観光倫理研究と教育の発展に向けた一考察
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(2) 論文. など、多様な関係者の思惑が入り混じるところに成立し、利害関係をもとに 様々な影響が発現する現象である。観光に対する思惑が異なる様々な人々が 複雑に、また国際的に結びつくため問題が起こりやすい。近年の観光に関わ る諸問題とは、ホストとゲストの間にある文化や宗教に対する価値基準の 違いから発生する文化摩擦の問題、観光地開発がもたらす生態系への悪影 響、野生生物を観光資源とする観光地での動物愛護の問題、観光者の長距離 移動(特に長距離航空移動)がもたらす二酸化酸素排出量の増大、セックス ツーリズムや子供搾取などに代表される人権に関わる問題、観光地のホスピ タリティ産業で働く従業員の賃金や労働環境に関する問題、観光施設や観光 者による水の過剰利用とそれに伴う水不足の問題、観光収入の「漏れ」によ る観光地の経済的恩恵の低さの問題、タイムシェア業界や一部の格安航空会 社(LCC)にみられる非倫理的なマーケティングの問題など、枚挙にいとま がない(Horner & Swarbrooke, 2016)。そもそも観光とは本質的には快楽 主義的かつ新植民地主義的性格があり、観光者は「レジャー的帝国主義」に 加担することになる。快楽の追及は植民地支配的、また不平等的状態にある 世界を征服することによって成り立つとも言える。ここでの問題は、観光は 世界の貧困に加担することが多々あることである。開発途上国の国際観光は 現地住民の雇用を促進させたり外貨収入に繋がったり、経済成長を促進させ るという意見も根強い。しかし、実際は世界貿易システムにおいて開発途上 国は非常に不利な立場にあり、その実態を考慮して国際観光がもたらす開発 途上国の経済成長を考えた際には、批判的意見が主力となるのは明らかであ る(Lovelock & Lovelock, 2013)。観光がもたらす様々な問題は、グローバ ルな資本主義的状況下で引き起こされている問題であり、観光の諸問題は現 代の国際社会の諸問題を反映している。 このように、現代の観光は様々な問題に直面していることから、持続可 能な観光の実現のために「~すべき」という価値判断、つまり観光に関わ る善悪や正邪という行為の判断基準に踏み込むこと、さらに各行為主体が 倫理的選択を能動的に行うための方策を考えることは喫緊の課題である(宮 本,2016)。そこで倫理学1)の知を参照しつつ、観光(特に観光がもたらす 28.
(3) 観光倫理研究と教育の発展に向けた一考察. 様々な問題)を通して現代における社会規範を問い直し、現代のグローバル な資本主義的状況下における観光のより良い形、あるべき形を考察する観光 研究の一分野である観光倫理研究の重要性が浮き彫りとなる。観光倫理研 究は観光に関する価値判断にまで踏み込むことから、現代社会における観光 の意義の考察にも貢献する。しかし現状では、観光倫理研究はその重要性が 認識されてはいるが、観光現象の国際性や複雑性、さらに観光現象の本質そ のものが倫理的問題の解釈や解決を難しくさせていることから、観光研究に おける他の研究分野と比較した場合、研究の蓄積が少ないのは明らかであ る。持続可能な観光に関する研究においても、倫理的側面を考慮した研究は 少ない。つまり、観光研究における倫理的側面からの研究は初期段階にある (Fennell, 2006;木村,2011;薬師寺,2011;宮本,2016)。そこで本稿で は、今後の観光倫理研究の発展のために観光倫理研究と教育の現状を批判的 に考察し、今後の観光倫理研究や教育の方向性も提示する。. 2.観光研究における「観光倫理」の重要性認識までの過程 観光倫理研究はまだ初期段階にあるが、後述の通り近年その研究成果は 徐々に蓄積されつつある。つまり観光研究における「観光倫理」概念の重要 性が観光研究者に徐々に認識されてきているのだが2)、ここに至るまでは長 い時間がかかったことは否めない。 そもそも、観光に関わる様々な問題に対して、誰が責任を負うべきなの か。特定の観光関係者の責任を追及するのではなく、観光現象の構造的な 問題が様々な問題の根源にあるという考え方は根強い。1960年及び1970年 代に隆盛を極めたマスツーリズムの反省を踏まえて、1990年代にはそれに 代わるものとして小規模で地元密着型、さらに観光者の学習的要素が強い エコツーリズムやヘリテージツーリズム(遺産観光)に代表される「もう 一つの観光」(alternative tourism)(Holden, 1984)や「新しい観光」(new tourism)(Poon, 1993)という概念が登場した。ここでは、マスツーリズム =悪、「もう一つの観光」「新しい観光」=善という対立構造を前提条件と して、観光の構造を改変する試みがなされた。しかしながら、望ましい観光 地域創造学研究. 29.
(4) 論文. としてもてはやされてきた隙間産業的存在であった「もう一つの観光」「新 しい観光」の大衆化・商業化が進むことにより、マスツーリズム同様の問題 (例えば、観光開発の進展や観光者の増加に伴う自然や遺産への負荷の問題、 利害関係者間の対立や権力関係の問題、観光者の問題行動など)が顕在化し た(薬師寺,2011) 。 さらに1992年、ブラジル・リオデジャネイロで行われた「環境と開発に関 する国際連合会議」(地球サミット)で地球規模での持続可能な開発に向け た行動計画が合意されて以降、持続可能な開発の概念を観光分野に応用した 「持続可能な観光」という概念が確立された。これは「訪問客、産業、環境、 受け入れ地域の需要に適合しつつ、現在と未来の経済、社会、環境への影響 に十分配慮した観光」(国連世界観光機関アジア太平洋センター,2017)と 定義されるように、全ての観光地、全ての観光の形態において自然環境、経 済、地元社会の3つの側面のバランスが適切に保たれることに主眼が置かれ ている。観光研究においては、「もう一つの観光」「新しい観光」の後継と して「持続可能な観光」の概念が位置づけられる傾向がある。持続可能な観 光は、現在に至るまで観光開発を遂行するうえで最も基本的な理念として位 置付けられ、理念としては観光行政や産業に関わる人達の間で合意されてい る。しかしながら理念の合意とは裏腹に、持続可能な観光開発は多くの場合 失敗に終わる、という批判的な意見が多い。観光地に存在する政治的枠組み やイデオロギーでは本当の持続可能性を見出すことは難しく、持続可能な観 光とは、地域住民や環境主義者の観光に対する不平不満を緩和させる役割を 果たしているに過ぎない、という主張もある(Lovelock & Lovelock, 2013)。 持続可能な観光は、実質を伴わない表現上の言葉(レトリック)に過ぎない (Hall, 2011)という批判や、神話的である(Sharpley, 2010)という皮肉も 聞かれる。つまり、持続可能な観光が失敗する理由の一つは、それが人間の 行動と関連しておらず、基本的な人間の規範をもとにしていない点にある (Lovelock & Lovelock, 2013)。観光とは人間によって供給され、またそれ を消費するのも人間であり、極めて人間的な活動である。観光が人間的営み でさまざまな人間関係が生み出される以上、「何が善であり、何が悪である 30.
