理という語の概念規定及びその歴史的変遷の如何にかかわらず、 民俗語彙としての義理はそのようにとらえられるのではないであろうか。義理という語が持つ意味 とその変容の如何にかかわらず、聞き取り調査の結果からみると、民俗語彙としての義理という語 は、しだいに使われなくなりつつある印象を受ける。 lll−2 アメリカ  日本でかつて義理とも呼ばれていた葬儀は、アメリカでも、被葬者が居住する村全体の社会的交 換行事として行われていた。  アメリカでは、バーモント州プリマスのパメラ・ブラウンの日記によると、「パメラは、教会に行 くのは、月にせいぜい一回か二回だが、プリマスでの葬式のすべてに参列し」【ラーキン,2000, p.310】ている。マサチューセッツ州ボイルストンのメアリー・ホワイトの日記では、メアリーはほ ぼ30年にわたって自らの行動を詳細に記録しているそうだが、「日曜日の集会と葬式には必ず出席し ている」【ラーキン,2000,p.3101という。 llト3 フランス  宗教的な心の習慣から火葬を嫌うフランスでは、今でも土葬が一般的である。今日では葬儀屋 (ポンプ・フユネーブル)が墓穴堀りまで手配してくれるが、今から20∼30年位前までは、村人の互

(15)

助で墓穴を掘っている村はあちこちにあった。クロード・セニョルが1945年から1958年にかけてラ ングドック(地中海沿岸西部)地方で行った民俗調査報告によると、エローの小村ソルブ(過疎地 で、1979年版のフランス地理事典7}では人口42名)では、「村の男たちは順番に墓穴堀りをしていた。 プロテスタントたちのためには、所有地の中、牧場や野菜畑の中などにある家族墓地に墓穴を掘っ た。墓穴を掘った者たちは、報酬をいっさい要求しなかった」【SEIGNOLLE,1977, p.1801。枢を肩 に担いで、または荷車にのせて墓地まで運ぶのも、勿論村の男衆だった。女たちは、喪家に集まっ て台所仕事を手伝っていた。  筆者が1976年からフランス国立リヨン第3大学で教鞭を執っていた際、1977年に、不幸にして学 生の一人が、自ら運転中の自動車事故で亡くなった。その男子学生の郷里はリヨンから約50キロ離 れたマコンだった。葬儀はマコンの学生の実家で行われた。遠隔の地で行われる葬儀にもかかわら ず、学友たちは皆、お通夜と告別式と埋葬(土葬)に参列した。告別式・埋葬に先立つ通夜の晩に は、ワイン(亡くなった学生の実家は葡萄農園を所持するワイン醸造元)と料理がふんだんに振る 舞われた。その料理の担当者は村内の主婦たちだった。  フランスでは、「現在でも、小さな町や村では、同じ町内や村の住人が亡くなると、町内の人や村 民は皆、その葬儀に参列する」【STAFFE,1989, p.343】。「パリでも、一般的に、同じ建物に住む人 が亡くなった場合には、全く面識がなくても、埋葬に参列する」【STAFFE,1989, p.342】。 lV 現代の個人の日常生活における社会的交換と不本意性と世論の圧力  以上、日本語では義理と呼ばれることもある、農作業、家や納屋の建築・修理、村の生活環境整 備、葬儀など、互助・共同でなされる日・米・仏の民俗事例をみてきたが、農作業から葬儀にいた るこれらの事例は、地域共同体全体の福祉にかかわるものであるために、参加者の不本意性はほと んど感取できない。しかし、農山村での村付き合い、都市部での近所付き合い、職場での付き合い の中には、個人が所属する共同体全体といったマクロ・レベルではなく、個人というミクロ・レベ ルでの社会的交換が日々行われている。先にも触れたように、日本語の義理という語は、最近の使 われ方からみると、ミクロ・レベルでの社会的交換において主として使われているように思われる。 そして、その使われ方においては、程度の強弱はあれ、不本意性が含まれているように思われる。  都内の某大銀行の支店で働く銀行員を対象に調査したとき、「義理という言葉を使いますか。声に 出して言わなくても意識するときありますか」との質問に対して、次のような回答がよせられた。 「使いますよ、意識しますよ。例えば、疲れてるから早く帰って寝たいときなんかに、上司や同僚に 飲みに行こうって誘われたときなどに。本当は行きたくないけど、まあ仕方ない、付き合うかって いうときなんかです。付き合ってもなんのメリットもないんです。でも、断られる相手の立場にな ってみると、なんだか気の毒になっちゃって、つい、まあ、義理で行くか、なんて。本当に嫌なら

