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小川道大著『帝国後のインド――近世的発展のなかの植民地化――』 (書評)

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Academic year: 2021

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小川道大著

『帝国後のインド

―近世的発展のなかの植民地化

名古屋大学出版会 2019 年 viii + 438 ページ 川 村 朋 貴 Ⅰ イギリスによるインドの植民地支配の開始と展開 を,どのような論理で架橋するのか。この課題は, これまでのインド史研究の主要なテーマのひとつで あり,イギリス帝国内部でのインドの役割を評価す るうえで決して無視できない課題でもあった。本書 は,ボンベイ管区における「ライヤットワーリー制 度」(個別農民課税制度)導入の背景と諸結果を考察 し,インド西部の植民地化を 18 世紀初頭からのイ ンドの混乱と変化のなかで再検討した秀作である。 また,本書は近年のインド史研究で注目される「18 世紀問題」と関連させながら,それに対する新たな 視座を提出するものである。分析地域は,ボンベイ 管区で最初に「ライヤットワーリー制度」が導入さ れたプネー州インダプール郡である。 本書は,著者が長期留学中にインド各地の文書館 で収集した史資料を基礎にして執筆されているが, とりわけ評価に値するのは,英語史料と同時に現代 の字体とは異なるモディ体で書かれたマラーティー 語の手書き文書史料を用いている点である。この手 法により,われわれは真の意味で非イギリス的視角 から植民地化過程の展開を理解することが可能と なった。著者の長年にわたる努力と探求心には,素 直に敬意を表したい。 Ⅱ 本書全体は,序章と終章のほかに,3 部 9 章で構 成されている。 序章では,本書の研究史として,いわゆる「18 世 紀問題」の諸研究が紹介される。すなわちインド史 における「18 世紀」という時代は,これまではムガ ル帝国が混乱・停滞する「暗黒時代」として語られ てきたのだが,近年では正反対の意味に再解釈され, 帝国内における地方国家群が台頭し,インドの社会 経済も安定的に繁栄した時代であり,しかもそれが 19 世紀前半まで継続していたと解されているとい う。本書は,この「長い 18 世紀」を「近世」という 時代として区分し,インドの植民地化を「近世的発 展」という長期的文脈のなかで描こうとしていると いえよう。 第 1 章では,18 世紀前半からのマラーター王国・ 同盟の興隆を概観し,それがムガル帝国の制度を継 承する「後継国家」として成立したことを検討する。 著者は,ムガル帝国の名目上の至上権が,経済発展 で支えられた継承国家やイギリス東インド会社 (EIC)の台頭にもかかわらず,脈々と継続していた ことを強調する。 第 2 章では,18 世紀後半におけるマラーター同盟 の地方行政がインド西部のインダプール郡の事例を とおして検討され,宰相政府その郡行政の主要業務 (徴税・司法・軍事)が中央政府から派遣された文官 (カマヴィスダール)と在地の郷主・郷主代官によっ て支配されるようになった事実を明らかにする。 第 3 章では,宰相政府からインダプール郡の村落 へ派遣された武官たちとその役割に注目し,彼らが カマヴィスダールや郷主・郷主代官とともに,マラー ター同盟の地方支配を支えた中間層であったことを 指摘する。パーニーパットの戦い(1761 年)で敗北 したマラーター同盟は,内政改革へ政策を転換し, その政策路線がジャーギール村(武官が地税徴収し た村)を急増させ,武官主導の軍馬育成・再生産体 制の確立という諸結果をもたらしたのである。 第 4 章では,税制という観点から,職能・職商集 団の諸活動を明らかにし,インダプール郡の農村共 同体内の分業体制がとりあげられる。職商集団のな かには,農村経済を支え,地方行政への財政支援を 行なう外来商人も含まれた。 第 5 章では,17 世紀からインド進出を始めた EIC が,インド西部においてマラーター同盟の諸侯との 対立を深め,第 1 次・第 2 次アングロ・マラーター 『アジア経済』LⅪ-1(2020.3) ⓒ IDE-JETRO 2020 https://doi.org/10.24765/ajiakeizai.61.1_85 書 評

