マイヤーと実体科学としての統計学
有
田正
三
ドイツ社会統計学は十九世紀後半に﹁実体科学﹂︵Q。叶帥勢鼻合一ωヨ。。叶Φ二Φ一一①芝誘窪重訂εとして成立した。実体科学として の統計学は何よりも先ず独自の研究対象を実在の中に区劃し、これに関する事物的実体的知識の体系としてみずからを確 立しようとする。このような志向が既に古くから統計学界を支配して来たことについてはここに改めてとくまでもないこ とで、ドイツにおいても﹁国家顕著事項﹂の学と自称する大学派統計学も明かに実体科学としての統計学を意図したもの であった。しかしドイツ社会統計学が成立期に志向した、実体科学としての統計学はこれとは相異る。それは、統計方法 によって得られる事物的実体的知識の体系を構想することによって特殊な形式的限定をもっているのである。 若き日のクニース︵凶.閑巳窃︶がドイヅ統計学界の混乱に直面し、政治算術的ロケトレー的方向に独立の学問としての統 計学の名を認証するとき、その念頭を支配していたものは、実体科学としての統計学であった。それゆえにこそ、クニー スのこの分離の仕方にリューメリンは反対したのである。しかしドイツ社会統計学は実体科学としての方向をとった。そ の成立に大きく貢献したエンゲル︵即国謁eは、自然主義的立場とケトレーへの傾倒のうちに、統計方法を用いることに よってえられる、人間共同体における自然と社会に関する総合的知識体系としてデモ曲面ー︵O①ヨ。冨ε11統計学を構想 マイヤーと実体科学としての統計学 一マイヤーと実体科学としての統計学 二
し㌦
しかし、ドイツ社会統計学における実体科学としての統計学の構想については、何よりも先ずマイヤー︵∩甲’<・ζ拶くH︶の 寄与をあげなければならないであろう。マイヤーは、斯学の構想を理論的に整備するだけでなく、現実化した。成果は、 ﹃統計学と社会の学﹄︵ω鼻蜂汗口巳○①ω亀。。。冨穿δ訂①︶によって示される通りである。人々はマイヤーをドイツ社会統計学 の確立者とし、その実体科学的統計学の体系をドイツ斎会統計学の典型とする。たしかにドイツ社会統計学のその後の発 展はマイヤーのこの統計学体系の影響を強くうけるのである。マイヤーの後継老ツアーン︵国N四匿︶は明確に統計学を実 体科学とする。 しかし総体的に見ると、二十世紀に入るにしたがって、実体科学としての統計学の構想は魅力を失い、第一次大戦後に なると色あせたものになる。統計学を研究方法論として構成しようとする、 ﹁形式科学としての統計学﹂の構想がこれに とって代る。 ドイツ社会統計学における実体科学としての統計学の構想の本質を明かにするには、何よりも、マイヤーの構想をとり あげなければならない。それはマイヤーの構想が代表的なものであるばかりでなく、ドイツ社会統計学のその後の発展を つよく制約するものであるからである。われわれはその本質を明かにすることによって、また、ドイツ社会統計学が実体 科学的構想から形式科学的構想の支配に変らなければならなかった根拠を知ることが出来るであろう。そしてこのことは ドイツ社会統計学の本質を知る上に大ぎな意義をもつと考えられる。 マイヤーの統計学は、わが国に紹介されてすでに年久しい。わが国の統計学の発展は、マイヤーより大きな影響を受け た。マイヤー研究の文献はすでに多くを加えている。本稿はこれら先学の研究を前冠しながら、マイヤーが如何なる論理 的構造において実体科学としての統計学を溝止したかを中心に論じたいと思う。統計学の学問的性質に関する問題は古くして新しい問題である。わが国においてもこの問題は幾度か論議の対象となっ たが、最近またまた大きな論議をまきおこした。これは一つにはソヴェト統計学論争の影響による。ソヴェト統計学論争 ⑦ は、終結点として、一応﹁実体科学としての統計学﹂の構想を議決した。これを契機として、統計学は実体科学であるか 形式科学であるかの問題が大きく前面に押し出された。しかしこの様な状勢は.ひとりソヴェト統計学論争の影響にのみ帰 せられない。社会科学的領域における統計学が自己の本質と課題の反省の⊥に新しい展開を用意するためのものに外なら ない。マイヤーの実体科学的統計学の論理的構造の分析はこの課題に対しても無意味ではないと考えられるのである。 以下、引用箇所および典拠の指摘にはマイヤーの労作に限り次の略称を用い︵括弧内︶、また邦訳は次のものによった。ΩΦωΦ貯露霧。。お− 犀①詳営O窃①=・・∩ゲ津巴①﹃①コM一。。謡■ ︹O①ω卑N日跡ω彪一^①己高野岩三邦訳﹃社会生活における合法則性﹄・統計学古典選集・昭和一七︵︸九 四二︶年刊、ω§響騨§山○霧亀。。。げp。h邑㊦年ρ一・bdユこ日78H①静。冨OD辞。二m怠ぎP>自︷一.一〇一タ 需需。冨げωP︺・大橋隆憲﹃統計学の本 質と方法﹄・昭和︸︵一九四〇︶年・小島書店刊、切ΦσQ門緊¢づ畠O幕山①琶づσq侮ゆ同oQ富鉾ω鼠器。扇。プ⊆p津Φづ9ω﹀紘r噛おゆ♂ ︹ω9⇔班≦■︺ ① 閑・内装$”U冨ω雷江馨騨蟻壁ω2σω鼠壁嚥Φ名尻ω9ωo冨h章一G。切ρ 高野岩三郎訳﹃独立の学問とし、ての統計学﹄・統計学古典選集第二巻・昭和一 七︵一九四二︶年・栗田書店刊。 ② O・園O韓Φ一ぎ℃N巨﹁↓ぽΦo識Φ匹①層qαB仲δ二﹃一。。①ω.︵一昌 ” 幻Φ山Φコ ロ. 巨億hωか峠N①. 一い一QQ刈切● ω.トニト⇒り.︶権田保之助訳﹃統計学の理論に就て﹄・統計学古 典選集第五巻・昭和一七︵一九四二︶年・三九六−七頁。 ③ 国・団口ゆq①一−む∩栃滞ヨα①目∪①日。一〇σq一ρN①詳ωo寓●9嘆窪ω巴ω畠90Qけ.切震8口ρ一。。刈一.これについては森戸辰男訳﹃労働の価格・人間の価値﹄・ 附録・統計学古典選集第一一巻・昭和一七︵一九四二︶年・栗田書店刊、を参照。 ④聞.N魯量ω8器鉱ぎぎ”出国邑ミO簿①き=9日中伜臣什。・三。・。・①塁。冨悼①p軽︾鼠一梱二︶冨ω鼠珍答ズぎUg什ω〇三富阜おF ⑤ 拙稿﹃リューメリソにおける統計学の構造と性格﹄・彦根論叢・第二〇号・昭和二九︵一九五四︶年、﹃ドイツ社会統計学の性格﹄・彦根論叢・第五 九−六一合併号・昭和三四︵一九五九︶年。 ⑥ 戦後におけるマイヤー研究文献には次のものがある−高岡周夫﹃マイヤーの﹁実質統計学﹂﹄・経済論集︵北海学園大学︶・第二号・昭和二九︵一 九五四︶年、﹃経済統計論の体系﹄・統計学・第一巻第二号・昭和三〇︵一九五五︶年、﹃悉皆集団観察と地理的方法﹄・経済論集.・第五号・昭和一㎝= マイヤーと実体科学としての統計学 三
マイヤーと実体科学としての統計学四
︵﹁九五六︶年、﹃マイヤーの﹁精密社会学﹂﹄・経済論集・第七号・昭和三三︵一九五八︶年・、﹃マイヤーの集団論﹄・経済学研究︵北大︶・第一五号、 昭和三四︵一九五九︶年、蜷川虎三﹃社会統計学派﹂・統計学辞典・東洋経済新報社・昭和三二︵一九五七︶年、大橋隆憲﹃社会統計学派﹄・統済学辞 典・平凡社・昭和二九︵一九五四︶年、浦田昌計﹃マイヤーとドイツ社会統計学派﹄・教育統計・第六三号・昭和三五︵一九六〇︶年。 ⑦有沢広巳編﹃統計学の対象と方法﹄・昭和三一︵一九五六︶年・日本評論新社刊、○αωoO=p・︽臣0800じロ①霜露=国コ。切。閏℃oo自。ζo目碧鼠。↓鼠閑=、 bd①o冨=民。↓釦屋。旨閑罫ZO.9一。望■野村良樹﹃ソヴェト統計学会議以後の統計学著作について﹄・経営研究・第二九号・昭和三二︵一九五七︶年、 内海庫一郎﹃統計学の対象と方法に関するソヴェト学界の論争について﹄・経済評論・昭和二七︵﹁九五二︶年七月号、広田純﹃ソヴェト統計学論争﹄ ・統.計学辞典︵増補版︶・昭和三二︵一九五七︶年・東洋経済新報社刊。 二 マイヤーは、社会科学的領域における一個独立の実体科学として統計学を構想する。この構想は、特殊な研究対象と特 殊な研究方法の設定、換言すれば、統計学の内容をなす科学的認識の実体的形式的特殊性の規定を基礎とする︵目乱離卑 QD?ユωp訳・八﹁1二頁︶。ではここにいう統計学の特殊な研究対象とは何か。特殊な研究方法とは何か。実体的形式的に 特殊な科学的認識とは何か。 マイヤーが統計学に前提する研究対象は﹁杜会的集団﹂︵。・。・巨のζp。。。・①︶であり、研究方法は悉皆集団観察︵①§︸さ。塙①乱⑦ ζ霧9び8冨。匿毒σq︶である︵↓げ①○おけω↓こω.ω一.訳・八一一二頁︶。一以下、われわれはこれらに関するマイヤーの所説を見 両者が如何に関係させられて統計学が構想されたかを検討しなければならない。 社会的集団とは、所.説によると、三つの種類に分れる。先ず第一に、特定の時間的空間的限定の下における多数の人間 であり、第二に﹁個々の人間にとって意味をもつ現象の総体﹂である。この現象は二つのグループに分れる。その一つは 行為であり、いま一つは事件である。入間の意思決定が事前になされるか、意思決定とは無関係に起るか、によって区別される。社会的集団とみられるものには、さらに、これらの現象の後に残る外部的な作用結果の総体がある︵日ぴ8﹃♀碕f ¢g訳・一二頁︶。これらに関する所説を総合するに、社会的集団は特定の時間的場所的限定の下における個別事例の併存 ︵宕Oげ①コ①一自9畠コユ①﹁6噂①一︼]︶または継起︵Z餌。冨ぎ。。巳Φ旨①器ロ︶であるG いま、祉会的集団に関するマイヤ;の見解をより明確にするために、これを特に入間集団についてみよう。社会的集団 としての人間集団は、多数の人間の併存である。ここに併存とは、多数の入間、ひいては多数の個別事例が一定の場所を 共通にして存在するが、相互に関係しあって、現実的統一h結合体を形成することがない状態である。このようなものと しての社会的集団の把握はマイヤーの統計学の本質の理解にとって極めて重要な意義を有するものであるが、これは行論 のうちに具体的に示されるであろう。 マイヤーによれば、社会の本質は社会化︵<⑦Hσq①。。亀8時津§σQ︶にある。社会化とは、人間の多数か文化の向上とともにゆ たかになる特殊な関係によって結ばれることおよびこの結合関係によって生じた集団の分化である。社会化によって生じ た新形成物を社会圏︵。。oN芭①国﹃ΩQ・①︶とよぶ。社会化の性質が多かれ少かれゆるやかなものを社会層 ︵匂・。・芭①Q。。耳匿2︶、祉 会群︵ω。