(16)

断れますよ。ちょっと嫌なときですね、義理でっていうときは」(男性、35才)。「職場の人間の結婚 式に呼ばれたとき、どちらかというと義理で行きましたね。太っちゃって礼服新調しなきゃならな くて、それが面倒だったし、本当は週末、家でのんびり、新しく買ったパソコンをいじりたかった んですけどね」(男性、37才)。「お客さんから言われたことありますよ。新しく始めた財形プランの キャンペーンに回ってたとき、まあ、どうせ金利が低いからあまり乗り気はしないけど、いつも何 かと回ってきてくれているから、義理でまあ少し付き合うか、なんて」(男性、31才)などである。  筆者が住む都内中野区松が丘2丁目の町内会の主婦を対象に調査したときには、「義理って言葉、 最近あんまり聞かないわねえ」という声が多かった。「お葬式に行くとき、義理って意識しますか」 との質問にたいしては、「全然。だって、義理っていうときはいやいやでしょ。町内の方のお葬式に 行くのは当然で、全然いやいやじゃないですもの。昨年の○○さんのお婆ちゃまのお葬式のときだ って。」(女性、68才)。「どういうときに義理って意識しますか」との質問には、「そうねえ、何か頂 き物をして、そのお返しを考えるときかしら。でも最近は相手に気を遣わせるような贈り物、あん’ まりしなくなったしねえ」(女性、70才)とのことだった。筆者の町内ではあまり義理という言葉が 意識されていない、使われていないようであるが、義理という語には不本意性が含まれているとい う点では皆の意見が一致していた。  ただし、「義理がたい人」「義理人情にあつい人」といった表現における義理には不本意性は含ま れないと主張する人が圧倒的に多かった。  義理的行為を行う場合に、世間の目、すなわち職場の上司や同僚の目や隣近所の目を気にするか、 との質問に対しては、義理で飲み会に行った銀行員は、「それは気にしていませんね、断れば断れる んです。あんまり断り続けたら誘ってくれなくなるでしょうけれど、あいつは誘っても行かないっ て言われるだけですから。断ってもこれといったデメリットもないんです。それにこっちが誘うと きもありますしね。こっちが誘ったとき、特別な用事があるやつ以外は、たいていみんな一緒にき てくれますしね」(男性、35才)。義理で部下の結婚式に行った銀行員は、「職場の目が気になって行 ったんじゃないんです。私の結婚式にも、みんな都合をつけて来てくれたわけですから。結局お互 いさまなんですよ」(男性、37才)。  町内会のご婦人方も、ゴミ集積所の掃除当番、騒音や悪臭を立てることの自粛、隣家への落ち葉 防止のための庭木の手入れなどを、隣近所の目や評判を意識してするかとの質問に対して、「お互い さまだからするだけよ。特別にうるさい人がいれば言わせとけばいいだけだし」(女性、68才)と言 う。 lV−2義理とエチケットとサヴォワール・ヴィーヴル  ベネディクトは、「日本人のよく言う言葉に“義理ほどつらいものはない”というのがある。“義 理”はつらいもの、不本意なものである。今日たえず用いられる表現は、嫌悪と、自分の意思に反 して“義理”を行うことを強制する世論の圧力の強調とに満たされている」と言っている。筆者が

(17)

