• 検索結果がありません。

西行の「こころなき身にも」の歌考

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "西行の「こころなき身にも」の歌考"

Copied!
17
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

西行の「こころなき身にも」の歌考

著者

橋本 美香

雑誌名

清心語文

3

ページ

12-27

発行年

2001-08

URL

http://id.nii.ac.jp/1560/00000346/

(2)

西行の﹁こころなき身にも﹂

の歌考

会 学 文 本 日 語 本 日 学 大 子 女 、し 一 圭目 、︶﹂ー ム ダ ル ト ー ノ 月

8

年 01 20 号

3

第 文 語 、し 一 圭目 、︶﹂1

はじめに

 西行の歌は、﹃新古今集﹄第一の入集歌数をほこり、新古今歌人にも 多大の影響を与えている。本稿では、後世三夕の歌としても知られて いる次の歌を取り上げる。  こころなき身にもあはれはしられけりしぎたっ沢の秋の夕暮    ︵新古今集・秋上・三六二、山家集・四七〇、西行法師家集.一    七二、御裳濯河歌合・三六︶一注−一 西行のこの歌は﹃新古今集﹄に、定家・家隆・雅経によって撰歌され、 結句を﹁秋の夕暮﹂とする歌群の中に配置されている。﹁鴫﹂題として も﹃六百番歌合﹄に影響を与えているとされる一注2一。  初句﹁こころなき﹂の語は﹃万葉集﹄から見られ、勅撰集では﹃後 撰集﹄から用例がある。また、﹁こころなき身﹂については、先学によ る解釈も豊富にみられる一注3一。四句目﹁しぎたっ沢﹂の用例は西行以 前に見られない。﹁しぎたっさはといへる心幽玄にしてすがたおよびが

橋本

美 香

たし﹂︵﹃御裳濯河歌合﹄︶と俊成判にみえ、﹁しぎたっ沢﹂の語が﹁幽 玄﹂という最高の評価を得ている一注4一。  そして、﹁しぎたっ沢﹂だけではなく、﹁あはれはしられけり﹂も同 様に見られない。しかし、﹁あはれ﹂・﹁しられけり﹂を詠み込んだ歌 が、西行の影響として新古今時代以後の歌人に見られるようになる。 以下、﹁あはれはしられけり﹂を中心に、西行のこの歌の特質について 考えていくことにする。  ﹁こころなき﹂の歌は﹁心﹂と﹁身﹂の語が詠み込まれている。西 行には﹁心﹂と﹁身﹂を詠み込んだ歌が多く見られるが、﹁こころなき 身﹂の表現は他には見られない。ここでは、西行の﹁心﹂と﹁身﹂の 語に注目していくことにする。  ﹁こころなき﹂の歌は秋の歌であるが、西行の秋の歌といえば、月 についてもまず考える必要がある。それは次の歌からも明確であるよ − 12 −

(3)

うに、月を好んで詠んだことによる。     月歌あまたよみけるに  ①身にしみてあはれしらする風よりも月にぞ秋の色はありける       ︵山家集・三四二︶ ①の歌では、﹁秋の色﹂は月であるとしている。このように、西行にと って秋の中心的な景物が月であると歌っていることを念頭に置いてお かなければならない。﹁秋の夕暮﹂は﹃後拾遺集﹄のころから用いられ ているが、西行の歌では数量的に﹁秋の夕暮﹂よりも﹁秋の夜の月﹂ に代表されるように、月の歌の方がかなり上回っている。そして、月 を詠む時は﹁こころなき身﹂のように﹁身﹂ではなく、﹁心﹂が歌われ ている。  次に、﹁月﹂と﹁心﹂が歌われているものを挙げる。     月  ②したはるる同圓やゆくとやまのはにしばしないりそ秋のよの月       ︵山家集・三一四︶     あきの月をよみけるに  ③あはれなる囮のおくをとめゆけば月ぞおもひのねにはなりける        ︵聞書集・八八︶     恋  ④あはれとも見る人あらばおもはなん月のおもてにやどす困を        ︵西行法師家集・三一七︶ ③の﹁あはれなる心のおく﹂の用法は西行以前にみられないものである 一注5一。③④は、﹁月﹂と﹁心﹂に加え、﹁あはれ﹂が詠み込まれている。  このほかに、﹁こころなき﹂の歌のように、﹁心﹂または﹁身﹂と ﹁あはれ﹂の語を詠み込んだ歌もみられる。     恋  ⑤浮世にはあはれはあるにまかせつつ囮よいたく物なおもひそ        ︵西行法師家集・三五八一     述懐十首  ⑥ふりにける囮こそなほあはれなれおよばぬ團にもよをおもはする        ︵山家集・一五一二︶ ⑤の歌ではものを思うことを心にやめさせようとしており、﹁あはれ﹂ は、出家者の西行にとって無関係なものとも考えられる浮世にあり、 西行の﹁心﹂にあるとは捉えられていない。また、﹁あはれは﹂とあ り、﹁あはれ﹂が主題の形で用いられている。このことについては、後 述する。⑥は﹁心﹂と﹁身﹂を区別して捉えており、年を重ねた﹁心﹂ が﹁あはパ﹂であるとしている。その﹁心﹂が﹁身﹂に意識的に作用 し、浮世の﹁あはれ﹂を﹁身﹂に感じさせるものとする。  ②−⑤にみられたように、﹁心﹂を﹁あはれ﹂であると捉えたり、 ﹁心﹂が﹁身﹂に﹁あはれ﹂を思わせるなど、﹁心﹂と﹁あはれ﹂が緒 び付けられている。西行歌において、﹁こころ﹂と﹁あはれ﹂が意識的 に結び付けられるものであるとする時、﹁こころなき身﹂に感じる﹁あ はれ﹂は意識的であるとは言い難く、意識を越えたものなのである。 ⑥の歌において、﹁身﹂は作用を受ける側にある。先に挙げた①におい ’ 13 −

(4)