N芭①ρも℃8︶と呼び、強い構造をもつものを社会構成体︵8N互①O①竃牙︶とよぶ。社会層は所属員全体の組織がな く、所属員の社会的定在の事実上の同種性だけが存在するもの︵例えば同職業者の一団︶であるが、 社会群になると事実上 の社会的同種性が存在するだけでなく、組織的結集の萌芽が存在する︵例えば同職業者の私的組合︶。社会構成体は組織的結 集が高度に達し強固な構造体にまで形式上組織づけられた社会的結合である︵例えば国家・教会︶。この様な序列において説 明するマイヤ;の所説︵↓げ①o﹁①け.ω什こω.鱒.︶ をみるとき、社会化および社会圏は、換言すれば、社会は、 ﹁個入をこえて 存立し個人をさまざまなまぜ方でその中にひきこんでいる﹂人間集団の特殊な結集であり、現実的結合体の方向において とらえられているということがでぎょう︵↓冨。希計。っけこQo■ω一覧訳・六一八頁︶。そうすると多数の人間の単なる併存である マイヤーと実体科学としての統計学 五
マイヤーと実体科学としての統計学 六 社会的集団は、社会化の程度の低い社会層とは近似的芝浦をもつが、社会群や祉会構成体とは著しく相異ることとなる。 いやむしろ、社会的集団と社会とは原理的に相異るものといわなければならない。たしかに両者は別のものなのである。 では両者はどの様な関係にあるか。マイヤーは、社会的集団、ここでは特に人間集団を、極めてゆるやかな利益団体から 極めて強固に構成された集合人とくに国家に至るまでの、いろいろの社会構成体をみたしている急ぎた材料の大ぎな土台 であるとする。一切の社会圏の基底は所与の場所と時間とにより限定された個々の人間の多数者の併存である。これが社 会的集団にほかならない。砂嵐的集団は社会圏の基体であり、社会構成体の材料である。ここには明かに社会の素材への 分解がみられる。まさに社会的集団は社会の素材への分解を通じて設定されているのである。この分解についてはさらに 考察しなければならぬ問題があるが、それは後廻しにして、ここではさしあたりマイヤーの﹁実体科学としての統計学﹂ の構想の背後に、社会の社会的集団への分解があることを確認するにとどめておこう。さて次に問題になるのは﹁実体科 学としての統計学﹂に前提される特殊な研究方法である。 研究方法の特殊性をマイヤーは要素の悉皆的な集団観察と.する︵↓冨。§曾ω∬ω.ωp訳・八一頁︶。所説によると、社会的 集団の統計学的研究は次の諸段階から成る︵日7。o器戸Gり侍こGり■ひ9訳・一六一i二頁︶。 の (5) (4) (3> (2) ( 集団観察の準備 集団観察自体 集団観察によって得られた材料の整理 観察結果の総説・要覧 結果の科学的利用、特に社会生活における合法則性の究明 この規定からマイヤーが統計学の研究過程の核心を悉皆集団観察においていることは明かである。
悉皆集団観察を核心とするという見解は、特に統計調査の手続過程、なかでも蒐集の段階に着眼したことを意味する。 それは個別事例の多数を観察対象とし、個別事例に関する経験的材料を獲得するものである。統計方法の本質をこのよう に、手続的過程において、特に、統計調査の蒐集段階においてとらえていることは、統計方法の本質の規定にも、また実 体科学としての統計学の規定にも無視出来ぬ制約となるのである。 マイヤーは、悉皆集団観察の手続を本来的には行政官の目的のために古くより用いられて来たものとし、これが科学と しての統計学の方法となったのは近来のこととする。 ところで、所説によれば、悉皆集団観察,の手続は、社会科学の領域だけでなく、自然科学の領域においても応用するこ とが出来るものである。マイヤーはいっているi﹁この方法は明かにまた社会的人間生活の範囲外にも、集団状態と集 団現象の存するところ、いつれの場所においてもこれを用いることが出来る。特に自然科学の領域に使用することが出来 るのであって、状態および現象の計数・計.量は、各種の自然科学的学問においてその認識を深めるのに役立つ﹂︵↓げ8おけ ω8¢op訳・八一頁︶。ここから﹁形式的意味.における統計学︵統計方法︶﹂︵望p。野鼻冨h。毒色一窪ωぎΦ︶の概念が定立される 一﹁悉皆集団観察の手続を社会集団に用いるか、あるいは、その他の集団に用いるかを区別せず、その全体を問題にす るならば、形式的意味における統計学或は統計方法の概念に到達する﹂︵日ぴ8基けωごG。●こ。p訳・八一頁︶。 ﹁形式的意味における統計学﹂のこの規定は、悉皆集団観察の手続がまさに自然科学とか社会科学とか云う領域に限定 されないという普遍的意義の承認を意味する。これは悉皆集団観察の独立性の承認と不可分に結びついている。統計方法 は社会科学というような実質的に特定した学問領域の研究方法としてその意義を限定されるべきでなく、形式的に一定の 、条件さえみたされるならば、如何なる学問領域にも応用することの出来る独立的な一つの論理的手穀である。統計方法は このようなものとして、それが適用されて効果をもつための条件をみずから提示する。対象が方法を決定するのではなく マイヤーと実体科学としての統計学 七