民俗調査及び民俗誌から知り得たかぎりでは、義理という語には、一般的に、不本意性が多かれ少 なかれ内蔵されていることは認められた。しかし“義理はつらいもの”という意識はなかった。“つ らい”というほどのものではなく、“面倒なもの”と意識されていた。そして、義理を行う際に、義 理を強制する世論の圧力は意識されていなかった。義理を行う動機は、“お互いさまだから”であっ た。ベネディクトは「義理に相当する言葉は英語には全く見当たらない」と言っているが、今日、 日本で使われている実態から見ると、英語のエチケット(etiquette)に近いのではないだろうか。エ チケットには、礼儀、作法、儀礼、礼式の他に、慣例、おきての意味も含まれている。フランス語 では、エチケットという語は、宮廷や公式の場での礼儀作法に用いられ、日常的な礼儀作法にはサ ヴォワール・ヴィーヴル(savoir−vivre)という語が用いられている。アメリカ人やフランス人がどの程 度意識化しているかは判然としないが、エチケットやサヴォワール・ヴィーヴルには多かれ少なか れ不本意性が含まれていると思われる。 lV−3 フランス  少なくとも、フランス語のサヴォワール・ヴィーヴルには不本意性が含まれている。その点が、 微妙に語り出されている一節があるので、訳出してみよう。 近所付き合いの作法  パリでは、近所付き合いはたいして煩わしくない。上の階や下の階や向かいに住む人々を、度の 過ぎた無遠慮で、不愉快にさせたり、うんざりさせたりしないように気を付ければいいだけである。 下に住む人の頭上で理由無く足踏みしないように努力しよう。子どものたどたどしいピアノの音で、 何時間も、お向かいさんに拷問の苦しみを与えないように、窓を閉めよう。窓から水を捨てたり、 花瓶を落としたりしないように気を付けよう。階上のバルコニーでカーペットの埃りをはたいたり しないようにしよう。しばしば、というか、ほとんど常に、このように気を配り合っている隣人ど うしは知り合いではないのだが。同じ踊り場にドアが面していて、顔を合わせる機会の多い隣人ど うしは、言葉は交わさなくても会釈し合おう。男性は、階段ですれ違う女性には会釈しよう、その 女性が同じ建物に住む女性であるか否かにかかわらず、などである。  一般に、同じ建物に住む人が亡くなった場合には、その葬儀(埋葬)に行くものである。例え、 一度も会ったことのない人であっても。  もし、隣人が手助けや助けを求めている場合には、ためらわずに仕事を中断して、僅かでも時間 とお金と労力を犠牲にしよう。  田舎では、地方では、近所付き合いはもっと広範囲におよぶ。好意と思いやりと人付き合いの良 さを証明して見せなければならない機会が山ほどある。都会よりもはるかに、他人を耐え忍ばなけ ればならない。できる限り寛大であらねばならない。隣近所すべての人への挨拶は、ほぼ強制的で ある。もし声をかけられたら、丁重に返事することも強制されている。

(18)

 しかし、良き隣人と評価されるために、周囲の人々を自宅に迎え入れることまでは義務づけられ ていない。住まいが離れていればいるほど、あなたを取り巻く人々の敬意と尊敬を得られそうであ る。近所に住んでいるからといって、うんざりする感じの悪い連中を自宅に入り込ませることまで 義務づけられるとしたら、誰しも無人島で生活したいと望むであろう。小さな町や村では、同じ区 域に住む人の葬儀には参加するものである【STAFFE, l g8g, pp.342.343】。  上に訳出したのは、バロンヌ・スタッフ著『現代社会における礼儀作法のルール』中の一節であ るが、現代フランス社会においても、日々の生活を円滑にいとなむためには世間並みの付き合いの ルールがあり、そこには不本意性が含まれていることが、微妙に、しかし明瞭に語り出されている。 そして、世間並みの付き合いのルールを守るにあたって、世間の目、世論の圧力が影響しているこ とも明らかである。これは文化の如何にかかわらず、社会的生活をいとなむ人類に共通するもので はないだろうか。 IV−−4 ドイツ  ドイツの民俗に関するインフォーマントの一人であるE・ロコバントから提供された資料の一つ に、“ドイツの3K”がある。“ドイツでは、子ども(Kinder)と料理(Kuche)と教会(Kirche)が 3K”だと言う。日本人としては子育てが“きつい、きたない、危険”の3Kに入っているのがシ ョックだが、それはそれとして、何故教会が3Kに入るのか。聞いてみたところ、次のような答え が返ってきた。「毎日曜日の朝、教会に行くのは一仕事で、面倒で、ほんとに行きたくない。でも、 行かなければ、近所中の人達から、あの家はだらしないとか、どうかしているとか、変だとか、ひ そひそひそひそ言われるから、仕方なく行くでしょ。だから」と言う。  教会へ行くことは、本来は信仰行事であるが、日曜日には教会に村中が集まって言葉を交わし合 い、親交をあたためることが村付き合いの決まり事になっている。日曜日くらい他人に会わずに家 でのんびりしたい。教会に行きたくない。しかし行かなければ陰口を言われる。それが怖くて教会 へ行く。ドイツでも、世論の圧力が、付き合いを始めとする社会的交換を村人たちに守らせる装置 になっている。 IV−5 アメリカ  アメリカにおいても事情は同じではないだろうか。ベネディクトが1946年に『菊と刀』を出版し た直後の1948年に、ディヴィッド・リースマンが『孤独な群衆』というアメリカ人論を上梓した。 その中で、リースマンは、アメリカ人が非常に他人の目を気にし、世論を気にし、他人に尊敬され るよりも他人に好かれたがっている他人指向型81の人間であることを、豊富な実例に基づいて論証 している。しかし、アメリカ人自身はそのことに気付いていないと言っている。ベネディクトもそ のことに気付いていないのだろうか。ベネディクトが『菊と刀』の中で展開している論調から、べ

