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「第60回青森在宅緩和ケア懇話会 市民公開講座 在宅ホスピスケア 病院から在宅へ 地域へつなげる」

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(1)2012 年度(前期)指定公募① 「市民講座開催への助成」 完了報告書. 【テーマ】第 60 回青森在宅緩和ケア懇話会 市民公開講座 在宅ホスピスケア. 病院から在宅へ. 地域へつなげる. 【申請者】小枝淳一、青森慈恵会病院、緩和ケア科 統括部長 〒038-0021 青森県青森市安田字近野 146-1 【提出年月日】平成25年4月24日. 「公益財団法人 在宅医療助成 勇美記念財団の助成による」.

(2) 【プログラム】 平成25年3月23日(土)午後14時~17時 フェスティバルシティアウガ AV 多機能ホール ・基調講演 「青森市における在宅緩和ケア」 北畠外科胃腸科医院 北畠滋郎氏 ・在宅で家族を看取った経験 「家族と過ごした母」. 對馬しのぶ氏. ・やすらぎコンサート ソプラノ 鷹山美緒・ピアノ 竹内奈緒美 ・特別講演 「在宅ホスピスケア 病院から在宅へ 地域につなげる」 東北公済病院相談室 玉井照枝氏. 「公益財団法人 在宅医療助成 勇美記念財団の助成による」.

(3) 講演者レジュメ ・基調講演 「青森市における在宅緩和ケア」 北畠外科胃腸科医院 北畠滋郎氏 在宅緩和ケアとは、在宅で提供する終末期の緩和ケアであり、患者が中心にいる。患者、 家族を多職種チームで支える医療である。余命半年と言われた時に自宅で過ごしたいと答 えた人は63%に上るが、実際に最期まで家で過ごす方は非常に少ないのが現状である。 自宅で死ねない理由として、介護力不足、不安など様々だが、患者の話を聞くと本当は家 に帰りたい人がたくさんいることが解った。また実際に家に帰られた患者の話、家で看取 った家族の話をきくと、家で過ごせて本当に良かったと言われた。たとえば、在宅緩和ケ アを受けられた 67 歳の男性は、病院では大量の麻薬鎮痛剤を使用していたが痛みは激しい ままだった。しかし自宅に帰って鎮痛剤の併用と鎮痛補助剤を追加したところ、5 日目あた りから痛みがとても楽になった。自宅では妻や子供たちと過ごす濃密な時間があり、家に 戻ってきて本当に良かったと感じていると話された。 青森県及び青森市ではがんの患者の在宅死割合は全国と比べて多くはないが、市内主要 な 4 つの訪問看護ステーションの在宅ホスピス利用者数は平成 23 年度 24 年度とも 110 人 を越え、半数が家で亡くなられている。今後はこのような市民公開講座などを通して、家 で死ねる方が増えていくと考えている。 ・在宅で家族を看取った経験 「家族と過ごした母」. 對馬しのぶ氏. 今から 2 年ほど前、私は母を食道がんで亡くしました。54 歳という若さでした。病院嫌い の母をやっと病院に引きずって行って、検査を受けた結果は末期の食道がんで手の施しよ うがないものでした。私は母に正直に病状を伝えました。母は家に帰りたいと言いました。 病院の相談窓口に行くと、訪問看護や緩和ケアに力を入れている青森慈恵会病院を紹介し ていただいた。退院してからは、点滴のやり方、痛みが強くなった時の対処方法など様々 なことを教わりました。母は愛犬と戯れ、子供たちとも触れ合い、毎日訪問看護ステーシ ョンの看護師さんが様子を見に来てくれました。 家に帰って一週間ほど過ぎたころ母が生まれ故郷の利尻島に行きたいと言いだしました。 利尻島は北海道のはるか上、ロシアの方が近いくらいです。看護師さんと主治医の先生に 相談したところ、てっきり無理ですと言われると思ったのですが、家族もそうしてあげた いならば行ってくれば良い、と答えてくれました。主治医のアドバイスやもしもの時の紹 介状、そして酸素ボンベや航空会社への手続き、点滴やホテルでの在宅酸素など様々な準 備をしました。そして母と 2 人、8 日間にわたる利尻島への旅に出発しました。旅行中悪天 候などによるアクシデントもありましたが、利尻島では兄弟、親戚、幼なじみと会うこと ができました。母を親代わりに育ててくれた叔母の家にお世話になりました。利尻のウニ. 「公益財団法人 在宅医療助成 勇美記念財団の助成による」.

(4) が食べたいと話していた母ですが、病気で飲み込めないため自分では舐めるだけでしたが、 私達にウニを剥いて食べさせてくれました。 一週間の旅行を成し遂げた母と私は青森空港に帰ってきました。迎えの父の姿を見た途 端にホッとしたのか急に具合が悪くなってしまいました。翌日からは家で寝ていることが 多くなり、帰ってきて 4 日目に苦しむことなく、本当に眠ったまま安らかに旅立ちました。 緩和ケアは、患者の意見を尊重してくれ、やりたいと思ったことは全力でサポートして くれ、痛みを和らげ、少しでもいつもの生活ができるようにしていただき、患者や家族が 望むように最期を迎えることができました。我が家の経験が、今後在宅看護をする人の役 に立つことがあったらいいな、と思っています。 ・特別講演 「在宅ホスピスケア 病院から在宅へ 地域につなげる」 東北公済病院相談室 玉井照枝氏 爽秋会岡部医院では 4 つのチームを編成し、宮城県と福島県で在宅緩和ケアを展開し ている。その理念は、安心して自分の家で療養したい、人生の最後を自分の家で自分らし く過ごしたいという患者・家族をチームで支えようというものです。2011 年爽秋会で担当 したがん患者の死亡場所は 328 人、82%の方が在宅で、59 人 15%の方が病院でした。 38 歳の直腸がん末期の患者さんは、小学 6 年の息子の野球を見に行きたい、入院はした くないと言っておられた。一時緊急入院になったが再び在宅へ、在宅では皮下輸液、モル ヒネ持続皮下注などで症状のコントロールを行った。6 年生の息子にとっては辛い看取りと なったが、亡くなる前に母から父の病気を説明され、せん妄が出現した時にも家族みんな で献身的に介護された。困難を乗り越え在宅で看取りを行うためには、困難を回避する方 法を考え与えることではなく、患者・家族が困難を乗り越えられるようにサポートを行う ことであろう。 在宅ホスピスの遺族調査から「もうちょっと早く紹介してもらいたかった。 」 「在宅は無 理と思っていたけれど、これならもっと早く家にかえれば良かった。 」 「緩和ケア病棟のベ ッド待ちで在宅ホスピスをお願いしたけれど、家で過ごしたらこのまま家で過ごしたいと 思った。そして在宅で看取りました。」などの声が聞かれた。実際、平成 22 年に病院から 爽秋会に紹介となった 393 名の患者のうち 59 名 15%が在宅に移行する前に病院で状態悪化、 死亡などのために家に帰れなかった。紹介が遅れる理由としては様々あるが、医師が本当 の病状を伝えていない、在宅医療にたいする医師の認識が低い、在宅ホスピスに対する患 者の否定的なイメージ、また大きな不安。退院は患者・家族にとって入院以上に不安を感 じさせるものである。退院支援は退院に伴って生じる心理的・社会的問題を解決するため に必要なものである。患者の本心を患者に寄り添うように聴いていく。そして希望を支え ることが大切である。. 「公益財団法人 在宅医療助成 勇美記念財団の助成による」.