マイヤーと実体科学としての統計学 八 方法が対象を決定するのである。ではここにいう統計方法が応用されて効果をもつための条件とは何か。上掲の引用にお ける、 ﹁集団現象および集団状態の存在﹂すなわちこれである。 ﹁集団現象および集団状態の存在﹂が悉皆集団観察の適用条件となるのは如何なる理由によるのであろうか。この点を 明かにするには、いわゆる﹁類型的﹂︵蔓且鴇げ︶と﹁個性的﹂︵臣帥≦魯Φ=︶の概念にふれなければならない。 類型的とは、今日の概念とは異って、同種の個別事例が相互に余り異らないで、したがって、一つの個別事例の観察に よって類全体にあてはまる法則を認識することが出来ることをいう。これに対して個性的とは同種の個別事例間に相異が 甚だしく、一つの個別事例の観察によって類全体に通ずる法則を認識することが出来ないことをいう。類型的および個性 的幡ともに類にかかわりその法則に対する志向において問題になる。個性的なものにおいては対象のすべてを一つ一つ観 察レなければならないから悉皆観察が要求される。しかしごの場合には類型的なものにおいて定立される法則は断念さ れ、観察結果σ概括がそれにとって代る。悉皆集団観察はこの方向において意義を発揮するし、また意義を発揮するため には個性的なものの同種個別事例の併存が前提される。これすなわち﹁集団現象および集団状態の存在﹂である。 以上にのべたことは、統計方法の構造からの適用条件の規定、悉皆集団観察からの集団状態の誘導であって、このよう な過程が実体科学としての統計学の構想の背後にひそむのである。かくして実体科学としての統計学の構想の背後には、 さきにのべた八社会←素材Vへの分解とここで問題にしたA悉皆集団観察←集団現象Vの過程があることが確認される。 さて、この二つの過程はそれぞれ独立の過程である。ただ外的に対応せしめられ接合されるにすぎない。そして一方の 過程の接合点は社会的集団であり、他方の過程の接合点は﹁集団現象および集団状態﹂である。 ﹁社会はそれ自身単に集 団現象である、 したがってその諸法則もまた集団観察によってのみ見出す宅とができる﹂ ︵○①6・①紆ヨ鑓し。ω齢訂詳¢一〇●訳二 二頁︶。﹁社会﹂が﹁集団現象﹂であるとは社会の素材への分解においてである。﹁集団現象および集団状態﹂と社会的集
団との結合をこの文言は明確に示している。 悉皆集団観察の成果は、社会的要素そのものの存否に関するその個々の確認と観察圏内にひきこまれたその要素の諸差 別に忘する個々の確認の完壁な蒐集である。これの整理によって、集団の大きさと構造についての洞察が得られる。これ を基礎として社会現象に関する歴史的研究と分析的研究が成立する。 かくて、 ﹃理論統計学﹄は、統計学11﹁科学としての統計学﹂を次のように規定する。 . C統計に捉えうる社会集団に現れるかぎりでの社会的な人間生活の状態および現象を、統計法によって得られた材料に もとづいて解明を行うことである。具体的統計素材につき、このように科学的に徹底を期して構成され、極度の純化を経 た形相は、社会の状態および現象にみとめ得る合法則性と類型とを摘出することのうちに現れている。しかしながら、統 計学は、このような具体的なものから看取される抽象的・一般的典型のみの認識を事とするものではない。むしろ統計学 の課題は、具体的な観察結果を、統計的に統制された社会集団全体と組織的に関連させて科、学的に醇化・整序して説明を 与えることにあるのであるL︵↓ゲΦo器けωeω.ω一.訳・七九一八○︶。 ﹃合法則性﹄は極めて簡潔に一﹁人闘社会生活における事実的事象とそれより生ずる法則とを数量的集団観察にもと づいて組織的に説明し論究するもの﹂︵Ω。ω2N旨辞臨αq浮貫ω■一p訳・一八頁︶1と定義する。これにくらべると、﹃理論統計 −学﹄の上掲の規定は非常に説明的であって、統計学の内容が、具体的観察結果の純化・整序による説明と、材料を組合せ た研究による状態および現象の規則性および法則性の究明から成ることを吾々をして確認させる。観察の具体的結果を含 むことを強調することにおいてマイヤーはエンゲル等と相異り、規則性および法則性の究明を重視することにおいて﹁ア ツヘンワール的方向﹂をとるワッ宗イス︵旨 ]円■ぐ南国℃功臣口ω︶と相異る。 マイヤーは統計学の全領域を﹁理論的部分﹂と﹁実際的部分﹂、すなわち、﹁理論統計学﹂︵夢①o器け冨。げΦω9二鴇一評︶と﹁実際統計学﹂
マイヤーと実体科学としての統計学九