(19)

ネディクトは他人指向型の人間よりも内部指向型‘’の人間の方をはるかに高く評価していることは 明らかである。このベネディクトの価値観ゆえに、アメリカ人の他人指向性には気付かぬ振りをし、 アメリカ人の理想である内部指向性を掲げて、日本人の外部指向性を批判的に論じているのであろ うか。 V−1 義理の通文化性  以上のごとく、義理を等量返済を前提とする社会的交換、すなわち、長期の相互義務であれ短期 の相互義務であれ世間並みの付き合いと解するならば、民俗レベルで、人々が日々ほぼ無意識に言 ったり行ったりしている言動のレベルで、実例に基づいて検討・考察してみると、義理は日・米・ 仏いずれの文化圏にも存在し、いずれの地域においても、不本意性を含み、世論を意識してなされ ている社会的現象であることが分かる。「義理は、人類学者が世界の文化のうちに見いだす、あらゆ る風変わりな道徳的義務の範疇の中でも、最も珍しいものの一つである。それは特に日本的なもの である」と言うベネディクトの説に反して、通文化的なものであることが分かる。 V−2 日本人は本当に他人指向型だろうか  ベネディクトは、「日本人のよく言う言葉に“義理ほどつらいものはない”というのがある…。今 日たえず用いられる表現は、嫌悪と、自分の意思に反して“義理”を行うことを強制する世論の圧 力の強調とに満たされている。彼らは、“全くの義理でこの縁談を取り決めているのだ”とか、“全 くの義理であの男を採用せねばならなかった”とか、“全く義理であの人に会わなければならない” とか言う。彼らはたえず、“義理にからまれる”と言う」と記述している。かつて、日本人は、これ ほどに世論の圧力を強調して義理という語を乱用していたのだろうか、そういう時代があったのだ ろうか、と驚かされる。そうであったと仮定すると、それほどまでに世論の圧力を強調し、不本意 性を強調するということは、日本人が本来それほど外部指向型ではないのではないかと考える可能 性を示唆する。個々の日本人は世間と歩調を合わせるために並々ならぬ自己抑制努力をしているの ではないかと思われてくる。リースマンは完全に他人指向型の人間、内部指向型の人間というのは 存在しないと言っているが、日本人はかなり強い内部指向性を持ちながら、共同体の円滑な機能の ために、他人指向的に振る舞う努力をしているのではないだろうか。ベネディクトも「日本人は最 高度に喧嘩好きであると共におとなしく…、不遜であると共に礼儀正しく、頑固であると共に順応 性に富み、従順であると共にうるさくこづき回されることを憤り」【ベネディクト,1974,p.6】と述 べている。日本人は一般におとなしく、礼儀正しく、順応性に富み、従順、と他国の人々から思わ れ、自らもそう思っているようであるが、その内側には、相当に強固な自我と自律心を抱いている のではないだろうか。そして、共同体の調和のために、内部指向性と他人指向性とのバランスを取 ることに懸命に努力しているのではないだろうか。その努力は、日本人が多用する、“我慢”という 言葉に象徴されているように思われる。

(20)

おわりに  ベネディクトは他人指向性に批判的である。日本人も一般的に内部指向性の方をより高く評価し ているようである。最後に、その点に関するリースマンの意見に耳を傾けておこう。  「日本人は、自らを理解することに努力をかたむけている国民である。1961年にわたしが日本を 訪問したとき、多くの日本の学者や批評家たちが日本人を“他人指向的”だとして批判的に語って いるのを耳にした。アメリカでも、このことばは批判的に使われている。アメリカの青年が“ぼく は他人指向的だ”というとき、それはかれが確信を欠き、依存的で、また、ルース・ベネディクト が『菊と刀』で使った用語を借りれば、“あまりに状況的”である、ということを意味する。だが、 このことばが日本でもこんなふうに使われているのを耳にするたびに、わたしは、日本人が自ら悪 徳と思っているもののなかに祝福をこそ見出すべきではないか、と言いたくなるのであった。他人 指向的であり、状況的である、というのは、狂信的で排外的で、他人のことをいっこう気にかけな い態度を日本人がすでに克服したということにほかならないのではないか」【リースマン,1998,p.1】。 注 1. 「現代社会学』創刊号,2号,現代社会学会議編,講談社.1974 2.Les travaux agricoles en commun, entraide et sociabilit6 masculines 3.se donner un coup de main 4.fi1 en trois:砂糖を加えて水で割ったブランデー 5.カーニヴァルの最終日:3月中旬 6.鍬柄講の約定書の一例(宮城県加美郡宮崎町切込集落のもの):   一 天保五年相定申候事   一 病気中二而農事相おくれ候者江は、手伝昼飯夕飯共二持参仕可申候事   一 常式農事相後レ候者江ハ、手伝昼飯斗リ持参いたし、夕飯はふる舞う可仕候事   一 病死の節ハ穴堀井万事手伝之人々ハ持昼二相定申候間、昼飯相入不申候事   一 丁内連中之中二てたとへ少分たりともうせ物等有之候節ハ、連中吟味之上如何様仕置仕候とも、吟味相     もれ不申様可仕候事   一 葛萩山之内草苅相留申候場所     川入通リ清水平一宇、北の沢迄、川前通りいぼ岩迄、其外入通は不申及候事中道川前通リ丁畑沢向平井     道下通リ     湯ノ倉通リ湯川之西から虫平より水抜井湯ノ倉前森、其外高森森平通り岩谷迄相留申候事     右之通数ケ所相留申候内、草苅相破候者有之候節二は、過料として生酒七拾五盃連中江相出シ可申候事   一 野火焼井道普請垣結等江は女童子之者相出し不申様可候事     附リ、右二付き無余銭[コロ等有之節は、連中口ロヲ以相慮可申候事   一 契約賄相定申候事     肴買代、高直下直二不相構、壱人前二付其時口ロニ而壱文二相定申候事、家内江は残物二而も持参仕間     敷候事     右之通相定申候間、相守違背仕間敷候事       天保五年十月       惣 連 中