ても﹁身にしみてあはれしらする風﹂とあり、﹁身﹂は、﹁あはれ﹂を 受け取る側になっている。  また、西行には、﹁心﹂と﹁身﹂が分離するような感覚で詠んでいる 歌もみられる。     寄月述懐  ⑦さらぬだにうかれてものをおもふ身の心をさそふあきのよのつき       一山家集・四〇四一     花  ⑧吉野山木ずゑの花をみし日より心は身にもそはずなりにき       一西行法師家集・七七︶     月  ⑨世のうさに一かたならずうかれゆく心さだめよ秋のよの月       ︵同・一九二︶ ⑦⑧⑨にみられるように、﹁心﹂が身体から抜け出ていくと表現してい る歌において、景物は花と月である。これらの景物は西行の﹁心﹂が 積極的に向かうものであるということができる。  しかし、﹁こころなき﹂の歌にある鴫をはじめ、他の景物について心 身が分離するという詠作は見られない。﹁しぎたっ沢の秋の夕暮﹂は、 西行が積極的に心を向けていないものである。この歌において西行は 積極的に心を向けていない﹁しぎたっ沢の秋の夕暮﹂によって﹁あは れ﹂を受け取ることを歌うである。    二  ﹁あはれはしられけり﹂とよまれている﹁しぎたっ沢の秋の夕暮﹂ は、西行が積極的に心を向けていないものであるのではないかという 事を見てきた。この他に、どのようなものに対して西行が﹁あはれし る﹂と詠むのか、次に見ていくことにする。     月の歌あまたよみけるに  ①身にしみてあはれしらする風よりも月にぞ秋のいろはありける       ︵山家集・三四二一     隣夕荻風  ②あたりまであはれしれともいひがほにをぎのおとこすあきの夕風       ︵同・二八八︶  ③あはれしる空も心のありければなみだに雨をそふるなりけり       ︵同・八二九︶     心におもひける事を  ④あはれしるなみだの露ぞこぼれけるくさのいほりをむすぶちぎりは       一同・九一一一     雪  ⑤あはれしりて誰かわけこん山里の雪ふりうづむ庭の夕暮        ︵同・一四八五︶  ⑥あはれしる人見たらばとおもふかな旅ねの袖にやどる月影 . 14 .

(5)

       一西行法師歌集・一八五︶     時雨  ⑦初時雨あはれしらせてすぎぬなりおとに心の色をそめっっ       ︵同・二七六︶  ⑧浮世いとふ山のおくにもしたひ来て月ぞ住家の哀をもしる       一同・五四九一 ①②では風、③では空、④では露が﹁あはれ﹂を知っているものであ るとする。⑤⑥では﹁山里の雪ふりうづむ庭の夕暮﹂の﹁あはれ﹂、 ﹁旅ねの袖にやどる月影﹂の﹁あはれ﹂を誰か他の人に体験して欲しい ことを歌う。⑦では初時雨が﹁あはれ﹂を体験させ、また初時雨の音 によって﹁心の色﹂を染めさせることになっている。⑧では月が﹁あ はれ﹂を知っていると歌う。この歌では、﹁住家の哀﹂とあり、﹁あは れ﹂は﹁住家﹂に限定したものとして歌われている。これに対して、 ①−⑦の歌においては、修飾語を伴わなず、何かに限定した﹁あはれ﹂ ではない。﹁こころなき﹂の歌においても、﹁あはれ﹂は修飾語を伴わ ない形であらわれている。西行が﹁あはれしる﹂というとき、何かに 限定されない、より抽象的な形で用いられることが多いといえる。  ﹁こころなき﹂の歌には﹁あはれは﹂とあり、﹁あはれ﹂が主題とし て詠まれている。﹁あはれ﹂の主題化は、浅田徹氏によると文治期後 半、建久期の慈円に多く見られるもので、比較的新しく、それ以前に 多く見られないことが指摘され、﹁こころなき﹂の歌はその数少ない主 題化した歌であるとされている一注6一。  実際に西行の歌において﹁あはれは﹂と、修飾語を伴わない形で主 題化しているものは、﹁こころなき﹂の歌の他に次に挙げる二首がみら れる。  ⑨山ふかくさこそ心はかよふともすまで哀は知らんものかは        ︵西行法師家集・六七こ  ⑩浮世にはあはれはあるにまかせつつ心よいたく物なおもひそ       ︵同・三五八︶  これに対して、西行以前に修飾語を伴わない形で﹁あはれは﹂と詠 んでいるのは、次に挙げる歌である。     九月ばかり、あり明けに  ⑪われならぬ人もさぞみん長月の有明の月にしかじあはれは       ︵和泉式部集・八八八一     てならひに  ⑫たなばたもあはれはそらにしりぬらんものおもひまさるあきの心は        一相模集・六二一 ⑫の相模の歌に﹁しりぬらん﹂とあり、﹁しる﹂の語が﹁あはれ﹂の語 とともに見られるという点において、西行の﹁こころなき﹂の歌の先 行例といえる。  また、﹃源氏物語﹄に﹁あはれはかけよ﹂の表現を持つ歌が見られる。  ⑬山がつの垣ほ荒るともをりをりにあはれはかけよ撫子の露        一源氏物語・帝木・一四一  ⑭おなじ野の露にやつるる藤袴あはれはかけよかごとばかりも − 15 ■

(6)

