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こどもが立ち向かうやまいと障がいと大人の世界

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Academic year: 2021

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■ 57 ■ 〈一瞬一瞬にある看取る覚悟〉  2歳の男の子 数日前から死を避けることが 出来ない状態であることが親と医療者で確認さ れ病棟内でも心肺蘇生は行わないと合意され、 そのことがカルテ上にも記載されていました。 医療者間でも共有されていたことでした。両親 は数日来、付き添われていましたが、亡くなる 日の朝、母親は「子どもの調子が悪く危ないと 思う」と看護師と話をしていました。看護師も 「そうですね、今日あたりになるかもしれませ んね」と会話を続けていました。どちらも 「死」を想定しているように見えますが、言葉 には出していませんしお互いがそれを確認する こともしませんでした。日勤が終わるころ、心 肺停止状態となりました。母親は何とかしてほ しいと、病室へ駆けつけたインターンへ懇願し ました。父親も含め「蘇生をしないということ なっていたが、どうするか」、と改めて確認を し、アンビューのみを使用し、回復されること なく臨終を迎えられました。(米国にて)  40年あまりまえの出来事ですが、その当時でも家 族との合意の上での事前指示がなされていました。 この場面で登場しているのは2歳の男児、母親と父 親、病棟の看護師、インターン医師です。「事前指 示」は通常本人が意識が亡くなる状態になる前に、 その時が来たら何をしてほしいかということを事前 に決め、関連する人たちにその旨を分かってもらっ ておくことです。しかし、死の当事者は子どもで  シンポジウムのテーマをいただき、私がお話し出 来ることは生きる側面であり、病気や障がいを持ち ながら生きていくこどもたちが少しでもその人らし く生きていくことを支援できるよう努力する看護の 目線から、何が見えているのかをお伝えしたいと思 っています。大きくは二つ、「こどもと親」、そして 「やまいと我慢と大人の世界」の観点からすすめま す。エピソードに名前が付いているものもあります が、私の私見です。  話を進める前に、看護をどのように考えているか をお示しします。日本看護協会の看護者の倫理綱領 の前文から抜き出します。看護の目的は「あらゆる 年代の個人、家族、集団、地域社会を対象とし、健 康の保持増進、疾病の予防、健康の回復、苦痛の緩 和を行い、生涯を通してその最後まで、その人らし く生を全うできるように援助を行うこと」と書かれ ています。看護の場面は多岐にわたりますが、今回 お話しするのは病気を持つお子さんであり、病院で の事になりました。

こどもと親

 こどもは大人が築いてきた世界に生まれ、育ちま す。こどもは健康であろうが無かろうが初めての体 験の連続の中で生き続けます。しかし、初めての経 験とは意識にのぼらないことなのだと思います。大 人の私でも今の出来事なのに、「過去に経験したこ とがある」と思ってしまいます。的確ではないと思 いながらも、一瞬一瞬が初めての経験を生きている のだと思いを馳せることはあまりしていません。