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戦争に至る過程が概観される。 第 6 章では,インダプール郡の徴税帳簿を精査し ながら,1802∼1803 年(第 2 次アングロ・マラーター 戦争と干ばつ・飢饉)以降,政府村の急増とその半 面でのジャーギール村の急減が論じられている。こ れは,宰相政府役人にインダプール郡の行政権力を 集中させたことが大きな要因で,その結果,それま で既得権益を握ってきた中間層権力(カマヴィス ダール,郷主・郷主代官,武官の鼎立関係)を衰退 させることになった。そして,第 3 次アングロ・マ ラーター戦争(1817∼1818 年)での宰相政府の敗北 は,最終的にインダプール郡におけるジャーギール 制の崩壊を招いたのである。これらの諸変化が,同 地への「ライヤットワーリー制度」導入の前提条件 となっていた。 第 7 章では,通関税帳簿(1811∼1812 年)の分析 から,混乱期のインダプール郡における通関税徴収 業務とその政策的意図が明らかにされるのみならず, 地方経済の形成と構造も論じられる。さらに著者は, 中国定期市のつながりを明示したスキナー・モデル を参考にしながら,同郡における市場町とその周辺 村との郡域内流通ネットワークとその階層構造を考 察する。そのネットワークはプネー,さらにボンベ イへとつながっていたことも示唆される。ただし, 本書で使用される「標準市場町」(standard market town)は誤訳で,正確には,最低次階層に属する「基 本(または基礎)市場町」となる。 第 8 章では「ライヤットワーリー制度」の導入と 広域的な展開を議論する前提として,第 3 次アング ロ・マラーター戦争以降,旧マラーター同盟領にあっ たインド西部が,イギリス植民地支配体制に包摂さ れた諸結果を概観している。ここでは,EIC がイン ド西部の社会・政治秩序の維持・安定とボンベイ財 政の維持を最優先に掲げ,それ以前からのジャー ギール制や藩王国政策を継承していった特徴が強調 されている。 第 9 章では,ボンベイ管区における「ライヤット ワーリー制度」の経済思想と,インダプール郡への その導入過程が論じられる。そのうえで著者は,同 制度のインド西部における拡大過程が,少なくとも 19 世紀半ばまでは,宰相政府領の内でも中央政府の 影響力が強い地域に留まり,宰相政府の支配権の外 にあった半独立性勢力が植民地権力に取り込まれた のは 19 世紀末のことであった事実を明示する。 終章では,各章の内容をまとめ,インド西部にお ける植民地化の問題は,第二次アングロ・マラーター 戦争(1818∼1819 年)の以前と以後を断絶させて議 論することはできず,外因性と内因性,あるいは伝 統と近代といった二項対立的な図式を避け,18 世紀 初頭から 19 世紀中までの「近世期」のなかで総合的 に理解される必要があることを強調する。 Ⅲ ここでは,大きな 3 つの論点に関して,評者の率 直な感想を述べておきたい。第 1 の論点は,地方行 政を支配する中間層である。「18 世紀問題」で議論 の中心となったのは,ザミンダール(地主・徴税請 負人)やポートフォリオ資本家(収入源を分散させ る資本家)のような中間層の存在であり,彼らの在 地での徴税活動であった。インダプール郡では「長 い 18 世紀」を通じて地方行政・経済を支え続けたカ マヴィスダールと武官と郷主・郷主代官であった。 カマヴィスダールと武官は,プネーのマラーター宰 相政府から派遣された役人であり,インダプール郡 農村社会からみれば,ポートフォリオ資本家に類す る「外部者」であったとみなすことができる。とく にカマヴィスダールは,まさしく国家と農村・農民 を結び付ける地方行政の中心的役割を担っていたの である。 しかしながら,本書でいう中間層の実態はあくま でもインダプール郡地方史のなかから抽出された事 例であり,ボンベイ管区全般に当てはまるものかど うかは不明である。本書の主張を確認するには,や はり複数の事例を比較する必要があるように思う。 たとえば,水島[2008]は,南インドにおける中間 層とは,農村部(在地社会)を同心円状に拡がる諸 関係の中心に位置し,在地社会とそれを取り巻く外 部世界とをつないださまざまなネットワークの線上 で活動した農村領主層出身の村落リーダーたち,ま さに農村社会の「内部者」だったと強調する。これ は,本書で提示された中間層のイメージとは大きく 異なり,地域の違いはあれども,近世インド史にお ける中間層の見方が正反対である。 前述したように,本書の分析対象はインド西部に おける地税徴収の制度的変化であり,武官相手の 86 書 評