       一同・藤袴・三九九︶ この他に、﹁あはれ﹂を修飾語の伴わない形であらわれたものは、西行 以前にほとんどはみられないが、西行と同時代の歌人になると用例が 増えてくる一注7一。中でも複数の用例が見られるのは西行と俊成である。 俊成の歌は次に挙げる二首がみられる。  ⑮夏も猶あはれはふかし橘の花散るさとに家居せしより        ︵久安百首・夏・七二六︶     神祇  ⑯そのかみにいのりし末は忘れじをあはれはかけよかもの川波  ︵長秋詠藻・右大臣家百首治承二年五月晦日比給題七月追詠進.五   六七︶ ⑮では﹁花散るさと﹂⑯では⑬⑭にみられる﹁あはれはかけよ﹂の語 を用いており、俊成の歌はともに﹃源氏物語﹄の影響が認められる。  慈円による﹁あはれ﹂の主題化は、西行と俊成をはじめとする同時 代歌人の詠作の影響のもとにに成り立っているとはいえないだろうか。 また、次に挙げる歌のように﹁あはれ﹂を感じられることが他にあり、 それに何らかの﹁あはれ﹂を加える形となっている。  ⑰時くればこれも哀はしられけり霞にもるるはるごまのこゑ        ︵壬二集・閑居百首・春・九一六︶  ⑱ふかきよの哀もそらにしられけりおぼろにかすむ春の月影       一宝治百首・春月・四四〇・後鳥羽院下野︶ ⑰は﹁霞にもるるはるごまのこゑ﹂も﹁あはれ﹂を感じ取るものであ るとする。⑱では﹁ふかきよの哀﹂も感じ取ることができることを詠 んでいる。これに対し、西行の歌では、﹁しぎたっ沢の秋の夕暮﹂にっ いて﹁あはれはしられけり﹂と歌うのである。また、西行の﹁こころ なき﹂の歌が秋であるのに対し、⑰⑱の歌はともに春を詠んでいる。  ﹁あはれ﹂について助詞﹁も﹂を用い言外に他に﹁あはれ﹂である ものがあることを歌うのは、西行と俊成をはじめとする同時代歌人に よってなされた、﹁あはれ﹂を主題化した歌の影響を受けているのでは ないだろうか。  ﹁あはれ﹂を秋について歌うことは、西行だけにみられる特徴では なく、先に挙げた﹃源氏物語﹄にも以下の記述が見られる。    はかばかしき方の望はさるものにて、年の内行き変る時々の花紅   葉、空の気色につけても、心のゆく事もし侍りにしがな。春の花の   林、秋の野の盛りをなむ、昔よりとりどりに人争ひ侍りける。その   頃の実にと心寄るばかり、顕なる定めこそ侍らざなれ。唐土には、   春の花の錦に如くものはなしと言ひ侍るめり。大和言の葉には、秋   の哀を取り立て・思へる。何れも時々につけて見給ふるに、目移り   て、えこそ花鳥の色をも音をも弁へ侍らね。    一薄雲一一注8一 ﹁大和言の葉には、秋の哀を取り立て・思へる﹂とあり、歌において ﹁秋の哀﹂が中心であるとされている。このように、﹁あはれ﹂を秋に ついて詠むことは伝統的なものであり、西行の時代に継承されたもの である。一般に﹁あはれ﹂を歌に詠む場合、季節の上では秋に﹁あは れ﹂を認識するものであると詠まれているが、この他にも人の死.男 ’ 16 ’

(7)

女の仲などの人事にっいても﹁あはれ﹂を知ると詠まれている一注9一。  ﹁こころなき﹂の歌と同様に秋夕を詠んだ歌に﹁あはれ﹂﹁しる﹂の 語を詠み込んだ歌は西行以前にも見られる。  ⑲哀知る人こそ更になかりけれ今はと思ふ秋のゆふべを        ︵浜松中紬言物語・二六︶  ⑳風のおともいかにやよそのあはれだにわきてしらるる秋の夕暮       一散木奇歌集・八四〇︶ ⑲⑳のように﹁秋の夕暮﹂が特別なものであり、﹁あはれ﹂を催すもの であることを詠むことは、西行以前にも散見できる。しかし、﹁しぎた つ沢﹂というように具体的な風景を﹁あはれ﹂と共に詠み込んでいる のは、西行以前には見られない。このことも西行の﹁こころなき﹂の 歌の特徴といえよう。 三  古典や古人の世界に触れる時に、西行の歌には﹁あはれ﹂や﹁しる﹂ という表現を用いたものがみられる。  ①なにとなくせりときくこそあはれなれつみけん人の心しられて        ︵山家集・一〇三三︶ この歌で﹁つみけん人の心﹂とあるのは﹃俊頼髄脳﹄をはじめ、﹃和歌 童蒙抄﹄﹃袖中抄﹄﹃和歌色葉﹄にみられる﹁芹つみしむかしの人も我 ごとや心に物のかなはざりけり﹂という伝承的な歌である一注10一。﹁せ り﹂という言葉を聞くことが﹁あはれ﹂であるとする。     平等院の名かかれたるそとばに、もみぢのちりかかりけるを     みて、はなよりほかの、とありける、ひとむかしとあはれに     おぼえてよめる  ②あはれとてはなみしみねになをとめてもみぢぞけふはとみにふり   ける       ︵山家集・一一一四︶ 詞書にある﹁はなよりほかの﹂は行尊の﹁もろともにあはれとおもへ 山ざくらはなよりほかにしる人もなし﹂のであり、この歌を思い出し て歌われたものである一注u一。卒塔婆に紅葉の散るのを見て、行尊の古 歌を思い感慨に浸っているのである。  次の歌も古人の﹁こころ﹂が分かったと詠んでいる。     春日にまゐりたるに、っねよりも月のあかくてあはれなりければ  ③ふりさけし人の心ぞしられける今夜みかさの月をながめて        ︵西行法師家集・二六一一 これは安宵仲麿の﹁あまの原ふりさけ見ればかすがなるみかさの山に いでし月かも﹂の歌を想起したものである一注12一。この歌では、西行は 月を見て安倍仲麿の歌に思いを馳せている。西行の歌において、眼前 にある景物を見ることによって、古典の世界に思いを馳せ﹁あはれ﹂ を感じ取っている。  また、述懐の歌を詠む時にも﹁あはれ﹂の語が用いられる。     わかなによせてふるきをおもふと云う事を  ④わかなつむのべのかすみにあはれなるむかしをとほくへだつおお − 17 ■

(8)