(5) 観光倫理研究と教育の発展に向けた一考察. のか」という行為に関わる価値判断の問題を問う必要がある(木村,2011)。 そこで、善悪・正邪の判断において普遍的な規範となる倫理を持続可能な 観光に適用することが重要になる3)。持続可能な観光とはプロセスやインパ クト・結果以上のものであり、さらに法律や規則を守ること以上のもので もある。さらに、持続可能な観光とは倫理でもある(Lovelock & Lovelock, 2013)。「もう一つの観光」「新しい観光」「持続可能な観光」いずれも多様 なコミュニティや利害関係者間で公正な取引が行われることを目指し、共 通の理解、団結、平等などを達成することに重点が置かれている(Weeden, 2014)が、これらは観光の構造を主に政策的・技術的側面から改変する試み である。一方で観光倫理は、観光が極めて人間的な活動であるという特性を 踏まえて、観光開発を行ったり観光者を受け入れたりする観光推進者・地 元受益者・ブローカー、観光をする観光者などの観光に積極的に関わる人達 (積極的行為主体)(宮本,2016)の望ましいとされる行動(持続可能な観 光に資する行動)こそが観光をより良い方法に改変する原動力である、とい う人間中心の考えに基づいている。 現状では観光倫理研究は観光研究者の間で主要な研究分野に位置付けられ ていないが、現代観光研究の哲学的課題や方法論的課題においては主要な 課題と位置づけられている。Tribe(2009)(大橋(2010)も参照)は現代 観光研究の哲学的課題として、 「真理」(truth) 、 「美」(beauty) 、 「道徳・倫 理」(virtue)を挙げている。「真理」とは、経済学・経営学・社会学・人類 学・地理学などからのアプローチによって生み出された各種観光理論の認 識論の問題のことである。「美」は、観光に関わる主観的な側面を意味する。 特に観光者にとって観光は主観的なものであり、美的感覚が彼らの行動や経 験を支配する。観光者の主観性に関する研究、特に彼らの欲求・動機(目 的)・経験や解釈に関する研究、さらに個人の福祉や精神性に関する研究な ども求められる。「道徳・倫理」は既述の通り、持続可能な社会発展に貢献 し得るための観光現象や観光関係者のあり方を問うものであり、特に今後の 進展が望まれる領域である。 さらにTribe(2008)(大橋(2010)も参照)は観光研究における(社会 地域創造学研究. 31.
(6) 論文. 科学一般にも当てはまるが)方法論として、実証主義(positivism)、解釈 主義(interpretivism)、批判主義(criticism)の三点を挙げており、その中 でも批判主義的方法論は観光を望ましいものにするために重要であると説 いている。実証主義とは自然科学的パラダイムと言えるものであり、理論は 実証可能な事実のみに立脚することを主張する。何らかの仮説をたてそれを 客観的事実により実証する方法をとるため、実験やアンケート調査などの量 的研究が多く、反証可能性や価値中立性が必要とされる。一方で解釈主義 は、人間行動や社会的構成物等では意味と解釈が重要であるという立場をと り、研究者の主観は排除されなくてはならないが、実証主義のように客観主 義的方法はとらない。つまり、研究対象(他の人間等)との協働と対話が重 視され、インタビューや観察、ケーススタディ、言動の文化層的究明などの 調査方法が用いられる。観光社会学や観光人類学的な研究(例えば、ホスト とゲストの関係性に関する研究、文化の商品化に関する研究や各種観光形態 に関わる研究など)の多くが該当する。批判主義は程度の差はあれ批判的知 見を前提とし、実証主義や解釈主義とは根本的立脚点を異にする。実証主義 では第三者的、観察者的立場の貫徹が前提となるが、批判主義では当事者的 立場が認められる。また、解釈主義に対しては、その解釈が慣例的な考え方 のもとになされ、事象の真の解釈とはなっていない場合があるという批判的 態度をとる。批判主義的方法論を用いた観光研究は、①批判的観光理論の発 展、さらに②批判的観光理論をいかに「良い」観光管理や運営に応用するか、 の二点を追求する。ここでの「良い」が意味することは、持続可能性のある 倫理的な管理や運営である。これらは、「効率的な」観光管理や運営を追求 する実証主義的観光研究が見過ごしてきた点である。批判主義的方法論を用 いた観光研究は、今後の観光研究の発展や持続可能な観光の実践、さらに観 光の共存や生き残りにおいても重要なものであるが、研究は発展途上である。. 3.観光倫理研究と教育の現状と「倫理的な観光」「責任ある観光」 観光研究者が持続可能な観光へのアプローチのためには倫理的概念の適用 が重要であることを認識するようになってはいるが、観光倫理研究はまだ初 32.
(7) 観光倫理研究と教育の発展に向けた一考察. 期段階にあり、主要な研究領域とはみなされていない。しかしながら過去15 年程で徐々に観光倫理に関する書籍が刊行されつつあり、観光倫理研究が緒 に就いてきている。例えば、Smith & Duffy(2003)は観光開発の倫理につ いて倫理的理論を参照しつつ多面的に考察を試み、Fennell(2006)は応用 倫理の一部門としての観光倫理に関して、哲学的議論や倫理学理論のみなら ず、心理学・経済学や経営学的理論などを駆使しながら総合的に解説してい る。さらに、観光者の倫理性に関して哲学的に論じたMac Cannell(2011)、 観光産業が抱える倫理的課題の指摘や、現代観光が抱える問題の対処に適用 される倫理原則や理論に関する考察を通して、読者の観光に関わる倫理的 意思決定の醸成を目指したLovelock & Lovelock(2013)、観光者の責任ある 行動のあり方や限界について考察したWeeden (2014)、観光者の倫理的な旅 行消費について考察したWeeden and Boluk (2014)などもある。倫理的な観 光とは、快楽的追求を主目的とした観光の道徳化であると批判するButcher (2003)も観光倫理研究の書籍として重要である。 現代の観光は沢山の不正義(不平等・人権問題・企業の力関係、動物虐待 や自然環境問題など)を生み出してきたという反省を踏まえて、観光倫理研 究の学術的な体系が十分に確立されていない現段階においても、観光に関わ る積極的行為主体(観光推進者・地元受益者・ブローカー・観光者)による 一般地域住民・観光対象・自然環境・観光者などに対する望ましい行動(持 続可能な観光に資する行動)のあり方に関する研究が行われている。さらに 観光の実践の場においては、積極的行為主体に対して望ましい行動に関する 教育や啓蒙が行われている。ここでの望ましい観光の状態とは、積極的行為 主体が倫理的問題を助長するような行動を慎んでいる状態、さらに正義や公 正、平等などの原則を守り、他者・社会や自然環境と良好な関係を保ってい る状態である(Lovelock & Lovelock, 2013) 。このような状態のことを、 「倫 理的な観光」(ethical tourism)や「責任ある観光」(responsible tourism) 呼ぶことが多い4)。 Horner & Swarbrooke(2016)は「倫理的な観光」を、観光がもたらす 影響と観光に関わる積極的行為主体の行動に焦点を当て、さらにこれらをモ 地域創造学研究. 33.