(5) 申請者の感想 昨年に続き、勇美記念財団の助成を受け、青森在宅緩和ケア懇話会として 2 回目の市民 公開講座を開催することができたのはとても光栄なことである。昨年は 12 月にも拘わらず 大雪の吹雪で市民の方々には大変な思いをしてご来場いただいた。本年は 3 月の後半に設 定することで、幸い天候を気にすることなく開催することができてほっとしている。 結果、大勢の市民の方々にお集まりいただき 300 名の会場の 5 割以上がうまった。 對馬さんのお話しは在宅で末期がんの家族を介護するのは不安もあり、まして遠い母の 故郷への旅は、最初は不可能と思えたが、勇気を振り絞って行ったことはとても大切な思 い出になった。在宅ケア、訪問看護、訪問診療などを知らない人はまだ多いと思うが、こ れから在宅での介護を考えている方々の背中を押すお話しができればと、快諾いただいて、 体験をお話ししていただいた。旅行中の写真、お母さんの友達や親戚との写真を披露して いただきながら、苦労しながらも最期に良かったと思える時間を共有できたことを、涙を こらえながらお話ししてくれました ソプラノの鷹山さんは透き通った真っすぐな歌い方で、バッハやシューマン、立原道造、 石川啄木など会場の空気をしっかりと循環させて、心に響く歌を聴かせて下さった。ピア ノの竹内さんは鷹山さんとは初共演であったが、伴奏家としての本領を発揮し見事に鷹山 さんの声量を引き出した。 玉井さんは、岡部医院での長年の経験、そして新しい職場で気持ちを新たに、進行がん をお持ちの方々が在宅で暮らせるように寄り添うように話を聴きながら相談を受け、可能 な限り在宅、地域につなげていくことをお話しくださった。実際の症例を提示しながらお 話し下さった中には、無理に在宅へ引っ張るのではなく、なるべく本人と家族の意向に沿 いあせらずに聴いていくことの大切さを説いてくださいました。 会場からも沢山の質問をいただき、熱い要望を受け取ることができた。がんで困った時 にどこに相談にいけば色々な情報をもらえるのか?在宅ホスピスというが、市民は死ぬと いうことに関して普段考えることもない。元気なうちから、どのように死ぬかを考えるこ とは自分ひとりではなかなかできない。そのようなことを考える会のようなものに参加す ることは可能なのか?在宅ホスピスのチームの中心になっているのはどの職種の人なの か?などで、演者や会の世話人が丁寧に答えさせていただきました。 青森市で 2 回目となる在宅ホスピスの公開講座であったが、前回にもまして市民の参加 を得られたこと、そして聞いたこともないが、なんとなく気になるので聴きに来たような 方もかたもいらして、とても嬉しかった。このような有意義な会を助成していただき、誠 に感謝の念に堪えません。ありがとうございました。. 「公益財団法人 在宅医療助成 勇美記念財団の助成による」.

(6)

(7) 在宅緩和ケアとは 青森市における在宅緩和ケア . 在宅緩和ケア: 緩和ケアを在宅で提供する. 北畠外科胃腸科医院 院長 北畠滋郎 2013/03/23 フェスティバルシティアウガ. 緩和ケア . 生命を脅かす疾患による問題に直面する患者 とその家族に対して、痛みやその他の身体的、 心理的、社会的な問題、さらにスピリチュアル (宗教的、哲学的なこころや精神、霊魂、魂)な 問題を早期に発見し、的確な評価と処置を行う ことによって、 苦痛を予防したり和らげることで、 QOL(人生の質、生活の質)を改善する行為で ある、としているのである (WHOの定義文2002). 在宅医療・在宅ケア . . 在宅ケア:自宅または希望する家などに居て,自 力生活が困難な療養者が,家族,介護職,医療職, 福祉職,ボランティアなどの協力や支援により,希 望する生活をすることを可能にするための手段. 在宅医療:在宅ケアの一部.医学的管理,医療処 置が必要な自宅療養者のために,医師,歯科医師, 薬剤師,看護師,理学療法士などが連携,協力し て,自宅での療養を支援する手段.. 死期が迫っている(余命が半年以下)と告げられた場合 一般集団2,527人(2008年). 在宅緩和ケアの理念 在宅で提供する終末期の緩和ケア  患者さんが中心  一人ひとりの人間の生き方を支える  安楽に過ごす ⇒痛みやその他の苦痛な症状からの解放  患者さん,家族を支える  チーム(多職種)で支える. 療養生活は最期までどこで送りたいですか?. . 緩和ケア病棟. 18%. 47%. 緩和ケア病棟. 29%. 自宅. 63%. 11%. 自宅. 23%. 今まで通った病院. 9%. がんセンター 3%. 32%. 今まで通った病院 がんセンター.

(8) 自宅で死ねない理由      . でも本当はほとんどの人が. 家族に介護力がない. 家族に迷惑をかけたくない. 痛みが辛くて家に帰れない. 入院していると安心. 主治医が退院させてくれない? 死ぬ時くらいはせめて病院で?.     . . 家で過ごした患者さんの言葉   .   . 誰に遠慮もいらないから.とっても楽, 旦那には思いっきりわがまま言える. 病院にいるときと比べると,家族みんなと 過ごす時間がこんなにも長い. やっぱり犬(猫)だよね~~~ この庭,私が丹精込めて作ったんだ~ 趣味の絵を描くことができた.. 家で看取ることができた家族のお言葉 . . . . おばあさんのお世話は,幼稚園の孫が一番よくやっ てくれたんですよ. 薬だけが人を安楽にしてくれる道具ではないことがよ く解りました.言葉が癒す力って素敵ですね. 苦しくなったときには本人も私たちも入院を覚悟しま したが,往診で安心させてくれて最後を家で迎えられ ました.本当によかった. 家で死ぬってこんなに幸せなことだと初めて知りまし た.私も大勢の家族や親類に囲まれて死にたい.. 場の違い(病院と在宅). なぜ在宅なのか?     . 死亡者数の増加:超高齢化・多死社会 死亡場所の推移:医療病床増加(-) 医療政策 医療費の問題 キュア(Cure)からケア(Care)へ. できれば家で死にたい. 今まで暮らしていたように,できるだけ自分らしく. 毎晩、自分のレコードを聴きながら、晩酌. 大勢の家族にみとられたい(孫、ひ孫) 病院にいるとどうしても看護師さんには気を遣っ ちゃう.皆忙しそうで・・・辛くてもナースコール押せ ない. 看護師さんは皆優しい.けど,あの看護師さんとは 合わないのよね.あの人が担当になると,怖くて一 日が早く終わらないかと.. . . 病院医療はキュア(cure)主体 徹底して検査,病因を追求,できる限りの治療 ケアは実践されにくい. 在宅医療はケア(care)主体 病気も生活の一部,検査や治療が優先されるわけではない. 病気があっても検査や治療をしないという選択枝もあり,ケア(患 者がどうしたいのかを医療的に支援していくアプローチ)での対 応が優先. 苦痛の除去はほぼ入院中に劣らないレベルの治療を提供可能 主役は患者さん.