  もへば   .      一山家集.二一一     ふる木のさくらの、ところどころさきたるをみて ⑤わきてみんおい木は花もあはれなりいまいくたびかはるにあふべき        一同・九四一    老人述懐 ⑥としたかみかしらにゆきをつもらせてふりにけるみぞあはれなり   ける      一聞書集・九七︶ これらの歌で﹁あはれなり﹂としているものは、過去からの時問の経過 である。古典の世界を感じ取る時や述懐といった、﹁昔﹂を思う時に﹁あ はれ﹂の語があらわれるのは、西行の特徴であるといえるのではないか。  西行の﹁こころなき﹂の歌において、﹁しぎたっ沢﹂とあり、鳥のい る風景によって﹁あはれ﹂は受け取られるのである。鳥の歌をみると、 ﹁こころなき﹂の歌と同様に、鳥と﹁あはれ﹂﹁しる﹂の語が詠み込ま れている歌がみられる。     ひをのかへし ①あしたづのこゑさへくもにかくれせばあはれをいかでそらにしら   まし       一賀茂保憲女集・一九二一  ②山里のあはれ知らるる声声にとりあっめたる朝ぼらけかな       一源氏物語・総角・六五五︶     雲林院にすむころ、越後守のりながに  ③きかせばやあはれをしらん人もがなくものはやしのかりの一こゑ       ︵和泉式部集・三二九︶     かへし  ④ほととぎすよぶかきこゑをあはれともおもひしらするなにかこた   ふる       一国基集・六四一 ①−④の歌は、鳥と﹁あはれ﹂が歌われているということでは、西行 の先行歌といえる。ただし、これらの歌は鳥を相手に警えた贈答歌と なっており、西行の﹁こころなき﹂の歌のように眼前の鳥によって ﹁あはれ﹂を知るとは言い難い。  西行歌の鳥の歌は、現実性のあるものであるとされている一注13一。﹁こ ころなき﹂の歌においても﹁鴫﹂は、人の警えとしてではなく、実際 の鴫を詠んでいる。実際の鳥のいる風景によって何かを感じ取るとい う表現は、西行の他にも見ることが出来るものである。     おきなのひさしうまゐらざりければ  ⑤あふことのほどへにけるもこひしぎのはねのかずにぞおもひしら   るる      一一条摂政御集・四〇一  ⑥草枕鴫の羽おとに夢さめて空にぞ明くるほどはしらるる        ︵堀河百首・暁・一二九〇・顕仲︶     題しらず  ⑦むら千鳥たちゐの音のちかければみちくる汐のほどぞしらるる        一月詣和歌集・一〇〇五・法眼実快一 ・ 18 ■

(9)

⑤では鴫の羽を掻く数によって、訪れない日の数が感じ取れると歌わ れている。⑥は、西行が影響を受けたとされている﹁堀河百首﹂の歌 であり一注些、鴫の羽音によって目覚め、夜が明けたことが感じ取れる ことを詠んでいる。⑦の歌では千鳥の羽音によって、汐が満ちたこと を感じ取っている。これらの歌では、鴫の羽の音が何かを感じ取らせ るという形式になっている。いずれも羽音に眼目が置かれ、羽音によ って眼前にない情景が感じ取れることを詠んでいる。これに対して、 西行は鴫のいる眼前の風景から、現象として見えない抽象的な概念で ある﹁あはれ﹂を感じ取るを詠んでいるのである。  散文においては、﹃枕草子﹄の初段で﹁秋の夕暮﹂に烏が飛んでいく 姿を﹁あはれ﹂であるとしている。    秋は夕暮。夕日のさして山のはいとちかうなりたるに、からすの寝   所へ行とて、三四、二みっなど、とびいそぐさへあはれなり。一注15一 ﹃枕草子﹄の三十八段には、﹁鴫﹂の語も見える。   鳥はこと所の物なれど、鶏鵡いと哀なり。人のいふらんことをま   ねぶらんよ。時鳥。くゐな。鴫。ひは。火たき。 また、西行が﹃枕草子﹄冒頭の部分を好んでいたことは、次の歌から も窺われる。     三月一日たらでくれにけるによめる  ⑧ゆく春をとどめかねぬるゆふぐれはあけぽのよりもあはれなりけり       一山家集・一七三︶ 次の歌には、詞書に﹁あはれ﹂﹁鳥﹂の語が用いられている。 きの国の吹上のはまにとまれる、月いとおもしろし、此浜は天 人常にくだりてあそぶといひ伝へたる所なり、げに所もいとお もしろし、今宵のそらも心ぽそうあはれなり、よるのふけゆく ままに、かものうはげの霜うちはらふ風も空もさびしうて、鶴 はるかにて友を呼ぶ声も、さらにいふべきかたもなう哀なり、 それならぬさまざまの鳥ども、あまた州崎にもむらがれてなく    も、心なき身にもあはれなることかぎりなし ⑨をとめごが天の羽衣ひきつれてむべもふけ井の浦におるらん       ︵増基法師集・五一 ここで特に注目すべきことは、西行歌と同様の﹁心なき身にもあはれ﹂ の語がみられることである。この歌と西行の歌との類似性についても 指摘されている一注16一。実際に詞書の内容を検討してみると、この詞書 の中で﹁あはれ﹂を眼前にいる鳥に感じることが記されている。詞書 では﹁きの国の吹上のはま﹂に天女が降りてくるという伝説の場所で あることを述べた上で、現在の﹁きの国の吹上のはま﹂の様子を﹁あ はれなり﹂と繰り返し記述している。歌では詞書を受けて、この浜で ﹁天の羽衣﹂をなびかせて﹁天人常にくだりてあそぶ﹂のはもっともな ことであるとする。  ﹁心なき身にもあはれなることかぎりなし﹂と感じるのは、吹上の 浜に鳥のいる情景︵現在︶に、伝説の中の天女が遊ぶ様︵過去︶を喚 起することができるためであると考えられる。なお、﹁吹上の浜﹂は西 行歌にもみられる。実際に﹁吹上の浜﹂に行っており、心を寄せてい − 19 .