(21)

    (宮崎町町史編纂委員会編「宮崎町史」.1973p.810) 7.Ren6 OIZON Dictionnaire g60graphique de la France Paris 1979 8.他人指向性・内部指向性:   D・リースマンは、人間の性格は、歴史的に、伝統指向から内部指向を経て他人指向型に到っていると論じ   ている。そして、それぞれの性格は次のようであると言う。   伝統指向型:同調性が伝統にしたがうことによって保証されるような社会的性格   内部指向型:同調性が幼児期に目標のセットを内化する傾向によって保証されるような社会的性格   他人指向型:同調性が外部の他者たちの期待と好みに敏感である傾向によって保証されるような社会的性格 参考文献 岩本通弥,1985,下中邦彦編r大百科事典」第4巻,平凡社 副田義也,1993, 「日本文化試論一ベネディクト「菊と刀」を読む」新曜社 P・M・ブラウ,1974, 間場寿・居安正・塩原勉訳「交換と権カー社会過程の弁証法社会学」新曜社 ルース・ベネディクト,1974〔1967〕,長谷川松治訳「菊と刀一日本文化の型」社会思想社 民俗学研究所編,1985〔1951〕,r民俗学辞典」東京堂出版 ジャック・ラーキン,2000,杉野目康子訳「アメリカがまだ貧しかったころ』青土社 デイヴィッド・リースマン,1998〔1964〕,加藤秀俊訳r孤独な群衆』みすず書房         やも ど横山篤美,1989,「山人のムラー北アルプス山麓安曇村の人と生活』,シリーズ山と民俗11,エンタプライズ Christian HONGROIS,1988, Faire sa Jeunesse en VEArDEE, Maine−et−Loire Claude SEIGNOLLE,1977, Le Fotklore(du Languedoc,Paris Baronne STAFFE,1989, REgtes(du Savoir−vivre ctαns la Seci6ti Mbderne,Paris

参照

関連したドキュメント

三洋電機株式会社 住友電気工業株式会社 ソニー株式会社 株式会社東芝 日本電気株式会社 パナソニック株式会社 株式会社日立製作所

今回の調査に限って言うと、日本手話、手話言語学基礎・専門、手話言語条例、手話 通訳士 養成プ ログ ラム 、合理 的配慮 とし ての 手話通 訳、こ れら

○今村委員 分かりました。.

既にこめっこでは、 「日本手話文法理解テスト」と「質問応答関係検査」は行 っています。 2020 年には 15 名、

自然言語というのは、生得 な文法 があるということです。 生まれつき に、人 に わっている 力を って乳幼児が獲得できる言語だという え です。 語の それ自 も、 から

   手続内容(タスク)の鍵がかかっていること、反映日(完了日)に 日付が入っていることを確認する。また、登録したメールアドレ

本資料の貿易額は、宮城県に所在する税関官署の管轄区域に蔵置された輸出入貨物の通関額を集計したものです。したがって、宮城県で生産・消費

本資料の貿易額は、宮城県に所在する税関官署の管轄区域に蔵置された輸出入貨物の通関額を集計したものです。したがって、宮城県で生産・消費