(9) 青森在宅緩和ケア懇話会. 病院から家に帰ると 特別なことをしなくてもなぜか元気になる 病院での制約からの解放 嗜好品・日課・生活空間 家族との本来の関係に戻りやすい.    . 歴史・沿革:本会は平成18年5月発足の青森在宅緩和ケア勉強会 と,平成15年7月26日発足の青森緩和ケア懇話会の合併により平 成21年2月18日に発足した会である.  会の趣旨・目的:本会は青森県における緩和ケアの充実,普及,啓 発をはかり,がん医療の地域連携を推進し,在宅緩和医療の提供 に貢献する.  これを達成するために次の事業を行う. (1)青森在宅緩和ケア懇話会を定期的に開催する(年9-11回) (2)その他本会の目的を達成するために必要な研修,研究.検討等 (3)本会の目的に賛同する医療介護福祉関係者等の参加を広く募る . ⇒家に帰ると痛みや苦痛が軽減する 逆に言うと,家でコントロールできない苦痛は 病院ではコントロールできない. 慈恵会訪問看護ステーション 在宅ホスピスの実績. 世話人会名簿 顧問 事務局 監事 世話人. 村田有志 むらたゆうじ 吉田茂昭 よしだしげあき 沼倉昌洋 ぬまくらまさひろ 鈴木秀和 すずきひでかず 小枝淳一 こえだじゅんいち 秋山昌弘 あきやままさひろ 蘆野吉和 あしのよしかず 北畠滋郎 きたばたけしげお 斎藤 聡 さいとうそう 齋藤 勝 さいとうまさる 千歳和哉 ちとせかずや 川嶋啓明 かわしまひろあき 馬場祥子 ばばさちこ 福士道夫 ふくしみちお 秋庭聖子 あきばせいこ 泉美紀子 いずみみきこ 越後雅子 えちごまさこ 金田一成子 きんだいちせいこ 槻ノ木沢由香里 つきのきざわ 那須幸子 なすさちこ 柴田まゆ子 しばたまゆこ 一戸真紀 いちのへまき 盛小枝子 もりさえこ 織井優貴子 おりいゆきこ 風晴賢治 かぜはれけんじ. 黒石病院 青森県立中央病院 あんさん訪問看護ステーション ひでかず胃腸科内科 青森慈恵会病院 あきやま内科胃腸科 青森県立中央病院 北畠外科胃腸科医院 三沢市立三沢病院 青森県立中央病院 千歳産婦人科 青森市民病院 ときわ会病院 福士胃腸科循環器科 森県立中央病院 訪問看護ステーションあおい森 青森県立中央病院 大野あけぼの薬局 青森県立中央病院 黒石病院 あおもり協立病院 青森市民病院 青森県立中央病院 青森県立保健大学 包括センターおきだて. 院長 院長 所長 緩和ケア認定Ns 院長 緩和ケア科 部長 院長 緩和医療科部長 院長 副院長 医療顧問、緩和ケア科 院長 外科 部長 緩和ケア科 部長 院長 緩和ケア認定看護師 所長 師長 薬剤師 主任 師長 看護師 緩和ケア認定看護師 主任 教授 所長. 在宅死. ホスピス病棟 入院後死亡数. 他施設で 死亡. 9. 2. 0. 7. 2. 平成17年. 10. 5. 0. 5. 5. 24. 6. 0. 平成19年. 10. 5. 平成20年. 23. 6. 平成21年. 15. 平成22年 平成23年 平成24年. 他施設で 死亡. ホスピス入院 後死亡. 入院なしで在宅死. 平成16年 2月~12月. 5. 2. 2. 1. 1. 平成17年. 10. 7. 2. 0. 2. 平成18年. 19. 10. 7. 0. 6. 平成19年. 23. 12. 9. 2. 9. 平成20年. 34. 18. 8. 4. 9. 平成21年. 38. 21. 10. 2. 20. 平成22年. 37. 20. 9. 1. 19. 平成23年. 26. 14. 9. 1. 12. 平成24年. 28. 6. 11. 1. 6. 在宅ホスピス利用 者数(述べ人数). 在宅死. ホスピス 病棟入院 後死亡. 他施設で 死亡. 入院なしで在宅 死(全く入院な し). 平成21年 11月~12月. 10 (10). 3. 0. 1. 3(3). 平成22年 1月~12月. 42 (127). 15. 12. 6. 15(13). 平成23年 1月~12月. 44 (156). 18 (GH1). 25. 4. 14(13). 平成24年 1月~12月. 40 (115). 24 9. 0. 20(16). 平成25年 1月~2月. 5 (23). 4 (GH1). 1. 0. 3(1). 合計. 141 (431). 64. 47. 11. 55(46). 入院なしで 在宅死. 平成16年. 平成18年. 在宅死. あんさん訪問看護ステーション 在宅ホスピスの実績. 訪問看護ステーションあおい森 在宅ホスピス実績( H16.1~H24.12 ) 在宅ホスピス 利用者数. 在宅ホスピス 利用者数. 18. 6. 0. 5. 5. 5. 12. 6. 6. 5. 4. 5. 11. 9. 2. 0. 9. 21. 10. 9. 2. 10. 17. 13. 1. 4. 12. (宅老所1 +GH1).

(10) 青森市主要4ステーション 在宅ホスピスの実績. 訪問看護ステーション やよい 在宅ホスピス実績(H23年1月~H24年12月) 在宅ホスピス 利用者数. 在宅死. ホスピス病棟 入院後死亡. 他施設で 死亡. 入院なしで 在宅死. 在宅ホスピス 利用者数. 在宅死. ホスピス病棟 入院後死亡. 他施設で 死亡. 入院なしで 在宅死. H23年. 21. 4. 7. 10. 2. H23年. 112. 46. 26. 17. 38. H24年. 26. 14. 8. 2. 10. H24年. 111. 57. 29. 7. 48. 総数 全. 病院. 診療所. 介護老人 老人ホー 助産所 保健施設 ム. 自宅. その他. 国. 死亡総数. 総数 1,253,066 954,745 割合. 悪性新生 総数 物 割合. 29,203. 18,393. 1. 76.2%. 2.3%. 1.5%. 0.0%. 4.0%. 12.5%. 3.5%. 357,305 313,571. 7,034. 1,387. 0. 4,265. 29,293. 1,755. 0.4%. 0.0%. 1.2%. 8.2%. 0.5%. 100.0%. 100.0%. 87.8%. 2.0%. 49,991 156,491. 44,242. 青 森 県. 平成23年. 総数. 16,419. 12,154. 1,051. 369. 0. 747. 1,724. 374. 割合. 100.0%. 74.0%. 6.4%. 2.2%. 0.0%. 4.5%. 10.5%. 2.3%. 悪性新生 総数 物 割合. 4,803. 4,142. 242. 32. 0. 71. 289. 27. 100.0%. 86.2%. 5.0%. 0.7%. 0.0%. 1.5%. 6.0%. 0.6%. 死亡総数. 青 森 市 総数. 3,316. 2,464. 245. 56. 0. 130. 350. 71. 割合. 100.0%. 74.3%. 7.4%. 1.7%. 0.0%. 3.9%. 10.6%. 2.1%. 悪性新生 総数 物 割合. 1,011. 855. 71. 5. 0. 11. 63. 6. 100.0%. 84.6%. 7.0%. 0.5%. 0.0%. 1.1%. 6.2%. 0.6%. 死亡総数.