(10)

たものと思われる一。注17一。  先に見たように、西行の歌では、実際に春日山に行って月を見て安 倍仲麿の心を感じ取り、また行尊の跡を訪ねて行尊の歌の世界を感じ 取る時など、現在に過去︵古典の世界︶を重ねる時に﹁あはれ﹂の語 を用いているものがみられる。  増基法師の歌の詞書では一つの伝説一天の羽衣︶をもとに、眼前の 風景にっいて﹁心なき身にもあはれなることかぎりなし﹂としている。 西行の﹁こころなき身にもあはれはしられけり﹂は歌の中に詠み込ま れている。また、増基法師の歌の詞書に見える﹁吹上の浜﹂は、西行 にも歌に詠まれているものであった。﹁こころなき﹂の歌の詞書は﹃山 家集﹄において﹁あき、ものへまかりけるみちにて﹂、﹃西行法師家集﹄ において、﹁鴫﹂となっており、どのような古歌の世界を追体験したの かが詞書に示されていない。したがって、﹁こころなき﹂の歌は何か一 つの古歌の世界や伝説をもとにして﹁あはれはしられけり﹂としてい るとはいえないと考えられる。    五  次に﹁しる﹂について見ていく。西行歌において﹁あはれはしられ けり﹂の表現は、﹁一﹂皿ころなき﹂の歌の他に見られないものであるが、 ﹁しられけり﹂の表現は見られる。  ①三笠山春はこゑにて知られけり氷をたたく鶯のたき        ︵西行法師家集・六九二︶  ②しられけりっみを心のっくるにておもひかへさばさとるべしとは        ︵聞書集・四一︶ ①は、聞一﹂えてくる音︵﹁氷をたたく鶯のたき﹂︶によって、目に見え ないもの︵﹁春﹂︶は感じ取れることを詠んでいる。この歌において、 眼前のものから目に見えない春を感じ取る形になっている。このこと は、﹁こころなき﹂の歌において眼前の風景である﹁しぎたっ沢の秋の 夕暮﹂から、目に見えない﹁あはれ﹂を感じ取ったことに通じている。 ②は、罪を作ることが悟りになるということが分かることを詠んでい る。しかし、これらの歌は、﹁こころなき﹂の歌と違い、助詞﹁は﹂と ﹁しられけり﹂が連続していない。西行歌において﹁−はしられけり﹂ という表現は、﹁こころなき﹂の歌だけである。  西行に一首しかみられない﹁−はしられけり﹂の表現は、先行歌と して次の二例が見られるだけである。  ③われながらわりなき事はしられけりこよひばかりはのどけからまし       ︵元真集・二五八一     一品資子内親王にあひてむかしのことども申しいだしてよみ     侍りける  ④そでにさへあきのゆふべはしられけりきえしあさぢがつゆをかけ   つつ        ︵新古今集・哀傷・七七八・女御徽子女王一 ③は上句の﹁わりなき﹂ことは自分自身で分かるが、﹁こよひばかりは のどけからまし﹂と上句の状況から逃れたいという願望を下句で述べ − 20 ■

(11)

ている。④は亡き人を思う涙の露を袖にかけながら、一方で袖の上ま で﹁あきのゆふべ﹂が感じ取れると歌い、二つのことが同時に進行し ている。したがって④の歌は、眼前にない状況を感じ取ることとは異 なる。西行の歌以前に眼前の風景から、何か目に見えないものを感じ 取る形式で﹁−はしられけり﹂が用いられた歌はみられないのである。  一方、眼前の風景から目に見えないものを感じ取ることは、﹁−ぞし られける﹂の形でも西行歌に見られる。     月  ⑤物おもふ心のたけぞしられける夜な夜な月をながめあかして        一西行法師家集・一八八一     春日にまゐりて、っねよりも月あかく哀なりしに、みかさ山     を見あげて、かく覚え侍りし  ⑥ふりさけし人の心ぞしられけるこよひ三笠の月をながめて       ︵同・二六一︶ ⑤では、毎晩月を眺め明かすことによって、﹁心のたけ﹂が自ずから感 じ取ったと詠まれ、⑥は、先に本稿の﹁三﹂で見たように、西行が心 に留めていた古歌﹁あまの原ふりさけ見ればかすがなるみかさの山に いでし月かも﹂の心が月を見ることによって感じ取ったとある。これ らの歌においても、眼前の月を眺めること︵契機︶によって、目に見 えない﹁物おもふ心のたけ﹂や﹁ふりさけし人の心﹂が認識できるこ とを詠んでいるのである。また、助詞﹁ぞ﹂と﹁しられける﹂が連続 してあらわれており、三句目に置かれている。  西行以前にも﹁−ぞしられける﹂の表現が見られる。  ⑦匂こきはなのかもてぞしられけるうゑて見るらん人の心は        ︵後撰集・春・六九・衛門御息所一  ⑧俺び人は月日の数ぞしられけるあけくれひとり空をながめて       ︵宇津保物語・一︶     氷をよめる  ⑨たかせぶねさをのおとにぞしられけるあしまのこほりひとへしに   けり         ︵金葉集二度本・冬・二七一・藤原隆経一 ⑦は、目に見えないもの︵﹁うゑて見るらん人の心﹂︶は、実際に目の 前にある梅の匂いによって自ずから感じ取れると歌っている。⑧は、 一人で空を眺めることによって、月日の経過が感じ取れるとする。⑨ では実際に高瀬舟の樟をさす音によって、﹁こほりひとへしにけり﹂と いう状態を感じ取っている。  眼前の風景から目に見えないものを感じ取ることを、﹁−ぞしられけ る﹂で表現することは西行以前にみられるものであり、西行にも二首見 られた。このように、﹁−ぞしられける﹂で表現されていた眼前の風景 から目に見えないものを感じ取ることが、﹁こころなき﹂の歌の登場に よって、﹁−はしられけり﹂になったと考えることができないだろうか。  これに対して﹁−はしられけり﹂、また助詞﹁は﹂のない形﹁しられ けり﹂は、ともに勅撰集では西行の﹁こころなき﹂の歌が入集してい る﹃新古今集﹄が初出である。﹃新古今集﹄に取られているうちの一首 は、先に④で挙げた徽子女王の﹁そでにさへあきのゆふべはしられけり ■ 21 ’

(12)