(8) 論文. ラル的価値観とモラルの概念に当てはめようとするもの、と定義する。一 方で「責任ある観光」を、観光に関わる積極的行為主体に対して、それぞ れの活動や影響に自省と責任を持つことを求めるもの、と定義する。つまり、 「倫理的な観光」と「責任ある観光」は概念的に異なるものである。しかし ながら、観光者のみならず、観光産業従事者、さらに観光研究者においても この二つの概念を混同している。倫理とは、「人として守り行うべき道。善 悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの」であることから、「倫理 的な観光」は観光に関わる者として、さらに人として普遍的な規準からみて 善いこと、正しいことを行うことを示す。一方で、責任とは「自分が関わっ た事柄や行為から生じた結果に対して負う義務や償い」のことである。人間 の行為は自由であることを前提に、もし行為の結果に問題がある場合、法的 または道徳的な責任が行為者に帰せられる。つまり、「責任ある観光」とは 積極的行為主体の行動の結果に焦点を当てるものである。責任に関する問題 は、その範囲が明確化されておらず、各人が達成可能なことを達成する状態 に陥りやすいことである(Weeden, 2014)。責任の範囲を明確化させるため には、「道徳的な枠組み」と各人の「認識」が必要である(Fennell, 2006)。 これらのことから倫理とは責任よりも深く、また基本的な立場にあると考え られる。「倫理的な観光」とは、持続可能な観光に資するために積極的行為 主体が行動すべき規範である一方で、「責任ある観光」とは各人の主観性や 価値観が反映されている(Stanford, 2014)。観光の積極的行為主体の責任あ る行動を理解する際には、「価値」に関することを十分に考慮する必要があ る5)(Weeden, 2014) 。 観光の実践の場において、観光関連事業者や観光者に対して「倫理的な観 光」や「責任ある観光」を教育・啓蒙するために一般的に使われているもの は、行動規範を定めた倫理規定(倫理的コード)である。観光関連事業者が 事業社内向けに作成する倫理規定の内容は、法令遵守、社会的良識に従っ た行動の徹底、公正・公平な取引、差別の撲滅などといった他業種の倫理 規定でもみられる一般的なものに加えて、持続可能な観光に資する行動の徹 底という観光独自のコードも含まれる。Responsible Tourism Partnership 34.
(9) 観光倫理研究と教育の発展に向けた一考察. (2002)は、観光関連事業者に対する倫理規範の内容を以下の通りに定めて いる:① 観光地における経済的・社会的・自然環境的な影響を最小限にす るような行動をとること、② 地域住民の経済的利益を最大限化できるよう な観光にして、さらに地域コミュニティの福祉向上や労働条件、雇用拡大な どに努めること、③ 地域住民の生活の質向上のためにも地域住民の意思を 考慮すること、④ 自然や文化遺産の保全に良い影響をもたらすこと、⑤ 文 化の多様性を尊重すること、⑥ 観光者に対して地域住民と有意義な関係を 築けるようにサポートし、楽しい経験を提供できるように努めること、⑦ 地域の文化・社会的状況や自然環境問題への理解を高められるような観光者 経験を提供すること、⑧ 身体障碍者や社会的弱者にも観光の恩恵が行き渡 ること、⑨ 観光者と地域住民がお互いを尊重し合い、さらに地域住民が観 光を通して地域のプライドや自信を醸成することができるように努めること。 観光者に対する倫理規定は、観光地の地方自治体、観光者を受け入れる事業 者(宿泊施設、観光施設、現地ツアー催行会社など)、さらにエコツーリズ ムや持続可能な観光を扱うNGO団体などが作成し、観光地の各施設内での 掲示やインターネットへの掲載などを通して啓蒙を行っている。内容は、他 人(地元住民や他の観光者など)を尊重すること、他人の生活・旅行環境を 乱さないように自分の行動を認識すること、観光地の福祉向上のために時 間・金銭・労力を費やして博愛的行動(ボランティア活動・寄付等)に従事 すること、観光地の草の根レベルでの経済発展に貢献できるように金銭を使 うこと、自然環境に配慮した行動をとること、などである。観光の倫理規定 は、国連世界観光機関(UNWTO)「世界観光倫理規定」を基盤として、国 際観光において影響力が強くさらに観光送出国でもある先進国諸国で作成さ れたものが多い。「世界観光倫理憲章」を含め多くの倫理規定は、個別の観 光地(特にグローバルな資本主義的状況下において不利な立場にある開発途 上国の観光地)の経済・社会・文化的状況を十分に考慮していない普遍的倫 理のアプローチをとることが圧倒的に多く、包括的で一般的過ぎ陳腐である との批判も多い(Malloy and Fennell, 1998)。さらに、なぜその行動が求め られるのか、その行動を行わなかったらどのような結果になるのか、などの 地域創造学研究. 35.