(11) 『 家族と過ごした母』 1 母の紹介、食道がん発覚 2 市民病院での入院生活 3 在宅での看病 4 利尻島への旅行 5 母の最期 6 在宅看護、緩和ケアへの思い. 對馬しのぶ. 1 母の紹介、食道がん発覚. 今から2年半ほど前、私は母を食道ガンで亡くしました。 歳でした。 子供を5人も育て、いつも元気だっ た母が、こんなにも早く亡くなっ てしまうなんて、 家族の誰一人として思っ てもいませんでした。 2010年5月の終わり、4月ごろからずっ と風邪のような症状が続いていた病院嫌いの母を、 半ば引きずるようにして青森市民病院を受診しました。 様々な検査をされたのち、即入院。 そこで先生から聞かされたのは、母は末期の食道がんとのことでした。 私達家族にはまさに晴天の霹靂であり、まさかと耳を疑いました。 だいぶがんが進行しており、隣接する肺に穴が開き、食べた物が流れ込んでしまうためほとんど 栄養も取れておらず、呼吸もしづらくなっ ているとのことでした。 すぐさま肺にチューブを挿入し、肺に流れ込んでしまっ た異物を排出する治療が施されました。 そこで先生から私が聞かされたのは、このまま放っておいたら母は今日、明日にでも亡くなっ ていて もおかしくないほど状態が悪いということ。 余命があとどれくらいか…と予想することもできないほどだということでした。 いくら病院嫌いの母とはいえ、ここまで我慢するなんて。 4月ごろからずっ と調子が悪そうだっ たので、私が「 病院に行っ たら?」 と何度言っ ても 『 大丈夫、大丈夫。』 と頑なに病院には行っ てくれませんでした。 そしてその状態に私達がもっ と早く気付いてあげられなかっ たことにも、悔やみました。 もっ と早く、ひきずっ てでも病院に連れていけばよかっ た。 しかし悔やんでいる間にも母の病状は悪くなっ ていくのです。 私達家族は心の整理もつかぬまま、ただ前に進むしかありませんでした。. まずは、母へ病状の説明をしなければなりません。 以前から、母には『 おかあが重い病気にかかっ たら、絶対隠さないでちゃんと言っ てよ。』 と 何度も言われていたので、父と相談し、私が母に病状の説明をすることになりました。 さすがに、入院したその日には私もショックが大きくすべて話すことができず、 その日は、だいぶ病状が悪いみたいだということ、今検査中だから詳しくは明日話すよ。と、 ワンクッションおき、翌日、検査の結果食道がんの末期であること、 余命も何ヶ月も無いかもしれない。と、今の病状を隠すことなく説明しました。 母はきっ ととてつもなくショックだっ たであろうと思います。 しかし気丈な母は、取り乱すことも、涙を見せることもありませんでした。 春からの自分の体調を見てきて、かなり悪い病気ではないかと覚悟していたところもあっ たのかも 知れません。 そうして、まだまだ心の整理もつかぬまま、母と私達家族の闘病生活が始まっ たのでした。. 1. 54.

(12) 2 市民病院での入院生活 検査した日から、即日入院となっ た母。 初めは共同の病室でしたが、咳や痰がひどく、痛みでなかなか眠れず、うなされることも多かった ので個室に移ることにしました。 私は、幸いにして実家で経営する会社に勤めていましたので、急ぎの仕事の時には事務所に戻って 仕事を済ませ、それ以外はほとんど母の付き添いをすることができました。 それでも毎日泊り込みでは負担がかかっ てしまうので、週末には妹や弟、父と交代で付き添いをし てお世話をしていました。 もともと気が強い母と、母にそっくりな私は仲もいいけれど衝突することも多く、入院中も長くそ ばにいると些細なことで言い合うこともありました。 その度に、母はもう長くないのに、なんで私はあんなふうに言っ てしまったんだろう。と自己嫌悪に 陥ることも度々ありました。 そんなときは父が付き添いをかわっ てくれたり、家族みんなでフォローしてくれました。 おかげでまた、母に素直に接することができ、家族の存在の大きさを改めて実感しました。 入院、とはいっても根本的な治療が出来るわけではなく、肺に溜まってしまったものを取り除く治 療と、口から物が食べられないので、栄養分の点滴、そして痛みを和らげる治療ぐらいしか もう出来ることはありませんでした。 どうせ長くないのなら、口から物が食べたい。と強く希望する母に、先生が食道にステントと呼ば れる筒状の器具を入れる方法を提案してくれました。 がんによって狭くなってしまった食道をステントによって広げつつ、同時に穴が開いて肺につながってい る部分を塞ぐことによっ て、口から物が食べられるというものです。 それを聞いた母は、一も二もなく飛びつきました。 しかし、母の食道は内視鏡もなかなか入らないほど狭くなっ ており、ステントを挿入して広げたと たんに大出血を起こしてしまえば、生きて戻っ て来られる保障がない。と先生に言われたのです。 母には望むとおり口から好きなものを食べさせてあげたい…ですが、それでなくても残り少ない 命、さすがに家族全員そのリスクを冒すことはできませんでした。 母も納得してくれ、ステントを入れる手術はあきらめることになりました。 そして入院すること数週間、これ以上入院していても病状が良くなるわけではありません。 『 家に帰りたい。』 と母は言いました。 家には母がとても可愛がっ ている愛犬がいます。 人間はお見舞いに来ることができますが、さすがに犬は病院には入れないので、母はとても愛犬に 会いたがっ ていました。 あと残り少ない命。私達家族も母の望むとおりにしてあげたい。 病院のベッドではなく、住み慣れた家で、家族のもとで、愛犬のもとで過ごさせてあげたい。 しかし、毎日点滴で栄養を摂るしかない母、いつ病状が急激に悪化するかもしれない母。 そんな状態で、家に帰ることが出来るのか・ ・ ・と不安は尽きることがありませんでした。 そこで先生に提案していただいたのが、在宅看護という選択肢でした。 市民病院にも、在宅看護などの相談窓口があり、担当の方に色々と相談に乗っ ていただき、 訪問看護や緩和ケアに力を入れている、慈恵会病院を紹介していただきました。 幸いにも、慈恵会病院は我が家のすぐご近所にあり、それも安心して在宅看護を決断する要素 となりました。. 母は市役所から介護認定がされましたので、ケアマネージャーさんを紹介していただき、 在宅看護に必要なベッドや、点滴台、車いすなども問題なくレンタルすることができました。 看護師さんではなく、家で家族も栄養分の点滴ができるようにと、ポートと呼ばれる医療器具を 母の鎖骨付近の皮膚の下に埋め込む簡単な手術も施されました。 そして様々な手続を済ませ、入院からちょうど一ヶ月。 母は退院して自宅に戻っ てくることになりました。. 3 在宅での看病. 母が自宅へ戻り、まずは慈恵会病院を受診。 内科の先生であり緩和ケア科総括部長でもある小枝先生に、これからの治療方針や訪問看護ス テーションの説明をしていただきました。 その後訪問看護ステーションの看護師さんたちが家に来てくれ、色々な説明を受け、 点滴の種類ややり方、痛みが強くなっ たときの対処方法など、様々なことを教わりました。 母を在宅で看護する中でもっ とも大変なのが、母の栄養源である毎日の点滴です。 主に看病するのが私だとはいえ、一人だけしかできないとなると心許ないので、実家に住む妹も 一緒に点滴のやり方を勉強しました。 もちろんど素人の私達は、点滴針や薬液なんて扱ったこともなく、まして人の体に点滴するものな ので、それはもう真剣にメモを取り、看護師さんに手伝ってもらいながら、なんとか習得すること ができました。 これで、ひとりに負担がかかることなく交代で母を看病することができます。 我が家は、自宅と父の経営する会社の事務所が同じ建物内でしたので、仕事をしながら母のお世 話をすることができました。とても恵まれていた環境だっ たと思います。 そして母の普段生活する場所は、居間にしました。 寝室も空いていたのですが、長い時間ひとりで寝室に寂しく横になっているより、多少うるさくて も家族みんなが集う居間のほうが、少しでも楽しく過ごせるだろうと考えたからです。 母は、退院してからもゆっくりであれば自力歩行ができましたので、トイレには自分で行っていま した。 そして愛犬と戯れ、子供達ともふれあい、毎日訪問看護ステーションの看護師さんが様子を見に来 てくれました。 毎日の点滴も平日は私が、休日は妹がと、代わる代わる、だいぶ慣れてきました。. 母はもともと行動派な人でしたので、こんなことがありました。 ある朝のこと、実家についたら母の車が無いのです。もちろん家に母の姿はありません。 あわてて家にいた弟に聞いた所、『 花を買いに行く』 と車で出かけたというのです。. 2.