きえしあさぢがっゆをかけっっ﹂の歌であり、もう一首は次に挙げる 歌である。     みやこのほかへまかりける人に、よみておくりける  ⑩なごりおもふたもとにかねてしられけりわかるる旅の行末の露        一新古今集・離別・八九二・惟明親王︶ 先に述べたように、眼前の風景から目に見えないものを感じ取ること は西行の歌において西行以前からみられる﹁5ぞしられける﹂、西行以 前にみられない用いられ方である﹁−はしられけり﹂の二つの表現が みられる。西行の﹁こころなき﹂の歌は、﹃新古今集﹄では、秋の歌で あるが、﹁−はしられけり﹂について先行の用例も﹃新古今集﹄の二首 においても、四季歌はみられない。  また、﹁あはれ﹂と﹁しらる﹂をともに用いた表現に、西行と交流の あった寂然の歌がみられる。     月  ⑪一人のみながむる秋のっもりてぞ月のあはれはしられはてぬる       一唯心房集・八八一 先に挙げた西行歌の⑤と同様、﹁月﹂が詠みこまれており、﹁あはれ﹂ を分かることが出来たことを表現している。この時点では、まだ、﹁あ はれはしられけり﹂という表現はみられない。  しかし、文治期以降、﹁あはれはしられけり﹂の用例が見られるよう になる。  ⑫時くればこれも哀はしられけり霞にもるるはるごまのこゑ        ︵壬二集・閑居百首・春・九一六一  ⑬しかのねをおくる嵐にしられけり山のおくなる秋のあはれは        一拾玉集・早率露膳百首・鹿・七四六一  ⑭ふかきよの哀もそらにしられけりおぼろにかすむ春の月影        ︵宝治百首・春月・四四〇・後鳥羽院下野一 先に﹁二﹂でみた家隆の歌である⑫は、西行没の三年前である文治三 年十一月に詠まれている。⑬は慈円によって文治四年十二月に詠まれ た﹁早率露膳百首﹂の歌であるが、西行の﹁こころなき﹂の歌と同様 に、﹁あはれは﹂と﹁しられけり﹂の語がみえる。⑭は、﹁二﹂で見た 歌であり、西行死後約五十年経過しているが、﹁哀も﹂の形で﹁あは れ﹂﹁しられけり﹂の形が歌われている。⑫では霞の中から漏れ聞こえ てくる春駒の声によって﹁あはれ﹂が感じられることを詠んでいる。 ⑬では、鹿の声を運んでくる嵐に秋の﹁あはれ﹂を感じさせれらてい る。⑭ではおぽろに霞む月によって﹁あはれ﹂という情感を受け取っ ている。  ⑫−⑭の歌は、西行の﹁−はしられけり﹂の用法と同様に眼前の風 景によって目に見えないものを感じ取る形になっている。また、﹁−し られけり﹂が、西行の﹁こころなき﹂の歌によってはじめて四季歌と して詠まれるようになっていた。⑫⑭は春、⑬は秋となっており、西 行歌と同様に四季歌として詠まれている。  助詞﹁は﹂のついていない形の﹁しられけり﹂も、西行以降多く見 られるようになる。これらは、西行に先行する用例や西行の﹁こころ ’ 22 ’

(13)

なき﹂の歌同様、三句目に﹁しられけり﹂を用いている。 ⑮をちこちのにほひはいろにしられけりまきの戸過ぐるむめのした風     ︵文治六年女御入内和歌・梅人家井野辺に梅花さきたる所.四     七・定家、続新古今集・春上・七二︶ ⑯谷河のながれを見てもしられけり雲こす峰のゆふだちのそら     一六百番歌合・晩立・二七八・寂蓮法師、続拾遺集.夏.二〇     四一  ⑰武蔵野の春のけしきもしられけりかきねにめぐむ草のゆかりに     ︵慈鎮和尚自歌合・﹁春歌中に﹂・一九一、新勅撰集・雑一.     一〇二七︶  ⑱ふじのねはとはでもそらにしられけりくもよりうへに見ゆるしら   ゆき     一御室五十首・冬・三六・守覚法親王、新勅撰集・雑四.一二     九六一 ⑮−⑱のように眼前の状況によって、目に見えない時間的、空問的に 遠方の状況が感じ取れることを詠んでいる。  これらの用例は、﹃新古今集﹄の次の勅撰集である﹃新勅撰集﹄︵⑰ ⑱一に続き、﹃続拾遺集﹄︵⑯一、﹃続新古今集﹄︵⑮︶にそれぞれ取られ ている。これに対して、﹁−ぞしられける﹂は、勅撰集では﹃金葉集﹄ 以降十三番目の勅撰集である﹃新麦撰集﹄まで見られなくなる。﹃新後 撰集﹄にみられる歌は、﹁こころなき﹂の歌を撰歌した新古今歌人であ る定家の歌である。     守覚法親王家の五十首歌に  ⑲しきたへの枕にのみぞしられけるまだしののめの秋の初かぜ       ︵新後撰集・秋上・二五〇・前中紬言定家︶ ⑲の歌も秋歌で四季歌である。﹁秋の初かぜ﹂は﹁しきたへの枕﹂だけ に感じ取れるであると詠んでいる。眼前の景物︵﹁しきたへの枕﹂︶だ けに限定して﹁のみぞしらけれる﹂をしている用法が、それまでの勅 撰集に見られないものである。また、⑮は文治六年の詠であり、⑯は 建久三年の詠、⑰も建久九年十二月から翌年三月にかけて詠まれたも のであり一注18一、⑱の﹃御室五十首﹄は建久八年十二月に下命があり、 翌々年の正治元年に完成をみたものである。いずれも、西行の没後す ぐに詠まれたものである。  ﹁−はしられけり﹂、また助詞﹁は﹂のない形﹁しられけり﹂が、西 行以前にあまり用例が見られず、勅撰集において﹃新古今集﹄から見 えること、西行以前に見られなかった四季歌として詠まれていること、 西行没後ぴ比較的はやい時期によまれていることから考えると、﹁しら れけり﹂の表現は西行歌の影響が考えられるのではないだろうか。

結び

 西行の﹁こころなき﹂の歌と類似した表現﹁心なき身にもあはれな る﹂が増基法師の詞書にみられ、﹃枕草子﹄の初段にも﹁秋の夕暮﹂が ﹁あはれ﹂であるとある。﹁あはれ﹂は、西行以前には修飾語を伴わな ’ 23 ■

(14)