(10) 論文. 背景までは伝えない傾向があり、倫理規定の限界も数多く指摘されている (Lovelock & Lovelock, 2013) 。 観光の倫理規定は、Beauchamp & Childress(1979)(永安・立木,1997 訳)が提唱する医療倫理や生命倫理分野で影響力が強いトップダウン型の原 則主義に基づいている。これは、正しいと共通に認められると想定される四 原則を提示し、個々の具体的な規則、判断、行動がこの原則を満たしてい るか否かを吟味することで具体的問題を解決しようとするものである(馬淵, 2010)。原則主義の四原則を観光倫理に当てはめると、以下のように考えら れる。 1.自律尊重原則 観光開発において不利益な立場に立つことが多い、地域住民の意思決 定を尊重することである。観光開発主体である行政や観光開発業者な どの積極的責務は、地域住民が決定を下すために必要な情報を開示 し、自律的な決定を促進することである。依頼を受けた場合は、重要 な決定を下す援助を行うことも含まれる。 2.無危害原則 観光に関わる積極的行為主体は、一般地域住民・観光対象・自然環 境・観光者に対して危害を及ぼすことを避けよ、という原則である。 危害を加えない責務と、危害のリスクを負わせない責務を負う。無危 害原則が支持する道徳規則は、苦悩を生み出すな、他者の能力を奪う な、不快を引き起こすな、地域住民の生活環境、観光事業者のビジネ ス環境、観光者の旅行環境から良いものを奪うな、などである。 3.与益原則 積極的行為主体は一般地域住民・観光対象・自然環境・観光者などに 対して利益をもたらすべきである、という道徳的責務を指す。与益原 則が支持する道徳規則は、他者の権利を保護・擁護せよ、他人に危害 が及ぶのを防げ、他者に危害をもたらすと考えられる条件を取り除け、 障碍者を援助せよ(観光ビジネスでの障碍者雇用や障碍者の観光の促 進・整備など)、危機に瀕した他者や観光地域を援助せよ、などであ 36.
(11) 観光倫理研究と教育の発展に向けた一考察. る。 4.正義原則 「社会的な利益と負担は正義の要求(各人にその正当な持ち分を与え ようとする不変かつ不断の意思)と一致するように配分されなければ ならない」とする原則である。各人にその正当な持ち分を与えること は、根拠のない差別をなくすこと、競合する要求の間に適正なバラン スを確立することを含む。実質的には、二人以上の個人が平等な扱い に値するために何が等しくなければならないかを特定する原則である。 例えば、各人に平等な配分をすることを要求する原則、各人に必要な 努力、貢献、功績の大きさに応じて配分することを要求する原則、自 由な市場取引に配分を委ねる原則等が考えられる(医療教育情報セン ター,2010) 。 「4.正義原則」において公正に基づく道徳的な正しさを正義と定義する ならば、観光は明らかに問題である。そもそも観光(特にマスツーリズム) は功利主義6)的性格が強く、公正性とは本質的に対立するものである。マス ツーリズムとは文字通り、大量の人々が観光地に楽しみや快楽を求めて移動 する観光の形態であり、ビーチリゾートに代表される。功利主義の論理にお いては、観光地が大量の訪問者に楽しみや快楽を提供することは、道徳的に 正しいことになる。この場合観光地では、例えば小島嶼部であったとすれば、 観光インフラの整備を行ったり、ホテル建設やビーチ整備などのために漁業 で生計を立てている小規模な沿岸居住者の居住地を移動させたりする。ホス ト側の社会は、大量の訪問者が欲していることやものに最大限対処する。し かしながら、陸地に移住を迫られたことから、この少数派のグループは毎日 数キロ歩いて漁船まで通勤することになる。このような例は、マスツーリズ ムの弊害として開発途上国のビーチリゾート地では決して珍しくない。現地 住民の少数派が多数の観光者のために自らの土地を受け渡したことになるが、 このような人々は多くの場合、既に経済的社会的に不利な状況にあった人達 である。マスツーリズム的観光開発は、これらの人達の社会的な不平等状況 を改善させるのではなく、むしろそれを永続させることに加担する。功利主 地域創造学研究. 37.
(12) 論文. 義は不利益な状況にある少数派の人達に関わる社会的正義に対処する能力を 持たないことから、批判されることがある。もし最大多数の幸せが道徳を規 定するのであれば、少数派の不利益は受け入れられるものとなる。少数派を 移動させることは単に手段であって、目的ではない。目的に焦点を当て、目 的を達成するための手段に焦点を当てることを怠れば、理にかなっていない 行いにつながる。さらに、既に周辺化されたグループをさらに困難な状況に 陥れることにもつながる(Lovelock & Lovelock, 2013)。 先進国諸国の観光研究者や観光に関わる積極的行為主体の間で自明の理と される「善い」ことも、経済や社会的状況が異なる開発途上国ではそうとは 言い難いことも多い。例えば、開発途上国でみられるセックスツーリズム は、先進国からの男性観光者が貧困や差別に苦しむ現地女性を搾取すると いう構造が一般的な見方である。多くの観光倫理規定には、セックスツー リズムにおけるホストとゲストの関係は不公平と不平等が前提であり、さ らにHIVや性感染症の国際的な蔓延に繋がるから、それを助長してはならな い、と明記されている。セックスツーリズムで名を馳せる場所では、先進国 からのNGO・NPO団体が、性産業従事女性の自立支援(地位向上や差別か らの脱出など)は正義であると考え、他産業(多くはアパレル製造業)へ従 事させるようにトレーニングプログラムを提供している。ただし、性産業従 事者は長年それで生計を立て、子供や家族・親戚を養い、性産業に従事する ことに誇りを持っている人もいる中で、突然外部の勧めで転職させられ、そ れまでの経済的な生活水準を維持できなくなる、という問題も発生している。 性産業従事者の女性は、違う仕事が欲しいのではなく人権が欲しいと言う (Singh & Hart, 2007)。この事例の場合、セックスツーリズム=悪(非倫 理的)と断言し、女性の保護を名目に性産業以外に従事させることを正義と する先進国的な考えは、逆に彼女らを苦しめる恐れがあることを示している。 さらに同様のことは、先進国の政府開発援助(ODA)や世界銀行の働き かけによって行われることが多い開発途上国におけるエコツーリズムでもみ られる。先進国のエコツーリズム推進者は、開発途上国のエコツーリズム観 光地に住む地域住民は、それを活用した観光振興を歓迎してくれると思い込 38.