(13) 運転中に容態が急変したら…と青くなっ て普段行くスーパーなどを探しましたが見つからず、 分ほど探したところで『 帰っ てきてるよー』 とケロっ と母から電話がありました。 このときはさすがに心配したので、「 必要な物があれば私が買いに行くでしょ!」 と ついつい母にきつく言っ てしまいましたが、 今考えると、母も今までできていたことが出来なくて歯痒かっ たのでしょうか。 普段普通にしていたことを少しでも自分でやりたかっ たのでしょう。 今ではちょっ と怒りすぎたかな…と反省しています。 それにしても、行動派な母でした。 毎日、咳や痰はひどく、たまには吐血することもありましたが、痛みを薬でやわらげながら 体調を見計らっ て、できる範囲で母は自分でいろいろとやっ ていました。 今で言う、【 終活】 と呼ばれるような準備も、自分でコツコツとしていました。 自分の葬儀の会場や、その後のことなどをノートに書き記し、お世話になっ た方に手紙を書き、 私達家族に自分が亡き後のことを指示したりしていました。 本当に強い母でした。. 4 利尻島への旅行 在宅看護になっ て1週間ほどが過ぎたころ、母が生まれ故郷である北海道利尻島に行きたい。 と言い出しました。 お隣とはいえ、利尻島は北海道のはるか北部、稚内のそばです。ロシアのほうが近いぐらいです。 しかも、数年前までは朝青森空港を発てば、昼ごろに新千歳空港で乗り換え、その日の午後には 利尻島に着くことができたのですが、この時はダイヤが変わったのか本数が減ったのか、青森空港か ら新千歳空港へ到着する前に、1日に1便しかない利尻空港行きの飛行機が出てしまうのです。 つまり、飛行機で行っ ても移動だけで2日もかかっ てしまうのです。 母には好きなようにさせてあげたいが… 移動の途中で急に具合が悪くなったらどうしよう。利尻島滞在中に具合が悪くなったらどうしよ う。そもそも、こんな病状でそんな長い距離の移動ができるものか…と不安は尽きることがありま せんでした。 そこで、看護師さんと主治医の小枝先生に相談しました。 先生は、本人が強く望んでいて、ご家族がしてあげたいならば、行かせてあげたらいいと仰っ てくれ ました。 てっきり、『そんな状態で遠くに旅行なんて無理ですよ』とでも言われるだろうと思っていましたの で、驚いたと同時にとても嬉しかっ たのを覚えています。 初めは、飛行機でも2日かかるなら、自家用車でフェリーを使っ て行こうか、とも考えました。 具合が悪くなっ てもすぐ病院に駆け込めるので、いいのではないかと思っ たのですが、 先生に『たとえ2日かかっても、乗り物に乗っている時間が短いほうがいい』、と言われたので、移動 手段は飛行機に決まりました。. 仕事を休み、私が母と二人で利尻島へ行くことになりました。 日程は7月 日~7月 日の8日間。 日程が決まっ ても、やらなければいけないことが山ほどありました。 まず、途中で具合が悪くなっ てもすぐ最寄の病院に行けるように、小枝先生より病状の説明書き と紹介状をいただきました。 この頃母は呼吸が少ししづらくなっ ていて、家では酸素を使用し始めていたので、 急遽移動用の酸素ボンベも準備し、滞在中も使用できるように北海道の業者さんに配達しても らうよう手配しました。 飛行機で酸素ボンベや持込の車いすを使う際には、申請が必要とのことで航空会社への手続きも済 ませました。 利尻島滞在中の点滴用の薬剤などは宅配便であらかじめ送り、 海外旅行にでも使うような大きいスーツケースには母と私の荷物と、移動中の二日分プラス予備の 点滴セット一式を詰めこみ、2010年7月 日、母の生まれ故郷への旅へ出発しました。 片手で母の車いすを押し、リュックを背負っ て、肩から酸素ボンベをぶら下げて、さらにもう片方の 手で特大スーツケースを転がす私は、さぞ異様な姿であっ たと思います。 でもこちらは必死なので、なりふり構っ てはいられませんでした。 青森空港では係員のかたが色々とお手伝いをしてくださり、無事に搭乗、飛行中も容態が悪く なることもなく、新千歳空港に無事到着しました。 幸い、新千歳空港ビル内にホテルが併設されておりましたので、すぐホテルにチェックインし、その 日の点滴を開始して、ほっ と一息つくことができました。 ホテル滞在中には、千歳市に住む姪が会いに来てくれて、母も嬉しそうでした。 そうして母の具合も悪くなることなく、無事に1日目を終えることができました。 27. 20. そして2日目の朝。あとは利尻空港行きの飛行機へ乗るだけなのですが、ここでアクシデントが発 生したのです。 利尻島の天候が悪く、利尻空港に着陸できるかわからない。というのです。 離陸して、着陸ができなければ新千歳空港に引き返すか、最寄の空港へ着陸せざるを得ない。との ことでした。 母と相談し、利尻空港に着陸できることを祈っ て搭乗することにしました。 そして飛行機は利尻島上空で着陸の準備をしましたが、霧で視界が悪く、何度か着陸を試みた のですが、残念ながら着陸することができなかっ たのです。 新千歳空港に引き返すのかと思っていたら、機内アナウンスがあり、最寄の稚内空港へ着陸すると のことで、稚内からフェリーで利尻島へ向かうことになりました。 飛行機ですでに1時間以上、そしてこれからまたフェリーで2時間以上の移動です。 どうなることかと思いましたが、飛行機でもフェリーの中でも母は、とくに具合が悪くなることも なく、なんとか無事に利尻島に到着することができました。 到着してフェリーを降りたときは、心から本当にホッとしたものです。. 20. 利尻島滞在中は、母の姉である叔母の家にお世話になりました。 母は両親を小さい頃に亡くしていて、歳の離れた姉夫婦が親代わりに育ててくれたそうです。 私にとっ ても、おばあちゃんのような存在です。 追っ て、休暇をとっ て私の妹と高校生の弟が電車とフェリーを乗り継ぎ利尻島にやっ てきました。. 3. 30.