い形ではあまりあらわれなかったが、西行の時代になると修飾語を伴 わない形で、﹁あはれは﹂の表現が急増していた。  また、﹁こころなき﹂身の語も西行と同時代歌人である俊成、俊恵な どの歌に見られるようになる一注19一。﹁こころなき﹂は、﹁あはれ﹂や情 を知らない人と解されることもあったが一注20一、そのような者であると の認識が、西行と西行と交流のあった同時代歌人にあったのではない か。特に﹃御裳濯河歌合﹄において﹁しぎたっ沢﹂を評価している俊 成が、﹁こころなき﹂の語だけでなく﹁あはれは﹂と、﹁あはれ﹂を修 飾語の伴わない形で主題化した語も用いていることは、注目できる。  ﹁こころなき﹂を﹁あはれ﹂や情を知らない者であるとする時、そ のような者の感じる﹁あはれ﹂は、自然と湧き出る感情ではなく、人 の感じた﹁あはれ﹂を感受する時の感情という側面も持っていると考 えられるのではないか。そして古人の感じた﹁あはれ﹂とは、なにか 一つの典拠をさすのではなく、西行の時代に受け継がれた総体的なも のであると考える。このような﹁あはれ﹂の認識があったために、﹁あ はれは﹂と修飾語を伴わない抽象的な形で、主題として取り立てて用 いることができたと考えられないだろうか。こういった共通認識につ いて、﹁あはれはしられけり﹂の表現を用い、﹁あはれ﹂を感じ取るこ とを詠むことは、西行以前にはみられないものであった。  また、稲田利徳氏は﹁今﹂の和歌が﹁古﹂の和歌を融化、交錯させ ることによって、﹁むすぼほる﹂世界を創造することを、﹃新古今集﹄ の特徴とされている一注21一。この視点から、﹁こころなき﹂の歌を捉え てみると、伝統的な﹁あはれ﹂一﹁古﹂︶を﹁しぎたっ沢の秋の夕暮﹂ ︵﹁今﹂︶によって直接体験することにより、﹁今﹂と﹁古﹂の融化、交 錯を図っていると考えられる点において、﹃新古今集﹄の特徴的な歌で あるともいえるであろう。  ﹁こころなき﹂の歌の独自性は、眼前の風景から眼前にないものを 想起する方法である﹁−はしられけり﹂という表現を用いたことでは ないだろうか。西行の志向する月や花に伝統的な﹁あはれ﹂を感じる のではなく、志向と異なったものである﹁しぎたっ沢の秋の夕暮﹂に よって、﹁あはれ﹂を西行も感じ取ることを詠んでいるということも、 西行の歌の中では特異な位置を占めると思われる。さらに西行以降 ﹁しられけり﹂の表現が多く見られることを考えると、この歌は、後の 歌人に多くの影響を与えているといえるのではないか。 主1  2

3

 久保田淳氏﹁﹃六百番歌合﹄を読む﹂﹃文芸研究﹄第一一六集  以下﹃新編国歌大観﹄︵角川書店︶による。 ︵昭和六十年九月一←﹃中世和歌史の研究﹄二七九頁︵明治書院、 平成五年六月︶  実際に、注釈書などを見てみると、﹁心なき身﹂は、次のように ある。   心なき身とは、世上をのがれて六賊を捨てて無住無心に成り  侍れば、かなしきともおもしろきともおはず。︵東常縁﹃聞書﹄一   心なきとはあはれをしらぬなさけなき心なり。山家集のうち − 24 ■

(15)

  に心なきといふことばあり。見合わすべし。一加藤盤斎﹃増抄﹄︶   師説心なき身とは卑下の詞にて、何の情をもしらぬ修行者の  身にも、此の鴫の飛び立つ沢辺の秋の夕景の哀に思白事は、思  ひしられけりと也。        ︵北村季吟﹃八代集抄﹄︶   この世の愛着の念を去りて、早最あはれとも悲しとも思ふ心  なき身をいへるなり。     ︵塩井正男﹃新古今集詳解﹄︶   出家の意でいっている。出家するのは世間の煩悩から離れる、  すなわち心なき身となるのが本旨だからである。        ︵窪田空穂﹃完本新古今集評釈﹄︶ このように、西行の境涯と重ねられて解釈されていることが多い。   また、桑原博史氏は能因法師の﹁こころあらむ人にみせばやつ  のくにのなにはあたりのはるのけしきを﹂︵後拾遺集・春・四三︶  の歌にみられる﹁こころあらむ﹂と西行の﹁こころなき﹂が対照 的に取り扱われており、直接能因法師の影響を受けているとされ  る。また﹁心ある人﹂﹁心あらむ人﹂﹁心なき人﹂﹁心なき身﹂が新 古今歌人に多用されていることも指摘されている。﹁伝統と創造﹂  ﹃国文学−解釈と教材の研究−﹄一学燈社、昭和四十五年十月︶ 4 金子金治郎氏によって、西行の﹁しぎたっ沢﹂の表現は、鴫の立  つさま、飛び立った沢辺のさまを一句に凝縮しているものであり、  連歌の鴫題の中軸をなすものになることが指摘されている。﹁鴫の  歌−歌謡・和歌・連歌1﹂﹃国語と国文学﹄一昭和四十四年四月号︶ 5 寺島恒世氏﹁歌語﹃奥﹄考﹂﹃国語国文﹄第五十六巻第十号←渡  辺泰明氏編﹃秘儀としての和歌−行為と場−﹄︵有精堂、昭和六十  二年十月一 6 浅田徹氏﹃百首歌−祈りと象徴−﹄国文学資料館編、九八頁  ︵臨川書店、平成十一年七月︶ 7 修飾語を伴わない形で、﹁あはれは﹂の語を用いている西行の同  代歌人の歌は次に挙げるものが見られる。      旅宿時雨の心を、人にかはりて    かり庵さすならのかれはの村しぐれ哀は槙のおとばかりかは        ︵林葉集・五七八︶      あひしりて侍る女わづらふ事ありけるが、久しくやまざ      りければひのに籠りて日比に成りぬるよしをききておぽ      つかなさに人を遣すとて申遣し侍りける    あかねさす日の出づるかたにいもをおきてあはれは山のはを    ぞながむる       ︵頼政集・六六三︶      籠居之問月をみて    月ゆゑにあはれはいっもそへしかどいとかく袖はしぼらざり    しを       ︵重家集∴一四六一      兵衛、上西門院女房達ともなひて法勝寺の花をなんみた      りしと申されたりし返事に申しおくりし又、返事はなな    らぬ我もあはれはしりぬべしかれにしえだをおもひやりつつ       一林下集・三二八︶ 8 新古典文学大系22﹃源氏物語四﹄ ■ 25 ■