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「ジャーギール制」やカマヴィスダール・郷主相手の 「徴税請負制度」から,イギリス支配下での「ライヤッ トワーリー制度」への移行にあった。ライヤット ワーリー制度は,自営農民と政府との直接的な地税 の取り決めを理想的原則とした制度であった以上, つまるところ,中間層権力が同制度の導入時に消滅 した(または排除された)のか否かという問題が論 点となる。現地語史料を用いた本書の分析方法を勘 案すれば,相当に時間を要する課題であろうが,少 なくともインド西部での地方間比較を行なう必要が あろう。これは,「ライヤットワーリー制度」拡大や その速度を解明する重要な作業にもなる。 第 2 の論点は,地方経済の形成と構造に関係する。 インダプール郡では,市場町と市場町が複数の関所 によってつながれ,複数の流通ネットワークを形成 していた。複数の市場町(交易拠点)によって形成 されたネットワークの重層構造が存在し,さまざま なカーストの商人たちがそれぞれの役割を担って活 動していたという本書の分析は極めて興味深い。し かし,その存在をどのような構図において解釈する のかが問題となる。 本書では中国農村市場を対象に定期市・流通ネッ トワークを分析したスキナー・モデルを援用するが, インド農村市場の定期市・流通ネットワークを表し たモデルがないわけではない。たとえば,インド政 庁による農業市場調査のひとつ(1943 年発行)によ ると,インドの市には,定期市(fairs)の他に,大ま か に 3 つ の 規 模 の 商 品 市 場(hats, mandis, retail markets)が都市とその近郊に開設され,インド全 土に分布していた。ラジャット・カンタ・レイはこ の史料等を基にして,インド商人・金融業者たちに よって支配された市場経済空間(バザール)と,そ こに内蔵された重層的な定期市・流通ネットワーク を見事に描き,さらにヨーロッパ資本主義の上層, 無数の農民や行商人が主体となった自給自足経済の 下層,そして両者の間をつなぐ中間層としての「バ ザール」という三重経済構造を提示した[Ray 1988]。 本書のインダプール・モデルも,インド西部におけ る「バザール」と「自給自足経済」との相互交流史 の一局面として解することができるのではなかろう か。 さらにいえば,そうした地方経済のあり方が「ラ イヤットワーリー制度」導入やその後の拡大パター ンの問題とどのようにかかわっているのか,あるい はその新地税制度が地方流通ネットワークにどのよ うな影響を与えたのか,評者には理解できなかった。 1850 年代以降,ボンベイから内陸部へ放射状に伸び る鉄道網が,インド有数の棉花地帯であるベラール やアフマダーバードのみならず,プネーとその周辺 地域にも敷設された。先述した定期市や各種市場も, 近代的な交通・通信インフラ(鉄道,運河,河川船 着場,電信,電話等)が配備された都市とその後背 地に存在していた。鉄道が在地の「社会的文法」を 破壊し,地方経済の輪郭を変容させた可能性もある だろう。本書では「ライヤットワーリー制度」の導 入が棉花地帯の開発と密接に結びついたことを示唆 するが,地方流通ネットワークを構築した鉄道や他 のインフラとの関係への言及はない。本書で時系列 で示される史料情報では,鉄道路線に沿って新地税 制度が導入され,その周辺地域に拡がっていったよ うにもみえる。地理情報システム(GIS)という分 析ツールを利用している点は大いに評価に値するが, 旧宰相政府領か否かという基準のみで「ライヤット ワーリー制度」の導入とその地理的分布(要するに インド西部の植民地化)を特徴づけるのは,相当に 無理があるように思われる。 第 3 の論点は「長い 18 世紀」という時代区分をめ ぐる議論である。著者は,ムガル帝国によって推進 され,部分的に EIC にも継承された「近世的」統治 体制が,1830 年代以降に「近代的」支配体制へ徐々 に 移 行 し 始 め,ム ガ ル 帝 国 の 終 焉 と EIC の 解 散 (1858 年)をもって消滅したと考えている。1830 年 頃を「長い 18 世紀」の終焉期と主張する別の見方と は微妙にズレが生じているが,インド史の近世期を 19 世紀初頭まで含めて解釈する点では共通してい る。本書のように,極めて限定的な視点からひとつ の時代区分の特徴を論じるのは難しいように感じる が,評者も次の 2 つの視座から本書の見方に同意し ている。 19 世紀前半のイギリス本国では,穀物法や航海法 のような保護貿易主義的立法が 1840 年代末まで存 続していたことを反映し,その植民地各地では,イ ンドのアヘンや塩でみられるような貿易・労働・生 産の独占を帝国建設の基本原理とし続けていた。こ の文脈においては,イギリス議会は一部の産業資本 家の利益を尊重しようとしたとはいえ,当該期にイ 87 書 評