マイヤーと実体科学としての統計学 一〇 ︵質働宥慌6冨QQ訂欝什鱒︶によって構成する。重心は後者におかれる。 ﹁実際的部分﹂日﹁実際統計学﹂が包含するのは、 ﹁社会生活の集団観察の領域における実体的な科学的業績の全体であって、この ような業績は、最初は断片的な研究として各方面の統計的探究に現れたのであるが、ついで、統計によって媒介された歴史的知識その ものを、とくに、史的資料から導出された各種の抽象物から諸現象についての確固たる合法則性にいたるまでの、あらゆる歴史的知識 を含ん,でいる。このような個別的な研究の結果を総括するところがら実際統計学の体系が形成される。﹂⋮⋮﹁実際統計学の体系は、人 口統計論︵民勢学︶、道徳統計論、教育統計論、経済統計論、政治統計論の五部よりなる。﹂ 人口統計論をのぞく上記の四部門を社会統 計論とよぶこともできる︵↓げoo﹃①戸Qりρ匂︹曾卜。亀1。。量訳・四九三頁、ω3舞ω≦﹁oQ.b.81S︶。 ﹁理論的部分﹂ほ﹁理論統計学﹂は、 ﹁主として統計学の知識領域を限定し、その一般的基礎を規定し、その方法と技術を説明する ものである。さらにこれには統計と公的行政との関係に関する研究、ならびに統計史および学史についての考察も含まれる﹂︵↓冨自①ρ ω砕二ψ悼OS訳・四九二一三頁︶。 かくしてマイヤーの統計学は、実体科学的部分に統計方法論を従属させて包含することがわかる。行論の都合⊥、.ここ で若干の説明を附記しておこう。すでにのべたように、マイヤーは悉皆集団観察の手続を普遍的・独立的な論理的手毅と した。悉皆集団観察の手続はこの様なものとして社会的集団に関係させられる。この場合には、自然科学的領域における 場合とは異った方法論的問題が生ずる。さらに観察結果の科学的利用上の方法論的問題が加わる。ところでこのうち悉皆 集団観察の手続を社会的集団に定置する理論的問題は、観察結果の科学的利用上の理論的問題とともに、実体科学として の統計学の構成論の中に含まれるので、統計方法論より離脱し、後に残る手続的抜駆的問題が統計方法論の中心となる。 かくて統計方法論は統計学が形式科学として構想される場合と次元を異にするばかりでなく、内容的にも著しく貧弱なも のとならざるをえないのである。 その壮大な統計学体系が﹃統計学と社会の学﹄︵ω§・し・鋒§臨O①ω鑑鴇冨州邑①訂①︶の名のもとに刊行された第︼部より第三 部までの彪大な著作において略々大半実現したことは周ねく入事の知るところである。第一部は理論統計学にあてられ、
第二部以下は実際統計学のために用意された。第二部は人口統計論、第三部は道徳統計論を内容とした。経済統計論を中 心とし、教育統計論・政治統計論をとりあつかう予定だった第四部ば完成しなかった︵6冨。・卑ωf︿。ヨ。δ。 ①マイヤーは﹃理論統計学﹄で記しているi﹁統計学は社会科学の領域における一個独立の科学であり、同時にまた近時﹁国家科学﹂1もちろん 著者はこれを﹁転義的な意味で﹂︵一三ロげ興守ロαq讐①コω冒口Φ︶もちいているのであるが一とよばれる諸科学の複合領域においてもまた確固たる地位 をもっているL︵円げΦo﹃o仲・しQけこQq■ωド訳・八○頁︶。 ②マイヤーはいっている一﹁統計学の独立性は一方では科学的研究の対象の特殊性︵あらゆる理象形態におげる社会要素の集団︶にもとづき、他方 ではこの研究の方法の特殊性︵要素の悉皆的な集団観察︶にもとつくものである﹂︵↓﹃Φo﹁簿.ω中墨QQ・。。b。.訳・八Oi一頁︶。 ⑨﹁﹃合法則性﹄は、﹁統計的研究の本質を形成する諸々の操作の全体﹂は、①﹁社会的事実の集団観察﹂、②﹁集団観察によつてえられた統計原材料の 分類および計算的加工﹂、③﹁さらに進んで統計的数字磁料の、特に社会生活の合法器性の解明のためにする科学的利用﹂、以上の﹁三大群﹂に分けら れる、とする︵O①ω9日冨ω蒔犀①誉ω●拐lP訳・三五頁︶。 ④ マイヤーは、社会的集団.それ自体を観察七てその数値をとらえると、いう段階以上に出ないものをω3け韓﹃9①屠二話けとよび、これが社会的集団の 学問的認識目的に役立てられるとき、そこに統計学︵実体科学としての統計学︶が成立するという︵↓ぴΦo憎緯円しQ鼠悼δユぎQQ亀。。内訳・一九頁︶Q ⑤ ﹃合法則性﹄における﹁広義の統計学﹂︵ω塞け一拍障一日≦o詳Φ話昌ω一ココ①︶がこれに照応する︵の㊦。。Φ言B毎匹αq犀Φ罫ω.一b。・訳・一七頁︶。 @﹂.マイヤーσこの規定は、自然は類型的であり、人間界は個性的である、というりユーメリンのかの有名な命題 ︵幻&窪F工率ω舞NρH℃oQ●b。一。。● 訳・三八○頁︶に対応するものであって、内容的には一致する。マイヤーはいっているi自然科学的領域では、極めて重要な性質といえども、個別 事例の研究によって確実な認識に到達することが出来る。これに対して個々の人間は決して類型的な社会人の忠実な表現ではない。類型的な社会人は 個々の現実の個人の内に見出すことは出来ない。それは数千人、数万人の大量観察から抽象するよりほかはない。同様のことは、社会人の行動につい ても、また行動の成果についてもいうことが出来る︵OΦω①9ヨh・ωω立酒①罫Qっ.δ1§訳・一等ー三頁︶。 ⑦匂.国.芝昌㌘口。。”田三①詳=コゆqぎ&ωuDεユ三日α2ω3斤百済博冨。。い 三 マイヤーの実体科学的統計学体系はまさに自ら云うように﹁社会的集団の一般科学﹂である。それは社会の社会的集団 マイヤーと実体科学としての統計学 =