(13) 観光倫理研究と教育の発展に向けた一考察. む傾向がある。なぜなら、自然保護と経済活性化という相反する事柄をバラ ンスを保ちながら行い、地域の自然環境の危機や経済的な疲弊を救うことが できると考えているからである。しかしながら、開発途上国の中には人口も 資源も少なく、国家財政も乏しく、国外からの援助で国を維持している国が 多い。これらの国では、唯一の資源である美しい自然を武器に観光開発(例 えばビーチリゾート開発)をする以外に手段を持たない。観光開発は他の産 業振興に比べれば、上下水道、ガスなどの基本的な社会基盤(インフラ)さ え整えれば、比較的少額の資本投資で行うことができる。つまり、開発途上 国が観光開発の経済的恩恵を受けようと期待している時に、現金収入の道か らは遠い「自然保全」を先進国のエコツーリズム推進者に押し付けられ、両 者間で考えの相違から軋轢が起こる。開発途上国では「エコツーリズム」が 実践されたとしても、それは経済成長の一手段でしかなく自然保全の側面は 薄い。地元住民は現金収入のためには自然破壊を受け入れることが多く、先 進国のエコツーリズム推進者が考える正義としてのエコツーリズムは、開発 途上国では共有されないことが多い(飯田,2012)。 観光のように世界規模で行為主体者が存在する場合、善に関する文化は世 界統治の象徴となっていく。それは、上記の例のように力関係(特に経済的 力関係)に左右され、裕福な先進国の力を強化することに繋がる。先進国の 正義に由来する援助は、いつも公正をもたらすとは限らない(Lovelock & Lovelock, 2013) 。. 4.観光倫理研究と教育の今後の方向性 前章で議論したトップダウン型の原則主義は、観光に関わる倫理規範の大 原則である。しかし、現状では原則主義の四原則を観光の一般論的状況に当 てはめたものに過ぎず、観光の国際性や多様な利害関係者の思惑が絡み合う 複雑性に対処することができていない。そこで本章では、観光の国際性や複 雑性を考慮した観光倫理研究と教育の方向性を提示する。 観光倫理研究は重要であるものの、今のところ観光倫理研究の学術的な体 系は確立されていない。原(2016)は、今後の体系的展開を図るために必要 地域創造学研究. 39.
(14) 論文. な研究・調査作業の大まかな方向性を以下の6点に集約している。 1.「観光」の本質やあり方に関する継続的反省 観光が人類社会においていかなる意味を持ちうるか、その本質や在り 方をどう理解すべきかについて、継続的に反省を試みることは観光倫 理研究を進展させる上での基礎として重要である。 2.「観光」を取り巻くイデオロギーや制度批判 観光政策・観光ビジネス・観光教育を駆動する根本的な考え方から一 歩引いた視点から再吟味したり、観光現象が依拠する社会制度の現状 を批判的に分析したりすることも必要である。 3.倫理的コードに関する調査と分析 観光関連事業者や観光者の行動規範を定めたものが倫理規定(倫理的 コード)であり、観光に関わる積極的行為主体に対して倫理的な行動 を啓蒙させる手段として広く利用されている。倫理的コードの記述内 容、その有効性(積極的行為主体に倫理的コードが伝わり、行動の変 化に繋がっているか否か)、より有効的な倫理的コードのあり方、等 の調査と分析が求められる。 4.倫理学理論・倫理的意思決定理論の導入 観光現象や観光産業に関わる問題を様々な倫理的概念や原理を用いて 記述したり、倫理的意思決定理論を観光の文脈に導入したりする作業 がここに当てはまる。これによって、利害関係や観光形態ごとの議論 の区分を超えた観光関係者間の「共通言語」の開拓が可能となり、道 徳的意思決定過程の明瞭化が図られると指摘されている。 5.各種観光形態や観光産業の倫理的問題の調査 各種観光形態と観光産業に関わる問題の調査とその倫理的解釈、問題 軽減に向けた取り組みなどが求められる。 6.観光倫理教育の構築 高等教育や観光ビジネス・観光まちづくりなどにおける、観光倫理教 育のプログラム化と実践の確立が求められる。さらに、観光者に対す る倫理的な観光行動の啓蒙方法の確立も求められる。 40.
(15) 観光倫理研究と教育の発展に向けた一考察. 実践的な観光倫理を構築するためには、①現実の問題に関する実証的研究、 ②それに基づく倫理的行為基準の構築に向けた研究、さらに③持続可能な観 光のための教育に向けた研究、の三段階が必要である(宮本,2016)。これ を基礎として、原(2016)による観光倫理研究の体系的展開を図るために現 時点で必要な研究・調査作業を踏まえて、今後の観光倫理研究と教育の方向 性を以下のように示す。 ○ 第一段階:現実の問題に関する実証的研究 原(2016)が指摘する今後の観光倫理研究の方向性のうち[1.「観光」 の本質やあり方に関する継続的反省]は観光が抱える諸問題を理解するため の基礎となることから、更なる知の深化が求められる。現代の観光研究に おいて代表的である、ホストとゲストの関係、文化の商品化と真正性の問題、 観光の様々なインパクト、持続可能な観光に関する研究などが挙げらる。 さらに[2. 「観光」を取り巻くイデオロギーや制度批判]のために、観光 に関わるイデオロギーや制度のありさまを理解することも求められる。イデ オロギーや制度とは、新自由主義の影響力の問題、政治体制と旅行制限・ボ イコットの問題、出入国管理や安全対策の問題、観光に関するメディア表現 の政治性の問題などである(原,2016) 。 [5.各種観光形態や観光産業の倫理的問題の調査]では、各種観光形態 の中でも倫理的問題が指摘されている観光(例えばダークツーリズム、スラ ムツーリズム、セックスツーリズム、ボランティアツーリズム、少数民族観 光など)の現状に関する調査や、観光産業における問題の把握(例えば、観 光産業従事者の賃金や労働環境の問題、観光開発業者と地域住民の対立の問 題など)などが求められる。 ○ 第二段階:倫理的行為基準の構築に向けた研究 この段階においては、三つの研究を示す。 一つ目は、第一段階目で考察された観光に関わる様々な問題に対して、 「~すべき」といった価値判断に踏み込む研究である。特に[1. 「観光」 地域創造学研究. 41.