こどもが立ち向かうやまいと障がいと大人の世界

Challenge of Children Facing Disability and Adult Worldviews

関西医科大学/兵庫県立大学名誉教授

 片田 範子

Kansai Medical University / Prof. emerit. of University of Hyogo  KATADA Noriko

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■ 58 ■ で、母親はずっと付き添っています。診断はつ いたものの、何もなされず時が経ちました。経 験のある看護師は大きな町の大きな先端医療施 設へ依頼をし、搬送できたら何らかの先端治療 を受ける可能性があるのではないかと疑問に思 い、医師に話をします。それはできないといわ れ、母と子は数週間、死を迎えるまで、その病 室で過ごされました。  この時の時間の流れは看護師にとって短くもあり 長くもある不思議な経過でした。母親の、感情をそ ぎ落としたようなたたずまいとそこに居続ける意志 の強さを感じました。看護者としての焦りは治療選 択の時期の非可逆性と当事者の決断の機会の有無で した。治療ができる時間が過ぎていく、何らかの決 断が誰によってなされたのか、あるいは誰も決断を せずにいたのかどうかが分からずにいたからだと思 います。こどもは訴える事もないですが、その子が いることで、親となったばかりの人が、他者の責任 を担う決断をすることの重さは計り知れず、それで も傍にいることに努めるのが看護の仕事だと思って いました。  この時にも親とこども、医者、看護師が主に存在 しますが、親とこどもとのかかわりの頻度は看護師 が多かったものの、確実に少なくなっていき親と子 のみの時間が増えたと思います。互いになすべきこ とが見つけられない、添うことのみで良いのかとい う自問にいたたまれなくなる現象でした。 〈死を間近に感じているこども〉  このエピソードはこども自身の反応です。こども の中に親が存在しているのだなあと感じた時です。  他のこども達が寝静まったころに巡回してい るときに「死ぬっておっかないことなの?」と 10歳の悪性血液疾患を持っているこどもさんか ら質問を受けました。「死ぬのかなあと思って いるの?」「確かに誰でもいつ死ぬかはわから ないかもしれないけど」というこどもと看護師 のやり取りが少し続き、最後にこどもから「こ んなこと話したってお母さんには言わないでね、 心配するから」と言われました。答えを求めて す。親が事前指示についての確認をしましたが、そ れはあくまでも代理です。  当事者であれば死の瞬間にいるのですが、事前指 示を代理して決めた親はこどもの死の刹那を看取る ことに取り乱しながら、その事実を覚悟するのかも しれません。意識ない当事者であるこども、看取る 当事者としての親が存在します。こどもである他者 の死を覚悟することは揺れ動きます。その動きに看 護者としてどうそっていくのかが看護者の覚悟です。 病棟にある決め事について、「決めていたではない か」という思いを抱くのは医療者のものであり、母 親はこの時も、「誰も今日死ぬとは言わなかった!」 とつぶやかれていました。  この場面で親子の在りようを考えますと、「親に つつまれているこども 〈感じあう共存〉」、「離れて いってしまうこども 〈他者としての存在〉」、「離し たくない、離れていってしまうことを拒みたい想 い」、「受け入れたくない死の訪れ」という状況があ ったように思います。お子さんの存在を表している のは一項であり、それ以外は親の心情です。小児看 護はケアをする相手を第一義的に子どもとします。 これまでの日本の状況にはいつの間にか子どもを抜 きにして家族が優先されてしまっていた事が、こど もの主体性を抜きにした看護と批判されていた時代 があります。  しかし、この場面を想起すると看護師はこどもを 視野に入れつつも親を見つめ、彼らのそばにいつづ けていたように思います。この夏に行われた日本学 術会議の看護学分科会と日本看護系学会協議会の公 開シンポジウム「ケアサイエンスとは何か、その必 要性を議論する」で、当事者は常に一人かという問 いが出されました。当事者は一人だけではないので はないかと思わされた事例です。両者と同時に関わ りを持つ事は時に利益が相反することもあり、用心 をしながら対応していく事が求められます。 〈誕生と隣り合わせの死とともにある時間〉  アメリカにある小さな町の総合病院の小児病 棟にその病院で生まれたお子さんが新生児室か ら移って来ました。普通でしたら出生後すぐに 濃い緑色をした便が出るのですが、その子は授 乳後も白い便のままでした。初めてのお子さん

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■ 59 ■ に状況をとらえていないことが生じます。そして、 今繰り返される行動に人は発達を度外視してイラッ とします。  平成7年度から開始した痛みに関連する研究から 見えてきたこともあります。例えば、こどもは大人 より痛みを我慢することが出来る、痛みの部位を訴 えることが出来ない、こどもは痛みに慣れる、こど もが訴えてもバイタルサインに異常がなければ痛み はない、気分転換を図れるときは痛みの強さはそれ ほどでもないなど誤った認識も見受けられました。 どの年齢のこどもなのかによっても反応は異なりま すが、医療者は個別の反応を読み取る力が求められ ます。 〈3歳のこどもが痛いと言える〉  発達するこどもの理解力や判断力、決断力などを 分かるのには、こどもの本質そのものをとらえるこ とが必要です。大人と比較することなく、こどもを とらえることは難しいのですが、できるだけその子 の情報を手掛かりに、こどもに接近してみることが 重要です。前に述べたような思いこみは厳禁です。 思いこみの恐ろしいところは思い込んでいるとは思 わないことだと思うので、難題です。3歳のこども が痛いと言えるのだと信ずることから始めます。 〈重なるナースコールへの必要な対応〉  癌性疼痛がある4歳児で痛みがあるとナース コール何回も鳴らします。特に夜は頻度が上が ります。そのたびに足をさするように言われ、 さすり始めるとうとうとし始めるのですが、そ っと抜け出るとまた、ナースコールがあるとい う状態でした。看護師は処方されている座薬を 試してみようかと持ち掛けますが、「足をなで なでしてくれた方が良い」と言われ、座薬は受 け入れられません。悩んだ末、お母さんにお子 さんが小さい時から痛みを体験したことがある か、何かその時にとった行動があるのかを尋ね ました。予防接種くらいしかこれまで痛い体験 はしたことがないと思うけれど、その際にはフ ーフーして撫でたかなと思い出されました。  このお子さんだけではなく、多くのこどもたちは いたわけではなく、誰かが受け止めるだろうか という試しであったのだろうと思っていました。 こどもの基準は親が心配することは自分にとど めておく、そして親を守ることに努めているよ うでした。(日本にて)