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ンド経済を「自由貿易」なるものに開放したと単純 にみなすことは間違いである。評者はこの原理を 「軍事財政帝国主義」と呼び,1760 年頃から 1830 年 までの時期を「自由貿易帝国主義」の創世期に設定 する研究史上の「常識」を批判しながら,イギリス 帝国史における「長期の 18 世紀」を論じてきた。評 者は,その終焉が 1850∼1860 年代であったと考え ている。 もちろん,インド史における「長期の 18 世紀」と いう時代区分は,イギリス史の文脈のみで安易に正 当化できるものではない。東南アジア史では,1740 年から 1840 年までの約 100 年間は「中国人の世紀」 と呼ばれ,同地域におけるジャンク貿易の成長,中 国人移民の流入と定住者の増大,そして彼らの農 業・産業・国家財政への関与等によって特徴づけら れる「長期の 18 世紀」であったと考えられている。 評者は,東南アジアの西部地域(とくにビルマ,マ レー半島西海岸,スマトラ島)が,ベンガル湾海域 の一部としてインド亜大陸との商業的・政治的関係 を密にして発展する場となり「中国人の世紀」と同 時に,「インド人の世紀」も経験していた側面を論じ た こ と が あ る。評 者 の 見 解 で は,そ の 終 焉 も 1850∼1860 年代であった。 総じて,インド史の時代区分を論じる場合でも, 可能な限り多方面に関心や注意を拡げ,比較史的か つ関係史的な分析方法を慎重に援用する必要があろ うが,本書はいまだその段階に達していない。時代 区分論とは,一地方史,一地域史,あるいは一国史 の枠組みで議論できるほど簡単なものではないので ある。 Ⅳ 以上,本書各章の概要を紹介し,評者の関心から 主要な論点を整理してきた。なお,本書では概説に かなりの紙幅を割いているにもかかわらず,財政に かかわる定量的なデータが提示されず,インダプー ル郡での徴税活動がインド西部の統治行政にどれほ どの貢献をしているのかを,マクロな視点から推し 量ることはできない。現地語史料群からデータを収 集することが困難であれば,容易に入手可能な英語 史料によって補完することもできたであろう。序章 の冒頭で述べられるように,本書の目的は,前植民 地期から植民地期へのインド社会の社会経済変化を 連続的に考察しながら,イギリスによるインド植民 地化を再考することであった。「社会経済変化」や 「植民地化」という大きな問題を取り扱う以上,上記 の作業は必須である。ちなみにイギリス議会文書に よると,ボンベイ管区の地税収入額は,1825 年で 162 万 7237 ポンド,1830 年で 165 万 61 ポンド, 1846 年で 211 万 9430 ポンド,1856 年では 230 万 9362 ポンドであった。このなかでインダプール郡 での地税はどのくらいの割合を占めるのだろうか。 著者の今後の課題として大いに期待したい。 文献リスト 〈日本語文献〉 川村朋貴 2002.「19 世紀前半における東インド会社の 軍事財政帝国主義」『立命館史学』(22):1-31. 水島司 2008.『前近代南インドの社会構造と社会空間』 東京大学出版会. 〈英語文献〉

Kawamura, Tomotaka 2015.“Maritime Trade and Colonization in Early Penang, 1786-1830,”In

. eds. Tsukasa Mizushima, George Souza and Denis Flynn. Leiden: Brill Academic Press. Ray, Rajat Kanta 1988.“The Bazaar: Changing

Structural Characteristics of the Indigenous Section of the Indian Economy before and after the Great Depression.”

(25)3:263-318.

(東京大学学術支援職員)

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