(16) 論文. の本質やあり方に関する継続的反省][2. 「観光」を取り巻くイデオロギー や制度批判][5.各種観光形態や観光産業の倫理的問題の調査]における 観光の各種問題に対して、善悪や正邪の判断基準を示したり、社会的に「許 容されるか否か」を示したりする必要がある。これは応用倫理学の方法論と しては、状況や個別事例を優位に置くタイプ(事例ベース推論モデル)であ る。具体的事例(個別事例に関わる歴史・環境・経験など)の特殊性こそが 重要とみなし、道徳判断が成功するためには、個別状況について詳細に理解 し、類似した状況の記録を丁寧に評価することが不可欠であるという立場を とる(馬淵,2010) 。 二つ目は、[4.倫理学理論・倫理的意思決定理論の導入]に関わる研究 であり、観光の倫理原則の吟味を行う。倫理学理論の導入は、応用倫理学の 方法論としては一般的・抽象的なものから個別なもの、具体的なものを導 くことから、理論や原則を優位に置くタイプ(演繹モデル)である。個別 の道徳判断は、倫理理論によってあらかじめ練り上げられた一般原則や支 持・命令の体系から論理的に演繹されると考える。個別状況が一般理論にス ムーズに導かれる場合は良いが、道徳的葛藤が発生している場合は、倫理 的意思決定がなされなければならない(馬淵,2010)。倫理的意思決定のプ ロセスは以下の通りである:① 問題を認識する、② 問題を分析し、事実と 不明瞭な点を明らかにする、③ 倫理的課題を明確にし、意思決定の中核と なる倫理的価値も明確にする、④ もし倫理的価値で対立がみられるのであ れば、倫理的ジレンマがあることになる、⑤ 対立関係にある倫理的価値を 精査し、意思決定の優先順位をつける。順位付けの際には、倫理的意思決定 をする目的、目的に至る手段や信頼性などを考慮する必要がある。これら5 つの過程においては、以下の4つの側面が絶えず考慮されるべきである:① 倫理的卓越性、② 倫理の普遍性、③ 公正の原則、④ 道徳的規範。4つの側 面を考慮しながら5つの過程を踏んで倫理的意思決定を行うことで、事実と 不明瞭性の両方を考慮したうえで倫理的問題を批判的に評価することにな り、利害関係者全て(多数派のみではなく)の立場を反映していることにも なる。さらに、倫理的対立を倫理的に解決することにもつながる(Lovelock 42.
(17) 観光倫理研究と教育の発展に向けた一考察. & Lovelock, 2013) 。 三つめ、第二段階目での最終の研究は、倫理的行為基準の構築を行う研究 である。倫理的行為基準とは、持続可能な観光に資するために必要な観光に 関わる積極的行為主体を対象としたものである。各者がそれぞれの立場にお いて、どのような行動をとるべき/とるべきではないのか、またその背後に ある理由などを明確化させる必要がある。これは応用倫理学の方法論として は、事例ベース推論モデルと演繹モデルの相互性を重視するタイプ(反照的 均衡)である。一つ目の研究で「~すべき」といった価値判断がボトムアッ プ式に構築され、さらに二つ目の研究で観光の倫理原則がトップダウン式に 吟味された。ここでは、この判断と原則が整合するように調整される。そこ でもし原則と判断が衝突するようなことがあれば、判断が修正されたり新し い原則が考えられたりする。このような個別と一般の間の弁証法的な行きつ 戻りつの終わりなき再調整過程を繰り返し、均衡を見出しながら倫理的行為 基準が構築されるべきである(馬淵,2010) 。 ○ 第三段階:持続可能な観光のための教育に向けた研究 原(2016)も今後の観光倫理研究の方向性の一つの指標として[6.観光 倫理教育の構築]を示しているように、持続可能な観光に資するような観光 倫理教育の構築は重要である。これが観光倫理研究の最終的な目標と言って も過言ではなく、前段階までに行われた研究で得られた知を駆使して教育方 策が構築されるべきである。 観光教育7)の一分野である観光倫理教育には、以下の三つの側面がある。 一つ目は、高等教育機関で提供される観光に関わる倫理的諸問題の理解と解 決に向けた教育、さらに持続可能な観光に資するための倫理規範に関する教 育のことである。持続可能な観光や観光倫理に関する教育を指す。さらに、 観光経営論、観光マーケティング論、観光政策・開発論、観光者行動論など 観光教育の各分野においても、教育カリキュラムは観光倫理の原則に基づい て作成される必要がある。つまり、高等教育機関における観光倫理とは、単 に持続可能な観光や観光倫理に関する講義のみならず、観光教育理念の根底 地域創造学研究. 43.
(18) 論文. にあるべきものである8)。二つ目は、観光関連産業従事者に対して地域住民 や観光対象、自然環境、さらに観光者などに対する一企業人としての倫理を 教育(研修)することである。これは企業活動上重要な守るべき基準を指し、 労働環境や道徳的考え等法令ではカバーできない範囲まで規定している企業 倫理の一側面である。三つ目は、観光者に対して彼らの倫理的行動を啓蒙す る取り組みである。倫理とは人間である以上避けて通れないものであり、休 暇中の観光者においても例外ではない。さらに既述の通り、観光者の行動が 観光地に悪影響を及ぼしていることから、その実践には大きな課題があるも のの、観光者に対する教育・啓蒙も重要である。 前章で既述の通り、観光関連事業者や観光者に対して倫理的行動を啓蒙 するために一般的に使われているものは行動規範を定めた倫理規定(倫 理的コード)であるが、この限界も数多く指摘されている(Lovelock & Lovelock, 2013)。倫理的コードの記述内容、その有効性(観光関係者に倫 理コードが伝わり、行動の変化に繋がっているか否か)、より有効的な倫理 コードのあり方、等の調査と分析が求められることから、[3.倫理的コー ドに関する調査と分析]もこの段階で必要である。 さらに、観光者個人が実感できる程では無くても、非倫理的行動をとる観 光者が累積することによって観光者がもたらす観光地への悪影響が顕在化し てくる。この事実を踏まえると、観光者に対する教育・啓蒙が重要であると 理解できる。人間として求められる一般的な規範倫理の他に、観光の文脈で 非日常・異日常空間において他国・他地域の人々と接触するという特殊な状 況下における、地域住民や観光対象、自然環境、さらに他の観光者などに対 する倫理も考える必要がある(宮本,2016)。しかしながら、観光者の旅行 動機の本質は日常の責任から解放され、非日常・異日常世界でしばしば観光 地住民にとっては非倫理的行動と見なされる快楽的行動をとることであるこ とから、観光者に対して倫理的行動を求めることに対する批判的な意見も多 い(Butcher, 2003)。このような矛盾が生じている状況下において、観光者 における倫理的な観光行動/責任ある観光行動に対する価値、倫理的行動を 啓蒙することによる反応、さらに観光者による倫理的行動実行の程度などを 44.