やまいと我慢と大人の世界

〈3歳のこどもは我慢させられているのが分かる〉  こどもが病院にいるときには、遭遇する出来事す べてといってよいほど我慢を強いられています。  検査入院の3歳のこどもが朝一で全身麻酔下 の検査が行われるはずでした。手術まで、飲む ことも食べることも禁止されていました。健康 状態は良好でしたので、起きてから食事が出さ れないのは苦痛です。10分くらいおきに「ご飯 は?」と尋ねますが、そのたびに看護師は今朝 検査があるので、それが終わるまでは食べられ ないと答えていました。9時半ころになりまし たら、「もう我慢できない‼ おなかがすいて もう我慢できないよ」と叫びました。  この事例はやはりこの子は状況を分かって、おな かがすいているのに我慢していたのだと子供の能力 を再認識させてもらえた事例でした。こどもの認知 機能の発達状態において、理解して分かりそれを保 持することはこの年齢ではごく身近な時間となるこ とは当然です。しかし、どこか分かっていることに どう周りが対応するかが問われることになります。  大人の世界でも、「健康でなければ病院に行けな いよね」と笑えない冗談を言うことがありますが、 こどもたちにとって慣れない環境、慣れない人、し たくないことばかりがある入院生活のストレスが大 きいことは我々は容易に理解できるはずです。しか し、がん性疼痛があるこどもたちでさえも痛みがあ ることを理解してもらえない時代が長く続いていま した。医療者自身が頭ではわかっていても、痛みへ の対応となると合理的な判断ができなくなるような 現象も起きていました。上記の事例ではなくても 「何で何回も何回も呼ぶのだろう?」など、発達を 学んでいるはずの看護師であってもその時には十分

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■ 60 ■ 主体であり、分かろうとする力、自分自身で考えた ことを試そうとする力を持っているこどもだという 前提でのかかわりが必要となると実感しています。  こどもの持つしなやかさと脆弱性はパラドックス として共存します。その両面性が表出されている時 に、その子と対峙する親にとっては、両義性を理解 することは難しいことだと思います。主体ある人だ と認めることは、その人が何を主張しようとしてい るのかに向き合うことに立ち返ることだと思ってい ます。 〈参考文献〉 片田範子、大崎富士代、高谷裕紀子、中岡亜紀、勝田仁美他 (1999)平成7・8・9年度科学研究費補助金基盤研究(B)(2) 癌性疼痛のある子どもの痛み緩和ケアの実態と看護介入方法 の構築(研究代表者片田範子) 自分の経験をもとに彼らなりに自分で、痛みを解消 しようと試みています。その試みを否定しないで付 き合い、その方法では痛みは取れないことを共有し ます。目的に向かって一緒に動いてくれたという評 価、そして次のステップも自分に判断を委ねてくれ ているという実感、そうした共にする経験の積み重 ねで初めて次の解決方法を試みるこどもたちがいま す。その際に次の試みは成功するように準備を万全 にして、痛みがなくなって楽になるという体験まで こぎつけると積極的に看護師との模索をし始めます。  大人の時間の流れの中で、こどもが言う事に耳を 貸す事は意図的に行わないと流れてしまう事もあり ます。例えば、治療等の説明についても、こどもは 分からないのだから、という前提に立つと、こども が聞いているのにもかかわらず大人への説明が始ま り、聞きかじりのため誤解や不安をあおる事に繋が ることに気付きます。  これら私達が関わっているこどもはその子自身が

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