(14) 年下ながらも、家族が増えて心強く感じたものです。 1日目は、長旅の疲れもあるので家で点滴をしながらのんびり過ごしました。 翌日からは、母の体調を見計らい、車いすでのんびり付近を散策したり、同級生に会っ て話したり、 もう建物はないけれど、自分の生まれた家の跡地を見に行っ たりしました。 利尻島は利尻昆布が有名ですが、その昆布を食べて育つため、実はウニもたいへん美味しいのです。 『利尻のウニが食べたい』と話していた母でしたが、飲み込めないため残念ながら舐める程度しかで きませんでしたが、私達に、ウニを剥いて食べさせてくれました。 叔母の家では漁師をしているので、小さい頃よくウニ剥きを手伝っ たのだそうです。 母の剥いてくれたウニは、どのウニよりも美味しく感じました。 日に日に咳や痰はひどくなり、時には血痰を吐き、痛む回数も増えてきましたが、強い母は痛み 止めで痛みを抑え元気に振舞っ ていました。 そして利尻島に滞在すること1週間、母はだいぶ弱ってきていましたが、容態が急変することもな く、帰る日となりました。 出発する直前まで、母は叔母や叔父、甥っ 子やその子供たちと代わる代わる手をつなぎ、別れを惜 しんでいました。 帰りの空港には、母の同級生たちも見送りにきてくれ、みんなで写真を撮りました。 それが、母の生前最後の写真となりました。 そしてみんなに見送られ、利尻空港を後にしたのでした。 帰り道では、飛行機の中で少し具合が悪くなることもあっ たものの、大事には至らずに無事、 新千歳空港へ到着。 帰りはその日のうちに青森まで行けるので、青森行きへの便を待つ間に空港ビルで母とお土産を買 っ たりして過ごしました。 そしてその日の夕方、青森空港へと帰っ てくることができました。 母は、無事1週間の旅行を成し遂げたのです。 しかし、旅行中よっぽど気を張っていたのか、迎えに来てくれていた父の顔を見たとたんにホッとし たのか、急に具合が悪くなっ てしまいました。 嘔吐し、車いすから立ち上がれなくなっ てしまっ たのです。 青森に無事帰っ てきて、今まで張りつめていたものが緩んだのでしょうか。 それでも幸いそれ以上具合が悪くなることはなく、車で我が家へと帰っ てきました。 母はよっ ぽど疲れたのか、その日はほとんど寝ていました。. 5 母の最期. 利尻島から帰っ てきた翌日から、母の容態は急激に悪くなり、 寝ていることが多くなっ てきました。 起きると痛みを訴えるので、痛み止めのポンプを使用することも多くなりました。 トイレに起きることもできなくなっ ていたので、紙おむつを使用しはじめました。 たまに起きると、なんとか会話はできるのですが、すぐまた眠っ てしまいます。 看護師さんたちが来てくれても、なかなか起きられなくなり、 旅行から戻っ て3日目あたりにはほぼ1日中寝ていて、たまにうわ言をいうようになりました。 私達家族は、考えたくないけれど、その時が近づいているのか…と思い始めていました。 それでも呼吸はしっ かりできているし、心臓も力強く動いています。 ただ、意識がほとんど戻っ てくれませんでした。. そして7月 日、旅行から帰っ て4日目の朝。 住まいが別の私は、朝7時ごろに母の点滴の交換をしに家に行きました。 土曜で仕事は休みの日だっ たので、母が孫のように可愛がっ ている私の愛犬2匹も連れていき、 母に話しかけました。 もちろん寝ていて返事はありません。 そして点滴を交換し、自宅に戻っ てから1時間ほどして、父から母が亡くなったとの知らせを受け ました。 ちょうど土曜で、弟たちも妹もみんな家にいる日でした。 父が母のベッドの傍らにいる時に、スッ…と呼吸が止まっ たそうです。 痛みで苦しむこともなく、本当に眠っ たまま安らかに旅立ちました。 旅行から帰っ てきてたっ た4日で、母はまた遠くに旅立っ ていきました。 思えば旅行から帰っ てから、夫に会い、留守番だっ た次男に会い、長男夫婦に会い、 私の夫に会い、自分の愛犬にも会っ たけれど、孫のようにかわいがっ ていた私の愛犬2匹には会ってお らず、やっ と連れていけたその日にすぐ亡くなるなんて、まるで家族全員が顔を出すのを待っ ていた みたいでした。. がんだと発覚してからぴっ たり二ヶ月。 母は家族に見守られ、愛犬のいる我が家で、本当に安らかな顔で眠りにつきました。 闘病中いちばん長く母と過ごした私がその時を看取れなかったのはちょっ と残念だったけれど、私は じゅうぶん母と過ごしたので、旅行中留守番だっ た父や弟が一緒にその時を看取ることができて本 当によかっ たと思います。. 長いようで短かっ た二ヶ月。 大変なことも多かっ たけれど、本当はもっ ともっ と長生きしてほしかっ たけれど、 それでも自宅で家族に見守られながら最期を迎えることができた母は、幸せだったのではないかと 思います。. 4. 31.