(19) 観光倫理研究と教育の発展に向けた一考察. 理解する必要もある。. 5.おわりに 観光には現象としても産業の一形態としても様々な問題が立ちはだかり、 その緩和のためには観光に関わる積極的行為主体の倫理的な行動が重要であ る。倫理とは社会生活の外側に存在するものでは無く、社会的な存在として 生活するうえで最も基本的で中心的なものであることから、観光に関わる利 害関係者は観光者も含めて倫理から避けて行動をすることはできない。そこ で倫理学の知を参照しつつ、観光(特に観光がもたらす様々な問題)を通し て現代における社会規範を問い直し、現代のグローバルな資本主義的状況下 における観光のより良い形、あるべき形を考察する観光研究の一分野である 観光倫理研究の重要性が浮き彫りとなる。さらに、観光開発を行ったり観光 者を受け入れたりする観光推進者・地元受益者・ブローカー、観光をする観 光者などの積極的行為主体による一般地域住民・観光対象・自然環境・観光 者などに対する望ましいとされる行動(持続可能な観光に資する行動)の明 確化と、各者への教育・啓蒙も重要である。しかしながら観光倫理、特に観 光者に関わる倫理は、「楽しみとしての観光」を自己認識的な倫理・道徳的 な観光へ変化させ、快楽的楽しみを罪や強制に置き換えてしまう可能性があ り、観光倫理推進者は“fun police”と揶揄されることがある(Lovelock & Lovelock, 2013) 。多様な利害関係者がグローバルに結びつき、さらに利己主 義的・快楽主義的性格に特徴づけられる観光現象における倫理は、矛盾に満 ちたものである。 現状の積極的行為主体に対する観光倫理教育・啓蒙は、トップダウン型の 原則主義における四原則(自律尊重原則・無危害原則・与益原則・正義原 則)を観光の一般論的状況に当てはめて倫理規定を作成し、それを周知させ ることを行っている。原則主義における四原則が、持続可能な観光へのアプ ローチに必要な大原則であることは事実である。しかし、現状の観光倫理規 定は国際観光において影響力が強くさらに観光送出国でもある先進国諸国の 視点に偏っていることが多く、さらに個別の観光地(特にグローバルな資本 地域創造学研究. 45.
(20) 論文. 主義的状況下において不利な立場にある開発途上国の観光地)の経済・社 会・文化的状況を十分に考慮していない普遍的倫理のアプローチをとること が圧倒的に多く、包括的で一般的過ぎ、観光の国際性や複雑性に対応できて いないこともある。 そこで本稿では観光倫理研究や教育の今後の発展のために、持続可能な観 光に資するような観光倫理教育の構築を最終目標とし、そこに至るまでの観 光倫理研究の過程を提示した。現時点での観光研究は、観光がもたらす影響 について認識することしかできていない。つまり、観光における善悪や正邪 の判断基準を示すことはできておらず、さらに国際的で多様な利害関係者の 思惑が入り混じる観光において何が許容されるのか、何が許容され無いのか、 などについても十分に理解できていない。つまり現状の観光倫理規定は、観 光における正しいことや善いことの意味を十分に理解せずに何が正しい・善 いのかの基準を作成していることになる(Lovelock & Lovelock, 2013)。観 光倫理の構築のためには、倫理学の知はもちろんのこと、経済学・経営学・ 社会学・人類学・地理学などからのアプローチによる観光研究が蓄積してき た観光の現状・問題や本質に関する知を駆使して倫理的行為基準の構築が行 われるべきである。観光倫理研究とは、学際的な性格である観光研究におい て、学際性が発揮される最たる研究領域であろう。. 謝辞 本研究はJSPS科研費JP18K18279の助成を受けたものです。. 注 1)倫理学とは、人間の行為や社会関係を支配する道徳について、その起源・ 発達・本質・意味を研究する学問である。多くの人々に自明のこととして受 け入れられ、社会で通用している規範を疑うことから始まる。現代社会は国 際化・高度化、さらに技術革新などに伴って様々な問題(環境破壊・生物保 護・ネット犯罪・延命治療・臓器移植など)に直面しているが、これらは本 質的には倫理学的な問題の応用編である。このようなことから、倫理規範を 抽象的なレベルで理論的に考察する倫理理論を参照しつつ、現代社会の具体 的な問題に答えを与え指針を示すことを目的とした実践的な応用倫理学が求. 46.
(21) 観光倫理研究と教育の発展に向けた一考察 められている。観光倫理研究も、倫理学的側面からみれば応用倫理学の一研 究領域である。 2)観光における倫理の重要性は、観光研究者のみならず観光関連産業従事者 の間でも認識されつつある。観光関連産業においては、国連世界観光機関 (UNWTO)「世界観光倫理憲章」を規範として、自然環境や文化遺産の保 護や価値の向上、観光受入国や地域に対する有益な活動の実践、さらに倫理 的で責任ある行動を観光者に啓蒙する活動などが企業の社会的責任(CSR) の一環として行われている。欧米圏では新聞やテレビのドキュメンタリー番 組などで観光の倫理的問題を報道したり、観光者の倫理的で責任ある行動を 啓蒙したりする動きがみられる。さらに、観光の倫理的諸問題を改善させる ことや観光産業従事者に対して倫理的な観光開発やビジネス運営を行うよう に啓蒙したり、観光者に対して倫理的な行動をとるように啓蒙したりするこ とを目的としたNGO・NPO団体(例えば、英国のTourism ConcernやTravel Foundation、米国のEthical TravelerやGlobal Sustainable Tourism Councilな ど)の活動も注目に値する。日本国内では、観光倫理研究や教育の進展の程 度、さらに観光に関わる倫理的諸問題の一般市民への認知の程度は、欧米諸 国と比べれば後れを取っているのは事実である。しかし、近年の訪日観光者 急増に伴う各観光地のオーバーツーリズム問題や、外国人観光者のマナー問 題(ただし、これは特定の国籍の観光者のマナー問題を強調する報道姿勢が 目立ち、偏見の助長につながる危険性も大いにあるが)に関する報道の増加 は、持続可能な観光や観光倫理の重要性を観光研究者のみならず一般市民に も浸透させるきっかけとなり得る。 3)そもそも倫理とは社会生活の外側に存在するものでは無く、社会的な存在と して生活するうえで最も基本的で中心的なものである。私達は認識している か否かは別として、何を正しい/間違いとみなすか、誰が正しく誰が間違っ ているか、などの倫理的議論に巻き込まれており、道徳的規範が社会的生活 を規定する。つまり観光に関わる利害関係者は、観光者も含めて倫理から避 けて行動をすることはできない。 4)これらはあくまでも概念であって、観光の一形態ではない。つまり、観光 に積極的に関わる者は従わなければならない掟のようなものである。しかし、 特にこれらの言葉が比較的一般市民に浸透している欧米諸国においては、エ コツーリズム(一般市民に認識されているエコツーリズムの概念は「地球に 負荷のかからない形態の観光商品」)と同等に扱われることが多く、混乱の原 因になっている(Weeden, 2014)。 5)観光者が関わる「責任ある観光」は、矛盾に満ち溢れている。観光者は自分 自身の責任を倫理的なビジネスを行っている観光業者を選択して利用するこ とと考え、自分自身が負うべき責任を押し付ける傾向がある(Weeden, 2014)。 観光に関する義務や責任を果たし、観光を良い状態にする上で重要なアク ターは観光関連事業者や政府であると考え、観光者個人の行動はほとんど影 響をもたらさないと考える傾向もある(Stanford, 2014)。多くの観光者は旅. 地域創造学研究. 47.