マイヤーと実体科学としての統計学 一ニ への分解の上に立つ。すでに指摘したように、社会的集団は、個別事例の併存であって、それ自体においては、社会圏で はない。社会圏は社会化を通じて成立し、そこに社会の本質が宿る。社会的集団は社会の素材である。社会と社会的集団 との間には原理的相異があるといわなければならない。もっともマイヤーは、社会的集団の認識が社会圏の認識に役立つ という。けだし、祉会的集団に対する悉皆集団.観察の結果の適当な編成により祉血忌の認識の科学的材料がえられるから ︵↓ぴ8器戸Gっ時こGo■⊆。.訳・一〇1一頁︶。しかしこの操作によって社会圏と社会的集団と.の間隙は果してうずめつくされるであ ろうか。われわれは﹁統計学の社会学的改良﹂についてジージェックの指摘する限界を想起しなければならない。観察結 果を社会構成体に照応するように群別して統計的特徴づけの基礎にするとしても、これによって達成されることは、社会 的構成体への所属性が素材的個別事例の総体︵11社会的集団︶におよぼす影響を明かにするにとどまる。しかしわれわれは ここでこの問題に深く立入ることをやめよう。マイヤー自身も社会的集団による杜会圏の認識は第二義的なものとしてい るから。むしろ、われわれが問題にしなければならないことは、社会的集団の学の直接的な研究目的が、社会的集団その ものの認識であるという所説であろう︵日げΦ。おけωfω﹄.訳・一〇1一頁︶。ここに社会的集団の実体化が著しく進められて いることを知る。社会圏と社会的集団との区別に対応して﹁社会圏の諸科学﹂と﹁社会的集団の科学﹂とが祉会科学領域 の中に画される︵ω三斜ω三ω。。Φ口曽﹃⇔津Φ量ω・一。。IO⋮目ゲ①o器戸ω計GQ●謹−㎝.訳・六一−二頁︶。 プリブラムがマイヤーを集団、王 義の代.表者と規定するのに反対したジージェックの見解は承認されなければならない。マイヤーはあくまで個体主義者と してとらえらるべきであろう。 社会的集団と社会との問の間隙1それはマイヤーにのみ見られる問題ではない。リューメリン︵O男口裏Φぎ︶が統計方 法の対象として﹁自然的集団﹂︵冨a聖堂①○ヨ毛の︶と﹁人工的集団﹂︵ぎ匿島多ΦOε℃需︶をあげ、ジグワルト︵070り顔≦寓δ︶ が類の把握として統計的計数︵ω樽⇔け筋ゴω070N斡7︸已]σQ︶を論じつつ集合的全体への適用をあげるとき、すでにこの問題は準備
されていたといわなければならない。ジージェックは過去において社会学と統計学との交流の少かった理由を.8れに帰着 ④ させつつ、しかもこのために今後においても統計学と社会学とは別個に存在しつづけるであろうと結論した。しかし問題 は統計学と社会学との関係にとどまらない。社会科学一般と統計学との関係にかかわる問題である。統計学を実体科学と してではなく形式科学とみるとして・も問題は本質的には変るところはない。統計は如何にして社会科学の方法となり得る であろうか一。 マイヤーの実体科学としての統計学は、社会と社会的集団との間隙の外にいま一つの間隙をもつ。社会的集団と悉皆集 団観察との間隙、これである。 社会的集団と悉皆集団観察との間隙とは何か。社会的集団は多数の個別事例の併存である。個々の個別事例は、相、互に .種々なる方向において相異り、まさにマイツェン︵︾. ζΦ一時NΦコ︶のいうように、概観することの出来ぬ多様性をかもし出す ︵ΩΦ。・Φ欝ヨ曽のu・一σq犀。罫ψ巴一ωO訳・三六一八頁︶。ところでこれらの個性的な個別事例を悉皆集団観察は同質性においてとらえ ロ る。集団観察は、個々の個別事例について相異を問題にするが、問題にする相異は若干の徴表にかぎられる︵○Φ。。Φ訂ヨ蟹し。ひ・嘩 ざ昼ψ悼。。.訳・三七頁︶。したがってジグワルトのいう知覚判断の﹁外延的完全性﹂︵①国詞ω︻<①<亀。・↓鐘凸σq犀魯︶は保証される が﹁完全精密性︵<。濤。日巨Φ器OΦ冨三ひq冨・伴︶は等閑に附される。これは如何なる根拠によるか。・マイヤーは、全体的把握の ための細部の無視と規定する。しかしここにいう全体的把握とは社会的構成体の把握ではなく、多数の個別事例の多様性 の簡略化であり総括的表現の獲得である。この規定は合法弾性の性格規定にも浸透している。このような形式的解決は問 題の真の解決とはならないであろう。同様に事態を形式的技術的に1対象の数の多い、場合に外延的完全性を確保するた めの完全精密性の拗棄と−解釈するジグワルトが統計的計数を﹁世界記述﹂11﹁目録作成﹂の方法の近似的手続とせざ るを得なかったことを銘記すべきであろう。新カント派的立場に立ってチュプロフが提示した﹁相対個性﹂︵紆。・邑⇔牙 マイヤーと実体科学としての統計学 一三
マイヤーと実体科学としての統計学 一四 ﹃象三砦①濠︶の概念は、この間隙をうずめる一つの試みであるが、 マイヤーはこれを半ばやゆをもって遇するにすぎなか ったのである。 以上、われわれは、マイヤーの実体科学としての統計学には、二つの間隙があることを指摘した。第一の間隙は、社会 と祉会的集団とめ間隙であり、第二の間隙は柱会的集団と統計方法との聞隙である。筆者はこれらの間隙がマイヤーの実 体科学としての統計学の論理的構造と深く結びついていると考える。 社会的集団は、これを方法の側からみると、社会に対して、これとは独立的に規定された統計方法の適用条件をもつ・て 立向い、これが充足される側面をもとめて得られたものである。しかも適用条件が手続的構造より誘導されたものである かぎり、統計方法が手続的にいわば切りとる社会の一面であるほかはないであろう。