(16)

9 ■﹁あはれ﹂﹁しる﹂についての西行の先行歌は、次に挙げる歌が 見られる。      よのはかなき事などいひてなくに、ちかくふしたる人の     袖のぬるるを、あいなのわざやといふに   大方のあはれをしるにおっれども涙はきみにかけてこそ思へ        ︵和泉式部集・四四八一      こせうしやうのきみの、かきたまへりしうちとけぶみの、     ものの中なるを見つけて、かがせうなごんのもとにくれぬ    まの身をばおもはで人の世のあはれをしるぞかつはかなしき       ︵紫式部集・一二四︶    深き夜のあはれを知るも入る月のおぼろげならぬ契りとぞ思ふ        ︵源氏物語・一〇二・花宴一    哀しる人しなければ世と共にわが思ふ事をいはでやみぬる       ︵堀河百首・一五七九・顕仲一 10 出典は、日本文学大系50﹃俊頼髄脳﹄による。 u  ﹁大峰にておもひがけずさくらのはなを見てよめる﹂︵金葉集  二度本・雑上・五二一︶ 12  ﹁もろこしにて月を見てよめる﹂︵古今集・轟旅・四〇六一 13 窪田章一郎氏﹃西行の研究﹄四四七頁一東京堂出版、昭和十六 年一月一 14 峯村文人氏﹁西行の作風形成﹂﹃⋮呈㎜と文芸﹄︵昭和三十九年七月︶ 15 新古典文学大系2﹃枕草子﹄ 16 久保田淳氏﹁西行と旅﹂﹃日本の美学﹄第一号︵ぺりかん社、昭 和五十九年五月←﹃中世和歌史の研究﹄三四二頁︵明治書院、平 成五年六月︶   桑原博史氏﹁﹃多武峯少将﹄﹃いほぬし﹄そして﹃源氏物語﹄﹂  ﹃源氏物語の探求﹄第九輯所収︵昭和五十九年四月一←﹃西行とそ  の周辺﹄︵風問書房、平成元年二月︶ 17 西行の﹁吹上の浜﹂を詠んだ歌は、能因法師が歌の功徳によっ  て、伊予の国で雨を降らせた歌﹁あまのがはなはしろみづにせき  くだせあまくだりますかみならばかみ﹂一金葉集・雑下・六二五︶  を受けている。能因が歌の功徳によって雨を降らせたのに対し、  西行は﹁吹上の浜﹂で歌を詠み、雨が止むように神に呼びかけ、  実際に雨が上がっていることが示しているものである。    をぐらをすみすてて、高野のふもとあまのと申す山にすまれ    けり、おなじ院の帥のっぽね、みやこのほかのすみかとひ申    さでいかでかとて、わけおはしたりける、ありがたくなん、    かへるさにこかはへまゐられけるに、御山よりいであひたり    けるを、しるべせよとありければ、ぐし申してこかはへまゐ    りたりけり、かかるついでは、いまはあるまじき事なり、ふ    きあげみんといこと、ぐせられたりける人人申しいでて、ふ    きあげへおはしけり、道よりおほあめ風ふきて、きようなく    なりにけり、さりとてはふきあげにゆきっきたりけれども、    見所なきやうにて、やしろにこしかきすゑて、おもふにもに ■ 26 ■

(17)

  ざりけり、能因が、なはしろ水にせきくだせ、とよみていひ    つたへられたるものをとおもひてやしろにかきつけける あまくだるなをふきあげの神ならば雲はれのきてひかりあらはせ        ︵山家集・七四八一 なはしろにせきくだされしあまの川とむるもかみのこころなるべし        一同・七四九一    かくかきつけたりければ、やがてにしのかぜふきかはりて、    たちまちにくもはれてうらうらと日なりにけり、すゑのよ    なれど、こころざしいたりぬる事には、しるしあらたなり    けることを人人申しっっ、しんおこして、ふきあげわかの    うらおもふやうにみてかへられにけり  これは、西行が自主的に﹁吹上の浜﹂に行ったのではなく、待賢  門院帥局に同行した女房の申し出により、西行が案内役となった 時の歌である。積極的に古人や古典の世界に思いを馳せてはいな  いため、﹁あはれ﹂の語が現れないものと思われる。 18 石川一氏﹃慈円和歌論考﹄六五六頁一笠問書院、平成十年二月一 19 次の歌に、﹁こころなき﹂の語がみられる。    心なきわが身なれども津の国の難波の春にたへずも有るかな       一久安百首・春・四一二・藤原季通︶    野分する野べのけしきをみる時は心なき人あらじとぞおもふ        一同・秋・四三二・藤原季通︶    こひしきにうきもつらきも忘られて心なき身に成りにけるかな

02

12

       ︵同・恋・八七八・藤原俊成︶    右大臣家百首忍恋  もらさじと思ひっっめど心なき涙のとがは君ゆるさなむ       一林葉集六七九︶  こころなきこころもなほぞっきはっる月さへすめるみよしの  はま        ︵住吉社歌合嘉応二年・一一・俊成︶ 注3の桑原博史氏の論文による。 ﹃新古今集とその時代﹄和歌文学論集8︵風問書房、平成五月一       ︵はしもとみか/博士後期課程三年在籍一 − 27 −

参照

関連したドキュメント

、肩 かた 深 ふかさ を掛け合わせて、ある定数で 割り、積石数を算出する近似計算法が 使われるようになりました。この定数は船

巣造りから雛が生まれるころの大事な時 期は、深い雪に被われて人が入っていけ

以上の基準を仮に想定し得るが︑おそらくこの基準によっても︑小売市場事件は合憲と考えることができよう︒

これからはしっかりかもうと 思います。かむことは、そこ まで大事じゃないと思って いたけど、毒消し効果があ

 今日のセミナーは、人生の最終ステージまで芸術の力 でイキイキと生き抜くことができる社会をどのようにつ

社会的に排除されがちな人であっても共に働くことのできる事業体である WISE

これも、行政にしかできないようなことではあるかと思うのですが、公共インフラに

を負担すべきものとされている。 しかしこの態度は,ストラスプール協定が 採用しなかったところである。