(22) 論文 行先の自然環境の質について興味を示すものの、その本質は観光が観光地に もたらす影響一般のことを指すのではなく、自分が訪れる旅行先での旅行経 験の質を決定づける要因としての興味である(Horner & Swarbrooke, 2016)。 「責任ある観光者」と名乗るのであれば、旅行先か否かに関わらず観光地全 般の自然環境に興味があるべきであり、自分の旅行先の興味に限定されては いけない。これらの事実は、日常の責任を非日常世界の観光地で忘れること が主要動機である観光者に対して、如何に「倫理的な観光」や「責任ある観 光」が旅行動機や行動の現実と矛盾するかを窺わせるものである。観光者に 向けた行動規範は、観光者の気持ちをもっと分別のある振る舞いをするよう にする試みであり、それを観光者に求めることによって、観光者の反発が起 こることも十分に考えられる。さらに、自らを「責任ある観光者」であると 自負し、世間一般で知られている「倫理的な観光」や「責任ある観光」の概 念を理解し、自分たちは自然環境、経済や文化などに対して観光者として十 分な配慮を行っていると高く評価する傾向がある人達(多くの場合は欧米諸 国に住む高学歴・高収入・中年女性)にも矛盾が存在する。「善い」行動に 関する語りは矛盾に満ちていて一貫性が無かったり、さらに阻害要因があ るとすぐに妥協されたり相殺取引がされたりする(Weeden, 2014; Stanford, 2014)。例えば、航空機での長距離移動は大量の二酸化炭素排出を伴うが、そ れを知っているある観光者は現地でボランティアをすることで罪悪感を相殺 しようとする。観光産業における労働環境問題が指摘されているモルディブ を訪れたある観光者は、その事実を旅行前から知っていて現地ではそれを目 の当たりにしているにも拘らず、その問題を現地での経験を通してより良く 知ったということで、そのような場所を訪れた罪悪感を帳消しにしようとす る(Stanford, 2014)。 6)功利主義とは、功利(快を求め苦を避ける人間の傾向)を価値の原理とみな す倫理学説や社会・政治思想である。全ての人間の意思決定は、この傾向に よって支えられている。この理論では、個人の楽しみや快楽の追及が道徳の 基本となっている。人々を幸せにするものが良いもの、痛みや苦しみを伴う ものは悪いものという考えである。善悪に関わる行為の評価は、功利(功績 と利益)が増進されたか低減されたか、さらに最大多数の最大幸福の程度な どで行われる。 7)観光教育とは、観光分野における人材育成を目指した教育のことであり、主 に大学・短大・専門学校等の高等教育機関で教育が行われている。さらに高 等教育以外にも、観光関連産業に従事する人材の育成や経営マネジメント力 向上、観光地域づくりやDMO形成における専門人材の育成に向けた取り組み 支援なども含まれる(JTB総合研究所,n.d.)。 8)UNWTOの一組織であるUNWTO Academy(2018年UNWTO Themis Foundationから改称)が実施する観光教育機関向けの認証制度「UNWTO. TedQual(Tourism Education Quality)」においては、UNWTOが定める世界 観光倫理憲章の精神(観光を促進する、観光を通じた世界平和、非差別平等、. 48.
(23) 観光倫理研究と教育の発展に向けた一考察 多文化共生、移動の自由、就労の自由など)に反しない教育・研究が行われ ていることが認定の要件である。つまり観光に限らずあらゆる人間の行為に 関わる良い行動の規範(正義・公正・平等)が、観光倫理教育においても大 前提となる。. 参考文献. 飯田芳也(2012)『観光文化学 旅から観光へ』古今書院 医療教育情報センター(2010)「新しい診療理念 No76 医療倫理の四原則」 http://www.c-mei.jp/BackNum/076r.htm(最終閲覧日2018年2月24日) 大橋昭一(2010)『観光の思想と理論』文眞堂 木村勝彦(2011)「観光と倫理」(長崎国際大学人間社会学部国際観光学科編『観 光の地平』学文社),23-31. 国連世界観光機関アジア太平洋センター(2017)「責任ある観光者になるためのヒ ント」http://unwto-ap.org/持続可能な観光国際年-4/(最終閲覧日2018年2月 26日) JTB総合研究所(n.d.)「観光教育とは」https://www.tourism.jp/tourism-database/glossary/tourism-education/(最終閲覧日2018年2月6日) 原一樹(2016)「観光倫理学の展開に向けた準備的考察-英語圏先行研究からの課 題整理-」『第31回日本観光研究学会全国大会学術論文集』341-344. 馬渕浩二(2010)『倫理空間への問い 応用倫理学から世界を見る』ナカニシヤ出 版 宮本佳範(2016)「観光倫理研究の課題と展望」『観光学評論』4(2):135-148. 薬師寺浩之(2011)「持続可能な観光開発に関する一考察 -倫理的概念適応の重要 性とその限界-」『日本観光研究学会第26回全国大会論文集』429-432. Beauchamp, T. L., & Childress, J. F. (1979) Principles of Biomedical Ethics., Oxford: Oxford University Press.[永安幸正・立木教夫訳(1997)『生命医学倫理』成 文堂] Butcher, J.(2003) The Moralisation of Tourism: Sun, Sand … and Saving the World?, London: Routledge. Butcher, J. & Smith, P. (2015) Volunteer Tourism: The lifestyle politics of international development. Abingdon: Routledge. Fennell, D.(2006)Tourism Ethics, Clevedon: Channel View Publications. Hall, C. M.(2011) “Policy Learning and Policy Failure in Sustainable Tourism Governance: from first and second to third order change?” , Journal of Sustainable Tourism, 19(4-5):649-671. Holden, P.(ed.) (1984)Alternative tourism: with a focus on Asia, Bangkok: Ecumenical Coalition on Third World Tourism. Horner, S. & Swarbrooke, J.(2016)Consumer Behaviour in Tourism, Abingdon: Routledge. Lovelock, B. & Lovelock M.(2013)The Ethics of Tourism-Critical and applied. 地域創造学研究. 49.
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