それはさしあたり社会における集団 状態とでも規定すべき極めて空虚な、いはば対象化された形式とでもいうべきものである。社会とは独立別個なものたる 方法の適用条件より誘導されるものであるから、社会の中に必然的な内容的つながりをもっことはでぎない。マイヤーば これに内容を与へようとしたαしかし社会の中に必然的な内容的つながりがないものであるから、二会の全領域にわたっ て、集団状態をもつものをえらび出すか、或は統計実務の内容にたよるより外に仕方がない。﹁マイヤーは大ぎく統計実務 に依存した。社会的集団が或は自然的な現象であったり︵出生・死亡︶、或は自然的・社会的存在であったり︵人口︶、もっ ぱら社会的性格をもった現象であったりする、実体的不統一性にもかかわらず、形式的統一性を維持する理由はここにあ る。社会の社会集団への分解は、社会そのものからすると必然的なものではないのである。それは、社会に、それとは独 立に設定された統計方法の手続構造を受容する場を・i祉会の外から ・用意するものであったのである。 さて、マイヤーは次に社会的集団に統計方法の類的把握形式を対置し、これにもりえないものはすべて捨象し、もりう るもののみを抽象して統計学の内容とする。社会的集団とは 社会とはもちろん1別個に定立された方法構造による
のであるから、この抽象および捨象に対して、社会的集団および社会からいって必然的な根拠を与えることが出来ないの である。 この様に見て来ると、社会と統計方法とを外的に対応させ機械的に接合するマイヤーの態度は、その中に、方法をして 対象を決定させ学的内容を形成させる、客体に対する方法の優位を含んでいることがわかる。まさにマイヤーの実体科学 としての統計学は統計方法が社会を外からけずりとった材料によって構成されるものである。ところで、このような事態 において、統計方法にもられなかったものが実在性を主張しないと何者が保証することが出来るであろうか。上記の間隙 はこの実在性のあかしである。結局のところ、上記の間隙はマイヤーにおける統計方法と社会との間隙にほ.かならない。 異母を素材に分解することは統計方法において必然であり不可欠である。それは社会の量的規定性の構造を分析すると き、そして照会の量的認識の手段として統計方法をとらえるとぎ明かになる。量的規定性は、社会的構成体においては、 構成要素11素材の同質性の上に成立する。 量的規定性においては社会的構成体は同質の素材的個別事例の併存︵継起︶と してしか現れないのである。社会的構成体の量的規定性がこの様なものであるなちば、これを見出すためには、社会的構 成体を同質の素材的個別事例に分解しなければならない。かくして社会的構成体を素材的個別事例に分解することは、量 的規定性を見出すために必然的な方法的操作であり、社会的集団は、祉会的構成体の量的規定を見出すための方法的過程 における抽象的形成物である。このように社会的集団およびそれへの社会の分解を見るとき、祉会と社会的集団との統一 を打ち立てることが出来、両者の間隙をうずめることが可能になる。社会と社会集団とは矛盾を形成するが、この矛盾は 悪しき矛盾ではないのである。 社会的構成体の量的規.定性を見出そうとすれば、それが素材的個別事例の﹁同質性を基礎として成立するかぎり、素材的 個別事例を同質性においてとらえ、これらをすべて計数または計量し結果を類別総括しなければならない。類的把握はこ マイヤーと実体科学としての統計学 一五
マイヤーと実体科学としての統計学 一六 のように見て来ると、社会的構成体の量的規定性を見出す方法の中に統∼される。 マイヤーが社会の素材に着目したことは、大きな意味をもつ。それは何よりも祉会的構成体の量的規定性の基体をあら わにしたからである。問題は、社会を素材に分解する過程を祉会の量的規定性を見出すための方法的過程の中にくみ入れ なかったこと、社会的集団を実体化したこと、外から類的把握形式を社会におしつけたことにある。要するに、統計方法 と社会とを外的に関係させるところがら来る。 社会の素材に着目することは、統計方法が、社会の量的認識の方法であることの認識に重要な基礎を用意するものであ る。しかしマイヤーはこのことを意識することが出来なかった。もっともマイヤーは統計的認識が数量的認識であること の意識をもっていたことはたしかである︵OのΦ二日霧。・戯﹃2計Q。﹄ω1心.訳・]八頁、目冨○話けQりrQり.旨.訳・八二頁︶。しかし、社 会的集団の実体化によって、統計方法を量的認識の方法としてとらえる基礎そのものを掘りくずしてしまったといわなけ ればならない。 マイヤーは絶対主義的・エセポナバルト的体制下における官庁統計の指導者であり、またこの体制下の教壇の人であっ た。マイヤーはドイソ宮庁統計の近代的整備に大きな努力を払う。この努力はドイツ国民の統一的現実像の形成を志向す るものであった。ところでドイツの国家的統一のおくれより統︼的統計調査が制約されていたために、ドイツ国民の統︸ 的現実像の形成はより多く、いな、本質的に、学問の課題となった。かくして構想されたものが実体科学としての統計学 である。その基礎付けには統計調査の手続的側面、特に蒐集段階が大ぎく作用した。これを統計方法として自立させるこ との中に、官庁統計家の専門技術家的意識を看取しえないであろうか。ところで、すでにのべたように、統計調査が手続 的に社会11客体よりきりとるのは社会の素材的個別事例に愚ならない。統計実務の当時の主領域が人口統計であったこと もまた大きな制約となった。人口はそれ自体社会の素材であるだけでなく、その量的規定性は支配的には基体︵質︶との ’