(15) 6 在宅看護、緩和ケアへの思い 今回母の病気が無ければ、私は在宅での看護のことも緩和ケアというものもまったく知りませんで した。 がんの末期で治療方法もほとんどなく、余命いくばくも無い。となっ た時、 みなさんならどうしたいと思いますか? 私だったら、最期まで病院のベッドで過ごすより、母のように少しでも、いつもの家でいつものように 家族に囲まれて過ごしたいと考えます。 でも私達はお医者さんじゃありません。 痛み、苦しむ家族を家で看護して、看取るなんて、自分達の力だけでは到底できません。 そのために、少しでも楽に過ごせるように緩和ケアという医療があり、在宅看護という選択肢があ ります。 今回の件で、本当に沢山の方々にサポートしていただきました。 母本人の体の負担を軽くしていただくのはもとより、看護をする側の私達家族の不安も親身に相 談にのっ ていただきました。 おかげで母も自宅で過ごすことができ、旅行に行くこともできました。 お世話になっ た皆様には、大変感謝しています。 ほかの人は、『 そんな状態で、遠くに旅行に行くなんて信じられない』と否定的に思う人も いるかも知れません。 でも私はきっ と、母は旅行へ行かなければもっ と早くに亡くなっ ていたのではないか。と思っ ています。 本人のやりたいことをさせてあげられたというのは、とても素晴らしいことだと思っ ています。 緩和ケアという医療は病気を治すものではないかも知れないけれど、患者の意見を尊重してくれ、 やりたいと思っ たことは全力でサポートしてくれ、痛みをやわらげ、少しでもいつもの生活ができる ようにしていただき、患者や家族が望むように最期を迎えることができました。 私達家族も、母も、このような医療があることに大変感謝しています。 協力していただいた小枝先生、訪問看護ステーションの皆様方、その他お世話になっ た方々、 本当にありがとうございました。 母が亡くなっ てから、慈恵会病院さんのそばの安田調剤薬局の方よりお葉書をいただきました。 こちらの薬局さんには、母の点滴の薬剤や器具などで大変お世話になっ たのですが、 どうやらこちらでは、我が家のように在宅で家族が点滴をするというケースの第1号だったらしく、 至らなかっ た点もあっ たのではないかとのごお気遣いの言葉と、 薬局員一同大変よい経験をさせていただきました。とのお礼の言葉をいただきました。 私達が母のために一生懸命やっ たことが、誰かのためになっ たなんて、とても嬉しく思います。 我が家の経験が、今後在宅看護をする人の役に立つことがあっ たらいいな、と思っ ています。. 我が家は、一ヶ月という本当に短い間の在宅での看護でした。 もっ と長く看護をされている方々は、もっ ともっ と大変なご苦労もあると思います。 ですが、残りわずかな命、少しでもたくさん患者さんの希望を聞いてほしいと思います。 後に、ああしてあげればよかっ た。こうしてあげればよかっ た。と 私もいまだに後悔することがまだまだあります。 今は大変かと思いますが、『好きなことをさせられてよかった』と、後で少しでも後悔が減るように と願います。 それはきっ と、亡くなられた方だけでなく、残された人のためにもなることだと思っ ています。. 母を亡くしたのはもちろん悲しくて辛いことだったけれど、残された家族みんな、生前明るくて元 気だっ た母のぶんまで、前向きに生きていきたいと思います。 母もきっ と今頃、天国で痛みも無く、食べることのできなかっ た好物を好きなだけ食べて、 相変わらず口うるさく文句を言いながらも私達を見守っ てくれているものと思います。. 對馬 しのぶ. 5.

(16) 第60回青森在宅緩和ケア懇談会 市民公開講座. H25.3.23. 本日のお話 爽秋会の紹介(自己紹介) 事例紹介  在宅調整から感じたこと  病院から在宅へ 退院支援(告知、説明と同意) 患者・家族のおもい . 在宅緩和ケア 病院から在宅へ 地域へつなげる. . 東北公済病院地域医療連携センター相談室 爽秋会 岡部医院 玉井照枝. 爽秋会について. 世の中の流れ. あなたの最終章は?. 訪問エリア 名取チーム 名取市、岩沼市、亘理町、 仙台市南部. 栗生 新田. 栗生チーム 仙台市西部、北部. 名取 岡部医院. 仙台市東部、北部. ふくしま在宅緩和ケア クリニック. 福島チーム 医療法人社団 爽秋会. 福島. 福島市、川俣町、 二本松市. 爽秋会の多職種チーム. 爽秋会の理念 安心して 自分の家で 療養したい …. 新田チーム. 人生の最後を 自分の家で 自分らしく 過ごしたい …. 顔の⾒える 連携. 医療法人社団 爽秋会.

(17) 在宅がん患者の原発部位内訳 2010年. 在宅非がん患者の疾患別内訳. 爽秋会. 2010年. 爽秋会. 8. がん患者の死亡場所. がん・非がん患者の年齢層 2010年. 爽秋会. 2011年. 看取りを行うために. 病院・診療所からの紹介 当院緩和ケア外来. 逆紹介. MSW. 入院;退院調整会議. 面談希望. 外来;外来面談、自宅調整面談. 患者様の家. 爽秋会. 在宅療養開始 Dr/Ns/P h. MSW. 病院 診療所 退 院. 爽秋会. . 困難を乗り越え、在宅で看取るには. . 亡くなっていく人の傍らにいて見守ることは容易なこと ではない。何かしてやりたいと思う気持ちと何もできな いのではないかと思う不安に、日頃から少しずつ何か できる対処方法を準備。乗り越えられるようにサポートし、 それができていることを伝え励ますことが必要. . チームを組む人々にも看取りの経験者は少ないという ことを念頭におき、看取りが近づいた時とのケアの方法 について伝える必要がある。 旅立ちの日 すでに苦痛苦悩から解放され医療サ ポートを必要としなくなる。 家族とのお別れの時間. 直接問い合わせ. 以前知り合いや家族 が看てもらった。 インターネットで 調べた. 患者様. .

(18) 看取りを考える . 困難を乗り越え、在宅で看取りを行うために. . 困難を回避する方法を考え与えることではなく、 患者と家族が困難を乗り越えられるようにサポー トを行うことであろう. . そのプロセスが、人を看取り、そこから生きることを 学び、次の生きる力を生み、そして死に逝く人に とっても生きた意味につながると思う. お前達の仕事はな、注射するこ とでも、傷の手当てをすること でもない。患者のしたいことを 実現するためにあるんだ。そこ んとこ間違えるじゃない. 医療処置も多く血圧も下がっ てきている中で、一番の気が かりに気がつけてなかった、と 今更ながら反省、 ある訪問看護師のひとりごと. “なにが本当に大切なことか見失わないでいけたらいいな”. 患者のしたいことは、 この時期 田んぼの見回り. 入院は、生活者がたまたま病院にいること 日常生活とは異質な病人役割に徹した 日々 患者としてでなく、自分として生ききること が可能な場所として住み慣れた我が家が求め られるのだろう. 治療のために生きているのではない 患者さんが1人の人間戻れるように “より良い時間をより長く”治療目標にとし て. 在宅への移行のあり方 在宅ホスピス遺族調査報告から 病院からの退院とそれによる在宅の紹介 積極的な治療の余地がない、などの理由 から退院を迫られるという事態、その中 で患者と家族は、在宅という選択肢を提 示されるケースが多い。 こうした在宅紹介の過程には、患者・家族 の当面の事情抜きに退院を迫られる現状 がある→患者、家族の落胆や動揺は小さ くない。在宅に対する情報不足、不安も ある  . もうちょっと早く紹介しても らってたらもっと良い時間を 過ごせたのに 在宅ケアチーム 在宅無理とおもってたけど これなら、もっと早く家に 帰れば良かった. 本人・家族. 緩和ケア病棟申込ました、 ベッド待ちの間だけお願い します。家で過ごしたら、こ のまま家で過ごしたい。在 宅で看取ります.