結合が直接的な﹁数﹂であることを留意すべぎであろう。 マイヤーが実体科学としての統計学を構想した時代においては、社会科学の実証的量的方向への志向は全般的にまだ不 十分であった。マイヤーの社会集団の科学は、このような時期にあって、社会科学、特に社会学の実証化をも意図するも のである。ところで量的認識への志向は質的認識の一定の堆積を必要とする。マイヤーの時代はまだここまでいたらなか った。質的認識の堆積が進み量的認識の方向に進出するとき、統計を必要とし、統計に対する吸引が統計をして自己が量 的認識.であることを自覚させる。この条件がマイ.ヤーにはなかった。マイヤーの統計学が素材の学にとどまったのは必然 といわな.ければならない。それはまた素材の学を独自的体系に結集させることとなった理由の一つであろう。 ◎﹁統計学が社会科学の領域においてしめる地位については、﹃国家科学﹄における社会諸科学の分類表を参照。 ①N冨Φぎぎ象く置ロ9房識。・o冨口口α奔巳冨渥二≦q・二。・07Φωぶ鉱。・二ぎω﹃ζoコ卑。。畠二藍ρお旨αqこ6罫QQ.Φも。脳O畦ロコ血﹁凶器匹①目Q薩9ユω二ぎ鱒︾鼠ド ψb二N刈・.訳・一四頁。 ② 〆■℃ユぴ同ρ。ヨ”∪帥①ω3鉱ω仲一犀巴ω≦冨ωΦロω07働律ぎαo。ひ①霞Φ一〇び一日一㊤.智げ同ず属目αΦ詳旨ΦぴωけΦぎ①ヨ︾σ二ωωΦ一5Φ居9茜①ヨ⑦ぎ。コO①ω6三6酎8 ム①Nω雷二ωユざω8二ω帥δoげ①H≦oロ讐ωoげコヰ一一cQ旨αq.ψ8⑩ N訂Φぎ一巨象く一〇環巴拓寓oqo7Φロ昌創閑。目⑦貯ユ︿圃ωユωoず①ωほp二ω叶節螂鉾pO■−ω.①ω. ③閑白Φ嵩登N霞↓げ①〇二①Ω興ω3け翼貯−蕊①ω.︵一口綱 菊①q①コ [﹁ ﹀=h口α=けN①℃ 一−一Qo刈㎝−Gり.トの刈一lN・︶訳・四八一九頁。OF憩αq≦巽∬日。αq涛・一﹀口h一 一QQ刈G◎’㎝﹀口自.一Φbσ癖℃b●●切OこQo.軽Oの・F駐一〇ード ④N冒①ぎ,O﹃⊆昌αユ。α。。α興ゆ富二馨弊・b。諺口自−し∩・b。8一ωP訳。二一頁。 ⑤ 形式科学としての統計学を構想する今日のドイツ社会統計学においてもこの問題は重要なテーマを形成している。この点については、拙稿﹃社会統 計学的認識の問題と.特質﹄・彦根論叢﹄第四三号・昭和三三︵一九五八︶年を参照さ.れたい。 ⑥ ﹁観察者にとって観察される事実の質的差異がかなり消えさって、これによって同種のものとみなされる事実としてその総括をなしうる様になると いう正しい視角を発見しなければならない﹂︵O①ωo訂日﹄獣σq犀①貫ω.ωP訳・四〇頁︶。 マイヤーはまた﹃理論統計学﹄において悉皆観察においては ﹁同.種あるいは同類の社会要.素、同種として扱うことの出来るような社会的要素﹂が問題になることを指摘している︵Qり.。。・訳・一八−九頁︶。 .⑦・の茜≦賀ρ鉾騨O二・ω﹁お①一。。■ マイヤーと実体科学としての統計学 一七
マイヤーと実体科学としての統計学 、 一八 ⑧ω茜毛霞計p餌・○二ω●蒔O。。. ⑨ ︾・目ω6ゲロ娼﹁o≦”ω3ユω江冨巴ω≦一ω器嵩ωユ配陣層︾﹃oFh.uら。臥巴壽■FωoN一口⊃一目f卜⊃卜Ω切αこちOρQ∩●8ρ ⑩マイヤーのさきにあげた統計学の定義における﹁統計にとらえうる祉会的集団に現れるかぎりでの社会的な人間生活の状態および現象を⋮⋮﹂の規 定は社会集団の概念の形式性を端的に示している。 ⑪拙稿﹃統計離集団概念について﹄・彦根論叢・第六五一七合併号・昭粕三五︵一九六〇︶年・=二三−四頁。 マイヤーの実体科学としての統計学は、一見すると、客体すなわち社会の重視、方法に対する客体の規定性の尊重を特 色とするかのごとくみえるが、実体はそうではなく、むしろ客体に対する方法の外的対応とこれより生ずる方法の優位を 特長とし、実体科学的構想そのものがこの上に立ち、そこから内容的な矛盾を含まざるをえなかったことを、われわれは 確認した。 この確認はドイツ社会統計学の本質を明かにする上に重要である。ドイツ社会統計学のその後における実体科学的構想 の解体の基礎はすでにマイヤーの実体科学的構想の中にすでに用意されていたのではないかとの感をいだかしめる。しか しこのことについての論証は別の機会にゆずらなければならない。 マイヤーの実体科学的構想が客体に対する方法の外的対応と優位の上に立つということの確認は、また、統計学の学問 的性質に関する当面の問題の解決にとっても、無意義なものではない。われわれはマイヤーの構想の中から多くの教訓を くみとらなければならないのである。