(19) 病院から在宅へ. 在宅への決断が間に合わない、紹介時期が遅れる 在宅紹介となっても(紹介の)約15%は、在宅前中 止(状態悪化、死亡)になり在宅に至らず。 H22年爽秋会がん患者登録393件の15%→59名 の方が家に帰れなかった。 思っていたよりも早い死、思って いたより早く意識がなくなった。 自宅で過ごさせてあげたかったと 言う残念な思いが残りました. 紹介時期の問題. . 治癒の見込みがないことの説明 “これ以上の治療は難しい、できない”. . 退院支援(ホスピス紹介). 家 族. 紹介が遅くなるのは?. ちゃんと話してるよ、こ れ以上の治療(抗がん剤 治療)は難しいこと、治 癒の見込みがないことも 伝えてあるよ. 抗がん剤治療、これがだめだっ たら次はこれ。ちょっとお休み してからにしましょう。. 医師が楽観的な見方で質的予後につ いての適切な情報(伝え方にはいろ いろ問題あるが)を伝えない場合に ホスピス・緩和ケアの紹介遅れる。希 望をもたせる気使いが混乱を生じる ことも. 病状説明が十分にされていない、 あるいはされていても、患者家族 に伝わっていない. 紹介時期の問題. この状態じゃ在宅では無理 じゃない、痛みもあるし、 もう少し食べられるように なってから. 紹介が遅くなるのは?. 治癒の見込みがないことへの説明. 在宅(ホスピス)の選択肢を提案されたら?. 在宅医療の信頼度、在宅は無理。在宅医 療の認識が低い. 否定的なイメージ.

(20) 紹介時期の問題. 紹介が遅くなるのは? どうして私が・・ こんなに頑張って生きてきたのに。 なにひとつ病気なんかしたことな かったのに。健康に注意してきたの に もうこれ以上の治療は難しい 頭が真っ白、この世の終わりくらい に思ってしまう. 紹介時期の問題. 否定的なイメージ. 紹介が遅くなるのは?. 病院から見放された 自宅では最善の医療がうけられない. 緩和はしってます、でも 私にはまだ必要ありません痛みないから。. 寝たきりじゃない まだ歩けます いきなり言われた。もうなに もできないの、どうしたらい いの. 体調よくなったらまた 治療(抗がん剤)をしたいん だ. 退院に際し、様々な不安がある 医療費や生活費が心 配いろいろな制度が あるようだけどよく わからない 自宅では検査 や点滴はして もらえるの? ベッドは?トイレ は?食事はどうし たらいいの? こんな状態で退院す るのは不安だ。. 家に帰れるの? 患者のほんとうの思いは? “ 患者がどうしたいのか “. 家族が全て(医療 行為)をやらなけ ればならないの?. 在宅への諸々の不安が、本当は家に帰りた い、家に帰してあげたいが、. 何がわからないのか、 わからない。 夜痛くなったら不安、 先のみえない不安 つらいときはすぐ対応 してくれるの?. “無理じゃないの” “無理だろうな” “無理無理、無理だってばー”. 帰っても迷惑か けるだけだから.  無理ということになってはいないでしょう. ずっとそばにいてあげられないから 心配. か?. “患者がどうしたいか“ 患者がどうしたいか“. 退院支援とは 退院は、患者・家族にとって入院以上に 不安を感じさせるものである。退院支援 とは単に入院中に受けた治療や看護を継 続するためだけのもでない。退院に伴っ て生じる心理的・社会的問題を解決する ために必要なものなのである。. (本人、家族。医療者も).    .  . 本心は?. 質的予後告知 寄り添い、本当の思いを。日々揺れ動く気持ちに 添いながら問題整理、在宅への不安も出てくる 家族に迷惑かける、と家族にも本音を言わない “家に帰りたい、帰したい“ 医療者が主体と なるのではなく、患者家族のニーズ優先、支援の 中心は患者 在宅へのハードルをあげない 希望 多くの方は、今まで通りに生活したい、普通に 家で過ごせればいいなあ、と.

(21) 希望を支える. 希望を支える 入院生活長くなると、すべてにもういいや~という ような気持ち。  在宅でできること・・・お家の生活イメージしてお話 もう何もできないと思って気落ちしていたり、いつ も病気の話ばかりだった、と。 久しぶりに笑った、と . 患者の希望は、なにかを共有する 一見現実困難であっても患者の生きる意味を支え る物であれば否定せず支持する。.   . 在宅医のひとりごと. 患者さんが外来に通う中詠ん だ句を院長が集めて句集にし たものの一部。患者さんの生 活がとてもよくわかる。医療 者の前で見せる顔はほんの一 部。診察していると、ついつ い患者さんとしてみてしまう けど、当たり前の日常の中で 生きていて 。その人の生活、 人生にあわせたケアを、いか にオ ダ- メ-イドしていくかが 在宅緩和ケアなんだと思う。 ・ ・ ・. . . 平成二十三年十一月一日. . 在宅での生活イメージ、不安思いこみを払拭 →在宅で受けられるケアや療養生活の実際に ついて情報提供 主介護者、支える家族ともに共通認識、皆同 じ方向(在宅)に 退院支援、退院調整のシステムの流れに沿っ て 刻一刻変化する病状、ADL状況に応じた対応→ 院内で完結しておく必要はない 早めの情報共有(積極的に連携する) できるだけ長く在宅で過ごせるように. . 良  く晴れて 町内会の芋煮会(晩 秋) 芋 我が家の庭に テント  煮会 張り 芋  煮会 焼きそば豚汁 みな美味 し 初  冬や 日和になりし 明日病院. . . 実現難しいことを言っていると、“本当に病 気のことわかってるのかしら”と患者が理解 してないと捉えがち 病状説明がたりないからではなく、理解され てないわけでもなく、現実とつり合わない希 望を持つこと→不安に対する防衛としての希 望(否認) 不安からこころをまもる自然の 働き。 需要だけが死に直面する良い方法で ない。希望は人生に欠くことはできない。真 実を話すことと希望のバランスは重要である。 最善を期待し、最悪に備えることを提案 毎日できることを積み重ね達成できるかもし れないとい可能性を感じる. ガ  ラス戸に 十一月の 日ざしか な 日  が射して 椅子の背中の 小春 かな 冬  ぬくし 今日は検診 覚悟して. 時間を優先した退院支援・調整. .

(22) 在宅医療推進 厚労省は出来る限り住み慣れた 家庭や地域で療養する在宅医療 提供体制を整備するための施策 様々な背 景 高齢化によ る慢性疾患 の増加. 医療財政 の危機. 医師数絶対的 不足. 宮城. 少子高齢化. 終末期医療に関する調査 最期まで自宅での療養は困難な理由 *介護してくれる家族に負担がかかる *症状が急変した時の対応に不安がある *症状急変時すぐに入院できるか不安  自宅療養を可能にする条件 *介護サービス(入浴、食事など) *医療者の定期的な訪問 *家族の協力 *緊急時の病院や診療所への連絡 . 青森. 地域医療連携・在宅医療  . 患者の病状、緊急性、ニーズ 各々の機能(地域診療所・急性期病院・ 療養型病院・回復期リハ病院・訪問看護 ST・介護施設)に応じて適切な医療サー ビスを提供 医療の効率化 医療従事者 の負担軽減 医療の質の向上につなげ る.

(23) 幸せに暮らせる? どうする“ どうする“終の棲家” 終の棲家” 長寿国日本 介護が必要になった時自宅 で暮らし続けられるのか?  高齢化の進んでいる日本では、国民の2人 に1人は一生のうちにがんになる . 病気になってから、動けなくなってから ではなく、考えるのは “ 今でしょう ” . 相談室をご利用ください. ご静聴有り難うございました.

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参照

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